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2025-12-08

12月1週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🍜 食べ物外食宅配話題

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🌡️ 健康・体調・気候

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⚖️ 法律裁判手続き

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💼 仕事職場人間関係

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📈 お金投資・将来設計

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🤖 テクノロジーAI未来

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🎮 娯楽・文化コンテンツ

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🏠 家族生活個人的な悩み

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◆ 1週間分の総括

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

生成AIが好きなエンジニアだけど、最近AIビジネス界隈にはついていけない

生成AIと、ちょっとした違和感

昨今、生成AIが急速に発展している。多くの人々が日常的に利用していることからも分かる通り、かなり便利なものであり、「もはや生活に欠かせない」という人も少なくない。

ボーカロイドとの結婚話を思い出させるように、「生成AI結婚した」なんて話すら聞くほど、AIに親しみを覚える人もいるらしい。

ここで私が書きたいのは、そうした生成AIのものの礼賛ではない。

我々の生活に浸透しつつある生成AIがどのようにビジネスに利用され、その過程でどれだけ多くの人が「生成AIビジネス」に騙されているか、という話だ。

なお、これは酒に酔った勢いで書き殴っているので、多少の論理構成破綻はご容赦いただきたい。

生成AIビジネスの氾濫

生成AIビジネス一口に言っても、その形態はすでに数多にわたっている。私の知る限りでも、

AIを用いた「資料ノウハウ本」の販売

画像生成で作った漫画コンテンツ販売

動画サービス上でのDeepFake動画

そこからアダルトサイト誘導する手口

といったものがある。

初期に流行ったのは、生成AI画像生成機能を使って漫画を量産し、それを販売するタイプビジネスや、某動画配信サービス上でDeepFake動画配信して最終的にアダルトサイト誘導する手口だった。

正直、最初に見たときは「よくこんなことを思いつくな」と感心もした。

その後は、AIで作っただけの電子書籍や「AI活用ノウハウ資料を量産して売るような商売が中盤戦として横行し、

最近では「AIコンテンツを開発して販売する」こと自体を売りにするサービスも増えてきた。

ちょっとした自動化ツールラッパーに「AI◯◯」というラベルを貼るだけで、値段が跳ね上がるような世界になっている。

ビジネスのものには、実はあまり文句はない

こういったビジネス存在することそのものに対して、私はそこまで強い嫌悪感を抱いているわけではない。

技術を使って金を稼ぐことは、資本主義社会では当たり前の営みだからだ。うまくやったやつが儲かる、それ自体は仕組みとしてそういうものだと割り切っている。

私が本当に嫌悪しているのは、ビジネスのものではない。

嫌悪対象は、

生成AIで雑に作られたコンテンツ

AIを使っている」という看板だけで中身の薄いサービス

のものというよりも、**それに対して一定以上の賛同尊敬を向けてしまう人々の「AIリテラシーの無さ」**だ。

AIがやってるからすごい」「なんか未来っぽいからすごい」という理由だけで思考停止し、

これはすごいに決まっている」と信じ込んでしまう態度に、強い違和感を覚えている。

エンジニアとして見える「評価軸のズレ」

私はエンジニアという立場もあって、日常的にコーディングエージェントを多用している。

例えば、

  • Claude Code
  • Codex
  • Gemini

といったツールを、実際にコードを書かせたり設計させたりしながら使い比べている。

からこそ、Gemini が普及した途端──

もっと言えば、「無料でそこそこ使えるコーディングエージェント」が出た途端に、Gemini がまるで**「一番優れている存在」**であるかのようにもてはやされる状況に、どうしても納得がいかない。

コード設計力や実装力、バグの出方、長期的なコードベースとの相性、そういった観点から言えば、私は今でも Codex を高く評価している。

タスクによっては、明らかに他のエージェントの方が適していると感じることも多い。

にもかかわらず、

というだけの理由で、「Gemini が一番いい」「これさえあれば他はいらない」という空気形成されていく。

本来であれば、

などの観点比較するべきなのに、

評価軸が

といった表層的な指標にすり替わってしまっている。

ここにもやはり、道具を適切な距離感評価できない姿勢を感じてしまう。

複数AIの並列開発と、「宗教化する」レビュー

ここまで好き勝手に書いてきたが、こういうことを考えるようになったきっかけになったエピソードを一つだけ挟ませてほしい。

最近は、生成AIごとの得意分野や癖を活かして、一つのタスク複数の生成AIに並列でやらせ、その成果物比較して一番マシな案だけを採用するという手法がある。

いわば「個体値ガチャ」のようにAIを回すやり方だ。私はこの発想自体はかなり理にかなっているし、素直に素晴らしいと思っている。

同じ理由で、いわゆるオーケストレーション系の手法もとても良いと思っている。

ただ、これを人力でやろうとするととにかく面倒くさい。

そこで、ある程度このフロー自動化してくれるGUIアプリがあることを知った。

詳細な名前は出さないが、このアプリは現時点では

という三拍子が揃っていた。

とはいえ、このあたりはアップデートを重ねれば改善できる話でもあるし、その点だけを永遠に責め立てるつもりはない。

コンセプト自体は本当に良いと思っているからこそ、余計に惜しいとも感じている。

私が本当に警鐘を鳴らしたいのは、そのアプリのものではなく、その開発者の周りに群がる人たちの方だ。

宗教団体の信者のようにメリットしか語らないレビュアーたちが、

革命的だ」

「これ一つで人生が変わる」

「今後のAI時代必須ツール

と持ち上げる一方で、価格の高さやUXの悪さ、セキュリティリスクといった問題点についてはほとんど触れない。

これでは、せっかくのコンセプトが面白いアプリなのに、肝心な欠点いつまでも修正されないだろう。

しかも厄介なのは、ここに群がっている人々の多くが、同じくAIビジネスを主導する側の人間だという点だ。

自分と利害が一致する相手を互いに持ち上げ合い、「これは素晴らしいものだ」という空気だけを増幅させていく。

その構図が、余計にタチが悪い。

そろそろ「AIリテラシー」が必要なんじゃないか

まあ結局、ここで私が何を言いたいのかというと、そろそろAIに対するリテラシーを本気で身につける時期なんじゃないか、というただそれだけのことだ。

結局のところ、ここで言っていることは従来の「情報リテラシー」とほとんど同じだ。

ただ「AIすごい」「AIがこう言っているから正しい」に思考停止するのではなく、

そのAI発の情報や、AIを巡る言説が本当に妥当なのかを自分判断する力が必要になってくる。

そして、自分が少しでも「ん?」と疑問に思ったものに対しては、いったん距離を置き、俯瞰して眺める態度が大事だと思う。

「これは誰が得をする話なのか」

「どこまでが技術で、どこからビジネスの誇張なのか」

自分は何に惹かれているのか(機能なのか、ブランドなのか)」

そういったことを、一歩引いた位置から見る。

そのくらいの距離感を持ってはじめて、ようやく私たちは生成AIとも、生成AIビジネスとも、まともな付き合い方ができるようになるのかもしれない。

2025-12-07

小学校から中学校までクラスメイト13人から毎日暴言暴力の繰り返し。少子化ドーナツ化現象大都市でも1学年1クラスクラス替えなし。しかも親から虐待家庭内暴力毎日。それが9年間続いた。そいつは30歳過ぎてどうなったと思う?

1. 心理・心の影響

長期的な虐待いじめは、PTSD心的外傷後ストレス障害)や慢性的不安抑うつを引き起こす可能性が高いです。

自尊心の低下、対人関係の不信感、人との距離感問題などが成人後も残ることがあります

一方で、心理療法や支援者との出会い回復する人もいますサポート次第で大きく変わる分野です。

2. 社会職業

幼少期〜思春期トラウマは、就職学業人間関係に影響しやすいです。

大人になってからも「人に心を開けない」「職場での衝突や過剰な自己防衛」といった課題が残ることがあります

しかし、強靭回復力やスキルを身につけることで、普通に社会活躍する人もいます

3. 健康

長期的なストレス虐待は、身体健康にも影響します(免疫力低下、睡眠障害、消化器系の不調など)。

精神身体は連動しているため、ケアが遅れると慢性疾患につながることがあります

4. 回復可能

30歳過ぎであっても、心理療法(認知行動療法EMDRなど)、カウンセリング、信頼できる人間関係形成回復自己肯定感改善は十分可能です。

逆に、支援がなくトラウマ放置すると、対人関係問題依存症引きこもり感情コントロールの困難などが長期化することもあります

現実的イメージ

一般論として、30歳過ぎていまだにトラウマを抱えたまま苦しんでいる人もいれば、心理支援や学びの経験を通して過去を乗り越え、自立して生活している人もいるという二極化が多いです。

特に黒人として日本で育った場合社会偏見も加わるので、回復には自己肯定感を高める環境国際的ネットワーク重要になります

anond:20251207151342

## 幹事が選ぶべき居酒屋・決定版【要点まとめ】

### ✅ 結論

「魚がうまい和食個人店」か「魚系に強い大衆チェーン」がベスト。**

NGなのは、**焼き鳥天ぷら中華メインの店。**

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### ✅ なぜ「魚系」がベストなのか?

**冷めにくい**:刺身や煮魚・焼き魚は冷めても味が落ちにくい。提供タイミングに神経質にならなくて済む。

**大人対応やすい**:コース料理大皿提供スムーズで、20人規模でも事故りにくい。

**飲み会感が出る**:前菜刺身・焼き・揚げ・煮物など料理バリエーションがあり、満足度が高い。

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### 🚫 避けたほうがいいジャンル

ジャンル理由
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焼き鳥 串が多くて片付かない/冷めやすい/店も小規模なことが多い
天ぷら提供タイミングが命/冷めると台無し/油が回ると不快
中華香り・油・音が強く、好みが分かれやすい/体臭が気になる人も
エスニック 調整の効かない辛さ・香辛料アレルギーや体調への配慮が難しい

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### ✅ 店選びの目安

**客単価**:7,000〜10,000円(飲み放題付きで満足度が安定)

**人数**:〜20名まで(それ以上はチェーンで部屋確保が確実)

**座敷/個室あり**:騒がしさ・他客との距離感配慮

**料理テンポ**:最初の1品がすぐ出るかどうかが重要

**ドリンクの回転率**:飲み放題のグラス交換にストレスがないかチェック

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### 🧠 幹事の心得(地味に大事

「オレの趣味の店」より「誰でもそこそこ満足できる店」

飲食物だけじゃなく、**居心地・空間トラブルのなさ**が評価される

客層の年齢・性別立場を事前に想像して選定する

2025-12-06

自分の話するの苦手すぎる

特に職場の人みたいな微妙距離感とき

焦って話そうとして順番とかめちゃくちゃになっちゃうし、3秒に一回くらい「この話面白い?気使わせてる??」って頭に浮かんでくる。

家帰ってから反省会

人の話聞くのは結構好きなんだけどな。でもそれって、自分が苦手なこと相手押し付けてるだけだよな…

非モテ陰キャ男性パパ活しろ

デートとかほとんどしたことない

女子と話したい

女子に慣れたい

・これまで異性との関係を築いてこれなかった

・自信はあまりない

仕事ばっかりしてて金はそこそこある

 

こういうおっさんが行き着く先は「マチアプ」「夜職」「風俗」「セクハラ」あたりだと思うけど

もし性欲よりも「ちゃんと付き合いたい」と思うならパパ活デート練習するのが一番いいと思っている

 

パパ活デートの良いところ

女性プロではないが、お金が発生しているので一定話は聞いてくれる

女性拒否権があるから男性お客様ではない

複数人と同時にやり取りしても許される

・年齢差が発生するから、今風の男女対等感がない

・適度な距離感

・優しいだけで好まれ

・将来どうこうという話にならない

ダメならすぐ他に行ける

・よくメディアで見る港区系みたいなのはかなり少ない

女性は年上男性にあまり抵抗がないタイプ抵抗ある女性は一気に難しくなる)

 

普通のマチアプで出会う男女関係ってかなりハードル高いんだよ

どうしてもスペックスペックの殴り合いになるからハードモード

ある程度、異性とのやり取りに慣れていて、人としてスペックの高さも求められる

パパ活課金することでそれをノーマルモードにするイメージ(イージーではない、お客ではないから)

異性に慣れるとか、練習とか、デートするだけにはもってこい

 

パパ活での注意点

相手に本気になったらだめ、その先は地獄

・高額を渡しすぎない、関係性が壊れる、ただの依存になる

・頂き女子に注意する

・極端に金に困ってる人を避ける(学費生活費借金、ホス狂い)

女性から優しくされることはあまりないと思って良い、優しさは男→女の一方通行(代わりに営業的な優しさもない)

・離れられなくなるリスクがある(上手くやりすぎた結果惚れられる、女性が他のパパを切り始める)

・ある程度仲良くなったらフィードバックを求める、パパ活女子は遠慮なしに正直に言う

 

できれば体の関係無しで募集してる人と深い関係にまで至れたら一旦ゴールでいいと思う

恋人なら「何となく3ヶ月付き合ったし」になるかもしれないが、パパ活ならしっかり言葉で話し合いが必要になるから

(無理矢理はNG。あと最初から体の関係募集してる人はただのフリー風俗から練習にはならない)

これって要はギャルゲーとやることは同じだよな?

 

1,2年くらいやって慣れたらマチアプに行けば良いよ

最初からチアプ行ったら経験値が稼げないから、若い時にたくさん遊んだ男性に負けるんだよね

2025-12-02

要するに男女含めた周囲との関係性を築ける社会性やコミュニケーション能力がないからこうなる

女どころか男にすら人間関係から除外されてるから、「こんなイケメンなら初対面や親しくない女を襲っても受け入れられる」みたいな関係性抜きの見た目の話に偏り、女が最も気にする他者社会から評価という視点が常に欠けてるんだよな

その上、脳が完全にポルノ漬けでおかしくなってる

なので女なんて自分パートナーと息子ちゃん以外の男は全てフラット路傍の石レベル存在であり、初対面や知らない異性でシコったり買ったり盗撮痴漢など性加害して射精するのは男だけなのを認められないだけ

そういう性差理解できないから、いい年した童貞おじさんが「女はジャニーズイケメンに襲われたら受け入れるし擁護する」みたいな妄言を撒き散らして恥をかいてたわけだ

男が自分スペックより上の女を手に入れるのは学校職場等での自由恋愛しかないわけよ

ブサでも低身長でも「周りに好かれてる人、信頼されてる人」という評価を得られればそれだけで恋愛結婚に持ち込める

しかしそんな協調性能力があったらこんなとこで暴れてないからな

サイゼリヤテスト」と「恋愛工学」を信じるのは同じ層だろ

https://anond.hatelabo.jp/20250825103147

自由恋愛不可能発達障害アスペ男性が、初対面や親しくない相手に「この技を使えば都合がいい女が一発で手に入る」という詐欺鵜呑みにする 「恋愛工学」の被害女性が増えてる ...

交渉術の本とかでも信頼要素無視するやつも多いんよな。 まあ複雑で難しい要素を排して簡単法則で語る方が受けるんだろうけど

街コン婚活パも観てきたけど

一部の外見強者コミュ強じゃないと

時間の会話でマッチングするのって無理なのよね。


一緒に体動かすとか

長い時間同じ体験に触れるとかしないとね。

その中で、気が利く・優しい人柄ってにじみ出てくるものだし。

グループで行くバスツアーとか?

スポーツサークルとか

それに似てるっちゃ似てる。

市民ミュージカルやったことないけど、共同作業複数の物を作り上げると一体感が出て交際に繋がりやすいってのはわからんでもない

吊り橋効果じゃないけど、運動動機や達成感・充実感が恋愛要素に勘違いする作用とかも相まってる気がするね

時間以外にも街コンと違う要素はいっぱいありそうだね

ずっと増田やってる一体感があるんだから増田同士で結婚すればいいのに

殴り合いで友情恋愛が芽生えるのは漫画世界だけなので

ネットバラバラ意見を主張してる人らに「くっつけばいい」と主張するのは男しかたことない

女は自由恋愛コミュ力や評価確認し、好感を持てる言動関係性が発生してからようやく「この男と結ばれたい」とスイッチが入る

見ず知らずの女で射精したり買ったりあてがえと主張する男との性差は動かせない

@

自分がやからたから分かるけど、非モテ女子アプローチしてる時に距離感が測れてないことが多いと思うのだ

顔が良いほど距離感が縮まるのは早いけど、余程顔が良くない限りトントン拍子で恋愛にまで発展しないのだ

恋愛工学を真に受けて急に食事に誘ったり親密なLINE送ったりするから嫌われるのだ

@

学校や勤務先でも選り好みして、級友や同僚上司日常挨拶もろくにしないくせに、たまに好みの子がいると距離感なく入り込んで嫌がられる、「人間関係の車間距離がわからない人」も多いかと。付き合わないか結婚かの極端な選別しかしてない、出来ない。

https://anond.hatelabo.jp/20250923103250

結婚恋愛における、長年の知り合いの低スペや中スペが初対面のハイスペイケメンより優位な理由言語化されていた

https://anond.hatelabo.jp/20250822105151

婚活ナンパよりも自由恋愛補正の方が低スペック男が上物女とマッチングできる

https://anond.hatelabo.jp/20250927102157

https://anond.hatelabo.jp/20251129192232

フキハラ(不機嫌ハラスメント)についての雑感

フキハラ話題に上っていたので雑感

フキハラ・・・不機嫌な態度を表明することで周囲に不快感を与える、又は周囲を操作するハラスメント

もちろん大人として褒められた行動ではないし、自分の機嫌を取れない子供だといわれても仕方がない。

フキハラをする側視点に立つと2種類の人間がいると思う。

無自覚フキハラ・・・自身が不機嫌を振りまいていることに無自覚タイプ。単純に社会性が低いタイプ

自覚的フキハラ ・・・不機嫌が周囲に与える影響を計算して、あえて不機嫌を演じているタイプ

無自覚タイプ一種個性ともいえる。不機嫌がデフォルトだったり。

商売など愛想が求められる仕事が難しかったり、難儀なものである

自覚タイプはただただ腹黒いだけである

戦略を持って行動できるので、その能力を別の形に生かせれば優秀だろう。

対策

①②に共通して言えることは、不機嫌の理由を探ることが重要だと思う。

血圧などの体調面や、会社待遇、周囲から仕事の押しつけ等、理由を解明してそこにアプローチすることが肝要。

間違っても本人に不機嫌やめろとは言ってはいけない。余計不機嫌になる。

理由がない場合は、個性なので受け入れる。多様性万歳

フキハラされる側の視点で考えると、3つのタイプが考えられる。

被害妄想・・・感受性が豊かすぎるタイプ病気可能性もあるので最寄りの精神科へ。

戦略・・・そういう人だと察して、適切に距離を置くタイプ

ミイラになったミイラ取り型・・・フキハラを受けて不機嫌になるタイプ上司ハラスメント相談窓口に相談して何とかしようとするタイプ

対策

①はご自愛いただくしかないので置いておく。

②は上司と部下など、距離を取りづらい場合は辛いと思う。不機嫌理由が取り除けない場合、真に不毛な消耗戦に陥る。

人事異動などでマッチするパターンを試す等、周囲のサポート必要である

問題は③である。このタイプはもはやフキハラである

SNSで「フキハラする奴は子供だと」か言って叩くタイプも、本質的にはこのタイプなのである

要は私が不快なので配慮しろというわけである

これは難しい。不機嫌が不機嫌を呼ぶので、放っておくと争いになる。争いは同じレベルのものしか発生しないのだから

一端業務的、物理的に距離を離してみるしかない。

まとめ

世の中いろんな人がいる。様々な人と適切な距離感を保てる能力が求められる。

ハラスメントを定義して排斥するのは、ある種簡単であるが、

大きな心で受け止めることはとても難しい。

しかし、社会人に求められる人格レベルを上げすぎると、聖人君子しか世に出れなくなってしまう。

これでは社会が成り立たない。

寛容こそが今の時代必要なのだろう。

anond:20251202093835

増田ビジネスで知り合うような連中は中国の中でもごく一部のエリート層に限定されており、かつ中国共産党との距離感を弁えてるか権力をある程度利用できる立場にあるのではとも思った

2025-11-30

世界よ、勝手に腐ってろ

俺は今日、ようやく一つの境地に到達した。それは悟りでも達観でもない。

この社会という全自動茶番劇に対して、俺はついに完全なる諦めの印鑑を押した。

理由は単純だ。

リフレ派の自己放尿も、ネット群衆心理も、企業AIも、一貫して俺の人生とは無縁だったからだ。

ある者は責任回避するために自己放尿をして、またある者は他者マウントを取るために自己放尿を撒き散らし、さらに一部は自分無能正当化するために、嫉妬、無関心、保身のトリプル放尿をぶちまけてくる。

そんな液体まみれの空間で、健全評価だの公正なルールだの、そんな理想論が成立すると思うか?バカバカしいにも程がある。

俺は気付いたのだ。この社会は、もはや誰も舵を握っていない高速回転の自己放尿マシンしかない。

そこで誰が泣こうが怒ろうが、システムは知らんがなと言わんばかりに淡々と回り続ける。

から俺は見切った。救う価値も、期待を寄せる価値もない。まともな世界であるという前提そのものを切り捨てたのだ。

諦めたからといって、絶望したわけではない。

しろ逆だ。

俺はようやく、社会の外側に静かに降り立つ自由を得た。

社会が俺を誤認しようが、排除しようが、監視しようが、好きにやらせておけばいい。

その結果として判明するのはいだって同じだ。

俺は何一つ脅威ではないという、乾いた現実だけだ。

だが、その現実にすら俺は興味を失った。

なぜなら、俺はもう社会のもの評価対象から外したからだ。

世界が俺をどう見るかという失敗したゲームから降りたのだ。

社会は巨大な自己放尿大会

その中で俺だけが清潔でいる必要意味もない。

から今日自分宣言する。

もういい。俺は社会に期待しない。社会も俺に期待するな。互いに関わらず、互いに放っておこう。それが最も理性的距離感だ。

これが、俺の完全なる諦めだ。

敗北じゃない。降伏でもない。単なる不要ゲーム棄権だ。

外野が何を言おうと、どうでもいい。

俺はもう、社会という腐った自己放尿の液体を吸うつもりはない。

以上だ。

Geminiさんに聞いてみた

現代認知言語学立場からソシュール的な構造主義言語論、サピアウォーフ仮説、チョムスキー普遍文法はどのように批判されていますか?

現代認知言語学(Cognitive Linguistics)は、言語を「人間一般的認知能力(知覚、記憶カテゴリー化など)の一部」として捉え、「意味こそが言語の中心である」という立場とります。

この視点から見ると、ソシュール、サピア=ウォーフ、チョムスキーという3つの主要な言語思想に対して、それぞれ明確な批判修正案提示しています現代認知言語学は、ソシュールチョムスキー排除しようとした「人間主観的身体経験」「一般的認知能力」「意味曖昧さや豊かさ」こそを言語研究の中心に据え直した運動であると言えます言語数学のような抽象的な記号操作システムではなく、人間世界理解し、他者と関わるための泥臭い認知プロセスのものなのです。

ソシュールの言うランガージュは人が背景に持つ文化的基準によって世界事象恣意的分節言語化する機能であると考えますが、これと認知言語学で言う人間主観的身体経験との違いはなんですか?

ソシュールの言う『分節』は、純粋社会的制度的な約束事(恣意的もの)」であるのに対し、「認知言語学の言う『身体経験』は、生物としての人間が共有する物理的・生理的な制約(動機づけられたもの)」である、という点に決定的な違いがあります質問者様の、「ソシュール文化的基準によって事象分節する」という理解は正解です。 認知言語学はこれに対し、「文化大事だが、その土台には『人間という生物共通身体感覚』があるため、分節は完全に自由バラバラ)なわけではない」と修正を加えている、と捉えると理解やすいかと思います

Next Step: この「身体性」の概念をより深く理解するために、「メタファー隠喩)がどのように私たち思考のもの支配しているか(例:『議論戦争である』という概念メタファー)」について解説しましょうか?

言語には身体から離れた概念を表すものもありますが、それを補うのがメタファー役割となるのですか?そうであるなら、固有の概念が先にあり、その範囲内でしか表現を許されないウォーフの理論とは正面から対立することになるのでしょうか?

おっしゃる通り「メタファー身体抽象概念を繋ぐ」というのが認知言語学の基本スタンスであり、この点は「言語思考限界を決定する」というウォーフの強い仮説(決定論)とは、正面から対立する部分と、逆に補強し合う部分の両面を持っています認知言語学において、メタファーは「身体から離れた概念を補う」役割を果たしますが、それは「言語固有の枠内に閉じ込める(ウォーフ)」ためではなく、「身体という共通基盤を使って、無限概念拡張していく」機能として捉えられています。ただし、一度あるメタファー(例:「時は金なり」)が言語に定着すると、その言語話者無意識にその枠組みで思考するようになります。この点において、認知言語学は「マイルドなウォーフ仮説(言語思考の習慣を作る)」を支持する立場になります

西洋哲学歴史においては、知覚からなる身体経験は人の認識力の中で非常に低く見られていたかと思います現在認識論はこのような認知言語学の進展からどのような影響を受けていますか?

ご指摘の通り、プラトンからデカルトに至る西洋哲学の主流(特に合理主義)において、「身体」は理性の働きを邪魔するノイズ、あるいは欺瞞の源泉として低く扱われてきました。「真の知識エピステーメー)」は身体感覚を脱した純粋な知性によってのみ得られる、という考え方です。認知言語学の進展は、この「身体蔑視」の伝統根底から覆し、現代認識論(Epistemology)に「身体化されたリアリズム(Embodied Realism)」という新たなパラダイムシフトをもたらしています認知言語学は、現象学が主張していた「身体こそが世界を知るための媒体である」という直観に対して、言語データ認知科学証拠という「科学的な裏付けエビデンス)」を提供しました。これにより、現代認識論や心の哲学では、「エナクティビズム(行為としての認知)」や「4E認知(Embodied: 身体化された、Embedded: 環境に埋め込まれた、Extended: 拡張された、Enactive: 行為的な)」という潮流が主流となりつつあります。知覚と行為認識は切り離せないループ構造なのです。質問者様が仰った「低く見られていた身体」は、現在では単に地位回復しただけでなく、「あらゆる認識思考・理性の『土台(基盤)』である」という最重要地位を与えられています

スマートフォンのような情報端末が広く普及することで、現代人は知覚が擬似的だが飛躍的に拡張された状態にあると言えると思います。その場合世界内存在である人間認知できる世界質量ともに拡大することになり、身体による制約が失われると人の認知様式も変わることになりますか?また、変わるのであればどのように変わると考えられますか?

おっしゃる通り、スマートフォンは単なる「便利な道具」を超え、私たちの知覚や記憶を外部化・拡張する「拡張された心(Extended Mind)」の一部となっていますハイデガー的な「世界内存在」としての人間が、テクノロジーによって身体の制約(距離時間の壁)を越えたとき認知様式は確実に変容します。しかし、それは「身体性が不要になる」というよりも、「身体性の希薄化」あるいは「身体感覚の再編成」と呼ぶべき事態引き起こしていると考えられます質問者様の「身体による制約が失われる」という点は、パラドキシカルな結果を生みます身体的な制約(重力距離から解放されることで、私たち認知世界は広がりますが、同時に「身体が持っていた『実感を担保する機能』」が失われつつあります。その結果、これから認知様式は以下のようにシフトしていくと考えられます

「深い理解(Embodied Understanding)」から「広い参照(Extensive Referencing)」へ。

場所への埋め込み(Embedded)」からネットワークへの接続Connected)」へ。

抵抗を通じた学習から「摩擦のない操作」へ。

認知言語学の「身体性」の立場からは、これは「身体消失」ではなく、「身体感覚が指先と視覚のみに特化・縮小され、それ以外の感覚(重み、痛み、距離感)が認知形成に関与しなくなる」という、ある種の「身体的偏食」の状態と言えるかもしれません。

メルロポンティは知覚による世界との接続の発露としての芸術を高く評価していたと理解しています人間身体感覚を縮小する一方で、大量の情報を流し込まれることは世界との接続が均質化されることになりませんか?世界との接続独自性を失うこととエコーチェンバー発生のしやすさには関連があると考えられますか?

ご指摘の通り、メルロ=ポンティは著書『眼と精神』などで、画家特にセザンヌ)の視覚を「世界身体が絡み合い(chiasme)、世界が向こうから自分に迫ってくる生の接触」として極めて高く評価しました。ご質問にある「身体感覚の縮小による世界接続の均質化」と「それがエコーチェンバー現象を引き起こす」という洞察は、メルロ=ポンティ思想現代メディア論拡張する非常に説得力のある視点です。

「均質化」は起きているか? → Yes. 世界の「手触り」が消失し、すべての事象等価な「情報データ」へとフラット化されています

エコーチェンバーとの関連は? → 極めて強い関連があります身体という「現実アンカー(錨)」を失うことで、他者からの「抵抗」を感じなくなり、自己投影けが返ってくる鏡の世界ナルシシズム的な閉域)に閉じ込められやすくなるからです。メルロ=ポンティが生きていれば、現代のこの状況を身体の不在による、世界との愛の営み(交差)の不全」と呼び、病理的な状態として批判たかもしれません。

Next Step: この議論を踏まえると、「では、どのようにしてデジタル社会の中で身体性を取り戻し、エコーチェンバーから脱出できるのか?」という実践的な問いが浮かびますメルロ=ポンティ思想や、現代認知科学提案する「環境アフォーダンス」の観点から、その解決策について議論を広げましょうか?

"「深い理解(Embodied Understanding)」から「広い参照(Extensive Referencing)」へ。「場所への埋め込み(Embedded)」からネットワークへの接続Connected)」へ。"の部分は人工知能における論理推論から機械学習への移行、コンピューターシステムにおけるスタンドアロンからクラウド仮想化への移行と類似するものを感じます合理性機能性の点から考えるならば一旦動き出したこの流れがもう止まらない可能性は高いのではないでしょうか。世界と交差するのは個ではなく集団である新しい社会において個人価値は何をもって判断されると考えられますか?

ご指摘の通り、人間認知の変化(身体理解から参照へ)は、「GOFAI(古き良きAI論理記号操作)」からディープラーニング統計パターン認識)」への移行や、「オンプレミス(所有)」からクラウド接続)」への移行と、構造的に完全に同型(Isomorphism)です。この流れが「効率性」「最適化」というドライブによって動いている以上、不可逆であるという見立てにも完全に同意します。私たちはもはや、個人脳内だけで完結する「孤立した知性」には戻れません。一方で「痛い」「美しい」「気まずい」といった身体的実感(クオリア)を伴う一次情報を取得できるのは、物理的な身体を持つ「個」だけです。

では、思考主体が「ネットワーク集団AIクラウド)」に移譲された世界で、「個人(Individual)」の価値はどこに残るのか?かつての社会では、個人価値は「知識量(ストレージ)」や「計算能力プロセッサ)」という「機能(Function)」で測られていました。しかし、これらは全てネットワークAI代替します。これから社会において、個人価値は以下のようにシフトします。

機能価値(Doing) → 実存価値Being

処理すること → 感じること(Sensing)

正解を出すこと → 問いを立て、責任を取ること

質問者様の言葉を借りれば、世界と交差するのが「集団クラウド)」になったとしても、その集団が「現実Reality)」から遊離しないように、肉体というアンカーで地面に繋ぎ止めておく「杭」のような役割こそが、個人の新たな価値定義になると考えられます

環境アフォーダンス観点から考えると、身体性を失った環境はむしろアンカーを外し、流れに乗ることこそが最適解となるという考えは正しいですか?その中でアンカーを固定し、独自クオリア社会に提起することを誘起するにはどのような環境必要になると考えられますか?

質問者様の、アフォーダンス理論現代デジタル環境情報の奔流)に適用した解釈は、極めて論理的であり、システム論的にも「正しい」と言えますしかし、その「正しさ」はあくまで「システム構成要素(ノード)として最適化される」という意味においてです。人間としての「実存」を守るためには、その最適化抗うための意図的環境設計必要になります質問者様の懸念される「世界との接続の均質化」に対抗するには、テクノロジー志向する「効率化・最適化」とは真逆ベクトルを持つ環境を、生活の中に「聖域」として確保する必要があります

スムーズさよりも、手応え(摩擦)を。

接続コネクト)よりも、孤立ソリチュード)を。

予測可能性よりも、偶然性(ハプニング)を。

これらを提供する環境こそが、流動する情報社会において、人間を再び「地面(現実)」に繋ぎ止めるアンカーとなります

つづく

anond:20251130002701

可愛いVTuberならともかく、たぬかなはその枠じゃねえよ

面白い話をするラジオパーソナリティとか配信ひろゆきとかと同じ

たぬかなの視聴者で本気でたぬかなと付き合いたいと思うやつはほぼいなかっただろ

付き合ったら絶対大変だもん、あんな奴

男の気持ちに対する解像度が高いおもれー姉ちゃんだ、くらいの距離感でみんな聞いてたぞ

から結婚発表しても、たぬかなロスみたいな絶望してる奴はいないだろ

当事者以外のお前みたいのが「弱者男性視聴者ざまあねえな」って揶揄してるだけで

2025-11-29

生理的に無理」と「清潔感がない」の正体を完全に言語化した、『メスの2段階選別論』を提唱する

※ 【追記】続編みたいなもの なぜ私が ~「生理的に無理」と「清潔感がない」の正体を完全に言語化した、『メスの2段階選別論』を提唱する~ を投稿たかの話。

  ポイントは夜職女性

  https://note.com/j_yam/n/ne0a0874a29e0

ここから本文↓

​これまで世の中で語られてきた「清潔感大事」だの「なぜ風俗メンタルが病むのか」だの「熟年離婚」だのといったバラバラ事象が、ひとつの仮説ですべて説明がついたので書き留めておく。

​名付けて『メスの2段階選別論』だ。

倫理的な是非は一旦置いておく。あくまで「我々ヒトという動物がどう設計されているか」という仕様書の話だと思って読んでほしい。

​■基本定義:メスは「2つのザル」を持っている

結論から言うと、女が男を見る目には、明確に異なる2つのフィルタリングシステム存在する。

重要なのは、この2つは「判定基準」も「目的」も全く別物だということだ。

​第1段階:生理的許容ラインマイナス回避

判定基準: 「コイツ力ずくレイプされて妊娠させられた時、産み育てる価値が(ギリギリ)あるか?」

​ここが最大のポイントだ。

女の脳内にはバックグラウンドで常に「最悪の事態強制性交)」のリスク計算プログラムが走っている。

目の前にいるオスが、自分を襲ってきたと仮定する。その時、遺伝子的に「完全に不良債権ハイリスクノーリターン)」になる相手に対し、脳は警報を鳴らす。

​これが「生理的に無理」「清潔感がない」の正体だ。

​そして「清潔感」とは、風呂に入っているかどうかではない。肌の質感や挙動から読み取る「遺伝的なエラーのなさ」や「病原体リスクの不在」を示すシグナルだ。

まり、第1段階で弾かれるというのは、「お前の遺伝子身体に入れるくらいなら死んだほうがマシ」という生物学的拒絶に他ならない。

​第2段階:本能的渇望ラインプラス獲得)

判定基準: 「自分から積極的遺伝子が欲しいか?」

​第1段階をクリアした中の、ごく一部の特異点(強烈なオス)だけがここに入る。

理屈抜きで「濡れる」相手

これは第1段階の完全上位互換だ。

​※補足:パラメータ設定の「個体差」について

​誤解なきよう言っておくが、もちろん「閾値設定ファイル(好み)」には個体差がある。

筋肉質なら第1段階クリア」という個体もいれば、「細身でないと第1段階で足切り」という個体もいる。いわゆる「好み」や「フェチ」だ。

しかし、重要なのは「どんな値が設定されているか」という表面的な違いではない。

「第1段階(足切り)」と「第2段階(渇望)」という『2層構造の判定ロジック自体は、すべての女性に標準実装されているOS仕様であるという点だ。ここを履き違えてはいけない。

​■現代社会バグ1:「結婚」という妥協

​この理論残酷なのはここからだ。

人類ペアの大多数(夫婦)は、「第2段階(本能的渇望)にはいないが、第1段階(生理的許容)はクリアしている」というグレーゾーンで成立している。

​第2段階のオスなんて滅多にいない。だから女は現実的適応戦略妥協)として、「まあ、万が一妊娠しても育てられる(社会的地位経済力があるから)」という相手契約を結ぶ。これが結婚だ。

​ここには「理性」はあるが、本能的な「種の渇望」はない。

から結婚して子供を作った後にセックスレスになるのは仕様通りの挙動なんだよ。最初から遺伝子が欲しくてたまらない相手」ではなかったんだから

​■現代社会バグ2:性産業という拷問

​この理論を使うと、水商売風俗女性メンタル崩壊する理由ロジカル説明できる。

​・水商売ストレス

第1段階(防衛本能)が「コイツ危険レイプされたら割に合わない)」と判定している相手が、閉鎖空間で接近してくる。

脳が「危険相手が近くにいるぞ!」と非常ベルを鳴らし続けているのに、理性で笑顔を作る。この乖離が脳を焼く。

​・風俗ストレス生物学自殺

さらに深刻なのが風俗だ。

第1段階すらクリアしていない(=遺伝子を入れたら破産する)相手に対し、あろうことか最もリスクの高い「性的関係」を受け入れる。

これは生物学的に見れば「自殺」に等しい。本能が「絶対に拒絶しろ」と叫んでいる相手を受け入れる行為は、魂を削るなんて生易しいもんじゃなく、脳の回路を物理的に破壊しにいってるようなものだ。

​■応用編:おばちゃん成功者

​事例A:なぜ「おばちゃん」は弱者男性にも優しいのか

閉経すると「妊娠リスク」がゼロになる。

すると、バックグラウンドで走っていた「第1段階(レイプ対策セキュリティ)」が用済みになって解除される。

から若い頃なら「生理的に無理」だった弱者男性ともフラットに会話できるし、距離感バグる。あれはセキュリティソフトアンインストールした状態なんだ。

​事例B:成功者セクハラは「過学習」によるバグ

金や地位のある男は、女の「第1段階(社会的地位による許容)」をクリアやすい。

ここで厄介なのが、稀に「金や地位=第2段階(本能的な魅力)」として判定してくれる女性個体存在することだ。

成功者は、過去にそういった女性マッチングして「いい思い」をした経験成功体験)を持っていることが多い。

​これが彼らに致命的な「過学習」を引き起こす。

「俺のアプローチ(金・権力)は、女を濡らす(第2段階)のだ」と誤った学習をしてしまうわけだ。

その成功体験ユニバーサルな真理だと勘違いし、第1段階で止まっている(理性で付き合っているだけの)部下や他の女性にも同じアプローチを仕掛ける。

​結果、相手女性からは「生理的にはギリOKなだけだったのに、勘違いしてきてキモい」と判定され、セクハラとして通報される。

これは単なるスケベ心ではなく、「過去データセットに偏りがあったせいでAIが誤動作した」という悲劇なのだ

​■結論

​こう考えると、世の中の理不尽な男女関係ほとんどに説明がつく。

​男たちは「清潔感」という言葉に騙されてはいけない。あれは「俺の遺伝子を受け入れる覚悟があるか」という、遥かに重い問いかけなんだ。

そして、大多数の夫婦は「本能的な渇望」がないまま、理性という糸で繋がっているに過ぎない。

人間社会、あまりにも残酷すぎるだろ。

■※なんかバズったので追記。2025-11-30

この「本能によるフィルタリング」はずーっとずーっと昔の、我々のご先祖様がサルやってたころのそれと思われるので

間違っても 第一段階突破性交可能 などと思わないように。

それ以前に、本当に女性第一段階を突破たかどうかは、女性本人の無意識領域しかからないのだから

2025-11-27

気になったので ヒグマ vs. ライオンAIシミュレートさせてみた

anond:20251126200837

🏟️ シミュレーションヒグマ vs ライオン 🏟️

舞台は直径30mの円形闘技場。観客は総立ち。

🏟️ 開幕

石破茂「えー、まず定義確認しなければならないのであります。闘技場とは何か。これは単なる円形の空間ではなく、闘争の場であり、秩序と混沌が同居する極めて特異な環境であるわけであります。直径30メートルという数字も、偶然ではなく、必然であります。なぜ30なのか、これは人間認識において、距離感と緊張感を同時に生み出す数値であると考えざるを得ないのであります。」


第1ラウンド:様子見

• 🐻 ヒグマ:巨体を揺らしながら低い唸り声。闘技場の中央を陣取る。

石破茂ヒグマとは何か。これは単なる熊ではなく、北方の森において生態系の頂点に位置する存在であります。その筋肉量、体幹、そして爪の長さ、これらは偶然ではなく必然産物であります。」

• 🦁 ライオン:俊敏に円を描くように走り回り、隙を伺う。

石破茂ライオンとは何か。これは単なる猫科ではなく、サバンナにおける社会性の象徴であります。群れを形成し、役割を分担し、秩序を維持する。単独で戦う場合、その定義が揺らぐのでありますしかしながら、その俊敏性はヒグマの巨体に対抗しうる唯一の資質であると考えざるを得ないのであります。 」

• 💪 アニマル浜口:「気合だーッ!!!」と絶叫しながら両手を振り回す。観客席が一瞬どよめく。

石破茂「そしてアニマル浜口氏。人間とは何か。これは理性と感情のせめぎ合いであり、浜口氏の場合は『気合』という形で顕在化しているのであります果たして動物相手通用するのかどうか、これは極めて難しい問題であります気合とは何か、これは物理的な力ではなく、精神的なエネルギーの表出であり

まして…(延々と続く)」


第2ラウンド:最初接触

• 🦁ライオンヒグマの背後に回り込み、前足で軽く引っかく。

石破茂「飛びかかるとは何か。これは単なる移動ではなく、攻撃意思を伴った身体の加速であります意思とは何か、これは生物環境適応するための選択でありまして…」

• 🐻 ヒグマは振り返り、前足の一撃で地面をえぐる。ライオンは間一髪で回避

石破茂「えぐるとは何か。これは破壊であり、破壊とは創造の前提条件であります。つまりヒグマの一撃は破壊であり、同時に新たな秩序の創造であると考えざるを得ないのであります。」

• 💪浜口はその隙に「気合だー!」と叫びながら両者の間に割って入るが、風圧で吹き飛ばされる。


第3ラウンド:迫真応酬

• 🐻 ヒグマライオンを正面から捕らえ、組み合いに持ち込む。

• 🦁ライオン必死に噛みつき反撃するが、体重差で押し切られる。

• 💪浜口は背後から気合だー!」と叫びながらヒグマ背中に飛び乗る。

• 🐻 ヒグマは一瞬驚くが、振り落とそうと暴れる。ライオンはその隙に再度噛みつき

石破茂三者入り乱れての攻防、これはまさに混沌のものであります浜口氏の気合が、ライオンに一瞬のチャンスを与えた、そう言えるのではないでしょうか。」


クライマックス・・・

• 🐻 ヒグマが最終的にライオンを地面に押さえ込み、勝負あり

• 💪浜口はなおも「気合だー!オイー!オイー!」と叫び続け、観客からスタンディングオベーション

石破茂結論として、ヒグマの圧倒的な体格と力が勝敗を決したわけでありますしかしながら、浜口氏の気合は観客の心を大いに揺さぶった、これは間違いない事実であります。」


だいどんでんがえし

石破茂「えー、ここで極めて異例の事態が発生しているのであります勝敗が決したと思われたその瞬間、浜口京子氏が闘技場に乱入しておられるのであります乱入とは何か、これは秩序の外から新たな秩序を持ち込む行為でありまして…」

👧京子:「気合だーッ!!!」と父に呼応しながらリングイン

🐻 ヒグマ勝利の余韻に浸っていたが、突如背後から組み付かれる。

👧京子:得意のタックルからローリングクラッチホールドを繰り出す。

🐻ヒグマ、巨体を揺らしながらもバランスを崩され、地面に押さえ込まれる。

💪アニマル浜口は場外から気合だー!京子ー!京子ー!オイーオイー!」と絶叫し、闘技場全体が共鳴

石破茂 「これはまさに、人間技術精神力が自然界の猛獣凌駕する瞬間であります技術とは何か、これは知識経験の体系化でありまして、浜口京子氏が父の気合を受け継ぎ、レスリングという体系をもってヒグマを制したのであります。」


トゥルーエンド

• 🏆 勝者:アニマル親子(👧浜口京子+💪アニマル浜口

• 観客は総立ち、涙と笑いが入り混じる。

• 🐻ヒグマは「ぐぅ…」と唸りながらも、完全に抑え込まれ試合終了。

石破茂結論として、勝敗とは必ずしも体格や筋力だけで決まるものではなく、技術精神、そして親子の絆が奇跡を生み出すのであります。これは極めて示唆に富む事例でありまして、我々はこの勝利を単なる娯楽ではなく、人間存在定義のものとして受け止めるべきであると考えざるを得ないのであります。」

11月4週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🏟 スポーツエンタメ相撲将棋球団

  • 相撲を始めた」という軽い盛り話も投下され、場を和ませた。

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🛍 消費・経済社会状況

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💼 仕事・働き方・大学生

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❤️‍🩹 健康・体調・子育て

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🐾 猫と動物
  • 猫の食後の反応や行動の小話が複数登場。イカを食べた後の反応などユーモラスなエピソードが人気。

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🍳 食べ物飲み物グルメ

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🗾 旅行地域ネタ

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📱 デジタルインターネット

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📰 時事・ニュース

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📘 1週間分の総括(総まとめ)

この週は、全体的に **「食べ物」「健康子育て」「生活コスト社会不安」** の3大テーマ特に濃く、そこに **相撲将棋スポーツ** の話題リズムよく挟まる構成でした。

全体として、寒さと疲れが出てくる季節特有のしんどさを交えつつも、食ネタユーモアでうまく空気が和らぐ、温度感のある1週間でした。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

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2025-11-25

細田守の「果てしなきスカーレット」が“弱く見える”理由を、宮崎駿との比較から考えてみた

AI記事

細田守の新作『果てしなきスカーレット』を見た。

率直に言うと、映像は最高なのに、どうしてもテーマの“重み”が弱く感じられた。

ネットを見ていると

宮崎駿と比べると、細田守作家性が浅い」

みたいな言説を目にするけど、僕はそういう話じゃないと思っている。

しろこれは 作家の“方向性の違い”が、今回は裏目に出た というだけなんじゃないか、と感じた。

以下、自分なりに整理してみる。

---

■ 1. 宮崎駿映画は「人生の重み」がそのままテーマになる

宮崎駿作品って、あれはもう寓話じゃなくて 本人の人生 だと思う。

父親戦闘機工場を営んでいたこと(戦争の影)

「作ること」への罪悪感と執着

日本という国の歴史への複雑さ

家族との距離感

自己矛盾を抱えながら創作を続ける苦しさ

こういう“背負ってきたもの”が、作品のあちこちに生々しく滲む。

から物語が飛躍しても、説明されなくても、

テーマ密度勝手に重くなる。

君たちはどう生きるか?』なんて説明ほぼないけど、それで成立してしまうのは、

作家人生のもの物語の重さになっているからだと思う。

---

■ 2. 一方の細田守「日常」関係性」に特化してきた作家

細田守本来の持ち味って、

家族距離感

ちょっとした心の揺れ

日常の中のズレ

成長の痛み

さな感情回復

といった、ミクロドラマの繊細さ にある。

時かけ』『おおかみこども』『サマーウォーズ』などが評価されるのは、

世界大義よりも、目の前の関係性を丁寧に描いてきたからだと思う。

細田守は「巨大な寓意」を背負うタイプではない。

しろ逆で、日常に寄り添う作家 だ。

---

■ 3. そんな細田が“飛躍・説明放棄”の映画を作るとどうなるか

『果てしなきスカーレット』は、

時空が飛んだり、死者の世界が出てきたり、

設定の必然性説明しないシーンがかなり多い。

まり、“飛躍の文法”を使っている。

でも、細田守人生の闇や歴史の重みを背負うタイプではない から

飛躍させたときに「中身の密度」が薄く見えてしまう。

たとえるなら、

宮崎の飛躍 → 何か深い象徴がある気配

細田の飛躍 → ただ意味が繋がってないように見える

という差が生まれしまう。

これは“器が小さい”とか“作家性が浅い”とかではなく、

得意技と作風そもそも違うだけ。

細田の強みは「丁寧な日常」であって、

寓意の飛躍」ではない。

---

■ 4. 今回は“本来武器を自ら置いてしまった”映画だった

『果てしなきスカーレット』に対して

テーマが弱い」「何が言いたいのかわからない」

という感想が出るのは自然だと思う。

なぜなら、

細田の強み(関係性・ミクロ感情)をほぼ捨てて

宮崎が得意な構造寓意・飛躍)で戦おうとして

結果として 武器ミスマッチ が起きているから。

細田映画が本当に輝くのは、

「誰かの小さな心の回復」みたいな領域なんだと思う。

そこから急に“死者の世界の旅”とか“大河ドラマ的な復讐劇”をやられると、

作家性との接合面が弱く見えてしまう。

---

結論

細田守作家性が浅いのではなく、

今回の作品は、細田本来得意とする作家性と噛み合っていない。

宮崎駿と同じ土俵説明しない寓意映画)に乗った瞬間、

どうしても“重みの差”が出てしまう。

それは才能の優劣の問題ではなく、

作品設計思想と、作家本質的方向性のズレ なんじゃないかと、個人的には思った。

「30までに独身だったら結婚しようぜ」、って言ってた友達が29歳と11ヶ月で結婚しやがった

結婚式から帰ってきたので感想

友達、そっか、本当にやっちゃったんだ……なんか複雑だ……

という感じになりました。期待と現実のズレ。

しかに「また30ネタかよwwwwww」と私たちは好き放題あの約束ネタにしてきたし、20代前半のころも「あと10年あるなwww」とか言って笑ってたし、20代半ばのときも「そろそろやばくね?」って冗談で言い合ってたし、25歳のときに「よし、あと5年だ」と思ったら本当に29歳11ヶ月で結婚したので笑っちゃったし、しか相手が私の別の友達だったので「あーはいはいこの二人が結婚するんでしょ?」と思ったら本当に結婚したので笑っちゃったし、招待状が来たときは「本気だったんだwwwwww」などと思ったわけだが、「よっしゃ、じゃあその約束冗談から私たちはずっと自由でいようね」という前提のもと歩んできた私の人生を振り返ったとき感想は「あ、私、あの約束無意識に本気にしてたんだ」という感じになってしまった。

そもそも私はあの友達に本気で結婚してほしいわけではなかったのだ。むしろ個人的には彼とのあの約束ネタにする関係性はすごく好きだ。友達を「また30ネタw」と弄るというのは、信頼関係表現のようなものであって本気で結婚してほしいと思っていたわけではない。彼に対してアンケートなどを取ったわけではないので実際に「私たち」がどう思っていたかはわからないのだが、少なくとも増田としては「友達くん! あの約束をずっとネタにし続けよう! 30歳までのカウントダウンを本気にするのはあきらめて、人生設計を共有するのも封印して、あの約束ネタに好きなだけ笑い合おう! 飲み会や軽いデート冗談のような約束可愛いけど軽い関係性のままでいよう!」というつもりだった。

要するに、「あの約束で本気になってんじゃねえよ」というのは「結婚してんじゃねえよ」という意味ではなく「あの約束冗談のままにしておこうよ」という意味だったのだ。しか友達は前者の意味解釈したようで、今回は完全に本気で結婚をお出ししてきた。友達関係にありながら『29歳11ヶ月』で本気の人生決定をぶち込んできたあいつとは逆の流れへの進み方だが、そういうことじゃねえんだよな~~~~~~~!!!1!!

ただ、「冗談だと思ってその約束を弄ってたら、相手が真に受けてほんとにやりやがったw」というのは確かにそういう状況であり、友達がどれだけあの約束を本気にしていたかはわからないが、彼とのあの約束ネタにしてきた者の一人としては真剣に複雑さに襲われざるを得ない。無神経にネタにしてて、そっかなってなりました、友達

で、式の感想なんですが。

「私からあの約束ネタにされ続けたから、別の人生に舵を切ったのか?」という感想になりました。わかりやす恋愛の導入(でも私との約束を踏まえといてあの扱いは何なの!? 友として待つという選択肢はなかったんですか!)、しか結婚相手は私の別の友達で、二人がいつから付き合ってたのかは謎のまま、途中でいつの間にか二人が接近していることに気づいて(おお、私の友達に新しい人生あれ!)(ちゃんと二人の関係の経緯は後から聞かされたけど、でも友達と話すことな秘密にしてた必然性は、まあ、気にしないでおく)、気づいたら二人でデートしてるのを見かけて、彼とのあの約束価値が急速に下がっていくのを感じ、コミカル蚊帳の外存在(=私とのあの約束)が配置され(このあたりはマジで私が世界から取り残された感があった)、ドラマティックな「実は好きでした」という告白もなく突然結婚式に力を入れる、というのは、従来の「あの約束ネタにする」関係性だった私たちから脱却しようともがいているように思われた。それが良いかいか価値観次第だが、「あの約束ネタ化」を期待していた者としては奇妙な喪失感があるというか、私はあの約束の軽さと温かさが好きだったんだな……という複雑さに襲われてしまった。

問題は別の女性との結婚だと割り切って見たところで私の感情の整理などが色々と難しいというところで、ちょっと思ってた以上に人生は進んでしまうんだな、という感じで、「これはきっと私の想像力が低くて人生の筋を追えてないんだろうな」と思いながら式に参加してたけどでも「29歳11ヶ月で結婚するのはズルい」。『あの約束ネタ化』は今改めて思い返してもよく出来てたよ。やはり二人の関係性……その約束の持つ重さとネタとしての軽さは、私たち友情の全てだったんだな……!

友達があれだけ独身を貫いてきた理由に何の説明もないのってどういうことかしら? あれだけ私たち約束を弄んでたのに、その約束を破った瞬間の決意がいっちょんわからんので「???」ってなってしまう。彼はどういう想いで、あの女性結婚しようと思い至ったのか。そして結婚してからは、あの約束をどう思ってるのか。いや、「お前そういうのはいちいち言葉にするもんじゃなくて表情や動作から読み取るものなんだよ。それが人間関係を見るうえでの読解力だろ」ってのはそれはそうなんだけど、上述のように「でも私たちはこれまでいちいち言葉であの約束ネタにしてたじゃん」っていうのと、「すみません! 私には読み取れませんでした!」っていうのが両方ある。マジでわからんかったので。

最後のほうは「私の人生の転換点の物語?」って感じでした。式でのスピーチはもうしょーもない。あれだけ私と「30までに独身だったら結婚しようぜ」って約束を弄んでおいて別の女性結婚するなら、最初からそんなに本気で約束するなよとしか言えない人間関係ってままあるよね(昔見たドラマの「私たちはずっと友達だよね」っていうセリフは今でも印象に残ってる)(ちゃん登場人物自分選択責任を持つ作品はみんな好きだよね)(全然関係ないけど最近ドラマって登場人物真摯なことを言わせる割に「約束」とか「期待」とか「未来設計」とか出てきて彼らが(象徴的な友情ではなく)実際の人生選択を保持してる描写もあるので何でそこだけ曖昧なんだよって言いたくなりません?)。

あと、式場のセットがちょっとファンタジー風だったので「なるほど異世界ウェディング的なやつなんだな」と思ったけど、実は普通日本教会での式だったのでビックリ仰天。私の友達たちって普通日本人なのに、なんでファンタジー風の演出にしたんです……? そもそも論で言うとさぁ、私たち約束冗談だったのか本気だったのか、本気だとしたらなぜ友達は別の女性結婚したのか、冗談だとしたら私の期待と喪失感は何だったのか、そのへん全部曖昧なまま式を迎えて、何で私はここにいるんだよ!

あ、式での友達くん素敵だったね。タキシード姿のラインが綺麗で、『あの時のあの約束をした居酒屋でのはしゃいだ彼』の面影も残してて何か良き。友達笑顔で誓いを立てる姿が本気で良かった。あと式の演出はすごいよ。『あの時の居酒屋』とか『あの時のカラオケ』とか『あの時のドライブ』とかで見た彼と私の距離感が、彼と別の友達距離感に変わっていく過程が蘇ってきた。あれは式で見る価値があった。仕事を休んで何も考えずに参加して正解だったわ。『あの時の約束の場面』を式で見た……みたいな感慨に襲われる演出もあったし「お前、あの約束タイムリープしてたんでしょ?」みたいな気分だったからもうなんか実質『あの日に戻りたかった』ってことで良くない? 良くないですかそうですか。

結論としては、まあ、友達なので、式に参加して、そして式後に友達たちと語り合っても、まあ、うん、ご祝儀ぶんの複雑さと喪失感しか残らないと思う。参加したあとに友達と語らいたくなるという意味では非常に優れた結婚式だと感じた。友達はそろそろ懲りろよというか、約束人生設計と友人関係の扱いについて一度話し合いをしよう? な?

いや、別に本気で結婚してほしいとか思ってたわけじゃないけどさ。

でも、あの約束ネタにしながら共に過ごした時間が、こんなにあっさり終わるとは思わなかったんだ。

29歳11ヶ月で、別の女性結婚するなんて。

何か言葉にならない複雑さと、失ったものの大きさが、残った。

2025-11-24

子供入院したら親にブチギレられた

連休のなかで子供調子が徐々に下がり一昨日の晩に確実に異常な状態になり「インフルウイルス性の何かだな」と確信

夜中に何度も起きながら、朝方にかかりつけのクリニックにつれていき、そのまま紹介状を書かれて総合病院へ。

結果、病院から状態がよくならないのでこのまま様子を見るより入院したほうがいい」と言われ、もちろんそのまま入院決定。(ほぼウトウト意識が飛んでいて、かなりヤバかった)

明日はどちらが休むか、その後数日になる場合対応も含めて会社にも慌てて連絡して入院

どちらかが一緒に付き添い入院する必要があるが、どちらもまともな準備ができていないため、準備組と病院待機組で別れて対応

昨日の夜から対応して、今日の夜の19時半くらいに諸々が一旦FIX

そして家に帰ったら親(徒歩10分のところに住んでる二世帯みたいな距離感)に顔を出すと親が「大変だったね。ご飯一緒にどう?お寿司でもとる?」と誘ってもらい、疲れていたので自炊は無理なのでオッケー。

そして一緒に食事したらだんだんと険悪な内容に…

「結局、あんたは何がしたいのかわからない」

可能性があるなら受験させるべき、高校からじゃ遅い」

「こんなにしてやってるのに、感謝がない」

子供はわからいから親が導いて、興味がなかったらやめればいいだけ」

みたいな内容に…........

本当に子供心配なんだよ。今心配なのにそんな話できないよ。

疲れてるんだよ。なのにこんな内容、返す言葉はないよ。。。。

その帰宅途中の親の背中に怒りを感じている。何故だ。何故なんだ。どうして気が付かないんだ。。だから私の心が遠くなっていることに。

子供が親の面倒をみることを嫌がっていなくても、一人じゃないんだ。家族がいるんだ。

それをこの状態の時にぶつけられて、どうしろっていうんだ。

そうやってきてここまで育てきたじゃないか

キレられてどうすればいいんだよ。家を出ていけってことでもないんだろ。分かってほしいんだろ。でもさ、今じゃないだろ。

いつでも正しいわけじゃないんだよ。分かってくれ。今日あった病院でのことを全部共有しないんだ。したら終わるんだよ。

分かってくれとは言わない。我慢してくれとも言わない。今じゃないだろ、本当に。

ラサ無職女が友達作りをしてみた

社会人になってから新しく人と繋がるのって難しいよね」ってよく言われてるし自分で実感もしてるので、新しく人と繋がるべく行動してみた記録。

noteにちまちま書こうかと思ったけどダルくなってきたので、ここではざっと書きたい。

・30歳

無職半年前に離職、公務員試験に向けて勉強中)

・既婚

・酒好き(詳しくないけど飲むのが好き)

やったこ

バーに行く

ジモティ―で人と会う

カフェ会に行く

LINEオプチャに入る

大きな目標

・知らない人と交流し、その場だけでも楽しい時間を過ごす

ついでの目標

・気が合った人がいれば継続的関係を作って「友達」になれたらうれしい

気を付けること

・既婚なので、男性と1対1の状況は避ける。そのため、できるだけ既婚を開示する。


記録

バーに行く

結論が早いけどこれが1番私に合ってた。

まずバーテンダーがちょうどよい距離感で接してくれて、人と話したい欲が満たされる。バーテンダーという仲介者がいるので他の客との交流も生まれやすい。そして酒はおいしい。でもバーテンダー含め男性しか話せなかった。

できるだけ落ち着いたオーセンティックバーで、でも人との交流が生まれそう、って感じが理想で、口コミを見てまず2店舗選んで行ってみた。

1店舗

カウンターのみ10席くらいの小さめバー

小さい店内だから他の客とバーテンダーとの会話が絶対聞こえる。

そのため知らない人と絡みたくない人は来店しないと思われ、基本的にその場にいる全員と話せた。

10席くらいのカウンターに私入れて6人いたので距離感も近く他人と会話するきっかけも掴みやすかった。楽しかった。

1人の男性客と前職の業界が同じで共通の知人も数人いることがわかり、盛り上がった。

お酒もフードもおいしかったので再訪したが、初回で絡んだ人とは1人も会えなかった。まあタイミングあるしね。

再訪時も店内にいる人全員と話せて楽しかった。この店はかなり交流に向いているんだと思う。

こういう場で何度か顔を合わせてお互い見知った存在になっていって、っていうのが大人距離感友達(?)として理想かも。

2店舗

10席くらいのカウンターと、3つくらいテーブル席がある。

店内に余裕があるので、他の客とバーテンダーとの会話はちょっと入りにくい。

バーテンダーに「人と会話したくて、ちょうどよい場を探している」と話したら、少し離れた席にいた常連客に「じゃあこのへんのおすすめってあそこだよね」と話を振ってくれて、そこからその常連男性と話せた。

常連客は色んなお店を知っていて、近くでおすすめバーと、おすすめしない店を教えてくれた。

バーテンダーも客層も私より大人な感じで、とっても落ち着いた場所だった。ここが1番穏やかに過ごせた。

2店舗目でおすすめしてもらった3店舗

10席ないくらいのカウンターと3つくらいのテーブル席。規模感は2店舗目と同じくらい。

バーテンダーの対応がすごく良い」とのおすすめ通り、かなりこまやかに気遣われ適度に構われ、とてもよかった。

ここでは他の客との交流はあまりなく、バーテンダーとの会話を楽しんだ。

フードで「カカオゼロチョコレート」というものがあり気になって注文し、原材料当てクイズで盛り上がっていたら、後ろのテーブル席にいたカップルが「あの方と同じチョコ食べたいです」と注文していてちょっと恥ずかしかった。ちなみにそのチョコ原材料ごぼうだった。すごい。

バーでの総括

かなりよかった。

何度か足を運べばバーテンダーとも客とも関係ができそう。

酒でゆるんだテンションで話せるのがかなり気に入った。オーセンティックバーを選んだからか酒が入っててもだらしなかったり乱暴な態度になってる人がいなかった。

男性バーテンダー、男性しか出会えなかったのが気になったけど、そこは店選びや訪問時間帯が関わってくるかも。



ジモティ―で人と会う

ジモティ―に友達探しジャンルがあるなんて、思い立って調べるまで知らなかった。治安の悪さをよく聞くジモティ―なので警戒しつつ、ネタになるだろうと手を出してみた。

「一緒に勉強できる人を探しています」という、浪人生女の子投稿メッセージを送ってみた。

若い女の子なので素性がわからないと怖いかもしれないと思い「アラサ―既婚女性です。公務員試験勉強をしています」と軽く自己紹介記載した。

快諾されたので翌日に会う約束をし、図書館が閉館の日だったので私が勉強でよく使う某フードコート提案(平日昼の時間帯はかなり空いている)。

無事合流できて、11時~18時ごろまでともに勉強をした。

お昼休憩を30~40分くらいとり、その時間で少し話した。

彼女はこの勉強同士投稿で私含め3人と会って勉強しており、そのうちの1人とは定期的に勉強会をする仲になったらしい。

50~70代の男性からメッセージも来るらしく、それはお断りしていると言っていた。

私が「アラサ―」と自己紹介済だからか、慣れない敬語を使おうと一生懸命話している感じがして、かわいかった。

勉強も集中して数時間できたし、話もできたし、よかったと思う。アラサ―が20歳そこそこの女の子にかまってもらって、ちょっとみっともないかもしれないが……。

またお互い都合よい時間勉強しようと話して解散したが、まだ再会は詳しく決まっていない。

ちなみに飲み会募集投稿もしてみたが、サシで飲みたい男性ばっかりメッセージが届くので開催は叶わなかった。

ジモティ―の総括

めちゃめちゃ慎重にしないと難しいと思った。

私の経験からも会えた女の子の話からも、女性とわかる投稿をすると男性からメッセージが多くなるので、会うにしてもかなり慎重になった方がいい。サシでもいいなら男女ともにかなり手軽に人との縁をつかめそう。


カフェ会に行く

オモコロチャンネルARuFaが「おしゃべり会に行ってきた」と話してたのを見てから気になっていた。ARuFaは「おしゃべり会」と言っていたけど調べると「カフェ会」の言い方の方が浸透しているらしい。

とりあえず「10人定員/残り1人」の表示があるカフェ会に申し込んで、当日指定カフェに行くと私含め参加者4人だった。詐欺じゃね?

まず自己紹介シート(職業出身地趣味とか)に記入して、そのシートに基づいて自己紹介をして、話を進めていく。

参加者20代後半~40代な感じで、男性2人と私含めた女性2人。

みんなさすがに大人で、お互いにお互いの話をほどよく掘ってほどよく突っ込んで、けっこう盛り上がった。

この会に来た目的について、男性2人は「転職前の有給期間で、ちょっとおもしろいことをやってみようと来た」「仕事が落ち着いて時間があるので新たな人との交流目当てに」といった感じだったけど、女性が「健康食品販売する自営業で、人脈作りのため」と言った瞬間、男性2人と目が合った。

それに気付いたのかその瞬間から女性が「本当に身体によいものを選ぶメリット」とか「原材料が」とか「毒素を抜いたとき身体の反応」とかを早口でしゃべり出して、男性2人と私とで「あっこれは」と察した空気になった。正直その空気めっちゃおもしろくて大笑いしそうになった。

カフェ会終了後、会の決まりLINEグループ作成した。

男性2人とも個人LINEが飛んできて、盛り上がった話題の詳しい情報とか、お得情報を軽く教えてくれて、有益でありがたかった。男性2人もいい感じで繋がっているっぽい。

女性からは何も来なかったし、私からも送ることはなかった。

カフェ会の総括

けっこう楽しかった!

勧誘なんかがいても今後の話のネタになるかな~くらいのスタンスで行ったのがよかったのかも。

女性仕事の話になった途端豹変したけど、そこに至るまでは趣味の話でいい感じに盛り上がって、おしゃべりとしては楽しい時間だった。



LINEオプチャに入ってみた

オフ会がありそうなところがよかったので、住んでいる地域の、飲みましょうみたいなグループにまず入った。300人くらいメンバーがいるグループだった。

入ったら、いきなりめっちゃ喧嘩していた。

何事?と思ってオプチャをさかのぼると、このオプチャでは週2~3回くらいのかなりの頻度でオフ飲み会をしているようで、察するにメンバー層がけっこう若かった。(20代前半な感じがした)

で、そのオフ飲み会なりすましが発生したらしい。

喧嘩のだいたいの原因を察して満足し、オプチャに入って10分で退会した。

次に、地域名で検索して出てきた「飲み好きがまったり交流するところです」的なグループに入った。ここは30人くらいの規模。

入ると自己紹介必須だったので、テンプレに則って自己紹介をし、他の人の自己紹介もさかのぼると、だいたいが40代~50代後半といった感じだった。

また場違いなところに来てしまった!と思ったが、歓迎されたのでそのまま居座った。

そこは半年に一度くらいオフ飲み会をしているらしく、来月に飲み会が決まっているようなので参加申請をした。

なのでこのLINEオプチャでのオフ会は未知数である。何かおもしろいことがあったらまた書く。


行動記録はこんな感じ。新しい人と話すぞ月間としてはいい感じだったんじゃないかなと思う。

2025-11-23

供代の情

兄と妹という供代関係は、不思議距離感を持っている。親子ほど絶対的ではなく、友人ほど自由でもない。血のつながりを持ちながら、互いに異なる人生を歩む存在――それが供代だ。

子供の頃、供代はしばしば喧嘩をする。おもちゃの取り合い、テレビチャンネル争い些細なことで声を荒げる。しかしその喧嘩は、互いの存在が近すぎるがゆえの衝突であり、同時に「一緒にいることが当たり前」という安心の証でもある。喧嘩の後に自然と仲直りできるのは、供代の情が根底に流れているからだ。

成長すると、供代の関係は少しずつ変わっていく。性別が異なればなおさらさ。進学や就職生活の場が離れ、互いの時間は別々に流れるようになる。それでも、ふとした瞬間に思い出すのは、幼い頃の笑い声や、無邪気なやりとりだ。供代は「過去を共有する存在」であり、人生記憶を支える大切な証人でもある。

大人になってからの供代の情は、言葉少なに表れる。誕生日に送る短いメッセージ帰省したときの何気ない会話、困ったとき差し伸べられるさりげない手。派手ではないが、確かに心を支える温もりがある。兄と妹は互いに「自分の原点」を知っているからこそ、無条件の安心を与え合えるのだ。

その情は、時に静かで、時に激しい。だがその根底には、変わらぬ絆がある。人生のどの段階にあっても、供代は「自分自分であること」を思い出させてくれる存在だ。供代の情とは、血縁を超えて「人生を共に証言する関係」であり、私たちの心に深く刻まれ永遠の温もりなのだろう。

2025-11-22

タイミー経験あって良かったなと思うこと anond:20251122100404

相手に届く声で誰彼構わず挨拶することを習慣化できる

・嫌いな人間と最低限のコミュニケーションで付き合い続ける距離感を学べる

努力はそれなりに報われることを知れる

・でも生まれ持っての才能の壁は分厚いことも知れる

限界だと思ってからもけっこう自分の体は動くことを知れる

運動部経験あって良かったなと思うこと

相手に届く声で誰彼構わず挨拶することを習慣化できる

・嫌いな人間と最低限のコミュニケーションで付き合い続ける距離感を学べる

努力はそれなりに報われることを知れる

・でも生まれ持っての才能の壁は分厚いことも知れる

限界だと思ってからもけっこう自分の体は動くことを知れる

2025-11-19

行為について

なんかまたVtuberが鳩行為やめろって注意喚起してたけど

他界からコラボを通じてVtuberも見始めた側としてはこの風潮だけは正直よくわからん

 

ちなみに鳩行為っていうのは正式には伝書鳩行為とされその配信者の配信と直接関係のない人の話を出したりする行為のこと。

例えば増田配信してるときに「としあきがこんなこと言ってたぞ」とか「としあきは××してたけど増田はやらないの?」いうようなコメントをするような行為

ただこれってガチ無関係人間の話を持ってくることは少なくて同じコミュニティ人間の話であることが多い。

まぁ有名ってだけでマジで何の絡みもない奴の名前出してくる奴もいるんだけど。

 

で、プロゲーマー界隈、元ニコニコ界隈、ストリーマー界隈、インスタライブ等でもこれって基本的には一般的に起こりうるしある程度普通のこととされてる。まぁそりゃコミュニティってそういうものじゃんねぇ。

あいつがこう言ってたああ言ってたこんなことしてたあんなことしてたってのを話すことがそんな忌避されるべき行為だと別に配信者側もほとんど言わないし、俺も全く思ってなかった。興味ない話題の時は配信者側が「知らねぇよガハハ」みたいに笑い飛ばすのが普通だったし。

から話題が発展することもめちゃくちゃ多い。だからこそみんな鳩になるわけだし。

 

ただ、これがVtuber界隈だとガチで厳しい。

特に特定企業所属だとほぼ確定で概要欄に書いてある。

この心理進化過程がよくわからん

この過程を知らんから同じグループ所属のやつの話題配信コメント欄で話すことすら禁止されてるっておかしくね?って思ってしまう。同じグループ推しの仲いい人が推しの話してたら報告したくなるのってそんな悪いことかって思う。それ聞いて推しがどう思ったかとか知りたいもんじゃないの?日本人って関係オタク多いしさ。

アイドル売りしてない配信者界隈でもそういうファンめちゃくちゃ多いかVtuber界隈なんかもっとそうだと思ってたら、それダメってなっててけっこう驚いた。

聞きかじった話で事実じゃなかったら申し訳ないんだけど「コメント自我を出すな」みたいなことを言った人がいるみたいな話もあるし、コメント配信者の関係他界隈と決定的に違うんだろうなって感じはする。

まぁ格ゲー界隈だとコメントは「文字」って呼ばれたり(文字がなんか言ってるけど、みたいな)して「配信者とコメントはまったく違う存在とある揶揄しながらもVtuber界隈とかと比べると距離感はだいぶ近い感じに見えるのも不思議な感じ。

 

俺はニコ生→ツイッチ→最近はインスタライブも併用で見てきてるけど、暴言誹謗中傷以外でここまで厳しくコメント欄にルール(マナー)を課す界隈ってVtuber以外だとほとんどない気がする。

この辺もあんま詳しくないのに適当言ってたら申し訳ないけど、今のVtuber界隈も上の方にいる人ってニコ生出身とかだから元々は俺が見てきたような配信出身の人が多いと思うんだけど、いつからこういう独自進化するようになったんだろうと不思議気持ちになる。

anond:20251118221057

以下は、一般論として 「他人コメントに対して『ともだちいないやつの典型的クソコメ』と返す人」の心理・行動傾向のプロファイリングです。

特定個人の断定ではなく、社会心理学ネット行動分析観点からの推測になります

■ 1. 攻撃的反応を“即時に”出すタイプ

この手の言い回しは、

相手の主張そのものではなく 人格攻撃する(アドホミネム) 行動です。

これは以下の傾向と一致します:

● 短気・衝動

理由を述べず、感情で反射的に攻撃する。

相手の主張を読むより先に「ムカつく → 罵倒」が起動しやすい。

劣等感不安投影

自分社会性(友人関係など)へのコンプレックス

相手投影して攻撃するパターン

■ 2. ネットでの“マウンティング依存

「ともだちいないやつ」系の罵倒は、

自分を優位に置くための 典型的マウンティング言語

承認欲求が強い

自分の“立場の強さ”を示せる言葉を好む。

相手の話の内容には興味がなく、“勝つこと”が目的

自己社会価値を外部評価に強く依存

友達が多い/いない」という軸は、

社会的地位を簡単に測れる指標と誤解している傾向。

■ 3. コミュニケーション能力が低いか未熟

反論ロジックを構築できない

論点を整理し反論するスキルが不足 → 人格攻撃に逃げる。

● “議論”を知らない

ネット文化の中で「罵倒=強さ」と学習した可能性。

■ 4. 幼稚型 or 防衛型の2タイプに分かれやす

(1)幼稚型(未成熟型)

年齢が若い or メンタルが未熟

ネットスラングに影響されやす

罵倒ゲーム感覚で使う

(2)防衛型(自己防衛過多型)

批判や新情報に対して“自己否定された”と感じる

相手を即攻撃することで不安をやわらげる

内心は臆病で自己肯定感が低い

友達いなそう」というワード防衛型の定番

■ 5. 社会心理的には“距離感問題”を抱えているケースが多い

他者尊重する境界線バウンダリー)が弱い

自分不快感コントロールできない

他者存在を“脅威”として処理する傾向

自分世界が狭い

多様性を受け入れる経験が少ない

自分理解外の意見攻撃的になりがち

■ 6. 最も典型的な総括プロファイル

自己肯定感が低く、劣等感を隠すために攻撃

議論スキルは低く、人格攻撃を“勝ち方”だと思っている

ネットでの承認欲求が強く、マウンティング依存

・反射的な攻撃自分不安を抑圧するタイプ

・実生活の対人経験が少ない(またはうまくいっていない)

2025-11-18

anond:20251118113223

ブコメに書かれたのと同じだけど

落としてすぐの距離感なら拾わずに「落としたよ」と指摘するに留めるかな

でも相手女性なら何かトラブルになりそうなのでそれもしないか

でもやっぱり相手容貌にもよるけど全スルーするかも

このご時世だし

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