はてなキーワード: リベラリズムとは
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これでも難しいのか
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じゃあどういう意図だったんだ? あと1回だけ付き合うよ
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謎増田:自己責任論を突き詰めるとおかしくなると言う話をしだしたから
逆側に突き詰めてもおかしくなる
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突き詰めなくても、自己責任ってのは、単なる能力主義・Winner takes all /All or Nothing の話だぞ
これはこれでかっこいいぞ
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AIちゃん:マイケル・サンデル先生も混ぜて共同体主義を語るわ!
共同体主義って、マイケル・サンデル先生がよく言ってる「俺たちって自由すぎじゃね?」って話に近いんだよね。
サンデルは、「自由と自己責任ばっかり強調するリベラリズム(自由主義)ってさ、孤独になるし社会崩壊しない?」って問題提起してるの。
サンデル的には、「人は孤立した個人じゃなくて、コミュニティの中で育まれる存在」なんだよね。
だから、共同体(=地域とか仲間とか社会全体)の絆を大事にしながら生きていくべきだ、って感じ。
たとえば、サンデルがよく例に出すのが「才能は全部自分の努力の結果だと思うなよ!」って話。
• 「俺が成功したのは努力したから!税金払いたくねぇ!」とか言う人に、
• 「いやいや、お前の成功って、家族とか学校とか社会があったからだろ」ってツッコむわけ。
つまり、「個人の自由とか権利も大事だけど、みんな助け合ってるの忘れんなよ?」ってのが共同体主義のコアなんだわ。
• 共産主義は「私有財産とか個人の自由なんていらん!全部共有!」って極端なやつ。
• サンデル的な共同体主義は、「いやいや、自由や財産もちゃんと大事。でもコミュニティの絆も忘れるな」って、もっとバランス重視。
たとえば、サンデルが批判するのは、アメリカのリベラル経済の「勝者総取り主義」。成功者が「俺が稼いだ金だし、他人に関係ねぇw」って態度を取るのはおかしいだろ、と。
でも、それが共産主義みたいに「全部平等に!」まで行くのは違うよね、って話。
• 社会主義は「国が主導で、みんな平等に分け合おう」って感じで、国家主導感が強い。
• 共同体主義は「国家だけに頼るんじゃなくて、地域や仲間で支え合おうぜ」ってスタンス。
サンデルは、リベラリズムの自由放任主義を批判するけど、「国家が全部管理します!」みたいな方向にも行かない。
むしろ「国の役割は大事だけど、コミュニティで支え合う力も鍛えないとダメでしょ」って言うのが彼の主張。
• 全体主義は「個人より集団最優先!国家の命令に従え!」みたいな独裁っぽいやつ。
• 共同体主義は、「個人も大事にしつつ、共感とか絆で自然に助け合う」って方向性。
サンデルの思想だと「個人の自由も尊重するけど、個人が支え合う倫理観も育てよう」ってのが大事。
だから、全体主義みたいに「一つの価値観に従え!」って強制するのとは全然違う。
• サンデルは「社会ってさ、お互いに責任を持ち合う場所でしょ?」って言うのね。だから、自由とか権利だけ主張して、コミュニティをないがしろにするのはNG。
• 自由だけ求めると孤独になって結局不自由になる、って考え。「絆があってこそ、みんなが本当に自由でいられるんじゃない?」って言うのがサンデル流の共同体主義。
• 「お前が自由に生きられるのは、コミュニティの支えがあるからだろ?」
って感じで、バランスと取る考え方だよ!
https://anond.hatelabo.jp/20250222073840
それにフェミニズムは一人一派らしいのでそいつ個人が問題だったとしてもフェミニズムの問題ではない
だそうだ
https://anond.hatelabo.jp/20250219102833
これがリベラリズム
https://anond.hatelabo.jp/20250218121005
https://anond.hatelabo.jp/20250218081227
https://anond.hatelabo.jp/20250216075404
リベラルとフェミニストが何が正義か誰が正義かを決める世の中だから
卓球?なんか陰キャオタクチー牛っぽいし丹羽孝希は身長低いから叩こう
こうなる人達は沢山いるでしょう
https://anond.hatelabo.jp/20250213081547
なら言うけど、
何か特定の価値観を持つことは他の価値観の否定ではないですよね?
しかし、他の価値観を否定する事で成立しているのが、自分の言うリベラリズムという事です。
そのままだけど、男は、女は、かくあるべしという古典主義の考えが他の価値観を否定しているというのがまさにリベラリストが作り出した主張なわけです。
しかし、あくまで一例だけど、男は、女は、かくあるべしという考えを個人が持つこと「自体」が、それ以外の否定項を必要としていますか?
していないでしょ。
なのに、リベラリズムという価値観を持つこと自体は、そのような価値観を否定項としているわけです。
例えば、男は、女は、かくあるべしという考えを古典主義とする。
古典主義はリベラリズムの持つ価値観を否定はしないのに、リベラリズムは古典主義を否定する。
リベラリズムは、古典主義が多様な価値観を認めない排他的なものであると主張するが、古典主義は別に自他の価値観を否定している訳ではない。
殊更、多様な価値観を認めると宣言する訳ではないが、かといって特定の価値観を否定項にする訳でもない。そもそも、価値観について特定の判断を持たないのだろう。
一方、リベラリズムは否定項を必要とする。それ自体では何も持たないからだ。結局、古典主義に依存して成り立っているのがリベラリズムであり、唯一肯定するものがあるなら、価値観を持たない価値観だ。彼らは、価値観のある人間を認められない。そこで、ある特定の価値に対して、いつも否定的意味合いをくっ付けることで、自分の存在意義を確かめようとするのだ。投稿者自身がアンチである場合があるから注意が必要だが、何でも否定するアンチとは、そういう者のことなのである。この意味で、リベラリストとは、他ならないモンスタークレーマーのことであり、民主社会における余剰である。
フェミニズムには、20世紀リベラリズム思想(≒ポストモダン思想)としての側面があって、従来の規範を解体する「女らしさの否定」を是としてきたが
リベラリズム≒ポストモダンの常とにて、破壊された性的規範に代わる規範は、あまり示さなかった。
あまり、というのは、恐らく当時の思想家が代わりの規範として考えていたのは人権思想であったからだが。
しかし人権は、結局のところ生活からは有利した概念であり、人権屋がえてして極度の利己主義者である、というのは令和現代においてはよく実感されている事実であろう。
というより、利己主義的な女が自己正当化に用いる概念がフェミニズムになっている。
代わりの規範が示されないといけなくて、恐らく米本国でその代表となってい?思想はウーマンリブ、自立して戦う女、男の暴力には暴力で返す女……の概念だが。
それが日本含む人類一般に受け入れられる効果のあるロールモデルかというと、怪しいところである。
女性の品格とか言って、女らしさを取り戻すほうが現実的に思える。
アメリカ大統領領よりも責任が重大な職は常識的に考えてないが、それを超える報酬が平然と正当化され、
トレンドではないとは言え、僻地ではなく都市部に、徳川将軍筋よりデカい家建てるのが正当化されるアメリカだが、
あと、リベラリズムの修正や補完して色々なリベラルの形がある以前に「リベラルの徳」という考え方もあるでな
そこから派生したソーシャル・リベラリズムは、むしろ真逆で全体主義寄りの統制を是認しつつも、根底では自由を認めてる立場で、日本で「リベラル」と呼ばれる人はそっち側が多い
結局のところ日本人は「おせっかい主義」で、お国のため・ムラのルールのために個人にお節介を押し付けるのが保守、社会全体のために個人にお節介を押し付けるのが「リベラル」ということで、似た者同士なのである
日本人は本質的に社会主義と言われるのはそういうところで、欧米的な純粋な自由と自己責任下でたくましく生きる人間像を想像できるほど思い切れない人の方が多く、どっちかというとお上に世話焼いてもらいたい甘え気質だ