はてなキーワード: 性自認とは
だったら「いや選べるもんじゃないだろ、なんでそのタイトルでいけると思った?ていうか中身大丈夫なの…?」って誰でも思えるのに
トランスジェンダーだと狂うのなんで…?
「(女だけど)王子様になりたい」とか「(男だけど)お姫様扱いされたい」という人はいるかもしれない。
けど、それって、うつ病で苦しんでる人と、口癖のように毎日「病む」って言うけど実際は健康な人くらい違う。
あのドイツですら「転向療法」を2020年には正式に違法とした。意味分かるか。
最新の現代医学で「なりたくてなれるものではない」「治す対象ではない」って認識がスタンダードなんだよ。
決してコントロールできるものじゃないのに、そういう脳で生まれてしまった人に対して「~に(ある日)なった」というニュアンス、蔑視に満ちてるなあと思わない?
ネパール最高裁判所は、トランスジェンダー女性であるルクシャナ・カパリ(Rukshana Kapali)さんに対し、医師の診断を受けることなく、すべての書類(戸籍含む)で女性としての法律上の性別認定を受けるべきとの判断を示しました。
ネパールの裁判所はこれまでも性的指向(セクシャルオリエンテーション)と性自認(ジェンダーアイデンティティ)について進歩的な判断を積み上げており、LGBTの権利の分野で同国に国際的に高い評価をもたらしてきました。この流れに、さらに今回の判断が加わりました。
https://www.hrw.org/ja/news/2024/07/31/nepal-supreme-court-rules-trans-woman-woman
フェミニズムは、長い歴史を持つ社会運動であり、男女平等を目指す理念として多くの成果を挙げてきました。女性の参政権獲得や労働市場における機会均等、家庭内における役割の見直しなど、フェミニズムがもたらした変化は計り知れません。しかし、その限界についても議論が必要です。フェミニズムの限界を理解することは、より包括的で持続可能な社会変革を実現するために重要です。
第一に、フェミニズムはしばしば西洋中心的であるとの批判があります。欧米において発展したフェミニズムは、その歴史や文化的背景から見て西洋的な価値観を基盤にしていることが多いです。このため、グローバルな視点で見た際に、他の文化圏や社会に適応しにくい問題が生じます。例えば、アフリカや中東、アジアといった地域においては、西洋のフェミニズムが必ずしもその地域の文脈における女性の問題解決に直結しないことがあります。地域ごとの文化、経済、政治状況を考慮したアプローチが必要です。
第二に、フェミニズム運動には、しばしば包摂性や多様性の欠如が指摘されています。特に第一波や第二波のフェミニズム運動は、主に中産階級の白人女性を主体としており、他の人種、階級、性的指向や性自認を持つ人々の問題を十分に取り上げてこなかったと批判されることがあります。このような背景から生まれたインターセクショナリティの視点は、フェミニズムにおける限界を乗り越えるために重要です。一人の女性が持つ複数のアイデンティティが、どのようにしてその人の経験や差別のされ方に影響を与えるのかを理解することで、より包括的な運動が可能になります。
第三に、フェミニズムは時に男性排除的であると見なされがちです。一部のフェミニズム運動やその支持者が、男性を敵視するような言動を取ることもあり、それが誤解を生むことがあります。しかし、男女平等を達成するためには、男性との協働が欠かせません。男性もまたジェンダー規範によって苦しんでいるという現実を認識し、ジェンダーに関する問題を女性のみのものとして捉えるのではなく、社会全体の課題として取り組むことが求められます。
第四に、フェミニズムは経済的視点を十分に考慮していないことがあります。女性の経済的自立を支援することは重要ですが、資本主義経済の中での消費者としての役割を強調し過ぎると、逆に物質主義や消費主義を助長する可能性があります。また、経済的不均等は性別だけでなく、他の社会的な要因とも結びついています。フェミニズムが経済的不平等や環境問題とも連携しながら、持続可能な社会を目指す必要があります。
これらの限界に直面しているとはいえ、フェミニズムは依然として社会変革の重要な一翼を担っていることは間違いありません。限界を認識し、その上で進化し続けることがフェミニズム運動には求められています。多様な視点を取り入れ、包括的かつ協力的なアプローチを取ることで、フェミニズムは今後も社会の不平等を是正するための強力な手段であり続けるでしょう。
未来のフェミニズムは、ジェンダーの問題を超え、より広範な社会的正義を追求する動きへと発展する可能性があります。このような展望を持ち、変化に柔軟に対応することで、フェミニズムは新たな価値を創造し続けるでしょう。
手術と診断書なしで「性別変更できる」国が増加中…日本人なら知っておきたい「トランスジェンダー問題」の現在地
自身の性自認によって、法的に性別を変更できる「ジェンダー・セルフID制度」の導入が、世界各国で広がりつつある。
2012年にアルゼンチンが始めたのを皮切りに、デンマークやポルトガル、ブラジル、コロンビア、アイルランド、ノルウェー、スイス、カナダなどで導入されている。最近でも2023年にスペイン、フィンランド、今年11月にドイツで導入された。
https://news.yahoo.co.jp/articles/99170bbc8eefebfae14f5686dd89527af2cdbdd9
トランス女さんは女さんです
トランスジェンダーの性自認に関しては世間で散々疑われてるけど、個人的には解離性同一性障害もなかなか胡散臭いと思ってる。
多重人格とかただの中二病としか思えないし、犯罪を犯しても「別の人格がやった犯行で〜」とか言い訳してるのを見ると「は?」ってなる、責任能力がないとかふざけんな。
記憶を共有してない()とかいうのも嘘っぽい。どんな人格がいるか質問するのもタブーって、結局思い込みでしかないから辻褄が合わなくなるってだけでしょ。
幼少期のトラウマとか言ってるけど、本当にそんなのある?誰しも幼少期にショックな出来事の一つや二つあると思うけど、多重人格になんてならないんだわ。
トランスジェンダーもそうだけど「私は体は男だけど心は女なの!」とか「俺の中には何人もの人格があるんだ!」とか、統合失調症の集団ストーカー妄想と同じただの病気なんだから、真面目に取り合っちゃダメなんだって。
統失の妄想を真に受けて「それじゃあSPを雇いましょう!」って言う奴がいるか? お前のそれはただの病気で思い込みだと切り捨てる方が、絶対その人のためになるんだよなぁ…。
性自認は女かもしれないだろ
なれねーーーーよ
男になりたいなら「女が性欲対象」が前提だし
性欲対象が男のまま性別から降りたいならノンバイナリーっていいな
というかノンバイナリーという存在も知らずジェンダー定義に飛びつくところが本当にバカ 調べろ お前みたいなこと考えるやつは世界に死ぬほどいたから ジェンダー先進国はとっくに通った道だから
※ノンバイナリー
ノンバイナリーとは、自らの性自認や性表現に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティです。
ノンバイナリーと似た言葉には、Xジェンダー、クィア、クエスチョニング、第三の性、ジェンダーレスなどがあります。
ノンバイナリーであることを公表して活躍する芸能人には、井手上漠さん、宇多田ヒカルさん、ノア・カルロスさん、サム・スミスさんなどがいます
インスタ見てたら40kg台の女の子がゴロゴロいて、何ならカリスマ的な存在の子なんかは30kg台で
顔のパーツの配置や特徴にもカーストがあってそれを外れた子は整形して「正解」の顔に直すか「可愛い女性」像をあきらめるしかなく
可愛いブランドたちはそれらを満たした子だけが身につけることを許されて満たさない女がそれを着ると「服に失礼」「ブランドのイメ損」「デブが〇〇着るなよ」「ブスが〇〇使うなよ」と批判されるような
それが人権があり可愛い女性たちから人権のないブサイクな女性に向けられることが事実正義になっててブサイク側に全面的に罪があるから
私はもう可愛くないできそこないの顔面を持って生まれた自分をはるか昔に一応は受け入れ切ったつもりのアラサーのババアだから現状そうはなってないけど
もし自分が今この自分で性別を自由に決めることが出来つつある時代に10代の子供だったら「性自認は女で間違いないけれど女性として生きる資格がないから、女の人生を諦めて男性を自認する」って選択をしていただろうなと思う
そして今からでも許されるならそうしたいと思う
整形しても私は多分「本当はブサイクに生まれたくせにみんなを騙してる」と考え自分を責めて苦しむと思うし
子供にブサイクが遺伝したら可哀想だから結婚も恋愛もしないし男性を好きにならないと決めているので使わない生殖器に対して適合手術も必要ないし
というか、現在は「生物学上の性別に基づいて区別されたトイレ」なわけだが、
最近では「トランスジェンダーのトイレ使用の制限認めた国の対応は違法」となった。
しかし考えて欲しい。
性同一性障害の患者は生物学的な性があることが前提でその認識ギャップに苦しんでいるから手術が必要、というのはわかる。
https://note.com/li_kotomi/n/nb528f09024cb
私・李琴峰は、レズビアンです。デビュー以来、私はずっとLGBTQ+の物語を書いてきたし、同性婚法制化などについても積極的に支持しており、プライドパレードにもほぼ毎年参加しています。これらはすでに公開されている情報であり、紛れもなく真実です。
しかし今日、この「トランスジェンダー追悼の日」に、私はもう一つカミングアウトを済ませておきたい――私・李琴峰は、同時に、トランスジェンダーでもあります。
身体男性が「性自認に基づいて男女別スペース使用やスポーツ参加が認められるべき」という主張をして自称レズビアンて、女性にとっては「女性スペースに入りたい男性」でしかないんだが…