はてなキーワード: 潔癖症とは
【入力】
・社交不安障害持ちなので人前で話したくない。
・潔癖症で衛生観念に強いこだわりがあり苦痛に感じる場面が多い。
・大きな音が苦手
・労働意欲が低い
・両親が死んでる
【出力結果】
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🔎 向いてない仕事(避けたほうがいい)
清掃・工場 汚れ・ニオイ・粉じん・音が発生することが多い(特に掃除機・機械音)
倉庫作業 フォークリフトや作業音がうるさく、汚れた環境も多い
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特徴:1人でコツコツ/話さない/汚れなし/音なし。
収入:月10〜18万円程度(フルタイム・クラウドソーシング含む)
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仕事内容:アプリやWebサイトのチェック。操作に問題がないか確認。
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5. 完全在宅のAI学習用データ作成(クラウドワークスなど)
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💡 環境を味方につけるのがカギ
困りごと 対策例
音が無理 ノイズキャンセリングヘッドホン、在宅仕事
汚れが無理 自宅でできる or 綺麗なオフィス
会話が無理 チャット連絡だけの仕事を選ぶ(SlackやChatwork中心)
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🔚 結論
> 🟩 在宅データ入力・AI関連のラベル付け・文字起こし
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からの引用だけどさ。俺はこの短い一文の中にこそ、女オタク界隈の歪みがぎゅうぅぅぅぅっと凝縮されてるように感じたね。
女オタクって結局のところ、純粋な作品ではなく「人間」にしか興味が持てないのよ。
だから、ファン同士の交流も盛んだし、作者にファンレター(古(笑))も積極的に送るし、男オタク向けではそこまで盛り上がってない2.5次元ジャンルに入れあげる。
男オタクはよくも悪くもドライで、作品は作品だし、それ単体で消費して楽しめればオッケーというやつが多い。
これ自体はどっちがいいとか悪いとかではないけど、生成AI問題に関連してこのスタンスの違いが大きな問題となる。
女オタクは、尊敬・崇拝の対象となるような「作家」の存在を抹消してしまうかもしれないAIが絶対に許せない。
一方で男オタクの心の底には、人間の手を介さず純粋に発生した作品が有ってほしい…という潔癖症的な願望がひそかに眠っていたんだよね。みんな口には出さないけど。
今のところ生成AIは、人間が指示を出して取捨選択することでようやく使いものになるレベルの存在でしかない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20250522-E53YQLULPNNZPL4HUVAANK3PTA/
ボディビルダーは昔からミスターオリンピアという薬物大会が世界最高峰のままだよ。
なお、薬物大会とナチュラル大会で棲み分けされてるというコメントがありますけど、スポンサー的にナチュラル大会は規模がずっと小さいんですよね。
薬物大会はやっぱおもしろい。人間とは思えないありえない体だから。
ナチュラルのオリンピックと、薬物のエンハンスト・ゲームズ、どっちにスポンサーがついて盛り上がるのか、ボディビルダー界隈みてればおのずと答えは出るのではないだろうか。
まるで鍬を使う農民に「お前が本当に使う側なら鍬を鍛冶場で鍛え直してから耕せ」と言ってるのと同じだ。
道具を使いこなすという行為は、その設計レベルに立ち入らずとも成立する。ユーザーとエンジニアの境界を理解できていないお前の論理は、浅薄の極み。
アルゴリズムを利用して思考の材料を広げてるこちらは、情報の水脈を掘り当てて構造化してるわけで、それは知的マイニングの一形態。
対してお前は、ツルハシすら持たずに地面を見下ろして「俺は掘らない、掘るのは負けだ」と言い張ってる哀れな観察者にすぎん。
使われてるんじゃない、情報の流れに意図を持ってダイブし、思考の燃料として抽出してる。
それを否定して「作らなきゃ使ってるとは言えない」とか言ってるお前こそ、潔癖放尿に陥ってる。
自分の手が汚れることを恐れて何もしない、批評だけして悦に浸るその姿勢、まさに情報時代の潔癖症だ。
お前が見下してる「ただの利用者」たちが作り出す集合知こそが現代の思考の現場なんだよ。その最前線に立つ度胸もないなら、黙って壁の花でいろ。
ごめん、すごく一部の人を傷つける内容を含むと思うけど、吐き出させてください。
夫は3人兄弟で、義母(つまり夫の母)は5人きょうだい。それぞれのきょうだいにもほぼ3人以上子供がいる。代々子供を多く産む家系らしい。(ちなみに田舎ではなく東京の話)親類同士の仲も良く、年に数度は親族一同で旅行に行くし、何か行事があるときはお互いの家に子供がたくさん泊まりに来たりするような関係。
一方私は一人っ子。親類はそこまで多くなく、仲が悪いわけではないけど、親類が日常的に集まって何かをする、という慣習があまりないまま育った。正月、盆と、冠婚葬祭くらいかな。
だから親族同士の濃密な関係が日常的に続くことにめちゃくちゃ疲弊する。家族だから!! という理由で愛情をもつことが自明とされている感じも、生まれながらにその一員でない身からするとけっこうキツい。
また、基本的に子どもは嫌いじゃないのだが、夫の親類は数が多いせいか全然しつけがなっておらず、食べ方も汚いし、マナーも私の目線から見ると終わっている。もちろん子どもだからしょうがない部分はあるのだが、それを親が咎めたりしないことも信じられない。(私はことさらマナー厨でも潔癖症でもないが、それでもそう感じるほどの悪さ、と言って伝わってほしい)だからか子どもにも可愛さを感じられない。のに、なんと数だけは多いことよ。
だいいち、私は一人っ子であることに何のデメリットも感じずに育ってきた人間なので、そもそもなぜこんなに子どもを作りたいのか、家族の頭数を増やしたいのか理解できない。そして何より、その価値観を一族で共有している理由もわからない。その数の多さゆえに子どもに最低限のしつけやマナーを教え切れてもいないというならなおさらだ。
…この状況を目の当たりにして感じている自分の気持ちを正直に言語化すると、それは「不潔感」ということに尽きる、とあるとき気づいた。
子どもが多い「一家」(一族ではなく)は理解できる。また、そういった家庭で育った個人に出会って嫌悪感を抱くことはない。
けれど、全員子どもが多い一族、その集団そのものに対する嫌悪感、不潔感というのはわたしのなかに確実にある。そして、その渦中に自分が投げ込まれたときにおぼえる負の感情はもう無視できないものになりつつもある。いや、私のかたくなさが悪いってこともわかっているんですが、しかしそれをはっきりと認識してしまった今、もう戻れない気もしてる。