はてなキーワード: 尺度とは
不倫っていいことなのかという話なんだが、まず民法なんかでは不貞行為と言って違法なことになっている。
というか、結婚した以上配偶者以外と肉体関係を持ってはならないという「義務」がある。
だからルール違反の悪いことですよ、というのは一つの説明になるだろうが、「不倫が悪いこと」というのは「私にとって納得感のある不倫の良し悪しについての説明があるか」という問いであり、そこには法とか倫理とかそういうものではなく、「私が一番気持ちよくなれる回答チャレンジを開始します!」というものでしかないのでくだらねーなという質問でしかない。
そもそも様々な相手と肉体関係を持つことはいいことである、という文化の世界では不倫なんて言うものは成立しない(そんな文化があるかはしらないが)。
中世くらいまで遡れば、偉い人、強い人、尊敬を集める人というのは多くの相手を手に入れることができたのだから、こういう世界では不倫などという概念はなく、たくさんの相手を手に入れる強者と一生相手に出会うことはない弱者という存在しかいないことになる。
ではそんな彼らは「悪い人」だったのだろうか?「果たすべき義務を果たす人」でしかなかったはずだ。だから善悪という概念ではそもそも見ていなかっただろう。
女性が不特定多数の男性と肉体関係を持つ、男性が不特定多数の女性と肉体関係を持つ、ということに対して「善悪」であるとか「倫理」と言った尺度が持ち込まれたのは日本では明治時代だ。
このときに欧米のプラトニックラブという概念が持ち込まれ、そのときに「特定の相手以外と肉体関係を持つべきではない」という浅はかなルールのみが導入された。
明治以前はそうでもなかったのなら、不倫を開くと断じるもっと根源的で客観的な理屈はあるのかとなる。
そう考えるならば、「ない」が答えになる。
というかこういう質問をする人は「悪と(または善と)断じる理由がなくなるまで聞き続けるタイプ」でもある。
もうちょっと言うならば私はルールに従いたくないのでそれを正当化したいですが質問の意図でもあるが本人は絶対に認めないだろう。
「私はただ納得がしたいだけなの!」とさも探求しているふりをしているが正体は「私に一番都合のいい答えが来るまでひたすらのらくら交わし続けるからね!」でしかない。
おわり
40手前になってもバカみてえなポエムを書き、200万の借金を嘆く手取り20万前後の童貞こどおじ
新卒採用後半年で複数回転職しているくせに自分の評価が異常に高いバカ
沖縄に行ってみたり、母親の手料理を食べたり、仕事をさぼってみたり、とにかく幸せそうなのだ
私は毎日朝起きて飯を食い、仕事に行き帰宅し風呂に入り飯を食い寝るだけ
休日は妻と出かけたりするが、幸せかどうかと言われると、うーん・・・。と考えてしまう
妻とケンカすることもある、友人との飲み会が楽しい日もある、子供が出来た、と聞き父親としての自覚を持たなければいけない、と思った日もある
幸せかどうか、何かに満足しているか、というのは上を見ても下を見てもキリがない、置かれた場所で咲きなさい、というのが私の信条だ
幸せかどうかは他人を羨むかどうかであり、比べるまでもなく自分が幸せだと思えばそれで良いのだ
確かにそうだな、と膝を打った
ただ、置かれた場所で咲いているのだ
前にLカップブラとUカップブラの違いについて書いた増田です。
けっこう面白い問題提起だなと思ったので、お答えしようと思います。
これもネット調べで恐縮なのだが、下着店での取り扱いはB〜Dカップがボリュームゾーンらしく、Aカップはそんなに置いていないらしい。AAカップ以下については皆無な店もあるだろう。
これはその通りです。
もし採寸の結果がAA以下だった場合、「お客様はAAなのですが、そのサイズはうちには置いてないんですよね」なんて言えるだろうか?
仮にAだったとしても、「お客様はAですね」なんて伝えられるだろうか?「私はまな板じゃないからAじゃない!」と怒りだす女性もいるだろう。
どうしてこうなったのか。それは、それなりにいるはずのAAA〜Aカップ商品を作らないメーカーサイドに問題があると考える。なぜ作らないのかは単に「売れないから」である。大半の女性は自分がAカップ以下であることを絶対に認めないため、どれだけ貧乳でもBカップを着用する。
Aカップだと伝えられた客が怒らないように、下着店員が自主的にカップ数を水増ししてor下着屋が従業員に水増しさせて Bカップ以上にしているのではないかとの疑問ですね。
アパレル店員が「私もそれ持ってるんですよ(持ってない)」とか「残り一点ですよ(まだある)」とか「お似合いですよ(似合ってない)」とかの嘘をつくことはよく知られていますので、そのように下着店員も嘘をついてるんじゃないかと思われるのはわかります。
ただ、そのような水増し行為はありえません。
Aカップはそんなに置いていない
https://images.app.goo.gl/V2ai13GfzFyUoXiF6
どんなに胸の小さい客にもBカップ以上だと嘘をつくのであればAカップのブラは一つもないはずです。(中古に流れているので購入実態もある)
ならAAやAAAカップを水増ししてAカップだと嘘をつくことがあるのか、というとその可能性も低いです。
採寸は着衣のまま、あるいはブラの上からすることが多いらしい。
本当にフィットしていてパッドも入ってないブラを着けているなら良いが、多くの場合そんなことはないはずである。ほとんどのブラはパッドがデフォルトで入っているし、そもそも実際のサイズがわからないから採寸しているんじゃないのか。
仮に男の私がCカップのスカスカのブラを着けて採寸したらどうなるか。恐らくA〜Cカップ程度になってしまうだろう。痩せ型の男である私のバストサイズはAAA〜AAカップ程度のはずなのだが、大幅にサイズアップしてしまっている。
つまり、こんな測り方をしてもなんの意味もないのだ。しかし、「専門のスタッフに測ってもらった」ということから結果を盲信してしまい、自分の本来のサイズを少し大きめに誤認してしまうというわけだ。
これではいかんという気がするが、とはいえ、着衣で測るのにも理由があるはずである。そこを考察していく。
まず、女同士とはいえ裸を見せるのは恥ずかしいという方も多いだろう。これは仕方ない理由と言える。
しかしもっと大きな理由がある。ここで再度透明化されたAAカップ以下の話が出てくる。
前述の通り、Aカップは普通に膨らみがあるので、痩せ型の女性ならわりと普通に存在する。それどころかAAカップもわりといる。AAAカップまでいくと流石に少数派だろうが、恐らく全体の数パーセントぐらいはいる。
これは私の推測だが、AAA〜Aカップは全体の25〜35%程度は存在すると考えている。少なくともこの3サイズで20%前後はいるだろう。
まず、これがよくある採寸方法です。
https://www.youtube.com/watch?v=rcr_UoDSqso
採寸されている人が巻き尺の目盛りを自分の目で見ていますよね?
ここでごまかす余地はほとんどないことがお分かりになったと思います。
次に、大きくて固いブラの上から採寸すれば確かに結果もおかしくなるかもしれません。
しかしこれで騙せるのは「ブラを買いに行くためのブラがある客」だけです。
ブラをまだ持ってなくてノーブラで来た客は正直にAAやAAAと測定されます。
自分のサイズを勘違いして大きすぎるブラをつけている客であっても、ワイヤーが入っていない薄いブラ(ジュニアブラ、スポブラ、ブラレットなど)であれば膨らまし効果はあまりないのでほぼ正確なサイズが出ます。
家で裸になってセルフ採寸している客もそこまで珍しいわけではありません。
こうして自分のカップサイズがAAやAAAだと知った客にお世辞でAなどと言っても嘘だとバレてしまい、喜ばせるどころか「あの下着屋は嘘つき」と悪評を呼ぶことにしかならないでしょう。
そうなればネットでウワサになってそうなものですが一度も聞いたことがないので嘘カップが常態化しているということはないものと思われます。
ちなみにワコールはAAやAAAも一応売ってるので従業員に嘘をつかせる動機はなさそうです。
余談ですが、
これを図で表すとこのようになります。h ttps://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/brightsoda/20240930/20240930164705.png
ただ、ブラのサイズはJISで定められているが、測り方のレギュレーションは定められていない。
直立で測る、お辞儀で測る、直立で持ち上げて測るなど、正しい測り方には諸説ある。上裸でもプロに測ってもらうと基本はサイズアップするそうだ。
安心してください、増田がわざわざ提唱するまでもなく事実上ほぼ統一されています。
それぞれの下着ブランドは販売員に測り方のレギュレーションを教育しているのでどの店舗でも同じ測定サービスが受けられますし、主要ブランドはどれでも概ね同じ測り方です。
ワコール:https://youtu.be/3tHLYzHIqY8?t=70 (おそらく膨大な下位ブランドすべてで同じようにしていると思われます)
トリンプ:https://triumph-cpn.com/triumph/fitting/eventreport/
ブラデリス:https://youtu.be/Ev2x_7RTMTM?t=12
リサマリ:https://youtu.be/3WD7D_OZ0h0?t=1044
複数社横断で客のカップサイズの統計を取るんだったらもっと厳格な日本統一レギュレーションが必要になるでしょうが。
ナイキとアディダスとアシックスの足の採寸レギュレーションが統一されているとも聞いたことありません。
直立とお辞儀の姿勢の違いは胸の垂れ度合いによります。垂れている人の場合はお辞儀の姿勢にならないとうまく測れませんが、そうでなければ直立したほうが楽なのでそうされています。
これはもちろん基準の不統一です。しかし、だからどうしたというのでしょう。客にとって重要なことは自分に合う下着を選ぶことであって、よその客と同じ基準で測定されることではありません。
そもそもあなたはLサイズの服を買うかSサイズの服を買うか選ぶときに厳密に計測してますか?
もし厳密に計測したらもっとフィットする服が選べるだろうと思いますか?
S/M/Lを全部試着してみるのが簡単なのに比べてA65からF90までを試着するのは手間がかかるから採寸である程度のアタリをつけるわけです。
しかし結局のところは試着で決めるので厳密な計測はそこまで必要とされていません。
D70と計測された人にB70のブラが合うような例もあるので尚更です。
ちなみにワコールでは体全体をスキャナーにかけて3D画像を撮るサービスをしています。https://www.wacoal.jp/scanbe/service/ 全国津々浦々の下着店にこれが置かれるのであれば状況は変わるでしょう。
余談ですが、ブラジャーとメンズスーツは既成服としては数少ない「二つの寸法パラメータを割り当てるのが一般的な服」です。
実際のCカップはトップとアンダーの差が15cmなわけなのだが、これがそんなに小さいことはない。実際にアンダー67、トップ83の女性に測らせてもらったが、私が貧乳好きだからか普通にでかい。美乳といった感じ。もちろん巨乳好きからしたら全然物足りないのだろうが、がっかりするほどのサイズ感では決してないはずである。
ネットで、「男のカンチガイサイズ」と「実際のサイズ」を比べたイラストを見たことがあるだろうか?この画像は検索すればすぐ出てくる。
これについては、私は両方とも正しくないように思える。理由はもちろん、AAカップ以下が透明化されているからだ。
女性はAカップにカテゴライズされることを極端に嫌がるので、どうしてもAカップを無乳ということにしたいのである。この画像にAAカップとAAAカップを足そうとしたらどうなってしまうのだろうか。確実にえぐれてくる。
https://x.com/punipunichikori/status/331345758706102272
この画像のことですよね?
元増田さんの経験とその画像が噛み合わないのはこういうカラクリです。
h ttps://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/brightsoda/20241003/20241003094717.png
あと、AとAAAで横から見たときの出っ張りの長さはどうも大差ないようです。
h ttps://bust.k-biyou.com/new/06.html AAAからAまで豊胸した経過の写真
h ttps://minamic.com/BG/99/ AAからCまで豊胸した経過の写真
山の高さは同じで裾野の部分が変わっているような。山の高さが変わるのはA以降のように思われます。
おまけ・男性の胸は横から見るとこのようになっているようです。
h ttps://www.arizonabreast.com/gynecomastia-treatment/should-i-undergo-surgery-for-gynecomastia/
h ttps://www.arizonabreast.com/wp-content/uploads/2022/07/illustrated-grades-of-gynecomastia.jpg の左端のnormalが正常な男性
加えてその「男のカンチガイサイズ」と「実際のサイズ」を比べたイラストもあまり正しくない……いや、乳房部分は大して的外れではありません。
問題はその下の部分。実際の人体ではこの線は往々にしてデコボコです。
先ほどのAAAからAまで豊胸した経過の写真でも、アンダーのすぐ下の肋骨が第二乳房のようにムクッと盛り上がってそこからお腹にかけてへこんでいっていますよね。
カップ数には何の関係もありませんが見た目の印象は異なります。
いわゆる「隠れ巨乳(巨乳なのに、服を着ているとそうは見えない)」はここがポイントです。
カップ数はトップとアンダーの周長で決まるけれども、人体の周長は見た目の印象とは関係ないのです。
服を着ているときはアンダーがよく見えないので、乳房の大きさは「顔ーバストトップーウエストの成す角度」というアンダーとは無関係な尺度で推定されます。ここで重要なのは胸の直径です。
裸になればアンダーは見えますが、それでも周長をぐるりと確認してみるようなことはあまりないでしょう。裸になっているときに目につくのは胸の体積です。
(服は直径でも体積でもなく周に沿うものなのでブラのカップ数が周長で決まるのは理にかなっています)
体積は周長のだいたい3乗に比例します。ですからたった2.5cmの周長の違いであっても体積はかなり変化しますし、A→Bの体積増加幅よりもF→Gの体積増加幅のほうがずっと大きくなります。
しかし直径はA→BでもF→Gでもおよそ1cmしか変わりません。
なので、服を着ているときの乳房の見かけの大きさにはカップ数以外の要素の寄与が大きいのです。
h ttps://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/brightsoda/20241010/20241010120655.png
この人は純粋なカップ数はそこそこですが胸付近全体の形状によって着衣だとかなり大きく見えます。
体のメリハリがほとんど前後方面に割り振られているようで、正面から見たときより横からのほうがくびれがわかりやすい体型です。
前の増田を書いたときに「増田はフィッターなのか」と疑問に思ってる方がいましたが、違います。
フィッターでも下着専門家でもなんでもないです。自由のブラしか持ってません。ブラジャーや他人の胸をまじまじ見たこともほとんどありません。
前にLカップブラとUカップブラの違いについて書いたときに「ブラトップをつけるからもうブラは買ってない」という方が多いのがわかりました。
ブラトップはブラに比べて圧倒的に「楽」です。この楽さは柔らかくて締め付けがないことから来ています。
買わない人が増えてきた以上、ブラはそろそろ滅びが近いのかもしれません。
一方で、少数派の体型の人はブラトップでは間に合わないということもわかりました。
XSから4XLまでの1パラメータしかない…つまり、同じ服を拡大・縮小したようなものしかなくて縦長や横長やカップ数のバリエーションがないので当然そうなります。中小企業やファストファッションならともかくユニクロがこうしているのは不可解です。
h ttps://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E457925-000/00/size?sizeDisplayCode=003&measurementUnit=cm
これはエアリズムのブラトップの商品展開です。G65だったりA90だったり身長180cmの細身だったりすると着るものがありませんね。
ところで私はD65で身長158cmと幸運にも平均的な体格で、Mサイズが適合するようなので買いました。
フィットしませんでした。h ttps://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/brightsoda/20241005/20241005212900.png
これでは困ります。
前に乳房間のスキマの有無と、U字(前中心が高い)ブラとL字(前中心が低い)ブラの違いについて書きましたね。
増田は極端なスキマなし体型のようで、ホールド力の弱いブラで軽く寄せただけでも谷間にシワができるほど深く寄ります。ちょっとでも前中心が高いブラをつけると干渉するので極端に前中心の低い「自由のブラ」をつけています。
痛くも苦しくもなく、ズレも浮きもせず、みっちり支えてくれる非常に良いものです。ユニクロのノンワイヤーと着用感は大差ありません。
政党を評価する際に、イメージや感覚に頼ることで迷いや不一致が生じる問題を解決するためには、以下の方法が有効です。
評価の基準を明確に設定することで、個々人が同じ尺度で政党を評価できるようにすることが重要です。評価基準を明文化し、チェックシートやスコアカードの形で具体化することで、客観的な比較が可能になります。以下のステップを推奨します:
• 項目の設定:経済政策、社会福祉政策、人権・多様性、透明性など、具体的な評価項目を設定。
• 重みづけの設定:自分にとって重要な項目に高い重みをつける。
• スコアリング:各政党に対して1〜5のスコアを付け、数値化する。
政党の公約や政策を、信頼できるデータベースにまとめることが有効です。このようなデータベースを利用することで、具体的な政策や過去の行動をもとに比較でき、イメージではなく実際のデータを基に判断できます。たとえば、「マニフェスト・ポリス」や「選挙ドットコム」などの政治情報サイトを利用することが推奨されます。
評価基準に基づいた政党の評価結果を共有し、他者とディスカッションを行うことで、客観的な視点を取り入れることができます。異なる観点を持つ人と議論することで、視野が広がり、自分の評価基準を再確認したり、修正したりすることが可能です。
4. メディア・リテラシーの向上
イメージや感情に流されないために、メディア・リテラシーを向上させることも重要です。ニュースやSNSで流れる情報を鵜呑みにせず、複数の情報源からの情報を比較し、バイアスや誤報を見極める訓練をすることで、より冷静な判断ができるようになります。
政党や候補者が過去にどのような発言や行動を取ってきたかを記録しておくことで、実際に行動と公約が一致しているかを確認できます。このようなトラッキングを行うことで、イメージではなく、事実に基づいた評価が可能になります。
自分の価値観や重要視する政策についてのチェックリストを事前に作成しておくと、各政党が自分の価値観にどの程度一致しているかを明確に比較できます。これにより、議論する際にも基準が共有されやすくなり、他人と噛み合わない問題を軽減できます。
まとめ
• 評価基準を明確化することで、イメージに頼らず具体的な事実に基づいた比較ができる。
• データベース化した情報を用いて、客観的に政党を評価する。
• ディスカッションとフィードバックで視野を広げ、他人の意見も取り入れる。
• メディア・リテラシーを高めて、情報の真偽を見極める力を養う。
• 価値観チェックリストを使い、自分の価値観に合った政党を明確に把握する。
これらの方法を組み合わせることで、政党の評価基準を明確化し、より理性的かつ客観的に政党を比較しやすくなります。また、他人と政党について議論する際にも、共通の基準があるため噛み合いやすくなります。
幸せや充実に飢えてるだけの虫。
他者の幸せや充実の匂いに敏感で彼らの営みの上っ面だけでもなぞり幸せを感じようとしてもなかなか幸せというものは感じない。
だが幸せを感じることはない。
幸せというものは集団幻想であり、古代の人が考えた鵺や麒麟、龍のような幻の生き物の感情バージョンなんじゃないかと俺は思う。
しかし、まるで幸せというものが存在するかのように振る舞うヒト・モノ・情報、が多すぎて俺はいまだによく勘違いをしてしまう。
「他者には当たり前に幸せは存在していて、俺だけが『幸せ』という快楽状態で生きられていないんじゃないか?」ってね。
俺はバカだからよくこの前提を忘れて病んでしまうけれど、存在しないものと割り切ってください。存在しないんだから。
現代では幸せであることは一種のステータスと化しており、物的証拠がなくてもその人が幸せですとさえ証言すれば、他者から見てそいつは「幸せを感じている、幸せを知っている、満たされいる幸せな人物」となる。
性格、容姿、清潔感、配偶者や子の有無、趣味、年齢、性別、学歴、好み、社会的地位など。それらを複合的に見て他者の幸せを図られることが多いと感じる。
snsなどを眺めていてふと幸せでない人間を蔑むみ憐れむ傾向が人間にはあるのではないかと気づいた。
「幸せになる方法を知らない馬鹿」を「幸せを知ってる私」は哀れみ説教する資格がある。そういった感性を感じることが多い。
これに気づくとリアルの人間関係でもこのような仕草は他者への評価の節々から感じるものであることに気づいた。
このことから不幸であることや満たされていない存在は他者からの下衆な蔑みや哀れみをとても受けやすく、
つまり幸せであることで他者からの下衆な蔑みや哀れみの対象から外れることができ、人間としての名誉や尊厳を守ることができるのである。
幸せであるような振る舞いをするのは自己の尊厳を守ることに直結するとして、現代社会で『幸せな振る舞い』が力を持ったのだろうと考えられる。
存在しないはずの「幸せ」を人々が取り繕わなければいけなかった理由だ。
それによりまるで「幸せ」が実在し、身近に存在するモノかのような不可思議な存在になったのではないかと俺は考えた。
つまり他者からの評価などで被害を受けるような生活や仕事、性格などでなければ幸せになろうとする必要は全く持ってないのである。
噂に聞く「幸せ」はとても尊く気持ちのいい安らかな感覚らしく、自分も生きている間に手に入れたいと求めてしまうだろう。
基礎教養だと思うけどね
1984は有名ですが基礎教養ではないですね。一応私も名前やキーワードは一部知っていましたが通して読んだことは無いですし?
あなたが特殊な界隈にいるオタクなだけです。自分の知識は相手の知識ではないのです。自他境界を適切に引いてもろて。
自他境界 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A
喩えと置き換えってあなたの頭ン中(だけ)では明瞭にわかれているのかもしれませんが、
独自ルールで評価されて「まあそこまでの頭ってことよ。」とか言われても・・・
私も世間の人間もあなたではないので、まず自他境界を引いていただいて・・・
自他境界 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A
あなたの独自ルールで「そこまでの」がどこまでなのか全くわからないし尺度も指標も無いので、そんな評価を押し付けられても困るだけですね・・・
しかも、おそらくあなたの準拠してそうな「定量評価可能な値に落とし込めるか」という考え方を採用したとしても
「正の性的選好性」と「負の性的選好性」みたいな(脳内物質の分泌量や、属性と婚姻率などで定量比較可能な)学術用語とは別に
それらは"俗に" 「(正の)性欲」と「負の性欲」と呼ばれる、あるいは「俗に性欲と呼ばれるものに近い」とか、そういう考え方って理解できませんかね?
「俗にいう」っていう捉え方がどうもできてなさそうですね
・・・で、話戻すと、
ニュースピークじゃんw
どうやったらこの書き込みが出力されるんですかね?唐突な「喩えと置き換え」という切り口から思考の一端は開陳していただいたものの、ニュースピークとの類似性については語られていないようなのですが・・・
勤続10年手当で有給がプレゼントされたため、3連休2週と有給を繋げて旅行にいってきた。
道中何枚かインスタのストーリーにアップしたら、年2ぐらいで会っている中学校の同級生からDMが来た。
友「笑。良い加減結婚しないの?」
私「いつも聞くやん笑 新しい生き方ということで!😂」
友「仕事とか一人旅とかもいいけど、あみに幸せになってほしいだけだよ😘早く安心させて💖」
友「笑。そういうの主婦バカにしてるって思われるから気をつけなね!旅行楽しんで〜🖐️」
お互いの幸せの尺度が違うならナルホドネ!で終わらせられないのかよ。
ていうか自分からつっかかってきたんだろうが。そして私は籍入れてても旅行には行くぞ???
友達としては好きだけど人生観相いれない。もはや仕方ないので諦めるしかないがイラついたので愚痴吐き。
ちなみに未届けなのは不倫・宗教などの事情があるわけじゃなく単に結婚するなら夫婦別姓がいいな&子なし希望のためなので邪推は止めてくれな!(籍入れなきゃ不安で死ねない〜とか親が言ってくるようなら入れてもいいぐらいのスタンス)
みんなもっと自分の半径5Mの人生に集中してくれよ。と思いながら「この人にストーリーを表示しない」設定をした有給最終日であった。
間違った読み方であろうことは認める。
でもさあ
自分はさあ
頑張った順に報われるのが見たいわけ。ある程度は。フィクションの中では。
似たような手段の篭絡にしたって色欲の魔王の方がよっぽどわが身を掛けて飛び込んで勝負したじゃん。
(まあ魔王達も完全にやられても地獄に戻って再生するだけのクソなんだけどさ)
ろくな積極性もなく、恐怖に耐えて勝負したこともなく、何かを賭けて打って出たこともなく、
肝心な場面でも”待ち”を選んだ結果ポッと出の色欲の魔王に出し抜かれたイムリが
なにこの漁夫の利?
完全に選択を間違えて消極策を選んだことにすらなんのペナルティも無くて
色欲がズタボロになりながら作った成果を自分は無傷でもらっちゃってるわけ。
唐突にチート能力に目覚めて魔王と対等以上にわたり合いだしたり
もう見ていてひたすら不快になるしどうしてもイムリのことが好きになれない。
ていうかなんなのこいつ?
一つしかない命を懸けてズタボロになって死んでいく人間の戦士たち、
一つしかない命を懸けて得体のしれない何かに身を投じている元人間の魔女たち、
何回でも復活できるズルだけど一応真剣勝負をしに来てる魔王たち、
ある方が「遺書だったもの」というブログ・エントリーを公開してはてなブックマークで注目を集めています。
https://kirimin.hatenablog.com/entry/2024/09/04/001242
一読しただけで大変な状況の中ご本人が精一杯頑張ってきたことが伝わってきました。
普通の人は不登校になったあとに就職したり(それもB社側からの打診で正社員に!)、アメリカ出張、趣味でイラストや競技プログラミング、といった活動は出来ません。
なにより踏みとどまるという意思を持たれていることが一番素晴らしいと思います。
ブログの内容について、アドバイス、というより考えてみるきっかけを提供できればと思い、以下に書いておきます。
"アドバイス"という言葉は上から目線のニュアンスがあるため私は嫌いですが、分かりやすさのためにあえて"アドバイス"と記載しております。
"アドバイス"の手がかりとして、世の中の多くの人たちと異なっている点を特徴として捉え、そこに着目して述べていきます。
多くの人は、自死を取りやめた場合は遺書を公開しません。ここが最大のポイントです。
他にも、元カノの話や学校で友達を作りたかった話、インターネット掲示板、会社の同僚との関わりなど、コミュニケーションについて多く言及していることもかなり特徴的です。
心理的な安定のためには、インターネットで構わないので、コミュニケーションの場への参加を増やしてしてみると良いかもしれません。
私も同世代で、2005年~2007年ごろには2chで政治家をおちょくるコラージュ写真を作って遊んでいたので、当時の雰囲気は知っています。当時と似たコミュニティはもはやほとんどなく、ネット掲示板よりもLINEのオープンチャットあたりのほうが雰囲気が近いかもしれません。
仕事やそれに近い競技プログラミングの能力・モチベーションでご自身の価値をはかる表現が目立ちます。
仕事への情熱はご自身の能力開発、社会貢献、金銭獲得のために素晴らしいことです。
一方で能力・モチベーションで全人類のトップに立つことは出来ない以上、どこかで自分の能力に見切りをつける必要があります。
それが今なのかな、と漠然と感じました。
人には能力の限界・投入できる時間の長さの制約があり、その制約のもと各自それぞれのペースで頑張るしかなく、他に選択肢はないため、ある面で人より劣ることを認めざるを得ません。
しかしだからといって人間として価値がないとか、死ぬべきだということは論理の飛躍です。
劣ることを認めたうえで、それがどうした、自分が死ぬ必要はないじゃないか。むしろ優れた人たちが素晴らしい社会を作ってくれてありがたい、と感謝すればよいと私は思います。ご自身にもその気持があるはずです。その証拠にA社のリーダー、B社のプロダクト、元カノ、といったものを称える文章があります。これは称賛の気持が奥底にあるからだと思います。
というより本当は人間という存在自体が自他に価値を評価される必要がなく、各自勝手に生きて構わないと私は思います。評価という行為自体が発生しないのが通常の状態であり、仕事では給料の分配という特別な目的のために上司が評価するという例外的なシチュエーションが発生していると私は理解しています。つまりそもそも職場以外での「自己評価」は必須ではないと私は考えています。
そのうえで、それでもなお自己評価が必要であれば、いくつもの会社で働くことができ、しかも先方から声をかけてもらっているというのは素晴らしいことだと思います。普通の人には声をかけませんよね。仕事の以外の面に目を向けると、イラスト、VR、他の投稿ではお母様にテレビゲームを教えたりと多方面に活動している点が素晴らしいと思います。競技プログラミングで高レート帯の方々はこうした活動と両立できるのでしょうか。ほとんどNoだと思います。総合的に見れば特別劣っているように私には見えません。
この点は次の第3の特徴に続きます。
文章には「多くの人から嫌われ、失望され、迷惑をかけながら生きていたくない。」と書かれています。
しかしきりみんさんは、嫌われている人・失望されている人・迷惑をかけている人に対して、死ねとは言わないと思います。そういう人柄だと文章で分かります。
それなのに自分に対して厳しいのはダブルスタンダードで、ご自身を不必要に傷つけているように見えます。ご自身に対して厳しすぎるダブルスタンダードを持つ理由は何でしょうか。ダブルスタンダードを持つメリットはあるのでしょうか。これについて考えると楽になれる部分があると思います。
きりみんさんは、自分より仕事ができない人に死ねと言わないと思います。競技プログラミングが下手な人に死ねと言わないと思います。その理由は劣っていても死ぬ必要はないとご自身が理解しているからです。そうであればきりみんさんが死ぬ理由もないと私は思います。
しっかり稼いでいる、そしてそれに自負もある責任感の強いおじさんなんだろうな、ということは割と容易に想像ができる。それなりに家族サービスもしている。
そういうタイプのおじさんの中には、「社会的な地位に基づく自負」を、サラリーマン人格以外の全方位において適用できるかのようにこじらせている人が一定数いて、恨みおじは、そのタイプなのかもしれない。
産後の恨みは一生おじは、「育て上げたって感じがするなぁ」の一言で、恨みおじ家の家庭のパンドラの箱を開けてしまった状態なのかと思う。
少なくともこの件より前は、恨みおじ自身も妻に対して『妻はあまり自己主張をしないタイプで、だけれども器用に誤魔化すタイプでもない』という古い専業主婦型の性格類型ではあるものの比較的フラット~ポジティブな印象を妻に対して持っていたわけで、それまでは、恨みおじが抱いていた「分業だが協力した家庭運営」を夫婦お互いの努力により大きな破綻なく作り上げていたのだろうと思う。恨みおじが問いただしたりしなければ、妻はこれまで通り、努力と諦めと愛情をもって家事や子育てをし、夫である恨みおじも色々なことを我慢したりして、お互い協力して家庭を円満に運営し続けていたんじゃないだろうか。分からんけど。
そうはいっても、現代の夫婦、家族は言葉によるコミュニケーションにより円滑な関係を続ける方が良いわけで、恨みおじが問いただしたこと自体は責められるべきことじゃない。ただ、聞き出した結果がおじの思ってたのと違っていたとしても、それを否認してしまったらせっかくのコミュニケーションが何の意味もなさなくなり、むしろ恨みおじの家父長的ハラスメントポイントがアップする。そして妻も「愚かなる専業主婦ポイント」がアップする。これは家庭にとっては小さい不幸の種ではある。まぁ多少の不幸なんてどんな家庭にもあるけれど、放置してこの小さい不幸の種から芽が出て葉が茂ってしまうと、よくあるタイプの「冷え切った熟年夫婦」になる種ではある。
恨みおじの一番の傷ついたポイントは、「自分の考えていた温かみのある分業家族」が、自分だけじゃなく妻の我慢や諦めもあって成り立っていたことを突きつけられたからではないか。
恨みおじも我慢や諦めがたくさんあって、妻も同様にあった。それは聞きださなければ表出しなかったのだから、相殺して許しあう方が適切だろうと思う。
おじは
文字にすると端的だが、もっと長々と具体的に話された。その割に、振り返ってみると上記の3~4行でまとまるような内容しかなかったな
と余談のように書いているが、愚痴が冗長になってしまう程度には「やらかし」の回数が多かった可能性も推測できる。それに関して、まるで妻を「話を要約する能力がない奴」みたいな印象操作をするような余談はあまり上品な言葉ではないと思うし、そういう話ぶりからは、こいつ普段からこんなイヤミったらしい当てこすりしてんじゃねという印象も生まれる。
産後1年弱のたった数回のやらかしのことを何十分も話していたのだとしたら、①相当ひどい(死ぬ可能性のあるレベル)やらかしだった、②問い詰めておいていざ話し出したら批判だったのでろくに話を聞いてらんないなって態度をしていた、とか、そんな可能性もある。③単に妻が話が長くて恨みがましい、という可能性ももちろん十分あるが、だとするとそれまで20年以上の夫婦関係の中で妻の、家庭の何を見てたんだ?お前の目は節穴ですか?という話だ。自己主張は少ないがごまかせないタイプなんだろ?妻は。
恨みおじが、根本的に勘違いしているところは、会社員として結果を出すという仕事と、子育てを同じ尺度で査定評価しようとしているところだ。
総量では圧倒的に貢献してきたプラスの方が大きいと思っていた(し、冷静になって考えてもここは揺らがないと思う)
総量って何だろう。
家庭の運営に必要なリソースは、①金、②割いた時間・労務、③精神的なコミット、④緊急時対応力、ぐらいがぱっと並ぶところだと思うが、特に①とそれ以外は比較するための尺度が全く異なるので「圧倒的に貢献してきた」と簡単に言うこと自体が愚かである。要するに、恨みおじはちょっと自分に対する査定が甘くないだろうかと思うのだ。
お金がないと家族は路頭に迷うのは当然で優先順位は高いが、そもそも家族内分業で夫が金を稼ぐことにリソースの多くを集中できる環境は妻が作っているということを忘れている。冒頭に述べた「稼いでいる自負があるおじさん」が一般的に忘れやすいところで、まぁ色々異論はあっても妻の扶養控除を適用しているのなら少なくとも扶養控除以外の部分については「妻が夫が稼ぐためにしている労働」として堂々と数えられる部分ではある。外に出て稼いでいるんだぞ!というなら「生んだんだぞ」になるので水掛け論にすらならない。今二十歳になる長女がいる年齢の女性だったら、3人産んで育て上げられる社会環境は実質無かったのだから妻に給与所得などがないことを妻の責任できるものでもないし、もっと言えば2024年だって金を稼ぎながら子供を3人育てられる女はごく少数の恵まれた環境にいるものだけだ。そういう現実をまるっと無視して「冷静になっても揺らがねえ俺のジャスティス」と思ってるのだとしたら、割と滑稽である。
会社では、営業、生産、企画、人事総務、管理など様々なセクションがあるが、恨みおじは「営業が、新商品の成功を自分の手柄のように喜んでいる」みたいな構図にも見える。営業は当然顧客開拓などに血道をあげて努力をしただろうしマーケティングの手伝いなども責任感を持って従事しただろう。だが、それを生み出した生産、企画やマーケティングの力も大きいし、支える人事総務や管理などのセクションがなければ会社という機構自体が動かない。出来る営業担当者なら「各部門のみなさんおかげで最大売上になりました」と言うところだろうと思う。それが「育て上げたって感じだよなぁ!」と肩を組まれても、工場の生産管理担当者も「あっ、はぁ」となるだろう。恨みおじの言いぐさはこの間抜けな営業マンみたいな感じなのだ。
家族の満足度や子供の成長ぶりが、家庭運営の成功を図る尺度の一つだと思うが(もちろんone ofでしかない)、恨みおじは、実はこの「家族の満足度」において「バツ1つ」付いた、そしてそれに傷ついた、というのが今回の件の別の角度からの見方として筆者が提示したいことである。
少なくとも家族の1人はそれほど(自分ほど)は高い満足度がなかったという「結果」に落ち込んでいるのではないだろうか。頑張ってきたという自負がある人ほどショックだろうと思うので気の毒だとは思う。
もしも、妻からの査定について、自分は我慢強くて家庭に責任感があるから言わなかっただけで自分が稼いだ金で生きているくせに妻は我慢強くない愚かな女で満足してないのは不遜である、と思うなら、仕方がないが、その場合は熟年離婚コースの方に3コマ進む、である。
一方で、もし恨みおじが、本当にもう少し冷静なら、他の家族構成員であり主に家庭の受益者となってきた子供たちに(受益者と言うとなんか変だが子供なので当然だな)話してみたらいいと思うのだ。妻一人の感想ではなく子供たちにもリサーチをすればいい。「娘が成人してパパも肩の荷が下りた、ここまで無事に育て上げられたなぁと思うよ」と聞いてみたらいいと思う。娘はにっこり笑って、そうだね!社会人になるまであと数年お願いします!とか言ってくれるかもしれないし、はぁ?何言ってんの?という顔になるかもしれない。
子供は馬鹿ではないので親の背中を見ている。恨みおじが本当に「俺だって仕事も頑張ってきた、自分なりに家庭も大事にしてきた」のなら、子供は父親を尊敬し尊重するだろう。
そうじゃないなら育て方が悪かったので、母親はもちろん、自分が「育て上げた領有権」を主張する程度には父親にも当然責任がある。「育て上げた」のだから、育ちあがった状態に一部分の責任があるのは当然。
まぁそもそも、子供は3人いるらしいし娘さんも大学生ということはまだまだ社会には出てない。成人の年齢は18なわけで何で今「育て上げた」って突然?と思われそうな気はしないでもない。妻もそんな風に感じたのかもしれない。
なんで浅い深いって尺度になるんだろう