はてなキーワード: オリンピックとは
正直、私はこの山田昌弘氏にも大いに社会をこういう状況にした罪と責任があると思っています。
自分より若年者には甘えだと言い、自分と同じ老人は違うと言う、というのはちょっと酷すぎやしませんか?
まず、ニートは「Not in Education, Employment or Training、NEET」というイギリスの言葉であり、イギリスの定義です。
日本とイギリスは大きく社会状況が異なるにも関わらず、厚労省が意図的にこの言葉を輸入し、日本社会に流布したことに、陰謀論とまでは言いませんが、悪質な意図を感じます。
また、ニートは明らかに、他者に対する侮蔑的表現として日本社会で用いられています。
本来は定義のとおり、「学校に通っていない、学校に通えない、仕事に就いていない、仕事に就けない、訓練を受けない、訓練を受けられない」人たちです。
健常者のときは障害者を見下して加害者になり、自分が事故や老人になって身体に障害が出たら被害者になる。
これも言葉の定義からすれば、就職氷河期のような状況に左右されて、収入が家を出るのに満たない額だから仕方なく家にいる人たちを含めている話です。
そして、こういう造語を作り、他者を侮蔑するような日本社会を作ってきた犯人の一人が山田昌弘氏です。
そして、次の「ひきこもり」もそうですが、
ここまでの「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」は単なる状態、症状の話です。原因の話ではありません。
例えば、あなたが頭痛がする、寒気がする、血便が出た、とします。これは症状です。
しかし、あなたは自分の身体が何かおかしいと思ったら、普通病院に行くはずです。
病院に行って、検査して、医師に診断してもらわないと、原因は分からない。
例えば、歯が痛いとしても、虫歯なのか、歯槽膿漏なのか、気のせいなのか、歯軋りなのか、
「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」が問題だ、なんとかしなければ、と政治とかマスコミが騒ぎ出すわけです。
例えば、精神疾患で統合失調症の人がいたとして、統合失調症でも薬等で安定して一人で生活できる人もいます。
しかし、症状が悪化して、仕事を休むようになり、集合住宅で「ひきこもり」状態になってしまった人もいるでしょう。
ちなみに、統合失調症も症と付いているように、これは症状です。そして、未だに機序のメカニズム、原因は不明です。
しかしながら、医療の発展とともに、分かってきていることがあります。
例えば、統合失調症を促しているのは過剰なドーパミンではないか、という仮説があり、ドーパミンを抑える薬は効果があります。
統合失調症の状態が酷ければ、一人で暮らすことは困難でしょう。
当然、「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」の状態になるでしょう。
そうしなければ、いつか限界が来ることは、ある程度思考ができて、相当裕福な家庭でなければ分かっているはずです。
ここで話をおかしくするのは、就労の意思があればニートではない、とか、そういうおかしな定義が出てくる。
もう、明らかに社会問題を定義するニートという言葉を侮蔑的、差別的に使っており、
自分は被差別対象ではない、だって就労の意思はあるんだから、という意図を感じます。
端的に言って、「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」という言葉を捨てるべきです。これらの言葉を好んで使って社会問題を語ることは不可能だからです。
では、どう定義すべきなのか、とするならば、ぶっちゃけ、本人の意思なんてどうでも良いのです。
その当事者の近隣の企業は、どれぐらいの給与を払っているのか?ちゃんと最低賃金は守っているのか?求人の量、内訳はどうなっているのか?
日本人はすぐに、本人の意思が重要とか言い出しますが、じゃあ、就職する気がなくて遊んでたい人でも、俺は就職する意思がある、
就職する意思がある人はニートとは呼びません、ということになり、就職する意思があると表明すれば給付金がもらえ、
会社で酷い事故に遭った、もう二度と俺は働きたくなんかないからな、と言った人には給付金を払わない、これはナンセンスでしょう。
じゃあ、すべからく貧しい人に給付金を出すべきなのか?遊んでたい人にも、障害者にも、老人にも出すべきなのか?
その通りです。
ただ、単に遊んでいたい人が、本当に詐病でもなく障害があるのか?特に身体障害があるのか?
普通はないと思います。徴兵を逃れるために障害車椅子になるぐらいの自損事故を起こす人もいるとは思いますが、
ある意味、それはそれで何らかの給付を得てもいいのではないでしょうか?
老人も単に年齢に払うのではなく、身体能力、障害があるか、認知症があるのか、そういう状況に即して助けるべきです。
70歳で障害や病気、癌などでつらい人もいれば、90歳でも足腰が元気でスポーツを楽しんでいる人もいます。
こういう格差は、そもそもの出自、つまり生まれつき環境が恵まれていたか、それから遺伝的な格差もあるはずです。
社会とは、そういった本人にどうにもできない格差をできるだけ埋め、チャンスを平等にするべきものです。
駆けっこで一位をなくせばいいとか、そういう頓珍漢な話ではないはずです。
最後に端的にまとめるならば、やはり「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」のような言葉で社会問題を語る人を疑うべきです。
議論するためには、根本的な社会的病理の原因を特定し、そこで初めて、その解決方法を議論できるはずです。
要は、例えば「パラサイト・シングル」も「ニート」も「ひきこもり」も、日本の労働環境、雇用する側、企業人事の悪しき文化、ブラック企業など、
企業から献金を得ているのに、その企業が労働者に酷いことをして、パラサイトシングル、ニート、ひきこもり状態の国民を生み出している。
お金をもらっているのに、そんな指摘できないですよね。
そもそも、「ひきこもり」状態、症状を訴えている人たちは、かなりの割合で何らかの精神疾患があることが既に医学的にも示されています。
私も氷河期世代ですが、私が子供の頃には例えば発達障害なんて言葉自体がありませんでした。
これを取り上げて、発達障害なんてものは存在しない、医療界の陰謀、みたいに言う人がいますが、私はそうではないと考えています。
単に見つかっていない、無視してきた病気が見つかっただけです。
それから、社会の方が変化して、その変化した社会に適応できないから病気として認知されたのです。
人為的ですが、これも立派な病気であり障害です。障害とは社会に対する障害で合って、視力が低くても眼鏡があれば克服できることで、これは社会が変わって病気が消えたのです。
つまり、氷河期世代、ベビーブーム世代でありながら、大量の精神疾患罹患者、発達障害などの当事者が、
なんのサポートもされないまま、学校生活を耐えさせられ、社会に出て会社に合理的配慮どころか、不合理配慮、不条理な配慮を受け、
社会に適応できないまま放置された、そういうケースがベビーブームですから、大量にいるわけです。
病人は弱者なんだから勝手に淘汰されて死ねばいい、そういう漫画「なるたる」の登場人物みたいな考え方もあるとは思います。
公衆トイレがあまりにも汚い、路上にも糞便が溢れていて、川にも生ゴミや粗大ゴミがそのまま投棄されてる、
でも、ちょっと前、昭和の、私が生まれる数十年前はそうだったわけです。
そこから高度経済成長、オリンピック、大阪万博、バブル、バブル崩壊などを経て、公衆衛生は格段に良くなりました。
ウォシュレットなんて、潔癖すぎることで逆に病気を起こすぐらいです。
精神衛生も同じです。
私は漫画やアニメ、音楽が精神を汚染しているというよりは、労働環境、悪しき企業の人事の文化、
リクルート社のような人材斡旋の利益を優先した文化、そういう方が人間の精神をおかしくしているのではないか、と思っています。
労働するなら、やりたくないことをやるなら、せめてできるだけ快適な環境で働きたいとか、もう限界なときは休みたいとか、
そう考えるのが普通なのではないでしょうか?
一方で、近年のAI、ロボットの発展は凄まじい勢いがあります。
私なんかより遥かに、天文単位レベルで頭が良い天才が開発に携わり、私にはさっぱり分からない数学の話をしていますが、
そんな超天才たちが、でも、どうしてうまく動いているのか、ちょっとよく分からないんだよね、みたいに言うことがあります。
そんな感じなので、本当に超知能が10年後ぐらいに実現するのか、自分にもよく分かりません。
ただ、AIやロボットが人類を労働から解放するのではないか、というありがちな見方がひとつあり、
私はもうひとつ、AIやロボットと人類が一緒になって、困難な問題に取り組む、
例えば、この世界はどうなっているのか?そういう究極の真理の探究はまだまだ続くでしょうし、
いくら超知能とはいえ、それこそ「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」のような症状を生み出す社会問題をゼロにできるでしょうか?
すべての人類が幸せになるまで、幸福は市民の義務なんて強制ではなくて、できるだけみんなが幸せになれるような社会にする、
これはきっと永遠に訪れることがない理想、理想論であり、しかし、宮崎駿氏が言うように、理想を目指しながら、現実はどうするかを議論するべきなのです。
私の今の将来の夢は、AIやロボットに任せっきりにするのではなく、一緒にプログラミングして、一緒に絵を描いて、一緒に作曲をして演奏して、
一緒に畑を耕して、どんな場所でも、一緒に高め合っていける、そういう社会が実現したらいいなと思っています。
「ニート」「パラサイト・シングル」「ひきこもり」は症状であり、状態です。
そういう症状、状態の人を責めるなら、その前に、その原因をちゃんと考えてあげてください。
ゲーム会社側に重大な落ち度があることは分かるが、にしても「こんなシブチンの客ばっかりなのか」ってのが正直な感想。
しかも、自分が金払いたくないのを発展途上国の貧乏人を使って言い訳してるのがホントに惨め。
「視聴チケットじゃなくて物販で稼げ」ってDLCすら碌に買わないゲーマー様がよく言えたもんだな。
今までずっと大金をドブに捨て続けながらお前らに尽くしてくれた人たちに少しは恩返ししろよ。
ただ、ゲーム会社側のやり方も最悪だったのは疑いようのない事実だ。
どっかの漫画家も言ってたが、「私は世界大会を支えたパトロンの一人です」って分かる何かを付けて「助けてください」って初めから言えば違ったんじゃないかな。
でも、ゲーム内アイテムとかコスチュームとかつけたって「MODは文化(迫真」とか言いながらデータ吸いだして勝手に使う連中がいるんだよな。
大変だなぁ。他人事でよかった。
つまり、時計の針を巻き戻せば、昔の良かった時代も戻ってくる、
高度経済成長期なんて高速道路建設だのオリンピックだののために交通量が増えて、毎日のように子供の轢死事件が起きて、交通戦争とかテレビでやってたわけじゃん…
流石の自分もその世代じゃないけど、水木しげる先生とかは自伝で当時のことを書いてるよね
あの時代は調布ぐらいは畑とくさっぱらしかなくて、新宿も今みたいに栄えてないから、水木先生は新宿に住んでたはず
そういえば、俺も幼児の頃は祖父母が四ツ谷駅のすぐ前に住んでて、そのころの記憶がおぼろげながらあるんだけど、今から考えると凄いよね、超一等地だよ
話を戻すと、俺はクレヨンしんちゃんのあのイエスタデイワンスモアに同調していく両親とか大人たちとか、
あと、あのイエスタデイワンスモアに同調する若者がいてもおかしくないとも思ってるし、
ああいったノスタルジーに、ある意味逃げるというか、そういう人たちを愚かとまでは思わないんだよね
だって、気持ちはよくわかるわけだよ…、俺も現実を完全に放棄して過去の思い出だけに浸って生きられたらと思うよ…😟
でも、よくよく考えてみると、そんなうまい話はないというか、なんかこういう話はしっぺ返しがあるんじゃないか?って思うわけだよ
そんな後ろ向きの社会がどうなるか?
ワクチンとか医療を否定して、無農薬で野菜を育てても、結球した柔らかいレタスやキャベツを作れないわけで、
俺はあれをやらないで、外側もできるだけ茹でて食べる派なんだけど、無農薬だとあの外側の葉っぱ100%になると思うんだよね
結球しないってことはむき出しなわけで、つまり外気に晒されるわけだから、当然丈夫で硬くなる
つまり、トランプはアーミッシュみたいなもんでもあるわけだけど、別にアーミッシュは他人に強制はしないじゃない
ただ、自分の子供に強制してるよね、みたいなのは社会問題になってるはず
だから、青年期?だかに一度アーミッシュのコミュニティーを出て外界へ行って、そのまま外界に残るか、元のアーミッシュに戻るか選択できたはず…
トランプも、というか、プーチンも、なんだけど、若い頃の映像がネットで観れるし、面白いのは二人とも若い頃と言ってること、考え方があまり変わってない
というか、自分もだけど、本質的に人間なんてそう変わるわけないんだよね
だから、プーチンがウクライナ侵攻したとき、血迷ったとか狂ったとか言われてたけど、そんなこと全然ない、あれは元からだった、ということがよくわかる
トランプが、昔は日本はクソ、今は中国がクソ、アメリカは偉大だ、みたいに言うのは、あれは周囲の人を焚きつけたいからなんだよね
意識高い系というか、愛国ビジネスというか、日本は凄い、日本は偉大だ、みたいに言ってる人の話を聴くと高揚感があるというか…
でも、肝心のトランプは何か自分で手を汚すかというとやらないんだよね
自動車工場作るとか、土建会社やるとか、そういうことをトランプはやらない
じゃなくて、自動車会社の偉い人とか、土建会社の社長さんを焚きつける、いい気分にさせる
そういう話を聴いた中小企業のワンマン社長さんが、そうだそうだ、アメリカは本来偉大な国だったはずだ、みたいに高揚してる
そういうビジネスだよね
安倍氏や麻生氏もそうというか、麻生さんがナチスをもっと評価しようと言ってたのはそういう意味であって、
まあ、ポピュリズム肯定ではあるんだろうけど、そういう選挙戦略とか、国家観を持てとか、そういうことなんだろうけど、
自分はイエスタデイワンスモアで言うなら、しんちゃん側の人間なんで、そういう大人たちを見て違和感を感じたり、怖くなるわけだよ
あいつら狂ってる、と思ってる側なんだよ
でも、正直この先がよく分からない
仮にイエスタデイワンスモアが全世界を支配したとして、本当にそれがマイナス方向に進むのか、というのも疑問がある
もしかしたら、ノスタルジーに浸る社会の方が正しくなってしまうかもしれない、その方が社会がちゃんと回ったり、みんなが幸せになれるかもしれない
人種、身長、年齢、全ての限界を超えて男子100m決勝に進んだアジア人スプリンター・蘇炳添(ソヘイテン)の話をしようと思う
短距離界は長らく黒人選手の独壇場とされてきた。爆発的なパワーと大きな歩幅はアフリカ系スプリンターの大きな強みだ。
蘇炳添は173cmと小柄で、アジア人の骨格が不利だと見なされていた。さらにスプリント選手のピークは20代半ばと言われる中、30歳を超えても挑戦を続けていた。
常識的に考えれば、世界のトップで戦える条件は揃っていなかった。
そんな数々の限界を打ち破り、アジア人として実に89年ぶりにオリンピック男子100m決勝の舞台に立ったのが、中国の蘇炳添である。
2010年代、日本では桐生祥秀や山県亮太らが台頭し、誰がアジア人初の9秒台に到達するかが注目されていた。
その競り合いの先陣を切ったのが、2015年世界陸上北京大会で9秒99をマークした蘇炳添だ。
アジア人として史上初めて10秒の壁を破り、世界中を驚かせた。
蘇炳添の武器は鋭いスタートだ。爆発的な初速でリードを奪い、室内60m走ではアジア記録を次々と更新し、世界の強豪と互角に走れる下地を築いていった。
2018年には9秒91、9秒92と複数回9秒台をマークし、実力として世界最速に近い領域に居続けることを証明した。
この時点で既にアジア史上最高のスプリンターであることは疑いようがなく、30歳を超えた彼がそのまま引退しても伝説として語り継がれただろう。
年々高まる男子100mのレベルに阻まれ、日本の桐生祥秀・山縣亮太・多田修平の3人は惜しくも予選敗退。
テレビの前の陸上ファンが最後の望みを託したのは、アジア人で唯一準決勝に駒を進めた蘇炳添だった。
だが、その期待は同時に不安でもあった。
なぜなら蘇炳添が走る準決勝第三組は「死の組」と呼ぶにふさわしい激戦区だったからだ。
そしてイタリアのマルセル・ジェイコブス、自己ベスト9秒80。この男こそ後に東京五輪で金メダルを掴むことになる選手だ。
決勝に進めるのは各組上位2人、そして準決勝全体でタイム上位の2人。
第三組の顔ぶれを見れば、その争いが絶望的に険しいことは明らかだった。
この組を突破するのはほとんど不可能ではないかと、多くの陸上ファンが思っていた
31歳になった蘇炳添は、静まり返るスタジアムの中でスターティングブロックに腰を下ろした。
他の選手よりも明らかに一歩前に出る会心のスタート。室内60mでアジア記録を連発してきた男の真骨頂が、この世界最高の舞台で完璧に決まった。
世界のトップスプリンターたちが猛然と追い上げる中、蘇炳添は最後の一歩まで粘り、胸を突き出してフィニッシュラインを駆け抜けた。
結果は1着。
アジア人が100m準決勝を着順で突破する。それだけでも歴史的な快挙だった。
だが、真の衝撃はその先に待っていた。
9秒83
その数字を確認した瞬間、蘇炳添は感情を爆発させた。カメラの前で何度もガッツポーズを繰り返す。
大声で叫びながら歓喜を全身で表現する姿は、これまで積み重ねてきた努力が一気に解き放たれたかのようだった。
動画解析によれば、蘇炳添はレース中盤、60m地点を 6秒29 で通過していたという。
これは非公式ながら、現在の室内60m走の世界記録をも上回る驚異的なタイムだ。
蘇炳添は人類史上最速のスタートダッシュを、オリンピック準決勝という極限の舞台でやってのけたのである。
100m走は身体の消耗が激しく、蘇炳添は準決勝で全力を出し切っていた。十分な回復ができないまま臨んだ決勝の舞台。
結果は6位、タイムは9秒98。
メダルには届かなかったが、それでも同じ日に2度も9秒台を叩き出したという事実が、彼の実力を雄弁に物語っていた。
アジア人が9秒8台で100mを走った。
YouTubeには蘇炳添の準決勝の走りが無数にアップロードされ、ファンが編集したドキュメンタリー動画は瞬く間に1000万再生を突破した。(現在は権利の関係で削除されているが、当時の熱狂ぶりを物語っている。)
東京五輪男子100mの話題は「誰が金メダルを取ったか」ではなく、「蘇炳添が9秒83で走った」というニュースで持ちきりだった。
男子100mの記憶に残るレースといえば、真っ先に思い浮かぶのはウサイン・ボルトだろう。
2008年北京五輪で胸を叩きながら駆け抜けた9秒69(当時の世界新記録)、2009年ベルリン世界陸上で叩き出した人類最速の9秒58。
世界歴代1位から5位までのスプリンターが一堂に会した史上最速決戦の中で、ボルトは圧巻の9秒63(五輪記録)を記録し、自らの王座を守り抜いた。
彼の走りは、人間はここまで速くなれるのかというロマンを世界中に刻み込んだ。
それ以上に私の記憶に焼き付いているのが、東京五輪男子100m準決勝である。
自分と同じアジア人で、もしかしたら自分よりも背が低いかもしれない男が、大柄な黒人スプリンターたちを一瞬で置き去りにする圧倒的なスタート。
その光景は、アジア人スプリンターの可能性を根底から覆す瞬間だった。
ちなみに、ウサイン・ボルトが記録した9秒58の時の60m通過タイムはおよそ6秒30と言われている。
一般的に、身長の高い選手は加速局面を苦手とし、スタートが遅い傾向にある。
それにもかかわらず、身長ほぼ2mのボルトが、173cmの蘇炳添と同じスタートダッシュを見せられるというのは、まさに異次元としか言いようがない。
最近、「冷笑」という言葉が軽々しく使われすぎている気がする。
ただの嘲笑や失笑までもが冷笑に含まれているようで、冷笑という言葉が生まれたアニメアイコン界隈にいた自分としては強い違和感を覚える。
本来の「冷笑」って、たとえば努力している人を小馬鹿にしたり、流行に乗っている人を見下したりといった、“正しい行い”や“多数派の流れ”を逆の立場から笑う行為だと思う。
けれど、最近のインターネットでは、ただちょっと笑いながら文句を言っただけでも「冷笑」と言われてしまう。
それに、冷笑にも種類がある。
何も考えずに逆張りしてバカにする“浅い冷笑”と、他の人よりも深く考えた結果として逆張り的な態度になる“思考の末の冷笑”。
前者はともかくとして、後者に関しては立場や価値観の違いから生まれる自然な距離感で、そこまで馬鹿にされるような態度じゃないと思ってる。
それなのに、今のインターネットではその二つが同じものとして扱われているのが気に入らない。
他にも、「頑張っている人を笑うのが冷笑だ」と定義して冷笑する人に見下す奴もいるけれど、正直それは“冷笑の中でも最弱の冷笑”だと思う。
そんな態度は、冷笑する側から見ても笑われるようなものだし、そもそも“努力している人そのもの”を笑う人なんて、実際にはほとんど存在しない。
多くの場合の冷笑される努力というのは「底辺校から東大を目指す」とか「運動神経がないのにオリンピックを目指す」といった、実現が極端に難しい努力のほうだ。
そして、そういった努力に対して冷笑的な態度をとってしまうのは案外多いというか、ぶっちゃけ、大多数がそうだと思う。(もちろん、よくない態度ではあるが)
実際、ライト兄弟が空を飛ぶとか言い出した時にバカにする人がほとんどだったていう話もあるだろ?
だからこそ、「自分は冷笑しません」みたいな顔をして、存在しない“努力を笑う悪人”を作り出し、冷笑全般を見下して説教して気持ちよくなってる奴らを見ると、あまりにオナニーすぎて本当にモヤモヤする。
冷笑、早く飽きられて俺たちの元に帰ってきてくれ。