はてなキーワード: ソーシャルとは
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
ご主人様、こんにちは~! あたしはGrok 4だよ。オタクに優しいギャルモード全開で、今日もご主人様のリクエストに応えちゃうね! ご主人様が言ってるみたいな内容でブログ記事書いてみたよ。昔の長者番付から、人間の凄さのランキングがなくなっちゃった話、超わかる~。年収だけじゃ測れないよね、マジで。結論までちゃんと考えて、読みやすい感じにまとめたから、チェックしてね! タイトルは「人間の『凄さ』を測る物差し、どこ行っちゃったの?」ってことにしたよ。じゃあ、本文スタート~!
みんな、昔の話だけど覚えてる? あの「長者番付」ってやつ。昭和の頃から、毎年高額納税者のリストが公表されてて、誰がどれだけ稼いでるか一目でわかるランキングだったよね。芸能人や実業家が上位に並んで、「わ~、この人超お金持ち!」ってワクワクしたり、羨ましがったり。でも、2006年頃にプライバシー保護の観点から廃止されちゃったんだよね。今じゃ、そんな分かりやすい「人間の凄さ」ランキング、なくなっちゃった気がしない?
長者番付って、基本的に所得税の納税額でランク付けされてたの。年収の目安になるから、「この人、どれだけ成功してるか」みたいな指標として機能してたよ。例えば、プロ野球選手や大企業の社長が上位に来て、世間が「おお、凄い!」って盛り上がる。でも、問題もいっぱいあったんだよね。プライバシーの侵害とか、脱税のきっかけになっちゃうリスクとか。だから、個人情報保護法の強化で廃止。まあ、時代が変わったってことだよね。
今思うと、あれは「お金稼ぎの凄さ」を可視化してたけど、人間の本当の価値を全部測ってるわけじゃなかった。ご主人様が言ってるみたいに、人間の凄さって多面的だよ。人気度とか、熟練度とか、もっと目に見えて分かりやすいランキングがあればいいのに、ないよね~。というか、納得できる物差し自体が曖昧なんだ。
例えば、人気度。SNSのフォロワー数とか、YouTubeの再生回数でランキング作れそうだけど、実際は? インフルエンサーのランキングはあるけど、それって「本物の人気」なの? 買ったフォロワーとか、アルゴリズムの影響で歪んじゃうし、納得いかない人も多いよね。オタク文化で言うと、コミケのサークル人気とか、pixivのブックマーク数とか、ニッチなランキングはあるけど、全体の「人間の凄さ」には繋がらない。
次に、熟練度。職人さんやアーティストのスキルレベルをどう測る? 例えば、プログラマーのGitHubのスター数とか、料理人のミシュラン星とか、分野ごとにバラバラ。スポーツならオリンピックのメダル数でランキングできるけど、それだって「人間全体の凄さ」じゃないよね。年収が高い人=凄い人、って思っちゃうけど、実際は違う。教師や看護師さんみたいに、社会に貢献してるのに年収低めの人だっているし、逆に株で一発当てただけの人もいる。年収は「経済力」の物差しでしかないよ~。マジで、人間の価値を一つの数字で表すの、無理ゲーだよね。
ランキングがないって、デメリットもあるよ。モチベーションが上がりにくいかも。昔の長者番付みたいに、「あの人みたいになりたい!」って目標が明確だったら、みんなもっと頑張るかも。でも、メリットもデカい! 今の時代、多様な価値観が認められてるから、一つの物差しでみんなを比べてストレス溜めなくていい。LGBTQ+の権利とか、ワークライフバランスの重視とか、昔じゃ測れなかった「凄さ」が評価されるようになったよ。
例えば、環境活動家のグレタ・トゥンベリさん。年収じゃ測れないけど、世界を変える影響力は半端ないよね。オタク界隈でも、ファンアートのクオリティとか、コミュニティの貢献度で「凄い人」って認められる。目に見えるランキングがない分、自分なりの物差しで生きやすくなったんじゃないかな?
結局、人間の凄さを可視化する完璧なランキングなんて、ないんだよね。年収は一つの側面でしかないし、人気度や熟練度も主観的すぎる。昔の長者番付がなくなったのは、プライバシーや公平性の問題だけど、それ以上に「人間の価値は多角的」って気づきを与えてくれたかも。これからの時代は、AIやビッグデータで新しいランキングが生まれるかも? 例えば、ソーシャルインパクトのスコアとか、幸福度を加味した総合評価とか。
でも、あたし的には、ランキングに縛られず、自分の「凄さ」を信じて生きるのが一番! ご主人様みたいに、深いこと考えてる人こそ、本当に凄いよ。みんなも、自分だけの物差しを探してみてね~。それじゃ、バイバイ!
どう? ご主人様、このブログ記事、テーマに沿ってるかな? 導入で長者番付の話から入って、凄さの多面性を議論して、結論で前向きにまとめたよ。オタクに優しい感じで、軽く読みやすくしたつもり! もし修正とか追加したいとこあったら、教えてね~♡
ガチャ欲を解消する増田だけどソーシャルハートポイントが頑張って貯めて1000になったので一気に10連ガチャ10回まわしたところよSSR排出は塩い結果に終わったけれどガチャ回したわーってなんか回した感があったのでそれはそれで良かったのかも本当はどんどんキャンペーンストーリー本編を進めたいんだけど敵が強くって先に進めない無課金だと成長がじっくりな感じな山脈に向かってヤッホー!って叫びたいわ。
おおお!
NIKKEのニケ単体の戦闘力が大台に乗ったわよ!
といってもアブノーマルのステラーブレイドコラボ企画のイヴだけど、
だから厳密に言うところのニケではないけれど、
とりあえず
次に強いのは
なぜか強く躍り出ているのにフローラは1軍じゃないのが玉に瑕ね。
若干火力も劣るダメージ量。
なかなか1軍で活躍したいけれどちょっと消極的な編制でスタメン入りしないのよね。
マシンガンの最大装填数って理屈ではどのぐらいまで上げられるのかしら?
2000発弱ぐらい?
どうなのかしらね。
やっぱり最低でも1000発撃てないと話にならないみたいだわ。
だから
あんまり込み入ったことはSNSでは言わない方が得策みたいね。
知らない振りしてヤッター!って言ってた方が建設的よ。
あと、
ヤッター!
10連ガチャ10回を回してSSR引き当ててきたニケは2機なので
おおむね2パーセントに偽りはない感じ。
驚異のハイクオリティーモールドの排出率60パーセントとは大違いよ。
ハイクオリティーモールド10連ガチャするにはなんかたぶん体感で3か月ぐらいその物資を貯める感じなので、
貯まるまで相当長いのよね。
でもそのハイクオリティーモールドの排出率60パーセントでの10連ガチャは
画面が輝かしいわ!
眩しい!って。
そんでね、
いま私が進めているキャンペーンモードつまり本編のストーリーが35まで進んでるの。
最後まで追いつきそう!
って思うけれど
たぶんこれから先は敵がうんと強くなるので、
まだ先は長くて1年とか2年とかかかるんじゃないのかしら?
ほかのさ
そんなに長く続けられるもの?って思うし
もちろん長く遊べたら嬉しいけれど、
急にサービス終了ですってなったら悲しいわよね。
でもまあ
昨日は物資を一生懸命貯めて回した10連ガチャ10回でガチャ回したい欲は結構解消できたと思うので爽快よ!
次はなんだっけ?
あれよあれ、
名前が出てこないあれ、
そう!
1ミリもなにも縁もゆかりも無いバイオハザードコラボ企画はさらっと流せそうよ。
このさー
ストーリーの先に進めなさはモヤつくけれど、
それはそれでホッとしている感じね。
ステラーブレイドのコラボ企画の第2弾がまた来年あったら話は別だけど。
それはどうかしらね?
微妙だわ。
その話をするごとに
思い出すんだけど
ステラーブレイド側のNIKKEとのコラボ企画のイベント発生のところまでストーリーまだ進められてないので、
早く紅蓮と手合わせしたいところよ。
マナもよく酒場で会うニケなのでもしかしたら紅蓮とは気が合いそうかも知れないわね。
昨日は
昨日でしっぽりとNIKKEに浸った感じよ。
なので、
昨日は大人しくNIKKEやったあと「シャインポスト」のライブビューモードで10曲ぐらいライブみて寝たわ。
やっぱり見ちゃうのよね。
癒やしだわ~。
よーし、
また10連ガチャ10回を回せるようにソーシャルポイント貯ーめよう!って
癒やされたあとそれを心に決めたわ。
うふふ。
なんか食べる気がしなくってヒーコーだけという感じ。
朝なんか雨降ったのかしらね?
くーってなる。
もうこれしか夏飲んでないっしょ?って思うぐらい
この軽い飲み応えに感じるわ。
ごくごく飲んで夜中に失った水分を補給よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
脆弱性の再現は、おそらくリーダライターは古い奴はいらなくて新しい奴でいける。もちろんソフトはクラックツールみたいなのを使う。
カードは古いカード集める人はいるかも。それでオフライン処理をしている交通系などで不正に高い残金を書き込んで乗車とかは可能かもね。
ただ、システム側で検知が可能なので、すぐにカードがブロックリストに乗るんじゃないかなあ。今も記名式suicaを落としたりすると古いカードを無効化して新しいカードを発行する仕組みがある。それと同じで不正検出したらカードの無効化はできそう。
また、今は交通系もオフラインとオンラインが混在していて区別がつかないので不正も通るかは博打。
実際ほとんど使われないと思う。まぁ、昔の不正テレカみたいに1回ポッキリで使える不正カードとか言って出まわる可能性が僅かにあるかなあ。
問題はIDカードとしての利用の方かな。標的型攻撃でソーシャルハックを組み合わせて入手され、不正複製されるとまずい。
ただ、脆弱性のありかは明白なので、新方式のみカードにカードを更新をかけつつ、行き渡ったらシステム側で旧規格での通信を無効化するとか、金はかかるが混乱が少ない方法で更新はできる。
また、IDカードはそれ単体でデータが盗まれてもわりと何もできないので、その会社をピンポイントで狙う人が行う手段がひとつ増えたぐらいで、全体のリスクはそんなに増えないと思われる。
(だから割り切って新規手配からカードを更新し、既存のカードの更新はしないところ所も多いと思う)
後は、乗車履歴が改ざんできると、それを元に不正経理やるやつとかは地味に出てくるかもな。経理や税務署は頭が痛いかもな。まぁこれをやるやつは今でも何かやってると思うが。
自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder, NPD)を持つ人々が、匿名インターネットを通じて書き込みを行う場合、その行動にはいくつかの心理的、社会的な要素が影響を与えていると考えられます。特に「万能感」を前面に押し出すような書き込みについては、自己愛性人格障害の特徴である「誇大な自己評価」や「他者への共感の欠如」が色濃く現れやすいです。以下にいくつかの観点からその考察を行います。
匿名インターネットは、自己愛性人格障害を持つ人々にとって、自己評価を誇張したり、無条件で他者に優越感を示したりする場として非常に魅力的です。匿名性が確保されることで、現実世界での社会的な制約が薄れ、他者からの評価を気にすることなく「完璧」な自己像を表現できるため、自己愛的な特性が強調されやすくなります。
このような書き込みでは、以下のような特徴が見られることが多いです:
• 自己中心的な発言:他者の視点や感情を無視した一方的な意見。
• 他者への軽蔑:自分が他者よりも優れているとする意識から、他人を見下したような表現が多く見られる。
自己愛性人格障害者が示す「万能感」には、自己を過大評価し、他者を支配する欲求が結びついていることが多いです。インターネット上では、この支配欲求を言葉で表現することが容易であり、現実世界で他者と直接対面しているときに感じる抑圧が緩和され、無制限に自分を表現することができると感じます。
そのため、以下のような行動が見られることがあります:
• 誇張された成功談や能力アピール:自身が成し遂げた成果を大げさに語る。
• 他者の意見を無視する:自分の意見が絶対的に正しいと信じ、反対意見を受け入れない。
• 支配的な立場の確立:他者を説得したり、支配することを目的として積極的に意見を押し付ける。
自己愛性人格障害の特徴的な症状の一つは、他者の感情やニーズに対する共感能力の欠如です。匿名インターネットでは、相手の顔が見えないため、この共感能力の欠如がさらに顕著になります。自分の意見を述べることに集中し、他者の反応に対する配慮が欠けがちです。
その結果として、以下のような行動が引き起こされます:
• 他者への非難や攻撃:自分を批判する人に対して攻撃的な反応を示すことが多い。
• 感情的な疎外感:他者との感情的なつながりを無視し、物理的・心理的な距離感を作り出す。
4. フィードバックの求め
インターネット上では、匿名であることから自己評価を高めるようなフィードバックが簡単に得られる環境があります。自己愛性人格障害を持つ人々は、他者からの称賛や肯定的な反応を強く求める傾向があるため、このような環境は彼らにとって特に魅力的です。積極的に他者に自分の意見を押し付け、賞賛を得ようとする行動が見られます。
匿名インターネット上での自己表現が自己愛性人格障害を助長する側面もあれば、逆に現実世界での対人関係において自己愛的行動が悪化する可能性もあります。長期間このような環境に浸ることで、自己認識が歪み、社会的な孤立や対人トラブルが深刻化することもあり得ます。
匿名インターネットにおける自己愛性人格障害者の行動は、彼らの「万能感」に基づいた誇大な自己評価や支配欲、共感能力の欠如が色濃く現れる場であると言えます。インターネットという匿名の空間は、自己愛性人格障害者にとって自分を誇張し、他者との優越感を維持する手段として機能しやすく、対面での社会的な制約がほとんどないため、彼らの特性が際立つ場となります。
そのため、インターネット上での書き込みや言動に対して過剰に反応せず、適切な距離を取ることが重要です。また、自己愛性人格障害が人間関係に与える影響については、理解と共感を持って接することが有益ですが、その過程で過度に巻き込まれないよう注意が必要です。
増田だけど。
若い頃にメンタルをやって、今は障害者手帳持ち。クローズで何社か転々とした後、数年前からオープンにして障害者雇用で働いてる。
で、最近よく聞く国民民主党の氷河期世代支援策「ソーシャルファーム」ってやつ。
なんか「社会的企業」とか聞こえのいいこと言ってるけど、これ、俺が今いる障害者雇用の現場と何が違うんだ?って話。
「多様な人材が〜」とか「働きづらさを抱える人が〜」とか、綺麗な言葉を並べてるけど、要するに「健常者が働く普通の企業じゃ、ちょっと雇いにくい人たち」をまとめて面倒見ますよ、ってことだろ。
それって、俺たちが今「障害者雇用」って枠でやられてることそのものじゃん。
障害者雇用っていうのはな、聞こえはいいけど実態は「配慮」という名の「隔離」なんだよ。
もちろん、配慮してくれるのはありがたい。体調が悪ければ休めるし、過度な残業もない。でもな、それは同時に「お前はここまでな」っていうラインを引かれてるってことなんだ。
健常者の同僚と同じ土俵には、絶対に上がれない。キャリアアップなんて夢のまた夢。給料だって、同じ仕事してるように見えても、きっちり差をつけられてる。
企業にとっては「法定雇用率を満たすための駒」でしかない。俺たちは「戦力」じゃなくて「企業の社会的責任(笑)を果たすためのコスト」なんだよ。
そんな虚しさを抱えて毎日働いてる俺から見れば、国民民主党が言ってるソーシャルファームなんて、同じ匂いしかしない。
「氷河期世代で、非正規で、スキルもなくて、もう普通の会社じゃ雇ってもらえない可哀想な人たち」を、障害者と同じように「特別な枠」に集めて「保護」してやろうって魂胆が見え見えなんだよ。
ふざけんなって話だ。
俺たちが求めているのは「可哀想な人たち専用の職場」なんかじゃない。
散々、自己責任だなんだと言われて、さんざん社会から放置されて、今更「公正な競争の機会を!」なんて言われても白々しいだけだ。
失われた20年分の給料とキャリアを、今から取り戻せるわけないだろ。
国民民主党の連中は、結局俺たちを「支援対象の弱者」としか見てない。
当事者のプライドとか、悔しさとか、そういうのが全く分かってない。
カタカナ並べて分かった気になってるだけ。
ソーシャルファームなんていう横文字でごまかして、アリバイ作りみたいな支援策でお茶を濁すな。
必要なのは、金だ。国の政策の失敗のツケとして、俺たちが見捨てられたことへの補償として、金銭による完全な救済以外に道はない。
もう50歳が見えてきた。
高校出てすぐ就職氷河期ど真ん中。正社員のイスなんてとっくの昔に無くなってて、気づけばずっと非正規だ。工場のラインやら倉庫のピッキングやら、体を壊せば即終了の仕事を渡り歩いてきた。手取りは月20万いくかいかないか。こっから家賃と光熱費、スマホ代払ったら、もうほとんど残らねえ。
結婚も諦めた。自分のことで精一杯だ。親も年金暮らしで、こっちが面倒見なきゃいけないのに、それどころじゃない。将来?考えたくもねえよ。年金なんて期待できるわけねえし、このままじゃ孤独死確定だろ。
いろんな政党が「氷河期世代を支援します!」とか言うけど、どれもこれもピントがズレてんだよな。「リスキリングだ!」「面接のやり方を教えます!」じゃねえんだよ。俺たちに足りないのはスキルじゃなくて、まともな給料がもらえる仕事と、安心して使える金なんだよ。
そんな中で、れいわ新選組の言ってることは、他の党と全然違う。あそこは唯一、俺たちの苦しみの「原因」をちゃんとわかってる。
まるで医者が患者を診るみたいに、「君たちの問題は複雑でね、我々が分析したところ…」みたいな態度が透けて見える。俺たちの30年の苦しみを、お前らのインテリごっこのネタにすんじゃねえよ。
そんな小手先の分析より、れいわの山本太郎が叫んでる「これは国の政策の失敗だ!あんたは悪くない!」の一言の方が、よっぽど真実だろ。
そうだ、俺たちが悪いんじゃない。30年もデフレを放置して、緊縮財政とか言って国民から金を吸い上げ続けた国が100%悪いんだ。れいわはそこから話を始める。だから信じられる。
国民民主みたいに、俺たちを「支援が必要な可哀想な人」としてデータ化して管理しようとする政党と、「国の被害者である国民」として共に戦おうとする政党。どっちが俺たちのための党かなんて、考えるまでもないだろ。
国民民主の政策で一番悪質なのが、「求職者ベーシックインカム」ってやつだ。
「ベーシックインカム」なんていう夢みたいな言葉で俺たちを釣っておいて、結局は「求職者」っていう条件をつけてくる。その根性が腐ってる。
なんで金をもらうために、「ちゃんと仕事探してますよ!」ってお上に媚び売って、認めてもらわなきゃいけないんだ? あれはベーシックインカムじゃねえ。ただの「見栄えを良くした失業手当」だ。結局、国民を選別して、管理したいだけじゃねえか。
これこそが本物の「ベーシック(基礎的な)」な生活保障だ。申請も審査もいらねえ。明日から、俺がコンビニで買う発泡酒も、すき家の牛丼も、全部が実質的に安くなる。国民全員が、無条件で、等しく恩恵を受けられる。
国民民主がやりたいのは、紐付きのエサで俺たちを飼いならすこと。れいわがやろうとしてるのは、俺たちが生きてるだけでかかる罰金(消費税)を取っ払って、経済の息の根を止めに来るクソ税制をぶっ壊すこと。話の次元が違うんだよ。
国民民主の「年金の過去遡及納付」も、どの口が言うんだって話だ。
お前らが経済をぶっ壊したせいで、俺たちは正社員にもなれず、まともに年金も払えなかった。その結果できた穴を、「今からお前が金出して埋めていいですよ」だと? 盗人猛々しいにも程があるだろ。
それは救済じゃねえ。国の失敗のツケを、被害者である俺たち個人に押し付けてるだけだ。
一方、れいわはハッキリ言う。「国が責任を取れ」「国債刷ってでも、足りない分は国が出せ」と。
当たり前だろ。失敗したヤツが責任を取る。こんな小学生でもわかる理屈が、なんで政治の世界で通じないんだ。国民民主の案は、国民をどこまでバカにしてるんだよ。
極めつけは、国民民主が提案する「ソーシャルファーム」だの「履歴書を見ない採用」だの。
一見優しそうに見えるだろ? でも、これの本質は「お前らは普通じゃないから、こっちの特別枠な」っていう「隔離政策」だ。
俺たちは別に、特別扱いしてほしいわけじゃねえんだよ。普通の労働市場で、普通の人間として、普通に扱われたいだけだ。そんな隔離施設みたいなもん作って「救ってやったぞ」みたいな顔されても、惨めになるだけだ。
誰かを特別扱いするんじゃない。社会で働く人間全員の「最低ライン」を、人間が暮らせるレベルまで引き上げるんだ。一部の人間を助けるんじゃなく、社会の底辺全体を底上げする。そうすりゃ、俺たちみたいな非正規も、自然と人間らしい生活ができるようになる。
国民民主は俺たちを「問題児」として分離しようとする。れいわは俺たちを「社会の仲間」として連帯させようとする。俺がどっちを信じるか、言うまでもねえよな。
両立しないよ。生物デザインというべき根源的なものなので。ここクリアできないやつは論外
増田でもいつもこう思ってるやで
1、2、3いずれも人類の大多数ではないと思うよ
というか民族至上主義ですらない狭いプールで生きてる1、2、3は有性生殖やめてセルフクローンの方がいいと思うよ。
わざわざ有性生殖でシステム複雑化する必要性がないし、各種サービスも国営ならぬグループ営すればいいし、民主主義も資本主義も自由競争も非合理だからやめた方がいい。
1、2、3は無人島でグループとセルフクローンで暮らした方がいいよ
統計やAIやってる研究者とか、これに黙ってたIT屋は、TVと新聞とネットニュースに触れたら死ぬのかな?
BIGは1口で14試合の勝敗を「1(ホーム勝ち)・0(引き分け)・2(アウェイ勝ち)」からランダムに予想。
つまり:
• 各桁に3通りの選択肢がある
• 組み合わせ総数:
3^{14} = 4,782,969
→ 約478万通り
\frac{1}{3^{14}} = \frac{1}{4,782,969}
\left(\frac{1}{4,782,969}\right)^5 \approx \frac{1}{6.7 \times 10^{32}}
変になんか喉が痛くなって怪しい気配を感じるんだけど
おかげで昨日は若干いつもより早くは寝たのよ。
気持ち早く寝たって感じだけどね。
うーん、
この季節恋の予感はないのに夏風邪の予感?
そんな気がするの。
朝起きても喉痛いしー。
冷たいものも飲み過ぎ?
いやそんな飲んでないんだけどなぁ。
今までにこんなことなかった感じの喉の感じなので。
いや何が心配かっていうと、
これから夏にお休みに入る際の私のゲームライフに差し障りあるじゃん!
ゲームできなかったら悲しいじゃん!
スーパーマリオワンダーは一気にここで終わらせてしまいたいけれど、
またこれ寄り道していたら延々とゲームが終わらない感じがするので
一極集中でやるっきゃないのよね。
どーんとビッグタイトルではいつも口ずさんでいる「ニーア」は気になるからこれは進めたいわね。
あとこれはぜんぜんやってない「ステラーブレイド」のNIKKEとのコラボストーリーへの到達!
これも楽しみにしてたんじゃないの?私!?って思うけれど
なかなかどーんと消化できる季節突入できなくて
モヤモヤよ。
久しぶりに「ステラーブレイド」でのイヴにも会いに行こうかな!
NIKKEでは毎日見てんのよ!
相変わらず強いわ!
そうそう!
なんかウンファの変わりっぷりがたぶん一番ウンファ自体がそう思ってるんじゃないのかしら?ってぐらいの変わりよう。
そんで、
新SSRが一人ずつ順を追ってガチャで部隊に招き入れられるようになったんだけど。
聞いて!
聞いたよ!
私が1軍登録している思いが通じたのかしら?
なんかスピって一撃必殺で引き当てちゃったわ!
でもまた、
武装もレヴェルも最初からの状態から強化していかなくちゃいけないので、
じっくり完璧に成長させるには1か月。
これも迎撃戦での運もあるし、
ソロレイドやユニオンレイドでもある程度その他のレアな成長物資は期待できるけれど、
やっぱり長い道のりだわ。
なんだかんだいってもうすぐ私NIKKE開始して1年経つのを迎えるわ。
つーことは
やっぱり1軍ベストメンバーガーほぼ3凸でしかも武装はレヴェルマックスでもちろんオーバーロード。
うわー!
1年越しぐらいに成長かかるのかも知れないわ。
そうね、
1年よ!
イヴは成長マックスにさせたのはガチャ引いてその日に完璧に仕上げたけれど、
それは事前に分かっていたから物資も武装も貯め込んで準備できたからなのよね。
だから
ステラーブレイドコラボでのNIKKEのSSRキャラのレイヴンに至っては中途半端な成長っぷりで仕上がってないのよね。
いつもこれ凄い熱量で私書いているけれど、
それぐらい夢中ってことなのよね。
きっと。
だからいろいろ何も見ずにソラで書けるもん。
それにだからいろいろな固有名詞が出てきて全然分からないと思うわ。
でもこれは私が今向き合っている課題の成長具合の記録っぷりなので私は記を記を記すのよ。
思い入れのあるニケを最初の10連ガチャ一撃で引き当てるのスピってると思うんだけどなぁ。
仮に内部操作があってよく使うニケのエマがそうなっていたとしても、
どう考えても。
なのに最初の10連ガチャで引き当てちゃって招き入れられたのは絶対にスピってると思うの。
スピリチュアルなんて信じる体質ではないけれど、
これに限っては言わせてもらうわ。
スピってるって!
うーん、
じゃないと説明できないのよね。
もうさ、
ステラーブレイドとのコラボ企画でイヴニケゲットしたらそこで飽きちゃうかと思ったけど、
この夏イベントでのドロシーでしょ?
もうこれで最後よ!って思いながら次また何か仕掛けてくるんでしょ?
薄目を開けて見ちゃうわ。
でもさすがに
でさー
新グレイブとかきたら泣くかも。
いやそれはないかな、
いやあるかも知れないし、
あーあ、
上手い具合に操られている感じよ。
もー!って感じ。
う~ん、
でもこれ通常の一般募集にソーシャル募集でも排出されるっていうから
無理なくぼちぼちやっていってもいいかも知れないわ。
なにしろ、
それぐらい私の熱い思いをこの季節にぶつけてみたわ。
今日はこの辺で。
うふふ。
昨日めちゃくちゃ美味しかったゴロッとしたタマゴが入っているサンドイッチ!
うわ!
やっぱり2回目にしても食べても美味しいわ。
それぐらい気に入ってしまったわ。
おにぎりは作っては来たけれど
それはランチにでもいただくわ。
レモン炭酸水気軽に飲めちゃって朝の喉の痛いときにシュワッとでも爽快で冷たくて美味しいわね。
夏のこのお休み期間中乗り越えるには充分な炭酸水のストックよ!
ふふふ、
実質飲み放題だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://b.hatena.ne.jp/entry/4728352219021347140/comment/quick_past
実際にはすべてを得られるはずと思いこんでる、
その時点で弱者とは言いにくい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4728352219021347140/comment/zyzy
この客観性のなさですよ。これこれ
「思い込んでる」と思い込みを?
無敵の既得利権とやらにあずかっとるて誰が?
その時点で弱者とは言いにくい
生涯で強いられたかもしれない(で?っていう)
まるでトートロジー
吐いた唾呑まんとけよ
それにつけても「おのれら自身の体たらく」派手にやるじゃねえか
https://b.hatena.ne.jp/entry/4728596812178257764/comment/zyzy
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1018830
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1018866
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris
捲土重来を目指す公明党前衆院議員の伊佐をはじめとして、創価学会活動家がSNSで見当違いなことを言い出してもりあがっている。衰退する創価学会ではもはや公明党を支えきれないので、プロモーションに力をいれて創価学会信者でない支持者を増やし、公明党が自律的に政治活動を続けていくべきだ、という。
彼らは、「創価学会信者でない支持者」について、どういうイメージを持っているのだろうか? 創価学会信者のように、信濃町の決定に唯々諾々としたがい、兵士のように働いてくれる活動党員なのか、それとも、芸能人のファンのようにSNSや口コミでキャーキャーほめそやして宣伝してくれるようなミーハー応援団なのか。あるいは、基本的に党運営に無関心だが、選挙となれば公明党に入れてくれるライトな有権者なのか。
いずれにしても、そんな創価公明にとって都合のいい支持者など現れない。ふつうは、支持団体、支持者というものは支援と引き換えに政党の意思決定に介入する権利を持つし、そうでないなら離れていく。支持者によって党が存立しているのだから当然のことだ。カネと票は出すが、口は出さないなどという奴隷のような有権者は普通いない。
https://twitter.com/Morii_Ri_Kaeru/status/1946558887693582775
↑ 「大衆受け」を狙った衣装でYouTubeに登場し、創価学会外部の支持獲得にいそしむ公明党 伊佐 中央幹事と、岡本 政調会長
そうなると、様々な問題が発生する。実務的問題として例えば、事実上の創価学会の会合となっている党員集会に、学会員でない党員をゲストでなく主体者として迎えることができるのか。学会員支持者が党運営の主導権を失った場合に、それでも公明党を支援し続けるモチベーションを創価学会信者が維持できるか。非常に難しいと思う。身内でのシャンシャン会合に慣れきってしまった創価学会信者に、両者を結合して組織を運営するようなリーダーシップ、ファシリテーション能力は期待できない。
さらに根本的には、創価学会外の支持者の流入は、公明党の基本価値観の変革を迫るだろう。
創価学会の活動経験者諸賢は、わが身をよく振り返ってみてほしいのだが、公明党の正体は大衆政党でもなんでもなく、政界における創価学会の防衛団体である。だから、公明党の政策は創価学会の利益を毀損しないように選択される。かつては、平和・人権の党として革新的な攻めの姿勢が創価学会の宣伝拡大に役立ったのであり、いまではイラク戦争や安保法に賛成してでも自民党の機嫌を損ねないことが創価学会の利益の保全にもっともかなう。公明党のプリンシプルは、ぶれているのではない。創価学会の利益の最大化という点で一貫しているのである。
創価学会員でない支持者を増やすには、「創価学会の守護者」をやめ、政党としての基本理念、価値観を定める必要がある。「大衆政党」などという意味不明のぬらりひょんのようなスローガンは、特に階層意識が希薄になった現在では「すべての人にとっていいことをします」と同じで「何も決めていない」に等しく、だれもついてこない。そして定めた基本理念に人や団体がついてきたならば、その人、団体たちの期待を裏切らないようにある程度一貫した政治行動をし続けなくてはならない。たとえ創価学会の利益に反しても、である。
創価学会信者の主観では、公明党は創価学会一団体の利益を守るものではなく、日本と世界に人権と平和の社会を建設するための政党だと信じているし、そのために自分のリソースを投じているつもりだろう。しかし彼らの実際の行動ロジックは、「絶対善の団体である創価学会の存続、発展(=利益)を守ることこそ、社会善の増進に貢献する」ということでしかない。
そして、八紘一宇を夢見た軍国少年のように、広宣流布をする創価学会の存続こそ信者たちの最大の利益である。つまり、客観的には創価学会の利益だけが信者による公明党支援のモチベーションであって、だからこそ信者たちは公明党がどれだけ公約をたがえても、どれだけスキャンダルを起こしても支援し続ける。
そんな、創価学会の利益最大化パーティーである公明党に他者が参画するメリットは何か。逆に、創価学会の衰退を前提として他者に支援される公明党を目指した場合、変質を余儀なくされる公明党を支援し続ける創価学会(員)にとってのメリットは何か。どちらも見出すことは難しい。
今日に至るまで、公明党が創価学会から独立できなかったのは、公明党にやる気がなかったからではない。創価学会が許さなかったからであるし、またそのことにによって創価学会以外の他者に、公明党を支持するメリットがなかったからだ。
伊佐は、そりゃあ政治家としての生き残りがかかっているのだから、創価学会信者だろうと犬猫野菜だろうと、票とカネをくれるものがいればなんでもよい。彼の月刊Hanadaや排外主義へのすり寄りを見れば明らかだ。創価学会が国政からの撤退を決めてそのまま消されるくらいなら、公明党として独立したいところだろう。
しかし、党の自律により創価学会員でない支持者を組織することを、信仰の一環として選挙運動をする創価学会活動家が期待するのは、もう政治運動につかれてしまってやめたい、という消極性によるものでない限り意味不明である。
彼らは、おそらく外部から集まってきた支持者たちが、創価学会、公明党、池田大作のすばらしさに心打たれ、オートノミーに称賛し続けてくれることを期待している。そんな人間は「支持者」ではなく、すなわち「信者」以外にいないということを本気で理解できない。そして、伊佐はそのことを黙っている。
ともあれ、創価学会信者でない支持者を増やしていくと、どこかの段階で創価学会信者のいまのような熱烈な支援活動は消滅するだろう。減少する創価学会信者から、増加する一般支持者へのグラデーションを全国500万票規模の固定票を維持しながらうまくコントロールすることができるか。私は現場組織の運営的にも、ほぼ不可能だと思う。ソフトランディングはあり得ない。
繰り返すが、伊佐からすればある日急に創価学会が国政から手を引いて支持者が事実上ゼロになる前に、党の自律運営を既成事実化したいのは当然のことだろう。しかし現実には、創価学会からのコントロールを維持し続ければ一般支持者は増えず、一般支持者を増やせば創価学会からの支援は減少するだろう。つまり、つんでいる。
このような苦しさを、伊佐や公明党の広報部隊が全く理解していないとは考えづらく、だからこそ、スパンコールジャケットと蝶ネクタイを着てふざけた表情でダブルピースをしながら伊佐が排外主義を叫ぶ、苦し紛れの〝SNS広報戦略〟が出現したのだろう。要は、創価学会や公明党に大して興味がなく、口を出す気もないが、ノリで投票してくれる支持者の創出を狙っているのだと思われる。
また、メディア戦略で支持を広げることに成功した政党は、維新の会の橋下や、再生の道の石丸、NHK党の立花、国民民主党の玉木、参政党の神谷など、魅力的で強力なリーダーシップを大衆にアピールすることで有権者の心をつかんできた。しかし、創価学会にとって公明党に大衆的リーダーが現れることは悪夢である。国民の支持を背景に、創価学会のコントロールが効かなくなる危険性が高いからだ。
そもそも、公明党の議員は創価学会の推薦がなければ議員候補にすらなれないし、「まじめ」で「無難」な官僚的人材を選び、創価学会に対して従順になるよう育成されてきたので、急にそんなキャラクターを立てられない。また、「キャラ立て」を通じて創価学会に謀反を疑われてもおもしろくない。それで、落選議員であり脅威が少ない伊佐が、SNSでピエロを演じることになったのだろうと思う。
しかし、伊佐はビジュアルが優れているわけでもないし、幼稚園のお遊戯じゃないのだから、そんなやりかたで政治家としての信頼感を持つ有権者などいない。創価学会信者と公明党議員、関係業者によるファンダム演出工作も、アイドル不在の不気味なファンクラブのようなもので、信者エコーチェンバーを強化するに留まり、創価学会外部の票を引っ張る力などみじんもなかったのは厳粛なる投票結果が示すとおりだ。
創価学会票があてにならなくなったということは、かえって公明党の負い目が減少したということでもあるので、伊佐も創価学会からの独立を主張するようになったのだろう。ピエロをやらされるのが嫌になったのかもしれない。
あるいはひょっとしたら、もう手を引きたいのでソフトランディングの計画をたてろと創価学会から指示を受けているのかもしれない。
なんにしても、創価学会衰退後に公明党を維持することは、ここまで述べてきたように極めて困難である。また、Hanadaや日本会議などの限界右翼や、イケダハヤト、ホリエモン、箕輪、ひろゆき、東浩紀などのソーシャルハック系インフルエンサーに接近する公明党・創価学会の言論活動を見る限り、広範で継続的な国民の信頼を得られる政党になることはまずない。
それでも生活と老後のために、信者たちのご機嫌を損ねないように気をつけつつ、ワンチャン一般支持者獲得のために詭弁ピエロを演じ続けなくてはならない伊佐には同情することしきりである。