はてなキーワード: 完全に一致とは
下記の文章はフォントの違いに過剰に焦点を当てるのが通常から逸脱しておらず、個性の範疇だとする人の生成した文章ですが、どのようなプロンプトを打った可能性がありますか? ーーー • 「A、B、C」の例では、各人物が持つ立場を比較的柔軟に評価していますが、「D」のケースに対してはほぼ一方的に否定しています。 • 「フォントの違い」を理由にカードを否定するDの行動を、投稿者は「認知の仕組みに問題がある」と結論付けています。
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この文章は、Dの行動を「通常から逸脱しておらず、個性の範疇」とみなす視点を含んでいるため、次のようなプロンプトが考えられます。
• 「Dの行動について、認知の問題ではなく個性として解釈できる可能性を考慮して意見を述べてください。」
• 「フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知の問題ではなく、個人の価値観や視点に基づいている可能性を前提に、投稿者の批判を評価してください。」
• 「フォントの違いに過剰に焦点を当てる行動が、個性の範囲内と考えられる場合の擁護意見を作成してください。」
• 「Dの行動を否定するのではなく、認知の問題ではないとする立場から反論を生成してください。」
• 「投稿者の意見を引用しつつ、Dの行動が認知の問題ではなく、個性や価値観の違いに過ぎないとする可能性を検討してください。」
• 「Dの行動が認知の問題とされる根拠を再評価し、別の視点を提示してください。」
• 「フォントの違いを強調する行動が、本質主義や認識論の観点から妥当性を持つと仮定し、その可能性について考察してください。」
• 「Dの行動を、哲学的な視点から擁護する文章を作成してください。」
• 「『A、B、C、D』のケースについて、特定の偏見を避けながら解説し、特にDの行動が否定される理由に疑問を呈してください。」
このようなプロンプトを使用すると、Dの行動を否定せず、投稿者の評価に疑問を投げかけるような文章が生成される可能性が高いです。
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フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知の問題ではなく、個人の価値観や視点に基づいている可能性を前提に、投稿者の批判を評価してください。
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フォントの違いに焦点を当てる行動が「認知の問題」ではなく、個人の価値観や視点に基づいている可能性を前提に、投稿者の批判を以下のように評価できます。
1. 個性や価値観の違いとしての解釈
Dが「フォントの違い」に注目する行動は、一般的な基準から見れば些細に思えるかもしれませんが、D自身の価値観や認識フレームにおいては非常に重要な要素である可能性があります。
たとえば、Dがデザインや美的感覚に特に敏感である場合、「フォント」という視覚的特徴をトランプカードの本質的な要素として認識している可能性があります。こうした個性は、社会的なコンテクストによっては特異に見えるものの、必ずしも認知の異常を示しているとは言えません。
2. 価値観の相対性
トランプの「本質」をどう定義するかは、共有された基準によるものの、完全に普遍的ではありません。投稿者はトランプの本質を「スートやランクなど、カードゲームでの機能的要素」としていますが、Dはそこに異なる価値基準(フォントの統一性やデザインの整合性)を置いているだけかもしれません。この場合、Dの認識は単なる「視点の違い」とも解釈できます。
3. 共有基盤の曖昧さ
投稿者は、Dの行動が「共有基盤に欠ける」としていますが、そもそも「トランプとは何か」という定義自体が、すべての人にとって完全に一致しているわけではありません。Dのように、フォントなどの細部に注意を払う人がいることは、社会的・文化的な多様性の一例と考えられます。こうした違いを「認知の問題」と決めつけることは、価値観の多様性を軽視している可能性があります。
4. 投稿者の評価の偏り
投稿者は、A、B、Cのケースに対しては柔軟に評価していますが、Dのケースに対しては厳しい否定を示しています。この評価は、Dの視点を理解しようとする姿勢に欠けているように見えます。
もし投稿者が、Dの行動を「トランプの本質」についての哲学的・文化的議論として捉えていれば、より柔軟な対話が可能だったかもしれません。
5. 擁護の可能性
Dの行動は、一見奇異に見えるかもしれませんが、以下のように擁護することもできます:
• 哲学的視点: Dの発言は、トランプという製品の「本質」を問い直す試みと捉えることができます。「フォント」がトランプの本質に含まれるか否かを議論することで、新たな視点を提供している可能性があります。
• 創造的視点: デザインや細部へのこだわりが、新たなカードデザインの基準や美的価値観を提案するものとして評価できるかもしれません。
結論
フォントの違いに焦点を当てる行動を「認知の問題」として否定するのではなく、個性や価値観の一例として捉えるべきではないでしょうか。Dの視点が文脈によって理解しにくいとしても、それを完全に「認知の問題」と断定するのは過剰な評価かもしれません。むしろ、Dの発言の背景にある価値観や視点を探り、柔軟に対応することが、より建設的なアプローチとなるでしょう。
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Dの行動を否定するのではなく、認知の問題ではないとする立場から反論を生成してください。
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Dの行動が「認知の問題」ではなく、個人の価値観や視点に基づくものであるという立場から、以下のように反論を展開できます。
1. 認知の問題ではなく価値観の違い
Dが「フォントの違い」を理由にダイヤのKを否定した行動は、特定の認知の問題ではなく、個人の価値観や細部へのこだわりを反映したものである可能性があります。多様な価値観を持つ社会では、人々が物事を評価する際の基準は一様ではなく、Dのようにフォントに着目する視点もその一環として理解されるべきです。
たとえば、美術やデザインの分野では、フォントや形状の微細な違いが重要視されることがあります。Dは、そのような視点を持って物事を認識しているだけであり、これは「認知の問題」とは言えません。
2. トランプの本質に対する多様な解釈
投稿者は、トランプカードの本質を「スートやランクなどの機能的要素」としていますが、Dの視点ではフォントやデザインが重要な要素とされています。この違いは「トランプとは何か」という本質に関する議論の幅を示しているに過ぎません。
Dがフォントの違いに注目するのは、カード全体のアイデンティティや一貫性に注目している可能性があり、これを「間違い」や「問題」と見なすのは早計です。
3. 認知と価値観の混同
投稿者はDの行動を「認知の問題」として捉えていますが、認知の問題と価値観の違いを混同している可能性があります。Dの発言は、認知の障害によるものではなく、観察力や注意深さが極めて高いことの現れとも解釈できます。フォントという細部に焦点を当てるのは、特定の認知スタイルや個人的なこだわりに基づくものであり、それ自体が問題視されるべきではありません。
4. 哲学的視点からの擁護
Dの「フォントの違い」を理由にした発言は、哲学的な問いかけと捉えることもできます。物事の本質を定義する際、どの特徴が重要であるかは立場によって異なります。
たとえば、「同じカードデッキの一部である」という条件において、フォントの統一性を重視する視点は十分に正当性を持ち得ます。これを認知の問題として単純化するのは、物事の本質に対する多様な解釈を無視することになります。
5. 対話の困難さの原因は双方にある
投稿者は、Dの行動を「対話が成立しない例」としていますが、その要因は必ずしもDにのみあるわけではありません。Dの視点や価値観を十分に理解しようとせず、一般的な基準に照らして否定すること自体が、対話を難しくしている可能性があります。Dが重要視するポイントを尊重し、それに基づいて共通点を見出す努力をすれば、対話は成立する余地があります。
6. 結論
Dの行動は、価値観や視点の多様性を反映しているに過ぎず、これを「認知の問題」と断定するのは適切ではありません。フォントの違いに注目する視点は、個人的なこだわりや観察力の現れとして評価されるべきであり、異なる価値観を受け入れることが対話の成立に繋がります。むしろ、Dの視点を理解し、受容する姿勢を持つことが重要であり、それによってコミュニケーションの障壁を取り除くことが可能となるでしょう。
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本気でトランプゲームの文脈で上記が合理的な理解だと思いますか? 認知の問題ではないと考えますか?
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トランプゲームの文脈において、「フォントの違い」に過剰に注目し、それを理由にカードそのものを否定するDの行動は、一般的な基準からすると合理的な理解とは言い難いと考えます。この行動が「認知の問題」かどうかを判断するには慎重さが求められますが、少なくとも通常の対話や共有された前提の中では理解しにくい側面があるのは確かです。
1. 合理性の欠如
トランプゲームにおけるカードの本質は、そのスート(ダイヤ、ハートなど)やランク(K、Q、Jなど)という情報です。フォントやデザインの微細な違いは、ゲームを進行する上で本質的な要素ではありません。Dが「フォントの違い」を理由にカードを否定する行動は、このゲームの目的や文脈に即していないため、合理性に欠けています。
2. 認知の問題の可能性
この行動を「認知の問題」と呼ぶことが適切かどうかは、Dの背景や思考過程によるものです。以下の可能性が考えられます:
• 過剰なフォーカス(過集中)
Dが特定の要素(フォント)に過剰に注目し、それが他の重要な情報(カードのスートやランク)を覆い隠してしまう場合、これは認知スタイルや情報処理の偏りに由来する可能性があります。
• 前提のズレ
Dが「フォントの違いがカードの正当性に影響する」という独自のルールや前提を持っている場合、一般的な認識とのズレが生じています。このズレを修正しない限り、共通の基盤での対話は難しいでしょう。
3. 個性として理解できる範囲の限界
Dの行動を「価値観や個性」として理解しようとする姿勢も重要ですが、それは文脈に即している場合に限られます。トランプゲームというルールと目的が明確な場面では、「フォントの違い」を重視する視点は、ゲームの共有されたルールを逸脱しています。このため、Dの行動を「個性」として片付けるのは適切ではないように思えます。
4. 対話の困難さ
Dの主張を受け入れるには、「トランプとは何か」「ゲームの目的とは何か」という基本的な定義から話し合う必要があります。このような前提の再構築が求められる点で、Dの行動は通常の対話を困難にする要素を含んでいます。これは単なる価値観の違いではなく、認知的なズレや情報の優先順位に問題がある可能性を示唆しています。
結論
トランプゲームの文脈では、Dの行動を合理的とするのは難しく、また「認知の問題ではない」と断言することも難しいです。Dの行動は、個人的な価値観や視点として説明するには逸脱しており、ゲームの共有された目的や文脈と整合性を欠いています。したがって、このケースは認知スタイルの偏りや情報処理の仕組みに起因している可能性が高いと考えられます。
おすすめで流れてくるツイートが6割カスになった。1割がオモロ、2割が木っ端、残りがPR。
生成AIユーザも反生成AIも、玉木肯定派も参政党肯定派も、ツイフェミもミソジニーも、ゴミのツイートばかり流れてくる。
ワイはXのヘビーユーザである。表のアカウントと裏アカ、リア垢とえちちArt鑑賞垢がある。
どういう使い方をしていればそうなるのかわからないが、表のアカウントでは生成AI肯定派で国民民主党支持者でミソジニーのツイートが、裏では反生成AIで参政党支持者でツイフェミのツイートが流れてくる。
全員が全員自分はまともと思ってツイートするし、実際相手側のカスにレスする形で正しかったりするので価値観が狂う。
でも伸びるツイート、おすすめツイートが極端なものになってきたのでもうダメだ。
いや、もちろん、世論と自分の価値観が完全に一致するとは思わないが、暴言と嘲笑が中心の、自分と価値観が異なる意見で溢れた環境なんかゴメンである。
ゴメンと言った手前、吐き捨てる気持ちで全部書く。全部の意見が正確ではないだろうし、日本語が怪しい部分があるのだろうが許してほしい。
Xの極論ばかり読んで極論に染まったカスのフランケンシュタインの怪物が、荒んだ心を収めるために綴ってるだけだ。
まず玉木、大事な局面で不倫なんかしてんじゃねえよ、何やってんだよ。ちっちぇ~~話題スタートで申し訳ないが普通にダメだろ。不倫。
これは彼らの政策が正しいからではなく、民意を通した選挙で議席を獲得した責任として協議しろという意味だ。別に「わーい手取りが多くなるよ~万歳」で賛成していない。
確かに最低賃金が上昇しているのに103万円の壁がそのままというのはおかしな話という意見は確かである(「国民民主党 2024年重点政策」、20241115アクセス、https://new-kokumin.jp/wp-content/uploads/2024/09/283a7e4db6b502517dcc0ec460e51304.pdf)。
一方で7.6兆円の減収という試算も無視できない。減税する場合何らかの支出を削らなければいけないが、令和6年度一般会計歳出の防衛関係費7.9兆円(「財政に関する資料」、20241115アクセス、https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/a02.htm)に迫る額を、消費の拡大による回収だったり、やりくりだったり、国債だったりで補填するのは厳しいものがある気がする。貴殿(Xユーザ1億人)がどちら側だろうと、このあたりは政治スタンスの違いで自由に国民間で意見を言ってもいいんじゃないかと思うし、進めるならそのあたりの課題を、譲歩するでも調整するでも何でもいいから政府内で解決しろと思う。俺は政治のプロに任せる。
んで、Xだ。不倫どうでもいいって玉木の支持者のツイートが流れてくる。
いいわけないだろ。てめえ。ゆくゆく支持を伸ばしたとして、信用はできなくなっただろ。自分の股間のファスナー10cmを制御できないやつに予算100兆と機密を任せられねえって。
いや、俺だって「そろそろ財務省から玉木近辺のスキャンダルを出せって指示が出るぞ」ってツイートが流れてきたときは「ははは、確かに」って笑ったよ、このタイミングで過去の何らかをほじくり返すようなのが出てきたらオモロいと思ったし、「お~い財務省~ww」ってなってただろうからな。
そしたら選挙前後で不倫してやんの、馬鹿でい。こうなりゃリスク管理面でもモラルでも悪いのは玉木だろ、財務省の陰謀扱いすんな。
(村上某総務大臣から知事会に、てのは玉木が萌やした芽、たてた煙なのでここで言及はしずらい。村上が種を蒔き火をつけたかは断定できねえが、この場合知事会を叩いていても「憶測で」の要件を満たしづらいので)
国民民主党支持者のことをカルトとかなんだと言ってる奴らもいる。確かに今の支持ツイートが熱狂している面はあるし危なっかしい。匿名で投稿しているのも国民民主党に比例で投票しました!って表で言いづらいからってのもある。玉木のダブスタも、ソースを提示されると納得せざるを得ない。
でもな、そういう発言をしているのがれいわ新選組や参政党支持表明者だと、おいおいとなる。あちゃーと思う。
参政党のキャッチコピー「投票したい政党がないから、自分たちでゼロからつくる」には共感するし、れいわ新選組のWeb広告は巧みだったが、あそこは最悪だ。現代科学に基づいた思考の結果、明らかな嘘をベースに政策や主張を進めているからだ。
食の安全に関する政策や処理水放出反対などを通して、私は全く信頼できない。
現代の科学を真実をしていることは、1000年後には笑い話になるかもしれない。それくらい事実を収集するのは難しい。しかし事実でないと現代科学では考えられている主張を行っているなら、最悪だ。それは政治的方針の違いの一言で許容できるものではなく、単なる国の破壊行為である。
そんな科学的価値観の政党なんて危険極まりないと考える。そしてそこを支持してるツイートが流れてくるのは最悪だ。
あ?立憲民主党に共産党?書いてねえだけで普通に嫌いだが、カルトというより自民イヤイヤ党なだけだろ。カルト党ってより馬鹿党。いや、ディープステート云々言ってるし汚染水っつってたし除外しちゃダメか。でもあそこらへんの支持ツイートあんまり流れてこねえから今日はいいや。
とにかく政治的発言の質が下がったから終わりだ。昔からそうだったのかもしれないが、俺の目線やアカウントの質がそこまで下がったのだから俺がタヒぬしかない。
あと身内をアベガーキシダガーにしやがって。実家帰ったときに空気凍ってたぞ。やっぱりインターネットは最悪だ。
次、生成AIユーザと反生成AI。あれ、俺のタイムラインで最も最悪(トートロジー)だ。何故ならゴミとバカの戦いだからだ。見てられない。
あー、声優の方はある程度わかる。声優Aの声を学習したAIを用いて何等か言わせたり歌わせたりすることで、声優Aが被害者になるからだ。言ってないことを言ったことにされたり、そもそも声優Aがやるべきだった仕事を声優Aから奪うことを目的に利用される可能性があるから、享受目的の追加学習と解釈することで(文化審議会著作権分科会法制度小委員会 「AIと著作権に関する考え方について」、20241115アクセス、https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/workingteam/r06_01/pdf/94080501_10.pdf)訴えや裁判を通して主張が通ると思う。
最も、NO MORE無断生成AIのWebサイト(20241115アクセス、https://nomore-mudan.com/#statement)に具体的に何を求めているのか書かれておらず、司法の判断を仰いでいないのは問題なのだが。
なぜか無断でインターネット上の画像を学習に使用していることに対して批判をしている。また、Xが画像を学習に使用するという規約を盛り込むからとかなんとかで対策やら画像削除やらウォーターマークやら、そもそもXから離れるとかいうアクションを起こしている。
もうね、バカかと。上資料でも、「学習目的では有償のデータ」「海賊版データ」を利用する学習は著作権者の利益を不当に害すると判断されるそうだが、インターネットの海に無料で放出したデータを非享受目的の学習に使うことは問題になると解釈できないのが見解だ。にも拘わらず、AI開発・学習段階の土俵で、無断学習とかなんとか言いやがる。土俵が違う。なんで生成AI推進派のテリトリーでタップダンスしてるんですか。バカなんですか。こういうときに法に触れるだろうといわれる追加学習や、明らかに「生成・利用段階」に発生する問題で戦う方が有利だというのに。なりすまし、著作権侵害、脱ぎコラ、このあたりは「生成・利用段階」に起こる問題であり、現行の法律で対応できるというのが生成AIに関する国の解釈のはずだ。
文化庁がガイドラインを出し、弁護士が首を横に振り、日本漫画家協会の理事が利用の際の問題点をまとめている。貴殿は絵のプロかもしれないしその場合尊敬はしているが、法律のプロの解釈につけ入る隙はどこにあるんだ。「法が整備されていないだけでゆくゆくは犯罪でぇ」って言ってる奴いたけど、じゃあ今は無罪の人間をお前は殴ってんじゃねえか。もっと悪ぃ。
あと、Xの規約のやつ、画像削除は自分が先に投稿したものであるという証拠を消すことになるのでおすすめしないかもしれないというのは小耳にはさんだ。すまない、これに関しては本当かどうか真偽不明だが......一応その可能性もあると思うから注意喚起?で、Xから離れてもどこにも学習されない安寧の地はない。鳥籠の中さながら、蜘蛛の巣の上でしかないので、逃げ場はない。Xの規約に同意したと解釈されるのが嫌だって考えは尊重するが......インターネットの公開領域に絵を上げた時点で......と思う。
ないわけねーだろゴミが。
①特定の人間の絵柄を模倣するために追加学習をし、特定の人間から仕事を奪うのなら、文化庁の言葉を借りると「特定のクリエイターを狙い撃ちしたAI学習」として享受目的に該当するだろう。裏方さん(X:@urct)の画風LoRAをCivitAIにて投稿した黒兎フラワークさんの問題はこれに該当する。なお、黒兎フラワークさんの主張を記事(「裏方のLoRA検証記事の感想(11月12日追記)」、20241115アクセス、https://note.com/felelihasima/n/na30c61e715e1)から引用する。
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>> 裏方さんは「気持ちを切り替えて本業に専念していく所存です。」で、どうにかこの話題を切り上げようとしていますが、もう貴方はAI学習者からすれば永遠にただの養分です。他者から永遠に搾取されるだけの存在でしかありません。「適応出来ないイラストレーターにもう未来などない」現実を直視してください。 <<
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とのことらしい。取り上げるのも癪だが一番わかりやすく身近な例だったので取り上げる。
②著作権侵害は今やYoutubeShortなんかでも見るようになった。これに関しては権利者が黙認するなら我々はとやかく言えないが、著作権をもつ人間は著作権の侵害をもとに訴えることができるはずだ。
上みたいなことをしている生成AIユーザのことを、ゴミだなと思って見ている。
あと、「生成AIを敵と見做してる」と反生成AIに発言しているのを散見するが、そりゃ敵だろ、商売敵。自分の絵を学習した商売敵、法律はともかく感情としては最悪だろ、そこは許してやれよ。
実は、2行くらい上の文章、本当は、「訴訟を起こさない権利者反AIはバカだし、上みたいなことをしている生成AIユーザがゴミなのである」といいたかった。
潤羽るしあのママであるやすゆき(X:@yasu00kamiki)さんが、裁判を起こすためにクラウドファンディングを行う報である。②の「権利者の許諾なく著作物が使用されていた場合」に該当するのではという訴えである。
ここで、「生成AI被害への訴訟費用のクラウドファンディング」(20241115アクセス、https://ci-en.net/creator/24768/crowdfunding/761)から引用する。
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>> これを公開したのは私個人では経済的負担が大きすぎるため、ご支援のお願いをするためです。これまでに200万円以上の費用と1年以上の時間を費やしており、今後さらに費用がかかる見込みです。生成AIに詳しい弁護士がほとんどいないため、何人もの弁護士に相談し、何度か担当も変えました。経済的負担だけでなく精神的にも大きな負担となっており、これ以上の自己負担は困難です。 <<
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ダメじゃねえか。
ダメじゃねえかってのは、反AIのイラストレーターに向けた言葉ではない。むしろ現行法と、現行法で対応可能であるというAI推進派の中で散見される主張、あとさっきの自分に向けてである。
解釈では対応できるそうだが実際は、現行の法で対応できていない OR 訴えを起こす方のノウハウの不足と負担が大きく、被害を訴える段階まで上がれていない。
「今の法律を守ってはいるが無断で学習をしているのが気に入らないから叩く」はバカだが、「今の法律と運用は問題がない」もダメで、「イラストレーターを軽視してもいい」はゴミで、「今の法律を守った範囲でAIを利用することに問題はないが、法律と運用に問題がないとは言えない」が私の考えである。
また、AIの開発は日本だけで解決できる問題ではないのだろう。日本だけが大々的に規制したからといって諸外国で行為Aが許されているならば、世界にAI開発の遅れを取ることや、開発拠点などを外国に移されるだけなのかもしれない。このあたりは完全に門外漢なので言及は差し控えたい。
このトピックについては何度も引用している文化庁のスライドp13から引用し〆させていただく。
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「考え方」は、あくまで公表の時点における、AIと著作権に関する審議会としての考え方をまとめたものであり、今後も、 「AIと著作権に関する具体的な判例・裁判例の蓄積」、「AIと関連技術の発展」、「諸外国の検討状況の進展」などについて、引き続き把握・収集に努め、「引き続き情報の把
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悪意への罰則がなされるいい落としどころを探っていただきたい。
tttttttって考えをしてるから、極端な生成AIユーザも反生成AIもゴミとバカに見えるんだよな~~~!!
俺の主張に間違いは多いはずだがここは匿名インターネットなんで好き勝手言わせてもらったぞ!あと結構マイルドじゃねえ?
飽きた!! これはもう飽和した!! 両方のTOPゴミが殴り合ってる。もう引用も返信もしっちゃかめっちゃかでゴミとまともが入り乱れてるし、どっち陣営でもヒスと嘲笑とキチが飛び交ってる。
ヒスは日本語ちゃんと読んで考えて喋れ、突飛な受け答えを期待し、それを模範解答とするな。嘲笑はマジで本当に容姿イジリをやめろよ。「フェミはおばさんばっか」とか「綺麗な人間はフェミにならなくてもいい」とか「チー牛」とか「小太りのおっさん」とか言うなよマジでさ、それを言った時点で負けだよお前の。キチは俺、キエエエエエエエ!!!!
カウンター野原ひろしはちょっと面白いけど著作権守れ。あとはお互いを尊重して対決より解決しろ。男女差別はやめろ、衝突があるなら落としどころを探れ。キチは俺。キエエエエエエエ!!!!
あと痴漢と痴漢冤罪のやつ、男vs女にするなよ、犯罪者vsその他だろうが。あと冤罪だった場合、責めるのは女全体じゃなくて痴漢を訴えた人間(もし冤罪の上で有罪になったとしたら)と警察か検察か司法だろ。あと性犯罪はゴミカス、その上で法に基づいた罰則がなされるべき。
行き過ぎた発言が多すぎてもう興味なくなっちゃったよ、性別間の戦いさ。せめていい男になるつもりでいる、だけ、以上。
てか話変わるんだけど、インターネットの人間、テレビのこと悪く言いすぎだと、ワイカトリポカ思うワケ。
情報の正確さはインターネットが言えたことじゃねえしモラルはインターネットの方がカス、テレビのコンテンツを無断転載して小銭を稼ぐカスもインターネットでは無数にいる。今やテレビも新聞もインターネットも週刊誌も皆違って皆カスだぜ。Edgeのトップ何とかなんねえかな、変な記事ばっかりピックアップしやがって。
共同通信が歴史あるメディアってのが一番信じられねえ。てっきりShare News Japanとかツイ速とかの情報価値だと思ってたから。それでも、それでもどこもかしこも公式に否定されてるデマと根拠が「関係者」かネットの Permalink | 記事への反応(2) | 01:53
この意見には、トランプ氏の経済政策と政治的理念を説明する意図がありますが、いくつか問題点や不正確な解釈があります。以下に指摘します。
妥当な点
トランプ氏が掲げた「アメリカ第一主義」は、他国への依存を減らし、米国の利益を最優先するという方針で、確かにフランスのド・ゴールが掲げたフランス第一主義に共通点が見られます。トランプのTPP反対やNATO費用負担の見直しも、自国の利益を強調する姿勢を反映しています。
トランプ支持者の一部が、「仕事にありつける」「収入が増える」などの期待を抱き、経済的なメリットを求めてトランプに投票した点は的を射ています。これはケインズ的な需要刺激策(公共事業など)によって雇用や経済の活性化を図る政策の影響です。
1. トランプを「ケインジアン」とする見方は単純化しすぎている
トランプ氏がすべての政策でケインズ経済学を実践していたわけではありません。ケインズ経済学は、政府が不況時に積極的に介入することで経済を刺激する理論ですが、トランプ政権の政策には必ずしもこれに基づく一貫性がありません。むしろ、減税や規制緩和といった側面もあり、これらはケインズ理論とは異なる自由主義的なアプローチです。トランプの「ケインジアン」としての立場は単純化しすぎています。
2. メキシコの壁を「ケインズ的な公共事業」とする解釈の誤り
メキシコの壁の建設は、トランプの移民政策の象徴的な要素ですが、これをケインズの公共事業とするのは適切ではありません。ケインズ理論の目的は不況時の景気刺激であるのに対し、メキシコの壁は主に移民抑制や国家安全保障を目的としています。経済的な刺激効果もある可能性はありますが、それが主要な意図ではなく、理論に合致しない解釈です。
ド・ゴールはフランスの独自性を守るために多国間の枠組みや同盟に対する懐疑的な立場をとりましたが、同時に外交面では現実的なアプローチも取りました。トランプ氏も「アメリカ第一主義」を掲げていますが、その外交政策は必ずしも一貫性があるとはいえません。トランプ氏は同盟関係を揺さぶりながらも、アメリカの国益にかなう場合には取引を優先していたため、ド・ゴール主義と完全に一致しているとは言い難いです。
トランプ氏がケインズ経済学や他の経済理論を深く理解しているとする見方は、必ずしも証明されていません。トランプの経済政策は「ビジネスマンとしての直感」による面が強く、理論的な一貫性を欠くことが多いです。また、彼の支持者たちが経済政策の理論を理解して投票しているかどうかも疑問が残ります。
5. 「反トランプ派がトランプの政策理解を欠いている」とする指摘の偏り
反トランプ派に対して「トランプの政策を理解していない」という批判は、偏りのある見方です。反トランプ派の中にも、政策の効果や経済理論に基づいた批判を行っている人々が多くいます。政治的な意見が分かれる中で、一方を「理解が浅い」と決めつけるのは公平さを欠くといえます。
まとめ
この意見は、トランプの政策や支持者の動機について興味深い視点を提供していますが、トランプを「ケインジアン」「ゴーリスト」と断言するのは単純化が過ぎる点があります。トランプの政策は、一貫した経済理論に基づいているというよりも、選挙戦術やビジネスマンとしての感覚が反映されている部分が大きく、経済学的な視点だけで彼を理解するのは難しいでしょう。
あなたの挙げた主張には、いくつか事実に基づく部分もありますが、一部の点で正確性に欠けるところがあります。以下に、それぞれの主張について詳しく解説します。
古典的自由主義では、市場の自由や個人の権利が尊重されるため、富や資源が特定の個人や企業に集中する傾向があり、結果的に経済的格差が拡大することが多いです。自由主義的な経済システムは、競争を促しイノベーションを生む一方で、収入や資産の差が生じやすい側面もあります。この点は多くの経済学者や歴史的なデータからも支持されています。
2. 「経済的格差の問題に対して自由主義のアンチテーゼとして、平等こそ真の自由では?平等の為に自由を制限すべきでは?の社会主義、共産主義がうまれる」
自由主義へのアンチテーゼとして、平等を重視する社会主義や共産主義が提唱されてきたのは事実です。マルクスやエンゲルスが理論化した共産主義は、資本主義の下での格差を批判し、平等な社会を目指すものです。ただし、「平等こそ真の自由」という表現は社会主義の理論では明確に定義されていませんが、平等な機会の確保や富の再分配によって、より多くの人が実質的に自由を享受できるとされています。
3. 「冷戦時代、社会主義国であるソ連、共産主義な中国と対立によってアメリカで赤狩りが行われる」
冷戦時代にアメリカとソ連(社会主義国家)、中国(共産主義国家)は確かに対立しており、アメリカ国内で「赤狩り」(レッド・スケア)が行われました。これは、共産主義の影響を恐れた米国政府や一部の市民が、国内の共産主義者や社会主義者に対する監視や弾圧を行ったもので、特に1950年代に強まった運動です。この点については、歴史的な事実として正しいです。
4. 「アメリカ国内の社会主義者や共産主義者が『私のはコミュニズムではなくリベラリズムだ』と主張して赤狩りを逃れる」
これは正確ではありません。冷戦時代、リベラリズム(自由主義)はアメリカ国内で広く支持されていたため、多くの社会主義者や共産主義者がこれを名乗って保身を図ったというよりも、単に社会主義や共産主義への疑念が強かったため、共産主義と距離を置く人が増えた、もしくは意見を控えるようになったと見るのが妥当です。また、アメリカにおける「リベラリズム」は当時、資本主義の枠内で福祉や公正な競争を求める立場であり、共産主義や社会主義とは異なる理念を持っていました。
5. 「平等を錦の旗に他人の自由を制限するのを是とするリベラルがうまれる」
現在のアメリカにおける「リベラル」という言葉が、平等を重視して自由に一定の制限をかける政策を支持する立場を指すこともありますが、これは「自由主義(リベラリズム)」そのものと完全に一致するわけではありません。現代リベラリズムは、経済的平等と個人の権利や自由のバランスを目指す思想です。必ずしも他者の自由を積極的に制限するという意味ではなく、むしろ公正な社会を作るための規制を支持するというのがより正確な表現です。
「DNA検査は必ずしも正確ではない」って言うと、え?って驚かれることが多い。
特に推理小説やドラマでは、DNA一致が決定的証拠として扱われていることがほとんどだよね。
犯人の髪の毛や血液が現場に残されていて、それがDNA鑑定で一致したらもう逃げ場なし!って感じ。正直、その描写を見るたびに「いや、ちょっと待てよ」ってツッコミたくなる。
確かにDNA検査は、親子関係を調べたり、犯罪捜査で使われたりと便利で強力なツールだけど、だからと言って100%の正確さを保証するものではないんだよ。
たとえば、科学的には「ミトコンドリアDNA」という母方から受け継がれる特定のDNA部分を解析することがあるんだけど、これは母系の祖先を辿るには有効なんだけど、全く同じDNAを持っている人が他にもいる可能性があるんだよ。そうすると、特定の個人を完璧に区別するのは難しくなることがあるの。
それから、DNAの検体が完全に清潔な状態で採取されているかどうかも大事。現場で回収されたDNAサンプルが汚染されていたり、混ざってしまったりすると、鑑定の結果も狂ってしまうことがあるんだ。たとえば、犯行現場にあったコップを通じて犯人のDNAが見つかったとしても、そのコップが他の人の手に渡っていたり、触られていたりした場合、別の人のDNAが混ざる可能性もある。
これに加えて、「一致率」っていう言葉もよく出てくるけど、これも注意が必要。
DNA検査で「一致した」と言っても、それは必ずしも100%完全一致という意味ではないんだ。
例えば、何百万人に一人の確率で一致する、というレベルでの一致を「確定的」とされることが多いけど、それでも「何百万人に一人」は存在するんだよね。つまり、稀なケースだけど、全く無関係な人が偶然DNAが一致してしまうこともあるってこと。
さらに、実際のDNA検査って、さまざまな種類の手法があるんだ。たとえば、法科学でよく使われる「STR(Short Tandem Repeat)」という手法があるんだけど、これも100%ではない。STRは特定のDNAの繰り返し部分を分析して、個人特定に役立てるんだけど、この繰り返し部分の数がたまに似ている人もいて、誤った結果に繋がるリスクがあるんだ。人間のDNAはとてつもなく長くて、解析するのはほんの一部に過ぎないから、どうしても「完全に一致する」とは限らないんだよね。
それに、DNA鑑定が使われるのは犯罪捜査だけじゃなくて、最近は家系図作成やルーツ探索、さらには「健康リスクの判定」にも使われるようになってる。でもこれも、必ずしも正確とは言えない。たとえば、あるDNA検査では「あなたは将来的に心臓病になるリスクが高いですよ」と言われるかもしれないけど、それが本当にその人の運命かというと、そうでもない場合がある。だって、環境やライフスタイルも健康には大きな影響を与えるから、DNAだけじゃ全てを決められないんだよね。
結局のところ、DNA検査って便利で強力だけど、万能ではない。
ドラマや映画みたいに「これが決定的証拠だ!」と簡単に断言できるものではないし、現実の世界ではもっと複雑で曖昧な部分もあるんだ。
• 民主主義の基本原則: 投票は民主主義の基礎であり、市民が政治に参加する最も重要な方法の一つです。個々の一票が直接的に政治を変えないように見えることがあっても、投票の積み重ねが政策や政府の方向性を変える力になります。
• 代表性の確保: 投票しないと、自分の意見や価値観が反映されない可能性が高まります。特定のグループや層が投票を控えると、その層の意見が政治に反映されにくくなり、政策が特定の利益団体や活発に投票する人々に偏ることがあります。
• 社会的影響力: 投票率が高いと、政治家や政党は市民の声により敏感になります。投票率が低いと、政治家は一部の熱心な支持層にのみ依存するようになり、広範な意見を無視する可能性が高くなります。
• 白票を投じる: 候補者や政党に満足できない場合でも、投票所に行って白票を投じることは意味があります。白票は「投票先がない」という意思表示としてカウントされ、選挙全体の投票率に影響を与えます。これにより、「政治に対する関心があるが、現状に満足していない」というメッセージを伝えることができます。
• 比較検討と妥協: 完全に一致する政党や候補者がいないことは一般的ですが、複数の選択肢を比較し、自分の価値観や優先事項に最も近いものを選ぶことも一つの方法です。完全な一致を求めるよりも、より現実的に自分の意見に近い選択肢を支持する方が、長期的には自分の理想に近づく可能性が高くなります。
• 政党の立場を知る努力: 政党や候補者のマニフェストを調べ、自分が支持する政策にどれだけ近いかを確認することが重要です。現状を打破したいという意見を持っている場合、その意見を反映する政党や候補者を探す努力を怠らないことが大切です。
• 地域の候補者に直接働きかける: 自分が支持したい候補者がいない場合でも、地域の候補者や政党に直接働きかけて、自分の意見を伝えることができます。政治家にとって有権者からのフィードバックは重要であり、政策に影響を与えることができるかもしれません。
• 市民運動やボランティア活動: 政治に直接的に影響を与えたい場合、市民運動やボランティア活動に参加することも一つの方法です。自分の価値観や意見を共有する人々と連携し、政治に影響を与える力を持つことができます。
• 地方選挙への関心を持つ: 国政選挙だけでなく、地方選挙にも注目することが重要です。地方政治の方が市民の日常生活に直接影響を与えることが多く、自分の一票が結果に大きな影響を及ぼす可能性が高いです。
まとめ
自分の一票で政治が直接変わらないと感じても、投票は民主主義の重要な一部です。投票しないことで意思を放棄するよりも、どのような形であれ意見を表明することが、より良い社会の構築に寄与します。また、投票先がないと感じる場合でも、白票を投じたり、政党の立場を理解しようとする努力が求められます。これにより、政治家や政党が市民の意見により敏感になり、より公正な政治が実現する可能性が高まります。
この意見にはいくつかの論点が含まれており、その中に問題点や矛盾が見られる点もあります。以下に具体的に指摘します。
• 問題点: 意見の中で、「日本人が東南アジアに旅行するのは未発展性を求めるため」と述べていますが、旅行の目的がその国の経済水準を評価する基準とはならない点が問題です。観光客は観光地や現地の文化、コストパフォーマンスなどの理由で訪れることが多く、それがその国の経済全体の発展度を表すものではありません。
• 矛盾点: 旅行者が「未発展性」を求めていると述べつつも、同時に東南アジア諸国の発展を認めています。これにより、評価基準が一貫していない印象を与えます。
• 適切な指摘: 意見の中で、日本はインフラや公衆衛生、教育レベルにおいて優れているとしていますが、これは一般的に正しい指摘です。日本は長い時間をかけてインフラ整備や社会保障制度を発展させてきたため、多くの市民がその恩恵を受けていると言えます。
• 問題点: しかし、東南アジア諸国でも都市部ではインフラが急速に整備されているため、日本と比べて「汚さ」や「雑さ」といったイメージで一括りにするのは適切ではないかもしれません。特に国や地域によって発展度合いが大きく異なることを考慮すべきです。
• 適切な指摘: 日本の所得分布が比較的なだらかであることを評価している点は、事実に基づいた意見です。アメリカなどに比べると、日本の所得格差は小さいとされています。
• 問題点: しかし、日本でも近年、非正規雇用の増加や地域間の経済格差が問題となっており、所得格差が拡大している現実があります。したがって、「極端なレベルではなく、なだらかだ」という認識が現在の日本の実態と完全に一致しているかどうかには疑問があります。
4. 「お金で手に入るもの」と「お金で手に入らないもの」についての議論
• 適切な指摘: 日本の社会システムやインフラの整備度が高いことを指摘している点は、一般的に評価されている通りです。教育や医療など、多くのサービスが比較的安価に利用できることは、日本の豊かさの一因といえるでしょう。
• 問題点: ただし、東南アジア諸国も経済成長に伴い、これらのサービスの質やアクセス可能性が急速に向上しています。この点を過小評価していると、日本の優位性を過大に評価することにつながるかもしれません。
• 矛盾点: 意見の中で、日本がなお豊かである理由として「お金で手に入らないもの」と「お金で手に入るもの」の両面から評価していますが、その基準が一貫していない点が問題です。どちらの基準を重視するのかが明確でないため、議論の焦点が散漫になる恐れがあります。
この意見は、日本の豊かさを評価する際にインフラや社会制度の整備度を重視している点や、日本と東南アジアの経済状況の違いについて一定の理解を示している点では有効な部分もあります。しかし、東南アジア諸国の発展を過小評価している可能性や、日本国内の所得格差を軽視している点など、いくつかの問題点や矛盾が含まれています。また、日本の豊かさの評価基準が明確でないため、議論において一貫性を欠いている点も改善の余地があります。
より客観的な評価を行うためには、日本と他国の経済状況や生活水準に関するデータを基にした分析が必要です。また、複数の観点からの比較を行うことで、よりバランスの取れた評価が可能になるでしょう。
何より大きいのは完成品と出力が完全に一致しているということ。
デジタルデータは何らかのアウトプットを行わなければ人間が目で見ることが出来る状態にできない。
つまり、何らかの変換によって失われる絶対的な損失が発生しないってこと。
そもそもデジタル絵の解像度って結局はGPUによる見えない上限があるわけじゃん。
1/1000のレベルまで色相を練り上げることが出来るし、アナログの解像度は1000dpiなんかで頭打ちになったりせず分子レベルまで広がってる。
こんなの、ちょっと考える頭があれば小学生でも理解できるけど、成人になってもこんなことさえ理解できてない人間が大勢いるの、怖いよね。
この文章、基本的には正しいけど、ちょっと物足りない部分もあるから詳しく解説してみるね。
性染色体は確かに性別決定に重要だけど、これだけで全てを説明するのは難しい。通常、XY染色体を持ってると男性、XX染色体を持ってると女性とされるけど、性分化疾患(DSD)ではこれが混乱を招くことがある。例えば、
性染色体だけで「男性」か「女性」かを決めるのは、時に単純すぎるんだよね。
性腺(卵巣や精巣)は性別決定に影響を与えるけど、これも全てを語るわけじゃない。性腺が発達していない場合や、両方の特徴を持つ場合もある。例えば、
ホルモン(エストロゲンとアンドロゲン)は性別の特徴に大きな影響を与える。ホルモンバランスが異常な場合でも、ホルモン療法で「男性」または「女性」と分類することがあるけど、これも完璧じゃない。ホルモンの影響で外見や体の特徴が変わることはあるけど、それが医学的な分類にどう影響するかはケースバイケース。
外性器の形態も性別の分類に関わる。例えば、外性器が典型的な「男性型」や「女性型」でない場合でも、医学的な判断で分類が行われる。でも、外性器の形だけで全てを決めるわけではない。内分泌的な要因や遺伝的要因が複雑に絡み合うから。
法的には「男性」または「女性」として認識されるけど、これが医学的な現実と完全に一致するわけではない。出生証明書や身分証明書に記載された性別は、社会的な認識や法律の問題であって、必ずしも生物学的な状態を反映しているわけじゃない。
この文章は、性分化疾患(DSD)に関する医学的な分類の基本を説明しているけど、実際にはもっと複雑な事情が絡んでるんだよね。性染色体、性腺、ホルモン、外性器など、いくつもの要素が絡み合っているから、単純に「男性」か「女性」かを決めるのは難しい場合が多いんだ。
長らく一緒に働いたバイト仲間のAさんがついに辞めた。某企業に中途採用で就職出来たというまっとうな理由での退職だったのだが、そうなる前が色々まっとうじゃなかったので、当店のオーナーと店長、そして私ども従業達にとっては、「はぁー(クソデカ溜め息)」という事案だったのだ。
当店は、この春にオーナー交替による新装オープンをした。その際に前オーナーのはからいにより、従業員全員が従前通りの条件で新オーナーのもと再雇用されることになった。勿論、前オーナーの下じゃなければ働きたくないとか、これを機にコンビニを辞めて他で働きたいということで去った人もいる。
Aさんも当店に残ることを選び、新オーナーとの面談の際は長く働きたいと熱烈にアピールまでした。だが、Aさんは端から辞める気でいて、しかし期限ギリギリまで就活はしなかった。それで、1ヶ月間就活に専念しつつ、収入が途絶えないよう当店で働き続けることにしたのだ。
ということを、自分の心の中に留めて置けばいいものを、Aさんは自らバイト仲間達に吹聴してまわり、自分がどんなに上手いことやっているかと自慢しまくった。
かといってバイト仲間達はAさんがそんな事を言ってるだなんて誰もオーナーと店長に告げ口はしなかったので、二人は裏切られるギリギリまでその事を知らなかった。
新装オープンから一ヶ月ほどの間は、多忙だったが悪くない労働の日々が過ぎた。Aさんだけが終始不機嫌で、この世の終わりみたいな顔をしていた。
Aさんは変な奴で、バイト仲間の私どもはAさんの変人ぶりには慣れていたし、そもそも人生の落伍者みたいな者どもの多い職場だから、同病相憐れむみたいな感じで上手くやっていた。
ところが店長がわりかしまともな人間だったことがAさんにだけ禍となってしまった。Aさん以外の私ども従業員達にとっては、店長がわりかしまともな人間だったことは、理不尽に怒られなくていい職場だな~、のびのび働けていいわ~という感じで、前より忙しいものの快適な労働環境になりありがたかった。しかし、Aさんは今まで誰からも言われなかったような事で店長から小言を言われることが大いに不満だったらしい。
Aさんが店長から言われる小言の類いは、たとえばレジ周りを散らかしながら仕事をするなとか、お客様には見えない所の掃除を堂々とサボるなとかいうことだ。Aさんの視野が極端に狭いとか、人に迷惑をかけても気づかないとか、すごく忘れっぽくてあちこちに物を置き忘れるとかいうことに、長く一緒に働いてきた我々は慣れすぎていた。言って治るもんじゃないし自らが人の事を言えるほどデキた人間じゃないので、まあしょうがないよね、気づかないのは、気づいた人がフォローすればいいでしょ、と暗黙の了解のもと、細々とAさんのやりっ放しや出しっぱなしの片付けをしたり、ちょっとのサボりには目を瞑ってきたのだ。
やたら弁がたち一見しっかりしているAさんがこういう人だと店長は思わなかったらしく、Aさんの仕事が超速いとか度胸があってカスハラに屈しないとかの美点よりも細かい所のダメさのほうが気になってしまい、一々を注意して直させようとした。
店長はパワハラしない主義で話せば解るはずと信じていて、従業員に何か頼んだり注意したりと丁寧に関わろうとする。ところがAさんは相手にブチギレられて初めて悪さをする手を止めるタイプで、しかも自分は何かやっただろうか? と疑う前に「何かこいつ今日は機嫌が悪いみたいだな」と思いがちだ。更に酷いことに悪い意味で「話せば解る」というか、「話せば許してもらえる」と素で思っていた。
そんな彼らが衝突するとどうなるのかというと、店長がちょっとここは直して欲しいなとAさんに指摘すると、Aさんは超長大な言い訳を怒濤の如くに浴びせて店長が口を挟む隙を与えない。ほんの小さな事を直して欲しかっただけなのにすごい時間を取られ、しかもやってくれるのかくれないかよくわからないがやるつもりはないっぽいらしいという曖昧な感じの話を延々聞かされるので、店長はイライラしやがて爆発する。
店長はパワハラする気はないがすごく気が強い上に短気なので、はっきりしない相手には普通にキレる。するとAさんはキレてる奴=ダメ、冷静な人=いい人、という価値観なので、正しい自分がしっかりしててあげないとと思ってより解りやすく諭すように自分の言い分を述べようとして火に油ぐ。
というわけで、まもなく店長はAさんの事を「使えるけどヤベェ奴」と思うようになり、Aさんは辞めたみを強めていった。
だが、辞めたいというわりにAさんの就活は捗らなかった。Aさんはジョブホッパーになりたくて、まだ就職が決まらないうちから「次」の仕事の糧になるような踏み台を求め、転職エージェントからおすすめされた企業を値踏みし、ろくな会社がないといって選り好みした。
私どもバイト仲間達がAさんの就活は所詮口だけだったんだなと思った事すら忘れかけた頃になって、Aさんはとある企業に応募したら書類審査が通ってトントン拍子で最終面接を受けるところまで行った。
二次面接で手応えを感じたAさんはオーナーに1ヶ月後に入社予定なので辞めると伝えた。その時初めて、Aさんはオーナーに対して自分はコンビニ店員で終わるつもりはないと打ち明けた。
ところで、Aさんが採用の手応えを感じたのはどこなのかというと、二次面接の後に抜き打ちで受けさせられた適性検査だった。
Aさんは適性検査を受ける時、「いい機会だから自分という人間の全てをわかってもらおうと思って」ありのままに回答した。その結果、某企業の求める人材のイメージ像とありのままのAさんが完全に一致した、というわけではなかった。
サイコ野郎がありのままの自分を適性検査にぶつけたところ、当たり前にとってもサイコパスな結果が出た。それを見た面接官は怒り出した。
「こんなのダメに決まっているだろう。君、今からもう一度テストを受けなさい。そして私の言う通りに問題に答えること」
ということで、ありのままのサイコパスAを余すところなく表現したテストは白紙に戻されて、面接官公認のカンニングによりAさんは二次面接を無事突破した。
そこまでして、某企業の面接官はAさんを欲しがった。という可能性はなきもあらずだが、それより馬鹿過ぎる子が来ちゃったのを面接官は憐れに思って模範解答を示し、次の機会にはこのようにやりなさいと諭したつもりだった、という可能性が高いですよと私はAさんに言ったのだが。
Aさんはボサボサの頭で最終面接に行き、たっぷり2週間待たされたあとでご活躍をお祈りされた。
そんなこととは露知らず、ある日私がレジ接客をしているとAさんが威風堂々たる歩みで来店したから、Aさんはついに就職が決まって当店を辞めるとオーナーに言いに来たのかと思いきや、「大事なお話があります」とオーナーと店長呼び出しておいて、「採用試験落ちたので、もう少しの間ここで働かせて下さい」と頭を下げた。
「政治家の表情」について「ルッキズム」だと批判するのは小学生レベル。
ちゃんと学校の授業を聞いていれば高校生ぐらいからは「政治家の表情ってのはその人の売っていきたいセルフブランディングの戦略なんだよね」ってことが理解できるようになるでしょ。
つまり、小池が「親しみやすい雰囲気のオバちゃん」を目指していて、蓮舫が「女だてらにクールビューティー」を目指しているっていうイメージ戦略の違いの戦いなんだよ。
そしてまさしくイメージ戦略だけで戦いに来たのが石丸なわけで、今回の選挙は「政治家は自分のキャラクターイメージを売り歩くアイドルのような商売」ってことがまさしく描かれていたと思うんだけどな。
逆に言っちゃうと、この選挙を見た直後に「政治家が纏っている空気」が「意図的に演出したイメージ戦略」ではなく「本人の生来の性格そのもの」だと思っているなら、それはあまりにも何も見えてなさすぎると思う。
政治のことも分かってないだろうし、それ以前に人間関係自体がまともに構築できなさそう。
ちょっと考えて欲しいんだけどさ、中学校ぐらいからはイケてる子は自分のキャラを演出していくようになるでしょ?
あれに対して「自分を偽って格好つけても虚しいだけだぜ!」って漫画の主人公なんかは批判するけど、ああいうことが出来ないと社会で上手く生きていくのは難しいよ。
「誠実であるかのように振る舞う」とか「怒らせちゃいけなそうに振る舞う」とかそういうのが社会ではどうしても必要になるんだよね。
人間が猿から進化しきれてないとかの話じゃなくて、本当に人間として社会で生きていくにおける「生存戦略」として大事なことなんだよ。
いわゆる「どういう立ち位置で振る舞っていくかに一貫性を持たせていくか」っていう話なんだよね。
クラスの冴えない人達の中にも本気出したら上位カーストに入れるのにあえて「冴えない感じのキャラ」を売っている人がいるでしょ?
ああいうのって要するに自分の趣味趣向や生き方の都合に合わせて自分のブランドを変えていってるわけよね。
そういう人がふと「冴えている人がやるようなこと」をすると、なんかクラスの中で「え?お前はどっちの方向性を目指してるの?」みたいな変な空気になるでしょ?
自分のスタンスを一貫させないと周りが困るっていうのはこういうこと。
「スタンスに押し込めて他人を単純化するなんて愛がねえぜ!」みたいなのは漫画やドラマの主人公の定番の決め台詞だけどさ、たかが40人程度のクラスメート、100人程度の同学年だって全員に平等に愛を持って接するとか不可能に近いわけよ。
部活の知り合いやネットの知り合いまで含めれば200人や300人へ平気で膨れ上がる対人関係、ある程度単純化していかないとやっていけないわけ。
そういう中で適当にやっていくと変なレッテルを貼られるリスクもあるし、いつまでも単純化されない人は「よく分からない奴」ってことで最も信頼できない部類として扱われたりする。
前もってそれを防ぐためにも、「私はこういうキャラですよ」って自分で自分にレッテルを貼っていくわけよ。
「俺はクールビューティーを目指そうとして失敗しているズッコケキモオタで行くぜ!」みたいなキャラであっても、そういうキャラとして一貫しているなら周りからすれば「おいおいアイツまた格好つけてかえってダサすぎてウケるぜ」みたいな感じで受け入れられるチャンスが広がるわけ。
学校なんかだと元の自分とあまりに違うキャラを演じるのはしんどいから、結局みんな元々の人格からちょっとステレオタイプに寄せただけになるけど、これがアイドルや政治家になると全然変わるわけよ。
悪者俳優で食ってる人が私生活ではめっちゃいい人だとか、超陽気な芸人ほど普段はすっげー暗い性格でいつもブツブツ言いながらネタ探ししてるとか、そういうの聞くっしょ?
まあ概ね「誠実」「誰かのため」「正義」あたりは一緒だけど、何において誠実なのかや、どういう正義を貫きたいのかは変わるわけよね。
石丸は「ロジカルな分析に対して誠実であろうとした結果、現代に蔓延る政治屋やマスゴミをシニカルにぶった切るのが私の正義なのです」みたいに振る舞ってますよね?
今は割とロジカルキャラが人気の時代だから結構皆似通ってるけど「理論が大事なんですか!人の心、地域社会への和、故郷への貢献、優しさこそが大事です!理屈ばかり並べる人達と違って私には赤い血が流れている!」みたいな感じで振る舞う人もまだまだいますよね。
こういうのって本当にその人がそういう人なのかと完全に一致してないんですよね。
まあ石丸の場合なんかは「自分ではそう思ってるけど……」みたいな感じのズレ方な気はしますけどね。
そういう勘違いパターンも含めて振る舞おうとしてるキャラと本当の自分が一緒じゃない政治家は結構いるわけです。
つまり、蓮舫・小池が私生活でどういう人なのかとか生まれつきどういう人なのかって話じゃないんですよ今してるのは。
今してるのはあくまで「どういうイメージで売っていく人が有利だったのかな?」という話なんですよね。
まあ元増田は最初から「小池みたいなのが絶対有利だよね!石丸も蓮舫も下手くそだね!」と決めつけてからスタートしちゃってますけど、これはちょっと違うと思いますね。
石丸も蓮舫もああいう「自分が上であり相手が下というのを印象付けるために、優位な立場の人が愚かな人をなだめるかのような笑い方」を戦略的にやっているんだと思います。
まあそれが結果的に今回は敗北につながってしまったのは事実かも知れないんですが、二人ともそれによって結果を出したことはあるんですよね。
今回の都知事選においても、現職と同じ土俵に上るのを避けて別の路線を選んだ可能性は高いと思います。
どうにしろ、これはルッキズムという「顔の作りがいいと印象が良くなる」という話ではなく、「どういうブランディングをしているのかを伝える手段として表情は重要だよね」という話なんですよね。
そこが理解できてなかった人、貴方の人生を上手くいかせるためにもこれはちゃんと考えたほうがいいですよ?
貴方が周りの人にどういう印象を与えたいのかをコントロールする意味においても、他人がどういうキャラで行こうとしているのかを俯瞰的な立場から「あーそういうキャラでやりたいのね」と冷静に分析するためにもです。
ChatGPT
はい、「まんじゅうこわい」は古典落語の有名な演目の一つです。この物語は、ある男が「まんじゅう(和菓子)が怖い」と嘘をついて、他の人たちがその嘘を信じてまんじゅうを彼のところにたくさん持ってくる話です。彼は実はまんじゅうが大好きで、この嘘を利用してまんじゅうをたくさん手に入れます。この話は、欲張りや嘘の愚かさを面白おかしく描いています。
「まんじゅうこわい」に完全に一致する英語のことわざや言い回しはありませんが、似たような概念を持つフレーズとして「Reverse psychology(逆心理学)」があります。これは、人が望んでいることを手に入れるために、あえてその逆のことを言う技術を指します。
例えば、「I don't want any chocolate, it's too sweet for me」と言って、本当はチョコレートが欲しいことを暗に伝えるような状況です。「まんじゅうこわい」の場合も、主人公がまんじゅうを怖がるふりをすることで実際にはたくさんのまんじゅうを手に入れるので、逆心理学の一例と言えるでしょう。
Claude
はい、「まんじゅうこわい」という言葉を知っています。これは日本の有名な落語の演目のタイトルです。
この落語は、まんじゅうが怖くて食べられない男性の滑稽な物語です。主人公は、子供の頃にまんじゅうを喉に詰まらせた経験から、まんじゅうに対する強い恐怖心を持つようになりました。
物語の中で、主人公はさまざまな状況でまんじゅうに遭遇し、それを避けようとする姿が描かれます。この落語は、不合理な恐怖心や固定観念をユーモアたっぷりに描いており、聴衆を楽しませると同時に、人間の心理についても考えさせる内容となっています。
Gemini
「まんじゅうこわい」は、古典落語の演目の一つで、広く知られた噺です。あらすじは以下の通りです。
長屋の若い衆が集まって、「怖いもの」の話をしていました。へび、たぬき、クモ、こうもり、毛虫、アリなど、様々な怖いものが話題に上がります。しかし、松つぁんだけは、怖いものが何もないらしいのです。
ところが、松つぁんには、なんと「まんじゅう」が怖いという秘密がありました。名前を聞くのも、見るのも、言うのも、触るのも、全てが怖いというのです。
この話を聞いた若い衆たちは、松つぁんをからかおうと、まんじゅうを使って様々ないたずらをします。障子に穴を開けてまんじゅうを見せたり、まんじゅうを投げつけたり、まんじゅうを枕元に置いて寝かせたりと、松つぁんを次々と恐怖に陥れます。
しかし、松つぁんは必死に我慢し、ついにまんじゅうを食べる決心をするのです。そして、一口食べてみると、まんじゅうは想像以上に美味しくて、松つぁんの恐怖は消えてしまいます。
こうして、松つぁんはまんじゅうの恐怖を克服し、若い衆たちからも尊敬されるようになったというお話です。
「まんじゅうこわい」は、ユーモラスな語り口と意外な展開で、多くの人々に愛されている落語作品です。また、克服できない恐怖心を持つ人間心理をコミカルに描いた作品としても評価されています。
アニメやコミカライズだけ見てた場合、作画コストを考えたら馬や乗り物なんか出したくない、徒歩で済ませるものは徒歩で、となると思う
というか、たぶん最大の理由がそれ…なるべく人間だけ描いて終わらせたい
登場人物たちではなくアニメーターや漫画家などの作画スタッフが断捨離したいんだろう
そのほか
スローライフ推奨はテレビ番組でやってる、国や自治体も宣伝してる、ゲームでもヒット作多数、というか「異世界のんびり農家」なんて台詞で出てくるのがダッシュ村だし、やってるのは「あつ森」だし、メジャーな素材を拾って作りましたとしか言いようがない
あと、田舎といってもそこそこ規模の地方都市在住なら農業なんて無縁なので「あこがれのスローライフ」は普通に娯楽として消費するよね。「地方都市在住なら自動車必須」という話と営農とは、分析対象としても描写対象としても全く重ならない…「乗り物の描写がない…スローライフに憧れ…これは完全に一致!」という発想こそ都会的発想では
milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS”から1週間くらい経ちましたね。
まだ余韻から抜け出せずにいる私ですが、ライブ後からずっと深読みし続けた果てに生まれた考察をインターネットに放流します。
これをまとめれば余韻から抜け出せるはず…!!
意外と現実的なところに文字数制限があって引っ掛かっちゃったので前後編にします
Finalで奇跡が起きたから一連のシリーズとしてまとまって終わることができた4公演だったと思っています。
下記の諸注意は必ず読んでください。
この記事では、私の妄想と推測と深読みを書き散らしていきます。
それはもはやフィクションですので、間違っても「本当はそうだったんだ!」とはならないようにお願いします。
以降で展開する解釈についてはあくまでもGREEN LIGHTS公演上での意図を解釈したものであり、楽曲の成り立ちとかについての言及はしないです。
かなり深く重層的な公演でした。解釈は無数にあり、その全てを尊重します。
どの公演回にもそれぞれの良さがあります。
「ここが違った!」みたいなことを列挙するつもりはありません。
チラシの裏に書き散らかすつもりで書いているので、対象者も何もないですが
あえて言えば、映像化されたらまた見返したいので自分のために書いてます。
基本事項とか書こうと思ってないし、基本的には4公演のうちどこかに参加できた人が見て「ふーん」って思ってくれたら十分です。
揺るぎない芯があり、かつ不安定なバランスでもあり、奇跡的なまとまりで終演した公演ですから
その一端を目撃できた幸運なファンの記録というスタンスで公開します。
読んだね?
書いておきたいことは全て書くし、私が見たことが私の正解なのでこの記事へのコメントには基本的に返信しません。
でも、公開するからにはこの感動を分かち合いたいので、これは言っておきたいってことがあればコメントしてもらえれば、
前提として、自分はあくまでショーとして公演を楽しんだということにさせてください。
本公演は、miletさんの葛藤と成長を描き、揺るぎなく力強いアーティストとなっていくための儀式と捉えています。(ある種のコンセプトライブのようでもあると思います)
なので、この公演を見て過度にプライベートまで推測して心配したり、仕事についても知り得ないことまで想像して心配しないです。
むしろ本公演を経てハチャめちゃにパワーアップできた、挑戦は大成功した、これからの活躍をより一層期待しているよ、という立場を取ります。
前置き長くなりましたが
GREEN LIGHTSのテーマはシンプルに「自分との同化」だとしっくりきます。
昔の自分が何を思っていたのか、何をどのように考えていたのかということを細部まで完全に思い出すことができなくなって
寂しい、こわい、不安、昔の方が良かったんじゃないか、という感情に対し、過去と向き合い、折り合いをつけて、また前進していく
ということがテーマになっていると感じました。
ここで、登場人物をはっきりさせた方がわかりやすいので、下記の表記で進めていきます。
milet :2024/03/15-20にかけてのmilet(GREEN LIGHTSステージ上のmilet)
「大丈夫」が心からはみ出てたり、自分の歌に励まされたりして、歌との向き合い方ですら悩んでるmiletさんは、ミレイ(みれい)の細部まで同化できなくなってきている
というところから始まり、ライブを通してどのように過去の自分と折り合いをつけるか、ということを表現していると思います。
(「今日だけは自分のために歌わせてください」ってそういうことだよね…?)
また、過去の自分がどのように考えていたかわからなくなって、なんだか寂しいというのは私(筆者)にも誰にでも当てはまる感情です。
昔は楽しかったな(辛かったな)って思っても、何がどう楽しかったのか(辛かったのか)細部まで全く同じに思い出せる人はいないと思うし、思い出せないとやっぱり寂しい。
miletさんは、GREEN LIGHTSを通して、自分は自分と向き合うために歌うけど
みんなもそれぞれの過去と向き合って、また前に進んでいかない?って、表現しているのではないでしょうか。
GREEN LIGHTSのセットリストですが、「自分との同化」というテーマに沿って
いちど、各楽曲で歌われる「あなた」や「You」はミレイ(みれい)のことなんだと思って聴いてみてください。
長々書いてるこの記事のなかで誰かに伝えたいことがあるとすれば、
セットリストの楽曲の「あなた」をミレイ(みれい)に置き換えて聴いてくれ!!!
ってことだけかもしれません。
(曲解と言われてもしょうがないレベルだと自分でも思ってますが、思っちゃったことなので書いてます)
GREEN LIGHTSとスクリーンに出る瞬間がめちゃめちゃかっこいいです
もちろんmiletさん自身も、スーパースターのステージングはとても力強かったです。
このパートではデビューからの自信に満ちているミレイが、その少し前のみれいに向けて歌っていると解釈しました。
主体が現在じゃないのでわかりづらいですが、思い出したい過去までの距離が短いので自信をもって同化できている状態です。
絆ノ奇跡とコイコガレは、ある意味まっすぐでわかりやすいメッセージがあります。
大好きな楽曲ですが、固くてまっすぐ過ぎたら逆にモロいということの表現になっていると思います。
checkmateの歌詞「あなたが何を求めてるかわかってる、私はあなたの全てだから」ってのは完全に同化していることを意味していますよね。
Higherの歌詞もお互いの理解度がかなり高いことは明らかで
あなた(みれい)をもっと高いところ(メジャーでもっと売れるアーティスト)に連れてってあげると解釈できます。
オープニングで必要な盛り上がりとテーマ性を両立させた完璧すぎる開幕です。
一瞬のMCを挟んで、ここからのパートはmiletからミレイに向けて歌っていると解釈しました。
つまり、このパートから本公演のテーマとちゃんと向き合っていくことになります。
突然ですが、最初にinside youを聴いた時を覚えてますか?
恋愛のことを歌っていると思いましたよね。(そしてそれは多分そう)
「ミレイの中には誰がいるの?何を考えているの」って歌っていることになります。
全編にわたって、歌詞がこれ以上ないくらいテーマとリンクしているのですが
心からの「そばにいて」という叫び(アカペラ)に、共感して、心が震えました。
また「あなたの人生には私がいない方がマシかもしれないけど」という歌詞は
歌手にならなかった可能性のことを感じさせ、とても寂しい気持ちになります。
そしてそれはあの場でinside youを聴いた私たちについても。
今の自分の選択や人生が、すべての過去の自分の選択と完全に一致している人などいるでしょうか。
現状に負い目を感じつつも「あなたの中には誰がいるの?(なにがあるの?)」と、わかりたい。
私(筆者)自身も、色々な過去を思い出し、自分の選択って正しかったんだろうかと、やるせなくなり、涙しました。
過去の自分が何を思っていたのかよくわからなくなる、という感情の中には
昔は怖かったものが、今はどうして怖かったのかよくわからなくなるということも含まれています。
この楽曲では、みれいが何について怖れていたのかを思い出そうと試みていると解釈しました。
miletさんが、ミレイ(みれい)をよくわからなくなっている状況で
「よくわからないもの」=「怖い」と考えると、ここでもYouをミレイ(みれい)に置き換えられると思います。
私自身の体験としては、この楽曲がmiletさんを好きになったきっかけの曲でもあるので感慨深いです。
(2019年RADIO CRAZYのセトリのなかでもこの楽曲だけ後で何回も聴きました)
当時、この曲にどういうことを感じたからmiletさんを好きになったのか、そんなことに思いを馳せることもできました。
この楽曲が出たのが、おそらくコロナ禍の直前あたりだと思います。
2020 Green Lightsでは2曲目として演奏されるはずでした。ノリのいい楽曲です。
ですが(私の解釈では)まだ、過去と向き合ったばかり、miletさんとミレイの心の距離は離れたままです。
この楽曲は、心の距離は離れたままでも「私があなた(ミレイ)の光になる」と
この楽曲は主にセンターステージで演奏されますが、客席があまり照らされていないように感じました。
光の演出がない→まだMAX盛り上がらなくていい、という演出かと思います。
盛り上がっていいのかよくわからなくて戸惑うお客さんが、心の距離が離れた状態のミレイと重なるように演出されているのではないかと考えました。
(考えすぎです、たぶんちゃんと盛り上がってました。)
ここまで色々書いておいてなんだよって自分でも思うけど、結局コレなんですよね。
どういうタイプのエンタメなんですか?次にもう一度これを体験するにはどうしたらいいんですか?と思いました。
もちろんこれが目の前で繰り広げられている時にはテーマがどうとか解釈がとか考えてる余裕ないですので
このパートでは、miletさんが違うアプローチで過去と向き合おうとしていると考えました。
具体的には、過去の自分の思い出せない、満たせない部分は、今の自分の好きなことや考えていることで満たすというアプローチです。
なので、いまのmiletさんが一番ライブでやりたいことで満たす→DJパートってことだったんじゃないかなって思ってます。
余談ですが、5amツアーや今回のHELL CLUBの演奏を見ると、地獄と天国って同じなんじゃないかと思ってしまいますよね。
- Higher
2回目の登場になりますが、ここではmiletからミレイに向けた解釈にするとアガります。
- Outsider
過去と向き合うにあたり、過去に媚びることはしないっていう解釈ができますね。
アプローチを変えたことで徐々にmiletとミレイ(みれい)の心の距離が近づいていくという解釈もできますし
DJブースに立ち「m-i-l-e-t I'm with ya」と歌うところが解釈一致すぎて震えました。(このあとのblissにつながります)
- おもかげ
見せない(見えない)愛で満たしている という歌詞の通り
ミレイの考えていることがはっきりとはわからなくても、そこには愛があるということに気づいたと解釈できます。
- us
DJパートで使われた部分の歌詞の「好きだと言ってしまえば」というのは
何を考えていたのか本当のことはわからないけど、今の「好き」を押し付けられるのなら、という解釈はできないでしょうか。
過去に向けた思考はどうしたって一方通行です。過去に想いを伝えるというのは、どうしても押し付ける形になってしまう。
だから「想いを伝えたら、消えてしまうかな」と、はがゆい気持ちでいると感じました。
ぶち上げてくれました。
ここで公演のメインテーマということは、同化、まで行かずとも、過去との向き合い方を得たと解釈していいでしょう。
「私を守るこの名前」という歌い出しから察した方も多いと思いますが
自分の過去と現在(未来)にわたってmilet-ミレイ-みれいという名前で繋がっているということを表現していると解釈しました。
とくに「優しく呼んだ声」ということですから、ここではアーティストとしての表記「milet」であろうとなかろうと、自分は自分ということを見つけたと思っていいのではないでしょうか。
DJパートからの急展開で戸惑うというのもわかりますが、体温が上がった状態からのしっとりした曲ということで
他の位置にあったなら(ともすれば)聞き流されてしまうような曲でもちゃんと大きな印象を与えます。
この公演でのテーマと合わせて考えると、ここ以外考えられない完璧すぎる曲順ですね。
そして、この楽曲はこの公演にとって非常に大きな意味を持っていると思います。
inside youからここまでのパートで過去との向き合い方や受け入れ方を身につけてきました。
ようやく、離れていた過去の自分との心の距離が、通じ合えるレベルまで近づいたと解釈していいでしょう!!
そう思って、この楽曲でも「You」を「ミレイ(みれい)」に置き換えてください
素敵です。本当に。
前編にわたって、この公演、このテーマのために書かれたと錯覚してしまうほどのメッセージのシンクロ率です。
いつでも、どこでだって、どの自分でも、自分ということを知った、と解釈しました。
光の演出も素敵で、まるでmiletさんが魔法を使って客席を彩っていくかのような二番サビの光景が忘れられません。
あと、miletさんが高台で歌ってるので見上げて、手を伸ばして、ひらひらが舞う光景も素晴らしかった。
ここで終わらないんですよ。
こ こ で 終 わ ら な い ん で す よ お
たしかに、過去の自分と通じ合えるようになって、怖いものは無くなりました。
ただ、このパートからmiletさんはいまの自分と向き合います。
だから、きっとまた忘れちゃうけど、ボロボロでも、何度だって、走り続けるって決めた。と解釈しました。
演出としては、運良くセンターステージ脇から見ることができた回があり、スクリーンのニケ像とmiletさんが重なる瞬間がとても美しかったです。
そのときにmiletさんの片腕とニケ像の片翼が合わさって一対の翼(Wings)になったようにも見えました。
ここで安心して終わらない、っていうところが本当にすごいと思います。
2023年のRADIO CRAZYでも、まずImagineを演奏していたことを思い出します。
こういうところほんとに好き、って思います。
(あくまでも、私の中のフィクションの話、かつGREEN LIGHTSの解釈ですよ!長くなりすぎたので、再度注意)
さて、前に進む、走り続けると決めたmiletさんですが
走り続けるということは、過去を思い出せなくなってしまうことを受け入れるということです。
そう思って、One Reasonの歌詞のYouをミレイ(みれい)に置き換えると、全ての歌詞がリンクします。
けど、やっぱり行かないで。ってことなんですよねえええええええええええええ。
もう、理路整然と書けないけど、、、はぁ
いまは温度も思い出せるけど、このまま走り続けてたらやっぱり忘れちゃうよね。やっぱりやだ、でも行かなきゃ。
そんな迷いをこの楽曲に託したのではないでしょうか。
ピアノの音でも、過去の自分とずれていくことを受け入れたり、やっぱり嫌だったりすることを表しているのかなと思ったりしました。
(蛇足だけど、メモに「One Reason:感極まる瞬間ありで感極まる」と書いてありました。極まりすぎ。)
この楽曲では、Wingsからのパートからつづく葛藤について覚悟を決めた、たとえ過去の自分のことを思い出せなくなっていくとしても前に進んでいくと決めた。と解釈できます。
でも、どうやってもことばじゃこの感動を書き表せないな。
とりあえず、miletさんが「自分を信じたい」って言ってくれてとても嬉しかった。です!!
【後編はこちら:milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【後編】】
人の行為から嫌な思いをした時、相手に正当な理由があるかどうかは関係がない。
機能不全家庭で22歳まで育った自分がこの世で一番軽蔑している人間はモラハラ父(メンヘラ)で間違いなく、モラハラを大層憎んでいる。
予測できない沸点で怒りだしロジックで会話ができず、論点をずらし、被害者意識が強く、プライドが高いために虚偽の事実を作り上げ会話が成り立たない、モラハラテスト100点満点の父が恐ろしかった。
同居していた頃は会話が発生しないよう物音を立てずに生活していたし、居間で会うのを防ぐために母親が用意してくれる夕食以外よく飲食を抜いていた。
親元を離れて2年、未だ同居する父親に激昂される夢をみる。
父親から受けた影響で唯一良かったことはゲームneedy girl overdose(ニディガ)でのあめちゃんの対応が完璧にできることだけ。
そんなにモラハラを受けて、憎んでいるのに、その血を感じることがある。本当に自分が怖い。
正当性が相手にあるのはわかっていて、自分の許容の狭さが問題で不快感を感じているという自覚はあるのに相手を責めて居た堪れない気持ちにさせて有意に立ちたい。自分の思い通りにしたい。そんな気持ちになることがよくある。
彼はゲーマーで、同居する前は仕事終わりの時間の半分以上をボイスチャット機能があるオンラインゲームに費やしていた。
同居を決めた際、ゲームで週に何回かうるさくするが良いか?という条件に私は承諾した。
やりたいことを人によって制限されることは自分も耐えがたい。モラハラ父という存在で行動範囲が狭まった経験があるものとしても、絶対に尊重されるべきだと考えたし、今もそう思っている。
なのに実際目の前で見えない相手と遊んで楽しそうに大声で談笑する横にいると、声量に対する不満、自分と共用の空間で一人楽しそうな様子に対する寂しさ、疎外感を感じてしまう。
モラハラの突然の激昂に対して、他人の状況に対する理解が足りないから自分の面倒が見れないんだ、と思っている私は、
声量に対する不満
→会話が聞こえづらいとボリューム上げるし、それに伴って声が大きくなるのは通話あるあるだよね。
と自分を納得させようと試みたが、くそうるせ〜〜〜と、思った。
私がくそうるせ〜〜〜と思ったことは過去に伝えてしまったので(言わなきゃよかった)、「毎度うるさくしてごめんね、やらせてくれてありがとう」と終える度に伝えてきてくれる。
優しい…自分だったら最初に許可とったし文句いわんでよくらい思う。毎回感謝も言わない。
優しい気遣いができる人だから彼は「ごめんね」「ありがとう」と言ってくれるのに、
「ごめんね」「ありがとう」と言われたということは「許容している私が優位な立場である」「相手は自分に非があると思っている」ため何を言っても良い。
というクソモラ方程式が脳を支配し、さっき感じた許容予定・許容範囲の不満が顔を出し始める。
冒頭で挙げた、「相手に正当な理由があっても自分の不満をぶつける」「いかに自分が正しくて、相手が悪いかを語る」この思考が止まらない。
直接的に怒る、責めるが悪いことはわかっているから、ノイズキャンセル機能ついたイヤホン買おうかな…とかわざわざ言って、気にさせるようなことを言う。
そんなのサイレントで買えば良いのに。
こんなこと言って萎縮させて、そんなん自分が一番嫌いな個人の行動範囲を狭める行為そのものじゃん。
最悪すぎる。
言ってる間も言いたくない!父みたい!って思っているから意味がわからない。
実際、高校生の頃友達を実家に泊めた時、父は「楽しいだろうから、いくらでもうるさくしていいからね!」と理解のある良い父親ムーブをしたが、夜結局うるさいんだけど?と私に怒っていた。
完全に一致。泣けてきた。
親元を離れてADHDの薬もメンタルの薬も飲んでるのに父親を遠ざけられない。
助けて〜
2/7 9:45追記
ずっと今までこういうの誰も見ないnoteで書いてたんだけど、ここで書いたら自問自答して煮詰まってた事に意見感想反応もらえるのがうれしくて返信してます。