はてなキーワード: 国境とは
ポケモンは、もはや「不敗」ではない。
いや——勝っているように見えるだけだ。
1990年代に築かれた“神話”を、令和の今も延命し続ける。その姿は、まるで第二次大戦前のフランスが築いた「マジノ線」のようだ。
しかしドイツは、誰もが「通れない」と信じた森を抜け、フランスを電撃的に制圧した。
ポケモンもまた、「かつての勝利」を再利用することでしか戦えない。
「捕まえる・育てる・戦わせる」——それ以外の発想を、20年以上も拒絶してきた。
それでもファンは買う。任天堂は笑う。だが、その笑顔の下には確実に「亀裂」が走っている。
■“安定”という名の退廃
マジノ線の地下で兵士たちは、ワインを飲み、快適なベッドで眠ったという。
ポケモンも同じだ。
ぬるま湯のブランド戦略の中で、彼らは自己満足の夢を見ている。
AIもメタバースも創発的プレイも——全部「関係ない」と言わんばかりだ。
だが、それこそが滅びのサインだ。
ポケモンはもはや攻めない。
その姿は、もはや「戦う」でも「進化する」でもなく、
Switch世代の子どもたちは、TikTokで笑い、原神で世界を旅し、フォートナイトで創造する。
その自由な風の前に、ポケモンの世界はもはや「息苦しい箱庭」だ。
なぜか? 戦争の“形”が変わったのに、心が変われなかったからだ。
いつかふと、誰もポケモンを語らなくなる日が来る。
それは炎上でも、批判でもなく——ただの「無関心」という名の死だ。
そして殻の中で、静かに朽ちていく。
だが、その向こうに未来はなかった。
夜の帳(とばり)が下りるころ、私はいつものように革命のためのレタスを育てていました。
私の魂はインターセクショナリティの風に揺れる旗であり、指先は格差是正のためのキーボードを叩くために生まれてきたのです。
しかし、その夜、運命はリベラルアーツの教科書には載っていない方向へ急旋回しました。
彼、ネトウヨは、突然、私の家のベランダに、「保守の精神」と大書されたダンボール箱に乗って舞い降りたのです。
彼のTシャツには「真実の歴史は私のブログにある」とあり、手には「国体護持」と書かれたうちわ。
彼はまず、私が育てているレタスを見て、「おい、その緑、特アの色じゃねえか?」と、聞いてもいないのに陰謀論の序章を語り始めました。
私は即座に「家父長制の打倒!」という言葉で反撃しようとしましたが、なぜか口から出たのは「ええと、このレタス、有機栽培なんですけど、農協の未来についてどうお考えですか?」という、支離滅裂な質問でした。
彼は一瞬、「サヨクの罠か?」と警戒しましたが、農協という単語に引っかかったのか、「農協? グローバリズムの魔の手から農家を守る、真の愛国者の砦だ!」と熱弁を振るい始めたのです。
そのとき、突如として空からミント味の隕石が降ってきました。それは私たちの間の、「徴兵制の是非」に関する白熱した議論を中断させ、代わりに辺りを強烈な清涼感で満たしました。
「これは… 資本主義の爽快な破壊の予兆か!」と私は叫びました。
「いや、これは伝統的な日本の夏祭りの香りに酷似している!」と彼は反論しました。
そのミントの香りが最高潮に達したとき、彼は私に向かって、まるで憲法改正の条文を読むかのように真剣な眼差しで言いました。
そして、次の瞬間、「多様性の尊重」と「単一民族国家の神話」が、ミント味の衝突を起こしました。
そう、チューしたのです。
彼の唇は「日の丸弁当」のように素朴で力強く、私の唇は「パリ協定」のように複雑で地球規模の憂いを帯びていました。
口の中で、「ヘイトスピーチ規制の必要性」と「表現の自由の絶対性」が、奇妙なアマルガムを形成し、「国境を越えた連帯」と「排他的経済水域の死守」が、舌の上でワルツを踊りました。
チューが終わった後、私たちは共に「一体、これは何だったんだ?」という哲学的な問いを抱え、ただ立ち尽くしました。
ベランダには、レタスとダンボールと、そして「平和維持活動」と書かれた、なぜかそこに落ちていた折り鶴が残されていました。
彼は去り際に、「また会おう、赤いメガネの女!」と言い残し、ダンボールに乗って夜空に消えていきました。
私は残されたミント味の残響を味わいながら、「彼のレトリックは支離滅裂だけど、唇の水分量は民主主義のように適切だったわ…」と独りごちました。
あの日以来、私はレタスを育てるときも、デモのプラカードを作る時も、常にあのミント味を思い出します。
ネトウヨとパヨクのチューは、宇宙の法則をねじ曲げ、地球温暖化の議論を一時停止させるほどの、支離滅裂な愛の行為だったのです。
なにか「国境」とか「国籍」という概念に対して、左派は俺たち庶民とは全く違う価値観を持ってるんじゃないかと思わざるを得ないんだけど、
これは実際あるよ
リベラルと、いわゆるコスモポリタニズムとか世界市民主義とかいうやつの親和性は極めて高い
国境なんてものがあるから戦争が起きるのだ、国籍で人間の優劣が決まるなんて間違ってる、という思想が根底にあるから、国境や国籍を「軽んじても良いもの」扱いしてる
左派って、不法入国者や不法滞在者は速やかに帰国させるという当たり前の行為をあの手この手で形骸化しようとするよね
コンプライアンスという言葉が定着してずいぶん経つというのに、なぜかこの辺に関しては、黙認しろ、見て見ぬふりしろという声ばかり
なにか「国境」とか「国籍」という概念に対して、左派は俺たち庶民とは全く違う価値観を持ってるんじゃないかと思わざるを得ないんだけど、本音ではどう思ってるんだろうね
"左派って、不法入国者や不法滞在者は速やかに帰国させるという当たり前の行為をあの手この手で形骸化しようとするよね"についてClaudeに聞いてみた。
主な問題点:
過度な一般化
「左派って」と一括りにして、多様な個人や団体を単一の思考パターンに還元している
藁人形論法の要素
相手の主張を「あの手この手で形骸化しようとする」と単純化・歪曲している
実際の左派の主張は、人道的配慮、適正手続きの保障、難民認定制度の整備など、より複雑で多面的
前提の問題
「当たり前の行為」と決めつけることで、議論の余地がないかのように提示している
実際には「どのような手続きで」「どのような例外を認めるか」など、民主主義社会で議論すべき要素が多い
■国籍とか国境といったものに対する左派の感覚がどうしても理解できない
左派って、不法入国者や不法滞在者は速やかに帰国させるという当たり前の行為をあの手この手で形骸化しようとするよね
コンプライアンスという言葉が定着してずいぶん経つというのに、なぜかこの辺に関しては、黙認しろ、見て見ぬふりしろという声ばかり
なにか「国境」とか「国籍」という概念に対して、左派は俺たち庶民とは全く違う価値観を持ってるんじゃないかと思わざるを得ないんだけど、本音ではどう思ってるんだろうね
デマじゃないんだよね。ここでもそうだけど、アベノミクスマンセー派は資本は簡単に国境を超える、というのを都合よくその時々自分の都合のいい方向で使う。トリクルダウンなんて起きない。なぜなら富裕層は吸い上げた金を成長率の低い日本に投資せず、もっと利回りの良い海外に投資するから。金は国内に閉じていない。「企業は儲かっているじゃないか!」海外販売の連結ではそうかもしれないが、国内小売はどうだろうな。国内製造はひん死じゃないか?鯖江の眼鏡メーカーは?燕の食器メーカーは?瀬戸の陶磁器メーカーは?岡山のジーンズメーカーは?北海道の酪農家は?九州の漁業者は?みんな国内で閉じているところで材料は海外から調達するしかないセクターは瀕死なのでは?
「今夜の特別ゲストは、もし現代に蘇ったらこう語るであろうと仮定されたイエス・ナザレの登場です!
イエス:
「あなたがたは“アメリカ・ファースト”を叫ぶが、神の国は国境で区切られていない。
弱き者を追い出す国は、強さを誇っても内から崩れるだろう。」
会場の反応:一部拍手、一部ブーイング。
イエス:
「あなたがたは“自由市場”を神聖視しているが、自由とは搾取のことではない。
労働者を貧困に追いやりながら、役員が富を積むなら、その会社はすでに病んでいる。
経営者:「だがイエス、資本主義は努力の成果を分かち合う仕組みだ!」
イエス:「努力は賞賛される。しかし他者を踏みにじる努力は、罪と呼ばれる。」
イエス:
「あなたがたは教会を大きく建て、献金を集め、信者数を競っている。
だが私は言う。私の名で集められた金が、ホームレスのために使われぬなら、それは偶像にすぎない。
わたしは大聖堂に住まない。わたしは路上に倒れている者の傍にいる。」
会場:静まり返る。
イエス:
隣人とパンを分け、異なる者と食卓を囲むとき、真の自由が育つのだ。
アメリカの未来は、議会にあるのではなく、あなたがたの食卓にある。」
「あなたがたは言葉で互いを刺し合い、いいねの数を富のように数えている。
しかし真実は拡散されず、虚しい言葉ばかりが炎のように燃えている。
口で兄弟を罵るより、沈黙して傷ついた者の傍に座る方が尊い。」
技術は人を救うためにあるのに、あなたがたはそれを富と支配のために用いている。
AIがあなたの隣人ではない。隣にいる者こそ、神があなたに託した隣人である。」
世界中の子どもたちがマリオに熱狂し、大人たちがゼルダに夢中になる。その華やかな表舞台の裏で、任天堂が見せているのは“自由と進化を封じ込める支配国家”の姿だ。
任天堂は自らの発明を特許でがんじがらめにし、業界に高い“国境の壁”を築いてきた。十字キー、タッチ操作、二画面表示――どれも普遍的に利用できるべき技術だが、任天堂の支配下では“密輸”扱いされ、他社が使えばただちに制裁。
業界は「任天堂の許可なき発明」を試みることすらできず、まるで閉ざされた国家に生きる人民のように、自由を奪われてきた。
独裁国家がミサイルで隣国を威嚇するように、任天堂は訴訟を乱発してきた。標的となるのは大手だけでなく、力のない小規模メーカーまでもが容赦なく狙われる。
「特許侵害」という名目で撃ち込まれる訴状は、業界全体に恐怖を植え付け、挑戦を封じ込める抑止力となった。これは防衛ではなく、恫喝外交にほかならない。
北朝鮮が外からの文化を遮断するように、任天堂は“任天堂流”以外の発想を排除する。ユーザーが体験できるのは、任天堂が認めた範囲の娯楽だけ。業界全体の多様性や進化は犠牲にされ、外の世界から流れ込む新しい風は遮断され続けている。
結果、ゲーム業界は本来のポテンシャルを発揮できず、閉じた島国のように停滞を余儀なくされているのだ。
北朝鮮が“偉大なる指導者”を称えるように、任天堂もまたマリオやゼルダといった偶像を掲げ、ユーザーを信仰に近い熱狂へと導いてきた。
「任天堂こそ唯一無二」というプロパガンダはファンに深く浸透し、批判する声はかき消される。まるで国家が作り出す偶像崇拝のように、娯楽の独占は正当化されている。
歴史が示す通り、独裁国家は永遠ではない。ゲーム業界の北朝鮮たる任天堂も、いずれはその強権支配の代償を払う日が来る。
自由な発想と多様な競争を取り戻すためには、業界とユーザーが「任天堂の支配構造」を直視し、恐怖に屈せず立ち上がるしかない。
行ける.簡単に行ける.ワルシャワからバスで一本.他の都市(ルブリン・クラコフなど)からもあるけどワルシャワが一番簡単だと思う.
Flixbusのサイトからワルシャワ〜リヴィウ行きを探すだけ.
9−10月なら当日チケット買っても乗れると思う.私が乗った時は6割ぐらい埋まってた.
特にない。ワルシャワに入れるならそのままリヴィウに行ける。バスに乗るときと国境越える時ににパスポートチェックはされるが、それ以外は何も要求されなかった。
全然厳しくない。というか今までで一番緩い。出国するポーランドの管理官はめっちゃ愛想良かった。飛行機じゃないからか、持ち物検査も特にない。流石に手荷物ぐらいはみるだろうと思ったがそれすらなかった。バスに入れっぱなしのスーツケースは触られもしなかった。
0820にワルシャワ出発して1840リヴィウ着。国境越えは1時間ちょい。時差があるから実質9時間ぐらい。バスは格安バスだけど、トイレもあるしそこそこ快適。途中でルブリンに寄るので、20分の休憩あり。
携帯のアンテナは立つけど、私が買った日本人旅行者が使ういわゆる「ヨーロッパ周遊SIM」は対象外だった。ローミング料金がやたらかかると出たから実質使えない。バス内はWiFiが使えるが、バスから降りたらネットには繋がらないと思った方がいい。
リヴィウ旧市街(多分、予約したホテルのある場所)まで行けばSIMが売ってる。市役所から徒歩で20分ほど。宿に聞いて買いに行ったが、手慣れた店員が入れてくれてすんなり繋がった。1ヶ月20GBで1200円。
一旦SIMが使えるようになれば、市内の通信は他のヨーロッパや日本とほぼ同じ。遅くもないし切れることもない。
それがなぜか使えなかったんよ。ドイツで使えたのは確認したんだけど、ウクライナでは全くアンテナピクトが出なかった。ただし、動作保証外のiPad miniだったんで、iPhoneだったら動くかもしれんが、まあ楽天だしダメっしょ。
トラムがある。20分ぐらいで着く。SIMを買うまではGoogle MAPが使えないから、Wifiの使えるバス内で経路のスクショを撮り、地図をローカルにDLしておいた。
トラムはタッチ決済のクレジットカードが使えるので、乗ってタッチすればOKだが、ぶっちゃけ改札も何もないので、(ドイツ式)黙って乗っても旧市街に行けちゃうよ。
使える。というよりカードしか使わなかった。ほとんどの店でクレジットカード端末があったので、決済はヨーロッパと全く同じ。私はMasterのWISEカードを使ってたが、VISAも同じように使えると思う。
ユーロは持って行くべき。たま〜に現金のみ(博物館とか、露天商とか)がある。物価は安いので、4泊ぐらいまでなら20€をリヴィウで両替しとくと良い。ユーロ→🇺🇦フリヴニャのレートはなかなか良いので、どこで両替してもいいともう。両替商はそこらじゅうにある。
かなり良い。ワルシャワと同じくらい。なんかね、男率が低いのよこの都市・・・。戦争のせいなんだろうね。服もドイツとかと比べるとおとなしい。全体にワルシャワに似てた。夜歩いてもほとんど危険は感じないと思う。ヨーロッパの都市と同じ感じなんで、夜道もそれなりに明るいし。
安い。相当安い。といっても、日本と同じくらい。(日本安すぎなんじゃ!)ヨーロッパ旅行してて初めて安心してマックに入れたよ…。マックの価格、コンビニの価格がほぼ日本と同じ。宿はドミだと一泊1500円。おかげでのんびりできた。
マックもケンタッキーもある。もちろんちゃんとしたレストランもあるが、ビュッフェ形式のレストランがGoogleMAPで検索すると出てくるから、一人旅の私はそこで食べてた。「Buffet」で検索するとhitする。計り売りなんだけど、ボルシチやヴァレーニキ(水餃子)は必ずある。大体1200円ぐらいでお腹いっぱい。
「地球の歩き方」の最新は2019年版なので、ちょっと情報が古くなってる。私がいったところでおすすめはこちら。
・Lychakiv墓地
この戦争で亡くなった人が埋葬してある。広さにちょっとビビる。ぜひ献花を。
木曜日と金曜日のみ見学することができる。1300ごろ行くとリハが見られる。
金土日は公演してるので、いい機会だから見てみるのもいいかも。
ここのビールは日本人好みなのでおすすめ。2回試飲してしまった。
・Krakivsky Market
Flower Market
いわゆる市場。民族衣装買いたいならここが安い。ただし現金のみ。
行って良かった。サービスや雰囲気はヨーロッパなのに物価安いし。私がいた宿はいわゆるデジタルノマドっぽい人がいくつかいたが、腰落ち着けたくなる都市だと思う。
物乞いはドイツより少なかったのも意外だった。駅で子供の物乞いいたが。
戦争中ていうピリピリした感じは全くないけど、おっさんの軍服率高いし、バスや街角は女性率がかなり高いし、戦中の日本もこうだったのかな。
そう思うなら来ちゃだめ。8/20にワルシャワに無人機が飛んできたけど、当然リヴィウも射程内ってこと。何かあっても、日本国政府は何もしてくれないんじゃないかな。
すまん、今回探してない。
ヨーロッパ物価高いし、今はネットで探すのが前提なんであんまそのきにならなかった。多分あんまりないんじゃないかな、だって男少ないから需要がある気がしない。
現代の日本社会は有能なやつが能力に見合った報酬を得られる、能力と対価の交換が非常に効率的な社会になってるから、有能なやつがデモや一揆する下級側の組織に入って利益を得ることがない
なぜなら優秀なやつは稼ぐチャンスが豊富で稼ぐ手段も複数から自由に選べるから上級になりやすい
社会を変える力のある規模の組織的大規模デモや一揆は、優秀なやつが組織の下級側に燻ってる構造じゃないと起きない
優秀なやつは自力で成り上がるチャンスが一昔前に比べて爆発的に増えてるから下級で燻りづらい
一昔前は出身や学歴、人種、階級による差別が強く、優秀な人間が下層で燻る可能性が低くなく、知能が高くて優秀な下級が団結して社会変革を起こすことは可能だったが、
国境がほぼなくなり情報も海外から得られて移動の自由も保証された現代では、優秀な人間が上層に階級移動し、無能が下層に下落する社会効率が非常に高くなった。
なので社会を変えるような大規模デモは組織されない。何故なら、大規模組織を維持運営できるような有能は既に起業していたりして対価を得ることができる世の中になっているからだ。
そして無能は団結できないし、大規模組織を維持運営することはできない。無能が何百万人何千万人いても、彼らは団結できないし組織をつくることはできない。
だから自民党は下野しないし、多数決で議員が選出される議会政治で圧倒的多数の経済弱者が主導権を得ることができず、圧倒的少数の強者に主導権を渡しているのだ
みんな知らないだろうけど、パラリンピックの熱心な視聴者は「共産党」なんだ。合法的に議席を握っている、中国からインド、キューバ、ベトナムまで、もちろん少数野党のロシアやアメリカも。自由民主国のスポーツ選手がどう育成されプレイするかに興味があり、スポーツを通じた影響力行使の機会を伺うとともに、欧米資本主義国のスポーツ商業主義の行方を冷やかしの目で見ている。
だから、一挙手一投足の組織的なウォッチがつねになされ、今だとSNS等で情報が流され分析されている。国境を越えた共産党同士の交流はあるから。
「背が低い」なんてのは身体の発達不全で人を差別する言葉だ。「背が高い」なんてのは身体の省エネ性能の低さを責める差別用語だ。じゃあ性能にも発達にも関係ない肌の色ならいいか。驚くべきことにソレは予約済みの差別だ。
そも、人に対して何らかの言葉を使うことは、加害である。その人が傷付かない保証がない。唯一トートロジーのみが許されていたが、今は進次郎構文のせいで駄目になった。なぜなら小泉進次郎がトートロジーを駄目にしたからです。
文字はすべてカッター替刃の一片であり、詩はコンニャクの一太刀でしかない。しかし残酷なことに「言葉」は社会に必須だ。
よって、あまねく人間を同質にする。我々は平等で等価だ。国境にも人間にも境は無い。
我々は皆、朝四時に1パイントのケールを飲む。ロータリーエンジンで液体にする。人類は皆、裏手の川で新体操をする。職業は新進気鋭の考古学者で、ソバとピーナッツが入ったエビハチミツのグレープフルーツ煮以外を口にしない。
以下の発言を読んで、胸が熱くなった。
設置数に加え、安全性でも我々に勝る規格はない
元記事はこれ
日本経済新聞「日本発EV充電『チャデモ』を脅かすテスラ式拡大 規格統一が課題」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC110EH0R10C25A8000000/
設置数で優位、安全性でも負けない。頼もしい限りだ。
だが、どこで、誰に対して、何と比べて、の肝心な主語が煙のように消えるあたり、実に日本的である。
「設置数で優位」とは便利な言葉である。日本国内を切り出せば、確かにそれっぽい光景が広がる。長年の政策と補助の残響がネットワークを形作り、見回せば馴染みのプラグが並ぶ。ここで「優位」を宣言するのは、商店街で「うちの通りでは一番人気」と胸を張るのに似ている。世界地図を広げた瞬間に視界が変わる、という当たり前の事実は、今日も静かに棚の上に置かれたままだ。
安全は宣言ではなく、要件とデータである。各規格は安全要件を満たすべく標準化の檻に入れられ、試験と認証の水責めに遭う。そこで勝ち負けを叫ぶのは、救命胴衣の型式承認を「うちのが一番溺れにくい」と広告コピーで上書きするようなものだ。しかも、現場で利用者が体験しているのは多くの場合「安全」ではなく「動かない」であり、これは規格の貴賎より設置と保守と運用の怠惰に由来する。にもかかわらず「安全性で負けない」は実に景気が良い。比較条件は秘伝のタレ、検証データは門外不出。これでは「俺の中では最強」という居酒屋トークを越えない。
国内の歴史的経路依存で、ある規格が多い。それは否定しにくい事実だろう。だが、それを国境の外へ持ち出して「設置数で優位」と叫ぶと、途端に空気が薄くなる。現地の地図を前に「日本では多い」と熱弁しても、返ってくるのは困った笑顔である。観光地の食堂で「うちの味が世界一」と書くのは自由だが、国際展示会の壇上で同じ看板を掲げると、途端にポエムになる。
元記事の副題は「規格統一が課題」。まったくその通りだ。統一の議論に参加するなら、まず「安全」と「信頼性」と「接続性」を混ぜないことから始めたい。動作率は何割、故障時の復旧は何時間、異種規格の橋渡しはどの方式、費用は誰が負担。そういう話を地道に積み上げるのが統一への道だろう。「うちは安全」「うちは多い」と唱えるだけでは、宗派は強固になっても、ユーザーの充電は速くならない。
ユーザーが欲しいのは宗派の勝利ではなく、目的地へ着く現実である。プラグの形で殴り合う前に、動く、繋がる、直るを当たり前にしてほしい。設置数の自慢がしたいなら、世界地図を広げた上で語ればよい。安全性の優位を名乗りたいなら、要件とデータを机に置けばよい。どちらも出来ないなら、せめて「国内では強い」と正直に言えばよい。背伸びは見上げられるうちが花だが、見抜かれた瞬間からはただの痛みである。
かつてのカンボジア。ポルポト(クメール・ルージュ)は、国内で大規模な虐殺と強制労働を行い、数百万人規模56していたという。それだけにとどまらず、友好国ベトナムに対する国境地帯への挑発と越境攻撃は何度も続き、カンボジアが思い通りにならないどころか牙を向く事態をどうにかしたいと考えたベトナムはカンボジアを傀儡にするため、それらを口実にカンボジアに対する侵略戦争を開始、エリートや優秀な軍人を処刑し、少年兵だらけのカンボジアが耐えられるはずもなく、たったの2週間で首都を陥落させた。新たにカンプチア人民共和国が樹立され、学校や仏教寺院の再開、私有の復活など、ベトナム共産党らしからぬ政策で、社会は徐々に正常化へ向かった。これはカンボジア人にとって、屈辱的ではありつつも、同時に暴君からの解放でもあった。
しかし、日本を含む西側諸国と中国の同盟国はこの行為を侵攻とみなし、新政権の承認を渋ったうえ、カンボジアの国連議席はしばらくポルポト側に残された。さらにポルポトを支援し、近しい関係にあった中国は1979年に対ベトナム戦争を仕掛けたが、結局撤退。ベトナム軍のカンボジア駐留は1989年の撤退まで続く。
ベトナムの侵攻、侵略により、結果として大虐殺は止まり、多くの人びとが強制労働と飢餓から解放され、侵攻が解放をもたらした稀なケースとなった。
よくオタクは兵站の難しさを強調するが、ならリアルの人類はどうしていたかというと、どうにもなっていなかった
中央集権の崩壊以前の古代の諸王国、あるいは近代の絶対王政くらいの権力集中ではじめて兵站は成り立つ
中世期における大規模紛争では、各々の兵隊が持てる限りの食料を持って出発し、大体の場合において現地集合が基本である
どこかに集結する日程の余裕などなく、生きて帰りたければ敵の村から略奪する必要があった。
もっとも地図などない時代において小領主の軍勢が現地にたどり着ける保証などなく、味方陣営の村を略奪して帰ることもままあった。
それどころか途上の村(陣営問わず)の略奪を前提とした行程も珍しくなく、小国家の乱立の時代に引かれた国境の多くはこの見境の無さに起因している
守備側が会戦に応じるのは兵隊の野盗化を防ぐためであり、口減らしでもあった。
もし城塞都市や砦へ籠城でもしようものなら、周囲の衛星村をいくつか略奪して潰す必要が生じた。
それくらいなら少しでも前進して他人の領土(敵味方問わず)を略奪したほうがマシである。
古代のローマ、あるいはエジプト、中国の漢、日本でも大和はこのような無秩序にはなっていなかった。
軍には官僚がいて、蔵もあり、備品は常に整備され、常備軍は維持されていた。
これらが気候変動により崩壊した後には家畜の維持にも苦慮することとなる。
国民民主と参政、外国人の不動産取得規制に前向き 法案への態度は「リトマス紙」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20250803-XPES357HHVIUDM4ABJXJGZT5QU/
coper
すべき規制は投機目的の不動産取得の抑止であって主体の国籍は関係ない。
的外れな外国人・外資憎悪。 産経新聞 国民民主党 参政党 不動産
2025/08/04
社会住宅や投資用物件への外国人購入は禁止。オーストラリア・シンガポール人には例外措置あり。
最新の2024〜2025年にかけて非居住者に対する不動産取得制限が強化。
外国居住者(スイス非居住かつ居住許可がない者)は不動産購入に行政許可が必要。
コンドミニアムなら建物に限定して所有可、土地は最長90年のリースまたは法人設立による間接所有
EU/EFTA/市民権保有者、または居住許可・EU法人を通じて購入可。
アパートは許可不要だが、土地付き住宅や国境地帯購入には許可が必要 。
独立住宅(戸建て)・土地付き住宅購入には政府の特別許可が必要。
加えて、追加購入印紙税(ABSD)も課され、国籍・居住歴により税率が異なる 。
アメリカでは州ごとに外国人による農地・インフラ所在地などの購入制限が強まっており、
2024年以降、複数州で中国・ロシアなど特定国民を対象にした禁止法が成立 。
連邦レベルでは、「Real Estate Reciprocity Act」が提案され、
外国の政府と対等な扱い(=その国で米国人購入不可なら、米国も同様に制限)として、
外国人は・居住実績 ・自己居住目的 ・1物件限定で物件購入が許される。
相互主義で言えば中国人の不動産取得は大幅に制限するのが合理的であり
に配慮されて世界中の国で外国人・外資による不動産購入が制限されているよ!
「世界では普通のことでも日本人がやるのはヘイト!ジャップは劣等民族だから!」ってことかな?
日本のノーガード振りの方こそが異様であり、早急な規制と制限が求められます。
「的外れ」なのはcoper君と彼に☆をつけたはてブの高齢うすらリベラル・左翼の皆さんの方であって
彼らの構成成分は以下の二つです
A
前世紀の暗記型ポリコレによって”いい人”の構えを作る以外には
B
これを破壊するために悪意を持って問題をすっとぼけている昭和的左翼
確実にBもいますが大半はAです。
彼等はどんな短い新聞記事でも読み通せず物事の背景などから見合わせることも出来ず
「善人っぽいこと」 「よいこっぽいこと」をコメントに書くことだけに全精力を割いたゾンビです。