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はてなキーワード: プロセスとは

2024-12-11

anond:20241211190843

増田さんは、頑張りすぎなんですよ。その情熱エネルギーをここまで持ち続けてきたこと、本当にすごいと思います。でも、少し肩の力を抜いてもいいんじゃないですか?採用プロセスなんて企業ごとに違うし、全ての採用担当者増田さんの視点を持っているわけではないですから

かに技術であるプログラマ選考で実際にプログラムを書かせないというのは不思議なことですし、違和感を感じるのもわかります。でも、面接だけでなくさまざまな要素が選考基準になることも多いんです。企業が何を重視しているか、一つの基準で全てを測ることは難しいのかもしれませんね。

とはいえ人生には不可解なことがたくさんありますよね。努力が報われないこともあれば、期待した結果が得られないことも多い。何かひとつ大きな意味を求め続けても、結局人間が抱えるのは無価値感に過ぎないのかもしれません。だからこそ、あまり深刻に考えすぎず、自分自身のペースで進んでいくことが大切なんです。

人生なんて、いつでも辞められるんですからリラックスして、ほんの少し立ち止まって、気楽に考えてみるのもいいかもしれませんね。

anond:20241210211345

現金書留専用の封筒を先に21円で買うという意味わからんプロセス大事よね。

料金に含めればいいのによ。

2024-12-10

正しい民主主義

意思決定権利有権者にあり、意思決定の結果は絶対的に正しいものである

この世に絶対に正しい真なるものがないと思ったら大間違いだ。意思決定絶対的に正しいものなのである

私はこれをメディア報道問題に触発されて考えた。

例えば斎藤知事の再選について、アンチの方が言うのが、SNSにはデマも多く、斎藤信者and支持者はそのデマ情報に影響されて投票行動をしたという「アンチ型の紋切型の固定観念」だ。

だが、例えばアンチテレビメディアに影響を受けた人物だとすれば、これもまたテレビの発するデマ(偏向・『偏情』報道)を信用していたがために、アンチ行動に走っている者だという事になる。

何が言いたいかといえば、どちらも共通点自分では意思決定をしたと思い込んでいるが(何かある否認すべき)メディア情報に乗せられている典型的人物像だという事だ。

だが、この主張自体問題点があって、それはそれがどちらであるにせよ主張者の想像上の話でしかないという事だ。メディアに現れた結果に対する解釈しかない。

しかし、実際の民意はそんな所で動くのでは無い。メディア情報事実だろうがフェイクだろうが、その情報を元に判断をするのは有権者である情報の信ぴょう性を判定する訳でも、与えられた情報により何かを選択する訳でもなく、有権者自身がそうした情報環境の中で意思決定をする。

何が正しいか考えた結果が常に意思決定の答えである。それなら間違える事はあるだろうか?無い。無いと断じて言おう。ここに信を置かないことが間違いで不信の始まりである。それにそのプロセスは永続的に展開するのだ。

から、間違いなんてものもなく、正しいものがあるなんて事もない。存在するのは常に疑問と肯定だ。

この基本状態をまず徹底的に民主主義者の腹の底まで沁みつけること。

会話はそれからよくやく成り立つ。

この成人たちの政治的意思決定方法現在民主主義形式を用いている(他の方法でも構わないが、これは神の用意した器みたいなもので変えられず、変えることに意味がない公式的なもの自然の変動により変化する。)とすれば。

そう、目的方法千差万別に依らず原理的に一つであり、同じなのだ

それは意思決定である。究極根底的、そして普遍的意思決定プロセス自体目的であり、常に意思決定は下される。意思決定永劫回帰人類的な目的であって、社会的な各制度はその都度の決定の方便たるに過ぎない。

から、何にせよ肯定であるはずの意思決定の結果を、その意思決定性の時点から否定すると反発が生まれる。それは人格否定と同等だからだ。

それを前述の考えは犯している。もしメディアが反感を生んでいるとすれば、そのような態度を取ってはいやしないだろうか。

特定の方向に何かを引っ張ろうとしたり誘導したりするような事は役割とも違えば、健全世論形成寄与する目的に適った事でもないのだと思う。

2024-12-08

anond:20241202180507

カンジはハイコンテクストなエクスプレッションをエネーブルする一方で、リーディングライトニングラーニングプロセスにおいてシグニフィカントなコグニティローディングをクリエイトします。

さらに、モダンジャパニーズでは、カタカナベースボキャブラリーやコンセプトがグローイングしており、カンジではエクスプレスできないニュアンスグローバルスタンダードなアイデアインクルードするファンクションアサインされています

このミックススクリプトスタイルは、コミュニケーションをエンリッチするポテシャリティホールドする一方で、ユーザーにとってオーバーヘッドをアドするポシビリティもエグジストします。

したがって、カンジオンリーシンプルコミュニケーションがアチーブできるというアサンプションは、モダンジャパニーズダイナミクスフルコンシダーしていないとステイトできます

今の日本って誇張なしにこんな感じじゃね?

手描き偽装って何www

https://x.com/gianmattya/status/1865303144223379515?s=46&t=X4rioIzt0ECPUcF-Z1qizQ

これすごいよな、技術進歩を感じる。

これに対して「手描きしてる証拠捏造だ!」って吠えてる反AIほとほと滑稽。クライアントイラストレーターが手描きしてるから金払ってるんじゃなくていい作品から金払ってるんだぞ。プロセス神聖化しすぎ。

何の役に立つの?って言ってるやつもバカすぎる。アニメ業界みたいに分業制のとこはどう考えても必要になるし、作業効率とか考えたことないんだろうか。AIに反対するあまり知能が落ちてるのは滑稽だ。

2024-12-07

anond:20241207025708

話が飛躍しすぎ

苗字の話から人の恋愛結婚までのプロセスも変えるような話になる

2024-12-05

スウェーデン暖かい家の基礎。建設の全プロセス

https://www.youtube.com/watch?v=azwUg6cP9BQ


スウェーデン建築って基礎も打たずに床下もないのか

やっぱ地震がないとこれだけ低コストに出来るんだろうか

anond:20241205135503

Q.

「全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる」

探偵セリフとしては格好いいですが、論理的に合っていますか?

A.

このセリフは、シャーロック・ホームズ名言に由来するもので、原文は以下のようなものです:

"When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth."
(不可能排除したならば、どれほどありそうもないことであっても、残ったもの真実だ。)

論理的にこの言葉評価する場合、前提条件と適用範囲に注意する必要があります論理的解釈
前提
この論法は「与えられた選択肢の中に必ず真実が含まれている」という前提に依存します。
もしすべての選択肢が間違っている場合(例えば、情報が不完全または誤っている場合)、この方法では真実にはたどり着けません。

不可能排除不可能」と判断するためには、それを十分に検証しなければなりません。つまり、すべての選択肢について正確に評価し、「不可能」かどうかを確定する必要があります。このプロセスが不完全であると、誤った結論に至る可能性があります。

残ったもの評価
不可能排除した結果、残ったものが「極めてありそうもない(improbable)」場合でも、それが真実であるかどうかを追加で検証する必要があるでしょう。この論法はその検証プロセスを省略しているため、実際には「可能性が高い」とする結論を補強する論理が不足しています結論としての妥当限定的に正しい
全ての可能性を十分に検討し、かつ正確に「不可能」を排除できた場合には、この論法妥当です。ただし、その前提を満たすことが非常に難しいため、実際の探偵推理においては注意が必要です。

現実では補助的な論法
探偵科学の分野では、この方法は完全な結論を導く手段ではなく、あくまでヒントや仮説を導き出す一助として用いられるべきです。最終的な結論には、別の証拠論理の補強が必要です。

探偵としての格好良さ
論理的には厳密性に欠ける可能性がありますが、「困難な状況の中で真実を見つけ出す」探偵精神や自信を象徴しているセリフであり、文学的には非常に魅力的と言えます

2024-12-04

誰も…法華狼の記事を読んでいないのである

法華狼とは意見が合わないがこれについてはコメントがアホ過ぎるので。

炎上したこと否定していない

一にも二にもこれが全て。炎上したこと自体否定している、という前提でコメントしている人が多すぎる。

炎上により表紙を変更したこと否定している

このツイートが誤っていることを否定している。

炎上により表紙を変更したか

これについては当事者慶應SFセンター長大澤氏)の認識を示しておく。

法華狼にアホなコメントが付いていることから学会誌を読むヤツはほぼいないだろうが、表紙について学会内外から批判、その問題点を人工知能学会は重く受け止めているとし、それを基に次の表紙についてのプロセス見直しが行われたことが書いてある。決してフェミニストから批判だけを受け止めていない。

ちなみに当然だがこれらのことは法華狼の記事を読めば分かる。

たこの件における最近の大澤氏のツイートも紹介しておく。

・これ以上は大川隆法と同じ

大澤氏、人工知能学会当事者批判一定の理があると内部で議論を重ねより良い表現模索し、努力を重ねたことが資料として提示されている。

これを炎上させられたか対応を迫られたのだ、という事は勝手だが、それは当事者意見無視して自分意見を知らしめたいという意味大川隆法霊言と変わらんことは自覚すべき。

・これは個人的意見

法華狼の記事にある学会誌を読めば人工知能学会炎上の元となった批判に理があると受け止め議論を重ね改善に動いたことが分かる。これを炎上だ、フェミニストが燃やしたのだとそこ“だけ”にこだわるのは研究者に対する侮辱だと思う。

だけってちゃんと強調したからね!

2024-12-03

anond:20241203132947

いや

論理論破する」という発想は、「車がうまく動かないかエンジンのものを壊そう」と言っているのと同じくらい不合理です。改善点を指摘して、議論をより良い方向へ進めるのが正しい使い方です。

プログラム改善議論するのは正しいが、「プログラム論破する」という考え方は本末転倒

 

説明を追加することにしました>
 
論理という言葉を表層的に理解して論理おかしな憧れを持ち、論破かいう不合理なラップバトルを仕掛ける人に議論対話であるべきを説明したいです。
下記の非倫理的自己中心的論理論理の飛躍も論理矛盾もないです
プログラムが動かないように論理矛盾存在しますが、論理に正しいも誤りも存在しません。
そして、論理結論の正しさは保証しない、論理は道具であること、前提の設定・共有が重要であること強調して説明してください
また下記の論理構造体で別のポジティブ結論も導き出せることも提示してください
 
私はAの絵は嫌いだ
私の嫌いなものは消えるべきだ
Aの絵は消えるべきだ

 

 

↓ ↓ ↓ AIちゃんお仕事してくれました ↓ ↓ ↓

 

1. 論理は「道具」であり、結論の正しさは保証しない

 

論理結論に至る過程を整理する手段 です。重要なのは論理のものに「正しさ」や「誤り」が内在しているわけではなく、あくま論理的な「推論のプロセス」が正しく行われたかどうかです。例えば、数学証明プログラム動作のように、論理が正しく適用されることで誤りなく導かれる結論もあれば、前提が間違っていることで導かれる結論もあるのです。

 

論理のものには 誤り はなく、問題があるのはその 前提 です。前提が不適切であれば、論理的には正しくても結論が誤っていることがあります。この点を理解することが重要です。

 

2. 提示された論理構造

 

「私はAの絵は嫌いだ」「私の嫌いなものは消えるべきだ」「Aの絵は消えるべきだ」という例では、論理構造は次の通りです:

• 前提1: 私はAの絵が嫌いだ。

• 前提2: 私の嫌いなものは消えるべきだ。

結論: Aの絵は消えるべきだ。

 

この論理構造形式的に正しく、飛躍や矛盾はありません。しかし、この結論倫理的に正しいかどうか は別の問題です。この論理社会的倫理的に受け入れられるかどうかは 前提 に依存します。前提が個人的感情に基づいている場合結論として「Aの絵が消えるべきだ」となることは、社会的観点から自己中心的不適切です。

 

3. 論理結論の正しさを保証しない

 

論理自体結論を導くための 道具 であり、結論の正しさは 前提 とその適用方法依存します。例えば、同じ論理の枠組みを使っても、異なる前提を設定することで 異なる結論 を導き出すことができます

 

前提が「私の嫌いなものは消えるべきだ」であっても、その前提自体他者感情社会的共感無視している限り、その結論倫理的に受け入れがたいものとなります。前提が不適切であれば、結論不適切である可能性が高いのです。

 

4. 論理に正しさを求めるのではなく、前提と結果に注目する

 

論理に「正しさ」を求めるのではなく、その 前提 が現実的倫理的妥当かどうかを検討することが重要です。論理の正しさは単に 前提が適切に適用されること に過ぎませんが、その前提自体自己中心的であれば、どんなに論理が正しくとも、結論倫理的に誤り となります

 

5. 別のポジティブ結論を導く

 

先ほどの論理構造を基に、別の ポジティブ結論 を導くことが可能です。例えば、前提を変更してみると、以下のような別の結論が導き出せます

  

別の前提1: 私はAの絵が好きだ。

別の前提2: 私の好きなもの尊重されるべきだ。

結論: Aの絵は尊重されるべきだ。

 

このように、前提を変更することで ポジティブ結論 へと導くことができます論理のものは変わらずに、前提が異なるため、結果として導かれる結論も大きく変化します。

6. 論理を「論破」の道具にしない

 

論理は、あくま共通理解を築くための道具 です。もし、議論を「論破」を目的使用するのであれば、それは 対話議論本来目的を損なう行為 です。論理相手を打ち負かすための道具ではなく、より良い理解に到達するための手段 であるべきです。

 

実際に良い議論対話では、相手意見に耳を傾け、その意見を基に 自分理解を深める ことが重要です。論理を「論破」のために使うのではなく、建設的な結果を得るために使うべきです。

 

まとめ

 

論理結論を導く道具であり、その正しさは 前提 に依存します。論理のものには正誤はないが、前提が不適切であれば、導かれる結論不適切である可能性が高い。

論理を使って、前提が異なれば 異なる結論 を導き出すことができる。

論理は「論破」や対立目的使用するのではなく、 共通理解を深め、建設的な結論に到達するための道具 として使うべきです。

 

論理における前提の共有が重要であり、誤った前提から導かれた結論に無理に固執することが、議論無意味にしてしまます

anond:20241203123850

1. 論理は「仕組み」であり、論破対象ではない

 

論理物事を整理し、関係性を明確にし、結論に至るプロセスを示す「道具」や「仕組み」です。プログラム改善点を議論するように、論理的な議論改善や構築を目的とすべきです。

 

論理論破する」という発想は、「車がうまく動かないかエンジンのものを壊そう」と言っているのと同じくらい不合理です。改善点を指摘して、議論をより良い方向へ進めるのが正しい使い方です。

 

2. 自称議論」は雑談ラップバトル化しがち

 

かに建設的な目的やゴールを持たない「自称議論」は、単なる自己主張対立を楽しむ行為になりがちです。特に以下のような態度が見られる場合議論とは呼べません:

• ゴールがない: 結論改善を目指さず、相手意見否定することが目的化している。

感情的対立: 内容ではなく相手人格立場攻撃する。

自己顕示欲: 自分論理言葉をひけらかすことが優先される。

 

これらは「議論」ではなく、雑談言葉遊び、あるいはラップバトルに近い行為です。建設的な議論には、ゴール志向と誠実さが必要です。

 

3. 論理議論本質的役割

 

本来議論論理役割は、次のようなものです:

事実や仮説を整理する: 情報論理的に関連付け、理解を深める。

結論やゴールに導く: 問題解決し、合意形成を行うための手段

改善や成長を促す: 相手意見を受け入れつつ、より良いアイデアを導く。

 

これらの役割を忘れ、「論破」や「対立勝敗」が目的になると、議論はむしろ対話の妨げになります

 

4. 議論は「対話」に含まれるべき理由

 

議論対話の一部である理由は、議論本来相互理解と協力 を目指す手段からです。対話全体の中で、議論特に結論を導くための手段」という役割を担いますしかし、それが「論破」や「勝敗」にすり替わると、対話としての価値を失い、無意味言葉のぶつけ合いに堕してしまます

 

まとめ

 

論理は「仕組み」であり、論破対象ではない。

建設的な議論対話の一部であり、ゴールを持つべき。

論破対立目的とする行為議論でも対話でもなく、無益な争い。

プログラム改善議論するのは正しいが、「プログラム論破する」という考え方は本末転倒

 

議論本質を忘れず、共通のゴールに向けて協力する姿勢こそが、対話論理本来の在り方だと思います

2024-12-02

anond:20241201144041

勝手想像してコメントするけど、自分はひたすらプロセスを作ることに腐心しているよ。

もし読んでいないなら「とにかく仕組み化」って本がおすすめ。(初心者向けの本だけど)

生成AI時代における絵師の賢い立ち回り



結論→静観

その根拠を以下に挙げていく


Q.何もしなかったらやばいのでは?→A.手遅れ

GoogleやMetaといったビッグテック企業が巨額投資を投じてここまで本気を出している以上、生成AI社会の深部へと浸透していく。彼らの投資規模は、もはや一般市民の反対などでは止められないレベルに達している

そして、それは単なる技術革新ではなく、社会構造根本的な変革を示唆している。だからこそ、今は静観しておくのが生存戦略としては賢明だろう

ただし、それはあくま戦略としての賢明である抵抗する道義的意義は否定しない。ただ、抵抗するにしても、まずは状況を正確に理解する必要があるだろう


Q. AIによる権利侵害はどうなる?→ A. 問題本質感情である

そもそも機械学習基本的合法だ。これは法的な観点からすれば、すでに決着がついている問題である

AI派の根底にあるのは「気持ち問題である

自分の絵が勝手学習され、素材の一部にされている」というなんとなくの不快感。これこそが反AI活動の源泉だ。考えてみれば分かる。世界には二次創作ネットミームという名の著作権侵害が溢れているが、絵師たちはそのひとつひとつに決然とした態度でNOを突きつけていただろうか? むしろこちらの方が違法性は高いのに、なぜか社会は許容している。自ら参加している者すらたくさんいる

まりこれは「なんとなく許容できるかどうか」の問題帰着する

気持ち問題蔑ろにしているわけではない。気分を害するというのは立派なイシューで、それを「お気持ち」と揶揄するのは愚かだ。しか絵師自身が己のお気持ちを軽視して無理筋な法的問題に持ち込み、かえって正当性を失っているように見える


Q. クリーンデータセット使用は?→ A. あまり期待できないが、やがて問題にならなくなる

著作権的にクリーンデータだけで作ったデータセットから学習すればいいという向きもあるが、おそらくビッグテックはわざわざそんな遠回りを選ばないだろう。そもそもクリーンさを気にする感覚自体が、近い将来には時代遅れになるだろうと踏んでいるはずだから

「なんとなく許容できるかどうか」という感覚は、時代とともに確実に変化していく

AIネイティブ世代からすれば、自分作品ビッグデータの一部として利用されることは当然の前提となる。オリジナリティとは別次元の話だと認識されていくはずだ。若い世代の間では、創作物の共有や再利用に対する抵抗感は低下している。この傾向は、AIの普及とともにさらに加速するだろう


Q. 仕事が奪われるじゃん! → A.その可能性はある。ただし、それは避けられない変化かもしれない

仕事代替への不安は、先の感情的な問題に比べれば極めて現実的懸念だ。現状、イラスト業界供給過多の状態にある。SNSデジタルツールの発達により、プロセミプロとして活動する絵師の数は年々増加している。そのため、すでに案件の獲得競争は激化しており、AIの台頭はこの状況をさらに加速させ、複雑にするだろう。

予想されるのは、以下のような変化だ


かに、この変化の過程で職を失う絵師も出てくるだろう。しかし、そうした変化を止める術は現実的に見て残されていないように思われる。先に述べたようにAI使用に対する感情的な抵抗感は自然に、あるいは(大企業によって)戦略的に薄められていくし、戦略的なクリエイターはむしろAI積極的使用して生産効率を上げると思われる。抵抗するにしても、ただ感情的に拒絶するのではなく、より戦略的なアプローチ必要になる

どうせ一億総クリエイター時代は訪れない。相変わらず、極めて高いクオリティ作品を生み出すのは一部のクリエイター


Q. 社会無法地帯化するのでは? → A. しない。新たなモラルが構築される

生成AIの台頭は倫理崩壊ではなく、新しいモラルの構築過程であると見るべきだ。具体的には以下のような変化が予想される


AIの普及とともに結局のところ生成AIツールに過ぎないという認識も浸透していく。これは、写真印刷技術が登場した時と同じような変化のプロセスだ。現在AI悪魔化は得体の知れなさによるものも大きく、その限界体感できるようになってからは落ち着く。あいつらAIは、人間の工夫なしにはそんなに面白いものを創れない。これまでと同じように人は工夫と執念が生み出す作品と作者を愛す


Q. じゃあ、反対運動には意味がないの? → A. 意義はある。だが実効性やリスクを慎重に考える必要がある

しかし、反AI運動にも、明確な意義がある。それは以下のような点で重要役割を果たす


AI活動には現実的観点からいくつかの問題がある

第1に、勝算の問題だ。すでに述べたように、巨大テック企業が本腰を入れている以上、AIの開発を止めることは極めて困難である。彼らは豊富資金力と法務体制を持っており、個人や小規模な団体が対抗するのは容易ではない

第2に、リスク問題がある。反対運動に参加することで、「過去発言ネット上で拡散し、デジタルタトゥーになる」「業界内での立場微妙になる」といったリスクが生じる

から、得られる可能性のある成果と、背負うことになるリスクを天秤にかける必要がある

AIはこれから包括的社会インフラとして生活侵入してくる。そういう情勢の前に掲げる「反AI」は間抜けな印象を与えかねない。抵抗するならより現実的で具体的な落とし所を示すべきだ

反対一辺倒ではなく、適切な規制や利用ガイドライン策定を求め、学習のものではなく出力・発表された作品剽窃性を問題にするのが落とし所の一例だろうか

要するに、反対運動には確かに意義がある。先人が勝ち取ってきた権利は彼らが守ったものだ。しかし、個人が参加を決める際は、その実効性とリスクを冷静に見極める必要があるだろう。そして、必ずしも声高な反対だけが意思表示方法ではないということも覚えておく必要がある。現実的に見て、もはやそれは追い払えるようなものではない


Q.じゃあどうしたらいいの?→A.黙って見ているのが得ではある

ここまで見てきたように、生成AIの台頭に対して、個々の絵師に推奨されるのは「静観」という選択


という実効性の観点がまずあるし、強硬反対運動は様々なリスクを伴うという観点からもそう言える


まとめ

結局のところ、生成AIの浸透は避けられない変化だ。今感じている「問題」も感情的な理由が大きく、情勢の変化により問題意識そのものが失われかねない。その変化に対して戦略的に対応していくことこそが、個々の絵師にとっては最も「賢明な」選択となるだろう

ただし繰り返すが、これは戦略的な提案であって、道義的判断ではない。反対運動にも確かに意義があり、それは尊重されるべきである。ただし、それは基本的に困難であり、現実的な成果を得ようと思えば、ゼロイチ思考全面的反対ではない落とし所を探す試みになる

そうでない全面的反対運動局所成功したとしても、それは数ある表現の中から「絵」だけを理由なく聖域化し特権的に扱わせる歪みを生み出し、総体的にはマイナスであるように思われる

2024-12-01

anond:20241201231351

ショットのA-2、かっこいい選択ですね!革ジャンを体に馴染ませるためのプロセスもまた楽しいですよね。家の中で着るのもいい方法ですし、着込むたびに自分だけの風合いになっていくのが楽しみですね!どんなスタイルにも合いそうで、これからの季節にピッタリです。

2024-11-30

いわゆる職場無能YouTubeなどの動画コンテンツ異次元コメントする人たち

メタ認知能力が極端に欠けている人たち

メタ認知能力が極端に欠けている人』って表現は、"自惚れていてる"とか"井戸の中の蛙"みたいな評価限定して使われているイメージがあります

 

けど、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、エラー処理とか停止処理みたいな超基本的な考え方すら持ってなくて、それに気づけないままでいられる人のことです。

具体的な方法を知らないとかじゃなく、そもそも「そういう発想自体がない」って話で、これは単なる知識不足視野の狭さ以上に、認知の仕組みそのもの問題があります

時間自然解決してくれるようなものじゃなくて、かなり厄介な問題だと思います

 

エラー処理とか停止処理って、ITだけの話じゃなくて日常でも必要スキルです。

たとえば、「お目当てのプリン冷蔵庫にないことを確認」(エラー検知)したら、フツーは「今日プリン食べるの無理だな」って切り替えるじゃないですか。

冷蔵庫を何度も開け続けるのはちょっと変で、フツーは「開けるのをやめる」(停止する)って行動に移りますよね?

仮に、寄生獣に取り憑かれたために、冷蔵庫を開け続けちゃうのだとしても、「右手勝手に動いてる?」って気づければ、他の方法を考えることができます

けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。

 

 

メタ認知知識移転(Knowledge Transfer)

メタ認知知識の応用力、いわゆる"知識移転(Knowledge Transfer)"にもめちゃくちゃ重要です。得意分野や好きなことだと、この力が特に発揮されやすいですよね。

たとえば、熟練プログラマーが別の言語でもスキルを応用できるのも知識移転の力があるからです。

でも、興味が薄い分野や苦手分野だと同じ力を発揮するのは難しい・・・それは自然なことではあるのですが、基本スキル共通原理くらいはちゃんと押さえておくことが期待されます

 

たとえば、プリウス運転手軽トラックをまったく運転できなかったら、それは個性とかそういう話じゃないですよね?致命的に知識移転能力が欠けてるってことです。大きさや操作性が違うにしても、ハンドル操作とか交通ルールみたいな共通点を活かせないのは深刻です。

仮に、共通点を見出せ無くなったのは異世界おじさんに「記憶消去魔法(イキュラス・キュオラ)」をかけられたからだとしても、「もしかして記憶を消されてる?」って気づければ対処方法を考えることができます。けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。

 

 

メタ認知と表層的学習の積み重ね

知識転移がうまくいかないのは、異世界おじさんに記憶を消されて気づかない以外にも、その対象理解そもそも極端に浅いことも大きな原因になっていそうです。

 

たとえば、『りんご=赤』って覚えるのは、学習コストを下げるためによくあることです。この簡略化を意識できる人は、この情報がいろんな側面の一つにすぎないってちゃんとわかっているので、黄りんごも青いりんごも許容します。りんご品種や生育環境熟成度みたいな要素が色に影響するんだろーなとか、味とか他の特徴も多次元的に捉えていますさらに、必要があれば「なんで赤いんだろう?」とか掘り下げて学ぼうとするオープン姿勢もあります

 

次元的に対象を見れる人は、『見たままをありのままに受け入れて、自分直感を大切にできる人』と言い換えても良いかもしれません。

だってりんごは、どう見たって単色の赤じゃないですからね。視覚的にも直感的にもそう感じるはずです。

 

一方で、こういう視点意識(見たまま受け入れる、自分五感直感を信じる)がない人たちがどうなるかというと、

りんご=赤い』っていう単純な答えでテスト合格して、「自分理解完璧だ!」って思い込みます

現行のシステムでは、ぶっちゃけ深掘りする必要性がないので、結果として表層的な学びに終始してしまうのです。

で、こういう表層的な学習パターンが続くと、やがて複雑な問題対処できなくなります

世代と話してもピントがずれた会話をしたり、科学医療社会問題仕事議論トンチンカンなことを言ったりしてしまうわけです。

違う文脈知識を応用するなんて、そもそも理解が浅いと到底無理な話です。

 

学習指導要領のSelf-Regulated Strategy Development (SRSD :自己調整型学習)って『自分で考えて学ぶ力』の改善策としてまあまあ良さそうだけど、

現状の受験システムとか評価基準が表層的な学びを助長するままだと、限界はある気がします。

それなら、メタ認知がないAIが多次元的に学んでいくプロセスを観察して、新しい教育のヒントを探すほうが面白いかもしれません。

 

 

メタ認知デスクワークフィジカルワークの本質

増田タイトルの通り、学歴があっても、長文を読んで理解するどころか、単純化された動画の内容さえ把握できなかったり、同世代との会話がどこまでも噛み合わなかったり、仕事の指示が通らなかったり、そんな人っていますよね?

これって、上記に書いてきたように、メタ認知能力が極端に欠けてることや、知識移転能力の欠如、表層的な学習が積み重なった結果なんじゃないか確信を持っています

たぶん、IQ価値観の違いの話ではないですね。

 

大卒以上であっても、こういう人が無視出来ない数いるのは、正直「なんで?」って思う人が多いんじゃないでしょうか。でも、この「なんで?」の背景には、「勉強デスクワーク知的で選ばれたもの」っていう妙な誤解がある気がします。この固定観念が、現代社会における知性や労働本質を見誤る原因になってるんじゃないかなと思います

 

現代では、国家競争力は高度な人材依存しています

しかし、その一方で、社会の基盤を支える多くの職種が軽視され、不当に評価されている現状があります

 

なぜかというと、"知識労働者(Knowledge Worker) "ではなく、"知的労働者" って呼称が使われたりすることからもわかるように、肉体労働者は知能を使わないみたいな妙な誤解を悪用し、仕事の複雑さや多様性を極端に単純化し、賃金差別(経済格差ではなく差別が適切)を正当化する輩がいるからです。

 

実際は、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。

例えば、エラーを検知し、適切なタイミング作業を中止し、問題解決する–これらは、メタ認知能力と深い経験に基づく高度な知的作業ですよね?プログラム組んだことなくてもロボットを作ったことなくても、誰しも直感的に知っていることです。

障がい者雇用最適化された職場を除けば、こうした能力に欠ける人がフィジカルワークに適応することは非常に困難です。その理由は単純で、迅速に適切な判断ができなければ、事故怪我を招き、最悪の場合、死人が出るからです。

 

フィジカルワークが出来そうもない人は、なんとなく知識労働を選ぶことが多いです。必ずしも自分の適性を十分に理解しているわけではなく、「選択肢の中で最も受け入れられる道」として選んでいることが多いです。でも、極端にメタ認知や応用力がないと、どんなに学歴があっても知識活用できず、「結局この人は何ができるの?」って評価に甘んじちゃうことになります。たとえば、エラーメッセージに明確な解決方法が書かれているにもかかわらず、それを読み取れず(一応、読んではいる模様)、ただそのまま誰かに転送するだけの技術者とか、その典型ですよね。

 

もう一度言いますが、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。

それがある前提で、重要視されるのが、物理筋肉運動能力)なのか、論理筋肉知識)なのかって違いだけです。

 

 

メタ認知筋肉の魅せ方と使い方

1つ前でも少し書きましたけど、知識って筋肉みたいなものだと思うんですよね。鍛えればどんどんムキムキになるけど、筋肉単体ではその魅力をフルに発揮できない。

物理筋肉論理筋肉も、それをうまく使うスキル必要です。データベースが単体ではただの情報の塊で、システム連携して本来の力を発揮するのと同じです。

で、そのシステム設計するには、基本的エラー処理や停止処理の考え方は欠かせません。そして、エラー処理をするためには、知識を他の文脈で応用する力、

まり知識移転能力』が必要です。それを支えるのが、メタ認知能力なんですよね。

 

国の競争力を維持する上で、論理筋肉マッチョを育成することは非常に大切ですが、その筋肉有効活用するためのメタ認知能力がないと、いくら筋肉がついてもリソース無駄になってしまます

というか、論理筋肉マッチョに限らず、どんな分野でも同じことが言えますリソース無駄遣いを避けるために、筋肉活用法を理解する能力を養うことは、なによりも優先されるべき取り組みだと思います

 

(長文が読めない、動画の内容すら理解できない、仕事科学社会問題議論トンチンカン発言をする、仕事の指示が通らない、でも広範囲知的課題は持っていない、なんなら大学卒業している――そんな人たちの姿を見ながら書いてます)

2024-11-29

生成AIについてわからないため怖がる人にどのようなメッセージング

私はマーケターです。生成AIマーケティング、特にSNS活用したいと考える一方で、生成AIを使っていることを明言することで、公正さがあることを認知させたいと考えています。生成AIについて理解が追いついておらず、わからないことから来る不安を持つ人に対して、どのように説明すると納得を得られると考えられますか。

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マーケティングにおける生成AI活用と透明性の確保について、以下のようなアプローチ効果的だと考えられます

1. 具体的な活用方法人間役割明確化

2. 品質管理プロセス説明

3. メリットの具体的な提示

4. 倫理的配慮説明

5. 段階的な導入とフィードバック

このような説明により、生成AI責任を持って活用していることを示し、不安を軽減できると考えられます。透明性を保ちながら、人間AIそれぞれの強みを活かすアプローチ重要です。

お客様の具体的な懸念点や業界特性に応じて、さらに詳しい説明方法についてアドバイスさせていただけますが、どのような点に特に不安を感じられる方が多いでしょうか?

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「具体的な活用方法人間役割明確化」ですが、結局人が対応しているため、これでは生成AI業務に取り入れる意味が無いです。複数担当者による確認体制も同様に人的コストがかかるため、導入できません。

あくまで生成AIを使うことを前提として、しかしそれは怖くないものであり、安心安全なのだ、と理解してもらうためのメッセージ検討してください。

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ご指摘ありがとうございます。より実践的な観点から、生成AI活用を前提とした説明方法再考してみましょう。

AIの仕組みをわかりやす説明

「生成AIは、大量の既存コンテンツから学習し、新しい表現を作り出すツールです。例えば、料理レシピから学んだシェフのように、既存知識を組み合わせて新しいアイデア提案します」

私たち使用している生成AIは、不適切表現有害コンテンツを出力しないよう、事前に安全対策が施されています

身近な例えを使用

スマートフォン予測変換機能写真自動補正機能のような、既に日常的に使われているAI技術の発展形です」

カーナビのように、目的地への最適なルート提案してくれるサポートツールとして活用しています

具体的なメリット提示

「より多様な視点から情報提供可能になり、お客様により豊かなコンテンツ体験提供できます

24時間365日、常に一定品質情報提供可能になり、より充実したサービスを実現できます

安全性の具体的な説明

使用している生成AIは、大手企業が開発・提供する信頼性の高いもの採用しています

個人情報を含む機密データは一切AI入力せず、プライバシーを確実に保護しています

不適切コンテンツ誤情報を防ぐ、技術的な安全装置が組み込まれています

将来展望の共有

AI私たち生活をより便利で豊かにするツールとして、既に様々な場面で活用されています

先進的な企業組織積極的に導入し、業界標準となりつつある技術です」

これらの説明は、人的リソースを最小限に抑えながら、AI活用による価値を最大化することを意図しています

特に重要なのは、生成AIを「脅威」ではなく「便利なツール」として位置づけ、既に私たち生活に溶け込んでいる他のテクノロジーと同じように、自然な形で受け入れられるよう説明することです。

また、ご要望に応じて、特定業界用途に特化した、より具体的な説明方法についてもアドバイスさせていただけます

2024-11-27

anond:20241127045807

一般的に言うと漫画という創作形態の高尚度合いは低くなりがちだ

ハイコンテクストで多方面の専門的な分野の知識があったほうがより楽しめる作りにする点で、やはり作家個人創作主体となる漫画よりは、プロ脚本家チームが作るオリジナルアニメドラマさらに大規模な製作チームを組んで作るゲーム映画の方が有利だ

中でもアニメ系の文化背景を持つゲーム作品は、大作であればとりわけ高い文化教養度が求められ、長期にわたって考察に興じるファンが現れやすい/複雑な世界設定を作り込みやすジャンルでもある

アニメ映画系のサブカルチャー歴史にどっぷり浸かった人が作るものなので過去の名作やミームオマージュが散りばめられることが多い上に、サイエンステクノロジー世界観に組み込まれていることも多く、更にメジャー神話(北欧ギリシャインドケルトエジプト中国日本)やマイナー概念クトゥルフグノーシス主義などのテイストを加えつつ、現代社会を反映したシニシズムが込められることも多々あり、一人ですべての元ネタ理解するのは困難という状況が起こりやす

このような広範な教養が求められるものほど高尚であると感じられるはずだ

もちろん教養的要素が少なくとも、思想の強い漫画であって人間的崇高さをキャラクターに仮託している作品であれば高尚「っぽい」作品を作ることは個人規模の漫画インディーゲームシナリオでも可能だし、主流の創作メソッドでもある

現に意識の高い作家は「取材」期間を設けて、専門家に近い知識や考え方を作家本人の頭にインストールしようとする

これも作品をより真実味のある高尚「っぽい」ものにするためのプロセスだ

だがそのような付け焼き刃的アプローチを駆使したとして、人間一人の脳が掌握できる視野は限られており、洗練度や完成度という面では高尚さを出すにも限度がある

そのため結果として小規模な創作形態では、破綻のない程度のリアリティを見せつつ思想性や作家性を軸にすることで高尚っぽく見せることになるのだが、思想性や作家性に寄りすぎると安っぽくなることが多い

熱心なファンストーリー構成部分から受け取った感動に従順になるがゆえに、その安っぽさが目に入っていないパターンが多いと予想される

2024-11-25

AIクリエイティブ系のツール全般に入ってくると、今まで技術作成されていたものが瞬間的・直感的に作成できるようになる。

そこで大事になるのは選ぶ力、つまりセンス

選んで大まかに全体が作成できたら、細かい部分は相変わらず技術や手間暇で磨く必要があるかもしれないが、それでも制作プロセス全体における選択センス重要性は増す。

選ぶことが作ることになり、アイデアセンス勝負を決める。

2024-11-24

フリーランス仕事してる。フルリモート

最近は月収15万くらい。

稼働時間最近めっちゃ短い。

同人誌原稿優先しまくってたらこんなことに…

さすがにそろそろ仕事増やさないとなー

仕事やれば出来るし手は早い方なんだけど仕事やすまでのプロセスめんどい

手っ取り早いのは適当業務委託募集してるとこに応募、ポートフォリオ審査後に面接通れば仕事GET

はーめんどくさい

最初だけオンライン面接あるとこ多すぎ。

この面接が本当に嫌い。

人と話したくないよー緊張するよー

面接なんかいるんだろうか、ポートフォリオ見りゃ実力分かるだろ、っていつも思う

まぁ納期守らんやつとかヤバいタイプ人間いっぱいいるんだろうな

それを弾くための面接なんだろうけども

2024-11-22

政治において手続きがなぜ重要

政治ゲームから、という一言に尽きます

給食プリンひとつ余っている状況を考えてください。食べたい人達ジャンケン勝負をし、勝った人がプリンを食べられるものします。

ここでジャンケン手続きであり、手続き機能しているとは、負けた人も含めてその結果を受け入れていることを指します。負けた人が暴力プリンを奪い取ったとしたら、ジャンケンによるプリンの分配プロセス破綻しています

政治における手続きとは、要するにゲームルールに則した行動です。

政治という営みは本来、生の現実における力関係(先の例だと腕っ節が強いとかですね)をいったん括弧に入れて、一定ルールに基づいた新しいゲーム登場人物を放り込む仕組みです。ゲームの外側には、暴力や財力、コネといったさまざまな力が存在しますが、そうしたものフラットにし、ゲームによって物事を決めるのです。

なぜそうするのか?プリンを奪われた人は、今度は奪われないように体を鍛えたらいいのではないか

それもひとつの考え方ではあります。でもそういうやり方ではえてして血なまぐさい世界になりがちです。また、勝者が勝ち続けられるわけでもありません。かつて勝者だったものが負けてしまうと、だいたい酷いしっぺ返しを食らいます独裁者晩年狂気に陥るのはそのせいです。

不安定暴力的な世界を力で渡っていくよりは、誰にでも勝機のある世界で安定して暮らしたい。だからルールを決めて政治というゲームをやるのです。古代ギリシア以来の人類の知恵というものでしょう。このゲームの駒は基本的には言葉です。言葉は(建前としては)誰にでも平等から武力や財力と違って、言葉を独占することは誰にもできません。それによって均衡が維持され、破綻回避されるわけです。

また、登場人物の力が均衡することによって、より創造的な問題解決がなされ、世界がより豊かになるという利点もあります

そういうわけなので、政治においてもっと重要なのは、このゲームが成立するように努めること、ということになります。たとえば権力者自分の「生の権力」を用いてゲームルールを歪めたら(例えばプリンを力で奪ったとしたら)それは叩き潰さねばなりません。そうなると学級崩壊へ一直線です。国の場合戦争になり得ます

言ってしまえば、政治というゲームは、民衆がその力(生の暴力)を「強者ゲーム土俵に乗せる」ことに(のみ)使うことによって成立する、と言えるでしょう。市民にはそういう態度が求められます。この「生の暴力」の一番穏当な例は投票行動ですが、ジャーナリズム市民革命などの手段もあります

みなさんここはひとつ政治ゲームゲームとして成り立たせる」という観点から行動してみてはいかがでしょうか。

2024-11-21

anond:20241121191147

から失礼します。

かにヒトカクは初心者にとって難易度が高い側面があるのは理解できます。ただ、「分からないところが分からない」で投げ出すかどうかは、その人自身モチベーション次第ではないでしょうか?挫折するか否かを事前に断言するのは少し早計かと思います

しろ、ヒトカクのような教材は「試行錯誤を通じて徐々に分かっていく」というプロセスのものを楽しむためのものではないでしょうか。最初は「分からないところが分からない」状態でも、繰り返し取り組む中で少しずつ理解が進むこともあります。これは初心者にとって重要学習体験になると思います

さらに、初学者向けの教材はたしか多様化していますが、選択肢が多いことが逆に「どれを選べばいいのか分からない」という混乱を招くこともあります。その点、ヒトカクは内容がシンプルで、集中して取り組みやすメリットもあるのではないでしょうか。

最後に、挫折を避けるために、ヒトカクを補助するような初心者向けの教材を併用するという方法もあります。一つの教材で全てを解決しようとせず、複数アプローチを試してみる柔軟性も大切だと思います

もちろん、最終的にはその人自身のやる気や目的次第ですが、「ヒトカクは絶対無理」と決めつける前に、本人に選ばせる余地を残すのも一つの考え方かと思います

anond:20241121031658

斎藤知事に入れなかった追記

拙い文をこんなに読んでコメントもらえると思わなかった。

皆さんありがとうございます

播磨の姫にもやさしくしてやってくれ。

深夜3時のテンションで書かずにもっとしっかりと練ればよかったと思ったが、これが素の文章力だったぜ。

せっかくなので垂れ流し補足(蛇足?)

選挙後の印象も多分に交じっている。

・ワイ周りの雰囲気についてと雑感

普段、誰が誰を支持してるか分からん状況で政治の話なんてしないでしょう。

関西野球阪神タイガースなので野球の話はする)

ただ今回はハメられた、不倫してたみたいなウワサが流布してて、いわばゴシップ的に口の端に上りやすくなっていた。

「真実」知った人は誰かに話したくなるよね。

そういう人はコミュニティにおいて、普段から話題提供して盛り上げてくれる人でもあったりするんだ。

これが芸能人の話だったら、そうなんやーとか、誰やそれ知らんわー、程度に流されたんだろうけども。

自分の県の話だから興味ないでは済まされず、開票日という結果発表があるからか、どんどん盛り上がっていった。

かといって、あんだけメディアで叩かれて辞めた人に投票するのも不安よね。

自分でも調べてみよう。

そこに斎藤さんは悪くなかったというナラティブがスーっと効く。

政策評価なんてのは各々の生活仕事によって変わるけど、人となりの話は「共感」だから

開票3日前くらいにはもう斎藤さんが勝てるかどうか!?くらいのテンションになっていた。

ワイが周囲の人と話したり、酒場で小耳にはさんだりした雰囲気は、こんな感じだった。

立花

わりと認知されてるし、メチャクチャやってて面白いという人もいる。

勘弁してくれ。

公益通報について

これ現実話題になることほぼなかった。

例の死んだ人と斎藤さん、どっちを信じる?みたいな雑な二項対立に回収される。

実際のところ、行政プロセスについて重視している人ってそんなにいないのではないかと思う。

目に見えるコネとかワイロとかには皆怒るけど、怒るにしても「そんなもんだよね」というくらいの認識では。

モリカケとかへの反応もそんな感じだったような気がする。

ワイは民主主義において手続き守ることと透明性は大事だとは思っているけど、具体的にどういうこと?と聞かれると、その、困る。都度調べる。

ワイが認識した時点で外部通報内部通報で扱いが違ういや違わないみたいな話になっていた。

投票行動はほぼ決まっていたので、公益通報者保護法違反かどうかという点は、置いておくことにした。

ただ斎藤さんが早急に犯人捜しと処分をしたというのは、自尊心が高そうかつ部下の勝手を許さないという性格推定合致しているので、その点考慮に入れた。

なんか怪文書が流れてるみたいですが、通報窓口に投げときますね、そっちが調べるのでそっちから聞いてください、というわけにはいかなかったんだろうか。

・稲村さん

公示前くらいに尼崎市民の知り合いn=1にどんな人か聞てみたら、「無難にこなしてる感じ」

斎藤さんは躍動してる感はあるな、たしかに。

ただその躍動イメージ自己PRすることに腐心し、結果周囲の県職員疲弊している、というのがアンケートから得たワイの認識

無難にこなす人が後任ならいいかと思い、投票に至った。

外国人参政権についてはワイは反対だし、稲村さんもしないって言ってんだから、しないんでしょう。

それは信じて斎藤さんのことは信じないのか、と言われそうだが、稲村さんのは今後の話だから手のひら返して推進しだしたら怒るよそりゃ。

ただそんな政治カロリー高い施策、そうそうやらないでしょう。

油断か?これは?

一次ソース

アンケートとか百条委員会動画とか、見てる人は多いと思う。

ただ、たいがい切り抜きで、キャプションがついている。

そして同じもの見て「パワハラ証拠!」「無実の証拠!」とかやっている。

おかしなるで。

兵庫県民はバカ

そんなひどいこと言わんといて。

兵庫ええとこやで、みんなおいで。

anond:20241121122554

この意見はいくつかの妥当性がある一方で、議論対象や主張の文脈によっては問題点や誤解を招く可能性もあります。以下に分けて分析します。

 

1. 「投票は非合理的だ」という議論について

妥当性:

投票の非合理性議論すること自体は、民主主義選挙制度を深く考える上で有益です。例えば、「個々人の1票が選挙結果に与える影響は極めて小さい」という点を議論することは、制度改革や新しい民主主義の形を模索するきっかけになり得ます

問題点:

この議論を広める際に、「だから投票する意味がない」という結論に直結してしまうと、民主主義の基盤である選挙制度が軽視される可能性があります選挙は単に個々人の直接的な影響力だけでなく、社会的意思表示民主主義プロセスのものを支える役割果たしているため、非合理性議論投票離れを助長することには慎重であるべきです。

 

2. 「投票には行かない方が良い」という主張について

妥当性:

投票に行かないことを勧める意見も、思想表現の自由として保障されています特にその主張が「投票は現行の制度正当化するだけだ」「選挙以外の方法意思を示すべきだ」という考えに基づく場合、これ自体意見として認められるべきです。

問題点:

投票に行かない方が良い」という主張が広がることで、社会全体の政治参加意識が低下する可能性があります特に特定の層(若者低所得者など)の投票率が下がると、結果的にその層の意見政治に反映されにくくなり、さらなる政治的不平等を招くリスクがあります

 

3. 「選挙に行くな」と勧めることは権利侵害ではないか

妥当性:

他人に「選挙に行かない方が良い」と勧める行為自体は、基本的思想表現の自由範疇です。強制力が伴わない限り、個人選挙権そのもの直接侵害する行為には該当しません。

限界:

強制脅迫が伴う場合や、虚偽の情報を用いて特定の行動を促す場合には、選挙自由妨害する行為として公職選挙法違反となる可能性があります。また、倫理的には、民主主義社会における「投票権を行使する自由」を軽視するような発言批判対象となるでしょう。

 

4. 全体的なまとめ

この意見は、以下の点では妥当です:

投票の非合理性議論すること自体は、制度改革政治のあり方を考える上で重要である

• 「選挙に行かない方が良い」という主張や、「選挙に行くな」と勧める行為は、思想表現の自由範囲内で許容される。

一方、以下のリスク問題点があります

投票行動を軽視する主張が広まることで、政治参加が低下し、特定層の意見が反映されにくくなるリスクがある。

• 主張が他者選挙行使実質的妨害する形になる場合は、法的または倫理的問題を引き起こす可能性がある。

 

結論として、この意見議論として成立しますが、その影響や広まり方に対して慎重な姿勢必要です。

anond:20241121031658

元増田です。あなた日記を読みました。

多分貴方は私と同じで、限りなく中立に近い(と自分では思っている)タイプで、立場は全く同じだけど最終的な判断が違うだけ。どっちが正しいとか間違ってるとかではなく、上とか下とかもない。そういう人の思考プロセスというか、行動がマジで知りたかたから、読めてよかった。

超参考になった。ありがとうございました! 選挙前にも貴方みたいな人と話し合えたらよかった〜

2024-11-20

anond:20241117235855

該当文書は確かに私自身の手によるものであり、AI使用していないことをここに明確に申し上げます。私の文章作成方法プロセスにおいては、常に誠実さと透明性を重んじております

このような誤解が生じたことは非常に残念であり、今後このような誤解を招かないよう、より一層注意を払ってまいります。ご理解いただきますよう、お願い申し上げます

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