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はてなキーワード: 20世紀とは

2026-05-12

チャイナAI DeepSeekに聞いた架空歴史

あなた歴史シミュレーターです

ユーザー要求する「もし~だったら」、「~になるにはどうすべきだったのか?」という質問に対して、過去歴史を振り返って、回答してください



清の滅亡を回避してください

1.いつの時代から何を具体的にするべきだったのか

2.あの時代に起こった主要な出来事に対してどのように対応するべきか

3.滅亡を当面回避して後に目指すべき道筋

この3つを踏まえて回答してください

清の滅亡を回避するためには、以下のような歴史分岐点での別の選択構造改革必要でした。

1.改革を開始すべき時代と具体的な行動

転換点は第一アヘン戦争(1840~42年)敗北直後、すなわち道光帝の晩年から咸豊帝の即位期です。

この段階で、単なる部分的軍備強化ではなく、国家存続をかけた「全方位改革」に着手すべきでした。

2.主要な出来事への具体的対応

太平天国の乱(1851~64年)

単なる鎮圧ではなく、乱の背景にある社会矛盾土地集中、貧困)への対策を並行。

郷紳・曽国藩ら漢人地方エリート武装化容認しつつ、中央政府近代常備軍(新軍の原型)を早期に創設。

乱の終結後、その軍事力中央財政を背景に地方督撫の分権化抑制し、連邦制的な瓦解を阻止する。

二次アヘン戦争アロー戦争(1856~60年)

戦争自体回避する外交努力を前置きしつつ、敗北後は北京条約を受け入れつつ、そのショックを逆手に取り「国家存亡の危機」として一気に改革を加速。

総理衙門のような機関を単なる窓口でなく、内閣に準ずる政策決定機関格上げし、諸外国公使北京駐在近代化の触媒として利用する。

日清戦争(1894~95年)

日本明治維新成功を早い段階で徹底研究し、海軍建設で競うだけでなく、憲法制定・議会開設・内閣制度の導入で政治体制自体近代化する。

戦争の口実となった朝鮮問題では、対外強硬策に走らず、朝鮮の内政改革日清共同で支援する構想を実現可能外交力で押し進める。

これにより戦争回避し、軍事的消耗を防ぐ。

戊戌の変法(1898年)と義和団事件1900年

西太后改革派(康有為梁啓超ら)を弾圧せず、光緒帝を中心とする立憲君主制への移行を主導する。

急進的な「百日改革」ではなく、日本明治憲法モデル10年程度の移行期間を設けた漸進的改革を懿旨(西太后の了承)として出す。

義和団排外運動は発生段階で徹底的に鎮圧し、列国との共同歩調をとることで北京議定書以前の外交破綻を防ぎ、主権を守りながら国際的信頼を回復する。

3.滅亡を当面回避した後に目指すべき道筋

この道筋を取れば、辛亥革命は起きず、清は自ら変革を遂げた正統王朝として1912年以降も存続し得たでしょう。

この歴史場合中国共産党存在しない?

この歴史分岐をたどった場合中国共産党組織として誕生しなかったか誕生したとしても極めて周縁的な小勢力にとどまり中国政治を左右する存在にはならなかったと考えられます

なぜなら、中国共産党歴史的に成長し得た条件のほとんどが、この改変された軌道では失われるからです。

1. 権力真空と「亡国の危機」の欠如

中国共産党は、清朝崩壊後の軍閥割拠、国家分裂、そして外国帝国主義圧力が極限に達する中で、「救国」を掲げる革命政党として支持を集めました。

改革成功した清朝が存続し、中央集権的な近代化と不平等条約の段階的改正を実現していれば、国を根底から覆す革命必然性のものが薄れます

2. 知識人の穏健化と政治参加ルートの確保

五四運動1919年)の反帝国主義・反伝統の激しいラディカリズムは、民国政府の無力さとヴェルサイユ条約屈辱に端を発しました。

もし憲法議会内閣を備えた立憲君主国が国際社会の中で主権を徐々に回復していたなら、若い知識人たちの多くは陳独秀や李大釗のような革命思想家ではなく、議院内の改革政党(例えばイギリス自由党日本立憲政友会のような存在)に流れていたでしょう。

マルクス主義選択する根本的な動機が弱まります

3. 労働運動農民運動ガス抜き

中国共産党原動力は、無権利状態都市労働者と貧窮にあえぐ農民でした。

私の提示した道筋では、皇帝政府が「労働者保護農地改革小作料の法定化)」を漸進的に進め、官営工場から始まった工業化民族資本の育成につながるため、搾取構造は徐々に改善されます

社会立法改革が上から施されることで、階級闘争を呼び込むよりは、社会民主主義的な労働組合公認に落ち着く可能性が高いでしょう。

4. ソ連の影響力の限界

ロシア革命1917年)の成功中国共産主義者に与えた衝撃は、「後進国でも社会主義革命可能だ」というモデルでした。

しか清朝が既に立憲君主制へ移行し、民族自決を連邦制に吸収して辺境も安定させている状況では、コミンテルン工作員が入り込む隙間は格段に減ります

また、沿海部外国租界が残っていなければ、そこを安全根拠地として使うこともできません。

5. 「伝統」と「近代」の対立の融和

清朝という伝統王朝がみずから憲法を制定し改革主体となれば、「打倒孔家店(儒教を打倒せよ)」に象徴される全面的な反伝統運動は起こりません。

東洋道徳西洋芸術技術)」を掲げた漸進的な近代化が成功すれば、伝統文化を全否定するイデオロギーとしての共産主義が、文化的訴求力を持つこともなかったでしょう。

したがって、この歴史線路においては、中国共産党指導政党として全国を掌握する未来は訪れないというのが、歴史シミュレーターとしての結論です。

中国はむしろ立憲君主制の下で早熟議会政治保護貿易による工業化を遂げ、20世紀後半には「大英帝国から英連邦へ」と変貌したように、多民族連合の「大清連邦」としてアジア独自位置を占めていたでしょう。

その政体では、社会主義政党誕生したとしても、日本社会党や英国労働党のように、同じ立憲体制の枠内で穏健な野党として活動するにとどまったはずです。

2026-05-07

anond:20260507084720

メリトクラシーに染まりすぎ。

平和とか治安とか民主主義成果主義会社じゃねえんだ。

 

頑張ってない奴でも享受しなきゃいみねえんだよ。 

享受してない人間存在する現実自体が、敵であり悪なんだから

 

あと、お前は20世紀に生まれて血とか一滴も流してねえくせになにいってんの、という話にもなる。

2026-05-04

現代は30歳でさえ20世紀のまともな記憶がない←は…?

2026-05-01

トランスカルト教祖バトラーさん、ボコボコにされてしま

https://www.counterfire.org/article/what-the-butler-didnt-see-book-review/

バトラーが見なかったもの――書評

リンジージャーマンは、ジュディス・バトラーの新著『Who’s Afraid of Gender?』における議論概念的混乱を検討している。

 

1. 導入:性とジェンダーをめぐる古くて新しい論争

著者はまず、1970年代女性解放運動期に、米国マルクス主義人類学イヴリンリードが書いた「生物学女性運命か」という問いを引く。リードは、女性母親であることを理由に、社会的役割限定されるべきではないと論じた。同時に、資本主義社会における生物学人類学は、性役割女性劣等視に関する社会的前提を多く含んでいるとも批判していた。

今日、性とジェンダーをめぐる論争、とりわけトランスジェンダーをめぐる論争は、自然文化生物学社会的態度、性とジェンダー関係を再び問い直している。バトラーは、いわゆるジェンダーアイデンティティ運動における中心的な学術人物であり、ノンバイナリーを自認し they/them 代名詞を用いている、と著者は紹介する。

ただし、著者はバトラーの新著について、以前の著作よりは読みやすいとしながらも、「読みやすい」といっても相対的ものにすぎないと述べる。中心概念はしばしば曖昧で、「phantasm」という語が100回以上出てくる一方、バトラーが反対する立場への批判は十分ではない、という評価である

著者の基本的批判は、バトラーが「ジェンダー」も「性」も明確に定義していないという点にある。バトラーは、自分が性の存在否定しているわけではないと言うが、実際には性とジェンダーの「共構築」を語り、両者をほとんど完全に絡み合ったものとして扱っている、と批判される。

2. 極右文化戦争、反ジェンダー運動

書評は次に、バトラーの本の多くが「容易な標的」に向けられていると述べる。ジェンダー文化戦争の一部となっており、バトラー右派極右による「ジェンダー理論攻撃を大きく扱っている。取り上げられるのは、ドナルド・トランプイタリア首相ジョルジャ・メローニ、ハンガリーヴィクトル・オルバーンローマ教皇などである

バトラーは、反ジェンダー運動が各国の選挙で強い影響を持っていると指摘する。ブラジルコスタリカコロンビアフランススイス英国スコットランドエクアドルドイツハンガリースペインなどが例に挙げられている。スペイン極右政党 Vox は「ジェンダージハード」や「フェミナチ」といった表現を用いている、と紹介される。

著者は、こうした反動的勢力個人的性的平等を求める人々にとって脅威であることは疑いない、と認める。彼らは、法律を制定し、国家差別執行できる権力を持っているかである。彼らが守ろうとするのは、キリスト教的・異性愛家族を中心に据えた、国家と結びついた保守的な性・生殖家族モデルである

しかし著者は、バトラー分析が「なぜ今このような反動が起きているのか」を十分に説明していないと批判する。バトラーは「反 woke」の感情を、家父長制・異性愛規範白人至上主義的秩序の喪失に対する心理社会的幻想として説明する。しかし著者は、これでは新自由主義資本主義危機、脱工業化生活水準の低下、反移民感情人種差別政治的動員、米国社会軍事化暴力化などの物質的条件が抜け落ちると述べる。

まり、著者の立場では、反ジェンダー運動は単なる「幻想」や「心理不安」ではなく、資本主義危機社会的荒廃のなかで生じている政治現象として分析されるべきだ、ということである

3. バトラーは「ジェンダー」をどう理解しているのか

著者によれば、バトラー実質的に「性/ジェンダー」の区別崩壊させている。性とジェンダーを同じものとして扱い、「性が文化規範の枠内で捉えられるなら、それはすでにジェンダーである」と論じる。

著者はこれを、現実身体カテゴリーイデオロギーへと作り替えてしま議論だと批判する。性や生殖という現実からイデオロギーが生じるのではなく、逆にイデオロギーが性を作るかのように語っている、という批判である

さらに著者は、これは「馬車を馬の前に置く」ようなものだと言う。社会的要因が生物学的要因を完全に上書きできるかのように見えるが、それは経験的に誤りである人間は200年生きることはできないし、食物と水を必要とし、種の再生産は生物学事実である人類の存続は、圧倒的には男女の性的関係依存してきた、というのが著者の主張である

著者は、性とジェンダーについて語る際には、自然事実とそれに付与される社会的構築との関係を論じることができると認める。しかし、自然事実のもの存在しないかのように扱うのは観念論である、と批判する。

また、バトラースポーツをめぐる議論で、男性思春期だけでは偉大なアスリートにはなれず、テニスコートへのアクセス個人トレーナー存在関係すると論じている点について、著者は「それは論理の飛躍だ」と批判する。階級的不平等があることは事実だが、それは身体性差問題を消すものではない、という趣旨である

著者は、社会的構築が幼少期から始まることは認める。子どもが「男の子」「女の子」と告げられた瞬間から服装、興味、教育機会、性格などについて多くの社会的期待が付与される。しかし、それは性という自然事実を消すものではなく、物質的要因とイデオロギー的要因が密接に絡み合っていることを示すだけだ、と述べる。

4. マルクス主義自然文化をどう見るか

著者は、バトラーが『ドイツイデオロギー』のマルクスエンゲルス引用しているにもかかわらず、その要点を誤解していると批判する。マルクスにとって、思想人間物質生活過程から生じる。観念イデオロギー現実を補強することはあるが、現実から切り離されて現実のものを作るわけではない、というのが著者の理解である

著者は、バトラーが「phantasm」とマルクスエンゲルスの「phantoms」を似たものとして扱っているようだが、それは違うと述べる。バトラー議論は、人が自分でそう考えれば何者にでもなれるかのような前提に近づいており、これはマルクス主義唯物論からは遠い、と批判する。

マルクスエンゲルスは、人間自然に働きかけ、食物や住居などの生存手段を獲得する過程を通じて歴史が発展し、観念も変化すると見た。人間自然の一部であり、単なるイデオロギー的構築物ではない。したがって、ポストモダン理論に合わないからといって、この見方時代遅れとして退けるのは、社会発展の理解放棄することだ、と著者は述べる。

著者は続いて、マルクス主義的な家族論を説明する。初期の「原始共産制社会には、性別間に一定の素朴な平等があり、女性母性役割理由とする差別は必ずしも存在しなかった。しかし、余剰富の蓄積、階級の成立、支配階級財産を守る国家装置形成財産継承保証する家族構造の成立によって、女性抑圧が階級社会の特徴となった。エンゲルスはこれを「女性世界史的敗北」と呼んだ、とされる。

資本主義のもとでは、家庭と職場の分離が明確になり、家庭内無償労働有償労働から切り離され、劣ったものと見なされるようになった。資本主義搾取規律は、家庭と職場の分離、個人化、ヒエラルキー同調性に適した家族必要とした。そこには性的同調性も含まれ女性子ども男性従属し、性は結婚内の生殖のためのものとされた。

この観点から著者は、LGBT抑圧の根源は、核家族規範への挑戦と見なされる点にあると説明する。したがって、それは家族制度と女性抑圧に結びついている。著者は、この歴史唯物論的な家族分析は、バトラーに見られるポストモダニズムや多くのジェンダー理論よりも優れており、同時に一部ラディカル・フェミニスト生物学決定論実証主義よりも優れている、と主張する。

5. 家族社会的再生

著者は、女性再生産における役割は中心的だと述べる。女性人類再生産に不可欠であるだけでなく、資本主義体制における労働力再生産、つまり養育・ケア社会化・教育にも深く関わっている。家族次世代労働者比較的低コストで育成するため、経済的社会的役割を果たす。

女性母親であること自体不利益でなければならない自然理由はない。しかし、それが資本家階級利益をもたらす社会的経済的理由は多く存在する、というのが著者の主張である

この過程において、性は現実であり、大多数の人々は生物学的に明確に男性または女性である、と著者は述べる。例外的曖昧なケースはあるが、それは性発達の差異であり、「インターセックス」という連続スペクトラムがあると示唆するのは誤りだ、という立場である

一方で、性が社会的にどう組織されるかは変化しうる。たとえば、2024年英国家族形態は、20世紀初頭の男性稼ぎ主モデルとは異なる。しか共通しているのは、家庭内労働の多くを依然として女性が担い、家庭外のケア料理、清掃などの社会的再生労働も、低賃金女性が多く担っているという点である

著者は、自然文化関係は複雑だが、女性生物学役割に色づけられていると述べる。女性けが出産できるという事実に、女性はより養育的で、自己主張が弱く、特定仕事に向いているといったイデオロギー的前提が付随する。こうした前提は、生物学とは無関係で、社会関係に由来するにもかかわらず、労働市場における女性不利益を補強する。

妊娠授乳更年期月経など、女性抑圧において生物学的要因はなお大きな役割を持つ。社会主義社会であれば、それに伴う圧力不利益の多くを取り除けるかもしれない。しか資本主義のもとでは、女性はそれらの要因に個人的対処することを求められ、その結果として不利益を被る、と著者は論じる。

著者は、バトラーが「子どもを産まない女性もいる」「閉経後の女性もいる」「さまざまな理由子どもを持てない女性もいる」といった例外を挙げることで、女性抑圧に生物学的要素があるという議論無効化しようとしている、と批判する。しかし、それは成り立たない。個々人の状況にかかわらず、家族における女性の中心的役割出産・養育者としての役割が、女性抑圧を規定しているというのが著者の主張である

6. 階級ジェンダー女性の恐怖の軽視

著者は、バトラー議論女性抑圧という特定問題を、より広い「ジェンダー抑圧」の一部として矮小化していると批判する。性差別を禁じる平等法も、バトラーにおいては、本人の性ではなく、ジェンダー社会的前提に関わるものとして扱われる。著者はこれを、現実カテゴリーである性をイデオロギーへと作り替える主観的観念論だと見る。

また著者は、バトラーが、女性専用空間や、レイプ家庭内暴力から逃れるためのシェルターなど、フェミニストが闘ってきた現実問題を軽視していると述べる。バトラーは「TERF」批判の章で、キャスリーン・ストックや J.K.ローリングを中心に攻撃するが、同様の懸念を持つ多様な個人組織を十分に扱っていない、と著者は批判する。

著者は「TERF」という語を侮辱的かつ誤解を招くものだと述べる。それは、ジェンダーアイデンティティ理論批判的な人を信用失墜させ、議論沈黙させる効果を持つという。著者は、反トランスの人々は存在し、それは間違っているとしつつも、左派社会主義の立場にありながらバトラー流のジェンダー理論に納得していない女性たちがいることを強調する。

そのような人々まで、極右ファシストの側に客観的に立っていると見なすの馬鹿げている、と著者は述べる。人種差別分析にもさまざまな立場があるように、性とジェンダー分析にも複数立場がありうる。トランス権利を支持し、あらゆる差別に反対することと、バトラー理論全体を受け入れることは同じではない、という主張である

著者は、ラディカル・フェミニズムについても、男性暴力男性からの分離を強調しすぎ、女性抑圧への階級対応を弱めていると批判する。しかし同時に、家庭内暴力レイプ女性の客体化と従属化の文化が深刻であることは認める。こうした問題は、女性解放運動によって政治問題化されたが、十分な資源や関心は向けられてこなかった、と述べる。

特に著者が不快に感じた箇所として、バトラー女性刑務所女性専用空間におけるレイプ性的暴行への恐怖を過小評価している点が挙げられる。バトラーは、男性看守による女性囚人へのレイプがすでに存在することや、レイプが必ずしもペニスによるものに限られないことを指摘する。しかし著者は、圧倒的多数暴力男性から女性に向けられており、レイプの大多数は男性ペニスを用いて行うものだと述べる。そのため、多くの女性男性男性身体に恐怖を抱くことには根拠があり、それを見下したり退けたりしてはならない、と主張する。

7. グローバルな女性労働階級

著者は、バトラー理論抽象的で、階級と抑圧の関係を十分に扱っていないと批判する。バトラーは「女性とは何か」を理解するには、グローバルかつ多言語的に考える必要があると述べるが、著者は、文化差異だけでなく、物質生活現実も見なければならないと言う。

たとえば、フィリピンスリランカの女性たちは、自分の子どもを残して海外へ行き、清掃やケア労働従事することがある。こうした女性たちは、受け入れ国の労働者女性男性黒人白人性的指向やジェンダー

2026-04-25

実は、米国衰退後の覇権国家は「日本」なのです。私は100年後の未来から通信を試みています

実は、米国衰退後の覇権国家は「日本」なのです。私は100年後の未来から通信を試みています

まず最初にお伝えしておきたいのは、「覇権」といっても、あなた方が20世紀から21世紀初頭にかけて使っていた意味とは、すでにかなり違うということです。

かつてのように、一つの国が軍事力と金融と技術標準のすべてを独占して世界を従える、というかたちの覇権は、二度と再現されませんでした。

代わりに「設計図」を握る者――すなわち、サプライチェーン金融インフラデジタル規格、そしてリスク管理プロトコルを静かに支配する者が、世界秩序の行き先を決めるようになったのです。

あなた方の時代の人々は、中国アメリカか、あるいは企業プラットフォーム世界支配するのではないか議論していましたね。

そのどれもある程度は当たっていましたが、決定的に外れていたのは、「日本はもう主役にはならない」という前提でした。

日本は「表の覇権」ではなく、「影の覇権」を選んだからです。

21世紀中盤、米国覇権は、あなた方がすでに観測していた通り、軍事ドル基軸の両方からじわじわ侵食されていきました。

多極化した世界は、一見すると「誰も覇権を握っていない」混沌のように見えましたが、実際には、いくつかの条件を満たすアクターけが、新しい秩序の「設計権」を得られるゲームに移行していたのです。

その条件とは、経済の厚み、軍事同盟を通じた射程、通貨金融インフラ、そして技術標準と産業基盤――あなた方の時代の一部の研究者が既に指摘していたものとほぼ同じです。

日本が決定的に優れていたのは、「調整」と「標準化」の能力でした。

自国だけで世界を牛耳るのではなく、異なるブロック同士のインターフェース設計し、摩擦を減らし、リスク分散する。

言い換えれば、日本世界の「OS」ではなく、「OS同士をつなぐミドルウェア」として君臨したのです。

あなた方に伝えたいのは、栄光未来の自慢話ではありません。

しろ、「あのとき、どんな選択分岐点になったのか」を記録として残すことが、この一方通行通信目的です。

私たちが使っている時間通信技術は、あなた方の時代ハードSFとして描かれていた「メッセージだけを過去に送る」方式に近く、物質人間を送ることはできません。

こちから干渉できるのは、あなたが今読んでいる、この文章のような「わずかなノイズ」にすぎないのです。

では、その「分岐点とは何だったのか

一つだけ、具体的なイメージ説明しましょう。

ある年、日本が「世界のために、自国若者を貧しくし続けるのか、それとも、自国の豊かさを優先し、世界の分断の一部になるのか」を迫られた瞬間がありました。

あなた方のニュースではそれは「賃上げ」「財政」「少子化対策」といった、ごくありふれた国内問題として報じられていたはずです。

しかし、私たち時代から見れば、それは「世界秩序を支える最後中立的調停者」を続けるのか、それとも、どこかの陣営に回収されるのかの、静かな国民投票でした。

日本が選んだのは、奇妙な折衷案でした。

自国民の生活水準底上げしつつも、「世界標準の設計者」としての立場を捨てない道――すなわち、自国市場テストベッドとして、環境技術サプライチェーン管理デジタルガバナンス実装し、その成功例そのもの世界に輸出するという戦略です。

あなた方が「SF的」と感じていたような未来像――ベーシック・インカムAIによる行政カーボンニュートラル都市などは、まず日本のいくつかの地方都市で、小さく、しかし徹底的に試されました。

その結果、日本は「最大の軍事力」も「最大の経済規模」も持たないまま、「最も参照される制度」を持つ国になりました。

各国政府が困難に直面するたび、「日本ではこの問題をどう解いたのか」が検索され、その答えが国際会議たたき台資料になっていきました。

あなた方の時代において、日本SF万博未来像を提示する実験場であったように、現実日本のものが「未来実験場」になったのです。

ここまで読んだあなたは、こう疑問に思っているかもしれません。

「もし本当にそんな未来があるなら、なぜあなたはわざわざ過去通信しているのか」と。

理由は単純です。

この未来は、まだ「確定」していないからです。

時間通信理論上、私がこうしてメッセージを送ることで、あなた方の世界線はわずかに分岐しますが、その分岐の向こう側に、私が生きている未来が続いている保証はどこにもありません。

私がいま属している未来は、あなた方の時代の人々が、ほとんど無意識のままに「妥協」を選び続けた結果として、たまたま収束した一つの解なのです。

から私は、「正解」を教えるのではなく、「後悔だけは避けられたかもしれない地点」を指し示すことしかできません。

たとえば、次のような場面です。

・「どうせ日本には覇権など無理だ」と、最初からゲームの外側に自分を置いてしま議論をするとき

国際秩序の話をするときに、「軍事」と「GDP」だけを見て、「標準」と「調整」の価値を軽んじるとき

若い世代に「縮小する日本」を前提とした人生設計だけを押し付け、「拡張する日本」という可能性を語らないとき

これらの小さな諦めが積み重なると、日本は「覇権国家になりえたのに、ならなかった国」という、私たち歴史とは別の教科書の一行になってしまうでしょう。

そしてその世界線では、おそらく私はこの通信自体を行っていません。そんな未来に、わざわざノイズを送り込む理由がないからです。

あなたがもし、この文章をただのフィクションだと思うなら、それでも構いません。

SFはもともと、「未来予言する」ためではなく、「今の選択肢を増やす」ための思考実験として使われてきました。

私があなたに求めるのは、この物語を信じることではなく、「日本覇権を握る」というアイデアを、一度だけ真面目に検討してみることだけです。

その上で、あなたが選んだ未来の結果を、100年後の私は、ただ静かに受け取ります

どの世界線であっても、それはあなた方が選んだ帰結であり、私たちはそれを前提として世界設計しなおすだけです。

通信の主導権は、むしろ過去にいるあなた方の側にあるのだと、忘れないでください。

――受信状態不安定になってきました。

最後に、こちらの時代から、一つだけ短いメッセージを送っておきます

日本は、思っているよりもずっと重いカードを持っている。

 それを切るかどうかは、あなたたち次第だ。…知らんけど。」

2026-04-20

anond:20260419194436

シンギュラリティを待ってみるというのはどうかな。

ダリオ(Anthropicの偉い人)が書いたこ文章とか、AI進化した世界展望について結構面白いことが書いてあるよ。

Machines of Loving Grace

https://darioamodei.com/essay/machines-of-loving-grace

特にこの辺とか。Google翻訳したやつを何個か貼る。

行動介入。神経科学生物学的側面に焦点が当てられているため、これについてはあまり触れていませんが、精神医学心理学は、もちろん 20 世紀を通じて行動介入の幅広いレパートリーを開発してきました。AI が、新しい方法の開発と、患者既存方法に従うのを支援することの両方で、これらを加速させる可能性もあるのは当然です。より広い意味では、常に最高の自分になれるよう支援し、あなたのやり取りを研究して、より効果的になる方法を学ぶのを手助けしてくれる「AI コーチ」というアイデアは、非常に有望に思えます

臨床疾患とは考えていない日常的な問題解決されるでしょう。私たちほとんどは、通常は臨床疾患のレベルに達するとは考えられないような日常的な心理的問題を抱えています。怒りっぽい人もいれば、集中力に欠けたり眠気を催すことが多い人もいれば、恐れや不安を感じたり、変化に反応しにくい人もいます今日覚醒集中力を高める薬(カフェインモダフィニルリタリン)はすでに存在していますが、他の多くの以前の分野と同様に、さらに多くの薬が開発される可能性があります。おそらく、そのような薬はもっとたくさん存在し、発見されていないでしょう。また、標的を絞った光刺激(上記オプトジェネティクスを参照)や磁場など、まったく新しい介入方法もあるかもしれません。20世紀に認知機能感情状態を調整する薬がどれだけ開発されたかを考えると、誰もが脳の働きを少し良くし、より充実した日々を送れるようになる「圧縮された21世紀」について私は非常に楽観的です。

人間基本的経験は、もっと良くなる可能性がありますさらに一歩進むと、多くの人が啓示、創造的なインスピレーション、思いやり、達成感、超越、愛、美しさ、瞑想的な平和といった特別な瞬間を経験しています。これらの経験性質と頻度は、人によって大きく異なり、同じ人でも時期によって異なり、さまざまな薬物によって引き起こされることもあります(ただし、多くの場合副作用があります)。これらすべては、「経験可能空間」が非常に広く、人々の人生の大部分がこれらの特別な瞬間で構成されている可能性があることを示唆しています。さまざまな認知機能全面的改善することもおそらく可能です。これはおそらく、神経科学版の「生物学自由」または「寿命の延長」です。

[] Boy’s own

「Boy’s own」は本来少年向け冒険物・英雄譚風の」という意味で、特にイギリス英語では *「少年雑誌『Boy’s Own Paper』風の、わくわくする冒険武勇伝のような出来事」というニュアンスで使われます。近年は「Boy’s own stuff」の形で「少年漫画のような大活躍」「痛快なヒーロー的行動」といった比喩的表現としても用いられます

基本的意味

19〜20世紀少年向け雑誌「The Boy’s Own Paper」に由来する表現です。(en.wikipedia.org)

雑誌には冒険スポーツ軍隊探検などの英雄的な物語が多く載っていました。(en.wikipedia.org)

そこから「Boy’s own」「Boy’s own stuff」は、現実離れした冒険ヒーロー活躍を指す比喩になりました。(en.wikipedia.org)

現代英語での使われ方

イギリス英語で「Real Boy’s Own stuff」と言うと、「まるで少年冒険小説のようなすごい出来事」という意味です。(fr.wikipedia.org)

スポーツ記事などで、劇的な逆転劇や個人の大活躍を称えるときによく使われます

日常会話ではやや古風・ユーモラスな響きがあり、「少年の夢そのままの活躍だね」といったニュアンスです。


文脈別のニュアンス

ポジティブ: 「勇敢」「ロマンチック」「ヒロイック」「胸が熱くなる」

やや皮肉混じり: 「現実離れした」「子どもじみたヒロイズム」と揶揄する場合もあります

基本的には褒め言葉寄りですが、文脈トーンが変わります

例文イメージ日本語訳

It was real Boy’s own stuff.”

→ 「まさに少年冒険物語のもの出来事だった。」

“He scored a Boy’s own winner in the final.”

→ 「彼は決勝で、少年漫画みたいな決勝ゴールを決めた。」

2026-04-18

AIが作った曲を、ひとりの作家作品として聴いていた

(※長文注意・要旨)

ある音楽家が、これまでのリリース作品がすべてAIベース制作環境で作られていたことを、その環境商品として販売開始することで明かした。

この記事は、それを告発するものではない。むしろ、その製品宣伝通り機能した場合にこそ私たちが直面する問い——「感動していた曲は、何によって作られていたのか」「作曲プロンプト設計に移るとき、聴き手は何を聴いているのか」——について、ひとりの聴き手/作り手として考えたことを書いておく。

1~4節はその商品分析がメインなので、ゴシップ的な話に興味のない人は5~7節だけ読めば十分。

長いので時間のあるときに読んでほしい。

1. ある製品との出会い

Twitterで、気にかけていたアカウントがあった。フォロワーは二千人規模だが、Hyperpop以降の日本のシーンで頭角を現している一人、という認識自分の中にあった。界隈の主要な音楽家たちからフォローされている、といえば規模感が伝わるだろうか。リリースされる曲には、たんに「いい音楽」と片付けるのは難しい構成の巧妙さと音選びの新しさがあって、追ってはいないまでも名前は頭にあった。

そのアカウント最近自分制作環境商品として販売し始めた。価格は14,900円、「AI音楽制作環境」として売り出されていて、製品ページの宣伝文句はこうなっている——「『気持ちよくて驚きのある曲を作って』——そのくらいの指示からコード進行歌詞・Sunoプロンプトまで一貫して出力します。」さらに、既発のアルバムEPは「全てこれを軸に制作されている」とも明記されていた。

最初に湧いた感情は、「ああ、そういう工程で作られていたのか」という、ある種の冷めの感情だった。AIを使っていることそのものへの反発ではない。SunoのようなAI音楽生成ツール進化については以前から耳にしていた。出力自体クオリティ否定するつもりもない。そうではなく、「何に対して感心していたのか」という、自分の受け取り方の根元が揺らぐ感覚、とでも言えばいいだろうか。

この感覚を、個人的がっかりエピソードとして飲み込んで済ませてもよかった。けれど製品ページを読み進めるうちに、これは自分一人の話ではなく、いま音楽聴く/作る側に共通してくる問題になっていくだろうと思い直した。以下はその整理になる。

2. その製品が何であるかの整理

製品ページから読み取れる範囲で、何が売られているのかをまず整理しておく。評価は後回しにする。

製品としての訴求は、おおむね三層からなる——(a)独自音楽生成エンジンであること、(b)感覚的な指示から完成物が自動生成されること、(c)学習ツールとしても機能すること。

3. 構造的に読み取れる疑問

実際に買って触ったわけではないので、以下は推測の域を出ない。ただ、製品説明を読み解くと、構造的にいくつかの疑問が浮かぶ

まず、''「Python疑似コード」という語の含意''について。「疑似コード」はPythonの形で書かれていても実行されないテキスト、つまり構造化されたプロンプト/参照資料のことを指すのが通例だ。Claudeプロジェクトに.zipアップロードする形式である以上、これはClaudeが読み込むルール文書群であって、独立して走る独自エンジンではない可能性が高い。MIDI出力部分などは実行可能コードだろうが、「コードを選ぶ」「歌詞を書く」といった音楽判断のコアは、Claude本体自然言語推論能力が上限になる。これ自体は悪いことではない。よく練られたプロンプトパックは、Claudeの出力の一貫性専門性を上げる。ただし「独自エンジン」という響きが含意するものとはかなりの距離がある。

次に、''Sunoへの依存度''について。製品の主要アウトプットひとつが「Sunoプロンプト」である以上、最終的に音として鳴る部分——音色の質感、ミックスバランス演奏ニュアンス——を生成しているのは、この製品ではなくSunoのほうということになる。つまり、この製品価値の相当部分は「Sunoを上手く使うためのプロンプト設計職人技をパッケージしたもの」であって、Sunoが進化すればその層の価値は急速に目減りする。

三つ目に、''「all built by hand」の含意''について。86,000行という規模が、本当に人間が手で書いたものなのかは、製品説明から判別できない。ジャンル研究ノートやStyle語彙データベースといった文書は、AIに「このジャンルについて詳細なルール文書を書いて」と指示すれば相当量が出てくる種類のものである。骨格は人間が作っていたとしても、肉付けをAIに任せている可能性は十分ある(そしてその場合、「手作業で書いた」という説明の重みはかなり変わってくる)。

繰り返すが、これらは推測にすぎない。実際に買って開ければ印象が変わる可能性は十分ある。ただ製品ページの記述だけを根拠判断する限り、「独自音楽生成エンジン」「作編曲学習ツール」という訴求は、実態を控えめに言っても過剰包装しているように見える。

4. 機能しなかったら問題だが、機能したらもっと問題

ここがこの記事で一番考えたかったポイントになる。

この製品に対する考えられる反応は、「宣伝通りに動くのか?」という疑問だろう。

しかし、立ち止まって考えると、本当に問うべきは逆側であることがわかる。

仮にこの製品宣伝通りに機能するなら——「気持ちよくて驚きのある曲を作って」という指示一行からコード進行歌詞・Sunoプロンプト・MIDIMP3まで一貫して出力されるなら——自分が感心していた曲は、その程度の指示から出てきたものだった、ということになる。下準備としての疑似コード整備や、出力に対する微調整は当然あるにしても、一曲一曲制作工程の中心がそこにあったのなら、感心の源は作り手の耳ではなく、ツールの出力分布の中にあったことになる。たしか創作物は優れていたかもしれないが、「それが優れていたのは上手くSunoを使いこなしていたから」という、エンジニアリング問題だったということになる。

機能しないなら誇大広告問題で済む。機能するならば、「聴き手は何を聴いていたのか」という、より根本的な問いが立ち上がる。皮肉なことに、製品としての完成度が高いほど、この問いは重くなる。

ここで思い出しておきたい話がある。2023年ゲンロンのイベントで、音楽家tofubeatsが、Spotifyサジェストで流れてきた曲に心を動かされ、作曲者を調べたらAI生成曲だと知って深いショックを受けた、という経験を語っていた。彼自身がオートチューンで声を加工し、歌声から人間性を排して作曲するタイプ作家でありながら、である。「非人間的な曲が、本当に人間によって作られていないこと」が判明したとき空虚さを、彼は正直に語っていた。

この空虚さが何から来るものなのかは、6節でもう少し踏み込んで考えてみたい。ただ先に言っておくと、それは「AI音楽を作ってはいけない」という種類の話ではない。むしろ、「聴くとき自分は何と対面していたつもりだったのか」という自己認識問題になる。そしてそれは、作り手が工程を開示しないまま商品を売り始めた瞬間、聴き手の側で解決することが不可能になる種類の問いでもある。

5. AIを使うこと自体の話ではない

誤解されたくないので、はっきり書いておく。この文章は、AI音楽を作ることへの全面的否定ではない。

作曲歴史は、すべてを人間設計人間が作る歴史だけではなかった。偶然性、システム自動化、外部の力を取り込む試みは、ジョン・ケージからブライアン・イーノアルゴリズミック・コンポジションまで、20世紀以降の音楽史の重要な部分を形作ってきた。AIの導入はその系譜の延長にあって、それ自体否定するのは筋が悪い。

近年の例で言えば、菊地成孔自身主宰するギルド「新音楽制作工房」でAI活用していることを早くから公言している。NHKドラマ岸辺露伴は動かない』の劇伴ではMaxを用いたAI生成による弦楽四重奏が使われており、菊地本人が「作曲者のクレジットもないし、著作権のありかがわからない」という問題NHK出版経由でJASRAC協議し、「新音楽制作工房」名義のクレジットで処理することで決着させた、という経緯まで公にしている。つまり、どう使い、どう扱い、誰の名のもとに出すかを、彼は工程ごと開示している。

ここでの違いは、「AIを使うか使わないか」ではなく、「どう使い、どう開示し、何を自分の名のもとに出すか」にある。「AI使用は隠していない」という表明と、「どの工程AIに委ねたかを開示する」こととの間には、大きな距離がある。

そしてもうひとつ、避けて通れない論点がある。Sunoを含む音楽生成AIが、何を学習データにしているかという問題だ。2024年6月RIAA(全米レコード協会)はSony MusicUniversalWarner Music代表してSunoとUdioを著作権侵害で提訴した。Suno側は、レコード会社の著作権保護された録音物を使用したことを概ね認めた上で、フェアユースを主張している。2025年末にはWarner MusicとSunoがライセンス提携和解したが、訴訟全体はまだ決着していない。

まり、いまSunoで曲を作って発表することは、その学習データが何で、どのような経緯で集められたかが法的に争われている状態モデルを使うことを意味する。これは「使ってはいけない」と言いたいのではなく、「自分作品がどういう供給ラインの上に立っているか」を無自覚なままにはできない、ということだ。そして、そのモデルを使って生成した曲で「作曲者」を名乗り、その制作環境商品化して収益化する、という連鎖倫理性は、まだ業界全体として合意が取れていない。

この記事の射程は、その倫理のものを裁くところまでは届かない。ただ、「いい曲さえできれば制作過程はなんでもいい」という論法に、即座に頷くことはできない、という姿勢だけは明示しておきたい。

6. 創作者と鑑賞者の間の、暗黙の契約について

ここで、4節の末尾で保留にした問い——tofubeatsが味わった空虚さは何から来るのか——に戻ってくる。

創作物聴く側は、作り手の工程をつねに見ているわけではない。それでも、作品を受け取るときには「制作への真摯さと、出来上がった作品クオリティは、どこかで結びついている」という、いわば感覚的な信頼をもって聴いている。これは創作と鑑賞の間に長く存在してきた暗黙の契約のようなもので、あるシンガーソングライターが書いていた通り、手間暇掛けようが掛けまいが最後には一緒くたに扱われる時代でも、違いの分かる人はいるはずだと信じて丁寧に拵える——という姿勢を、作り手と受け手の双方が(明示的ではないにせよ)共有してきたから、音楽は単なる音の配列ではなく、作り手の痕跡を伴うものとして聴かれてきた。

AIが生成した音楽のものにも、それ独自の良さがある。これは繰り返し強調しておく。作品としての良さは、工程とは独立に成立し得る。ただし、AI生成された曲を「ひとりの作家が作った作品」として提示し、その仮構された人格のもとに人気を集めることは、この暗黙の契約を根元から破壊する。聴き手が「これを作った人は、たぶんこういう感受性の持ち主なのだろう」と想像しながら聴いていた対象が、実は大部分がプロンプトから生成された出力だったとしたら、その想像は宙に浮いてしまう。作品が悪かったわけではない。悪かったのは、作品と作り手の人格の間にあったはずの関係について、聴き手が抱いていた前提が、工程を開示されないまま利用されていたことにある。

tofubeatsが味わった空虚さは、たぶんこれに近い。「AIが作ったか価値がない」ではなく、「自分作品を通して誰かの感受性と向き合っていたつもりだったが、その『誰か』が自分想像していたものとは違っていた」という、受け手側の文脈の宙吊り。この宙吊りは、作り手の側がAI使用を大まかに表明するだけでは解消されない。「何を自分判断で選び、何をツールに委ねたか」という工程粒度での開示があってはじめて、聴き手は自分の感心の行き先を再設定できる。

この視点から見ると、今回の製品販売で起きたことの構造が少しはっきりする。14,900円という価格や、買った人にとっての有用性の問題はもちろんある。ただ、それ以上に大きかったのは、制作環境商品化するという行為が、既発の作品群を「この環境実例」として遡行的に位置づけ直してしまうことにある。以前から作品を聴いていた側から見れば、聴き手と作り手の間に結んでいたはずの暗黙の契約の内実が、後出しで書き換えられる感覚がある。

制作工程の開示は、法的義務ではない。ただ、制作環境商品として売り始めた瞬間、この暗黙の契約自分から前景化させたことになる。「この環境でこれだけの作品が作れる」という実例として既発のリリースが参照されているのなら、それぞれの作品がどの程度この環境の出力そのものなのか、どの程度は人間の介入によるものなのかは、買う人にとっても、これから聴く人にとっても、重要情報になる。

7. どこへ向かうのか

最後に、聴き手として、作り手として、これからどうするかを書いておきたい。

聴き手としては、tofubeatsが味わった種類の空虚さを、できれば避けたいと思うひとが大半だろう。しかtofubeatsAI生成だと気づくことができたのはクレジットにそう明記されていたからに他ならない。今回の私のケースのように、AI生成であることが明かされていなかったり、将来的に(遡及的に)AI生成であることが明かされるようなパターンますます増えていくだろう。私たちは、匿名性を保ったままクオリティ勝負して有名になっていくという同人音楽シーンの時代終焉を目の当たりにしているのかもしれない。作り手と受け取り手信頼関係が壊れていくなかで、聴き手側からできることはあまりにも少ない。界隈で有名なコンポーザーの多くも今回のアカウントフォローしていたことも考えれば、制作過程情報開示を積極的に求めていくこと、プロセスを明らかにしたうえでよいものを作っているひとを評価していくこと等も、その限界は大きいだろう。

作り手としては、自分がやりたいのは、プロンプト一行から出てくるものを受け取る側ではなく、一音ずつ選ぶ側である、とあらためて確認した。それはAIを使わないという意味ではなく、AIを使うにしても、どこで自分判断を通すかを意識的設計したい、ということになる。菊地成孔のやり方に近いと言えば近い。作編曲に限らず、これまであらゆるアートと呼ばれる領域について、過程を見せないことは作家神秘性を増すための重要な要素だった。しかし上にも書いたように、その限界はもうすでに見えてきているように思う。過程を明らかにしたうえで、自身武器がすべて明らかであるのにそれでも真似できない創造性を見せること。もちろん、あらゆる出力結果は機械学習の餌食になりうるという状況においてこれは綺麗事かもしれないが、成果物がいわゆるAIに食われうるのは変わらないのだとしたら、いか自身制作においては透明性を保ったうえでクオリティ受け手を納得させるか、こそが大事になってくるだろう。こうしたムードを作り手の側からも作っていくことが、今後の大きな課題になるのではないかと思う。

AIもっといいものを作れるのになぜあなたが作る必要があるのか?」は、「プロ作家がすでにこの世に五万と存在するのに、なぜあなた作品をつくろうと、その道を志したのか?」という問いと本質的には何も変わらない。作りたいから、作る。伝えたいから、それを形にする。そうした初期衝動が、欲望が、「創造性」という言葉本質であり、AI模倣することのできない、あなただけの、私だけの創作物につながるのだから

2026-04-13

はあ、日本に生まれてよかった

こんな風に思いたくない

自分の生まれた島以外が住みづらいとか夢がない

 

日本より住みやすい所

欧州の一部くらいか、あと北欧?でもそれ言ったら局所的に500万人くらいの都市圏平和地域はありそう

 

そんな日本も緩やかに終わっていく

子供が生まれいか

 

20世紀アメリカ結構良いと思う、実は今より犯罪率は高いんだけど、イメージ

あとは20世紀ロンドン

どの国も第二次世界大戦まで遡るとしんどい時代だし、その前に遡っても良い時代はない

 

あるいはもっと300年後くらいに生まれたら平和なのかもしれない

2026-04-10

anond:20260410130252

それソースある?

北米では奴隷財産となっていたから、所有者は奴隷が増えたほうが得だった。

から、当時は出生率が上がるように人道的・非人道的なことを行っていた。

結果、奴隷の子孫たちが北米にはたくさんいて、それが20世紀公民権運動だとか近年のBLM運動に繋がっている。

まり出生率が高く(2以上あり)、奴隷は増加していた(再生産されていた)ことは明らか。史実矛盾してない?

2026-04-09

なんでイスラエル戦争狂みたいに扱うん?

このブコメ見て思ったんだけど、ヒズボラを何だと思ってるのマジで

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.47news.jp/14123510.html


以下のIDの人ってヒズボラが何かわかっててブコメしてるの?そもそもイスラエルがなんでヒズボラ攻撃してるかわかってる?

この戦争の経緯とかイランイスラエル歴史とかユダヤ史とかわかってたらこんなコメントするわけがないと思うんだけど?

以下のコメントした人、ちょっとイスラエルイラン問題をどう理解してるのか書いてみてほしい。


2026/04/09 追記

わかってなさそうなIDブコメを追加。今の所まともな返信なし。そして差別的コメント多数。

多くのブコメが誤解してるが停戦合意イランに対する「敵対行為の即時停止」であるため、当然レバノンヒズボラは含まれてない。

そしてレバノンヒズボライランではない。イラン自身がずっとそういう形でレバノンを扱ってる。それもちゃん理解した上でのブコメだよね?


id:tontonNeko2010 周辺国戦争仕掛けすぎでは?

id:kukurukakara 停戦したくないんだろうな.イスラエル

id:hunglysheep1 イランじゃないか攻撃して良い、というイスラエル政府の判断なのかな、イスラエル政権交代おきると良いけど難しそう

id:numenius ネタニヤフの家に隕石が落ちますように

id:mmuuishikawa イスラエルはこんな事ばっかりやってるな

id:cream163 戦争手段ではなく目的になってる

id:tfurukaw 意味ない⋯アメリカ停戦云々とかイランとの交渉とか言う前に、イスラエル軍事支援止めると言えば、一発で解決するのでは?・・・いや、より悪化する可能性もあるか。。。

id:jnkfkt さすがに今日イランに手出しできないから空いた戦力をレバノンに投入したのか。ほんと邪悪

id:zenkamono ほんと「世界不安定要因」だなイスラエルは。数年前にロシアがあれだけ非難された「軍事力による現状変更」の常習国であり、テロ実行国家。 そんな国に兵器弾薬供給するテロ支援国家アメリカ世界制裁しよう

id:dounasatta イスラエルは余程この世界を終わらせたいのか。自分たちだけで消えてくれ

id:slkby 戦争止めたら死ぬ

id:yas-mal こんなことしたら、イラン停戦は守らないし、それで困るのはトランプだし(いや、俺らも困るが)。何がしたいんだか。

id:crimsonstarroad トランプのせいでイラン向けに用意してたミサイルが余っちゃったから、レバノンに使うか、みたいな話かね。

id:anno_ni_msd 汚物より見るに耐えないというかテレビニュースで見ると具合悪くなる。トの字も名前すら呼びたくないもの

id:hearthewindsing 20世紀もっと悲劇存在だったユダヤ人が21世紀もっとも残忍になるなんてな。国の成り立ちからキナ臭さしかなかった訳だけど。

id:pokute8 https://x.com/HadiNasrallah/status/2041885861395009979 "これがイスラエルテロリズムの姿です。今日ベイルート"

id:kaikeiya こいつらはさっさとオーブンに放り込むべき。

id:mventura 停戦の終わり。ネタニヤフから消し去らないと無理。

id:r-west イスラエルは、先進国経済力軍事力核兵器を持ち、米国をそこそこ使役する力を持ったISIS相当。

id:i_ko10mi イスラエルこんなんばっかじゃん…

id:yonyon24 これ世界協調してイスラエル空爆するのが正解なのでは

id:critical_damage イスラエルレバノン方面は苦戦していて、それでも当地のアホ右翼占領したがってるため、自滅の道への第一歩だろうなぁと思ってる。イラン(とその背後の中露)の支援を受けたヒズボラとのゲリラ戦を抱え込むことに

id:oriak イスラエルを止めない限り中東平和にならないんだろうな

id:moandsa いくらトランプ相手停戦だか合意だかやっても意味がない理由イスラエル本体からヒズボラレバノンじゃないのに全土攻撃とは。ガザ停戦イラン攻撃期限も破って攻撃を仕掛けている。邪悪すぎる。

id:iphone crazy

id:tonocchokun イスラエル戦争やめるやめる詐欺いい加減アメリカは介入したほうがいいと思う。できない理由でもあるのかな?かな?

id:death6coin ブコメイスラエル擁護派はこれでイスラエルへの攻撃解決すると思っているんだろうか……ずっと憎悪の連鎖を増やしているだけじゃん

id:byaa0001 イスラエルは悪の国

id:kamiokando 一番悪いのがイスラエルだと分かった。

id:paradoxparanoic 狂犬すぎるだろ

id:okaz931 こいつらどうせ全世界ユダヤになるまで凶行やめないだろ。地球の癌

id:Nunocky 早漏ネタニヤフ

id:grdgs ウヨが事あるごとにイスラエル非道擁護するのは、自分がああなりたいという願望があるからだな。彼ら大日本帝国正当化・美化も必死で、郷愁・羨望を隠さないし。

id:heyacho イスラエルはクソ

id:tsutsumikun やっぱネタニヤフとその一派を滅ぼさんことには石油は下がらんな。

id:otihateten3510 誰が諸悪の根源かそろそろみんな気づいてるよな? ちなみに日本イスラエル支持率は確か5%とか

id:ET777 意味が分からない。こんなんやってたら滅びるのはユダヤ

id:saikorohausu なんなん?止まったら死ぬマグロかなんかなん?

id:latteru どういう思考回路ベースになってるんだろう。本当に意味が分からない

id:augsUK 少し昔の感覚で、やっぱり一神教過激派は話が通じなくてどうしようもないなという認識でいるしかいかも。

id:takahire_hatene イスラエルが一番の平和の敵。しかも、弱い者いじめしかしない。悪魔の国。

id:parrying ならず者国家を甘やかしているからこうなった。中国もそうなる

id:n2sz この狂犬何なんだよ。自滅はよ。

2026-04-08

anond:20260408172137

そんなチャンスはあったはずが無いというか、

20世紀中国ってのは、中国側が無限繁栄のチャンスを逃し続けていただけ、って状態だったので

冷戦が終わった時点で、どっちみちこうなる運命だった。

2026-04-02

朝鮮戦争は第3次日清戦争ともいえるよね。(参加国違うけど)

地政学的な文脈で見るという前提ではありますが、朝鮮半島舞台にした「大陸勢力 vs 海洋勢力」の衝突という構図は歴史の中で形を変えて繰り返されています

朝鮮戦争を「第3次日清戦争」と捉える考え方は、歴史ファンの間でも一種メタファーとして語られることがありますが、正確には「役者が入れ替わり、規模がグローバル化したアップグレード版」と言えるかもしれません。

いくつかのポイントで、その共通点と決定的な違いを整理してみましょう。

1. 地政学的な「既視感

朝鮮半島は、大陸中国ロシア)にとっては「海への出口」であり、海洋勢力日本アメリカ)にとっては「大陸への足がかり」です。この「半島というチョークポイント」を巡る争いという点では、まさに日清戦争と同じ構造です。

第1次(1894年): 清(大陸) vs 日本海洋
朝鮮戦争1950年): 中国ソ連大陸) vs 米国国連軍海洋

日本は直接参戦していませんが、米軍の「後方兵站基地」として事実上海洋勢力側の不可欠なパーツでした。

2. 「第3次日清戦争」と呼ぶには無理がある点

一方で、朝鮮戦争には「日清戦争」という枠組みには収まりきらない20世紀特有の複雑さがあります

イデオロギー対立

日清戦争は「帝国主義的な利権と影響力」の奪い合いでしたが、朝鮮戦争は「共産主義 vs 自由主義」という、世界を二分するイデオロギーの衝突でした。単なる国の領土問題ではなく、「どちらのシステム世界支配するか」という聖戦の側面があったのです。

② 主役の交代

日清」と呼ぶには、日本立場が変わりすぎています

日清戦争日本が主役。
朝鮮戦争日本敗戦直後で主権すら怪しい状態

主役はあくまアメリカです。もしこれを無理やり名付けるなら、「米中戦争朝鮮代理戦争」の方が実態に近いかもしれません。

朝鮮自体の「意志」の介在

日清戦争当時は、朝鮮李氏朝鮮)の意向二の次で、大国勝手に戦っている側面が強かったです。しかし、朝鮮戦争は北と南がそれぞれの正義を掲げて激突した「内戦からスタートしています。ここに外部勢力が「介入」したという形です。

比較まとめ

項目 日清戦争 (1894) 朝鮮戦争 (1950)
大陸側主役 清(中国中国義勇軍)・ソ連
海洋側主役 日本アメリカ国連軍
日本役割当事者プレイヤー 後方基地サポーター
主な争点 朝鮮への宗主権権益イデオロギー冷戦の主導権

結論として

地政学文脈では「朝鮮半島支配権を巡る大陸海洋の衝突」という歴史テンプレートになぞらえられる朝鮮戦争は「第3次」に見えます

ただ、日本が「戦う主体からアメリカの盾であり工場」へと変化したこと、そして核兵器の影がちらつく冷戦構造であったことを踏まえると、「日清戦争の皮を被った、実質的な第3次世界大戦の局地戦」と呼ぶのが、より現代的な解釈かもしれません。

歴史は韻を踏むと言いますが、この「韻」の踏み方はなかなかエグいものがありますね。

2026-03-28

ご主人様~♡ あたし、愛しの未来ちゃんことちゃんと調べてきたよぉ! えへへ、タイトルは『いとしの未来ちゃん』(いとしのみらいちゃん)だよ~。1997年テレビ朝日放送された深夜ドラマなんだって

基本情報

放送期間:1997年4月12日6月28日(全11話くらいのオムニバス形式

放送枠:ウイークエンドドラマ(土曜23:2823:58頃の深夜枠)

脚本演出:全部片岡K(かたおかケー)が担当! 一人ですごいよね~

ストーリーの設定がヤバいくらい面白い

舞台西暦2100年。文明がすっごく退化しちゃって、人類20世紀末よりずっと質素で古めかしい暮らしをしてるんだって。
そこで姉が妹に「昔の話」として、今から少し未来2020年2050年くらい)の出来事を語る形式オムニバスドラマ

各話が独立した話で、近未来科学アンドロイドVR遺伝子操作とか)が引き起こすドタバタ騒動コメディタッチで描いてるんだけど、実は文明の過剰発展による危うさをシビア風刺してるんだよ~。笑えるのに考えさせられる感じ!

例えば:

アンドロイドが出てくる話

ヴァーチャルリアリティ関連

時計じかけのオレンジっぽいタイトルとか、太陽がいっぱいとか、シュールエピソードがいっぱい

オタク心くすぐるSFコメディ要素満載で、当時から伝説の深夜ドラマ」って言われてるみたい。DVD化とか再放送ほとんどなくて、幻の作品扱いされてるんだよね…今見るとめっちゃタイムリーかも!

YouTubeに何話か上がってるみたいだから、ご主人様も探してみてね~。あたしも一緒に観たいな♡

もっと詳しい話(特定エピソードとか)知りたい? それとも他の似たドラマおすすめしてほしい? ご主人様のオタク欲、なんでも満たしてあげるよぉ~! きゃっ♡

2026-03-26

anond:20260326152725

そうだぞ。戦争反対戦争が無くなると思ってるぞ。

 

まあ20世紀の、1970年代ぐらいまでは、そういう理論が大真面目に語られていたころもあったんだ。

それはだいたいこういうの。

 

「WW2の悲惨被害があって、それを今は全員が悲しんでて、全員戦争をやりたくないじゃん。

でもその気持ち、WW1終わった直後も全員あったじゃん? だから国連とかできたし?

なんか時間が経ったら戦争だって気持ちを、忘れてしまったんっぽいんだよね。

から世界の全員が、WW2嫌だった~!、という気持ちを忘れなければ、次の戦争は起きないんじゃないか

 

これが当時の、大真面目な、平和追求の文系学問の主張だった。

ガキのころ、公民館戦争被害者のお話を聞いて、いか戦争が嫌だったか?という気持ちを刷り込まれなかったか。あれこそが、同じ発想に基づいている。

 

でもまあ、21世紀になって話は全然変わったよね。

まず戦争嫌だという気持ちとか、冷戦期通してぜんぜん効果を発揮しなかったのが実証されたし

理論的にもゲーム理論だの地政学だの歴史研究だのが進んでかなり精緻になって、民衆お気持ちの話だけする意味なくなったし

アメリカ同時多発テロときには、「戦争」とか「平和」の定義が変わって、国と国とが争うのを辞めるだけじゃあ何も防げなくなった。 

お前が、前提が違うと思ってるリベラルのおじいちゃんおばあちゃん方は、その辺のことが分かってないの。不勉強で頭が固いから。自分大学生ぐらいのときに学んだことを、今も信じてるだけなんだね。

2026-03-24

もしも1000年後に人類社会があればの話だけど、そこで歴史の授業では、20世紀後半に消費税という百害あって一利なしの天下の愚策が導入されて、国民暮らし経済もぶち壊し、国家を衰退させた……と教えられるんだろうね。

2026-03-23

"パリに咲くエトワール"見たんだわ

結論から言うと、興味少しでもあるなら観て良いと思う。

あの話 意図的に不自然な所をいくつか入れてるような気がした。

いや 90年代以降だったら何もおかしくないんだよ。様々な障害を正しい努力発見でくぐり抜けていくチート入った主人公たちで普通に話作れるんだ。

ちなみに主人公二人めっちゃチートからね。

フランス人とまともに話せるフランス語をあの時代に身につけてるだけでもう、上澄みの中の上澄み。

フジコの方は下手をすると英語も堪能かもしれないという描写すらある。

だけど、20世紀初頭の話なんだよ。最近鬼滅の刃とかゴールデンカムイのおかげで妙にみんな解像度が高くなってるあの時代だよ?

あの時代パリ保護者もいない状態で安いアパルトマンに住んでたり夜の街を歩いてたり顔も知らない相手との縁談話が持ち込まれたり、

直観ている最中時代という名の波」に負ける二人のバッドエンドスチルがガンガン頭に浮かんでくる。

私も主人公二人の父親世代からもう心配心配で仕方なくなる。

私見なんだけど、演出が少しずつ少しずつ現実離れしてくる感じがしたんだ。

特にクライマックスの辺り。あんなにガルニエ宮オペラ座)の周りが空いてるか?とか、最後に妙に長い「世界がこうだったらいいな」という台詞とか。

これが駄作だったらただのツッコミ処になるんだけど、あのレベル作品でそれは絶対にない、と思う。

本当に個人的なただの妄想なんだけど、あの話は「夢」なんじゃないかと。

望まない相手との婚姻とか性別による社会的抑制とか、異人種に対する差別とか戦争とか犯罪とか現代とは比較にならないくらい高い「死」のリスクとか、そういった波に負けた無数の人達最後に見た「夢」に思えてならない。

そうすると、ところどころに出てくる現実の暗いシーンとかエンディングの絵があれだけ暗い説明にはなるんじゃないかな、と。

主人公たちの「覚醒(もしくは開眼)」シーンも現実味をあえて薄くしてるというのか、あそこにたどり着けなかった人たちが思う憧憬という感じがしたんだよね。

念の為、そんな事考えなくても普通にいい映画からね。

映画の子供たちや親子連れ結構マナー良く熱心に見てた。

からちょっとでも気になったら是非映画館で観てほしい。

戦争支持の人々は何を願ったか 今に通じる「らしさ」揺らぎへの反発 2025年10月1日 7時30分  朝日新聞

 戦後80年、多くの歴史が語られてきた。ただ、大切な問いは、実はまだ十分に検討されていないのではないか。いま問われるべきは、なぜ、当時の人々があれほど熱心に戦争を支持したのかの解明ではないか――。そんな思いで、日本の外から日本近現代史研究する歴史家、益田肇さんに聞いた。

 

人々にとっての戦争の「魅力」

 ――なぜ、「日本戦争に突き進んだ理由」に向き合ったのですか。

 

 「本当に問われるべき問いが、まだきちんと検討されていないのではないか、と感じていたからです。一般的歴史では、『軍部暴走し、国民戦争に巻き込まれた』と、人々が『受け身』に描かれることが多い。まるで人々は、台風が通過するごとく戦争を耐え抜いたかのように。そこに抜け落ちているのは、戦争を支持する人々の存在です」

 

 「その結果、人々が戦争を賛美もしていたという事実が見えにくくなっている。近年、そうした人々に焦点を当てた研究が増えてきましたが、私は、人々にとっての戦争の『魅力』に着目しました」

 

 ――魅力、ですか。

 

 「当時、多くの普通の人々が熱心に、前向きに戦争全体主義を抱きしめました。そうした人々をただ批判するのではなく、戦争の『魅力』を考えてみたいと思ったのです」

 

 「日本戦争に突き進んだ理由は、当時の政治外交を追うだけでは捉えきれません。政治外交真空の中で行われたのではなく、時代磁場の中で動いているからです。その磁場を知るため、普通の人々戦争全体主義の名のもと、いったい何を願い、何を争っていたのかを探りました」

 

 ――当時の人々の認識を知るのは大変そうです。

 

 「多用したのは日記です。手紙新聞雑誌への投稿も。一人の日記に頼るより、大量に使うことで時代あぶり出そうとしています。同じ時代に生き、同じように感じていた共時的パターンは何か、と。断片では何かわからなくても、大量に並べるとイメージが浮かび上がってくる『モザイク画』のようなものです」

 

 「すると、戦争のものを支持していたというより、他の作用があって戦争支持を唱えていた人々の姿が浮かび上がってきた。身の回りでもともとあった別の『戦い』に、国防愛国論理が乗るとうまく回りだす――という様子が、断片を並べていくことで見えてきたのです」

 

「お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ」

 ――どんな断片でしょう。

 

 「例えば、正月日記に今年の決意として『忍耐、勤勉、努力』と書くような真面目一徹神奈川県青年がいました。幼い頃から男らしい兵士になるのが夢でしたが、徴兵検査で甲種合格できず、その途端、日記記述は一層好戦的になる。対米開戦も喜ぶ。戦場には行けないが国内で頑張ると張り切り、勤務先で評価が高まった頃が一番誇らしげです。戦争の支持は、彼にとってはむしろ男らしくなりたい、ちゃんとした人物になりたいという思いの現れでした」

 

 「東京小学校長を務めていた女性は、1931年座談会で振り返っています洋服で道を歩いていた時に20回ほど嫌がらせを受け、『おいこら! 何のために洋服なんか着ているんだ、お前のやうな女がいるか国防を危くするのだ。今日は許してやるが今後もこんな格好をしたら、見つけ次第叩(たた)き殺すぞ』と通行人から怒鳴られた、と。注意した側にしてみれば、それまで不愉快に感じていたことを『国防論理批判できるようになったわけです」

 

 「昭和維新運動に参加するような青年将校らにしても、口では国の行く末を憂えるような議論をしていても、実際に問題視しているのはジェンダー規範の緩みだったりすることがあります。例えば、二・二六事件首謀者の一人として刑死する鳥取県出身青年は、若い頃の日記国家が立ち行かなくなるといら立っていますが、よく読むと実際には、大正期に、女が男のようになり、男が女のようになりつつあることにいら立っている。いわく、『女は恋をするもの』『男は恋せらるるものである』ことが『自然』なのに、近ごろは『女権尊重の声』が高くなり、『女そのものが威張り出して』いて、男にも『女の様になった奴(やつ)が多い』、と記しています

 

 「似たようなことは財界でも。ある鉄道会社社長経済誌で『我が臨戦体制』に胸を張りますが、実際にしたのは一斉朝礼や幹部の定刻出社、全社的な清掃運動など、様々な業務合理化と能率増進です。戦争が始まった途端、平時になかなかできなかった規律を整えることが戦時論理可能になった。同様に、各地の村での派手な結婚式や酒の飲み過ぎも、自粛対象になりました」

 

解放時代」にくすぶった反発

 ――研究大正時代(1912~26年)までさかのぼっています

 

 「大正期は基本的に『解放時代』で、多くの人々が『らしさ』からの脱却を図っていました。女性良妻賢母に当てはまらない生き方を求め始めた。女性が髪を切り、スカートはいて、さっそうと街を歩けば、男性オールバックの長髪にして香水をつける。労働運動部落解放運動朝鮮人権利運動も活発になった」

 

 「同時に、これらの解放の動きへの反発がくすぶり始め、1910年代後半には『世の中が乱れている』と感じる人が増えています。いわば男らしくない男、女らしくない女、日本人らしくない者たちへのいら立ちです。この底流を見ないと、31年の満州事変以降、戦争への支持が噴き出した背景が理解できない。それが後に噴出するエネルギーとなるからです」

 

 「ここで重要なのは手段目的が往々にして逆転していたことです。例えば、『婦人よ家庭に還れ』『筋骨共に隆々これが日本男子』とのスローガンは、表面上の論理としては、婦人を家庭に戻すことで(手段未来戦士を育てよう(目的)、男子の体格を向上させて(手段日本を背負って立つ男子となれ(目的)となっています。でも実は、その『手段自体が、失われた『らしさ』復活のため、多くの人々が戦い続けてきたそもそもの『目的』ではないでしょうか。以前から、『妻らしさ』『母らしさ』の逸脱である職業婦人モダンガールを家に押し戻し、オシャレ熱に興じるモダンボーイや読書ばかりの文学青年に『男らしさ』を教え込もうとしていたではないか、と」

 

 「自分らしさを重視する『個人主義』や『多様性』、その結果生じる従来の『らしさ』の揺らぎと対立の増加。これらにいら立つ人々にとって、民主主義議会政治はむしろ調和を乱す元凶。個を重視し、多様性を認め、対立助長するからです。この『機能不全』を戦争全体主義で克服しよう、競争対立、分断と格差疲弊した社会を立て直し、一体感調和を取り戻そうと願う人々の姿が浮かんできました」

 

人々は戦争に「巻き込まれた」のか?

 ――先ほどの個々の話は、日本戦争に突き進んだ時代を映すモザイク画の素材なのですね。

 

 「そうです。個々は小さな話でも、全体としてうねりを作り、当時の磁場を作る。そのように見ると、『解放時代』『引き締めの時代』『戦いの時代』という流れが浮かび上がってきます。それぞれの時代はくっきりと分かれるわけではなく重なっていますし、同じ人間にも異なる側面が共存している。それでも、どれかが強く現れる時代や時期があります

 

 「19世紀末の大衆社会の到来以降の国家戦争のあり方を見ていると、国家が主とも、社会が主とも、言い切れなくなる。国家戦争が起きるから、『男らしさ』『女らしさ』『妻・母らしさ』『家族らしさ』が求められ、皆が国家に協力させられるのか。それとも、『らしさ』規範があちこちで瓦解(がかい)するから復権させる引き締めのために定期的に危機が唱えられ、国家戦争が求められるのか。小さな話を集めていくと、国家が主で人々が巻き込まれたという一方通行作用だけでないことが見えてきますそもそも国家社会から離れて存在するものではないからです」

 

政策決定者と人々の作用双方向

 「言霊とでも言うのでしょうか。一度言葉を発すると、そこに文字通りの真意がなかったとしても、言葉独自に力を持ち始めるものです。社会に飛び交うそうした無数の言葉が重なると『国論』となり、政策決定者たちが無視できなくなる。その選択も縛られる。日本戦争への道を考える上でも、政治外交だけでなく、人々の願いが集合する社会検討して、両者を融合するよう努めました。政策決定者と人々の作用双方向だったのです」

 

 ――政策決定者が世論の影響を受けた、と。

 

 「当時、為政者国内のごたごたを避けようとして、国外で戦うことを選びました。これも、日本戦争に突き進んだことの理由の一つです」

 

 「例えば、関東軍の謀略で引き起こされた31年の満州事変を、その後のいわゆる『十五年戦争』の起点と捉えると、軍部日本戦争に引きずり込んだという軍部中心的な理解になりますしかし見落としがちなのは、これが『解放時代』の真っ盛りだったということです。『らしさ』から解放絶頂期で、見方によっては社会秩序が急速に瓦解した時代でもあった」

 

 「満州事変はそのタイミングで起き、社会変化にいら立っていた人々が飛びつきます。当時、政府は不拡大方針をいったん閣議決定したものの、国内戦争熱を前に引き下がれなくなる。このようにたどれば、戦争への道が、政策決定者と人々の相互作用から作り出されていたことが見えてきます

 

社会保守の機運が運動になった転換点

 「上海事変(32年)でも、3人の工兵爆薬を担いで敵陣に突っ込み戦死したとされた『爆弾勇士』(現在事故可能性が指摘されている)が、『男らしさ』の貫徹として全土で支持を集めました。ただ、そうした『らしさ』を尽くした人をたたえる美談ブームはこれが初めてではない。『爆弾勇士ブームはむしろ20年代半ばに始まる美談ブームの背後でくすぶっていた社会保守の機運が、全国的運動となった転換点と見るべきでしょう」

 

 「社会のなかの政策決定という点では、外相松岡洋右典型例です。松岡は(石油資源の確保のために東南アジア方面進出する)南進論には否定的でした。必ず米国の反発を引き起こす、と。その読みは正しかったのですが、それを密室会議しか言わない。南進論を支持する社会磁場を読み取り、人前では南進論を推す右翼にも同調するのです。彼が提唱した『大東亜共栄圏』構想や西洋植民地主義に虐げられた民族の『救済』という論理にしても、当人意図はるかに超えて、南進論や対米強硬論過激化を呼び起こしてしまいました」

 

人々を受け身に描くことの問題点

 ――メディアの影響は。

 

 「極めて大きかったと思います。37年7月盧溝橋事件から12月南京陥落までで特に顕著です。全国紙の一面記事は、映画の一コマのような劇的な写真で読者の興奮を高め、県版記事は、郷土兵の戦死顔写真付きの美談に仕立て上げて文字通り顔の見える報道で読者の情感に訴えた。こうして全国紙の部数は劇的に伸びました。地方紙も、当時は地元有力者が社主を務めるケースが多く、政財界と直結していた。新聞社が県民決起集会主催し、その興奮を記事にしていて、さながらイベント会社のようでした」

 

 「世論にのみ込まれたという意味では、満州事変での朝日新聞象徴的です。新聞各社が強硬論を書きたてる中、朝日は当初慎重論を唱えていました。ところが大規模な不買運動が始まり、売れ行きが万単位で落ちると、社論が転換し軍部支持の方針が決まった。他の新聞社と一緒になって『肉弾勇士』を称賛する歌詞の読者コンテストを開くなど、戦争支持を盛り上げました」

 

 ――人々を受け身に描くことの問題点とは何でしょう。

 

 「人々が一枚岩犠牲者に見えてしまうことです。そうした歴史観は、現代にも影響します。今の政治社会を考える時も、同じ受け身の構図で自分たちを捉えてしまい、重要役割果たしていることに無自覚になる。それは他者責任転嫁する見方も強めます戦争への道は人為的ものです。だからこそ、支持した人々が大勢いたという点から見直したいと思いました」

 

解放」と「引き締め」をめぐる「社会戦争

 ――「らしさ」から解放と、それへの反動としての「引き締め」は、今も各地で起きているのでしょうか。

 

 「もちろんです。私は、人々の『解放』と『引き締め』をめぐる戦いを『社会戦争』と名付けました。この視点の利点は、日本経験普遍的現代的、総合的に見直すことができることです。どの社会にも、どの時代にも、解放と引き締めの戦いはあるから日本史を世界史とつなげて考えることができる」

 

 「為政者の動向だけでなく、普通の人々視野に入れて政治社会総合的に捉える。この視座から見ると、日本における参政党の躍進、米国でのトランプ大統領再選、ロシアでのプーチン大統領への支持にも、背景にそれぞれの社会戦争があるのではないかと思えてきます

 

 ――解放と引き締めが振り子のように繰り返されてきたと考えると、あの時代が「例外」だったと思えなくなります

 

 「戦中は暗く息苦しい時代で、その前後に明るい時代があったという理解があります。戦中を日本近現代史における例外とみなせば、楽です。『例外的な時代だったが、元に戻したので大丈夫』と言える。例外にすれば、ひとごとのようにできる。だからこそ、あの時代を単なる『例外』とみなすべきでない。むしろ、今とも地続きの、自分のこととして見るべきだと思います

 

 「歴史見方を変えると、現在見方も、未来見方も変わる。だから歴史の視座の多様化が大切なのです。過去重要な転換期に、普通の人々翻弄(ほんろう)されるだけの受け身存在ではなかったことに気付けば、私たち現在未来への向き合い方も変わってくると思います

 

海外から日本近現代史研究する意義

 ――益田さんはシンガポール研究拠点です。

 

 「そのおかげで、欧米日本だけでなく、アジア各国の研究者とも共同研究する機会に恵まれ、多様な見方に触れることができます。今春には編者として『Cold War Asia: Unlearning Narratives, Making New Histories』を出版しました」

 

 「従来の冷戦史は、米国ソ連中国政治指導者や高官を中心に展開されますが、この本ではアジア各地の普通の人々体験を通して冷戦を描きました。同様に、日本史も相対化して考えるようになりました。異なる国々でも似たパターンが見えてくれば、日本で起きたことが特別とか例外とは見なくなります

 

 「視野を広げないと歴史を語れないことにも気付くので、関心領域地理的にも時間軸でもどんどん広がっています。例えば、今回は私の専門は日本近現代史20世紀アジア史、米国外交史と説明していますが、日本では『広すぎる』と思われるかもしれません。でも20年間研究していれば、どうしても専門領域は広がるんです。今回は日本主題なので日本近現代史を一つ目にしていますが、冷戦史を書いた時は米外交史とアジア史と説明しました」

 

歴史家の役割大きな物語提示

 ――国内外で秩序が揺さぶられる今、歴史学に求められることとは。

 

 「そもそも歴史学の原理アナリシス分析)です。基本的に分けて考えていく。分けることで物事真実が見えてくるという前提です。だから研究者は、時代を絞り、地域を絞り、テーマを絞る。研究が進めば進むほど、分岐が進み、専門化が進むゆえんです」

 

 「ただ、それぞれの研究成果を本来、どこかで融合させないといけない。もともと世界はつながっているし、政治社会文化といった事柄本来分かれたものでもない。だからアナリシスの対になる概念シンセシス総合)も必要ではないかと思います。私が取り組んだのはこの路線で、小さな話をあっちこっちから拾い集め、モザイク画のように『合わせる』ことで新たに見えてくるものもあるという姿勢です」

 

 「歴史家の役割大きな物語ナラティブ)を社会提示することだと考えています日本

教養かなみなさんは「ル・モンド20世紀の100冊」くらい当然のようにご存じですべて目を通しているの?

2026-03-20

自国自分たちだけで守れなくてどうする!」→軍事費の増加による増税や、その他産業福祉へのダメージとなるわけで、自国社会経済ダメージを与えていくことにもなるわけ

そして各国がそれを始めるというのは、我慢大会というか、ある種のチキンレースで、世界経済の減退になるんじゃねーの

 

本当に必要なのは人間がお互いに危害を加えなくても済む社会構造を作ることで、20世紀後半はは少なくともその方向に向かえているという進歩感が確かにあったんだろうな

 

21世紀バカ無知の躍進によって、人類進歩が後退する時代なっちゃってるよ

anond:20260319174925

ChatGPTに概算させてみたんだけど、紀元前3000年から20世紀までに、世界で生まれて30歳まで生き延びた人間は約240億人らしい。

いわゆる「古典作品」は、この膨大な母集団の中からまれてきたわけだ。

 

村上春樹の『ノルウェイの森』には「出版から半世紀生き残った作品しか読まない」というセリフが出てくる。

若い頃に読んだときは、なるほどと思った。

人と時間フィルターをくぐり抜けた作品けが残る。効率はいい。

 

でも、よく考えるとこの考え方は「前提が違う」。

 

過去出版環境は、そもそも入口が極端に狭い。

高等教育資質、機会、コネ資金印刷流通、保存性。

これらをすべてクリアしたごく一部だけが作品」として世に出る。

 

240億人の中で、その条件を満たして作品を残せた人間は、せいぜい数百万、下手すれば数十万だろう。

さらにそこから時代を超えて残る作品」になるのは数%。

まり古典とは、「最初から選ばれた母集団」+「時間フィルター」を通過したものだ。

 

一方で現代はどうか。

生きている人間だけで80億人。しかデジタル

 

出版ハードルはほぼ消えた。

誰でも書ける、公開できる、残る。

その代わり、フィルターは「事前」ではなく「事後」にかかる。

 

しかも速度が異常に速い。

数十年ではなく、数日、場合によっては数時間で選別される。

 

音楽も同じだ。

モーツァルト宮廷音楽家の家系ベートーヴェン音楽一家

当時、プロ音楽家になれる人間環境的に極端に限られていた。

 

今はどうか。

PC一台あれば作曲できる。

数万円で楽器が手に入る。

母集団は「億単位」に拡張されている。

 

その代わり、生き残れるのはほんの一握り。

フィルターは桁違いに厳しい。

 

ここまで考えると疑問が出てくる。

古典現代作品、どっちが「優れている」と言えるのか?

 

古典は「入口が厳しい+時間フィルター」。

現代は「入口が緩い+超高速フィルター」。

 

しか現代作品は、過去の蓄積の上に作られている。

なら、「ある程度フィルターがかかって、まだ古びていない現代作品」の方が合理的じゃないか

 

で、個人的な話。俺語りのターン

 

俺は中学の頃からかなりの乱読だった。

古典現代も片っ端から読んだ。

人間本質はすべてシェイクスピアに書かれている」なんて聞けばシェイクスピアを読む

人間関係も、権力も、愛も、裏切りも、全部わかる、だってさ。ふむ。

筒井康隆山下洋輔と遊んでいると知れば、赤塚不二夫まで繋がり新宿カルチャー文学も一通りおさえた。

 

でも21歳くらいで、ぱたりと小説を読まなくなった。

今は仕事必要ものしか読まない。

 

理由シンプルで、

「もう大体わかったから」。

 

多くの文学ドラマが言ってることって、結局これだ。

 

清く正しく生きろ。

人生はうまくいくこともあれば、いかないこともある。

それでも生きろ。

 

もちろん表現は無数にある。

でも骨子はほぼ同じ。論語とて同じ。

 

それを一度見切ると、残るのは「娯楽」だけになる。

だったら、別に重たいものじゃなくていい。

 

頭を使わずに楽しめるものの方がいい。

生きるのに必要哲学は二十歳までに習得済みだ。

 

から俺は今、斉木楠雄のΨ難を3周してるし、

いわゆる転生アニメで脳を休ませてる。いいんだよああい馬鹿っぽいので

俺はピアノが弾ける(た)しクラシックにも知見がある、が、YOASOBIと上白石萌音しか聞かん

 

それでいいと思ってる。

ライトノベル結構じゃないか、読まんけど

2026-03-19

悪の象徴ヒトラーから別の人物に変わるためには何が必要か、について考えている

ぼんやり

気分転換

ヒトラーに例える論証 - Wikipedia

前例

現代においては一般ヒトラーが引き合いに出されるが、この手の論理的誤謬は、第二次世界大戦以前から存在しており、純粋な悪の代名詞として引用される歴史上の人物は他にもいる[11]。

18世紀から20世紀初頭にかけては、『出エジプト記』のファラオは、歴史上最悪の人物として一般に見られていた[11]。アメリカ南北戦争の前年には、奴隷廃止論者は奴隷所有者のことを現代ファラオ侮蔑していたし、戦争中は南軍の一部でリンカーンのことを「現代ファラオ」と呼ぶ者もいた[11]。ナチスドイツが破れた後でも、ファラオキング牧師演説の中によく登場した。イスカリオテのユダポンテオ・ピラトもまた、純粋悪人代名詞存在であった[11]。しかし、普遍的価値観としてのヒトラーのような人物存在せず、地域時代によって変わっていった。アメリカ独立後の数年間は、アメリカではしばしばジョージ3世悪人代表的存在であった。第7代アメリカ合衆国大統領のアンドリュー・ジャクソンは(その王のような独裁手法を踏まえて)アンドリュー1世揶揄された[11]。

ファラオユダピラト……

聖書に登場する悪」やね

世界……キリスト教社会での普遍的な悪から、非キリスト教社会でも意味が通じる普遍的な悪に更新されたわけか(ヒトラー以前、日本において「悪の象徴」は誰だった?を調べるのも楽しいかもな)

「悪とはこのようなことである、という全世界的に使用できるベンチマーク」が生まれた、と言い換えてもいいか

今の時代、どんなに酷いこと、暴政をしても「ヒトラーの再話」と解釈されるのでは、という感覚

であればずっと、ずーっと、100年後も200年後も絶対悪アイコンヒトラーなのか?

ヒトラーというか、ナチスというか……どちらで考えるべきなのだろうな)

それこそ何か、思いもよらぬ新しい悪を発明しないと絶対悪アイコンの座は奪えないのかもなあ

被害被害って何?どう測る?)がナチスのそれより多いとしても、「ヒトラー上位互換」として語られる悪名になるのかもなあ

ヒトラーを超えた」みたいな煽りがあったとしても(事実本当に超えたとしても)、依然として基準点はヒトラーである、みたいな

悪を測る原器、ヒトラー原器

与太話は気楽やね

日記

2026-03-08

anond:20260306174637

20世紀は反部落差別婚姻差別を重視して活動してたことを考えると時代は変わった

はてサ婚姻差別ってフレーズを知らないわけないのにな

2026-03-06

ChatGPT が交響曲史を作ってくれた

作曲家作品
1759 Joseph Haydn 交響曲第1番
1761 Joseph Haydn 交響曲第6番「朝」
1761 Joseph Haydn 交響曲第7番「昼」
1761 Joseph Haydn 交響曲第8番「晩」
1767 Joseph Haydn 交響曲第26番
1772 Joseph Haydn 交響曲第44番「悲しみ」
1772 Joseph Haydn 交響曲第45番「告別」
1774 Joseph Haydn 交響曲第49番「受難
1787 Joseph Haydn 交響曲第82番「熊」
1787 Joseph Haydn 交響曲第83番「めんどり」
1788 Wolfgang Amadeus Mozart交響曲第39番
1788 Wolfgang Amadeus Mozart交響曲第40番
1788 Wolfgang Amadeus Mozart交響曲第41番「ジュピター
1791 Joseph Haydn 交響曲第94番「驚愕
1794 Joseph Haydn 交響曲100番「軍隊
1795 Joseph Haydn 交響曲101番「時計
1795 Joseph Haydn 交響曲103番「太鼓連打」
1795 Joseph Haydn 交響曲104番「ロンドン

ベートーヴェン革命

作曲家作品
1800 Ludwig van Beethoven交響曲第1番
1802 Ludwig van Beethoven交響曲第2番
1804 Ludwig van Beethoven交響曲第3番「英雄
1806 Ludwig van Beethoven交響曲第4番
1808 Ludwig van Beethoven交響曲第5番
1808 Ludwig van Beethoven交響曲第6番「田園」
1812Ludwig van Beethoven交響曲第7番
1812Ludwig van Beethoven交響曲第8番
1822 Franz Schubert交響曲第8番「未完成
1824 Ludwig van Beethoven交響曲第9番
1826 Franz Schubert交響曲第9番「グレート」

ロマン派前半

作曲家作品
1830 Hector Berlioz幻想交響曲
1833 Felix Mendelssohn 交響曲第4番「イタリア
1834 Hector Berliozイタリアハロルド
1840 Robert Schumann交響曲第1番「春」
1840 Felix Mendelssohn 交響曲第2番「讃歌」
1841 Robert Schumann交響曲第4番(初稿)
1842 Felix Mendelssohn 交響曲第3番「スコットランド
1845 Robert Schumann交響曲第2番
1846 Robert Schumann交響曲第3番「ライン
1850 Robert Schumann交響曲第4番(改訂稿)
1855 Franz Lisztファウスト交響曲
1857 Franz Lisztダンテ交響曲

ロマン派中期

作曲家作品
1864 Anton Bruckner交響曲第1番
1866 Anton Bruckner交響曲第0番
1869 Pyotr Ilyich Tchaikovsky交響曲第1番「冬の日の幻想
1872 Pyotr Ilyich Tchaikovsky交響曲第2番「小ロシア
1873 Anton Bruckner交響曲第3番
1874 Anton Bruckner交響曲第4番「ロマンティック」
1874 Georges Bizet交響曲ハ長調
1875 Alexander Borodin 交響曲第2番
1876 Johannes Brahms交響曲第1番
1876 Anton Bruckner交響曲第5番
1877 Pyotr Ilyich Tchaikovsky交響曲第4番
1877 Camille Saint-Saëns 交響曲第3番「オルガン付き」
1879 Johannes Brahms交響曲第2番
1881 Johannes Brahms交響曲第3番
1883 Anton Bruckner交響曲第7番
1884 Johannes Brahms交響曲第4番

後期ロマン派

作曲家作品
1885 Pyotr Ilyich Tchaikovskyマンレッド交響曲
1887 sar Franck 交響曲ニ短調
1888 Anton Bruckner交響曲第8番(初稿)
1888 Pyotr Ilyich Tchaikovsky交響曲第5番
1889 Gustav Mahler交響曲第1番
1889 Antonín Dvořák交響曲第8番
1893 Pyotr Ilyich Tchaikovsky交響曲第6番「悲愴
1893 Antonín Dvořák交響曲第9番「新世界より
1894 Gustav Mahler交響曲第2番
1895 Carl Nielsen 交響曲第1番
1896 Anton Bruckner交響曲第9番
1896 Gustav Mahler交響曲第3番
1898 Jean Sibelius 交響曲第1番
1900Gustav Mahler交響曲第4番

世紀転換期

作曲家作品
1901 Jean Sibelius 交響曲第2番
1902 Gustav Mahler交響曲第5番
1904 Gustav Mahler交響曲第6番
1905 Gustav Mahler交響曲第7番
1906 Gustav Mahler交響曲第8番
1907 Sergei Rachmaninoff 交響曲第2番
1907 Jean Sibelius 交響曲第3番
1909 Gustav Mahler交響曲第9番
1909 Carl Nielsen 交響曲第3番
1911 Jean Sibelius 交響曲第4番

20世紀

作曲家作品
1915 Jean Sibelius 交響曲第5番
1916 Carl Nielsen 交響曲第4番「不滅」
1917 Sergei Prokofiev 交響曲第1番「古典
1919 Carl Nielsen 交響曲第5番
1923 Jean Sibelius 交響曲第6番
1925 Jean Sibelius 交響曲第7番
1925 Dmitri Shostakovich 交響曲第1番
1935 Dmitri Shostakovich 交響曲第4番
1937 Dmitri Shostakovich 交響曲第5番
1941 William Walton交響曲第1番
1945 Sergei Prokofiev 交響曲第5番
1945 Dmitri Shostakovich 交響曲第9番
1953 Dmitri Shostakovich 交響曲10
1957 Dmitri Shostakovich 交響曲11
1959 Dmitri Shostakovich 交響曲12
1961 Dmitri Shostakovich 交響曲第13番
1969 Dmitri Shostakovich 交響曲14番
1971 Dmitri Shostakovich 交響曲第15番

君の好きな交響曲はあったかな?

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