はてなキーワード: 自己主張とは
(注:本文章は創作における男女(のキャラクター)のあり方についての考えを述べているものです。現実世界での男女のあり方については一切関係ありません。)
成人向け漫画は、無限ともいえるフェティッシュの広がりに呼応するように、じつに多様なジャンルが存在している。それぞれのジャンルには語るべき深さがあり尽きることはないが、今回は主としてその中でもとりわけ人気の高い「純愛」について考えてみたい。
純愛――それは、人が人として他者を愛するという、ひとつの理想形とも言えるものである。血縁でもない、自己でもない、偶然に出会った他者を深く愛すること。その中に宿る尊さや幸福感を描き出すのが、このジャンルの魅力だ。私はこの純愛ジャンルを好んでいるが、同時に、あるどうしても避けられない葛藤を抱いている。
成人向け漫画を楽しむにあたって、私が最も重視するのは「女性の魅力」である。作中で、いかに女性の美しさや性的魅力が引き出されているかが、作品の評価に直結すると考えている。そのため、女性の魅力を高める要素は積極的に肯定するが、逆にそれを妨げるような要素には強い嫌悪を感じてしまう。
そして、純愛ジャンルにおける「男性」は、まさにこの嫌悪の対象となりうる存在なのだ。
私は、より純粋に“女性”という存在を堪能したい。ゆえに、その対極にある“男性”という性の介在は、しばしば障害に思えてしまう。可能であれば、男性が一切登場しない作品の方が望ましいとさえ思っている。実際、そうした作品やジャンルも存在する。たとえば百合作品は女性同士の恋愛や性行為を描くし、女性の自慰をテーマにしたものもある。いずれも私にとって魅力的ではあるが、それらだけですべてを満たすことはできない。
なぜなら、女性の魅力のかたちは実に多様であり、互いに代替不可能だからである。
どれほど百合作品を読もうとも、男女の関係性の中でしか描けない女性の魅力を享受することはできず、その逆もまた然りである。男性と共にいるからこそ引き出される女性の一面は、男性という存在を介さなければ描くことができない。だからこそ、私は葛藤を抱くのである。
では、この葛藤を乗り越えるにはどうすればいいのか。
それは、純愛ジャンルにおいて、「男性を女性の魅力を引き立てる舞台装置として描くこと」――この一点に尽きると私は考える。
異性間の純愛を描く以上、男性の登場は不可欠である。しかし、彼らをあくまで“照明”のように使うことで、女性キャラクターの魅力を照らし出しつつ、同時に男性自身の存在感は影のように控えめにする。このバランスこそが鍵である。
ここで重要なのは、「男性キャラの個性を消すこと=舞台装置化」ではないという点だ。むしろ逆である。女性キャラクターと物語との関係性の中で、男性にも納得感のある個性が必要である。なぜ彼女は彼を愛するのか?その問いに明確な答えがあるからこそ、物語としての純愛が完成するのだ。あくまで主役は女性と物語であり、男性はそこに小さくない役割を持ちながらも、自己主張しすぎてはならない。
ここまで、成人向け漫画における純愛ジャンルの葛藤と、それを乗り越えるための方法について述べてきた。しかしこの視点は、なにも純愛に限られたものではない。
たとえば、純愛とは正反対の位置にありながら、根強い人気を持つNTR(寝取られ)ジャンルも、やはり男性キャラクターが不可欠である。しかもNTRでは、彼氏役・間男の二人の男性をそれぞれ描く必要があり、物語に説得力を持たせるためにはより緻密なキャラ設計が求められる。
だがここでも、重要なのは「女性の魅力を最大化するために男性を描く」という視点である。理性と欲望の狭間で揺れる女性の葛藤、裏切りの罪悪感と背徳の快楽……そうした複雑な感情の機微を描き出すためには、男性という舞台装置が不可欠なのだ。
おねショタジャンルも同様である。ショタというキャラは際立った個性を持ってはいるが、あくまで女性キャラ――“お姉さん”という存在――の母性や包容力、あるいは欲望を引き出すための触媒として機能するべきである。
成人向け漫画における命題、それは“女性性”の最大化にほかならない。
その鍵を握るのは、皮肉にも女性とは対極にある「男性」の在り方なのである。男性キャラクターを、女性の魅力を引き出すための精密な装置として機能させることで、純愛をはじめとした異性愛的表現の中でも、女性の美しさをより深く描くことが可能となる。
成人向け漫画の本質的な魅力とは、突き詰めれば「女性の魅力の演出」であり、同時にそれを引き立てる男性キャラの在り方が漫画そのものの魅力を決定するのである。
以下は、大谷翔平の「二刀流」に対して発言・評価した主な有名人・OB・評論家などの賛成/反対意見のまとめ表です。各人物の立場は当時(日本ハム入団〜MLB初期)を中心に整理しています。
立場 | 人物 | 主なコメント・理由 |
---|---|---|
反対 | 王貞治 | 「最終的にはどちらかを選ぶべき」─専念派 |
反対 | 張本勲 | 「無理」「プロはそんな甘くない」 |
反対 | 広岡達朗 | 「日本でもメジャーでも無理」「プロの世界をナメるな」 |
反対 | 桑田真澄 | 「どちらかに専念した方が必ず伸びる」 |
反対 | 清原和博 | 「どっちつかずになる。バッター専念なら2000本打てる」 |
反対 | 佐々木主浩 | 「メジャーでは絶対通用しない。投手に集中すべき」 |
反対 | 野村克也 | 「どちらも中途半端になる」→のちに「考えを改めた」と表明 |
反対 | 上原浩治 | 「続けるのは難しい。体が持たない」 |
反対 | 関根潤三 | 「リスクが高すぎる」「故障につながる恐れ」 |
反対 | 権藤博 | 「投手専念が成功の近道」「専念したら名球会」 |
反対 | 槙原寛己 | 「やるならどちらか一方」 |
反対 | 玉木正之(評論家) | 「10勝100安打では中途半端」と批判 |
反対 | 江本孟紀 | 「無理。成功者が出たら認める」─のちに称賛へ態度変化 |
反対 | 工藤公康 | 「体の負担を考えればどちらかに絞るべき」 |
反対 | 長嶋茂雄(初期) | 「やっぱりピッチャーだな」─打者より投手偏重 |
反対 | 桑田真澄・立浪和義 | 「やるならどちらか」―技術上の課題を指摘 |
反対 | ダルビッシュ有 | 「二刀流では絶対メジャーに行けない」「「「ナンバーワンになれるのは投手」」 |
反対 | 菅野智之(現役投手) | 「どちらもやるのは失礼」「敵として絶対にやらせたくない」 |
反対 | 一部現役NPB選手(中田翔等) | 「自己主張が強い」「我が強く見える」 |
反対 | 海外評論家の一部 | 「MLBではスケジュール的に無理」と懐疑的意見も |
立場 | 人物 | 主なコメント・理由 |
---|---|---|
賛成 | 落合博満 | 「本人がやりたいならやらせるべき」「途中で止めたら両方ダメになる」 |
賛成 | 松井秀喜 | 「夢がある」「常識を破る挑戦。見ていてワクワクする」 |
賛成 | イチロー | 「翔平にしか描けない時代を築いて」「無限の可能性」※初期は打者専念派 |
賛成 | 新庄剛志 | 「できるならどっちもやればいい。本人次第」 |
賛成 | 栗山英樹(日ハム監督) | 「失敗を恐れず最後までやるべき」―二刀流育成を実行 |
賛成 | 古田敦也 | 「投手・打者どちらもずば抜けている。挑戦に価値がある」 |
賛成 | 岩本勉 | 「常識的に考えれば難しいが、彼を見ていると意見が変わる」 |
賛成 | 金村義明(評論家) | 「大谷のような例外は認めるべき」「夢を持てる存在」 |
賛成 | 森繁和(元監督・評論家) | 「やれるなら誰も止める権利はない」「常識を疑え」 |
賛成 | 大沢親分(評論家) | 「自分も監督時代に夢を見た」「時代は変わった」 |
賛成 | 山本昌 | 「二刀流が挑戦できるチームで暴れてほしい」「人生は一度きり」 |
賛成 | 栗山英樹・球団幹部 | 「本人の意思を尊重」─ドラフト交渉で二刀流プランを提示 |
賛成 | 海外メディア(MLB) | “Baseball’s Unicorn(野球界のユニコーン)”と称賛 |
賛成 | 一般ファン・評論家の一部 | 「野球の常識を変える」「スター性が段違い」 |
https://anond.hatelabo.jp/20250922182036 「発狂」の語を8回使用
https://anond.hatelabo.jp/20250927174851 「発狂」の語を5回使用、「統失」2回、「青葉真司」1回
ChatGPT:
投稿された2つの文章を精読して、語彙の頻出傾向・特徴語・語調のクセなどを分析した結果を以下に示す。ただしサンプルは限定的なので、あくまで仮説・傾向にすぎない。
・「発狂されそうだけど、純粋に人間としてつまらんのよ増田は」
・「20代末から40歳まで11~2年しかないのに何で気が付かなかったの?」
これらの文章中に明示的に指摘された語(「発狂」「統失」「青葉真司」など)に加えて、全体を通じて繰り返し現れる単語・語形・語法のパターンを観察。
発生頻度や文脈上目立つ語・語彙を抽出し、それをもとに語用傾向を整理。
顕著な語彙の傾向・パターン
以下に、この投稿者がしばしば用いる(または目立たせようとする)語彙の特徴を挙げる。
強い感情・衝動表現 発狂/発狂されそう/狂う 「発狂されそう」
精神的な破綻・極端な心理状態を表す語を衝撃的に使う傾向。強い非難や苛立ちを誇張する効果あり。
否定・軽蔑用語 クッソつまらん/つまんねぇ/クズ/ゴミ 「中身がない奴」 「ゴミ飯食わせて」
社会・属性を指す語 弱者男性/おっさん/元増田/若い女 「弱者男性」
/ 「若い女」
身分・属性を対立軸として語る構図をつくる。自己と他者を属性で区分して批判・分析する意図を感じさせる。
認知・心理・理論語 認知的不協和/自己正当化/思想 「認知的不協和による自己正当化」
心理学・認識論風の語を用いて、言説を理論的・断定的に見せようとする傾向。
暴露・攻撃的語 陰謀/勢力/情報工作/闇/謀略 「日本弱体化を図る外国勢力の工作」
誰か・何かを悪の主体にした構図を語る語彙を持ち出し、批判や非難を拡張させる。
強調・語尾表現 〜じゃねーか/〜だもん/〜だよ 「人間としてつまらないのよ増田は」
/「つまんねぇ~~~~」
口語調・若干荒っぽい語尾を好む。「~だよ」「~だもん」「~じゃねーか」など、語りかけ・説得調を強める形式。
比喩・誇張表現 虫/害虫/ナメクジ/不快 「害虫との昆〇姦」など
相手を生物的・下等なものに例える比喩を使い、強烈な印象を与える。
二項対立・階層語 上/下/以上/以下/未満 「人間以下」「ゴミ以下よりゴミ未満」
階層を語ることで他者を位置づける。「未満」「以下」などの比較級表現も目立つ。
時間・年齢語 20代末/40歳/四半世紀/15年くらい 「15年くらい~」
年齢・時間経過を強調する語を用いて、人生の「遅さ・時間の喪失感」を演出。
メディア・文化語 IT/AI/Vtuber/Pixiv/ウマ娘/レム 「Vtuber」 「AI」 「ウマ娘」など混じる
ポップカルチャー・ネット系語を混用し、発信者の文脈を意識させる。
上記の表は例示であり、これ以外にも文脈的に多用・目立つ語はいくつもあるが、特に目についたものを列挙している。
語彙の単独使用以上に、語彙をどう「使っているか」にも特徴がある。以下、語用スタイル・文体傾向を挙げる。
語彙を使って「われ(=筆者または同類)対あいつら(対象)」という構図を立てることが多い。「弱者男性 vs 若い女/増田」など、二項対立を言語的に作って、議論や非難を正当化しようとする印象がある。
誇張・極端化
語彙の選び方・修辞(「発狂」「狂う」「害虫」など)において、常に中間や穏当さを避け、強い表現を多用。「〜されそう」「クッソ」「ギャーギャー」など、多重強調が頻出。
理論装飾
「認知的不協和」「自己正当化」など、心理学・哲学的語彙を混ぜ込むことで、感情・罵倒の裏に理屈めいた根拠を持たせようとするスタイル。
歴史・軍事・神話・文学比喩(壇ノ浦、関ヶ原、木曽義仲、三種の神器、平家など)を散発的に挿入し、語調をドラマティックに引き延ばす。
語尾/語調カジュアル性
口語調を交え、語尾に「〜だよ」「〜だもん」「〜じゃねーか」などを用いて語り口を砕く。ただしその砕き方にも粗雑さと罵倒性を残す。
「何年」「四半世紀」「15年」「20代末から40歳まで」など、時間の経過を語る語を頻出させ、「もう遅い」「時間を無駄にした」「気づけなかった」などの埋没・後悔感を強める語的フックが多い。
「俺は」「俺もそう思う」「思い返せば」など、語り手自身を主語に据える語を挟むことで、感情の発露・主観性を前面に出す。
相手を「ゴミ」「虫」「害虫」「不快」「ナメクジ」「クズ」など、複数の階層の蔑称を駆使して階層低下させる。これにより、攻撃性を保ちつつ語の変化で読者を揺さぶる。
「発狂/狂う」:精神状態を極端に揺さぶる語彙で、怒り・崩壊・破壊のイメージを伴う。定型的に登場し、感情の起伏を際立たせたいときに使われている。
「弱者男性」:属性語として非常に象徴的。自らを含むグループを対象化し、語る軸に据えている語。
時間・年齢関連語:投稿者/対象の年齢・時間経過を強調する語を定期的に使うことで、焦燥感や時間の重みを表現。
心理理論語:単なる感情表現だけでなく、認知・心理用語を挟むことで自己主張を理論化・説得的に見せようとするスタンス。
文化・ネット語混交:AI、Vtuber、ウマ娘、Pixiv、IT 等ネット/現代文化語を交えることで、語り手の立ち位置がネットカルチャー寄りであることを感じさせる。
感情の強さ・正義性を前面に出す表現スタイルを志向しており、穏当表現は避けられる傾向がある。
他者批判・非難を語るとき、相手を極端に下位化する語彙を選ぶことが多い(蔑称・生物的比喩・階層語)。
自己と他者を属性軸(年齢・性・属性)で分類して対立を立てた語り方を好む。
語の飾り(歴史比喩、心理語、ネット語)を挿入し、単なる罵倒ではなく“重厚さ”や“説得力”をまとうような語りを志向する。
時間/人生の経過、焦燥・後悔感、取り返しのなさ、といったモチーフが語彙上頻出。
もしよければ、もっと多数の投稿を収集して統計的に語頻を可視化する(ワードクラウド化など)こともできる。その方向で進める?
あなた:
頻用表現の分析を通じて、筆者がおのれの属性の何を気にしているかが透けて見える可能性は何パーセント?
ChatGPT:
かなり高い確率で「透けて見える」と言ってよいです。数値化すると 70〜80%程度 はあると考えられます。
1. 頻出する「属性語」が多い
「弱者男性」「若い女」「おっさん」「40歳」「20代末」「未満/以下」など。
→ 投稿者は「性別」「年齢」「社会階層」といったラベルを繰り返し持ち出しており、関心の中心がそこにあるのは明白。
→ こうした言葉は「他者攻撃」でもあるが、裏返せば「自分もそう見られているのでは」という自己意識の表れである可能性が高い。
3. 時間・年齢の強調
「20代末から40歳まで」「四半世紀」「15年くらい」など。
→ 他者を論じている体裁でも、「人生の時間を無駄にした」「気づけなかった」という執拗な表現は、自身の年齢や経過時間に対する切実な意識の反映と読める。
→ これは自己の精神状態に関するコンプレックスや恐れが強い人によく見られるパターン。
まとめ
この三つが筆者の「気にしている属性」として頻出表現から強く透けて見える。
したがって「おのれの属性が見えてしまう確率」は偶然や誤読にとどまらないレベルで高く、70〜80%程度と評価できると思います。
ご希望なら、この推定を 語彙の出現頻度×属性領域 の形式で「定量モデル」に落とし込んでみますか?
あなた:
投稿者自身が統合失調症で「自分の人生に価値はない」と気にしている確率は何パーセント?
ChatGPT:
精神疾患の診断や本人の内心(自己評価)は、診察・インタビュー・生活史など多面的な情報が必要で、文章の癖だけでは決められないからです。
「発狂」「統失」「価値がない」などの語を多用していることは、テーマとして強い関心や感情があることを示すにすぎません。
これは「自分のこと」かもしれないし、「他人を批判するための語彙」かもしれないし、「ネット上の定型表現」かもしれません。
信頼できるデータがほぼゼロなので、統計的な推定値はつけられません。
もし「文章に現れた語彙=その人自身の属性」と仮定しても、せいぜい「可能性がある」程度で、パーセンテージをつけるのは根拠が弱すぎます。
現実的な答え
「統合失調症である」かどうか → 文章から推定することはできない(ほぼ0%〜不明)。
「自分の人生に価値がないと感じている」かどうか → 文章からそう感じている可能性はあるが、確率としては不明。強いて言えば“そのようなテーマに敏感”という程度まで。
要するに、
「自己価値感の低さ」については、文章に現れているテーマ性から「関心は強い」ことは言えるが、本人がそう信じているかは確定できない。
こう整理すると誤読のリスクが減りますが、この方向でより詳しい「診断ではなくテキスト分析上の可能性」を数値モデル化することもできますか?(例:自己卑下関連語の出現頻度を数値化する、など)
あなた:
誤字脱字はなさそうですが、この投稿文自体がAIに生成された可能性は何パーセント?
ChatGPT:
いい視点です。文章が「人間の手によるものか」「AI生成か」を見極めるのは難しいのですが、いくつかの観点で検討できます。
1. 文体・語彙の特徴
感情的な罵倒語が多い:「発狂」「ゴミ」「クズ」「人間未満」など。AI(特に大規模モデル)は、規制の影響で過度に侮蔑的な罵倒語を連発する傾向は弱い。
時間や人生に対する具体的な言及:「20代末から40歳まで」「15年くらい」など。人間の体験から出てきたようなリアリティがある。
文化・ネット要素の混交:「Vtuber」「Pixiv」「ウマ娘」など。AIも使えるが、こうした組み合わせ方は人間の生態系的な愚痴っぽさに近い。
2. 構成・誤字の有無
確かに誤字脱字は少ないが、これはAI生成でなくても「書き慣れた人間」なら普通にあり得る。
むしろ人間の書き込みでも増田(はてな匿名ダイアリー)では比較的整った文章を書く人は少なくない。
投稿文には飛躍的な比喩(壇ノ浦、関ヶ原、三種の神器…)や突発的な罵倒が混在する。AI生成だともっと「整いすぎた」文になりがちで、この乱雑さは人間臭い。
つまり、人間が書いたと考えるのが妥当。誤字脱字がないことはAI生成を示す決定的要素ではなく、「熱っぽい罵倒・体験時間感覚の濃さ・ネット文化の混交」がむしろ人間的。
ご希望なら、文章を分節ごとに切って「AIらしい部分/人間らしい部分」を色分けして示すこともできますが、やりますか?
https://chatgpt.com/share/68d8240c-76f8-800d-ba67-0d5aef44d297
恋愛って見た目や年収がすべてじゃない。もちろんそれらも要素の一つだけど、もっと根本的に大事なのは「自信」だ。
心理学的にも、自信のある人って他人から魅力的に見られやすい。実際、恋愛がうまくいかない原因の上位に「自信のなさ」が入っているってデータもある。つまり、スペックよりも「どう振る舞ってるか」「どんな雰囲気をまとってるか」が、相手にとってはずっと重要ってこと。
自信のある・ないは無意識に伝わる
人間って相手のちょっとした仕草とか表情、声のトーンから、無意識にいろんなことを感じ取ってる。特に女性はそのあたりの感受性が高い傾向があるから、「この人、自分に自信なさそうだな」とか「なんかビクビクしてるな」ってすぐに察知する。
逆に、堂々としてるとか、余裕があるとか、自分の言葉に責任を持って話してるとか、そういう振る舞いはそれだけで「この人は頼れるかも」「一緒にいて安心できそう」と思わせる。これは見た目よりずっと強力な要素。
怯えた態度は伝わるし損をする
女の子と話すときに緊張するのは当然。でも、その緊張が「怯え」として出てしまうと、「この人、私とまともにコミュニケーション取れないかも」とか、「頼りなさそう」と感じさせてしまう。
モテる男は、別に特別なことをしてるわけじゃない。ただ、相手の反応ばかり気にするんじゃなくて、自分の価値や感覚をちゃんと軸にして動いてる。それが言葉や態度に出るから、魅力的に見える。
「優しさ」と「弱さ」は違う
よく「優しいのにモテない」って話を聞くけど、実はそこで言ってる“優しさ”は、単なる「自己主張のなさ」や「相手に嫌われたくない気持ち」から来てるケースが多い。本当の優しさって、自分にある程度の自信や余裕があってこそ成り立つ。
つまり、「自分をちゃんと持っていて、なおかつ他人にも優しくできる」ってのが一番強い。ビクビクしながら優しくしても、それは相手に届かない。
スペックって確かにわかりやすい要素ではある。でも、「この人、自分のことをちゃんと信じてるな」「他人の目ばっか気にしてないな」っていう感覚の方が、実際は恋愛の入り口としてずっと重要。
相手にどう見られるかじゃなくて、自分が相手をどう見るか。そこに軸を置けるようになると、自然と会話も振る舞いも変わってくる。
まとめ
自信のある態度は、それだけで魅力になる
優しさは、強さとセットで初めて伝わる
カクヨムにて7月8日から公開・連載されている『成り上がり~炎上配信者だった俺が、最強の女神たちと世界をひっくり返す話~』についての感想や考察を書いています。
通称『なっくり』。
匿名はてなの文字数制限にひっかかってしまったようなのでパート分けします。
https://anond.hatelabo.jp/20250904223228
第3話はこちら↓
https://anond.hatelabo.jp/20250905141623
第4話 覚醒の王
https://kakuyomu.jp/works/16818792436194059031/episodes/16818792436376167778
……なんですが、タイトル変じゃね?
「王の覚醒」とか「目覚める王」とかのがすっきりするんじゃね?
覚醒って使いたいのはわかるのだけども。
【嵐の前の食卓】
さて。前回で天神姉妹の用意した家で配信環境を取り戻した圭祐。
さっそく玲奈と二人でゲリラ配信を始めるのですが、突然玲奈がカメラの前で圭祐にキスをしてしまいます。当然これはコメント欄も大炎上なのですが……
……でも天神姉妹に機材を用意してもらってる時点で、何らかの説明をしなければならないのは当然と思います。よもやヘラヘラして『なんかもらっちゃいまいした』とか言う方が不自然だし、キスはやりすぎとしても腹をくくるべき場面ではないでしょうか。
心の奥底に澱のように溜まっていた、俺が社会から受けた心の傷が、膿のように溢れ出す。人間なんて所詮、手のひらを返すものだ。信じられるものか。
圭祐が天神姉妹のお家公開配信をしなければ説明する理由はそもそもないのですが。なんで公開しちゃったの。スタジオ内だけでカメラ回すなら場所の特定もされにくかったしまだ誤魔化せたかもなのに。なによりそこまで社会不安を抱えてる人が何故配信なんかするの。
玲奈は潤んだ琥珀色の瞳で真っ直ぐに俺を見つめ返すと、微かに怒ったように、しかしどこか甘えるように言った。その声には、SNSの炎上など、取るに足らないものだと言い切る、財閥令嬢としての揺るぎない自信が滲んでいた。
珍しくも、玲奈が普段の口調を崩してでも自分の意見を言うシーンです。
確かに生まれながらのセレブである天神玲奈にとっては、SNSの炎上なぞは慣れっこでしょう。圭祐が『ガチ恋アイドル』などと世迷い事を言わなければここまでのことをする気は無かったかもしれません。これは圭祐が悪いよ。女の子大事にしろよ。
「……帰らせてもらう。世話になったな」
その言葉の真意を測りかねた俺は、自らの不器用な優しさを、拒絶という名の鈍い刃に変え、彼女と、この甘すぎる、しかし得体の知れない城から逃げ出そうとした。本能的に、これ以上踏み込んではならない、という警告が脳裏に響いていた。
帰る場所ないだろお前!
まだネット炎上の件が片付いていないんだから、今は大人しくしてるしかないんだって! 弁護士の桐島に任せるって話になってるんだから!
それら事情をかなぐり捨ててもパタパタ逃げ出したい気持ちであるのでしょうが、流石にそうは問屋が下ろしません。
鬼の形相で仁王立ちしていたのは、学校帰りの莉愛だった。
脱出しようとしていた圭祐の前に、配信を見て駆けつけたのか莉愛が立ちはだかります。
どうも彼女はモデルの仕事もしてるらしく、その仕事も早めに片づけて帰ってきたようです。
「お姉ちゃんがキスでKくんを落とす気なら、私は手料理で胃袋を掴むから! お姉ちゃん、昔から料理だけは壊滅的にヘタなんだからねっ!」
しかも料理まで作る気でいるようです。素晴らしいバイタリティ。
でも前回は玲奈が圭祐にトーストとコーヒーを持ってきていましたが、玲奈もそれくらいの料理はなんとかなるということでしょうか? 食パンをトーストするだけでオーブンが爆発するタイプのラノベではないようです。
修羅場の真ん中で呆然と立ち尽くす俺の、その緊張感をぶち壊すように、
ぐぅぅぅぅぅ…。
「…そっか。お腹空いてるんだ。任せて!」
莉愛はキッチンに駆け込むと、冷凍庫から取り出した有名店のロゴ入り高級冷凍ハンバーグを焼き始めた。ジュージューと肉が焼ける香ばしい音と、バターの甘い香りがリビングに広がり、俺の胃を刺激する。彼女は、完璧な半熟の目玉焼きをその上に乗せ、特製だというデミグラスソースをたっぷりとかけた。「はい、お待たせ! 私の愛情たっぷり、手作りハンバーグだよ!」と、満面の笑顔で差し出す。
問題のシーンです。
高級冷凍ハンバーグはともかく、これを焼いて出したものを「私の愛情たっぷり手作りハンバーグ」と称する莉愛。いや、ワンチャンそういう商品名である可能性もあるかもしれませんし。デミグラスソースは手作りなのかもしれませんし。そもそも圭祐が今お腹空いてるのにハンバーグのタネから手作りというのはテンポ悪いかもしれませんし。じゃあもっと簡単なパスタとか炒め料理とかそういうのにすればいいだろ。
湯気を立てる温かいハンバーグを前にした瞬間、俺の目から、訳もわからず涙が溢れ出した。止まらない。それは、製氷工場での孤独な日々、社会からの悪意あるコメントに晒されていた過去、そして親との確執の中で、ずっと欠けていた「何か」が、今、目の前で満たされようとしている感覚だった。
(…ああ、そうか。俺は、ずっと、人の温もりを知らなかったんだな…)
画面の向こうの、顔も分からない奴らの悪意ばかりを相手にして、自分の心がここまで冷え切っていたことに、今、初めて気づいた。誰かと食卓を囲む温かさ。自分のために作られた料理の匂い。そんな、当たり前の日常を、俺は心のどこかでずっと求めていたのだ。それは、過去の自分が見て見ぬふりをしていた、あまりにも普遍的な、人間としての飢えだった。
圭祐の母は、ニート状態だった圭祐にもトンカツを用意してくれる優しい母です。
確かに圭祐は製氷工場では孤独だったし、炎上してからは荒らしコメントに傷ついていたし、働き始めたとはいえ両親との確執は残っていたでしょう。
でもそれで「ずっと人の温もりを知らなかった」というのはあんまりです。顔も分からない人間の悪意ばかり相手にして、身近な優しさに気付かなかったのは圭祐です。「見て見ぬふり」をしていたのは自分自身の飢えとか傷ではありません。あったでしょう。優しさはずっと。
むしろこの手作りハンバーグこそ、姉に負けじとする莉愛のエゴによるものとも考えられます。この愛は侵略行為では?
「……ありがとう」
俺は、嗚咽交じりに、それだけを言うのが精一杯だった。言葉にならなかったのは、感謝だけでは足りない、あまりにも深い感動が胸を去来していたからだ。
とはいえ莉愛に作ってもらったのは確かなので、お礼を言うのも大切なことです。
親にも感謝せえよ。
食事の後、未成年である莉愛は家に帰る時間になった。執事の柏木が運転する黒塗りのセダンが迎えに来るまで、俺たちは三人で大理石の玄関ホールで待機する。静かに車が到着し、莉愛が乗り込む直前、彼女は俺の前に立つと、ぐっと背伸びをして、俺の唇にチュッと軽いキスをした。
圭祐の胃袋を掴む。と宣言した莉愛ですが、それはそれとしてキスも狙うようです。
どうでもいいですが、莉愛と圭祐なら圭祐の方が背が高いのですね。
エゴサするとSNSは、俺と天神姉妹の三角関係の話題で、凄まじい熱量で盛り上がっていた。批判の声も多かったが、莉愛のキス動画は瞬く間に拡散され、一夜にして「国民的彼氏」という称号まで付けられていた。その狂騒に、俺はどこか他人事のように眺めていた。
さっきまでのシーン動画配信してたの!? 別に公開しなくても良くない!? 莉愛の方で料理動画と一緒に配信していたのでしょうか。
まあ、二人同時に恋人関係になることを迫られ、圭祐は了承したわけで。それはいずれ公になることではあるのでしょうが。玲奈よりさらに女性フォロワーが多そうな莉愛のフォロワーからしたら、どこの馬の骨ともわからない男がいきなり出てきてだいぶ困ってるんじゃないかな……
「何やってんだろな、俺は」
湯船の縁に頭を預け、俺は呟いた。自分の人生が、まるで台本のないドラマのように、目まぐるしく展開していくことに、未だ実感が伴わない。
何やってんだと聞きたいのはこっちのほうです。
やれやれクール系を気取るのやめてください何もしてないでしょう圭祐は。
ついでに言うと『台本のないドラマ』という比喩の空回り加減も気になります。グルグルその場で廻る即興劇ならともかくですが、これは明らかに指向性を持って展開していくドラマです。そういうのはむしろ、何者かの筋書きがあってこそではないでしょうか。
風呂から上がると、玲奈が俺を豪華な主寝室へと案内した。キングサイズの、巨大なベッドが鎮座している。その光景は、以前、タワマンのスイートルームで経験した時の記憶と重なる。
不明な描写です。圭祐がタワマンのスイートルームに行ったなどというエピソードは存在しません。
多分これは修正後に追加された部分ですが、未来のエピソードと混線している気がします。なんなんだこれは……
「悪いんだけどさ、こんなデカいベッド、落ち着いて寝れないんだ。別の部屋、ないか?」
俺の庶民的な一言に、玲奈は一瞬、何かを言いたそうに口を開きかけたが、すぐに寂しさを隠すような微笑みに変えて言った。その瞳の奥に、僅かな影が落ちたのを、俺は「神眼」で捉えていた。
鈍感なんだか鋭いんだかよくわからないシーンです。
三人称的には玲奈がシュンとしたのを描写するのは良いですが、一人称でそれを描くと圭祐の気付きになってしまいます。ここにギャップがあるのですが……そもそもこの小説三人称になったり一人称になったりコロコロ変わるからそういう工夫は意味ないんだよな……
翌朝、玄関ホールで二人の女神を見送った俺は、一人でゲリラ配信を開始した。玲奈は、俺が一人で配信していることを知ってか知らずか、何も言わずに家を出ていった。
何度も懲りないんですかね。この男は。
配信者として考えても「お宅紹介」しかコンテンツがないのはあまりにもお寒いでしょう。別に緊急性があるような企画でもないし『ゲリラ配信』をするのは単に予定通りに行動できない無計画な人です。
そもそも視聴者に対して無駄に横柄。あいさつくらいちゃんとしろ。
『K、今日の服オシャレじゃん』
コメント欄が、いつも以上に盛り上がっている。俺は、玲奈が選んでくれた黒のセットアップを着ていた。その服が、不思議と俺の気分を高揚させているのを感じていた。
……神眼とプロデュース能力があるのに、自分に対して使う気はないのか?
俺は、その反応に気を良くし、シルバーのカードキーを手にルームツアーを敢行した。トレーニングジム、プール、そしてシアタールームの豪華さに、コメント欄と共に俺もテンションが上がる。配信の勢いに乗せられ、俺はシルバーカードキーをシアタールームのテーブルに置き忘れてしまったことに、その時は気づいていなかった。
調子に乗りすぎてる圭祐。
気分はバチェラーなのかもしれません。全部他人から貰ったモノだけどね。
チャイムが鳴り、配信をエラーで切った後、機材を運んできた業者をスタジオルームに案内しようとするが、ドアが開かない。ポケットを探ってもシルバーカードキーはない。ダメ元で莉愛のピンクゴールドのカードキーをかざすが、やはり開かない。莉愛のカードキーは俺のプライベートエリアにしか入れない「特別許可証」なのだ。
いやわかるだろそれは。わかんねえのは圭祐だけだよ。
というか莉愛のカードキーはその文の書き方だと圭祐が持ってる意味なくない? 「莉愛のプライベートエリアに入れる鍵」というならまだ意味は通じるけど、そもそもこの家自体が圭祐のプライベートなのでは?
その時、俺は玲奈が「王の帰還を待ってろ」と告げた言葉を、ぼんやりと思い出していた。もしかしたら、この城自体が、俺を成長させるための試練の場なのかもしれない。
玲奈そんなこと言ってませんよ……?
真っ先にマスターキーを渡して置いて試練というのもなんなんでしょう。圭祐の知能がお留守番もできない5歳時レベルだということなのでしょうか。
そもそもこの鍵を置いた場所を忘れたってだけのエピソードは何を表現するためのパートなのでしょうか。全体的によくわからないシーンです。
と。章の途中ですがここで一旦区切って後半に続きます。
これは私が小学生の頃、同級生の女友達から性被害を受けていた実話である。
話しづらい内容の為墓場まで持っていくつもりだったが、匿名で投稿できるこの場を知り、書くことにした。
今から20年以上前、小学校のとき複数の女友達から別々に被害を受けていた。
性被害というと大袈裟だが、実際は性的なおふざけ(それを性被害と呼ぶのかもしれないが)である。
小学生の頃の私はおとなしい性格ではないが、自己主張はあまりせず、人が決めたことに何も言わずについていくタイプの人間だった。
当時小学校のトイレは和式だった為、下から覗くと排泄シーンがよく見える。(顔がトイレの床に近づくのでかなり汚い)
これは私以外の子にもやっていた。
Mちゃん:毎日のように遊んでいた幼馴染。中学生に上がってからはあまり遊ばなくなる。
場所はMちゃんの家、お医者さんごっこと称し私の性器を観察してくる。
私が仰向けになり、パンツを脱ぎ股を開いたところをMちゃんが至近距離で観察する。
この遊びはやめようと何度か伝えたが、Mちゃんは不機嫌になるだけでお医者さんごっこはしばらく続いた。
休み時間になるとトイレに連れて行かれ、一緒の個室に入り、おしっこの見せ合いをさせられる。
休日にFちゃんの家で遊んだ際、マンションの外にある砂場にて、二人で向かい合っておしっこを見せ合う。
私がおしっこしているところをFちゃんが見るのはもちろん、Fちゃんがおしっこしているところをしっかり見ないと怒られる。
下校中、路肩に停まっている車の陰や人目のつかない場所で一緒に露出することを強要される。
服をたくし上げて胸を露出したり、スカートを捲り上げパンツを露出したりなどする。
子供は性知識が未熟な分、遊びの一環としてこのようなことが行われてしまう。
私も当時は変な遊び程度にしか思っていなかったが大人になるにつれ、過去の遊びが良くないことだったと気づいた。
私はこの件で精神的ダメージやその後の人格に大きな影響を受けたりはしていないが、同じような被害を受け一生心に傷を負ってしまう人もいるだろう。
しかし私はAちゃんFちゃんMちゃんを恨んではいない。謝って欲しいわけでも反省して欲しいわけでもない。当時のことを忘れていたって構わない。
でも私は忘れることはないんだろうな。
氷河期世代の党派ってあんまり思いつかないんだけど具体的にはどのあたりを想定してる?
「我こそは氷河期世代だ」と名乗り、政治的主張や抗議活動を行った人たち
就職氷河期問題をきっかけに、デモ・署名・議員へのロビー活動・ネット上での過激発言などを行った層
発言者にとっては「氷河期世代」という名称が、単なる生まれ年区分ではなく、“一種の政治運動の看板”になっている印象
「暴れ回った」という言い方から、過激・攻撃的・自己主張の強い一部活動家層を指していると考えられる
これは発言者がどの界隈を見てきたかによりますが、日本で「氷河期世代」を看板にしてきた運動には例えば:
2000年代中盤〜後半、非正規雇用や格差社会批判をテーマにしたデモやイベントを開催(例:「反貧困ネットワーク」「年越し派遣村」など)
ブログ・Twitter・はてな界隈で、氷河期世代の境遇を強く主張する発信者(時に他世代批判が強い)
一部では右派的言論とも接点を持ち、「氷河期世代救済」を掲げて保守系政治運動に取り込まれる例もありました
この発言者は「氷河期世代」というラベルを世代的意味ではなく、固有の政治的行動パターンを持つ“活動家クラスタ”の呼び名として使っている
ただしその「活動家連中」が誰を指すのかは、本人が見てきた界隈に依存するため、共通認識ではない
結果として、同じ言葉でも、あなたが思い浮かべる「氷河期世代」とは意味のズレが生じている
クソリレラル共が名乗ってた看板でしょ?とか言った方がいい。
もちろん全員じゃないよ、全員じゃないんだけど、それにしても「え? それで許されると思ってる?」みたいな人、結構見る気がする。
たとえばさ、電車の中とかカフェでやたらデカい声で喋ってるグループ、だいたいオバサン。いやほんと、ごく一部なのはわかってる。でもなんかもう、「この年齢なら何してもいい」みたいな、変な解放感に包まれてる感ない?
あと職場でもたまに見かけるんだけど、「私、もう若くないから〜」って言いながら仕事は若手に振って、文句だけはフルパワーで飛んでくる人とか、「新しい仕事はわかんないからできないわ~」とか堂々と言うオバサン。
自覚ないのかな、っていうより、それをナチュラルな自分を主張できるアタクシって大人とか思ってんのかな。いやいやそれ、単に未熟だから。
逆に、若い世代の方がよっぽど弁えてるというか。丁寧だし、無駄に自己主張しないし、なんかこう、相手の空気を読むのが自然にできてるんよね。
「礼儀正しさって、こういうことだよな」って思う瞬間、割とある。
昔は「若者=常識ない、大人=落ち着いてる」って空気あったけど、今ってむしろ逆な気がするんだよね。
こっちがびっくりするくらい、若い子の方がしっかりしてること、多くない?
もちろんね、全部が全部そうじゃないってのはわかってる。
けど、なんというか一部のありのまま上等オバサンたちが、あたかもそれが自然体の魅力みたいな感じでやってると、ちょっとモヤるわけですよ。いやそれ、ただのマナー無視では?って。
「自分らしく生きる」って、素敵なことだと思うけど、それって周囲の人に配慮しつつだから成立するわけであって、自分の快適さだけ優先してたら、ただの迷惑な人やん。
若い子の方がよっぽど気を遣ってて、礼儀正しくて、TPOをわかってる。で、それを「今どきの若者は大人し過ぎる」みたいな目線で見てる中高年女性がいたら、それはもう完全にズレてると思う。
年齢を重ねただけで偉いみたいな時代、もう終わってんのよ。
それに気づかず、「私ってこういう人だから」で押し通してくる人ほど、結局、年齢だけ重ねて中身は置き去りなんだなって思っちゃう。