はてなキーワード: 瞑想とは
どうしてそれでジャンルが潰れるの?
自己完結してることなら他人がどうしようが潰れようがなくね?瞑想とか。
dorawiiより
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まず世の中のものすべては「太陽」と「月」の属性を持っているのね。
で、身体にいい栄養価が高いとされているものは基本的には太陽の属性を持ってる。
太陽の属性を身体に取り込むことで体内で燃えてエネルギーに変換される。
またポジティブシンキングや社交的な態度というものも太陽属性のエネルギーの発露と言える。
でも太陽にあたりすぎると身体も悪くなるように、体内に取り込んだ太陽も同じように
常に煌々と燃え続けているのは体にとってよくないことなんですね。
身体を動かす原動力として覚醒効果をもたらすけれど属性が薄まると急激に倦怠感に襲われる。
なので月の属性を持っている水を夜に取り込むことで、
外部から月の光を取り込んで内部からも水という形で月の属性を呼び込むことで
体内の太陽の属性を中和して体内の属性を均衡状態に持っていくことができるんです。
太陽の属性が体内でエネルギーを燃やした残りの心身的なドロドロを融解して
そして同時に部屋を静かにして瞑想を行うことで精神的にも月の属性に傾けることで
再び翌日から太陽の属性を最大限輝かせるための燃料を内部に作ることができる。
そして最大の月の属性の行為の睡眠。その質を上げるために文字通り「呼び水」として
↑これ何言ってるの?
dorawiiより
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※残念ながら私は裏垢女子ではないので、アンチフェミの餌みたいな記事を求めていらっしゃった方はブラウザバックでお帰りください。
ストレスを求めてインターネットをしてる人はスマホを置いて瞑想してください。(優しさ)
私も君たちカスの一員でした。
だからなんとなくわかるんです。
自認がカスの皆さんは恐らくどこかに罪悪感を抱いていたり、先のないこの活動になんとも言えない空虚感があったりするんじゃないですか。
それと向き合ってカスみたいな活動との付き合い方を変えて欲しいなという願いから、この文章を書いています。
まずは私の事をお知らせしましょう。
皆さんと同じような人間ですよ。
タダマンを求めて毎日裏垢女子を巡回し、全然おもんないポストに精子くささを隠したコメントをしたり。
お、こいつは住んでるとこ近いぞみたいな人と一度やりとりするために欲しいものリストから彼女にねだられても買わないようなものを送ったり。
たまに上がる色んなエロい自撮りでシコるみたいな感じでしたね。
PayPay詐欺にも合いましたね。
同じじゃないかもな。
大事な人との関係が悪くなって、そこから逃げるために裏垢に来たんです。
でも、やめられなかった。
色々試行錯誤した。
プロフィールを変えて、やりとりの仕方を変えて。
そしたら、会えるようになった。
ホテル代だけで済むことも普通だったし、むしろ向こうが出してくれることもあった。
やりたいことは、できるようになった。
でも、虚しさは消えなかった。
むしろ、どんどん深くなった。
なんでだろう。
俺、多分遊びに向いてなかったんだと思う。
会っても、すぐやることやって終わり、みたいなのができなかった。
色んな話を丁寧に聞きたくなってしまった。
ただそれだけ。
人の痛みも、気になってしまった。
そしたら、見えてきたんです。
話すのに泣く子がいた。
どこか遠い目をしてる子もいた。
何を見てるのか、わからない目。
ニコニコしながら壊れちゃったのかな、という子もいた。
明るいんだけど、どこか空っぽな感じ。
明言はしない。
でも、やりとりから痛みが伝わってくる。
薄々勘付いてたものが、形になってきた。
彼女たちは、壊れてる。
性が壊れたトラウマ。
愛着障害。
境界知能。
そういうものを抱えて、ここにいる。
そして俺も、壊れてた。
罪悪感と虚しさを抱えたまま。
ここにいた。
ああ、これはこういう構造なんだ。
お互いに傷つけ合ってる。
誰も幸せになってない。
もしかしたら君も、これから工夫して頑張ろうとしてるかもしれない。
「どうやったら会えるか」を研究しようとしてるかもしれない。
でも、頑張る前に。
まず自分自身がどういう構造の中にいるのか、よく理解しとけよ。
ここで少し、概念の話をさせてください。
知っておいた方がいい話です。
裏垢にいる女性たち、全員がそうじゃないけど、かなりの割合で福祉や医療が必要な状態にある人がいます。
例えば境界知能。IQ70から85程度で、知的障害には該当しないけど、生きづらさを抱えている。ケアされなかった発達障害。診断されずに大人になって、社会でうまくいかない。過去のトラウマ。虐待、ネグレクト、性被害。愛着障害。幼少期に適切な愛着関係を築けなかった。メンタルヘルスの問題。うつ、不安障害、依存症。
こういう人たちは、適切な支援を受けられていない。
「私にはこれしかない」って思ってる。
そして、君たちと出会う。
君たちの方はどうか。
孤独だよね。
何かから逃げてるよね。
恋愛は面倒くさい。
相手を理解して、尊重して、時間をかけて関係を築くなんて、できる気がしない。
だから裏垢に来る。
実際、工夫すれば会える。
やりたいこともできる。
でも、それで満たされるわけがない。
なぜなら、君は愛する力を持っていないから。
心理学者エーリッヒ・フロムは『愛するということ』の中で、愛は技術であると言いました。
愛は恋のように「落ちるもの」じゃない。
愛する力とは、相手を一人の人間として尊重すること。相手の幸福を自分の幸福として感じられること。相手を消費せず、対等な関係を築けること。
君にはこれがない。
俺にも、なかった。
だから会えても、やれても、満たされない。
一方、裏垢にいる女性たちには、愛する力の前にまず福祉が必要です。
境界知能やトラウマ、発達障害、愛着障害を抱えた状態で「愛しなさい」と言われても、無理です。
福祉です。
裏垢にいる女性の中には、過去のトラウマを無意識に繰り返している人がいます。
虐待やネグレクトを受けて育った子どもは、「私には価値がない」「私は愛される存在じゃない」と学習します。
君たちとのやりとりが、彼女たちを傷つける。
「やっぱり俺は孤独なんだ」を強化する。
お互いに、傷を深め合ってる。
ここまで読んで、気づいてほしい。
誰も得しない。
誰も幸せにならない。
じゃあどうすればいいのか。
具体的には、心療内科やメンタルクリニックの定期受診。公的な福祉機関、市区町村の福祉課、保健所、生活困窮者自立支援制度など。女性の傷つきをケアするNPO、性暴力被害者支援、DV被害者支援、生活支援など。
これらに繋がることで、安全で安定した生活を取り戻せる可能性がある。
君ができることは、彼女たちを消費することじゃない。
もし本当に彼女たちのことを思うなら、こういう場所があることを伝えること。
君には、愛する力が必要です。
具体的には、相手を人間として尊重する練習。対等な関係を築く経験。自分の孤独と向き合うこと。逃げてきたものと、ちゃんと向き合うこと。
裏垢で消費的な関係を続けても、愛する力は育たない。
むしろ、どんどん失っていく。
会えてても、やれてても、満たされないのはそのせい。
もし君自身もメンタルヘルスの問題を抱えているなら、カウンセリングや心療内科に行くのもいい。
孤独の根っこに、何があるのか。
逃げてきたものは、何だったのか。
それを見つけるために。
最後に、これだけは伝えたい。
人と正しく繋がれない人は、孤独になる。
あらゆる問題の根源にある。
君がこのまま裏垢で消費的な関係を続けていたら、10年後、20年後、どうなってると思う?
会えてる。
やれてる。
でも満たされない。
その繰り返し。
彼女たちがこのまま福祉に繋がらず、傷つけられ続けたら、どうなると思う?
どちらも、孤独に行き着く。
そして、変われるなら、変わってほしい。
せっかく年末年始はお休みでのんびり出来るのに、人混みで溢れかえる有名な寺社仏閣に出かけるのは実に馬鹿げている。
正月はテレビで駅伝を観るのが最高の楽しみだ。1日はニューイヤー駅伝、2日、3日は箱根駅伝がある。
駅伝が終わったら散歩などに出かける。地元の小さな神社の前を通ったりする。まあ神社の前を通るときは多少厳かな気持ちにはなるが、鳥居を潜って参拝する気にはならない。横目に神社を見て通り過ぎるだけだ。
神社に本当に「神」がいるとは思えないし、仮に居たとしても、「あいつはこの辺に住んでいるくせに鳥居の前を通り過ぎるだけで参拝に来ないから不幸な目に合わせてやろう」とか考えるなら邪神でしかない。神社に仮に神様がいるとしても、そんな邪神とは思えないので素通りしても害はない。
もっと分からないのは、神社で願い事をすることだ。俺がまだ初詣をしていた頃、一緒に初詣にいった彼女は「何をお願いしたの?」と俺に尋ねた。
お願い?上にも書いたように神社に実際に神様がいる可能性はゼロに等しいし、仮に居たとしても、それはその地域の霊的安定を保っている存在であり、個々人の「商売繁盛」「試験に合格」「女にモテますよように」「病気が治りますように」「借金地獄から抜け出せますように」とかいった現世利益を硬貨数枚程度のお賽銭で叶えてくれるはずがないのである。だから俺はその時はただ「神様」に御挨拶として「参拝」しただけで何の「願い事」もしていなかった。だから「別に何もお願いはしてないよ」と言ったら彼女は「何それ?意味ないじゃん馬鹿じゃないの」とか言ってゲラゲラ笑い出した。心からは愛せない女だったので2月頃に別れた。
じゃあお寺で願い事をすればいいのか?というと、それはもっと違うだろう。
仏教は煩悩を捨てて悟りに至れと教えるのだから、「商売繁盛」「試験に合格」「女にモテますよように」「病気が治りますように」などという現世利益=煩悩をお願いするのは仏教の教えと根本から反している。寺院に参拝して願うことといえば「煩悩がなくなりますように」とか「極楽往生」になるはずだ。
そもそも仏教の根本的な精神を考えたら、自力本願ならば座禅や瞑想などの修行に励めば良く、他力本願ならば「南無阿弥陀仏」と念仏すれば良いのだから、寺院に参拝する必要がない。
「清潔感清潔感って何だよ、よくわかんねえよ、結局※だたしイケメンに限るキリッとかいうやつでしょ」といった感じですねてしまう前に、なぜかみんな勘違いしていて女性の求める「清潔感」について把握できてないのでわざわざ俺が教えてやる。
だ。
難しいことは言わないのでとにかくこれを覚えておけ。
これも意識しておけ。
だいたいの場合は、健康であれば健康感は出るので、健康を目指しておけばいいが、最終的には健康であるかと健康感があるかどうかは若干違うので、女性に健康であることが伝わってるかどうかを意識すれば健康をショートカットできるとも言えるし、逆もまた真なりで健康であっても健康感が伝わっらない問題について取り組めるともいえる。
突き詰めて言うと、女性にとって不健康だと伝わればたとえ清潔であってもいわゆる「清潔感」があるとは伝わらないし、女性の本能に健康であると伝われば多少不潔でも(一般的な男性がやってしまう、ついつい怠りがちなケアがされてなくても)そこまでマイナスポイントにならない。
さらに健康感さえ伝わっていれば、イケメンだろうとブサメンだろうと女性はそんなこと気にもしないし、少なくとも「女性の近くに存在していい」権利は手に入れられる。
いいか?
健康感だぞ。
健康に見えてやっと、「少なくとも女性の近くに存在はしていい」権利が手に入るぞ。
そこから先は近くに居ることを許されてはじめて、女性を女王や姫のように気を使って、やっと女性の信頼を得て、その次だぞ、好意を向けるのは。
ただ、人間は歴史が始まるよりずっと長い間、外敵や病気の脅威にさらされながら社会性動物として少しずつ発展していって、その社会基盤の最小コロニーの責任を任されているのは女性の役割だったので、いくらうわべの理論や文化的に平等になったとしてもその本能を無視できないことだけは経験上確実だと思っている。
ここまではどんな女性も必ずチェックしている
ここまで整えるとまず間違いなくほとんどの女性に健康だと認めてもらえる
ここはマニアックライン。うるさ型の女性もここまで仕上げると間違いなく伝わる。
腹筋は、女性は男性個体の内臓の健康さを図ってるんだと思う。良い個体を残せるか、つまりセックスに直結して判断されるので、鍛えておくと吉。
肩や背中はコミュニティを守ってくれるかの判断をしているように思う。古代では狩りや防衛を人生の長いスパンでしてくれるか図っていたのかも。
ただ、俺は俺なりのそれなりの経験上から伝えているものの、実際本当のところ女性はどこをどう見ているのかなんてわからないので、近くに聞ける女性がいるなら「どこの健康感を見ているか」を直接聞いたほうが、正確性の面から考えるといいかもしれない。いないんだったらゼロベースからの出発なので俺の言うことを信じて損はない。
何度も言っているが、健康「感」と健康かは完全なイコールではないので、アスリートになれとかボディビルダーになれと言っているわけではない。実際アスリートやボディビルダーが健康なのか?って聞かれると諸説あるし、女性の本能的にもそういうことではなくて、古代からの日常で、守ってくれるのか、稼いでくれるのか、強い個体の遺伝子を入れてくれるのか、この3点が伝わることが大事。
これにつきる。
あまりにつまらない答えすぎて笑い話にもならないが、本当にこれに尽きる。
別にアスリートやボディビルダーになるわけじゃないので、朝スクワット、昼食はサラダにして、寝る前に瞑想がてらストレッチ、こんなんで十分。ただし毎日続けろ。
毎日続ければ、必ず「少なくとも近くに居ていい権利」は手に入れられる。いつ?それは誰にもわからない。ただし続けなければ手に入らないし続ければいつかは手に入る。それだけ。
日中は実験室的な刺激は少なかったが、思考の連続性を保つために自分なりの儀式をいくつかこなした。
起床直後に室温を0.5度単位で確認し(許容範囲は20.0±0.5℃)、その後コーヒーを淹れる前にキッチンの振動スペクトルをスマートフォンで3回測定して平均を取るというのは、たぶん普通の人から見れば過剰だろう。
だが、振動の微妙な変動は頭の中でのテンポを崩す。つまり僕の「集中可能領域」は外界のノイズに対して一種の位相同調を要求するのだ。
ルームメイトはその儀式を奇癖と呼ぶが、彼は観測手順を厳密に守ることがどれほど実務効率を上げるか理解していない。
隣人はその一部を見て、冗談めかして「君はコーヒーにフレームを当ててるの?」と訊いた。
風邪の初期症状かと思われる彼の声色を僕は瞬時に周波数ドメインで解析し、4つの帯域での振幅比から一貫して風邪寄りだと判定した。
友人たちはこの種の即断をいつも笑うが、逆に言えば僕の世界は検証可能で再現可能な思考で出来ているので、笑いもまた統計的に期待値で語るべきだ。
午前は論文の読み返しに費やした。超弦理論の現代的なアプローチは、もはや単なる量子場とリーマン幾何の掛け合わせではなく、導来代数幾何、モーダルなホモトピー型理論、そしてコヒーシブなホモトピー理論のような高次の圏論的道具を用いることで新たな言語を得つつある。
これらの道具は直感的に言えば空間と物理量の振る舞いを、同値類と高次の同型で記述するための言語だ。
具体的には、ブランデッドされたDブレーンのモジュライ空間を導来圏やパーフェクト複体として扱い、さらに場の有る種の位相的・代数的変形が同値関係として圏的に表現されると、従来の場の理論的観測量が新しい不変量へと昇格する(この観点は鏡映対称性の最近のワークショップでも多く取り上げられていた)。
こうした動きは、数学側の最新手法が物理側の問題解像度を上げている好例だ。
午後には、僕が個人的に気に入っている超抽象的な思考実験をやった。位相空間の代わりにモーダルホモトピー型理論の型族をステートとして扱い、観測者の信念更新を型の変形(モナド的な操作)としてモデル化する。
つまり観測は単なる測定ではなく、型の圧縮と展開であり、観測履歴は圏論的に可逆ではないモノイド作用として蓄積される。
これを超弦理論の世界に持ち込むと、コンパクト化の自由度(カラビヤウ多様体の複素構造モジュライ)に対応する型のファミリーが、ある種の証明圏として振る舞い、復号不能な位相的変換がスワンプランド的制約になる可能性が出てくる。
スワンプランド・プログラムは、実効場の理論が量子重力に埋め込めるかどうかを判定する一連の主張であり、位相的・幾何的条件が物理的に厳しい制限を課すという見立てはここでも意味を持つ。
夕方、隣人が最近の観測結果について話題にしたので、僕は即座に「もし時空が非可換的であるならば、座標関数の交換子がプランクスケールでの有意な寄与をもたらし、その結果として宇宙加速の時間依存性に微妙な変化が現れるはずだ。DESIのデータで示唆された減速の傾向は、そのようなモデルの一つと整合する」と言ってしまった。
隣人は「え、ホント?」と目を丸くしたが、僕は論文の推論と予測可能な実験的検証手順(例えば位相干渉の複雑性を用いた観測)について簡潔に説明した。
これは新しいプレプリント群や一般向け記事でも取り上げられているテーマで、もし妥当ならば観測と理論の接続が初めて実際のデータで示唆されるかもしれない。
昼食は厳密にカロリーと糖質を計算し、その後で15分のパルス型瞑想を行う。瞑想は気分転換ではなく、思考のメタデータをリセットするための有限時間プロセスであり、呼吸のリズムをフーリエ分解して高調波成分を抑えることで瞬間集中力のフロアを上げる。
ルームメイトはこれを「大げさ」と言うが、彼は時間周波数解析の理論が日常生活にどう適用されるか想像できていない。
午後のルーティンは必ず、机上の文献を3段階でレビューする: まず抽象(定義と補題に注目)、次に変形(導来的操作や圏論的同値を追う)、最後に物理的帰結(スペクトルや散乱振幅への影響を推定)。
この三段階は僕にとって触媒のようなもので、日々の思考を整えるための外骨格だ。
夜は少し趣味の時間を取った。ゲームについては、最近のメタの変化を注意深く観察している。
具体的には、あるカードゲーム(TCG)の構築環境では統計的メタが明確に収束しており、ランダム性の寄与が低減した現在、最適戦略は確率分布の微小な歪みを利用する微分的最適化が主流になっている。
これは実際のトーナメントのデッキリストやカードプールの変遷から定量的に読み取れる。
最後に今日の哲学的なメモ。理論物理学者の仕事は、しばしば言語を発明することに帰着する。
僕が関心を持つのは、その言語がどれだけ少ない公理から多くの現象を統一的に説明できるか、そしてその言語が実験可能性とどの程度接続できるかだ。
導来的手法やホモトピー的言語は数学的な美しさを与えるが、僕は常に実験への戻り道を忘れない。
理論が美しくとも、もし検証手順が存在しないならば、それはただの魅力的な物語にすぎない。
隣人の驚き、ルームメイトの無頓着、友人たちの喧嘩腰な議論は、僕にとっては物理的現実の簡易的プロキシであり、そこから生まれる摩擦が新しい問いを生む。
さて、20:00を過ぎた。夜のルーティンとして、机の上の本を2冊半ページずつ読む(半ページは僕の集中サイクルを壊さないためのトリックだ)
あと、明日の午前に行う計算のためにノートに数個の仮定を書き込み、実行可能性を確認する。
ルームメイトは今夜も何か映画を流すだろうが、僕は既にヘッドホンを用意してある。
ヘッドホンのインピーダンス特性を毎回チェックするのは習慣だ。こうして日が終わる前に最低限の秩序を外界に押し付けておくこと、それが僕の安定性の根幹である。
以上。明日は午前に小さな計算実験を一つ走らせる予定だ。結果が出たら、その数値がどの程度「美的な単純さ」と折り合うかを眺めるのが楽しみである。
まず結論として、体重60Kg31歳の男性である俺にとって、1日の流れは以下の通りが良い、という結論に至った。
起床→達成感のある仕事3時間→飯大量→だらだら仕事6時間→ちょっと達成感のある仕事3時間→飯→ダラダラ仕事5時間→就寝
野生動物は狼を参考にした。チーター、サル、原始人を調べたんだけど、現代の生活リズムに一番近いのは狼という結論に至った。
狼は基本的に眠りが浅くて、長時間狩りや運動をするんだよね。社会性も家族制、一夫一妻、上下関係でなく役割性。
比較的関係がフラットでハードワークを長時間し続ける現代人に近い。基本的に寝不足というか、夜寝れない現代人に似てる。
というか、狼の生活リズムがおそらく原始的な、かつ社会性を持つ生物としての基本的な動きで、現代人は先祖帰りしてる疑惑がある。ここにヒントがあるんじゃないかと思った。
でも狼は寿命は短い、でも犬は長寿で、その理由は安全な環境でまとまって睡眠を取り栄養を安定して得られるのが仮説としてあるから、
睡眠は夜中心に熟睡できるように、栄養は安定型にしてある。結果的に現代社会人の働き方にマッチした1日なんじゃないかと思う。
この1日のモデルケースは、現代人のコルチゾールとメラトニンの関係とも合致しているし、今の定説にもあってるからなかなかいいんじゃないかと思う。
まず太陽に当たり、ここからコルチゾールの分泌が始まる。太陽光がトリガー。ここから狼は柔軟をして、身の回りを整えて水場へと向かう。
人間も伸びをするだろ?ここで俺たちも同じように柔軟をしてから、部屋掃除して水場に向かうわけだ。水場は浴室でも、ジムでもいい。
で、コルチゾールをブーストするために狼は冷たい水を飲む。というか喉が渇いてるから自然な行動なんだけど。そこで軽く狩りしたり、狩りの方向性を仲間と相談する。
俺もここで水を飲んで、コールドシャワーをする。そしてジャーナルを書いて、自分の体調や午前の狩りに対応する、「何か達成感のある、ドーパミンの出る仕事」をここで設定する。
狼は狩りの前に、静かに待ち伏せする。俺たちもここで瞑想する。そして仕事を始める。
仕事ってのはジムの筋トレでもいいし、頭脳を使う仕事をここに入れる。めっちゃ集中できる。なぜかと言えば、狩猟時代の名残でコルチゾールがピークの時間だから。
飯も食わない。空腹の時に人は集中できる。ここで1日の6割の仕事を3時間以内に終わらせる。
で、仕事終わったらドーパミンドバドバ出てる中で1日の7割分の食事をする。
ここで大切なのが、タンパク質中心の食事をとること。満腹になるまで食う。でもこの「タンパク質中心の食事」になれるにはケトンダイエットして、タンパク質と脂質でエネルギーを補えるようにならなきゃいけない。
飯を食い終わったら、単純作業や語学勉強とか、頭や体を使わなくても良いものをやってダラダラと会話しながら仕事する。消化にエネルギー必要だからここで頑張っても成果は出ない。
そうやってやってると16時くらいには腹が減ってくる。そしたら飯を食わずに、腹減ったまま仕事をする。糖質中心の食事だと力が出ないけど、タンパク質中心になったらここでも力が出る。
実際コルチゾールの値は午前中の仕事が終わった後平坦になってるんだけど、消化にエネルギーつかってるから集中力が上がらないんだよね。この時間帯に狼もまた狩りを始める。でも軽い狩り。
「それなりに集中できる」時間帯だから、ここにちょっとしたハードワークを入れる。現代人だとここでハードワークして、19時くらいからジムで筋トレだろうか。
重要なのが、日の入りの時間帯からブルーライトをカットすること。体内時計が崩れて、夜眠れなくなる。
カフェインもだめ。そしてタンパク質中心の食事を軽くとって、あとはゆっくり酒飲んだり人と会話したり、だらだら残った単純作業や勉強する。狼もここでダラダラしてる。
狼は集まって体をぬくぬくしたりするけど、彼女が居ないのでお風呂で代用。寝る前に体を温めて、寝る。
まずはお疲れ様!
きっといろんなことを考えて誘って、計画して、準備して、待ち合わせに1時間も早く来て、たくさんの努力が伝わった!
これは追加読んで投げやりでかいてるんじゃないぞ!!本気で本心で思ってる!!!!!
スタバに行けなくても死ななくていいと思う!
世の中みんな緊張したり入れねぇって思うお店はあるし!せっかく頑張ったのに死んじゃうと悲しい!死んでほしく無い!
相手の女性の言葉が本当に全部言われたことなら、流石に言い過ぎだと思う!2人とも冷静じゃない!
今はとにかく適当に散歩でもして冷静さを取り戻すんだ!ずーーっとそのことばっかり考えちゃうのめっちゃわかる!でもその状態からまともな判断が生まれる希望は極めて低い!
とにかく冷静になれ!
スタバでふつーに過ごしてるやつだって、ふつーにハイブランド入ってくやつだって、ノリでクラブ行くやりらふぃーだってみーんな最初は緊張して震えながらカッコ悪くみえる経験してんだ!大丈夫!大丈夫!
お相手は、一緒にスタバでお茶する楽しみが出来なかったのと、トライしてくれなかったことが残念だったんだよな!わかる!
マックやガストじゃだめなの!素敵な時間を過ごしたいって時に選択したお店なんだよスタバが!その選択を強制終了されて、え?!わたしの選択はどこにいっちゃうの?!って混乱するし、無碍にされたと思って怒りにもなっちゃうよな!わかるぞ!
価値観の擦り合わせがまだ出来てない一対一のお出かけではよくあることだよ!だからって増田のショックが妥当では無いってことを言いたいわけじゃないよ!
とにかくどんまい!!
言いふらすって言動はちょっとどうかしてるし流石にモラハラ言葉だとおもうわ!
どんまいどんまい!!一旦外出て散歩でも瞑想でもしろ!マックのアールグレイティーは世界で一番うまいな!スタバのパッションティーもありゃ世界で一番うまいぞ!おすすめ!酸っぱくて冷たくてうまい!飲んでみて!感想教えて!
いったん冷静なってから、ちょっとずつトライできる幅を増やして沢山恥かいてトライアンドエラーぶん回してこ!!応援してる!!よく頑張った!!
https://anond.hatelabo.jp/20251017145418
45過ぎてポンコツになったって話をみかけたんだけど思い当たるフシがあるので書いておく。
だいたいこの手のタイプは「若い頃体力があって、そこそこ頭の回転が早かった」タイプ。
体を労るってことを知らないで生きてきた(生きてこれてしまった)ので、メンテナンスの仕方を知らない。
普通の体力の一般人は、もっと若いころから体力の衰えを感じるので、メンテ開始するのも速いんだけど、その機会に恵まれなかったから一気にガタが来てこうなってる。
背景はいいとして、じゃあどうすればいいかって話だけど、いままでやってこなかったメンテナンスをしっかりやるだけ。
だいぶ違う。でも老化は避けられないから受け入れつつ、メンテする。
- いわずもがな。
- 特に就寝時には胃の中を空っぽにすること。睡眠の質がぜんぜん違う。
- ポイントはここ。お前ら、真面目に運動してこなかったろ?実は人生の最後のカギは運動でした。
- 詳しくは自分で調べて欲しいけど、運動すると頭が良くなる。運動すると睡眠が深くなる。運動すると体調がよくなる。
- あれ?あいつどこ行った?
本小文では、ハンナ・アーレントが提起した「悪の凡庸さ」(BE 1.0)が、現代においてより巧妙かつ陰湿なかたちへと進化していることを論じます。かつての「悪」は、思考停止と無反省な服従によって成り立っていましたが、今日の「悪の凡庸さ 2.0」(BE 2.0)は、計算された行動と、美徳の言葉を悪用する戦略的な操作によって特徴づけられます。
BE 2.0は、二重のメカニズム──すなわち、道徳的言語を兵器化する巧妙な操作者と、その偽りを見抜こうとせず、あるいは恐れて沈黙する共犯的な大衆──によって機能します。
アーレントの洞察は、ホロコーストの実行者アドルフ・アイヒマンが、激情による加害者ではなく、ただ命令に従うだけの「無思慮」な官僚であったという点にありました。
それに対し、現代の加害者たちは「善人」を装い、美徳的な言葉を駆使しながら、実際にはアーレントが描いた「悪」の構造と変わらぬ行為を実行しています。
BE 2.0が「凡庸」であるのは、加害者に意図が欠けているからではなく、加害者自身も社会全体も、絶え間ない露出──特にソーシャルメディアを通じたもの──によって感覚が麻痺し、悪のパフォーマンスが日常化しているためです。この日常化は、「相手が悪いのだから自分は正しい」という自己免罪のロジックを生み出します。
明確な思想や信念に基づいて行動し、動機を「正義」や「権利」といった語彙の裏に巧妙に隠す操作者たち。彼らの悪は、分散的かつ非階層的に機能し、いわば「(サルの)群れの知性」のように動きます。また、共感は狭い部族的サークルに限定され、普遍的な倫理感覚は麻痺していきます。
観衆、同僚、制度、そして傍観者として、彼らは悪の遂行に直接加担していないように見えて、検証を怠り、言葉だけの美徳に騙され、結果的に悪の温床を支えています。リーダーの言葉にうなずくだけで、その後の行動全体を黙認してしまう、この「暗黙の承認」が共犯関係を形成します。
BE 2.0は、「正義」に見える言葉の衣をまといながら、実際には害を与えるための操作的アーキテクチャとして機能します。以下の六つは、その主要な「マスク(ベクトル)」です。
本来、異議申し立てを保護するための「言論の自由」が、憎悪や排除の言説を正当化するために使われます。権力者が被害者を装い、権利の言葉を用いて多元主義そのものを抑圧する──これが洗練された悪の典型です。
社会構造に根差す不正義が、象徴的な「個人」に押し付けられます。
• システムの生贄化:制度の失敗を覆い隠すために、ひとりの個人が「償い」の対象とされ、構造改革の必要性は棚上げされます。
• イデオロギーによる自動攻撃:あるカテゴリの人々が「攻撃してよい存在」として事前に定義されており、指示がなくても攻撃が発生します。まさに、無思慮な脚本の遂行です。
歴史上の重大な暴力や抑圧が、軽んじられたり、相対化されたりします。これは、現実の被害を正当化する方便として使われがちです。
進歩や変化を認めず、過去の不正義を手放さないことで、継続的な要求や道徳的優位性を確保しようとします。目的は「癒し」ではなく、「不満」の永続です。
複雑な現実が、単一の枠組みや道徳コードに押し込められ、それ以外の価値観は「後進的」として排除されます。
自らが行っている行為を、先に相手に投影し、正当化の材料とする。この「合わせ鏡」の構造では、真の責任追及が不可能となり、対話はエスカレートする一方です。
すべての誤りや偏見が「悪」となるわけではありません。「悪」が成立するのは、次の三つの条件が重なったときです。
他者を、尊厳ある主体ではなく、単なる機能や道具として扱う「存在論的な消去」が、悪の第一条件です。暴力の前に、すでに尊厳の剥奪が始まっています。
個人の悪意を超え、イデオロギーや制度に組み込まれることで、悪は再生産され続けます。
悪は、善を単に否定するのではなく、模倣し、利用します。たとえば、「権利」の言葉が、本来守るべき弱者ではなく、強者の防衛に使われるとき、それは善の腐敗です。
技術的な修正や制度改革だけでは、BE 2.0に対抗できません。というのも、これらは逆に「寄生的模倣」に取り込まれてしまうからです。根本的な解決は、私たち自身の内面から始まる変容にあります。
東洋の智慧は、個と社会は分かれたものではなく、同じ意識の運動の異なる側面であるという洞察を共有しています。内なる断絶が癒されるとき、外なる対立も自然に鎮まります。
1. 内的な道:瞑想、自己探求、倫理的明晰さを通じて、自己の中にある認識の否定構造を解体する。
2. 外的な道:未変容な人々が存在する現実においても害を防ぐための、法や制度、規範といった堅牢な外部構造を整える。
その行為は開かれた交流を促し、複雑性を許容するか?それとも、対話を遮断し、イデオロギー的な純粋性を要求するか?
和解と修復を育むか?それとも、分裂と戦略的な不満を永続させるか?
力、尊厳、自由をより広範に分配するか?それとも、特定の部族のために力を集中させ、特権を溜め込むか?
「言論の自由」が一貫して沈黙を生み出すとき、「学問の自由」が一貫して排除するとき、私たちは戦略的な操作の兆候を特定できます。
民主主義は、BE 2.0の条件が蔓延するとき、集団的な凡庸な悪が集約され、最高位の舞台に投影されるベクトルとなりえます。現代の指導者たちの台頭は、システムが日常的な否定、投影、兵器化された美徳のパターンを増幅し、正当化するようになった論理的な結果です。
サイクルを終わらせるには、外部の敵を探すのをやめ、内的な変容という困難な作業を始める必要があります。それまで、私たちは悪が選ぶ新たな仮面のすべてに対して脆弱なままです。
ChatGPTに書かせてみた。
タイトル:
怒りは誰にでも湧く感情です。でも「絶対に怒らない人」は特別な人ではなく、習慣的に思考と行動を整えている人のこと。本書は、怒りに飲み込まれず冷静さを保つための具体的な思考法と日常で使えるテクニックを紹介します。感情が揺れたときにすぐ使える「小さな習慣」を中心に、実践的で現実的なアドバイスをお届けします。
内容(〜350字)
怒りを感じた瞬間、自分の中でその感情に名前をつける――「今、燃えている」「今、傷ついている」と短く言葉にするだけで、感情は主観の渦から一歩離れて見えるようになります。名前をつける行為はメタ認知を促し、自分を観察者に切り替えるトリガーになります。習慣化すれば瞬間的な反応が減り、選べる行動の幅がぐっと広がります。
内容(〜380字)
怒りは身体反応が先に来ます。そこで「呼吸を整える」を作業化しましょう。4秒吸って4秒止めて6秒吐く、など決まったリズムを持つと自律神経が落ち着き、理性的な思考が戻ります。スマホのタイマーや指の数え方でルール化すると実行しやすい。大事なのは“いつでも使える簡単な作業”にすること。短時間で感情の嵐を和らげられます。
内容(〜370字)
怒りの元は事実そのものではなく、そこに乗った解釈や期待です。まずは起きたこと(事実)を書き、次に自分が感じていること(感情)、最後に自分がその事実にどう意味づけしているか(解釈)を分けて整理しましょう。こうすることで「変えられること」と「受け入れること」が明確になり、不要な怒りを手放しやすくなります。
内容(〜360字)
怒りに身を任せると短期的な満足(言い返す、叩きつける)が得られますが後で後悔しやすい。そこで「5分ルール」を導入。怒りが湧いたらまず5分保留。スマホを置く、席を離れる、メモするなど小さな行動で即時の衝動を止めます。多くの場合、時間が経てば視点が変わり、より建設的な選択ができます。
内容(〜380字)
他者は自分とは違う体験と価値観の「地図」を持っています。怒りを感じた相手の背景や事情を想像する練習を日常化しましょう。「今この人は忙しいのか」「失敗を恐れているのか」など仮説を立てるだけで、相手行動の解釈が柔らかくなります。想像は同情ではなく、判断の幅を広げるツールです。
内容(〜360字)
多くの怒りは期待と現実のズレから生まれます。期待を明確にして相手と共有する、あるいは自分の期待を現実的に引き下げる習慣をつくりましょう。事前に「こうしてほしい」と短く伝えるだけで齟齬は減りますし、自分で期待を見直す訓練はストレス耐性を高めます。期待は柔軟に扱うと武器になります。
内容(〜350字)
怒りを伝えるときの言葉選びで結果は大きく変わります。「あなたはいつも〜」ではなく「私は〜と感じた」と主語を自分にするだけで防御的な反応が減ります。感情を事実と結びつけない「私はメッセージ」を常備語にしておくと、対話が壊れにくい。言葉は感情のブレーキにもアクセルにもなります。
内容(〜370字)
場の緊張を和らげる武器にユーモアがあります。ただし嘲笑や軽視は禁物。自分の失敗を軽く笑える自己開示や、「自分の脳が騒いでるだけ」といった緩衝フレーズを使うと、相手も警戒を解きやすくなります。ユーモアは相手を下げずに空気を変える“調味料”。使い方を誤らなければ強力です。
内容(〜380字)
怒りそのものを否定するのではなく、生産的な行動に変換する方法を持ちましょう。短時間の運動、問題点の箇条書き、改善可能なアクションリスト作成など、怒りを「次に何をするか」に向ける訓練です。感情を動機にして具体的な一歩を踏むと、自己効力感が高まり再び怒りに振り回されにくくなります。
内容(〜370字)
日々の小さな習慣が「怒らない力」を育てます。瞑想、日記、感謝リスト、定期的な振り返りなどをルーティンに組み込み、感情の起伏に気づく力を高めましょう。筋トレと同じで継続が効果を生みます。短期テクニックと長期習慣を組み合わせれば、自然と怒りが起きにくい心の“筋力”がつきます。
「絶対に怒らない」とは感情の否定ではなく、選べる人になること。ここで紹介した思考法は即効性のある小さな道具ばかりです。大切なのは試してみて、自分に合うものを残していくこと。怒りは使い方次第で味方にも敵にもなります。あなたの人生の中で、怒りがより賢く、安全に機能するようになることを願っています。
子供のころから、僕の心はいつも繊細すぎるあまり、小さなことで深く傷つき、簡単に折れてしまっていた。
学校では友人関係に悩み、授業中のちょっとした指摘にも胸が締め付けられるような自己嫌悪に陥り、家に帰ると涙が止まらなかった。
しかし、その「精神の脆さ」の大部分が、筋力トレーニングによって驚くほど軽くなり、自分でも信じられないほど心が安定している。
以下、長いのでよければ読んでほしい。
幼稚園のころから、泣き虫で人前で発表なんて絶対にできなかった。
小学校では運動会のリレーでバトンを落としただけで、一日中ふさぎ込んだ。
中学生になると、テストの結果が思わしくないと、夜まで布団の中でうなされ、翌朝はまるで寝ていないかのように顔がむくんでいた。
高校生になっても「自分はダメな人間だ」という思考から抜け出せず、文化祭の準備でもイライラして友人と衝突し、自己嫌悪に陥っていた。
大学に進んでからは、自己評価の低さゆえに講義にあまり出席せず、暗い寮の部屋で無気力と羞恥心にさいなまれる毎日。
就職しても、些細なミスで上司に叱られると胸が締め付けられ、仕事が手につかず休職寸前まで追い込まれた。
そんなある時、ある専門記事で「筋トレはセロトニンやドーパミンの分泌を促し、幸福感と集中力を高める」と知った。
思い返せば、運動をすると一瞬スッキリする経験はあったものの、すぐに疲れてしまって運動の習慣化は出来ていなかった。
だから、じっくりと負荷をかけて無理のないように続けていく方針で筋トレに取り組むことにした。
最初の3か月は、週2回のスクワットとプッシュアップを中心とした軽い負荷から始めた。1回8〜10回×2セット程度で無理のない範囲に抑え、フォームの習得と運動習慣の定着を目指した。
この段階では、運動の爽快感によって落ち込みの谷が浅くなるのを感じる程度だったが、自己否定のループから抜け出すきっかけになった。
4か月目に入ると、スクワットの回数を12回×3セットに増やし、ダンベルローイングやプランクを取り入れた。フォームが安定するごとにプレートを少しずつ増やし、自分の身体の変化を実感できるようにした。
この時期には「自分には挑戦し続けられる」という感覚が芽生えた。
朝の目覚めが軽く、昨日の失敗をいつまでも引きずらなくなった。
仕事中、雑音や些細な会話に心を乱されず、自分のやるべきことに集中できる。
プレゼン前も、かつては胸がどきどき震えたが、「伝えたいこと」の構成に思考を巡らせられるようになった。
7か月目以降は、ベンチプレスやデッドリフトなどの複合動作を週3回のトレーニングに組み込み、1回10〜12回×3セットを目指した。
最初は扱えなかった重量が、月を追うごとに10%ずつ増え、そのたびに「もっと自分を高められる」という確信が胸を占めた。
トレーニング前後には適度なストレッチと瞑想を取り入れ、セッション中の「今ここ」に没入する集中力を養った。
筋トレ1回1回が自己制御とストレス耐性を鍛える「精神のレッスン」となり、仕事や人間関係でのプレッシャーにも動じなくなった。
以前は飲み会の雑談に気疲れしていたが、今はリラックスして会話を楽しめる。
休日に趣味の映画を観ても、昔のように心がざわつかず、作品の世界に深く没入できる。
小さな出来事に感情を振り回されない自分に驚きながらも、飾らない日常を心から喜んでいる。
不安の軽減:運動後のエンドルフィンとドーパミン分泌が、日常の小さな不安を和らげるバッファーとなった。
集中力の持続:重いバーベルに全集中することで「今ここ」に没入する感覚が養われ、仕事中の心の乱れが劇的に減少。
自己肯定感の向上:重量アップの成功体験が積み重なり、「自分には挑戦し続けられる」という強い信念が根付いた。
ストレス耐性の強化:ウェイトの重さに耐える身体感覚が、精神的ストレスにも耐えられる基盤を作り上げた。
もちろん、この方法が万人に効くとは限らない。
だが、子供のころから抱えてきた「精神の脆さ」が、筋力トレーニングというシンプルなアプローチで驚くほど軽くなる可能性があることを、同じように悩む人にはぜひ知ってほしい。
筋トレは単なる肉体改造ではなく、心の安定をもたらす最強のパートナーになり得るのだと実感している。
この方法は一例であり、トレーニング強度や頻度は個人差を踏まえて調整することが大切だ。
初心者はフォームの確認と段階的な負荷増加を心掛け、怪我を防ぐこと。
持病や既存のケガがある場合は、専門家の指導を受けることをおすすめする。
子供のころから抱えてきた「精神の脆さ」が、筋力トレーニングという継続的かつ段階的なチャレンジを通じて、1年間で驚くほど軽くなる可能性があることを、同じように悩む人にはぜひ知ってほしい。