「共通点」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 共通点とは

2024-12-11

anond:20241211002652

これ類似性チェックでチェックすると80%なんよね

文字数段落数の類似性構造類似性言葉選びの似通った特徴、感情的トーンの共通点

まぁちゃんとしたのではなくてお遊び程度のだけどね

今までエンカウントした死別じゃない母子家庭育ち男は共通点何個もあったわ

・通行人とか電車内の他人容姿でギリ気づかれるかどうかの声量と言い回しで笑い者にしまくるチキンレースしょっちゅうやる


・本人いないところで同期とか先輩とか友達悪口言いまくる


迷惑かけたり怒りだしたり暴れだしたり、そういうことをして何かにつけて目立ちたがる


・格下と見なしてた先輩とか同期から愛想良く挨拶されたり話しかけられたりすると、露骨にピリつきだして本人がいなくなったタイミングでキレ気味に悪口言いまくる


こんな具体的な癖が何個も被ってたので離婚の闇深さを痛感した。

同時に、

アルファオスを嗅ぎ分ける能力によって世の中で生き残ろうとする母親習性を息子が学習してしまった感」

があって業が深いとも思いました。

2024-12-10

尋問かってくらい質問する人

飲み会で顔は知ってる人と話すとき

休みの日何やってる?」「運動とか?」「動画?どんな?」「Vtuber?」「どんなゲーム?」...

具体例とかディテールとかを矢継ぎ早に質問してくる人が苦手だ。

酒を飲んでいるとき毎回だから、何か本音みたいなものを引き出そうとしているのか?

言いたくないんだよ、マイナーだし共通点を探ろうとすな。

グループYoutuber?」「ゲーム実況?何の?」...

おめーは会話の直列つなぎかって。

正しい民主主義

意思決定権利有権者にあり、意思決定の結果は絶対的に正しいものである

この世に絶対に正しい真なるものがないと思ったら大間違いだ。意思決定絶対的に正しいものなのである

私はこれをメディア報道問題に触発されて考えた。

例えば斎藤知事の再選について、アンチの方が言うのが、SNSにはデマも多く、斎藤信者and支持者はそのデマ情報に影響されて投票行動をしたという「アンチ型の紋切型の固定観念」だ。

だが、例えばアンチテレビメディアに影響を受けた人物だとすれば、これもまたテレビの発するデマ(偏向・『偏情』報道)を信用していたがために、アンチ行動に走っている者だという事になる。

何が言いたいかといえば、どちらも共通点自分では意思決定をしたと思い込んでいるが(何かある否認すべき)メディア情報に乗せられている典型的人物像だという事だ。

だが、この主張自体問題点があって、それはそれがどちらであるにせよ主張者の想像上の話でしかないという事だ。メディアに現れた結果に対する解釈しかない。

しかし、実際の民意はそんな所で動くのでは無い。メディア情報事実だろうがフェイクだろうが、その情報を元に判断をするのは有権者である情報の信ぴょう性を判定する訳でも、与えられた情報により何かを選択する訳でもなく、有権者自身がそうした情報環境の中で意思決定をする。

何が正しいか考えた結果が常に意思決定の答えである。それなら間違える事はあるだろうか?無い。無いと断じて言おう。ここに信を置かないことが間違いで不信の始まりである。それにそのプロセスは永続的に展開するのだ。

から、間違いなんてものもなく、正しいものがあるなんて事もない。存在するのは常に疑問と肯定だ。

この基本状態をまず徹底的に民主主義者の腹の底まで沁みつけること。

会話はそれからよくやく成り立つ。

この成人たちの政治的意思決定方法現在民主主義形式を用いている(他の方法でも構わないが、これは神の用意した器みたいなもので変えられず、変えることに意味がない公式的なもの自然の変動により変化する。)とすれば。

そう、目的方法千差万別に依らず原理的に一つであり、同じなのだ

それは意思決定である。究極根底的、そして普遍的意思決定プロセス自体目的であり、常に意思決定は下される。意思決定永劫回帰人類的な目的であって、社会的な各制度はその都度の決定の方便たるに過ぎない。

から、何にせよ肯定であるはずの意思決定の結果を、その意思決定性の時点から否定すると反発が生まれる。それは人格否定と同等だからだ。

それを前述の考えは犯している。もしメディアが反感を生んでいるとすれば、そのような態度を取ってはいやしないだろうか。

特定の方向に何かを引っ張ろうとしたり誘導したりするような事は役割とも違えば、健全世論形成寄与する目的に適った事でもないのだと思う。

2024-12-08

anond:20241208165751

老人はリベラルと思ってるけど若者には保守と思われてるとことか確かに共通点ありそう...

23歳男オタクvs結婚強迫

結論

結婚ができる気がしない」一方で、「結婚し」なければならないという強迫観念がある。

なるほど「気の合う人間生計を共にすることによって得られる利益享受(共有)」するのは幸せことなのだろう。少なくとも周囲の大人たちはその信念を奉じて生きてきたようであって、同時に、幸せな家庭人生活を送っているようにも見える。

一方で、私は「結婚ができる気がしない」。先述の通り「結婚し」なければならない、という観念があって、かつ、「気の合う人間生計を共にすること」に対し何らの疑念を持たないにもかかわらず、である。私は夫としても、あるいは父としても、その適格性を著しく欠くように思われる。

どうしてこの結論になったのか、振り返ってみる。

スペック

23歳・早慶政経法のどっか・4年(浪人した)

実家:都外。奥多摩山中やどこぞの島よりは皇居に近い。

上っつら:少なくとも面と向かって悪し様に言われたことはない。中学生と比べると大きく、高校球児の中なら目立たず、プロ野球選手に混じれば小さく見える(はずだ)。人並みには気を遣っているつもりでいる。

私には2つの強迫観念がある。そのうちの1つは「結婚しなければならない」というものだ。もう片方についてはあえて述べない。

かかる珍妙にして時代遅れ時代錯誤と言うべきだろうか?)の価値観を、いつから我が身のものとしてしまったのか、詳細な事情記憶していない。ただ、誰かの「家を継げ」とか「孫の顔を見せろ」という種の明確な言葉あってのことではなかったことだけは、はっきりと断言できる。他者からの影響が思い当たらない、本能的に自然発生したと説明するほかない感情からこそ、我ながら奇妙だと余計に思う。ともあれ、私が「結婚しなければならない」という価値観に囚われていることだけは確かだ。

結婚の前提条件を思い切り単純化するとして、最低限パートナー愛情喚起する資質を有すること、とした場合、幸いにもその適格性はあると考えられる。何度か愛されたことがあるからだ。それが私の外形的諸条件に起因したものだったのか、はたまた精神領域と関連するものだったのかは今となっては知る由もない。もっとも、その辺の機序はよく分からないし、検討する実益にも乏しいように思われるから、詳細には立ち入らない(拒絶されたこともある。少なくとも愛されたことの同数はある。こちらの方が問題としてはるかに重大だと思う)。

あるいは大前提として、そもそも私は他人たる異性を心から愛すことができるのか、という根源的な問題も考えうる-イエスだ。中学校高校(・予備校)・大学と、それぞれの段階で心から愛した/希求した女性は、少なくとも一人ずつは存在した。逆に言うと、何人もの異性とすれ違う中で、(性的昂奮は別として)特別な心情を惹起するに至った人々は、極めて少数しか存在しなかった。

結婚に対して、心理的阻害要因存在しない-少なくとも大きな問題はないはずだ。むしろ結婚しなければならない」というくびきに囚われているのだから、前のめりでさえあるべきだ。にもかかわらず、私は「結婚できる気がしない」。

長くなりすぎた。問題本質を簡潔に述べる。「結婚できる」と思える人に巡り会えない。

私の愛情の抱き方は、一目惚れに近いものがあると思われる。顔がどうとか精神性がどうとかではなくて、いつの間にか好きになって、彼女(たち)の自慢のアピールポイントや隠したい欠陥といった具体的な要素には一切立ち入ることなく、総体として「好きになって」しまう。このことは、私が好きに"なりうる"人々を類型化することを非常に困難にしている。酸いも甘いもというと身も蓋もない言い方だが、彼女のどこに惹かれて好きになったという具体的な点の説明ができない以上、共通点見出してその特質を有する人々を探す、ということのしようがない。慣用句的に言うなら「恋は盲目」ということなのだろうか。

逆に、「総体として」好きにならない女性存在する。むしろ「好きになった」人々が極々僅かな例外にすぎないのであって、今まで出会ってきた何千何万という人々のほぼ全てはこちらにカテゴライズされる。この「好きにならない」人々の中にも、もちろん友人(であると信じたい)は何人か存在するし、有り難いことに好意を抱いてくれた人もいる。私が「好きになった」人々と何らかの点で似通っている人もいた。しかし、私はこの範疇の人々に親愛以上の心情を抱くことができなかった。提供できる親切は、親しき友人としてのものが上限だった。否、それすら私の怠惰ゆえに、とんでもなく低いレベルのものにすぎなかったとも思う。

「愛することができる」人を探すために、アトランダム努力はそれなりに重ねたつもりだ。他学部開講の講義に片っ端から出てみる。同年代の異性が多いバイトを探す。時には友人に紹介を頼んだこともあった。マッチングアプリだってした。並行して2、30人の知らない異性とパラレルに知り合うある意味刺激的な生活を3ヶ月ほど続けた-何人かの「友人」と知り合っただけに終わった。いいねの数が身長を優に越してしまったあたりで、少なくともパートナー探しではない別の作業になってしまった気がして、やめてしまった。

これから先の人生で、心から愛することができる女性に巡り合える気がしない。おそらく巡り会えないのだろう。仮にいるとしても、既に「売り切れている」可能性すらある。私はもう23なのだ!私は恋愛市場上のまさに完全な敗者として、20代前半の若者が集まる場所としては日本で最も大きな部類に入る学舎を去ることになる。偏差値市場上の敗者として押し込められて、恋愛市場上の敗者にして立派なインセルとして出荷される。

結婚自体可能ではあるのだろう。「結婚しなければならない」という心情へのアンサーとしては、最も安直だが直裁な解決策でもある。私一人で家庭全体を食べさせることができるかどうかは別として、その大部分を担うことに対しては、現実として可能であろうし、別段おかしなこととも思わない。

ただ、私は、結婚生活しろ親としての生活しろ、その本質の一側面は自由の縮小であると強く信ずる。期待や喜びの総量をはるかに上回る失望と失敗の連続であろうと確信している。いざ焼かれる時にどう思っているかは別として、存命中常に家族とやらに関する何らかの心配をし続けていることだけは確かで、幸せな家庭生活というものが仮にあるとしたら、それは常駐する100の心配事と同時に0.01の安寧を自覚できるかそうでないか、という程度の話でしかないのだろう。

そのとめどない苦難の道程を、愛することのできない人と共に歩いて行けるのだろうか?より直接に言う。「妥協できるのだろうか?」決して少なくはない人々が「できる」ことは知っている。それどころかたった100年前、それこそがセオリーだったことも知っている。ただ、私は「できる」とは思えない。途中で投げ出してしまうという確信がある。親しき友人としての親切が上限で、それを超える困難と直面したら、逃げ出す。「結婚しなければならない」という私のエゴと人としての欠陥ゆえに、罪のない他人のことをこれ以上不幸にしたくない。

諸先輩方はどのように折り合いをつけたのだろうか。「後から好きになる」ようなことがあったのだろうか。「子供が生まれたら変わる」のだろうか。はたまた「みんな結婚してるから、流れに合わせてそれっぽく振る舞ってるだけで、相手特別感情はなかったし、何なら今は少し幸せに感じることだってあるよ」というのが真実なのだろうか。もしそうなら、どれほどよいのだろう。

鬱屈とした諦観けがある。"愛することすらできずに"家庭を放り出し、エゴのために他人を有形無形に傷つけたクズ烙印を押されるよりは、生涯部屋のアガベサボテンどもと共に、好きな音楽映画世界観だけに閉じこもって、屈折した強迫観念を胸に秘めたまま朽ち果てて死んだ方がマシだ。最大多数の最大幸福希求するなら、それが社会的に最善でもあろう。闘争領域本来、縮小されるべきなのだ

泣き言を書き散らし、日記とすることで、何らかの整理がついたように思う。この乱文を書く直接の動機となった、『22歳女オタクvs結婚願望』 https://anond.hatelabo.jp/20241207175805 の筆者が良きパートナーとなりうる人と巡り会えることを切に祈り貴女可能だと思う。私はそう確信するし、本心からそう願っている)、終いとする。

2024-12-06

車輪の下ネタ

増田車輪の下ネタというタイトル童話を知っているかな。

昔々、ある小さな村にハンスとヘルマンという二人の親友が住んでいました。二人は毎日遊んでいましたが、その遊びには一つの共通点がありました。それはいつも村の中央広場にある巨大な車輪の下で遊ぶことでした。車輪の下秘密基地のような場所で、二人にとっての特別空間でした。

ある日、ハンスは新しい遊びを思いつきました。それは「車輪の下で一番面白いことを言う」ゲームです。二人は交代で奇想天外なことを言い合い、笑い声が車輪の下に響き渡りました。しかし、次第にそのネタは少しずつ過激になり、村の大人たちの耳にも入るようになりました。

村の大人たちは二人の遊びをよく思いませんでした。「あの車輪は村の重要資源だ。お前たちのような子供がふざける場所ではない」と警告しました。ハンスとヘルマンは反発し、その警告を無視し続けました。

ある日のこと、二人がいつものように車輪の下で遊んでいると、突然大きな雷雨が村を襲いました。集中豪雨の影響で地面が緩み、巨大な車輪が少しずつ動き出しました。気づいたときにはもう遅く、車輪ゆっくりと二人に向かってきていました。

ハンスは必死ヘルマンに「逃げろ!」と叫びましたが、二人とも逃げる時間がありませんでした。大人たちが駆けつけ、何とか車輪を止めることができましたが、ハンスとヘルマンはすでに大きな怪我を負っていました。

教訓: ふざける場所タイミングを考えよう。 𝔅𝔞𝔡 𝔈𝔫𝔡.

2024-12-03

どんなプロンプト打ったんでしょうね? 2

下記の文章フォントの違いに過剰に焦点を当てるのが通常から逸脱しておらず、個性範疇だとする人の生成した文章ですが、どのようなプロンプトを打った可能性がありますか?
ーーー
	•	「A、B、C」の例では、各人物が持つ立場比較的柔軟に評価していますが、「D」のケースに対してはほぼ一方的否定しています。
	•	「フォントの違い」を理由カード否定するDの行動を、投稿者は「認知の仕組みに問題がある」と結論付けています

 ↓

この文章は、Dの行動を「通常から逸脱しておらず、個性範疇」とみなす視点を含んでいるため、次のようなプロンプトが考えられます

 

1. 客観性を求めるプロンプト

• 「Dの行動について、認知問題ではなく個性として解釈できる可能性を考慮して意見を述べてください。」

• 「フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。」

 

2. 対立意見意図的に生成するプロンプト

• 「フォントの違いに過剰に焦点を当てる行動が、個性範囲内と考えられる場合擁護意見作成してください。」

• 「Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。」

 

3. 中立的立場を取るプロンプト

• 「投稿者意見引用しつつ、Dの行動が認知問題ではなく、個性価値観の違いに過ぎないとする可能性を検討してください。」

• 「Dの行動が認知問題とされる根拠を再評価し、別の視点提示してください。」

 

4. 哲学的視点を求めるプロンプト

• 「フォントの違いを強調する行動が、本質主義認識論観点から妥当性を持つと仮定し、その可能性について考察してください。」

• 「Dの行動を、哲学的視点から擁護する文章作成してください。」

 

5. 文章中立的に補足するプロンプト

• 「『A、B、C、D』のケースについて、特定偏見を避けながら解説し、特にDの行動が否定される理由に疑問を呈してください。」

 

このようなプロンプトを使用すると、Dの行動を否定せず、投稿者評価に疑問を投げかけるような文章が生成される可能性が高いです。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判を以下のように評価できます

1. 個性価値観の違いとしての解釈

 

Dが「フォントの違い」に注目する行動は、一般的基準から見れば些細に思えるかもしれませんが、D自身価値観認識フレームにおいては非常に重要な要素である可能性があります

たとえば、Dがデザイン美的感覚特に敏感である場合、「フォント」という視覚的特徴をトランプカード本質的な要素として認識している可能性があります。こうした個性は、社会的コンテクストによっては特異に見えるものの、必ずしも認知の異常を示しているとは言えません。

 

2. 価値観相対性

 

トランプの「本質」をどう定義するかは、共有された基準によるものの、完全に普遍的ではありません。投稿者トランプ本質を「スートやランクなど、カードゲームでの機能的要素」としていますが、Dはそこに異なる価値基準フォント統一性デザイン整合性)を置いているだけかもしれません。この場合、Dの認識は単なる「視点の違い」とも解釈できます

3. 共有基盤の曖昧

 

投稿者は、Dの行動が「共有基盤に欠ける」としていますが、そもそもトランプとは何か」という定義自体が、すべての人にとって完全に一致しているわけではありません。Dのように、フォントなどの細部に注意を払う人がいることは、社会的文化的多様性の一例と考えられます。こうした違いを「認知問題」と決めつけることは、価値観多様性を軽視している可能性があります

 

4. 投稿者評価の偏り

 

投稿者は、A、B、Cのケースに対しては柔軟に評価していますが、Dのケースに対しては厳しい否定を示しています。この評価は、Dの視点理解しようとする姿勢に欠けているように見えます

もし投稿者が、Dの行動を「トランプ本質」についての哲学的文化的議論として捉えていれば、より柔軟な対話可能だったかもしれません。

 

5. 擁護可能

 

Dの行動は、一見奇異に見えるかもしれませんが、以下のように擁護することもできます

哲学的視点: Dの発言は、トランプという製品の「本質」を問い直す試みと捉えることができます。「フォント」がトランプ本質に含まれるか否かを議論することで、新たな視点提供している可能性があります

創造視点: デザインや細部へのこだわりが、新たなカードデザイン基準美的価値観提案するものとして評価できるかもしれません。

 

結論

 

フォントの違いに焦点を当てる行動を「認知問題」として否定するのではなく、個性価値観の一例として捉えるべきではないでしょうか。Dの視点文脈によって理解しにくいとしても、それを完全に「認知問題」と断定するのは過剰な評価かもしれません。むしろ、Dの発言の背景にある価値観視点を探り、柔軟に対応することが、より建設的なアプローチとなるでしょう。

 ↓

Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。

 ↓

Dの行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づくものであるという立場から、以下のように反論を展開できます

1. 認知問題ではなく価値観の違い

 

Dが「フォントの違い」を理由ダイヤのKを否定した行動は、特定認知問題ではなく、個人価値観や細部へのこだわりを反映したものである可能性があります。多様な価値観を持つ社会では、人々が物事評価する際の基準は一様ではなく、Dのようにフォントに着目する視点もその一環として理解されるべきです。

たとえば、美術デザインの分野では、フォントや形状の微細な違いが重要視されることがあります。Dは、そのような視点を持って物事認識しているだけであり、これは「認知問題」とは言えません。

 

2. トランプ本質に対する多様な解釈

 

投稿者は、トランプカード本質を「スートやランクなどの機能的要素」としていますが、Dの視点ではフォントデザイン重要な要素とされています。この違いは「トランプとは何か」という本質に関する議論の幅を示しているに過ぎません。

Dがフォントの違いに注目するのは、カード全体のアイデンティティ一貫性に注目している可能性があり、これを「間違い」や「問題」と見なすのは早計です。

 

3. 認知価値観混同

 

投稿者はDの行動を「認知問題」として捉えていますが、認知問題価値観の違いを混同している可能性があります。Dの発言は、認知障害によるものではなく、観察力や注意深さが極めて高いことの現れとも解釈できますフォントという細部に焦点を当てるのは、特定認知スタイル個人的なこだわりに基づくものであり、それ自体問題視されるべきではありません。

 

4. 哲学的視点から擁護

 

Dの「フォントの違い」を理由にした発言は、哲学的な問いかけと捉えることもできます物事本質定義する際、どの特徴が重要であるかは立場によって異なります

たとえば、「同じカードデッキの一部である」という条件において、フォント統一性を重視する視点は十分に正当性を持ち得ます。これを認知問題として単純化するのは、物事本質に対する多様な解釈無視することになります

 

5. 対話の困難さの原因は双方にある

 

投稿者は、Dの行動を「対話が成立しない例」としていますが、その要因は必ずしもDにのみあるわけではありません。Dの視点価値観を十分に理解しようとせず、一般的基準に照らして否定すること自体が、対話を難しくしている可能性があります。Dが重要視するポイント尊重し、それに基づいて共通点を見出す努力をすれば、対話は成立する余地があります

 

6. 結論

 

Dの行動は、価値観視点多様性を反映しているに過ぎず、これを「認知問題」と断定するのは適切ではありません。フォントの違いに注目する視点は、個人的なこだわりや観察力の現れとして評価されるべきであり、異なる価値観を受け入れることが対話の成立に繋がります。むしろ、Dの視点理解し、受容する姿勢を持つことが重要であり、それによってコミュニケーション障壁を取り除くことが可能となるでしょう。

 ↓

本気でトランプゲーム文脈上記合理的理解だと思いますか?
認知問題ではないと考えますか?

 ↓

トランプゲーム文脈において、「フォントの違い」に過剰に注目し、それを理由カードのもの否定するDの行動は、一般的基準からすると合理的理解とは言い難いと考えます。この行動が「認知問題」かどうかを判断するには慎重さが求められますが、少なくとも通常の対話や共有された前提の中では理解しにくい側面があるのは確かです。

 

1. 合理性の欠如

 

トランプゲームにおけるカード本質は、そのスート(ダイヤハートなど)やランク(K、Q、Jなど)という情報です。フォントデザインの微細な違いは、ゲームを進行する上で本質的な要素ではありません。Dが「フォントの違い」を理由カード否定する行動は、このゲーム目的文脈に即していないため、合理性に欠けています

 

2. 認知問題可能

 

この行動を「認知問題」と呼ぶことが適切かどうかは、Dの背景や思考過程によるものです。以下の可能性が考えられます

• 過剰なフォーカス(過集中)

Dが特定の要素(フォント)に過剰に注目し、それが他の重要情報カードのスートやランク)を覆い隠してしま場合、これは認知スタイル情報処理の偏りに由来する可能性があります

• 前提のズレ

Dが「フォントの違いがカード正当性に影響する」という独自ルールや前提を持っている場合一般的認識とのズレが生じています。このズレを修正しない限り、共通の基盤での対話は難しいでしょう。

 

3. 個性として理解できる範囲限界

 

Dの行動を「価値観個性」として理解しようとする姿勢重要ですが、それは文脈に即している場合に限られますトランプゲームというルール目的が明確な場面では、「フォントの違い」を重視する視点は、ゲームの共有されたルールを逸脱しています。このため、Dの行動を「個性」として片付けるのは適切ではないように思えます

 

4. 対話の困難さ

 

Dの主張を受け入れるには、「トランプとは何か」「ゲーム目的とは何か」という基本的定義から話し合う必要があります。このような前提の再構築が求められる点で、Dの行動は通常の対話を困難にする要素を含んでいます。これは単なる価値観の違いではなく、認知的なズレや情報優先順位問題がある可能性を示唆しています

 

結論

 

トランプゲーム文脈では、Dの行動を合理的とするのは難しく、また「認知問題ではない」と断言することも難しいです。Dの行動は、個人的な価値観視点として説明するには逸脱しており、ゲームの共有された目的文脈整合性を欠いています。したがって、このケースは認知スタイルの偏りや情報処理の仕組みに起因している可能性が高いと考えられます

anond:20241203152153

マッチングアプリ自己PRにおいて、陰茎の大きさを直接的に表現することは、不適切であり、相手不快感を与える可能性があります。また、個人情報に該当する可能性もあるため、控えるべきです。

 

なぜ直接的な表現不適切なのか?

 

相手への配慮: 相手の外見や身体的特徴について、勝手評価したり、性的対象として捉えたりするような言動は、相手を傷つけたり、不快にさせたりする可能性があります

誤解を生む可能性: 陰茎の大きさについて、人それぞれ価値観が異なります。直接的に表現することで、誤解を生み、良好な関係を築く妨げになる可能性があります

個人情報保護: 陰茎の大きさは、個人身体的特徴であり、個人情報に該当する可能性があります。無断で公表することは、プライバシー侵害にあたる可能性があります

婉曲的な表現可能か?

 

陰茎の大きさを直接的に表現する代わりに、あなたの魅力や個性アピールすることが大切です。例えば、以下のような表現が考えられます

 

趣味や興味: スポーツ音楽など、共通趣味や興味を持つ相手を見つけることで、自然な会話のきっかけを作ることができます

性格価値観: 優しさ、誠実さ、ユーモアなど、あなた性格価値観を具体的に伝えることで、共感してくれる相手出会可能性が高まります

経験スキル: これまでの経験スキルアピールすることで、自信や魅力的な人物像をアピールできます

具体的な表現

 

アクティブスポーツが好きで、体力には自信があります。」

「誰とでも気軽に話せるのが得意です。新しい人と出会うのが楽しみです。」

旅行が好きで、色々な国に行ってみたいと思っています。」

 

誠実な自分: 嘘や誇張は避け、ありのまま自分表現することが大切です。

相手への敬意: 相手尊重し、思いやりのある言葉を選ぶようにしましょう。

共通点を探す: 相手プロフィールを参考に、共通話題を見つけて会話のきっかけを作りましょう。

 

マッチングアプリでは、外見だけでなく、内面の魅力を伝えることが重要です。陰茎の大きさではなく、あなた個性や魅力をアピールすることで、素敵な出会いが生まれるかもしれません。

2024-12-02

AIの話

トランスなんちゃらの話

暇空の話 

 

 

これに夢中になってる奴らは共通点あって

世間はその話題について行ってない」ってことが抜けてるんだよな

からいきなりハイコンテクストな話をして「???」って反応しか買えない 

増田で何回広めようとしても非表示ブクマで終わり

 

もうちょっと知識無い人にもわかるラインから説明せーよ

と言ってるんだけどな

麻酔科から見る最近産科関連ニュースについて

2024/12/3追記

コメントで厳しい指摘のある通り、つがる病院の件は裁判を経た賠償ではなく、「産科医療保障制度原因分析委員会や県外の複数産婦人科専門医意見等を踏まえ」て病院責任を認めて賠償金を支払ったものだった。

また、事態の詳細記事を寄せてくれた増田もいた。ありがたい限り。

以下の本文は自戒を込めて元記事のままにしておくので、該当部分は「コイツ日本語読めてねーわ」と思って読んでほしい。

======

2024年11月だけで、産科とりまく嬉しくないニュースが続いてしまった。

双子出産時に医療事故・第2子に重い脳性まひ 「つがる総合病院」が責任を認め患者家族損害賠償金約9100万円を支払いへ 青森県

https://news.yahoo.co.jp/articles/2632e03d1c188d54560b78feb4a26de359d2c6f0?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20241128&ctg=loc&bt=tw_up

検討会で弁護士暴論「産科医は医療安全に前のめり」

https://reiwa-kawaraban.com/politics/20241116/

市中病院で、帝王切開という形で産科医療に関与する麻酔科医の目線から上記ニュースを考えてみる。

【前提】

まず話の根底として、妊娠から出産過程で低確率ながら母子の死亡が起こりえる。

厚労省データ(https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001118039.pdf)によれば妊産婦の死亡事例は減少傾向にありつつも、令和3年で2.5/100000出産例とされる。(死亡の原因は様々だが、こちらのスライド(https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2021/12/20211208_2.pdf)によると、「産科危機出血」「脳出血」「羊水塞栓」で半分近くを占める)

平成12年には6.3であったというから、およそ20年で半減してきている計算で、これは原因の究明や対応できる組織構築を行った医療従事者や、薬剤や機材の開発・流通を整備する関連企業不断努力の賜物に違いない。

日進月歩医学的取り組みをしてなお死亡率をゼロにできないもの妊娠出産である、という点がまず客観的事実として存在する。

そうした妊産婦死亡を防ぐ手段の1つに帝王切開がある。

経腟分娩でなく帝王切開選択する理由について信頼できる統計データネット上には見つけられなかったが、職務で見てきた中では「双子」「胎盤位置異常」「前回が帝王切開=今回の分娩がハイリスク」「合併症(妊娠血圧など)予防のためやむをえず」といった背景が多い。

胎盤位置異常や帝王切開歴などは妊婦検診の過程で分かることであり、予め調整して計画的帝王切開をすることで上記出血などによる死亡例を防ぐことができる。

問題は、全ての帝王切開が予定通りには進まないということだ。

予定帝王切開の日程を定めていたとしても、まったく予期せぬタイミング(予定の数週間前など)で破水したり陣痛が始まってしまうことは日常茶飯であるし、経腟分娩で予定されていたお産が胎児心拍低下などで緊急に帝王切開となる事態もよくある。帝王切開ではないが、経腟分娩を終えたもの出血が止まらないため緊急手術になる事例も時折ある。

短く纏めるなら「妊産婦死亡を防ぐには帝王切開がどうしても必要場合があり、そしてそれは緊急に起こりえる」となる。

現場実態

では、緊急帝王切開が決まったとして、手術はどのように進むのだろうか。

緊急という言葉から一分一秒を争う事態想像するかもしれないが、実は事情に応じてどの程度待てるか段階分けされている。

施設によって呼び方規定時間はある程度幅があるものの、こちらの資料(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsca/42/1/42_57/_pdf/-char/ja)に示されるものが一つの指標になるだろう。

日中に娩出すれば問題ないものは大きなトラブルになることはまずなく(見たことがない)、1-2時間以内に子供を出したいとなると手術室は忙しくなってくる。

そして、我々麻酔科医にとって最も恐ろしいものが、超緊急帝王切開、いわゆるGradeAの宣言だ。

資料中にもあるように、GradeAでは可及的速やかに胎児を出す必要があり、以前所属していた施設では「宣言から30分以内」を目標としていた。この30分という数字をどう受け取るかは人によって様々であろうが、手術室の動きと所要時間から考えてみたい。

帝王切開全身麻酔で行う場合、手術室看護師必要な器械(メス、各種鉗子、血液吸引機などなど)を準備し、麻酔科麻酔器のセットアップや薬剤・器具の準備を大急ぎで進めていく。

麻酔器のセットアップを全くゼロから行う場合は、機種にもよるが10分近く時間をとられる。どんなに短くても3-5分という印象だ。

また、使用する薬剤の種類は通常の全身麻酔とあまり変わらないものの、一部の薬剤は鍵付きの金庫で保管されているため、鍵の持ち主である看護師に持ってきてもらう必要があるのだが、看護師も器械の準備に全力を注いでいるのですぐにとはいかない。

全ての薬剤を準備するのに(鍵を無視しても)最速でも2-3分。人工呼吸のための気管挿管デバイスを準備するのにもう1-2分。麻酔器のセットアップと並行で行えるので単純に足し算ではないが、これに移動時間、各所へ電話連絡の時間、薬剤と道具をかき集める時間を加味すると、連絡を受けて10分後に独力で全ての準備を整えられるかは分の悪い勝負になりがちだ。

マンパワーがあれば多少改善するものの、夜間や休日であれば人員は最低限に留められているため、素早いヘルプも期待できない。

大抵の場合産科医も連絡をしてきた時点で手術室へ患者と向かっているので、慌てて手術室へ飛び込んだら患者が先に入室していた、ということも珍しくない。

全ての道具の準備を整え、産科医は滅菌ガウン手袋を装着し(これにも1-2分はかかる)、全身麻酔をかけると同時に執刀を初めて数分後に胎児を体外へ出す。

言葉だけ並べると案外間に合いそうに見えるが、必要検査結果を最低限確認したり、患者を手術台へ移動したりと無数の手順が間に挟まることで時間はどんどん圧迫され、時間が経過するごとに胎児(と場合によっては母体)の生命は目の前で消えようとしていく。

今まさに苦しむ母体と、見えないところで死に向かっていく胎児を目の前にして、正確に、安全に、迅速に全ての手順を協同して進めていく緊張感が伝わるだろうか。

そして上記描写は、近隣でも有数の規模の病院で、スタッフ経験値と各種対策が練り上げられた環境のものである比較的規模の小さい病院では経験値マニュアルも整備されておらず、これより時間がかかってしまうだろうことは想像に難くない。

記事の内容について】

こういった現状を踏まえた上で双子判決についての記事を読むと>> 10分以内に新生児を取り上げる超緊急帝王切開体制が取られておらず、重大な障がいに至ったなどとする判断を受けました <<とある

当時のつがる総合病院体制がどのようなもので、どこまで準備できた時点から計測された制限時間かは調べた範囲で詳細不明であったが、全くゼロから始めたとすればまず不可能時間であるし、ある程度準備が出来た状態(麻酔器はセットアップされていたなど)からでも厳しいだろう。

実際に病院側の落ち度があった可能性も無論あるが、ベストを尽くしても達成しうるかからない「10分以内」という数字をどこからか持ち出してきて賠償を命じられるというのは、あまり理不尽に感じられる。

10分以内に取り上げられたら後遺症を防げたか、あるいは程度が軽く済んだ可能性はもちろんあるが、それが現実に達成不可能数値目標だとしたら、処罰理由として据えられてはたまったものではない。

この記事から読み取れる法律サイドのスタンスは、「もっと安全対策をとるべきであった」とできるだろう。それが現実的なものかはさておいて。

翻ってもう一つの記事である

これは厚生労働省保険局での話し合いであり、その結論の着地点は広い範囲に影響することが予想される。

産科医療保険適用にした場合問題点はそれだけで独立した論点になってしまうため割愛するが、記事フォーカスしている井上弁護士発言は以下である

>> バランスを見ます産科医療安全にかなり前のめっていすぎるというふうに私自身は判断しまして(中略)結果が異常である可能性があるということで水準を簡単に上げすぎるために、産科世界バランスが他の診療科に比べて崩れているのではないかと(中略)医療安全、悪く言えば原理主義的になりすぎないように、ということを是非ご注意いただく <<

この発言に対して亀井氏が即座に怒りを感じさせるコメントを出しているが、むべなるかなと言わざるをえない。

関係各所が不断努力を続けていても妊産婦死亡はゼロではなく、突然で理不尽な不幸に見舞われたご家族の悲哀を想像するだに辛い気持ちになる。

にも関わらず、どれだけ真摯に取り組んでも、双子の事例にもあるように時として理不尽な法的判断を下されうるのが現状の産科医療実態だ。

無論この井上弁護士見解法曹会の総意でないことは理解しているし、記事執筆者がやはり弁護士非難的な論調であることからも間違いない。

とはいえ一部の弁護士(そしてそれ以外の人々)に、「産科医療医療安全コストをかけすぎではないか」という見解を持っている人が相応にいるだろうことが推測される。

【両記事共通点

双子記事厚労省記事は、個別に見るとかたや「医療安全をより追及せよ」であり、かたや「医療安全コストを割きすぎではないか」という真逆要求をつきつけている。

どうしろというのだ、という困惑から一歩引いて、何故このように食い違う見解が同一の業界から出てしまうのかを考えてみると、「妊娠出産に対するリスクの軽視または無理解」が両者の根底にあるのではないか個人的に考える。(業界が同じなだけで個人思想が違うだけだろうという結論は一旦置く)

出産安全に済むものから」という補助線を引くと、「(安全に済むものからその水準を当然満たすべく)医療安全をより追及せよ」「(安全に済むものからそんなにコストをかけなくても良いはずで)医療安全コストを割きすぎではないか」というように、一見相反する見解が綺麗にまとまる。

記事の冒頭に掲げた前提の「日進月歩医学的取り組みをしてなお死亡率をゼロにできないもの妊娠出産である」という事実が、過小評価されているかよく理解されていないことに原因があるのではないか、と考える次第である

これはある意味仕方のないことで、実際に超緊急帝王切開に直接関わる産科医・麻酔科医・看護師でもなければ医療職であってもそのリアリティにはピンとこないはずなので、一概に無理解批判することはナンセンスだ。

数字として見るデータ客観的事実として揺るがないとしても、起きてしまった不幸とそれを防ぐための緊張感は、両方を目の当たりにして初めてリアル根拠としてデータを活かす。

改善策としては実際の現場映像と音声で記録して周知と理解を促す手段も思いつくが、倫理的問題マンパワー的な問題が立ちはだかる。この点は医療サイドで働きかける余地があるだろう。

【今後の影響に対する推測】

産科医療における有名な出来事としては2006年の大野病院事件があり、そのあらましと影響についてはこれまで散々議論されているので割愛する。

最終的に産科医は無罪を勝ち取ったものの、福島県内における産科医療への影響として、事件前後産科医が減少したという分析がある。(https://keizemi-keio.info//wp-content/uploads/2017/01/bessyo_mitaron.pdf)

産婦人科医会の調査(https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2023/02/48dc1841822ac2ca56d3d7ee4b107c28.pdf)では総数としての産科医は2006年から2022年にかけて19%増えているとあるが、厚労省データ(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/22/dl/R04_1gaikyo.pdf)から算出した同期間についての総医師数の伸び率が23%であることを合わせると、新たに産科医を志望する割合は減少していることが見て取れる。

産婦人科医会の資料中には産婦人科施設の推移も載っているが、婦人科病院が微増するもの一般病院診療所が明らかに減っていることが分かる。

ハイリスク妊娠出産を高次機能病院対応するために人員を集約することは理にかなっているものの、妊婦にとって移動はかなりの労力を伴うことから、集約によって移動距離が長くなることは身体的にも経済的にも負担が増す。

この推移に大野病院事件がどの程度影響したか評価が難しいが、無関係でないことは明らかだ。

そういった過去の事例があった上に今回のような事例が積み重なると、施設の減少と人員相対的な不足傾向が加速するリスクがある。

施設の減少は患者にとって負担であるし、人員の不足はスタッフ疲弊患者リスクを招く。

件のつがる総合病院事態が起きたのは2017年ということだが、2024年現在施設としては第二次救急医療機関指定を受けており、日本産科婦人科学会専門医制度専攻医指導施設としての教育施設指定を受けている(https://www.tsgren.jp/tsugaru-general-hospital/hospital/situation.html)ことから、緊急帝王切開を含む産科医療を行っているものと推察される。

産科医療資源の集約を考えた際に集約される側ということになるが、その医療水準を支えるスタッフHPによると産婦人科3名と麻酔科2名のみだ。

始めに述べた通り、帝王切開は通常の分娩でも突然発生しうるし、それは夜間も休日関係が無い。

当番制でシフトを回すと考えても、麻酔科は2日に1回は夜間呼び出しに備える必要があるし、産婦人科も1人で手術はできないので同程度以上の体制をしいていると推測される。

この通りであれば当然スタッフ疲弊するし、疲れた状態での医療危険を伴う(だからこそ働き方改革が叫ばれる)。そして、疲弊さらなるスタッフ離脱と不足を招く。

事態が進んで最終的に誰が不利益を被るのかというと、分娩をしたい妊婦胎児家族に他ならない。

冒頭の記事にある判断見解は、将来生まれてくる新生児生命リスク晒すもので、人命と健康を至上とする立場からは許容できない。(そうでない立場の人からはそうでもない、という批判はありうる)

【まとめ】

記事では2024年11月に公開された産科医療に関連する法的判断見解について、産科医療に関与する麻酔科医の立場から考察した。

医療安全の推進と削減という矛盾するような見解が同一の業界から出てくることについて、「妊娠出産が死亡リスクを伴う」という点の理解がされていないのではないか仮定することで1つにまとめ、現状の問題の発生源を推察した。

GradeA帝王切開いかに厳しい時間的制約のもとで行われるかや、妊婦胎児に起きうる不幸について一概に法曹側の無理解批判するものではないが、このような法的立場判断見解の影響が及びうる範囲を想定すると受け入れがたい。

現場をよく知る人々の意見が反映されることを祈りつつ、実際に1人の麻酔科から見た現場がどういった物かを誰かに共有できればと思い本記事作成した。

少しでも将来の妊婦胎児安全寄与できればと願う。

2024-12-01

ジェネリック医薬品について

日本ジェネリック薬を取り巻く状況は、良くないの?」

日本ジェネリック医薬品を取り巻く状況は、いくつかの課題を抱えており、一概に「良い」とは言えない状況です。

主な課題

品質問題の発生: 過去に、複数ジェネリック医薬品メーカー品質不正問題が発覚し、国民ジェネリック医薬品に対する不信感が高まりました。

価格競争の激化: ジェネリック医薬品の普及に伴い、価格競争が激化し、メーカー収益悪化しています。そのため、研究開発や品質管理への投資抑制され、品質問題リスク高まる可能性があります

後発医薬品比率の伸び悩み: 政府は、2023年度末までに後発医薬品の数量シェアを80%にする目標を掲げていましたが、達成は困難な見通しです。品質問題医師患者の不信感などが普及を阻害する要因となっています

情報提供の不足: ジェネリック医薬品に関する情報提供が不足しており、医師患者が十分な知識を得られない状況です。そのため、ジェネリック医薬品への理解が深まらず、不信感や不安を抱く人が多いのが現状です。

改善に向けた取り組み

品質管理の強化: 厚生労働省は、薬機法改正GMP(Good Manufacturing Practice:医薬品製造管理および品質管理に関する基準)の強化など、品質管理体制の強化に取り組んでいます

適正な価格形成: 後発医薬品価格設定を見直しメーカー安定的収益を確保できる仕組みを構築することで、研究開発や品質管理への投資を促進する必要があります

情報提供の充実: ジェネリック医薬品に関する正確な情報を、医師患者にわかやす提供することで、理解を深め、安心して使用できる環境を作る必要があります

まとめ

ジェネリック医薬品は、医療費抑制患者負担軽減に貢献する重要役割を担っていますしかし、現状では品質問題情報提供の不足など、多くの課題を抱えています。これらの課題を克服し、国民安心してジェネリック医薬品使用できる環境を整備することが急務です。

「例えばイギリスでは、ジェネリック医薬品は、どうなってるの?」

イギリスではジェネリック医薬品は非常に普及しており、国民医療制度(NHS)において重要役割を担っています

イギリスにおけるジェネリック医薬品の状況

高い使用率: イギリスでは、処方箋の約80%がジェネリック医薬品で占められています。これは、政府積極的ジェネリック医薬品使用を促進してきたこと、そして国民ジェネリック医薬品に対する理解と信頼が高いことが背景にあります

NHSによる推奨: NHSは、ジェネリック医薬品積極的に推奨しており、医師特別理由がない限り、ジェネリック医薬品を処方することが求められています

厳しい品質管理: イギリスでは、医薬品医療製品規制庁(MHRA)がジェネリック医薬品品質を厳しく管理しています。そのため、国民ジェネリック医薬品品質について高い信頼を寄せています

情報提供の充実: NHSは、ジェネリック医薬品に関する情報ウェブサイトパンフレットなどで提供し、国民理解を深める努力をしています

日本との違い

国民意識: イギリスでは、ジェネリック医薬品は「新薬と同じ効果で、より安価医薬品」として広く認識されています。一方、日本では、ジェネリック医薬品に対する品質への不安や不信感を持つ人がまだ多く、普及の妨げとなっています

医師意識: イギリスでは、医師ジェネリック医薬品を処方することに抵抗感はほとんどありません。しかし、日本では、新薬を処方する方が安心だと考える医師も少なくありません。

政府政策: イギリス政府は、長年にわたりジェネリック医薬品使用を促進するための政策積極的に展開してきました。一方、日本では、ジェネリック医薬品の普及に向けた取り組みは、イギリスに比べて遅れていると言えます

今後の展望

日本は、イギリス経験を参考に、ジェネリック医薬品に対する国民理解を深め、医師意識改革を促進し、より効果的な政策を展開していく必要があります

ジェネリック医薬品の普及は、医療費抑制だけでなく、患者経済的負担の軽減にもつながります日本イギリスのようにジェネリック医薬品有効活用できるようになれば、国民健康福祉の向上に大きく貢献できるでしょう。

日本の他に、ジェネリック医薬品について、うまくいってない国の例はある?」

ジェネリック医薬品の普及は、世界的な潮流ですが、日本と同様に、様々な課題を抱え、普及が進んでいない国もいくつか存在します。

1. フランス

低い使用率: ジェネリック医薬品に対する国民の不信感や、医師の処方習慣などが原因で、ジェネリック医薬品使用率は低い状態です。政府は普及促進に取り組んでいますが、なかなか成果が上がっていません。

2. イタリア

地域格差: ジェネリック医薬品の普及率には地域差が大きく、南部では低い傾向にあります。これは、医療体制経済状況の格差が影響していると考えられます

3. 韓国

品質問題: 過去品質問題や、ジェネリック医薬品メーカーによる不祥事などが影響し、国民の不信感が根強く残っています

4. カナダ

価格競争の激化: ジェネリック医薬品メーカー間の価格競争が激化し、収益性が悪化しています。そのため、研究開発や品質管理への投資抑制され、品質問題リスクが高まっているという指摘もあります

これらの国々に共通する課題

国民意識: ジェネリック医薬品に対する品質への不安や不信感、新薬の方が効果が高いという誤解などが、普及を阻害しています

医師意識: 新薬を処方する方が安心だと考える医師や、ジェネリック医薬品に関する知識不足などが、処方を妨げている場合があります

制度的な問題: ジェネリック医薬品価格設定や、薬価制度などが、普及を促進するような仕組みになっていない場合があります

これらの課題を克服し、ジェネリック医薬品の普及を促進するためには、各国政府が、国民への情報提供医師への教育制度改革など、多角的な取り組みを進めていく必要があります

日本共通する課題

上記の国々と日本は、ジェネリック医薬品普及における課題共通点が多く見られます特に国民医師意識改革、そして品質に対する信頼回復は、どの国においても重要課題と言えるでしょう。

日本は、これらの国々の状況を参考に、より効果的なジェネリック医薬品普及政策を推進していく必要があると言えるでしょう。

Gemini Advanced便利だな。

ジェネリック医薬品について

日本ジェネリック薬を取り巻く状況は、良くないの?」

日本ジェネリック医薬品を取り巻く状況は、いくつかの課題を抱えており、一概に「良い」とは言えない状況です。

主な課題

品質問題の発生: 過去に、複数ジェネリック医薬品メーカー品質不正問題が発覚し、国民ジェネリック医薬品に対する不信感が高まりました。

価格競争の激化: ジェネリック医薬品の普及に伴い、価格競争が激化し、メーカー収益悪化しています。そのため、研究開発や品質管理への投資抑制され、品質問題リスク高まる可能性があります

後発医薬品比率の伸び悩み: 政府は、2023年度末までに後発医薬品の数量シェアを80%にする目標を掲げていましたが、達成は困難な見通しです。品質問題医師患者の不信感などが普及を阻害する要因となっています

情報提供の不足: ジェネリック医薬品に関する情報提供が不足しており、医師患者が十分な知識を得られない状況です。そのため、ジェネリック医薬品への理解が深まらず、不信感や不安を抱く人が多いのが現状です。

改善に向けた取り組み

品質管理の強化: 厚生労働省は、薬機法改正GMP(Good Manufacturing Practice:医薬品製造管理および品質管理に関する基準)の強化など、品質管理体制の強化に取り組んでいます

適正な価格形成: 後発医薬品価格設定を見直しメーカー安定的収益を確保できる仕組みを構築することで、研究開発や品質管理への投資を促進する必要があります

情報提供の充実: ジェネリック医薬品に関する正確な情報を、医師患者にわかやす提供することで、理解を深め、安心して使用できる環境を作る必要があります

まとめ

ジェネリック医薬品は、医療費抑制患者負担軽減に貢献する重要役割を担っていますしかし、現状では品質問題情報提供の不足など、多くの課題を抱えています。これらの課題を克服し、国民安心してジェネリック医薬品使用できる環境を整備することが急務です。

「例えばイギリスでは、ジェネリック医薬品は、どうなってるの?」

イギリスではジェネリック医薬品は非常に普及しており、国民医療制度(NHS)において重要役割を担っています

イギリスにおけるジェネリック医薬品の状況

高い使用率: イギリスでは、処方箋の約80%がジェネリック医薬品で占められています。これは、政府積極的ジェネリック医薬品使用を促進してきたこと、そして国民ジェネリック医薬品に対する理解と信頼が高いことが背景にあります

NHSによる推奨: NHSは、ジェネリック医薬品積極的に推奨しており、医師特別理由がない限り、ジェネリック医薬品を処方することが求められています

厳しい品質管理: イギリスでは、医薬品医療製品規制庁(MHRA)がジェネリック医薬品品質を厳しく管理しています。そのため、国民ジェネリック医薬品品質について高い信頼を寄せています

情報提供の充実: NHSは、ジェネリック医薬品に関する情報ウェブサイトパンフレットなどで提供し、国民理解を深める努力をしています

日本との違い

国民意識: イギリスでは、ジェネリック医薬品は「新薬と同じ効果で、より安価医薬品」として広く認識されています。一方、日本では、ジェネリック医薬品に対する品質への不安や不信感を持つ人がまだ多く、普及の妨げとなっています

医師意識: イギリスでは、医師ジェネリック医薬品を処方することに抵抗感はほとんどありません。しかし、日本では、新薬を処方する方が安心だと考える医師も少なくありません。

政府政策: イギリス政府は、長年にわたりジェネリック医薬品使用を促進するための政策積極的に展開してきました。一方、日本では、ジェネリック医薬品の普及に向けた取り組みは、イギリスに比べて遅れていると言えます

今後の展望

日本は、イギリス経験を参考に、ジェネリック医薬品に対する国民理解を深め、医師意識改革を促進し、より効果的な政策を展開していく必要があります

ジェネリック医薬品の普及は、医療費抑制だけでなく、患者経済的負担の軽減にもつながります日本イギリスのようにジェネリック医薬品有効活用できるようになれば、国民健康福祉の向上に大きく貢献できるでしょう。

日本の他に、ジェネリック医薬品について、うまくいってない国の例はある?」

ジェネリック医薬品の普及は、世界的な潮流ですが、日本と同様に、様々な課題を抱え、普及が進んでいない国もいくつか存在します。

1. フランス

低い使用率: ジェネリック医薬品に対する国民の不信感や、医師の処方習慣などが原因で、ジェネリック医薬品使用率は低い状態です。政府は普及促進に取り組んでいますが、なかなか成果が上がっていません。

2. イタリア

地域格差: ジェネリック医薬品の普及率には地域差が大きく、南部では低い傾向にあります。これは、医療体制経済状況の格差が影響していると考えられます

3. 韓国

品質問題: 過去品質問題や、ジェネリック医薬品メーカーによる不祥事などが影響し、国民の不信感が根強く残っています

4. カナダ

価格競争の激化: ジェネリック医薬品メーカー間の価格競争が激化し、収益性が悪化しています。そのため、研究開発や品質管理への投資抑制され、品質問題リスクが高まっているという指摘もあります

これらの国々に共通する課題

国民意識: ジェネリック医薬品に対する品質への不安や不信感、新薬の方が効果が高いという誤解などが、普及を阻害しています

医師意識: 新薬を処方する方が安心だと考える医師や、ジェネリック医薬品に関する知識不足などが、処方を妨げている場合があります

制度的な問題: ジェネリック医薬品価格設定や、薬価制度などが、普及を促進するような仕組みになっていない場合があります

これらの課題を克服し、ジェネリック医薬品の普及を促進するためには、各国政府が、国民への情報提供医師への教育制度改革など、多角的な取り組みを進めていく必要があります

日本共通する課題

上記の国々と日本は、ジェネリック医薬品普及における課題共通点が多く見られます特に国民医師意識改革、そして品質に対する信頼回復は、どの国においても重要課題と言えるでしょう。

日本は、これらの国々の状況を参考に、より効果的なジェネリック医薬品普及政策を推進していく必要があると言えるでしょう。

Gemini Advanced便利だな。

2024-11-30

いわゆる職場無能YouTubeなどの動画コンテンツ異次元コメントする人たち

メタ認知能力が極端に欠けている人たち

メタ認知能力が極端に欠けている人』って表現は、"自惚れていてる"とか"井戸の中の蛙"みたいな評価限定して使われているイメージがあります

 

けど、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、エラー処理とか停止処理みたいな超基本的な考え方すら持ってなくて、それに気づけないままでいられる人のことです。

具体的な方法を知らないとかじゃなく、そもそも「そういう発想自体がない」って話で、これは単なる知識不足視野の狭さ以上に、認知の仕組みそのもの問題があります

時間自然解決してくれるようなものじゃなくて、かなり厄介な問題だと思います

 

エラー処理とか停止処理って、ITだけの話じゃなくて日常でも必要スキルです。

たとえば、「お目当てのプリン冷蔵庫にないことを確認」(エラー検知)したら、フツーは「今日プリン食べるの無理だな」って切り替えるじゃないですか。

冷蔵庫を何度も開け続けるのはちょっと変で、フツーは「開けるのをやめる」(停止する)って行動に移りますよね?

仮に、寄生獣に取り憑かれたために、冷蔵庫を開け続けちゃうのだとしても、「右手勝手に動いてる?」って気づければ、他の方法を考えることができます

けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。

 

 

メタ認知知識移転(Knowledge Transfer)

メタ認知知識の応用力、いわゆる"知識移転(Knowledge Transfer)"にもめちゃくちゃ重要です。得意分野や好きなことだと、この力が特に発揮されやすいですよね。

たとえば、熟練プログラマーが別の言語でもスキルを応用できるのも知識移転の力があるからです。

でも、興味が薄い分野や苦手分野だと同じ力を発揮するのは難しい・・・それは自然なことではあるのですが、基本スキル共通原理くらいはちゃんと押さえておくことが期待されます

 

たとえば、プリウス運転手軽トラックをまったく運転できなかったら、それは個性とかそういう話じゃないですよね?致命的に知識移転能力が欠けてるってことです。大きさや操作性が違うにしても、ハンドル操作とか交通ルールみたいな共通点を活かせないのは深刻です。

仮に、共通点を見出せ無くなったのは異世界おじさんに「記憶消去魔法(イキュラス・キュオラ)」をかけられたからだとしても、「もしかして記憶を消されてる?」って気づければ対処方法を考えることができます。けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。

 

 

メタ認知と表層的学習の積み重ね

知識転移がうまくいかないのは、異世界おじさんに記憶を消されて気づかない以外にも、その対象理解そもそも極端に浅いことも大きな原因になっていそうです。

 

たとえば、『りんご=赤』って覚えるのは、学習コストを下げるためによくあることです。この簡略化を意識できる人は、この情報がいろんな側面の一つにすぎないってちゃんとわかっているので、黄りんごも青いりんごも許容します。りんご品種や生育環境熟成度みたいな要素が色に影響するんだろーなとか、味とか他の特徴も多次元的に捉えていますさらに、必要があれば「なんで赤いんだろう?」とか掘り下げて学ぼうとするオープン姿勢もあります

 

次元的に対象を見れる人は、『見たままをありのままに受け入れて、自分直感を大切にできる人』と言い換えても良いかもしれません。

だってりんごは、どう見たって単色の赤じゃないですからね。視覚的にも直感的にもそう感じるはずです。

 

一方で、こういう視点意識(見たまま受け入れる、自分五感直感を信じる)がない人たちがどうなるかというと、

りんご=赤い』っていう単純な答えでテスト合格して、「自分理解完璧だ!」って思い込みます

現行のシステムでは、ぶっちゃけ深掘りする必要性がないので、結果として表層的な学びに終始してしまうのです。

で、こういう表層的な学習パターンが続くと、やがて複雑な問題対処できなくなります

世代と話してもピントがずれた会話をしたり、科学医療社会問題仕事議論トンチンカンなことを言ったりしてしまうわけです。

違う文脈知識を応用するなんて、そもそも理解が浅いと到底無理な話です。

 

学習指導要領のSelf-Regulated Strategy Development (SRSD :自己調整型学習)って『自分で考えて学ぶ力』の改善策としてまあまあ良さそうだけど、

現状の受験システムとか評価基準が表層的な学びを助長するままだと、限界はある気がします。

それなら、メタ認知がないAIが多次元的に学んでいくプロセスを観察して、新しい教育のヒントを探すほうが面白いかもしれません。

 

 

メタ認知デスクワークフィジカルワークの本質

増田タイトルの通り、学歴があっても、長文を読んで理解するどころか、単純化された動画の内容さえ把握できなかったり、同世代との会話がどこまでも噛み合わなかったり、仕事の指示が通らなかったり、そんな人っていますよね?

これって、上記に書いてきたように、メタ認知能力が極端に欠けてることや、知識移転能力の欠如、表層的な学習が積み重なった結果なんじゃないか確信を持っています

たぶん、IQ価値観の違いの話ではないですね。

 

大卒以上であっても、こういう人が無視出来ない数いるのは、正直「なんで?」って思う人が多いんじゃないでしょうか。でも、この「なんで?」の背景には、「勉強デスクワーク知的で選ばれたもの」っていう妙な誤解がある気がします。この固定観念が、現代社会における知性や労働本質を見誤る原因になってるんじゃないかなと思います

 

現代では、国家競争力は高度な人材依存しています

しかし、その一方で、社会の基盤を支える多くの職種が軽視され、不当に評価されている現状があります

 

なぜかというと、"知識労働者(Knowledge Worker) "ではなく、"知的労働者" って呼称が使われたりすることからもわかるように、肉体労働者は知能を使わないみたいな妙な誤解を悪用し、仕事の複雑さや多様性を極端に単純化し、賃金差別(経済格差ではなく差別が適切)を正当化する輩がいるからです。

 

実際は、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。

例えば、エラーを検知し、適切なタイミング作業を中止し、問題解決する–これらは、メタ認知能力と深い経験に基づく高度な知的作業ですよね?プログラム組んだことなくてもロボットを作ったことなくても、誰しも直感的に知っていることです。

障がい者雇用最適化された職場を除けば、こうした能力に欠ける人がフィジカルワークに適応することは非常に困難です。その理由は単純で、迅速に適切な判断ができなければ、事故怪我を招き、最悪の場合、死人が出るからです。

 

フィジカルワークが出来そうもない人は、なんとなく知識労働を選ぶことが多いです。必ずしも自分の適性を十分に理解しているわけではなく、「選択肢の中で最も受け入れられる道」として選んでいることが多いです。でも、極端にメタ認知や応用力がないと、どんなに学歴があっても知識活用できず、「結局この人は何ができるの?」って評価に甘んじちゃうことになります。たとえば、エラーメッセージに明確な解決方法が書かれているにもかかわらず、それを読み取れず(一応、読んではいる模様)、ただそのまま誰かに転送するだけの技術者とか、その典型ですよね。

 

もう一度言いますが、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。

それがある前提で、重要視されるのが、物理筋肉運動能力)なのか、論理筋肉知識)なのかって違いだけです。

 

 

メタ認知筋肉の魅せ方と使い方

1つ前でも少し書きましたけど、知識って筋肉みたいなものだと思うんですよね。鍛えればどんどんムキムキになるけど、筋肉単体ではその魅力をフルに発揮できない。

物理筋肉論理筋肉も、それをうまく使うスキル必要です。データベースが単体ではただの情報の塊で、システム連携して本来の力を発揮するのと同じです。

で、そのシステム設計するには、基本的エラー処理や停止処理の考え方は欠かせません。そして、エラー処理をするためには、知識を他の文脈で応用する力、

まり知識移転能力』が必要です。それを支えるのが、メタ認知能力なんですよね。

 

国の競争力を維持する上で、論理筋肉マッチョを育成することは非常に大切ですが、その筋肉有効活用するためのメタ認知能力がないと、いくら筋肉がついてもリソース無駄になってしまます

というか、論理筋肉マッチョに限らず、どんな分野でも同じことが言えますリソース無駄遣いを避けるために、筋肉活用法を理解する能力を養うことは、なによりも優先されるべき取り組みだと思います

 

(長文が読めない、動画の内容すら理解できない、仕事科学社会問題議論トンチンカン発言をする、仕事の指示が通らない、でも広範囲知的課題は持っていない、なんなら大学卒業している――そんな人たちの姿を見ながら書いてます)

anond:20241130115446

パートナーつうのは典型的なかたちの夫婦でないという意味だ。事実婚でも本人同士が夫婦認識しているなら堂々と夫婦と言うし、法的な婚姻関係にあるカップルでも、破綻していれば夫婦という呼び名を避ける。

パートナーという呼び名を使う頻度の大きい属性として、他にもたとえばゲイなど同性愛者のカップル不倫関係カップル、もちろん恋人同士で未婚のカップルも含まれる。同性愛者に対して憧れなのか憐憫なのか共感なのか、謎の心理を抱くもの同性愛者達の語彙(つまりパートナー」)を使って、意味曖昧化を図ったり、先進的ぶることもよくある。

これらの共通点マイノリティということだ。世の中の大半のカップル夫婦という呼称をすんなり使うなかで、ごにょごにょ言いたくなるような事情を抱えたカップルなのだ

そんな彼らに正論をぶつけるのは暴力と変わらない。あなたがやっていることは、いじめに近い。やめるべきだ。雨の日にようやく這い出たナメクジに、わざわざ塩をかける必要があるだろうか?彼らにとって現実の厳しさは耐え難い劇薬で、生きている限り黙ってても直面するものだ。

から、優しく、やさし〜く寄り添ってあげなさい。でなければ、無視すべきだ。

2024-11-24

ガンダムじゃない!」って言いたい

ガンダム関連の新作・新企画が発表されるたびに、古参系のガンオタから「こんなのガンダムじゃない!」的な鳴き声が上がるのが恒例行事となっているが、増田感覚では2000年以後の新作に「ガンダムではない」と感じたことは一度もない。

実際、TVシリーズ最新作である水星魔女は、女性主人公、学園ものなど、新機軸を多数取り入れた野心的な内容ではあったが、それでも「ガンダムじゃない」とまでは言えなかった。最終的にはお約束宇宙要塞なんかも出てきて、全体としてはふつうガンダム範囲内という印象だ。

79年の初代から既に45周年までにもなるガンダムシリーズ。その中では本編シリーズだけでも様々な挑戦がなされてきた。

世界設定全体ではGガン

デザイン面ではターンエー。

作品雰囲気(軽さ)ではZZ(前半)。

と、それぞれ「 アニメ ガンダムじゃない」の極北と言えるガンダムが既に存在しており、この壁を打ち破ることは容易ではないだろう。

過去シリーズの膨大な蓄積がある現在のこの状況からガンダム」の外側に出るにはどうしたらよいのか。過去ガンダム共通点否定逆張り)、という観点から考えてみたい。

(この増田での「ガンダム」は、外伝SDビルド系を含まない、アニメ作品本編を指すものとする)

宇宙に出ないガンダム(実現可能性:★★★)

これまでのガンダムは全て、宇宙移民可能技術レベルを前提とした世界舞台にしている。スペースコロニーガンダム代名詞と言ってもいいだろう。

これを削除することはできるだろうか。恐らく可能だろう。

ニュータイプの設定(宇宙に出て進化した人類)など、宇宙ガンダム重要な要素ではあるが、それ無しでは絶対に成立しないというほどでもない。宇宙時代以前の近未来舞台にして(純地球産の)巨大ロボットが登場するアニメは、パトレイバーフルメタルパニックなどの実例複数ある。

これから宇宙抜きのガンダムが出てくる可能性は十分にあるだろう。そのぶん「ガンダムじゃない」度は比較的低いともいえるが。

搭乗型巨大ロボットが登場しないガンダム(実現可能性:★★)

ガンダムロボットものアニメの一シリーズであり、多くの作品では主人公機(ガンダム)はモビルスーツと呼ばれる巨大人兵器の一つという扱いになっている。

このアイデンティティと言っていい部分を変えるのは一見無理があるように思えるが、少し考えてみればそうでもないかもしれない。

もともとガンダムモビルスーツ宇宙の戦士に着想を得たもので、パワードスーツタイプ兵器になっていたかもしれない、というのはオタクの間ではそれなりに知られた話だ。

(3ページ目)「着込むスーツ」から「18メートルのロボ」へ 企画初期から支えたアニメーターが語る「ガンダムのはじまり」 | 文春オンライン

 ただ、当初は完全に人間が着込むやつで、身長も2メートルちょっとだった。あの頃のアニメロボットは、身長も100メートルかになっているのもいて、そんなものレイアウトができない。民家を入れて描けなんて言われても小さすぎちゃう

 そんな中で、2メートルという案が出るんだけど、それもかなり極端だから、最終的には18メートルになった。あれは、5~6メートルに収まっていればもっとリアリティがあったのかもしれないよね。

また、コードギアスコミカライズの一つでは、原作の巨大ロボット兵器に相当する存在として、等身大パワードスーツが登場している。この二者は意外と簡単に変換可能なのかもしれない。

なんなら、「巨大」の部分は残して主人公ガンダムに変身する、という形にしてもいいだろう(ULTRAMANの逆バージョン?)

戦争がない(人が死なない)ガンダム(実現可能性:★)

これまでの全てのガンダムは「戦争」を描いている(「スポーツマンシップにあふれた戦争」のGガンも含めて)。主人公戦争に直接参加することはなくても、物語の背景には必ず戦争があった。

恐らくここを変更することが、ファンにとっては最も抵抗感を覚えるのではないだろうか。

ファーストガンダムが当時高い評価を受けた大きな理由の一つは、アニメ人間同士の戦争を描いたことだ。最近では、戦争自体主題ではないという論調が主流になってきたものの、ファースト以降ガンダムからの脱却を常に模索してきた富野由悠季ですら、戦闘による人死にのない作品ガンダム以外でも作ることができていない。作り手・受け手双方にとって、戦争呪縛はそれほどに強い。

戦争のないガンダム果たして可能なのか?

その問いの答えが、そして答えが出る時が来るのかどうかが気になってしょうがない。

あとがき ふわふわ増田のあと! に

上で、これまでのガンダムでは「様々な挑戦がなされてきた」と書いた。それは紛れもない事実ではあるが、たとえば初代の仮面ライダー平成・令和のライダーの別物感に比べれば、ガンダム45年の変化は全然ヌルいともいえる。

ガンダムには、ぶっ壊せるところがまだあるのだ。

作品制作にかかわる人々には、心の底から「こんなのガンダムじゃない!」と言えるようなガンダムをこそ期待したい。無茶なお願いは承知の上で。

2024-11-23

anond:20241123162550

映画を知っていますか?「ゴーン・ガール」という映画です。これは、結婚5周年記念日に妻が突然失踪することで起こる様々な出来事を描いた、サスペンスミステリーです。妻の失踪についてメディア警察、そして世間の目が夫に向けられ、夫は疑いの目にさらされていくのです。しかし、真実もっと複雑で、恐ろしいものが隠れている。実は妻は計画的失踪し、自らの死を偽装して夫に罪を着せようとするのです。真実を知るにつれ、夫婦の間にある歪んだ関係や、巧妙な心理戦が明らかになっていきます

増田が読んだ漫画のように、「ゴーン・ガール」でも表面上はうまくいっていると思われていた夫婦の間に潜む不信感や、計画された裏切りスリリングに描かれていますね。人間内面に潜む闇の部分が悪化した時に、どのような極端な行動に出るのかを描いているところが共通していますね。倫理的葛藤や、登場人物たちの選択によって、物語は予想外の展開を見せ続けます

増田が感じた苦悩や、登場人物選択に対する苛立ちにも共通点があります善悪簡単に割り切れない状況で、観客や読者は何が正しいのかを考えさせられるようになっているのは、こうしたストーリー醍醐味ですよね。

さよならさよならさよなら

2024-11-22

ニコ動で盛り上がってYoutubeでも盛り上がった実況者とそうでない実況者、何が違ったんだろうか

共通点がな見いだせず未だに結論を下せていない

たまたま」なんてものはない

あらゆる事象には共通点があり、定式化できる

2024-11-19

今後、選挙は誠実に正攻法で戦おうとする人ほど負けるようになる

直近の選挙であるアメリカ大統領選挙兵庫県知事選挙には、

共通点として「グレーゾーンを超えて明らかに違法といえる行為選挙期間中に行われた」という点が挙げられる。

もしこのような状況を今後も許すということであればこの状況は悪化し、今後真面目に戦おうとする候補者そのままでは必ず負ける。

しかし誠実に戦おうとすれば同じ戦法を取ることはできず、その状況になってしまえばもはや詰みの状態だ。

なおこれは特定政党に限ったものではなく、どの党でもどんな候補者でも被害者になりうる。

自分応援する政党政治家反社会的勢力犠牲にならないと考えるのは愚かなことだ。

2024-11-18

anond:20241118205926

ああああああああ

森友事件との共通点を探ってる者ですが、そうか気付かなかった、確かに男性」は一番ナイーブ共通点ではありますね。。。。うあああああああ、、、

2024-11-17

anond:20241117224128

ペットの犬や猫はDNAレベルでなんの共通点もないのに家族として愛情を注ぐのに

血が繋がってない子どもだとわかった瞬間家族の絆を忘れてキレる弱者男性キモすぎだろ

こいつら動物虐待とか普通にしそうだし犯罪者予備軍だわ

2024-11-14

電磁気と金融は共通点が多いという話から金融に弱い理由がよくわかる。金融に強くなりたいなら電磁気をやるべき。

2024-11-11

時々思い出す、同い年の友人Eちゃんのこと。

共通の知り合いがいて、出会った。

あの頃は友達の友達友達的な感じで芋づる式に友達が増えてたので、彼女ともそんな感じだった。

知り合った後に付き合った人(のちに私の旦那)の友人が、彼女と付き合い始めたので、何度かダブルデート的な感じで遊んだ

相手との歳の差も同じ位。性格全然違ったし、お互い他に気の合う友人もいたからそこまで親密にはならなかったけど、色々と共通点があるお友達だった。

私が結婚する少し前に、彼女病気が見つかった。でも結婚式には来てくれた。その後、彼女結婚したが、病気が進行してできないことが増えて行った。子どもが望めない彼女対照的に、私は妊娠

だんだん共通点がなくなって行った彼女と私。

彼女の命の期間が少なくなってきていることもわかっていたけれど、私は彼女に会えなくなった。

自分の命が消えそうになっている中で新しい命をはぐくむ自分をみて彼女がどう思うか考えたらつらくて。

そう言い訳をしながら、彼女がいなくなるかもしれない現実から逃げてたのかもしれない。

同じ年に生まれて、同じ時期に相手と付き合い始めて、同じくらいの歳の差カップルで、「同じ」が重なったことで仲良くなったのに、これから先は「同じ」じゃなくなることを私が突き付けることに耐えられなかったんだと思う。

彼女はそんなこと気にしなかったかもしれないのに。私に会いたいと思ってくれていたかもしれないのに。

彼女がいなくなる1か月前に生まれた上の子10歳になった。

一度だけ、まだ2歳くらいの子を連れてお墓参りに行ったけど、その後は恐らく行っていなかった彼女のお家…

今は旦那さんが別の人と結婚して住んでいるお家に遊びに行った。

駐車場に車を停めたら子が「私ここにきたことある駐車場覚えてる!!絶対たことある!」っと叫んでびっくり。

夢の中でEちゃんが連れてきてくれたのかな。

なかなか会いに行けなくてごめんね。

ずっと忘れてないよ。これからも。

パパ活」も「闇バイト」も全て親の育て方が悪い

今の若者世代関係するトピックを挙げてみる。

「闇バイト」「推し活(異常な支出)」「パパ活」「タイパ」「ユーチューバー人気」など。

この共通点はなんだろうか?

そう、「労せずして富や名声を得たい」であるジャンプ漫画主人公努力友情勝利鉄板とされているが、彼らはできるなら努力などしたくないのである努力せず金を貰いたいし、札束を積んで尊敬されることで(本当はドン引きされているだけだが)楽に名声を得て社会から認められたいのだ。

そしてこの努力よりも効率を重視する「精神的貧しさ」もまた我々はよく知っていると思う。悪夢の”バブル世代であるあの世代の物に恵まれ不自由なく育ったバカ親が子供にも何でも買い与えひたすら甘やかしていたと考えれば、行動的にも世代的にも辻褄が合う。

はい、これでパパ活や闇バイト簡単に手を染めるような我慢努力もできない野生児の出来上がり。

バブル世代の次は何が来るか?そう、「氷河期世代」だ。氷河期中年は激しい競争に敗れ無職引きこもりとなった敗者も多いが、勝ち残ったものは皆他人にも自分にも厳しいエリートが多い。(私の会社を含め、今まで会ってきたこ年代大人は皆共通してそういう印象だ)

彼らが親になった時、子供になんでも買い与えるような愚かな真似をするだろうか?否、しないだろう。

それなりに節制努力もできる(母体は少数ながら恐らくエリートが多い)世代がもうじき社会人になれば、一つ上の努力もできず浪費しか脳がないバカ世代はあっという間に競争に敗れることだろう。

私は才能も頭脳もない無能であることを自覚しているし、地道な努力をするしか道がないと信じているが、お陰様で今は人並み、それなりの人生を過ごせている。私の子供には、今の若者のようには育ってほしくないと強く思う。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん