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2025-10-16

特集任天堂Switch帝国”の腐敗 ——栄光の裏で進む「唐王朝化」と創造の死

■「Switchバブル」は終わった

任天堂はいま“盛唐の幻”に酔っている

 Switch成功──それは確かに歴史的だった。

 しかし、それは**「盛唐の繁栄」**のような一時の幻影にすぎなかったのではないか

 ハード世界で1億5千万台を突破し、株価は史上最高を記録。

 京都本社はまるで長安のごとく、黄金の瓦が輝き、経営陣は「任天堂時代は続く」と豪語した。

 だが、いまその都の地下では、制度が腐り始めている。

 Switch帝国はすでに、静かなる安史の乱を迎えているのだ。

■「任天堂らしさ」という名の呪い

 唐王朝が詩と礼の形式に縛られたように、任天堂もまた「伝統」の檻に閉じ込められた。

 “誰でも楽しめる”“子どもにも優しい”“家族の絆”──。

 一見、美しい理念だ。だがそれは同時に、挑戦を抑圧するシステムでもある。

 内部では新規IPは通りにくく、革新よりも“前作の延長線”が求められる。

 若い才能は沈黙し、外部のスタジオ依存する比率が増えている。

 それはもはや「遊びの会社」ではなく、形式を守るだけの官僚機構だ。

 創造の火を消すのは敵ではない。内部の儀礼主義である

■「外注王国」──中央の力を失った帝国

 唐を滅ぼしたのは外敵ではない。地方節度使である

 任天堂でいえば、それは外注スタジオライセンス先だ。

 いまや多くの開発が社外で進められ、本社は“監修”と“承認しか行わない。

 地方が動き、中央は祈る。

 それは、かつての唐が地方軍閥に統制を失った姿とまるで同じだ。

 「任天堂ブランドの統制」を掲げながら、その実態は分権化の嵐。

 本社京都はもはや“名ばかりの皇帝”に過ぎない。

ユーザー離反という「黄巣の乱

 唐の末期、民の不満が爆発して起きたのが黄巣の乱だった。

 その炎が都を焼いたように、いま任天堂を蝕むのはユーザーの無言の反乱だ。

 SNSにはこうした声が並ぶ。

 「Switchソフトが古い」

 「次世代機はいつ出るんだ」

 「結局、任天堂過去ブランド頼みじゃないか

 熱狂的だったファンが、いまや冷ややかに背を向け始めている。

 信仰が冷めた帝国は、もはや帝国ではない。

 その兆しは、すでに“数字に現れない危機”として進行している。

■「盛唐の夢」から醒めよ

 唐の玄宗晩年、滅びゆく王朝を前にしてなお、「盛唐の夢」を見続けた。

 任天堂もまた、Switch成功を“永遠栄光”と錯覚している。

 だが、その夢は現実を覆い隠す麻薬にすぎない。

 「任天堂らしさ」という美辞麗句の下で、創造精神は失われつつある。

 経営陣の決断が遅れ、技術革新出遅れクラウドAIの波を見逃す。

 その様は、かつて文明の中心にありながら衰退していった唐と何が違うのか。

結論:「最も華やかなとき、滅びは始まっている」

 歴史は繰り返す

 唐の長安も、いつか砂に埋もれた。

 任天堂Switch帝国も、いずれ同じ運命を辿るかもしれない。

 「繁栄絶頂」は、しばしば「終焉の始まりである

 任天堂が“盛唐”を抜け出せるか、それとも“後唐”として歴史に消えるのか。

 その分岐点は、もう目前に迫っている。

2025-10-02

anond:20251002113920

まだだけど

天竜人がごく一部の例外除いて全員ベッタベタクズと言うか

中国の腐敗王朝暴君みたいな嗜好の奴ばっかりで

海賊相対的にまともに見える展開が多い

長年これの犬をやってる海軍やガープが擁護不能にもなってるけど……

2025-09-19

「末代」を「最後の代」という意味で使うのは誤用なのか

近年、「末代」の誤用が指摘されることが増えてきた。

たとえば「子供ができないので私が末代だ」などの発言に対して「誤用である」と言うのである

「末代」とは自分が死んだあとの「遠い未来」のことであって、「最後の代」の意味はない、というのが誤用派の主張である

しかし、中国語では以下のような意味とされている。

末代_百度百科

末代,汉语词语,拼音mò dài,注音ㄇㄛˋ ㄉㄞˋ,外文名the last reign of a dynasty,原指一个朝代的最后一代,最早记载于东晋王嘉《拾遗记·秦始皇》。

「末代」(中国語の語彙、拼音 mò dài、注音 ㄇㄛˋ ㄉㄞˋ、英語 the last reign of a dynasty)は、もともと一つの王朝最後の一代を指す語で、最初記載東晋の王嘉『拾遺記・秦始皇』に見られる。

王朝最後の一代」を指すというので、まさに「初代」の対義語としての「末代」である

たとえば、清王朝最後皇帝・溥儀を描いた映画ラストエンペラー』の中国語題が『末代皇帝であることからも、そうした意味流通していることがわかる。

ただ、もともとは中国でも「後世」という意味で使われることが多かったようだ。

初出とされている東晋の王嘉『拾遺記・秦始皇』に書かれているのも「末代浮誣(後世のでたらめ)」といったような用法である

「末代皇帝」のような用法は、おそらく明代にはあったようだが、そこからどこまで遡れるかはわからなかった。

明代の『卜筮全書』の注釈に「桀 夏朝末代君主」とあったが注釈が後世のものという可能性はある)

さて、それでは「末代」は日本ではどう使われてきたのか。

「末代」という語は、平安時代から概ね「後世」の意味で使われてきたようだ。

そもそも日本には「王朝」は一つしかない。

王朝の末代」と言う場面がなく「末代天皇」などもいないのである

とはいえ日本に「末代天皇はいなくとも「末代将軍」なら存在する。

実際に、国会図書館DC検索してみれば、明治時代書籍に「足利の末代」や「徳川代将軍」のような言い回しを見つけることができる。

また、中国歴代王朝を紹介するのに、その初代と末代を書き並べているものなどもあった。

であれば「末代」を「最後の代」という意味で使うのも問題はないと考える。

もちろん「あくま日本では『後世』の意味メジャーなんだよ」という主張はできる。

しかし「最後の代」という用法も少なくとも「誤用」ではないし、わざわざ修正する必要もないと思うのである

なお、

死んでからのちの世。

という辞書説明を見て「末代」を「死後の世界あの世)」の意味だと早合点している人もいるようだ。

「末代」を「後世」とするか「最後の代」とするかは解釈問題であるが、「末代」を「あの世」とするのは完全なる勘違いであるので定着しないことを祈る。

2025-09-11

かつて海を抱き、霧を冠したカリオンの王朝

そこには二人の王子があった。

兄は岩の塔のごとく静かに立ち、

父王の影を継ぐ者として人々に仰がれた。

弟は風の笛のように軽やかで、

王宮の調べを己の胸に響かせることはなかった。

ある日、弟は異郷の姫と出会った。

その姫は光をまとうも、

王宮の律に馴染まぬ星であった。

されど弟の眼には、

その光が唯一の道しるべとなった。

こうして弟は、姫に導かれ、

波のかなたへと去り、

城には父王と兄王子とが残された。

そこにあったのは沈黙と嘆き、

そして空虚の鐘であった。

やがて父王の胸に病の影が差し

国土を覆う霧のように広がった。

その報せは海を渡り

弟の耳に届いた。

彼は灰色の門をくぐり、

父王の館の扉を叩いた。

ふたりは茶を分かち、

長き歳月を隔てた言葉を交わした。

その盃より立ちのぼる湯気は、

風となって広間を満たし、

堅く閉ざされた扉に、

かすかなひびを刻んだ。

そのひびはやがて道となるのか、

あるいは石に吸い込まれて消えるのか。

それを知るのは、

ただ霧の向こうに住まう時のみであった。

2025-09-10

粗雑な中国崩壊論ですhttps://anond.hatelabo.jp/20250910180316

1 「失業率過去最大でインフレに苦しむ中、過去最大の税収」

判定:部分的に正しい・部分的に誤り。

根拠と注記:

中国都市部公式失業率調査失業率/城鎮調査失業率)は、2022–2023年に若年層で高止まりし、若年失業率歴史的に高い水準を記録した時期があるが、公式の「過去最大」と断定するのは文脈依存。全国ベースの長期統計定義が変わるため単純比較は誤解を生む。

インフレ消費者物価指数 CPI):近年はゼロ近傍〜低めのインフレ率で、2022–2024年デフレ圧力や低成長懸念がしばしば報じられた。したがって「インフレに苦しむ」と一括するのは誇張の可能性あり(局所的・品目別の価格上昇はある)。

税収について:中国中央地方財政・税収は2020年代回復基調で増加した年もあるが、「過去最大」の主張は年次・範囲中央のみか全国か)を特定しないと検証不能。2021–2023年には税収増の年もあるが、それが歴史的最高かは年度比較必要

2「こんな状況にも関わらず、国民支援は行わなず」

判定:誤解を含む。

根拠と注記:

中国政府感染症対策景気対策としてインフラ投資、減税・猶予中小企業支援雇用促進策などを行ってきた。直接的な現金給付欧州米国の大規模一時給付)とは異なる形だが「支援を一切行わない」は事実と異なる。支援規模や対象に関する評価は分かれる。

3「共産党員の基本給を3割もアップした」

判定:誤りまたは未確認(おそらく誤報)。

根拠と注記:

共産党員党員)と公務員や党幹部給与政策は別々の制度だが、公的に「党員の基本給を一律で30%引き上げた」という公式発表や信頼できる報道確認できない(2025年9月時点の公開情報に基づく)。賃金改定は段階的・職位別で、地方ごとに差があるため一律30%増という断定は疑わしい。

4「アリババもこんなことになるよな」(政府政策が原因でアリババ不振

判定:過度な単純化

根拠と注記:

アリババ中国ハイテク企業が直面した困難(規制強化、独占禁止調査金融持株会社構造改革景気後退、消費低迷など)は複合要因による。政府支出・税収や党幹部給与だけを原因とするのは因果関係の過剰単純化

5「中国って昔から天下統一されたことがなく、200年足らずでどの国も滅んでた」

判定:誤り。

根拠と注記:

中国史では複数回の「天下統一」が存在する(秦・漢・隋・唐・元・明・清など)。王朝の交代は長期的周期で繰り返されたが、「天下統一されたことがない」は明確に誤り。

「200年足らずでどの国も滅んでた」というのも一般化しすぎ。王朝寿命は短いものも長いものもあり、地域時代差異が大きい。

「今回の中国チベット香港取れずにそろそろ国が終わりそう」

判定:誤り・推測的。

根拠と注記:

チベット香港は現状で中華人民共和国の一部と位置付けられており、特に「取れずに」や「国が終わりそう」といった表現事実に基づく分析ではなく予測的・感情的評価。国の存続を左右するかどうかを示す具体的根拠は示されていない。

まとめ(簡潔)

史実に関する記述過去統一について)は誤り。

共産党員の一律30%昇給など具体的政策の主張は確認できず誤報または根拠不十分。

失業率・税収・インフレ国民支援に関する主張は、定義統計範囲によって真偽が分かれる(部分的事実と誤解が混在)。

企業アリババ)の問題国家の存続に関する結論因果の短絡や推測が強く、裏付けが不足している。

2025-09-06

戦争責任の禊として女系天皇を受け入れるべき

女系にすると別の王朝になるとか意味わからんことほざいてる奴がいるけど、それを言うならそもそも戦争負けたんだから今の血統降板しろや。そもそも政治的権力を持ってるわけでもないし、別の血統に乗っ取られても国民は正直誰も困らんだろ。禊として、女系天皇とっとと導入しろ

2025-08-01

日本は急速にスパイ巣窟になりつつある (2022年記事)

2021年の岸田政権から売国政策が加速したけど、やっぱなーって感じですわ

Japan fast becoming a nest of spies:

https://japantoday.com/category/features/kuchikomi/japan-fast-becoming-a-nest-of-spies

六本木星条旗通り歌舞伎町職安通りスナック開店しないかと誘われた」と、訪日外国人向けのホステル経営するこの男性は、アサヒ芸能記者に語った。

新型コロナウイルス感染症パンデミックによる訪日旅行者の激減で、彼のビジネスは当然ながら資金繰りに苦しんでいました。そんな時、ある中国人から「おいしい利益」を生み出す取引提案されました。

パンデミックのおかげで、倒産した店の跡地に進出するチャンスはたくさんあります。全額融資します。スタッフとして入店すれば、固定給に加え、利益率に応じた歩合給も受け取れます」と中国人から言われた。

外国人に人気のエリアというだけで、本業との相乗効果で大儲けできるという直感がありました」とホステル経営者は語った。しかし、その後、彼の表情は一変した。

「店には隠しマイクと隠しカメラが設置されており、外国人要人や省庁の官僚が来たら必ず報告するように言われました。『最悪の場合赤字でも構わない』と中国人男性は言いました」

日本は6月10日から外国人団体旅行客の受け入れを始めたばかり。警視庁目黒署は22日、講演会を開き「スパイから接触があったと感じた企業職員相談やす環境を整えたい」と呼びかけた。

しかし、場合によっては、まったく見知らぬ人のアプローチから始まることもあります

2月北京冬季オリンピック開幕の約2か月前、上海公安警察員を名乗る『李』という男から携帯電話電話がかかってきました」と、アジアから商品仕入れ貿易会社に勤める男性は語った。「彼はチベットウイグル政治活動家リストを入手してほしいと頼んできました。どうやら日本当局CIAからそのようなリストを入手していたようです。もちろん断りましたが、彼は『心配するな、日本警察が金で売ってくれる』と言い続けました」

日本における中国諜報活動において、経験豊富諜報員が関与している例はほとんど見られません」と、日本政府筋はアサヒ芸能に語った。「中国日本先端技術特に医療通信分野をターゲットにしています。そのため、日本大学で学ぶ学生リスト作成し、彼らの求めるものに応じてアプローチしているのです。」

これらのリストには写真も保存されており、魅力的な女子学生は、新宿歌舞伎町四谷付近クラブアルバイトをするよう奨励され、そこでアナグマの罠にかける日本人のターゲットを仕向けられる。

国際ジャーナリスト山田敏弘氏は、「中国国民企業は、政府から指示があれば、スパイ活動に従事するのは事実上義務です。多くの場合家族年金の増額や帰国後のより良い仕事約束といった特典が提示されますしかし、拒否しても家族安全保証されません。いわば、家族人質に取られているのと同じなのです。『祖国のために』と促されると、結局、断れる人はほとんどいないのです」と解説する。

ロシアのGRUと北朝鮮工作員たちも日本脆弱性嘲笑している。

日本北朝鮮貯金箱になっている」と政府筋は述べ、パチンコ店焼肉店経営者が北朝鮮家族に送金している実態を指摘した。「北朝鮮軍の選抜メンバー簡単中国パスポートを入手し、日本に潜入できる。しかも、彼らは中国パスポート渡航しているため、簡単に拘束されることはない」

アサヒ芸能によると、日本のこれまでの諜報漏洩対策は、諜報活動監督を担う外務課長警察署長を通じた「アウトリーチ」だった。こうした取り組みは、2018年からアメリカFBIに設置された「チャイナイニシアチブ」を模倣したものとされている。

以下コメント

1グレン

中国他国の内政に干渉しないと主張してきたが、それは間違いだ。

セプティム王朝

現代における幕末2.0日本は多くの外国人居留地に分割され、外国人居留地として機能するだろう。日本未来支配するのは、三大外国人人口勢力だと私は明確に見ている。

中国人ベトナム人アメリカ人。

中国系とベトナム系住民は、農村部都市部をまたいでチャイナタウンやベトナムタウンを形成するだろう。アメリカ人は、米軍基地周辺の広大な土地家族を定住させようと争うだろう。

安倍晋三自民党エリートの方々に感謝します!

ウォレス

京都には中国北朝鮮スパイが多数いると考えられている。

セプティム王朝

セプティム王朝2022年7月27日午前11時53分

北朝鮮とつながりがあり、利害関係があり、日本与党の暗黙の同意承認を得て日本から金を巻き上げている韓国特定の略奪的カルトのように?

統一教会騒動は、日本超国家主義者たちが最初から騙されてきたことを如実に物語っています。このカルトは、日本人と韓国人を交配させて純潔を重んじるというメッセージを説き、日本自民党エリートたちはムーニーの足元にキスをしています

anond:20250801103557

2025-07-31

日本は急速にスパイ巣窟になりつつある (2022年記事)

岸田政権から売国政策が加速したけど、やっぱりなタイミングやで。

Japan fast becoming a nest of spies:

https://japantoday.com/category/features/kuchikomi/japan-fast-becoming-a-nest-of-spies

六本木星条旗通り歌舞伎町職安通りスナック開店しないかと誘われた」と、訪日外国人向けのホステル経営するこの男性は、アサヒ芸能記者に語った。

新型コロナウイルス感染症パンデミックによる訪日旅行者の激減で、彼のビジネスは当然ながら資金繰りに苦しんでいました。そんな時、ある中国人から「おいしい利益」を生み出す取引提案されました。

パンデミックのおかげで、倒産した店の跡地に進出するチャンスはたくさんあります。全額融資します。スタッフとして入店すれば、固定給に加え、利益率に応じた歩合給も受け取れます」と中国人から言われた。

外国人に人気のエリアというだけで、本業との相乗効果で大儲けできるという直感がありました」とホステル経営者は語った。しかし、その後、彼の表情は一変した。

「店には隠しマイクと隠しカメラが設置されており、外国人要人や省庁の官僚が来たら必ず報告するように言われました。『最悪の場合赤字でも構わない』と中国人男性は言いました」

日本は6月10日から外国人団体旅行客の受け入れを始めたばかり。警視庁目黒署は22日、講演会を開き「スパイから接触があったと感じた企業職員相談やす環境を整えたい」と呼びかけた。

しかし、場合によっては、まったく見知らぬ人のアプローチから始まることもあります

2月北京冬季オリンピック開幕の約2か月前、上海公安警察員を名乗る『李』という男から携帯電話電話がかかってきました」と、アジアから商品仕入れ貿易会社に勤める男性は語った。「彼はチベットウイグル政治活動家リストを入手してほしいと頼んできました。どうやら日本当局CIAからそのようなリストを入手していたようです。もちろん断りましたが、彼は『心配するな、日本警察が金で売ってくれる』と言い続けました」

日本における中国諜報活動において、経験豊富諜報員が関与している例はほとんど見られません」と、日本政府筋はアサヒ芸能に語った。「中国日本先端技術特に医療通信分野をターゲットにしています。そのため、日本大学で学ぶ学生リスト作成し、彼らの求めるものに応じてアプローチしているのです。」

これらのリストには写真も保存されており、魅力的な女子学生は、新宿歌舞伎町四谷付近クラブアルバイトをするよう奨励され、そこでアナグマの罠にかける日本人のターゲットを仕向けられる。

国際ジャーナリスト山田敏弘氏は、「中国国民企業は、政府から指示があれば、スパイ活動に従事するのは事実上義務です。多くの場合家族年金の増額や帰国後のより良い仕事約束といった特典が提示されますしかし、拒否しても家族安全保証されません。いわば、家族人質に取られているのと同じなのです。『祖国のために』と促されると、結局、断れる人はほとんどいないのです」と解説する。

ロシアのGRUと北朝鮮工作員たちも日本脆弱性嘲笑している。

日本北朝鮮貯金箱になっている」と政府筋は述べ、パチンコ店焼肉店経営者が北朝鮮家族に送金している実態を指摘した。「北朝鮮軍の選抜メンバー簡単中国パスポートを入手し、日本に潜入できる。しかも、彼らは中国パスポート渡航しているため、簡単に拘束されることはない」

アサヒ芸能によると、日本のこれまでの諜報漏洩対策は、諜報活動監督を担う外務課長警察署長を通じた「アウトリーチ」だった。こうした取り組みは、2018年からアメリカFBIに設置された「チャイナイニシアチブ」を模倣したものとされている。

以下コメント

1グレン

中国他国の内政に干渉しないと主張してきたが、それは間違いだ。

セプティム王朝

現代における幕末2.0日本は多くの外国人居留地に分割され、外国人居留地として機能するだろう。日本未来支配するのは、三大外国人人口勢力だと私は明確に見ている。

中国人ベトナム人アメリカ人。

中国系とベトナム系住民は、農村部都市部をまたいでチャイナタウンやベトナムタウンを形成するだろう。アメリカ人は、米軍基地周辺の広大な土地家族を定住させようと争うだろう。

安倍晋三自民党エリートの方々に感謝します!

ウォレス

京都には中国北朝鮮スパイが多数いると考えられている。

セプティム王朝

セプティム王朝2022年7月27日午前11時53分

北朝鮮とつながりがあり、利害関係があり、日本与党の暗黙の同意承認を得て日本から金を巻き上げている韓国特定の略奪的カルトのように?

統一教会騒動は、日本超国家主義者たちが最初から騙されてきたことを如実に物語っています。このカルトは、日本人と韓国人を交配させて純潔を重んじるというメッセージを説き、日本自民党エリートたちはムーニーの足元にキスをしています

anond:20250731152724

2025-07-29

日本は急速にスパイ巣窟になりつつある (2022年記事)

Japan fast becoming a nest of spies:

https://japantoday.com/category/features/kuchikomi/japan-fast-becoming-a-nest-of-spies

六本木星条旗通り歌舞伎町職安通りスナック開店しないかと誘われた」と、訪日外国人向けのホステル経営するこの男性は、アサヒ芸能記者に語った。

新型コロナウイルス感染症パンデミックによる訪日旅行者の激減で、彼のビジネスは当然ながら資金繰りに苦しんでいました。そんな時、ある中国人から「おいしい利益」を生み出す取引提案されました。

パンデミックのおかげで、倒産した店の跡地に進出するチャンスはたくさんあります。全額融資します。スタッフとして入店すれば、固定給に加え、利益率に応じた歩合給も受け取れます」と中国人から言われた。

外国人に人気のエリアというだけで、本業との相乗効果で大儲けできるという直感がありました」とホステル経営者は語った。しかし、その後、彼の表情は一変した。

「店には隠しマイクと隠しカメラが設置されており、外国人要人や省庁の官僚が来たら必ず報告するように言われました。『最悪の場合赤字でも構わない』と中国人男性は言いました」

日本は6月10日から外国人団体旅行客の受け入れを始めたばかり。警視庁目黒署は22日、講演会を開き「スパイから接触があったと感じた企業職員相談やす環境を整えたい」と呼びかけた。

しかし、場合によっては、まったく見知らぬ人のアプローチから始まることもあります

2月北京冬季オリンピック開幕の約2か月前、上海公安警察員を名乗る『李』という男から携帯電話電話がかかってきました」と、アジアから商品仕入れ貿易会社に勤める男性は語った。「彼はチベットウイグル政治活動家リストを入手してほしいと頼んできました。どうやら日本当局CIAからそのようなリストを入手していたようです。もちろん断りましたが、彼は『心配するな、日本警察が金で売ってくれる』と言い続けました」

日本における中国諜報活動において、経験豊富諜報員が関与している例はほとんど見られません」と、日本政府筋はアサヒ芸能に語った。「中国日本先端技術特に医療通信分野をターゲットにしています。そのため、日本大学で学ぶ学生リスト作成し、彼らの求めるものに応じてアプローチしているのです。」

これらのリストには写真も保存されており、魅力的な女子学生は、新宿歌舞伎町四谷付近クラブアルバイトをするよう奨励され、そこでアナグマの罠にかける日本人のターゲットを仕向けられる。

国際ジャーナリスト山田敏弘氏は、「中国国民企業は、政府から指示があれば、スパイ活動に従事するのは事実上義務です。多くの場合家族年金の増額や帰国後のより良い仕事約束といった特典が提示されますしかし、拒否しても家族安全保証されません。いわば、家族人質に取られているのと同じなのです。『祖国のために』と促されると、結局、断れる人はほとんどいないのです」と解説する。

ロシアのGRUと北朝鮮工作員たちも日本脆弱性嘲笑している。

日本北朝鮮貯金箱になっている」と政府筋は述べ、パチンコ店焼肉店経営者が北朝鮮家族に送金している実態を指摘した。「北朝鮮軍の選抜メンバー簡単中国パスポートを入手し、日本に潜入できる。しかも、彼らは中国パスポート渡航しているため、簡単に拘束されることはない」

アサヒ芸能によると、日本のこれまでの諜報漏洩対策は、諜報活動監督を担う外務課長警察署長を通じた「アウトリーチ」だった。こうした取り組みは、2018年からアメリカFBIに設置された「チャイナイニシアチブ」を模倣したものとされている。

以下コメント

1グレン

中国他国の内政に干渉しないと主張してきたが、それは間違いだ。

セプティム王朝

現代における幕末2.0日本は多くの外国人居留地に分割され、外国人居留地として機能するだろう。日本未来支配するのは、三大外国人人口勢力だと私は明確に見ている。

中国人ベトナム人アメリカ人。

中国系とベトナム系住民は、農村部都市部をまたいでチャイナタウンやベトナムタウンを形成するだろう。アメリカ人は、米軍基地周辺の広大な土地家族を定住させようと争うだろう。

安倍晋三自民党エリートの方々に感謝します!

ウォレス

京都には中国北朝鮮スパイが多数いると考えられている。

セプティム王朝

セプティム王朝2022年7月27日午前11時53分

北朝鮮とつながりがあり、利害関係があり、日本与党の暗黙の同意承認を得て日本から金を巻き上げている韓国特定の略奪的カルトのように?

統一教会騒動は、日本超国家主義者たちが最初から騙されてきたことを如実に物語っています。このカルトは、日本人と韓国人を交配させて純潔を重んじるというメッセージを説き、日本自民党エリートたちはムーニーの足元にキスをしています

anond:20250729223954

2025-07-27

劉仲敬訪談084(2020年4月16日

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

要約:劉仲敬訪談084(2020年4月16日

テーマ:宋儒の道統構築学と日本公武合体内閣の失敗理由について

儒学の建構と王朝史観類似性

儒学歴代王朝歴史観と同様に後代に作られた構築物であり、宋代以降に「道統」という連続した正統性学説として体系化された。

それ以前の漢唐では、先秦の儒学古代のものであっても直結した連続性は強調されていなかった。

宋儒は禅宗開祖継承体系を模倣しつつ、儒学連続性を強調して組織を強化しようとした。

口伝文字記録の役割の違い

古代部族宗教集団では、厳格に記憶され唱えられる口伝による伝承神聖視されていた。

文字記録は信頼できず、かえって官僚士大夫利益のために歴史法律改竄や争いを生んだ。

英国普通法も元は口伝習慣法で、文字化は利益対立からまれものであり、自由は元来古いが専制は新しい体制である

宋儒の道統構築の社会的背景

宋儒は当時の宗教集団部族に対抗するため、自らの儒学伝統(道統)を構築し、書院や宗族という組織を作った。

これらの組織は基層共同体争奪し、社会的権威を強化するためのものだった。

それまでは書院は主に仏教のものであり、儒者官僚貴族の子弟で組織化されていなかった。

唐代多民族貴族支配差別意識

唐代鮮卑系の征服者貴族支配し、家族集団がほぼ国家のような性質を持っていた。

南方の「矮民」(主に東南アジア系)には強い種族差別があり、黒く猿のような外見が貶められ、奴隷や貢物として扱われた。

こうした差別は宋明以降も続き、歴史叙述や文学にも影響を与えた。

宗教の普及と政治統治の違い

宗教仏教キリスト教)は政治支配より安価で広範な影響力を持ち、技術医療と結びつけて広まった。

しか宗教知識人には理論的な影響力があったが、庶民権力者は実際の効果信仰判断した。

歴史解釈の批判

現代知識人歴史解釈は階級利益偏見を反映し、実際の歴史真実とは乖離している場合が多い。

例えば、漢唐の官僚による残虐行為伝統的な道徳観ではなく、征服者支配体制の一環として理解すべきである

https://vocus.cc/article/5eab010afd897800019ca9f6

著書の一部「滿洲國:從高句麗、遼金、清帝國到20世紀,一部歷史和民族發明」

1. 全体構成

本書は大きく5部構成(+序論・結論)で、古代から20世紀までの「滿洲(満洲)」地域をめぐる勢力と、その中で生まれた「満洲国」――20世紀民族国家発明――を一貫したストーリーとして描き出します。

序論:地理的文明的「窪地」としての滿洲

第一部:高句麗から契丹(遼)へ

第二部:女真人の台頭と金朝の形成

第三部:清帝国の全盛と多民族統合

四部近代中国内の滿洲再定義

第五部:滿洲國の成立とナショナル・アイデンティティ発明

結論:滿洲の「民族発明」とその歴史的意味

2. 主要テーマ

地政学的「窪地」論の継承

満洲は、東アジア大陸朝鮮半島遼東半島の接点に位置する「低地」=外来勢力侵入征服常態化した空間。そこを舞台にさまざまな遊牧騎馬民族王朝を興し、漢民族中心史観タブー破壊してきた。

征服王朝系譜連続

高句麗契丹(遼)→女真(金)→満洲(清)という、本書の最重要ラインをたどりながら、「遊牧文明」の政治構造漢文化の摂取活用戦略分析

文化的定義としての「滿洲國」

1932年日本擁立した傀儡政権「滿洲國」は、清帝国の「满洲支配」を近代国家として再パッケージしたもの人口構成に乏しい満洲人を「国家の主役」とすることで、ナショナル・アイデンティティを人工的に発明したプロジェクトとして読み解く。

民族発明」のメカニズム

教育宣伝儀式皇帝崇拝、民族衣装)・歴史教科書の改編などを通じ、他地域他民族排除し「満洲人」を想像上の共同体として形成するプロセスを詳細に追跡。

3. 各章の論点

部分 章の概要論点

序論 満洲地理的定義し、「窪地」としての脆弱性と、逆に「征服空間」としての魅力を提示

第一部(高句麗契丹高句麗辺境国家性を論じ、契丹(遼)による五代十国期の北方統一王朝成立過程を、モンゴル草原勢力との関係から分析

第二部(女真→金) 女真人が「女真語・契丹文」を駆使し、漢文化と遊牧文明ハイブリッド化して金朝建設する政治戦略を解剖。

第三部(清帝国満洲人(女真系)の支配エリートが、科挙儒教を吸収しつつ「満洲制度」で特権階級を維持。清の多民族統合メカニズム

四部近代の再定義日露戦争後、清帝国が「満洲」を失い始める中で、列強による分割的支配漢民族ナショナリズムの台頭を並列で検証

第五部(滿洲國) 満洲国の建国イデオロギー皇帝溥儀の再起用、五族協和)、憲法制定、教育制度国家祭儀など「民族発明」の実践面を詳細に描写

結論満洲」という地域イデオロギー民族カテゴリー東アジア秩序に果たした役割を総括し、「諸夏主義」の視座へ橋渡し。

4. 著作上の意義と位置づけ

漢民族中心史観へのアンチテーゼ

中国漢民族国家」という前提を覆し、満洲を起点に東アジア史を再構築することで、脱中華・多文明圏論の理論的骨格を補強。

ナショナル・アイデンティティ研究への貢献

満洲人」という少数民族主体いかにして国民国家主体と見なされたか、「民族発明」のプロセスを具体的に示し、人類学的・歴史学的に示唆を与える。

現代への示唆

内モンゴルチベットウイグルなど「非漢族地域」のナショナルムーブメントに対する理論バックボーン提供するほか、地域分権・多元連合可能性を歴史的事例を通じて描く。

《中國窪地》が「満洲国」建国プロジェクトを単なる「日本傀儡政権」として批判するだけでなく、そこに内在する「民族発明」の構造を解明し、東アジアナショナルヒストリー俯瞰する視座を与える重要著作です。

https://anond.hatelabo.jp/20250727140855

著書の一部「中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史」

劉仲敬(リウ・ジョンジン)の著書《中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史》は、漢族中心の「中国史観」を根底から問い直し、「中国」とは本来「窪地(デプレッション、Basin)」であり、その上に覇権を打ち立てたのは内陸アジア(內亞)の諸遊牧帝国だった――という挑戦的な視座から書かれた歴史解釈書です。

この書は、彼の「文明圏多元論」「諸夏主義」「脱中華思想の根幹をなす理論著作ひとつです。

概要

書名の意味

「中國窪地」とは、地政学的に見た「中国盆地中原」のことであり、東は山東半島と海、北は長城・蒙古高原、西は黄土高原、南は山岳地帯に囲まれた“低地”です。この地理的な「くぼみ(窪地)」が、周辺からやってくる外来征服者モンゴル女真満洲契丹など)にとって統治やす空間だったという発想です。

基本構図:

従来の中国史は「漢族が外敵から文明を守った」という中華中心史観だが、実際には:

内亞(中央アジア北アジアモンゴル高原)の勢力が主導し、

漢族は被支配者・被同化者の役割に留まり

中国王朝の多くは「征服王朝」だった。

構成(簡略):

地理文明相互作用:なぜ中原は「文明の中心」ではなかったのか。

周辺文明=内亞勢力連続性(匈奴鮮卑契丹→金→元→清)

征服王朝中華概念政治的利用

清帝国の版図と中国ナショナリズムねじ

中原文明の周辺従属性と「脱中華」の可能

詳細なポイント解説

1. 中国は「文明の中心」ではなく「窪地」である

黄河流域は人口密度が高く農耕は発展していたが、防衛的には極めて脆弱で、常に外部勢力侵入を受けやすかった。

文明の重心」は周辺(北西のオルドス草原モンゴル高原満洲チベット高原)にあったとする。

特に乾燥気候遊牧民は、動員・軍事組織力に優れ、常に中原の静態的農耕社会凌駕していた。

2. 征服王朝連続性:中國=内亞の代理政権

漢人王朝」はむしろ例外であり、主な統一王朝外来起源

鮮卑北魏

契丹(遼)

女真(金)

蒙古(元)

満洲(清)

これらの王朝は、内亞の軍事遊牧構造を基盤に「中國窪地」を包摂し、自らの征服構造正当化するために「中華文明」の装飾を用いただけ。

中華」は本質的に「支配の飾り」や「便利なツール」に過ぎず、征服王朝文化的正統性演出するための道具だった。

3. 清と中華ナショナリズムの逆説

清朝は史上最大の版図を築いたが、それは「大中華」ではなく、「大内帝国」として理解されるべき。

辛亥革命以後、漢民族ナショナリズム清朝多民族帝国遺産を奪い、「中華民国」という名前で引き継いだが、実態としては「満洲帝国の皮をかぶったナショナルステート」だった。

民国中共も「満清の版図」を正統と見なし、それを守ることが国家の使命であると信じたが、これは歴史的には極めて不自然

4. 「中国史」とは「中原支配された歴史

中原(=窪地)は一貫して政治軍事的に無力で、常に外来勢力軍事力に従属していた。

その歴史を「一体的な文明発展史」として語るのは、近代以降に発明された「ナショナルヒストリー国家史)」であり、虚構である

書籍学術的・思想的意義

項目 内容

目的中国漢族国家ではない」という主張の体系化

方法 地政学文明史的視点で再解釈

主張の強さ 「中国」という国家概念が内亞の帝国的秩序によって形作られたという、極めて挑発的な歴史

思想的貢献 「諸夏主義」「脱中華」「多文明的再編」論の土台を提供

国際的含意 チベットウイグル内モンゴル満洲雲南などの「非漢族地域」の分離独立文明的に正当化できるという論理的土台

まとめ:なぜこの書が重要か?

劉仲敬は《中國窪地》を通じて、「中国国家正統性幻想である」「中華文明の中心は常に“外”にあった」と論じ、現代中国ナショナリズムの基盤を根底から覆しています

この本は、以下の読者に特に重要です:

中国史地政学的に再解釈したい人

漢族中心史観を相対化したい人

東アジア多民族史に関心がある人

台湾香港ウイグルチベット問題の背景理解を深めたい人

「なぜ中国は一つの国であり続けるのか?」という問いを根底から問い直したい人

https://anond.hatelabo.jp/20250727140855

反体制派の中国人に劉仲敬(リュウ・チュウケイ)は熱狂される理由

劉仲敬(リュウ・チュウケイ)とは?

劉仲敬は中国出身歴史学者思想家作家であり、東アジア歴史民族問題政治思想に関する独自視点で知られています特に中国史の再解釈」や「民族国家のあり方」に関する論考で注目されており、中国体制批判や分裂論、地域主義的な思想を持つことで話題を集めています

基本情報

生年月日:1970年代まれ(詳細は非公開)

出身中国湖北省

専門:歴史学、政治思想民族学、文化人類学視点も持つ

活動拠点:主に海外日本アメリカなど)、インターネット上でも発言多数

言語中国語、英語日本語も堪能

主な思想・特徴

1. 中国の「統一神話」への批判

劉仲敬は、中国共産党や中華思想が唱える「中華民族=一体的な統一民族」という見方を強く批判しています。彼は、現代中国の「中華民族」という概念は後付けの政治的神話であり、実際には多民族国家である中国複数の異なる民族文化圏集合体だと考えています

2. 地域主義・分裂主義的な見解

中国の広大な領域複数地域に分け、それぞれが独立自治を持つべきだという考え方を支持しています歴史的には、元・明・清などの王朝も「多民族連合体」であり、単一民族国家ではなかったと強調します。

3. 「諸夏(しょか)」論

彼が提唱する「諸夏主義」とは、中国全体を「複数の夏(文明圏文化単位)」の集合体とみなし、これらが連合してきたという概念です。これにより、漢民族中心の大中主義を相対化しています

4. 国家観・民族観の独自

国家民族歴史的・文化的に流動的なものであり、固定的・普遍的ものではないと考えます。そのため、現在国境民族単位時代と共に変わっていくものだという視点を持っています

日本人にとって注目される点

日本歴史観との違い

日本歴史教育では、中国は連綿と続く一つの大国というイメージ一般的ですが、劉仲敬はそれを「作られた神話」とみなします。これは、日本歴史認識中国理解を見直すきっかけになるかもしれません。

琉球台湾東トルキスタン新疆)などの地域問題への言及

劉仲敬は、中国の中でも特に少数民族独自文化を持つ地域独立自治問題に関心が深いです。たとえば琉球沖縄)を「独自民族圏」としてとらえ、中華民族範囲に含める中国の主張を批判しています。これにより、日本安全保障地域情勢への示唆を与えています

中国現代政治批判

彼の思想中国共産党の一党支配体制に対する批判も含み、中国未来や分裂可能性についての議論を促しています中国理解の深化に役立つ視点です。

発信方法と影響力

YouTubeSNS書籍での発信

劉仲敬は動画ブログSNSを通じて思想を発信し、特に中国語圏や日本台湾香港知識層に影響を与えています

ネット界隈でのカリスマ存在

学問的には異端ともされますが、彼の自由な発想と大胆な主張は、若い世代ネットユーザーの間で支持を集めています

簡単なまとめ

ポイント 内容

出身・専門 中国出身歴史学者思想家

主張 中国多民族連合体単一民族国家ではない

諸夏主義 中国複数文明圏連合したものと考える

中国共産党批判 一党支配大中主義神話批判

日本との関わり 日本台湾香港での思想交流や影響力がある

地域問題への示唆 琉球台湾新疆などの民族問題に注目

2025-07-26

anond:20250726102100

ウイグル陥落とか意味不明なこと言ってんな

ウイグルクルド人と同じで国をまともに建てられたことがない民族から陥落もクソもないんだよな

チベットは国を建てたこともあるし中国王朝宗教的に支えたこともある地域からウイグルとは全然違うんだけどな

2025-07-23

今期アニメがつまらない

お勧め教えてください。ちなみにタヒピーは途中で吐きそうになって挫折した。

3年前位に見たオッドタクシー結構好き。10年以上前に見た十二国記結構好き。

あと薬屋の独り言主人公言葉遣いとか礼儀とか酷いなと思ったけど絵のクオリティが高く王朝ミステリ年代記みたいな下敷きもあって完走できた。

2025-07-08

anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

anond:20250708050680

 玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。女学校へ通う子供の時分から、いつとはなしに、私はその部屋を自分勉強部屋と決めて独占してしまったのである。私はその部屋で、誰にも邪魔されないで、自分の好きなものを、随分沢山書いた。書いて、書いて、ただ書いただけだった。何といっても、まるっきり子供のことではあり、それらをどうしようという気持は少しもなかった。投書というようなことも嫌いで一度もしたことはなかった。

 私は随分遊び好きな方だった。お友達を訪ねて行くなどということは、余りなかったけれども、決して温順おとなしい、陰気な子供ではなかった。したがって、じっと書斎に閉じ籠って、書いてばかりいたのだとは思えない。けれども、此の頃になって、その時分書いたものを見ると、いつの間にこんなに沢山書いたのだろうと、不思議な気がする位である。よく子供達が大ぜいで、きゃっきゃと騒いでいながら、途中にこっそり抜けだして、ちょっとの間に花の絵など描いてきて、また一緒になって遊んでいるのを見ることがある。たしか、ああいう、強いられることのない自由な感興が、子供らしいものを、絶えず書かしていたのに違いないと思う。そういう場合、あの自分だけの書斎は、私のために大変役立った。

 此の間引越しの時、古い原稿を取出して、読み返して見るのはかなり面白かった。

 その中に、「錦木」という題で、かなり長い未完のものがでてきたので、私はふっと、可愛らしい思い出を誘われた。それはこうである。私が源氏物語を読んだのは、与謝野さんの訳でではあったが、あの絢爛な王朝文学の、一種違った世界物語りや、優に艷めかしい插画などが、子供の頭に余程深く印象されたものらしい。そしてそれに動かされて書いたのがこの「錦木」だったのである。その「錦木」というのは奥州の方の話で、一人で美しい女むすめに思いを寄せた男は、必ず申込みの印に「錦木」という木の枝を、その女の門口にさしておくという風習があって、その枝が取入れられれば承知したことになり、若し女が承知しない時には、後からあとから、幾本かの錦木が立ち並んだままに捨てて置かれるという話を書いたもので、そのあたりの様子や、女の家の中の生活ことなど、非常に繊細な描写がしてあって、長々と書いてある具合からから、すっかり、源氏物語りに影響されて書いたことが判然している。

 これは、私が十五か六の時であったと思う。その外に、西洋史を習った時に、ローマ法王と、フランスの王との間に生じた政権上の争いから、ついにフランスの王が雪の中に三日三晩坐って、やっと法王から許されるといったような物語りを書いた戯曲などもでてきて、私を笑わせてしまった。

 十二三歳の時分、よく『文章世界』を読んだことを覚えている。その頃の『文章世界』には塚本享生、片岡鉄兵岡田三郎、塚原健次郎などという人達が始終投書していて、いつでも、特等というのか一等というのか、特に他の人達のより大きく別の欄へ掲載されるので、それで記憶に残っているような気がする。そんなに『文章世界』をよく読んでいたけれども、一人の人の見方や、考え方で、取捨の決まって行く投書というものが、私は嫌いで、遂に一度もしようと思ったことがなかった。

女子文壇』も私はちょいちょいみたような気がする。『女子文壇』は、母がとっていたのを、いつも私が読むのであった。その頃女流作家では、田村俊子水野仙子、素木しづ子、などという人達が盛んに書いていて、そのうちでも素木さんは、どっしりした大きなものを持った人ではなかったけれども、いかにも女らしい繊細な感情と、異常に鋭い神経との、独特の境地を持った作家であることを感じさせられた。何でも題は忘れたけれども、電燈の下で赤ちゃんに添乳していて、急に、この頭の上の電球が破裂して、子供怪我をさせはしないかと考え出して怯えることを書いた作品は好きで今でも覚えている作である。それで、私は、素木さんが亡くなった時、お葬式にはゆかなかったけれども、その代りに花を贈ったことがあった。

「貧しき人々の群」が書けた時、私は幾分子供らしい無邪気な得意さから、それを自分で両親に読んで聞かせたのであった。それから急に、親達が熱心になって、坪内先生のところへ連れて行ってくれたので、坪内先生にお目にかかったのは、その時が初めてであった。そして、あれが『中央公論』へ載ることになったのである。初めて自分の書いたもの活字になった時の嬉しさは、未だ子供でもあったし、一寸言葉に現せない程であった。それに、書いたものからお金が貰えることなどは少しも知らなかったので、今から思えば、ほんの一枚一円にも当らないような原稿料ではあったが、とにかく、生れて初めて自分にとったお金を持ったので、ひどく得意になって、家中人達に色々なものを買って上げたのであった。その時、父には大変上等な襟巻きを、母には手提げか何かで、後は兄弟達の一人一人から女中にまで振まって、おしまいに、自分の欲しいものを買おうと思った時には、お金がすっかり失くなっていたのだった。今でも時々、その時の子供らしい得意さを思い出すと、ひとりでにおかしくなる。

2025-06-29

来年からF1PUは新しくなるらしい

その新しいPUの開発競争においてメルセデスが一歩リードしている。

などという怪情報まことしやかに流通するのが現在海外F1ジャーナリスト界のダメさ加減がよく表している。

そもそも競争を一度もしたことがない状態で、メルセデスが一歩リードしているなどと判断するのはクレージーしか言いようがない。

その情報が独り歩きして、それが定説としてまかり通らせる記事を書くとなどと仮にもジャーナリズムを名乗るのであればありえない行為だ。

メルセデスリードしているというのなら、その根拠提示しなければならない。

そして更にミスリードしているのが、

メルセデスPUの開発競争リードしているがゆえに

しばらくの間はメルセデス支配立場を得る可能性がある

などと書き立てることだ。

これは現行のPUに切り替わった2014年から2020年までドライバータイトルを7連覇

コンストラクタータイトル2021年までの8連覇を成し遂げたことに由来している。

2014年からメルセデスPUは圧倒的に他者凌駕した性能を示し、

その性能差により盤石のメルセデス王朝を築くことなたことを引き合いに出している。

来年からPUの変更により、これが再び起こる可能性がある。

という

全くのミスリード記事として書いているものがある。

そんなことが起こり得るわけがない。

今の世代PUメルセデス支配立場を長く築いた理由

現行のPUが非常に複雑な仕組みであったこ

(これが重要だが)レギュレーションによりPUの改良がトークンシステムという

PUの改良を矢継ぎ早に行うことを出来なくしてしまっていたことによる。

どういうことか?

PUの開発というのは非常に資金がかかることである

しかし、FIAは開発競争で莫大な資金を湯水のようにメーカーが使うことに規制をかけようという立場を貫いていた。

ゆえにメーカーが開発できる範囲一定範囲内に留めるためにトークン制度を導入した。

ある部品を改良するなら、ある一定トークン使用する。

そして年間に与えられたトークンを使い切ったらもう部品は改良できない。

まりどれだけ問題がある部品を使っていたとしてもトークンを使い切ったらその駄目な仕組みを使い続けなければならない。

これがメルセデスに対して劣勢に立たされたメーカートライ・アンド・エラーを阻害して、

7年間にも及ぶメルセデスの圧倒的アドバンテージを維持させることに多大な影響を与えた。

ホンダなどは、このトークン制度によってどうすることも出来ない窮状に立たされてしまった。

それでも、そのルールを変更すること無く、メルセデス全盛を維持することにFIAは加担していたのだ。

しかし、今回のPUの変更はそれとは異なる。

まず、より仕組みを単純化したPUが導入される。

回生機構というとてつもなく複雑なことをやめて、

もっとシンプルシステムとなっている。

これはより多数のメーカーの参入を促すために決められたことであり、

実際その通りになりアウディキャデラックが参加することになった。

現行の複雑なPUのままであったらならこれはあり得なかったことだろう。

また同時に、開発に縛りが多いトークンシステムも導入されない。

コストキャップのような資金の投入量を規制することはするが

開発の自由度のものを妨げるようなことはしない。

それはつまり、劣勢に立たされたメーカーもより素早く性能をマッチアップさせることが出来るということだ。

以上のような理由により

つのメーカーアドバンテージを得たとしても

その状態が2年も3年も続くようなことはあり得ないことが容易に予想される。

にも関わらず、

なぜかメルセデスが優位に立つという風潮を作り出そうとする現在海外F1ジャーナリストを全く信用することは出来ない。

2025-06-23

セム一神教がなくなったら世界戦争の半分は減るんじゃないか

と思ったんだけど

中華王朝天帝信仰だし

日本太陽神&現人神信仰だった

統治に使いやす一神教は無くならないのかー

ほな戦争はなくならんなー

2025-06-19

anond:20250619165242

2代目きつかったろうな。

ケツ持ってくれるはずのソ連崩壊米国中国は融和しちゃうし。

3代目も壮絶だよな。

行くも地獄、戻るも地獄

ここで歩みを止めたら3代つないだ王朝崩壊

日和って亡命した実の兄を殺さねばならない修羅の道。

荒れた公立中で腕力も知力も親の七光もないチビ助がハッタリだけで生き残るサクセスストーリーっぽい感じがする。

anond:20250619071543

文脈的リガミリティアを下げてるんだけど

もともと親米傀儡王朝人間だったが褒めてることになるんだよw

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