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はてなキーワード: 風刺とは

2024-12-01

日本における韓国バイク「ヒョースン」の評価

2000年代初頭、日本国内排ガス規制厳格化された影響により多くの日本製250ccバイク生産中止に追い込まれた。

その状況を憂えたバイクショップ「レッドバロン」の偉い人はこう考える

「250ccは中型バイクの入門クラスとして非常に重要。このクラスが消えるのは業界全体にとって大きな痛手……そうや、お隣の国にちょうどいいバイクがあるやんけ!」

こうしてレッドバロン韓国メーカー・ヒョースンの「GT250R」および「GV250」を輸入し、販売を開始。

しか問題はすぐに明らとなる。

見た目は立派なフルカウルのGT250Rだが、性能は見掛け倒しで故障率が非常に高かった。

その結果「クソバイク」という評判が口コミで瞬く間に広ることに。

さらに追い打ちをかけるように、タイミング悪くカワサキが「ニンジャ250R」を発売。このモデルを皮切りに他の日本メーカーも250ccフルカウルバイク市場に参入し、ブームが到来。

これにより、わざわざ性能の劣るヒョースンを選ぶ必要がなくなってしまう。

しかし一部のバイク愛好家は、ヒョースンバイクに意外な価値見出し始める。

客:「このヒョースンのバイク、どうですか?」

店員:「お勧めします、お安くしますよ!」 → 信用できない店

店員:「正直、ゴミバイクっすね。試乗してみます?ww」 → 信用できる店

こうしてヒョースンのバイクは「店員の誠実さを測るリトマス試験紙」としての地位確立

最終的に、ある種の風刺的な評価に落ち着いたのでした。

2024-11-29

キラキラ女子とはなにか

キラキラ」という言葉は、もともと光り輝くものを表すポジティブ意味を持っていますが、文脈によっては微妙ニュアンスを帯び、特にキラキラ女子」や「キラキラ広報」といった表現では、以下のような複雑な含意が含まれることがあります


1. 憧れや羨望

表面的には「輝いている」「充実している」「華やか」といったポジティブな印象を表現しています

例えば、成功したキャリアやおしゃれなライフスタイルを持つ人々を指す際に使われる場合、羨望の念が込められることがあります


2. 表面的な評価への批判

一方で、華やかさや外見的な魅力を強調しすぎることで、「中身がない」「実態よりも見た目を重視している」という皮肉批判を含む場合があります

特にキラキラ広報」の場合PR活動において表面的な演出に注力し、実質的価値や成果が伴っていないという印象を与えることがあります


3. 過剰さや作り物感

まりにも「理想的」や「完璧」に見える様子が、不自然さや作られた感じを連想させ、「現実感がない」「過剰で鼻につく」という否定的感情を引き起こすこともあります


4. 嫉妬皮肉

華やかな存在に対する嫉妬コンプレックスから、「どうせ作り物のような輝きだろう」といった揶揄が含まれることもあります

特に世代や同じ社会的ステータスの中で「キラキラ」が語られる場合、このニュアンスが強まります


5. 時代文脈ジェンダーバイアス

キラキラ女子」という表現は、ジェンダーに基づく固定観念社会的役割への暗黙の価値観を含む場合があります。たとえば、女性らしさや華やかさを強調する一方で、それを過剰に期待・要求することへの風刺が込められることがあります


6. SNS文化との関連

特に現代SNS文化では、インスタ映えや外見重視のライフスタイルが「キラキラ」として評価される一方、そうした見せかけの幸福感を揶揄するニュアンスも生まれています


総合的なニュアンス

キラキラ」という言葉は、ポジティブネガティブの両面を持ちながら、文脈や使い手の意図によってその意味が大きく変わります特に現代では、表面的な華やかさやステレオタイプ批判する言葉として使われることが多く、そこに侮蔑ニュアンスが含まれることがあるといえます

2024-11-20

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

追記

皮肉が良くないと受け取られてしまったため、本記事趣旨追記します。

まとめると、「選挙民を馬鹿にし、自己批判は無く、現状を嘆き、陰謀論で締める」のは、インテリ層の振る舞いとして最悪なので即刻止めるべき、です。

シロクマ先生記事が、善意から皮肉と言う形で選挙民に気づきを促すという趣旨で書かれていたとしても、それは理路として齋藤知事パワハラと同じ構造を持つ、

"良い民意"を持つシロクマ先生が、"悪い民意"を持ってしまった相手を変えてあげようという意図をもって記事を書いたのであれば、その手法は、パワハラ正当化する構造と同じですよ、という指摘です。(そんな意図ではない、そういう文脈ではない、よく読めばわかるはずだという反論をされないために、具体的に個別例を挙げています

皮肉からは悪意を感じ取るのが通常の感性ですし、悪意を感じ取った相手嫌悪感を覚えることはあっても好意を持つことはありません。その結果、より立花氏に優位になる記事になっていますよ、という意味です。こういう記事表現の積み重ねが、立花氏の活動を補助しています

皮肉とは、「悪意ある民意との記載にそうだそうだと同調するキミら(私も含む)は、動画コメントした彼ら彼女らよりも選挙に至るプロセス理解していただろうか?」という、自己批判もしくは悪い感情を持っているぞと伝えたい相手(例えば齋藤兵庫県知事)にするべきです。

追記ここまで。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙 Permalink | 記事への反応(24) | 13:00

2024-11-15

anond:20241114141925

ゆびきさミルクティ

三角関係だった主人公が幼馴染少女の方を選び二人で旅行に行って初体験してラブラブハッピーからの衝撃の最終回

えっ?なんで?こいつ頭おかしいの??混乱が止まらないまま「おわり」の文字に迎えられ放心する

タカハシくん優柔不断

ラブコメ漫画風刺し毒づく作風は今読むと、その手の漫画への嫌悪憎悪がこもりすぎて痛々しいのだが

最悪の別れをした元恋人大人になってから再会し今の俺ならやり直せるかもと駆け寄るもとっくに他の男と結ばれていましたエンドを秒速5cmより先にやっていて、エモ系の範疇であるあっちよりも露悪的で最悪な気分にさせてくれた

なるたる

敵が地球のあちこち核兵器を打ち込んで人類ボロボロです

でも主人公はずっと抱えていた自己否定から解き放たれ、その元凶であった母とのわだかまりも解け、どこかよそよそしさのあった友人とも真の友達になり、密かに想いを寄せて続けていた好きな男の子告白することもできました

前話がこれで、これはギリハッピーエンドにいけるのではないか……そんな想像を全て打ち砕きみんなダメになる

とりかえ風花伝

商業連載が打ち切りになり、同人で続きを描いていたら評価されて単行本商業出版できたという異色の作品

織田信長祖父時代落ち目の国の姫君と、アルビノ故に親に捨てられ野山で育った野良侍が「君の名は。」する戦国ラブコメ

入れ替わりものの設定を生かした、ハッピーエンドかバッドエンドかわからないあの衝撃的なオチは入れ替わりもの好きにはもっと知られていい

日出処の天子

未来予知のできる主人公が、どうせ何をどう頑張っても俺の子供たちは途上で惨死して係累は途絶えると知りヤケクソになって地面を割り、

知的障害者幼女セックスして「そなたは私の子を産むかも知れぬな」とつぶやいて終わる

なんだよこれ

緋色椅子

夏目友人帳作者の前作にして、打ち切りで終わった作品で、そのトラウマから夏目はやたら連載が長引いているのだろう

辺境の村で共に育った少年少女少年が実は貴種漂流していた王の実子と判明し王都に招かれ即位

田舎の村にも若き王の善政は聞こえ、少女は誇りに思いながら王都へ行きパレードから新王を仰ぎ見るが、全くの別人が王をやっていて「誰だてめえ」と叫ぶところから始まる

かに急ぎ足ではあるが打ち切りとは言われなければわからないぐらいに上手くまとまっておりエモさの大爆発だった

2024-11-13

anond:20241113115008

大学なんてもともとリベラルな場だしね

なんなら知るかバカうどんを教材にする授業とかあってもおかしくないくら

まああの題材で筆者が女性(実体験側)だから過去インタビュー話題になったりした側面は強い

ただのオタク男性が同じ漫画を書いてても評価されなかっただろうね、まあクジラックスとかその筋で有名な人はいるけど

性的あるいは物理暴行を働いてくるクズ男・クズ女・それから知的障害者や汚い底辺オヤジをこれほどまで鮮烈に嫌な感じで描ける人間はいないと思うし

そういう人間に対する直球のヘイトを描く題材として非実在ロリを使った陵辱系エロ漫画を選んだのはまさに「芸術」らしい風刺とも言える

それと同時に自らの傷を抉りぬくクレイジー自傷行為の見せつけだとも感じる

どういう学問がこの作品のすごさを拾えるのかはちょっとわからんけど少なくとも価値はあるもんだよ

作家性に心酔したリベラル学生が「俺はバカうどん氏を知ってるんだぜ」と自慢するシナリオ普通にネット内外で多々発生しうると思うしな

この件の学生がどういう考えでこの書影を選んだのかは知らんが

2024-11-03

ひっっっっさしぶりにフォレストガンプ見たわ

アメリカ歴史を浅く辿りつつ米国眠る問題も軽く風刺しつつ

ジェニー性的虐待を受けていたのかどうかは分からないが

荒れた家庭に育ち毒親が原因で自己肯定感を育めず荒れた生活を送ったジェニー

境界知能という激烈なハンデを負わされながら真っ直ぐ生きて成功したガンプ

場所を求めて彷徨うもどこにも辿り着けずフォレストの元に還ってきたジェニー

求婚されフォレスト依存している自分自覚するジェニー

純粋に真っ直ぐに生きたガンプ、あてどなく彷徨い薄汚れた自分

劣等感を抱いた自分では純粋すぎる彼の真っ直ぐな愛情を受け止め続けられないと思い

甘えた自分と決別すべくガンプに告げることなく家を去ったジェニー

本当に達したい決意は人に告げないもんだよな、口に出してしまった時点で薄れるもの

そしてガンプとの子を孕み、どこに居てもいつも頭の片隅に居た男性との一度の行為で為された奇跡の子こそ神が与えてくれた道だと

真っ当な仕事をしながら子育てで最も大変な乳幼児期を誰に頼るでもなく一人で育てたことで自信をつけたジェニーフォレストを招き

今度はジェニーから求婚

家に靴を投げたのもグチャグチャな道筋を辿ることになった己の人生内省過程フォレスト家と自分のそれを比べ

毒親の異常性を再確認たからだろうなあ

クソ女としか思えなかったジェニーに同情しながら見れて

俺も少しは大人になったのかな~と思ったり

ユーモアに包まれた良い映画でしたわ

そういやフォレストガンプ2の小説も読んだのに内容すっかり忘れてるわ

カキ養殖会社を興してフォレストジュニアの指図でめちゃめちゃ成功するのは覚えてるんだけど子細が思い出せないや

ってもう3時半じゃん寝ないと

2024-10-30

anond:20241030163735

いやそういう風刺を作ること自体は実際していいんだよ

ただし「それに文句を言われない権利」なんてものはない

「お前がそう言うなら俺もしていいんだよな?」と宣いながら

蛮行に走るような連中

アレってどうにかなんないの?

例えば、○○という表現気持ち悪いと苦言を呈したら、表現の自由が大好きな人たちがボロクソに叩いてきたので

じゃあ表現の自由ということで俺は今からこんなアートを書くよ、文句言わないでね?とキレながら「自分を叩いてきた人間醜悪カリカチュアした風刺」を作るとか、そういうやつね

自分がされたんだから目には目歯には歯と言わんばかりに報復、それもより悪質かつ開き直りじみた報復をするようなの

あいうのどうにかならんのかマジで

2024-10-25

anond:20241025085757

「ChatGPTを送りつける」という煽りが定着してしまった現象は、オンライン上のコミュニケーションにおける興味深いトレンドとして注目を集めています。この現象は、人工知能AI)の進歩と、特にチャットボット技術の普及によってもたらされたと言えるでしょう。

ChatGPTは、OpenAIによって開発された言語モデルベースにしたチャットボットで、自然言語処理能力に優れており、人間との会話をシミュレートすることができます。その応答の質の高さと、幅広い話題への対応から、多くのユーザーに愛用されています

しかし、一部のユーザーがChatGPTを「バカ」とみなす相手への煽りとして利用し始めたことで、この現象が生まれました。この煽りは、おそらく次のような考えに基づいていると考えられます

この現象は、インターネット文化ユニークな一面を示していますAI技術進歩が、オンライン上のコミュニケーションユーモアの形に影響を与えているのです。しかし、このような煽りが過度に広がることは、建設的な議論相互尊重の妨げとなる可能性もあります

この現象をより健全な方向へ導くためには、以下のような取り組みが考えられます

この現象は、AI技術進歩オンライン文化相互作用の結果と言えます。このトレンドを前向きなものに導くためには、AI技術への理解を深め、オンライン上のコミュニケーションの質を高める取り組みが重要になるでしょう。

2024-10-18

オバタリアン とは

Wikipediaより

語源は、1986年公開のホラー映画バタリアン』であり、「おばさん」と「バタリアン」のかばん語である。「Battalion」は英語で「大隊」や「大群」を意味しており、オバサンの大群という意味合いもある。

庶民的羞恥心のない中年女性風刺したもので、特に世間に対し無神経に迷惑をかける姿を描いたものが多く、中には犯罪に等しいような悪質な行為もある。


参考:フェミニストとは

Wikipediaより

フェミニズム英語: feminism)とは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動総称である政治制度文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差性差別に影響されず、男女が平等権利行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である。男女同権主義に基づく、女権拡張主義女性尊重主義ともいう。
(中略)
フェミニズムの推進者や同調者は「フェミニスト」という。


言動を見ると、前者の方が名称として「それっぽい」よな

2024-10-15

anond:20241015234237

そんなに簡単かな。日本だと政治家程度ならどうとでもできるけど、皇室とか天皇とかを風刺して笑いを取るのは難しそう。

現代日本における「風刺」って、一番安い笑いだと思う

なんか世の中で風刺って高度な笑い扱いされてる感を感じてるんだけど、現代にはに置いてはむしろ一番安っぽいしょぼい笑いじゃね?と思うんですよ。

中国ロシアみたいな言論の自由が極度に制限されてる環境での「風刺」はとても強い、高度な笑いになると思う。

でも現代日本の風刺なんて、基本権力者反論してこないってわかるし、反論したとしても「器の小さいやつだ」なんて理屈で抑え込まれるの見えてるじゃん?

反論してこないのが分かりきってる相手揶揄して笑いを取るって、ほんとクソしょぼいっつーか安い笑いっつーか、こんなのを高度な笑い扱いしてるのがマジで違和感しかない。

実際やるとわかるけど、本当に簡単なんだよね風刺の笑いって。なんならダジャレで笑わせるほうがよっぽどエネルギー必要だよ。ダジャレらくだらない笑うに値しないレベルでも風刺だとウケる。本当にやっすい笑い。

世相を斬るみたいなのはしっかりとした言論でやるほうが難しいわけで、大多数がSNSで言ってるようなことを追いかけて笑いとして言うのなんて、おっぱい出して視聴数稼ぐような輩とほとんど変わらんレベルのショボさだと思うんだわ。

本当にくだらないことをしっかりと面白くしようとする人たちをこそ俺はリスペクトするな。

2024-10-12

anond:20241011223228

この文章創作だとした場合、いくつかの意図が考えられます

1. 意見正当化: 自身立場意見中立的であることを強調するための演出が行われている可能性があります自分一方的攻撃されている被害者であり、冷静かつ理性的判断していることを示したいという意図が感じられます

2. 対立構造描写: 家族内での対立を描くことで、思想立場の違いがどれほど人間関係に影響を与えるかを示しているように見えます特に政治的社会的問題に関する意見の違いが個人間の軋轢を引き起こすことを強調しているようです。

3. 読者の共感を引くため: 自身が冷静で客観的立場に立っていることを強調し、読者に共感や同情を引き出そうとしている可能性も考えられます対立相手である姉を感情的理不尽存在として描写することで、自分立場をより正当なものと見せようとしているかもしれません。

4. 相手非難するための風刺: 文中で「ツイフェミ」や「暇空茜」という表現を使い、特定思想立場に対する風刺批判を行っているように見えます。この場合創作目的相手側の立場貶めることにあるかもしれません。

こうした意図のいずれか、または複数が組み合わさってこの文章が書かれている可能性があります

2024-10-11

王様ランキングの作者は漫画家を目指すも何度も挫折し、40代になってから始めたweb連載でヒットして売れっ子になった

しか家族が早くに死んで天涯孤独なことやブラック企業経験、また生来のものもあるかもしれないが、非常にネガティブ愚痴が多かった

そんな彼はやがて炎上する

王様ランキング内での民族対立描写が「朝鮮人への風刺」とされたからだ


作中に登場する貧乏国は、豊かな魔法国に支援されて窮状を脱した

しかし、魔法国が神国戦争して負けると、貧乏国は神国の味方になり、「我々はずっと魔法国に搾取され虐げられていた」と言い出した

貧乏国は韓国で、魔法国は日本」そう主張する人が右にも左にも多く出た

作者は韓国叩きの格好の材料を与えてくれる存在として右翼神輿にされ、またネトウヨだと左翼から叩かれた

アニメの実況も「これ韓国じゃんwww」「かの国じゃんwww」と盛り上がっていた

作者は実在の国は関係なくフィクションだと何度も主張したが、「これ韓国www」も「作者はネトウヨ!」も止まらなかった

貧乏国の風景が昔の韓国風景と似てたり、実際に類似は多く感じたが真実わからん

作者の載せている部屋の写真が汚いことを理由精神病認定性的ニュアンスはないが子供が多く登場することで小児性愛認定もあった

病んで連載は2021年で止まり、作者はとうとう中傷者の一人である女性を訴えた


訴訟中でも他の人による中傷は止まらず、またネットに強い有名弁護士を雇ったが弁護士とも対立していくようになった

中傷書き込みをできるだけ見たくなかったのに、証拠集めや反論文書などに目を通さなければいけずますます病んでいく

一人だけが叩いているのではなく、集団悪口言って盛り上がっているので、書き込みを読みながら泣いていたという

相手女性は「いいねですら3件しかつかずRTは0なので作者の名誉は低下していない」と反論

だが、弁護士に依頼して証拠提出した段階では確かに3件だったが、開示請求して削除される寸前の時にはもっといいねが多かったしRTもあった

作者は「相手女性が嘘をついている」としていいね数の多いスクショを更に証拠として提出したがったが、

弁護士は「次回期日も迫っており、主張立証はすでにし尽くしているので更に証拠提出する必要はない」と返答

相手女性は泡沫アカウントなので、いいねRTが多少増えたところで影響がないと弁護士判断したようだが、作者は納得がいかない

メールで言い合いを続けた末に、弁護士は「信頼関係が損なわれた」として代理人から降りた

他の弁護士に変わり、出したがっていたいいねが多い証拠スクショも提出

結局最初弁護士から通算して2年かけたのに、200万円の請求に対しわずかな額の支払い命令しか出なかった

途中で相手女性は50万円での和解を求めてきたが、それで折れたほうがまだマシなぐらいに安かった

最初弁護士ダメなせいだったのではと作者は途中から女性よりも弁護士の方に怒り、

弁護士実名を挙げて「最悪の弁護士」「無能」と批判する漫画掲載

個人叩き漫画は危ういと判断され運営側に削除された

そんで今回の刑事告訴書類送検

2024-10-10

ヘッドライナーとかコメンテーターみたいな情報社会風刺ゲーム

今だったら、「SNSのリコメンドアルゴリズムの調整」辺りで作るのも良さそう

2024-10-05

プラットフォーム2」は100分かけて伝える風刺

タイトルままです。

この風刺伝えるだけに100分か。と言った感想

グロ多すぎ。

風刺+サイドストリーと言った感じでした。

ファイナルデッドコースターの方が面白い

解散

2024-09-30

アノンだったけど離れた人たち

片倉真二

避難所」という名前ネカマして暇アノンの姫をやって貢がれていた。NHK情報流出された人

正体が割れる前から画力が高く、colaboを風刺するイラストを大量に描き暇空にも気に入られ寵愛されていた

しかし、地雷を踏んだことで暇空に追放される

その地雷とは暇空の弁護士の「垣鍔晶」である

垣鍔は「カルピス」という名前で以前からフェミ叩きをして仁藤夢乃容姿下品にいじったりしていた

垣鍔=カルピスが判明してからアンチ暇空らは「垣鍔垣鍔垣鍔カルピス」などと名乗っていたが、片倉はそのネタをよくわかっていなかった

「垣鍔って奴がアンチ集団リーダーらしいな?」などと触れてしまい、暇空に放逐された

片倉は画業をほぼ引退して現在介護士をやっており、福祉業界の人であるため暇空のcolaboへの主張が色々おかしいことに気づいてはいたが、

画業から撤退してしまたことや、妻に逃げられたことなどの鬱屈を晴らすためにはアンフェ活動をやるのが一番だったらしく、おかしい点に目をつぶっていた

追放された上、「介護士とか尻拭き係の負け犬」「半年以上新作出せなかったらもう作家じゃない」と痛罵され、反転してカルピス軍団入りした

三家本礼

女性向けホラー雑誌で人気を集めた作家だったが、2019年最後単行本を出せておらず、その作品打ち切りによる不本意な終わり方で鬱屈を晴らすためアンフェ活動にのめり込んでいた

高頻度でフェミ叩きをして暇空をフォローしcolabo追求をしていたが、2023年3月漫画家篠房六郎の「いまだに暇空を支持していることが世間的にどう見られるかわかった方がいい」発言の後でフォロー解除

篠房は暇アノンに叩かれ炎上したが、この発言を期に暇空界隈に触れなくなったクリエイターは実際多く、三家本はその一人である

三家本は女性人気が高かっただけに、アンフェ活動からの暇アノン化にショックを受けたファンたちが「暇空はこれこれこうでヤバイよ」と説得してブロックされていた

それらの説得を三家本は中傷と受け取っており、「暇空なんか支持してないのに中傷された」と嘆いている

宇佐美典也

東大卒経産省官僚現在餃子オーナーとかeスポーツ関係とかやってる人

熱心な暇アノンでありcolabo編だけでなく堀口編もディープに追っていた

都知事選でも暇空を応援投票、本気で暇空都知事が生まれるつもりだったのに落選で急激に冷める

百合子や蓮舫と戦えるレベルに行けないどころか反ワク陰謀論者以下とかショボすぎる」と述べ、暇空と大喧嘩ブロックされる

行政訴訟ではワンチャンあるかもしれないと期待は寄せているようだが、暇空や暇アノンのことを「陰謀論を信じるバカ」と認定し触れなくなる

NON

都知事選で暇空支持を表明し、埼玉県民なので投票権はないが都内在住の知人友人に暇空に投票するよう呼びかけていた

colaboのことを名指しで血税を吸うバックに闇組織がいる悪の集団だと批難した

二児の母だが夫と不仲であり、「刺したいがこらえた」と書き込むなど鬱屈としていた心境が暇空信仰きっかけか

遠巻きに暇空を追っていたが、都知事になるほどの人であるなら信仰告白してもいいと考えたのか、暇空をフォロー開始

しかし暇空の書き込みダイレクトに1日300-500件ほど流れてくるようになるとキツくなったらしく、暇空をミュートにしたと発言

都知事選終了後、「応援してくれる人が嫌な気持ちになるならブロックした方が最適だな」と発言し暇空をブロックして離脱

2024-09-29

anond:20240929165932

戦闘系の能力にしたいのよね

批判とか風刺じゃなくてあくまでバトル漫画にしたい

2024-09-09

anond:20240909113405

風刺目的なら肖像権侵害して良いという法律はないぞ

風刺として成立することと、肖像権侵害して訴えられることは別個の事象

同時に成立する

2024-09-06

わさドラ

第1期:大山ドラえもんを意識して頑張っていた期

ドラえもんはダミ声をかなり意識した声づくりになっている。のび太少年意識しすぎているのか少しキーが高く聞きづらい。ジャイアンはやっぱりまだ棒。スネ夫としずかもちょっと頑張っている感。

作風原作寄りで、コミカルだったり全体的にあっさり。

第2期:ほのぼの系で甘ったるい

ドラえもんはダミ声はなくなったが、かなりの猫撫で声になった。いちいちねちっこい。のび太は聞きやすくなってきた。ジャイアンもマシになってきた。スネ夫としずかは無風。

水彩画作風風刺感がなく、迎合しているというか。温かみを狙っているのが透けて見える。声もねちっこいが話もねちっこい。

第3期:消費型

ドラえもんはやっと水田わさびの味が出てきた。自分自分でいいんだ感があって、やっと聞きやすくなった。のび太も落ち着いた。ジャイアンはたくましい。スネ夫としずかはも安定。

作風はとてもあっさりしている。ねちっこさはなく、のび太いじめられず、さくさく話が進む感じ。ただ、不快でもないが心に残らない。ストーリー無難に消費している感じ。

今今のドラえもんが好き。やっぱり水田わさびが無理していない。ポスターカラーというのも見やすい。願わくば、2話のうち、1話過去分使うのやめてほしい。

2024-09-05

主にアビドス三章とプロジェクトKVについて

色々と情報錯綜しているプロジェクトKV関連について、内情に関する不確定な情報に関しては正直何とも言えない。

ただ一連の話の中でクリエイターは良い物さえ作ってくれれば構わない、という意見を見ることがある。これに関しては問題の内容にもよると思うのだが、出された物で評価するのであればライターの方が最後に携わった対策委員会編三章に関しても作った物であるし、アニメテキスト差し替えがあったイベント等への影響等も同様に評価するべきではないか

 

まず、対策委員会編三章に関して

ストーリーの根幹部分は本当に良かったとは思う。クジラのように息を止めていた=本音吐露できないでいたホシノ(アニメ水族館回のシロコとの会話より)が先輩に弱音を吐いた上でこれからも進んでいく覚悟をしたし、シロコ*テラーやプラナは自分たちが元いた世界では守れなかった人たちを守ることができた。最終編の続編的なストーリーとしては本当によかったと思う。

 

ただ、気になる箇所がいくつかある。これが単に尺や締切の問題ならまあ仕方ないとは思う(明らかに話数が多く、可能な限り設定にケリをつけようとしたことは分かるので)。ただ退社と新プロジェクト立ち上げの一連の流れを見ていると、その描写に関して何か含みがあるような気がしてしまう。

 

私募ファンド、ネフティスの執事さん、プレジデント対立のくだり

この辺りに関しては敵対者コロコロ変わるし執事は心変わりしたかと思うと反省してフェードアウトするし、プレジデント大人のやり方というわりに子供の癇癪めいた方法で話を反故にする。

この辺りは直近のイベント等でちゃん説明すれば協力してくれるアクアパークのオーナー反省してサオリを気遣ってくれるようになるDJ等が出てきていたのもあって、アビドス関係だけこうなの?となってしまう(エデン条約編三章〜四章のトリニティモブトラブル担当にされていたので、モブNPC性格が悪いのはライターの手癖なのかもしれないが)し、エピローグにも居たこともありコレがアビドスの生徒にとっての今後の隣人かぁ…と思うとなんとも言えない。

アニメや最終編でノノミ描写から実家問題の掘り下げを期待していたので肩透かしを喰らったのが正直なところだ。シナリオ単体だとそのくらいなのだが、退社の件と合わせて考えるとプレジデントとのやり取りは退社のきっかけとなる社内でのトラブルが元になっているのではないか…?という疑念が湧いてしまう。もちろんそんな明言はされていないし、退社の経緯に関しては知る由もないのだが。

 

シロコ*テラーがみんなの武器を捨てるシーンに関して

スチルを見た時の第一印象は捨て方が雑すぎないか…?というところで、ホシノがユメと言葉を交わして前に進む=きちんとお別れをする、大切な人を弔うというのがこの章の話であるなら、尚更砂漠に打ち捨てるのではなく、綺麗に埋めるとか溶かして別の武器にするとか、やりようはあったと思う。

果たして乱雑に打ち捨てる必要性があったのか、古巣を離れることに対する表現だとすると切り捨てられた感があるし、お話のコアになるキャラクター大事なシーンに変な文脈が乗ってくるのは正直かなり嫌な気持ちになる。

 

地下生活者に関して

今回の章での先生結論は、本当にざっくりした纏め方をすると大人として自分が今やれることをやる、というものだった。それに敵対する存在が、子供のように癇癪を起こし、無敵の空間から一方的に何の責任も負わず干渉し、チートめいた現実干渉本来あり得ない現象を起こすというのは対比がバッチリと決まっていたと思う。

だがその上で、どこまでが地下生活者仕業で、どこまでがそれぞれのキャラクターの動きなのかがハッキリ説明されておらず、よく分からない。先述の私募ファンド執事プレジデントに関して、心変わりが早すぎるのもあり、この辺りは操作されていたんじゃないか?と予想することはできる。朝霧スオウの挙動も、プレジデントを裏切って以降はホシノの強さ(キヴォトス最高の神秘としての、ゲマトリア視点のホシノの解釈しか見ていない様子で、地下生活者台詞呼応して動いているので何かしら干渉されているのは間違いない。ホシノへの精神干渉がどの程度なのかは分からない。テラー化直前かもしれないし、三章の合間に頻繁にホシノの回想が挿入されるのはこの時点で干渉を受けていて夢と現実認識曖昧になっていたのかもしれない。

しかし実際どこからどこまでがキャラクター本人の挙動なのかは明言されない。自己顕示欲の塊ゆえに全部説明してくれたベアトリーチェや暗躍しているシーンをキッチリ映している申谷カイなど、方向性の違う黒幕でもどこからどこまでが黒幕仕業でどこが本人の問題なのかはわかりやすかったのだが、単純に説明不足だ。

先生の爆破というファンコミュニティではさんざんアロナバリア無効化されてきた手段意気揚々と繰り出してきたり(よりにもよってそこで一旦シナリオ更新ストップするし)、先生の指揮の人数制限問題に関しても制約解除決戦以前からストーリー戦闘内で操作不可の味方が援護してくれる演出なんかもあったわけで、先生が打倒するにあたってのカタルシスが異様に弱かったように思う。対比構造とかモチーフにこだわるあまり動かし方が稚拙ではないだろうか。

メタ的な攻めをするわりに解釈が雑ですぐ癇癪を起こす大人なのに子供みたいなキャラクター、というとファンコミュニティでたまに見かける過激ユーザー揶揄しているようにも思える。先生への攻撃に関してもファンコミュニティでたまに発生する死ネタ・負傷ネタ風刺であるがゆえこういう手段になったのかもしれない。二次創作へのお気持ちで作られたキャラ造形、と言ってしまうのはさすがに邪推が過ぎるだろうが、ゲマトリアというメタ的な属性を与えられている立ち位置を考えればプレイヤー元ネタになるのも自然な話だし、それ自体別に良いと思う。しかユーザーの層を考えると、ある種の「チー牛」的な属性キャラを繰り出すのは不用意すぎるし、最後に関わったシナリオでそのキャラを地下へと追い返して退社というのはちょっと危険メッセージ性が生まれてこないだろうか。

ただ問題キャラクター設定よりもむしろシナリオ上での動かし方で、地下生活者が三章においてもたらしたもの説明不足なゴチャついた展開と列車砲やセトなどの扱いに困って途中で流れでサクッと処理した設定ばかりで、ホシノやシロコ*テラーの苦悩と決断など、三章の良かった部分とは関りが薄い。シロコ*テラーとプラナとは元の世界悲劇に関して因縁があるわけだし、アビドスの問題を一段落させたうえでプレナパテスの関係者メインできちんと対決するお話を用意してあげてもよかったのではないか

表現したいことがあるならそれでいいと思う。けれど実際何がしたかたかそもそもどこまでやらかしてるのかが分かりにくいし、ユーザーへの不快感の表明だけが文脈としてハッキリしてしまうのだとしたら、ちょっとさすがにどうなんだという感じだ。

 

朝霧スオウに関して

よくわからないといえば朝霧スオウだ。エピローグでの出番を見る限り確実に何か彼女彼女で設定がある筈なのだが、ホシノの台詞の通り本当に何だったのかよくわからないまま終わってしまった。最初対立関係にあると言われてたノゾミとヒカリ対策委員会との交渉時には遠ざけようとしていたり、ノノミ誘拐時には思うところがありそうだったり、なんやかんやノゾミとヒカリが助けているあたりホシノへの執着だけのキャラではないのは確かだろう。

ただ結局地下生活者がどこからどこまで操っていたのかわからないので、対策委員会編三章の動向だけでは本当によく分からないとしか言いようがない。雷帝関連が今後掘り下げられることもあり、シェマタ建造ぐらいの時期の話に関わってくるのかもしれないが……。

ただまあ思い返せばエデン条約編三章でも先の話を知らないとアツコを傷つけられて激怒するサオリのシーンなどはどの口で言っているんだ、と捉えられても仕方のない描写だったりするし、先のシナリオで裏事情を明かすキャラに関して事前には特にフォローが無い描き方をしているだけなのかもしれない。

 

セトに関して

ホシノのテラー化のついでに副産物のような形で出てきて、ホシノが復帰した後は何故か地下生活者切り札のような扱いになって、なんか凄いらしいけどそのまま倒されたのでよくわからなかった。

セトに関しては戦闘フィールド名前元ネタから明らかにアビドスに関係するボスとしてデザインされているし、新規コンテンツとして無からまれボスではなく三章実装にあたってデザインされたボスだろう。

それが新規コンテンツボスとしてはあまり歓迎された仕様ではなく、シナリオ的にもホシノの復活ついでに処理されているのは単に要素が渋滞したせいなのか、それともわざとなのだろうか。どちらにしろ無茶振り的な実装で調整不足なボスだと思う。

 

ホシノとヒナの対決に関して

スチルもアニメーションも潤沢な頂上決戦……の割には直前でホシノがシロコに一度競り負けているし、決着としても列車破壊による無効試合なので、演出は凄いのに脚本上の盛り上がりからは妙にズラされている。

ホシノの話に終始すると暗くなってしまうので派手なバトルでバランスを取ろうとしたのかもしれないが、心情的にそれどころではないタイミングで熱いバトルをされても集中できないというのが正直なところだし、その本人を巻き込んでるとなると尚更だ。

ヒナに関してはホシノのテラー化直前の台詞回しに関して、事実に即した言葉淡々提示して諭そうとしている。これは単にシナリオ上の都合の台詞ではなく、水着衣装のボイス等から推定するとヒナというキャラクターが確かな事実を礎にして動いており、不確定なものが苦手であるがゆえ、こういう台詞回しになっているわけだ。

事実真実に関する話はクライマックスでも再度言及されるわけだが、今回の章を経てホシノが辿り着いたのが真実であり、ヒナ重要視しているのは事実である。おそらくはこの対比関係を前提にした上でホシノとヒナをぶつけたかったのだろうが、戦闘時のホシノは絶賛迷走中で、ヒナゲヘナ編のシナリオがまだ来ていないので、関係煮詰まってないけどスケジュール的に不可能なのでとりあえずノルマでバトらせたようなバトルだ。正直なところ現状の描写だけではアニメで謎に往年のライバルキャラみたいな扱いをされていたシロコとアルと大差無い関係性だと思う。

頑張っていることを認めてくれると嬉しい、人助けが生きがい、確固たるものが心の拠り所……という、今は先生が適切な距離感で接しているので安定しているものの、ヒナ精神性はもともとコミュニケーション不安を覚えやすい子のそれだ。そういう部分でヒナの人柄を見て仲良くしてるキラキラ部の二人やまあ……偏愛を向けてるアコちゃんあたりの、頑張りとかが関係ない人間関係大事になってくる気がするのだが、その辺りは来たるゲヘナ編に期待したい。

 

後輩の成長に関して

ホシノを止めるために雨雲号を持ち出したり生徒会長立候補したりと、アヤネの凄さを感じさせるシーンが幾つかあったわりに、普通にそのまま撃退されたりプレジデントには発言無効にされたり結局会長職は返上したりとなんというか不憫描写が多かったように思う。

セリカに関してはあまりにも派手でスケールの大きいシナリオと相性が悪かったように思う。アニオリの水族館回でのノノミへのフォローなど、日常パートだといい立ち回りができるだけにもう少しなんとかしてあげてほしい。

今回の章で後輩メンバーたちがしっかり成長してしまうと、ホシノの未練が無くなってしまうので後輩の力で助ける・問題解決するというストーリーにしにくかったのだろうという推測はできる。だが見せ場を作った上でそれに水を差す形で否定する、という見せ方をする必要はあったのだろうか?

 

ユメに関して

ホシノの物語登場人物としては特に文句は無いのだが、プレイヤー視点としては先生として世界観測するゲームで、生徒には無限可能性があると示したのと同じ口でどうすることもできないと言うのは果たしてどうなのか。

全てを許してくれる聖母のような立ち位置先生として庇護すべき生徒を配置した上で、先生には責任がないと許してもらう(しか先生と会話したユメは本編の状況を何も知らず、先生とホシノと三人でアビドスにいるパラレル存在だ)のは些かグロテスクな構図に思える。ヒナの件も後出し列車砲の件で招集した、という描写で「先生は地下生活者と違って自分の生徒同士を将棋の駒みたくぶつけるようなことはしませんよ」と説明してるわけだが、そこを説明するより地下生活者干渉範囲ネタばらしとかもっと描写するところがあったんじゃないかと思う。

どうも三章は生徒に対する先生よりも「シャーレの先生」という立ち位置世界の命運を左右する存在としての在り方に寄った描写が多く感じた。描きたいお話と相性が悪かったんだろうか。でもまあ確かに最終編でアリスが命を賭けるシーンとかもプレイヤーとしては分かった上で生徒を送り出してるわけだし、セカイ系先生概念が相性悪いという話なのかもしれない。

ユメの死因に関してはそんなに明確に言及する必要があるか? と思うのだが、動いてないのに暑いよのミームへのカウンターとして描写したという説がどうもあるらしい。眉唾な話ではあるが仮にそういう意図だとすると三章完結後の現在、露悪要素のない二次創作に対して面白がってユメの死因をネタにしたコメントを書き込んで不謹慎大喜利をする風潮がミームの代わりに蔓延っているのだが、果たしてこれが望んだ光景だったのだろうか。結局ネタバレや不謹慎な内容を避ける流れでホシノサクサク代替としてバズったりしていたし、ミームは変わらず蔓延り、残ったのは悪ノリキャラを愚弄して面白がる空気感だけ。

しかギャグパートシリアスパートで同じ台詞がぜんぜん違う文脈になる、というのはブルーアーカイブお家芸なので何かしらの目的でわざとやってるのはそうなのかなぁとは思う。

ミームの件も合わせて考えると自分シナリオ以外で動かされるのが嫌だったから完全に死人として扱ってるんじゃないかと思わないでもない。そういう都合でキャラクターの結末が歪められたとしたら、三章の根幹部分のお話の受け取り方も変わってくる。

 

対策委員会編二章とエデン条約編の焼き増しではないか

対策委員会編に関しては正直初期のストーリーということもあるし、ホシノをメインに据えた話をするにあたってストーリーラインが似通ってしまうのは仕方ないのかもしれない。そこはおそらく三章の問題ではなく一章二章の方が未来でやる話と被ってしまった、というのが正しいのだろう。

ただ、先生の負傷による一時的退場でその間に加速する情勢、精神的に不安定な強い生徒が暴れてるけどそれとは別に対処しなきゃいけない問題がある、という構図はエデン条約編三章と四章そのままの構造だ。対策委員会編だけならまあホシノの問題は二章では何も解決していないから…と言えるのだが、これに関しては単に話のレパートリーが少ないだけではないだろうか。

本筋以外の部分はスケールが大きいが列車砲+スオウやカイザー軍勢は裏で片付けられているのもあり、ワンパターンを外そうとして派手な設定を入れ、結局扱い切れずに諦めた感もある。頻繁に挿入されてるスチルもこの後負けて即落ちするんだよな…とかカッコつけてるけど後輩の静止振り切って突っ走ってるだけなんだよな…と、シナリオを合わせて見ると微妙感想になるものが多く、手間と内容が釣り合っていない。

 

最近イベント

細部が気になるのは退社とプロジェクトの件だけが原因ではない。直近のイベントストーリーでは出来ている部分が出来ていないからだ。

ーve Alive!ではアイリ意図勘違いしながらもがむしゃらに手を伸ばすメンバーの姿が見られたが、このイベントでのアイリがいなければスイーツ部が存続する意味がない、という言葉こそ対策委員会編三章でユメの意思を継ぎアビドスの為に自分犠牲にしようとしていたホシノに対して、目的否定より何より先に掛ける言葉であったのではないか

say-bing!ではコノカ副局長の立ち回りがブルーアーカイブの根幹となるコミュニケーションであったように思う。カンナにとって大事ものを本人の意図関係なく尊重し、しかアクアパークから帰ってきたカンナが楽しそうだった理由はよく分かっていない、というのは他人はどこまでいっても他人である、だけどそれでも、という古則への回答そのものだ。

seaside outsideでは、人殺し教育しか受けてこなかったような生徒に居場所はあるのかという問いに対してアリウススクワッドのメンバーがそれぞれのやり方で他人と関わる様が見られ、彼女たちにも居場所はあるのだということが示唆されていた。栗浜アケミとそれを慕うスケバンが出てきたのが象徴的で、道を外れた生徒でも受け入れてくれる人がいるというお話を立体的に表現していたように思う。

月下夢騒に関しては続きがある以上結論は出せないし、実質的卒業済みの生徒=大人であるカイの処遇に関しては大きな不安が残る。しかし、黒幕であるカイが何を仕組んでいるかは明白であり、カグヤの暴走もキサキ門主就任仕事が手順を無視してのカイの追放だという部分を加味すると山海経の生徒がキサキ Permalink | 記事への反応(1) | 19:52

2024-08-31

こういうことを書き留めておかないと、自分がいったいどうやって日常を過ごしていたのかを忘れてしまう。

多くの人はこういうことを話す相手がいるのだろう。

残念ながら私にはいない。

こうして未来自分自身に宛てて手紙を書くことしかできない。

他には何があった?

せっかくの休みだが、結局特別なことは何もなかった。

だらだらとニコニコ動画YouTube巡回した。

メーデーギムリグライダー回を眺めてたり、ポケモン剣盾対戦動画を見たり。

ポケモン剣盾は買ってないけれど、ダイマックスは対戦における偉大な発明だったと思う。

どのタイミングでどのポケモンダイマックスを切るかの駆け引き

どうやって相手ダイマックスをやり過ごすかの工夫、

そらをとぶ・あなをほる・とびはねるまもるといった技のシングルバトルにおける再評価

ダイマックス技を前提にした低命中威力の技構成

ダイマックス状態ではひるまない・一撃技が効かない、といった特性に基づく駆け引き

視覚的な盛り上がり、対戦の山場としての分かりやすさ。

そういった様々な良さをもたらしてくれた。

見ているだけで楽しい

ニコ動ではRTA例のアレ登山歴史解説最近ではメーデーを見たりしている。

いらすとやの素材でつくられた社会風刺的な動画も見ている。

今日は才能に関する話だった。

私の才能は何だろう。

しかすると、その才能は試す機会すらなく、本人すら気付かず、眠ったまま死ぬかもしれない。

今は新型コロナウイルス流行しており、不要不急の外出は控えるようにとの意識が浸透している。

渋谷京都といった人気の場所もすっかり人通りが少なくなったと聞く。

当初は数週間との見立ても、いまや一年単位の長期戦との見解だという。

ともすれば、人類はもう祭りごとを行うことができない、根本的な変革が迫られているのかもしれない、という見方もある。

私にとっては、むしろそうして貰った方がありがたい。

おかげさまで飲み会冠婚葬祭もやりづらくなった。

誕生日パーティーなんてのはまずムリだろう。

いちいち時間を取られないし 気をつかうこともないし、実に喜ばしいと思うわけだ。

かといって、そうやって生じた時間を何にあてがうのかと言えば、

先に書いたようなだらだらと動画を視聴する日々なのであるが。

そんなんでいいんだろうか。

なんだかんだで、後から思い返すのは人と飲みに行った記憶なのではないか

それがどれだけ億劫ものであったとしても、記憶に残るという意味においては、やるべきだったのではないか

だけど、やっぱり、自ら進んでやろうとは思わない。

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