はてなキーワード: ダンテとは
ようやっと果てしなきスカーレット見たけどギレルモ・デルトロのよさが再確認できた
デルトロのフランケンシュタインもフランケンシュタインの二次創作同人誌みたいな内容だったけど
原作を膨らませて一部は置き替えながらも作中での整合性に手を抜いてなかった
果てしなきスカーレットの最大の問題点はハムレットとダンテの神曲の二次創作をする際に
自分の盛り込んだ設定と元ネタの設定の整合性の手を抜いたことだと思う
いろんな擁護勢の文章読んだけどどいつもこいつも言ってることは
細田守はこういうことを描いているんですよというモチーフ読みだけど
桃太郎の途中で犬が銀貨30枚で桃太郎を鬼に売って涙を流す展開が入ってきたとして
いやぁこれはイスカリオテのユダの裏切りを表しているんですねぇって言われても
なんで犬が鬼に桃太郎を売る必要があるんだよそんな前振りなかっただろ!としか思えないし
話題になってたので観てきました。
・予習としてハムレットとダンテの神曲のあらすじを頭に入れて挑む。物語の下地にはなっているのだろうけど、個人的には知らなくても問題なかったな。
・ハムレットからの換骨奪胎ぶりが面白いとの評判だったが、個人的にはそもそも悲劇を描こうとしてないしハムレット派生作品として見るもんではないなと思った。単純明快な勧善懲悪の作品に思った。細田守らしい子供向けを意識する。ハムレットとしては、王様が意地悪に叔父に殺されて復讐心に燃えるハムレット、毒で殺すつもりが毒で死ぬ叔父、まぁ様々イベントは似たことが起きる。が、知ってても知らなくてもどうでもよく思う。レアティーズいないし。
・神曲への解像度は私は低い。世界文学的にものごっつい大事な作品で、地獄から煉獄、天国への長い旅を、様々な著名キャラと出会い別れながら進む神聖なる喜劇、的な理解。あんまり知らない。スカーレットでは舞台としては準えてるけど、下地として何か作用しているようには感じなかった。棺桶のシーンとかは関係してそうに思ったけど、それは神曲を知ってないといけないかと言われるとそうは思わなかった。それともそれは重要なシーンを無理解に進んでしまった私の不甲斐なさかもしれない。
・時をかける少女が宣伝に持ち出されたのは、まさに時をかけていたから、かな?安直だけど。
・一つ一つのシーンの絵作りは前評判通り、どれも美しく素晴らしい。
・特にスカーレットが可愛すぎる。表情ひとつひとつが愛おしい。
・シーン一つ一つが夢の中って感じ。私は村上春樹の世界の終わりとか、海辺のカフカとか好きなので、こういうの好きぃ…ってなった。
・現代に生きる私を写像した先のスカーレットが写像する世界ってのは、ナーロッパ的な中世であって、銃が存在し、僧がおり、アフリカとか南米とか、色んな文化が表層的に混じり合う。作中では、過去も未来も生も死も混じり合う世界とわかりやすく何度も表現される。細田守最高だぜ。こういうファンタジーへ大衆を入門させてくれてありがとうだぜ。私はこういうのが好きだ。
・服飾考証しっかりしてるとの事前情報通り、私はよく知らんけど多分しっかりしていたと思われて、その解像度のおかげで、地獄の狂い具合が鮮明で面白い。混じり合って混沌としている。
・産業革命以降の武力が作中に存在しないのは、それが我々にとっての現実の脅威だからだと思う。この作品はファンタジーなんだ。力強い線引きを感じた。
・渋谷ダンスシーン、きたきたぁ!!ってなった。幾原的な心象風景かと思ったら丁寧に前段から渋谷という箱の舞台を歪にチラ見せしたりしてて、思ったより浮いてはいなかったかな。いや画としてはバチクソ浮いてたけど。まぁ意図はかなり明快に伝わった……と思ってる。でも現代の子どもがこの渋谷や踊りを自分ごととして捉えられるかというと疑問よなぁ。現実を描写できない制約の中でのスカーレット心象の箱庭、非現実の作中での現実としての非現実としては面白い画だった。私→スカーレット→聖→スカーレット→渋谷。クール。
・宿の主人、てのが登場人物紹介にいたが、作画として特徴的だなと思ったが映画の中では短いシーンだった。でも重要な役割だったんかなぁ。
・スカーレットの成長を見守るおじさんの気分になった。私も歳をとったなぁ。
・聖、なぜお前は矢を放った……?抑止力はその装置を発動させてしまったら終わりだ。それはお前の思想と矛盾しないのか。観終えた後、ダンテでいうと七つの大罪のシーン中だと振り返ってみるが、結びつけるには苦悩する。いやこんなん結びつけなくてええかってなった。……いやでもまじで意味わからん。知りたい。
・雑魚雑魚悪役にレアティーズとかいう名前が付けられてるのも何か関係あるんか……?
・ハムレットにおけるクローディアスの懺悔は本物の神への懺悔。現代日本では神への信仰が薄く、物語でもあまりに薄情。
・最後のキスと涙が商業的すぎて泣けなくて泣いた。しかし世の中の大衆はそれが好きなのだろう。届ける先のニーズに応えようとする様はえらい。これを描くには時間が足りない。
・争いよりも友好を、憎しみよりも愛を。これはもっともっと丁寧に描いてほしい。もう1時間割いていい。3時間でいい。…でも忠実に2時間に収めて偉いなぁ。細田守はすごい大衆作家だ。
文学的な作品として観たら不評の嵐になるのはなんとなく感じるが、私は素養がないのでその辺はノータッチで。
芝居も映像はやっぱ最高のクオリティだ。映画館で観て良かった。地上波でも家でも観たくない。
価値観も好きだ。物語の壮大さも好きだ。でも、ラストだけはちょいと心残りだなぁ。
オマツリ男爵もだけど、細田さんはラストへの拘りや興味があまりない……?
作家をメタれば、前半の苦悩や憤怒の感情はきっと描きたいものであったとは思う。
でも作品として本来目指す描きたいものは、それなりに人間の根源的なもの、思春期の頃に精一杯みんなが考えて悩んでほしいことで、大人になっても向き合って向き合って考えていきたいことだとは思う。
その勧善懲悪は良いが、憎しみへの向き合い方としての成功例としてこのように描くにはご都合が良すぎるように思った。特に聖の矢とクローディアスへの天罰。
現実でいうと、例えば中共がオラオラしてるのを武力を持ってやめろやめろと脅すまではいいけど実際に刃を抜いたら戦争なっちまうやん、対話で友好を目指そうぜっていう作品にしたいのにさ、殺しちまったらそれは勝てば官軍ストーリーやん。現実では為政者が落雷で都合よく命を落とすわけないやん。殴ってきた相手を殴り返してはい終わりになるわけないやん。スカーレットが殺してなくても、殺す味方が代わりに殺してくれたありがとーは、私は、同罪だと思う。目を逸らすな。私はそれは嫌いだ。
利己的な活動と、利他的な活動のバランス。攻撃性と社会性のバランス。自己家畜化した我々が、より家畜化できる先を目指したいんだ。攻撃すんなと説くだけでは、攻撃的な人間が独裁的に得をするゲームバランスは崩れない。我々は山上を生まないですむ社会にしなければならない。そういう思想のもとで、細田守は何をどう伝えたかったのだろう?だから、聖が矢をもって暴力を振るったことへの解説をまじで教えてほしい。教えて!!
禁止ツッコミは「FGOそのものがつまらん」とは先に言わせてもらう。
今やってる「ファイナル・ハロウィン2025 ~パンプキンプラネットに輝く歌姫~」っていう実質第何回目かわからんFate EXTRA CCCコラボシナリオなわけなんだけど
その理由が「サーヴァント・ユニヴァース」って設定にあるのな。
FGO知らん人向けの説明は省くけど端的に言ってしまうと「Fateのキャラを使った解像度の低い雑なアメコミ風世界観」があって、今回のイベントはそこが舞台。
で、何がつまんねえかって言うと
エリザベート・バートリーっていう、TYPE-MOON設定では「生前に600人を美容目的で殺した」「夫との間に6人の子供を産んでいる」「拷問が趣味で自分のメイドに、そのメイドの娘の生皮を生きたまま剥がさせて殺す」「領民の若い女性を殺し尽くしてしまったので他領の貴族の女性までパーティで呼んで殺す」
という最悪な連続殺人鬼というバックボーン持ったキャラで、今まで散々彼女をイジってきたのは「冷静になると生前の罪悪感に苛まれるから今しか考えずに狂うしかない」ってのはいいんだ。
キャラとしてそれで成立している。
問題は、そのキャラが強くなる為に「サーヴァント・ユニヴァース」っていう何でもありな世界にお膳立てしてもらうしかなかったっていう事。
例えば近年だと「ツタンカーメン」なんかは「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」の弟のテオの策謀によって「肉体的ハンデを克服したツタンカーメン」という形で本来ありえない姿になるという形で強化された。
これはFateシリーズの「時代も国も神話も違う者同士が交差する」っていう作品が持つ魅力をちゃんと使っていてとても良い例。
キャラクターを強くするというのはこういう形を使ってやってほしい例。
それに対してユニヴァース系がつまんねーのは
月姫のキャラのシエルをスターシエルにするのとか、今回のパーフェクト・エリザベートもそうなんだけど。徹頭徹尾雑と言うか
Fateの面白さである「時代も国も違う英霊達が織りなす物語の帰結として起きた出来事」でもなんでもない事で「あのキャラクターがすごくなった姿」ってのを描写した事。
いや、今回はスペースアポロンの誘導だろ?って思うかもだけど、サーヴァント・ユニヴァース使った時点でもうなんでもありすぎて
「本来ならありえない状態」を実現させるって、脚本力さえあれば可能だと思うんだよ。
FGO以外の今やってるFate漫画作品ってどれもこれも面白いと思うんだよね。
「フェイト/エクストラ CCC FoxTail」「プリズマイリヤドライ」「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿」「Fate staynight(UBHとHFと衛宮ごはん)」「サムライレムナント」「蒼銀のフラグメンツ」「帝都聖杯奇譚 Fate/type Redline」
生きているマスターと、一度死んだ英霊であるサーヴァントが織りなす物語とドラマ。なんでもありじゃなく、その世界観が積み重ねたルールの範囲内でそれぞれのキャラクターが目的に向けて足掻くからこそ、様々な要因が絡まって織りなす戦いの果てに想定外の飛躍がある。面白い。
FGOは他作品に比べて全体的にすげえ雑な事が多くて萎える事が多い。
それなのに一番人気あるのがFGOってのが本当に解せない。
面白くなかっただろ?ファイナルハロウィン・・・。奏章4も。ヴァニッシュドビギニングも彼の名はダンテ~ホテル・デノヴォのコンシェルジュ~も小野小町古今抄 〜雪消月のキラキラ蓮華〜も
もちろん今年でも「ぐだぐだ新選組ジ・エンド」「落涙の翼」「育て!マイリトルドラゴン」は面白かった。ただ、打率めっちゃ低いよなって。
サーヴァント・ユニヴァースはその設定が出た途端につまんないの確定するからもう使わないでほしい。ほんと。
あと、ぐだぐだ新選組については同じ国・似たような時代の人間で固めすぎて同窓会にしすぎるのも考えものだなって思いました。面白かったけど。
こうして見るとエヴァ以前の作品は哲学性の平均レベルが現在のアニメとは比べ物にならないぐらい幼い事がよく分かる。
エヴァが出る前にもイデオンのように哲学的な問いかけを投げかける作品があるにはあったけど、あれらが結果的にブレイクしてあとに続くものが出ることもなかったということがよく分かる。
せいぜいアメコミのスーパーマンと同じ程度にしか葛藤しない熱血ヒーローモノばかりであり、等身大の主人公が巨大な現実に立ち向かっていくダンテやゲーテのようなスタイルの作品はオタク界にはほとんどなかったと言えよう。
そこにエヴァが風穴を開け、そのあとをウテナが続いたことで、業界の中に様々な鬱アニメ・哲学アニメが溢れ出したことで混沌の時代が巻き起こり、そこを抜けた先でアニメ界全体の哲学レベルが二回りほど大きくなったわけだ。
機動戦士ガンダムのブームがヒーローモノの勧善懲悪に疑問を投げかけたように、エヴァンゲリオンという実験的アニメが業界に広げた波紋の大きさの強さが分かる。
20年ぐらい前にイーガンの「順列都市」という小説が一部で超持ち上げられてて読んだのだが、
メインっぽいアイデアの部分(計算の分散をいくらでも拡散してけば無限に計算できるよね)が
「あれ? こんなん幼稚園か小学校の頃に脳内妄想するような話じゃね?」(少なくとも俺はそういうのやった)
ってなって全くピンとこなかったんだけど
まあ、あれはそういう与太話に乗っかって金持ちが全員カモられてめでたしめでたしって話なんだなと納得していた
だって、あんな穴が丸見えのアイデアで順列都市に移住するって、バカにも程があるじゃない?
まあ小説設定的には既にAI移住済みの人格だから現実世界に関与するあり方と順列都市住みの違いに大差を感じなかったってことなんだろうけど
(ただ、「イーガンすげー」って誉め方してる人はそういう受け取り方してるようには見えなかった)
で、時は過ぎ現代
AIが現実世界(というか株式市場)でもてはやされるようになり、
小説の与太の前提(金持ちが死後も自分の人格をAIに移行して、自分は死んでない人格は維持してると主張して金をガメ続ける)が
ところが、順列都市の都市の中で超もてはやされそうなNFTは総スカンくらうし、AIバブルは始まって一瞬で終わりだし、メタバースは始まる前から終わってるし、
まあそらそうだよなーと当たり前の結論になるんだけど
結局、順列都市って何が良かったんですかね
ダンテの煉獄っぽいところ? でもそのへん適当に付け足した感なくない?
わからんわー
たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべき。当たり前でしょ?
ふつうのとの違いはバージルがデフォで使えたり、ロード高速化だったり、敵ワラワラモード。
1秒で終わる
ps4版だとロードの不満がすんげー多かったけど、これだと全然気にならない
プレイ時間わかんないけど、たぶん15時間くらいかな 1周イージーでストーリークリアで
REエンジンのせいでグラフィック、バイオっぽさがかなりあった
右手の義手の武器もなんかやたらたくさんあるし使い分けもしづらいし消耗品だしでもーめっちゃ使いにくいっつか使う気になれない
移動も遅い
ミニマップもないくせに似たような景色つづく立体的なダンジョン進まさせられるからすげーストレス
ムービーだとすげースタイリッシュにいろいろやってるけどいざ自分で動かすとすげー地味でつまらない
謎解きっつかギミックが最小限だったのはよかった
つかもう謎解きなくていいレベルだった
ダンテはVほどじゃないけどネロほど無能でもなくていろいろできた
英語音声と日本語字幕でやろうとしてたけど字幕が少なすぎて伝わらんとこ多いから日本語音声にした
いやps4版買っちゃってたっけ?まあいいや
お姉チャンバラと同じ感じだなー
ストーリー短めでクリア後のコンボやら成長やらのやりこみ要素が多いパターン
ストーリーだけなら、まあ社会人がさくっと遊ぶにはちょうどいいかなって感じ
5作目なんだし5人プレイアブルいてもよかったんじゃないのーみたいな
結構な知識がないと満足に建てられない家って何なんだよって思ってしまう。
これに加えて土地探しもしてたけど、長くなるので割愛する(地盤シールドマップは役に立つよ!)
みんないい家建ててね。
いろんなYoutuberいるけど自分で家を建てたことないやつ、買ったことのないやつの動画は基本見なくてもいいと思う。
“ダクト内部を自力で掃除できないので、空気が汚い” 業務用エアコンのタイプの全館空調は空気清浄もするからダクトは汚れないし空気も綺麗。水道管直結で加湿できるタイプもある。メンテも楽。
いくらフィルタの掃除してもダクトは汚れちゃうんだよねー。カビなんて生えたらもうどうしようも無い(気づくことはできないけど)。あと加湿タイプってどうなんだろ、よく知らないけど結露が心配。
結構気になってコメントくれてる人がいるが、地鎮祭には大工の安全を祈願する目的もあるし、終わった後は営業と近隣住民に挨拶回りもある。地鎮祭がなくても営業が挨拶回りはしてくれるらしいが、施主が次に近隣住民に挨拶するのは引っ越した後だから、だいぶ間が空いてしまう。工事中に何かあったら最終的には自分も関わってくるので、一応早めに挨拶しておいた方が良いかなと思った。
ここだけ文章のテイストが変わっているけど、あまり深い意味はないです。ちなみに地鎮祭をやっている人は全体の半分ぐらいらしい。
あと自治会には入ってないです。
この手の人の、更に後悔ポイントを集めて建てたが、それでもなお家造りは難しい。まあ、何千万もかかるのだから当然の話で、面倒なら賃貸にしといた方がいい。中間層、角部屋以外、複層ガラスで十分な断熱環境だし。
結局のところ最適解は個人で大きく変わるので、めんどくさいのが嫌なら賃貸でもいいと思う。巷では「家は3回建てないと満足しない」と言われてるけど、ちゃんと勉強すれば1回で80点は取れると思います!
賢い買い物する為にはちゃんと知識つける必要があるって事なんだろうな。 “結構な知識がないと満足に建てられない家って何なんだよ”
その通りです。高い買い物だからこれくらい調べて当たり前と思いがちだけど、マンションとか建売はあっさり買っちゃう人が多いんだよね。多分だけどああいう人たちの優先度は、土地(立地)が一番高いんだろうなと思う。
一戸建ては趣味の世界なので、お気に入りの建築家に発注する注文住宅以外はアホだと思っている。まずは一流の建築家と知り合え。
庶民には無理だと思うなー、コスト的に。出会ったとしても一般住宅を建ててくれるかな?ヤマダホームズに一流建築士が建ててくれる商品があった気がする。
「今日の昼は1日中晴れていたが、日中はエアコンなしで行けた」住んでる地域、県によりそうだけどどこ住みなんだろ 差し支えなければ教えて欲しい
関東1都3県のどこかです。ちなみに夜中の12時に21度のリビングのエアコン消しても、朝9時に16度までしか下がってなくて(前の家はもっと下がっていたと思う)、そこから太陽の光でまた気温が上がっていく感じです。
家を建てる=性能のいい箱を作る方法ばかりになるのがはてなっぽい。もちろん大切だけどこういうの以外にも大切な要素はたくさんあって家づくりは楽しい。
やっぱりショールームは楽しいよ!家を建てたあともエコカラット選びでまたショールームに行きました!性能にこだわるのは普段からそういう仕事をしてるからかもと思ってました!
どうしてYoutuberのことをみんな信用してしまうのだろうか。年間数棟レベルの工務店がやってる住宅系Youtuberよりも、何万棟も建ててるメーカーの言うことを信用してあげればいいのに。
鉄骨メーカーの営業が気密の話を自分からする訳ないんですよ(木造に比べて構造上どうしても気密は劣ってしまうので)。
なのでメーカーのしがらみなく公平に評価してくれる人の方が信頼できるんですよ。
もちろん契約してからは正直ベースでガツガツ自分の知識をぶつけて行った方がいいとは思います。
ちなみに参考にあげたYoutuberもいわゆるYoutuberだけじゃなくて、一級建築士さんやハウスメーカーやめた元営業とかもいるので、出身母体を調べて満遍なく見ていくのがいいと思う!
これはブクマカもな。ドヤ顔でサッシばっか叩いてるけど殆ど何も知らん奴が大半やろ。 "自分で家を建てたことないやつ、買ったことのないやつの動画は基本見なくてもいい"
ホントそう思う。
いちいち引用はめんどくさいので箇条書きで。
どんな美術展にも共通して言えることですが、最近はウェブサイトなどで告知があるのですから「どんな作家のどんな作品が来るか」を事前にチェックすることを「強く」お薦めします
その上で「最低1点」は作家もしくは作品を知っていて「生で見たい」と思うかどうかが美術展に行く前にやっておくことです。
『ルーヴル美術館展 愛を描く』なら https://www.ntv.co.jp/love_louvre/ です。
と言っても「どうせリンクも踏まない」でしょうからウェブサイトから抜いてみます。
◎ジャン=オノレ・フラゴナール 《かんぬき》
◎アリ・シェフェール《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》
フラゴナールを「かろうじて」知っているかいないかの瀬戸際という人が多いと思います。
ヴァトーやジェラールの作品は絵を見れば見たことがあるかもしれません。
作家や作品を知らなくても「ウェブで閲覧出来る作品」を見て「生で見てみたいな」と思う作品があるなら行くのも良いでしょう。
私は行かないかな。
どんな美術展にも共通して言えることですが、最近はウェブサイトなどで告知があるのですから「どんな作家のどんな作品が来るか」を事前にチェックすることを「強く」お薦めします
その上で「最低1点」は作家もしくは作品を知っていて「生で見たい」と思うかどうかが美術展に行く前にやっておくことです。
『ルーヴル美術館展 愛を描く』なら https://www.ntv.co.jp/love_louvre/ です。
と言っても「どうせリンクも踏まない」でしょうからウェブサイトから抜いてみます。
◎ジャン=オノレ・フラゴナール 《かんぬき》
◎アリ・シェフェール《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》
フラゴナールを「かろうじて」知っているかいないかの瀬戸際という人が多いと思います。
ヴァトーやジェラールの作品は絵を見れば見たことがあるかもしれません。
作家や作品を知らなくても「ウェブで閲覧出来る作品」を見て「生で見てみたいな」と思う作品があるなら行くのも良いでしょう。
私は行かないかな。
『自由主義だから人を殺す自由も認めろよ』ということは当然にない。そこで重要なのは他者危害の概念だ。
殺人は生きる権利を奪うから罰せられ、窃盗は財産を奪うから罰せられる。今の犯罪はそのように考えられている。
そう考えた時、たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだとリベラルは主張しているの。
像や彫刻を飾るのも当然に表現の自由だ。ましてや私有地ならばなおさらだ。
たとえば人口の2%のみを占める『マイノリティA民族記念館』があり、その記念館の入口にA民族を代表する彫刻の『A民族の子孫繁栄を願う彫刻』があることについて、
「露出が多いわけでもないし性器や乳房が強調されているわけでもないが、子孫繁栄という時点で性的な要素を感じて不快になるから撤去せよ」とマジョリティの大半が言い出しても撤去されるべきではないのは明らかだ。
だが一方で、ネオナチの金持ちが町の至るところに土地を買い、その土地に誇示するようにヒトラーの銅像をあちこちに設置して、そのことへの不快感をユダヤ人たちが訴えても、市長や市議会議員もネオナチではないにせようっすらと反ユダヤ的な考えを持っていて「そうは言っても私有地に設置されている私有財産ではどうにも」とのらりくらりと躱し続けたら。それは事実上の「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであり、不当である。条例で撤去させない町は差別主義の町である。
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」というメッセージになる。撤去させない方が不当である。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になるから差別そのものになる。