はてなキーワード: 代理戦争とは
ほなきにせんだらええやんけ そういうのなんていうか知ってる?「代理戦争」
SNSで祝う人の投稿を見ると、共通項として異常なほどのマスコミ嫌いが見て取れた
今回の知事選はマスコミvsアンチマスコミの代理戦争のような様相を呈していたようだ
俺もマスコミは別に好きではないし、どちらかというなら嫌い寄りではある
選挙前になぜか選挙報道せず大谷ばっかだとか、不満に思ったりはある
まるで親を殺されたような憎み方だ
腐す言葉には、偏向報道、マスゴミ、嘘、デマという単語が高確率で並ぶ
なんとなく内心で「好きではない」と思うことと、言葉にして「大嫌いだ!」ということには大きな隔たりがある
ネガティブ方面への感情の高め具合、ブレーキのなさが異様に俺には映る
マスゴミという言葉を好んで連呼する層は以前からいたが、同じ層なのだろうか
なにが彼らを駆り立てているのだろうか
バイデン-ハリスを罰する必要があった。トランプ再選でそれは叶ったが、今後どうなる?トランプの前の4年、大規模な戦争は起こらなかった。何をするか分からん狂人がホワイトハウスにいるから下手に動かないほうがいい、と各国が警戒してたのかもしれない。手の内を見せた後の4年、どうなるだろうか。本人がド外道で性犯罪者で自己愛の塊、極めつけの老害であったとしても、政治のコマとしてキッチリハマってくれたら良いんだ。聖人が大統領になれば世界が理想郷になるわけでもないのだから。アメリカ人の半分くらいは「世界から尊敬されるアメリカ」が堕ちたものだと嘆くだろうが、思い上がるな。世界の国々は帝国主義の殺人国家に面従腹背してるだけで、尊敬などしていない。はじめから愛想笑いされていたことにいい加減気づけ。
ウクライナの代理戦争が終わり、アメリカ製の武器弾薬で殺される命が世界中から1つでも減るならば、性犯罪者に拍手の1つでもくれてやるよ。
女が辛い辛い言ってるのってどれも減点回避のための辛さでしょ?
生理が辛いので薬で誤魔化す
そういった自縄自縛の地獄絵図を自分たちで作っておいて奴隷の鎖自慢に毒されているから辞めようともしない。
マナー講師に仕組まれた代理戦争みたいなことを延々と繰り返してるだけのしょーもない辛さ。
そのしょーもなさこそが辛いっていう。
対して男の辛さはひたすらに加点法
結果を出せないなら存在価値なし
男の世界ってのはひたすらにマッチョイズムでどこまでハイスコアを叩き出せるかというゲームが延々に続く。
人間をゲームの駒みたいに性能だけで測って弱い奴には一切の容赦をしない。
たまに見せる優しさも結局は強さアピールというひたすら強さ力パワーの世界。
男の世界ってどこまで美化しても結局は強い奴=正義の価値観なんだよね。
正義は必ず勝つ!=勝ったから俺達が正義 のちびっ子向けヒーローの価値観で一生生きてる。
永遠の万人闘争状態を生きるブリリアントジャーク溢れるパワー主義のサイコパス地獄。
身近なボスが作ったクソ見てーなお気持ちルールを利益度外視で守ることが最重要。
そしてそんな猿山ワールドが多重構造になり無限のウォーターフォールと井戸端が形成される無間地獄。
今回の選挙は、「貧乏になりたいかどうか」だけが争点だったのだから、実はかなり簡単であった。
なぜ日本が、裏金や不正が多くて政治が失敗してて税金が高くて賃金が安いのか、その理由やメカニズムが何一つ分かってないような人物だな。
ますます貧しい方向を望んで投票していて、肉屋を支持する豚がこんなにいることに驚き。
貧乏になりたい奴がこんなに多くて、過労激務かつ貧乏になることに賛成する奴がこんなに多いなんて、尊敬するわ。
普通は金持ちになりたいから、なかなかできることじゃない。激務で貧乏で安くてサービスのクオリティは高い、このまま世界の激安ダイソーでいてほしい。
以下解説。
現状都政に強い不満があるというわけではない
裏金不正癒着は普通の国なら一発で首が飛ぶんだが、コイツらは税金をネコババされることを問題だとは思わないらしい。
自分たちの給与の半分を、舐めたオッサンに貢ぎたい特殊性癖があるんかな。自分の首を絞めてでも上級国民に貢ぎたい奴隷の鑑みたいな奴だな。普通の人類にはなかなかできない、素晴らしい心意気だと思う。奴隷としてのレベルが高い。
泥棒に寛容な国は泥棒がどんどん富を得て肥え太り、泥棒が泥棒を読んで泥棒がどんどん増えるよ。最高の泥棒都市完成wwwww
小池百合子の3選は良くないと思った
正しいね。小池都政を落とす、が目的ならその考え方で合ってる。
有権者なのに?舐めすぎてて草
こんなにバカな有権者しかいないなんて、犯罪天国、犯罪者ワンダーランドなんだよな。
世界中から、楽して奴隷から甘い養分を吸ってダラダラ生きてたい人間が集まってくるよ。
生ゴミを部屋中に散らかしてたらゴキブリが沢山集まってくるでしょ。それと同じ
小池都政で行われてきた癒着や裏金の証拠全開示が今回の蓮舫氏の1番の争点ですね。答弁拒否は要するに裏金について答えないということですね。
「ガラス張りの都政」が蓮舫氏が自分の作る東京都をひとことで述べた時の言葉です。
小池氏に、自民党、統一教会や政治資金パーティとの強い癒着が疑われていたために、
「都政を不正から切り離せ」が蓮舫氏が掲げたマニフェストです。
癒着してるのは都なので都政でしょ
コレを言い出したの、誰ですかね?誰が書いてその著者の他の著作ちゃんと見ました?
誰が言ってるのか、それは本当なのか、ちゃんと確認した方いいですよ。
バカ層B層向けのプロパガンダに簡単に引っかかるバカな有権者しかいないなんて、すごい犯罪天国ですね。バカすぎて騙すのに何の苦労もいらない
情報を見て鵜呑みにする前にGoogleマップで見たら?なんで二次情報をすぐ鵜呑みにするんだ?
私有地を国や地方自治体のために利用する手続きの存在知らないんですかね
あれ全部私有地ですよ
このレベルのデマは、普通の知能の人間なら流せないからメディアのプロパガンダですらなさそう
逆にどこで見たんだよ
政党政治は民主主義の意思決定が個人政治よりやりやすかったから自然とそうなったようですが、
意思決定が困難になる点を解決してなくないですか?一掃した後どうするの?具体的に何をしたいのか全くわからない。
これをどうして支持できたのか。
実績や実際のインタビューや答弁、内容・中身で評価すべきでしたね。
蓮舫氏は明らかに既得権益を批判し、既得権益の隠れ蓑となりうる部分を行政改革で透明化させることをマニフェストにしてましたが、理解できてました?
何を見てるんですかね?
お前はお灸据えるような立場にねえよ
自民立憲は国民が選挙で選んだ代表者なんだから国民の意思でしょう。すべて国民の責任に他ならない。自分にお灸を据えるんですかね。
石丸氏の話をきちんと聞いていれば、今の私の意見と全く同じことを述べているんだが、支持している石丸氏の話すら聞いてないのかね。
自民立憲にお灸を据えるってなんだよ。
これはそうでしょうね。
今回は、YouTubeやTikTokに税金を注ぎ込みまくって、B層(IQが低い層)向けのバカ用プロパガンダ(内容は特にないけど適当に対立構造に見せかけて既得権益を潰すふり)をやれば、若者は簡単に騙されて、簡単に利権を守れる
選挙を終えて
最初からそうでしょ。広島市安芸区の市長なんだから元からメディアに出てますよ
何を見てるんだ
元から少しでも外れた質問をしてくる人間にはあんな感じの対応ですよ
人格がキツい人が上司になったら公務員が働きにくくなるんですから、そりゃそうでしょうね
パワハラ気質の人や攻撃的な言い方の人が上司になっても、お前は二度と文句や悪口を言うなよ。
お前にはその資格がない
こういう若者の意図を汲んでたらYouTubeとTIKTOKとTwitterに税金じゃんじゃんぶちこんでB層に向けてバカプロパガンダを流しましょう以外の結論が出てこねえからだろ
口が悪い私と違ってオブラートに包んで手心を加えてくれたんだよ。よかったな。
これに感動できるのは日本ではパリやその他民主主義を大切にしている国でデモに触れてきた人だけでしょうね
他国の文化・政治に精通してる層は、ほぼ知的階層に限定されると思われる
いい事言うじゃん
結果、自民にも立憲にもお灸を据えることはできなかった
お灸を据えるなら蓮舫でしたね。共産党は企業献金を受け取らない癒着のない政党だし、蓮舫もフリーになったことで潔白をアピールしていました。かなり頭が悪いかも。
癒着や裏金などの明らかな不正という批判材料があるのに批判しない政治って、歪んでて笑っちゃいますけどね。
あと彼の提案にはテクノロジーのことばかりで、政治の基本的役割である弱者救済や福祉の面を欠いてる点はどうでもいいんですかね
20代男
自分は都民じゃないから都知事選とかそんな気にも止めてなかったけど、今回は面白そうだから色々と確認してる。
確認してると言っても一般庶民が真実に辿り着くことなんて出来ないし、蓮舫、石丸が外国の代理戦争してるみたいな陰謀論めいたツイートばかり出てくる。
そっち方面はなんとも言えないからスルーするけど、ひまそらの献金を一切受け取らないって公約に関してもし実現したら何が起こるのか、これに関して個人的な憶測をツラツラと述べていこうと思う。
まず賄賂と献金の違いを調べてみたけど、簡単に書くと、金で直接優遇してもらうのが賄賂で、金で自分たちに有利な制度を作ってもらうのが献金って定義らしい。自分もどこかの記事をチラッと読んだだけだから間違ってたらコメントとかで訂正してもらえると助かる。
ここでは自分の認識が合ってるていで進めるけど、もしそうだとしたら金で相手にとって不利な制度を作ることも出来るってことだよなって自分は感じた。
献金を受け取らないってことは、金持ちが札束でルール改変を行うことを出来なくするってことで、つまりキャッシュの少ない個人事業主やフリーランスが権力者のルール改変によるいじめを受けにくくすることに繋がるんじゃないかな。あと都内で生活するのが大変な一般庶民がより生きづらくなるのを防ぐとか。
インボイス制度は国策だけど、個人事業主やフリーランスはめちゃくちゃ反対してたよね。あれだって献金でそういう制度を作れって動きの可能性はゼロでは無い。インボイスは全然話を追ってなかったから間違ってたらすまん。
ひまそらあかねが公約を守れば、東京単位ではあるけどそういうルール改変による弱者いじめが少なくなるんじゃ無いかなって個人的には思う。
まぁ東京単位だから自分には全く関係ないし、もし別の人が当選して東京に住んでる人たちの生活が余計に苦しくなっても自分には全く関係ない。いや、東京が貧すれば地方にも余波は来るから関係あるっちゃあるか。
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質は正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
こんど転職するのだが、見切り発車で仕事をやめた結果、次の仕事が始まるまで1か月ほど暇な時間ができてしまった。
2週間ほど休んだらもう休むのが嫌になってしまったので、せっかくなのでタイミーとやらを試してみようと思いついたときの話。
意外にも未経験だとできる仕事は少なく、やっと見つけたのは某化粧品とか日用品、掃除用品を作っている会社の流通倉庫でのピッキング作業。
朝から夕方までガッツリ働いても9000円いかないのには驚いたが、バイトなんて学生の頃以来なのでちょっと楽しみだ。
働いてみると、想像していたよりもずっとホワイト、というか巨大なシステムの一部として期待されていること以上のことは一切期待されていない、という労働環境なのでなかなか気楽で楽しかった。
休憩を抜くと7時間ほどハンドフォークを引っ張りながら歩きっぱなしだったが、毎日リングフィットをしているおかげかさほどダメージはなかった。
そのダイナミズムを維持するために設けられたシステムとしての「優しさ(バッファ)」にあふれている。
巨大な流通網を維持するためには私のような間抜けでもその日のうちに戦力になれる必要がある。そのためのあらゆる仕組みが、工夫が施されている。
合理性を体現した空間で、理論値に肉薄すべく黙々と動き回る人間たちは、まるで善のイデアに迫るため肉体という牢獄を鍛え抜いた古代ギリシャ人のように美しい。
支給されたハンディスキャナに表示されるがままに棚から棚へ飛び回るうちに不思議な陶酔感に包まれる。
それはすべての判断をこの偉大なハンディスキャナに委ね、自分は預言者となり「正しい」世界の秩序を生み出してゆく、という妄想によってもたらされる境地だ。
いま世界には棚と、格納された物体と棚の間を神の使いとして飛び回る私しかいない!なんて美しい秩序!すべてのマジックリン ピカッと輝くシート[8枚入り]に祝福を!!
そうこうしているうちに夕方になり、日勤の社員たちが帰っていった。
私はあと1時間残って作業する必要があり、私とあともう一人いる今日が初めてのタイミーさんの面倒は夜勤のパートの人が見ることになるらしい。
夜勤パートを束ねている年嵩の女性は私たちの引くハンドフォークに近寄ると、にっこり笑ってこう言った。
「無茶苦茶な積み方をしているね。夜勤だったら怒ってた。夜勤は甘くないよ」
言っておくが、今日が初めての我々にはついさっきまで社員がほぼ付きっ切りで積み方を教えていたのだ。それを滅茶苦茶とはどういうことか。
彼女は私のパレットに乗っている商品を猛然と整理し始めた。私の頭の中で像を結びつつあった最適化された作業手順が音を立てて崩れる。
彼女が新しく創造した合理性は、なるほどよく見ると次の工程の人が作業しやすいことに重点を置いたスタイルだということが分かってきた。
昼間のうちに教わったのは最も効率的にパレットを埋めることに主眼が置かれていた。おそらくこれは社員とパートという立場の違いによって生じる差であろう。
まさか30過ぎて坊ちゃんと呼ばれるとは。しかしこの迫力には何も言えない。
もう一人のタイミーさんのほうを見て
「そこのあんたも滅茶苦茶な積み方をしてるね。これは教えた人が悪いんだね」
やれやれ、といった様子で笑う彼女は、まるで間違った教えを信仰する異教徒を憐れんでいるようだった。
なるほど。つまりこれは少数の社員と実行部隊のパートが大勢いる職場でよくある権力闘争なのだ。
マニュアル化しにくい作業の手順や優先順位を「旗」にした陣取り合戦が行われているのではないだろうか。
そういえば、昼間の内も社員とパートでラベルを貼る位置など、教える内容に細々とした違いがあった。
おそらく、マニュアルで決まっていない部分なのだろう。そして彼らは「そのルールは決まっていない」のではなく「自分のやり方が正しい」と言っていた。
とはいえ、どちらの陣営も飯のタネなので大っぴらには相手を批判したりしない。
その代わり、行われるのはタイミーなどで仕事に参加してきたひよっこたちを戦場にした代理戦争だ。
もしまたここで働くならば、昼と夜とで積み方を変える必要が出てくる。
気が付けば、私がいるのは神殿ではなくなり、ただの灰色の物流倉庫だった。
働いているうちは元気だと思っていたが、やはり体はクタクタに疲れている。
だから無限♾️に同じ投稿してるんだと思うけど、何がそんなに難しいんだ?
日本は法律と契約に基づいてお仕事をするって事実、何が増田の理解を妨げているの?
該当の脚本家は指揮権のあるプロデューサーに困惑や苦い気持ちをSNSで伝えたわけでもなく、ドラマの制作のあり方を批判したわけでもなく、
何故か2次創作者の立場でありながら同業者と原作者をSNSで批判したこと、日テレもプロデューサーも出演者もそれを放置したって事実、何が増田の理解を妨げているの?
遺書も公開されていませんし、たとえ遺書にある内容が公開されても、それが事実かどうかわかるのも、亡くなった本人だけですよって事実、何が増田の理解を妨げているの?
該当の脚本家は物理でも物理以外の面でも殺人を犯したわけではない、もちろんそれ以外の人も殺人犯ではないって事実、何が増田の理解を妨げているの?
スシロー皿ペロ・バイトテロと同レベルの行い(炎上して当然)をしたところに、複数の不幸が重なって今回の悲劇になっただけ
本ケースに限らず、あらゆる自死はさまざまな不幸がタイミング悪く重なった結果であって、何かひとつの不幸でどうこうは基本的にないって事実、何が増田の理解を妨げているの?
それぞれが意見や感情を述べるのはいじめでも叩きでもないです。少なくとも犯罪ではないですね (犯罪なら件の脚本家連中は逮捕されている)あと誰も代理戦争はしてませんって事実、何が増田の理解を妨げているの?