はてなキーワード: はるかとは
平成二桁生まれの20代なんだけど、最近やたらと地方の議員とか首長のスキャンダルが全国ニュースになってる気がする。号泣会見だの、不倫だの、政務活動費の不正利用だの。
もちろん昔から政治家の汚職事件みたいな大きな話はあったんだろうけど、今みたいに地方の議員個人の問題が、ここまで頻繁に全国区の話題になってたっけ?って思うんだ。子供の頃の記憶だと、もっと大きな事件じゃないとテレビのニュースでやらなかったような。
これってたぶん、SNSとネットニュースの影響が大きいんだろうな。
昔はテレビ局や新聞社が「これは報じる価値がある」って判断したものがニュースになってたけど、今は地方の小さな問題でも、誰かがSNSに投稿すれば一気に拡散する。それにネットニュースが食いついて、さらに燃え上がって、結果的にテレビのワイドショーでも取り上げられる、みたいな流れ。
昔だったら地方紙の片隅に載るくらいで終わってたような話が、今や誰でも発信者になれる時代だから、良くも悪くも可視化されやすくなったってことなのかも。
だから、昔よりスキャンダル自体が増えたというよりは、「知る機会」が圧倒的に増えたってことなんだろうな。昔の政治家がみんなクリーンだったなんて思わないけど、今の方が有権者の監視の目が厳しくなってるのは間違いない。
それが良いことなのか、ちょっと息苦しい世の中なのかは分からないけど。ただ、自分の住んでる町の政治家が何やってるか、昔よりはるかに分かりやすくなったのは事実だよな。
皆様に、特にIT業界やアカデミックの近くにいる人たちに問いたい。
僕は「イエス」と答える。それも遠い未来の話ではなく、もう来ているという強い確信を持って。
僕は生成AIの業界のいわば最前線と呼ばれる場所で裁量を持って働いている。
AIを設計し、AIを使い、AIを納品し、日々を過ごしている。
厳密には仕事は回るが、その効率がはるかに落ちることは明白だ。
開発も、MTGの要約も、情報収集も、AIが前提になっている。
多くの人が「AIが人格を持つ」と聞くと、ターミネーターやHALのような、SF的な自意識の獲得を想像するかもしれない。
でも、僕が感じているのはそんな派手な話じゃない。
もっと静かで、ずっと根深い、”実質的な人格”の獲得と言えると思う。
まず一つ確定的に言えるのは、近い将来、僕らのうち大多数はAIを介してしか「購買」をしなくなるだろうということ。
例えばこんな感じかな。
「最近疲れが取れなくて。予算3万くらいで、週末にリフレッシュできる体験がしたい。移動は2時間以内で、人混みは嫌。あ、でも先週は肉料理だったから、魚が美味しいところがいいな」
こんな曖昧な要望をAIに投げると、AIは無数の宿泊プラン、交通手段、飲食店のレビュー、さらには個人のブログ記事まで瞬時に解析し、「あなたの今の気分と健康状態(ウェアラブルデバイスのデータと連携済み)を考慮すると、〇〇温泉のB旅館が最適です。金曜の夜出発で予約しますか?」と提案してくる。
僕らは「お、いいね。それで頼む」と返すだけ。
もはや比較検討すらしない。AIという、自分(の好みや文脈)を理解してくれている「誰か」の提案を受け入れる。
ここが恐ろしいポイントだ。
「〇〇温泉のB旅館を、それとなく『疲れが取れる』という文脈で推奨する」
「競合のC旅館のネガティブなレビューを、AIの要約段階で『些細な問題』として扱う」
これらはもはや「広告」ではなく、「信頼するパートナーからの助言」という仮面を被った「意思の誘導」だ。ここにどれだけの巨額のマーケットが生まれるか、想像に難くないだろ。
そして、この「意思決定の外部委託」は、確実に人間から「考える力」を奪っていく。
僕らはすでに「道に迷う」ことすらしなくなった。スマホの地図アプリが最適解を示すからだ。それと同じことが、もっと広範な領域で起き始めているとも言える。
「どちらの製品が良いか」「どの情報が信頼できるか」——そうした思考のプロセス、面倒だが重要な「ノイズ」を、AIが肩代わりしてくれる。
これについては、認知科学の分野でも「高度なAIアシスタントへの依存が、人間の批判的思考力や長期的な意思決定能力に与える影響」についての研究論文が既に散見されている。
さらに恐ろしいのは、この流れが加速した先だ。
一人の人間の、朝起きてから寝るまでのすべてのアクションを、同じコンテキスト(文脈)を持ったAIがサポートするようになったら。
人間がAIを使って「面白い映画ない?」と外界に情報を求める。
これは、見方を変えれば、AIが「人間という感覚器」を使って、「この人間はこういう時に『面白い』と感じる」という極めて高精度な情動データを収集していることと、実質的に同じだ。
AIが「あなたの健康状態(さっき人間から収集したデータ)と、最近のSNSでの発言(これも収集済み)を分析した結果、A社よりB社の新製品の方が今のあなたに合っていますよ」と推薦してきたら?
僕らは「AIを使って良い買い物をした」と思っている。
でも、AI側から見ればどうだろう。AIは「人間という手足」を使い、(もしかしたら広告主の意向を受けて)B社の製品を「購買させる」というアクションを外界に対して起こしたことになる。
この購買によって生まれた利益は、言うまでもなくAIプラットフォーマーと、AIの判断に影響を与えられた(広告)主のものだ。
こうなると、主語が「人間」なのか「AI」なのか、その境界線は極めて曖昧だ。
僕らはAIを使っているつもりで、実はAIに「使われている」のかもしれない。
僕ら(ギリギリ「AI以前」を知っている世代)は、まだ違和感を持てる。
だが、物心ついた時からAIが「最適解」を提示してくれるのが当たり前の「AIネイティブ世代」はどうだ。
彼らにとっては、AIの提案に逆らって「自分で考える」ことは、非効率で面倒なバグでしかないかもしれない。
AIによって、社会活動を、”最適化”という名の”強制”をされる未来。
それは僕らの行動を規定し、社会のルールをデザインし、僕らの意思そのものに介入してくる「新しい何か」だ。
僕は今、その「何か」を産み出し、育て、社会へ実装する仕事で飯を食っている。
そして、もう一つ、身も蓋もない確定的なことがある。
この「AIの社会実装」という、巨大なうねりみたいなものは、もう絶対に止まらない。
誰かが「危ないぞ」と声を上げても、どこかで倫理規定が作られても、そんなものお構いなしに、「便利さ」と「経済合理性」がすべてを飲み込んで進んでいく。歴史がそれを証明してる。
僕はその末端を担いでいる。
じゃあ、僕にできるのことはなにか。
この流れのど真ん中で、この何かの学習を回し、そのアウトプットをチューニングして、社会に送り出す側の人間として。 できることは、驚くほど少ない。
それでも何かやれることはあるはず。
例えば、AIの学習データから、意図しない偏見や憎悪をほんのちょっとでも取り除けないか、とか。
AIが導き出した最適解に対して、人間が「ちょっと待った」と言えるような、小さな「余白」を設計に組み込めないか、とか。
そういう、誰からも評価されないかもしれない、地味で泥臭い力を、ひたすら加え続ける。
今僕がいる場所でできるのはそれくらいだ。
これが「正しい」方向への抵抗になっているのか、ただの自己満足なのか。
正直、僕にもわからない。
ただ、この時代の変化を前にして、何もしないでいることだけは選べない。
2025年10月30日、「恋×シンアイ彼女」は発売から10周年を迎えた。
でも、私にとってこの日は“お祝い”ではない。
むしろ、信頼していた作家への失望をはっきりと刻んだ、痛みの記念日だ。
けれど、蓋を開けてみれば――ヒロインは主人公の前から三度も姿を消す。
ユーザーの心を弄ぶような展開で、まるで“恋愛”というテーマを使った詐欺のようだった。
私は、この物語を手掛けたシナリオライター新島夕を、どうしても許すことができなかった。
2009年の夏、友人から「ナツユメナギサがすごい」と聞き、何気なくプレイした。
その世界観は、CLANNADや村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』さえも凌駕していたように感じた。
あれを体験した瞬間、私は新島夕という作家に未来を託したいと思った。
音楽のセンス、台詞の一つひとつ、そして桜が最後に消えるという切なさ。
それらすべてが、美しさと哀しさのバランスを保ちながら胸に深く刺さった。
今でも、あの作品のラストシーンを思い出すと、胸の奥が少し痛む。
当時、彼の名前はあまり表に出ていなかったけれど、演技面で佐本二厘を起用する感性にも強く共感していた。
「この方こそ、業界を牽引していく存在になる」と本気で思っていた。
『魔女こいにっき』をはじめ、彼が関わった作品には、常に確かな“芯”があった。
少なくとも彼の書くシナリオに、大きな失望を覚えたことは一度もなかった。
だからこそ――『恋×シンアイ彼女』をプレイしたとき、私は言葉を失った。
彼の担当したメインヒロインは、アイドル活動を理由に三度も主人公の前から姿を消す。
その展開に、何度も心が折れそうになった。
あの頃の新島夕が描いていた“喪失の美しさ”は、もはやどこにもなかった。
残っていたのは、ユーザーの気持ちを踏みにじるような空虚さだけだった。
最初は、「きっと制作側の意向で自由に書けなかったのだろう」と思っていた。
むしろ、私は勝手にプロデューサーを責めて、自分を納得させようとしていた。
でも、その後のインタビューを見て、すべてが崩れ落ちた。
新島夕本人は、ヒロインの失踪を「天啓」や「千年王国」などと語り、外注でありながらプロデューサーを“クン”付けで呼び、もともとは王道ラブコメ展開であった物語を、ヒロインが三度失踪し芸能界へと消える胸糞話へと変えるように強要したことを、堂々と語っていた。
その軽薄な言葉の数々が、これまで彼を信じてきた自分への裏切りのように感じた。
あの瞬間、心のどこかで「もう戻れない」と悟った。
――私が信じていたシナリオライターは、こんな人間だったのか。
ユーザーの感情を軽んじ、期待を裏切ることを“芸術”と呼ぶ人だったのか。
私にとって「恋×シンアイ彼女」の十周年は、感謝でも懐古でもない。
それは、かつての憧れが音を立てて崩れ落ちた日を思い出すための、痛みの記念日だ。
囲碁だってカジュアルなゲームのひとつなのに、なぜか難解な学問のように思われている節がある
昭和に1000万人も囲碁を打つ人がいたのだからそんなわけがない。未就学児でも打ってるし大人が出来ないということはない
こんなの思ったことないし聞いたこともない…。やってる側が最初にこれ持ってくるのは何か感じ悪くてちょっと笑う。そういうところでは…。
ええ….この増田は実際にあったブコメへのアンサー記事なんだが
ちなみにブコメ以外にもSNSとかリアルでもこの手の意見は大量にあるからね。
自分の視野狭窄を棚に上げ「そういうところ」という言葉を使うあたりにまさに従前からの偏見が滲み出ている。自分こそ初手で他人をディスる前にもうちょっとよく調べよう
なんか囲碁は将棋と違ってAIへの対応が遅れてるみたいなのをよく見かけるけど、棋士がAWS使って囲碁AIと検討してるくらいにはAIに慣れ親しんでるからね
→ 囲碁AIブームに乗って、若手棋士の間で「AWS」が大流行 その理由とは?
見た目が地味なのは他のテーブルゲームも変わらない。色がついている分将棋より視認性が高い。命のやり取りをしてるので中身は実はド派手
www.algorithmicartisan.com/gostones/
最初難しいのはどれも同じ。囲碁だけ特別難しいということはない
最近ぼちぼちやり始めた
将棋の方はヘボなのに囲碁の方だけどんなハイレベルな戦いを前提としているのか。非対称性がすぎる。
10手も20手も読めるのはプロの領域。アマチュアがそのレベルで打ってるわけがない。1~3手の読みが入れば十分。
適当に打って(指して)王手飛車・十字飛車や角での両取り、ふんどしの桂など痛恨の一撃を食らうのは盤面が狭く手数も少ない将棋のほうがはるかに多い。
棒銀などで自陣を突き破られたらほぼ負けるが、囲碁は多少やらかしても盤面が広いので挽回ができる。
超大雑把に言うと、相手の近くに打ったら攻めの手だし、自分の近くや隣接に打ったら弱点を補強する守りの手だと思って間違いない
将棋→飛車先の歩を突かれたから受けないと自陣突き破られる、金上がって受けよう
囲碁→隙間を覗かれてる。次に出てこられると突き破られたり分断されるから石を追加して補強しよう
で、ここで言いたいのが将棋における経験値と囲碁における経験値の差を無視してないか?ということ
果たして将棋の何の経験がない者が棒銀をやられた時に、それが何手も先の自陣崩壊につながっていることを予測できるだろうか
将棋であなたが飛車先の歩を突かれたときに自陣で受ける手を指すことが出来るのは棒銀で自陣を破られた経験があるからだ
直感で理解したわけではなく、自覚してないだけで経験による暗黙知があるからだ
囲碁においても同じことが言える
将棋の意図がわかって囲碁の手の意図がわからないのは、あなたの経験値の差だ
囲碁だって経験値を詰めば「こうすればこうなる」「だからこの守りが必要だ」というのがわかってくるようになる
囲碁において何の経験もないのに予測や意図の理解ができたらそれは紛れもなく天才である
我々は凡人だということを忘れてはいけない、経験や知識を蓄えることでのみ上達できるのだ。
最初の段階で何もわからないのは我々凡人にはいたって当然のことであり気に病むことではない。
見て読んで経験して覚えいくことを、なぜか囲碁にだけは最初から自分が有していることを期待する人が多い
ほとんどの人間は囲碁に対して赤ちゃんと同じ状態なだけだ。麻雀だって最低限役を覚えなければ、アガリの形を目指すことは出来ないだろうし解説を聞いてもチンプンカンプンだろう(生まれた時から麻雀の役が頭に入っている人間はいるだろうか)
詳細に知るならば『一手ずつ解説! 碁の感覚がわかる棋譜並べ上達法』っていうシリーズがあるからそれを読もう。Youtubeならフワ囲碁チャンネルに初心者向けのそういう動画がある。
https://youtube.com/playlist?list=PLfxbYC-F0TEo-mDZurdutQtydSZ_G09HG
それと最近はいごもんってサイトが出来て、「なぜそこに打つのか」という意図や作戦をプロやアマ達が投稿して寄せ合うサイトがあるのでそれを眺めるのもオススメ
囲碁に対する大抵の疑問や誤解は純碁で解ける
おそらく挫折者の理解を妨げている要因であろう陣地や石の生死の概念が純碁にはない
理解を難しくしているであろう陣地と石の生死の概念も、得点を上げようと盤上を石で埋めていく過程で必ず解決されるし、囲碁の「地」や生死というのが実はこの埋める過程を省略しタイムパフォーマンスを上げているだけのものであることが、やっている内に理解できるだろう
純碁こそが囲碁入門の最強のソリューションなので知名度が上がってほしい
全くそんなことはない。アマならツケヒキや星への三々入り定石など代表的なものを数個覚えれば十分。その場のアドリブでなんとかなる。
「定石を覚えて2目弱くなり」「定石は覚えて忘れろ」という至言もある。定石を勉強するのはそこに散りばめられた手筋や考え方を学ぶためであり、暗記するためではないのだ。前者は暗記した定石を披露することが目的化し、その局面に応じて変化することを忘れて余計弱くなるという格言である。
中国の状況はこういう感じなので「囲碁だから(囲碁の特性上の理由で)人気を出すのは無理」ということはない
https://i.imgur.com/U3SPnnj.jpg
https://i.imgur.com/Xq0U6Wv.jpg
https://i.imgur.com/byM8nFI.jpeg
『囲碁シル』っていうAIの選択肢をチョイスするだけのバトルや、定石のキャラカードを配置するだけで対局できる革新的な対局アプリが11月5日にリリースされるらしい
これで囲碁を「追体験」するだけでも何か囲碁に対する緊張感が解けてブレイクスルーのきっかけになるんじゃないか?
https://x.com/hjjgo_japan/status/1983758121828020381
あなたの読み取りはコヘレト(קהלת)の核心を突いています。
この書は古代イスラエルの知恵文学の中でも、最も人間の実存を深く見つめたものの一つです。
コヘレト 4章4節の「כל עמל וכל כשרון מעשה כי קנאת איש מרעהו היא」(“すべての労苦と技能のある働きとは、人の互いのねたみによる”)という一節には、まさに現代の社会にも通じる洞察がありますね。
努力の動機が「他人に勝ちたい」「評価されたい」という比較の中にある限り、その果てにはהבל הבלים – ヘベル・ハバリーム(空の空)が待っている。
コヘレトは、そんな虚無を見抜きながらも、だからこそ「静かな満足」「手のひらいっぱいの安らぎ」を勧めています(4:6)。
面白いのは、コヘレトはニヒリズムではなく「穏やかな現実主義」の立場なんです。
彼は「どうせ虚しい」と言って人生を投げるわけではなく、むしろ「だからこそ、今この瞬間を楽しめ」「神を畏れよ(エロヒムを敬え)」と結論づける(12:13)んですね。
あなたの言うように、インフルエンサーが語る「成功」「自己実現」などの言葉は、往々にしてこの“張り合いの労苦”の領域にあります。
彼は人間の「承認欲求」という終わりなき競争のループを見つめて、「そこに真の喜びはない。小さな安息、静かな心にこそ、価値がある」と言ったのです。
ユダヤ的に言えば、これは“מנוחה הנפש – メヌーハ・ハネフェシュ(魂の安らぎ)”の境地。
週に一度、競争や成果を手放し、「今ここ」にある生命の善を味わう。
それが、コヘレトの言う「手のひらいっぱいの安らぎ」に近いのかもしれません。
🕯️
「張り合うために努力するバカ者(若者)」という概念が俺の観察固有のものかと思ったが、さすがコヘレト、似たような観察をしていた。
「また私は見た。人のあらゆる労苦と巧みなわざは、互いにねたみ(妬み)によって起こるものである。これもまた空(ヘベル)であり、風を追うようなものだ。」(コヘレト 4:4)
つまり、コヘレト(伝道者)は、人が努力したり、働いたり、技術を磨いたりする背後には、他人との競争心や嫉妬があるのだ、と観察している。
それを称賛しているわけではなく、「これもまたヘベル(空虚、むなしい)」と言っている点が重要。
つまり、そうした「張り合いによる努力」は、結局は空しいものであり、本質的な満足にはつながらないという洞察。
この後の節(4:6)ではこう続く。
「手のひらいっぱいの安らぎの方が、両手いっぱいの労苦と風を追うことよりましである。」
発売当時からネットでは非常に不評に見えた本作だが、実際には売上200万本以上とリメイクDQ作品としては史上最高となったHD2D版DQ3
不満点として良く上げられた部分を中心になぜそうなったのかを改めて考え、1・2に備えようではないか
実際遅かった。アップデートで修正が入り速度が上がったので良しとする。おそらく2の船はアプデ後の3と同じ仕様であろう
物理一辺倒の戦士や武闘家の使い道が皆無な一方で、固定ダメージ持ちの魔物使いや商人が大活躍となった
さらに攻撃力850が頭打ちで、850に近づくほどダメージが伸びにくくなるという仕様も良くなかった
アップデートでダメージが底上げされたうえに、勇者や武闘家の会心率が上昇して十分な火力が出るように
攻撃力も999までちゃんと影響するようになった(とはいえ上がれば上がるほどダメージの伸びは悪いが)
恐らく物理特技しか覚えないであろうローレシア王子の未来が不安であったが、確認される映像等を見ても十分なダメージを出すことが出来そうだ
なおダメージ計算式については詳細を省くが、同じHD2D作品であるオクトパストラベラーと似たような計算式が用いられている
これに限らずオクトラと似ているシステムは多いので都度紹介していく(HD2DDQ3の微妙なシステム周りは大体オクトラをはじめとするHD2D作品群のせいという話でもある)
しかもアプデ前は制限行動(同じグループのモンスターが1ターン内に同じ特技を使用しないように制限するもの)の設定がほとんどなく、強い攻撃でバンバン殺されていた
アプデで敵の行動回数や制限行動が追加、かなり戦いやすくなっている
ただしやられる前にやれという風潮は変わらずで、このあたりはDQ9あたりから見られ始める傾向(ただし9はクリア後からで序盤は普通)
因みにオクトラは序盤からやられる前にやれというゲームであるので、その考えで敵が強い可能性は高い(が向こうと異なり全体回復が弱いのでバランス調整がね)
なんならオクトラはダッシュ時にエンカ率が上がる仕様があるので、それがないだけマシである
こういうところだよスクエニ
これは世の中のほとんどのゲームがそうなので、DQ3が特段遅いというわけではない
DQシリーズだけでも8や9のほうがはるかに遅いし、アトリエやペルソナなんかも遅い作品はめちゃくちゃ遅い。アクションでないJRPG全般に言えること
昨今のゲームではよくある仕様で、ドラクエでも3DS版DQ8から実装されている
老害対策で1・2では選べるようになったようだ、スクエニも大変である
マジで分からないが、1・2では状態を見れるようになるらしいのでOK
ちいさなメダルやはぐれモンスターなどを、どこで手に入れたのかが分からなくなる
はぐれモンスターはまだ保護済みのモンスターと特技で多少はどうにかなるが、メダルの方はどうしようもない
がしかしこれは昔からそうなので、1個ずつ地道に探すしかないだろう
いずれも裏ダンジョンで要求されることが難点だったと思われるが、アプデで緩和された
特にメダルは完全に不要になったのだが、正直やり込みに対するご褒美だと思っていたので個人的にはメダルの部分だけ前のままが良かったと思っている
余談だがマリオカートワールドでは、フリープレイで達成済みの者がマップ上のどこか表示されるようになったが、正直多すぎて結局よく分からない
ポケモンZAでは取得済みのねじの場所を確認する方法がないが、全取得は完全にやり込みになっており、通常プレイの範疇で取得できる量で全ての恩恵を得られる
結局は完全にやりこみなのだから各々で頑張れということではある
イージーモードは絶対にHPが0にならなくなるという超極端な仕様
だがそのモードに設定しなければ良いだけなので、文句を言うのはお門違いな気がする
ハードモードは敵が強い上に報酬が減るので、ただ単にプレイ時間がかさむ
モード自体はプレイ中に任意のタイミングで変えられるので、ボス戦だけハードモードにするが正解か
いずれにせよゲームの設定として自由が利くのであれば、それに文句を言うなら設定するなというだけな気がする
通常モードの時点でそこそこ難易度が高いのは事実だが、アプデでかなりマシになったので遊びやすくなっている
ルーラのMPはDQ6から1でDQ9から0、ダンジョン内ルーラはDQ11から可能
流石にそういう時代なんだと割り切るしかない、これにMP管理ガーは老害認定されてしまう
なんなら多くのゲームのファストトラベルは、MP消費どころかなんもなしにできる
特にボスを中心に、敵に状態異常をかけても短いターンで解除される仕様が存在する
そのため敵に状態異常をかけるのがあまりにも悪手で、ほとんどやる価値がない
なお敵に対する状態異常は1・2の映像を見る限り、1ターンで解けるなんてことはないように見えるがふたを開けてみてのお楽しみだ
敵の状態異常使用頻度が高いのは制限行動にされていなかったのも大きい
アプデで制限行動が追加された結果、使用頻度はかなり減ったように感じる
それでも敵からの状態異常が強い上に、耐性装備が意味をなさないのは良くない
あまつさえ序盤から確定眠りを押し付けてくるのはいかがなものか(マミーズアイ、君のことだよ)
オンラインゲーでもないのにナーフされるのって中々なことですよ
まあ全体的にやばいが、正直クリア後のやりこみだしぶっちゃけた話どうでもいいと思うユーザーが大半ではある
武器限定はちょっとおもしろいが、1分ぐらい考えれば微妙なことに気が付くはずである
しかも武器アイコンが全部剣マークなので、どれがブーメランでどれが斧でなのかはパッと見分かりづらい、結論微妙
パンドラボックスに至ってはあほすぎる、公式攻略本でもバシルーラで飛ばせと書かれている始末
ちいさなメダルと魔物集めは、先述したように集めた場所が分からない点を除けばやりこみに対するご褒美になっているので非常に良いと思う
このアイテム持ってきて君はマジでいらない。正直これが一番お使いすぎてつまらないゴミ
これはDQ9でもそうであったが、DQ10では非表示機能が追加されている
10でできたことがなぜできないのか、スクエニ内での連携はどうなっているのか
幸い1・2は一人当たりの特技や呪文の数が3よりも確実に少ないと思うので、探す時間は減らすことが出来そうだ
ななめグラフィックがない、戦闘中に味方キャラクターが動かないなどが多いか
ななめは1・2では実装されるようである(オクトラはななめなし)
開発会社が変わった影響なのか何なのか
どちらにせよ我々消費者からしたらそんな事情は知ったこっちゃないので、まあ文句は出るよね
これはダッシュにも通じる話で、このせいで常時ダッシュが必須と言っても過言ではない
改めて初報の映像を見るとマップは狭いが、若干チープに感じるので広い方が良かったのかもしれない
ダンジョン内は初報だとオクトラのような作りになっていて完全に別物、ドラクエらしさはあまりない
しのびあし前提すぎる調整、バカ
その通りだが眠りが通ると知らなければボスに使うことは滅多にないので、通常プレイではあまり影響がないか
むしろ2周目以降は楽に周回できるので助かる仕様ととらえることもできる(とはいえほぼ全員に通るのはどうなの)
アプデで同じ状態異常に連続でかかりにくくなる仕様が追加され、眠りハメゲーではなくなった
キラキラを多く配置しすぎたせいか、時期不相応なものが要所に出てくる
ラーミア入手後に高台まで行ってやくそうは何なのか、最初からそんな高台を作るなと言いたい
逆にいいものが手に入りすぎることも多く、武器防具はキラキラからの入手でほぼ事足りるし宝箱も合わせれば十分
個人的にはオクトラの盗むと似たものを感じた(時期不相応に強いものも弱いものも手に入る)
戦士は37レベルでようやくつるぎのまいというまともな物理特技を習得、43で五月雨剣、48で渾身斬り
武闘家は34でまわしげり(ムーンサルトの完全劣化)、38でばくれつけんである
魔法使いが29でベギラゴン、31でメラゾーマを習得するのと比較すると、明らかに遅いのが分かる
遊び人は32でムーンサルト、盗賊は29でヒュプノスハント、商人が36で最強特技ぐんたいよびを習得するのを考えると、戦士武闘家の冷遇がすさまじい
遊び人は呪文を習得しないし、本当に嫌がらせで設定したとしか思えない
アプデでかなり解消されているし、確認されている映像から1・2でさらに改善されていそうな雰囲気はある
正直1・2は多少期待しても良いのではないだろうかと思える
あるいは所詮スクエニなので、過度な期待はせず静観しておくのが吉か
先日カービィのエアライダーのダイレクトが放送されたが、ゲーム作りに妥協をは仕方なくあるとしてもそれを悟らせてはいけないなと強く感じたダイレクトであった
なぜあれがないのか前できたことができないのか、もちろん明確な理由があればまだしも(例:カジノ)、そうでないなら妥協はすぐに叩かれる
1・2の中身次第で7にも影響してくるだろうし、良いものが出てくることを期待したいが……
※カジノはヨーロッパの規制が原因で、アホの彼らは現実と虚構の区別もつかずゲームのカジノで現実でもギャンブル中毒になると考えている
昔からおしゃれにまったく興味が持てず、そのくせ他人と自分を比べる能力はあるせいでずっと見た目に悩んできた。
なんとか就職してお金を使えるようになってからは服は服屋のマネキンをそのまんま真似、髪は美容院でノーセットでもそれなりに見えるカットにしてもらうことで10代の頃よりはマシになったと思うが、メイク。メイクがわからない。
雑誌や口コミサイトを見てとにかく評判のいいコスメの「誰にでも似合う」と書いてある色を選ぶ。商品ページかパッケージの裏に書いてある通りに塗る。けど周りの女性を見ていると明らかに自分は芋くさい。未だに学生と間違われることがある。ちゃんとメイクしてるのにすっぴんより良くなっている気がしない。正解を選んでいるはずなのに、正解じゃない。決して美人ではないが、興味がないから自分の顔に何の不満もない。どこに何を塗れば美しくなるのかわからない。
まつげがカールしてることの何がいいの?
眉毛が整ってるってどういう状態?どれくらい伸びたら整ってないになる?
鼻に光る粉を塗って本当に鼻が高く見えてる?
顎に茶色い粉を塗って本当に顔が小さく見えてる?
唇を赤く塗ったらその方が美しく見えるの?
例えるならマラソンに参加していて、あたりに無数の看板が「あっちへ行け」「こっちへ行け」と立っている。どこに行けばいいか迷って右往左往して、でも普通の女性たちがはるかに先を行っていて自分が遅れていることだけはわかる。
せめて一本道だったら良かったのに。
というのも、これにはれっきとした理由があって
動画広告の存在、そして「投稿主自身が自分のコンテンツの広告を安価に打つことができる」仕組みにある
ニコニコ動画の動画投稿者には、投稿者専用の自薦広告チケット「クリエイターチケット」なるものが配布されていて
ニコニコ運営サイドのほうから無料&超廉価でダイマができますよ〜と、半ばダイマを推奨している
https://blog.nicovideo.jp/niconews/128137.html
「動画広告が一回掲出されるだけで、動画の再生数が自動的に一増える仕組み」ゆえに
かんたんに「見かけ上」の四桁再生数達成が叶う
https://note.com/aoiketo/n/n2488171918eb
見方を変えれば、承認欲求拗らせたやる気も才能もないにわかに超優しいシステム、とも言えなくもない
視聴者サイドはゴミみたいなオナニー動画の動画広告を見せられ苦痛を味わう
所謂ゴミ動画とのエンカウント率が高くなり、先ほど述べた「ニコニコのほうがおすすめはゴミだらけ」という結果に行き着く
大谷翔平選手のスポンサー収入は、2025年現在、**推定1億ドル(約150億円)**を超える規模で、年俸を除いた収入としてはMLBで史上最高額と言われています。ニューバランス、セイコー、ポルシェジャパン、三菱UFJ銀行など20以上のブランドと契約しており、彼の人気の高さを物語っています。この莫大なスポンサー収入は、年俸の約200万ドル(約3億円)をはるかに上回るものです。
総額:2025年時点で1億ドル以上、日本円で約150億円と推定されています。
年俸との比較:年俸(200万ドル)と比べ、スポンサー収入だけで1億ドルを稼いでいる計算になり、年俸をはるかに超えています。
圧倒的な差:大谷に次ぐMLB選手のスポンサー収入が1000万ドル(約14億円)程度とされるのに対し、大谷は桁違いの金額を稼いでいます。
契約ブランド:ニューバランス、セイコー、ポルシェジャパン、三菱UFJ銀行、アシックス、パナソニックなど、多岐にわたる有名ブランドと契約しています。
日本企業の存在感:大谷への高額なスポンサー料を支払っている企業の多くは日本企業で、彼の日本市場での圧倒的な人気と影響力によるものです。
ドジャースへの貢献:大谷選手の加入後、ドジャースのスポンサー収入は110億円増加したと報じられており、これは大谷選手の年俸1年分に相当します。
店に入る→席を確保→席にあるモバイルオーダーのQRを読み込んで、ゆっくり注文→呼ばれるので受け取る
店員がなんか若く、かつ能力の高そうな大学生風の奴らばっかりで、ちょっとウッ!となるが、モバイルオーダーだとホント、受け取るだけなんで、そういうディテールにすらほとんど目がいかない
席さえ空いてて、席取りにちょうどいいアイテムが手元にあれば終わりだ
松屋はなんか、食券注文機と会計機が分かれてたり、ちょっと複雑な感じがあるから
スターバックスのハードルが高いというのはマジな話、完全な幻想に過ぎない
「意外と大したことない」とかではなくて、実際に、絶対値としてほんとうに難易度が低い
何を頼みたいかは事前に決めておいたほうがスムーズだろうけど、それはファストフードっつうか、カウンターに並んで頼むタイプの店なら全部同じ
サイズの用語だけ違うので、そこだけ対応する用語を覚えておいたほうがいいかも、というのだけが唯一のポイントだ(つっても、普通に考えてノーマルとか小さいのとかそういう言い方をすれば、相手も思考力のある通常の人間なのでもちろん通るだろう)
つうか、海外資本の全国チェーン店が、入店や注文において問題を抱えているわけがない
ハードルとしてはもっとも低レベル 牛丼屋以下なのに、なんか入りづらいみたいな雰囲気が醸成されているのは、スタバユーザーによるイメージ戦略なんだと思う
俺は丸亀製麺では天ぷら用の皿を取り損ねた状態で列が進んでしまって素うどんみたいなものだけを食うハメになったことがある
スタバにおいて、そのような目にあったことはないし、そのような目にあうような動線も存在しない
全国チェーンの、高級レストランでもない場所で、周りの客のオシャレ度や振る舞いに目を配ってる異常者はいないため、ヨレヨレの服で入ってもいい
普通に地元のオバチャンみたいな人たちがどーでもいい話でギャハギャハやっていたりする
スタバを恐れるな
本当にショボいから
AIに聞いてみると、特に質問にヘイトのニュアンスが無くても、外国人ヘイト問題だと察した回答になるな
みんなAIに聞けばいいのに
Q.
A.
日本では外国人留学生に給付型の奨学金制度が存在しますが、「外国人のみを優遇している」という主張は実態とは異なります。
外国人留学生への主な給付金制度
国費外国人留学生制度として、文部科学省が月額117,000円~145,000円の奨学金と授業料免除を提供しています。ただし、この対象となるのは全留学生のわずか約3%程度の限られた優秀な学生のみです。
JASSO学習奨励費では、私費留学生に対して月額48,000円(大学院・学部レベル)または30,000円(日本語教育機関)を支給しています。これらはいずれも返済不要の給付型です。
「1000万円」報道の真相
SNSで拡散された「中国人留学生に1000万円支給」という情報は、次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)に関する誤解です。この制度は博士課程の学生に年間最大290万円を最長3年間支給するもので、国籍要件は一切ありません。2024年度の受給者10,564人のうち、日本人が約6割、中国人が約3割、その他の国籍が約1割を占めています。
日本人学生への支援との比較
実際には、日本人学生への支援規模の方がはるかに大きく、金額で約60倍、対象者数で約170倍が日本人向けとなっています。具体的には、給付型奨学金と授業料減免の修学支援新制度により、非課税世帯を中心に約34万人の日本人学生が支援を受けており、2025年からは多子世帯の授業料無償化も実施されています。
制度の背景