はてなキーワード: 画期的とは
画期的とか歴史に遺るとかマイルストーンみたいな評価を得ているが、その実はとても容認できない欠点や欠陥を持っていたのを知っている商品を以下にあげつらってみる(関係者の方いたらスイマヘン)
広角側が28mmなのに最短撮影距離が2メートル以上だった…!😫 業界雑誌もあとから指摘するようになり、しぶしぶといったタイミングでメーカーは専用クローズアップレンズを同梱するようになった😅
税務署の嫌がらせと感じた酒造メーカーがなんとかして安いビールみたいな酒を作って酒離れを食い止めようとその後の現代における発泡酒や第三のビールに繋がる源流を造り出したとこまではよかったんだろうが、…とにかく不味かった!!石鹸の後味!!🤮
今私が高まりに高まっているドラゴンクエスト体質の向上真っ最中な最中なんだけど、
というか、
私はそもそもとしてドラゴンクエスト体質になる前はそのドラゴンクエストを遊んだことなくって、
例のHD-2D版のドラゴンクエストIIIから今絶賛プレイしまくりまくりまくりすてぃーのドラゴンクエストI・IIの2方とこの3作堪能しているところなのね。
そんで、
もうすぐドラゴンクエストI・IIの2の方もクリア寸前待ったなしのところもうすぐたぶん今ラストダンジョンなのかしら?
突撃したらバズズ戦で満身創痍だったのでいややる気こそは満身創痍だったにも関わらず、
今のこの私の乗りに乗ったドラゴンクエストのバイブス調子良いからバズズ戦いけんじゃね?って倒せるかと思ったら負けちゃったわ。
魔法封じと眠気防止のアクセサリーを装備し直しての再戦望むところ待ったなしって感じ!
だから
ちょっと冒険づいてきている私のクリアしちゃった後のやり場の無い冒険心をどこにぶつけたらいいの?って思っていたから、
なんかドラゴンクエストのVIIも挑戦してみたいな!って気持ちが高まっているのよ。
ああ、
これが新しいハードでドラゴンクエストのVの5が遊べるんだったら、
それが敵わなさそうなので、
先に私はドラゴンクエストVIIにチャレンジしてみる値打ちがあるかも知れないって思ったの!
でもまず先に、
ちゃんとドラゴンクエストI・IIの2をクリアしないといけないのよね。
なかなかまたボス戦が強くなってきたわ。
私もちゃんと戦いスタートしたときに補助魔法かけまくっていざ挑んでいるんだけど、
バズズ戦は余裕ぶっこいてられなかったのよね。
負けちゃって残念だわ。
でもこれいい今時期だと思うので、
クリアして次また挑めるドラゴンクエストがあるってことは良いことかもしれない私のドラゴンクエストの冒険のバイブスが継続してできるわ!って思うのとは裏腹に、
なんかドラゴンクエストという安牌のアイピーにほっこりしていていいのかしら?って思うの。
だって「オクトパストラベラー」シリーズもなんか面白そうじゃない?
「ブレイブリーデフォルト」ってのもあるんでしょ?
とはいえ、
ドラゴンクエストを決めてるんだったらファイナルファンタジー行っちゃえばよくね?って思うけど、
あれって一体どこから遊べばいいの?って暗中模索もいいところなのよ。
お友だちに勧められて、
ファイナルファンタジーの10と9は買ってみたものの、
お蔵入りっちゃーお蔵入りの積みゲーと化しているわ。
だから
本気出せばすぐにでも私はファイナルファンタジーの扉を開けることも可能なの!
ああ!
ゼルダの伝説のブレスオブザワイルドの次のやつも遊ばなくっちゃいけないのもあるし、
一体人類はアールピージーの大作からいつ逃れられるのかしら?って思うわ。
あれもしたいこれもしたい!って
時間がいくらあっても足りないから取捨選択を余儀なくされまくりまくりすてぃーなのよね。
悲しいかな。
でもよ!
今の流れから言ったらドラゴンクエストVIIがいい乗り継ぎかも知れない!
ドラゴンクエストって細々とした時間じゃなんか進められてる感突進してる感ストーリーで味わえないから、
ある程度私的にはまとまった時間でどーんと進めたいンだけどなぁって思いつつ。
これじゃ一体何時まとまった時間がいつあるの?って
一向になにも手に付かないことにもあるので、
やっぱり勇気を出して一歩前の世界に飛び込まなくちゃって思うと同時に、
また厄介なことに
Switchのソフトが2つ交換できるチケットの最終発売日が迫ってきてもう終わっちゃうので、
なにかここも買っておきたいところなのよ!
いまからいい予感がしないのよね。
でもチケットも押さえておきたいしなぁって。
NIKKEはNIKKEでやってっけど
あれは忙しいときと忙しくないときの差が激しすぎて今はちょっと暇な時期かも知れない日々のデイリーミッションを山崎パンをかじりながらでも余裕綽々とこなせるのよね。
まあチャプター41のボスは強すぎてぜんぜん勝てないんだけど!
みんなどうやって時間を捻出してるのかしら?
それは絶対に避けたいのよねー。
掛け持ちにも限度があるし、
私的にはこの今の現状の
「スプラトゥーン3」に「ドラゴンクエストI・II」に「NIKKE」とで手一杯よ!
もう、
どうしたらいいのかしら?
大作も日々30分でもやってちょっとでも進めた方が、
なんかここになって私の急に湧いて出てきた大冒険心が止められないわ!
やっぱりドラゴンクエストVIIやりたいかもー!ってそんな思いを封じ込められるか自信が無いわ。
だからさ『社会人になると本が読めなくなる』って本がめちゃ売れてて、
これの『社会人になるとゲームが遊べなくなる』って本も書いて売ったらめちゃ売れるんじゃね?ってそう思うのよね。
朝ドラが地味に見続けられているのは15分って長くも無く短くも無いあの尺サイズ感がいいのよねきっと。
だから私は『ばけばけ』なのよ。
だからあの15分の主題歌除いたら1分から2分は短縮できーのの、
だからもしかしたら私のゲーム大作時感捻出できない問題は日々13分押し進めてストーリーを進めたらいずれはクリアできるって朝ドラ形式で遊んでみるのもいいかも知れないわ!
でも下手したら
ゲームの始まりのオープニングムービー的なものが13分超えちゃったら、
って超えちゃいそうな戦いのフィールドに行くまで13分以上もかかりそうなので、
掛け持ちの持ち回りのゲームを1日13分で小茄子のはお浸しにしても美味しく食べられないわよ。
うーん、
困ったわね。
やっぱり大作遊びたいけれど大作すぎてーってところね。
でも絶対に今の私の上がっているドラゴンクエストのバイブスは消したくないので
それの大冒険心は何かに生かしてプレイを捗らせたいとは思っているのよ!
やる気だけはあんの!
やる気だけは!
うふふ。
ほんのり甘い玉子焼きがやっぱり玉子って大作級のアールピージーに匹敵する美味しさだわ!って思うけど
食べるのは一瞬で大作どころの時間ではないぐらい、
あっと言う間に食べちゃうレヴェルよ!
美味しくいただいたわ!
ちょっと早く起きたので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分のPC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。
なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのである。プログラムを組んで実行できる最初のマシンは、高校のときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくまで電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。
パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代に突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。
これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲームの感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?
小さい頃から、電気・電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗、コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックにトランジスタや抵抗などが入っており、ブロックをボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;
因みに、私がアマチュア無線の免許を取得したのは、小学生のときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。
当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオの製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。
まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路の動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。
そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオのプログラム電卓「FX-502P」である。
これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。
プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプションが必要だが(買った)、普通のラジカセなどを使ってカセットテープにプログラムを記録するのである。
あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである。
学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。
で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MA2である。
当時は、既に16ビットパソコンのPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?
それは、パソコンでゲームがしたかったからである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルでコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである。
とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。
何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのである。しかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在である「ソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである。
世間では、「クソゲー」との評価が一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界が存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのである。ストーリーは、最初は与えられず、発見したものだけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコンの時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである。
「ドラクエ」シリーズで有名なエニックスのアドベンチャーゲーム(AVG)。
不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。
今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家、松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的なダンジョンとはひと味違うのである。
ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。
1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームがハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。
今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。
かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである。
このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスターが女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである。
このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである。何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム、特に、グラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。
そんな中で、この「カオス・エンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。
また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンスな雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。
しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きがゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。
当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターもののゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラ系ゲームを続々と発売していた。
このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画「うる星やつら」をゲーム化したものである。
ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。
マルチエンディングや時間の概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。
フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。
フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後のどんでん返しが強烈でした。
そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…
これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである。
ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。
これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストップキーでゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。
そして、NECの8801,9801シリーズのパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタに印刷することができる。
なんか、「流行だから適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。
…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコンの時代へと、大幅に突入したのだった。
そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;
パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)
今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクトに収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。
それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。
これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。
でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。
あと、このマシンから、パソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから。
当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像をダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。
このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。
このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。
上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスクに書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっと寂しかったが。
なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。
「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点を排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。
「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。
これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しかも大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビアな時間の概念。所持金の存在も内容に深みを与えています。
さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲームが破綻しないものだ。
そして、何より高校生最後の夏休みという、絶妙のセッティング。
とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的なゲームでした。
後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしい Permalink | 記事への反応(1) | 12:53
去年の4月から勉強を始めて12月には600点→815点まで約200点スコア上がった。
サボってた期間もあったので、実際に課金したのは半年パック18,348円+1ヵ月3,278円=約20,000円くらい。1スコアUP100円ってとこか。
でも全然喋れない。
一般的にTOEIC800点は外資系企業でも通用するレベルらしい。嘘つけ。無理に決まってる。
とはいえ大学受験以来10年以上全く勉強してこなかった英語学習初心者にとって、スタサプは悪くなかった。
ディクテーションとかシャドーイングとか音読とか、勉強方法を何も知らなかったので、まずは勉強の仕方が身についた。問題を解く順番とかちょっとしたテクニックを教えてもらえたのもスコアにかなり繋がった。
そもそもスマホで勉強出来るってのが画期的だよね。なかったもん、あの頃…。
関先生、大変お世話になりました。
そんなスタサプは今年の10月でサ終するそうなので、年明けからはabceedに乗り換えてみた。
キャンペーン半額で1年11,900円。スタサプに比べると圧倒的に安いし、映画が見れたりTOEIC以外のコンテンツも充実してる。
abceedの効果検証の為にも3月にもう1回だけTOEIC受けたら、ここから先はSpeakingに注力するつもりである。
さっき焼き芋おじさんが言ってたよ。
ってさ。
👴「昔はな、ホクホクで十分だったんだ。石焼きでじっくり焼いて、皮がパリッと割れる音が売りだった。
でも甘太くんが出てきてから、客の目が変わったよ。『甘いのがいい』って言うようになった。糖度40度超えだなんて、俺らの頃じゃ考えられなかった」
だってさ。
https://note.com/kaburagi_wakana/n/n7b48735820d1
先に発売されたドラクエⅢリメイクは、このブログの筆者と同じで、発売日からプレイしたけどけっこう不満があった
でも、違うところは、Ⅲリメイクの発売後かなり経ってからあった大型改善パッチのあと、もう一回遊んで、
たぶん、ここが分かれ目だったんじゃないかな
「もうダメだろう」と思いつつ遊んだブログの筆者と、「どう良くしていくのか」と期待した私との
リメイクはあるもののベースはFC時代のゲームであり、システムは遠い昔のコマンドバトル
それを思い出補正でキラキラさせながら、多くの人がリメイクを手にする
「どれだけ面白い要素を入れてくるかな。でも、古き良きドラクエを変えないでね」
たぶん、そんな期待が多く渦巻く中での発売だったと思う
この難題をどう解決するのか、私はワクワクしながら隅々までプレイして――
結果、めっちゃ楽しんだ
旧作の味わいは残しつつ、その理不尽さを現代風に解決する新要素を組みこんできたのだ
「このシステムでドラクエⅢをしたい」「次はドラクエⅢリメイクリメイクだな」
なんて、まわりでも賞賛の声は高かった
ドラクエⅠ・Ⅱリメイクは大幅に賛否が分かれる作品になったと思うが、私や私のまわりは賛の方の住民だった
というより、そもそもが負け戦だったのだろう
ドラクエⅢの影響を受けて、発売前から「面白くないだろうけど気になるのでクリアだけする」という声もあった
そうしたとりあえず流すプレイだと、理解が求められる新要素は深く味わえなかっただろう
「新要素が出てきた。こんなの覚えさせられるのかよ。だっる。使わなくてもレベル上げりゃいいんだろ…」
「新要素が出てきた。試しにやってみるか…お、つよっ!あ、新技2つ組み合わせられるかも…あの苦戦したボス、ワンパンかよ!」
たぶん、賛否はこういう違いの積み重ねで発生していったのかもしれない
でも、私はゲームってだけで甘口になるタイプなので、せっかく味わえるゲームを楽しめないのはもったいなく思う
未プレイの人がその呪詛で「面白くないゲーム」という理解をされるのは、ただ悔しい
このブログの人の他にもそういう声があったので、いい面も伝えたいなと思って、
詳細は控えるけど、「いろんな遊び方があるぜ!」っていう動画も細々とアップロードしている
本当はその動画で面白さを伝えたいのだけど、始めたばっかりだし再生数も2桁だし、なんの力もないので増田で語る
「否定したくなる気持ちも分かるけど、楽しむ気持ちで遊べば、かなり遊べるゲームだよ!」
というわけで、挙げられていたマイナス面が薄められるよう、以下に簡単な弁護をしていきたいと思う
■ただでもいらないキラキラ・宝箱
おっしゃるとおり!
苦労してたどりついた先の爽快感がない!
ここに関しては弁護が思いつかなかったので、他に弁護したい人に任せる
■巻物システム
好きなキャラに好きな技を覚えさせるシステム(キャラ選択に縛りはあり)
たぶんドラクエ2のためで、キャラ育成に幅が出ないという問題を解消する、というために生まれたのだろう
ローレをお手軽に強くするか、サマルを最強にするか、という選択もできる
横道にそれるけど、
Ⅱはプレイ体験の幅がすごく広く作られていて、私としては「物理ムーン王女」がお手軽さで最高だと思っている
物理ムーン王女、キャラが壊れるとか嘆く人がいるかもしれないけど、私はすげー楽しい!ってなった
プレイごとに、本当にいろんな遊び方ができる
で、巻物で楽しんだのはドラクエ1だ
すこしだけムリして進めば、序盤でいきなりヒャダルコを覚えられる
もちろんMP管理も必要になるが、けっこう画期的なシステムだった
好みの問題だろうけど、プレイによっていろんなゲーム体験ができるのって楽しいんですよね
これで、ドラクエ3の勇者にいろんな技(ビーストモード)を覚えさせられたらなあ
あー、うん、これは前置きされている通り、ブログの筆者の個人的な意見かな…
ベホイムは分かりやすく本棚に刺さっているし、これに関しては感想で「こんなの見落としてしまう!」という声も少なかったかと
けど、これを見落とす人は不注意とかじゃなくて、そこまでの流れによほど不満を持っていて、
「もうさっさとクリアしたい。町の人とか話したくない」
っていう負の気持ちで、軽い探索もせずにイベントだけに直行していったのかも
ただ、ドラクエで「探索しないと分からないのは不親切」ってのは、個人的な呪詛かなあと思う
あと、新しい要素を使えば、ベホイムはクリア必須アイテムではないので…
■サマルトリア妹が嫌い
個人の好み
それと遊び行動は後半になればほとんど出ず、その中で悪い効果もかなり限られているので、
それがよりによってボス戦で出たというのは、不運でしたね、としか言いようがない
でも、スクショもわざわざ撮りなおすほど粘ったら分かると思うけど、呪詛を吐くほど頻繁に起こることでもないでしょう?
あと、「こういう不利な行動をされて全滅した!」と憤るのもわかるけど、
今作のシステムでは全滅しても一瞬で戦闘開始まで戻れるので、激怒するほどのものかなあと思う
サマル妹が嫌いって気持ちで過剰に描くのはやめた方がいいです
私は逆にかわいくておもしろいと思ってるので、逆の補正が入ってるかもしれないけどね
■超絶技を覚えるのが面倒
すべてを暗記…?
「ちからため(2倍ダメージ)の超絶技は、超ちからため(3倍ダメージ)」とか暗記せなアカンかな?
試し打ちとかできればよかったかなあとは思うけど、「超絶技をおぼえた!」ってなったら、少しは試してみないかな?
通常と超絶のつながりがわかりにくい効果もあるけど、それらは別に必須技でもない
そういったのは、「必須技じゃない技の効果が意外に強くて、気づいた人だけ少し効率プレイができる」とか、
ゲーマーとしてはワクワクする要素でもあったりする(2周目プレイオススメ)
で、分かりやすいところだけでも、軽く調べるだけで、
「バイキルト」「超ちからため」「竜王斬り(ドラゴン斬りの超絶技)」とかが手持ちにあるので、
これはもう組み合わせるしかないでしょ!ってなって、めっちゃ高ダメージが出て、たのしー!ってなる
「レベルを上げて無双」も面白いけど、「自分の戦略で無双」ってのも面白いよね
その楽しさをドラクエ1で体験していたら、ドラクエ2の超絶技の種類は多いかもしれないけど、確かめてみよう!ってなる
でも、1で超絶技を少ししか使わず、2で覚えるのがだるいってなったら、ボス戦はしんどかったんだろうなあ
たぶんそんな感じで、どんどん楽しいの熱量に差がついていったのかも
ただただもったいない…
ちなみに、ドラクエ1の救済措置としては、ギガデインの超絶技「ジゴスパーク」があるので、ベホイムが発見できなくてもクリアに問題はないかと
超絶技は使わないポリシー?ザコ戦は全部逃げずに戦いたい?それは知らん
■エクソダスが最悪の例…??
まず、前提として、「ボスは固定行動をしますよー」っていう分かりやすい例が、この少し前のボスで見せられている(補助⇒2ターン連続大技)
そのうえでのエクソダス戦
という順番になっているのを見抜くのは、即座に死に戻りができるこのゲームで、そこまで高難易度かな
しかも、黒い霧解除後は呪文は通る(+その時点の最強呪文であろうベギラゴンが弱点属性)って、分かりやすい攻略だと思うけど、
たぶん、「こんなゲーム、さっさとクリアさせろ」という気持ちになっていたから、見えるものも見えなくなっていたのかも
という意見もあるだろうけど、過去作も戦術はそれなりにあってそれが面白かったと思うし、
今作の要求水準も流しプレイでなければそんなに複雑ではないと思うのですよ
たとえば、何度も敵を呼ばれて苦戦したらしいダークドリーマーも、
「必中攻撃の連続で一度にまとめて倒す」ってだけの戦略(複雑?)が思いついていれば、めちゃ弱ボスになったり
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長々と書かれていたストーリーの呪詛には個人的な趣味嗜好が入るので、それはもう語ることではないでしょう
これだけの呪詛を浴びてしまうと、未プレイの人はもう楽しめなくなりそうだけど、
絶対に言えるのはドラクエ1・2は単調なゲームではなく、遊び方でいろいろ楽しめるゲームです
超絶技、かなり面白いよ
HP半減時に打てるって設定が熱くて、ピンチのときに打ったら予想外に強かったり、
ドラクエでいきなり新技をいくつも追加したら不満が出ると思うけど、うまく「既存の技の進化」という形に落ち着けたなあ
地図なんか先に見て必要なアイテムに一直線で向かってしまって、その上でボスとの戦略を楽しむ
私は「最強サマル妹」なんてテーマで2周目走ってみたけど、これがけっこう面白かった
でも、超絶技を駆使するローレはやっぱりお手軽に強くて、すごく主役!って感じがする
この投稿で、せっかくのドラクエ1・2リメイクの面白さを、少しでも多くの人が楽しめたらと願っています!
(でも、否定的な面はあるので、楽しめそうな人だけ楽しんでね!)
女が女であるが故に払うコストの大半はヤバ男対策だ。露出の少ない服を着るとかオートロックのマンションに住むとか下着を外に干さないとか。これらは全て健全な人間関係からの異性交友というステップを踏む知能のないヤバ男から身を守るためだけに支払われるコストだ。ヤバ男は女性やヤバくない男性には理解できない思考回路と行動力で女性に加害しようとするためコストは青天井になる。ヤバ男から女性を庇ってくれる通りすがりの親切な男性もいるにはいるが到底それでは賄えないので女は自腹を切ってコストを負担している。
これについて時々不満が出る。そして女の不満はいつも主張や行動となった。
①何故女が対策として服装を制限されねばならないのか→「女は男のためにオシャレしてんじゃねーよ」という主張へ
②性犯罪に遭った女性にも落ち度がーってなんなんだよ→性犯罪に遭うかどうかに服装は関係ない上に痴漢には地味な服装がより狙われるという事実を提示
③そもそもヤバ男リスクを気にしなければならないこと自体がコストとして重すぎる→女性専用設備の導入と利用へ
④ヤバ男対策コストを女だけ負うのはおかしくないか?→まともで勇気ある男性は困っている女性を見かけたら助けてくださいというお願いへ
このようにして女は無理難題とも言えるヤバ男対策のコストや責任を少しずつ解体してきた。そして個人が負える範囲でコストを負い続けた。それでもヤバ男による事件は後を絶たない。男のことは男の内で何とかしろと言ってもヤバ男はヤバくない男性の手にさえも負えない。ヤバ男について社会は諦めるしかないのかと思っていた矢先に光が差した。それが性欲抑制剤である。
性欲抑制剤。それはヤバ男からヤバくなる原因物質を減らす薬である。野放しのヤバ男の起こす事件に後手で対応するのではなく原因に直接アプローチできる画期的な方法だ。もちろん性犯罪が性欲のみに由来するのではなく加害欲求の現れであるとする議論もある。しかし海外の複数カ国で長らく性犯罪者の治療法として用いられている実績がある。であれば真っ向から否定するべきものでもないはずだ。
最近はヤバ男にもそうでない男性にもこの抑制剤を投与すべきだと主張する学者先生が出現した。増田も流石にそれは言いすぎだと思う。しかし性欲抑制剤をヤバ男や性欲旺盛に悩む男性に与えることは有用だと思うので今後日本にも導入されてほしい。
女に警戒されて悲しいという男性がいる。女も本当は警戒心に満ちた日々を送りたくはない。全てはヤバ男の存在とその遭遇頻度の高さに起因する。性欲抑制剤が導入されればヤバ男はヤバい衝動から解放されるだろう。それに伴いまともな男女は対策コストや警戒される悲しみから徐々に解放される。良いことづくめだ。どうか日本にも性欲抑制剤が解禁されてほしいと心から願う。
https://x.com/i/status/1983745679433269398
このCMへ対して一部のユーザーが「M.U.G.E.Nじゃねぇかw」の様なコメントを付けている。
この「M.U.G.E.N」こそが格ゲー界の公然の秘密である。
M.U.G.E.Nとは、1999年にElecbyte社が公開した、ユーザー拡張型の2D格闘ゲームエンジンだ。「キャラクターやステージを自由に自作して追加できる」という画期的な仕様により、本来なら交わるはずのない別作品のキャラ同士を戦わせる「ドリームマッチ」を実現できるツールとして、2000年代のネットの片隅で熱狂的な支持を集めた。
だが、このエンジンには致命的な「暗部」がある。
全盛期に最も広く利用された「WinMugen」と呼ばれるバージョンは、実は正規にリリースされたソフトウェアではない。
開発元のElecbyte社が一度消息を絶つ直前に、本来は非公開だった次期バージョン(Mugen 1.0)のベータ版が何者かによってリークされ、それがアングラサイト経由で広まったものなのだ。つまり、WinMugenを使っている時点で、それは「流出した未完成の開発データ」を勝手に使っている状態に他ならなかった。
正直に申し上げて、M.U.G.E.Nというコミュニティは、このエンジンの出自も含め、著作権的に見れば限りなく真っ黒に近いグレーだ。
「キャラクターやステージを自由に自作して追加できる」という画期的な仕様は、実質的に「既存の商用格闘ゲームのキャラクターをファンメイドで移植できる」環境を意味していた。
つまり、スプライトのぶっこ抜きである。この事実は否定しようがない。
だからこそ、格闘ゲームのプロプレイヤーや開発者、そして我々のようなコアな格ゲーマーにとって、M.U.G.E.Nは長らく「名前を言ってはいけないあの人」のような存在だった。
みんな知っている。家でこっそり触ったこともある。でも、表立って「M.U.G.E.Nで遊んでいます」とは口が裂けても言えない。そういう「公然の秘密」として、格闘ゲーム史の影に存在し続けてきた。
けれど、あえて今、その「技術的・文化的な功績」についてだけは語らせてほしい。
法的な問題を一旦脇に置いて(肯定するわけではないが)、なぜあそこにあれほどの熱量が生まれたのかを言語化するならば、「あれはプログラムによる同人活動だったから」という結論に行き着く。「絵」ではなく「挙動」を模写するのだ。
同人作家が、好きな漫画のキャラクターを愛ゆえに模写し、自分の手で二次創作漫画、そこから更に発展してBL同人などを描くようにだ。
M.U.G.E.N職人と呼ばれた人たちは、好きな格闘ゲームのキャラクターを愛ゆえに解析し、自分の手で動かそうとしていた。
彼らにとって、リュウの波動拳やテリーのパワーウェイブのドット絵は、単なる画像素材ではない。「完成された美」であり「憧れ」そのものだ。
しかし、画像をM.U.G.E.Nに持ってきただけでは、それは動かない。
憧れのあの技を放つためには、中身のエンジン……つまりプログラムを、自分たちの手で一から組み上げる必要があった。
彼らがやっていたのは、MS-DOS時代から続く古臭い仕様のスクリプト言語を駆使して、最新ゲームの挙動を「コードで模写する」という作業だった。
これは、プログラマーやゲームデザイナーにとっての一種の「写経」であり、エンジニアリングの側面から愛を表現する手段だったのだと思う。
さらに特筆すべきは、単なる模倣に留まらない「実験場」としての側面だ。
M.U.G.E.N界隈には、既存の格闘ゲームの枠組みには収まりきらないアイデアを形にするクリエイターたちもいた。
ドット絵からアニメーションまで全てを一から描き起こした「完全新規オリジナルキャラクター」の制作。あるいは、商業ゲームならバランス崩壊として即座にボツになるような、複雑怪奇かつ斬新なシステムの実装。
「売れるかどうか」を考える必要がない同人活動だからこそ、そこには尖ったアイデアが無数に投入されていた。
プレイヤーが操作することを放棄し、キャラクターに搭載されたAI(人工知能スクリプト)同士を戦わせる。
そこでは「いかに強いAIを書くか」というプログラミング競争が勃発し、時にはゲームのプログラム仕様の隙を突くような「凶悪キャラ」「神キャラ」と呼ばれる人知を超えた存在が生み出された。
そして、それらが公平に戦えるよう、有志によって厳格なレギュレーション(階級分け)が整備され、毎日のように動画サイトで大会が開かれる。
これは、ある種の「レジェンド級プロ格ゲーマーを超えた理論値格ゲープレイのシミュレーション」であり、eスポーツとは全く異なるベクトルでの技術的進化だったと言える。
現在では将棋や囲碁などのAI同士が対戦し、その強さを競うことは珍しくないがM.U.G.E.N界隈ではそれらよりもずっと前に対戦AIを専門的に書く人たちが認知されていたのだ。
漫画界で「同人出身」がある種の実力の証明(例えば高い評価を受けていた同人作家が商業誌での新連載が決まり、同人作品を知る一部界隈で話題)になるように、実はゲーム業界にも「M.U.G.E.N出身」の才能が確実に存在する。
例えば、Steamで世界的な評価を得た2D格闘ゲーム『Skullgirls』や『Indivisible』でリード・アニメーターを務め、『熱血硬派くにおくん外伝 リバーシティガールズ』にも関わったJonathan "Persona" Kim氏は、かつてM.U.G.E.N界隈で伝説的なスプライト改変職人として知られた人物だ。
また、セガ公式の『Sonic Mania』でコンポーザーを務めたTee Lopes氏も、キャリアの初期にはM.U.G.E.N等のファンゲームへの楽曲提供で腕を磨いていた。
最近の例では、ホロライブのファンメイド格闘ゲーム『Idol Showdown』が記憶に新しい。
このゲーム自体はUnity製だが、プロジェクトを牽引したGura_D氏や、美麗なドット絵を統括したアートリードのSodan氏は、海外のハイレベルなM.U.G.E.Nプロジェクト(Hyper Dragon Ball Zなど)出身のベテランだ。
彼らにとってM.U.G.E.Nは、GitHubやUnityが普及する前の時代における、ポートフォリオであり実験場だったのだ。
もっとも、彼らのように自らそれを語り、その出自が明るみに出ることは業界の慣習としては稀なケースなのかもしれない。
プロ格ゲーマーを含めた多くのプロフェッショナルたちが、過去の経歴としてM.U.G.E.Nを語ることはない。そこには、あえて触れないという「暗黙の了解」が、今も静かに横たわっている。
「俺ならもっとこう動かす」「もしもこのキャラとあのキャラが戦ったら」という妄想(IF)を、絵や文章ではなく、実際に動くゲームシステムとして出力する。
それは紛れもなく「挙動の二次創作」と呼べるものだったはずだ。
現在はYoutubeなどのSNSを通して格ゲー界のプロフェッショナルへ気軽に話しかけられるようになったが決してM.U.G.E.Nの話を振ってはいけない。無視されるか立場上、表面上、便宜上M.U.G.E.Nを否定する発言しかしないだろう。
二次創作の経歴がある人へ「盗作ってどう感じますか?」と質問しても多くは「悪いことだと思う」と返すしか無いはずなのだから。
現在は、Ikemen GOのようなMITライセンスのオープンソースエンジンが登場し、エンジンの権利問題はクリアになった。Steamでは『The Black Heart』のように、この系譜から生まれたインディー格闘ゲームが正規に販売され始めている。
かつてのM.U.G.E.Nが抱えていた著作権侵害の罪は消えない。
しかし、「憧れのキャラを自分の手で動かしたい」というあの熱量と、そこで培われた技術的土壌までを「黒歴史」として封印してしまうのは、あまりに惜しい。
あれは無法地帯だったかもしれないが、同時に、間違いなく数多くのクリエイターを育てた、一つの巨大な「同人界隈」でもあったのだ。
悲しくなってくるよ。
だってこんなのSEKIROやブレワイが居たら話にならない扱いレベルでしょ全部?
CIV4やオブリが最初に流行りだした頃の「今のゲームすげえええええええ」って興奮を思い出したらさ、この程度のものが10年後に賞レース争いしてるとか想像もできんやろ。
ゲームって多分もう一通りのネタは使い終わって、如何にして焼き直すかでしかないんやと思う。
んでもって焼き直しを少しでも目新しさのある畑でやったら「これは凄い!画期的だが王道でもある!」って簡単に褒められちゃうんだなって。
まあイングレスとかだって大昔かある地図使った遊びの延長でしか無かったのに凄い新しく感じたし、シュタゲやKANONも元ネタがチラツキこそスレ美少女ナイズされただけで感情移入度の変化で楽しめたからなあ。
でも流石にそういった手法自体が手垢が付いてる感じがするんだよね。
他のジャンルから何かを持ってきて移植して組み合わせの新しさで勝負的なのがさ。
でもそこに大きな工夫っていうか意外性っていうか「俺が思いついてもこのバランスを目指せなかったと思う」的なのがあればね。
たとえばローグライトカードゲームってやってることはTCGのシールド戦とノンフィールドローグライトのかけ合わせなんだけど、それであそこまで興奮を生み出せる形になってるのは凄いと思うわけ。
あとは数独×ADVゲームっていうジャンルも「総当りと推理の間のバランスに対して完璧な答えはここにあったのか!」って震えたわけですよ。
そういうのが欲しい。
つうかね、「最新の高画質と処理能力を駆使して昔出来なかったことおおおおおおおおおお」みたいなのもう腹いっぱいなんですよ。
コンシューマーはある程度しゃーないけどスマホのオープンフィールドブームとかマジでアボカドバナナよ。
ゆーてそれらに勝ったウマ娘も「でもこれパワポケで30年前からやってたやつでは・・・」なわけじゃんですよ。
なーんかな—止まってるな—。
進歩してないな—。
俺はさ、古いゲーマーだから「ゲームの楽しみってのは技術の進歩によって可能になった新しいアイディアの発露なわけ。技術の進歩そのものを扱った現代アートとしての側面もあるわけよ」って感じなのな。
そんな俺からすると昨今の「とりあえずアイディアの水平移動×技術の縦異動で新しい感出しました!実際の所は新規性0です!」みたいな大学4年生が苦し紛れで出して教授が「就活もあったから仕方ないよね。でも会社で新規事業開拓しろって言われてこういうの出したら絶対通らないことだけは覚えていってね。とりあえず出したからB判定にするね」って言われるような感じのやつ~~~マジでいい加減にしてくれ~~~~~~
弥生会計からのメールを読み落とし「モバイルSuicaアプリにJRE IDでログインすると弥生会計と連携しなくなる」という超重要な情報を見逃していた。
モバイルSuicaアプリにJRE ID移行のお願いの案内が届いていたので、深く考えずにモバイルSuica会員IDからJRE IDに移行してしまった。これは元には戻せない。よってもう弥生会計とは連携できない。
この問題は今年4月には判明していたことだが今も改善されていない。もう二度と弥生会計のスマート取引読込機能とは連携できないのだろう。他の会計アプリも同様のようだ。
スマート取引読込機能はまさにデジタル改革と呼べる画期的な機能だったが、電車利用1件ずつを手作業で帳簿に記帳する世界に逆戻りしてしまった。
毎年クリスマスや正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。
とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。
粗はいくらでもあるが、当時小学生のお子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。
当時通っていた小学校はお受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強に関係ない授業が多い日は学校を休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である。
そんな雰囲気の学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配だから大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。
朝から晩まで勉強で楽しくないし、学校の教師は子供達に学校で勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。
小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。
当時の増田の立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷な子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。
とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強もスポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。
入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャで性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである。
表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。
友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。
友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分の悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。
増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。
そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。
「いいね、やろう」と友人Aは言った。
増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。
そうして、宗教を作ることになった。
増田はキリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。
思想と宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田の信仰は深くなかった。ただ、人間の熱狂は宗教になりうる、と子供心に感じていた。
小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突に宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。
どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。
その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名で投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである。
これは単純だが、小学生の承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票のシールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。
増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。
それと同時に、「これは使えるな」と思った。
増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。
3人の意見はまとまった。
その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的は宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校のコンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。
一日中調べて回って、以下のことを決めた。
小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。
結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。
友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。
3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生の拡散力を舐めていたのである。
夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。
だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である。匿名投票の匿名性は失われ、よく知らない人間の善悪を判断しなければならない。
3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである。
それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営にテコ入れをすることにした。
まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者にシールとお札のデザインを一新させた。毎月シールの図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。
また、情報屋も雇った。告解で得た情報でさらに価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。
支部長の下に秘密で内部監査官も置いた。これは支部長の不正や信者との癒着を告発させるためである。
組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ的教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田。
夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。
そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである。
〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。
一つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。
夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。
説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたからである。
そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ。
教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数の教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的に要求を押し付けてお開きになった。
応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。
「馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。
子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供は禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!
受験用に詰め込まれた知識であるキリシタンの気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである。
隠語で呼ばれ、ミサと称した会合が秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。
教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校裏掲示板やmixiの日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり、信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。
知らないデザインのシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。
秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。
冬季講習の最終日、いつもの公園のジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュースで乾杯をした。
「そろそろやめよっか」と増田は言った。
「卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。
正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である。
教祖も司祭も裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。
でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手に物事は進んでいくし、勝手に教祖を名乗るものも出てくるし、勝手に布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。
だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。
色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験で学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。
あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。
教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。
友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。
友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。
増田は中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。
それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近はオンライン飲み会なるものを開催している。
この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。
「最近、子供がランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」
友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。
この歳になると涙腺が緩くなって困る。
キリシタン、まだいるのかぁ。
昨今は、ブロガーなんてクリエイターじゃない。売れない作品だろうとなんだろうと創作物に携わるものだけがクリエイターなんだって選民思想に取り憑かれた人が多いけど
200人仲間がいてあのレベルしか作れない人を俺は創作者とは認めない。
なんか自分はじっくり準備しているんだとか言ってる人がいたんだけど、俺に言わせると本当の準備っていうのは根本的かつ画期的に何かを変えるレベルのことだよ。
何と言うか、どこまでも浅い人だなっていう印象ですね
久々に本気でサイト作るにあたって色々勉強中なんだけど、やっぱり安直なやり方してるやつはダメです。
wixで、自分のプロフィール載せるようなやつは技術に対する愛情がないって自分で言ってんのと同じ。
だからそんなクリエイターダメです。他のセクションと統合できるはずがないです。
俺は縛り付けられようが、世界中が的に回ろうが、これだけは絶対に譲らない。
私は青臭いと言われようが子供っぽいと言われようが、その純粋さがない人間がクリエイターなんかやるべきじゃないと思うし、そもそも本質的になれないと思ってる。
掛け算の概念(倍数を扱う)
小数的な考え方の萌芽
円周率(近似値として3.16)
20進法の完成された記数法
公理を置いて、そこから論理的に定理を導く証明中心の純粋数学の発展
当時、「すべての量は整数比で表せる」(万物は数である)と信じられていた。
しかし √2 が有理数ではない(整数の比で表せない)ことが分かり、この哲学が崩壊。
『直角二等辺三角形の対角線の長さ』が整数比で表せないことを証明したとされる。
証明したのは学派の弟子 ヒッパソスとされ、伝承ではこの発見により処罰されたとも言われるほどの衝撃。
アルキメデスによる面積・体積の“求積法”の発達。
負数を“数として扱った”最古の事例『九章算術』
十進位取り記数法
負数の萌芽的扱い
独自に代数学(al-jabr)を発明。文章による代数。ここで初めて“代数学”が独立した数学分野となる。
商、余り、桁処理などの方法が整理(現代の学校で習う割り算の形がほぼできあがる)
xに相当する未知数記号を使用した代数(文字ではなく語句の略号)
sinx,cosx,tanx などの 三角関数の無限級数展開を発見。
これは数学史上きわめて重要な成果で、近代的な無限級数の起源はインドである と言われる。
● 1500年〜
負数の受容が進む。
● 1545年頃(カルダノ)
虚数の登場。
三次方程式の解を求める過程で √−1 に相当する量が突然登場。
しかしカルダノ自身は「意味不明の数」とし、虚数が数学的対象であるとは認めていなかった。
● 1557年頃(レコード)
等号記号「=」を発明。等価を等式として“視覚的に書く”文化が誕生。
● 1572年頃(ボンベッリ)
カルダノの式の中に出る「意味不明の数」を整理し、虚数を使って正しい実数解が出ることを示した。
● 1585年頃(ステヴィン)
● 1591年頃(ヴィエト)
● 1614年頃(ネイピア)
● 1637年頃(デカルト)
今日では当たり前の「座標平面」「方程式で曲線を表す」が、ここで生まれた。
物理現象をy=f(x)で表すという現代の方法は、すべてデカルトから始まった。
大数の法則(試行回数を増やすと平均が安定する法則)を初めて証明
● 1748年頃(オイラー)
√−1 を i と書く記法を導入。
オイラーの公式「e^{ix} = cos x + i sin x」を提示し、虚数を解析学に自然に組み込んだ。
微積分の計算技法の体系化(積分論・無限級数・微分方程式の基礎を構築)
多くの記号体系(e,π,sin,cos,fなど)を整理・普及
グラフ理論(もの[頂点]と、それらを結ぶ関係[辺]を使って、複雑な構造やつながりを数学的に研究する分野)の誕生
ーーーーーーーー
一旦ここまで。
続きは詳しい人にまかせた。
ショートケーキにいちごが乗るようになったのは、実は意外と最近のことです。
### なぜ冬にいちごが乗るようになったのか?(当初は本当に無理だった)
実はその通りで、昔は無理でした。
が主流でした(いわゆる「昔のクリスマスケーキ」のイメージ)。
#### 転機:逼迫栽培(はくひさいばい)の普及
- 1960年代から、ビニールハウス+石炭ストーブ(後に重油)を使った「冬いちご」の促成栽培が急速に広がりました。
- 特に静岡県(久能山の石垣いちご)、愛知県、佐賀県などで成功。
- 1965年頃から12月~1月に出荷される「冬いちご」が市場に出始め、徐々に量が増えました。
#### 決定的になった出来事
→ 当時としては画期的な「12月から収穫できる品種」で、促成栽培に非常に適していました。これが冬いちごの大増産を可能にしました。
- 冬に唯一「赤くて可愛い国産生果物」だったいちごは、クリスマスの装飾に最適でした。
- 白い生クリーム+真っ赤ないちご=視覚的に最強のコントラストで、子供にも大人にも受ける。
- 不二家・コージーコーナー・シェ・シブヤなどがこぞって「いちごのショートケーキ」をクリスマスの主力商品に押し始めたのもこの頃です。
### 結論
- 1960年代中盤~1970年代にかけて、促成栽培技術と冬採り品種の開発により、初めて「12月に十分ないちごが手に入る」ようになった
- → これがきっかけで、いちごショートケーキがクリスマスケーキの王者に君臨した
つまり、**「春のいちごを冬に」というのは昔は本当に不可能だったけど、1960年代の農業技術革命で可能になり、1970年代に一気に定番化した**、というのが正しい歴史です。
ヨーロッパとアメリカでは、日本のような「いちご=ショートケーキの定番トッピング」という文化はほとんどありません。
むしろ「いちごのショートケーキ」は存在するものの、クリスマスとはほぼ無関係で、季節も日本とはまったく違います。
→ でも日本のような「スポンジ+生クリーム+いちご」ではなく、
→ **ビスケット(スコーンに近い生地)を半分に割り、生クリームといちごを挟んだもの**
→ 夏の定番デザートで、独立記念日(7/4)やピクニックでよく出る
- クリスマスにはほぼ登場しない
→ 冬のデザートは
・ペカンパイ
が主流で、いちごは季節外れで高価すぎるため使われません。
国・地域 クリスマスの定番ケーキ・デザート いちごは使う? ---------------- --------------------------------------------------- --------------- イギリス クリスマスプディング、ミンスパイ ほぼ使わない フランス ブッシュ・ド・ノエル(チョコレートのロールケーキ) 稀に使うが主流ではない ドイツ シュトーレン 使わない イタリア パネットーネ、パンドーロ 使わない スウェーデン サフラン入りブッレ、ライスプディング 使わない スペイン トゥロン、ロスク・デ・レイエス(1/6) 使わない → ヨーロッパでも「冬に生いちご」は昔は非常に高価で稀少だったため、クリスマスケーキに使う習慣はほぼありませんでした。
- スペインやチリなど南半球からの逆輸入いちごが冬にも安く入るようになった
- その結果、一部の高級パティスリーでは「フレジエ(いちごのケーキ)」や「いちごのタルト」をクリスマスに出す店も増えてきた
- 特にフランスでは「Fraisier(フレジエ)」が春~初夏の定番だったのが、最近は冬にも見かけるようになってきています
でもまだ「クリスマス=いちごケーキ」とは程遠く、伝統的なブッシュ・ド・ノエルが圧倒的シェアです。
### 結論:日本がいちごショートケーキをクリスマスに定着させたのは世界的に見ても超特殊!
- アメリカ → いちごショートケーキは夏のデザート
- ヨーロッパ → 冬にいちごを使う習慣はほぼ皆無(最近少し増えた程度)
- 日本だけが「冬に無理やりいちごを生産して、クリスマスケーキに赤いのを乗せる」という独自路線を爆走した
つまり「白と赤のコントラストの美学+子供にウケる+国産果物で高級感」みたいな日本独自の価値観と、1960年代の農業技術革命が奇跡的に重なった結果が、今の「クリスマス=いちごショートケーキ」なんですね。
春の陽射しが網戸を通して差し込む。父親がレール部分を指さす。「ここが出っ張っているから削ってくれ」。私は黙って見ていた。
彼の指さす先は、網戸の可動部分そのものだった。削れば機能しなくなる。彼は「ちょっとした困難」にすぐ人を頼る。
この癖が、彼の人生を、そして私との関係を、ゆっくりと確実に蝕んでいったのだと、今ならわかる。
水に沈むラジコン
私が小学校六年生のときの話だ。何週間もかけてラジコンカーを組み上げていた。
完成間近になった夜、父は「見せろ」と言った。暗がりの中、私は車体の最終調整をし、父に送信機を渡した。「触らないで」と念を押した。
彼は触った。いや、いたずらした。車体はバックし、深い水たまりにまっすぐ入った。
防水ではない。私は固まった。父は笑っていた。彼は私がキャンキャン騒ぐのを楽しんでいた。
後日、母の叱責で父は謝罪した。窓を開け、寝ている私に投げやりに「悪かった」と叫んだ。
この瞬間、私は「父」という存在を、一個の「人間」として測り始めた。そして、その測定結果は惨憺たるものだった。
父は幼い子ども、特に五歳くらいまでの子に強い興味を示した。無理難題を言って反応を楽しむ。
しかし、子どもが自我を持ち始め、「嫌なものは嫌」と言い出すと、彼の目は瞬く間に曇り、興味は失せた。
彼が求めたのは「思い通りになる関係」だった。それは存在しない幻想だ。だが彼は、その幻想に依存し続けた。
春になると、父は特別なことをした。早起きして私を叩き起こすのだ。
冬はない。春の陽気が、彼の中の何かを騒がせるらしい。「五分で着替えてグラウンドに出てこい」。それができないと、真っ赤な顔をして殴ってきた。
彼は「猶予を与えないこと」が得意だった。自分が起こされるときは、そんなことは一切ないのに。
時は流れ、父は会社で「懲罰人事」と呼ばれる社外出向を命じられた。
当時はリストラの時代ではない。彼は「出向イコールクビ」と二度繰り返し、絶望した。
青森かどこかへ行かされ、そこでは何もせず、無為に時間を過ごし、苦しんでいたと後で聞いた。
不思議なものだ。同じ「出向」という境遇に、私は後に立つことになる。
だが私の感覚は違った。「落ち込んでいたけど、日々の出勤があるからね。なんかできないかなー」そう思った。
二万円のパソコンと、当時としては画期的な低価格ソフトを買い、独学で使いこなした。
そして自作の便利なコマンドを作り、部署のみんなに入れてあげた。面白がられた。
そこに、大手IT企業から来たという男がいた。LANケーブルのこともわからず、私に頼ってきた。仕事から逃げる人だった。
「こんなダメ人間がいるのか」と思った。肩書と実力の乖離。父が会社でやっていたことも、おそらくこれに近かったのだろう。
「暴力で言うことを聞かせ、逆らうと政治をする」。そんな男が、組織の本流から「放逐」されるのは、必然の成り行きだった。
自分で見て、考えて、ためしてみる――この最も基本的なプロセスを、彼は常に他者に投げた。
その癖は、家庭の隅々に染み出ていた。
一緒に旅行に行こうと言い出したかと思うと、電車の中で突然言った。「お前は算数の問題集を持ってきてやる」。
アホかと思った。旅行という非日常の空間に、日常の課題を持ち込む。
彼の頭の中には、私という人間の感情や欲望は存在せず、あるのは「教育する父」という自分自身の役割に没入したいという欲求だけだった。
別の日、彼はテレビのクラシック音楽番組を楽しそうに見終わると、手元を指さして言った。
「ハイ、ここに三十分くらいクラシック音楽」。突然の指令である。私はレコードプレーヤーを持ってくるよう命じられ、むしゃくしゃした。
私だって番組を楽しんでいたのに。彼の「いい気分」は、周囲の人間を突然「自分の情緒的体験の延長」として召喚する許可状になった。
ゴルフの指導もそうだった。一挙一動に大声で口を出し、完全に夢中になる。
彼が夢中になっているのは、私の上達でもない、親子の時間でもない。
それは私のためというより、自分自身の熱狂を演出するパフォーマンスだった。
母方の叔母の話をしよう。彼女の息子は三十五歳でようやく結婚式を挙げた。
その場でマイクを握り、「私は胸がいっぱいです」と泣きながら言った。
私は意外だった。ふつう、結婚式は来賓を労うものだと思うからだ。
だが、これが母方の家系の特徴なのかもしれない、と後になって気づいた。
その叔母もまた、自分の息子が結婚した際、相手の家が存在しないかのような振る舞いを繰り返したという。
母も父と「同じ」だった。私の感情や意思を、一個の独立したものとして尊重するという基盤が、初めからそこにはなかった。
母方の家系には、内輪の感情に強く没入し、その外側の他者を軽視する傾向が流れているようだった。
私は、父方の「支配と幻想」と、母方の「没入と無視」という、二つの異なる「他者不在」のシステムの交差点に生まれ落ちた。
だからこそ、私は両方のシステムから自由な、「外部の観察者」となることを運命づけられていたのかもしれない。
高校生のある日、私はついに父に「やり返した」。長年の理不尽な暴力への反撃だ。
だが私は、顔面は避け、背中から押し倒すという「優しさ」すら守った。
彼は私を殴り返さなかった。代わりに、親戚中に電話をかけ、「息子が父親に暴力をふるった」と言いふらした。
そこで私は、彼の「卑怯」の本質を見た。力の論理で負けるやいなや、たちまち「世間体」や「情の政治」という別の土俵に持ち込む。
会社で「逆らうと政治をする」というのも、まったく同じ手口だったに違いない。
家庭という密室では通用したこの手法が、会社というより広い社会では通用しなくなり、彼は「懲罰人事」という形で社会からも排除されていった。
死の間際の「息子、息子」
父が死の床に就いた時、彼はひたすら「息子、息子」と考え続けていたと聞いた。その話を聞いて、私はなお一層、痛々しい気持ちになった。
なぜそこまで、自分を脱することができないのか。なぜ「最初から存在しなかった幼児」への依存から、一生抜け出せないのか。
彼が求め続けた「息子」は、私ではなかった。自我を持ち、意思を持ち、彼の支配を拒絶し、一個の人間として彼と対峙したこの私ではなかった。
彼が恋い慕ったのは、彼の心の中にだけ存在した「言いなりになる幻想の幼児」だった。私は、その幻想を体現できない「失敗作」として、彼の人生に居続けたのだ。
世間では「生まれてこさせてもらって感謝しなさい」と言われる。だが私は思う。最初から存在していないなら、生の苦しみも何もない。
生まれる前の「私」に、生まれることの恩恵も不利益もない。問い自体が意味をなさない。
父や母は、「子どもを作った」という事実をもって、何かを成し遂げたと思っていたかもしれない。
だが、生物学的な子作りは猫や犬にもできる。なにも偉くない。
本当に難しいのは、その子どもを一個の独立した人格として尊重し、その人生を見守ることだ。
彼らにはそれが決定的に欠けていた。だから「感謝」を求めること自体が、服従の要求に感じられる。
私もうつ病になり、三十年近く貧しい生活を続けてきた。その中で気づいたのは、生きて給料を得ることすら、ある種の犬や猫が「できること」に過ぎないということだ。
社会はそれを「偉さ」の基準にするが、それができないからといって人間の価値がなくなるわけではない。
逆に、それができたからといって、その人が他者を尊重できる人間になるわけでもない。父がそうだったように。
だから私は思う。父のような人は、理想化されたホステスさんに、自分の理想の女性を「乗り移らせ」て、ぼーっと依存するほうがよほど健全だったのではないか、と。
対価を払い、時間を区切り、無辜な他者を傷つけずに、自分の幻想と向き合うことができるのだから。
彼はそうしなかった。代わりに、逃げ場のない家族を、自分の幻想と支配欲の捌け口にした。
網戸のパーツを「出っ張り」と誤認し、削るよう命じたように、彼は現実を歪めて認識し、それを修正する責任を他者に押し付けた。
彼が家庭という密室で、そしておそらく会社という社会で、いかに他者を尊重せず、いかに自己の幻想に依存し、いかにして孤立と排除へと向かっていったかを、誰よりも詳細に証明できる存在だ。
同時に、私は彼の「反対の証明」でもありたい。出向先でパソコンを学び、コマンドを作って笑いをとったように。
網戸のパーツを削るように命じられながら、その誤りを見抜いたように。春の朝の暴力に、「背中から落とす」という自制の反撃で応えたように。
彼が「懲罰」と見た場所で、私は「自分が伸びる材料」を見た。彼が「クビ」と絶望した処遇を、私は「日々の出勤があるから」と現実として受け入れた。
彼が「息子、息子」と幻想にすがった最期のとき、私は「なぜ自分を脱せないのか」と、彼の孤独を見つめていた。
証拠はすべてここにある。水に沈んだラジコン。春の朝のグラウンド。網戸の誤認されたパーツ。親戚に言いつけた電話。
青森での無為な日々。そして、私の中に残る虚しさと、それでも尚、現実と能動的に関わろうとする、かすかな手応え。
子どもはすべて知っている。思う存分にやったことを、一つ一つ覚えている。
私は父の、そして母方の家系の、その「思う存分」の人生の、生きている証明書なのだ。
この証明書に刻まれた文字は、時に怒りに、時に哀れみに、時に深い虚無に染まる。
万人が納得するわかりやすい解決法なんかあったらとっくの昔にリアルワールドでそれやってるわけで、結局どっかでチグハグになっちゃうんだよね
タクティクスオウガとかそうだったでしょ
ティトー亡き後のユーゴスラビア紛争をモデルにしたといわれる世界観は、当時としては間違いなく画期的だった
普通の物語なら囚われのお姫様でも救出して英雄になるところを、助けるのは髭もじゃのおっさんで、しかも「英雄として祭り上げられる」
確かに救出を言い出したのは主人公たちではあるけど、前線で戦ったのは異国の騎士で、シナリオ上はもちろんのことゲームシステム上でもあの段階では全然戦力になってない
すごいよね
でもあのゲームの雰囲気が素晴らしいのはせいぜい例の虐殺シーンまでで、後はひたすらムカつく奴みんなぶっ倒すだけ
3民族バラバラの島をどうやって再びまとめるのか、という当初のメインテーマをどう消化するかと思えば
死んだ王様の娘を引っ張り出して後釜に据えて、最後は敵味方で王女の奪い合い
なんだそりゃって話でしょ
でもこんな話どうでもいいでしょ?
HD-2D版のドラゴンクエストI・IIのプレイ真っ最中のとはいえまだIがクリアできていないのよ。
メルキドのゴーレムを倒していろいろ途中冒険して大冒険を果たして虹の橋をようやく掛けることができて、
あ!お店じゃないから入店っていう言い方はおかしいわねきっと。
でも、
あれこの風景見たことあるって思ったらあれHD-2D版のドラゴンクエストIIIでも同じシーンあった!って
これこそ進研ゼミで学んだところだ!って思うふうにデジャビュに思うの。
ゆっきーなばりにいうのならば事務所総出で!ってところだけど勇者一人だから総出とは言えないところがなんとも総出感はないんだけど気持ちはそうで感満載でお送りして突入いや突撃したの。
私ははて?って思って、
そういえば私のロトの装備いっさいしてない?
竜王を倒しに行くっていうのならば
ロトシリーズの装備を整えてから行くのがストーリー上の筋ってもんじゃない?
でも、
私はロトの装備が探せ出せないまま、
とりあえず、
倒せたらラッキーな勢いでそのままの勢いでHD-2D版のドラゴンクエストI・IIの早くIIに挑戦したいところなのよ。
もうさ、
ここで光が見えてきたの!
いやそれシャインポストって言いたいだけの助走して走って言いたいんだけど、
そのぐらいパッと光が差し込んできたの。
そう!
「やまびこのぼうし」をゲットだぜ!
ちなみにワイルドスギちゃんの調子の「だぜ~」じゃなくてポケモンゲットだぜの方の調子の「だぜ」だから気をつけて欲しいの。
でお馴染み山彦の帽子はじゅもんを唱えたら復唱して取引先様の電話番号を聞き返すと同じ効果が得られるの!
やっとこれで呪文の火力がアップしまくりまくりまくりすてぃーいよいよ私のターンね!って。
そして!そしてよ!
もう言わずもがな御堂筋線の南終着駅は中百舌鳥ばりにもう分かるでしょ?
1回で4回呪文が唱えられちゃうというなんということでしょう!
さらに、
今ならなんと!
「リホイミ」を唱えつつ助走つけて特殊な方法で「ビーストモード」をやると「ぶんしん」ができて2人の分身ができるの。
驚かないで!
な!なんと呪文がこれで1回の発動で6回唱えられちゃうとか!もう
こっちの方の「だぜ」ってのはワイルドスギちゃんみたいに口を尖らせていってもいいかもしれない!
夢グループの社長の横にいるおねだり上手で女の人で演歌歌手の謎の美人の保科有里さんも、
「社長安ーい!」っていうぐらいのレヴェルなの。
これでもしかして、
強くて手が出せなかった悪魔の鎧も倒せっかもだぜ!ってHD-2D版の特技の「ヒュプノスハント」眠らせている相手に喰らわすとダメージが65535倍になる、
もうさ、
ドラゴンクエストIでザオリク覚えるまでもないうちに竜王倒せちゃうかも!ってところなの。
もうさ、
みんな秒殺だわ。
ここに来て急に私の勇者強くなったの!
しかもロトの装備一切無しにしてこの仕上がりなのよ!自分の勇者の強さが恐ろしいわ。
早いところドラゴンクエストI・IIのIの方をクリアしてIIに突入したいところよ!
にしても、
こんなにドラゴンクエストIで大冒険できるなんて思ってもよらなかったので、
言ってもドラゴンクエストIなんてちょろいっすよー!って思っていたけれどなかなかの手応えと歯応えを楽しみながらじゃがりこを冒険のお供にして食べつつ冒険してんのよ。
でさ、
でも欠点があったの。
私がレヴェルアップしてもHP・MPを回復しない設定にして自分に課したハードモードにしていたので、
いや少ないんじゃなくってたくさん使いすぎなの!
「ぶんしん」するでしょ?
「やまびこのぼうし」を装備して1回分はマジックポイント無料になるけれど、
分身が唱える魔法についてはマジックポイントをちゃんと消費するの!
つまりは6回唱えられるけれど3回分のマジックポイントを消費するの!
これ3回分マジックポイント消費してない?って気付いちゃったの!
あちゃー!って感じじゃない?
強いけどマジックポイントが一瞬で全部なくなるやつ!
しかもレヴェルアップしてもHP・MP全回復しないと自分に課したハードモード。
竜王の城に深く探検しにいってマジックポイントが尽きてしまって
強いけれどマジックポイントが頼りない感じね。
そこもう盲点だったわもー!
世の中そんなにうまく事が進まないのねって痛感を感じ痛むところなのよ。
でもさ、
これ言ってもドラゴンクエストIIIの本職の魔法使いより高火力すぎるんですけど勇者。
1回で6回よ!
こんなことある?
サガフロンティアの41連携技「リヴァイヴァスライバベル水撃スープジャイアントロコ金剛カイザーブラスター陽子ロケット鬼バルカン破壊鉄下駄電束火炎プラズマ跳弾神速熱線放射ソニックディフレクト電撃濁流清流アル・三スカイ燕曲射短勁フラッシュライジングロザリオアル・十字塔無月真アル・羅刹掌」よりも凄くない?
でも、
言葉の意味はよくわからないと思うけれどとにかくすごい自信なの!
もう後は最終最強魔法の「アバンストラッシュ」を覚えるまでだわ!
なんとかクリアのメラが立ってきた感じもするし、
いや今のはメラじゃなくてメドだったわ。
でも今の私の勇者強すぎて覚える間もないうちに竜王倒せちゃうかも!
いってフルスロットルで竜王にリホイミ助走つけてのぶんしんしてギガデイン唱えて6回攻撃やんの!
まあマジックポイントが竜王の目前そこまでキープできて持つかってことが一番心配だけどね。
クリアまでもう少しよ!
うふふ。
おやすみなのでゆっくりしてからお昼と一緒の朝ごはんのブランチってところかしら?
グッドモーニングって感じの良き目覚めね。
休日にふさわしいいいスタートを切った火蓋が兜の緒を締めよってところね。
今日のホッツ白湯ストレートは甘く感じて美味しい!って思ったから快調だと思うのよ!
寒くって寒くって目が冷めちゃうけれどもうちょうどいい時間なので、
タイマー運用で朝湧いている70℃のホッツはいつでも飲み頃温度でいつでもホッツよ!
寒いときは身体の中から温めて温活で1日レッツスターティング!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
正直はじめての体験だったので、その店舗、というかその人限定の話なのかもしれない。トイザらス新座店の出来事。
子どもとトミカの「ツインコースやまみちドライブ」と「2WAYにぎやか高速道路」を見ていたところ、後ろの棚の整理をしていた店員さんが「それ繋がるんですよ~」と話しかけてきた。
「そうなんですよねー。うちの子も触れるおもちゃ屋さんで繋げたりしてて」と適当に返事をしたら、
「これ、実は間につなげられる幻のおもちゃが本当は合ったんですよ~」
と興味深い話をはじめた。
なにやら元々秋頃に販売予定だったのだが、夏のおもちゃショーの際に触っていた子どもが指を挟んでケガをした事案が発生し、それで販売中止、幻のおもちゃになってしまったそうだ。
よくよくツインコースやまみちドライブのパッケージを見ると確かに連結イメージに見たことがないおもちゃが載っていて「これですか?」と聞いたら、
「それは昔販売していたもので別物なんですよ~。昔のやつは別の連結パーツを付ける必要があったんですが、新しいものはパーツ不要で直接連結できて画期的だったんですが、いや~販売中止するには惜しいおもちゃでしたよ」
と語ってくれた。
その後は特に他のトミカ製品を売り込まれるなどもなく、店員さんは棚の整理に戻り、子どもも他のコーナーへと走り出したので店員さんとの接触はそれっきりだった。
しかしあとあと考えると、発売停止した商品や終売したおもちゃについて語るの、正直まったくセールスに結びつかない。
ただ、個人的には「まさかヨドバシの『商品に詳しい店員さん』みたいな人がトイザらスにもいるとは!」とすごく好感度が上がる出来事だった。
他のトイザらスの店員さんも実はおもちゃにすごく詳しいとで、もし余力があったら、話しかけやすそうな雰囲気で暇そうにしてる親に話しかけてみてもらえるといいかもしれない。
システム開発で生成AIを有効に使おうとしたら、生成AIが生成するコードを鼻歌混じりで完璧に仕上げられるだけのプログラミング力と、システム全体の最適な設計ができる技術力が必須の最低ラインとなる。
プログラミング力がなければ、生成AIが仕込む地雷に気付けないからシステムを地雷原にしてしまう。
そのレベルのエンジニアでは地雷除去は100%不可能なので、ぶっ壊れたまま走る暴走列車になるだろう。
経営者の手の中に残るのは、ぶっ壊れて部品を撒き散らすサービスと、逃げ出さなきゃいけない状況なのにそれを認識できないほど低レベルの「バナナ」エンジニアの集団だ ( 大枚叩いて「世界をひっくり返す画期的なサービスを作ってる!」って思ってたらこれとか、まじウケる w )。
システム全体の最適な設計ができなければ、適切なプロンプトを捻り出せないので、整合性を保ったままサービスを成長させることは不可能だ。
現状、どこかで誰かが作ったような小さなツールなら、なんとかなりそうだと思う。
けど、成長させる前提のプロダクトに使うとか、正気の沙汰とは思えない。
小さなツールは AI のフレームの中でこなせるとしても、自社サービス、特に今までなかった類のサービスとなったら、フレームの外、現実に開いたものだからAI が扱える対象ではない。
具体的な指示を出してくれるように見えてるだろうが、過不足なく正しいかと聞かれたら、AI推しエンジニアにホルホルされたものを見た限りでは、ないわー、としか言いようがない。
AIの絵とかと似ていて、ぱっと見イケてそうで、よく見たら変。
絵のように、縦横の制限があって、各ドットの色の幅の制限もあって、多少色ずれがあっても大勢に影響がないものじゃなく、プログラムは一箇所+と-間違えただけでも致命的なものだから。
って、やたら本プログラムに迎合的なテストが生成されていたりするんだが、実装ベッタリの境界値テストとかより大事なテストが丸っと抜け落ちてたりするんだよね。
で、その重要性というか危険性を、エンジニアは理解も認識もできないままになったりする。
意味のないテストを延々と繰り返して、実環境で不具合障害が発生するたびに、場当たり的な対策をフジツボのように追加しまくってやった気になるのを運用だとか勘違いしたまま炎上地獄への坂道を転げ落ちていくんだよな。
大規模なサービスの設計は抽象度の高い部分を先に詰めないと、辻褄が合わなくなって破綻する。
初期リリースにはブーストが必要なのは確かだが、使いこなせない生成AIを使うと、書き初めで最初に筆を置く場所を適当にするのと同じくらい、取り返しのつかない事態に陥るだろう。
初期リリースこそ、全体設計と、サービスを支える基本モジュールを抽象的に、丁寧に作る必要がある。
「一旦リリースしてシェアを獲得してから作り直す」という選択肢も、一昔前ならあったけど、AI で嵩増ししたサービスの作り直しは、多分すでに合理的ではない。
再設計再実装の手間もそうだが、補助輪(AI)エンジニアに、移行作業の戦略策定設計実施ができるわけがないから。
最低限のプログラミング力とシステム設計能力があって使いこなせるエンジニアと、ないけど称賛していれば自分もすごいエンジニアと思ってもらえると思ってる意識高い系(笑)エンジニアだ。
おいら自身、たまーに使うけど、チームメンバー全員に積極的に活用しろとは死んでも指示できない。
というか言い渡した。
どのレベルのエンジニアが書いたプログラムかという情報なしに、レビューとかしてたら時間がいくらあっても足りん。
特にプログラムを書けないことを誤魔化すためにAIを駆使する奴は、発覚したら即銃殺でも構わないと思ってる。
でも、ドキュメントをAIに食わせてナレッジ共有させるのは構わないですよねって?
ゴミドキュメントを大量生成させてAIに食わせても、結果はゴミ。
"Garbage in, garbage out"くらい知らんか? w
まずちゃんとしたドキュメントを書いて、ちゃんと整理して、ちゃんと更新しろ。
それ以上のナレッジ共有はない。
そういうことができない人間が書くドキュメントが、有用なドキュメントなわけがないだろ w
で、表題の件。
自社サービスをボロボロにした張本人たちに建て直せるわけがない。
以上 w