はてなキーワード: 常軌とは
「どこまで過激なポルノ広告を擁護できるか」って競ってるみたいでさ。
街中にほぼ裸みたいな二次元キャラがドーンって貼られてても、「表現の自由だ!」とか「これが文化だ!」って叫んでる。
街中で見るたびにオエッてなる。
大きい胸どころか奇乳。いやもう奇形。
てか男の俺でも普通に引く。
しかもそれを擁護するオタクたちが、「表現の自由だ!」「叩く奴はフェミだ!」とか言って騒ぐ。
完全にチキンレースだよな。
もう競ってる方向が地獄。
あと献血。
エロ広告に釣られたオタクのせいで「性的アピールと引き換えに血を出せ」みたいな空気になってる。
そんなの、女性が嫌になるに決まってるじゃん。
これじゃオタクの血液を輸血させられる女性が本当にかわいそう。
こんなポルノ中毒の血を輸血されるとか、考えただけでゾッとする。
オタク文化って、昔はもうちょい謙虚で、外に迷惑かけない楽しみ方だったと思うんだよ。
でも今は、誰が一番他人を巻き込んで過激にポルノ中毒になれるかのチキンレース。
ポルノ広告を守るために命の献血まで巻き込んでるんだから、もう常軌を逸してる。
俺は男だが、さすがにあれは無理。
オタクの誇りを掲げて街を汚すくらいなら、ちょっと引っ込んでほしい。
誰もそんな血、求めてない。
多くの人々がポーカーというゲームに魅了されるのは、それが単なるギャンブルではなく、高度な戦略、精密な計算、そして相手の心理を読む深い洞察力が求められる「マインドスポーツ」だと信じているからだろう。煌びやかなトーナメント、数億円という破格の賞金、そしてスポットライトを浴びるチャンピオンたち。その姿は、努力と才能が正当に評価される、実力主義の世界の象徴のように見える。
しかし、その輝かしいイメージの裏で、我々が決して目を向けてはならない、あまりにも残酷で不都合な真実が存在する。もしあなたが本気でポーカープロを目指しているのなら、この甘美な幻想は、キャリアの初期段階で徹底的に打ち砕いておく必要がある。
結論から言おう。現代のポーカープロになるための必須条件、それはスキルでも、経験でも、ましてや精神力でもない。それは、常軌を逸した「強運」と、その運を試すための試行回数を他人の金で確保する「資金調達能力」である。
ポーカーのトーナメントの本質を、極限まで単純化してみよう。それは、膨大な数の「オールイン対決」を生き残り続けるサバイバルゲームだ。特に、チップ量が拮抗し、プリフロップでのオールインが頻発する中盤から終盤にかけて、プレイヤーのスキルが介在する余地は驚くほど少なくなる。
ここで、ポーカーで最も頻繁に発生する「50% vs 50%」の状況、通称「コイントス」または「フリップ」を考えてみよう。例えば、あなたのハンドがAK(エース・キング)で、相手がQQ(クイーンのペア)。どちらが勝つかは、コミュニティカードが開かれるまでほぼ五分五分だ。
さて、もしあなたがトーナメントで優勝するために、この50%の勝負を10回連続で勝つ必要があったとしよう。その確率は一体どれくらいだろうか?
そうだ、たったの1024分の1である。これは、スキルも経験も一切関係ない、純粋な確率の世界だ。コインを振って10回連続で表を出すことと何ら変わりはない。
つまり、極端な話、ポーカーを覚えたての初心者であろうと、10年経験を積んだをベテランであろうと、この「1/1024」の幸運の雷に撃たれさえすれば、世界的なトーナメントで優勝できてしまうのだ。そして、この偶然の産物であるチャンピオンは、いとも簡単に「自分は強い」と勘違いを始める。
「あのアクションが神がかっていた」「あのブラフで相手を降ろしたから勝てた」「プレッシャーの中で冷静な判断ができた自分は本物だ」
彼らは、結果から逆算して自分の成功物語を紡ぎ始める。しかし、その裏側にあるのは、9回連続でコイントスに勝った後、最後の10回目で無情にも敗れ去った、彼より遥かに実力のあるプレイヤーたちの無数の屍だ。メディアは1024分の1の勝者を英雄として祭り上げるが、残りの1023人の敗者の物語が語られることはない。この強烈なサバイバーシップ・バイアスこそが、「ポーカーは実力ゲームである」という幻想を強固に支える最大の要因なのである。
「長期的に見れば、期待値(EV)がプラスの行動を繰り返すことで収支はプラスに収束する」
これは、ポーカーを科学的にアプローチしようとする者が、まるで聖書のように信奉する言葉だ。しかし、この「長期的に見れば」という言葉の本当の恐ろしさを、彼らは理解しているのだろうか。
ここで、ポーカーの世界から一度離れて、カジノの胴元の立場になって考えてみよう。ブラックジャック、ルーレット、バカラ。これらのテーブルゲームは、すべてカジノ側(胴元)にわずかながら数学的な優位性(ハウスエッジ)があるように設計されている。つまり、胴元のすべての判断は、常に「期待値プラス」なのである。
彼らは、ポーカープレイヤーが血の滲むような努力の末にようやく手に入れるかもしれない、ほんのわずかな優位性を、ルールそのものによって永続的に保証されている、いわば「期待値の神」だ。
しかし、そんな神ですら、運の前にひれ伏すことがある。カジノの運営において、特定のテーブルゲーム部門が1日単位、1週間単位、あるいは1ヶ月単位でマイナス収支に陥ることは、決して珍しい話ではない。あるハイローラー(大金を賭ける客)が驚異的な幸運を発揮し、たった一晩で数億円をカジノから奪い去っていく。そんなニュースを耳にしたことがあるだろう。
数学的に絶対に負けないはずの胴元ですら、統計上の「ブレ」や「偏り」、すなわち「分散(Variance)」によって、短中期的には容易に赤字を出すのだ。
さて、ここでポーカーの世界に話を戻そう。胴元が持つ数%の鉄壁のアドバンテージに比べて、トッププロ同士の戦いにおける実力差(エッジ)など、一体どれほどのものだというのか。0.5%? それとも0.1%? おそらく、その程度の、誤差のような差でしかないだろう。
そんな、カジノのハウスエッジに比べれば無に等しいような僅かな優位性で、人生というあまりにも短い試行回数の中で、収支がプラスに収束すると本気で信じているのだろうか。答えは明白だ。人生のすべてを賭けても、ポーカーの収支は決して収束しない。あなたの生涯収支を決めるのは、日々の細かな期待値の積み重ねなどではない。キャリアを根底から揺るがす、数回から数十回の巨大なポットを、運良く勝ち取れたか、不運にも失ったか。ただそれだけである。
ここまで述べたように、トーナメントでの成功は天文学的な確率の産物であり、日々のプレイですら、あまりにも巨大な分散の前では個人のスキルなど無力である。
では、なぜ「ポーカープロ」という職業が成立し、彼らは破産せずに活動を続けられるのか。日々の生活費を払い、高額なトーナメントに参加し続けることができるのか。
その答えこそが、この世界の最も醜く、そして最も本質的な真実を突いている。
現代のポーカープロに必須の条件、それは**「ステーキング(Staking)」によって、他人の金でギャンブルすること**である。
ステーキングとは、投資家(バッカー)がプレイヤーのトーナメント参加費を肩代わりし、その見返りとして、もしプレイヤーが賞金を獲得した場合、その一部を受け取るという契約モデルだ。
これこそが、現代のポーカープロを支える生命線なのだ。彼らは自らのスキルを商品として投資家にプレゼンし、「私はこれだけの実績がある」「私のプレイスタイルは今のメタ(主流戦術)に適している」とアピールして資金を調達する。そして、その集めた金で高額トーナメントという名の宝くじを何十回、何百回と購入し続ける。
20回連続で参加費を失っても、彼らの懐は痛まない。損失を被るのは投資家だ。そして、21回目に、あの「1024分の1」の幸運を引き当て、莫大な賞金を獲得する。彼らはその賞金から投資家へ配当を支払い、残った巨額の利益を自らのものとする。そして、メディアは彼を「天才」と呼び、彼は再びその名声を元手に、次の投資家を探すのだ。
つまり、彼らの本当のスキルは、カードテーブルの上で発揮されるものではない。彼らの主戦場は、投資家との交渉のテーブルなのだ。いかに自分を大きく見せ、いかに自分という金融商品に投資価値があるかを説得するマーケティング能力と交渉術。それこそが、運という名の荒波を乗りこなすための唯一の羅針盤なのである。
これからプロを目指すというのなら、GTO戦略を学ぶ前に、まず投資家向けの事業計画書を書くべきだろう。ポーカーはもはやマインドスポーツではない。それは、自らを広告塔とした金融ビジネスであり、運の女神を他人の金で口説き落とす、壮大なギャンブルなのだから。
急な相談になってしまう。はてなの人があまり好きではない女性だけど、どうか話を聞いてほしい。
内容だけど、実父が(数日前に)警察に連れていかれたということだ。
父は趣味の家庭菜園をアナグマやアライグマなどの害獣から守るため、市役所から小型の箱型の罠を借りていた。その罠で目標の害獣を捕獲するつもりだったはずが、なぜか同じ野良猫ばかりが繰り返し罠にかかってしまったらしい。
父は市役所に電話して、「この猫を保健所に送って殺処分を」と依頼した。市役所は「それは錯誤捕獲?です。直ちに解放を」と指導されたにもかかわらず、聞き入れなかった。
その日も同じ猫が罠にかかった際、父は業を煮やしたのか、箱罠ごと市役所の保健衛生部署に直接出向いたそう。そして殺処分の希望を伝えた。当然、職員に違法だと言われた。
市から借りた罠で野良猫を捕獲したら、すぐ逃がさないとダメらしい。そうでないと法律違反になるらしく……
父は聞く耳を持たなかった。その様子を見た別の市民が警察に通報して、結果、駆けつけた警察官に現行犯逮捕という形で連行された。父は今、警察署で取り調べを受けている。
正直、自業自得だと思う。実刑にはならないだろうし、頭を冷やしてくれば?としか思わない。私も猫を飼ってるけど、正直すごくムカついた。
母はおそらく、自分の力でどうにもできないと思ったから私に電話をしてきたのだ。
私の思いだけど、父はあくまで「家庭菜園を守るため」「害獣駆除のつもり」と主張してるつもりなのだろうけど、猫の殺処分まで求めるその行動は常軌を逸していると思う。
母から相談を受けてるけど、正直私はこれからどうすればよいのだろう。弁護士への相談はまだしてないらしい。
正直、判断がつきないところがある。母に全く協力しないのも、人として何かが違ってる気がする。
注意 リンクをたくさん貼っているが、スパム対策をしています。ご了承ください。
これは以前から何度か書いている與那覇潤について、もうその観点・見方が陰謀論とまではいかなくとも、かなり接近しつつある段階に突入していることを「実証」する試みである。
この検討によってもはや與那覇の現状がいかにヤバいことになっているかが分かるだろう。
正直、少し調べてみただけだが(そもそも今の與那覇にそこまで時間を費やす価値はない)、ここまでとんでもないことになっているとは予想だにしなかった。まさに與那覇は「ホンモノ化」しているといえるだろう。
なお、「ホンモノ」とは與那覇による自称である。主流派の専門家を「ニセモノ」と断じて自分こそが社会を正確に批評できる「ホンモノ」であると対比させている。そもそも、50手前のいい年した大人がこんなイタい表現使うこと自体どうなのかと思うが、まあ本人が気に入っているようなので與那覇は「ホンモノ化」していると批判しても一向にかまわないだろう。ここでは與那覇のいう「ホンモノ」の思考や言説が一体どういうものなのか明らかにしたいと思う。
突然だが歴史学には「史料批判」という言葉があるらしい。AIに要約させてみた。
「史料批判」とは…史料批判とは、歴史研究において、史料の信頼性を評価し、歴史的事実を解明するための批判的な手法のことです。史料の真偽、作者、作成年代、内容の信憑性などを検討し、史料が示す情報がどの程度信頼できるかを判断します。
まあ要するにソース(史料)にはしっかりとその正否を問える力を付けようということである。與那覇は研究者たちとの争いの中で自分が批判する研究者たちを「史料批判できない」と言って批判している。
ttps://note.com/yonahajun/n/n9e5c69865c86
ここではこの争いの是非については立ち入らない。気になるなら各自で調べてもらえればと思う。
さて、與那覇はコロナに対するマスク・ワクチンへの批判を痛烈に熱心に行ってきた。最近はとうとう「店員はマスクを外せ」と言い出している。
これは結局マスクを強要することを批判していたことの裏返しに過ぎない典型的な逆張りのしょうもない話である。しかも理由が「外国人がせっかく来ているのに」とか自分が気に食わない、とかいうどうでもいい理由である。いや、流石にそんなことは言わないだろうと思った人はこの記事を見てほしい。
ttps://note.com/yonahajun/n/n28ac220c53ff
この記事の問題点は「マスク信仰」が江戸時代以来の日本の図式だ!みたいな杜撰極まりないぎろんをしているところ。そしてそれを「ホンモノ」たる成果として誇っていること。下記の『潮』に掲載した一文なんてすさまじいことこの上ない。嘘だろと思うだろうけれど、「ホンモノ」は本気で言ってるらしい。アンケートでも取ったというのだろうか。
「この2025年にも、食事を運ぶ人たちがみなマスク姿。せっかくの美しい和装も台無しで、インバウンドで訪れた外国人はがっかりするだろう。なにより、本人たちが楽しく働けないに違いない」
問題はここからである。與那覇はここまで自信満々にコロナについて発言するのだから、当然それなりの根拠があるはずである。そんな與那覇のコロナ観が分かるのが、2023年のnewsweekに掲載されたこちらの記事である。
驚くべきは與那覇が「マスクは無用、コロナは大したことない」と主張するソースである。
ttps://www.newsweekjapan.jp/yonaha/2023/04/post-5.php
森田洋之と宮川絢子である。森田は非常に有名な反ワクチン論者で、人によっては「陰謀論者」と評するような人物である。
https://note.com/inbouron666/n/na670d641ce30
宮川はコロナで苦汁をなめたことで有名なスウェーデン在住で、その姿勢はかなり批判されてきた。
ttps://note.com/nyanpy7x/n/nae5e69ef7519#45a31942-36fe-478b-99f0-7f23e330a050
宮川が絶賛するスウェーデンコロナ対策は2020年時点で国王から「失敗」の「太鼓判」が押されている。
ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20201218/k10012770601000.html
ttps://toyokeizai.net/articles/-/363225
ttps://x.com/Calcijp/status/1885227563603419627
ttps://x.com/Otola_ryntaro/status/1910237498996916547
宮川はスウェーデンの当時の悲惨さを無視してスウェーデンのコロナ対策を礼賛する発信を続けている。
ttps://news.ntv.co.jp/category/society/d0692a604c2e42b28878125de0701b42
ttps://forbesjapan.com/articles/detail/65891
まさにリアル「歴史修正」である。そんな人の記事を引用することに、なんの疑問も「史料批判」精神も働かなかったのだろうか。
正直、コロナのことはいまだに分からない点も多い。少なくとも與那覇が根拠に挙げた二人の論者を論拠に挙げてマスク不要、と結論付けるのはかなり乱暴である。最低限でもこれらの議論に対する批判や別の考え方も示したうえでどちらが妥当かを判断するような見解にでもしない限り、到底多くの人を納得させることはできない。與那覇のかねてからのコロナに対する持論の根拠がかなり薄弱であることをここでは指摘しておきたい。
無論、このような與那覇の杜撰な記事は痛烈な批判にさらされた。
ttps://x.com/Newsweek_JAPAN/status/1651882699106267136
3年前のこちらの記事のツイート。118引用ツイートがついているが、與那覇の見解を根本から批判するものが多い。
以下、いくつか引用したい。
ttps://x.com/mama_melaleuca/status/1652160087778291712
ならそこら中にありますね
ttps://x.com/tkay109/status/1652219662393040896
そもそも、医科学の素人が「マスクには医学的根拠はない」などと断言することが不遜です。さらに、彼がその論拠として引用している医師二人がまた、非科学的なのです。二重にトンデモな記事を書いた與那覇潤氏は、歴史学が非科学である可能性を示してしまいましたから、歴史学会から叱られるはずです。
→不遜なんて言うと與那覇は「センモンカなんかあてになるか!」言い出しそうだが、その根拠がまた「非科学的」という・・・。
ttps://x.com/yoshimy_s/status/1652134906879942661
マスクによる防御能は物理学的な作用によるものであり、数学的に解明することが必要で、いわゆる一般的に言う「医学的な」範疇ではありません。
また数学的に得られる結論は、確率論に基づく理論値ですから、根拠が「ある/ない」の二者択一で論じるのも不適切です。
以上、引用終わり
今日でもコロナは拡大しており危機感を持った医療関係者による発信が続いている。
後述するように、與那覇は「対談」を自己ステータスの証明に使っているので、ぜひこういった人たちと議論してほしいのだが、いかがだろうか。
なお、当然のことながら與那覇がこれらの批判に反論した形跡は全くない。まさに與那覇が批判するような「言いっぱなし」を自ら実践している。
森田にいたっては、参政党ともつながっていることが分かっている。その森田は與那覇の記事を礼賛している。
ttps://sankago.hp.peraichi.com/2025/
ttps://note.com/hiroyukimorita/n/n783b8188b14d
こうしてみると、以前の記事で與那覇が参政党の躍進を「支持はしないが、参政党の躍進を喜びたい」と述べたことも、別の意味を帯びてくる。そもそも支持はしないが喜びたいという言葉自体、一昔前の「ご飯論法」にも通じる詭弁である。與那覇が参政党にシンパシーを感じていて、表立って支持するなんて言ったらたたかれるので、予防線を張っているとも考えられる。與那覇の文面から、参政党への強い批判や危機感を見出すことはできないし、反ワクチンなどでは参政党と近い立場であることは明らかである。なお、與那覇が参政党の躍進を喜ぶのは「ホンモノ」の予言が当たるかどうか確かめたい、という意図によるらしい。だが、こうした與那覇の文面をそのまま馬鹿正直に受け取ることもできない。以下に見るように與那覇が依拠する言説の中には参政党と通じる人脈が複数含まれている。與那覇が参政党の反ワクチン的姿勢に対して特に言明しないのも、なんだか不気味に思えてくる。無言の肯定ということにならないだろうか。
そもそも、民族差別など数々の問題点を指摘されている参政党の躍進を「喜びたい」などと表現するのは、常軌を逸していると言わざるを得ない。もはや與那覇は陰謀論に通じているか、そうでなくともそうした価値観を容認していると批判されても言い訳できないだろう。
もし、そんなことない、「ホンモノ」たる俺が陰謀論なんて信じているわけないと言いたいなら、森田や宮川の議論を引用するときに最低限の注記をはさむべきだった。そうした行為を一切していないのは、與那覇にはすでに陰謀論者とも言われる人物の議論を引用することにためらいが無くなっていることを意味する。
専門家批判は決して悪いわけではない。だが、それに代わって批判するのが根拠が薄く、数多く批判されている論者の言説であるというのはもはや喜劇でしかない。専門家がダメだからといって、自分に合う言説を無批判的に引用するのは真摯な立場ともいえないだろう。
そうした問題の多い言説を世に出すことに何の疑問も抱かない。そして、批判を受けても一切無視できる。そのクセ他人には「失敗を認めて反省しろ」と口汚く罵る。これが「ホンモノ化」の現実である。
繰り返すが、おそらく與那覇は「陰謀論になんてはまってない!」と言い張るだろう。だが、改めて森田の言説やそれに対する指摘を見てほしい。普通ならそのまま引用するのに躊躇うくらいの批判が相次いでいる。それらを論拠として挙げることに何の抵抗もなくなった時点で、すでに與那覇は「陰謀論」のナラティブに絡めとられつつあると言っても、大きくは外れていないだろう。えてして陰謀論にはまった人には陰謀論にはまってるといっても聞かないものだ。
さて、ここまで見てもらえたならもうお分かりだろう。與那覇には「史料批判」の視点が全くないのである。自説に都合のいい議論を紹介してあたかもそれが結論であり、最新の議論であるかのように偽っている。
そういえば、『中国化する日本』でもそんな手口を使っていたような・・・。
https://yu-koba.hatenablog.com/entry/20111212/1323691605
https://kscykscy.exblog.jp/18241381/
なんどもいうがkscykscyこと鄭栄桓の記事は與那覇の議論の問題点や手口がよくわかる内容となっている。與那覇を論じるならまず必読の内容である。與那覇が今なおこのブログに一切言及しないことも含めて、示唆的であろう。
では、これからどうしたらいいか。與那覇は最近でも著名な有識者と対談をしている。與那覇は対談することで自分が一流の批評家であるというアイデンティティを確保しているようである(先の歴史研究者への反論でも自分が専門家と対話していることをまともな証拠に挙げていた)。
ttps://note.com/yonahajun/n/n411c48f6f523
ちなみにこの記事で挙げられている宮沢孝幸は参政党と通じている。
https://x.com/tokyo_jyoto/status/1885649076517249067
ここまで参政党と通じている点をいうと與那覇のことだから「学級会みたいに誰かとつながっているからなんて理由で批判するのは幼稚だ!」などと言い出しそうだが、参政党躍進を喜んだ以上、その人脈とのつながりは指摘されて当然である。そもそも聞かれてもないのに参政党躍進にはしゃいだのは與那覇なのだから、自分のうかつさを反省すべきである。
念のため補足しておくが、與那覇が参政党関係者と対談したり、その価値観や政策を肯定したことも、支持を明言したことも一度もない。
ただし、その主張の背後には「参政党的」なものが見え隠れしている。すでに與那覇は参政党に自身の思惑はどうあれ接近しつつある。いずれ参政党の支持を明言するのも時間の問題ではないだろうか。これは外れて欲しい予言であるが。
ttps://note.com/yonahajun/n/nb2bd757600df
自分の地位を誇るために「こんなすげー専門家と対談しているんだぞ!」という論法は「俺スゲー人と握手したんだぜ!」みたいな「幼稚」な自己顕示欲の発露に見えなくもない。
対談もいいが、大事なのはそこで何を話したかだろう。単に権威をひけらかして自分の立場の正当性を主張しているように見える。『中国化する日本』で批判された手口と同じである。
余談だが、戦前にもそんな人の権威に寄りかかって自らの権威と正当性を訴えた人物がいたようである。
ttps://x.com/NAKAHARA_Kanae/status/1890289544702066920
中身のない人ほど誰と会ったかや誰と話したかの「実績」にこだわるのは戦前から変わらないらしい。こういう発見もあるから歴史ってのも案外面白い。
実は対話をしたり表向きのメディアでは與那覇は非常に行儀がいい。普段noteやネット記事でやるような苛烈な批判は鳴りを潜め、つつましく対談しているのである。使い分けがとても上手で、ここはさすがという他ない。その意味で與那覇の振る舞いはとても洗練されている。これは皮肉抜きである。
ただ、ここまで来たように、與那覇には陰謀論者と批判されるような根拠の弱い議論を平気で受け入れて、他人を罵倒して自分は「ホンモノ」だと居直り、自身に対する批判には耳を貸さない身勝手な側面があることは間違いない。
だから、今やるべきはもうこうした人物をしっかりとした「批評家」と見なすことをやめることである。與那覇の議論は常に身勝手さに裏打ちされた恣意的な印象操作、批判に対する無視が付きまとっている。そうした問題点がある限り、與那覇の議論をまともに受け止めることは難しいし、それこそ「史料批判」の観点から批判的にとらえる必要がある。
仮にこの記事を與那覇が目にしたなら、鄭の批判にさかのぼって、まずは自分の間違いや問題点をしっかりと洗い出して、自分の議論や言説に間違いがないか反省する作業をしてほしいと思う。そうしないと、マジで本当にもう誰にも相手にされなくなる。少なくとも、後世では無視されるか「こんな「ホンモノ」がいたのか!」と笑いものにされる可能性が高い。笑いものにされるならまだマシで今のままだと無視される方が確率的に高そうである。
そうした言説に対する真摯な見直しと反省ができないなら、やはり本稿の批判はかなり当たっているということになる。
この記事が與那覇の議論が「すごい」と思った人に届けばいいと思っている。たまたま見つけた人が「あれ、與那覇さんってなんかいいと思ったけど、もしかしてまずい人なのかもしれない」と思ってもらえればそれで十分だ。そうした批判や見方を改める作業を繰り返すことで、真の「本物」が生まれるはずだから。
「様々な工作活動を行って来た」北村晴男氏 《石破首相は工作員》投稿に批判殺到…本誌に答えた“根拠”
https://jisin.jp/domestic/2496218/
中国やらロシアやら領土拡大している状況で、頭お花畑なのは無理ありすぎやろ。なんでそんな必死すぎなん?
これは日本の左翼政党が基本非常に少数の左翼票(境界知能票)を奪い合う事で存続している政党だからである
左翼政党同士はなんとなくイデオロギーを同じくする同士、敵は保守政党や自民党と思いがちだがこれは誤解である。
無論表面上は彼らの極ニッチな支持層に向けてアピールする為自民党を攻撃する、そうすれば5%と言われる彼らの支持層から喝采を受けて当選することが出来る。
要は5%の奪い合いなので、本質的にライバルは同じ左翼議員左翼政党である。
選挙というのは保守や自民党を攻撃するオリンピックのような競争を行い、金メダルに票が集まって当選するという競技。
多くの左翼議員に常軌を逸したような行動や言動が見られるのはこのため。とにかく目立たないと当選出来ない。日本人の95%に嫌われても、残りの5%にアピール出来たら勝ちなのである
で、日本共産党だが、彼らの票田は所謂野良左翼。連合赤軍や安田講堂をテレビで同情的に見ていた老人である。彼らは脳の柔軟製が無いのでいまだに政府=悪、反政府=善だと思っている。基本歴史をS知らない
一方日本社会党、彼らの票田は所謂組織左翼。発祥は旧コミンテルンと北朝鮮。ソ連崩壊後は中国共産党に合流したり、権力からの独立が法で補償されている教育現場や労働組合に潜り込んでいる。勿論政治家や公務員にも多い。日本社会党は後に民主党に潜り込んでロンダリングを繰り返し現在は立憲民主党と名乗っている。いくら名前を変えても支持母体は変わらないのですぐに分かる。
支持層は同じ左翼であるが、日本共産党にとって中国は左翼票田を組織力で社会党側に囲い込む敵なので仲が悪い。単純な話
因みに、共産党の票田が烏合の衆の野良左翼なのに対して、社会党は組合などの組織なので
社会党=支持母体のいいなり、走狗(日教組や自治労、JR東などの巨大労組)
という違いがある。
共産党の方が組織力としては強固だが支持層が老齢化してどんどん死んで弱体化する
社会党(立憲民主党)は支持母体の票欲しさにすり寄ってきたハイエナのような烏合の衆で構成される為組織力がとても弱く何度も分裂するが、支持母体は鉄板なので現在に至るまでそれなりの勢力を保っている
ただ議員は基本支持母体の歓心を買うための活動しかしない素人なのでたいした政治力はないし、間違って政権取ったりすると酷い事になる
たぶんだけど、今「推し」という言葉を使う人は、ゲームやグッズ課金に常軌を逸した散財することをセルフ肯定するために使ってるんだと思う。自己暗示の一種。
俺は、スマホゲームしてて好きなキャラが出来たとしても、好きは好きで、金払いと好きを直結させるのはなんか違うと思うから、別に凸とかしたりしない。
まあ昔のソシャゲなら好きなキャラにだけ投資してればTUEEEできたかもしれないが、最近のスマホゲーは特定キャラだけ課金して強くするのは普通に罠なんだよね。
むしろキャラが持つ戦略ストラテジーを活かすために幅広くキャラを迎えていった方がよく、どのキャラもそれなりに好きになれる人のほうがゲームを長く楽しめる。
「推し」活動をしている人たちは、身を削ってお金を注ぎ込むという愛情表現だけじゃなく、たとえばゲームなら装備厳選とかに時間をかけたり、頭を使って好きなキャラを輝かせる色んな発想を見出すような表現をすることの配分を増やしていったほうが、健全にファン活動できると思う。
一昔前は「推し」というと、一途な偏愛の象徴だったが、今ドキのオタクになるほど、「推し」は軽率にどんどん増やしていくものになりつつあると思う。「推し変」ではなく「推し増し」。博愛、箱推し、とまではいかずとも、「推し」は多ければ多いほど人生充実するよね、という価値観になりつつあると思う。
長い長いファイノン曇らせのメインを終えてエリュシオン探索してるけど癒やしすぎる
未着手だけど折り紙の小鳥ャンディークラッシュバトルは前回は結構おもしろくて癒やされたけど今回のはどうなんかな
ここここ、イベントトップのローアングル、からのサーフィン開始でカメラが後ろに回るところからのお尻
https://www.youtube.com/watch?v=tTMaCzcQYdo&t=1680s
アレー?ゼンゼロここまでやるゲームだっけ?と思ったけどそういや全然朱鳶やトリガーでお尻ぶるぶるさせてたわ
リンちゃんの水着もおしゃれながら透け上着と超ローライズの不思議ベルトパンツという凝りよう
いやそれにしてもコンテンツ開発量がエグすぎる
2.0であんだけ新しいマップとシステム作っといて次verにこんだけ作れるって常軌を逸している
最後の公式MADのエンドロールに社員ハンドルネームがずらーっと並んでたけど
雑に数えたかんじ開発チームざっと600人くらいいなかったか?ゼンゼロだけで?
運営・宣伝・その他の人員も入ってるのかもしれないけどそれにしても体制が巨大すぎる
最近調べ物してるときにチラッと目に入ったこのご当地旅行記事によると
https://www.hoyolab.com/article/37334157
miHoYoは上海に自社ビルを6つ持っていてさらに建設中のビルもあるので増えそうだ
えぇ?
絵を描くことが趣味の人も理解できないタイプの描き方をする絵描きっているよねって話
私は無名とはいえデザインの学校を出てて、その時の授業でデッサンもやった経験があるんだけど、同じクラスの人がすごかった
5Hくらいの鉛筆で優しくうっっっっすらとアタリを描いたら、その後右端からどんどん埋めていくの
消しゴムを使うと汚くなるから絶対使わないという美学があるらしく、プリンターのように端から埋めていく
みんなが全体のバランス見て追加のアタリを取りながら描いてるところを、その人だけは端からしっかりと書き込んでいく
そして本当に上手い、クラスの上位一位、二位を争うほど上手い
形が崩れてないし、濃淡や光の具合もしっかりと書き込まれてる
本人の美学がしっかりとあるのも影響してるのか、写実的なのに個性のあるデッサンというか
みんな憧れてたけど誰も真似できなかった
そういう良い意味で常軌を逸した人がこの世にはいるんだけど、実際見て見ないと信じられない部分もあるので、それを「トレス」って思う人いるだろうなと思った今日この頃
ネット空間では、転売ヤーへの批判が渦巻いているが、このたび、無事転売に成功したので、「ストレスなく転売する方法」をここに記載しておく。
なお、当方、転売業者ではなく、間違えて複数台購入してしまった(家族内で2台必要だったので、家族総出であちこちの抽選に応募して、俺が無事2台購入したが、海外旅行中で連絡が取りづらい娘も1台購入してしまった)ので、余った1台を転売することにして、無事転売に成功した次第である。
さて、個人的には今回の転売前には、転売にはネガティブな感情をもっていたが、「せっかく売るなら高額で売りたいよね」ということで、無事売り抜けることに成功。転売ヤーに成り下がりました。めでたい!
現状、ネット上でSwitch2を転売できるサイトは基本的にメルカリとラクマだ(ヤフオクはSwitch2の販売を禁止している)。なのでメルカリかラクマで売るしかないのだが、メルカリやラクマで売るのはなかなか大変な状況だ。メルカリやラクマのSwitch2の出品状況を見ていただたきたいが、カオス状態である。Switch2を出品すると、転売を批判する連中がイナゴのように殺到して、コメント欄がゴミで埋め尽くされる。単純に商品購入を目的としないクソコメ(罵倒を浴びせる、料理のレシピを書く、アスキーアートを描く等々)。怪しげな根拠からの出品行為の批判(「レシートの出品は規約違反なので通報しました」とか)。購入者に向けての脅し(「保証を受けられない」とか「任天堂アカウントがBANされる」とか)等が繰り広げられている。
ということで、メルカリやラクマで転売すると、こうした嫌がらせや脅迫の数々を受けることになるのでなかなか大変だ。なので、ここでストレスなく転売する方法を記載しておく。転売される方は参考にされたし。
上で書いたように、Switch2を出品すると、大量のクソコメが湧いてくる。これを避けるにはまずは【先制ブロック】だ。他のSwitch2の出品ページに行くと、クソコメを付けてるアカウントを見つけられると思うので、片っ端から先制ブロックしよう(余裕があるなら運営に通報しよう)。人間の知性における最底辺に見ることになると思うのでなるべく心を無にしてブロックすることを推奨したい。俺の観察した感じでは、クソコメを付けてるアクティブユーザーは200人くらいなので、大量に先制ブロックすると、出品した際に、クソコメが付くのを事前にかなり予防することができるはずだ。
先制ブロックをして出品しても、脅迫めいたクソコメは確実に書き込まれる。一番多いのが「レシートや納品書の出品はメルカリの規約違反です(なので購入しても保証を受けられないぞ)」というものだ。メルカリでの「レシート等の出品禁止」はあくまでも、【レシートだけの出品禁止】であって、【レシートや納品書を商品に添付すること】は禁止されていない。なので、商品説明欄に「レシートの商品への添付はメルカリの規約で認められています」と記載した上で、最初のコメントでの脅しに対して、一度だけ「規約で認められている」と返事した上で、残りの類似のコメントは全て出品者機能で削除しよう(書き込んできたアカウントをブロックするのも忘れずに)。
他には「転売購入では保証が受けられなくなる」や、「転売購入が発覚すると任天堂アカウントがBANされる」といった根拠不明の脅迫コメントも書き込まれるだろう。
まず「転売購入の発覚」についてだが、「任天堂に転売を見つけ出すことはできない」ことを明記しよう。具体的には、以下のように書くと良いだろう。「家電量販店で購入した商品をそのまま第三者に譲渡して、レシートもそのまま譲渡すれば、譲渡者を転売購入者だと任天堂が判断するのは不可能である」。これも、最初のコメントだけを残し、返事を書いて、あとは削除とブロックである。
「任天堂アカウントがBANされる」というのは、海外サイトで話題になった「Switch1を中古で購入したら、前所有者の違法行為によって、アカウントがBANされた」事件のことだ。この事件でこうした顛末となったのは、前所有者が機体を違法改造していたことに対して任天堂が取った処置のようである。Switch2の転売とは何の関係もない。そもそも海外の匿名掲示場に書かれたどこまで本当かわからない情報である。これも最初のコメントだけ残して、海外サイトでの怪しげな情報に基づいていることを指摘して、コメント削除とブロックである。以下のXでの投稿と、コミュニティノートも参考にされたし。
https://x.com/toratora_0922/status/1933993139293065695
クソコメ潰しと同時にやらないといけないのは、購入希望者の不安を軽減してあげることだ。
転売でもSwitch2を欲しがっている人は当然おり、そうした人は基本的に普通の人だ。そして「普通」であるがゆえに、高額商品の購入に不安を持っているので、不安を解消してあげよう。クソコメ達は、こうした購入者の不安につけ込み、転売購入にはリスクがあることをコメントで書き込んで、購入を躊躇させようとしている品性下劣な存在である。上でも書いた「アカウントがBANされる」とか「保証を受けられない」等々だ。他にも、「箱だけ出品で中身がないかもしれないよ。出品詐欺に遭うかもしれないよ」といったコメントも書かれることもある。こうしたクソコメには毅然と対応する一方で、購入者希望者の不安に対しては誠実に対応しよう。そうすれば、購入者希望者も安心して購入してくれるはずだ。
余談だが、転売ヤーを叩くのは百歩譲ってまだ理解できるが、しょこたんのような転売購入者まで叩くネット世論は完全に常軌を逸している。もし購入者叩きに加担していたなら、戦時中のファシズム「欲しがりません勝つまでは」に陥ってしまった人のように、草の根全体主義に参加してしまっていないか自戒してみよう。自分の醜さ、愚かさに気づくはずだ。
俺は今回、自分で転売する前には、転売行為に薄っすらとした嫌悪感を持っていたが、転売当事者になったことで、転売は基本的に肯定されるべき派に転向することになった。転売を批判して騒いでる奴らがあまりに醜悪だからだ。そして、転売批判者の醜悪な行動の数々は、今の日本を駄目にしている要素が凝縮されてるとも思った。以下に列挙してみよう。
①については言うまでもないだろう。日本人の最も醜悪な性質である【ムラ意識】の発露だ。こうした出る杭を打つような行動は、日本における独創性やイノベーションを阻害している。米価の高騰で大騒ぎして、仲買業者や農協を陰謀論じみた根拠から集団で叩いている行為にもこれを見ることができだろう。
②「転売が発覚するとアカウントがBANされる」みたいな海外ルーツの怪しげな情報をそのまま信じてしまう(あまつさえ、都合よく伝言ゲームで改変された情報をそのまま信じてしまう)。情報をきちんと精査できず、SNS発の陰謀論を簡単に信じてしまっているわけだ。石丸伸二や斎藤元彦や参政党に投票したり、統一教会陰謀論やクルド人デマにハマったりする行為に他ならない。愚民化してる日本人の象徴だよ。
③これが一番噴飯ものだ。「任天堂は子供に楽しんでもらうために流通・プラットフォームを整備しようとしてるのに、その転売ヤーはそれを上流で邪魔してる」みたいなのね。一企業がプラットフォームを独占しようとしてる行為が、そんな善意の動機だけに基づいてるわけないだろ。任天堂がファミコンやスーパーファミコンで胴元としてアコギなことをやってた過去を忘れたのかな? ハード発売直後の、一時的な超過需要の問題に過ぎないのに、転じての、転売ヤー批判と道徳的な訓話をごちゃ混ぜにして、一企業のプラットフォーム独占やら、セカンダリーマーケットへの規制を正統化する詐術に簡単にお前ら騙されてるわけ。ゲハ脳はまさに「肉屋を支持する豚」であることをこれ以上ないまでに証明している。下の山本一郎の論考『山本一郎:お前らとSwitch2の転売ヤーを巡る業界の話』とか典型だよ。お前ら、山本一郎(肉屋の広告マン=総会屋2.0)にあっさり騙される豚になってるわけよ。
https://www.4gamer.net/games/999/G999903/20250613040/
経済学的に言うなら、消費者なのに、超過利潤(レント)を企業に与える行為を支持しちゃってる。マルクス経済学的に言うなら、労働者なのに資本に対する資本余剰を増やす行為に加担しちゃってるわけ。こうした行為が、市場主義経済全体の効率性を阻害させて日本経済全体の生産性を低下させてることは火を見るより明らかだ。
④これに関しても言うまでもないだろう。お上によるトップダウンの規制を盲目的に肯定しちゃってるわけ。特定の市場取引に国が表層的な道徳心から介入すればどんなバックファイアが生じるかとか検討できないわけ? お上が気に食わないことを法規制すれば、それで一挙解決って、立法による正統性やら、行使が行われた時の経済的効果とか何も考えられないわけ? 水戸黄門とか暴れん坊将軍を好む日本人の奴隷的心性がここにも如実に現れてる。「国がお金をばらまけば全問題が解決します」みたいなれいわ新選組を支持者みたいな思想で、日本人の独立心・主体性の無さの象徴でもあり、まさに日本を駄目にしてるわけ。
任天堂●ね。転売批判者●ね。お前らが日本経済・政治を低迷させてる元凶だよ。お国から5万円バラマキしてもらって、それで購入したSwitch2を抱えて●んでくれや。
ジークアクスが2014をテーマに作られたアニメだって騒がれてるけど
俺は露骨にテーマ性でストーリーを作り上げる系の作品好きなんだよな
北朝鮮から来たキチガイサイコ連続殺人鬼が韓国で好き放題して韓国の警官は捕まえようと頑張るんだけど
キチガイサイコ連続殺人鬼は実は中国資金の金庫番で、その資金を手中に収めたいCIAからの横入りがあって日和見主義の政府からキチガイサイコ連続殺人鬼を慎重に扱うように圧力がかかる
それをいいことに好き放題しまくるキチガイサイコ連続殺人鬼を射殺することもできず、
最終的には北朝鮮に送り返して向こうの内内で処理させようという話になるも失敗、警官は処刑される
最後に、生き残った刑事がキチガイサイコ連続殺人鬼を殺害しCIAに引き渡すも
CIAが手に入れたがっていた資金は既に中国の手に渡っており、結局なんのこっちゃねんで話は終わる
キチガイサイコ連続殺人鬼のキチガイサイコ連続殺人鬼っぷりがちょっと常軌を逸していて
見ていて胸糞悪くなる展開しかない作品で好き嫌いは明らかに分かれるんだけど
アクション、サスペンス、(ある種の)ホラー作品として高い水準で完成してると俺は思う
北朝鮮をめぐる国際情勢を映画に落とし込みました!というそんだけの作品なんだよね
・中国を抑えるために北朝鮮に手を出さないように圧力をかけるアメリカ
完全にこれをやりたいだけの作品なんだけど、この構図をうまく作品に落とし込んでいて
テーマを理解して見ると別の角度から作品が輝き出して急に視界が広がる感じが好きなんだよな
もろちん、修羅の獣たちはオリジナル作品で、ジークアクスは長らく親しまれてきた作品だから
テーマを表現したいならオリジナルでやれよ!って意見はよくわかるんだけど
別に乃木坂の話が出る前からジークアクスは面白い作品だったわけで、
いったん乃木坂の話は忘れた上で全編見て楽しんだうえで
乃木坂考察を全部入れた上で見直すことで1回で二度おいしい作品って見方もできるんじゃないかな
おいらもだ~い好きでゲソ