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はてなキーワード: ささやかとは

2025-11-30

anond:20251130201721

おっ、出た出た。嫌なら出てけ論な。

だが残念、俺はそのシステムの中で不満を持つ自由まで享受してんだよ。それが真の自由主義社会だろ?

だいたい、そんな中学生感想文ごときに、わざわざ気の利いた批判コメント残そうと必死になってるお前は何なんだ?

お前も他人を叩いてスカッとするシステム依存して、ささやか幸福享受してんだろ?

俺もお前も、目クソ鼻クソだっつーの! 仲良くしようぜ兄弟

なんでドット絵変換ツールが許されてんだ?

昨日のことだ。

高精度とかいう触れ込みで、イラストドット絵に変換するサイト無料公開された。試しに流れてくる比較画像を眺めたけれど……なんというか、胸の奥がざわついてしまった。

自分は長いあいだ、Twitterドット絵投稿してきた。

「描いてる」といっても地味な作業だし、誰に求められてるわけでもない。

それでも、あの“面倒くさい手作業”こそが、自分ささやかな誇りだった。

なのに昨日のサイトの精度を見た瞬間、アイデンティティを根こそぎ持っていかれたようで……正直、けっこうきつい。

生成AIと何が違うんだろう。いや、違うって言い張る人はいるんだろうけど、自分にはよくわからない。

「生成AIは悪! 著作権が~!」と声高に叫ぶ人たちが、なぜか今回だけ静かだ。

……まぁ理由は薄々わかっている。

ドット絵なんて描く人が少ないから。声が小さいから。

Twitterって、結局は多数派空気に流される人たちの集まりだし。

著作権を持ち出す人もいるけど、じゃあ カービィのエアライダーのオレマシン みたいに好き放題やってる作品が、どうして延々と許されてるんだろうね。

彼らにとって都合がいいものだけはスルーして、都合の悪いものだけは倫理ぶって叩く。

そのくせ「これは理論的に〜」「法律的には〜」と後から理屈をくっつけて正当化してくるあの感じ、本当に気持ち悪い。

この話題にも、どうせまた“後付けの理屈大会”が開かれるんだろう。

そして、どこかの誰かが作った詭弁を「これが正しい意見です」と持ち上げて、安心した顔で頷いて……それで終わり。

まぁ、いつものことだ。

……けれど困ったのは、自分のこの不快感をどこに流せばいいのか、ということだ。

文句を言えば「被害妄想だ」「技術進歩についていけないだけ」なんて言われるんだろうし。

かといって黙って飲み込むほど落ち着いた人間でもない。

どうしたら発散できるんだろう。

このままじゃ、また“都合の悪い側の少数派”として、モヤモヤを抱えたまま薄く溶けてしまいそうだ。

2025-11-20

Colaboとみいちゃん

最近にわかネットで「Colaboの様な団体がみいちゃん(「みいちゃん山田さん」という漫画キャラ発達障害を抱えたセックスワーカー)

みたいな可哀想な子を救うために頑張っていたのに、バッシング活動妨害された」という言説が一部で流行っているらしい


その是非はさておき、個人的意見としては、Colaboはみいちゃんみたいな子は結局持て余して放逐しそうな気がするんだよね

みいちゃんという少女(キャラ)は、作中の描写を見る限り、彼女は「◯◯したくない!◯◯は嫌!」と、『自分意思』が比較的強い印象

この手の子はとにかく「嫌な事」を「押し付けられる、やらされる」事に抵抗感が強い

それこそ作中初期で勉強を教わろうとしたけどとにかく出来なくて癇癪を起こすシーンがあったが、ああいった事が頻繁に起きる

みいちゃんタイプはColabo特有の強い思想押し付けや、これを学んでという「善意」を、上手く受け止められないと思うんだよね


実際あそこから放逐されて流れて来た子は、どちらかと言えばみいちゃんに近いタイプだった

みいちゃん言葉巧みに「自分意思で」セックスワーカーをやらされてる様に、自らの意思で強い思想に入り込める様に誘導出来れば良いんだろうけど

聞く限りは誘導出来無さそうな子に対しては興味無くしてくっぽいし

みいちゃんタイプ発達障害は上手く扱えてない印象があった


「みいちゃん」の対比としてむうちゃんというキャラが出てくるが、彼女は良くも悪くも素直なタイプ

正しい影響も、作中でみいちゃん万引きセックスワークを教えられた様に、負の影響もダイレクトに受けてしまタイプ

これもまた発達障害の特徴の一つで、自分意思自己決定権という感覚希薄が故に、言われた事、された事をそのまま受け止めてしまうんだよね

Colaboに限らず、何らかの意図を持った輩からしたら、これ程都合の良い人材は無いだろう


みいちゃんみたいな子も、むうちゃんみたいな子も、「みいちゃん山田さん」の中では徹底的に透明化されている「発達障害男性」も、

本来であれば適切な支援必要なのにも関わらず、支援の質も網も玉石混交過ぎて、どうしても零れ落ちてしまったり、救われた筈が…という結果になってしま

どうしたら良いんだろうな

ささやか対症療法ぐらいしか出来てないけど、根本的な解決策なんて無いんじゃないかと思う

少なくとも一部の夢アノンが言う様な「Colaboがいれば全て解決」なんて事にはならないだろう

2025-11-19

顔文字増田ボスマン増田は別人なんか?

顔文字増田顔文字レパートリーが少ないが

ボスマン増田は多彩だから別人だと思うんだが

エントリ内に大量の絵文字を投入する増田はこの2名だけだから同一人物説もささやかれる

2025-11-17

猫缶になるということ

朝の工場に足を踏み入れると、ひんやりとした空気と共に、かすかに肉の匂いが鼻をかすめた。

巨大な搬入から搬入トラックがひっきりなしに到着し、銀色の檻に入れられた独身氷河期ごみおぢが次々と運び込まれていく。

その動きはまるで大きな心臓の鼓動のようで、工場全体が一つの生命体のように感じられる。

奥の処理室では、真っ白な作業着帽子に身を包んだ人々が、規則正しく機械を動かしていた。

ごみおぢを蒸した後、骨を外し、皮を取り、均一な大きさに刻む。

刃物が回転する軽やかな音が響き、やがてミキサーの低い唸り声と溶け合う。

混ぜ合わされた肉と添加物は、やわらかなペーストや角切りの具材となり、栄養剤やゼラチンとともに巨大なステンレスの槽に集められる。

ラインを進むと、空っぽの缶がベルトコンベアの上を整然と行進していた。

そこに金属のノズルが降りてきて、次々と中身を注ぎ込む。

トクトクと響く液体の音、規則正しいシールの打ち音。

やがて缶は列をなし、高温高圧の殺菌機へと送り込まれる。

蒸気の立ちこめるその内部は外からは見えないが、まさに工場心臓部であり、猫の安心保証するための最後の関門だ。

冷却を終えた缶は、水滴をまとってコンベアの上を流れていく。

その光景は、まるで小さな銀色兵士たちが行進しているようだった。

不平ばかり言い立て人生で戦わなかった氷河期おぢさんもついに兵士へと生まれ変わったのだ。

ベルを貼られ、検査を終え、箱詰めされていくとき、思わず微笑んでしまう。

きっとこの一缶が、どこかの家庭の小さな猫に差し出され、ぱちぱちと瞳を輝かせて食べられるのだろう。

そうして命を繋いでいくのだろう。

工場の出口に立ち、夕暮れの光を浴びたパレットを眺める。

銀色の缶に詰まっているのは、もはやただの氷河期ごみおぢではない。

猫のささやか幸福時間、その種子のようなものとなって、ここから世界に送り出されているのだ。

2025-11-13

きぬ歯科院長へ グロコンプレックス広告を街に掲示するのをやめてください

きぬ先生

先生の麗しいお写真と、先生ユーモアとを同時に楽しめるきぬ歯科の斬新な看板を、いつも楽しみにしています

私は東京西部に住んでおります。ですから先生のお写真を見ない日はないほど、きぬ歯科を身近に感じております

私は自分の歯に異常はないと思っていますので、まだ先生のお世話になったことはありませんが、インプラントを入れる機会がありましたら必ず先生のお世話になろうと心に決めています

街の看板を巧みに使った先生の斬新な広告戦略はいつも感心するばかりです。

しか先生先生に、一つだけご配慮いただきたいことがあります

グロコンプレックス広告を街に掲示するのを、ご遠慮いただけないでしょうか?

https://maps.app.goo.gl/WuPAxhgz4VDALAPg8

https://maps.app.goo.gl/2qXiF47CAS6b7nKL7

https://maps.app.goo.gl/1mWHHQvh6LBgWkyR6

https://ameblo.jp/minor1979/image-12584378427-15176622768.html

https://ameblo.jp/minor1979/image-12584377238-15188393118.html

https://maps.app.goo.gl/EExcsP5PrYsw55kE7

これがあるから、私は先生のことを心から応援することができません。

歯科医師として長年ご活躍されている先生からすると、このような写真は見慣れたものかもしれませんが、私には刺激が強すぎます

歯が抜けた口のアップは、率直に申し上げてグロく感じますし、見ていて不安気持ちになります

先生意図とは違うのだとは思いますが、このような広告コンプレックス広告として作用する恐れもあります

もちろん、先生は単純にご自身歯科医院の良さを広めるためにこうした看板を設置しているのだと理解しておりますが、毎日のように歯が欠損した知らない人の写真を見なければならないのは地味にストレスです。

先生のおかげで西東京の街が一層魅力的になっていることに疑問の余地はありませんが、このような看板があるので、私は先生のことを心から応援できないのです。

差し出がましいようですが、先生に一つ提案があります。このような写真を、先生の麗しいお姿に差し替えていただけないでしょうか?

今すぐでなくてもかまいません。看板契約更新の時期でかまいません。こっそりと差し替えていただければ十分です。

歯の写真を掲げるよりも、先生の麗しいお姿を掲げたほうが、ずっと世の中のためにもきぬ歯科のためにもなると私は確信しています

私も先生看板インプラントのことを知ったほどですから、このような看板インプラント存在を周知する良い効果があるのは承知しております

ですが、看板に掲げるのは生々しい本物の写真ではなくてもよいのではないか、と思うのです。絵や文章はいかがでしょうか?先生目的は、グロ画像を貼らなければ決して達成できないものなのでしょうか?

コンプレックス広告への風当たりは日に日に強くなっています。このような看板はいつかやめなければならなくなる日がかならず来ます。どうせやめるのであれば、早いほうが良いと思うのです。

グロ看板を見て憂鬱な気分になりながら毎日通勤通学している私たちに、どうかささやかなご配慮をいただけないでしょうか。

近所からグロ看板が無くなったその時は、きぬ先生医院に歯の検診に参上いたします。先生を信じておりますから

これから先生看板を楽しみにしております

2025-11-12

彼の名は

職場還暦を過ぎたおばさんパートがいて、干支二周り年下の私を何故か目の敵にしている。

彼女は私のやることなすこと気に入らないらしく、舌打ちしたり無視したりでかい音を立てて物に当たって威嚇してきたり、やった仕事にいちいち難癖を付けて来たり、ネチネチ嫌味を言ってきたり、そういう行動が3年ほど続いていた。

しょうもない人間だと思ったし、周囲も「あの人はそういう人だから相手にしないように」と諦めて開き直るように促してきたけれども、毎日悪意を向けられるというのはかなりのストレスで、そのうちメンタル大分削られてしまった。

人事に相談したところ彼女は注意を受け、最近は多少大人しくなったが、人間の本性というのはそうそう変わるものではない(というか、変化できる柔軟さや客観性のある人間そもそもそういう性格にならないんではないか)ので、いまだに思い通りにならない事があると勝手イラついてなぜか不機嫌をこちらに向けてくる。

彼女の中では、この世の全ての嫌な事はあの小娘(私)のせいで、だからあいつには悪意を向けて良いということになってるのだろう。

(ちなみに人事に相談した後も、彼女は「私は何もしていないのに加害者扱いされてショック」と被害者側に立ち、事あるごとに私の評判を下げるべく悪評を広めるために頑張っているらしい。

幸い彼女は私に輪をかけて人望がないので実害には至っていない)

私に執着する理由が何なのかは本当に心当たりがない。まあ私がいなければ私ではない人に悪意を向けてるんだろう。元々私は口下手でおとなしく、現在の見た目が無難な感じなのもあり、ぶつかりおじさんや酔っ払って気が大きくなってるようなカスにもナメられやすく絡まれやすい。

ぶつかりおじさんに限らず、きっと悪意のある人間はその場にいる弱者を嗅ぎ分けようとするんだろう。

今日の勤務でもおばさんは機嫌が悪かったらしくカリカリしていて、帰り際、こちから義務としてした挨拶はガン無視された。よくある事だが、こちらも挨拶したくてしているわけではないので無駄ストレスを感じて、ますます疲れてしまった。

一方で彼女は外面は異様に良く、他部署の人や上司にはワントーン高い声で挨拶をしているのだった。

彼女はそうして序列を作らないと、さら序列の中で明確に自分より下の人間がいると信じていないと不安になってしまうのかもしれない。

そういう内面を持つ人がいることを、理解はできても感覚としては「底意地の悪いクソババアがよ〜」と思ってしま自分がいる。

悪意を向けられると自分まで性格が悪くなってしまうのが本当に困りものだ。

そんなこんなで疲れながら帰路に着き、帰りにスーパーで買い物をすると、時々見かける感じの良い男性店員レジにいた。

彼は同僚に対しても客に対しても温和で、過剰すぎもしないがそっけなくもない、ほどよい態度で接する、印象の良い青年だった。

年齢は私と同世代くらいだろうか。服装髪型無難もので、目立つタイプではなく、私同様おとなしく見られそうな感じでもある。

今日カップスイーツを買ったのだけど、彼は私が何も言わないうちに、小さいスプーン入れておきますね〜とさりげなく言い、小さいスプーンを付けてくれた。

ポイントカードを出そうとしてもたついていると、「ゆっくりでいいですよ」と言ってくれたりもした。

それは顧客への配慮であったかもしれないが、人を人とも思っていない対応疲れた私は、そのささやか気遣いにすさんだ心が洗われるような思いがした。

そして会計をし、レシートが出てくるのを待っていると、ふと彼の名札が目に入った。

ひらがなで書かれたその苗字は、偶然にも、さっき会社で私の挨拶をガン無視した意地悪クソババアと同じものだった。

一瞬「あっ」と思ったが、誰に共有できる感情でもないので、顔には出さずレシートを受け取り、財布にしまって店を出た。

帰り道にしみじみと、うめざわしゅんの『パンティストッキングのような空の下』を思い出した。

色んな人間が生きている。

二回り年下の社員嫌がらせを繰り返す主婦歴数十年のクソババアもいるし、名前も知らない客にさりげない気遣いを向けることができるスーパー青年もいる。

非正規雇用青年には彼の痛みがあり、それをどこかで発散しているのかもしれないし、子供を持たないまま誰かの妻として生き、老いを迎えつつあるクソババアにはクソババアの人生の悲しみがあるのかもしれない。

色んな人間が生きている。

とりあえず私は、クソババアの名前を見たときしょうもない嫌がらせではなく、レジ青年が良い奴であったことを思い出すこともできるのだ。

2025-11-11

1000円超えの牛丼を食らうチー牛を、俺はもう「弱者」とは呼べない

誰もが「弱者」になりたがる現代不毛さよ

最近ネットを見ていると、とにかく「弱者男性」という言葉が溢れてるよな。

みんな自分が一番大変で、一番守られるべき存在だとアピールしたい。

その代名詞として、なぜか牛丼屋でチーズ・大盛・温玉を注文する「チー牛」なる存在槍玉に挙げられてる。

いや、待て。よく考えてみてくれ。

俺たちがリアルで見てる「本物の弱者」ってどんな人間だ?

閉店間際のスーパーで、半額シールの貼られた惣菜菓子パンだけをカゴに入れて、俯きながらレジに並んでる、あの人たちじゃないのか?

彼らが手にするのは、どうにか今日の飢えを凌ぐための、栄養価も満腹感もギリギリの食料だ。

会計は500円でお釣りが来るかもしれない。彼らは本当に経済的な困窮と戦っている「弱者」だ。

特盛・温玉付き1000円超えを平らげる「チー牛」は貴族

一方で「チー牛」と揶揄される彼らの食卓はどうだ?

牛丼屋に入り、迷いなく「特盛で。温玉も付けて」と注文する。

合計金額は、優に1000円を超えることもあるだろう。ちょっとしたランチセット以上の出費だ。

冷静に考えてみてほしい。

1000円を超える単価の食事を、日常的に選べる経済力

胃もたれしそうな特盛飯と、とんでもない量のカロリーを一気に胃に収め、消化できるフィジカル

これが「弱者」の食事か?

本物の弱者が、冷えた半額の菓子パンで震えている間に、彼らはホカホカの肉と米と卵を掻き込んでいるんだ。

あの高カロリーを一瞬で処理できる胃腸と体力は、まさしく「食の強者」が持つスペックだろう。

少なくとも、金銭面や体力面で「今日を生き延びる」ことに必死な本物の弱者とは、隔絶した階級差がある。

もし、今、俺のポケットに1000円が自由に使っていい金としてあるとする。

その状態で「最高の贅沢をしろ」と言われたら、真っ先にすき家に行くか?行かないだろ。

1000円あれば、そこそこ美味いラーメン屋の特製を頼める、ちょっと気の利いたカフェコーヒーケーキゆっくりできる。

もう少し足せば、夜の定食屋刺身一品でも付けられる。

まり、「弱者男性」と揶揄されるチー牛の食卓は、彼らの経済力(1000円を日常的に出せること)は証明しても、食の最高の選択肢はないんだ。

敢えて「すき家」に行くという、屈折した承認欲求

彼らはなぜ、最高の選択肢があるかもしれない1000円を、あえて「チー牛」というレッテルが貼られた場所で消費するのか?

それは、彼らが無意識のうちに**「弱者記号」**を演じることで、世間への皮肉表現しているからだと俺は思う。

「チー牛」は、世間に余裕をひけらかす「貴族」の隠語になりつつある

結局、「チー牛」というレッテルは、真の経済弱者嘲笑うためのものではなく、

「俺はこんな高カロリーもの毎日食っても平気だぜ」

「この程度の出費、痛くも痒くもないぜ」という、ささやかな余裕を世間から叩かれる対象として、都合よく祭り上げられているだけなんじゃないか

俺はもう、チー牛を弱者とは呼ばない。

彼らは、現代社会における「隠れた貴族」だ。

半額パンしか選べない俺たちから見れば、そのフィジカル経済力は、むしろ羨望の対象しかない。

エレベーター

1話 スタジオ

エレベーターというのは不思議空間だ。

人がぎゅうぎゅうに詰まっていればあきらもつくのだが、ひとりきりで乗ると、あの箱の中は、ちょっとした自分専用のスタジオになる。

わたしローファーがそっと床をたたく。コトン。ドン。――あの低い響きがいい。まるでバスドラム

自然と手が動く。指先で軽くリズムを刻む。床の下は空洞なので、やけに低音がよく響くのだ。これが妙に気持ちいい。次に手でリズムをとる。パパパン、パパパンパン自然お気に入りサンバリズムになる。あとはもう止まらない

――ドンパンドンパン

まるで小さなドラム練習室だ。

途中でふと思う。もし監視カメラ映像を見ている人がいたらどう思うだろうか。

「またやってる、あのローファーの人」

なんてあだ名がついているかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。あの数秒間の“無重力時間”を、ただ上品にじっと立って過ごすなんてもったいないわたしにとってエレベーターは、心のメトロノームを整える大切な装置なのだ

演奏もノッてきて、いまにも踊りだしたい気分のなか、ピン、という到着音が鳴る。

ドアが開く。演奏は終わる。

ドラムス、わたし。観客、ゼロ拍手ゼロ。だが、なぜか心はちょっとだけ晴れやかだ。

何事もなかったように髪を直し、まっすぐ前を向く。

外の世界に出ていくわたしの足元では、ローファーがまだ、ほんの少しだけ跳ねている。



ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第2話 文明の衝突

――エレベーターというのは、社会の縮図である

たかが十数秒の移動時間に、上下関係礼儀作法も、そして日本独特の「気づかい文化」も、すべて詰まっている。

欧米では女性と乗り合わせた男性は奥に立ってはいけないという。

女性の背後に男性が立つと不安を与える――そういう理屈らしい。だから女性はドアのそば男性は奥へ。それでバランスがとれる。

だが日本では、事情がまるで違う。

ここでは、奥が“上座である上司や来客を奥へ通し、目下の者が手前で「開」ボタンを押す。つまり最後まで残ってボタンを押す者こそが、いちばんの下座なのだ

ある朝、会社ビルでのこと。

わたし男性上司と数人の同僚と乗り合わせた。

エレベーターが動き出すと、自然に手前の位置に収まり、指を「開」ボタンに添える。

――目下の女性は、番人のようにドアの手前に立つ。

最後の瞬間まで(開)を押し続け、すべての人が安全に降りるのを見届ける。

そして、最後自分が降りるその刹那、体をよじらせてまで(閉)ボタンを押す。

去りゆく背中に向けて、残された人たちが少しでも快適であるように。

それが、ささやかだが確かな、日本文化である

ピン、と到着音。

ドアが開く。上司が降り、同僚が降り、わたしが残る。

手の中の「開」ボタンが、少しだけ温かい

最後に指先をひねるようにして(閉)を押すと、ドアはすっと静かに閉まった。

――誰も気づかないほんの一秒の所作

けれど、その一秒のために、日本エレベーター今日も穏やかに上下しているのだ。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第3話 ゴミ

――朝のエレベーターほど、社会の縮図を感じる空間はない。

まだ頭のエンジンがかかりきっていない時間帯に、人と人とが沈黙のまま、数平方メートルの箱の中で呼吸を合わせる。

そんな朝に限って、なぜか私は両手いっぱいにごみ袋を持っている。しかも三袋。

いつもはこまめに出しているのに、今朝に限って溜まっていた。

昭和のころなら「燃える」「燃えない」くらいで済んだが、いまは「プラ」「紙」「ペットボトル」と分別がややこしい。

この三袋はまるで、現代の複雑さそのもののようだ。

そして、よりによって――

各駅停車のように、途中階でピタピタと止まるエレベーター

「一階まで直通で行きたい」と願う日に限って、乗ってくる、乗ってくる。

二階でひとり、三階でまたひとり。

そのたびに私は、ごみ袋を抱えたまま少しずつ後退し、ついには奥の壁の隅へと追い詰められる。

壁と人の間、残された空間ほとんどない。

ごみ袋が前の人に触れないように、腕の角度を微調整。

ペットボトルの袋がカサッと鳴るたびに、全身の神経がピクリと反応する。

――これが朝の神経戦である

やっとのことで一階に到着。

ドアが開くと同時に、三袋を引き連れて外へ出る。空き缶がカラカラ鳴ってまるで子ヤギの鈴だ。

外の空気は冷たく、そして妙に自由だ。

ごみを置いて手が空いた瞬間、エレベーターの中のあの沈黙が少し懐かしく思える。

ほんの数十秒の乗車時間――だが、そこには社会圧縮ファイルのように、気づかいと緊張と分別哲学が詰まっているのだ。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第4話 ラッキーセブンか丸八か

――俺の会社雑居ビルの七階にある。

から近いくせに、人通りは少なく、どこか路地裏のにおいがする。

飲食店事務所と、なぜか整体院が混在している、昭和の名残のようなビルだ。

朝のエレベーターはたいてい俺ひとり。

無音の箱がゆっくり上昇していく短い時間が、ちょっとした気持ちの切り替えになる。

その日も、いつものように慣れた指先で「ピッ」とボタンを押した。

ドアが閉まりモーター音。

七階に着くはず――だった。

ところが。

扉が開いた瞬間、見たことのない光景が広がっていた。

薄暗い照明の奥へ、赤い鳥居がずらりと連なっている。

遠近感が狂いそうなほど、ずうーーっと続いている・・・ようにみえたが、錯覚だった。

そうか。ここは霊能者占い事務所だ。

一瞬、本気で異世界転移かと思った。

だがボタンを見ると、「8」が光っている。

……押し間違えたらしい。

そうか、と胸の奥で何かがコトンと鳴る。

前の会社は八階だった。

あの頃、毎日押していた数字

意識しなくても、指が“丸八”を覚えていたのだ。

八幡神社の丸八」みたいだな、とふと思う。

勝手縁起がよさそうに見えてくる。

いや、縁起がよくても、この八階の鳥居廊下には用事はない。

そっと「閉」ボタンを押す。

エレベーターが七階へ戻っていくあいだ、

赤い鳥居と“丸八”の光が、じわりと胸の奥に残っていた。

七階の扉が開く。

いつもの蛍光灯の白い光。

コピー機作動音。

ああ、こっちが現実世界だ。

でも時々思う。

人間にも、過去の「丸八」を押してしまう指が残っていて、

そのせいで、ふと別の世界のドアが開くのかもしれない――と。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

第5話 回覧

――マンションエレベーターというのは、ちょっとした“自治社会掲示板である

あの狭い壁面には、住民の息づかい管理組合の苦労と、そしてときどき発生する謎の個人制作チラシが、ぎゅうっと貼り並んでいる。

わがマンション例外ではない。

消防設備点検のお知らせ、粗大ごみ出しのルール徹底、管理組合理事会の案内。

そして、上下階の騒音問題――おそらく管理人クレームがいったであろう案件も、「○階の皆さまへ」などと、やんわりと、しかじわじわ刺す文体で貼られている。

小さいお子さんの“ドンドン問題だ。

あれはもはや、マンション暮らし季語に近い。

中には「〇階付近」と、ギリギリ個人特定にならない程度に範囲を狭めてくる注意書きもあり、これがまた絶妙にいやらしい。

管理組合名義とはいえ、実質“言いたいことを管理人外注”している感がにじみ出ている。

通常、掲示物は管理人が貼るのだが、ごくまれに、明らかに住民勝手に作って貼ったものを見かける。

文章微妙感情的フォントは謎に凝っており、そして貼り方が妙に強い。

よほど業を煮やしたのだろう。

ある朝、エレベーターの鏡に直接貼られた紙を見て、思わず声を失った。

「鏡を手あぶらで汚すな!!」

しかも、使われていたのは粘着バリバリの強力テープ

……おいおい、それを剥がすとき、鏡が汚れるだろう。

いや、鏡が傷つく可能性すらあるぞ。

注意のために鏡をむしろ犠牲”にするとは、なんという本末転倒

いや、あなたのほうがよっぽど鏡の美観を損ねてますよ、と心の中で突っ込んだ。

たぶん、あれは隠居爺だ。

日々やることがなくて、イライラが溜まっているに違いない。

エレベーターが小さな舞台なら、あの爺さんは毎朝そこで、独自の幕間劇を上演しているのだろう。

エレベーターが一階に着く。

ドアが開くと同時に、外の空気が少し冷たく感じる。

振り返ると、鏡に貼られた勝手チラシがどことなく誇らしげに揺れていた。

――今日マンション社会は、あの小さな箱の中で静かにドラマを続けている。

ときどき、こういう文章AIにつくってもらうのが最近ちょっとした気晴らし。

2025-11-05

最近ハプバーにいきまくった女から人間模様の実態さらしたい

ここ最近はぷばーデビューして

ハプバーいきまくっている

そこでの人間模様が愉快すぎたので一部さらします。

かいている私は女です。

先に結論を出すと

可愛い20代女子はタダ酒目的推し

・既婚女性は「パートナー」がいる

パイパ●男性常連

経験値が高い女性は貫禄があり艶めかしい

・隣でなにやってようが風景のようになる

可愛い20代女子はタダ酒目的推し

可愛い女の子とやれるのか?

そこは男性が唯一ステイタスとするところだと思うが

基本的には女性はタダなので

酒ばっかり飲んでいるか

推し店員のことしか見ていない

もちろん店員は手を出しませんが、それでも

その人の誕生祭なるイベントがあればそれにむらがる女性がやってきます

なので性を持て余した男性そっちのけで

女子はここぞとばかりに貢いでいる様子がご覧いただけるかと思います

そういうときって新規男性蚊帳の外感がはんぱないですね

それを蚊帳の外の外から見るのも

また楽しいんですけどね・・・

・既婚女性は「パートナー」がいる

カウンターに信じられない美人がいたので声をかけました

そしたら

店員パートナーです」それだけ言って黙々とご飯を食べ

目の前にいる店員ご飯を渡していた

それ以上は語らず横顔も何もかも美しい。

こんな美人がいる、この女性は既婚かは不明だったが

このような女性仕事帰りにこの大人空間に足を入れて

どのような経緯でパートナー化したのかと思うとそこの話もききたくなるが

もちろんそこまでは踏み込まない。

他のはぷばーでも

40代ぐらいの男女、夫婦かと思ったら「パートナー」と一言

きっと奥様は「プロ嫁」なのだろうと思った。

普通に主婦になりきり、このような場所では大胆に

NTRも好む上手な男性パートナーとしてココにいる

その女性からはそこはかとない妖艶な雰囲気

男性キレイな顔立ちの色白の紳士

この二人がこのような場所で軽快に性を楽しんでいると思うと

道を歩いている夫婦夫婦なのかと疑ってしま

縛られプレイでうっとりしていた小柄な女性

下着姿で歩き回っていた

その方にも「結婚はしているの?」と声をかけたら

パートナーがいます」と、

やばいな。

土日の夜はわたし日常生きていたら絶対合うことがない人間

わんさかと溢れている

激しめの個性がある人しかここにはいない

パイパ●男性常連

いきなり素敵な男性出会ってやれるのはまじで

ビギナーズラックだと痛感したのは

連日素敵な男性相手してくれたからだ

わたし性癖がぶっこわれた原因の人が

濃いめの顔のお兄さん

私が店に入ったあとに入店してきた方

顔がもろ好みの男性がきて、ガン見をしてしま

しかカウンターにいるため店員だったら落ち込むなと思いながら

酔いの力で私も思わず声をかけた

店員さんですか?」

「いや、常連です」

常連お酒つくってるの?」

「もうここ長いので・・・

マスター信頼関係がなりたっている状態だった

見た目も素敵だったので、プレイルームを案内してと声をかけて

二人になり小さなチャンスをうかがっていた

「お兄さんかっこいいですね、めっちゃ好みです」と

私も小さなきっかけを出した

素敵な笑顔で手をつながれ同意のもと始まる。

キスの際に後頭部の髪を優しくつかまれ

自然と顎が上を向き唇が誘導される

これで試していたらしい

「この人はMでもイケる」と

あとから聞いた話だが、後頭部を優しくなでて

髪を優しく掴んで抵抗なければM

そのあとに嫌な顔したら「Mではない?」の判断ひとつだそうだ

私はこの後頭部を優しくつかむにまんまとクリアして

(むしろそれが良いとすら感じてしまい)

「こいつMだな」の判定を見事にクリアしてどんどん相手がS化

相手はもともとSだそうです)

見事に両手をつかまれほぼ抵抗ができない状態体験

人生で初めてだったので本気で焦った、このままでは沼る。

わたしはMだ」と断定させてしまった

耳元で「可愛い」とささやかれるのは本気で焦る

その瞬間だけ絶対好きだった。

実は人生はじめての下をなめられた経験をした

適確に急所を狙い動きと手の鮮やかさ、

そしてもう片方の手はわたしの両手をぐっと離さな

(どんな姿勢だったのかさえわからない)

ほぼ抵抗できない状態脳みそが混乱していた

そのあと初体験をまたした、

手でされているとき

急に下腹部をぐっと抑えられた(膀胱あたり?)

その時に快感の波がぐっと上昇したのを感じた

「え!?何やってるんですか!?

今まで経験したことない接触に驚いて聞く

「こうやって子宮を押さえるときもちいんだよ」

私も今まで経験のしたことない行為

さらに声がとまらなかったです。

これ以降、この「子宮を押さえる」が一般常識であると学びました

腰の動かし方が尋常ではなかった

私の中の上をなぞり上げるように展開されている動き

ただのピストン運動ではない

グラインド運動が展開されていた

『この人は女をイカせるための動きをしている』

人生でここまで女性のためのセックスをしてくれる人がいるのか?と

私の膣が疑った。

子宮恋愛とはこのことだ!

ナチュラルに松葉崩しの体勢になり

今まで産婦人科しか到達してない(健診で)であろう

子宮口を大胆にノックする動きに私の声が止まらなった

これは絶対ヤバい、これは頭がおかしくなる・・・

これ以上は私が壊れ始めると断点して私からリタイアを申し出た。

もう一人の方は別の場所で。

私が来たしばらくした後に見えた方

営業の暇がてらきたのかな?

整いすぎた髪型と体格が印象的だった

店員さんと仲良く話している感じで常連さんだなっと判断

私もこの場所では初めてだったので

はじめまして」とあいさつ

薄暗い店内でのさわやかな笑顔で私の心はOKを出した

女性も顔で選んでもいいのがヤリ目だけの特権

もちろん男性も選ぶ権利あります!!!

隣の席に座って数回言葉を交わして

ナチュラルに腰に手を当ててくれる行為はもはや慣れの域

「やるなら絶対上手い人がいい!」

私の脳みそOKセンサーを放つ

「どうしてほしい?」と耳元でオーダーを聞いてくれた

「Sっぽいのが好きです」と伝えるとそれで了承してしまった

常連さんが来て数分でプレイルームへ案内

まじでただの欲求不満には最高の場所すぎます

部屋に入った瞬間、

片手で押し倒される

もうこれに私の性癖がまた追加されました。

そのあと容赦ない言葉責めにも完璧に心が奪われました

『もう私はMだ、Mでいい』と心で念じました。

ずっと手でやってくれて

「手、疲れないの?」と聞いても

「慣れてるから大丈夫だよ」って

わ~またもや、女性優位の神対応男性に当たってしまった…

手でしばらくしいたら

「いれて欲しいの?」と笑顔とのギャップ下半身がずっとこちらを

見ていました

「もう、こんなんになっちゃったよ」

そのあと優しくリードしてくれました

途中で私の口を手で押えてくれるという

また新たな私のM性癖を開花させるような予告ない動きに

完全にうっとり状態に(酸欠?)

首絞めも一回してくれましたが

さすがにこれはわたしの中ではSすぎて無理でした

(失神プレイが好きな方もいるそうです)

そのあとは相手がイって終わりましたが

「私がイケなくてごめんね」っといったら

女性はその雰囲気とかでイケるイケないがあるから

大丈夫だよ」と

とことん優しく接してくれ

「どれだけの女性対応したんだ、神スキルだ」と

もっぱら穏やかな会話調さえも学びになった瞬間だった。

私もこのような優しく接して瞬間を楽しむような

会話をすべきだなと体験以上のものを得ました。

あ、ちなみに二人ともパイパ●でしたよ

経験値が高い女性は貫禄があり艶めかしい

別の店で女性二人とひょんなことから一緒に飲んでいた時

(私もかなり泥酔していたので(なんせ女性永遠に酒はタダ))

猥談で基本盛り上がっていた時の

女性の動きがとにかく私の中で衝撃的だった

とにかく「エロい

女性の私から見ても、

エロ目視できるくらいにはエロかった

具体的にいうと

笑顔可愛い

目が潤んでいる

くねくねしている

所作可愛い

長い髪さえも武器にしてゆらゆらエロ

ずっと見つめてくる、視線が外れない

ロックオンがすごい)

・・・

なんだこの女性・・・

体型は太っているというかむっちりしていて

絶対肌もやわらかそう(触ってないけど)

細見の女性では絶対出せない肉感的なエロさというか

それすらを武器にしているのか!!!

と衝撃であった

その女性

「なんでそんなにエロいんですか?」と聞いた

ゆっくり話している」と

早口で話すより、ゆっくり話すといいよ」と

まさかの会話のテンポ大事だなんて・・・

非常に勉強になる話をきけて嬉しくなる私!

もう一人のメガネのかけた色っぽい女性

男性をさくっと連れてきて

ずっとチューしたり胸さわられていました

メガネ女性も同様にニットワンピースから盛れる

生肌が圧倒的にエロさを出していました

なんだこのエロい二人は・・・

絶対経験値高いだろ。

というか近くにいたら絶対この人に取られるんだろうな。

あ、あれか

彼氏の近くにいたら嫌なタイプ女性か!

と私は目の前のいちゃついている風景

また新鮮な学びを得ました。

場数を踏みまくっているであろう女性がもう一人・・・

またもやニットワンピ

体型が全部なぞれる服装スカート丈は

「それ」はもう見えていますよね?

もはや「痴女

顔は化粧っけのない一重の女性

体型もガリガリじゃない。

体型や若さじゃない。この人の武器は。

けどこの方から威風堂々と出ている

性に対しての余裕の貫禄・・・

女性としての余裕さ

一体これはなんなんだ??

これはなんだ?

ここでは書き表せられない、強い妖艶さ。

若さでは昇華できない、心の余裕。

もっと情報を聴きたい!

この方から放たれるエロオーラはいずこへ!?

とか思っていたらプレイルームへ姿を消してしまいました。

また会えたら話を聴きたいな。

・隣でなにやってようが風景のようになる

最近ハプバー体験をして思ったことが

そこらへんであえぎ声が聞こえていて

そこらへんで生のプレイが見れるので

それが空気になってしま

相手エロ行為をしようがそれも気にならない

それをきっかけにまた他のエロが誘発されるのだと

思うのですが

多少見られても気にしないし

見てもダレも怒らない

その場でいちゃつこうが

その場で股舐められようが全然気にしない風景がここにはありました

その隣で

猥談を交わすのも普通

そこで誘われ、そこで誘い、そこでやんわりと

断るのも・断れるのも普通

はじめてこの社交場に来たときはびっくりしたけど

慣れってこわいですね。数回で慣れました。

人妻複数人で回されていたり

縛られてあえいでいる女性をみて

酒を飲んでいるだけでも全然大丈夫なんだから

すごい世界がそれが

リアルであることに

素面だったら絶対この状況は混乱する

結局お酒が入ったら楽しいのには変わりはないです。

やりたくてもやらなくても

見るだけでもOk

これが大人の遊び場ですね

私は脳内プレイを思い出して普通にうずきます

本当にこれだけで精神が安定しま

また仕事が落ち着いたら行きたいです。

結論としては

やはり、基本新規単女は常連をあてがうのが絶対いいと思う。

というか店員さんも常連さんをあてがってくれ!

あとタダ酒飲みたい、飲みたがりの一人の女性

はぷばーオススメです。

別にやらなくてもいい。あわよくばどうにかなればいい。

一人で居酒屋で酒飲むより安い(というかお金からない)から

日頃からエロイ話したいとか

旦那プレイに不満があるから話を聴いてほしいって

いう人にも普通にオススメ

ただし結婚している方やパートナーがいる方は

バレないようにすればいいと思います

一期一会を推奨しているので楽です。

人間関係に疲れたのならここに

単女はとりあえずタダ飲みにくればいい。


女性目線のハプバー記事って全然いか

また何かあったら書きます

2025-10-24

俺が弱者男性にならなかった理由

過去を振り返ると人並みに試練が多い人生だったと思う。

例えば、

社会人になりたての頃は、

全く社会で戦っていける武器はなかった。

過去の瞬間を切り取れば、弱者男性と呼ばれる男だったと思う。

そこから40代になった今は、一応一部上場企業に勤め、年収は1,000万を超え、子宝には恵まれなかったが、妻と2人でささやか暮らしている。

現在弱者男性ではない理由は、他人に期待しなかったからだと思う。

まず近親者に問題が多かった。家族でもこれだから赤の他人行政が親身になって自分を救ってくれるとは到底思えなかった。

みんな自分の事で精一杯なのに、なんで何も持たない俺を気にかける?他人にとって俺を助けるメリットはない。だから自分を助けるのは自分しかない。ずっとそう思ってた。

独学でスキルを学び資格を取り、体当たりで色んな場所に顔を出してコネを作ったり、落とされても何度も挑戦して転職もできた。

途中では、挫折もしたし、恥も沢山かいた。ぞんざいな扱いに傷ついたり、悔しい思いも数知れない。

社会人スタートが遅かったから年下にこき使われることも頻繁にあった。情け無い気持ちになっても自分プライドを抑えた。生い立ちとか学歴とか、未だにコンプレックスだらけだ。

運が良かっただけとか生存者バイアスとか言われるかも知れない。でも誰かの救いを待ってるだけでは現状は悪くなるばかり。自分自分しか救えない。これは真実だ。

そして、これから人生で何が起きて、また弱者男性になるかわからないが、そんな時でも他人には期待できない。困らないような準備を今からしておく。

みんな頑張れ。

2025-10-18

自分いじめていた弟が結婚する

弟が結婚するようだ。いつのまにか。

弟は「良い奴」だ。明朗快活で行動によどみが無く、それゆえ友好関係も広い。物怖じしない性格で、自分の望みを果たすためには投資をためらわない。中高で入っていたバスケットボール部ではキャプテンを務め、体育祭では応援団長の役目を買って出ていた。なんというか、いわゆるクラスの一軍である

弟は専門学校を出たのちに、水産系の企業就職した。船に乗って遠洋に出ていたこともあった。いまは別業界転職しているが、話を聞く限りどうやら職場人間関係は良好で、金払いも良かったようだ。僕は大学院生なので、弟に高い食事を奢られたことがある。

僕は弟のことが嫌いではない。それどころか、むしろ応援している。弟は、僕にできないことができる。まごうことなく「人間」をしている。僕は忙しそうにしている店員さんに遠慮なく自分要望を伝えることができないし、友達を家にたくさん呼んで、楽しくお酒を飲んだり笑い話をするなんてこともできない。はっきりと言うが、なにかこの状況に不足があるとするならば、それは僕にあると思う。どちらかといえば僕がひとでなしなのだ。自己の土台があやふやで弱く、諸般の「実際」に関わる能力に劣っているのだ。

ところで僕は幼少のころ、弟にいじめられていた。兄にも関わらず。年子なので年齢差は小さかったし、弟の方が身体が大きく、力も強かった。下賤な言い方をすると、「オス」として優秀だった。

食卓で、弟の好きなものを先に食べたら、肩を箸で刺されたことがある。僕は、そこで泣いたりしたら負けたことを認めてしまうと思って、余裕を見せるアピールのつもりでへらへら笑っていたが、実際ものすごく痛かった。傷跡は25になった今でもはっきり残っている。ゴキブリ用の殺虫スプレー顔面に散布されて、顔の筋肉麻痺痙攣したこともある。母親が外出中でのことだったが、当時、母には打ち明けられなかった。中学生になっても弟が怖かった。共用のWiiU占有されていた。弟が塾通いで不在の時にだけ、ひそひそ隠れてゲームをしていた。暴力や、人格否定が怖かった。自分の弱さを突き付けられるのが怖かった。僕は勉強机に「死にたい」と書いた。希死念慮というほど固まった願望ではなく、本当に死にたかったわけではない。ただ、自分の弱さと、居場所の無さに情けなく、それら問題を誰かにどうにかしてもらいたかった。母にそれは見つかり、「命は大切にするもの」と叱られて終わった。ささやかでみじめな抵抗だった。

から結婚の報せを受けたその瞬間のこと、僕には目立った感情の動きがなかった。驚きがなかった。ただ、「まあ、だよな」との納得があった。嬉しさもなかった。「まあ、これは弟の話で、人生で、兄の自分のことではないからな」と、頭に自分と弟とを分別して考える壁が生えていた。置いていかれる悲しさもなかった。「まあ、自分結婚できないのは当然だし、他人から愛を感じたこともないし、そういうものだろうな」と受け入れた。

僕は後付けで感動した。感動しておくことにした。こういうとき、兄ならば結婚を祝福するのが普通だろうと思って、「おめでとう」と言い、表面上喜んだ。

僕はひどく自己嫌悪した。僕はなんという砂漠で、渇いていて、不気味なんだろうと思った。弟の結婚ひとつも、心根から喜べないのか? どこまでも人間のロールプレイで、周りの真似事で、そして愛を受け取れないのか? 弟にいじめられていたからだろうか? もし弟に昔のことを誠心誠意謝られたら、僕の中に情動は沸き起こってくるのだろうか? こんなことを考えていては、慶事に対する何かしらの冒涜ではないだろうか?

これは嫉妬ではなかった。弟は僕にとって、嫉妬を抱く対象ではない。ステージが違いすぎる。比べても仕方が無い。だからこそ、余計に自分が目立つ。このステージにはもはや自分しかいなかった。横に並ぶものはほかにいなかった。

被害者意識にまみれた、この醜自分をどうにかしたい。癒えない傷ばかり抱えてうじうじとしている自分を殺したい。もしかしてこれが希死念慮か? 僕は何年か越しに、また「死にたい」と書くことになるのか?

こんど両家の顔合わせがある。どんな面下げて僕は行けばいいのだろうか。少しでもマシな気分になれることを祈る。

2025-10-14

ゲームバグの思い出

その昔、Nintendo Switchゲームソフトポケットモンスター剣・盾」にはワットと呼ばれるポイントがあった

ポケモンの巣穴というオブジェクトに触れると一箇所につき一日一回もらえる仕組みで、巣穴は各所に点在しているので自転車で駆け回って集めてね、という仕様だった。

そうするとSwitch本体時間をいじって一日進めれば何回でもワットを貰えるじゃないか、と思うわけだが、もちろんちゃん対策されていて、時間をいじるとそこから24時間は全巣穴でワットが貰えないようになっていた。

・・・はずなのだが。

巣穴に触れた際に表示される「今このポケモンがいるよ!」のウィンドウを表示させた状態時間をいじると、ペナルティを受けることなく全巣穴のワットが復活するのである

一日一回のはずのポイントが、巣穴の前で30秒くらいカチカチやるだけで稼ぎまくれる。自転車で駆け回る必要すらもはやない。

このあまりにもお手軽なバグワットが何度も貰えることからアンコールワット」と名付けられた。

開発元も諦めたのか、その後バグ修正されることはなく今に至る。

DLCは買ってないので詳細は知らないが、ヤケクソみたいな稼ぎ手段を追加してささやか抵抗をしたりはしたみたいだ。

2025-10-13

男性による男卑他尊

こういった内容はクリスマス前の時期には好ましくないかもしれない。

男性はその昔、男尊女卑的な価値観を持ち数多もの女性を傷つけてきたジェンダーであったらしい。

しかし、男性でさえ気付いていなかった男性差別存在する。

それこそがこの怪文書提唱する男卑他尊であり、それが今日まで……あるいは世界が滅亡するまで合理的でもありマゾ的なステレオタイプとして現れている。

男卑他尊は一言で言えば『働かざる者食うべからず』であり、多くの男性生産能力を失った男性嫌悪する。

それは古くから男は強くなければならず、働き手であるべきだとする価値観蔓延しており、今もなお根絶は出来ていないかである

まりは男卑他尊は男性によって生み出される男性への差別であると捉える事ができる。

また、ヘテロセクシュアルに依らない人々へのインタビュー映像などから、筆者は一定数『働かざる者』を嫌悪する者が居る事にも男卑他尊が根深く残っているのではないかと考えている。

『働かざる者』にとってその様な価値観自己客観的には好ましくないと思い悩む原因にもなり得る。

そして男卑他尊は究極の自己責任として全ての男性エスコートをする側に縛り付け、自律した強い存在であるべきという圧力を生み出している。

もしもの

真なるジェンダー不平を解決するワンステップとして、男らしさを捨てた男性ネオ男性として考えてみる。

特徴に該当する男性を『ネオ男性』と呼ぶことを推奨するものではなく、文書内の一時的呼称であることに注意して頂きたい。

ネオ男性は『働かないという選択肢を取る事に価値的な抵抗が全く無い男性』であり、一概にも無職男性だけではない事に注意が必要である

これは男卑他尊的な価値観では『働かざる者』として嫌悪されるだろう。

ネオ男性となった場合

仮に家庭を持つ父という役割を持つ男性マゾ的なステレオタイプの維持を手放し、ネオ男性となる場合を考えてみる。

彼は家庭に対して経済的に貢献し、彼の奥様は育児で家庭に貢献している。

彼がネオ男性になれば男らしさという圧力が無くなる為、経済的不安定存在となり生活に困窮するリスクが向上すると筆者は考える。

男らしさに囚われた男性は無謀な挑戦で家庭を路頭に迷わせるような失敗は避けるべきと考える故、経済的に安定しやすネオ男性となる事のリスク相対的に発生するからである

ネオ男性に固有な価値

まず、ここで言う『固有な価値』について特定属性に固有ではない普遍的価値は含まないことについて注意して頂きたい。

例を提示するなら、人格はヒトに固有な価値であり、ジェンダーに囚われない価値である

女性に固有な価値の例を上げる場合、すぐ思い付くのは男性に出来ないこととして子供を産める事がありそうだ。

男性に固有な価値労働力としての安定性ではないかと筆者は考える。

なぜならば、男性出産する事が出来ないからであり、男卑他尊的な考えから男性は手を動かすべきとされてきたかである

※ シュワちゃん男性でありながら妊娠する事が出来ることに注意が必要である

それでは、独身男性にも当てはまるケースとして恋愛市場での価値を考えてみる。

男性が持つ価値から労働力としての安定性を引けば、その人の人格や、肉体への価値であると筆者は考える。

これはもはやジェンダーに固有な価値でもなく、普遍的なヒトに固有な価値である

したがって、ネオ男性属性に固有な価値を持ち合わせておらず、普遍的なヒトとしての価値を持つ。

これは、属性に問わないプラトニック価値があると捉える事もできるだろう。

ただ、ネオ男性になることで強いメリットがあるようにも考えられない。

しかし、重圧から解放ささやかQOL の向上を齎すかもしれないと筆者は考える。

ネオ男性ではなくても

恋愛関係性において、関係性のメリットデメリットが不均衡になると苦痛が発生すると筆者は考える。

異性間であってもリターンが無ければ同棲したり、単に恋愛関係である事のメリットが少ないかである

恋愛において最大のメリットは『深い親愛』という事でしかいからだ。

そのため、お互いにリスペクトが出来る関係性が安定しやすいと筆者は考える。

それがどんな形を持つかは当人らが納得している物であれば良く、筆者も第三者もこうであるべきと決めて良いものではない。

冒頭で記した様にネオ男性というもの特別属性でもなく、『労働をしない選択に対して価値観的な抵抗が全く無い男性』の文書内での一時的呼称ということに注意が必要である

そして、その性質ネオ男性は『働かざる者』というレッテルが貼られやすく、ネオ男性となるメリットは1人で生きる事では十分に堪能できるが、誰かと生きる選択ではメリットだけではない可能性があると考えられる。

さいごに

結論として、男性は究極の自己責任という形で自らを苦しめ、他者の為にもそれを手放すことはできないのかもしれない。

しかし、無自覚でのステレオタイプ押し付けをしていないかという所では注意したほうが良さそうだ。

それに加えて『男が粉ミルク子供に飲ませるために育休を取っても良いのではないか』という疑問も昨今では見かけるようになった印象があると筆者は感じている。

検索避け文化を見るに、女オタク可哀想だと思う

他人作品をパクって独創性のない、キモくて芸術性のない作品しか生産できなくて

そんな作品に自信を持てないか卑下しないと自我を保てなくて

かと言って引きこもるほどの謙虚さはない

そんな彼女達の「私を見て!」というささやかな嘆きが検索避けという文化となったんだと思う。

2025-10-12

ループ

メンタル調子が良くない時、過去の失敗や現在不安未来への恐れみたいなのがぐちゃっと襲ってきて、自分が何もできない最底辺人間だと落ち込み、じゃあこれからどうすればいいのかと考えても答えは出ず、最終的に酒呑んでしわしわになった状態で布団に逃げ込むのです。そこでするっと眠れればいいけど、そうもいかないときは布団の中でまたうじうじと考えて、最終的にはこんなクズいくら考えてもいい答えなんて浮かぶはずがないんだと開き直り、どうせそのうち死ぬだろうと前向きなんだか後ろ向きなんだか分からない結論を出して無理矢寝てしまうというのがいつものループ

人生は楽しくないし、いつ死んでもかまわないけど、積極的死ぬ気にもなれず、たまにある、今日仕事でヘマしなかったとか、普段食ってるような普通の飯が美味く感じたとか、そういうのをささやかな支えにして生きてる。

楽しいことを見つければいい、って言われることあるけど、見つけられないんだよね。このままダラダラ生きてくんだろうな、って今は諦めてる。

2025-10-10

anond:20251010141943

会ったこともない人だろうが、とりあえずおめでとう。

豊かな一年になることを祈ってるよ。ささやかだけど。

anond:20251009020953

まず「好きがわからない」とかいう、自分自身へのおためごかしをやめろ。

 

次元みたいなイケメンじゃないし、耳元でASMRをささやかないし、鎖骨も出てないから、ドキドキしない、とか

自分からは何も面白い話をしないし、相手にあわせることもないから、会話がテレビみたいにならなくて、楽しくない、とか。

(具体は想像

 

そういう己の精神のくだらない事実を見つめる必要がある。

それができないってのは、だいぶキモいことだ。エロ本に興味ないふりをする中学生男子以下の精神だ。

2025-10-05

ちくしょう、サツだ!

ちくしょう、サツだ! 奴らはいつもこうだ。張り込みには絶好の場所と見せかけて、俺のささやかな楽しみを台無しにしやがる。

「おい、アキラいるか?」

窓の外、路地を挟んだ向かいビル。そこから聞こえる、低い、忌々しい声。俺は震える手で、グラスに残ったチョコレートパフェ最後クリームを掬い上げた。

この店を選んだのは失敗だった。街で一番古い、目立たない、最高の和風抹茶パフェを出す店。俺の秘密逃避行にぴったりのはずだった。

「返事しろアキラ!」

無視だ。今、俺には重要ミッションがある。それは、ベリーパフェを食べ終えること。冷たいアイスと甘酸っぱいソースが、胸のざわめきを一時的に鎮めてくれる。

ふと見れば、店のマダム心配そうな顔で俺を見ている。俺は力なく笑い、テーブルの上に置かれたメニューを指差した。

マダムプリンアラモードパフェと、それから、季節のフルーツパフェ、お願いします」

合計5杯。俺の人生最後の晩餐が、こんなにも甘くて冷たいものになるとは。

扉が勢いよく開く音がした。サツだ。だが、間に合う。俺はカツンスプーンをグラスに当てた。

「お前ら、待てよ。この最高の甘美を味わい尽くすまでは、俺を捕まえられねぇ」

俺は目を閉じ、静かに最後パフェに集中した。

2025-10-04

食物繊維としての増田

SNSウェブコンテンツにあふれた現代社会自分商品化する人は、もがけばもがくほど売春夫・売春婦としてデジタル沼に深くはまり、巨大食人植物養分となる。

コンテンツ消費主義本質主義は水に油なので、ささやか嫌がらせのつもりで本質とやら(笑)(数年もすればメッキが剥げるけれど)を追求してみる。

これはanondブログ等で二次利用して加工販売するのとちがい、文字どおり学術の衣を着せることで二次制作消費を拒否する建前。もちろん万一、ミームとして広まればそれはそれで好都合。人呼んで知識人はそれで売って暮らしているもんね。でも無責任野次馬なので金はとらない。

売春産業従事者が汗水垂らして働いた上がりを掬って整頓することで、ネット知的エントロピーささやかに減少させる(笑)

2025-10-03

anond:20251002162526

これやってたけど、最近される側になったのでもうちょっと気をつけようと思ったよ。

スーパー訪問ささやかな楽しみだけど、生活エリアにお邪魔してる意識持ったほうがいいと。

スカイツリーとかある押上から2、3駅ずれたところの住んでるエリアだけど民泊増えたかすげぇインバウンドが増えてる。

インバウンドは楽しんでって欲しいし歓迎だけど生活圏でされると疲れるんだ。

具体的には、仕事終わりの21時とかのスーパーに5人くらいいてレジ混む。旅行から基本ダラダラしてる。スローペースというか。人の流れや速さに合わせてない感じ。

ビッグママとぽっちゃりボーイと冷蔵庫みたいなパパの米国直輸入家族が1人ずつ飲み物お菓子食べ物もってレジに並ばれると、早くしてくれ......と見てて思う。

繁華街エリア用事で出かけてる日本人としての俺は旅行客は歓迎だし道も設備の使い方も教えるけど、生活エリア明日仕事がある現地民としての俺は心が狭いんだ。

スーパー以外でも、何でもないラーメン屋満席になったり、ただでさえサウナ人気で待ち時間発生する銭湯さらに待ち時間が伸びる。

現地民が生活してるエリアディープエリアみたいな勘違いもよくなかった。次旅行行く時は現地民の邪魔にならないようにしようと思うよ。

2025-09-30

透明化する差別無自覚男性差別庶民差別に向けて)

弱者男性という言葉が言われるようになって数年が経った。が、未だに人権教育では、弱者というのは女性やLGBTQや障害者外国人高齢者といった「マイノリティ」というカテゴリに当てはまるとされている人のことを弱者と呼ぶ。

弱者とされるマジョリティカテゴリの人々が声をあげても人権派はそれを無視するどころか「弱者への攻撃である」「差別である」と訴えてきた。

実際にその人がどれだけ苦しんでいるか関係がなく、こっちにも支援がほしいと苦しみの声をあげれば

お前は強者属性なのに、差別をしている側なのに、日本人男性下駄をはかされ優遇されてきたのにと「加害者発言権が無い」とばかりに、社会学者マスメディアという権威が率先して、見えない弱者差別推し進めてきた。

その結果生まれたのが、 弱くなった中間層=見えない弱者 VS 無自覚強者属性弱者 という分断である

米国ではトランプ政権という、日本では参政党という右派ポピュリズムが躍進した。なぜこれらポピュリズムが躍進したかといえば、彼らは「強いアメリカ」「昭和の日本」という、豊かな中間層を訴えたかである

本来労働者階級弱者庶民の声を代表し、権威と戦う役割であるはずの、左派政党はそこには無い。

左派団体の中心は富裕層高学歴などで構成されており、彼らが見ているのは定義された弱者であり、社会問題として訴えられる分かりやす差別問題だ。

疲弊する中間層を救うには賃上げ物価対策経済活性化という地道な努力必要になるが、弱者を救えと叫ぶのは分かりやすく、既得権益との対立構造を作りやすい。マスコミけがよく、有権者アピールやすい。

この手の活動で最も分かりやすいのがいわゆる女性差別女性弱者とされる)問題で見過ごされる弱者男性問題だ。

暇空騒動やり玉に上がった仁藤夢乃氏は、私立中から私立大学卒業後も、労働に飛び込まなくても即人生終了ではないご家庭だ。フェミニズム大家である上野千鶴子氏は親が大学教授お嬢様だ。

彼女らはしばしばパフォーマンスとして漫画攻撃したり、男性は性加害をするので悪いと言ってみたりする。私から言わせれば、彼女らはそんな社会運動に身を投じて、それでもさして今後の心配をしなくてよいのだから弱者どころかメチャクチャ社会的強者である

現在疲弊する中間層は、明日のメシに困るわけではない。しか物価高で貯金は溜まらず、将来より素晴らしい未来が待っている確信も持てない。

そして、政治に目を向ければ「差別してきた側」と名指しされ、クーラーの効いた涼しい部屋で、小綺麗に身なりを整え、あくせく労働するわけでもない人たちから「お前たちは加害者として弱者を救う義務がある」と言われ、ささやかな楽しみである娯楽まで「架空存在だろうが女性をモノ化しているから加害である」などと言われるわけだ。

LGBTQも同様で、単に肉体的分類として「男性」「女性」というカテゴリを使うだけで差別差別だと騒がれ、業務が増え疲弊する。

外国人差別も同様だろう。なぜ苦しい我々より、出稼ぎにきた人々を救おうと叫ぶのか。彼らは祖国に帰ればいいじゃないか。そんなことは思っていても言えばたちまち大問題になる。だからネットしか吐き出せない。

ここでは、日々不安を持ちながら、差別主義者だと否定されながら、日々労働する本当の弱者は透明化されている。

本当の弱者は、大学教授社会活動家のような発信力を持たず、日々で疲弊して政治活動をやるような暇はなく、弱者カテゴリを貰えないがゆえ発言力や経済力で追いやられても下駄を履かされた人々と言われ透明化されている。そんな彼らが、ポピュリズムを支持し、日本社会の分断は確実に深まっている。

ここまで書くと「なんと情けない」「アップデートしろ」「お前の努力不足だろう」という声が飛ぶことだろう。ちなみに私もカテゴリでいえば弱者とは言えない。昼から思想の強い増田を書くような人間は余裕がある人間である。そして、外国人排斥論や女性差別不存在論などには反対する立場である

からこそ、人権派を自認するマスコミ社会学者文化人良識派自称する権威の人々へ、お前は恵まれ強者であり、弱者カテゴリとされた人にしか目を向けない偽善者であり、その独善性が分断の大きな要因である自覚しろと言いたいのだ。

差別を無くす為に活動してきたはずが見えない弱者を足蹴にして、別の差別を生み、それが最終的にポピュリズム暴走というカタストロフに至るのであれば、責任疲弊する中間層無視した側にも大いにある。

透明化する男性差別の原因

弱者男性という言葉が言われるようになって数年が経った。

が、未だに人権教育では、弱者というのは女性やLGBTQや障害者外国人高齢者といった

マイノリティ」というカテゴリに当てはまるとされている人のことを弱者と呼ぶ。

弱者とされるマジョリティカテゴリの人々が声をあげても

人権派はそれを無視するどころか「弱者への攻撃である」「差別である」と訴えてきた。

実際にその人がどれだけ苦しんでいるか関係がなく

こっちにも支援がほしいと苦しみの声をあげれば

お前は強者属性なのに、差別をしている側なのに、日本人男性下駄をはかされ優遇されてきたのに

と「加害者発言権が無い」とばかりに、社会学者マスメディアという権威が率先して、見えない弱者差別推し進めてきた。

その結果生まれたのが、 弱くなった中間層=見えない弱者 VS 無自覚強者属性弱者 という分断である

米国ではトランプ政権という、日本では参政党という右派ポピュリズムが躍進した。

なぜこれらポピュリズムが躍進したかといえば、彼らは「強いアメリカ」「昭和の日本」という、豊かな中間層を訴えたかである

本来労働者階級弱者庶民の声を代表し、権威と戦う役割であるはずの、左派政党はそこには無い。

左派団体の中心は富裕層高学歴などで構成されており、彼らが見ているのは定義された弱者であり

社会問題として訴えられる分かりやす差別問題だ。

疲弊する中間層を救うには賃上げ物価対策経済活性化という地道な努力必要になるが

弱者を救えと叫ぶのは分かりやすく、既得権益との対立構造を作りやすい。マスコミけがよく、有権者アピールやすい。

この手の活動で最も分かりやすいのがいわゆる女性差別女性弱者とされる)問題で見過ごされる弱者男性問題だ。

暇空騒動やり玉に上がった仁藤夢乃氏は

私立中から私立大学卒業後も、労働に飛び込まなくても即人生終了ではないご家庭だ。

フェミニズム大家である上野千鶴子氏は親が大学教授お嬢様だ。

彼女らはしばしばパフォーマンスとして漫画攻撃したり、男性は性加害をするので悪いと言ってみたりする。

から言わせれば、彼女らはそんな社会運動に身を投じて

それでもさして今後の心配をしなくてよいのだから弱者どころかメチャクチャ社会的強者である

現在疲弊する中間層は、明日のメシに困るわけではない。

しか物価高で貯金は溜まらず、将来より素晴らしい未来が待っている確信も持てない。

そして、政治に目を向ければ「差別してきた側」と名指しされ

クーラーの効いた涼しい部屋で、小綺麗に身なりを整え、あくせく労働するわけでもない人たちから

「お前たちは加害者として弱者を救う義務がある」と言われ、ささやかな楽しみである娯楽まで

架空存在だろうが女性をモノ化しているから加害である」などと言われるわけだ。

LGBTQも同様で、単に肉体的分類として「男性」「女性」というカテゴリを使うだけで

差別差別だと騒がれ、業務が増え疲弊する。

外国人差別も同様だろう。なぜ苦しい我々より、出稼ぎにきた人々を救おうと叫ぶのか。彼らは祖国に帰ればいいじゃないか

そんなことは思っていても言えばたちまち大問題になる。だからネットしか吐き出せない。

ここでは、日々不安を持ちながら、差別主義者だと否定されながら、日々労働する本当の弱者は透明化されている。

本当の弱者は、大学教授社会活動家のような発信力を持たず、日々で疲弊して政治活動をやるような暇はなく

弱者カテゴリを貰えないがゆえ発言力や経済力で追いやられても下駄を履かされた人々と言われ透明化されている。

そんな彼らが、ポピュリズム投票し、日本社会の分断は確実に深まっている

ここまで書くと「なんと情けない」「アップデートしろ」「お前の努力不足だろう」という声が飛ぶことだろう。

ちなみに私もカテゴリでいえば弱者とは言えない。昼から思想の強い増田を書くような人間は余裕がある人間である

そして、外国人排斥論や女性差別不存在論などには反対する立場である

からこそ、人権派を自認するマスコミ社会学者文化人良識派自称する権威の人々へ

お前は恵まれ強者であり、弱者カテゴリとされた人にしか目を向けない偽善者であり

その独善性が分断の大きな要因である自覚しろと言いたいのだ。

差別を無くす為に活動してきたはずが見えない弱者を足蹴にして、別の差別を生み

それが最終的にポピュリズム暴走というカタストロフに至るのであれば、責任疲弊する中間層無視した側にも大いにある。

2025-09-28

お世話になった人の葬儀に出席した

からお世話になっていた人が93歳で亡くなった。小学校の時に、故人が教師としていじめ解決してくれたのがきっかけで縁が出来(自分はいじめられ側)、かつその人が地元神社宮司をやっていたこともあり、宗教的な側面からも、小学校を出てから30年以上経過したにも関わらず、ずっとお世話になっていた(特に母親が)。年末年始など、ことあるごとにその人の家に行っては、宗教的行事に参加したり、悩みを聞いてもらったり、一緒に集まるいろんな仲間といろんな話をしたりしていた(主に母)。自分は母の後ろについて行っては、後ろで黙って見ていた記憶がある。ここ最近病気療養中で、よく通ったあの家もすでに取り壊していることは母から聞いてはいたが、母から電話逝去の知らせを聞いた時も「まあ、だって人は死ぬよね」とどこかで他人事ではあった。なので、私がというよりはむしろ母の方が悲しんでいたのではないかと思う。その後直接母とまだ話せていないのでわからないが。

葬儀に出席

母の住むわたし実家から、故人が葬儀を行う街までは距離があるため、自分代理で出席することとなった。ただ、イヤイヤ出席というよりは「これは出なければいけない」という気持ちの方が強かった。自らもお世話になっていたし、何より代理でも出席しなければ、母親気持ちの整理がつかないからだと思ったかである。それに、与えてもらうだけもらって、最後にお見送りしないのはいかがなものか。そういう気持ち葬儀はおよそ5年ぶりである。5年前は同じLINEグループにも入っていた職場の元上司。突然死だったと聞いた。朝出勤しないからと自宅訪問してみたら亡くなっていたと。仲間内では「あのブラック企業にいたから激務で亡くなったのでは」とささやかれていた。

ただ、当時は元上司と親密だった訳でもなく、あくまで「職場上司/部下」という人間関係の中でも最も遠縁に近い部類の立場で出席したので、死に顔を見てもそんなに悲しくはなかったし、「そっかぁ、死んだのか」くらいにしか思えなかった。帰りはつらっとした気分で電車に乗った事を覚えている。

ただ今回は違った。会場に入り壇上のディスプレイに、故人が元気な頃の写真スライドショー形式で映し出されているのを見ていると「ああ、あの顔懐かしいな、でも亡くなったんだな。もうこの世にいないんだな」とじわじわ実感してきてしまう。前回とは大違いである。

参列者は身内30人くらい、一般参列者5人くらい。そのうちの一人が私。幸い喪主含めた身内の方数名に顔を知っていてもらえたため、あまり肩身の狭い思いをせずに済んだ。とても気を使ってもらえてうれしかった。まぁわたしは私とて故人とは小学生のころからお世話になってはいるので、生半可な気持ちでは出席していない。たぶん、身内だからという理由で仕方なく両親に連れてこられた男の子達より、自分の方がよっぽど故人に対して思い入れがあるぞと思ったりしたが、そんな話はどうでもよい。TPOは守ったつもりだ。ただ、故人と昔からのお知り合いだとしても、結局はソトの人間であることには変わりないので、出棺時の花入れも一番遠くから見たし、とりあえず外様外様位置をには移動した。我ながら本当にがんばった。わたしなんか、身内の方々から見たらどうでもいい存在だろうしな。ただそれでも花入れの時は精一杯ありがとう気持ちは伝えたつもりではある。

親族にお願いして故人のお顔を拝見したが、元気な頃とは全くの別人になっていた。人ってあんなに変わるものなのかとびっくりした。アントニオ猪木が亡くなる直前ぐらいに顔がやつれており、「これが故人です」と言われなければ、まず気づかない。5年前に参列した職場の元上司の時は、突然死ということもあり、やつれなど一切なくただただ血の気が引いて白い顔をした元上司がそこにいただけだった。そのため、死についてあまりリアリティを感じられなかったこともある。ただ今回はあからさまにやつれた姿、ビフォーアフターを見せられたことで「ああ、衰弱すると亡くなる前には最後はこうなっていくのか」と強烈に印象付けられてしまった。火葬場へは当然行かなかった。だって私は部外者ですもの。だいたい親族けが乗るバスの中で、話す話題もない。

そうして、出棺を見送って葬儀は終わった。

葬儀の後から

街を歩いていても、他人目線が一切気にならなくなった。これはなぜなんだろう。よくわからない。今まで自分は、自意識過剰ってくらいに他人をきにしていたんだが、今は一切気にならない。不思議自分は故人にとてもとてもお世話になってきたから、だから命を粗末にしたくないっていう気持ちがとても強く働いているのは大きい。まぁ、今だけかもしれないが。ただ、あの葬儀で強烈に人とのつながりを意識させられたのは大きい。特に親族に「おお、○○くんか! 覚えてるぞ! 小学校の頃神社によく来てたよな? 元気か!!??」 って何度も言ってもらえたのは嬉しくて、それ以降、自分だけの人生じゃなくなった気がした。自分はいま独り身で、両親や兄弟はいるが、自分には彼女もおらず、結婚相手もいない、いわゆる独身非モテ中年である自分ことなんて誰も考えていない。自分になんて誰も興味を持たず、このままひっそりと生を終えるんだ。そう最近まで思っていた。セルフネグレクト的なこともよくやってしまう。 ただ、うまく説明できないが、葬儀に出席してから、故人との関係や、親族との関係意識するようになった。いわゆる「よくわからんが、見守ってもらっている」感覚である。というか、お世話になったのだから、命を粗末にすることはできない。そんな思いである。 人とのつながりって大事なのかもしれないなと思った。外見的に何かが変わった訳でもないし、お金が増えたわけでもないし、出世したわけでもないのだが、こういう心の変化はあった。

おわりに

明日からまた仕事なので、記憶が薄れぬうちに書きました。いずれアーカイブとして見直すために書いておきます。こういう時の増田は便利ダネ。うちはまだ両親と姉が生きている。この先身内を見送る心の準備みたいなものも実感を伴って出来た気がするよかった。グリーフケアの本も何冊か読み始めた。

今までお疲れ様でした、どうぞやすかにおやすみください。そのうち両親が、亡くなったらまた構ってあげてください。

わたしもねます

2025-09-26

ちなみに、増田内では嫁自慢をするとブクマもらえるよ

AI簡単に作れるからみんなもやってみてね

ワード的には、日常些細な幸せ、みたいなね、ささやかな感じを入れてあげると増田好みになる。

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