はてなキーワード: チャレンジとは
信奉してはいないけどな。
そのあとで、「21世紀の資本」を引いた。これらの2書を並列で示したつもり。
また、なぜ株式インデックス投資が儲かるのか、「R>g」になるのか。
その理論的背景はこれらの2書には書かれていなかったと思う。
「資本家のリスクプレミアムの分だけ、労働者より資本家が儲かる」
というのはこれらの2書には書かれていない。私の独自解釈。
「経済成長は国家安定のかなめであり、政府が主導して経済成長が起きる」
その際、「R>g」が発生し、株式インデックスファンドが儲かる。
これもこれらの2書には書いていない(と思う)
だから信奉しているわけではない。
自分なりに株式インデックス投資を「理解」しようともがいている。
いつか突然、「株式インデックス投資は儲かる」という神話が崩れる日が来るのに怯えながら、日々過ごしている。
釣りだったの?
良い指摘だと思ったけどな。
いままでたくさん、というほどではないけどいろんな日本人たちがFormula-1にチャレンジした。
そのなかで角田ほど世界中の人から愛された日本人F1ドライバーって他にいないんじゃないかな。
彼はさ、人間としてファニーなところがあって、それがチャーミングであるしさ、
ともすれば優等生で機械的な発言をすることが多い欧米の若いドライバーとは、一線を画してて米国の若い人に人気が出たりしたんだけどさ、
それよりもなによりも
ひとりの若者が
人間として
ひとつひとつステップを踏んで 挫折も味わいながら 成長をしていってるさまをさ
リアルタイムで見ていってるってところがさ おじさんにしたら 涙腺が緩むところだよね。
角田って言うとさ、長らく、怒りたくって、暴言を吐く、ってキャラになってしまっててさ、
まあなんつーかそういうところを国際放送の奴らが拾いまくって放送に乗せるっていうのもあって
すっかりプアーなやつ、って思われたりもしてたんだけどさ
去年からさ、リカルドの助けもあったり、そういうのがどんどんと鳴りを潜めて、人が変わってった。
今年はさ、本当に本当に辛かったと思うんだ。
同じようなマシンに乗ってるのにフェルスタッペンは優勝何回もしてチャンピオン争いやってるのにさ
角田のほうは予選は悪いし、決勝でも悪い。
なんとかかんとか頑張って10位になりました、みたいな調子でさ、
もうなんつーかドライバーとして完全に無能なやつだよね、って人から思われるっていうよりも自分で思っちゃう場面が多かったと思うの。
でもさ、今年の彼はホントくじけなかったよな。
後半戦は毎レース不運の連続で、いい走りをしてるのにチームがミスりまくって、ポイントを全然取れなくて、結局は来年へとシートを繋ぐことも出来なくなった。
おまけに最後の最後で予選前に虎の子の新型フロアを他チームのミスから激突されて壊されてさ。
でもさ、かれは激怒して我を忘れるようなことはなかったよな。
ひとつひとつ一歩一歩、負けずくじけず、前を向いて、頑張ったよな。
ホントさ、おじさんは赤の他人だけれど、そういう角田裕毅が本当に誇らしいよ。
多分な。世界中の人達の中でもそんなふうに思ってる人が多いと思う。
うちは妻31歳の時に出会って結婚、初産は高齢出産になる前にという本人の希望がぎりぎり叶って34歳11か月で第一子出産だった。
31歳で婚活は、高齢出産(35歳)になる前に出産しようと思ったら
・結婚(籍入れて引っ越すだけならともかく式や披露宴をするならそれなりの準備期間が要る)
にかかる時間を考えたらもうぎりぎりで、それで「子供はできるだけ後ろ倒しの展開が嬉しい」なんて言えば実は子供は欲しくないか、高齢出産のリスクを軽く考えているかのどちらかで、
いずれにせよ子供が欲しいなら避けなければいけない相手になってしまう。
絶対に、とまでは言わないが、高齢出産はリスクもあるし可能な限り避けることを強く強くお勧めする。
拙者、家庭なき弱者男性でござるが、子供がいたら普通にWindowsマシンを買い与えるでござるよ…😟
理由は第一に金銭面、第二に、どうせいつかWindows動かなくなって、消してLinuxマシンにできるから…
何なら我が家にあるパソコンはすべて中身がLinuxです。その理由が夫の言葉を借りるなら「俺はLinuxフリークだ」そうです。意味がわかりません。
そんな、ヴェルタース・オリジナルみたいなこと言える家があるのが驚きです…😟<今では私の孫もUbuntuユーザーなぜなら彼は私にとっても特別な存在…
フリークと言えば、色々なものが思い浮かびますが、子供の頃に雑誌ログインを読んでいて、田尻智氏のこと、ミニコミ誌のことは知っていましたが、
そのゲームフリークが後々ポケモンで大成功する、というのは、ポケモンが成功するまで知りませんでした
ほんと、スゲーよな…😟
はてなーかどうかはともかく、20年近くMacOS X使ってきて、もう二度と使うか、と思ってるので、愛はないです。
ただ、今でもときどき、同じDAW使うなら、Macの方がいいのかなあ、とか、
だけど、某女性メタルバンドの女性作曲家ギタリストは普通にWindowsでデモ作ってました、
環境のせいにする前に、さっさと一曲作るとか、とにかく完成させろ!という誰かの声がシリコンバレーの方から聴こえる…😟
そもそも我が家でiPhoneを導入するか?Androidを導入するか?となった際も私は言い負かされてAndroidになっています。
あー、音楽関係だけでも、過去にiOSで使ってたアプリはあるので、正直、Macはともかく、iOSは使いたい気がしてます。
Androidは意外とそういうところで駄目というか、志が低いというか、
じゃあ、文句言ってるテメーが作れや、なんですが、iOSのアプリの方がオシャンティーだったりもして、いいですよね、見た目が良いのもモチベが上がります…😟
様々な多様性で、同じ動作をしないデバイスがあったりするのもAndroidなので、基本私はGoogleが売る端末、
もしくはPixelやNexusを実際に製造しているメーカーを使うことにしてますが、ASUSだったかな、過去に酷い目に遭いましたよ、ええ…😟
まあ、一応homebrewはMacもLinuxも同じように動作しますよね…、
なんだかんだ、GIMPは当然、Inkscapeもちょっと色々無理があるというか、
不肖、私は障害者ですが、再就職の研修とかなると、基本Microsoft Office周辺群、あとAdobeですよね、動画編集もそうですし…😟
お金の問題もあるので、私はMS OfficeもAdobeも普段の個人の生活では使わないですけどね
考えようによるけど、敢えて、子供にパソコンを持って外出させたくない、みたいな、セキュリティとか、色々問題ありますし、
うちの近所も、小学生が公園に集まって、スマホ設置してダンス動画とか撮影してるの見ますけど、
そういうのに付随するトラブルを防ぎたいとか思うのなら、親の嫌がらせと思われても、デスクトップにするとか、
敢えて、重いノートにするとか、ありなんじゃなかろうか…😟重くても家の中なら持ち運べるでしょ?
頼みの息子も「言うほど不便じゃない。まぁ動かないSteamのゲームがたまにあるけどSwitchゲー動かないみたいなもんだし慣れたわ別ゲーやりゃ良いし」とそっけない感じ。そもそもこの子は小学生の頃からラズベリーパイで夫と電子工作やゲームして遊んでて、この子にとってパソコン=Linuxなんです!味方として頼りにならない!
日本の将来は明るいですね…😟
いや、ロボットに障害物競争やらせる国際的なイベント、DARPAグランドチャレンジのテレビ中継観てたら、
会場にあるマシンが明らかにみんなUbuntuなんですよ、あのアフリカをイメージした赤茶色、特徴的なドック、
最近、ボケっとテレビ観てたら、ロボットハンドを開発してる会社とか、内容忘れたけどAI関係のベンチャーとか、
基本みんなLinuxというか、多分Ubuntu系列です、ロボットハンドの企業はXubuntuでした
名前だけしか関係ないVisual Studioはあんまりですが…😟
音楽やるのにも必要ですし、ローカルのLLMとか、個人的にはゲーム以外の用途でゲーミングパソコンが欲しいぐらいです
光るのは嫌ですが…😟
ブコメとかにあるように、まあ、今のMacOSもDarwinというか、UNIXっぽいのは間違ってないので、
伝統的BSD系列と、新参者のLinusが作った紛い物Linuxファイッ!みたいな感じなので、これはもう宗教戦争、
つまり、夫がvimですが、私はemacsです、どうしたら倒せますか?みたいな感じで、
その横で私はvscode使ったり、MacOS Xでも旧称耳かきエディターのmiとかCotEditorとか使うだけなんで…😟文化は共存共栄が大事ですね
今年から始まったピューロランドの子供向けワークショップ型アトラクションで、言わばサンリオのキッザニアです。
以上の3つが用意されており、それぞれ事前に参加券を購入して体験することができます。
(https://www.puroland.jp/ride-amusement/challenge_puro/)
あまりにも好評だったのか10月より16歳以上の参加が可能になりました。
今回、衣装デザイナー体験に参加して参りましたので、その知見を共有いたします。
ここに記載するのは大人がガチるための夢のない知見ですので、お子さんが参加される場合にはその自主性や体験を損なわないように留意してください。
また、記憶だけで書いているので細かい数字等が正確でない可能性があります。
白地の衣装とリボンが貰えるので、マーカーペンを使って自分で着色する体験ができます。
デザイン後は、衣装に加えてキティちゃんのぬいぐるみ本体と身体などに提げるための紐を貰えます。
参加料は3000円です。
開始時間に体験が始まるので、必ず開始時間の前(15分前から)に受付してください。
私が参加した会では、15分前に全員集まっていたため、時間を前倒しして開始されました。
席は自由に座って良いのですが、我々の会では自然と受付順から奥に座って行きました。
我々の会では2人組が3ペアでしたので、以下のような配置になりました。
【モニター(前方)】
①①③
②②③
私と同行者は最後に受付したので③として縦に座る形に……。
また手前側の席は外からも見えやすいので、体験中に外の子供から「大人がやってるー!」との声も。
用意されているのは、エリ付きのワンピース、ソデ付きのワンピース、つなぎズボンの3種類です。
(大人が周りの目を気にする場合は)迷う時間はありませんので予め決めておくのが無難です。
真っ白な衣装と一緒に同じく真っ白なキティちゃんのリボンが配られます。
リボンはマジックテープ式でキティちゃんにつけることができます。
体験の枠自体は30分なのですが、説明とお披露目会を除いた衣装作りの時間は約15分、さらに衣装をキティちゃんに着せる時間に約4分取られているので、着色可能な賞味時間はおおよそ10分しかありません。
体験中の撮影は許されていませんが、スマホでデザインを確認するのは許されていますので、予め参考画像をスマホに用意しておきましょう。
およそ5mm程度の太さで、布に書くので若干の滲みがあります。
ペンの他にリボンやハート型のスタンプを利用することができます(私は使用せず)。
・ペンで指が汚れると衣装にも色移りすることがあります。その場合は係のお姉さんからウェットシートを貰って拭きましょう。
ほとんどフラットですが、縫い目の部分には段差があるので線のがたつきに注意してください。
両サイドは山折り状態なので、細かい装飾は入れづらいかもしれません。
背面はお披露目会でしっかりお披露目されますが、身体に提げる分には外から見えないので、端折るのは有効です。
・リボンはかなり立体的です。
私はアミカケでの塗りを試みましたが、ペン先が大きいこともあって難易度が高いです。
全部1色でしっかり塗りつぶしている人や、黒などでフチ取ってから塗りつぶしている人などはきれいに見えました。
着色の時間が終わるとキティちゃんが配られるので服を着せていきます。
キティは白いので色移りが大敵です。
私はエリ付きの衣装を選んだのですが、腕を通す穴があり、その直下はキティの腕で衣装が隠れます。
みんな服を着せ終わると何種類かの色の中から好きな色の紐を貰えます。
いよいよお披露目会です。
係のお姉さんが順にぬいぐるみを預かって正面と背面をお披露目したあと、お立ち台の上に乗せてくれます。
この時、係のお姉さんからの衣装の紹介コメントを頂けます。私のモチーフは明瞭でしたのでありませんでしたが、実在アイドルの衣装などの凝ったものだと、軽くモチーフを確認されてから紹介されることもあります。
お立ち台の上に乗るとキティちゃんが衣装への感想をくれるのでよく聞きましょう!
また、他の参加者から褒めの言葉を頂くのも嬉しいものです。褒め合いましょう!
ピューロランド内でも身体に提げているとしばしば話しかけられます。
係のお姉さん二人に見守られる中、本気の大人達がペンを持って机に向かって黙々作業する状況、ミスが許されない画材、非常に短い時間制限、予習と練習の成果……。
様々な要素が受験っぽかったです。
特に、ペンがカスカスだったのを交換してもらうために手を挙げて願います!したとき受験っぽさのピークを迎えました。
今回は大人の会について書きましたが、子供の会ではちゃんと和気あいあいしているので安心してください。
子供が夢を描くには十分すぎる題材ですが、大人が”完成品”を求めると途端に難しい課題になるというのは面白いところです。
非常にやりごたえのある体験なので、みなさんもお誘い合わせの上、ぜひ参加してみてください!
ほとんどの親は勉強しろって言うのもいろんな事にチャレンジさせるのも全部その動機は「子どもができるだけ幸せになるように」「自分がいなくなっても苦労しないように」だと思うんだよね(例外はもちろんあるとして)
だから障害だとできる事の幅は他の子よりどうしても狭くなるし、絶対に苦労する事が確定してるから絶望してしまうんじゃないかと思う。
障害って「子どもが死ぬほどではないけど一生治らない病気を持って生まれてこの先ずっと他の人より苦労する」っていうのと同義だから、絶望しない親のほうが少ないんじゃないかな
それを楽しめるのは才能だし子どももそのほうが嬉しいとは思うけど!
――初代戦隊である「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975年放送開始)から今年で戦隊は50周年。その記念作であるゴジュウジャーが来年で放送終了になることで、戦隊シリーズは終了してしまうのでしょうか。
いえ、戦隊シリーズとしては終了とは思っていません。休止です。戦隊の放送枠(テレビ朝日系、日曜朝9時半)は新たなものに変わりますが、戦隊作品そのものはいずれ復活する可能性があります。発表前の10月から「戦隊終了」の報道が出て、ここまで反響があるのは想定外でした。戦隊がここまで愛される存在だったのかと、ありがたい思いです。ただいずれ復活するにしても、10年は間を置いた方がいいと私は考えています。
――その理由は。
戦隊の限界が見えてきた。そこを打破すべくいろいろな工夫をしてきましたが、50周年という節目も迎え、根本的に考え直さないといけない場所にきたのは確かです。
一つはコロナ禍からの配信時代の到来です。配信では、特撮も新作と旧作が横並びで見られるようになりました。戦隊にとって、仮面ライダーだけじゃなく過去の戦隊作品もライバルになってきた。
戦隊は毎年毎年、世界観をリセットして新作を出してきました。作品につながりがなく、どこから見てもいいんですが、逆にどこから見たらいいのか分からない。一定の評価がある旧作に対して、よほどの特徴がない限り新作が勝てなくなってきた。
写真・図版
東映の白倉伸一郎さん。「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」にちなんで、ナンバーワンポーズ
もう一つの黒船は、アメコミヒーローものの大攻勢です。マーベルの「アベンジャーズ」シリーズは日本でも人気ですね。キャプテンアメリカにしろ、アイアンマンにしろ、もともと別の作品のキャラクターだったものを一つのパッケージにして届けている。
集団ヒーローでも、キャラクターの人格や戦闘能力など明確な設定が元々されている。一方で同じ集団ヒーローである戦隊は、毎年作品が変わりますし、キャラクターづけでは弱い面があった。
この二つの苦境を打破するべく、いろいろ工夫はしてきましたが、根本的に新たな挑戦をするべきだという結論に至りました。
――とはいえ戦隊もさまざまな新機軸を打ち出してきました。近年も、白倉さん自身がチーフプロデューサーとして入った「機界戦隊ゼンカイジャー」(2021年放送開始)では、戦隊5人のうち、人間が1人で4人は機械生命体というとんでもない内容です。戦隊とは数々の挑戦をしてきた歴史では。
もちろん様々なチャレンジをしてきました。それは戦隊という枠の中では新しい試みかもしれないけど、何が新しいのかを楽しむためには戦隊の「お約束」を知っているリテラシーがお客さんに必要になる。お約束を知った上での型破りを、どこまで分かってもらえるのか。
――戦隊といえば誰もが知っているはずなのに、内容は認知されていないと?
戦隊の根本的な課題だったのですが、50年続いただけあり、戦隊はあって当たり前のもの。ある種日本の文化になったと思うんですね。どれくらい見てきたかは人それぞれでも、戦隊と聞いたらカラースーツの5人のヒーローをイメージできる日本人の方が、多いのではないでしょうか。
それはそれだけ定着したという半面、「見なくてもいいもの」と思われる恐怖と隣り合わせです。
毎週その時間にテレビをつければ、変わらずやっている。現代風に変わった描写はあっても、話の大筋は変わらない。子どものときに見て一時卒業したけど、親になり自分の子どもと一緒に見たら、昔と変わっていない安心感がある。むしろ、変わってほしくない。
作品にとってこの状態に甘んじているのは危険で、変わらぬ良さは、見なくてもいいものと表裏一体なんです。どうせ話の筋は分かるし、毎週見なくてもいいやと。なんなら懐かしい旧作を見ればいいやと。新作はいらないと思われることは、作り手にとって常に恐怖です。
戦隊の「当たり前感」は制作陣にとっても危険です。大事なのは、戦隊という伝統の枠の中でどう目立つかではない。2025年の子どもたちに向けて、日本から世界に向けて、本当に必要な作品とは何かを考えることなんです。
東映には戦隊をつくるノウハウがあります。ただそのノウハウが、時に本当に新しいものを作ることを邪魔する。戦隊に慣れきった私たちの世代が抜けて、新たな世代が新たな戦隊を考えるべきだと思います。だから、10年は復活するべきではないと私は考えているのです。
――シリアスな仮面ライダーに対して、戦隊作品の明るさが好きだという視聴者も多いと思うのですが。
戦隊のお決まりですが、5人がスーツ姿に変身してポーズを取る。怪人を倒すと、後ろが爆発して炎が上がる。そして展開はむちゃくちゃだけど、巨大ロボットに乗って、巨大な敵と戦って毎度ビルを爆破する。くだらないと小バカにされるけど、とにかく明るい話。それがいいところなんですよ。
私が90年に東映に入社して「恐竜戦隊ジュウレンジャー」(92年開始)の企画会議に参加したとき、プロデューサーの鈴木武幸が開口一番「今度の巨大化はどうしますか」と言って、脚本家がめちゃめちゃ怒ったんですね。「違うだろう。最初に話すべきは、どういう番組にしようかだろう」って。
鈴木はそれまで何作も戦隊を手がけたベテランですが、いろんな試行錯誤を重ねた結果、もう悟りの境地だったんだと思います。戦隊が成功するにはこういうフォーマットしかないと分かってしまい、その上で(キャラクターを)「どう巨大化するか」をまず考えようという恐ろしい境地に達していたんです。はたから見ると、そこかよって突っ込みたくなりますが。
――30年前にすでにやり尽くしたと制作陣では感じていたのですね。
当時すでに戦隊は風前のともしび。ジュウレンジャーは「もう最後の戦隊かもしれないと思ってやろう」と言っていた。若手がこれまでにないことをやりたいと結託し、6人目の戦士を物語の途中から出したんですね。
――6人目がレギュラーメンバーとして出るのはジュウレンジャーが最初。物語の途中から出るいわゆる「追加戦士」も、6人以上の戦隊も、今では当たり前ですね。
定番になりましたが、当時はそんな未来は考えず、そこから30年も続くとは思いもしませんでした。ジュウレンジャーをベースに米国で作られた「パワーレンジャー」がヒットするというまさかの神風が影響したんでしょうね。
――仮面ライダーにもウルトラマンにも中断期間があります。初期に少し中断はあるものの、ほぼ50年放送が続いてきた特撮ヒーローは、戦隊だけでした。なぜ戦隊は愛されてきたのでしょうか。
そもそも戦隊は事故から生まれたものなんです。仮面ライダーを5人集めて戦うという作品が企画されていたのが、事情があって頓挫した。それで急きょ石ノ森章太郎先生に考えてもらったのが初代の秘密戦隊ゴレンジャーだったんです。さらにその後、(70年代に人気だった)「超電磁ロボ コン・バトラーV」などのロボットアニメの放送が途切れるという事態があり、巨大ロボットの命脈が戦隊に流れ込んできた。
戦隊の草創期の作り手に、理想のヒーローを作ろうと理屈をこねている余裕はなかった。なんとか一つの作品を作らなければならないという試行錯誤の末に、結果として生まれた事象を集めたものが戦隊だった。
写真・図版
なんでいちいち5人で戦わないといけないのか。なんで巨大ロボットにいちいち乗って戦うのか。それはよく分からない。その理屈を超えたところに、人間の本質がある。なぜかかっこよくて人を引きつける。エンターテインメントとして面白いものの本質を、戦隊は露骨に表してきた作品だったと思います。
善と悪の対立を描きにくくなった
――長年にわたりテレビでヒーローの姿を届けてきた意義も大きいでしょう。
戦隊そのものが描く善悪も、初期からはかなり変遷がありました。東西冷戦が終わり仮想的な「絶対悪」を社会が想定しづらくなった。フィクションのヒーローものでも一面的な善悪を描くことが難しくなっていきます。その中でも工夫をしながら、キャラクターの人物像を大切にしながら、悪い敵を倒す姿を放送してきました。
こと戦隊でいうと、仮面ライダーのような単体ヒーローとは違う。5人で一つのチームで、結束して敵に立ち向かいました。
こうしたことは子どもさんにはすぐに分からないかもしれないけど、大人になった時に「戦隊って大事なことやっていたんだな」って少しでも思ってもらえるかもしれない。
戦隊は当たり前になったと先ほど言いましたが、私は日本人の心の中には、戦隊がいると思っていますし、少しでも戦隊が社会にいい影響を与えられていたならうれしいです。
――50年続いてきた戦隊の放送を終了することに、葛藤はなかったですか。
葛藤、それはないですね。
戦隊を愛してくださったファンの方には感謝します。しかし、次の世代のためにも、どこかで次の挑戦を始めるべきでした。今はヒーロー番組そのものの変革を考えるときです。それがゴジュウジャーの後番組として始まる「超宇宙刑事ギャバン インフィニティ」です。
https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
なんかこの記事の母親のように、子が発達障害と診断されて絶望する親の話や障害受容は難しいという話を聞いてると、なんのショックも絶望もしない自分はなんなんだろうと思う。
子供はASD軽度知的ありで5歳、もうじき就学相談という頃合い。2歳ごろにASDの診断がおりたのだが、そのときは正直なところ「なるほどねー」と日頃の違和感が答え合わせできた納得感が強かった。絶望感はゼロ。むしろ周りから何度も言われた「大丈夫、いずれ成長する」「うちの子も昔はこうだった」が打ち消されてスカッと爽快感さえ受けた。
むしろその後、発達障害や発達支援の本を読み、ABAや感覚統合理論、TEACCHなどに触れ、育児について明確な指針や方略を学べたのでめちゃくちゃ育児が面白くなった。子どもがいろいろ強いこだわりを見せたり癇癪を起こしたときは「こいつあ学んだことを活かすチャンスだぜ」とワクワクした(体力はガリガリ削られるから顔は死んでる)。療育の様子を見るのも親の会に参加するのも興味深すぎて自分の人生イチイキイキしてるかもしれないと思う。
そう書くと、就学のこととか将来の見通しとかまったく考えてないからそう思えると思うけれども、結構当時から子どもが支援学校に入ろうが作業所勤めであろうがそれはそれでいい人生なんじゃないか?と思ってた。もちろんそういう進路をとれずに引きこもってしまうとか、強度行動障害が強くてまともに日常が送れなくなるのは、本人にとっても周りにとっても辛いので、そこはそうならないように気をつけたいとは思ったけど、それは障害の受容とは別の話だと思っている。
だが世の中の大抵の発達障害児の親は障害の受容に悩むらしい。なら自分はなんなのか?人の心がないから絶望もしないんだろうか?と、子供の障害のことよりも、むしろ自分の感情に欠陥があるのか?というモヤモヤの方が悩ましいと感じてしまう日もある。だが大抵はそんなことないやろと思いながらのほほんとドミノ倒しチャレンジみたいなトミカの行列を作る子供の背中を見てる(保育園の登園時間をもうすぐ過ぎながら)。
ということで障害受容の摩擦抵抗ゼロな親の話をもっと聞けると嬉しい。件のnoteの母親の絶望感は否定しないし、そういう感情の吐き出しや寄り添いは大事だと思う。けど、そういう絶望感ゼロの親の話もないと他の親も当事者も寂しいと思うんだ。
食べ物を一片たりとも無駄にしない完璧超人がこんなに多かったとは驚きだ。
失敗料理のひとつやふたつも作らず、常に理想のレシピ通りに生きている人たちがこんなに世の中に潜んでいたとは。
もしかするとあやつらは生まれた瞬間から最高火力と絶妙な塩加減を身につけていたのかもしれない。
凡人には理解しがたい高みにいるらしい。
料理で失敗したときに発生する食材ロスを重大犯罪のように扱う姿勢には頭が下がる。
チャレンジしようとした他人を瞬時に断罪できる能力、そして一切の試行錯誤を認めない強靭なメンタル。
もう少し別の分野に使えば世界平和に貢献できそうなのに、なぜかキッチン周辺にだけ全力を注いでいる。
普通ならそこで学んで次に活かすものだけれど、アンチ食べ物粗末派の視点では学びなど一切不要なのだ。
失敗を恐れて何もやらない生活を勧めてくれるあたり、挑戦心という概念そのものが存在しないようだ。
完璧さを求めるのは勝手にすればいいが、その基準を他人に押しつけて挑戦する意欲を削っていく姿を見ていると、もはや食材よりも知能の方が節約されすぎている気になっていく。
「水を張った洗面器に顔をつけるチャレンジ(ただ静かに顔を水に沈めて息を止める)」という非常にカジュアルなチャレンジに関して、そのままの条件での「世界記録」は、明確な公認記録がないようです。
ですが、近い競技(フリーダイビングの「スタティック・アプネア(静的無呼吸)」)での世界記録があります:
• ブディミール・ショバット(クロアチア)は、酸素補助(事前に純酸素を吸入)ありで 24分37秒36 の息止め記録を持っています。 
• さらに2025年、ビトミル・マリチッチ(同じくクロアチア)が 29分03秒 でこの記録を更新。 
※ ただし、これらはいずれも「洗面器に顔をつけたチャレンジ(ごく浅い水槽)」というよりは、浅めのプールで審判付き・静止状態での公式記録です。また、酸素補助ありの記録が多いため(つまりチャレンジ直前に純酸素を吸っている)、日常的な「チャレンジで息を止める」意味合いとは条件がかなり異なります。
最初に言っておくが根拠はない。自分が過去作を見た感想や知り合いやネットの声をベースに考えてみた。
世間一般的な細田守の評価ってサマーウォーズ以降の「現代日本(っぽい何か)を舞台にした、登場人物が子供メインの青春系映画で、(一応)良い話っぽく終わる映画を作る人」て感じだと思うのよ。子供同士で見に行けそうとか家族で見に行けそうとか、良い意味で気楽に見に行けて失敗体験にならない映画を作る人みたいな。だからオタクやめんどくさい人やそもそも映画全般好きみたいな人を除いて、国内で細田守作品の動員に貢献してた人ってそういう感じだと思われるのだが、そういう層に対して「現代日本じゃない」「登場人物が気持ち大人寄り」「予告ビジュアルが割と暗い」「復習とか愛を知りたいとかテーマが重たそう」とかもう完全ミスマッチじゃんね。これが単館上映のもっと低予算・短編で監督の新たなチャレンジなんです! みたいならわかるけど国内マス向けのように扱うのはどう考えてもミスマッチだろ。
公開当時「中高生メインの若者からは非常に評価が高かった」という話だったが、そこからもう4年経ってるわけで、そういう年齢層が当時はあんま気にならなかった社会のルールというかストーリー上のアカンところに気付いてしまって「映像と歌は本当にいい映画だったけどストーリーはちょっとなあ」となってしまい、果てしなきスカーレットについては「いきなり行くんじゃなくちょっと様子見」になってしまったのではないか。あと比較的大人からは当時からツッコミどころを指摘されており、かつあれを「良い話っぽく終わった」と評せる人は正直割と珍しいと思うので、竜とそばかすの姫を見た人が「この監督、次は金払って見るのはやめとこ」となってしまったのではないか。
日本国内的にはそんな感じとして、じゃあ海外で初めて細田守に接する人なら最初から「こういう作風の監督なんだな」と受け入れられる可能性はある気がしており、実際どうなるのか見てみようじゃないか。