はてなキーワード: トキとは
うたの☆プリンスさまっ♪というコンテンツに出会い、QUARTET NIGHT(通称カルナイ)のファンになって5年が過ぎた。
カルナイのピークと言っていい2018年にファンになり、キャストである鈴木達央氏を耐え忍ぶという急降下を経験し、いよいよ単独ライブ「TABOO NIGHT XXXX」が全国の映画館で上映される「カルナイイヤー」を迎えた2025年、カルナイへの気持ちは増すばかりだ。
しかしコミュニケーション能力に難がある私にはカルナイの「よさ」を共有できる友人が一人もいない。そもそも友人がいない。
だからここに、いちカルナイファンとしての気持ちを、どこかのカルナイファンと共有できるかもしれないというわずかな希望をもって記すことにした。
うたの☆プリンスさまっ♪(通称うたプリ)の原作は、アイドルとの恋愛が売りの乙女ゲームだ。
それがアニメ、キャストライブ、スマホアプリゲーム、3Dライブ、ライブ映画、SNS、ラジオと活躍の場を広げていくうちに、アイドルコンテンツとしての支持層も獲得し、CDをリリースすればある程度の売上は見込めるまでのジャンルに育っている。
うたプリの最大のいいところは、「アイドルはこの世界に実在する」という建前を取ってくれるところだ。アイドルは公式SNSで日常生活やメンバーとの交流を報告してくれるし、公式は「描き下ろしイラスト」ではなく「撮り下ろしフォト」と言ってくれる。声優(キャスト)も「神宮寺レンとあなたをつなぐ諏訪部順一です」「美風藍の親友の蒼井翔太です」などと言ってくれるので強めの幻覚が見れる。とてもありがたい。
アイドルグループとしては3グループあり、いずれもグループカラーが明確で住み分けが出来ているので、きっと誰しもがどれか1グループは「刺さる」ようになっている、と思う。
ST☆RISH(通称スタリ)はシャイニング事務所所属の7人組の王道アイドルグループであり、言わずと知れたコンテンツの顔である。ちなみに原作のゲームにはスタリというグループは存在せず7人のソロアイドルとしてストーリーが展開される(グループ結成はアニメ軸)。
スタリのよさは何と言っても「多幸感」だと思う。
アニメにも描写があるが、スタリの曲を聴くと温かく幸せな気持ちになる。「生まれてきてくれてありがとうね」って言ってくれるし、「君の名も含めST☆RISH」って歌ってくれる。「ST☆RT OURS」という曲に至っては優しさに満ちていて、鬱のときに聴いたらスタリ担でなくとも泣いてしまう。
7人とも個性豊かだけど共通して精神面が大人で平和主義なので癒しと元気を求める人に全力でオススメしたいグループだ。
HE★VENS(通称ヘヴ)はレイジング事務所所属のアイドルグループでこちらも7人組。昔はST☆RISHのライバル的存在であったが共演回数が増すにつれて仲間のような立ち位置になっている。個性豊かなプリンスの中でも一際個性的で、だけど喋ると何だか可愛い、そんなメンツが揃っているように思う。
ヘヴのよさは、良い意味で宗教性の強いところだと思う。とにかく世界観がある。
メンバー同士がメンバーという関係性でなく「家族」であると公言しているし、ファンを「エンジェル」と呼び精神的にも強固に結び付いている。楽曲も宗教楽曲のような荘厳さがあり、ダンスも一糸乱れぬシンクロダンス。3グループ合同ライブでも初見で強烈なインパクトを残すのでこのジャンルにおける「新規ホイホイ」となっている。
QUARTET NIGHT(通称カルナイ)とは、シャイニング事務所所属の4人組アイドル、スタリの先輩という位置づけである。
当たり前だがどのグループにもよい部分、悪い部分があり、カルナイも然りである。
後ほどカルナイのよさを何の気兼ねなく叫ぶためにも、その前にカルナイのよくない部分を語っておきたい。
鈴木氏の賛の部分は後述するのでここでは否を語っておく。
カルナイの最大のウイークポイント、それはメンバー黒崎蘭丸のキャストである鈴木達央氏だ。
鈴木氏は元々失言が多く、スキャンダル前からジャンル内ではしょっちゅう叩かれている人だった。カルナイファンの私としてもヒヤヒヤするような軽口が多い人という認識だった。
そこにあのスキャンダルを起こした。ジャンルという小さな枠を超えて一般層にまで届いた醜聞で、鬼が金棒でぶん殴ってきたかのような衝撃だった。公式から鈴木氏続投のお知らせが発表されるまで、カルナイがなくなるかもしれない、蘭丸がいなくなるかもしれないという恐怖で、大げさではなく身体が震えた。
蘭丸ファンも目に見えて減ったし、きっとこれから付く「タブナイ新規」もこのスキャンダルの影響で本来よりも少なくなるんだろうというのは想像にかたくない。
これはよさでもあるし、よくなさでもあるなという部分であるが、カルナイの圧の強さが苦手でスタリとヘヴだけ推しているという人も見かけるくらいカルナイの圧は強い。
カルナイが巷でよく言われる批判は「上から目線」「後輩の前で(ファンの前で)喧嘩するな」「嶺二が可哀想で見てられない」等々だが、全くもってそのとおりである。
いよいよ本題。
(前提として、うたの☆プリンスさまっ♪というネーミングだけあってスタリもヘヴも当たり前に歌が上手い。その上で)カルナイは4人組だが、見事に高音、中高音、中低音、低音と得意な音域が分かれており、しかもそれぞれがボーカリストとして高い技術を持って存在してる。
音源でもライブでも、お互いの存在を確かめ合うように歌い、お互い煽り合うように相乗効果で伸びていく。
カミュのキャストである前野氏が「4人で歌ってると何だか無敵な感じがする」と言っていたが、聴いているとまさにそんな錯覚に陥るのだ。
決してスタリの歌のように多幸感を得られるわけではないが、カルナイの歌を聴くとずっとこの音楽を聴いていたい、私はこの音楽を聴くために生まれたのだ、という気持ちにさせてくれる。
ここからはメタ的な話になるが、キャストで見たときに森久保氏、鈴木氏、蒼井氏は、声優個人として音楽活動をしており元々歌が上手い人たちだ。対してカミュのキャストの前野氏はカルナイ以外では音楽活動をしておらず、本人もそれを気にしているような発言を何度かしている。
そんな中、カルナイのキャストは、カルナイとしての場数を踏むにつれて明らかに全員がスキルアップしている。
特に前野氏は、初期の楽曲である「QUARTET★NIGHT」と比較して、最新楽曲である「TABOO NIGHT XXXX」ではラップのようなウィスパーボイスも巧みにこなし、耳を疑うほどの成長を遂げている。
また、元々歌の上手い3人も、近年では更に難易度の高い楽曲に挑戦したり、繊細なニュアンスで歌詞の行間を伝えてくれたりと新しい顔を見せてくれている。
私はカルナイ自身も大好きだが、このカルナイのキャストの「カルナイのためにスキルアップする努力を惜しまない」ところも大好きなのだ。
「JINN - Ω - RAY」の歌詞そのままに「1秒先の未来すらも進化している姿」を見せてくれる4人に心から感謝したい。
見出しにキャストの、とわざわざ付けた理由は単純で、カルナイのダンスは個性的過ぎてバラバラで個人的には好みではないからだ。
そしてキャストのダンスをわざわざ列挙する理由は、ダンスが本職のアイドル並みに上手いとか、そういうことではなく、前述した歌にも通じることだが「カルナイのためにここまでの努力してくれる姿」が好きで、そこに愛を感じ、その気持ちがありがたいという理由である。
前述のとおり私は、鈴木氏には一種恨みのような感情を抱いてはいるが、同時に感謝してもしきれないほどの恩を感じている。その最たるものが「カルナイキャストのダンス」である。
鈴木氏が、ダンス経験はないが蘭丸のために踊ると決意してくれたこと、森久保氏が当初ダンスの難易度を下げようとしたときに「ダサいっすよ」と発破をかけてくれたこと(それに森久保氏が応えてくれたことと含め)、何ヶ月も前から練習に入ってメンバーの士気をあげてくれたこと…キャストライブでカルナイがここまで「踊るグループ」になったのは、紛れもなく鈴木氏の功績である。
カルナイのメンバーは嶺二以外、第一印象があまり良くないタイプだが、知れば知るほど沼る依存性がある。以下に簡単に書いておく。
カルナイ最年長で精神的支柱。嶺二の存在がカルナイを存続させている。
愛嬌があって人当たりがいいが芸歴が長く、あの一ノ瀬トキヤに「食えない人」と言われるほど手の内を見せない。
大人っぽさ、無邪気さ、繊細さ、色気、清純さ…嶺二の中に全てを感じて多面性に沼る。
柄は悪いが根は優しく、面倒みがよい兄貴肌。弱気を助け強きをくじく。料理も上手く、意外にも言葉で気持ちを伝えてくれるタイプなうえ、記念日に花束を買うマメさまである。実は欠点がないスパダリなので普通に沼る。
カルナイ最年少。
とある事情から世間知らずなところがあるが純粋で真っ直ぐ。最年少なのにことあるごとに先輩風を吹かせてくるところがかわいいので年下男子好きは沼る。
優しい「執事モード」と偉そうな「伯爵モード」を持つ二面性アイドル。どれだけ砂糖を食しても病気にならない頑丈な内蔵を持つ。この態度のデカさでカルナイの年下組という事実が愛しい。
とにかくゲームはAIIStarAfterSecretまでしてほしい。そこまでやらないとカミュのよさは伝わらないし、ASASまでやればもう沼ってる。
スタリのメンバーには同室組という、旧ジャニーズでいうシンメのような存在のメンバーがいるが(セシル以外)、カルナイにはそういった概念が存在しない。ただ4人しかいないため各組み合わせにファンがいる。
カルナイ年長組。蘭丸から嶺二への当たりは強いがお互いを認め合っていて、相方、相棒と公言している。
原作で、嶺二が自分(藍)と他人(藍似の嶺二の友人)を重ねて見ていると気づき拗ねる藍がとてもかわいい。
ひたすら塩対応なカミュとそれを包容力で受け止める嶺二。上辺なようでたまに芯をつく。
これぞカルナイというやり取りが拝める。
蘭丸の兄気質と藍の弟気質が発揮される組み合わせ。ASASの藍ルートでの自転車のくだりがオススメだ。
あと普通に歌が上手い。
カミュが喧嘩を売って蘭丸がそれを買って一生喧嘩してるいるが、大体蘭丸は悪くないことが多い。
流石のカミュも藍には優しい(優しくはない)。
2021年に開かれたうたプリの合同キャストライブ(マジLOVELIVE7th STAGE)では鈴木氏がスキャンダルの影響で欠席となった。
そんな中、登場した3人は、3人でカルナイのユニット曲をパフォーマンスして3人のソロ曲を披露したあと、蘭丸のソロ曲を踊ってくれた。
その合同ライブでソロ曲をしたのが3グループの中でカルナイだけだったので当然叩かれたが(当時も、今でも叩かれたのは当然だと思っている)、3人が叩かれるのを覚悟のうえでこの方法を選んで、蘭丸をステージに立たせてくれたその気持ちが嬉しかった。
3人には、カルナイを守ってくれてありがとうとお礼を言いたい。
これから映画館で、きっとそのあとにはどこかのライブ会場で、カルナイの音楽を浴びれる。しかもその音楽は今よりも更に進化した音楽だ。
windows11が 24h2に更新されたと思ったらライセンスが無効っていわれるようになったんだが
既知の問題らしいな
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/1656843.html
windowsのバグはこれまでそこまで踏んできてないから今回は影響大きいのかと、twitterをググってみたらかなりの報告数あるんだが
流石に多すぎだろ
しかも最近24H2への強制更新が始まったらしいからこれからどんどん増えていくぞ
窓の森では環境の問題で24H2の問題ではないってマイクロソフトから返答来たってあるが、ここまで大人数に影響していて24H2の問題じゃないってのは無理があるだろ
プロダクトキーの再入力で通ったって報告もあるが、プロダクトキーなんてクリーンインストールでもしなければ使わないものだし、
それもここ最近ではOSについてる機能で初期化してもプロダクトキーが引き継がれてたから使うことなんて無いものだった
つまりは倉庫の奥底だったりどこに置いたかなんてわからなかったり
再入力が気軽にできるとも限らない
ユーザーに負担かけるんじゃなくて問題起こしたマイクロソフトがどうにかしろよ
どれが正規品かわからないならもう海賊版等も含めて全部許可すればいい
それで潰れるならもう潰れろ
面倒だからもう気にせずそのまま使うことにするわ
2024年の5月からサービスインしたJREバンクは口座に預けた金額と、ビューカード支払い指定、給与受け取り指定などでJR東日本の運輸系特典がもらえるという大盤振る舞いで話題となった。
一旦口座に50万入れて半年経ったのち、手元には3月末までのどこでもビューンの割引サービスと、9000ptあまりのJREポイントがあって、年末年始休暇が9連休だったこともあって、1発ガチャを回してみた。
結果、行き先は新潟となり、年末27日から12年ぶりの新潟を訪れることとなった。
二泊三日でホテルを取ったものの、いい歳した独り身が新潟で二泊も何をすればいいのか、長すぎるのではと思ったが、有識者に話を聞いた結果、長岡市に手書きの味のある看板を乱立させている松田ペットというペットのトリミングショップがあるらしく、長岡で途中下車したのち、これを1番目の目的地として、弥彦に向かって神社を参拝し、その後新潟市に向かうことにした。
12年前も冬だったが、当時、新潟自体あまり調べずに行ったため、今回新潟市は近隣と比べてあまり雪が降らないこと、新幹線の駅で2つしか違わない長岡は降雪量が多く気温も低いことなどこの歳で初めて知ることになった。
事前に滑らないようにスノーブーツを買ったのだが、これがあまり良くない靴で、実際1日目に足に豆を作ってしまい、旅行の間中足の痛みに悩まされたのは少し残念。
年末の長岡はというと、街には雪が舞っており、とはいえ北海道ほど気温は低くないので、コートに雪がつくのを任せていると溶けて濡れてしまう。
長岡の人は雪でも傘をさしていて、自分もウオロクで傘を買い求めた。
降り頻る雪の中、ロードサイトに突如現れる松田ペットで、人間用お土産の瓦せんべいを買い求め、似たような構図だけど描かれている犬の顔が手書きゆえ微妙に違う看板をスマホカメラで収めて、長岡駅に戻る。
長岡は放水孔から常に出る水が道路の雪を溶かしており、信濃川を渡す橋から排水が小さな滝になって冬の河に注がれていた。
ここにある彌彦神社では、火の石、通帳「重軽の石」というのがあり、2つの石のうち、一つを選んで願い事を念じながら持ち上げ、その後もう一方を持ち上げた時に「重い」と感じれば願い事は叶わず、「軽い」と感じれば叶うという。
やってみようとすると、韓国から来た家族が物珍しそうに石をぐるぐる回りながら見物していて、石を持ち上げようとした時にもおじさんが周りを歩き回っていて、変な空気になってしまった。
重さはどうかというと、しっかり腰で持ち上げるつもりだったため、上がった瞬間はヒョイっと上がったが、「上がらない重さじゃ全然ないけど、しっかりあるな」という、なんとなく玉虫色の感想ではあった。
弥彦には温泉があるというので入って行こうと思ったが、お目当ての温泉宿は残り30分しか入浴時間がないとのことで、旅館の方に同じ湯が出るという弥彦館 冥加屋を勧められた。
味のありすぎる建物に入ってみると、年末で客はほとんどいないらしく、耳の遠いおかみさんがロビーで一人テレビを見ていた。
館内の電気も大体は消えており、脱衣所も電気も自分でつけるという、全体的に「大丈夫なんか」感はあったが、窓の外に雪の弥彦山を見て、自分はというと湯船の脇に林立するたぬきの置物に見られながら温泉に浸かるという「普通めがけて来ることはないだろうな」といった意味での貴重な体験をすることができた。
天領杯、弥彦・極、雪男、イットキーと試し、天領杯が一番バランスがいいなと思った。
皆さんも新潟に行き利酒をしたことがあるなら、おすすめを教えて欲しい。
さて、1日目でホテルのキーを早速紛失してしまい、小さくがっかりしながら目覚めた2日目だが、それはそれとして、駅前のグローバルビュー新潟の朝食は素晴らしく、新潟の食のレベルの高さを感じた。
というわけで、軽く新潟駅前を見たのち、万代シティで万代そばのカレーを食う。
絶賛ばかりのネットの噂は盛りすぎで、過度な期待をせずに食べればという感じだが、黄色くてマイルドそうな見た目に反して結構辛かったのと、590円の割にはしっかりとした量があり、まあまあいい経験なので、来たらまた食べると思う。
バスで白山神社と日本家屋・燕喜館を見たのちに、マリンピア日本海へ。
9連休とあって、親子連れも多く、年末の日本海を背景にイルカショーを見たり、低いサイレンのような唸り声を上げるペンギンの群れを見たり、低い声でめっちゃ喋るトドを見たりし、冬の曇り空の下で「イルカはショーの進行を理解してるのだろうか」とぼんやり考えた。
夕食はタレカツ。
揚げ物が3枚乗っかった丼は見た目こそヘビーだが、ヒレなのか柔らか、タレも上品な甘辛味で、パクパク頂けた。
これはお勧めしたい。
紛失したカードキーは結局見つからず、少しや宿代に上乗せしてチェックアウトした3日目。
秋葉温泉は駅こそ単線のローカル線沿いになのだが、駅から5分もせずに入り口というすごい立地で、温泉施設も充実しており「これなら時刻表を調べたらすぐに電車ににれるし、全然いいなー」と思ったら、雪の降り頻る中、沿線で倒木があり、一時運転見合わせで駅の待合室で待ちぼうけという味のある展開となった。
まあなんというかこれくらいのハプニングが起こらないとあまり平和でも張り合いがない。
新潟は米菓の消費量で2位以下を10倍近く引き離して圧倒的1位のせんべい県なわけだが、それを象徴するように確固たる「贈答用せんべい」のカテゴリがあり、その代表格である瑞花でおかきミックスを買う。
また、以前来た時に何気なく買ってうまさに驚いた、あんこクリームを挟んだ蒸しどら焼き、河川蒸気も買い求め、自分用には蕎麦と柿の種のラー油漬けを買った。
バカうけと万代太鼓は惜しくも選に漏れたが、印象として新潟のお土産は全国でもかなり強い印象を受けた。
足が痛かったり、キーを紛失したり、長岡の雪が冷たかったりした年末の新潟だったけど、思い返すと不思議と結構良い印象が浮かんでくる。
もう一回どこビュンガチャを回す時はさすがに別のところを選ぶだろうけど、またそのうち行くかもしれない。
年も明けました。
クソ気持悪いうンちとか語スモー造トキーい
テレビでANN系列のドキュメンタリー番組『テレメンタリー』を見た。
エロ漫画で生計立てつつ、メジャー少年誌での連載を目指す2人。
1人は「DL販売で9万3000部以上売れて2000万儲かった」と。
もう1人は作画風景を映されてたが、絵柄見ても誰か分からない。
ググったりX(旧Twitter)で検索しても、テレメンタリーに言及してる人ほぼいない。
後日、改めて検索するとYouTubeのANNnewsCHに当該番組が丸ごと公開されてた。
多数のコメントの中にエロ漫画ソムリエがいて、もう1人のペンネームも判明。
p○hs(ぺろ○す)って人らしい。
電子書店では何度もランキング上位になるほど売れてるそうだが知らんかった。
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ここまで書き、後日に投稿しようと寝かせてたら後出しになっちゃった。
当該番組の一場面を静止画キャプしたX(旧Twitter)のポスト(旧ツイート)がバズる。
(ヘテロのみんなが想像するような何かしらの理由やトラウマもなく最初から)レズビアンなんだけど、マジで男が苦手すぎる、まあちんちんにも「うーん、性器。キモ」と思うけど、ちんちんついてるから嫌いっていうより、男らしさのある男という概念が苦手すぎる。
このうんち世界では、社会に出るにあたって男らしさを自動的に当然のものとして学ばさせられる・もしくはそれらを身につけていないことによって制裁を受けるなどして強制的に身につけさせられるため、男が”男らしい”のは必ずしも本人の意志ではないと分かっているが、かなり苦手。
ミサンドリーみたいに「男ってこうだよね、だからバカアホクソ」というわけでもなく、本当に理由がなく苦手。苦手だから死ねとかもなく、かといって興味ゼロ透明人間というわけでもなく、なんか夏野菜カレーの中にあんま好きじゃない具材入ってて「あー」ってなるみたいな感じで苦手。トキシックマスキュリニティの被害を被ってるからとかでもない。多分加害性を失ったとしても普通に苦手。
だからと言ってみんなそうだよね!とかそう思って当然!とかも思わない。オクラ苦手だなーみたいな感じかも。オクラ嫌いな人、いなくもないけどみんなそうってわけでは確実にないでしょ。
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日本最古の漫画とされる文字通りの国宝。800年この宝を守り残してくれた高山寺に感謝しよう。
果たして現代の漫画の原画は800年後も無事に守り伝えられているであろうか?
手塚治虫の長編デビュー作。諸説あるものの当時にして40万部を売り上げたとされる革命的な作品。
この漫画に衝撃を受け、多くの若者が漫画家の道を志したとされ、藤子不二雄などもその偉大さを強く伝えている。
酒井七馬との共作であったため、それに伴うトラブル等からその出来を手塚自身は認めていなかったとされ長らく封印されており、完全に書き直したバージョンも存在する。現在ではオリジナル版が復刊され電子書籍でも手頃な価格で読める。これはよほど状態の良い初版から丁寧におこしたらしく非常に鮮明な素晴らしい出来だぞ。
(ただオリジナル版は印刷の都合上、手塚の絵を職人が手でトレースして出版したものらしいので筆使いみたいなものを論じる意味はないぞ)
手塚はここから本格的に出発し、約40年間で15万ページの漫画を書いたという。
手塚治虫やトキワ壮グループのカウンターになるようなシリアスな表現を極めていく劇画の礎となり、漫画表現の幅を大きく広げる道を作った。
当時の劇画としては、白土三平の「忍者武芸帳 影丸伝」が傑作として名高く今読んでも抜群に面白いが、パイオニアとしての黒い吹雪の地位は揺るがない。
劇画黎明期の様子は、同じく辰巳が晩年に描いた「劇画漂流」という漫画に詳しい。
また辰巳は海外での評価が非常に高く、例えば「黒い吹雪」もWikipediaに日本語版はないのに英語版は存在している。
劇画といえば手塚との対立が面白おかしく語られがちだが、劇画の始祖辰巳は中学生の時から手塚の自宅に出入りし、終生手塚を敬愛して二人でフランスを訪れたりもしていたことは覚えておいてくれよな。
藤子不二雄が、おばけのQ太郎に始まり、手塚治虫とはまた違う新しい読者層を開拓していった活動の頂点に位置する作品。短編と大長編を合わせて膨大な作品群を形成し、その影響は漫画界よりもその外部に大きく広がり、多くの人の人生や、現代に溢れるkawaiiキャラクターものにまで現在進行形で強く力を与え続けている。
いまだにアジアで愛され続けるそのレガシーの大きさはとても一言では表せないが多くを語る必要はないだろう。
旧来の少女漫画が描いていたステレオタイプを打破する作品を矢継ぎ早に発表した萩尾望都の出世作。
少女漫画誌に次々と新しい手法で圧倒的な画力と文学性を持ち込み、後の多様性の形成の礎となった。
世界の中で少女漫画市場が現在でもきちんと維持されているのは日本だけであるとされるが、その中興を成した作品の一つである。
萩尾望都は花の24年組というくくりで呼ばれることが多いが、近年出版した自伝で当時のトラブルを語り、萩尾先生自身はこの名称には肯定的ではないようなので、令和の漫画読み諸氏はアップデートしていこうぜ。
立体感と漫画らしさを融合させた絵作りで後世に多大な影響を与えた鳥山明の出世作。
第一話の扉絵を見ただけで、当時別次元の漫画であったことが分かると思う(ジャンプ+で今すぐ読めるぞ)。
鳥山明の登場は手塚以降で最も衝撃的であったという事はプロアマ問わず多くのものが口を揃えて語っている。
鳥山明においては、Dr. スランプとドラゴンボールどちらを選ぶのか好みが真っ二つに分かれるところであろうが、世界的な評価やバトル漫画への影響を重視する人は遠慮なくドラゴンボールに入れ替えてくだされ。筆者も個人的にはドラゴンボールに思い入れがある。
鳥山明に並び、並外れた表現力で後の漫画界のレベルを一気に引き上げた大友克洋の代表作。
フランスに生まれたメビウスという天才漫画家の開拓した表現が大友を通して日本の漫画界に合流し発展することにもなった。
後に大友が連載する「AKIRA」においては連載途中に、作者自身が監督として超一流のアニメーターを集め、巨額の予算をかけ同名のアニメ映画を作り、そちらも歴史に残る大傑作になったのはご存知の通りである。
ちなみに大友がAKIRAに書いた最後の最後の言葉はなんだったか知ってるかな?答えは、『そして、手塚治虫先生に…』だったんだぜ。
現在、大友作品は、電子書籍版が出版されず現代の若者に対しての間口が狭いのが少し残念であるが紙で読んでくれということなのだと思う。
独自の出自を持つ作品であり、日本一のアニメーション監督が全盛期に描いた本気のファンタジー漫画として、ナウシカの前にナウシカなし、ナウシカの後にナウシカなしという唯一無二の完成度の高い作品。
途中に「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」の映画制作を挟み、全59回の連載を15年かけて終わらせた。時間を節約するため連載第2回目からしばらくはペン入れをせず、鉛筆で仕上げた原稿を掲載したことは語り草となっているが、画力が限界突破しているので読んでも違いに気付かないぞ。
100年後も古典として読み継がれているのはこの作品ではあるまいかと思わせる風格を漂わせている。
連載当初はダイヤの原石であったが、6年間の執筆の中で画力、構成力の凄まじい向上を見せ、人気絶頂のまま連載終了した伝説の作品。
従前から繰り返された「天才」たちの活躍という題材ではあるが、漫画表現のリアリティという点で飛躍的な進歩を示してみせた。
大きな流れで見ると、手塚治虫が平成元年、すなわち1989年、60歳でその生涯を閉じた翌年に、時代を大きく動かすこの大傑作が連載開始した形であり、新しい元号とともにさらに大きく発展を遂げていく漫画新時代の象徴となる作品となる。
東アジアでの人気は凄まじく、アニメ版の聖地巡礼で鎌倉を訪れるものも未だ後を絶たない。
突然変異的に登場し、それまでの漫画の常識を覆した2000年以降最大の問題作。
少年漫画が天下一武道会以降繰り返してきた自己模倣を打ち破り、新たな可能性を存分に示した。
この漫画は終わらないだろうという世間の心配をよそに、諫山は数々の伏線を回収しつつ、一度も休載せず堂々と完結まで導いた。そういった点でも未完のまま停滞した名作たちが越えられなかった壁を打ち破り、その名声を比類なきものにした。
実は諫山は福岡の専門学校のマンガ学科出身であることをご存知だろうか?その授業の一環として、生徒が東京の出版社に持ち込み旅行をするという企画があり、19歳の諫山がいくつかの出版社を周った際に、講談社で当時新入社員の川窪慎太郎に進撃の巨人の原案を見せたことが巨人の物語を始めたとされる。
少年ジャンプはなぜ進撃の巨人を逃したのかという点ばかりセンセーショナルに語られがちだが、社会人生活4ヶ月目にして諫山の才能を見抜いた川窪の目には一点の曇りもなかったことをただ賞賛すべきだろう。
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こんだけ落ちたよ
ニッカウイスキー
創通
ざっとこんだけ落ちて辛い
今の俺は軽トラ運転させられたりドローン操作して測量の手伝いさせられたり
会社のホームページ更新したり社内のWindowsサーバーを管理したりオービック使って経理業務したり
お前PC詳しいだろって言われてFEM解析したりオートキャド使って図面描いたり
会社で打ち上げ花火したいから花火職人と話をしてこいと言われたり
冬場に会社の倉庫横に残ったスズメバチの巣を撤去してこいと言われたり
会社のスマートフォンで内線み受け取れるようにしろって言われたり
社長の実家で雪かきが大変そうだからお前手伝ってこいって言われてやってきたり
チェーンソー作業者になれと言われてなったら
……という冗談はさておき、対策委員会編三章は先生の負傷による一時的退場、アツコ救出・列車砲の停止に並行してミカ・ホシノが精神的な問題で暴走する等と似通った部分がある。二番煎じであるがゆえ、後発の展開はまさに時代が許さなかった…と言える部分もある。しかし後先の問題ではない差異も存在する。
(そもそもここも実際何をしたか明言されていないのだが)地下生活者が先生の肉体の脆さを攻めるにあたって、シャーレの直接爆破を選択し、これはプラナによって防がれている。おそらく後にプレナパテスとなった先生はコレによる負傷でシロコ*テラー誕生まで昏睡しており、物語上の位置付けとしてはプラナがリベンジを果たしたシーンではある。
これに対してエデン条約編三章では調印式の会場にミサイルが撃ち込まれた際、シッテムの箱の防御に過負荷がかかったことで後のシーンでサオリに銃撃されるという流れになっている。
地下生活者の爆破とミサイルによる爆破は性質が違う攻撃(実際にヘイローを破壊する爆弾など、特殊な効果を持つ攻撃手段はあるので)という可能性もあるが、見た目上は先発の描写では爆破の後襲撃して排除しようとしているのに、後発の描写では爆破のみにとどめて追撃しておらず、一見すると詰めが甘いように思える。
これに関しては地下生活者の敗因として、多少の問題をチートによるアドリブで解決してしまう性質と初手でフランシスを排除してしまったせいで先生の情報を共有できなかった、というのがあり、手段の差異に限って言えば時間をかけて領地と手駒を用意したベアトリーチェと対極的なプレイングになっただけだとは言える。それでもどうしても後発である以上、シャーレ爆破によって危機感を煽るのは失敗している感が否めない。
エデン条約編三章では先生の不在にあたって、混迷する事態に立ち向かう補習授業部メンバーの姿が描かれる。アリウス出身であるアズサはサオリ達を止めるため単身立ち向かい、ヒフミはそんなアズサを止めようとするし、ハナコはサクラコに託された代行としてトリニティ内での事態収拾を図り、コハルも自分にできることを探し回った末にミカを助けようとする。
この補習授業部の努力は個々人の結果としては実を結ばず、アズサは一時的撤退を余儀なくされ、ヒフミは置いていかれてしまい、ハナコは拘束されかけ、コハルもまた先生の到着が遅れたら危ない状況だった。しかしあくまで直前まで個々人でこなしていた努力はまったく無意味なものではなく、先生のフォローによって歯車が噛み合い、反撃に転じていく。
対策委員会編三章ではどうか。単身突撃しようとするホシノに対してノノミを除く全員でかかって返り討ちに遭う。それだけである。補習授業部のメンバーがアリウス出身、行動力、知略、勇気と優しさと役割分担が為されているのと同様、肉体的に強いシロコ、ネフティスの人間であるノノミ、ブレーン役のアヤネ、情に厚いセリカという形になっているにもかかわらず、である。
その後先生が復帰した際には、先程まで先輩に対する反骨芯に燃えていたアヤネがポッと出てきた提案に飛びついて、そのまま全員先生配下の戦力として状況に振り回されているだけになってしまう。おまけにアヤネ生徒会長はプレジデントに一蹴されて自分でも向いてないと辞退し、ノノミの実家の件は執事の乱心がよくわからないまま処理されて流され、セリカに至ってはコハルのような見せ場のひとつも貰えていない。シロコが生徒会の谷で親越えを果たしかけるのが唯一活躍と呼べる活躍だ。
ベアトリーチェに囚われているアツコを救出する目的で動くアリウススクワッドと先生に並行し、ミカが暴走するのがエデン条約編四章である。アリウススクワッドは前章において敵対していた集団であり、物語の途中途中で彼女たちの過去が描写される。そこにセイアの件で暴走したミカが激突し、彼女の今に至るまでの足跡も開示されていく。
対して対策委員会編三章では、ホシノの後追いで後輩メンバーが追いかけるだけで、ホシノ側はバックボーンがよく分からないまま終わったスオウとの中身のないバトルをした後、後輩達と戦い、シロコに根負けした後地下生活者に話をひっくり返されてお流れになる。初期から実装済みのキャラクターであるがゆえ、アリウススクワッドやミカに比べて掘り下げ描写の余地が無いというのはそうなのだが、新キャラであるスオウに関しても意味不明のまま終わってしまい、いい雰囲気になりかけていた対話も結局キャンセルされてしまう等中身のない尺稼ぎパートのような印象が残る。
エデン条約編に比べてホシノ一人の描写に終始しており、対策委員会メンバーも列車砲の件よりも何よりホシノを止めたいという動機で動いている。結果として、ミカを止めたいけど今はそれどころではないというエデン条約編に対して、対策委員会編はホシノ一人が我慢すれば終わるし、一人を止める目的で一致しているのにどうしてここまで後手後手に回っているのかという印象になってくる。
アツコの救出に関してに限って言えばミカはシナリオ上のお邪魔キャラにはなるのだが、サオリとの対決は物語上重大な意味を持っている。サオリとの対話によってミカは自分の最初の動機を思い出し、他人を自分同様に尊重することを学び、それが他人を他人として拒絶する洗脳を行ってきたベアトリーチェへのカウンターとなり、キリエを歌うに至る。
ホシノとヒナのバトルは演出が豪華なだけで物語上の意味は何もない。一応、真実と事実の差異に関しての先生の台詞から推測するとホシノの真実とヒナの事実という対立軸はあるのだが、ホシノがぜんぜん正気ではない上真実がどうこうと言えるのはユメと邂逅した後の話であり、本当にミカとサオリのような対話は一切なく、ホシノがスオウやシロコと連戦した上で戦い、結局ヒナが列車を破壊して決着を濁すといった結果が分かり切った勝負でしかない。時計じかけのパヴァーヌにおけるネルVSトキのような、ギミックを用いた演出の熱さすらも無い。この後はセト討伐で協力するぐらいしか描写はないのだが、後輩やシロコ*テラーを差し置いてエピローグのスチルまで貰っている。
ホシノとヒナに関しては素材は良いのだから、もっとちゃんとした過程があるのならば応援したかったのが正直なところだ。しかしあまりに何も無いまま結果だけいい雰囲気になっているので、虚無度は顔カプに近くないかと思ってしまう。
ここに関しては本当に順序が悪いと思っている。後輩からの呼びかけを拒絶し、先輩と邂逅し別れて、いい感じの曲と共に先輩がいない後輩との二年間を思い出し戻ってくる……という流れなのだが、ユメと別れた後に後輩からの呼びかけが無いせいでなんか吐き出してスッキリしたから自力で帰って来たような様子になってしまっている。せめて先輩と別れた後、後輩のみんなと言葉を交わし合って、暴走して振り回した件もここで謝って、先輩に見送られながら復活する……というような流れであれば後輩の扱いに関して思う部分は薄かったように思う。
結局三章は何がしたかったのかというと、既に分かり切っている動かしようのない事実に向き合う話を延々やっていたのだが、それは結果の分からない物語に比べて丁寧さが要求される方向性のように思う。前提が覆るからカタルシスが生まれる。ホシノのテラー化をいくら死人を生き返らせるようなものと連呼したところで、急に出てきた説明でしかないし、ユメは普通の死因で死んでいて復活なんかはありえないけどホシノは帰って来たよ、と言われても事前に低くしたハードルを越えただけの話にしか思えない。こうなるぐらいであれば、ユメの死因は特殊なものにしてアビドスへ舞い戻らせ、ケイやアヤメも同様に帰還する可能性を示唆でもしていた方が良かったのではないだろうか。
婚活ってのは結婚に必要なわけで、結婚ってのはまあ異性と生活を共にするということで、
現代的価値観でいうのであれば、まあ恋愛的にトキメクかどうかとか、価値観が合うかとか、そういう部分が重要なわけだろ。
なんでみんな、真っ先に書くのが年収と身長と体重なんだ????
そんなことより、どんな本を読むとか、どんなアクティビティが好きだとか、どんなスマホを持ってるとか、肉と魚はどっちが好きとか、
子供は何人くらいほしいとか、サッカーと野球ならどっちが好きとか、普段どういうことして過ごしてるとか、
両親とはどんな関係だとか、そういう人間性とかの方が大事なんじゃねえのか?