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2025-12-08

小学生の時に新興宗教を作った話

毎年クリスマス正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。

とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。

はいくらでもあるが、当時小学生お子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。

まり

増田が6年生だった頃のことである

当時通っていた小学校お受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強関係ない授業が多い日は学校休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である

そんな雰囲気学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配から大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。

当然、遊びたい盛りの子供は不満である

から晩まで勉強で楽しくないし、学校教師子供達に学校勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。

小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。

そうだ、宗教を作ろう。


友人について

当時の増田立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。

とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強スポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。

入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャ性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである

表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。

友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。

友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。

増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。

ズブズブに共依存している闇のズッコケ三人組である

そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。

宗教を作ろうと思う」と増田は言った。

いいね、やろう」と友人Aは言った。

信者100人くらい欲しいね」と友人Bは言った。

増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。

そうして、宗教を作ることになった。

宗教を作ろう

増田キリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。

そこで「神」不在の「思想」の宗教を作ることにした。

思想宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田信仰は深くなかった。ただ、人間熱狂宗教になりうる、と子供心に感じていた。

小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。

発端

どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。

その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである

これは単純だが、小学生承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票シールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。

増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。

それと同時に、「これは使えるな」と思った。

まり、「人の善意は操れる」と知ってしまったのだ。

増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。

どうせ宗教を作るなら、ハッピーな方がいい。

3人の意見はまとまった。

その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校コンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。

日中調べて回って、以下のことを決めた。

小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。

そしてそれを実行に移した。これが6月の頃である

〇〇〇〇教の立ち上げ

結論から言うと、〇〇〇〇教はバカウケした。

結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。

友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。

3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生拡散力を舐めていたのである

拡散組織化

夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。

だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である匿名投票匿名性は失われ、よく知らない人間善悪判断しなければならない。

3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである

それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営テコ入れをすることにした。

まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者シールとお札のデザイン一新させた。毎月シール図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。

また、情報屋も雇った。告解で得た情報さら価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。

支部長の下に秘密内部監査官も置いた。これは支部長の不正信者との癒着告発させるためである

組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田

夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。

そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである

お叱り

〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。

当然である人間の口に戸は立てられない。小学生なら尚更だ。

つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。

夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。

説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたかである

そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ

教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的要求押し付けてお開きになった。

応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。

馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。

子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!

受験用に詰め込まれ知識であるキリシタン気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである

〇〇〇〇教は密教と化し、いよいよ肥大化していた。

隠語で呼ばれ、ミサと称した会合秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。

教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校掲示板mixi日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。

知らないデザインシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。

秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。

祭りの後

冬季講習の最終日、いつもの公園ジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュース乾杯をした。

「そろそろやめよっか」と増田は言った。

教祖しかったなぁ」と友人Aは言った。

卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。

正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である

教祖司祭裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。

でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手物事は進んでいくし、勝手教祖を名乗るものも出てくるし、勝手布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。

だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。

色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。

あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。

教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。

こうして、我々の宗教活動は終わった。

最後

友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。

友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。

増田中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。

それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近オンライン飲み会なるものを開催している。

この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。

最近子供ランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」

友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。

この歳になると涙腺が緩くなって困る。

キリシタン、まだいるのかぁ。

2025-12-03

家の親、放任主義じゃなくてただの放置だわ。

愛情の反対は無関心系の

2025-09-24

小1でバス電車乗り継げるって凄すぎない?

長男保育園で同じクラスだった子の一人が私立小学校にいったそうでさ。

面倒見がいい出来がいい子だと思ってたけど、こんな放任主義保育園から私立小学校ってすごいなって感心した。

で、さらに凄いのが7時から家を出てバスにのって駅に行き、電車も途中で乗り換えて通学して、帰りも学童で過ごしてからから帰宅が19時なんだって

すごいなぁ東京

ってここも一応東京だけど、畑とかある多摩地区だしさ。

アメリカだったら通報されるレベルじゃない?

小1って、交通標識だってやっと覚えたとかじゃないの?

路上に溢れる文字の全てにルビ振ってあるわけじゃないし。

いやあ、凄いわ。

2025-08-16

anond:20250816211851

優先させたい、と言ってるだけで、子どもとの食事を優先させてきたぞ。10年以上。我ながらだいぶ頑張ってきたと思う。

でも、下の子小学校3年にもなってきたし、そろそろ我が家食事については個人主義放任主義に移行してもいいかなーと思い始めている今日このごろです。

2025-07-09

[]

原神がついに!ついに! テイワット大陸の真の支配者と目されてきた、「天理」の4つの影――

死、生、時、空の執政4人分の名前ビジュアル声優ショートアニメ「神の限界」を通して情報解禁してきた!

直近では5年間の分厚すぎるシナリオの蓄積を積み重ねてやっとテイワット歴史重要地点と宇宙観が垣間見える、ダイ任務スカー伝説の神展開があったばかり。

原神熱が過去最高に盛り上がっていたところに、ダメ押しとばかりに弩級情報公開ムービーが来たのは予想外の喜びですわ。ちょっと冬夜の戯劇(ファトゥス全員公開ムービー)の時と同じくらい興奮してるかも。

ちなみに普通の開発規模のオンラインゲームの1年分を原神は2ヶ月くらいで開発する、おそらく1000人規模の開発だから、初期から触れてきた内容の濃さを思うともう何十年も付き合っている感覚だ。

ここからネタバレだが、特に、時の執政イスタロト声優村瀬歩だったことの衝撃が一番大きい。

偶然の配役ではないと見られ、ウェンティと同じ声優を、日本語版のみならず他言語版(英語中国語確認済み)でも貫いていることから意図的な配役だろう。

初期のクエストからずっと、風の神と時の神の関連は仄めかされていて、それが回収された形になる。詳細は不明だが。

時の神を含む4つのはいずれも女神の姿で、風神はモンド建国期の人間を由来としてショタの姿をしているが、同一性表現をするために男女ボイスどっちも行ける声優を使うよう当初から計算されていたということ…。どえらいことやでホンマ(何)

死の執政ノヴァは、姿と無加工の声が見られたのは初めてで、ロリではないが目の大きいロリ顔で、インテークのある白髪な感じは崩壊3rdセルマ様に似てる。

ドレスは黒と赤の禍々しいサキュバスっぽいもので、ナタで上空から覗いていたときのような目の意匠がそこかしこにあり、能力を使うときには手首にも目が開く。

個人的に気になったのが、背負ってる羽根っぽいものが、稲妻にあった千手百目神像のそれとほぼ同じことだ。前髪の流れ方や垂れてる髪の長さも同じ。

これまであの像はイスタロトではないか考察されていたが、顔と羽だけを見るとロノヴァに見える。首元の意匠はイスタロトっぽさはあるし、フードを被るところはナベリウスっぽい。4つの影のキメラなのだろうか?あるいはパネース?

生の執政ベリウスは、最近魔神任務「背理」で近況が明かされていたが、レインドットに呑み込まれたあとも意識は消えず二重人格のように表に出てくる形になったようだ。

ビジュアルは頭の後ろにDNA螺旋状の円環オブジェクトを浮かせている聖女といった感じだが、服が左右で白と黒に分かれ意匠がまったく違う。

おそらくこれは呑み込まれたあとのビジュアルで、白い側が本来のナベリウス、黒い側がレインドットなのだろう。2人が言い合うときの構図からそう思った。

で、このナベリウスだけ目がオッドアイになっている。4執政の他の3人はすべて黄色い目になっている。

だが、よく見ると、白いドレス側の半身、本来のナベリウスであったほうは青い目なのだ。呑み込んだレインドット側の黒い半身は、黄色い目。

ここから考えられるのは、4つの影はすでに全員呑み込まれていて、権能を乗っ取られ、4執政を演じているのではないかということ。

そのキーとなるのがイスタロトバルバトスだ。

声優の一致やゲームクエスト文の仄めかしだけではなく、ウェンティの命ノ星座が冒頭のイラスト調イスタロトと一致した構図になっていることも含めると、状況証拠的に風神と時神が融合している可能性は極めて高い。

前述の目の色理論からすると、すでに完全に呑み込まれていて、バルバトス自身をイスタロトと思い込んでいるか演じていて、元のイスタロト意識は(ナベのように共存していないので)どこかを彷徨っている可能性すらある。

ウェンティ自身の素性を、平凡な千風の元素精霊のように言っていたが、これも疑わしくなってきた。これが嘘ではないとするなら、イスタロトを呑み込んだのはウェンティではなくバルバトスで、ウェンティバルバトスなのかもしれない。

呑み込み成りすますことで生まれ風神の空席をごまかすために、バルバトス適当精霊を捕まえてきて、影武者として振る舞わせているのが眷属ウェンティとも考えられる。

ウェンティ本人は、放任主義から長い事眠ってたことがあるという自認になっているが、その間に入れ替わりが起こったのかもしれない。

それにしては全部知ってる風なそぶりが多いから、バルバトス=ウェンティ可能性も残るが、眷属として認識を共有できるのであれば辻褄は合うだろう。

ともかく、そのように考えていくと、4執政は、天理に反目する4つの勢力によってすでに落ちているという考えが真実味を増してくる。

4つの勢力という部分は当てずっぽうだが、バルバトス魔女会とバトった経緯からすでに魔女会側に落ちているとしたら、4執政の全員が1勢力、つまり魔女会の手に落ちた可能性もなくはない。

アルベドも、魔女が生の執政を呑み込んだという一大事を平然と話していたので、前代未聞の所業ではない、つまり前例を知っていたのだろう。

いずれにせよ、時の執政が落ちているとすれば、天理をも欺く形で歴史記憶改ざんされているということ。

直近のことで融合した記憶があるナベリウスを除く3人も、実は呑み込まれ乗っ取られているが自覚がない、という理屈が通る。

「裏切るなんて論外だ」「例外は」という話をしているロノヴァがどこか居心地の悪そうな仕草をしているのは、無意識自分がそれを言える言える立場ではない可能性を感じ取っているせいかもしれない。

俗世の七執政天空の四執政もすべて悪魔ネームになっているのも、この大陸がすでに魔の手に落ちていることの示唆なのかもしれない。

ノヴァと、今回名前が明らかになった空の執政アスモダイ(考察勢は当ててたね)=物語の冒頭で双子を引き離した元「謎の神」、この2名は何者によって呑み込まれているのかは謎だが。

ノヴァの話し方だと、アスモダイは黒王あたりを主として鞍替えしたこと黄色い目になったのかもしれない。あるいは月関連の誰か。キアナ(=月)顔だし。

ちなみに、サービス当初から天理調停者ことアスモダイパイモンを同一視する風潮があり、ロノヴァが「誰かを愛してしまった場合」の誰かを、パイモン旅人を愛していることとつなげて正体アスモダイだという考察もあるが

個人的にはパイモンは冠を持っていることからグゥオパァー化した天理パネースにほかならないのではと考えている。

パイモン空間に引っ込んだり出てきたりする部分もあるが、時間操作することもでき、システム的にHPが0になった旅人サルベージすることもできる。生/死/時/空すべてに通じる操作権限があると見える。

テイワット人が明らかに異質な浮遊生物であるパイモンに疑問を抱かないのも、歴史操作による認識改変を無自覚にやっているせいかもしれない。

天空の島と繋がっているというメリュジーヌの言もあるし、食いしん坊で特にスライムなど元素を旺盛に取り込もうとするところもできるのも、万能性に通じる状態への復元過程と見ることができる。今のところおバカキャラだが、それも「理」の対極だろう。

最後ピエロが「神を殺す」ことに言及していたが、こうなってくるともはや、その神とは、俗世の七執政どころか、すでに呑まれている4つの光る影ですらなく、隠れている「天理」そのものを指していることは明らかだろう。

 

最近、スタレの方も、オンパロスの命運が宇宙の存亡に繋がっていることが分かってめちゃくちゃ面白い!!!と感じていたんだが。

やっぱり原神もめちゃくちゃ面白い……こういう年月をかけてじわじわ長大で壮大な話を各自の手で解き明かしていく物語体験は、本当によくできた運営ゲームしか表現できないと思う。

日記最後ひとつ言っておきたいことがあったんだった。

レインドット担当されていた田中敦子さんは、去年、闘病生活の末に亡くなられたのだけど、原神公式はこう伝えている。

「※レインドットにつきまして、これまで演じてくださった田中敦子さん、ありがとうございました。

なお、過去バージョンの内容については、キャスト変更にともなう声の差し替え予定はありません。」

https://x.com/Genshin_7/status/1942797519844696445

これは本当に粋で素敵なはからいだ。

通常だと、演者病気引退等の本人都合や、諸般の事情(たとえば中国本土過激派ネトウヨ反日ヘイターに目をつけられるような事案が起きて声優安全を守らないといけない時)で、声優をやむをえず交代する場合は、

原則として過去のボイスも含めてすべて新声優差し替えるのが通例なのだが、亡くなった声優さんの仕事痕跡を残してくれるのはオタク心理に寄り添ってくれていて、こういうトコ本当に信頼できる。有り難いことだ。

2025-06-30

anond:20250629215414

普通に幸せだったなぁ

よくも悪くも放任主義だったから好きに生きてた

SNSが普及しだしたのも高校卒業するぐらいだったし

2025-05-23

anond:20250523193653

 返信ありがとうございます。また身を案じてくださり重ねて感謝します。

 恥ずかしながら私は幼少期や学生時代奇行が目立ち、先天的ADHDである可能性が高いのですが、親との関係性も悪く(本人はそう思っていない様子ですが)、また物心つく前後から両親間のケンカ日常的にあり、「放任主義」という名の放置子であった記憶があったりと、生育環境問題があり、それがADHDをより拍車をかけたと今になります思います

 一応先生には診断前に愛着障害統合失調症可能性を伝えた上でADHDと下ったので、そちらを信頼することにしています


 愛着障害大人には適用されない、というのは初めて知りましたら。その上で、もしかしたら本来分けて治療をするべきなのでしょうが、現時点の投薬治療視野狭窄が解消されたり、性依存飲酒癖が治まったり、その他日常生活の出来ないこと出来るがストレスがかかることが、出来るようにまた楽に出来たりと生きづらさに大きく改善傾向が見られるため、このままの治療を続けていきたいと思います



 もちろん、よりよい方法発見されたり、また保険適用負担少なく試せるのであれば是非ともやってみたいと思いますので、今後の医療医学の発展と発達、またこれらの障害について世間に正しく周知されることを併せて祈るばかりです。


 これまでの失った時間は取り戻せませんが、残りの人生、持てなかった希望を持って生きていきたいと思います

2025-04-30

体罰って案外必要なんだな

俺は部活動担当してないからしないんだけどさ

放任主義の同僚教員部活動担当したら、部室で下級生暴行するし、女連れ込んで妊娠させるわでめちゃくちゃになったんだよね

そこそこ良い学校なのに退学になる奴もでた

けど、以前担当してたかなりヤバメの体罰上等昭和教員の元ではそういう問題は一切起きなかった

んで後に赴任してきた同じく昭和教員の元でも今んとこ生徒は問題起こしてない

教員問題起こすか、生徒が問題起こすかなら絶対教員問題起こすほうがいいだろうし、体罰って生徒の為にも必要なんだなってのが現場感覚では思うところ

当然体罰なくても問題起きなかったって言うやつもいるだろうけど、そんなの予測不可能なんだよ

その時起こらなくても教員側はずっと起こらないようにしないといけないんだらさ

2025-03-29

anond:20250329051644

 母親がそのタイプだった。

 親が商売である年齢から経済的な苦労はしてないし容姿は良く利発な人で人間関係でも大きな苦労はない。しかし一時離婚して父親義母と一緒にいたり、実母の事業成功したあたりから実母の下で生活したりといった特別珍しいわけでもないがちょっと訳ありの生育歴を持った母親だった。

 対して親父は両親と上手くいかず、しかし度胸と腕っぷしはあったからグレにグレて県外の悪ガキが集められる高校に放り込まれたり、地元に帰ってきたあとも悪友たちと「揉め事」があれば介入して解決したり、気に入らない人間拉致って山に連れていき暴行を加えていたらしい。とはいえ人当たりがいいからか羽毛布団の訪問販売でかなりの額を稼いだり、またバブル景気事業成功したりとなんとか一般人として人生を歩んでこれたようだった。正直、生まれがあと10年早ければ反社だったろうし、あと10年の遅ければ半グレだったような人間だと思う。

 そんな2人だったからか根本的な価値観があうわけもなく、バブル崩壊後に事業が傾き始めたあたりから子どもの前でもケンカをやるようになり、また事あるごとに母親父親愚痴をこぼすようになってきた。「ああなってはいけない」「外に女がいる」「別の人と結婚すればよかった」など。未就学児だった俺はボンヤリとだが「暴力を振るうクソ親父から母親を守らなければならない」、と思うようになっていた。小学校に上がったころには父親が帰ってきても素っ気ない態度を取るようなっていた。

 そして親父はバブル崩壊後もなんとかもたせてきた事業が失敗し高飛び離婚。そのまま俺は母親に引き取られて暮らすことになった。しか中学校あたりから違和感を覚えるようになる。放任主義といい学習塾や将来の夢であった美術系の塾には通わせない。そのくせ勉強に行き詰まると「私はできた。できないことが理解できない。おかしい」と嘲笑する。異様なまでの公務員大企業部落バッシング細木数子マンセーパワーストーン子どもに持たせる。ほぼ独学と変わらない心理学を元に俺の作品酷評。話し合いと称して一方的ヒスこちらが反論どころか意見を言おうものなら「でていけ」「人間性に問題がある」「だからお前はおかしい」とがなりたてたり煽ったりするなど…人間性に問題があった。

 親父がでていった理由も今ならわかる。

親父もロクでもないし、全面的に肩を持つことはできない。しか自分の妻がこの様子では事業の立て直しなど無理だろう。会社には問題を抱え、伴侶はあたおかで子ども母親洗脳されている…ようやく親父の当時の状況が理解できた。親父には申し訳ないことをしたと、反省をしている。

2025-02-26

突然直属の上司以外の人からデカめの人事伝えられたんだけど何なんだ

俺に相談してて知ってると思ってて…って言われたけど知らねぇよ

この5年間なんだったんだ

クソみたいな雑な指示と放任主義とか言って責任を全部押し付けてくるのに必死にくらいついて何の意味もなかった

クソジジイだけどなんだかんだ最後は助けてくれるからって助けてもらったこともあるから信用してたのがバカだった

ただのクソジジイじゃねぇかよ消えろよ

そんで俺も消えたい クソが もうなんのやる気もわかない 力が出ない

2025-01-07

anond:20250107213957

これがアニメマンガ教育の成果やぞ

 

からまともな教育を受けれる子、社会から暗黙的にTPOを学べる子だけが

アニメマンガ観ると思っちゃいけねぇ

 

現実は、親が放任主義で、更に子がアスペで、なにからも学べないってことが起こるし、

そういう親に育てられた奴や受験勉強で歪んだ奴が数字だけ取れればいいって採用判断するから

2024-10-01

最後にうれしいことを思いついた。美禰子は与次郎に金を貸すと言った。けれども与次郎には渡さないと言った。じっさい与次郎金銭のうえにおいては、信用しにくい男かもしれない。しかしその意味で美禰子が渡さないのか、どうだか疑わしい。もしその意味でないとすると、自分にははなはだたのもしいことになる。ただ金を貸してくれるだけでも十分の好意である自分に会って手渡しにしたいというのは――三四郎はここまで己惚れてみたが、たちまち、 「やっぱり愚弄じゃないか」と考えだして、急に赤くなった。もし、ある人があって、その女はなんのために君を愚弄するのかと聞いたら、三四郎はおそらく答ええなかったろう。しいて考えてみろと言われたら、三四郎は愚弄そのものに興味をもっている女だからとまでは答えたかもしれない。自分の己惚れを罰するためとはまったく考ええなかったに違いない。――三四郎は美禰子のために己惚れしめられたんだと信じている。  翌日はさいわい教師が二人欠席して、昼からの授業が休みになった。下宿へ帰るのもめんどうだから、途中で一品料理の腹をこしらえて、美禰子の家へ行った。前を通ったことはなんべんでもある。けれどもはいるのははじめてである。瓦葺の門の柱に里見恭助という標札が出ている。三四郎はここを通るたびに、里見恭助という人はどんな男だろうと思う。まだ会ったことがない。門は締まっている。潜りからはいると玄関までの距離は存外短かい長方形御影石が飛び飛びに敷いてある。玄関は細いきれいな格子でたてきってある。ベルを押す。取次ぎの下女に、「美禰子さんはお宅ですか」と言った時、三四郎自分ながら気恥ずかしいような妙な心持ちがした。ひとの玄関で、妙齢の女の在否を尋ねたことはまだない。はなはだ尋ねにくい気がする。下女のほうは案外まじめであるしかもうやうやしい。いったん奥へはいって、また出て来て、丁寧にお辞儀をして、どうぞと言うからついて上がると応接間へ通した。重い窓掛けの掛かっている西洋である。少し暗い。  下女はまた、「しばらく、どうか……」と挨拶して出て行った。三四郎は静かな部屋の中に席を占めた。正面に壁を切り抜いた小さい暖炉がある。その上が横に長い鏡になっていて前に蝋燭立が二本ある。三四郎は左右の蝋燭立のまん中に自分の顔を写して見て、またすわった。  すると奥の方でバイオリンの音がした。それがどこからか、風が持って来て捨てて行ったように、すぐ消えてしまった。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子の背によりかかって、もう少しやればいいがと思って耳を澄ましていたが、音はそれぎりでやんだ。約一分もたつうちに、三四郎バイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蝋燭立をながめている。妙に西洋のにおいがする。それからカソリック連想がある。なぜカソリックだか三四郎にもわからない。その時バイオリンがまた鳴った。今度は高い音と低い音が二、三度急に続いて響いた。それでぱったり消えてしまった。三四郎はまったく西洋音楽を知らない。しかし今の音は、けっして、まとまったものの一部分をひいたとは受け取れない。ただ鳴らしただけである。その無作法にただ鳴らしたところが三四郎情緒によく合った。不意に天から二、三粒落ちて来た、でたらめの雹のようである。  三四郎がなかば感覚を失った目を鏡の中に移すと、鏡の中に美禰子がいつのまにか立っている。下女がたてたと思った戸があいている。戸のうしろにかけてある幕を片手で押し分けた美禰子の胸から上が明らかに写っている。美禰子は鏡の中で三四郎を見た。三四郎は鏡の中の美禰子を見た。美禰子はにこりと笑った。 「いらっしゃい」  女の声はうしろで聞こえた。三四郎は振り向かなければならなかった。女と男はじかに顔を見合わせた。その時女は廂の広い髪をちょっと前に動かして礼をした。礼をするにはおよばないくらいに親しい態度であった。男のほうはかえって椅子から腰を浮かして頭を下げた。女は知らぬふうをして、向こうへ回って、鏡を背に、三四郎の正面に腰をおろした。 「とうとういらしった」  同じような親しい調子である三四郎にはこの一言が非常にうれしく聞こえた。女は光る絹を着ている。さっきからだいぶ待たしたところをもってみると、応接間へ出るためにわざわざきれいなのに着換えたのかもしれない。それで端然とすわっている。目と口に笑を帯びて無言のまま三四郎を見守った姿に、男はむしろ甘い苦しみを感じた。じっとして見らるるに堪えない心の起こったのは、そのくせ女の腰をおろすやいなやである三四郎はすぐ口を開いた。ほとんど発作に近い。 「佐々木が」 「佐々木さんが、あなたの所へいらしったでしょう」と言って例の白い歯を現わした。女のうしろにはさきの蝋燭立がマントルピースの左右に並んでいる。金で細工をした妙な形の台である。これを蝋燭立と見たのは三四郎の臆断で、じつはなんだかわからない。この不可思議蝋燭立のうしろに明らかな鏡がある。光線は厚い窓掛けにさえぎられて、十分にはいらない。そのうえ天気は曇っている。三四郎はこのあいだに美禰子の白い歯を見た。 「佐々木が来ました」 「なんと言っていらっしゃいました」 「ぼくにあなたの所へ行けと言って来ました」 「そうでしょう。――それでいらしったの」とわざわざ聞いた。 「ええ」と言って少し躊躇した。あとから「まあ、そうです」と答えた。女はまったく歯を隠した。静かに席を立って、窓の所へ行って、外面をながめだした。 「曇りましたね。寒いでしょう、戸外は」 「いいえ、存外暖かい。風はまるでありません」 「そう」と言いながら席へ帰って来た。 「じつは佐々木が金を……」と三四郎から言いだした。 「わかってるの」と中途でとめた。三四郎も黙った。すると 「どうしておなくしになったの」と聞いた。 「馬券を買ったのです」  女は「まあ」と言った。まあと言ったわりに顔は驚いていない。かえって笑っている。すこしたって、「悪いかたね」とつけ加えた。三四郎は答えずにいた。 「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしいじゃありませんか。あなた索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」 「ぼくが馬券を買ったんじゃありません」 「あら。だれが買ったの」 「佐々木が買ったのです」  女は急に笑いだした。三四郎おかしくなった。 「じゃ、あなたお金がお入用じゃなかったのね。ばかばかしい」 「いることはぼくがいるのです」 「ほんとうに?」 「ほんとうに」 「だってそれじゃおかしいわね」 「だから借りなくってもいいんです」 「なぜ。おいやなの?」 「いやじゃないが、お兄いさんに黙って、あなたから借りちゃ、好くないからです」 「どういうわけで? でも兄は承知しているんですもの」 「そうですか。じゃ借りてもいい。――しかし借りないでもいい。家へそう言ってやりさえすれば、一週間ぐらいすると来ますから」 「御迷惑なら、しいて……」  美禰子は急に冷淡になった。今までそばにいたものが一町ばかり遠のいた気がする。三四郎は借りておけばよかったと思った。けれども、もうしかたがない。蝋燭立を見てすましている。三四郎自分から進んで、ひとのきげんをとったことのない男である。女も遠ざかったぎり近づいて来ない。しばらくするとまた立ち上がった。窓から戸外をすかして見て、 「降りそうもありませんね」と言う。三四郎も同じ調子で、「降りそうもありません」と答えた。 「降らなければ、私ちょっと出て来ようかしら」と窓の所で立ったまま言う。三四郎は帰ってくれという意味解釈した。光る絹を着換えたのも自分のためではなかった。 「もう帰りましょう」と立ち上がった。美禰子は玄関まで送って来た。沓脱へ降りて、靴をはいていると、上から美禰子が、 「そこまでごいっしょに出ましょう。いいでしょう」と言った。三四郎は靴の紐を結びながら、「ええ、どうでも」と答えた。女はいつのまにか、和土の上へ下りた。下りながら三四郎の耳のそばへ口を持ってきて、「おこっていらっしゃるの」とささやいた。ところへ下女があわてながら、送りに出て来た。  二人は半町ほど無言のまま連れだって来た。そのあい三四郎はしじゅう美禰子の事を考えている。この女はわがままに育ったに違いない。それから家庭にいて、普通女性以上の自由を有して、万事意のごとくふるまうに違いない。こうして、だれの許諾も経ずに、自分といっしょに、往来を歩くのでもわかる。年寄りの親がなくって、若い兄が放任主義から、こうもできるのだろうが、これがいなかであったらさぞ困ることだろう。この女に三輪田のお光さんのような生活を送れと言ったら、どうする気かしらん。東京はいなかと違って、万事があけ放しだからこちらの女は、たいていこうなのかもわからないが、遠くから想像してみると、もう少しは旧式のようでもある。すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのもなるほどと思い当る。ただし俗礼にかかわらないところだけがイブセン流なのか、あるいは腹の底の思想までも、そうなのか。そこはわからない。  そのうち本郷の通りへ出た。いっしょに歩いている二人は、いっしょに歩いていながら、相手がどこへ行くのだか、まったく知らない。今までに横町を三つばかり曲がった。曲がるたびに、二人の足は申し合わせたように無言のまま同じ方角へ曲がった。本郷の通りを四丁目の角へ来る途中で、女が聞いた。 「どこへいらっしゃるの」 「あなたはどこへ行くんです」  二人はちょっと顔を見合わせた。三四郎はしごくまじめである。女はこらえきれずにまた白い歯をあらわした。 「いっしょにいらっしゃい」  二人は四丁目の角を切り通しの方へ折れた。三十間ほど行くと、右側に大きな西洋館がある。美禰子はその前にとまった。帯の間から薄い帳面と、印形を出して、 「お願い」と言った。 「なんですか」 「これでお金を取ってちょうだい」  三四郎は手を出して、帳面を受取った。まん中に小口当座預金通帳とあって、横に里見美禰子殿と書いてある。三四郎帳面と印形を持ったまま、女の顔を見て立った。 「三十円」と女が金高を言った。あたか毎日銀行へ金を取りに行きつけた者に対する口ぶりである。さいわい、三四郎は国にいる時分、こういう帳面を持ってたびたび豊津まで出かけたことがある。すぐ石段を上って、戸をあけて、銀行の中へはいった。帳面と印形を係りの者に渡して、必要金額を受け取って出てみると、美禰子は待っていない。もう切り通しの方へ二十間ばかり歩きだしている。三四郎は急いで追いついた。すぐ受け取ったものを渡そうとして、ポッケットへ手を入れると、美禰子が、 「丹青会の展覧会を御覧になって」と聞いた。 「まだ見ません」 「招待券を二枚もらったんですけれども、つい暇がなかったものからまだ行かずにいたんですが、行ってみましょうか」 「行ってもいいです」 「行きましょう。もうじき閉会になりますから。私、一ぺんは見ておかないと原口さんに済まないのです」 「原口さんが招待券をくれたんですか」 「ええ。あなた原口さんを御存じなの?」 「広田先生の所で一度会いました」 「おもしろいかたでしょう。馬鹿囃子稽古なさるんですって」 「このあいだは鼓をならいたいと言っていました。それから――」 「それから?」 「それからあなた肖像をかくとか言っていました。本当ですか」 「ええ、高等モデルなの」と言った。男はこれより以上に気の利いたことが言えない性質である。それで黙ってしまった。女はなんとか言ってもらいたかったらしい。  三四郎はまた隠袋へ手を入れた。銀行の通帳と印形を出して、女に渡した。金は帳面の間にはさんでおいたはずであるしかるに女が、 「お金は」と言った。見ると、間にはない。三四郎はまたポッケットを探った。中から手ずれのした札をつかみ出した。女は手を出さない。 「預かっておいてちょうだい」と言った。三四郎はいささか迷惑のような気がした。しかしこんな時に争うことを好まぬ男である。そのうえ往来だからなおさら遠慮をした。せっかく握った札をまたもとの所へ収めて、妙な女だと思った。  学生が多く通る。すれ違う時にきっと二人を見る。なかには遠くから目をつけて来る者もある。三四郎は池の端へ出るまでの道をすこぶる長く感じた。それでも電車に乗る気にはならない。二人とものそのそ歩いている。会場へ着いたのはほとんど三時近くである。妙な看板が出ている。丹青会という字も、字の周囲についている図案も、三四郎の目にはことごとく新しい。しか熊本では見ることのできない意味で新しいので、むしろ一種異様の感がある。中はなおさらである三四郎の目にはただ油絵水彩画区別が判然と映ずるくらいのものにすぎない。  それでも好悪はある。買ってもいいと思うのもある。しか巧拙はまったくわからない。したがって鑑別力のないものと、初手からあきらめた三四郎は、いっこう口をあかない。  美禰子がこれはどうですかと言うと、そうですなという。これはおもしろいじゃありませんかと言うと、おもしろそうですなという。まるで張り合いがない。話のできないばかか、こっちを相手にしない偉い男か、どっちかにみえる。ばかとすればてらわないところに愛嬌がある。偉いとすれば、相手にならないところが憎らしい。  長い間外国旅行して歩いた兄妹の絵がたくさんある。双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。

anond:20241001222935

ベニスでしょう」

 これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とをながめていた。すると、

「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。

「兄さんとは……」

「この絵は兄さんのほうでしょう」

「だれの?」

 美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。

だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」

 三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国景色かいものが幾点となくかかっている。

「違うんですか」

「一人と思っていらしったの」

「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、

「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。

里見さん」

 だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。

 美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎そばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向かって、

「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、

「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬の肉が落ちている。

「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである迷惑だろうが大晦日でもかかしてくれ。

「その代りここん所へかけるつもりです」

 原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。

「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。

「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。

三井です。三井もっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものから、うまくいかいね

 原口は首を曲げた。三四郎原口の首を曲げたところを見ていた。

「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。

「まだ」

「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャー相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」

 美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。

「せっかく来たものから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」

 三四郎はええと言った。

「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから

「ありがとう」

「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。

 女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿のようである。ここにもベニスが一枚ある。

「これもベニスですね」と女が寄って来た。

「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。

「さっき何を言ったんですか」

 女は「さっき?」と聞き返した。

「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」

 女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。

「用でなければ聞かなくってもいいです」

「用じゃないのよ」

 三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎真正面に立った。

「野々宮さん。ね、ね」

「野々宮さん……」

「わかったでしょう」

 美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。

「野々宮さんを愚弄したのですか」

「なんで?」

 女の語気はまったく無邪気である三四郎は忽然として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。

あなたを愚弄したんじゃないのよ」

 三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。

「それでいいです」

「なぜ悪いの?」

「だからいいです」

 女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。

「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。

「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足を受け取って、出ると戸外は雨だ。

「精養軒へ行きますか」

 美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。

「あの木の陰へはいりましょう」

 少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。

「悪くって? さっきのこと」

「いいです」

だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」

 女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、

「だから、いいです」と答えた。

 雨はだんだん濃くなった。雫の落ちない場所わずしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、

「さっきのお金をお使いなさい」と言った。

「借りましょう。要るだけ」と答えた。

「みんな、お使いなさい」と言った。

2024-09-10

宗教3世の遍歴(追記有)

母方の家系が代々信仰の厚い家系だった。

その宗教の中でも格の高い役職に属していた母方の祖母は、俺の母にも幼少期から教えを説いたが、曰くその頃は特に信仰が厚い訳では無かったらしい。

寧ろ貧乏な家なのに樒や仏壇なんて買うのは、と口には出さないまでも思っていた時期が大半で、高校卒業後はすぐ働き、各所に旅行に行くのが趣味だったそう。

そんな中、同じ会社に属していた父と結婚をし、一人目を授かったが、妊娠半年を迎えようとしていた頃に胎動消失してしまい、この世に生を受ける事は無かった。

二、三年後に時を経て二人目を授かり、無事出産成功した、それが俺。

俺は産まれながらにして酷い皮膚炎だった。

毎晩毎晩自分の肌を掻いて出血しては泣いていたそうだ。

当時専業主婦だった母は色んな病院に通っていたが治る事は無く、万策尽きたかと思った所に、ふと実家宗教を思い出した。

さな仏壇を購入し、毎日100回、みたいなノルマを設定して祈っていたそう。

すると俺の皮膚炎は、奇跡の様に治って行った。

母の信仰心が確固たるものになった切っ掛けの話だ。

俺が物心付く頃には、周囲の人間子供大人も母と信仰を同じくする人達ばかりだった。

誤解されがちなのだが、こういう集まり普段からずっと信仰の話をしている訳ではない。

寧ろ世間話がメインで、そういう話が出てくるのはお悩み相談みたいな雰囲気になった時のオチとして「祈りつつ頑張りましょう」の一言程度。

感受性が嫌に高い子供だったから、蝉の死体を見て自分死ぬの怖いな、と泣きながら集まった日の集まり、ふと気になって「死んだらどうなるの?」と、老婆に聞いた。

曰く、「死んだら死後の世界成仏して、また魂がもっと幸せになって、現世に戻ってくるんだよ」と答えてもらった。

その時はなんだか、死んでも良いんだ、という気持ちになった。

小学校に進学した後、10人で町内鬼ごっこをしようという話になった。

俺が鬼になり、運動神経は良かったので、5分もしない内に捕まえたのだが、捕まえた相手が鬼ちゃうし!と言って俺の顔面を殴って、逃げ去って行った。

自身の事を全肯定してくれるコミュニティに身を置いていた俺が味わった、初めての理不尽のあの感覚は、今でも忘れられない。

幼いながら、今すぐ消えたいと思った。

不思議と涙も出ずに家に帰り、ぐちゃぐちゃの気持ちのまま台所下にある包丁を取り出して、怖がりながら自分の腹に刺した。

刺し所も強さも死ぬには足りる訳もなく、垂れる血をしばらく眺めていた。なんだかすごい事をしてしまったな、という気持ちになった。

母親が帰って来た所にそれを見られ、正座させられた。

何故包丁を取ったのかという経緯を話せと言われて、鬼ごっこで鬼を変わってくれなかったから、と答えた。

母親は、「人を殺したいなら私を殺してからやれ」と言った。

まれて初めて、物凄い剣幕で怒られ、頬を殴られたのを覚えている。

誰も自分の事を分かってくれないんだという絶望感でいっぱいで、何も言い返せなかった。

ここで違うと言えなかった事が、俺の人生分水嶺だった様に思う。

今となっては知る由もないが、あの時母親の目には、俺は殺人鬼予備軍にでも映っていたのだろうか。

中学生になる頃には、父親パソコンネットを見るのが趣味になっていた。

当時のインターネットの、分からない言葉で喋る、色んな価値観の人の話を見るのが好奇心旺盛な俺にはぴったりだった。

そんな折に自分宗教を調べると、カルトという言葉が目に付くようになった。

その頃はその宗教内の地域代表みたいな扱いを受け、遠征なんかもしていたが、宗教家系だといじめられていたのも相まって、そんな扱いや環境に疑心が芽生え始めるのに、そう時間は掛からなかった。

高校生の頃には、反抗期も相まって集まりには行かなくなっていった。

その頃には自分には妹が居て、妹が俺の代わりに宗教面の家の顔になっていた。

部屋に入って来る母親から「産まれなきゃ良かった」と呟く声がよく聞こえてきた。

じゃあ俺じゃなくて、俺の兄貴が産まれてれば良かったのか?と、内省的な俺の中でずっとリフレインしていた。

どんどん不眠気味になり、朝無理矢理身体を起こして図書館ゲーセンに行って寝る生活をしていた。高校にはあまり行かなかった。

学校に行ってない事がバレて、話し合いをするという事になった。

全てが面倒臭くなって、死のうと思った。

海が好きだったので、海で死のうと思い歩いて行ったが、途中で海を見に来たのであろう人に止められ、ズブ濡れのまま家に帰った。

母親は、「自分で洗えよ」とだけ言った。

色んなものフラッシュバックして辛くなって、人生で初めての野宿を決意し、浜辺にあるベンチで寝た。

これがホームレスか、とか、クソ寒いし起きたら死んでてくれねえかなとか思っていたのをよく覚えている。

大学には行かずに、仕事を始めた。

家賃さえ入れれば、俺が居る事に文句は言ってこなかった。

20代も折り返しの今、家を離れて生活をし始めた。

途中で色んな人と同居したりはしていたが、本当の意味での一人暮らしは初めてだ。

最初はこんな俺でも、一人で暮らせるのだ、やっとあの呪縛から解き放たれたのだと感じた。

けれど実際は日に日に昔抱いていた希死念慮が強まっていく。

言った所で何が変わる訳では無いし、これから先もやっていくなら付き合っていかなきゃいけない感情なのだけれど、俺はその割り切りや、言語化や、付き合い方みたいな物を、少し特殊な生い立ちや環境言い訳に見ない様にして来たのだと思う。

漫然とした生き辛さみたいなものは、こんな文章を書いた程度でどうにかなるものじゃないと思ってはいるが、いつかなんとかなるといいなあ。

追記

まずは、こんな駄文を見てくれてありがとう

最近は少し気が落ちていた事もあって、内省的な性格が災いして凄く辛くなっていた…ので、今一度振り返る意味を込めてこんな文章を書いてしまった。

それをふと他人に見てほしくなって、色んな反応を貰えて嬉しい、改めてありがとう

せっかくなので、貰った言及に少し返答をしてみたいと思う。

>家庭環境の割りにはまともそうに見える

から凄く(今も)自分がどこかマイナスであるという自覚が凄くて、普通とか、まともとか、そういう人になりたい気持ちが強いので、その言葉が凄く嬉しい。

今もその訓練中だし、それが少し報われた気もする。ありがとう

宗教が嫌なら宗教にハマってなさそうなお父さんに助けを求めれば良さそうだけど、お父さんじゃ埋められない何かがあるんだろうか。 お父さんがお父さんとして機能していないから、...

父親宗教に無関心だったし、キレると手が付けられない人だったし、人として尊敬はしているけど、俺が人間としてそこまで得意ではないタイプの人なので、避けて来たのがある。

加えて父親も幼少期に凄く苦労していた事もあって、子に対してもパートナーに対しても、自分の金でなんでもやっていいよ的な放任主義だった為、助けを求めるという事へのアンサーは、「考えた事もなかった。」

>・宗教3世であることは要素として関係ないこと。ただの親と子の関係の話(=幼少期のストレスとかの話)

これに関しては、もう時効から言うが幼少期にあった、町内にある自分達とは異教の人達の家を無理矢理引っ越させるよう仕向けるとか、選挙カーチェイスしてずっと横で爆音の曲を流して音を相殺するとか、イベントの為に男の俺が一ヶ月間ヒール生活した話とか、色々あって、幼少期の可処分時間がほぼそういうイベント尽くしだったというのもあるんだが、今回は省略させて貰った。

>・冒頭のほとんどを占めるエピソードは伝聞であり、親の態度を考えるに、かなり美化または歪曲している可能性が高いこと(みるみるなおったくだりなど)。

実際俺もその可能性は考えたが、周囲の誰に聞いても(父親に聞いても)その通りだったので、多少の脚色はあるかもしれないが、概ね事実に即していると思う。

タイミングが良かっただけで神の恵みとありがたがれるのだから、良いなあと思う。

>・要するに育った環境ではなく、親の性格の話をしているように思われること

これは本当にそうだな、と感じた。

ずっと親の事を直視するのが怖かったから、宗教というフィルター越しで見ざるを得なかったのだと思う。

多分、それを自覚した今も、俺はフィルター越しにしか見れないと思う。

>・増田はそのことを自覚して、向き合う、と言っていて偉い。

ありがとう、向き合えてるかは分からないけど、今日仕事から帰って来て、自分ボロネーゼを作って、いつもより粉チーズを多めに振って、それを食べながらこの返信をしてるよ。

それだけの事が、今はただ嬉しい。

>あー、またひとのせいにしてるー

宗教のせいにしてるだけなんだという自覚がないのが哀れ

これは本当にその通りだ、我ながら本当に幼稚だなと思っている。

幼い自分にとって一番の味方だった人が産まれながら他者受容100%のコミュニティに入れてきて、現実がそうじゃないと知って全部ちゃぶ台をひっくり返されたあの瞬間にとても耐えられなかったから、全部宗教のせいにした。

これから先も、今の漠然とした俺の生き辛さ含めて、一生宗教のせいにし続けると思う、親のせいにするよりはよっぽど救われていると思うから

自分のこういう宿痾みたいなものを、押し付けよすがとして宗教選択している時点で、俺も信奉者と大して変わらないのかもな

自分人生に関しては「お客様気分」を捨てて、自分で舵をとり、全責任を背負うしかない。

この世の不利益当人能力不足というもんね、ありがとう

でも、ふと我に返った時に、舵から手を放したいと思ってしまうんだよな どうしても

2024-09-07

大学受験は出生ガチャではあるけど親ガチャではないんだよな

 

環境に恵まれてたら有利だけど、東大にはナマポ母子家庭から来たみたいなのもボロボロ聞くし、

逆に恵まれ環境教育されても箸にも棒にもかからないようなのもいる

 

遺伝子も親から継ぐわけではあるが、一族全員医者みたいな家庭から落ちこぼれは生まれ

高卒中卒一族から東大生は毎年のように輩出される

そういう子も放任主義で好きなようにさせてたから伸びたのかもしれないし、教育ママに育てられていても伸びたかはわからない

周りの人間レベルが低いか相対的に成績がよくて自己肯定感が上がったおかげかもしれないし、名門校に入っていたら自信をなくして腐っていたかもしれない

 

教育環境一族遺伝子プール、親から実際に継いだ遺伝子、形質として発現した遺伝子、育った地域環境、それらの全体的な噛み合わせの良さ

 

大学受験、ひいては人生は、親ガチャではなく、総合的な、"出生ガチャ"なのである

2024-08-24

anond:20240824110126

息をするようにレッテル貼り

どんなカリキュラム採用してる学校を選ぶにしても、そのカリキュラムが成果を収めていることが第一だよ

 

「生徒の自主性を重んじるカリキュラムに切り替えました」っつって新しいカリキュラム打ち出してても

それで進学実績がどんどん低迷してたらただの放任主義バカ校になっただけだよね

2024-08-07

子供宿題を「やってあげる」親

増田母は裁縫DIYで物を作ったり絵を描いたりするのが好きな人間だった。

増田自身(娘)は裁縫DIY的な作業は苦手だったけど絵を描くのは好きな子供だった。

小学生の時は夏休みになるとポスターを描く課題が出されたり、家庭科の授業で縫い物の課題(エプロンとかナップサックとか作るやつ)が出されたりした。

普段増田母は親のチェックサインがいる宿題音読シートなんかは「読んだら自分でチェックして」と言い放ち、学校に出す親の署名捺印がいる書類も期限ギリギリまでなかなか対処してくれない放任主義というか面倒くさがりなところがあったのだが、ポスターや縫い物の課題になると全く別の態度になった。

先に書いておくと小学生増田自分から増田母に「自分の代わりに課題をやってほしい」「手伝ってほしい」と言ったことはない。

ポスター課題になると「こんな絵にしたらどう?」「ここはこの色にしたらどう?」とあれこれと口を出す。一見提案のように見えるがこれらを拒否すると「もういい!勝手しろ!」とキレて持っていたペンなどを叩きつけたりして怖かったので小学生増田は言う通りにしていた。

縫い物の場合増田母は一旦は増田に縫わせるのだが、縫い方にダメ出しをしたりバカにして笑われたりする。この時点で割としんどい。一通りそういうことをしてから増田から取り上げた課題を縫い上げると「綺麗にできたからこれを持っていきなさい」とさもいいことをしたように言われるのである

ポスターしろ縫い物にしろ、そんな風に作られた提出物を持っていく時は心苦しかった。自分で作ったとは言えないもの自作のものとして出すのはとても悪いことをしている気分だった。ポスターが佳作だか入選だかになった時や縫い物の出来をクラスメイトに褒められた時は賞状褒め言葉笑顔で受け取りながら胸にズシッとした重みを感じていた。

夏休みの季節になって宿題の話を見聞きするとなんとなく思い出す。別に大事ではないけど古傷が痛むってこんな感じなんだろうか。

2024-05-15

私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。

しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。

礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。

二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性教頭先生だった。

学校体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。

三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子しまる。

母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。

私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からまり積極的に関わろうとはしなかった。

高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。

なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。

私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。

数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしか写真映像うんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。

四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいもの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。

祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車パトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。

父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。

私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。

その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるま玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。

諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。

以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。

死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。

そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。

ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母あの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である

そんな祖母葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議自分に腹が立ってしょうがなかった。

祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。

五度目はまだ起きていない。

母方の祖母癌治療中で、祖父ボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。

いつか絶対に五度目がくる。

何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。

みんな死んでほしくないな、死にたくないな。

anond:20240219134030

本当にのびのび育児習い事可哀そう作戦でうまくいくといいね

自分では本質分かってる育児してるつもりか知らんがそんな育児してる人なんてごまんといるのよ。地方は多くがそう。寛容さ含めて。

父親地方底辺家庭は、放任主義の傾向多いけど、大体ど底辺に育ってるけどね。

更に公園とかで親が4,5歳の男の子放任されてると本当に迷惑からマジでやめてほしいわ。

乱暴だったり言葉遣い悪かったり付きまとってきたり、親は勝手に学ぶと思って放置してるけど、4,5歳なんてまだ状況を理解して適切な行動をとれる年齢ではない。

親が適切な言動提案翻訳したりして社会性を学ばせないと、元気でやんちゃな分男の子って本当に害が大きいので都内公園には出没しないで欲しい。

そして癇癪などを出さないことを自慢されても、子供あきらめてるだけだもんねこれ。

五才で成功者目線育児語られて笑っちゃうわ。

2024-05-12

トラペジウム 面白かった。

どんな言葉で褒めても、ネタバレになりそうだから、何も言えないんだけど。

それより「何故そこまでアイドルに執着するのか」という理由描写されないのがモヤモヤする…

母子家庭で、放任主義的な母親から愛情が上手く感じられず、学校でもボッチだったりすると、

承認欲求をこじらせちゃうんでしょ。

財力のある子、知力で勝負できる子、ボランティアや家庭といった愛に生きられる子がそばに居ても、

その生き方は真似できないじゃん?

スクールカウンセラーみたいな人が、あなたのような子はこうやって生きると良いですよって教えてくれる大人も居なかったじゃん?

視野の狭い子が必死生き方を考えて「アイドルになるしかない」と思い込むのは自然なことかなと。

2024-05-10

今の派遣先好きすぎる

基本在宅で良いし、出社予定入れてても当日の気分でやめて良いし、管理者のいる時間範囲でだけどフレックスだし

管理者がかなり放任主義全然ミーティングとか報告とかなくてやらなきゃいけないことやってればいいし

怖い人いないし

電話応対ないし、仕事量多くないし

時給も事務員としては高めだし

たまに出社すると社食が美味しいし

いまから3年縛りが憎い、いやそこまで延長し続けてもらえるかわかんないけど……

2024-03-30

anond:20240330011915

そうやって「男ガー」する前に自分たちの加害性に気づくべき

弱い犬ほどよく吠えるっていうけど女の世界ではデフォルトなのかな?

例えば「お嬢様ずんだもん」とか他にもいっぱいあるけど

自分が気に入らないからっていい年した大人誹謗中傷するなんてみっともないって親から教わらなかったのかな?

放任主義って怖いね

お嬢様ずんだもんは芋女自分たちよりチヤホヤされてるのが羨ましくて誹謗中傷したら被害者未成年中学生という事実が発覚してドン引きされてるし

やっぱり社会性ないから夜の世界で働かざるを得ないのかな?

2024-03-19

anond:20240319142018

お察しの通りうちはそこそこの放任主義ではあった。

金だけはあったから、読みたい本は何でも読めたし

やりたいことを何でもやらせてもらえたけど。


ただ平成前期の頃でまだ社会が、子ども教育する意志を持っていたことが大きかった。

手帳持ち寸前の超ド級ADHDだが、学校でも、習い事でも、親戚にも鉄拳制裁教育してもらえた。

イチ社会人として人様に迷惑を掛けることな生活出来ているのは、どう考えてもそのおかげ。


そういう意味で、今の子どもたちは本当にかわいそう。

物心いたころにはお前は障がい者だ、やれ薬を飲め、やれ特別学級に行けって。

本人たちの努力は?少し頑張ればきちんと世間様とコミュニケーションを取れるようになれるのに。


ま、確かにあとは本人がきちんと現実社会勉強して適宜修正していくしかないのよね。

いちいちネットなんかの情報に惑わされる必要もない

2024-03-16

子育ての上手い親は子供誘導が上手い

子育ての上手い親って、子供自由に選ばせてる様に見えて気付かれない様に全部親が良い方向に誘導してるみたいな、そういう親の事なんだろうな。

本当に放任主義自由だと楽な方に進んで俺みたいな社会不適合者が出来るだけだからな。やっぱ親ガチャですわ。子供生活習慣は大人になっても一生続くからな。

2024-03-09

anond:20240309100515

ワイの親は放任主義で、特に何もしてない

勉強してても「早く寝ろ!」って言うタイプだった

自分勝手に育っただけで、他の兄弟駅弁大学すら落ちてた

2024-03-07

遠距離経済格差のある彼女との結婚

3年付き合った彼女結婚したい。

スペック

自分(28)

一般的サラリーマン家庭育ち、姉と妹に挟まれ長男職場名古屋中小企業一人暮らし

実家資産は両親と祖母の家の建物土地、墓くらい。

過去大学中退祖母の家に世話になった期間あり。今の企業コロナ禍直前に拾ってもらい5年目。

彼女(23)

父が勤務医で母は薬剤師独身の姉(32)がいる。職場関西実家相続税対策で父名義と祖母名義の小規模マンションが計6-7軒。

SNSを通じて知り合い、付き合ってからは月に1-2回のペースで会って現在3年目。

そろそろ結婚と言わずともはやく同棲をしたいと彼女が言っており、私も同意見ですが遠距離なので拠点をどちらに置くかが問題に。

大学中退からやっと経済基盤が落ち着いたところであり、学歴高卒資格もないため転職スムーズに行くとは考えにくい。名古屋に来てほしいと言うのが当初の私の意見

若いうちは名古屋拠点でも良いが祖母や父が死ねマンションを継ぐことになる。その管理を考えると結局関西に戻ることになり、それならば今から関西に住んだ方が良いのではないかというのが彼女意見

であるならば10-20年後転職するよりも、30歳手前の今の方が転職やすいのではないか?と考え、話し合いの結果私が関西に行った方が合理的だという結論に。

しかしこれをまず母に伝えたところ、以下の懸念事項を挙げて「反対ではないがかなり心配」と難色を示された。

彼女と上手くいけば良いが、病気事故破局など上手くいかなかった時に失うものがあまりにも大きい選択ではないか

・その条件では私の立場婿養子に等しくとても弱い、彼女義実家に対しモノが言えなくならないか

結婚するにあたり私ばかりが譲歩しているように見えるが関係は対等か?大丈夫か?

大学中退したとき祖母に助けてもらって持ち直した人生の重みをわかっているか

・親の老後の面倒を見ろとかは言わないし継ぐものもあまりないが、とにかく上記のことが心配

親の言うこともわかるし、今まで心配をかけてきた自覚もあるが私もも28。心は関西に行くと既に決めている。気持ちよく送り出してもらうにはどうすれば良いのか……。

追記

早速コメントがついていて少し驚いている。

マンションは数棟あるものの、修繕や建て替え費用を考えると大家業だけで暮らしていける収入には意外と(?)ならないようだ。

同棲タイミングについては私の転職タイミングにもなるが来年4月がキリが良いのでは?という話で、結婚すること自体はお互い決めている。同棲後にいい日付で籍を入れようかと話している。

相手の親は姉も独身のまま放任しているし、彼女に関しても基本的放任主義のようだ。

ちなみに私の父はリスク提示はするがそれでもいいなら好きにしろという方針。まあ今どき許可を得なきゃいけないものでもないと思うが実家との円滑な関係は維持しておきたい……。

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