はてなキーワード: 人助とは
なんか過剰に持ち上げられすぎている気がする。
ああいった既存RPGに対して逆張りして「バーカ」と言い出す作品はもっと前からあったので新規性も特にない。
ゲームとしても昔からよくある人助けポイントを集めるタイプのADVでしかない。
絵柄もそこまで独特かといえばこういうの決して少なくはないように思えてならない。
ひぐらしやシュタゲの方がまだ「まあこういうのが流行ることもあるよね」と納得できる。
lainについては問題点が全て克服された風のリグレットのようなものなのでそりゃまあカルト的人気は出るかなと思う。
オタク受けするような絵柄の王道で全世代を丁寧に爆撃できてるだろうし。
アンテは全殺しエンドの条件が攻略情報前提すぎるのを除けばおおむね悪くない出来だと思う。
ストーリーパートがクソほど長い東方プロジェクトみたいなもんだから普遍的にオタクに流行るゲーム性だし。
なんでこんなに持ち上げられているんだろう。
普段全くゲームしてなくてゲームなんて別に好きじゃない人が「ゲームもたまには面白いね。でもやっぱゲームってくだらない遊びだよねバーカ」って感じで持ち上げてるのかしら。
そもそも論として自分が間借りした文脈を蹴っ飛ばして推進力にする態度が気持ち悪すぎるって言うか、なにかを下げないと他を上げられない駄目なオタクみたいで痛々しいんだよね。
コンビニだけどな。
コンビニで目の前に並んでいた女の子がお弁当だけ買おうとしていた。そしたら電子マネーの残高足りてなかったっぽく、アワアワしてた。だから、たまには良いことするかーと思い、自分の商品出して「まとめて会計で〜」ってやったんよ。
ここで終わればただの俺がナルシシストしただけの話なんだけどさ、そこから女が一瞬で懐いたというかなんというか。
最初は「えええ?いいんですか?!」みたいな感じだったんだけど、コンビニ出たあとそいつの自己開示が凄いの
「〇〇の学校行ってる」とか「今19歳でこの前彼氏と別れて」とか「この服パジャマにもちょっとした買い物にも使える」とか。15分くらいずーっと。
多分何かしらの障害に分類されるのかな。
初対面の少し親切にされただけのおっさんに無限に自己開示。大丈夫かよこの子ってなった。
解放されて今この文章書いてるんだけど、なんというか、今になって少し怖くなってきた。
ストーカーされる男の人って似たような恐怖持ってるのかな。
見た目や挙動や低カーストを周りから嘲笑され続けた男性が「女から孤立した女」という存在しない異性を求めるのは当たり前
女が複数いると「あいつら等影で俺のこと笑ってる」と発狂するからね
実際は女は男と違って結婚や平凡な夫婦ラブラブエピソードに興味ないからな
上位男しか所有したくない
取り柄のない平凡な夫婦がラブラブとか言うエピソードをいいねしたり、見ず知らずの男女の男女論レスバに対して「お前らくっつけ」と言い出すのも男ののみ
女に相手にされなかった男は人間扱いされず重圧に苦しむのは男社会
Xのアルファアカウントのdadaというバブル世代の高齢未婚男性が、ネットで知り合ったかすとるちゃんというおばさんに話し友達になってもらったのが嬉しくて長年高額の貢物をしている
木嶋佳苗やりりちゃんみたいな無職の売春婦にも金持ちの男が相手にしてもらうために大金を貢ぎ続けた
人助けなら女より弱者で不幸な非モテやホームレス男性や子供を助ければいいのにね
性別逆ではまずないんだよね
創作の世界でも女がホビット低スペック男奴隷を所有して養うなんて話は成立しないだろ?
性別逆なら成立するけど
はじめて書くので読みにくかったらごめんなさい。同居してる姉(43)の愚痴を誰かに聞いてほしい
姉がここ1ヶ月で突然「作り話」をするようになった。病気かもしれないけど、他におかしいところは特にない。
目が本気っぽいから怖くて指摘できなくて「ふーん、すごいね」で済ませてる。
例えば、ここ最近だけで、
・フードコートで騒いでる夏休み中の小学生集団を一言で黙らせて周囲から拍手喝采
・盗撮魔を肘鉄で撃退して未然に防いだ。盗撮魔は走って逃げてしまった
・〇〇駅で満員電車にベビーカーを乗せようとした母親を止めて危険性を説明した。納得した母親に感謝された
みたいな“スカッとエピソード”を連発してくる。SNSに流れてそうな話を、自分の実体験として語る感じ。
全部、実際には起きてないと思ってる。まず姉は電車に乗る用事がないし…
思い返すと昔から、TwitterやFacebookでも話を盛るタイプではあった。
両親のお金で行ったカニ食べ放題を「ボーナス入ったから自分へのご褒美」にしたり、母からのプレゼントを「既婚の上司からもらっちゃった」に変えたり、私と行った旅行を「婚約者との旅行」に改変したり(婚約者いない)。
でも当時は一応、事実ベースで見栄を張ってるだけだった。今みたいに全部が創作って感じではなかった。
姉も自分も対人が苦手はタイプ。姉はパートすらなかなか続かない。そんな姉が子どもをピシッと黙らせたり、臨機応変に人助けしたりというのは、30年以上一緒にいるからわかるけど絶対にあり得ない。
作り話以外は特におかしなところはない。記憶力も普通だから逆に怖い。
毎日のように都合の良い武勇伝を聞かされて、イライラしてきた。
病院に連れていくべきかもしれないけど、こっちは仕事と家事の大半を担ってる状態で、そこに姉の通院と介護が追加されるのはしんどい
高齢の両親に、姉の世話なんかさせたくない。見捨てるみたいになってしまうけど、私が引っ越すしかないのかなと思ってる
引っ越す前に、一言「作り話だよね」って指摘したい
でもそれを言ったら何かが壊れそうで、それもまた怖い
今まで性格診断とかである「あなたは困っている人がいたら助けますか?」みたいな問いに対して「面倒事に巻き込まれないか考えてから助けるか判断する」「どちらかといえばいいえ」で回答してきた。
あまり人助けをするシチュエーションに立ち会ったことがないから、想像だけで自分は切羽詰まれば誰かのために動くだろうって思ってた。
今日、人助けの絶好のチャンスが訪れたんだけど、結果自分は面倒事に絶対関わりたくないタイプだったんだなってよく分かる出来事が起きたので備忘のために書いてみる。
今日はチェーンのカフェの出入り口近くの席で作業していたんだけど、店内の奥の方で良く言えば庶民的な身なりのおじさんとおばさんが大きな声で話しているのがずっと耳障りだった。
閉店10分前彼らが帰り支度をし始めたようで店内は少し静かになっていた。
店の入り口は押しボタン式の自動ドアのガラス戸だったんだけど、自動で開くと思ったのかおじさんがボタンを押さずずんずん歩いて行ってかなりの勢いでぶつかったようだった。
視界のはじでおじさんが閉まったドアの前で座り込んでいるのが見えた。
「もう何やってるのぉ〜」
おじさんはなかなか立ち上がらない。
この時点で少し様子がおかしかった。
ゆっくり動いているのが見えたのと、おじさんが少し受け答えしている様子があったので店内の人間は誰も助けに行かなかった。
食器を下げたおばさんだけが「早く立ち上がらないと〜何やってんのもう!」と近づいて行った。
おじさんはすごく眠そうに受け答えしながらなかなか立ち上がらなくて、このあたりからおばさんが「ちょっと〜本当にどうしたのぉ」といい始めていた。
やがておばさんも大声で声掛けをしているのにも関わらず、おじさんがいきなり大きないびきをかいて寝た。
いびきは30秒ぐらいで止まって、意識を取り戻したおじさんが相変わらず眠そうな受け答えを始めて開けた自動ドアの脇に移動し始めた。
おばさんの声に店員がやっと反応し始めてパントリー?に下がる。
店内の客は自分含めて誰も2人に近づこうとしなかった。
やがて隣の席に座っていた男性がそそくさと荷物をまとめて退店準備を始めたので便乗して退店することに。
出口の隣にはぐったりしたおじさんと寄り添うおばさんがいたけどできるだけ視界に入れないようにした。
店の外は通り雨が降り始めていた。
傘を持っていなかったので大粒の雨に濡れながら、助けもせずおじさんが最後どうなるのか見届けるのすらしんどく感じられた自分に自己嫌悪していた。
ジークアクス最終回でのシャアの扱いって、幸福の王子っぽくもあるけれど、追放もののテンプレのようでもあるな。
シャアから名前を奪い、地位を奪い、経歴を奪い、部下を奪い、妹との絆を奪い、MSを奪い、初代及びCCAのラストバトルという印象的な場面を奪い、
とにかく何もかもを奪い去って
これでシャリア・ブルが成り代われると思ったけれど
シャアの美点で人気の秘訣である、誰にでも分け隔て無く接する人間性だけは奪えないのであった~完
って感じだった。
シャアのどういう所で人気が出たのか、当の富野監督ですらおそらくは完全には分かっていないんだろうから。
豊かで安全な場所で内輪で固まるシャリア・ブル達と、貧困地域で見知らぬ子供達に囲まれるシャアって
象徴的な悪玉と善玉の構図になっているけれど、巷ではシャリア・ブルが持て囃されている以上は制作側にそのつもりはないんだろう。
しかしこれを元にして追放ものテンプレみたいな二次創作が書けそうだな。
地球で地道に人助けをしているシャアの元には自然と人が集まり求心力を発揮し、ついにジオンの覇権をも揺るがすようになったので戻ってきてくれと縋るも断られるみたいな。
まあそれはヘイト創作と呼ばれる類のものにしかならないだろうから、多分書かないけどさ。
いやしかしマジでジークアクス自体が、追放もの二次創作が量産されておかしくないレベルに酷いヘイト創作だったぞ。東野圭吾の「悪意」以上に念が入っていた。これの準備に何年もかけたという執念が凄い。
「今苦しんでいる奴は過去に悪いことをしたからだ」みたいな考え方。
こういう考え方をしてると、何の罪もない被害者に対して「過去に悪いことをしたから今ひどい目に遭っているんだ」みたいに被害者を責めたりするからよくないよね、という文脈で使われたりする。
俺もそういうのはよくないと思うので、世界公正信念は有害な考え方で正されるべきだ、という人の話も理解できる。
でもさ、バカみたいな疑問なんだけど、「世界公正信念は認知バイアスである」って言う時、そこには暗に「世界は公正ではない」っていう隠れた前提があるじゃん?
この世界は、本当に不公正なのか?
いや、俺もまあ世界は不公正で理不尽なもんなんだろうなあと思ってるけど、でも世界は不公正だってちゃんと確かめたことはないんだよね。
にもかかわらず世界は不公正だと決めつけている俺は、世界が公正だと思っている人とわりとどっこいどっこいのようにも思える。
言わば俺は「世界不公正信念」の人なのかもしれない。
また、世界公正信念には有害な面があるけど、いい面もないわけではないらしい。
例えば、犯罪をしたら巡り巡って自分に返ってくるんだから、悪さはしないでおこう、という倫理が働くかもしれない。
人助けをしたら巡り巡って自分に返ってくるから、困っている人を見かけたら助けようという気持ちになるかもしれない。
逆に「世界不公正信念」の人は、このような機序で倫理は働かないから、より強い理性と信念を持って自分を律していく必要があるかもしれない。
立場によっていろんな考え方はできるけど、俺は世界は不公正だと思っている方が実世界のあり方に即しているし、総合的に見て有益であるとも思っている。
でもそれはきちんと確かめたわけではない以上、信念の域を出ていないんじゃないかとも感じる。
世界が公正であると思うのが認知バイアスなら、世界が不公正であると思うのも同様に認知バイアスなのではないかと。
世界公正と世界不公正のどちらが真理かは確かめることが難しい以上、世界公正信念の側だけを一方的に有害な認知バイアスであると切り捨てることに、俺はいくらかのためらいを感じてしまう。
自分は毎月の寄付を2箇所と不定期でちょっとした寄付をしていてまあ金額自体は大したことないんだけど
そのうちのひとつに国境なき医師団というものがあって詳細はよく知らないんだけど医療従事者の人達が世界中でボランティア活動してるらしい。
寄付金は現地の貧しい人や紛争地帯で困難な状況にある人達に使って欲しいとかそういうことはあんまり考えてなくて
どちらかというと日本で医者になって不自由のない暮らしができるのにわざわざボランティアとして危険地帯に行って自分のスキルを惜しみなく人助けに提供してる人達が
現地で少しでも安全な生活ができるように、そしてその活動を通じて少しでも多くのお金を受け取ってもらえたらいいなと思って寄付してる。
ぷーさん、ぷーさん、ポツンと 一人助けて
結局未だにはてなを利用し続けている。
最近AI増田が流行っていて、生きた人間の、線としてつながる日記を書いてみたくて投稿することにした。
匿名の人にも人生があって、その後もあるんだなって感じたので、そういえばと思い自分の記事を読み返してみた。
もし、誰かの暇な時間を満たせられれば幸いです。
片親の生活保護家庭から高卒後自立して貧乏学生になった増田です
将来の不安について綴ったところ、色んな人から反応をいただきました。
それから10年、何度か自分の記事がホッテントリに載ることはあったけど、そんなに多くは書いていない(年2~3記事?)
・所有資格は基本情報ぐらい、NCPやCCNA(期限切れ)みたいなベンダー資格は何度か取得したけど…
・当時のバイト先はスーパーの海鮮だったけど、その後、みんな知ってるレンタルサーバー屋さんでバイトしていた
・就職はもっと給与いいところを目指したので、バイト先には勤めなかった(高卒であっても入れるらしかったのも一因)
結局学生生活はバイトがそれなりに忙しいこと、成績維持のために楽単ばっか選んで、専攻分野もそんなに勉強できず、将来仕事に活かせられなかった。(とはいえIT分野については独学でそれなりにやっていたので、就職先は6社受けて4社受かる、みたいな感じだった)
成績上位は同じゼミの金持ちの子で、当時思っていた通り、生活に支障がないやつが学費免除受けられやすいんだろうなぁと実感した。
・総資産は300万程度
・年収400万は以前より貧困ではないかもしれないが、東京でみるとやっぱり貧乏だと思う
・職場で飼い殺されている
生活は苦しいままだと思うけど、定職があるのは確かにいいことだと思う。
大学の先輩は就活に失敗し、携帯電話販売スタッフを転々としていたので、それに比べるとマシかもしれない。
ITに関して独学していたからというのもあり、職場の同期や元同期からも信頼が厚いが、金融インフラ系という堅い仕事ながらに、裁量が多すぎる(というか抽象的でフワフワな職場)はかなり自分にあっておらず、6年経ってもスキルが1人前に身につかないと感じている。
書いてて思うけど、全く職場の風土が自分にはあっていない。しかし転職するスキルもないので、八方塞がりで、とにかくしがみつくので精一杯。
元同期からいつも「うちに来なよ!」と言われるが、みんなのように外資系とかIT大手とか行ける気がしないよ・・・
客観的に見て幸せだと思う。大学や職場では、優秀な友人たちに恵まれ、今でも交流がある。
だけど補助は2年後に打ち切られる予定だから不安でしかない・・・
ただ、貧乏生活を得て、「有るもの」を数えることが得意になった。
iPhone持ってて、好きなアニメや音楽聞けて、服も楽しめるし、ご飯は食べられるし、眠ることも、お風呂に浸かることもできて・・・
だから、無いものを数えていた昔に比べて今は幸せなんじゃないかと思う。
この選択は未だにわかっていない。姉は高卒で就職し、フリーターで精神障害2級で人生詰みみたいなところあったけど
弟も同じく工業高校出身で、最近死亡事故起きたような割と名前の知られてる会社で日勤夜勤を繰り返しながら働いている。
俺だけ偏差値真ん中ぐらいの総合学科で、そこから大学に行った。よく考えるとちょっと家族でも異質な生活してるかもしれない。
個人的には給付奨学金を収入のおかげで受けることができたこと、大阪の家賃2万の家に住めたことなどで
ある程度有意義な学生生活は送れたと思う。でも、不登校時代があったりヤングケアラーだったりして、ハングリー精神がないので
恵まれた環境にいながらも、大学という世界をうまく使えなかった気がする。
今も、東京に住んで、様々な専門家と触れる機会があり、趣味を最大限に楽しめる環境にいながらも、意欲がなくて機会を持て余している。
学費の借金は、車1台分と考えれば、まあそんなもんなのかなと思うし、会社も約1000人規模の大きな会社に勤められたので良かったと思う。
あとは転職でこの大卒という資格の恩恵を受けられれば・・・だけど産近甲龍未満の私文なので微妙そう。
一生このまま一人で趣味をしつつ、このままこの地でこのまま死ぬのかなぁとか25歳あたりまで考えていた
作業手順もステータスの判定基準も、ミス後のリカバリ手順などすら共有しない組織で、放り込まれた現場でみんなと大きなミスをしたところ休職をすることになって
希死念慮が高くなってしまった。大学まではITに意欲的で、スキルもあったと自覚している人材だけど、現場では情報共有もなく、何も得られず
飼い殺されて第2新卒期間を逃したあたりで、どうしていいのかわからなくなった。うつ病は今もそのまま残っている。
その時ゲームをしていた友達がウクライナ人で、ドローン爆撃や真冬のブラックアウトなどを間接的に体験したので、人のために生きることを決意した
貯金はないけど、なんとかボーナスとか持株会とか使って、空港チケット買ったり、大使館に連絡したりして友達を日本に連れてくることにした。
お互い狂っていると思う。会ったこともない相手同士をこんなに信頼して、モルドバ行って手続きをしたり、ポーランドから日本へ来たり
主に相手のほうが必死にやったと思うけど、その後の手続き周りは全部頑張った(歯列矯正のメンテナンスとか地味に大変だった)
今は一緒に1DKの狭い部屋で暮らしてる。最近他の人の手助けがあり、ようやく難民補助ももらえるようになって、少しだけ生活が安定し始めた。
貧乏学生はなりふり構わず差し伸べてくれた手を握れば、何とかなるかもしれない。
大学の奨学金制度は掲示板を見て自分で手続き行ったし、単身IT会社に自分を売り込みに行ってバイト採用決まったり
今も誰かに助けられつつも、自分も誰かを助ける番として生きることができている。
見返りを求めるわけじゃないけど、人助けは「砂の中の金」を探すものなのではないかと感じた。
恵まれないお腹の空いた子どもが、与えられたご飯を人1倍食べられるわけではないように、与えられたものを活用できる人は少ない。
財団の給付奨学金は、そんな人たちにも機会を与え、100人中1人でも大成できる人を見つけたかったんじゃないかと思った。
それを感じることが自分もたまにある。
独学したITの勉強は、他の友達にも教えた。一人は就活のときに俺を裏切ってどっか行ったけど、まあそういうこともある。
たくさん人を手助けしては、損をすることが多かったけど、今は真摯で誠実な友達に恵まれている。
ウクライナ人の友達もその一人で、難民申請中は俺が日本語を教えたりして、今始まった日本語学校では、ほぼトップの成績を誇る
何より、Javaの勉強を始めて、今後の人生を一緒に歩む目標に向かって進んでくれている。
「友達が死ぬのが怖いから」と差し伸べた手だけど、掴んでくれたのなら絶対に離さない。死ぬまで俺も人助けの責任を全うしようと思う。
俺は、砂の中から砂金を見つけたのだ。
社会に出て思うのは、貧乏も裕福も選んで決めたもんじゃないし、得られたものでやりくりするしか無いなということだった。
恵まれた人生の中でクソみたいな結果しか出さないやつも存在するし、恵まれた人生の中で、それでも更に欲深く生きるやつもいた。
苦労も惜しまない、得ようと思った人が得るのが社会に出てからの人生なんだなと感じた。
そういった「意志の強さ」が疲弊して、貧乏なままで居続けるのが貧困なんだなぁとも感じた。
自分は人を助ける側として、働きたいと思った。
当然職場など、色んなところで人に助けてばかりの人生だけど、それでも何か少しでもいいから誰かの助けをして
自分も誰かの役に立ちたいと思った。