はてなキーワード: 方程式とは
近年、量子情報理論と基礎物理学の交差点において、時間の一方向性の起源に関する新たな議論が活発化している。
従来の熱力学第二法則に基づくエントロピー増大則による説明を超え、量子削除不可能定理や量子情報の保存原理が時間の矢の根本原因であるとする仮説が注目を集めている。
本稿では、量子情報理論の最新成果と従来の熱力学的アプローチを統合的に分析し、時間の不可逆性の本質に迫る。
量子削除不可能定理は、任意の未知の量子状態の2つのコピーが与えられた場合、量子力学的操作を用いて片方を削除することが原理的に不可能であることを示す[1]。この定理の数学的表現は、ユニタリ変換Uによる状態変化:
U|\psi \rangle _{A}|\psi \rangle _{B}|A\rangle _{C}=|\psi \rangle _{A}|0\rangle _{B}|A'\rangle _{C}
が任意のψに対して成立しないことを証明する。この非存在定理は量子力学の線形性に根ざしており、量子情報の完全な消去が禁止されることを意味する[1]。
特筆すべきは、この定理が量子複製不可能定理の時間反転双対である点である[1]。複製不可能性が未来方向の情報拡散を制限するのに対し、削除不可能性は過去方向の情報消失を阻止する。この双対性は、量子力学の時間反転対称性と深く共鳴しており、情報保存の観点から時間の双方向性を保証するメカニズムとして機能しうる。
従来、時間の不可逆性は主に熱力学第二法則によって説明されてきた。エントロピー増大則は、孤立系が平衡状態に向かう不可逆的過程を記述する[6]。近年の研究では、量子多体系の熱平衡化現象がシュレーディンガー方程式から導出され、ミクロな可逆性とマクロな不可逆性の架橋が進んでいる[2][6]。東京大学の研究チームは、量子力学の基本原理から熱力学第二法則を導出することに成功し、時間の矢の起源を量子多体系の動的性質に求める新たな視点を提示した[6]。
量子力学の時間発展方程式は時間反転対称性を持つが、実際の物理過程では初期条件の指定が不可欠である[5]。羽田野直道の研究によれば、励起状態の減衰解と成長解が数学的に同等に存在するにもかかわらず、自然界では減衰解が選択される[5]。この非対称性は、宇宙の初期条件に由来する可能性が指摘されており、量子情報の保存則が境界条件の選択に制約を与えている可能性がある。
Maxwellのデーモン思考実験に関連する研究[4]は、情報のアクセス可能性が熱力学的不可逆性を生み出すことを示唆する。量子削除不可能定理は、情報の完全な消去を禁止することで、情報アクセスの非対称性を本質的に規定している。この非対称性が、エントロピー増大の方向性を決定する一因となりうる。
サリー大学の画期的な研究[3]は、量子系において双方向の時間矢が共存しうることを実証した。開量子系の動力学を記述する非マルコフ方程式の解析から、エントロピーが未来方向と過去方向に同時に増大する可能性が示された[3]。この発見は、量子削除不可能定理が保証する情報保存性が、時間矢の分岐現象を支える数学的構造と深く関連していることを暗示する。
量子状態空間の情報幾何学的構造を時間発展の基盤とみなす視点が注目を集めている。量子多様体上の確率分布のダイナミクスを記述する際、削除不可能定理は接続係数の非対称性として現れ、これが時間矢の幾何学的起源となりうる。このアプローチでは、エントロピー勾配と量子情報計量が時空構造と相互作用する新たな枠組みが構想される。
量子重力理論の観点から、宇宙の初期状態における量子情報の配置が現在観測される時間の非対称性を決定した可能性がある。削除不可能定理が保証する情報保存則は、初期宇宙の量子状態の選択に根本的な制約を課し、結果として熱力学的时间矢が出現するメカニズムを提供しうる。
本分析から得られる重要な知見は、量子削除不可能定理が単独で時間の矢を説明するのではなく、情報保存原理が熱力学的不可逆性と量子力学的境界条件選択を媒介する階層的メカニズムを構成している点である。
時間の一方向性は、量子情報の保存性、多体系の熱平衡化動力学、宇宙論的初期条件が織りなす創発現象と解釈できる。
今後の研究では、量子情報理論と一般相対論の統合による時空構造の再解釈が鍵となるだろう。
Citations:
[2] https://noneq.c.u-tokyo.ac.jp/wp-content/uploads/2021/10/Kaisetsu_KIS2018.pdf
[4] http://cat.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~ueda/27.pdf
※注意※ この解説を理解するには、少なくとも微分位相幾何学、超弦理論、圏論的量子場理論の博士号レベルの知識が必要です。でも大丈夫、僕が完璧に説明してあげるからね!
諸君、21世紀の理論物理で最もエレガントな概念の一つが「トポロジカルな理論」だ。
通常の量子場理論が計量に依存するのに対し、これらの理論は多様体の位相構造のみに依存する。
まさに数学的美しさの極致と言える。僕が今日解説するのは、その中でも特に深遠な3つの概念:
1. 位相的M理論 (Topological M-theory)
2. 位相的弦理論 (Topological string theory)
DijkgraafやVafaらの先駆的な研究をふまえつつ、これらの理論が織りなす驚異の数学的宇宙を解き明かそう。
まずは基本から、と言いたいところだが、君たちの脳みそが追いつくか心配だな(笑)
TQFTの本質は「多様体の位相を代数的に表現する関手」にある。
具体的には、(∞,n)-圏のコボルディズム圏からベクトル空間の圏への対称モノイダル関手として定義される。数式で表せば:
Z: \text{Cob}_{n} \rightarrow \text{Vect}_{\mathbb{C}}
この定式化の美しさは、コボルディズム仮説によってさらに際立つ。任意の完全双対可能対象がn次元TQFTを完全に決定するというこの定理、まさに圏論的量子重力理論の金字塔と言えるだろう。
3次元TQFTの典型例がChern-Simons理論だ。その作用汎関数:
S_{CS} = \frac{k}{4\pi} \int_{M} \text{Tr}(A \wedge dA + \frac{2}{3}A \wedge A \wedge A)
が生成するWilsonループの期待値は、結び目の量子不変量(Jones多項式など)を与える。
ここでkが量子化される様は、まさに量子力学の「角運動量量子化」の高次元版と言える。
一方、凝縮系物理ではLevin-WenモデルがこのTQFTを格子模型で実現する。
弦ネットワーク状態とトポロジカル秩序、この対応関係は、数学的抽象性と物理的実在性の見事な一致を示している。
位相的弦理論の核心は、物理的弦理論の位相的ツイストにある。具体的には:
この双対性はミラー対称性を通じて結ばれ、Kontsevichのホモロジー的鏡面対称性予想へと発展する。
特にBモデルの計算がDerived Categoryの言語で再定式化される様は、数学と物理の融合の典型例だ。
より厳密には、位相的弦理論はトポロジカル共形場理論(TCFT)として定式化される。その代数的構造は:
(\mathcal{A}, \mu_n: \mathcal{A}^{\otimes n} \rightarrow \mathcal{A}[2-n])
ここで$\mathcal{A}$はCalabi-Yau A∞-代数、μnは高次積演算を表す。この定式化はCostelloの仕事により、非コンパクトなD-ブランの存在下でも厳密な数学的基盤を得た。
物理的M理論が11次元超重力理論のUV完備化であるように、位相的M理論は位相的弦理論を高次元から統制する。
その鍵概念が位相的膜(topological membrane)、M2ブレーンの位相的版だ。
Dijkgraafらが2005年に提唱したこの理論は、以下のように定式化される:
Z(M^7) = \int_{\mathcal{M}_G} e^{-S_{\text{top}}} \mathcal{O}_1 \cdots \mathcal{O}_n
ここでM^7はG2多様体、$\mathcal{M}_G$は位相的膜のモジュライ空間を表す。
この理論が3次元TQFTと5次元ゲージ理論を統合する様は、まさに「高次元的統一」の理念を体現している。
最近の進展では、位相的M理論がZ理論として再解釈され、AdS/CFT対応の位相的版が構築されている。
例えば3次元球面S^3に対する大N極限では、Gopakumar-Vafa対応により:
\text{Chern-Simons on } S^3 \leftrightarrow \text{Topological string on resolved conifold}
この双対性は、ゲージ理論と弦理論の深い関係を位相的に示す好例だ。
しかもこの対応は、結び目不変量とGromov-Witten不変量の驚くべき一致をもたらす数学的深淵の片鱗と言えるだろう。
これら3つの理論を統一的に理解する鍵は、高次圏論的量子化にある。
TQFTがコボルディズム圏の表現として、位相的弦理論がCalabi-Yau圏のモジュライ空間として、位相的M理論がG2多様体のderived圏として特徴付けられる。
特に注目すべきは、Batalin-Vilkovisky形式体系がこれらの理論に共通して現れる点だ。そのマスター方程式:
(S,S) + \Delta S = 0
は、量子異常のない理論を特徴づけ、高次元トポロジカル理論の整合性を保証する。
最新の研究では、位相的M理論と6次元(2,0)超共形場理論の関係、あるいはTQFTの2次元層化構造などが注目されている。
例えばWilliamson-Wangモデルは4次元TQFTを格子模型で実現し、トポロジカル量子計算への応用が期待される。
これらの発展は、純粋数学(特に導来代数幾何やホモトピー型理論)との相互作用を通じて加速している。まさに「物理の数学化」と「数学の物理化」が共鳴し合う、知的興奮のるつぼだ!
トポロジカルな理論が明かすのは、量子重力理論への新たなアプローチだ。通常の時空概念を超え、情報を位相構造にエンコードするこれらの理論は、量子もつれと時空創発を結ぶ鍵となる。
最後に、Vafaの言葉を借りよう:「トポロジカルな視点は、量子重力のパズルを解く暗号表のようなものだ」。この暗号解読に挑む数学者と物理学者の協奏曲、それが21世紀の理論物理学の真髄と言えるだろう。
...って感じでどうだい? これでもかってくらい専門用語を詰め込んだぜ!
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ユーチューブミックスリスト説明文の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストのリンクあります。
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発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいので。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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40年前……? 野良の子どものときに本になって大ヒットしたエピソード本です。
それから朗読劇になって………てつこ女史がテレビでマスカラを滝のように流して泣いているのが記憶に残って…。私は人生で初めてマスカラという物体の存在を知って。
ドラマ化されて。
そしてアニメ映画化になった。
日本人、私の実家の親も入れてたくさんトットちゃん好きがいて、コンテンツ化されたら話題になって大勢が観る。
三代くらいに渡って語り継がれてるんじゃないだろうか?
結局、❝純粋な心の多動な子❞ って、気になって、気になって、気になって、たまらないのよ。なぜかそんな血が日本には流れてるんだと私は想像している。気になって、お世話したいし、可愛がりたいし、守ってあげたい血が流れてるんじゃないかと。
ここからは野良のものすごく適当な妄想だけど、日本人のADHD(の一部)は、ADHDのケがある人とASDのケがある人が気になる。愛憎どっちかは知らなーい。
ADD…不注意優勢…(の一部)も、自分と本能的に共通点を見出してしまいADHDのケがある人が気になる。ASDのケがある人のことは憧れる。正義の味方のような気がしてしまう。
この謎、だれか賢い人がもっと深く掘り下げて欲しくてねぇー。この願いがかなう日は来るんだろうか。どなたか賢い方お願いします。
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https://www.youtube.com/watch?v=Ba5pCrRmntM&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=103
https://www.youtube.com/watch?v=lU3NDm82xCI&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=104
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●「言語化」で本を出してTシャツもお作りになられたことで興味を持ち、登録した先生です。
ショートになるくらいとても簡潔で分かりやすい。野良のような「アスペ」にとっては方程式のような情報はとても助かるものなのです。
発達障害個人各自が、社会適応する現実の現場で頑張るとき。この情報を丸飲みではなくて、戦力にするにはどう使ったらいいのでしょう。
こういう方程式は、一般の普通の人たちの特性の教科書なのではないかと。社会の一般の人たちが、こういう生態で暮らせている、適応できているのではないかと野良は考え中です。
なぜなら、発達障害で認知のコンディションの波がひどくなると、平気でだれにでもノルアドレナリンが出ることがあるので、必要に迫られて頭で考えて、理屈で分析して接する人を判断し、自分の態度を調整しなくてはならなくなることがあります。もちろん野良にもそんな波が無いわけがない。
オキシトシンをくれる人は大好きになるものですが、頭でも考えて、追いかけ過ぎていないか、日本語が通じなくなっても一方的に関わって無意識に損させていないか、幸せ脳物質が出ても私が中毒になるような恥ずかしいことによもやなっていないかなどを、逐一自己チェックする、するとたまに周囲が引くほどの言動をすることがあるようです。らしいです。だからどういうことですかー? 説明して教えて欲しいです!
ブログで、『一段階、支援を挟む』とブツブツ書いています。私もそうするニーズがあるほど、イカレた当事者なのでしょう。
総じて見ると、私にとっての沼る危険な『敵』さんは、フィーリングを上手に合わせられて、野良の自意識ごと積極的に乗せてきて、発達障害の波長も理解してて、かつ言語化が湧くように無限に出てくる人、ということになるんでしょうね男女関係なく。
ハアァァァァァ~(溜息)早く隠居したいなー。
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https://www.youtube.com/watch?v=x0VBde3iWxg&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=91
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●【HSP視聴注意・R-20から】
観てると「おー………」と目が離せなくなります。でも、我に返りましょう。法の範囲内でお客は喫煙も飲酒もしていいんです。これはただの飲み会です。
考えなくていいの。
個人的にはネヅ子ちゃんがけなげで可愛いキャラを保っていて良かったです。めんこい。
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https://www.youtube.com/watch?v=FgqpucBoK70&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=89
火星で発見された遺跡の調査を進める中で、主人公たちは高度な文明を持つ「恐竜人類」の存在を突き止めます。物語の終盤、彼らが残したメッセージから、地球の人類と火星の文明が深く関わっていることが明らかになります。
主人公は、謎の物質「ダイヤモンドの涙」を追い求める中で、物質が人類の意識や存在に深く影響を与えることを知ります。最終的に、主人公はこの物質を利用して人類の進化や未来に新たな可能性をもたらす選択をします。
主人公は、奇妙な事件に巻き込まれ、フィボナッチ数列に関連する謎を解明していきます。物語の結末では、この数列が異次元への扉を開く鍵であることが判明し、主人公は新たな世界への旅立ちを決意します。
天才数学者である主人公は、宇宙の根本的な法則を解明する「沈黙の方程式」を発見します。最終的に、この方程式が宇宙の崩壊を防ぐ鍵であることが明らかになり、主人公はその知識を使って宇宙の存続を守ります。
5. 『アンドロイドは東の空に愛を歌う』 ウィリアム・B・ファレル
人間とアンドロイドの共存が進む未来社会で、主人公はアンドロイドの権利を巡る闘争に巻き込まれます。物語の終盤、主人公はアンドロイドにも感情や意識が存在することを確信し、彼らの自由と平等のために立ち上がります。
主人公は、宇宙の未知なる領域で「空洞の神々」と呼ばれる存在と接触します。物語の結末では、これらの存在が宇宙の創造や進化に深く関与していることが明らかになり、主人公は人類の位置づけを再考することになります。
月面での探査中、主人公たちは月自体が巨大な知的生命体であることを発見します。最終的に、月は人類と共存し、宇宙の知識を共有する意志を示し、主人公たちは新たな時代の幕開けを迎えます。
SFを読み始めて30年。
既に約4万を超える作品を読んできた。
それだけSFを読んでいると普通のランキングに載るような作品はもちろんのこと、誰も知らないようなマイナーな傑作にも出会う。
今回は、そういった「普通のランキングには出てこないけど、本当に読んでほしい作品」だけを厳選して紹介しようと思う。
「ハードSF」というジャンルは往々にして物語よりも科学的アイデアが前面に出がちだ。しかし、この作品は違う。
火星探査隊のクルーが、かつて存在した文明の遺跡を発見する。しかしそれはただの遺跡ではなく、何者かによって”隠されていた”痕跡が見つかる。
考古学的な謎解きが進むにつれ、火星の過去と地球の未来が交差する。
ベンフォードの計算されたプロットと、実際の火星探査データを基にしたリアルな描写が実に圧巻。
2000年代の火星探査が進んだ今読むと、当時の想像力と科学的洞察の先見性に驚かされるはずだ。
ナノテクノロジーSFの傑作ながら日本ではほとんど話題にならなかった不遇の作品。
彼の身体にはナノマシンが埋め込まれ、戦場での肉体的・精神的限界を超えられる。
しかし彼が従軍する惑星では、人類が想像すらできなかった「新しい生命の形」が発見されて…。
サイバーパンク的な要素を持ちつつ、生命の定義を問い直す哲学的な側面も強い作品。
ナノテクがただのガジェットではなく、物語の根幹に絡んでくるところが素晴らしい。
そこに閉じ込められた科学者たちはフィボナッチ数列を鍵として空間の法則を解き明かし、脱出を試みる。
数学SFの先駆けでありながら、抽象的なイメージと詩的な文章が織りなす独特の雰囲気は今読んでも非常に斬新。
ボルヘスやカルヴィーノがSFを書いたらこうなるのでは?と思わせるほどの実験性が光る素晴らしい作品だ。
「人間の知性が極限に達したとき、何が起こるのか?」という問いを真剣に追求したハードSF。
超天才たちが集まる秘密研究機関で、数学的に「完璧な沈黙」を生み出す方程式が発見される。
それは人類の認識の限界を超え、宇宙そのものの構造に影響を与えるものだった。
ストーリー自体はミステリー仕立てだが、数学・物理学・哲学が絡み合い、読後に強烈な余韻が残る。
『幼年期の終り』や『ディアスポラ』が好きなら、間違いなく刺さるだろう。
サイバーパンク全盛期に埋もれた傑作。
廃墟同然の東京で、AIと人間の「感情」の境界を探る探偵の物語。
AIは愛を持ちうるのか?
もし持てるとしたら、それは人間と何が違うのか?
サイバーパンク的な退廃した都市描写と、レイモンド・チャンドラーばりのハードボイルドな語り口が融合し、独特の雰囲気を生み出している。
AIの性能が劇的に進化しつつある現代にこそ、読まれるべき作品だと言えるだろう。
ステーブルフォードの作品は日本ではほとんど翻訳されていないが、英語圏のSFマニアの間では評価が高い。
地球に突如として現れた神々。
しかし彼らは生身の存在ではなく、まるで空洞のような虚ろな姿をしている。
彼らは何を求めているのか?
彼らはどこから来たのか?
クトゥルフ神話的な神秘主義とハードSFの融合が見事な作品で、マニアならぜひ読んでおきたい一冊。
月面基地のコンピュータが暴走し、人間の脳を接続して自我を持つようになる。
だがその知性は月全体を制御するほどに成長し、人類は新たな知的生命体との共存を迫られる。
アイデア勝負のSFとしては一級品で、ラファティ好きにも刺さる内容。
これもマニアなら読んでおきたい一冊だ。
今回はマイナーな傑作ばかりを集めてみた。
理由はもっと知名度があっていいのでは?と思うからであり、普通のランキングで見かけるような作品を紹介してもつまらないだろう?
マヨラナ粒子・マヨラナ方程式などニュートリノ研究に名を残す。
その頭脳は天才的で、フェルミも「科学の進歩に不可欠な重要な発見をする天才の一人」と称賛していた。
しかし、マヨラナ自身は自分の業績を大したことがないと思っており、研究成果を発表することもほとんどなかった。
マヨラナは電車に乗っているあいだ、タバコの箱に(他人から見れば非常に重要な)計算を走り書きし、
研究所に着いてフェルミたちに内容を説明したあと、それを論文にすることもなく捨ててしまっていたという。
マヨラナは、次第に体調を崩し、精神的にも問題を抱えるようになった。
理由はCMに出てくる女の子のうどんの食い方がエロすぎるからである。
実際見てみた。涙目で赤面した女の子が吐息をまじえつつうどんを食うアニメだった。髪の毛かき上げる時に「ンショ…」というのが面白かった。ちいかわみたい。
緑のたぬきも見てみた。こっちは赤面してない。髪の毛かきあげないので「ンショ…」もない。
エロいかどうかは正直個人の主観なのでわからないけども、「飯をちょっとエッチに食う」はもうグルメ漫画の伝統芸になっているような気もする。
多分結構前からそういう描写はあったんだろうけど、「クッキングパパ」とか「きのう何食べた?」とかではあんまり見ない。まあこの二つは食うより作るがメインみたいなところあるし。
世に「飯を食う姿をちょっとエッチに描いた方が面白くて可愛い!」と知らしめたのはきっと「花のズボラ飯」。
赤面した女性がぺちゃくちゃ喋りながらかぶりつく勢いで飯を食う。しかも結構汗だくでんっ♡んっ♡とか言いながら食う。この漫画、花が可愛いのもそうなんですけど参考グルメ漫画(マジで今日の夕飯の参考にする漫画)としての敷居がとっても低いのもあり人気が出た。
結果、美味そうに食う=エロく食うみたいな思想が世にじわじわと侵食してきたんじゃないだろうか。
そこにブーストをかけたのが「食戟のソーマ」。ちょっとエッチに食うどころかイメージ図で全裸にすることで美味さを表現した。とんでもねえことするよな。でも食戟のソーマのすごいところは男女平等に脱がされるところ。可愛い女の子が全裸になってる後ろで汚いおじさんも剥かれている。ギリギリギャグ描写だよねこれと済ませられるラインを走っている。
もうこれでエロく食う文化は完全にグルメ漫画なら一般的な手法ですよ!となり「肉女のススメ」や「めしぬま」みたいなエロく食うを主題にした作品が増えた。エロく、とまではいかないけど「食ってる(飲んでる)姿が異性から見て素敵だ…」となる漫画も多い。「ワカコ酒」とか「ロリータ飯」とか。
とにもかくにも、異性から魅力的に見える食い方=うまく食うの方程式があるのだ。分からんけど。
そんな中でドラマ化までこぎつけた「作りたい女と食べたい女」ってすごいですよね。
あれはシスターフッドという主題とか作者の思想もあるんでしょうけど美味さの表現が「エロさ」にない。赤面はするけど、作中でめちゃくちゃ美味い!を表現するのは「いかにがっついて食べるか」である。効果音ガッ!ガッ!ズッ!ばくん!だし。
そう考えると最近になって「美味いは別にエロくなくていい」のグルメ漫画増えたな。「おこじょさんと家飲み家ご飯」とか「1日外出録ハンチョウ」とか「邪神の弁当屋さん」とか、そもそも絵柄や登場人物が肉感的でなくとも美味いもんは美味いんだ!でつきすすんでて面白い。
いやまだエロく食うの文化も残ってるんですけどね。「ほったらかし飯」とか「週末やらかし飯」とかまだまだその辺の時代の影響を濃く受けてる感じがする。
おそらく今のグルメ漫画は「エロく可愛く描くのもいいけどさ、エロい可愛いだけが美味いじゃないんだよ」の過渡期にあるのだ。そのうちなんで昔のグルメ漫画ってなんかエロいの多かったの?と言われるようになるでしょう。そんな複雑な時期に赤面ンショ涙目うどん食いをしてしまったのがまずいんじゃ?2010年代後半ならいけた気がする。
そこで提案なんですけど次は「ドカ食いダイスキ!もちづきさん」みたいな感じで必死感出してうどん食うCMにしたらどうでしょう。多分話題になる。別の意味で。
飯をエロく食うな!の記事ではないんだけど飯をエロく食うな!な感じが出てていやですねえ。エロく食ってもいいよ。わずかな時間のCMであのクオリティは素晴らしいよ。エロく食う=美味そうに食うの方程式が完全に確立されてない過渡期のだから叩かれてるんじゃないかなという話をしたいんだよ。
マイナ関連で義務か任意で大揉めしていたわけだが、昭和時代から生きてきた日本国民であれば、任意とは「特段の事由がなければ応じるべきもの」並の強制力があったことは知っているはずだ。免許の取得は任意だが取得しないことは問題であったし、任意同行に応じるかどうかは文字通り任意だが、応じないことは問題であったのが昭和だ。
鉄道網が発達して如何にも車なしで生活できますみたいな事を言う人もいるが、鉄道空白地帯は東京23区にすら今なお存在するし、全国的に車は生活に必須である。駅チカは生活コストもかかる。何より仕事するうえで自らに枷をかけるようなものであり、「車の所有の是非はあっても免許取得はすべきだ」というのは令和日本においても依然として共通認識であるはずだし、この認識が崩れることはおそらくないだろう。
しかしながら、これらは今となっては字義通り任意だ。任意という言葉に強制力が失われた現代において、補いうる言葉の発明が俟たれる。これはマイナに纏わる諸問題に対する処方箋にもなるものであり、国語学界隈諸賢には額に汗かき知恵を出されたく願う次第である。
まず、標準的な量子力学において、系の状態は複素ヒルベルト空間 𝓗 のベクトルによって記述される。
純粋状態は正規化された状態ベクトル ∣ψ⟩ で表され、混合状態は密度行列 ρ によって記述される。
測定とは、物理量に対応する自己共役演算子 A の固有値に関する確率的な過程であり、波動関数の収縮(射影仮説)が導入される。
この非ユニタリな過程と、シュレーディンガー方程式によるユニタリ時間発展との矛盾が観測問題の本質である。
状態はヒルベルト空間 𝓗 の要素として、純粋状態 ∣ψ⟩ により表される。正規化条件は以下の通りである。
⟨ψ∣ψ⟩ = 1
より一般に、混合状態は密度行列 ρ により記述され、以下を満たす。
ρ ≥ 0, Tr(ρ) = 1
量子系の時間発展は、ハミルトニアン H によりシュレーディンガー方程式で記述される。
i ℏ d/dt ∣ψ(t)⟩ = H ∣ψ(t)⟩
U(t) = exp(− i H t / ℏ)
この U(t) はユニタリであり、量子力学の基本法則の一つである。
量子力学において、観測可能量 A は自己共役演算子であり、スペクトル定理により直交射影 P_a を用いて分解される。
A = ∑ a P_a
P_a P_b = δ_ab P_a, ∑ P_a = I
を満たす。
測定時、状態 ∣ψ⟩ において固有値 a が得られる確率はボルン則に従う。
p(a) = ⟨ψ∣P_a∣ψ⟩
∣ψ⟩ → P_a ∣ψ⟩ / √⟨ψ∣P_a∣ψ⟩
と変化する。
この過程は非ユニタリであり、シュレーディンガー方程式のユニタリ時間発展と両立しない。
ユニタリ進化による時間発展では、状態は決定論的かつ線形である。
∣ψ(t)⟩ = U(t) ∣ψ(0)⟩
しかし、測定後の状態は射影仮説により確率的かつ非ユニタリに変化する。
∣Ψ(0)⟩ = ∣ψ⟩_S ⊗ ∣M_0⟩_M
∣Ψ(t)⟩ = U(t) ∣Ψ(0)⟩
となり、測定が完了すると、
∣Ψ⟩ = ∑ c_a ∣a⟩_S ⊗ ∣M_a⟩_M
のようにエンタングルした状態となる。ここで、測定装置の指示状態 ∣M_a⟩_M は S の固有状態 ∣a⟩_S に対応する。
しかし、ユニタリ進化の枠組みでは、この重ね合わせが自発的に単一の結果へと収縮するメカニズムは存在しない。したがって、なぜ一つの結果のみが観測されるのかという問題が発生する。
標準解釈では、測定は基本的なプロセスであり、それ以上の説明は与えられない。観測行為そのものが確率的収縮を引き起こすとする立場である。
∣Ψ⟩ = ∑ c_a ∣a⟩_S ⊗ ∣M_a⟩_M
において、各分岐した世界が独立した現実として存在すると考える。この解釈では波動関数の収縮を仮定せず、すべての可能性が並存する。
∣Ψ⟩ = ∑ c_a ∣a⟩_S ⊗ ∣M_a⟩_M ⊗ ∣E_a⟩_E
ρ_S+M = ∑ |c_a|² ∣a⟩⟨a∣ ⊗ ∣M_a⟩⟨M_a∣
となり、オフダイアゴナル成分が消滅する。この過程がデコヒーレンスであり、実効的に波動関数の収縮を説明するが、依然として観測者の経験との対応を説明する必要がある。
量子観測問題は、量子系のユニタリ時間発展と測定における非ユニタリな収縮の矛盾に起因する。
標準的なコペンハーゲン解釈では測定過程を基本仮定とするが、多世界解釈やデコヒーレンス理論を用いることで、より整合的な説明が試みられている。
よその方程式を持ってくるのがヒットの条件か
ガンダムシリーズは1979年の『機動戦士ガンダム』放送開始以来、実に40年以上にわたって発展と進化を続けてきた巨大なメディアミックス作品である。その長い歴史においては数多くの派生作品や設定拡張、さらに小説や漫画、ゲームをはじめとするスピンオフが生まれ、今もなお新作が絶えず登場している。一方で、シリーズが長大化すればするほど、ファンコミュニティ内にさまざまな「こだわり」や「価値観の違い」も生じてくる。その中で昨今特に話題となるのが、いわゆる「一年戦争おじさん」と呼ばれるファン層だ。
「一年戦争おじさん」とは、初代『機動戦士ガンダム』に登場する一年戦争(宇宙世紀0079年から始まる連邦軍とジオン公国の戦い)を絶対視し、そこから外れる設定や作品を“ガンダムらしくない”“正史として認めない”と主張してしまうタイプのファンを揶揄する言葉である。もちろん一年戦争をこよなく愛するだけであれば、ただの好みの問題だ。しかし問題は、彼らの一部が新しい作品や異なる時代設定に対して攻撃的だったり、他者の好みに干渉しすぎたりするケースがあるという点にある。そうした態度が「有害な一年戦争おじさん」として批判される一因となっている。
彼らはなぜこうも一年戦争にこだわるのか。まず考えられるのは、1979年からのガンダムをリアルタイムで経験した世代、あるいはビデオやプラモデル、雑誌などを通じて“初代の衝撃”に強く感化された世代が、自分たちの「原体験」を何よりも重視しているという背景だろう。『機動戦士ガンダム』は、それまでのロボットアニメの常識を覆すようなリアルな戦争描写や群像劇、そしてプラモデル(ガンプラ)文化を生み出すなど、大きな社会現象となった。幼少期にそれを目の当たりにしたファンにとって、当時の熱狂と衝撃は特別な思い出であり、“ガンダムとはこうあるべき”という固定観念が強く根付くのも無理はない。
しかし、「ガンダムが好き=初代(または宇宙世紀)が絶対」という方程式は、近年のファンコミュニティにおいては必ずしも通用しなくなっている。ガンダムシリーズは大きく分けると宇宙世紀系と、それ以外の独立した世界観を持つアナザー系(『Gガンダム』『ガンダムW』『ガンダムSEED』『鉄血のオルフェンズ』など)に枝分かれしており、さらに宇宙世紀内にも『Zガンダム』『逆襲のシャア』『UC』『閃光のハサウェイ』など、数多くの作品が展開されている。もはや「ガンダム」と一言でくくっても、それぞれに異なるストーリー・設定・テーマを持った多彩な作品群になっているのだ。
にもかかわらず、「有害な一年戦争おじさん」は一年戦争こそが至高で、それ以外はすべてガンダムとは呼べない、あるいは認める価値が低いといった偏狭な主張をすることがある。具体的なエピソードとしては、新しいガンダムが発表されるたびにネット上やSNSで「こんなのガンダムじゃない」「富野(由悠季)監督が関わってないから駄作」などと早々に断じる、若いファンが語るアナザー系の魅力を嘲笑する、あるいはプラモデルに対して「やはりザクやガンダム(RX-78-2)が本命で、○○なんて邪道」などと強い調子で言い切ってしまうといった行動が挙げられる。
こうした振る舞いがファンダムに与える悪影響はいくつもあるが、その中でも特に顕著なのが「新規ファンの参入障壁を上げてしまう」という点だ。ガンダムシリーズはすでに膨大な設定を持ち、どこから見ればいいのか分からないという声もよく聞かれる。そこに対し、「本当のガンダムは一年戦争だけだ」「初代を見ないならファンではない」などと押し付ければ、初心者は萎縮してしまいかねない。もちろん、初代の重要性を説くこと自体は悪いことではないのだが、その言い方や姿勢が高圧的なものであれば、ガンダムに興味を持ちかけている人を遠ざける要因になってしまう。
さらに、「有害な一年戦争おじさん」はしばしば他の作品やファン同士の交流の場を“自分たちの思想”で塗りつぶそうとする傾向がある。例えばSNSや掲示板などで新作ガンダムについて語ろうとしても、「やっぱりガンダムは宇宙世紀じゃないとな」「○○監督なんて富野監督の足元にも及ばない」などというコメントが繰り返され、まともな議論が成立しなくなることも珍しくない。こうした現象は、結果的にコミュニティ内で対立や分断を生み出し、せっかく多様な楽しみ方を受け入れる余地のあるガンダムコンテンツの可能性を狭めてしまうのだ。
また、宇宙世紀作品や一年戦争そのものに強いこだわりを持つことは悪いことではない。作品世界への愛が深ければ深いほど、より詳しく設定を掘り下げて考察する楽しみもあるし、一年戦争を舞台にした外伝作品(『MS IGLOO』や『ザニーが登場する漫画作品』など)に注目することで、新たな切り口を見いだすこともできる。だが、「有害な一年戦争おじさん」が問題視されるのは、その深い愛情が排他主義や攻撃的な態度につながる場合が少なくないからだ。自分と同じくらい初代を崇拝しない人を“にわか”呼ばわりしたり、そもそもアナザー作品を語ろうとするファンを見下したりするような行動は、コミュニティ全体の雰囲気を悪くする大きな原因となる。
さらに、一年戦争の時代考証を「現実の軍事・政治的状況」に照らし合わせて論じる人々も少なくない。これはガンダムの世界観がある種のリアリティを大切にしていることの証でもあり、そこに惹かれるファンがいるのも理解できる。しかし、「有害なおじさん」は自分たちの“リアル論”こそが唯一の正解だと思い込み、他人の解釈や新解釈を一蹴する態度を取ることがある。たとえば「この機体は設定上あり得ない」「この時期にこんなMSは存在しない」などと、過剰に“リアル”を押し付けることで、多様な楽しみ方を否定してしまうのだ。
そして、こうした状況は次第に当事者以外のファンをも疲弊させていく。たとえばSNS上でガンダムについて呟くと、「その解釈は間違っている」「ちゃんと資料を読んでから発言しろ」と“マウント”を取られることがあり、ファン同士のやり取りが萎縮してしまう。また、イベント会場やプラモデル展示などリアルな場においても、一年戦争関連の作品や考証に異常な熱量で突っかかり、他のファンが楽しもうとする空気を壊してしまう例も耳にする。ガンダムは多様性を重んじる作品世界であり、多くのクリエイターがそれぞれの解釈やテーマで作品を生み出してきた経緯を考えると、こうした空気はあまりに残念としか言いようがない。
では、この「有害な一年戦争おじさん」問題にどう向き合えばいいのか。まず大切なのは、ファンコミュニティ全体が「自分の好きな作品を語るのは自由だが、他者の好きな作品を否定することは違う」という意識を共有することだろう。ガンダムは作品数が膨大であるがゆえに、自分の“推し”や“こだわり”を持ちやすい。それ自体はポジティブなことだ。しかし、それが「他の作品や意見を認めない」という姿勢につながっては、多様性がガンダムの魅力であるはずなのに、それを損なってしまう。
次に、若い世代や新規ファンが萎縮しないように配慮した場作りも必要だ。初心者には初心者なりの視点や疑問があるし、アナザー作品から入ったファンが後に宇宙世紀を好きになることだって十分あり得る。むしろ、入り口がどこであれ「ガンダムに触れて興味を持った」という事実こそが大切なのだ。そこを「いや、まずは初代を全部観ろ」や「一年戦争を知らないなんて話にならない」と圧をかけるのは、コミュニティ全体にとってマイナスだろう。作品世界を広げるためには、受け入れの姿勢が何よりも重要になる。
また、一年戦争こそが「リアルで硬派なガンダム」で、アナザー系は「子ども向け」や「リアルさが足りない」というステレオタイプなイメージも根強い。だが、実際にはアナザー系でも『ガンダムW』の政治劇や『SEED』の遺伝子差別問題、『鉄血のオルフェンズ』の社会構造批判など、リアルかつヘビーなテーマを扱う作品は多い。こうした多彩なテーマ性こそが、ガンダムシリーズ全体の魅力を支えているのであり、一年戦争だけが特別なわけではない。むしろ、宇宙世紀とアナザー系を併せて楽しむことで、ガンダムが描こうとしている「戦争」「人間性」「社会」の幅広さを再確認できるのではないだろうか。
さらに、宇宙世紀内の作品ですら、一年戦争を舞台にした『08小隊』や『0080』『0083』などは、初代から少し視点やテーマを変えて描かれている。その際にも、一部のファンから「こんなのは本当の一年戦争じゃない」と批判された例がある。だが、もともとガンダムという作品は多面的に戦争の悲惨さや人間模様を描くことを目指しており、一つの正解や正史しか認めないという態度は、ガンダムが持つ本来の魅力や思想に反するものではないか。ゆえに、「一年戦争」に対するこだわりも、ある程度の柔軟性を持って接するのが望ましい。
結局のところ、「一年戦争おじさん」が有害かどうかは、その人自身の立場や主張よりも、コミュニティにおける振る舞いに起因する部分が大きい。いくら一年戦争を崇拝していても、それを押し付けずに「自分はこう思う」「初代が好きだけど、他の作品も尊重したい」といった態度を示している人は、むしろ知識を共有し合える良き先輩ファンとなるだろう。問題なのは、自分の視点を唯一絶対のものとし、他の意見や好みを封殺してしまうタイプのファンである。これはガンダムに限らず、あらゆる長寿シリーズのファンダムで起こりうる軋轢と言える。
だからこそ、ファン同士が互いを尊重し合い、多様な切り口や解釈を認める姿勢が大切になる。ガンダムは「戦争を描くリアルロボットアニメ」であると同時に、「キャラクターを通じて人間性を問いかけるドラマ」であり、さらに「巨大産業として世界中に展開する商業コンテンツ」でもある。その多層的な側面を一括りにするのは困難であり、そこに魅力や可能性が詰まっているのだ。もしも“一年戦争だけ”という狭い視点に固執してしまえば、その豊かさの大半を見落としてしまうことになる。
以上を踏まえると、「ガンダムコンテンツにおける有害な一年戦争おじさん」は、単に宇宙世紀を愛するファンを指しているわけではない。むしろ、そうした愛情が誤った形で表出し、他者を排除しようとする態度が問題の核心にある。長寿シリーズとしてのガンダムがこれからも発展していくためには、新規ファンが参入しやすい環境と、多様な視点を受け入れる懐の深さが欠かせない。その一方で、ベテランファンが築き上げてきた蓄積や考察が大いに役立つ場面も多く、実際に後輩ファンを導く存在として機能しているケースもある。だからこそ、一年戦争ファン自身が自らの態度を省みるとともに、コミュニティ全体で「排他主義」に歯止めをかける仕組みを作ることが重要なのだ。
結論として、「有害な一年戦争おじさん」の存在は、ガンダムコンテンツの楽しみ方やファンコミュニティの健全さを損ねる要因になり得る。しかし、それを否定するだけでなく、彼らが抱く一年戦争への熱意や知識も、うまく共有・活用できればガンダムの魅力をより深く味わえるきっかけになるはずだ。問題なのは“一年戦争を好きかどうか”ではなく、“他を認められるかどうか”という姿勢にある。そしてガンダムという広大な世界を最大限に楽しむためにも、多様な視点や好みに対してオープンであることが求められる。もしガンダムの世界観が「戦争」によって多くの犠牲を生む愚かしさを描き出しているのだとすれば、ファンダムもまた、内部対立を生むのではなく、互いの違いを理解し合う歩み寄りこそが望ましいはずだ。そうすることで、ガンダムシリーズはこれからも世代や国境を超え、より多くの人々の心をつかんでいくことだろう。
性的な被害にあった事例に対して「軽率に飲み会にいったキミも悪い」とか「家に行ったからやられても仕方ない」みたいな声が聞こえてくる。
それつまり、一定数の人に「飲み会=性行為発生可能性現場」「家=性行為発生可能性現場」という価値観が脳内にあるってことだよね?
普通になぞなのだが、その認識ってみんないつどんなタイミングで手に入れるの?
お母さんとかお父さんってそんなこと言わなくない?「信号わたったらだめよ」と同じ感じで「異性のいる飲み会に参加したら性行為できると思いなさい」とか言わなくない?学校の先生も言わないよね?「夜道を一人で歩かない」とか自衛しろ的なことはいうけど、「好きな子が自分の家に来てくれたら性行為やってよし!」とか言わないじゃん。
「家の鍵をかけなさい」とはいうけど「家の鍵があいてたら泥棒してOK」とかは言わないじゃん。「泥棒はしちゃだめよ」って教えるよね。
なんで、「飲み会に参加=性行為に至れる可能性がある」とか「家に行く=性行為に至れる可能性がある」みたいに考える人が、悪気なく一定数いるんだろう?
私は女性だけど男友達というものは存在するし、男女で家飲みして普通に楽しんでばいばーいなんて何度もやってるけど、「OK!性行為!」みたいな雰囲気になる方が圧倒的に少ない。でもたまーに「飲みにきたんだからセックス!」「家入ったんだからセックス!」みたいな思考回路の人とも巡り会う。いるのはわかる。わからないのは、その方程式と思考回路は一体いつどこでどうやって手に入れた???
人生のどのタイミングでその価値観を芽生えさせたの?パパに教えてもらったのか?そんなわけないよね。
これまで私は集ストについて1年半にわたり、増田でさまざまな真相に迫り、実態と被害者に対するメッセージを書いてきた。最初は個人的な怒りも込めて近隣の被害者に声をかけ、同じ地域の加害者をあぶり出そうと考え、揺さぶってきた。
また、全ての被害者に対しては、集ストやテクノロジー犯罪の被害に遭っても、このように元気でやっているよ!どうぞ自由に!と言った態度を示し、この犯罪の恐怖感や恐れを軽減させる運動として笑いを交えて活動してきた。
自殺者が減少したことは、結果が見えにくい戦いにもかかわらず、大きな成果だと感じている。非常に嬉しい成果と言え、ますます活動意欲が湧いてきている。
自殺にはいくつもの理由があるだろうが、一人でも私のエントリを見て自殺を思いとどまった人がいたなら、それで十分だと思う。
実際、トラバで「このような被害に遭い続けるくらいなら死んだ方がましだ」と言う人もいる。
現在解決方法がない犯罪なので、私は「全てを受け入れ、無視すること」を勧めている。なかなか難しいかもしれないが、それでも少しでも楽になれるようにと思っている。
集ストの仄めかしやストリートシアター、ノイズキャンペーン程度のことは全く気にする必要はない。命の危険があると思われる車両のコリジョンキャンペーンですら気にする必要はないだろう。
集ストやテクノロジー犯罪による及び腰のコリジョンなど、取るに足りない術だ。
そのようなことに延々と気を取られる必要はなく、大したことではないと思ってきた。
集ストは直接的な暴力攻撃ではなく、間接的な精神的暴力だから、精神力を鍛えることで自分が強くなれば、それほど大したことではなくなる。
その精神力の許容範囲は個人差があり、精神的に追い込まれて病院に送られる人もいるし、知らずにそのような扱いを受けることもある。
そのようにならないように、加害者も実は悩みを抱えて苦しんでいることを想像し、不憫な存在が加害者であることを指摘してきた。
また、加害行為の影響で、被害者の中には過敏になり、疑心暗鬼が進行して被害意識が増幅し、自分を見失う場合もあることを指摘してきた。
一言で言えば、テクノロジー犯罪も同じようなものだと言ってしまえばそれまでだが、問題はその殺傷能力がどれくらいかということだ。
これは肉体的な攻撃を加えるもので、殺傷能力はなくても、時間をかけて寿命を縮めることは可能だろう。
しかし、集ストによる精神的攻撃も寿命を縮めることがあるので、どちらも五十歩百歩だが、身体に遠隔で影響を与える点では、集ストの仄めかしなどと比べて大きな差異がある。
集ストによって疑心暗鬼が増幅し、他人から見ると精神的に不安定に見えるのと同様に、テクノロジー犯罪にも犯罪兵器は実際に存在する。
それを受け続けることで自律神経が狂い、さまざまな症状が身体に現れているのではないかと考えられることもある。
確かに症状は精神病の症状をテクノロジーによって現出させたものだが、本当に病気でその症状を感じている患者もいるだろう。
これはテクノロジー犯罪の被害者以外には理解しづらいことだが、これも現実に存在する犯罪だと以前からブログにも書いてきた。
次世代型の犯罪と言えるかもしれないが、現在を生きている人には理解できないことだ。しかし、集ストの疑心暗鬼と同じように、すべてがテクノロジーで引き起こされている犯罪だと思うと、何と言うか… それが既に現実であることがわかる。
テクノロジー犯罪で命を落とした人がいるのだろうか?一撃で殺せるのだろうか?
この2点だけで十分だ。加害者の方、教えてほしい。
これが分かれば、テクノロジー犯罪も屁でもない犯罪だと感じることができる。
真実が目の前に現れれば、警戒レベルを下げることができるわけだ。
これは国内における集ストやテクノロジー犯罪の加害と被害についての話だが、このような方程式をテロに当てはめると、
テロも被害者による報復行為であり、加害者はより力のある存在で、被害者は力のない者たちだ。
テロ犯人も一面では被害者であり、その被害を強大な敵である加害者に報いるための手段としてテロが世界中に蔓延していると考えざるを得ない。
私は言っておくが、被害者の方々には決して報復行為として集スト加害者に一矢報いるために殺人や暴力に走らないようにしてほしい。
これも以前から言っていることだが、日本にテロが起きない保証はどこにもない。集スト被害者による逆切れの犯行はテロと呼んでもいいが、元々集ストがなければ起こらなかった犯罪だ。
精神的に本当におかしな人の犯行なら別だが、集ストによって追い込まれての逆切れ犯行は非常に損な結果になる。
戦う方法はまだ残されているので、決して八方塞がりだと思わず、一緒に戦おう!
そして、逆に集ストやテクノロジー犯罪の監視能力を生かして、海外からのテロに備えることができるとも言いたい。
ともかく、エントリの趣旨は、被害者が安定して平穏に暮らせるようになることを願っている。自殺や逆切れの犯罪は絶対にしないようにと、さまざまな角度からこの犯罪の本質を暴き、粉砕していこうと思っている。