はてなキーワード: 原稿とは
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
うけけけけけけけけけ。
朝から街はざわめき、空気は鉄の香りとアルミの光で充満している。
広報放送は高らかに叫ぶ。「全てのスマフォを供出せよ!アルミを国家のために取り出すのだ!」
犬は遠吠えし、猫は縁側で目を見開き、子どもたちは目を丸くする。うけけけ。
少年カモノハシは母に訊ねた。
母はスマフォを渡しながら答える。
少年は手のひらの重さに、虚しさも加わる。
広場では、特高警察が列を見張り、思想熱37.5度以上の者を非国民として摘発。
犬は空を飛ぶように消え、通りの人々は口角テープで無理やり笑顔を作る。うけけけけ。
作業場では、タカイチョSS部隊がスマフォを分解してアルミを取り出す。
「見ろ! 国の力は、輝く金属の山に現れた!」
兵士たちは胸を張るが、スマフォの画面に映る自撮りの笑顔は誰のものでもなくなった。
「国の力はアルミで測るのだ!」
スプーンでリズムを取り、スマフォの画面に映る自分の目を睨む者もいる。
「いや、これは記事になるのか? いや記事にしてはいけないのか?」
彼の頭の中で「うけけけ」のリズムが鳴り止まず、タイプ音と混ざり合う。
午後になると、連立政権を離脱したペンギン党員たちも呼ばれ、意味のない重労働に突入する。
少年カモノハシは小声で呟く。「未来って、こういうことだったのかな……」
その声は風に消え、アルミの山に吸い込まれる。うけけけけけけけ。
子どもたちは混乱し、犬も猫も逃げ惑う。
「今日も国は強くなった、明日はもっと多くのスマフォが集まるだろう」
街の片隅で、少年カモノハシがつぶやく。「これ、いつまで続くんだろう」
しかし声はアルミの山に吸い込まれ、タカイチョのオーケストラに溶けていく。
うけけけけけけけけけ。
俺は高市さんの人となりや政治的な姿勢については全くと言って評価してないけど、それでも高市さんが首相になるのは意味があるので、今回は首相になってもらえばいいんじゃないかと思ってる。
初めてというのはともかくめんどくさいのである。首相ともなると、諸事のお膳立ては周りがやることになるんだけど、そこに前例がない場合にはイチからそれを組み立てなくてはいけない。細かいところでは儀礼上の慣行とかもある。例えば、大相撲の天皇賜杯は女性が土俵に上がらないとするならどうするのかみたいなことを周囲が調整しなくちゃならない。周囲のリソースだって限られてるので、遊説のスケジュールや演説のスピーチ原稿考えなきゃいけない秘書官が、それ系の雑事に時間を取られることもあるだろう。
周囲の受け止め方も初めての女性ともなると色々ある。マスコミの報道とかもめんどくさい。本来は政策に関して議論しなきゃいけない会議時間とか報道リソースがそういうことに一部費やされてしまう。
しかし、女性首相、ということに伴う事象は一過性のものである。最初の女性首相がその辺のことを受け止めてくれれば、次からの女性首相は先代がやってくれたレールに従って動くことで大幅に負荷が軽減されるのである。私は高市さんを評価しないが、来るべき次の「本格的な女性首相」がそうしたことで面倒を抱え込まないためにも、高市さんがやってくれればいいんじゃないかと思うのである。
野球でいうなら、野茂や伊良部やマッシー村上さんとかが色々とめんどくさいところを引き受けてくれたからこそ、イチローとか大谷翔平が活躍できてるんだとかそういうことである。
昨日のNHKで専門家枠で取材されてた人がぺらぺら解説してたところから急に数秒言葉に詰まって「さもありなん」って言ってなんだけど恥ずかしくない?
「さもありなん」って気取った言葉を口語で使うのも賛否両論点だが、言葉思い出せなくてひねり出そうとする背伸び感が丸出しで恥ずかしい。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251002171104# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaN4zmwAKCRBwMdsubs4+ SDiaAP9pHV83i5l8IUugkvJS7U1hFKrI3cf6vaexK0D6HqJzYwD9G7XFtAmJo1g8 Z9wpdjfPt7nqiMbFGYMR+zXKibklSAg= =OxdH -----END PGP SIGNATURE-----
アクメツって漫画なぜかbookliveにないんだな。ニンジャスレイヤーはあるのに。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251002165641# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaN4wPgAKCRBwMdsubs4+ SGl6AQDTTFdBKLNUxmUBXvlWp1JsYB5uSE+5tskWS50tQnxKGwEA3SlQXxSIDHy4 ndM/TdgtXsQHBuHUmJ+ZW1cnvWEbnQo= =ZP2Z -----END PGP SIGNATURE-----
言葉のサラダとは?
「言葉のサラダ」とは、
まるで言葉がごちゃ混ぜになった
具体的には、以下のような特徴が見られます。
連想の飛躍: ある単語から別の、一見関連のない単語へと話が飛んでしまう。
文法の崩壊: 主語や述語が一致しない、語尾が変など、文法的な規則が破られる。
https://www.nagahama-mental.com/entry.php?eid=263667
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251001181858# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaNzyAwAKCRBwMdsubs4+ SPloAP9XKuL1mk8nmdxWZaTMFAck0yBfWkXboWcTBgiUc3G0gQD8D2ae4+DaXvHX sGZvKn8ir1nSFItfxCAmgMi4gZf9egw= =6TJ4 -----END PGP SIGNATURE-----
「悪辣令嬢」ってタイトルとしてありそうなもんだけど少なくともまだ商業レベルにはないようだな。
悪食令嬢はあるのに。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251001172429# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaNzlRQAKCRBwMdsubs4+ SJ/iAQCjF06BT7Vf8xQfIts9i4IJSYhsntsGjpSNmE88bshVLgD8DE7GggBRn9Pg DULsVpNmru/mHKZzwcnorTx0qWje5Qk= =1nY/ -----END PGP SIGNATURE-----
都民にとって火葬は必要なのに周りの県より全然高いのが問題だってさも寄り添ってるふうに言ってる知事さんだが、火葬が必要なのは火葬を事実上法律で強制してるからだろ。
イスラム教徒のための土葬地区も作れなかった文明後進国ニッポンポン!wwwwwwwwwwwwww
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251001161239# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaNzUaQAKCRBwMdsubs4+ SE7VAP0VlpT9DrhvupS+BKluMVLBa+0KhxmWmdWfCAvpDRmXmQEAjyYgUVWr5b3s gvtsZBXEKfQUrGxTxA3mBjOQGskfHgo= =Pv+4 -----END PGP SIGNATURE-----
○○マルアールは~の登録商標です、という書き方の頭の悪さよ。
ヒント:重言
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250930181442# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaNufgwAKCRBwMdsubs4+ SHP/AQDKokzWpNlyHGbp0TlDN4PqG5sd/iw0gSgOiiZzxMjuCgEAzrEnuqbqsP0b Fa0V4leBMNzDo1CiKKn48hHFwiJ5Pgk= =e1Lj -----END PGP SIGNATURE-----
https://x.com/Drmiidrdr/status/1704827734755770830
15:マジレスさん[]:2018/11/19(月)11:34:40.71 ID:+09k4leW
とたずねたら
こういう返答
むしろまともな返答かもしれん
しかし、裏じゃ逆
一番初め、つまり一番槍でパクりを目にしたのは
留年、これをパクった
というより
16:マジレスさん[]:2018/11/19(月)11:41:41.80 ID:+09k4leW
一番信用しちゃいけない会社を信用したのが間違い
多くの人は言う
「あのときムショに行かなければ」
でも、これ
後手の状況からみれば
あのクソアニメ会社が一番やりそうなことって
あの時点で原稿叩き落として裏切ることだったんだよな
どちらにしても
そして、後々パクられて原稿の意味がなくなってたことも、実は回避できなか
った、ということだ
これは僕も言い辛すぎて口に出さないでいたけど、
けど"数十億分の1"とかってほぼ『無』だよ。
と京アニ事件の被告は言ったんだが、インターネット住民はキチガイ扱いした。
でも、別のケースだと
https://posfie.com/@migurumi_a/p/oGUYYXx
『パリピ孔明』原作者の新作『異世界駆除おじさん』、『駆除人』まんま過ぎると話題に。パクリ炎上/なろう垢BANの前科も覚えておこう
よく分からんな
Cの法規制がBの「外国による情報干渉」に限定されてるのは下線部を見れば分かる
「後者の規制の必要性を説く上で前者に言及する必然性はない」も意味わからん
パラグラフは「そして三つ目の未来像。それは結束する日本です。」で始まってるよな
だから「結束する日本」というビジョンに対してこういうリスクがあって、特に「外国による情報干渉」については規制すべしというのが小林の意見だろ
今はChatGPTなどの生成AIがあるから、3分間スピーチの原稿を作成するのは、かなり楽になってるはず。
ふたつくらい個性的な内容のものを用意していれば、誰かと被ることは、ほぼ無くなる。
ただ増田が書いているような形式で3分間スピーチをする会社に務めているとして、僕なら、こんな風に考えてやってみる。
一般的な話をすると人と被る確率が高いなら、個性的な話を用意しなくていけない、ということだ。
個性的であれば、人と被ることはない。
では、個性的というのはどういうことなのかといえば、それはもう細部にこだわるしか無い。
たとえテーマが同じでも、切り口や捉え方、感想、どう思ったか、が人と違っていれば、それは別のスピーチになる。
同じ天気の話をするにしても、今日は雨でうっとおしいですね、と話すか、実は僕は雨が大好きなんですよ、と話すか。
それによって話の内容は異なる。
「雨の日になると思い出すのが、小学校2年生のことです。同級生の〇〇くんが傘を忘れて……、」
こんな風に続ければ被ることは絶対にない。
ただ作り話なんてする必要もないと思う。
自分の中の、雨というものに対するものすごい小さなこだわりを話していれば、
ときに「わかるわー」
と共感されることもあるだろうし
ときに「なにそれ?」
と理解されないこともあるだろう。
そして、そんな話を積み重ねていくことで何がわかるかと言えば、自分で自分自身のことがわかってくるという効用だ。
なかなか、大人というのは忙しすぎて、自分の中のリアルタイムの個性というものを見つめ直す時間というのは意外に少ない。
とくに昨今のSNSだとかTikTokだとか、小さな刺激を次々に切り変えては、感情を上げたり下げたりすることに夢中になるような余暇の使い方をしているとそうだ。
そういう中で自分のこだわりだとか、「昔は好きではなかったことが、今は好きになっているんだな」、とか気づける機会が日々のルーティンの中に組み込まれているというのはそんなに悪くない。
更に付け足すと、これは人から褒めてもらうためにやることではない。
3分間スピーチに、気持ちが重くなる人は、他人からの目を意識しすぎていることに気づかなければならない。
結局、スピーチの内容の出来不出来を、「他人がどう評価するか?」ということを軸にして心配し過ぎなのだ。
それはビクビクと他人からの目、人からの評価を意識し過ぎながら生きているようなものだ。
そりゃしんどくなる。
そうではなくて、自分の3分間スピーチというものに対して、自分自身がどのように評価するか?ということに軸をおいていくべきなのだ。
他人から見て、意味がないスピーチでも、自分の中では思わぬ気づきがあったりすることだって絶対にある。
というか、むしろそういうことのほうが多い。
ということに気づけるかどうか?……、などと考えを発展させていくと3分間スピーチというものが楽しみで仕方が無くなっていくのではないだろうか?
作者のXでは楽しくラクガキ投稿やゲームをしてる近況報告あるも連載再開未定
もう一つ別の作者では休載したがその後原稿アップやファンレターもらった投稿があり安心するも、その後一切投稿無しで再開未定
俺の読んでる漫画は呪われてるのか?
小林鷹之氏は、2025年9月16日の記者会見で、次のように述べた。
そして三つ目の未来像。それは結束する日本です。今SNSでは、偽情報があふれている。差別的な表現もある。そして、この気持ちを煽る扇情的なショート動画に子供たちがくぎづけになっているような姿をみると、少し不安になりますね。この先日本社会、もう少し分断していくのかなと不安になります。そして特に外国勢力による情報干渉、これは絶対止めなきゃいけないと思ってます。見えないところで、偽情報によって、民主主義が侵されているんです。私は、こうした分断勢力を絶対に許さない。イギリスなどを参考にしながら、外国による情報干渉については、刑事罰や登録制度をしっかりと設けて、日本の民主主義を守ります。社会の結束を守ることは政治の責任です。
上記の記者会見を受けて、小林氏がSNS規制を主張しているとの理解が広まった。
これについて、小林鷹之氏は、2025年9月19日、「小林鷹之事務所」(@KOBAHAWK_JIMU)のXアカウントで、上記の記者会見の原稿のスクリーンショットを添付した上で、次のように述べた。
こちらのご理解は誤りです。
小林は「SNSそのものの一律規制」ではなく、イギリスなどの制度を参考に外国勢力による情報干渉への対処を述べました。
出馬会見の該当発言全文はこちらをご確認ください(↓)。
誤まった情報の拡散防止にご協力ください。
https://x.com/KOBAHAWK_JIMU/status/1968998195230392398
小林氏の記者会見での発言は、前半と後半で異なることを述べており、前半は、イギリスのSNS規制法であるOnline Safety Actのことを、後半は、イギリスの外国勢力によるスパイ行為や干渉に対処するための法律であるNational Security Act 2023(第4部が登録制度を定めている)を指している可能性が高い。
SNSの問題と外国勢力による干渉の問題は、関連するが別の問題であり、後者の規制の必要性を説く上で前者に言及する必然性はない。小林氏の記者会見での発言でも、両者の関係は明示されていない。そうである以上、前半はSNS規制を、後半は外国勢力による干渉の規制を主張していると理解するのが一般的な受け止めだろう。
それなのに、特段の説明なくSNS規制は主張していないと主張するのは、不誠実なのではないか。
もちろん、外国勢力による干渉の透明化は検討されてよいが(その場合、日本企業のロビイングの透明化も検討課題になるだろう)、偽情報対策は政治家による不都合な言説の抑圧と隣り合わせであり、誠実な人物が中心となるべきである。
3行程度?これ 原稿用紙に書いてみなよ
先週の水曜日、久々に電車を乗り間違えた。乗る予定だった快速に間に合わず、鈍行に飛び乗った瞬間、スマホがないことに気づいた。鞄の中をひっくり返しても出てこない。心臓がキュッとなったまま、僕はそのまま降車ボタンを握りしめた。
「終わった……」
そんな気分で座席に突っ伏していたら、隣のサラリーマンが「スマホ出しっぱなしだよ」と僕のスマホを差し出してくれた。自分のズボンのポケットからスルリと落ちて、あのとき僕は絶望と救いを同時に味わった。
金曜日はカフェで原稿を書こうと思って早めに家を出たのに、規約改定の通知メールに気を取られて、気づけば店内の電源コンセントには誰かのスマホが4台も占領していた。まるで現代の寺院か何かかと思うほどの勢いで、人々はスマホを充電していた。僕は仕方なくスタバの横のコンビニでコーヒーを買い直し、立ち飲みで原稿を打った。
土曜日は久々に友人とオンライン飲み会を開いた。Zoomで顔を合わせた瞬間、「なんか肌が綺麗になった?」と言われて、30分でスキンケアの話を延々と聞かされた。結局、カメラ越しに高級クリームの通販サイトを3人で覗き込み、散財の予感で夜を終えた。
日曜日の夜、ベッドの枕元には充電器に繋がれたスマホが三つ並び、通知音がリレーのように響き渡った。僕はそれを全部サイレントにして、慌ただしく歯を磨いた。鏡の前で自分の顔をじっと見つめ、明日からまた乗り過ごさないようにと心に誓った。
最近の僕はこんな感じで、電波と通知に囲まれながら小さなドラマを繰り返している。平凡な日常のはずなのに、たまに訪れるほんの少しの異変が妙に心に残る。おそらく、これが僕という人間の「仕草」なんだろう、と思う。
そして火曜日。朝のカフェラテを買いに近所の自販機へ向かったら、100円玉が詰まって落ちてこない。自販機を揺すっている僕を、横を通り過ぎる小学生が不思議そうに見つめていた。結局、お釣りレバーをガチャガチャと引きながら、後ろに並ぶ人たちの視線が背中に刺さるのを実感した。
同じ火曜日の夜には、久しぶりに夜風に当たろうとベランダへ出た。腕時計を忘れて外に出たことに気づいて、一瞬「時間なんてどうでもいいか」と思った。でも、空に浮かぶ月を見たら、何かを忘れていた自分を思い出した。たぶん、大切な約束だった。
水曜の昼下がり、オフィスの自分の席に戻ると、机の上に見知らぬ封筒が置いてあった。開けてみると、先輩からの差し入れの焼き菓子と「頑張れよ」とだけ書かれたメモが一枚。小さな包みと一言が、妙に心に沁みた。
そして今、また週末が近づいている。僕はスマホを手に取り、見慣れた通知アイコンを見つめたまま、ふと思う。「こんな些細な出来事が、いつか大袈裟な物語になるのだろうか」と。カチャリとロックをかけて、その疑問をそっと胸にしまい込んだ。
数百万円単位で金の余裕があるなら、協力出版と呼ばれるジャンルの会社に相談してみるのも一つの手ではある。
向こうも商売なので、ストーリーを形にするくらいまでのアドバイスはもらえるかもしれない。そうしないと本が出来上がらないからね。
ただ、この形式は、高い費用負担が必要な割に、本の所有権は出版社側にあるため、自分で引き取って配ろうとしても買い取らないといけないとか、いろいろ難点はあるので、金はいくら掛かっても本にしたいという人にしかオススメできない。
自費出版は原稿があってからがスタートだから、ちょっとハードル高いかも。
自分史みたいなノンフィクションなら、書き方の指導からやってくれる会社も多いけど、小説のストーリー作りから助けてもらうのは厳しいかも。
そのアンソロは漫画も小説も収録されてて、私は小説を寄稿したんだけど、
漫画描いてる人は他の人に気を使ってなのか2ページとか8ページとかで短い原稿を描く
参加者である自分のページが多かったら「浮く」とか配慮して少なめなんだろうなって思う
小説は5000字〜一万字もあればかなりの情報量でストーリーが書ける
漫画で情報量を多くしようとすると当然、ページ数を増やす、セリフをたくさん書いたり、モノローグの文章が長くなったり、たくさん背景等を書き込んだり
情報量を多くするという意味では漫画は短編であればあるほど小説より不利だなぁと思った
本屋で売ってる漫画本、小説本もそうで、小説だと漫画よりも情報量が多い小説が1000円以下でたくさん売ってる
文庫本がたとえば1冊900円だとして、100冊読んでも9万円だし
久しぶりに友人(A)と遊んだ。といっても一緒に何かをするるわけではない。誰かの家でお互いに違うゲームで遊んだり、TVでYouTubeを見る人もいる。
Aと他にも別の友人がいて合計6人。
で、そのAは同人誌を作っている。締め切りが近いとのこと。
思いっきり奇声をあげる。そこまでは構わなかった。しかしその後に手をたたき始め、大きな音を急に出す。
びっくりした。テレビの音くらいしかないのに急にとんでもない爆発音を出す。
そして「あ"ーーーーー!!!!!💢」って言いながら足をドンドンする。文字だとただ叫んでいるだけかと思うかもしれないが、違う。怖いのだ。人がいる中で急にキレ散らかすのだ。怖いのだ。
尋常じゃないキレ方だ。持ってるタブレット壊れちゃうよ!って言いたくなるくらいあばれるのだ。
恐怖を覚える私に友人らは「ちょっと前からこんな感じなんだ」とスルーしている。
いやいや、「締め切り近くて狂っちゃうわ笑」のレベルを超えているが?まず椅子を蹴飛ばすのは怖いよ。それで急に自分を殴りだすのも怖いよ。髪をむしるんだが…。
その状態でAは意味不明な言葉も発する。そして急に「くそくそくそ」「酒でラリんないと」「(よくわからないが、何かこちらに自慢気に話している)」とブツブツ言う。
しばらくすると普通になる。そして狂って、また落ち着く。
ちょっとついていけない。無理だった。恐怖だった。自分もちょいと前に同人誌を書いたが、流石にこうはならない。というかそんな暴れないし、疲れても暴言や暴力しないし…。
社会人になったのに、人がいる中で暴言暴力でそれを咎めない周りもちょっと無理だった。
Aはそれで何か諭してくる。恐らく物語の基礎とか言葉の本来の意味とかそういうのだ。でもさっきまで暴れ散らかして、こちらが「びっくりするから、控えてほしい」といったのにも関わらずに何か叱るように自慢気に作品とは何かと言い始める。そして急にバカでかい音を鳴らす。キッチンに行ったかと思えば奇声とともにカンカンカンカンと爆音を放つ。
こちらが言ったことに対して「いやでも」と否定を重ねる。その毛は前からあったが、今は上記の謎ギレの匂いも合わさって怖い。将来像を聞いたら怖かった。なんというか他人は全て自分自身の寂しさや虚しさを埋めるだけの存在でしかない感がやばい。相手の感情はどうでもいい感じ。
前はこんな感じじゃなかったんだが、どうしちゃったんだろう。他の友人に聞くと鬱→酒飲みのせいらしい。他の友人らはAによく会うから知っている。あぁ、だからAに対して介護というか何か「大丈夫だよ〜」とよしよしするのか。もうAが介護される側で、他の4人が介護する側な雰囲気だった。
助けたい気持ちより恐怖が勝ってしまった。長い付き合ったんだが、助けたいより怖いがかった。ごめん。自宅に帰ったらどっと疲れたんだ。友人らと遊んで楽しい思い出より、疲れたって思いと否定ばかりされた悲しさが勝った。
もう、遊ぶのやめようかな。