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はてなキーワード: 黎明期とは

2025-06-17

【ChatGPT/DeepResearch】はてなブックマーク人気コメント思想的傾向2

https://anond.hatelabo.jp/20250617074316 の続き

20202024年: 論調多様化と新旧勢力交錯

2020年代に入ると、はてなブックマークの人気コメント欄にも徐々に変化の兆しが現れてきました。 リベラル派の根強い存在感は続いているものの、従来は埋もれがちだった保守右翼寄りの意見新世代の視点が目立つ場面も散見されるようになったのです。「リベラル一色」だった状況にやや揺らぎが生じ、思想的な多様化が進んできたとも言えます象徴なのは、国際情勢や安全保障をめぐる議論における変化です。2022年にはロシアによるウクライナ侵攻という大事件が起き、日本国内でも安全保障論議が活発化しました。はてなブックマーク上でも当初はロシア非難ウクライナを支持するコメント大勢を占めましたが(これは保守リベラルを問わず日本社会全体のコンセンサスでもありました)、次第にリベラル派内部の路線対立が表面化します。例えば「即時停戦・和平交渉を」というリベラル知識人声明に対し、ある人気コメントが「日本自称リベラル勢は(中国提案するような)領土放棄停戦呼応している感じですね。次は台湾有事から良い予行演習かも」と皮肉りました。これに対し別のユーザーが「“日本自称リベラル”って誰のこと?そんなの維新れいわ(※保守系と左派系の新興政党)くらいでしょ」と反論するなど、リベラル陣営内での意見の食い違いが可視化されたのです。従来、平和主義的な姿勢が強かったはてな左派ですが、ウクライナ戦争を機に「現実的安全保障」を訴える声にも一定の支持が集まるようになりました。これは従来なら埋もれていた保守タカ派寄りの意見(=ウクライナ支援しつつ自衛力強化を主張する立場)が、2020年代には一部ユーザー共感を得て表面化してきたことを示しています。 一方、国内政治社会問題については依然としてリベラル優位の構図が続いています2020年前後からジェンダー平等多様性をめぐる論争(いわゆる「ジェンダー論争」)が社会の大きなテーマとなりました。はてなでもフェミニズムLGBTQに関する話題が頻出し、その度に進歩的価値観擁護するコメントが多数のスターを集めています。例えば2021年東京五輪組織委員会森喜朗会長(当時)が「女性が多い会議時間がかかる」など女性蔑視発言をして辞任に追い込まれましたが、関連ニュースはてなブックマークでは「時代錯誤にも程がある」「森氏の発言五輪憲章に反する差別だ」等のコメントが軒並み支持されました(国内外批判報道を受けて森氏は辞任しました)。また2023年にはLGBT理解増進法を巡り与党内で紛糾がありましたが、この話題でも「性的少数者権利擁護は当然」「差別発言をする政治家は許せない」といったリベラルな主張が人気コメントの大半を占めました。ジェンダー関連では相変わらず**「はてなフェミ」とも呼ばれる勢力が健在で、例えば選択夫婦別姓話題では「誰も困らない制度なのだから実現すべき」という趣旨コメントが毎回スターを集めるのがお決まりになっています。実際、2025年1月匿名ダイアリー投稿された「夫婦別姓話題になると毎回『選択制なんだから選ぶも自由選択肢が増えるだけ』ってブコメスター集めてるけど本当か?」という問いかけにも、多くのブックマーカーが反応しました。注目コメントでは「9割方同意人民権利拡大として選択的別姓は望ましい制度」と、問いかけ主を支持しつつ制度導入を肯定する意見が示されています

このようにジェンダー平等を推進するリベラル姿勢**は2020年代でもはてな人気コメントの主流であり続けていますもっとも、2020年代には上記のようなリベラル優位の中にも一部保守右派コメントが目立つケースが出てきました。特に外交安全保障に絡むテーマや、一部のフェミニズム過熱への反発など、従来はてなでは埋もれがちだった声が表に出る場面が増えています。例を挙げると、2023年末に起きたM-1グランプリ漫才ネタ中国揶揄騒動があります女性自身の記事によれば、とある漫才師がネタ中で中国政府や中国人を揶揄する表現を用いたため物議を醸しました。このニュースに対するはてなブックマークの人気コメント欄では、「最低…中国人の部下がいるけど皆誠実で頑張っている。こんなネタが耳に入ったら遣る瀬無い。私は個人としてこのネタ表現自由を全力で否定する」という極めて厳しい批判コメントトップに立ちました。他にも「中国人の友達がいるが皆真面目で優秀だ。だからこういう揶揄ネタは本当に嫌いだ」といった声も上位に並び、差別表現への即座の拒絶反応を示しました。これらはいずれもリベラル価値観(反人種差別)に基づくコメントですが、その表現はかなり過激で、漫才という芸術表現に対して「自由否定する」とまで言い切る姿勢には賛否も分かれました。実際、この件を巡ってはてなユーザーのあり方自体批判するブログ記事も登場し、「漫才意図理解せず反応するはてな民は抽象思考が苦手だ」と揶揄されています

このように、依然リベラル派の声は強いものの、その語気の強さや過激さに対して異議を唱える向きも出てきており、コミュニティ内の世代間・思想ギャップが表面化していると言えるでしょう。 さら2020年代には、経済雇用問題に関する議論でも興味深い現象が見られます。従来、雇用の流動化や規制緩和にはリベラル派でも賛否割れテーマでしたが、はてなでは基本的労働者寄りの視点が支持を得てきました。例えば2025年に入って注目を集めた派遣労働雇用慣習を巡る議論では、マレーシア在住の日本社長が「日本ダメにしたのは派遣労働だと叫ぶ人がいるが、それは短絡的。本当の問題日本の腐った雇用習慣だ」と指摘したことに対し、はてなブックマークでも活発なコメント議論が展開されました(togetter経由の話題)。このエントリーの人気コメント筆頭には、「違いますよ。従業員に金を支払わない経営者問題ですよ。雇用期間が限定される派遣は常時勤務の倍以上の給与義務付けるのがスタート…(中略)今やってる経営者実刑にして…」といった声が挙がりました。つまり、「派遣問題なのではなく、正社員派遣に関わらず労働者に正当な報酬を払わない企業側にこそ問題がある」という労働者擁護左派論点が強調され、これに多くのスターが付いたのです。他の注目コメントも「解雇規制緩和よりも同一労働同一賃金の方が重要では?」「労働市場の流動性を高める方策こそ優先」といった具合に、企業寄りの論理より労働者権利待遇向上を重視する意見が大半を占めていました。このケースは、2020年代に入ってもなお経済雇用分野ではリベラル左派的な視点弱者救済、公平な待遇要求)が共感を集めていることを示しています。 以上のように、**20202024年はてなブックマーク政治談議は、「基本的にはリベラル優位だが、一部テーマ論調多様化が進み、右派寄り意見や新しい視点も顔を出し始めた」**とまとめられます。依然としてリベラル派の牙城であることに変わりはありませんが、ユーザー層の世代交代や社会全体の論調変化を受け、人気コメントの傾向にも変化が生じています特に安全保障表現自由を巡る問題では、従来の左派コンセンサス疑問視するコメントが現れたり、逆に従来以上にリベラル色を強めたコメントが物議を醸すなど、新旧勢力がせめぎ合う局面も見られますもっとも、それらの意見対立自体が多くのユーザーの目に触れ活発に議論される点に、コミュニティ多様性拡大の兆しがうかがえますはてなブックマークは長らく「左寄り」と見做されてきましたが、2020年代半ばの現在、その人気コメント欄には従来にはない思想的なコントラストも生まれつつあると言えるでしょう。

はてなスターによる人気順位への影響と評価システムの変化

はてなブックマークの**「人気コメント順位は、ユーザーから付与されるスター(★)の数と質によって決定**されていますスターは他ユーザーから共感や支持を表す仕組みであり、この数が多いコメントほど「注目コメント」として上位に表示されやすくなりますしかし、スター機能にはコミュニティ思想的傾向を増幅する側面もありました。多数派ユーザーが支持するイデオロギーに沿ったコメントほどスターを集めやすくなるため、人気コメント欄特定思想に偏る要因となり得たのです。 実際これまで見てきたように、長年はてなではリベラルユーザーが多数を占めていたため、自然左派的なコメントほどスターが集まりやすく、「人気コメントリベラル寄り」という図式が生まれていました。例えば2010年頃の証言として、「妙に上から目線で断定口調のコメントスターを集めていて、自分もそれが感染して嫌な人間になりつつあるのを感じた」というユーザーの声があります。この「断定口調の人気コメント」が指すものの多くは、当時の多数派であるリベラル層の賛同を得やす論調権威対象皮肉交じりに断罪するようなコメント)でした。スターという評価経済が働くことで、ユーザーはより多くの支持を得られる表現無意識模倣し、結果的に似たような価値観文体コメントが増幅される現象が起きていたわけです。 もっとも、運営側もこの問題認識し、評価アルゴリズム改善に取り組んできました。2021年6月には、はてなブックマークの人気コメント算出アルゴリズムが変更され、様々なコメントが表示されやすくなる施策が導入されていますさらに同年7月にはヤフー株式会社が開発した「建設コメント順位付けモデル」を組み込むことを発表し、攻撃的・不適切コメントが人気欄に露出しにくく、代わりに客観的根拠を示す建設的なコメント上位表示されやすくなるよう改良が加えられました。このモデル機械学習を用いてコメント内容を評価するもので、「新たな見識を提供しているか」「冷静で有益か」といった点にスコアを付ける仕組みです。はてなはこれを取り入れることで、単純なスター数の多少だけでなくコメントの質を考慮した順位付けを開始しました。 この変更の効果として、従来であれば過激表現ながら多数派の支持を集めたコメント(例えば「○○は○ねばいい」といった極端な意見)が上位に来ていた場面が抑制され、代わりに多少スター数は少なくても穏当で有意義コメントが表示されるケースが増えました。つまりスターによる多数決的な偏りをアルゴリズム補正し、より多角的意見が目に触れるよう工夫されてきたのです。この結果、思想的にも以前ほど一辺倒ではないコメント欄が実現しつつあります。実際2020年代半ばには、安全保障外交話題で以前なら埋もれていた少数派意見が注目コメントに現れるなど、多様化兆しが見られました(前述のウクライナ情勢に関する意見対立露出などもその一例です)。 もっとも、スターのものの影響力が消えたわけではありません。現在でもやはり多くのユーザーからスターを集めるコメントは「注目コメント」として認識されやすく、コミュニティ多数派傾向を映す鏡であることに変わりありません。ただ、その多数派が時と共に入れ替わったり価値観シフトさせれば、人気コメントの傾向も変わっていきますはてなブックマークでは、スター機能ユーザー同士の共感ネットワーク可視化する役割果たしてきましたが、運営アルゴリズム調整によって極端な偏りは是正されつつあります。言い換えれば、スター経済はなお思想傾向に影響を及ぼすものの、その影響は以前より緩和され健全化しつつあると言えるでしょう。 以上を踏まえると、2005年から2025年にかけてのはてなブックマーク政治系人気コメント思想的傾向は、ユーザー層や社会情勢の変化とともにリベラル優勢の成立→固定化多様化への兆しという流れを辿ってきました。初期には玉石混交だったコメント欄も、やがてリベラルコミュニティによる独特の言論空間形成し、長らくそれが多数派として続きました。しか2020年代に入り、社会全体の右傾化左傾化議論の影響や評価アルゴリズム改善もあって、はてな内でも「右寄り」のスタンスが目立つ場面が出現するなど、緩やかながら変化が起きているのが現状です。もっとも、依然として人気コメントの多くはリベラル価値観に根ざしており、基本構図は維持されています。ただ、その表現スタイルや細部の論調時代とともに移り変わっており、今後もユーザーコミュニティの動向次第で人気コメント思想的傾向は変化し続けるでしょう。 最後に、年代ごとの傾向を簡潔にまとめた表を示します。

年代(期間) 人気コメントの主な思想傾向 傾向に影響を与えた主な社会政治イベント

2005〜2009年コメント内容は玉石混交だが、徐々にリベラル志向が台頭

ネット右翼的言説は少数派で、反権力反体制の声が目立ち始める 郵政民営化小泉改革)への評価、長期自民政権への批判2009年政権交代(民主党政権誕生)への期待

2010〜2014年リベラル/左派コメント圧倒的多数派となり定着

フェミニズム人権擁護論調が強まり保守派への批判が集中 2011年東日本大震災原発事故脱原発論の高まり)、民主党政権の迷走と崩壊2012年第2次安倍政権発足(右傾化への反発)、ネット上のヘイトスピーチ問題顕在

2015〜2019年リベラル優位が続く一方、コメント傾向の内輪化・ Permalink | 記事への反応(1) | 07:47

【ChatGPT/DeepResearch】はてなブックマーク人気コメント思想的傾向1

2005〜2009年: サービス黎明期リベラルコメントの萌芽

はてなブックマーク創設期(2005年前後)には、ITリテラシーの高いユーザーが集まり始め、政治社会系の記事にもコメントが付くようになりました。当初はユーザーコミュニティの規模が小さく、議論は活発でしたが、コメント内容には玉石混交の傾向もありました。例えば2007年頃には、ある有名ブロガーが「もしネット右翼メッカ2ちゃんねるだとすれば、ネットイナゴ烏合の衆)が集まるのははてなブックマークだ」と苦言を呈しています

実際この時期、記事内容を論理的批判するコメントは少なく、**「バカ」「○ねばいいのに」**といった過激罵倒スラングが人気コメント欄に並ぶこともあり、2ちゃんねる的な粗野さが指摘されました。

はてなブックマークコメント欄は当初、必ずしも洗練された言論空間ではなく、極端な言葉遣いや叩きがスターボタンによって増幅されるケースも見られたのです。 とはいえ、この黎明期には既にリベラル寄りの思想傾向が芽生えていました。長年自民党政権が続く中、ネット上では権力改革志向の声も強まりはてなユーザー例外ではありませんでした。たとえば当時「はてな左翼はてサ)」と呼ばれる進歩的ブロガー/論客が台頭し始め、歴史認識人権問題保守派批判する動きが散見されます

実際、南京事件憲法9条などの論戦では左派スタンスユーザーが詳しい知識議論リードし、右派的主張に反論説教するといった場面も見られました。

極端な例では、ある著名ユーザーが「『自衛隊人殺し』『日本人という存在自体が悪だ』」とまで発言し物議を醸したこともあります

こうした過激表現はさすがに例外ですが、総じて反権力リベラル志向コメント共感を集めやすい土壌が形成されつつありました。2009年政権交代自民党から民主党へ)の際にも、はてなブックマーク上ではそれを歓迎・期待するリベラルユーザーコメントが多く見られ、長年の保守政権に対する変革への期待感が読み取れますもっとも、この時期のコメント欄はまだ手探り状態で、思想スタンスよりもコメント文化自体模索が続いていたとも言えますスター(★)による評価システムも始まったばかりで、どのようなコメントが支持を集めやすいかユーモア皮肉批判精神など)コミュニティ全体で試行錯誤している段階でした。

2010〜2014年: 左派コメントの台頭とコミュニティの活発化

2010年代前半になると、はてなブックマーク政治コメント欄ではリベラル左派)的な論調がいよいよ優勢となっていきました。民主党政権(2009〜2012年)の発足や2011年東日本大震災福島第一原発事故といった出来事を契機に、反原発・反権力の声がネット世論で高まりはてなでも人気コメントとして多くの支持を集めました。たとえば震災後の原発政策を巡っては、政府や電力会社批判するコメントスターを集め、「脱原発」「政府隠蔽体質批判」などリベラル色の強い意見が目立ちました(※当時、多くのはてなユーザー原発推進派の政治家・官僚に厳しい目を向け、代替エネルギー市民運動を支持する姿勢を示していました)。また、2012年に第二次安倍政権が発足すると、保守色の強い安倍政権政策憲法改正論議国粋主義発言など)に対し、はてな人気コメント欄では批判的な論調が一貫して支配的になります。「はてな左翼はてサ)」**と総称された進歩的ユーザーコミュニティがこの頃確立し、彼らが多くのスターを集めるコメントを量産したのです。

具体的な傾向として、保守ナショナリスト的な対象への批判揶揄が盛んでした。たとえば2012年前後には、大阪市長橋下徹氏(保守的・改革派の政治家)に批判的なコメントや、石原慎太郎都知事過激発言皮肉コメントが多数支持を集めています。実際、あるユーザーは「坊主(橋下)が憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺をもじり、橋下氏の行動全般を痛烈に批判してスターを集めました。

またヘイトスピーチなど社会問題化したテーマでは、右派的な差別扇動に対する強い糾弾が人気コメント欄を賑わせました。2013年から在日コリアンに対するヘイトデモ問題視され始めましたが、その際もはてなでは反レイシズム立場から表現の自由を履き違えた差別は許されない」といったコメントが支持を集めています2016年ヘイトスピーチ解消法成立に至る世論形成にも、そうしたネット上の批判世論が背景にありました)。このように、2010年代前半のはてなブックマークリベラル志向の論者が主導権を握り、保守的な主張や差別的言説には厳しい反応が集まる傾向が強かったのです。 同時に、ジェンダーマイノリティ権利に関するトピックでもリベラル寄りのコメントが目立ちました。例えば女性LGBTQの権利問題についての記事では、「多様性尊重」や「男女平等」を訴えるコメントが人気化しやすく、ミソジニー女性蔑視)的な発言や古い価値観への批判が数多く見られました。はてなコミュニティ内でもフェミニスト観点を持つユーザーが増え、「はてな村」のフェミニズム論争が活発化します。これに対し一部では反発も生じ、2014年には匿名日記上で「はてブって女性のことになると、ネット右翼よりも全体主義低能集団集合知ではなく集合恥だな」という辛辣批判投稿されました。

この発言者は、はてなブックマーク上で女性擁護フェミニズム的主張ばかりがスターを集める状況に苦言を呈したものです。「日本人からすごい!女性からすごい!──ネット右翼とはてフェミってどっちも変わらん」とも綴られており、愛国心を拗らせたネット右翼と同様に、はてなリベラルフェミニスト層も思考が偏っていると批判していました。このような反発意見自体が注目されるほど、当時の人気コメント欄はリベラル(時に急進的)一色になりがちだったと言えます。実際、2012年にはあるユーザー右派新聞記者産経新聞阿比留記者)への個人攻撃をたしなめたところ、「相手があの記者から何を言ってもいいのか」と諫めた彼自身が「はてなサヨク」層から猛反発**を受けたというエピソードも伝えられています

このように2010年代前半は、リベラルユーザーが結束してスターを投じ合い、彼らの価値観合致しない意見には容赦なく批判が向けられる風潮が強まりました。 **まとめると、2010〜2014年はてなブックマーク政治ジャンル人気コメントは「リベラル派が主導し、保守派差別的言説への対抗言論が突出した時代」でした。民主党政権期のリベラル改革期待、そして第二次安倍政権開始後の保守回帰への反動もあり、左派的なスタンスコメントが常に上位を占める傾向が続きました。もっとも、コメント全体のトーンとしては皮肉辛辣さも増し、しばしば断定口調で上から目線批評スターを集めるという独特の「はてな語り」**も醸成されていきました。

実際あるユーザー2010年時点で「妙に上から目線で断定するコメントスターを集めていて、いつの間にか自分まで嫌な人間になりかけた」と感じ、はてなブックマーク熱が冷めたと告白しています

それでもなお、この時期は活発な左派言論によって他のネットコミュニティにはない独特の盛り上がりを見せていたと言えるでしょう。

2015〜2019年: リベラル優勢の定着と内輪化の進行

2015年以降も、はてなブックマーク上の政治コメント基本的リベラル左派)優位の傾向が継続しました。 第二次安倍政権下で保守色の強い政策が次々と打ち出される中、人気コメント欄ではそれらを批判揶揄する声が依然として主流でした。象徴的な出来事として、2015年安全保障関連法案(いわゆる安保法制強行採決があります。このとき国内で大規模な反対デモSEALDsなど若者中心の抗議運動)が起きましたが、はてなでも法案批判的な意見圧倒的多数を占めました。「憲法違反だ」「民主主義危機」「戦争法反対」といったコメントが軒並みスターを集め、安倍政権右傾化への強い警戒感がうかがえました。また2017年前後森友・加計学園問題政権スキャンダル)でも、真相解明を求める論調や「安倍晋三首相責任を取れ」といった厳しい批判コメントが人気上位に並び、政権追及一色の様相でした。このように安倍長期政権に対する不信・批判はてなでは一貫して根強く、人気コメント思想スタンスは反権力リベラル路線が盤石だったといえます。 同時期、社会文化的な論争でもはてなの人気コメントリベラル派に軍配が上がることがほとんどでした。例えば2018年には東京医科大学入試差別問題女子受験生の点数を一律減点)が発覚しましたが、このニュースに対しては「時代錯誤な男女差別だ」「女性の機会を奪う不公正」という糾弾コメントが大量に付き、スターを集めました。さら2017年から世界的に#MeToo運動が広がり、日本でも伊藤詩織さんの性暴力被害告発が注目されましたが、はてなブックマークでも彼女を支持し日本の性暴力問題警鐘を鳴らすコメントが多数賛同を得ました。逆に、杉田水脈議員による「LGBT生産性がない」発言2018年)など保守政治家の差別的な発言に対しては、「公人として許せない」「差別のものだ」と厳しく非難するコメントが目立ちました(抗議デモ記事にも「まず謝罪を」「議員辞職すべき」といったユーザーの声が集まっています)。

このように、ジェンダー平等マイノリティ人権擁護など進歩的価値観を支持するコメントが引き続き優勢であり、はてなにおけるリベラル志向は揺るがないままでした。 しかし、2010年代後半になると、そのリベラル優勢が「行き過ぎた内輪化」として指摘される場面も増えてきます。活発だったユーザー層が次第に高年齢化し、新規参入者や多様な意見が減ったことで、「同じメンバーによる同じような主張」が目立つようになったのです。実際2020年直前のある分析では、「最近はてブ負のオーラがすごい。一般感覚とかけ離れた左寄りコメで埋め尽くされ、陰謀論じみた人気コメントトップになることもある」と嘆く声がありました。

このユーザーは「明らかにユーザーが高年齢化し、40代前半くらいのおっさんばかりになった」と指摘しています。つまりネット上で極端なイデオロギーを露わにする層は中高年男性が多く、はてなブックマーク左翼のおじさんの溜まり場になってしまったという自己分析です。この指摘の通り、2015〜19年頃の人気コメント欄では、同じ論調メンバースターを付け合って盛り上がるエコーチェンバー化が進行した側面があります。「安倍政権=悪」「リベラルこそ正義」という大枠に沿うコメントは容易に支持を集める一方で、それに異を唱える意見最初から敬遠排斥されやす空気が醸成されていました。 もっとも、当のリベラルユーザーたちは自分たちの主張を**「正論」「市民感覚」だと信じていたため、そうした内輪化を自覚しにくかったようです。はてなブックマークを長年使ってきた一部のユーザーには閉塞感も広がり、2010年代後半には「最近はてブはひどい」「昔はもっと面白い情報が拾えたのに」という懐古的な意見も増えました。例えばある匿名日記では、「2年以上前からはてブは終わった”と言われているが、最近本格的に面白い情報が見つからなくなった気がする」と嘆かれています。この背景には、政治ジャンルに限らずホッテントリ固定化(いつも似たような記事コメントが上位に上がる)や、新興メディアNAVERまとめTogetterTwitter等)への関心分散がありました。 総じて、2015〜2019年リベラル優勢が定着する一方で、その強い傾向ゆえの弊害(画一化・内輪化)も指摘された時期と言えます。依然として人気コメントは「右派批判」「市民目線政府批判」が主流でしたが、その論調はどこかマンネリ化し、新鮮味に欠けるとの声も出始めたのです。

ただ、この頃まではまだ保守論調が人気上位に食い込むことは稀で、基本路線としては**「反自民リベラル」**の牙城が守られていたと総括できます

https://anond.hatelabo.jp/20250617074749 に続く

2025-06-15

anond:20250614204106

知ったのは9歳以降なので間違えてるところもあるかもしれない

3歳ぐらいまで

母親ネットアイドルで、母親以外は実名サイトに登場していた

色々あって2ch育児板やモデル板に母親の専スレが立ち、母親本人も2ch降臨鬼女レス

応募した視聴者の家に撮影しにいくという番組が当時よくあり、母親はるかぜちゃんと共に出演

それまでは鬼女と戦ってるだけの隠れた存在だったが、テレビ出演で大勢の目にとまったことでアイドル以前の経歴が発覚したりして、サイトが荒らされ閉鎖

入れ替わりに、3歳にして文章力がある天才はるかぜちゃんブログを開始

子供なら叩かれないと母親なりすましてるんだろ」と決めつけられつつも、子供相手だと叩きにくいのか鬼女による叩きはフェードアウト

9歳まで

当時は中川翔子ブログを1日に何度も頻繁に更新するのが話題となり、中川ファンだと語っていた母の影響ではるかぜちゃんブログを頻繁に更新

年齢一桁とは思えない、ひらがななだけで文章力あるブログだったが、あまり話題にならず

ドラマ映画で大きな活躍をすることはなかったが、早泣き子役としてバラエティ番組に出演し話題

「お母さんが宇宙人さらわれたら」などギャグっぽいシチュエーション叫びながら泣くのが特色だったらしい

9歳の時に、漫画表現規制に反対する「都条例ぷんすか」でTwitterにて話題となりフォロワー十数万人のインフルエンサー

Twitter黎明期で、まだ芸能人テレビ中の人ネットになんか降りてこないという風潮のある中で、一般人と絡みまくり大人のように難しいことをいう小学生として話題

高校ぐらいまで

母親保護猫界隈の活動で揉めて2chペット板に専スレが立ったりした

はるかぜちゃん発言毎日のように数万いいねがつき、ネットニュースになり、2chでもスレが立ちまくった

スレであるアンチスレU15アイドル板→Twitter観察板と場所を変えつつ300スレ以上の歴史を重ねていった

そういえばU15板は児童ポルノ画像を堂々と貼る奴ばかりなせいで今は廃止されてもうないんだよな

ネット話題性にあふれる一方で、歳を重ねていくと早泣き芸で呼ばれることもなくなりテレビ出演はほぼなくなった

なんJ民はVPNを駆使しながら「殺害してドラム缶に詰める」などと脅したり、出演イベント爆破予告して潰すなどの嫌がらせをした

中学時代は、早朝までレスバして昼になったら投稿再開という生活サイクルのせいで不登校説浮上

高校通信制に進学し、「大人顔負けの賢い少女」としての支持が弱まり話題性は薄れていった

その頃には「ネット活動する子供」は珍しくなくなり、もっと年下の子供がYouTubeやインスタで続々と人気を得ていった

訴訟

ネットで叩かれても見なければいいだけ」という風潮が変じ、「ネット現実だ、中傷事件化すべき」という考えが強くなっていき、高校生になったはるかぜちゃん中傷犯を次々と訴えていくようになった

一番最初相手地位のある男性で、開示されたらすぐに和解に応じて300万円を支払った

中傷で300万取れる」というスカッエピソードはるかぜちゃん人気は再び盛り上がり、フォロワー20万人を超えた

しかし初手300万というのは稀有な例であり、普通裁判は数年がかりの長くしんどいもので、スカッネタポンポン提供できるわけではなく、長い時の中でフォロワーは減じていく

訴えられるとまずいのでアンチスレ消滅し、裁判に響かないように本人のレスバも減り、レスバを楽しみにしていた支持者は別のレスバトラーに乗り換えていった

つい先日、長い民事訴訟の果てに刑事告訴が通り大手アンチ家宅捜索が入ったそうだが、その時点ではフォロワー17万ほどになっていた

今は17万を切ったが、結婚話題フォロワーが増えて17万達成しそうなので、新婚編妊娠育児編などで再興できるかもしれない

2025-06-11

AIVRと同じで「人類妄想現実を置き去りにしている」状態

AIは今も進化していてできることは増えているが、結局のところ「人間がやりたいことを助けてくれる」というパートナーにはなれず「人間が上手く使ってやらないといけない」という道具の範疇を抜け出せない。

なんかみたことあるなぁ、と思ってたが「VR黎明期」と似ていたんだと気付いた。

ありとあらゆる創作物に今後数十年は追いつけないであろう壮大なVRAIが溢れかえっている。

「それっぽい文章を組み上げる」が出発点のLLMがよくもここまで色々実現できているなと感心するが、「学習や稼働に膨大な電気を食い潰して出来ることがコレなのか?」とも思う。

人間妄想力は無限大だ。すげぇ生命体だよな。

いつかは技術も追いついてほしいが、俺の寿命が尽きるまでにはそこまで劇的な変化は起きないだろうなぁ

2025-06-09

anond:20250609135020

それを実現している場所があって

現実って言うんだけど

顔が見えたらだいたいわかるから

 

ただ、そもそもインターネット黎明期ってそれが嫌だから匿名とか言い出してたんだけどね

顔が見えてる上で俺やお前の話を聞く奴なんて誰もいないし。無理もないと言ったところ

2025-06-04

生き残ること=生殖目的化するよう圧を加える自然界の法則

人は過失を犯すものであり、その結果は交通事故といった形で統計に表れていますが、いくら啓蒙がなされて減少傾向にあるといっても毎年必ず一定数の事故が起きていることになります。これは言い換えるなら交通安全意識の高まりによって事故を減らすことはできても人が運転する以上は完全になくすことはできないということでもあります。ではなぜそうなのかをGPTに聞いてみたところ、ヒューマンエラーインフラ限界、天候要因など尤もらしい答えが返ってくるわけです。

特に人のミスというのは限りなく真実に近いでしょう。人はロボット機械ではない以上、プログラム通りに行動できるわけではありませんから。逆に言えばロボット機械でも故障ソフトウェア的なトラブルがないわけではないですが、機械場合では原因をつきとめることで対策をすることが可能であり、フェイルセーフを何重にもかけることで安全率を多くとることもできるでしょう。現代では大型旅客機などによる航空機事故は珍しいものとなり、事故による死者も交通事故と比べてはるかに少ないことはだいぶ以前から言われてきたことですが、これはもちろん利用者の母数も考慮にいれた話であり、単に死者数だけを比べるなら交通事故による死者の方が多いのは間違いないでしょう。

航空機も人が操縦するとはいえ厳しい資格要件を満たしたプロであること、自動車運転などよりも格段に安全配慮した手順が定められているといった理由があるでしょう。ということで車の運転免許も取得難易度を高くすることで事故抑止効果は期待できそうですが、それが航空機の操縦免許ほどの費用難易度となって実質的に多くの人が取得できないほどでなければ結局のところ殆どの人が取得することになり、難易度が高くなる結果は受験回数に反映されるような形となりそうです。ということから交通事故は多分に人的要因が大きそうだということが示唆されるわけです。

とったことや外国人による高速道路での逆走事件を受けて外面切り替え制度厳格化されることになるようですが、交通法規に関する知識だけでは測れない何かがあることを示しており、こういったもの規制対象となる日はいずれやってくるだろうと思います

なお6/1に起きた高速道路への転落事故では運転者が無免許だったことでやはり警察の取り締まりも含めた運転免許システム事故抑制に大きな効果を上げているものと思いますが、そのように制度の外側から法律無視してでも運転するのだという人に対する対処警察の手にかかっていると言えるでしょう。

高速道路への転落では運転者が無免許だったことで現場を離れて逃亡したことからも、その発覚を免れようという動機が強く働くことが考えられ、転落事故では被害者はいなかったようですが万が一人を死傷させた場合には救護措置を取るかどうかについての疑問は残るでしょう。ということから運転免許を取得した人よりも無免許だったり外面切り替えといった簡易な方法で取得した人物による轢き逃げ割合が大きいのではないかと疑うことはそれほど不自然なことではないですが、実際にどうなのかは分かりません。

轢き逃げ検挙率は死亡事故に関しては100%に近いようですがそうでない場合を含めた全体としては7割程度のようであり、防犯カメラの設置が進んだとはいえ検挙限界はあるでしょう。特に犯罪人引渡し条約のない国へ逃げた場合などはそうでしょう。これも事実はどうなのか知りようがありませんが、犯罪揉み消しは実際に行なわれてきたことは事実であり、特に白人沖縄での自国兵士への扱いからも分かるように白人白人による犯罪に寛容です。

話をもとに戻しますと、なぜ人は過失を犯すのかですが、それこそ機械であれば原因を突き止めることが出来ても、人の「魔が差した」機序科学的に明らかにすることなどできないでしょう。それも人にはAIなどとは違って思考過程ブラックボックスがあると考える理由ですが、もっと端的には「どれだけ気をつけていても過失を犯す理由は、寧ろ事故とは人は過失を犯すという性質が具現化したもの」ではないか、というくらいのことしか言うことはできないでしょう。

ということで人が死傷する事態交通事故をなくすことを目指すなら自動運転化への流れは必然ですが、そのためには現状のAIカメラで捉える資格情報などでは限界があり、そういった未だ黎明期にある技術生命を預けるというよりも道路自体信号を発するようなものを埋め込むという、それも永久磁石の磁力のような電力供給に左右されないものが望ましい筈ですが、EVなどへの走行充電装置実証試験は行われても自動運転への本格的な取り組みはなされていないと判断できるものと思います

なぜそうなのかは、上記のようなイキリダッシュ動画や、インスタなど各所で見かける高級車、スポーツカーといったものを「魅せる」文化関係しているように思えてなりませんが、そういった富や高級なものを魅せる文化の本場はアメリカといった白人国家であり、そういったことが白人生殖に不可欠だからだ、と短絡するよりももう少し掘り下げて考えてみたいところです。

ついでに信号機の制御なども今後はAIに任せていくべきであり、不必要しか言いようのない赤信号停止がどれほど多いかです。AIに任せれば信号停止の頻度や時間最適化簡単解決する問題です。こういったことにも何か裏がありそうです。

2025-06-02

anond:20250602121410

アニメ単体で見てもハルヒの魅力はわからないと思う。

ハルヒそもそもライトノベルとしての注目度が群を抜いていた。

5年ぶり、しかも史上わずか2人しか受賞していなかったスニーカー大賞の大賞を選考委員全員一致で推されるかたちで受賞した。

全体的な完成度の高さ、文章の巧みさ、言葉遊びセンスSF的な要素、小説としてのエンターテインメント性、いずれも新人作家の水準では突出していてライトノベル界にも鳴り物入りの大型ルーキーという感じだった。

ただ、ハルヒの最大の魅力とも言えるキョン饒舌で妙に回りくどい語り口・文体をどうやってアニメーションに落とし込むかは製作側も頭を悩ませていた。

アニメ化にあたって監督石原立也ハルヒ面白さは小説を読む面白さで映像化に向いていないのではと不安を感じていたし、作者の谷川流も「本作をアニメにして面白いのか」と疑問を抱いていたらしい。

でもま、今の売れてるweb小説ラノベを読んだら分かるけど、ハルヒ原作表現は今の時代からすると古くさすぎて、これが売れるとは到底思えない。

単に古いって意味じゃなくて、00年代初期のオタク文化が濃厚な時代オタク向けに売ってただけあって理屈っぽくてダラダラ長くてジジくさい。

tiktokだの倍速視聴だのに慣れた今のオタクハルヒ原作を読んでも魅力を感じないと思う。

話を戻すと、結果的ハルヒアニメ版が社会現象を巻き起こすほどに大ヒットしたのは、やっぱりそれだけ原作が注目を浴びていたのと、あとはたまたま時代が合っていただけだと思う。

ハルヒアニメが開始した2006年ニコニコYouTubeがまだサービス開始して間もない頃で、アニメ配信サイトなんて当然ないか違法アップロード蔓延っていた無秩序時代だった。ハルヒ普通にアップロードされていた。

そういうネット動画黎明期アニメ版開始たまたま重なって、たまたま奇跡的なレベルで嚙み合ったっていう時代恩恵が大きいと思う。

ハレ晴レユカイダンスみても何も萌えないしときめかないでしょ。もっとかわいいアニメなんて腐るほどあるんだから

谷川流がまた新刊出し始めたせいか知らんけど令和の今になってもなお平野綾ハレ晴レユカイを踊らされているのを見ると可哀想と思う。

2025-05-30

商品名って何だ?

主にECの話だけど。

たとえば「30%OFF」とか「クーポン対象」とか「翌日配送」とか「送料無料」とか、これ「商品名」に入れる要素か??

いや、今さらEC黎明期の頃みたいな話してるのは分かるけど、あらためてそういうのでグチャグチャになってる商品名って何か気持ち悪いなーと楽天とか見るたびに思う。

2025-05-29

MTGの古いレシピを見ると工夫が見てとれる

古い、黎明期大会上位レシピをみると

レシピには現れない工夫が見てとれる

土地18枚のアグロに6マナカードが4枚入ってたりする

工夫してたんやろなぁ

小説投稿サイト黎明期を知ってるだけにな

作家でごはんとか

トータルクリエイターズとか

Arcadiaとかさ

 

読者もみんなほぼほぼワナビーなんだよ

小説投稿サイトには小説投稿する奴が集まるわけじゃん

ワナビー作品ワナビーが読んで感想を書くんだよ

今思い返すと地獄だったね

飲食店経営しか来ない飲食店みたいなもんだよ

うまいもまずいもないよ

みんな目線がそこじゃねーんだよなーなんだよ

読む専なんかほとんどいないし、いたとしても感想なんか書いてくれないんだよ

あーすればよくなる(気がする)、こーすればよくなる(気がする)

うるせーな

 

から今の、クソもミソもあるんだろうけど、

小説投稿サイト一般小説読むのが好きな人が集まって感想を書いてくれる環境ってめちゃくちゃ羨ましいんだよ

からそこにいた人にはわからんと思うけどさ

いい環境だよ

今の小説投稿サイト界隈

知らんけど

2025-05-20

暇空茜、また刑事告発される。相手は反転アンチになった元暇アノン

🦙🦙藤原@かみら🦙(アルパカ社長)

@Racer_Kamira

2024年東京都知事選7位 ひまそらあかね(暇空茜)氏 に対する 刑事告訴受理のご報告

藤原かみらは富裕層ボンボンで、会社経営をしつつ趣味でレーサーをやっており本名藤原能成

https://pbs.twimg.com/media/GcZj4FSbkAA6nHJ.jpg

貴族藤原氏の末裔で、織田信長末裔武蔵七党末裔祖父海軍将校祖母女優、親戚は東大卒だらけの名家だという

レースゲーム実況などを行うYouTuberでもあったが、再生数は2桁の零細チャンネルだった

ところが暇アノンとなり、暇空の毎日時間やる電波配信信者目線で簡潔にまとめる動画制作をするようになってから爆伸び

当初はcolabo叩きに精を出して「仁藤は保護少女人間牧場に送り込んでシャブ漬けにしている」などと中傷していたが、次第にそっちはどうでもよくなり、堀口英利叩きを目的とする「堀口系」になった

藤原金持ちだが大学中退しており、しか子供時代公文式トップ成績だったプライドはあるので、ロンドンの有名大学に通う堀口に対して敵対心を持っていた

アノンの間で堀口を全裸にしたり滅多刺しにしたりする画像制作流行った際、批判的に画像引用されると、本名公開済みの藤原画像制作者とつるんで権利者として削除申立てをしていた(削除申立者の氏名が公開されるのを制作者が嫌ったため)

50近い年齢の藤原ネット黎明期から各地にレスバの痕跡を残しており、20代の堀口が生まれる前のレスバが現在でも観測できる

アノン最高幹部として暇空から寵愛されていた藤原だったが、暇空はフェミリベラル系にブロックされてぶつかる相手が減ったせいで内輪揉めが多くなり、藤原もやがて攻撃対象になった

最近の暇空は共産党叩きムーブに飽きて仏教団体真如苑」が全ての裏にいるという説にハマっている

「かみら」とは古語ではニラのことを指しており仏教の中で触れられることもあるので、つまり仏教用語を名乗る藤原真如苑信者だと認知プロファイリングした

また暇空は、堀口が真如苑の暗部に触れたせいで殺害されたと主張しており、藤原殺害死体処理に関与していると示唆

藤原曰く、「かみら」という名は吸血鬼カーミラをもじったキャラカミラ」に由来するそうで冤罪だそうだが、暇アノンは信じて藤原殺人犯扱いした

旅行好きの藤原港町で蟹を食べただけで「行き先は嘘で、これは宗教施設イベントで食べてる」と暇空は認知プロファイリング

藤原アルパカ画像アイコンにしており、人気が出てからAI絵で作ったアルパカグッズの販売もしていたため、暇空は真如苑の息がかかったアンチ十二神将のうち「羊」に相当するのが藤原だと認知プロファイリングした

全ての発信が真如苑信者証拠殺人証拠にされた

暇空から攻撃の数々に耐えかねた藤原は、とうとう暇空刑事告発ブームに乗ってしまった

2025-05-19

anond:20250518042448

ママ黎明期ママ活してた男の思い出話

とかはないのか?🙄

2025-05-18

パパ活黎明期パパ活してた女の思い出話

キメセク大学生話題なので。

なんのオチもない、薄い思い出話です。


2014年頃、当時私は20歳大学生横浜実家から都内キャンパスに通っていた。

その当時、パパ活援助交際上位互換みたいな存在だった。

援助交際セックスありきだけど、パパ活食事お茶だけで肉体関係は伴わない立ち位置

会話が碌に成立しない 風や水の頭の悪い女に飽き飽きしたおじさんが、四大に通えるほど学があって育ちも悪くない、若く、そこそこ可愛い女と気持ちよく喋れる。

女側は、社会的ヒエラルキーの高いおじさんに高いご飯を奢ってもらいながら意識高い会話をして、お茶代まで貰える。

っていうwin-win関係パパ活だった。

当時、笹崎里菜アナホステス経験バレて内定取り消しになった騒動もあって、わざわざどこかに籍を置いて水商売やるのは頭の良い行動じゃないよねという風潮があったこともあり。

賢い子はパパ活やりながらサクッと就活も終えるみたいなムーブメントが、かなり局地的にかもしれないけれど、確かにあった。

知り合いにはガールズバーとかラウンジ勤務の子もいたけど、専門出て医療事務やってるとか、日出からグラドルとか、まあお察しみたいな子ばかりだった。

当時はまだマチアプなんてものは少なく、界隈に足を踏み入れたきっかけは、キャンパス構内でチビの男に声をかけられた所からだった。

ミッドタウンレジデンスでパーティがあって、頼まれ可愛い子を探してる。来てくれるならお小遣いあげるし、社長とか弁護士かいっぱい来るよ。と誘われた。

料理も酒もタダで金持ちの男ばかり来るし、DJもあるから下手なクラブ行くより楽しいと思うって口説かれたこともあり、じゃあ行くよとその場で返事したら、その場で五千円くれた。

当時時給¥1,200のカテキョバイトをしてたので、悪くないなと思って受け取った。

から聞いた話、このチビはうちの大学に在籍しておらず、田舎から上京してホストで食い繋いでるというアホだった。

数日後、実際そのパーティに行ってみた。

しか金曜の19時過ぎくらい、レジデンスの前に着いてチビ電話を入れたら、デカい男が迎えに来た。ミッドタウンレジデンスはパーティ禁止から、わざわざ1人ずつ部屋に誘導してるらしい。1人だと間に合わないから交代でやっているようだった。

やたら天井の高いエントランスを抜けてエレベーターホールに着いたら、某俳優とすれ違った。ちょっとテンションが上がったのを今でも覚えてる。

フロアは忘れたけど、東京タワーが真っ直ぐ先に見える部屋に案内されて、そこで万札を手渡された。

そこが女の子の待機場所になっていて、来てる女の子はだいたい小綺麗なワンピースとかを着ていて、清楚な感じだった。

特に女の子同士で交流するような雰囲気ではなく、周囲に絡んでいたのは場違いギャルっぽい子だけで、それ以外は静かにメイクや前髪を直したりしていた。

ギャルの話に聞き耳を立ててみたが、大体みんな良い大学の子達だった。

時間が来て、チビにおじさん達がいる部屋へ案内された。

チビが言っていた通り、確かにDJがいて、料理と酒も用意されていた。

ただ大して良い酒はなく、ほろよいかいかに女子大生が好みそうなものか、イエガーやテキーラなどのアルコール度数高めなものくらいだった。当時は高い酒の銘柄ほとんど知らなかったけど、金持ちの家だからと期待したので拍子抜けした。

パーティは、てっきり合コン的な雰囲気なのかと思っていたが、おじさん達同士は全く会話をしていなかった。

それぞれ離れた位置に点々と座っていて、おじさん同士で交流をする気はまるで無いのが見て取れる。場が静かすぎて、はじめはBGMしか聞こえない空間だった。

チビ誘導されて、まず主催のおじさんに挨拶をした。

大きいイベントとかを仕切ってる、割と爽やかな人だった。

思い返せば女衒しかないが、気のいい明るいおじさんだったので気を許せた。

チビデカ男はこのおじさんに雇われているようで、裏で頭を叩かれているところを見た。

次に、後々私のパパとなるおじさんの隣に座らされた。

この人は某レコード会社の偉い人だという紹介だけサクッと済ませて、チビは別の女の子誘導しに行ってしまった。

コミュ強なわけでも無いから気まずいなぁと思い丁重自己紹介から入ったら、だいぶ気に入ってもらえたようだった。

割と音楽は手広く聞いていて、エンタメ業界就活も見据えていたこから、話を深掘りしやすかったこともあるが、初手にしてはかなりいいおじさんに当たったなと思う。

このおじさんは本当に癖がなくて説教垂れることもしないし、ただのんびり酒を飲んで女の子と楽しく会話できればそれで十分という感じの人だった。

しばらく会話をして(そこそこ盛り上がった)、連絡先を交換して次のおじさんが待つ席に移動した。

次に話したのは、弁護士だというおじさん(といっても比較若い人)。ただ見るから半グレっぽくて怖くて、当たり障りの無い会話をして、すぐに席を離れた。

一人でいると、すぐ別のおじさんが話しかけてくる。

次は会計士だった。このおじさんは終始ヘラヘラしていて下心満載な感じだけど、陰キャ臭×社会人デビュー臭がすごかった。陰キャ故に強引さが無くてその場で話す分には楽な人だった。

その後は代わる代わる、ディーラーで稼いでる人、さっきとは違う弁護士役員ベンチャー社長、等々と話した。

ウェイ系なノリの人も少なくなかったが、基本酒の強要は禁じられていたようで、そこまで無理に飲まされることもなかった。

おじさん達はみんな"次"に繋がる出会いを探しに来ているので、大抵は丁寧におだててくれるし、気分は悪くない会だった。

喋った人全員と連絡先を交換してその日は解散した。

例の場違いギャルは穴要員で呼ばれていたようで、ベロベロに酔って誰かに持ち帰られたが、それ以外の女の子タクシー代を持たされて健全帰宅したようだった。

寝て起きて次の朝、スマホを見たら連絡が死ぬほど溜まっていた。

あの晩にいたおじさん達からの連絡で、食事行こうとか合コンセットしてくれとか、そんなものばかりだった。

殆ど誰が誰かも分からなくなっていたし、主催者・レコード会社会計士の3名以外の連絡は全部既読無視した。

ディーラーの奴だけは既読無視してもずっと合コンの依頼を送ってくる気概のある男だった(それでも返事をすることは一度もなかったけど)。何年か経ってインフルエンサーの女と結婚したという投稿を見た。

主催からは、女の子パーティに呼んで欲しいという依頼だった。

大事友達を誘うのもなんだか忍びないから、実家貧乏奨学金もらってる子、サークルの先輩に脱法ハーブ吸わされて以来ちょっと変になった子、意識高くて肩書き大好きな子、あたりを後で適当に当てがってた。一応みんな顔は可愛かった。

後日チビ経由で謝礼的なものを貰って(金額は忘れた)、このおじさんと会うことは二度となかった。

レコード会社会計士は、ワンチャン就活の役に立ってくれるかもと思って誘いを快諾した。

会計士は話が死ぬほどつまらなかったから一度の食事で終わったけど(そのあと海外一緒に行こうとかしつこく誘われた)、レコード会社とは月1〜2回のペースで食事をしてお茶代(1〜2万)をもらう関係がしばらく続いた。好きなミュージシャンチケットを融通してもらったりもしていた。

念のため補足しておくと、色恋は一切無かった。

本当にただ、良い店や良いバーに連れて行ってもらい、他愛もない話をしたり、仕事の話を聞いたりするだけだった。

私としては、友だちや親とは行かないような店で、ためになる話を聞けて、ついでにお金をもらえてありがたい。あとチケットに関してはマジでありがとう。以外の感情は一切無かった。

就活が始まるまで関係は続いて、就活が始まって自然フェードアウトした。結局エンタメ業界への就活もしないまま終わって、私は全然関係は無いがまあ悪くない会社就職した。

今は連絡先も知らないし、私は結婚たから一生会うことも無いだろうけど、ある意味で良い思い出になってる。

兄弟には言えないけど、墓場まで秘めて持っていくほどはやましい所もない思い出。

あのパーティにいた女の子達の顔は殆ど覚えていないけど、一人だけ丸の内の通りですれ違った気がしてる。

お互いよろしい所で働いているんだねと思ったよ。

レコード会社のおじさんはググったらまあまあ昇格していた。


おしまい

2025-05-13

anond:20250513201027

会社にいたらネットできないって思い込み、どこからくるんだろうな

インターネットなんて黎明期からサボリーマンの遊び場だったってのにな

2025-05-04

ダン飯が「作品にメスを入れる」様に見えるのはRPG成立過程無頓着からでは

ダンジョン飯が「お約束世界観に対して上から目線でメスを入れ」るコンセプトだと聞いて意外だった。というのもあの作者がやってる事は当たり前の世界観構築の一つだと思っていたから。

 

ダンジョン飯みたいな「古典RPGお約束世界観に対して上から目線でメスを入れようとする作品」が前から嫌いだった

https://anond.hatelabo.jp/20250427090957

 

多分なんだが、元増田JRPG一貫でRPG黎明期かに興味がないのではないか

そういう約束事というのは最初からあったのではない。グラフィックがプアな黎明期製作者達が共同幻想を構築していったので出来たものなのだ

 

そもそもダンジョンって

ダンジョンそもそも城の地下に築かれる地下牢を指していた。中世近世ヨーロッパには教育刑概念はない。だから地下牢では拷問が行われたり単に囚人放置して餓死させたりしていたし、灯火も無く発狂必須だったりした。大きさはそんなに広くはない。

そこから怨念が染みついた恐ろしい場所というイメージが付いた。

更に城が放棄されて崩壊しても地下構造は残る。そこで「崩壊した古城の地下には財宝が残っているかも」という妄想が付きまとうようになった。

1970年代テーブルトークRPGTRPG)の代表D&Dダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ)ではこの妄想を膨らませ、「ダンジョンには巨大構造があって深くなうほど怪物が強くなって最奥にはドラゴンが財宝を守っている」という設定を作った。

ゲーム盤はただのマス目とサイコロだけであり、付属カードイラスト世界観想像してね、という仕様だ。

因みにドラゴン旧約聖書にも載っている「悪の手先」で、モンサンミッシェル寺院屋根の上でミカエルに踏んづけられていたりする。昔からだれもが知っている悪の手先ダンジョン妄想世界観を組み合わせたんだな。

 

黎明期にはこの手の「世界観設定」の途中で意味付与された事物が沢山ある。例えば

 

ガーゴイル

羽が生えた悪魔みたいな生物ガーゴイルだが、これは元々はキリスト教会の雨樋のことだ。

教会建築では建物が痛まないように屋根の雨を壁から離れたところに落とす為の雨樋を付ける。日本の雨落しみたいな方法だ。

この雨樋の水出口には動物怪物の顔から吐出するデザインが用いられていた。ごれがガーゴイルで、「うがいでガラガラ」みたいなオノマトペなのだガラガラうからガーゴ。

ローマ水道で吐出口がライオンの頭みたいなもんで、欧州伝統的な魔除けデザインだった。

これを黎明期RPGでは悪魔怪物として「生命」を持たせたのだな。

 

エルフ

エルフ伝説は各地によって異なり、悪戯好きの悪鬼の地域もある。これが今の耳が尖って痩身で聡明という風に固定されていった。

 

三大コンピュータRPG

特にRPG約束事の形成に影響を与えたのがウルティマ Ultimaバーズテイル The Bard's Tale、ウィザードリー Wizardryの三つだ。

このうちバーズテイル日本だとややマイナーかもしれない。これは発売時期が他の二つより遅くてJRPGの発売時期と被ってしまった為だ。

でもこの作者はUltimawizを繋ぐ鎹みたいな人物だ。バーズテイル舞台スコットランド現存する遺跡から名を取ったスカエブレイという町なのだが、このスカラブレイという町はウルティマにも登場する。そこにはホークウィンドという重要人物が居るんだが、これがバーズテイル作者のロー・アダムスの成り替わりキャラ

一方、wizには人間離れした強さの忍者ホークウインドが登場する。これもロー・アダムス。

 

で、この三つの作者はD&Dが作ったファンタジーRPG世界を拡大して今の「約束事」が出来ていくわけだ。この時独立独歩じゃなくて三大タイトル作者三人が協働したのが大きい。一人のアイデアを他が模倣する事で世界観確立していくわけだから

 

からこの当時のプレイガイドなどを見ると、所謂攻略本などとはかなり違う。「この怪物はどういう生き物か」「この地形はどういうものなのか」という設定資料的な記述がとても厚い。

グラが貧弱な分、そういう所で世界観を膨らませる&作者たちの世界観を共有する事がプレイの楽しみという感じなのだ。それはだから単なるゲームではなくかなり文化香りを纏っていた。

 

笑える失敗も

これを翻訳した日本でもその世界観の紹介は重要コンテンツとなった。何しろRPGという約束事が無い所にコンテンツを持ってくるのだから

でもそのせいで恥ずかしい失敗もしている。代表例が、wizに出てくるかなり強い剣「blade cusinart」を「名匠カシナートの打った名刀」と紹介してしまたことだ。これの正しい訳は「クイジナートのフードプロセッサ」なんである

cusinartはアメリカキッチン用品メーカーであって、作者は悪ふざけで入れたアイテムだったのだが、翻訳チームはその辺のニュアンスを感じ取れなかった。今のフランス料理を「ヌーベルキュイジーヌ」って呼ぶこと、綴りを知ってたら間違えなかったのにな。

 

ウルティマの変質狂的世界構築

こんな風に三大タイトル世界観構築に勤しんでRPGというジャンル形成していったのだが、そのうちのウルティマRPG約束事を超えて風変りな変化を始める。

まず、モンスターを殺しまくってラスボスを倒し、財宝を手に入れ救世主として祭り上げられる、というRPG目標無視して、時に二律背反する命題を乗り越えて善行を積み、人格者として成就するというのがゲーム目標になる。

次に世界を救ったはずが他者文明破壊しており、他の種族の侵攻の原因を作ったのが主人公だった。その種族との調停和平を目指すというのがゲーム目標になる。

次にNPC生活するようになり、店員は夜になると家に歩いて帰り、食事をして寝る。だから夜に店に行ってもサービスを受けられない。

次に凡そすべてのアイテムが動かせるようになり、好きな所に置いておくことができる。移動した物はそのままそこに残り、位置セーブされる。ついでにそれらに生命を吹き込むと勝手に移動する。

これらはもうゲームの進行に何も関係が無い。だけど現実世界では物は動かせて外出から戻ってもそのままある。会社員は定時で退社して家に移動してご飯食べて寝る。だったら再現するのが当たり前だ、という考えである。 

そしてこういう現実で出来る事は出来るようにするという仮想世界構築の妄執ウルティマオンラインという世界初のMMOを産んだのだった。

 

最初MMOはいなりメバース

当初のウルティマオンラインの熱量というのは語り草で、ドワンゴ川上量生が時々熱っぽい文章を書いているのを見た事があるかも知れない。

これは単に初めてのネトゲと言うだけじゃなくて、RPGとしては異常なものであったからだ。

というのも、当初のUOにはクエストも無ければクリア目標もない。一切無い。ただ仮想世界があるだけ。

モンスター徘徊する世界を強くなれば安全冒険できるが、装備品鍛冶屋に作ってもらう必要がある。でも一人で沢山のスキルを持つ事はできないようになっている。だから協働必須なのだ

更に鍛冶屋は原料を仕入れ必要がある。原料→中間製品製品とする事で、疑似的な経済循環が成立する。オフラインゲームしかやった事無い人がこんな世界に放り込まれたら最初困惑するがやがてハマって「もう一つの世界から出て来れなくなる。

しかもなんの役に立たないアイテムが超大量に存在する。ゲームじゃなくて仮想の「世界であるならそれは当然だな。

RPG世界を構築する」の妄執を続けていったら到達した怪作と言っていいだろう。

 

ただ、プレイヤーの行動は作者の思惑とは違うところも多かったようだ。

最初は店のアイテムもそのまま移動できた。だがリアルでそれを持って行くのが悪徳なら仮想世界内でもそれを控えるだろう、と作者は考えたが、そうはならず結局は制限を付けるしかなかった。

 

JRPG

一方、ゲーム産業が隆盛した日本ではRPGはそれらとは違う進化を遂げることになった。やる事が細分化されて示され、それをクリアするのが目標となった。

また、「この〇〇というのは古代ケルト風習で」とか「ケルト風習なら△△では□□をするのがしきたりか」みたいな世界解釈をするという文化文脈が余り無い。すると余計な詮索は世界に半畳を入れるような無粋な真似、という事になる。

 

ポストモダンもっとロクでもないぞ

するとお約束世界観に対する解釈を行う行為ポストモダンの「脱構築」の如くと言うのは得心が行く。

でもポモが虚仮にされるのは、世界に対する自分ルサンチマンが見えるからだ。批判対象になるものをまるで理解も出来ないのに、「独自解釈」で切ればその対象支配者になった気分になる。彼らはその為にやっている。概ねその対象職業社会国際関係などの身体的に揉まれないと会得出来ないもの、基礎常識が大量に必要になる物が多い。

そのノリでサブカルチャーなどの作品ジャンルを斬れば斬られた方は棄損するしユーザー層は冷や水掛けられてシラケる。

だけどダン飯の場合は棄損して終わりではなくて、先に述べた黎明期世界観構築と相同の行為であるからポモなんてゴミとはかなり違うだろう。

そもそも年喰ったポモなんてネトウヨになってるのが相場だ。心性が右翼からじゃなくて社会コミット出来ない自分自我保護の為にやってるのだな。はてなにも居るな。彼らって言ったがはてなのは彼女らかな。

 

日本刀が強いわけ

ファンタジー日本刀が強すぎ、とか侍が特別扱いされ過ぎ、というのがよく話題にのぼるが、これもRPG関係してるのよ。

1960~70年代日本ブームがあった。このブーム主体アメリカ反体制ベビーブーマーで、要するにヒッピーの類縁なのだ

当時のアメリカ若者の一部は己らの西洋文明がイヤになっていた。物質主義で、商業主義で、民族自立に対して戦争弾圧していた。理想主義だったマルクス主義はとんでもない抑圧的体制しかなっていない。

そこで注目されたのが東洋哲学特に禅だった。特に日本の禅」に強く吸引されたのだ。当時の日本敗戦世界の表舞台から消え、工業が再興して居たが文化的には謎の国となっていた。ビートニクと呼ばれる小説家集団の影響もある。

端的にいうと、ヒッピー的には日本とは精神的で特別存在だった。

 

これが同時代サブカルチャーに影響を与えるようになる。例えばスターウォーズジェダイとは時代劇の「ジダイ」の事で、侍に類した強い精神性を武器としている。

からwizには他の地域戦士はいないのに最初から侍と忍者は登場する。ウルティマにも刀が登場する。

また、日本刀の制作は限られた刀匠以外には禁止された事もあり、その制作過程は過剰に伝統工芸的で精神的だ。これもヒッピー文脈にある人を魅了した。

故に1980年前半に勃興したコンピュータRPGに登場したのだ。だからムラマサはワードナでも真っ二つなのだ。彼ら制作陣はベビーブーマー後期からその下の世代である

 

因みにウルティマの作者の思想ガチヒッピーであるウルティマ6のオープニングに表れているので暇があったら見てみて。https://youtu.be/7nBWuV_E6Eg?si=WIOEs3PObTpBFADO&t=462

 

「正しい記述」への志向

魔法の残量をマジックポイントMPと書くゲームマナと書くゲームがあるだろう。

この「マナ」というのは文化人類学用語なのだ民族部族魔法や神力があると信じられている場合、その力をマナと言うのである。だからMPよりもより正しい用語に直したのだな。

こういうのも約束事の世界観にメスを入れて修正した跡だ。

 

ダン飯は黎明期価値観、行動則をなぞっている

からあのマンガがやってる事は物語にメスを入れて切り裂く行為ではなくて、黎明期に構築していった行為と相同であり、黎明期精神を共有していると見える。

というか、wizウルティマプレイガイドそっくりなのだ。作者がwizを後からプレイしたと知って驚いたくらいなのだ

 

因みに増田普段マンガを読まないのだが、ダン飯にはハマってしまい、その世界が終わるのがイヤで最終巻をまだ読んでいないのだ。我ながら病的である

 

ところでなんでもサービスイン当初のUOをやりたいと考える人は多く、その為のクラシックサーバが出来たようなのだ増田ちょっとやってみようかな。

2025-04-25

anond:20250425225017

黎明期表現手法の一つとして割り切るほどこなれてないって微妙な時期なのかも

2025-04-24

増田重要無形文化財

文化庁文化審議会24日、「増田」を初めて重要無形文化財指定し、その保持者にワイさん(43)を認定する、と文部科学大臣答申した。

審議会増田を「本遺産は、21世紀日本インターネット黎明期において形成された、テキスト文化という廃れた電脳文化遺産である匿名のため無責任罵詈雑言しか無く、また本遺産精神異常者の集まりであり世間にとって害しかない。」、ワイさんを「肥溜めにも関わらず、常軌を逸した執念をもって増田投稿し続けた並外れた精神力とそれに耐えれる指先を体得し、パソコン先生(笑)としていんたーねっとに精通している(笑)」とそれぞれを評価した。

2025-04-23

あの名作オブリビオンリマスターされるんだって

オブリビオンとは「The Elder Scrolls IV: Oblivion」のことを指して言ってるんだが、このゲーム当時まともにやってた日本人って意外と少数なんじゃないか

次回作スカイリム洋ゲーやる人なら知らない人はいいくらいのメジャータイトルだし国内プレイ人口もそれなりだと思うんだけど、オブリビオンが出た年は2006年20年近くも前で発売当時は簡単に買えるもんじゃなかった気がする。

俺は何処でオブリを知ったのか今はもう覚えてないけど、日本語版は無く輸入版を手に入れようと思ったら秋葉原くらいしかなさそうという事で高校生時分にわざわざ関西から北米版を探しに行ったくらいだ。

スマホもなくSteamのようにゲームダウンロードして遊ぶ時代でもなく、動画投稿サイトもまだまだ駆け出しの頃でニコニコサービス開始前?あるいは黎明期時代なのでオブリビオン日本じゃマイナータイトルだったかも。

後々お買い求めやすくなったのかな?買った後のことは知らん。

で、ここからが本題なんだがこのオブリビオンってゲームは、俺の解釈では

魔界に繋がる門が突如世界各地に出現し、魔界世界を滅ぼしにきたのでプレイヤーはその門を閉じて回るというストーリー

だと思ってるのね。で、2021年公開の新海誠監督映画「すずめの戸締り」を俺は見てないんだが、そのあらすじというのが

1人の少女が、ある時山の中で不思議な扉に遭遇する。その矢先、日本中で扉が出現し始め、その扉が開くことでさまざまな災いが次々と起こっていく。そこで、少女は各地の扉を閉める旅へ出発する。(google検索すると出てくる公式サイトから引用引用)

すずめの戸締りの宣伝見てまず思ったのが「これ完全にオブリビオンだよね?」だったんだけど、そのツッコミをしている人がほどんど居ない。

ネットいくら検索しても出てこない。かろうじてまとめ系ブログコメントで1件だけ見つけることが出来る程度。

実際の内容は全然違うのかもしれんけど、それにしたって指摘がほぼ無いのはやっぱりオブリビオンが弩マイナーなんだろうなと。

そもそもオブリビオンを知らないならこれ言ってもだれも共感できないなぁというモヤモヤがあったが、オブリリマスターされるという話題に託けてこのモヤモヤを今ここで供養できたので良しとします。

気になる人はリマスター買え!いつ発売するのかと思ったら即日発売かよ!もう買えるのかよ!

2025-04-20

出会い系というものについて

最近、いわゆる「出会い系」というか、今は「マッチングアプリ」って言うのが主流らしいけど、そういうのについて思うところがある。

正直、数年前まではかなり偏見があった。「怪しい」「怖い」みたいな。ネット黎明期の「出会い系サイト」のイメージが強かったんだと思う。なんかこう、身分を偽ったおじさんとか、業者とかサクラとか、そういうのが跋扈してる世界、みたいな。

でも、周りの友人知人が普通に使い始めて、中にはそれで恋人ができたり、結婚したりするケースも出てきて、「あれ?もしかして自分が思ってるほどヤバいものじゃないのか?」と思うようになった。

で、まあ、何を隠そう、自分ちょっと前に手を出してみたわけだ。いくつか有名なやつをインストールして、プロフィール作って、写真選んで。

これがまた、なんというか、不思議感覚だった。

自分情報を切り売りして、相手を品定めするような。年収とか学歴とか、身長とか体型とか、そういうスペックフィルタリングして、「いいね」を送るかスルーするか決める。まるで通販サイト商品を選ぶみたいで、ちょっと自己嫌悪に陥ったりもした。

メッセージのやり取りも独特だよね。当たり障りのない定型から始まって、趣味とか休日の過ごし方とか、そういうのを掘り下げていく。たまに面白い人もいるけど、大抵は当たり障りのない会話が続いて、だんだん面倒くさくなってくる。複数人と同時にやり取りするのも、結構エネルギー使うし。

何人かと実際に会ってみたりもした。写真全然違う人が来た、なんてことは(幸い)なかったけど、まあ、想像通りというか、特に何かが始まるわけでもなく。当たり障りのない会話をして、当たり障りなく解散する。

別にそれが悪いってわけじゃない。リアル出会ったって、そんなもんだろうし。

ただ、アプリだと「次がある」感が強いからか、一つ一つの出会いが軽くなりがちな気はする。ダメだったらまたスワイプすればいいや、みたいな。

あと、これは多くの人が感じてることらしいけど、とにかく「疲れる」。

いいねを送っても反応がなかったり、メッセージが途中で途切れたり(フェードアウトって言うらしい)、やっと会う約束をしてもドタキャンされたり。そういうのが続くと、だんだん自信がなくなってくるし、精神的に消耗する。真剣相手を探そうとすればするほど、その傾向は強いのかもしれない。

最近じゃ、アプリでの出会自体目的化してるような人もいる気がする。誰かと付き合うとかじゃなくて、ただ「マッチングする」「デートする」という行為自体を楽しんでるというか、消費してるというか。

まあ、かくいう自分も、結局「疲れた」側の人間で、今はもうほとんどアプリを開かなくなってしまった。

でも、出会いがない人間にとっては、やっぱり魅力的なツールなんだろうなとも思う。職場と家の往復だけじゃ、新しい出会いなんてそうそうないし。

結局、何が言いたいのかよく分からなくなってきたけど、マッチングアプリって、良くも悪くも現代的なツールだよな、と。手軽に出会いの機会は増やせるけど、その分、薄っぺらくなったり、消耗したりするリスクもある。

みんな、こういうので本当に「いい出会い」を見つけられてるんだろうか。それとも、ある程度の打算とか妥協とか、そういうのも込みで付き合っていくものなんだろうか。

まあ、もう少ししたら、また懲りずに再開してるかもしれないけど。

2025-04-15

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、国によって異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要視点だ。欧米日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。

その意味で、社会運動ストライキ争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識フランス社会は共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器公共空間を構築し、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期政教分離文脈から分化した表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。

もっとアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法ヘイト規制消極的かつゾーニング規制シフトしてゆく歴史がそこにある。

トランプの出現などリベラル保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共フランス人の考える公共とかなり異なる。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのもの否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会根付かなかった。正規雇用では労使協調路線非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。

全農警職法事件国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力容認しがたいもの」と司法行政に決着を迫った形だ。

こうした着地は、人権市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却やす社会ということだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験からまれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な再生力だ。

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは、戦後日本映像表現の潮流に視点を移す。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力風刺し、戦時空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。

表現体制批判自己解放手段だった時代道徳国家価値観への反抗心がそれを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、家族内の世代対立ないし嫁姑問題80年代の校内暴力管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景は急速に姿を消した。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族崩壊再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁としても現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害内包していた。そこに着目すべきだ。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つのうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたか社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。

かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしま社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスドラマなくせに、コンプラ配慮たばこポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

ドキュメンタリー手法に内在す加害性も多くの示唆を与える。

ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『Black Box Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である

コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為公益性のはざまにあるという意味奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員告発とその後の県知事対応は耳目を集めたばかりだ。

空気にあらがえるかが試金石

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感な時代からこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制洞察した。一方、アメリカ民主社会には、世論専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派少数意見排斥するような雰囲気社会が醸成すると実質的自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代キャンセルカルチャーなどの課題を予見している。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力倫理的な共感はあるのか。どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

憲法理論制度保障を語る上では有効であるしかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度いか自由を守るか」ではない議論必要だ。自由擁護する倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。

社会同調圧力空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

2025-04-01

増田たちブクマカたちロードレースを見よう

https://anond.hatelabo.jp/20250401132754

この増田を見てまさかはてな界隈ロードレースを見てる人がいるとは思わなかったから(いや普通に考えりゃいるんだが)、これを機にサイクルロードレースの普及をしたい。

増田ブクマカたちにロードレースおすすめポイントを紹介していくぞ。

1. 若者より中年の方がハマれる!

そろそろ40歳アラフォーど真ん中だが、1020代ロードレースなんか見てたら退屈で即見るのを止めていたと思う。

とにかくレースが長い。レース自体は5時間前後日本語中継をしている時間でも3時間くらいある。

しかもそのうちのほとんどはレースとしての大きな動きはなく、ぼんやりときれいな欧州景色を眺める時間だ。

刺激やタイパを求める若者とは最も縁遠いスポーツと言ってもいい。

だが!酒を飲みながらダラダラ見るスポーツとしては本当に最高なのよ!

大体土曜の夜か日曜の夜だから、週末の晩酌ロードレースとともに過ごすのとってもいいよ。

世界の車窓から」を見ながら酒を飲む的な風情とスポーツとしての興奮も味わえる。

からはてな界隈でメインの中年たちにこそおすすめだ。

2. 最近レース常識がぶっ壊れて展開が激しくて面白い

主にタデイ・ポガチャル、マチューファンデルプールという2人の怪物(界隈では宇宙人と言われる)のせいで、レース常識が変わった。

例えばゴール着前で短距離走が得意なスプリンターと言われるタイプの選手が争うことになるレースがあるのだが、

極論言うとこの手のレースはゴール前の短距離走勝負が決まるのでそこまでの展開に乏しく、

5時間くらい走ってても最後10km、精々20分程度だけ見れば事足りるようなレースだった。

だが!タデイ・ポガチャルやマチューファンデルプールという化け物がレース常識を変えて、

残り50kmとか80kmとか100kmでスプリンターを置き去りにして独走するというわけわからない勝ち方をし始めた。

スプリンターは短い距離を爆発的なスピードで走るのは得意だが、長距離を高い巡航速度で走るのは苦手なのだ

なので今までみたいに「ゴール前以外は退屈」「勝負どころはもっと先」という常識が打ち破られ、

いつ何が起こるかわからないという目が離せないスリリングレース展開が繰り広げられるようになっているのだ。

3. 史上最強選手の全盛期を見られるかもしれない

先ほども名前が上がったがタデイ・ポガチャルはロードレース史上最強選手になれる可能性を持っている。

というか半分を手をかけている。

ロードレースは1日で争うワンデーレース通称クラシックと言われるもの)と1週間or3週間で争われるステージレースに大きく分かれる。

この両者のレース必要な適性は次のように異なる。

ワンデーレース

勝負を決める爆発力

・展開を読む戦術

悪路石畳や未舗装な道など)を走るテクニック

ステージレース

・平地、丘、山、個人タイムトライアルなど多様なステージへの対応力、総合

特にツール・ド・フランスなどのグランツールと言われる3週間レースを戦い抜く耐久力、回復

エースの体力を温存しながら最高の順位へと導くチーム力

同じロードレースからどっちも似たようなものと思われがちなのだが、

ワンデーレース表彰台獲得する選手ステージレース表彰台獲得するのはほとんどが違う選手になるほど適性が異なる。

しかし、タデイ・ポガチャルというスロベニア星生まれ宇宙人が両方のレースロードレース界を蹂躙しているのだ。

ワンデーレースの中でも特に重要ものモニュメントステージレースの中でも特に重要ものグランツールというのだが、

このポガチャルはその両方で勝ちまくっている。

特に昨年は凄まじくロードレース史上最高の年間成績と言われる成果を残し、

ジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスグランツール総合優勝2回(さらステージ12勝というこれまた異常な成績)に、

ワンデーレースでもモニュメントリエージュバストーニュ・リエージュイル・ロンバルディアに加え、

世界選手権というロードレース世界チャンピオンを決める大会まで制しまさにロードレース界を支配したと言っていい。

このレベルでワンデーレースステージレースの強さを両立したのは過去に1人、エディ・メルクスという神話世界人物がいる。

この選手現在のポガチャルと同等かそれ以上に勝ちまくり、あまりに勝ちまくるメルクスに観客がブチギレてレース中に殴って妨害するというエピソードがある選手だ。

日本人に馴染みの深い例えをすると黎明期のそのスポーツの神であるベーブ・ルースの偉業を

競技レベルが上った現代再現する世界一の選手大谷翔平のようなことがサイクルロードレースでも起こっている。

ワンデーレースステージレースの高レベルでの二刀流タデイ・ポガチャルは現代に蘇らせたのだ。

4. 推し選手を見つけよう

どんなスポーツでも自分応援する選手を見つけられるとのめり込めるものだ。

ここまでに登場したタデイ・ポガチャルやマチューファンデルプールのような圧倒的に強い選手応援するもよし、

見た目が好みの選手や頑張るベテラン応援するもよし。

ちなみに筆者の推しは毎回毎回結実しない果敢なアタックを繰り返し、盛り上がりだけ作って下位に沈むのを繰り返すベン・ヒーリーという選手だ。

「便をひる」というところから増田滞在する諸氏との親和性も抜群の見逃せない選手になっている。

その他個人ブログ誘導するのもどうなのかとは思うが、はてなブログ選手紹介をしているブログがあるからそこを見てみるのもいい。

https://www.kiwaroadrace.com/archive/category/%E9%81%B8%E6%89%8B%E7%B4%B9%E4%BB%8B

5. ロードレースを見るには

jsportに加入しよう。お手軽なのはjsportオンデマンドだ。

サイクルロードレースだけを見るのであれば月額1900円くらいのはず。

シーズン3月10月だから11月2月は解約でOKだ。

みんなでロードレース楽しもうぜ!

見るだけじゃなくて自分で走るのもいいぞ!

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