はてなキーワード: 部族とは
こんなこと書いたら一部の人は発狂しそうだけど、女を通貨にして回ってる界隈が日本の上の方にあんのよ。まぁ正確には「あった」かな。昔の話になったから、最近上納システムがスキャンダルとして出るようになっただけ。
基本上から。血筋の良い政治家や官僚や企業の創業者、旧財閥あたりは、血族同士で女を交換し合って結束を高める。小学生でも許嫁とか普通。
芸能界とテレビは女を差し出しあったり上納して金玉握り合ってた。男同士で。女を介してね。
稀に男同士もあったみたいだけど。
堅い会社だと女の子はいいとこの子でお嫁さん候補だとか、上司が仲人したりとか昔はあった。
そゆしがらみから外れたのが、フツーの幸せな結婚てやつで。そこまでフリーって事は上の階層じゃなくて後ろ盾や旨味がないって事だからね。
日本全体が傾いてるので相互の旨味が消えて女のやり取りってのは珍しくなったけども、基本は人間なんて部族で、羊か女かをやりとりして金玉握り合ってんのよ。しょーもな。
ビットロックが云々カンヌンと出てきて一瞬肝を冷やしたが特に暗号化してなかったわと思い出し初期化して無事換装成功
サブPCを買うのでデスクの配置を変更し、ラップトップを置ける場所を準備
プロポーズした彼女の両親に会い、年末の挨拶と「娘さんをください!」をやる
肉美味かった
紅白歌合戦を観てウルトラソウルはさすがに反則だろからのマンハッタンはさすがに反則だろを食らう
おみくじは吉
アオのハコ観てルックバック観て寝る
ウォーキングがてらに近くのアウトレットまで行ってテキトーにショッピング
そのあとは彼女とのんびり暮らし明日からの仕事に向けて英気を養う
あと、体力回復(爆睡)、趣味(CPU換装、アニメとか映画鑑賞)、交友(彼女、彼女の両親)、掃除、運動(ショッピングだけど)と無理なくバランス良く過ごせたのも良かった
なので70点くらいはあげたい
減点の理由は、
―1点は旅行に行けなかったこと(ただし2月に休み取って旅行するから大したマイナスではない)
積んでるUdemyの講座観たり勉強してより良い休みにできたかもしれないけど、仕事が炎上してて連休前クソ疲れてたのと連休明けから鎮火のために垂直立ち上げしないといけないことから爆睡3日取らないと身体が壊してたと思う
イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理「調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、
プロジェクト・ワタン事務局、2024年6月、2024年9月3日。
http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf
特に男の子は、小中学校で直面する言葉の壁や人種差別的な経験もあって、しばらくすると学校を退学し、高校にも進学しません。思春期以降、18 歳になる前から、父親や親戚と一緒に家屋解体の仕事に就く者もいます。一方、仮放免の女子は、男子に比べて働く機会が少ないので、どんなに困難があっても教育の場に残ろうとします。「学校をやめたら、結婚するしかない」と蕨のカフェで勉強していたクルド人女子高生 2 人は口を揃えて言いました。
また、学業が非常に優秀だったり大学卒であったりしても、仮放免者の就職を保証するものではありません。ビザがなければ教育もほとんど役立ちません。例えば、映画『東京クルド』に登場するラマザンというクルド人青年は、専門教育を受けたものの、ビザの発給を待つ間仕事が見つからず、家屋解体の仕事を始めました。のちにビザを取得したのですが、今も家屋解体の仕事を続けています。おそらく親族関係のなかで働くことが、彼に安心感を与えているのかもしれません。同様に、シリア出身のクルド人青年も、大学を卒業し日本で修士号を取得したにもかかわらず、現在、家屋解体の仕事に従事しています。
先月(2022 年 6 月)、大変痛ましい一家離散のケースに遭遇しました。あるクルド人高校生が、学校での差別や言葉の壁から「トルコに帰りたい」とずっと両親に訴えていました。トルコに戻りたい一心で、彼は学校の試験も白紙答案を提出し、わざと成績が悪くなるようにしていたと父親から聞きました。その結果、彼は学校を辞め、母親は泣く泣く息子を連れてトルコに帰国しました。
(中略)その家族は、日本が幼い子供たちを追い出し、一家の崩壊につながったと考えています。母と息子はトルコに戻りましたが、父親は政治的、経済的な理由で日本に残ったからです。日本で働いて得たお金でトルコの家族を養わなければならない父親は、今、川口の小さな家で一人、家族を恋しく思いながら、先行きの分からない生活を送っています。
マフキャン人と心ならずも共生を余儀なくされている他地域出身のクルド人もいます。マフキャン人が家屋解体業を営んでいるため、他地域出身のクルド人はマフキャン人の雇い主に雇ってもらうことが多くなります。仮放免のクルド人は、他の業種で仕事に就くことができないため、マフキャン人と一緒に働くしかなく、彼らとうまく付き合っていかなければなりません。時には男女関係から生じる問題や、ハラスメントや不倫事件、労使間の緊張から、コミュニティの男性同士の喧嘩、家族間の問題が起こり、共同体から個人が排除されることもあります。
マフキャンの出身ではないあるクルド人青年は、「マフキャン人同士で争ってもしばらくすれば和解するが、自分が彼らと争うとなると行き場がない。だから、私たちはとても注意しなければならない」と語っています。
労働災害で障害を負い、再就職できなくても、仮放免のクルド人は、健康保険に加入できないため何の保障もありません。それがもうひとつの不安感につながっていきます。あるクルド人労働者は、「若いうちに一生懸命働いてお金を貯めておけば、もし自分が障害者になったり、明日死んだりしても、子どもたちが飢えることはないだろう」と語っていました。また、高齢で病気を抱える仮放免者は、年金の保障がないため飢餓に直面しています。心臓疾患のある仮放免のクルド人は、マフキャン部族の親戚の経済的支援を受けて家族を養っています。つまり、日本に暮らす高齢のクルド人が安心して暮らせるのは、日本政府ではなく、マフキャンの部族主義、氏族、親族関係のおかげなのです。そのため、当人はつねにクルド社会内部のバランスを観察し、争いに与らず、必要に応じて強者の側につくようにしています。
今日、この会場で私の話を聞いてくださっている日本のみなさまに申し上げます。毎日、前を通っている家の中で悲惨な事件が起こり、子供が虐待され、女性が暴力を受けていると想像してください。その家の前を通りかかるだけでは、何が起こっているのかは分からない。しかし、虐待の被害にあった子どもや暴力の被害にあった女性がその家の窓から外を見たとき、あなたの姿が目に入るのです。その窓の前を通り過ぎるとき、あなたは楽しそうに笑っていることもあるでしょう。その家の中で起こっている悲劇を知らないのだから、あなたには責任はない。しかし、その家で起こっていることを誰かに言われてもなお無関心でいれば、暴力を振るう加害者の共犯者になってしまいます。
イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理「調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、
プロジェクト・ワタン事務局、2024年6月、2024年9月3日閲覧。
http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf
日本では、川口メフメトがこの地で家屋解体業を営んでいたため、後から来た人たちはそのままこの部門で働くことになりました。 しかし、クルド人が家屋解体業に従事する理由はそれだけではありません。一つは、家屋の解体作業では日本語を話す必要がないことです。また、仮放免の者たちがほとんどですので、他の業種に就けないことも理由の一つです。入国管理局による厳しいルールの一つとして、仮放免の者は就労が禁止されています。そのため、ほとんどの者たちが違法に働くことを余儀なくされています。また、近年では、日本人との結婚によって日本での在留資格を得たクルド人が、仮放免の親族を内々に雇用して、家屋解体業社を設立するケースも出てきています。
在日クルド人の労働条件についても触れておきましょう。労働安全の面では、世界的に大きな発展を遂げていますが、在日クルド人はいまだ中世のような条件のもとで働いています。ご存知のように、仮放免身分の者は就労を禁じられています。この禁止は、人々を餓死させることに等しいものです。この禁止令のせいで、クルド人は不法就労を強いられています。就労が解禁されれば、家屋解体工事に携わる者たちの労24 働安全を確保するための研修や検査が行われ、安全に作業を行うことができるようになります。仮放免の者は公的な医療サービスを受けることができません。そのため、仕事中に事故に遭った場合、治療をするにも莫大な費用がかかります。資本主義的な医療制度は、日本政府がクルド人に課している「仮放免」という奴隷制度をさらに深刻化させています。同じく仮放免身分のクルド人は、居住している都道府県の外への移動、つまり移動の自由が禁じられています。また、家屋解体以外の職に従事することもできません。
女性たち同士はほとんど家で会っていて、日常生活が家に「閉じこめられている」と言えます。男性たちは朝早く家を出て、家の解体作業をしますが、女性たちは家で育児や家事をして、社交も家でします。週末には夫や子どもたちと公園に行き、一緒に過ごします。したがって一部の例外を除いて、日本社会と在日クルド人の間には社会的な相互浸透がありません。 1960年代から70年代にかけて、欧米のフェミニストは家庭内暴力に対して女性が街頭に出ることを呼びかけましたが、アフリカン・アメリカンのフェミニスト作家のベル・フックスは、街頭に出ることは黒人女性にとって解決にならないと主張しました。黒人女性にとって街頭は人種差別にさらされる場所であり、路上での暴力や差別は、時に家庭内の暴力よりもはるかに激しいものでした。日本にいるクルド人女性にも同じことが言えると思います。
クルドの部族構造では、個人や家族の間の問題は、部族を治める家族や族長が介入して、問題がエスカレートする前に解決することができるのですが、在日クルド人同士の問題に介入して、反目し合っている人たちを和解させるには、超家族的、超部族的な構造がないために時間を要しがちです。家族間や個人間の緊張、恨み、喧嘩が数カ月、時には数年続くこともあります。 その一方で在日クルド人は、日本国家や日本社会の排他的な態度ゆえに、クルド人同士で問題があったとしてもその関係を解消することができません。「外部に対抗して団結する」というモチベーションが非常に高いのです。そのため、クルド人同士の紛争は、まさにこの理由で自然解決することもあります。お互いに問題を抱えたり、仲違いしたりした家族や個人が、共通の親族の結婚式や弔い事、週末のピクニックなどに集まり、そこで和解することもあります。
それは書いた元増田に聞いてくれとしか言いようがないが、一般的にはサヒーフ・アル=ブハーリーあたりのハディスに記述がある戦利品の女に対する強姦権の事じゃないかと思う。イラクやシリアでイスラム国がヤジティ教徒の女性を捕まえて組織的に性奴隷してたのを覚えてないだろうか。そもそも論として一般的な日本人は多神教徒もしは無神論者なのでイスラム法が定める保護を受けれるかも怪しいんだ。イスラム原理主義主義者的にはそのへんの野良犬と同じだよ。ただ、イスラムに改宗して正しい道に目覚める可能性があるのでいきなり殺したりはしないほうがいいって感じ。当たり前だけど一般的なイスラム教徒はその国の法律を守らないといけないことや、習慣を押し付けて現地民と軋轢を起こすことは良くないと理解している。
示された内容は「イスラム教の基本」として述べられていますが、同様の主張を支持する宗教的な原典(クルアーン、ハディース)や、正統なイスラム法学(フィクフ)の立場を示す学術的・公的な資料は確認できません。イスラム教学、イスラーム研究の専門書、または信頼できる解説書・学者による解説を確認しても、そのような言説は見当たりません。
イスラム教学上の実際:
イスラム法やイスラム社会において、女性が単独で外出したり、髪や肌が見える場合、それが「売春婦」と見なされるといった一般的・正統的な主張は存在しません。また、「男性が自由に取って食って良い」というような表現はイスラム法の価値観や倫理に強く反するものであり、そのような解釈を正当化する根拠は全くありません。
ネット上や差別的な風評の文脈で、この種の根拠なき主張が流布されることがあります。これらはイスラム教、またはムスリム社会への偏見や敵意から生まれた誤情報である可能性が高く、宗教研究者や公的機関からの正式な出典は存在しないと考えられます。
結論:
ご提示の内容は、イスラム教の正統的な教えや文献に裏付けられたものではなく、正式な出典は見つかりません。むしろ、誤ったイメージやデマ情報の一例であると判断されます。
ご提示のような主張に対し、「拡大解釈されているとすれば、どのような原典や元ネタがあるのか」という問いは、以下のように考えられます。
イスラム教徒(特にスンナ派主流)においては、クルアーンやハディース、及びそれに基づくイスラーム法学(フィクフ)の中で、男女問わず服装や行動の端正さ、貞潔さが繰り返し強調されています。具体的には、「女性は公の場で体の特定部分を隠す(アウラを覆う)べきである」、「長距離の旅行にはマフラム(近親の男性家族)を伴うべき」などの規定が存在します。しかし、これらはあくまで宗教的・倫理的な推奨や規制であり、違反したからといって「売春婦」と同一視したり、男性が自由に女性を凌辱して良いといった発想につながるものではありません。
クルアーンやハディース内で女性の服装規範(ヒジャーブやアウラ覆い)について述べられている箇所
女性の安全確保や社会秩序のために女性が家族男性(マフラム)と行動することを推奨する伝統的解釈
これらの規定は「女性は慎ましくあれ」「安全を考慮しろ」といった、道徳的・社会的秩序維持の趣旨であり、決して「一人で外を歩く女性は売春婦」だとか「男は自由に襲ってよい」といった極端な結論を導くものではありません。
あくまで「女性の外出行動や服装に一定の制限や推奨事項がある」という原点的教えが、悪意的・偏見的な誇張や切り出しによって、「髪や肌を露出して外出=売春婦と同義」という過激な誤解に転化されていると考えられます。
イスラームの教えそのものではなく、一部地域的な文化・慣習で「不貞な女」「身持ちが悪い女」と見なされる行動規範が存在していた可能性はあります。これらの地域的偏見や差別的な見解が、イスラーム全体の教えであるかのように誤解され、または意図的に紛れ込まされた場合、上記のような主張になってしまうことがあります。
ヨーロッパやアメリカ、あるいは他の非イスラーム社会圏などで、反イスラーム的風潮を喚起するためにイスラームに関わる規範を歪曲したプロパガンダが出回ることがあります。このような情報の中には、イスラム教の教えを断片的に取り出し、極端に拡大解釈したり、正反対の意味合いにねじ曲げて伝えることで、反感や恐怖心を煽るものが存在します。
まとめ:
原典的な元は、イスラム教の基本文献(クルアーン、ハディース)中の「女性の貞潔や行動に対する規定」あるいは「安全確保のための同行推奨」などの正当な教えが、極端な拡大解釈・歪曲によって生み出された可能性が高いです。
それに加え、一部地域の文化的偏見や反イスラーム的プロパガンダが混ざり込み、本来の教えにはない過激な結論(「単独で肌を見せて歩く女性=売春婦」など)を導き出してしまっていると考えられます。
コーランは日本で言うところの憲法に相当するので具体的なことはあまり書いてない。ざっくりとした方針として「女が肌などを見せるのは(男を誘惑するので)禁止」「女は男の家長に従うこと。従わない場合は男が罰を与えてしかるべきだが、殺したりはするべきでない」と書いてあるに留まる。具体的なことは
シャーリア等に書いてあるか慣習法としての部族法で規定される。強姦された女性が殺されるのは概ね部族法が原因
信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表れるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。…(24章31節)
男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが、一方を他よりも強くなされ、かれらが自分の財産から(扶養するため)、経費を出すためである。それで貞節な女は従順に、アッラーの守護の下に(夫の)不在中を守る。あなたがたが、不忠実、不行跡の心配のある女たちには諭し、それでもだめならこれを臥所に置き去りにし、それでも効きめがなければこれを打て。それで言うことを聞くようならばかの女に対して(それ以上の)ことをしてはならない。本当にアッラーは極めて高く偉大であられる。(4章34節)
イスラム教の基本として「家族の男性と同伴せずに一人で髪や肌を露出して外を歩いている女は誰の物でもない女(=売春婦の一種)であり男は自由に取って食って良い」というのがある。
だからクルド人の青年が街中で日本の夏に適応した薄着の服装をしたローティーンの少女を目にしたとしたら「道にイチジクの実が落ちてるな」とスナック感覚で捕まえてレイプするし、それで逮捕されても意味が分からない。
被害者の少女と同じ女性の青年の母親ですら「息子が逮捕されたのはおかしい! 息子を誘惑した売春婦のお前が悪かったと言え!」と一家で被害者を攻撃して示談に追い込もうとするし、
なんなら、警察や裁判所すら一族総出で襲撃して法の支配を覆そうとする。
彼らの信じるイスラム法(ないし部族法)では青年は何の罪も犯していないのだから、冤罪であり、不当な弾圧に対して正義の闘争を始めるのは当然であろう。
この論理でクルド人に限らず、日本などイスラム教徒が多数派ではない国に移住したイスラム教徒は世界中で性犯罪絡みの騒動を起こしている。
警察と司法がクルド人の犯罪に対して(もちろん法律の範囲で)厳格に対処するのと同時に、
自治体など行政がクルド人コミュニティーに「その倫理観では日本人とは共生できないから改めろ」と粘り強く改善を働きかける必要がある。
さもなくば、クルド人に屈服させられ続け、行政の事なかれ主義で救済もされない日本人の鬱憤がいつか爆発し、暴力を伴う大規模な外国人排斥事件が起きるであろう。
自分はそういう物は見たくない。
コーヒーに関しては見当違いのことを言ってるので補足させてください。
まず、コーヒーが普及したのはカフェイン(覚醒作用)があったからで、発酵させるとかは関係ありません。
記録に残っていない口伝レベルの伝承では、エチオピア西南部の部族の戦士がコーヒーの実を食べて疲れを癒したとかが数千年前の話で、今で言うエナジードリンクのような使われ方をしていたそうです。
文献にコーヒーらしきものが初登場するのが10世紀頃のペルシアの医学書で、コーヒー(と思われる実)の果実や種子を煮出して薬にしていたという記載がありました。この時点ではまだ焙煎という概念は出てません。
現在飲まれているコーヒーの元祖は15世紀イエメンに関する文献に出てくる「カフワ」という飲み物だと言われています。コーヒーやカフェの発音に近いですね。
もともとスーフィーの間で覚醒作用のある飲み物として、カートを煮出したお茶が飲まれてましたが、カートは日持ちがせず扱いづらいため、代わりにコーヒーが飲まれるようになったそうです。
このカフワも現在のコーヒーとは少し違っていて、コーヒーの果実を丸ごと乾燥させ、その果実部分を煮出すか(現在のカスカラティーみたいなものかな?)、果実、種子を丸ごと炙ってから煮出すかの2種類の飲まれ方をしていたそうです。
その後、長期間の輸送に耐えられる乾燥コーヒーの実はイエメン以外のイスラム圏へ伝わり、インスタブールでは手回し焙煎機なども発明され、現在飲まれるコーヒーの形に変わっていきました。
さて、ここで最初に発酵は関係ないと言いましたが、実は現在のスペシャルティコーヒーでは発酵が重要な要素で、今はあまり流行ってませんが人為的にフルーツの酵素を入れて発酵させるなんて方法もあります。
元々なぜ発酵過程が必要なのかというと、ミューシレージというベタベタ成分がコーヒー豆(厳密にはパーチメント)の周りについてるんですが、これを除去する為です。
しかし、発酵に無限の組み合わせがある(果肉をどれだけ残すか、発酵時間、水の入れ替え、嫌気性好気性、乾燥工程の時間などなど)ため、農園またはウォッシングステーションの腕の見せ所で、現在の色んなキャラクターを持つコーヒーというのは、こう言った苦労からも成り立っているのです。
急いでざっくり書くわね。
めちゃんこよかったわね!
前回、夜巡者の戦争の設定にとても不満である旨を述べていたわけだけど。
今回の話でまさに「そうそうこういうのが見たかったの!」という気持ちになったわ!
国のみんなと竜が一致団結して敵に臨むってこういうのよね!戦争ってこうゆうのよね!
各地で転戦するのも(神の目の力以外で)個々人の抵抗を描きつつ局所的勝利が大局を左右しないというストーリー的な負けイベントをストレスなく受け入れさせる出来でとてもとてもよかったわ!
主人公が喋ると毎回ドキッとするのだけど、今回はシチュもあってグッと来てしまうので、ここら辺の出し惜しみ?使いどころの切り方には毎度感心してしまうわ。
あと隊長ファデュイ隊共闘もなかなか熱い展開なのだけど、直前で氷ファデュイの弱体化が入ったから前のままの氷ファデュイなら絶対アビス追い返せてたのに…!と思っちゃったりして。いやー強かったね。弱体化前の稲妻を知らないのでヤバい雑魚筆頭でしたわ。
部族そろわない段階で全面戦争を描いた点は不満だけれど、再度の山場があると期待して今後を待ちますね。
シトラリもオロルンもシロネンもいつもどおり見た目も性格も若くて賢くて良い子で…。本当に…いつもどおりで…。
0は最初ということで三人とも好きだったけど、だから次はひねってほしかったかな。
謎煙の主で黒曜石の老婆でなシトラリには期待してたのに普通の少女キャラ。ガチャゲーアクションゲーで弱った老人キャラは難しいだろうけどそこはメカ車椅子とか自分は動かない設定でなんとかしてほしい。なあ傀儡くん!
敵か味方かオロルンもひっぱらずあっさり謎が明かされて、ただのいい子ちゃん。あの性格と生活様式であの服装はちょっと無理がない?農作業服がデフォでしょあの子。
シロネンは言うこと特になし。本当に刺さらず…祈願しない言い訳にできたけど。部族見聞は死後の設定がもうなんか分からなくなってきたわ。幽霊あり、死後の世界で希薄化あり、死後何百年も戦い続けるのもあり、記憶から再構成もあり?難しいですね。
いまさらではあるけれど、原神のキャラの性格容姿にあまり幅がないことに気がついてきて、それがモヤモヤになってきた。もっと頭からっぽなキャラが欲しい。
その辺は花神誕祭のわちゃわちゃで結構モチベリカバーできたのでまあいいです。
そんな感じで、ストーリーはよし。新キャラの魅力はイマイチ。な5.1だったかな。
稲妻のひどい戦争と比べれば格段によくなってるし、ミツムシイベントといいフィールドを大きく使う演出が多くて満足感があるので進化を感じる出来になっております。
空とぶ一人反応チャスカにインフレを恐れつつ、5.2、復興などにも着目した新バージョンに期待してます。
イアンサ!