はてなキーワード: 餓死とは
Finalvalent がはてぶでフルボッコにされてるがお前らは一度太平洋戦争を反省した方がいい。
まずお前らに聞きたいけど兵站どうするの?
「ローマは兵站で勝つ」「楚漢戦争の戦功第一は兵站担当の蕭何」と言われるように古来から優れた国家は兵站を重視してきた。兵站を軽視した大日本帝国が東南アジアで飢餓に苦しみまくって餓死者を出しまくり戦争どころじゃなくなったのは記憶に新しいところだ。
ではここで言う兵站の補給対象と補給物資はなにか?補給対象はアメリカおよびその同盟諸国であり、補給物資は石油天然ガスなどのエネルギーや食料品である。
はてなブックマーカーが知っているか知らないか分からないがウクライナは小麦の大量供給地域であり、ロシアは天然ガスなどの大量供給地域だ。ここからの補給が止まっているから世界規模の物価高騰のインパクトを与えている。それは日本でも味わってるはず。
さらに悪いことにバイデンなどの国際金融資本の活躍で社会システムはどこもカツカツの状態で余裕となるタメがない。日本でもこども食堂とか氷河期派遣の現状とかみれば分かるはず。
テレビしかみない諸兄は知らないかもしれないがある程度政治には詳しいやつは長期化すれば確実に不利になるってのはそもそも初期から殆どの奴が言ってた話で変な話でもない。(finalvent くらいの論客なら当初からこれくらい読めてたはず)
ここのエントリには世話になったので、n=1を提供する。初投稿なのでやらかしてたらごめん。
・男
・20代後半
・169
・年収400万
・IT系
・料理しない歴=年齢
餓死したくない。
・1年かけて料理グッズを集めた
服:
肌:
髪:
キモオタ特有の長髪だったが、散髪してスッキリ。だいたい月1くらいで通う。
眉:
歯:
体:
髭:
マインド:
料理がうまくなる系の本はいくつか読んだ。ぶっちゃけインターネットで書かれていることと大差はないが、体系的にまとまっていることがメリット。
その他:
クッキングアプリは好きな料理選べるやつ(デリッシュ◯ッチン)にした。
環境分析
クッキングアプリは優良レシピがトップに検索に引っかかるシステムのため、いいね数が多い競争率が高そうなレシピは避け、できるだけ登録したてのレシピにアプローチした。
写真はかっこよさよりも親しみやすさ重視で、きちんと完成品出ている他撮りのものを選ぶ。
行動
意識したのは以下。
・きちんとレシピを見て作る
・好きなレシピを覚えておく
・レシピ投稿者の居住地の沿線を把握し、デート先のカフェを調べておく
・菜箸を持つ
・いけそうだなと思ったらさっさと作る
ベタなレシピ(肉じゃが、カレーライス)だが、私はやれていなかったので、クッキング中はとにかく煮込み続けた。自分に煮込み耐性がなさすぎるので疲れるが、具材が柔らかくなるとテンションは上がる。
ネットには3回はレシピを見ろの噂が囁かれているが、作れそうなら作っていいと感じた。失敗しても次作れることこそクッキングアプリの最大のメリットだと思う。
料理家のことを尊敬できるし、向こうもこちらを相当尊重してくれるのが伝わる。今後は誰かに料理を作っても捨てられないように努力したい。
昭和生まれのおっさんだから思うのだろうけど、最近の昭和擦りいい加減にやめられんかね…
そうだなあと思う部分もありつつ、雑な論理展開だなと思うことも半々くらい感じる
昭和時代の人間が作った悪習だから平成期にも受け継がれてるっていうのはそうなんだけど、昭和期の悪習として紹介されるものの中に平成期の話が混入してることが多い。
特に経済事案系だけど、(たまたまとはいえ)昭和の終盤は基本的に好景気で終わったので、不景気に伴う悪習はほとんど平成のもの。
語るまでもないと思うけど、一応念のため…。今語られる昭和性って、昭和の最後15年くらいで平和時代で固定化された世相のみを切り取ってるような気がする
昭和1年~:1926年 普通選挙になったり、治安維持法で思想統制されていたころ…。この数年前までは一定の納税が無いと選挙権すらなかった
昭和20年~:1945年 言わずと知れた敗戦。写真で見るような焼野原。裁判官が闇市場のコメを拒否して餓死したり。
昭和30年~:1955年 「もはや戦後ではない」あの戦争から10年で立ち上がる…失われた30年とか言ってる今のスピード感と違う
昭和45年~:1970年 安保闘争や学生運動を経て左派が威勢良かった時代の最後あたり。この後京浜安保闘争とかあさま山荘の過激化路線につながる。
昭和60年~:1985年 プラザ合意経て地価高騰、バブル景気の始まり。「24時間戦えますか?」ってTVCMで問いかけられたり。昭和天皇の崩去に近いころは、天気予報のように毎日昭和帝の脈拍とかがニュースで流れてた
「昭和」…というけど、権威への盲従性とか同調圧力って昭和の時代性というより、日本人性のような気がする
そこらへんって江戸時代あたりから続いてるような(石門心学とか?)。時代の問題として片づけると、本質から目を逸らされることもあると思う
あの時代に戻りたいか…?と言われたら、あんな野蛮な時代に戻りたいとは思わない
今から見たら原始時代みたいな野蛮性や狂気を許してた時代だったと確かに思う
なんかギョーザを父も子どもたちも同数しか与えないのが当たり前という考えの女性の漫画が話題だ。
経験から言わせてもらうが、この手の女は夫はもちろん、成長期の子供に対しても食べ物を増やそうとすることは絶対にない。断言する。
こういう女の子供として生まれ育ったが、おかずは少数、足りなかったら米を食えと言われてそのようにした結果、姉はチビデブ、俺は20歳くらいで糖尿病になった。おかずが少なかったため、肉や野菜に比べて糖質の摂取量が多すぎるのだから当然だろう。医者が母親に食事についていろいろ言ったが、特に何かが変わるといったことはなかった。
親父は色白で痩せ型だと思っていた。体調を崩して入院したところ、そこそこ体格も血色もよくなって驚いた。ところが退院する段になって「家に帰りたくない」とこぼしていた。親父も母親のせいで食べ物に困らされていたのだろう。
あまりにも俺や姉の発育が悪いので、父や母の両親が母にいろいろ言ったようだが、結局改善されることはなかった。
俺も姉も成人後に家を出た。親父が俺達に家を出ることを勧めていたのは「そういうこと」だったのだろう。
長年に渡って染み付いた食生活を変えることは大変だったが、自分でコントロールできるようになり、姉の体格はなんとか「ぽっちゃり」と強弁できる程度に落ち着いたが、俺の糖尿は治っていない。食事の管理は面倒くさいし、薬の副作用で起きる身体のかゆみに悩まされている。カレーやラーメンを食べるときも数字のことが常に頭にあり味を楽しむゆとりなどない。
帰省するときに母親が用意する食事は、言うまでもなくお察しの通りだった。デパ地下や仕出しのオードブルなんぞを買っていくと親父が喜んだのは、単に嬉しい以上の何かがあったに違いない。
あるとき、親父の歩き方がぎこちないのが気になった。まもなく親父は歩けなくなった。
葬式で目にした親父はガリガリに痩せていて目が落ちくぼみ、映画の「スクリーム」みたいな顔になっていてまるで別人だった。
母親が席を外した隙に見た死亡診断書は、「直接の死因ではないが関連すると思われる症状」みたいな項目のところに「極度の栄養失調」と書かれていた。ほぼ餓死だ。
母親を問い詰めたところ「食欲がないと言ってろくに食べようとしなかった」と言い張っていたが、話に明らかに辻褄の合わないところがあったので、多分ろくに食わせてもらえなかったのだろう。
父方の祖母は「こんな女との結婚を許すべきじゃなかった」と泣いていた。
この手の女と添い遂げようとすると殺されるか、良くても人生を狂わされる。だからこの手の女が妻や母親である場合、家族はさっさと逃げるべきだ。
【嘘故事成語】 「捨車徒行(しゅしゃとこう)」 の成り立ち
古代中国の山間の村々では、日常生活において牛や馬が重要な役割を果たしていた。村人たちは農耕や物資の運搬にこれらの動物を使っており、特に冬季には生存に欠かせない存在だった。ある時、都市部の役人が農村視察に訪れ、村人たちが牛馬を使っている様子を見てこう言い放った。
「牛馬に頼るのは怠惰な証拠だ。徒歩で働き、物資を背負うべきだ。」
「険しい山道を越えるには牛や馬が欠かせません。もし徒歩だけでこれを運べと言われたら、冬を越せず餓死してしまうでしょう。」
それでも役人は頑なに自説を曲げず、「我ら都では車や馬を持たずとも生活している。それを真似するべきだ」と断じた。このやり取りが後に「不可能ではないが不合理な命令」の象徴として語り継がれるようになった。
久々に炒め物をして、本当に料理が嫌いだということを思い知った。
換気扇の音がうるさい。まずこれだけで割と気が狂いそう。耳栓するときとしない時があるが、今日は耳栓を自分の部屋に取りに行くのがめんどくさすぎてしなかった。
この中で作業をしていく。
キャベツを千切って洗い、火を点ける。
最初から油を入れると過剰摂取になるため、最初は水を入れとく。
これで油が跳ねる恐怖を軽減。
続いてほうれん草を入れる。
しばらくしてニンジンを入れる。
ほうれん草を冷蔵庫から取り出し、千切って洗っている間、水は足りているか、火加減は大丈夫か、キャベツは焦げて無いかを確認しなければならない。気が狂う。
全部入れたら炒めつつ、お酢を取り出す。
お酢の蓋が硬くて開かない。焦る。
火加減を見なければいけないのに、とイライラしながらその辺にあった物でテコの原理を利用しつつ、お酢の蓋がやっとあく。
まぁまぁ多めの量をぶっかける。
火加減に焦りつつ、ツナを取り出し、入れる。
この辺で水気がなくなってくるので少し焦げてることに気づき、パニックになる。
火を弱めつつ、頑張ってかき混ぜる。
しばらくしたら醤油を入れて塩を振る。塩出しすぎたか!?分からん!?
もー!と焦る。
味見したら、何なら味が薄い。
とても腹が立つ。怒りながら、醤油を多めに入れる。
味見したらちょうどいいくらいだった。
これ以上やったら焦げるので火を止める。
やっと野菜炒めができた。
ニンジンが若干硬い。
もう少し火が通ってる方が好みだったかも。
ここまで30〜40分くらいかかった気がする。
料理時間が大嫌いで、少しでも短くしたいのに、こんなにも時間がかかったという事実にまた凹むし、イライラする。
ずーっとパニックだし、ずーっと焦ってるし、その割にめちゃくちゃ美味しいものが出来るわけでもないし…。
頭の中でシュミレーションしている時はもっとスムーズにいくはずなのに、という現実と理想のギャップにもイライラする。
ずっと思い通りにいかない。
料理中、緊張と怒りでほとんどずっと息が止まっている気がする。
すごく疲れる。
終わるといつもクタクタだ。
3日分の作り置きは完成した。これだけ苦労して、3日しか楽できない。
卵焼きなどは別で焼く必要があり、結局ほぼ毎日何かを料理している気がする。
やっぱり鍋の方がまだ楽でいい。あれも、準備段階ではずっとパニックだけど。
料理に向いていないんだろう。
単純作業の繰り返し。
ひょっとすると、毎日こんなにきちんと栄養摂らなくてもいいんだろうか?
みんなこんなにしっかり食べてないんだろうか?