はてなキーワード: 入試とは
ある人がエンジニアには学位がいるといったが、ITは必ずしも必須ではない。
アルゴリズムとデーター構造の本は腐るほどあるし、競技プログラミングの問題を解く過程でも勉強できる。
ただ、githubのコードでK1,K2…Knみたいな説明をしてるところがあって、そういうのを理解するのに学位がいる。
正確に言うと学位をとる過程で身に着けた数学の知識やイロハが必要で、ここら辺に関するものを勉強するのは大学じゃないと結構難しい。
(プログラマーのためのわかりやすい数学の本というのもあるにはあるが、コンパイラーの本や量子コンピューターについて解説してるウェブサイトは数学の知識がある人向けに書いてあるので、学位がないものにとってはマジで地獄でした)
ただ、学位を取るには大学受験を突破しなければならず、情報系の大学はそこそこ偏差値が高いので、いわゆるまじめ系くずだと難しい傾向にある。
筑波大の推薦入試は、非常に厳格な選考基準を設けた試験だ。皇族だからと特別扱いするというのは非常に考えにくい。経験ある人なら分かると思う。
仮に筑波大学の学長が「特別配慮をせよ」という指令を出したところで、それに生物学類の入試担当教員全員が従うというのは現実的ではない。これらの教員はそれぞれ生物学に関する一流の研究者だ。こうした指令で別配慮を強制するのはまず不可能だ。指令したところで、内部や外部にリークされるのは時間の問題だろう。
推薦入試の小論文は、生物学の専門知識や論理的思考力が問われるそれなりの難易度の試験だ。それは過去問を見れば一目で分かる。相応の能力がないと合格レベルの得点は獲得できない。教員側の採点も厳格に行わざるを得ない。おそらく受験者匿名で採点しているはずで、これも特別配慮はあり得ない。
個別面接は、親王が顔が売れている方なので面接官も意識せざるを得ないと思う。しかし、大学教員が採点で特別配慮をするというのは非常に考えにくい。受験生がどのように生物学に取り組んできたかや入学後の学習意欲を深掘りされ、専門的な質問に対応する力が試される。いろいろ揶揄されているが、国際学会の発表経験がある親王はやはり有利だろう。
可能性としてありうるのは、あらかじめ親王の学力を筑波大付属高校と学長の間で情報共有して、十二分に合格できる実力があることを確認した上で受験させた、というところではないかと思う。ただ、これは憶測の域を出ない。
なお、推薦入試の受験日に親王が筑波大学に姿を見せなかったことを訝しがる人が多いが、おそらく、皇居と筑波大学を結ぶ地下道を利用しのだろう。この地下道は、筑波大では有名な話で、皇族が万が一の事態に備えて迅速かつ安全に移動できるよう設計されている。
筑波大学の地下道は、万が一の事態に備え、皇族が迅速かつ安全に移動できるよう設計された秘密のインフラだ。中央図書館付近の石畳広場には隠された入口があり、その広場自体もヘリポートとしての機能を備えている。また、この地下道は大学内を網の目のように走り、防空壕としても使用できる堅牢な構造になっている。特に第二学群C棟のエレベーターは、地下道への直通ルートとして知られている。ボタンがなく普段は動作しないが、特殊なリモコンで起動する仕組みだ。筑波大学の建物配置や迷路のような構造も、この地下道を隠しながら機能を最大化するための計画的な設計だといえる。推薦入試当日、悠仁親王が姿を見せなかったのは、この地下道を利用したからだろう。地下道は厳重に管理されており、親王は安全に移動し試験を受けたのだろう。この体制は、筑波大学が教育機関としてだけでなく、「もう一つの皇居」として国家的な役割を担っていることを物語っている。
※最後だけ参考:https://softether.hatenadiary.org/entries/2006/01/18
※前半は結構真面目
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別に殺されたようなもの。
時期 | 批判対象 | 批判者 | 批判理由 | 擁護者 | 擁護理由 | その後 |
00~10年代 | 雅子妃 | 女性週刊誌(婆世代) | 従来の慣習にならわず外交だけ選り好みするのは甘え。 | -- | 人格批判があった(徳仁)・実存的うつ(斎藤環) | 公務復帰で見直され出す |
00~10年代 | 愛子さま | 2chの婆 | ガイジ | 右翼 | 女性天皇論 | 思春期頃からの透明感や気品、堅実さで見直され出す |
2017~2021 | 秋篠宮家+小室家 | マスメディア世代・ネット世代 | 血税を小室親子に使うな・圭さん特例措置ズルい許せない | 圭さんと同階級の男性 | 圭さんも努力した | 眞子さんが一般人になったので批判できなくなる |
20年代~ | 秋篠宮家 | ネット世代 | 悠仁さま入試特例措置ズルい許せない・秋篠宮家は国民を加害者扱いしている(眞子さんPTSD発表・皇嗣イジメ発言) | -- | -- | -- |
20年代~ | 天皇制 | 左翼 | もう皇室要らない | 右翼 | 皇室はもちろん必要 | -- |
本当に映像作品を観るのが得意じゃない。
なにしろ、何分!何時間!身体が拘束されると思うと嫌気がさすし、目が乾くだろうし嫌になる
ドラマをブワーっと見れる人とか、アニメを観る人っていうのが信じられなかった。文章だったら自分で読むスピードを変えられていくらでも読み直す事が出来るけど、映像作品は観るスピードを変えたら作品自体が変わっちゃうし、巻き戻ししたところで映像の端から端までを一気に観ることは、物理的に不可能だ。
ということを感じて、どうにか観れるようになりたいと、映像作品のイロハを学ぶことにした。
とにかく上手と下手を常に意識する。
そしてカットが映し出すもの、それがなにを呼び起こしているのか、どのような象徴であるのかを念頭に入れておく。
光源はどこかとか。
重い腰をあげて、手始めにエヴァを見てみた。
上手下手のほかにも、カメラの位置についても考えるようになると、段々と映画すらも楽しめるようになった。
それに地方の映画館でやってるようなエンタメ映画というのは、本当にこの勉強の成果が全く出ない!
映画って予算とか莫大なのに、なんで技巧を凝らすものが少ないんだ?
そうなると自分が楽しめるのはやっぱりアニメになるし、映画は前衛映画になる。
今年は例年に比べてまあまあ映画を観たと思う。
とはいっても、10作品も観てないような気がする。とにかく目が乾くのが嫌で観る気になれない。
もともと物語を追うのが得意じゃない。小説はよく読むけど、ストーリーを追うのは凄く下手だ。
・何かが起こる
・どうして起こったか
・その後どうなったか
この因果が化学でやったような共有結合的な仕方で手を取り合っていたら簡単だが、小説は挿話のようなものがパンパンに詰まっていることも多く、本当に、覚えられない。
パンパンに詰まっている挿話の袋に穴があいて、そこからブワッと一気にエピソードが頭の中へ漏れ出す。頭の中ではそれらが、さっきの因果の仕方でどのように結合していたか、並べ直す作業がはじまって、ようやく人と話せるようになる。
現代文は得意だった。マークシートでは9割が普通で、記述でも8割を下回ったことはない。
でもそれとこれとは全く別だということ。
友人が言っていたのを思い出して、岡田斗司夫を少しだけ見るようになった。岡田斗司夫の言うことは確かに、切れ味は鋭い。ふーむ、そこを切り口に語るのですね、と思う。
が、岡田斗司夫の言っていることは、雑学という写像的な意味対応を抜きにすれば、入試現代文と同じなのだ(岡田斗司夫を下げるわけじゃない。でも誰でもできるというわけではない。勉強すればできる)。
と、強く思っている。
でもやっぱり、映像作品を観るのはあまり、得意ではないなあ……と思う。
それなのに色々なひとが、いわゆる「考察」についてよく話しているのは、すげえと思う一方、さっきの雑学という写像的な意味対応の披瀝とあんま変わんねえんじゃねえかなあ、とも思う。
YouTubeで何かの紹介があると、コメント欄では「ちなみに〇〇の△△は××です」「□□が☆☆なのほんとすき」とか。作品の理解とは無関係な、つまり〈辞書を引けば即会得〉という意味での雑学は、誰のものでもないし、誰も凄くないし、なんだかなあという気持ちになる。
それにしても、勉強の成果というのはヒシヒシと感じる。
学生の時分はとにかく怠惰だったから、あまり勉強をしなかった。勉強即趣味、趣味即勉強というのは心が豊かになって良い。
ただ、自分が、自分だけが怠惰な世界であるようには思えなくて、このような怠惰な人間が学びなおして、インボー論的なヤツにハマったりしているのであれば、その人に対して私は同情してしまう。
ネットに溢れるインボー論的なヤツも、先の〈辞書を引けば即会得〉的な、写像対応とあまり変わらんのではないか、そのように思える。学生時代には「これって実質〇〇なのでは……?」というのが流行った。それと現代文を対応させると、文章から抽象を引っ張り出して、抽象を、或るものと別のものを繋ぐドカンのようにしてやり、具象を出す、そのような理解を得た。
勉強せずに現代文を解いていると、逆に現代文はどのような勉強をすれば、どのような理解に基づけば解答が導き出されるか、という「逆勉強」のようなものに従って、普遍化していた。なにも私は全知全能ではない。なぜか現代文が解けただけなのだから。勉強すれば出来るようになる入試というもので、天才しか解けないような問題を出すなんて、ありえない話なのだ。
私の現代文の先生は、よっぽど特殊だったのだろう。素晴らしい先生だった。「現代文は、つまんないからやりたくない」そう言って「だって、読めば答えが書いてあるから!」と喝破した。そして、授業を本当にしなかった。雑談をして、そこから生徒と一緒に、思考をコネコネする。でも実際、私たち生徒が感じていたのは雑談だし、授業をしない、教科書を読まない! だけだと思っていた。「あーあ、ねみー! 次現文かあ、寝るかあ」なんてのをみんながよく言ってたものだ。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別に殺されたようなもの。
しかも大学側は女性が合格すると人材不足になることを理由に女性に負担を押し付ける形で解決を測ったと不正入試の理由を答えていますよね。
本来、大人が解決するべき雇用問題の解決を子ども、しかも女性だけに押し付けたんですよね
これは日本社会全体にも通じる傾向です
だから平均年収や正規雇用の男女比には大きな開きがあるんですよね
この状況で女性が働かないとはどういうことでしょうか
下駄を履いたまま、女性に稼ぎや出生率を求めるのは滑稽だと思いませんか?そういう姿勢が昭和から平成、令和まで掛けて続いてきました
働いている筈の男性は何をしているんでしょうか
いいえ、不正入試事件は明確に女性のみが減点されていたので女性差別にあたりますね
先立って日本の雇用や進学の場面では男女別定員制度として正式に男性を優先的に採用、合格する構造があります
そういうシステムの中で育てば、男性は家庭貢献をしなくても許されるいう風潮が然るものとして形成されますよね
女性が選ばないのではなく、選べないのが現状なのです
稼ぐ手段を規制され、かつ家庭に貢献する男性がいないとなればもう子どもを産む選択肢なんてありませんよね
少子化なんて50年前から言われてきたのに対策しなかったのは歴代政治を引っ張ってきた男性なんです
その上、稼ぎが少ない子どもが少ない現状を全て女性に責任転嫁する男性の姿を見れば女性が反発するのも当然ですね
特に厚顔無恥な女叩きに従事する無能なチンカスの劣化した遺伝子は後世に残す必要もないので見せしめとして去勢するのが少子化問題解決の一助になるでしょう
男性が家庭に従事したがらないから、女性の労働を規制しているのが正しい認識ですね
それ故に起こったのが不正入試事件であり、共働き世代で家事育児分担が進んでいない原因です
現代の男性は稼がない上に家事育児をやらないという甲斐性無しに成り下がっています
はい、医学部入試における女性差別の問題は2018年に大きく報道され、社会問題となりました。
主な事実は以下の通りです:
2018年8月、東京医科大学で女子受験生の得点を一律に減点し、合格者数を意図的に抑えていたことが発覚しました。
この不正は2011年頃から続いており、女子の合格者を3割前後に抑えるよう調整されていました。
東京医大以外にも、順天堂大や日本大など計9大学で女子差別や年齢差別などの不適切な入試が確認されました。
背景には「女性は結婚や出産で医師をやめるケースが多い」という考えがあったとされています。
この問題をきっかけに、文部科学省は全国の医学部に緊急調査を実施し、入試の実施要項に差別を禁止するルールを設けるなどの対策が講じられました。
ここ数日で2文見て気付いた
(数十年前に英検3級。大学入試とかで6割ちょいぐらいの苦手科目。そこからさらに衰えてるが最低限の文法や単語は思い出せたりするぐらい)
夢が真実になる、夢がかなう ぐらいの意味か。バンドしか出てこない
Back to the Future
未来へ戻る? 未だにタイムスリップするぜ ぐらいの意味で捉えてる
洋楽、洋画のタイトルや頻出歌詞で単語も単語の並びも知ってるが意味まで考えたことないのが多そう。慣用句とかレベルじゃなしに(そうであったり、何かのもじりかとかでもわからない
All You Need Is Kill は大人になってから読んで、内容も加味してなんか「ただ殺すだけ」という意味と繋がっている
0001 名無しなのに合格 2023/12/03(日) 01:22:27.19
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別によって殺されたようなもの。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別に殺されたようなもの。