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はてなキーワード: 荒唐無稽とは

2024-12-12

Grokが無料になってみんな画像生成して盛り上がってるけど、有名人荒唐無稽な事をさせるような画像作って「こんなの作った」ってXでアピールしてるやつはやばい

その人が訴える場合Xとかイーロンに対してじゃなく、画像投稿したやつが肖像権とか名誉毀損とかで訴えられるわけだし、何考えてそんなの投稿してるんだって思う

anond:20241211215834

子どもの性被害の部分それ自体の真偽は社会常識では不明だが、それ以外の部分がウソであることは社会常識があればわかる。

特定民族に属するかも知れない氏名不詳の加害者弁護士の間に「利益相反」が生じることなどあり得ないし、そんなバカ理屈法律相談を断る弁護士もいない。法律相談を受けたくなければ「忙しくてアポが取れない」と言えば済むことです。

資金もなければ数も少ないクルド人支援者について、彼らが騒ぐから警察捜査しない云々もあり得ないし(だいたいクルドの連中の多くは退令後仮放免です。収令仮放免と違って毎回更新必要になり、更新するかしないか入管の胸先三寸なので何かあればすぐに収容される。)、ネットの「自称事情通」でもあるまいし、弁護士がそんな荒唐無稽な話を相談者にすることも考えられない。依頼者曰く「クルド人」かも知れない氏名不詳者を被疑者とする被害届ないし告訴状警察に持って行ったら弁護士仕事を失いかねない?あるわけないでしょ。そんなバカな話を依頼者にしたのが知られたら(今どき弁護士に対する不満をネットにぶちまける人なんていくらでもいる。)、そっちの方が仕事を失う可能性ありますよ。

そして本当に子どもが性被害に遭った親は、ここまでデタラメを書くことはしない。

ついでに言うと、子どもの性被害についても疑わしい部分はある。同性幼児に対する性的嗜好は人に隠しておきたいと思うのが通常なので、その種の性犯罪は異性に対するレイプと違ってほとんどが単独犯です(というか共犯事件をみた記憶がない。まあ犯罪者心理を専門的に学んだことがないので、それでウソだと決めつけることはしないけどね。)。

夢かよ

夢日記になる

夢日記なのでほぼ嘘で荒唐無稽

米津の架空の曲の元ネタがあることを知る→NARUTO架空の序盤SFスポットキャラ同士のカップリングの話をリアルで知る

この流れだった気がするけどつなぎ部分がかなり曖昧なので一度整理しようかと思ったけど無理だったのでそのまま書いていく。

なんでNARUTOしか架空の序盤ガチSF

NARUTOの作者が前半でSFを書いていたことをふとおもいだした。

前半のNARUTOはかなり迷走しており、主人公たちは巡洋艦 、なんかナディアのNノーチラスみたいなやつの護衛をしてた。

どうやらペーペー任務みたいらしくて主人公以外の人たちもシミュレーションっぽいことしてて

そこには偉そうなおじいさんがいてシミュレーション撃墜されまくってたことに皮肉つきの苦言を言ってた。

ちなみにここではご丁寧にスパロボっぽい画面が記憶にある。

NARUTOにはロボットは出てない。多分

その後、ロボットたちが演習している場面へと移る。

その世界は割と荒廃してるのか知らんが、ロボットの残骸が残っていたみたいで、そこの中に修理したのかわざわざ紛れ込ませたのか知らないが動く機体があって、

その残骸付近で演習中に潜んでいた奴らが暴れだした。ミサイルを演習中のロボットに向けて発射してた。あたってはなかった気がする。

さて、ここまで書いてわかるとおり

NARUTOといったが、どうやら主人公たちガン無視の話らしい。なんでNARUTO

作品視点から現実(夢)の私視点へと移行、そして

ここからさらに章限定キャラ2人(+2)たちに焦点があたっているようだ。

この二人がなんか王道ラブコメわずかに見た気がする。

米津の曲のPV元ネタが気になって調べたらNARUTOの作者だった

つなぎがおかしいけどもう知らん

米津のPVラブコメしてて、どちらが先かわからん小説存在してた。

後ほど20巻まででていることを知るので多分NARUTOの作者が原作だろう。

そして突然リアルに戻って、私はNARUTO記憶はあるがその序盤の話がその後どうなったかを知りたくなった。

唐突な...

20巻まであるそうで何故か私は20からネタバレを見ていった。

20巻では序盤のカップルの片割れが別キャラとセットで紹介されて、もう片割れさらに別キャラ結婚してるみたいなこと書いてた

あれ?

19巻は覚えてない

そして18巻でどうやら片割れガッツリNTRされてた。

それも鬱っぽい感じで

これは夢ですか?

なんとも言えない気持ちで起床したワイは

しっかりと現実か夢かわからなくなり

岸本 米津」

とググって夢だったことを知るのだった

所感

なんやこれ

2024-12-10

ブラックウォッシングは二次創作じゃないんよ

https://anond.hatelabo.jp/20241210123324

はよくまとまってるけどちょっと捕捉したい

   

type-100

二次創作範疇だろう。

全く下らない。ブラックウォッシングもホワイトウォッシングもアメリカローカル問題で、日本人が真面目に付き合う必要は無い。

元増田も突っ込んでるけど全然違う。

ブラックウォッシングは二次創作とは全く違うし、

ほっとこうにも既に攻めてきている。

   

だいたいブラジリアンミクとかは世界日本人も誰も問題にしてなかったでしょ。二次創作問題にされてない。

ブラックウォッシングは既存キャラが素敵な黒人キャラ翻案されてるんじゃなくそういう創意や芸術性や楽しみは何もない。

マジで「単に黒人にする」のが特徴で、なんならだいたい絵が下手で成果物が醜い。

(絵が上手い黒人はまともな創作をするのでこんなもんに参加しないのではないか

   

何より彼らはブラックウォッシングイラストを投下するときに「fixed」って書くんだよね。

「修理しました」 「問題解決しました」よ。

日本人キャラ黒人にされてこの言い草よ。

ちょっとマジであたおかぶり攻撃性がすごすぎるんよ。

 

日本人自分達が差別されることや侵略されることに鈍感で寛容だから

大分気にせず流してきたけど、ちょっと尋常じゃなくないかこれ?ってなってるのがいま。

 

あとあの界隈の人達発言日本人からすると荒唐無稽すぎて見えるので

ジョークだろ」とか「一部の狂ったやつだろ」と思い込みがちだったけどそんなんじゃないことに気付いてきた。

  

  

だいたい渦中の一人の黒人声優にしても彼等のホワイトウォッシュ理論で行けばおかしいのよ。

ダンダダンの主人公日本人少年のび太みたいなやつで黒人ぽさはどこにもない)の声優

日本ルーツどころか黄色人種ですらなく黒人なのは不当であるはず。

 

いや能力的には彼は何も問題なくて、声はいいし日本語版のオカルンの雰囲気がよく出てて驚くんだけど、

あのイカレたホワイトウォッシュ理論で行くなら英語のオカルン役もモモ役もルーツを同じくする役者、つまり日系人声優が独占できなければならない。

そこは黒人でええんかーいっていうアンフェアさがすごいだろ。

ここに論理的説明がないんだから横暴な差別しか言いようがない。要するに黒人様に逆らうなって言ってるだけじゃん。

(てかあの理論ならアニメ吹き替えもっと日系声優で半独占できるはずなのにそうしないの

 日系ってのはそういう押しが強くないのかおくゆかしいのか…)

  

あと弥助の活躍評価を盛った話や坂上田村麻呂黒人て話も   

俺はネタだと思って笑ってたし、それで黒人が少し楽しい気持ちになるならいいんじゃねとか思ってたけど、

趣味で見てるMMAトップ黒人選手マジで信じて言ってる(真の侍になるためには黒人の血が必要っていうあれ)のを見て

「あれこれやばくねーか?」ってなってきた。

  

 

そもそもアメリカいかれた社会が生み出したいかれた理論なんだけど

そろそろ真面目に反論や反発を表明しないとまずい気がする。

またアジア人舐められすぎ問題も背景にあるのはマジっぽいよな。

2024-12-04

政治的微妙!?特定国家軍隊が敵になっているシューターゲーム

はてブパレスチナ人としてイスラエル復讐する Fursan al-Aqsa: The Knights of the Al-Aqsa Mosque が話題になっていたので、特定の国や軍隊が敵になっているゲームを上げていくよ!!

ちなみに これだけ最初にいっときたいんだけどFursan al-Aqsa: The Knights of the Al-Aqsa Mosqueは英国Steamにて発禁になったことで話題になっているけど、日本Steamストアから普通に購入できるよ!

https://store.steampowered.com/app/1714420/Fursan_alAqsa_The_Knights_of_the_AlAqsa_Mosque/

はてブのみんなもコメントでいっちょがみするだけじゃなくてやろう!!Fursan al-Aqsa: The Knights of the Al-Aqsa Mosque!!

(筆者はstalker2終わって暇だったらかっても良いかなと思っている)

さて、ここから特定国家軍隊が敵になっているFPSゲーム集だ!「そんなのいっぱいあるでしょ」と思ったそこのキミ!その通り、たくさんあります

なので、Call of Duty とかBattle Fieldみたいな有名作品は扱いません。書いてもおもんないんで。

あとWW2モノのような歴史上の戦争を題材にしたものも取り上げません。ウルフェンシュタインみたいなここまでいくとSFだろ、みたいな作品も取り上げません。

===閑話===

ちなみに、現代戦モノのCall of DutyやBattle Field等、アメリカ製FPSキャンペーンモードストーリーモード)でよくロシア中国あたりが敵になりますが、

大抵の作品では、一応は「黒幕の影響や政治態勢の変換があって、国家が悪い方向に向かったすえに敵対している…」という配慮?がなされています

「今のロシア中国戦争しているわけではない」という理屈けがされているわけですね。

その配慮意味があるかは別として、Fursan al-Aqsaは今のイスラエルと戦う話だと思いますので、ちょっと味付けが違うのは事実かと思います

===閑話休題===









以上です。疲れた

やっぱ非西側諸国FPSシューターってあんまりないんだよね。

特定の国が敵になっているわけではないので挙げませんでしたが、番外編でロシアFPSといえばEscape From Tarkov が有名ですね。

西側諸国PMCが怪しいことしてるので、ロシア国内秘密傭兵集団BEARが対抗します、というストーリーになっています

このBEARの設定ってまんまワグネルです。ゲーム的にはどっちが良いも悪いもないんだけどね。

ちなみにEscape From Tarkovは滅茶苦茶stalkerシリーズの影響を受けていて、両作品に携わったスタッフもいたはずです。

今後は中国インドあたりがFPSを作り始めて、欧米日本が敵になることも増えるかもね。

実際映画はそんな感じの作品も増えてますよね。

じゃあ俺ZONEに帰るから

2024-11-26

anond:20241126211322

現状、MMTという理論肯定的議論しているグループは二グループに分かれている。

片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的グループだ。

おそらく大半のまともな経済学者はこのグループを分離して語るべきであるという前提に同意すると思われる。

政治的グループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明学説から荒唐無稽しか言いようのない結論自由に引き出し、それを用いて政治的対立者を罵倒している。

僕の知る限り彼らは何度も事実と異なる主張をして、そのたびに反例を突きつけられているのだが、彼らの中ではこれは論破されたことにはなっていない。

この理由は多岐に渡っており、主張自体がなかったことになる場合もあれば、「それは誤解であり、この例は反例にならない」と主張される場合もある。

いずれにせよこのグループは、上で挙げた学問的なグループ自身らのグループを都合よく使い分けており、普段学問的なMMT権威を用いて自説を展開するが、都合が悪くなると「それは誤解であって、MMTはそう主張していない」「論敵はMMT勉強が足りていない」と言って反撃する傾向がある。

したがって、MMT政治的グループについては、大半のまともな経済学者は数年前の時点で「議論にならないため、無視すべき」という結論に達している。

ただ、彼らは別に学問的に勝とうとしておらず、単に自分お気に入り政策を実現したいか、あるいはもっと単純に政敵を都合よく罵倒したいだけなので、この無視は結果としては彼らにとってまったくダメージになっていないのが現状である

一方で学問的なグループは、それほど支持を集めているとは言えないものの、書籍出版される程度には活動実績がある経済学の一部分である

ただ、それはたいして肯定的評価ではない。というのも、僕の知る限り、1980年代から新しい学派と呼ばれるマクロ経済学流派は乱立しており、その多くは学問的に成功したとは到底言えず、忘れ去られていっている。

MMTは現状でそれらの学派と異なる結末を得られる保証がなく、「たまに話題になる新しい一学派」という程度の立ち位置にとどまる。

この「学問的なMMT」は実のところ「有力な学説」とすら現状ではまだ言えないので、大抵の学者はまだ様子見しているところである

様子見というのは「正しいかどうかをもう少し考えよう」ではなく、「勉強する価値があるかどうかをもう少し考えよう」という意味だ。

まりMMTは多くの学者にとって勉強すらされていない。だから僕も勉強していない。

この記事の冒頭で述べたように、この理論についての僕の理解は極めて浅いが、その理由は、MMT勉強するだけの価値があるかどうかについてすら現状では測りかねているかである。同様の経済学者はかなり多いと思われる。

まとめると、MMTの現状としては学問的に成功しているとは言えず、とはいえ失敗しているとまでは言えず、まだ結論は出ていないが、いずれにしても知名度そもそも足りていない。

その一方で、政治的には一部の国で影響を与えるほど成功しつつあり、政策議論を行うタイプ経済学者にとってはやっかいな状況を生み出している。

このあたりまでは、おそらくたいていの経済学者にとっての共通現状認識と言えるのではないかと思われる。

では、上の現状が変わる可能性があるかという点についてだが、MMT学問的に「成功」と言える状況を引き出すための方法は、少なくとも政治的成功することではないという点は強調しておきたい。

正直に言って、僕を含めてかなり多くの経済学者が、典型的MMT論者の「論争とは多数派工作である」みたいな態度に辟易しており、これは少なくとも学問的には逆風であると思われる。

だが、現状ではMMTは上で述べたように、大部分の経済学者から勉強する価値がある」とすら思われていないと考えられる。

そして勉強されなければ当然学問としては成功しない。だから学問的なMMT論者はMMT勉強させようと躍起になる傾向がある……けど、これも正直、逆効果だと思う。

実際のところ、MMT政治的グループ批判して「おまえはMMTをまったくわかっていない」と言われるのが嫌だからという理由で、MMTについて一切発言しなくなった経済学者に何人か心当たりがある。

それは当然ながら学問的にはMMTは「そもそも議論されない」ことにつながるわけで、君たちそれでいいの?という感想

じゃあMMT成功するためにどうすればいいか

とりあえず、MMT解説については日本語記事で質がいいものは見つからなかったが、「英語版wikipediaはたぶんかなり良質な記事だと思われる。

wikipediaからしかすると将来の編集おかしなことになる可能性はあるけど……その中で、最後の方に書かれているこの部分が気になった。

Krugman described MMT devotees as engaging in "calvinball" – a game from the comic strip Calvin and Hobbes in which the players change the rules at whim.


この部分、かなり無視できない点で、つまりクルーグマン感想が正しければ、MMT論者は「理論検証できない状態」を意図的に作り出しているんじゃないかという疑いがあるのだ。

経済学では、サミュエルソンが強調して以後、ポパー型の反証主義がかなり重視される傾向にある。

僕はこれについて、必ずしも反証主義絶対だとは思わないものの、MMTのような新興理論にとっては重要だと思っている。

まりMMTだと起こり、それ以外の理論だと起こらない現象はあるのか。

逆にMMTだと起こらず、それ以外の理論だと起こる現象はあるのか。

それらは現実だと起こっているのか、起こっていないのか。

この検証結果次第では、MMT重要理論になり得る。

これらは、MMTを支持する学者が中心となって積極的検証するべきである

流派が主流派である所以は、この種の検証に耐え続けているからであり、MMTが主流派と対抗できる理論になるためには、最低限この種の検証に十数年は耐えられる(つまり積極的検証の結果としてMMTに深刻な誤謬が見つからないまま十数年が経過する)必要があるというのが僕の見解である

言っておくが、これができたからと言ってMMTが正しいとは限らない。

しかしその場合経済学者たちはMMTについて「少なくとも勉強する価値はある」と考えるようになるだろう。

結果として肯定されるか否定されるかはわからないが、少なくともそうなれば理論としては生き残りに成功した状態と言える。


残念ながら、僕が観測した範囲内でMMTの支持者にこのような動きは見られない。

どころか、検証されてもいない新理論であるMMTを無理やりねじ込んで行こうとする人間がやたら多い。

実はこの記事を書く気になった最大の理由は、マクロ経済学の授業改善アンケートで「MMTを教えずに嘘を教えている」というクレーム学生の一人からたことなんだよね……

出てきて10年ちょいの、定説でもない上に検証されてもいない新理論を必修のマクロ経済学で教えたらその方が問題でしょうよ。というのが僕の感想なのだが。

まとめると、MMT学問的には、現状では勉強するに値する魅力的な理論とすら思われていないので、まずは状況証拠を集めて、最低限勉強するに足るだけの魅力があるということを立証するところから始めるべきではないかということです。

そして現状はそれができているようには見えず、さら政策に無理やりねじ込もうとするグループが悪目立ちしすぎるので、僕は少なくとも距離を取っている。

正直その連中に炎上させられたくないか言及すらしたくないが、将来的にこの理論政治的に大問題引き起こしときに、おまえ反論しなかったじゃん!と言われないために、こういう理由相手にしなかったんですよという証拠を残しておきたかったと、はい、実はまあそんなところです。

2024-11-24

映画を観るにしても音楽聴くにしても、裸一貫でぶつかって得られる生身の感動というやつがなんだか薄まってきた。

ぼちぼち受け売り視点トリビア仕入れたり、他人感想を参照したりしつつ、手前の知識と鑑賞対象を見比べてパズルでもするかのような楽しみ方を始めてみようか、という気持ちが無い訳でもない。

以前よりかはそういう姿勢への忌避感が少し薄れてきた気もする。既に多少なりともそういう姿勢はあるんだろうし。

それでもやっぱり、商売女に音楽講釈垂れながらも、全てに対して感じる虚しさを禁じ得ないアメリカン・サイコベールがチラつくんスよね。

私は彼のような立場にはないし、それを実際に手にしてみなければそこに納得はなく恐れでしかないし、仮にいつかは虚しくなろうとも満足と思える瞬間があるなら自分はそれで良いとも思うけれど。

なんか、あの手の楽しみ方って「ああ、それは誰々の思想に近いですね」的な発言ナンセンスさに近いものがある。

いやまあそういうパズルゲーム的な類型気持ちよさはあるけど、近かったら何やねんっていう。

映画に期待してるのって、もっと別なものな気がする。

ビームの剣を振り回すクール世界観アクションに痺れるとか。色んな宇宙人が歩き回ってるような、見たこともないしこれからもきっと永遠に見られない嘘の世界への憧憬だとか。

この世が仮想現実だとか、三流タブロイドに載ってるような宇宙人存在だとか、そんな荒唐無稽陰謀論が実は真実で、そんな妄想イカした映像として具現化させる現実からの離陸だとか。

どこかにありそうな世知辛い話や思春期めいたモヤモヤだったりに劇的なウソを一つまみ足して、人生の光を感じさせてくれたりだとか。

夢みたいな不条理連続する映像トリップ感を感じてみたりだとか。

やっぱそういうのを求めちゃうんすよねぇ。

別に二項対立ではないのかもしれんし、蘊蓄の一つや二つ仕入れても良いのかもしれんけど。というか映画を何本も観る事自体、それをしてる側面もある気がする。

2024-11-17

はてブはそろそろ通報理由に「デマ」を追加するべき

現在はてブ通報理由選択肢になっていて、その内容が

スパム行為

犯罪予告

差別侮辱嫌がらせ

「その他」

の4つだけになってて、直球でデマに該当する選択肢は用意されていない

一方、他のヤフコメやXでは「明らかな偽情報」「暴力的出来事否定」の様なデマに該当する通報選択肢が用意されている

昨今はアノンやその教祖、闇バイトの指示役も含めて荒唐無稽デマ拡散しまくるクソガイジ共が調子に乗っており

そいつらのせいで世間の健常者達は非常に迷惑しているので

デマを垂れ流すクソガイジ共は通報理由ピンポイントで報告できて然るべきだと思うんだけど

なぜその選択肢はてブには用意されていないのか

私には理解に苦しむね

2024-11-16

劇場版ルックバック2回見たけど、やっぱこう「あの原作を使った割には……」という感じが凄いね

もう一つの可能性に対しての解釈多様性みたいなのが薄いんですよね。

漫画世界においては「あの1枚の漫画によって世界分岐した」というのが本当に確かな説得力っていうか、マジでそれぐらいの力があったんだと信じさせる何かがあったんだけど、映画だといまいち伝わってこない。

そもそもあの漫画はどこから来たのかについての解釈余地というか、「インターステラー的な何かが起きた可能性」というのを感じさせるだけのパワーみたいなのがイマイチ薄いんだよね。

あの状況における作品世界自体で起きていることは「もう一つの世界存在した可能性についての想像なのは事実なんだろうけど、それが観客席からだと「本当にあったかもしれないもう一つの世界」として等価存在として映る所がルックバックの醸し出す凄みの秘密だと思うんだよね。

「どこまでも都合が良いような世界、でもそれがもしかしたら本当にありえたのかも知れない」って事がより強い悲しみを生むけど、同時にそれが「いま自分たちが生きている世界はこっちなんだから前を向かなければ」という気持ちトリガーになるっていうか。

元ネタであるワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドなんてまさにそういう映画だったと思うわけよね。

なんつうか「こういう空想の中で自分たちを慰めることも出来る。創作活動を続けるってのはそういうことなんだ。創作活動最高と言え」みたいなパワーがあるわけですよ。

そこがイマイチ足りてないっつうかさ、もっと深く踏み込めば、あの事件に対してどう向き合うかって話だった訳じゃないですか。

まあ映画版はそのへんについて「パクりやがってよぉ!」の言葉を入れてくれているので敬意は凄い感じるわけなんですけど。

それでもやっぱ足りないっていうか、根本的な構造としての「漫画世界における漫画の力」と「映画世界における漫画の力」だとやっぱエネルギー量に致命的なまでの差があるなと。

ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドという映画が「映画の中で映されたハリウッドという土地の持つエネルギー」によってあの荒唐無稽さすらある並行世界を描いたことの再現は出来てないなと。

いやマジで全体としてはすごくいい映画だったと思うよ。

こんだけ頑張ってもらえるんだからタツ先生も喜んでますよって感じましたよ。

でもやっぱちょっとだけ足りないんですよね。

観客の頭の中で「並行世界への扉」を開くだけのパワーが足りてなかった感じなんすよ。

なんつうんですかね、繰り返しになるんですけどワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドという映画の中においては、あの映画の中で起きたことこそが事実だったわけじゃないですか。

「俺達の住んでいる地球事実」と「ワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド事実」はそれぞれ存在できていて、どっちが上か下かっていうのとは違ったと思うんですよ。

その等価性があったからこそ、「でも俺達の地球で起きている事実が俺達の生きる現実しか無いんだよね」という読後感みたいのに繋がるっていうか。

ルックバックという作品キモってどうしようもなくそワンポイントに集約されていると思うんですよね。

そこが、ちょっとだけ踏み込みきれてなかった。

ただそれだけでそれ以外は何の不満もないんですけど、惜しかったなという感想しかなり得ないんですよ。

半年ぶりにもう1度みたら別の感想になるかと思ったんすけど、全く同じ感想になりましたわ。

2024-11-15

Xでの絵描きの反AIという狂乱に全共闘を感じる

私は反AI標榜する絵描きたちに、単純な陰謀論やラッダイト運動というよりは、全共闘との類似を感じている。

当初は、画像生成AIを用いた直接的な損害を被った人もおり、このツールの危うさに警鐘を鳴らすことは確かに理があった。

しかし、要求エスカレートし最早宗教的になった。

彼らは荒唐無稽の反AIお題目に、ウォーターマークという呪符を携え、自らの信仰に反した情報発信者には異教徒レッテルを貼り付けた。

彼らはバリケードという殻にこもり「敵」に備えている。

全共闘高度経済成長という大波の中、大衆に呼びかけた。そして、大衆生活を優先した。革命理解されなかった。

生成AIという大波は、既に大衆にとって欠かせないものとなっている。絵描きという一部の人間が、実際に大きな損害を被ったわけでもなく、実のところ生成AI恩恵を受けながら反AIを唱える姿に、いったいどれだけの人間賛同するのであろうか。

いや、そもそもこんなもの大衆にとって問題としてすら認識されていない。

私は危惧している。

ノンポリ体制側に寄与する悪であると断じた闘士たちのように、彼らも成るのではないかと。

大衆を目覚めさせるためであれば、暴力も辞さなかった彼らのように成るのではないかと。

バリケードの中の内圧が高まり大衆を「敵」として、飛び出してくるのではないかと。

私は全共闘のすべてを否定しない。確かに理はあったはずなのだ。無根拠学費の値上げ、医学生への不当な処分使途不明金が溢れるロッカー・・・

だったはずなのに、現代においては多くの人にとって全共闘とは、インテリ学生モラトリアムが起こした過激火遊び程度の扱いになってしまった。

私は危惧している。

絵描きとは、気に食わないことがあると集団ヒステリーを起こす幼稚な者たちなのだと思われる未来歴史を。

絵描きとは、文盲規約も読み解けず、都合いい甘言をよしとするような愚か者であろうと悪意のクライアント認識されるのを。

恐らく、反AI絵描きたちは生成AIよりも自らの行いによって絵描き立場を危うくしている。

そして私が悲しく思うのは、反AI扇動する有名絵描きたちは、AIもっと当たり前になっても問題ないような需要を既に持っており、扇動された無名絵描きたちは自らの可能性を狭めていっていることだ。闘士をしていた者でも、卒業してその学歴で持って大手企業にのうのうと就職したものは良かった。問題は、その後も戦い続けた無名の闘士たちである

その道はただ虚しいものだったと、私は感じてしまうのである

2024-11-10

ゼロの使い魔F最終話が大好きでたまに見たくなる。大好きとは違うかな。別に自分でこれが大好きとは思っていないし所詮アニオリだしなんなら原作最後も読んでないし、これといって特別な想いもない。ないのだが何故かこの回は忘れられなくて人生のつらい時にふっと見たくなってしまう。エンシェントドラゴンかい規格外にしてはショボい災厄との最終決戦。いままでの敵も味方も関係なく皆々が魔法学院に集結している図が良い。だけどどういう理屈ルイズ魔法学院にかくまうことにしたのかワケがわからない。ふつうに考えて戦力が足りないし被害甚大になるにきまっているのに。ワケがわからないと言えば現実世界に戻ったサイトくんの行動力の半端なさもワケがわからない。店の新聞をかっぱらって今日日食だということを知ったその足で金がないかトラックの運ちゃんヒッチハイク基地の前まで乗せてもらう。そこまではまだいい。そのあとどういう手品を使えば戦闘機をかっぱらってパーカー姿で単機太陽に向かって飛び立つことができるのか。ワケがわからない。日食タイミングに飛べばハルギニアに帰れるっていう保証再現性も何もなさすぎるのに。サイトくんの荒唐無稽意味不明さに毎度打ちひしがれる。デルリンガーディスプレイから現れて取って付けたような再会を果たすのも良い。その後大した感慨もなくルイズとも無事再会して狭い操縦室でルイズにぽかぽか叩かれる姿のほっこり感。エンシェントドラゴンを倒さなければ世界が終わるみたいな前半部分との温度差にまたしても打ちひしがれる。装甲が剥がれてキモくなったエンシェントドラゴン最期リーヴスラシル乗せエクスプロージョンによって葬り去った後サイト死ぬのかと思ったら普通に生きている。リーヴスラシルとしての命は尽きたがガンダールヴとしての命は尽きずに生き残ったとかいハイパーご都合設定が素晴らしい。そしてアンタら何度目やねんなの愛の誓いを交わす二人。そしてなんといっても「キスシテ↑アゲナイ↓」の特殊ED秋葉ホコ天ど真ん中にルイズお姫様だっこして日本に帰還するサイトくん。痛々しすぎる。電車の窓から見える景色をおどろきの表情で眺めるルイズクレープをほおばるルイズ何の変哲もない平賀家の実家をしげしげと見つめるルイズ。素晴らしい。昨今のラノベ主人公の家はどれも広くて裕福層じみていて辟易するがその点平賀家の地味さときたらもう。敷地にそこそこの木が植えられているのでそれなりにデカい家であることは間違いないのだが。そんな地味オブ地味な家に異世界からやってきたピンク髪の美少女が嫁入り挨拶にやってくるというシチュエーションが最高すぎて五臓六腑に沁みる。ありがとうゼロの使い魔FありがとうJ.C.STAFF

2024-11-06

anond:20241106104624

「全労働者の4割が税金社会保障も支払うほど余裕が無い」ってどっから出てきた?それ

貴兄がいった話の荒唐無稽さを現したわけであって、そのラインが困窮のラインであると言う意味ではない。

基準をどこに置こうとも、ある水準に明確に線を引いてしまうようなやり方は、不合理だという意味

2024-10-26

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ25選(改訂版)

anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20

↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマめっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう

みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェKindle50%還元セールでいろいろ読み返してました

選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。

ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的メモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。

1.ハレンチ学園 作:永井豪 1968年創刊号 - 1972年41号

月2回刊で始まった少年ジャンプ創刊号わず10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。

そんな中、大家永井豪が描いたこ作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部方針は明確であったこである

過剰ともいえる性描写教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである

2.男一匹ガキ大将 作:本宮ひろ志 1968年11号 - 1973年13号

頭文字D湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。

思うに、我々の脳には義理人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志最初であった。

ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクター一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的人間でも、腕っぷしと強靭精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。

3.こちら葛飾区亀有公園前派出所 作:秋本治 1976年42号 - 2016年42号

ジャンプ国民マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治デビュー作は間違いなくその一つであろう。

当初は型破りな警察官両津勘吉ドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代サブカルチャー政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本風景を余すことなく取り込んだ作品となった。

浮世絵江戸庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流庶民日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所日常にしみじみと感じ取るのだ。

4.リングにかけろ 作:車田正美 1977年2号 - 1981年44号

もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義兄弟愛をベースにした極めて現実的作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョー下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる

───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人能力)の要素を意識的に再生産していることである車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ

5.コブラ 作:寺沢武一 1978年45号 - 1984年48号

時代作家に比べ、寺沢武一デビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラ世界観から引用した本格的なSFアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載はさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。

登場人物も読者も無垢10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家絶対コンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊サイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデア寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである

6.キン肉マン 作:ゆでたまご 1979年22号 - (週プレNEWSで連載中)

リングにかけろ確立したバトルマン路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情努力勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージ単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから嶋田SNSの使い方が下手だから

キン肉マンマンガとしてではなく文化的重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙クオリティ関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガ熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。

7.Dr.スランプ 作:鳥山明 1980年5・6号 - 1984年39号

鳥山明訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。

本作は後にDBドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である

言語以前の本能領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというもの存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。

8.キャプテン翼 作:高橋陽一 1981年18号 - (キャプテン翼WORLDでネーム連載中)

Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現たかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。

それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツひとつに過ぎなかったサッカーメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。

9.北斗の拳 作:武論尊原作)、原哲夫作画1983年41号 - 1988年35号

元増田を書いたときブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである

自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプ原風景だった。

強くてカッコいい大人の男が弱肉強食戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガ流行時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。

10.きまぐれオレンジ☆ロード 作:まつもと泉 1984年15号 - 1987年42号

かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。

きまぐれオレンジ☆ロード申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。

まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずはいられない。

11.ドラゴンボール 作:鳥山明 1984年51号 - 1995年25号

鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れ無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。

鳥嶋和彦意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガ金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。

11年に渡る孫悟空冒険をもって、鳥山明日本マンガ文化世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身手塚治虫赤塚不二夫つげ義春萩尾望都藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである

12.聖闘士星矢 作:車田正美 1986年1・2号 - 1990年49号

車田正美リンかけ過去ジャンプ作品再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。

彼はギリシャ神話宇宙子供向けと大人の女性向け、劇画プラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美世界前人未踏領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。

13.ジョジョの奇妙な冒険 作:荒木飛呂彦 1987年1・2号 - (ウルトラジャンプで連載中)

ある一定世代人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまら作品という評価が下されることがあり、そこには50%事実と、50%の誤った認識が含まれている。

荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間果たして何人いただろう?

幽波紋と、理不尽能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものであるキャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引き領域に落とし込むことに成功したのだ。

我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出し表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガ世界に誘ったのである

続き→anond:20241026155213

アニメダンダダンの最新話、すごく良かった。

原作荒唐無稽さが、アニメしかできない演出タイム感で増幅されている。

牛尾憲輔さんのテクノBGMも、何だか楽しんで作っているような感じで心地よい。

枚数が少なくてもダイナミックに見せる、背景を限界まで簡略化しても背動にする、デフォルメの果てに幾何学的な形質に辿り着き、スピード感だけで維持される画面は、やっぱり昔の湯浅さんアニメみたいだ。

たまーに現れるこういう楽しみのためにアニメを見ている気がする。

2024-10-20

[]マンガ カラスヤサトシのびっくりカレー

カラスヤサトシカレーエッセイマンガ

作る側じゃなく食う側

たんたんとカレー屋とカレーイベントカレーを紹介してるだけ

だけど育児漫画と比べるとどうもつまらない・・・なんでだろうな・・・

あっちにあった実体験に基づく失敗とかおもしろエピソードがほぼないからだろうな

たんたんと紹介してるだけで、カラスヤサトシに期待する面白さが全然ないんだ

一応独特の想像力、というか妄想力に基づく冗談オチみたいなのもたまにはあるけど、荒唐無稽だったり無理やり感が強いのと、

結局単なる想像オチしかなくて実体験じゃないか面白くないんよなあ

グルメマンガから絵がすげーうまそうに見えたり食レポがうまかったらいいけどそうでもないし

これ読んでこの店いきたいとか思えないわ

2024-10-18

マジで疑問なんだけど、なんで共産党ってどこの地方議会でも国会でも一定議席は確保できるの?

そんなに身の回り共産主義者が多いとは思えないというか会ったこと無いんだけど

政策で選んでる人も居るのかもと思ったけど大抵のマニフェストでは荒唐無稽なことしか言ってない


この党はマジで誰が支持してるの?

2024-10-16

漫画ドラマ化ってどういう層に刺さるんだろうか?

漫画アニメ化すら特に見る気になれないんだけど。

漫画のやり取りって漫画内だから荒唐無稽でも楽しめる部分あるんだけど、ドラマリアル人間が同じことやってると引いてしまう。

2024-10-15

はじめににというか決意表明

はじめにブログを書くにあたってどういうことを書いていくかについて明確にしておこうと思う。ちょっとからおもしろいとはなんだろう?」ということを考えてる。

僕はラジオが好きだが、聴き始めた当時はコミュニケーションが苦手で、ラジオは参考になるのではと思って聴き始めた。もともとお笑いが好きだったけど、ラジオきっかけにお笑いテレビに興味を持つようになった。

で、そういうのに触れていると「おもしろいとは?」「笑いを再現可能ものとするには?」「斜陽産業と言われるテレが良いコンテンツを安定供給するには?」なんてことも考えるようになった。

それを自分の中でぐだぐだ考えたりちっちゃい鍵垢で独り言を言ったりしてたんだけど、ちゃんと人目に触れて批評されないと思想・論考として無価値だろという思いを抱いていたときはてな匿名ダイアリー出会い、これじゃん!てことで書いてみることにした。

未熟な素人の考えることなので「それは違ぇだろ!」ってんzるかもだけど、そんな時はボコボコ批判してほしい。ここに書くことはあくまで「現時点での僕の考え」でしかないため、荒唐無稽な話をしていても、どういう思考を辿ったのかを将来振り返れるって意味自分にとって価値があるものになるだろうということで記事の削除もしないつもり。

というわけでお笑いテレビコミュニケーションなどついて考えたことや勉強したことをつらつらと書いていく。批判感想も大歓迎、よろしくお願いします。

2024-10-14

ヘイターとして吊るし上げられてる人が実は怯えた被害者だった話

男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし

周りと調和も取れていて生物的に優れてない?社会に出ると偉い人の男性比率は高いし、本当になんで?

https://togetter.com/li/2448652

批判的なブコメが多いのはまあいいんだけど、

その批判も浅すぎるというか本当の問題をきちんと洞察できてないというか。

 

 

1.ヘイター扱いされてるママ発言と思惑

さわ🦕🦕🦕

@sawaaaaaaiii

男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし周りと調和も取れていて生物的に優れてない?ってどうしても思ってしまうんだけれど…

社会に出ると偉い人の男性比率は高いし、本当になんで??って首を傾げたくなる

この🦖がいつかは人間になるんですかね…

発端の発言はこれ。

  

これは見た瞬間、発言内容を貫通して

「なんだこの発言?」 「この発言意図動機は?」 「発言者の立場は?」

って考えてしまわない?変な匂いがするから

 

はてブの反応はそこまで行かず、

発言批判的なコメントにしてもただ「短絡だヘイト差別だ」って言ってて

もちろんそれもあるけどそこだけじゃないのよ。

  

じゃあ何なのか。

わかる人間はもうこれ見た瞬間にピンとくる、「あ、これ媚びだな、お追従だな」って。

これはなんかしんねえけど文字見た瞬間パッとわかる。

主体的ヘイトなのか、誰か別のヘイターへの媚びなのか。このママ後者

 

 

2.ママ界隈のルール

でそう思ってからもう一回アカウント名見るわけよ。

「さわ🦕🦕🦕」

これ何だと思う?

 

これは恐竜三匹、

まり男児3人育ててるママです」って言う符丁なの。

  

キッショイよねえ。 

勘違いしないでほしい、個人きじゃないから。

いまはデカい枠組みの話をしてる。

  

まり、こうやってなんかしらんけど子供性別とか年齢とか「基礎情報」的なもの

アカウントプロフィールの目立つとこに全開示して交流するっていう

わけわかんねえ「ママ界隈」ルールっていうものがあるのよ。

この人はそのルールに従ってるわけ。

 

ごめんもう性差別するわ。

男女の優劣って話に乗るならば、

すぐこういう無駄に細かくて本質的でもないみみっちいゴミルール無限に作って 

そこに従わない奴をネチネチいじめて揃えさせていくゴミのもの非生産的界隈を作りがち

って言うその一点で個人的には女って男より生物的に下だと思う。

 

 

 

3.男児ママが他のママたちに必死に媚びている理由

しかも女は自分らのそういう不味いとこをせめて自覚自戒してるならまだしも、

実際には逆にそんなくっだらねえ有害無益なことを「落ち着き」 とか 「周りとの調和」 とか表現して女同士で悦に入っちゃってるわけ。

 

んでそういう女のゴミなとこを指摘して笑ってやる人が現れると頭おかしくなったみたいにヒスるか黙り込んで泣くでしょ?

そういうコアな批判反論していくなり指摘を受け入れて改善するなりという事は決してなく、楽ちんで甘美な”被害者”に逃げ込むっしょ?

女同士ですらわりと陰湿で加害的な振る舞いをするのに、それを言われるとひたすら被害者ぶって耳塞ぐ。

 

から個人的には女って言葉すら通じねえから適当調子合せるしかない低能どもだなと思う。心底思う。

うんうんそうだねって合わせてやって、あまり調子に乗るなら怖い顔になってわからせるっていう頭悪いガキの躾みたいに対応するのが一番合理的

あいいよ、自分ミソジニストです。

 

でね、このさわママはそういう女の下劣面たるルール志向いじめ趣味差別娯楽にいま苦しめられてる人だと思うんだわ。

プレッシャーや身の危険を感じて必死に媚びてるの。

  

ここでもう一つ背景情報必要になる。

昨今、ネット中毒キチガイ女の界隈内で猛烈な男児叩きの風潮があるわけ。

これはかなりシリアスガチでマジなやつ。

男児有害性を証明する”被害報告”が盛り上がってて、

男児に性加害を受けたというおばさん達の報告がネット上にたくさん上がっててちょっとしたブーム

  

 

4,ネット中毒女の間の”男児叩き”ブーム

その”被害報告”はすげーよ。

  

道で見知らぬ小学生に迫られキス要求された子持ちのアラフォーおばさん(小学生は「奥さん」 と呼ばわって口説いてきたそう)だの、

銭湯の女湯でママに連れられた3歳男児に性加害を受けたうえ暴れる3歳児を取り押さえられず脅威を感じた成人女性だの。

まあもう一読して話者の知能やメンタルを疑ってしまレベル荒唐無稽嘘松なんだけど

そういうのが女性に大バズリして5万いいねとかつくようになってるの。

 

集団被害者意識でキマるっていう

女の界隈の娯楽が行くところまで行ってしまったなという末路に見える。 

従来はキモオタとかをダシに使ってたんだけど近年は猛烈に反撃されて怖い思いするようになったので

殴り返してこない男児ターゲットになってきたんじゃないかって言われてる。

  

で、これを我々は笑ってられるけど

笑いごとじゃないのは男児男児ママなわけよ。

ネットヘイト娯楽ってリアルで実行に移す奴マジで産むしね。

   

   

5.みんながヘイト発言扱いしてたものは「「ヘイターに囲まれて身の危険感じた人の命乞い」

というわけで冒頭の発言真相なんだけど

まりこの叩かれてるママ主体的男児ヘイターではないし

男女差別主義者でもないと思う。

あの発言はそういう積極的ものではない。

 

そうではなくて、

ネットに基礎情報(このママ場合男児ばっか3人育成)開示して社交をしているママ

近年のネットの女界隈での異様な男児叩きとヘイト空気に恐れをなして

男児叩きに追従しながら「私は”わかっている側”ですから見逃してください」

っていう追従と命乞いのサインを送ってる

と言うものだと思う。

 

マジで

恐ろしい話でしょ?

性差別発言してまでそんなもんに追従するぐらいならくだらんネットを絶てよ」って意見もあると思うけど

人によってはネット社会であり世間だし、基礎情報開示するぐらいネットリアルである人ならネットリンチ空気には委縮して追い詰められるよね。

 

これ異様な話だからにわかに信じられないかもしれないけど

そういう視点ママログやら昨今の男児叩きの盛り上がりやら裏取ってみてほしい。

この話がウソやでたらめでないのわかると思うよ。

 

 

6.人類のやることは変わらない

戦時とか魔女狩り暗黒期とかに

自分がやられないようにリンチ空気価値観追従する、

家族を守るために先に家族内で処罰を加えて「「この通りです」と社会アピールする、

そういうエピソードって本とかでは読んだけどさ。

 

あっ本当にやってる!

愚劣なリンチそれから逃れるための適応力行動も本当に人類リアルなんだ!

っていうのを近年のネットのあの界隈は見せてくれるんだよね。

 

はてブでよくあるみたいに雑に撫でて吊るす前に

「どういう人がどういう思考動機で言ってるのか」

まで見てみてほしい。 

おわり。

  

  

ぶこめ

「みんながヘイター扱いしたこのお母さんは(表面的な言辞とは別に内的動機として)ヘイターではなく、ヘイターの脅威で言動が変になってる気の毒な人なんじゃないの、

っていう話をしたんだけどさ。  

  

この程度にいりくんだ話だとマジで読めね~いつものアレが、「今から性差別しまーす」って書き方で書いておいた部分のみにくいついて「あ!こいつは性差別者だ!僕の知り合いの女性はお前みたいな差別主義者より上等でちゅ!」

とか言いに来てるわけ。

 

お前らはさ、

誰かより上等な理性とか高い見識のような、

「平均より優れたなにか」を持ってるんじゃないのよ。

 

その逆で、文意とか書いてる人間動機思考とか

そういうことをほとんど読めないわけ。

構造的に少し入り組むと全く読めなくなる。悪口とかじゃなくマジで

お前らにとってこのエントリほとんどは脳に入ってこない、お前らのそういう困難さを俺はもうお前らよりもよく把握してる。

 

そんな平均よりやや読解や思考が苦手なお前らが

それでも大声で「議論参加」をするために編み出したのが、

このママtweetとか俺の文とかに見られるような

特定の表面的言辞のみに反応して、

「いーけないんだ!」

「これを批判できるボクチンはよいこ!」

ってやる精神活動なわけじゃん。

  

  

それまじでネズミの糞より値打ちがねーぞと思うんだけど。

でもずーっとそれに時間使うしかないんだよなお前らは。

なにか治療法やその糸口はあるのか、生得限界なのか、どっちなんだろね。

  

  

ぶこめ2

て言ってアホなトップコメいじめてたら

別のひでーのにバトンタッチしやがった

見た瞬間、発言内容を貫通して変な匂いがする(太字)。わかる人間はもうこれ見た瞬間にピンとくる、「あ、これ媚びだな、お追従だな」って(太字)。なんかしんねえけど文字見た瞬間パッとわかる。/暇空とか好きそう

2024/10/15

直感鳥羽口にした

→暇空とか好きそう!暇アノンだ!

 

な、これがこいつらの知能レベルトップ反論なわけ。

内容よくわかんねえ、

なに言われてるのかあんまり読みとれねえ。

から表層や断片から「こいつはきっとこうなんだ!」って非難する。

  

部落だ!」とか「在日だ!」とかが「暇アノンだ!」になっただけ。

事実論理はどうでもよくて「相手は劣った忌まわしい奴なんだ!」って吠えるスタイル

これより上等な処理をするスペックが脳にない。

    

これさあ、

俺に対してとかじゃなくてずっとこんな感じの処理しか出来ないIDがかなりの割合でいるし、

ここはそういうのがちょくちょく支持の星を集めて上位になってる。

 

バカにした感じで書いたけど

お前らが国語的な能力に困難抱えてるってのは

煽りとかじゃなく真面目な問題としてそう思ってるよ。

お前らよりも率直にお前らの困難を計れてると思う。

2024-10-12

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20

anond:20241102083243

◆再追記

anond:20241026155116←皆さんの意見を受けてリライトしました、よかったら読んでみてね

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選考基準独断偏見で、作者一人につき一作まで

強いて言えば後世の作家への影響、社会的な影響を重視

ランキングではなく、連載開始順に並べただけです

忌憚なき意見、待ってるぜ

1.ハレンチ学園 作:永井豪 1968年創刊号 - 1972年41号

黎明期レジェンド枠。サービスエロジャンプマンガの大きな側面を担っていた事実否定できないし、そもそもこの作品の売上が無かったらジャンプが存続してたかも怪しいので入れざるを得ない。

2.男一匹ガキ大将 作:本宮ひろ志 1968年11号 - 1973年13号

黎明期レジェンド枠2。ジャンプ黎明期の売り上げを支えつつ、不良系マンガを一大ジャンルとして確立させた意味で実は物凄く偉大な作品。これが無かったらろくブルも東リべも存在しない。

3.こちら葛飾区亀有公園前派出所 作:秋本治 1976年42号 - 2016年42号

ギネス記録である40年にわたる長期連載、そしてサブカルチャー全般積極的に題材として取り入れたことで現代日本風俗文化を凝縮したような史料価値を持つ作品になった点を評価したい。

4.リングにかけろ 作:車田正美 1977年2号 - 1981年44号

黎明期レジェンド枠3。売り上げもさることながら、見開きを用いたド派手な演出の数々や、「荒唐無稽能力バトル」というジャンル確立させた点を評価したい。(このジャンルパイオニアアストロ球団なのだが、後進への影響はこちらが上かなと思う)

5.キン肉マン 作:ゆでたまご 1979年22号 - (週プレNEWSで連載中)

リングにかけろ確立したバトルマン路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。初めてのジャンプ黄金期を作った作品で、キン消しをはじめ一般社会への影響力もすごい。いわゆる「友情努力勝利」はほとんどキン肉マンで作り上げられたといっても過言ではない。

6.キャプテン翼 作:高橋陽一 1981年18号 - (キャプテン翼WORLDでネーム連載中)

勝利友情といったそれまでのスポーツマンガの王道を抑えつつも、キャッチー必殺技を取り入れ実際のスポーツ以上のエンタメ性を付与した。マンガ史全体としてはドカベンがこのジャンルパイオニアだけど、ジャンプで言えばキャプ翼がそれ。海外で人気が爆発したほぼ初めてのジャンプ作品という点も重要。この作品がなければメッシサッカーやってなかったかも。

7.北斗の拳 作:武論尊原作)、原哲夫作画1983年41号 - 1988年35号

80年代ジャンプ象徴といえる作品。創刊以来、ジャンプの主たる系統であった劇画タッチハードボイルドな男向けの作風の最高到達点。

8.きまぐれオレンジ☆ロード 作:まつもと泉 1984年15号 - 1987年42号

ラブコメから選ぶならこれ。決して革新的な要素があったとは言えないが、当時のジャンプが唯一苦手としていた王道ラブコメで人気を得たことが重要。ポップ路線を持ち込み、ジャンプ紙面の多様性はより進むことになる。

9.ドラゴンボール 作:鳥山明 1984年51号 - 1995年25号

90年代中盤のジャンプ黄金期を牽引した作品であり、連載が終了してなおもジャンプ日本マンガ文化の頂点に君臨する作品。急激な路線変更、無理やり感ある後付け設定と引き延ばしなど、負のジャンプらしさをも象徴している。

10.ジョジョの奇妙な冒険 作:荒木飛呂彦 1987年1・2号 - (ウルトラジャンプで連載中)

国民作品として定着してきたのはここ数年って感じはするけど、現代異能バトルマンガはほぼ全てジョジョ3部の影響下にあると思うので入れざるを得ない。

11.SLAM DUNK 作:井上雄彦 1990年42号 - 1996年27号

バスケマンガ、いやスポーツマンガ史上の最高傑作勝利と成長の喜び、敗北と挫折の苦さがこれ以上なく詰まったタイムレスな名作。もし序盤の不良マンガ路線継続していたら日本バスケットボールの歴史は(恐らく悪い方に)大きく変わっていただろう。

12.るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 作:和月伸宏 1994年19号 - 1999年43号

特筆して後世への影響や売り上げがずば抜けている印象はないけど、DB幽白スラダン終了後ワンピナルトブリーチが現れるまでの柱としてジャンプ暗黒期を支えた世代代表として入れておきたい。

13.セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん 作:うすた京介 1995年52号 - 1997年40号

純粋ギャグから一作入れたかった。ナンセンスシュールさを主体としたギャグジャンプ誌上で成功させた最初マンガ下品さやエロさを排除した純粋面白さを追求した点が重要。その影響度は「マネもほどほどに...」という注意書きが当時の新人賞の要項に書かれるほどだったそう。

14.遊☆戯☆王 作:高橋和希 1996年42号 - 2004年15号

正直マンガ作品としての完成度は大したことない。だが集英社における映像媒体以外のメディアミックスとして最大の成功例であり、TCG日本に定着させた初めての作品であり、暗黒期の集英社(とコナミ)に莫大な富をもたらしたこと重要お金正義

15.ONE PIECE 作:尾田栄一郎 1997年34号 - 連載中

大河ドラマ的な作風であったり、連載中であったり、作画コストが高すぎたりで他作品へ与えた影響がまるで感じられない(マネしたくてもできない)点が評価を迷うポイント。それでもなんだかんだ国民マンガジャンプ看板地位は譲ってない。幼少期から温めた構想を週刊連載で30年かけてやる人間って歴史存在しないと思うので、そういう意味では既にマンガの枠を超えた注目度になりつつある。

16.HUNTER×HUNTER 作:冨樫義博 1998年14号 - 連載中

残酷で先の読めない展開、異常に複雑で難解な設定、それでいて少年マンガ的なシンプルな熱さを持ち合わせた稀有作品。「続きが気になるマンガ」を描かせたら冨樫以上の人間はいない。ハンタ最終回を読むまでは死ねない。

17.NARUTO 作:岸本斉史 1999年43号 - 2014年50号

まあ、国外で最も人気のあるジャンプマンガなので(適当)。

18.DEATH NOTE 作:大場つぐみ原作)、小畑健作画2004年1号 - 2006年24

サスペンス主体としたマンガとしてこれ以上ない完成度。ジャンプ作品を大別するとバトルものスポーツもの恋愛ものギャグもののどれかになるが、それ以外のジャンルで最も成功を収めた作品

19.鬼滅の刃 作:吾峠呼世晴 2016年11号 - 2020年24

ワンピース以降不在だった、圧倒的な看板力を持つマンガ趣味多様化出版不況といった逆風を跳ね返し、国民的な作品を生み出す力がマンガにまだあると示した功績がデカい。

20.チェンソーマン 作:藤本タツキ 2019年1号 - (ジャンプ+で連載中)

今のジャンプジャンルレス化している最大の要因はジャンプ+の影響であり、その代表格ともいえる藤本タツキを入れないわけにはいかない。まだそこまで顕在化してないけど、今後10年でタツフォロワー無限に産まれそうな予感がするので入れておく。

追記

一応30年くらい継続して毎週ジャンプ読んでます

ブコメでなんでこれ入ってないの?って言われた作品について

ブリーチ個人的にはリストに入れるべきか一番迷った作品るろ剣と入れ替えてもいいかも。売上的にも後世の影響的にも入っていいと思うけど、他の超長期連載作品と比べ終盤面白さを保ててなかったところがちょっとマイナス。実際掲載順もどんどん下がってたし

銀魂→人気売上的にはあり、メディアミックス成功度も高い。ただ銀魂がなかったと仮定した時のマンガ史的影響力があまり感じられないので外した

シティハンター→人気売上的にはあり、ただハードボイルドでもコメディでも上の作品複数あるように思う

テニプリ→正直候補に入れてなかったけど腐人気の拡大とテニス人口の拡大という意味ではたしかにアリだなと思った。入れ替えるならチェンソかデスノかな

ハンタより幽白→これ言うと公平性を欠いてると言われそうだが、俺は冨樫ジャンプ史上もっとも偉大なマンガであるという前提で全作品評価している。幽白は序盤の人情モノ路線打ち切り冨樫作家性が薄まっているように感じるため、より純度の高いハンタを選出。ただ未完に終わったなら幽白でもいいと思う

リンかけより聖闘士星矢→書いたように能力バトルマンガのパイオニア存在であることを重視した。1作家1作品縛りなければ入れてもいい

Drスランプ→1作家1作品縛りなければ入れてもいい

ひばりくん→もともとギャグマンガとして書かれた作品なので評価に迷う。入れ替えるならオレンジロードなんだけど、あえてオレンジロードを入れたのはジャンプギャグ要素を排した恋愛マンガをヒットさせたことによる後世への影響を重視したからなので...

はだしのゲンジャンプ掲載された期間が短すぎる

サーキットの狼ジャンプ史においてレース漫画存在感がさすがに薄すぎると思う、必然的に後世への影響力も低く評価せざるを得ない

ヒカルの碁小畑で選ぶなら流石にデスノかな

漫☆画太郎画太郎ギャグ面白いけど汎用性や他作家への影響に欠ける。なぜなら絵柄ありきで、良くも悪くもマネができないから。俺がうすたのギャグを高く評価する理由は、ストーリーににも絵柄にも下ネタにも頼らない純度の高さ(=マンガにおける笑いの一般化)にある

呪術→はっきり言って候補にも挙げてなかった。同世代チェンソ鬼滅より明確に格下だし、そもそもコンセプトがジェネリックハンタしかない以上このリストには入れられない。冨樫になくて芥見にはある面白さがあるとするならば俺とは感受性根本的に合わない

男塾→あれは劇画タッチとバトルものという過去メインストリームメタにしたギャグマンガなので、他作品の影響を大いに受けた側。このリストには入らない

2024-10-08

最近キャプテン翼をみて「これ50年くらい前のスポーツ漫画荒唐無稽さだよな。まだやってるのか。もはや遺物だわ」みたいな感想を一瞬もったけど、よく考えたら去年くらいに読んだブルーロックってサッカー漫画も同じようなもんだったな。

2024-09-23

バーチャルっていうのは事実現実なんだよ

Virtualの誤訳である仮想」はもうそろそろ言い換えるべきである

声を大にして言いたい。

俺はもう事実上と言っていく。仮想記憶のことも「事実上記憶」もしくは「バーチャルメモリー」と言っていく。仮想記憶とは死んでも言わん。

Virtualは仮想ではない

仮想は「事実でないことを仮にそう考えること。仮定しての想像」という意味である

反実仮想という語からきたものだと思われる。

反実仮想とは「事実に反することを想定し、仮に想像すること」という意味だ。

だが驚くことなかれ。Virtualは事実という意味である

仮想」という言葉はVirtualの意味真逆であるということ。

Virtualの意味本質は「実際そう考えること」「事実上そうだと考えること」であり「ほとんど事実(厳密には違うけどね)」である

たとえば「いつも私ばかり家事しててこれじゃ私家政婦みたいじゃん」というとき、これは「Virtual 家政婦」と表現できる。

鼻毛出てますよ」「え?! いやこれは鼻毛ではないんですよ。なんか黒い染みが鼻についてて…でも鼻毛出てるみたいに見えますね」というとき、これは「Virtual 鼻毛である仮想鼻毛ではない。

「Xって最近もうほとんど2chと変わらないですよね」というとき、Xは「Virtual 2chである

Virtualを仮想翻訳しはじめた当人ですら、誤訳であると間違いを認めている。

時代ゆえ仕方なかったと思うが、それでも擁護できないほど酷い。真逆からだ。

yellowgreenを「赤紫」と訳したぐらい酷い。それが今も続いているんだ。

俺たちは黄色緑色中間色のことを「赤紫」と呼ばされているようなものだ。

これについて「それで慣れてるからしょうがない」と言う人間もいるようだが、耐えられている人間感性おかしい。

バーチャル世界現実世界なんだ

こどものころ「バーチャル世界で遊んでけしからん」と親に言われたことがある。

自分はそのとき「親は、バーチャル世界のことを空想だと思っている?」と強く感じた。

親は、ICTに詳しいわけではなかった。だが、バーチャルという言葉は知っていたし、仮想という言葉も知っていた。

バーチャルがよくわからん者にとっては、バーチャルけしからんものなのだ

「なんでもかんでもバーチャルって。遊びじゃねえんだぞ!現実見ろよ!」という話である

だがバーチャルこそが現実なのだ

悪影響が大きすぎ

Virtualは仮想じゃない。だが「架空」の意味で使われていることがあまりにも多い。

そして今後もどんどんVirtualが増えていくはずだ。英語圏で新しいVirtualのものが出るたびに、日本では架空になっていく。

VRだって空想じゃないのに「架空現実」の意味で考えられている。

違う。「事実上現実」「実質現実」「本質現実」「ほぼ現実」のことである

でもVRに来るやつは幻想を求めていそうだ。Vtuberもそうだな。幻想を求めている。

どう考えたって「事実上YouTuber」「本質YouTuber」じゃない。あれは麻薬方面に近い思考を感じる。

幻想YouTuber」「架空YouTuber」だ。架空キャラのようなものだ。あん人間現実には存在しない。

デジタル化がいまいち流行らないのは空想から

Virtualが「虚」のものだと思われている。

すべてが虚の上に乗っていると。

虚ではない。事実上である。「物理世界はそっちなんだが、事実上こっちが本質だよ」である

真に仮想なのは自分の目で見えるものけがすべてだと思っている人間の頭だよ。

名前ときで変わると思っているか?変わるんだよな

名前変えたぐらいで変わるわけないと思っている人間も多いと思う。

だが変わる。

今の仮想という言葉は、

架空バーチャル」「空想バーチャル」「想像バーチャル

幻想バーチャル」「荒唐無稽バーチャル」「非現実バーチャル

「あてずっぽうバーチャル」「推測バーチャル」「憶測バーチャル」「幽霊バーチャル

夢幻バーチャル」「錯覚バーチャル」「事実と違うバーチャル」「空虚バーチャルなのだ

だが言い換えたあとは違う。

「実際バーチャル」「事実上バーチャル」「実質バーチャル」「真バーチャル

理論バーチャル」「実態バーチャル」「現実バーチャル」になる。

今後はVirtualなものが増えていくんだ。

俺のとる手段

今後はNon-Virtualなものについて仮想って言いまくってミーム汚染してやる。

仮想社会バーチャルバカ仮想一般人)たちを混乱させていくぜ。

考え方としては、今まで無標だったものにはすべて仮想とつけていい。仮想ってついていたものはVirtual(=事実上)な。

今後Virtualを仮想って言ったやつのことも、バーチャル仮想人って呼ぶ。

お前らも仮想人やめろよ。バーチャル人になれよ。

追記: 「仮想」という言葉をVirtual側に合わせるという案について

そもそも仮想じゃないんだよ。仮想という語をどれだけVirtualに合わせても「仮」という漢字と「想」という漢字が強すぎる。

「yellowgreenはもう赤紫って呼んでるんだから現実見ろよ。yellowgreenは赤紫ね」って言われて「えーーー???いや黄緑やん???!」って思わない?

あなたはyellowgreenを黄緑だと理解しているからいいかもしれないですけどね、赤紫だと思ってしまっている人たちが大勢いるんですよ!!意図的色弱の人を作り出してる状態ですね。事実上ね。

Virtualは仮じゃないし想像でもない。

それならば「事考」の方が正確。「事考記憶」「事考通貨」「事考水」「事考機械」「事考サーバー」のなんと正確なことか。

言葉は、最初にパッと見たときの印象が重要だと思う。とくに辞書を引かない人や言葉意味を深堀りしない人にとってはますますそうだ。

たとえば「類似」「レプリカ」「再現」にはネガティブイメージは少ない。だが「似非」「擬い物」「贋作」「模造品」は「偽物」の意味が強くなる。

仮想をVirtualの意味で使っていこうというのは、「贋作」を「レプリカ」のように使っていこうという主張だ。

だが漢字は強すぎる。どれだけ自分の中でわかっていたとしても、その漢字の主張から逃れることは難しい。

「じゃあ新しい博物館には贋作を作りましょう」と言われたときにすごく嫌な感じを受けないだろうか。そのぐらい漢字は強い。

ブコメ見たけど、仮想意味を正しく使っている人でも「事実はそうじゃないけど、実際そう考えることができること」という理解の人が多いと思う。

これは日本語・英語問題もあると思うけど、厳密にはこれは違う。バーチャルには正しいが。

仮想」をそう捉えている人は、バーチャルバーチャル理解していると言ってもいいだろう。だが厳密には理解していないはずだ。

「実際そう考えることができること(まあ細かくいうと現実事実ちょっと違うんだけど)」というのがより正しい。

単なる語順問題のように見えるが、いうならば存在の順番が違うということ。存在感が全然違う。

任意整数xが存在してそのxは範囲が2から10」であって、「範囲が2から10であるような任意整数xが存在する」わけではないのと似ている。「範囲」や「2から10」や「整数」はxより先に存在できない。

事実はそうじゃないけど」が先に来るともうあとは何言っても夢になる。「ふーん。事実はそうじゃないんだ。この話終わりね」のような感触だ。

「違うけど、そういうふうに考えることもできる」じゃないんだよ。「違わない」んだよ!!!違うけど。

関西弁の「知らんけど」に近い考えでいてほしい。

とにかく仮想は何をやってもダメ。そのぐらいの誤訳

これは仮想誤訳でもないし、バーチャル誤訳でもないし、事考誤訳でもないし、事実上誤訳でもない。

完全誤訳です。これぐらい素晴らしい誤訳は他になかなか無いです。

とにかく未来希望必要だとおもう

邦画が暗い。

邦画だけじゃなくてなんていうか全体的に暗い。

電車乗ってても顔死んでるやつ多くないか。たまにハンカチーフ落とした人に「ハンカチ落ちましたよ」って言ってる人を見かけて「おおすごい。人はいものだ」と思うときぐらいしか希望がない。

明るくない。真面目すぎるぞお前ら。

普通のことしか言わないじゃん。誰かがなんかふざけて、未来こうなったらよくねぇ?!っていう発想出すとすぐ現実持ってくよね。

なんで未来暗くしたいの???悪魔かよお前???

もっとジョーク言ってくれよ。魂からひねり出したジョーク。あと荒唐無稽でもいいかおもしろフィクション作り出してくれよ。

エンタメですら現実逃避みたいなの多いけど、現実に即した未来志向でエンタメ作ろうぜ。過去とか安定とかやめろもうやめろって。飽きたよ飽きた飽きた。

光り輝くファンタジーないんか?

「あーーーーーーーー生きててよかったああああああああああああーーーー!!!!」って思えるコンテンツが少ないんだよ。

大事なのってそういうコンテンツ1つ1つじゃなくて、全員のなんかそういう雰囲気なんじゃね?

たとえばさあ、おっぱいおっぱいって言ってふざけてたらフェミニストがやってきておっぱいおっぱいってひどくない?って言われたとするじゃん。

そのときに「はああああああ??!おっぱいおっぱいって言って何が悪いんですかあ〜〜〜?!」ってマジメに返すやつ多すぎる。何こいつら。

そのときに「ちんこちんこ!!!ちんこ大切断!」とか言ってくるフェミニスト戦士たちと戦うちんぽ騎士団みたいな発想ないよね。

「くっ……このままではちんこが持たない……!!!!!」みたいな。

もっとそういう発想が必要だと思うよ俺は。

この内容でもすぐにちんこ否定してくる人いると思うけど、そういうやつはちんこでぐるぐる巻きにしてやりたい。

2024-09-22

梶井基次郎檸檬って高校の現文で読んで、いまいち意味分からんかった。ニュアンス分からんでもないような気がしないでもないけど、輪郭が掴みきれない。

不吉な塊みたいなフレーズだけ覚えてる。

最近になって、ブルーハーツみたいなもんかと思うとしっくりきた。

そのブルーハーツの方も明瞭に分かっているかと言ったらそうでもないけど。

落ち着かなさや焦燥とか。心のモヤつきとか。衝動強がりとか。荒唐無稽さとか。

そんな感じの、いわゆる青春という言葉に包括されるような。

置き換えるものが増えるとなんとなく肌感覚で接近するような感じがする。

じゃあ檸檬青春小説かって言うとそれはあんまりしっくり来ないんだけど。でも確かに描かれてたようなモヤッとした心情とその爆破はまさに青春のものかもしれない。高校生に読ませるくらいだし。青春なんて言葉当事者ほど意味が分からなかったりする。

私はブルーハーツの方が好きです。

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