はてなキーワード: トレードオフとは
第三者検証全体がこうではなく、ある巡り合わせにあったテスター一人がこんなふうに思ってたんだなというのを記録するために書きます。
この文章を読んで誰かにどうこうして欲しいとか誰かを上げ下げしようとかいう意思はないです。
## 単価と工数
私はエンジニア生活の2/3くらいを派遣契約で過ごしたため、仕事の良し悪しについてはやっぱり単価と工数で評価されることが多かったです。
残業すればするだけ会社の売上になるので、どんどん残業しましょう。残業しただけ働いたことになるから。という文化でした。
単価が上げていくことは現場責任者や営業の実力に左右され、そう簡単に変わるものでもなく、なかなか自分ではコントロールできなかったので、やっぱり容易く売上を上げていくには残業するしかありませんでした。
業務時間中に開催される研修やシンポジウム参加等は売上を下げることに繋がるので、明確なトレードオフ条件がないと参加が難しかったです。
私はそれでも構わないと思いますが、参加しようとするたびに一々上長に「売上減らしてごめんなさい」と頭を下げにいくのが変な感じがしました。
やっぱり残業時間が正義なので、中でどんな仕事しているかはあんまり重要ではなかったです。
品質向上の提案やテストの効率化を提案・実行したところで単価アップに繋がらなければ大きな成果には繋がりませんでした。
※私の場合はたまたまそういった点を評価してくれるお客様に出会ったこともあって、汲み取って営業にフィードバックみたいなこともしてくれました。給料には反映されませんでしたが、、
私は無関係な期間もありましたが、BP投入が最も評価されます。
何かにつけてプロパー/BP率を評価されて、BPを投入した分だけ利益が出るので営業頑張ろうとなるみたいです。
QAに関する提案についても第三者検証の商売として成り立つかどうかが判断基準になります。
例えば自分の会社では難しいテストレベルやテストタイプについてはその現場で必要に思えても、提案や計画には盛り込まないなどのことがあったかもしれません。
基本的に体系的なソフトウェアテストを行なっている現場に関われたらだいぶラッキーでした。
体系的なソフトウェアテストができていれば外注しなくてよかったりしますので、良くないテストマネジメントであったり、いびつなテスト設計をしています。
で、現場はお客さまの言うことを聞くことで精一杯なので、体系的な経験や知識を得るためには自分で勉強して頑張るしかありません。
10年、20年やっているようなベテランはJSTQBとかで整備された知識よりも勘と度胸と経験で頑張るみたいな場合があるので、自分で知識を取りに行かないとそういったベテランと同じ道を歩むことを頑張ろうとしてしまうんじゃないでしょうか。
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私の結論は上記の通りです。やっぱりどんな現場であっても、どんなメンバーでも、どんなお客さまでも結果を出していくのがプロの第三者検証なんだと思います。
”品質のプロ"と名乗るのもいいですが、"第三者検証のプロ"と名乗る道もあるのではないかなと思います。
私は、
よさももちろんあります。思いつく限りたくさん書いていこうと思います。
様々な現場や製品に携わることができるので、一般化する実力さえあれば、様々な経験やナレッジを一般化して、ドメインに依存しない実力をつけることができると考えています。
自社QAだとどうしても社内の文化ややり方に依存した能力になっちゃうと思いますが、第三者検証テスターとしてたくさんの現場を経験していると、どんな製品でも対応できるようになるんじゃないかなと思います。
複数の現場を俯瞰して、より多くの現場をコンサル的な立場で関わることが第三者検証ではできます。
体系的な知識がある会社であれば、つよつよの人々からバックアップを受けながらコンサルをすることができます。
最近は法人を立ち上げてQAコンサル的な動きをする人が多いですが、事業が失敗するリスクとかを会社が請け負いつつ、コンサル体験を行う経験を得ることができます。
お客様から依頼を受ける形でテストするので、変な話、製品や事業がうまく行かなくても、ニーズがあればテストの業務を続けることができます。
また、現場やプロジェクトがなくなっても他の現場にいけばいいだけなので、その辺のリスクがないことが良い点だと思います。
第三者検証ということで、おそらくたくさんのテストエンジニアがいると思います。ベテランの人もいれば初心者の人もいますが、やる気さえあれば様々な人と繋がれることができます。
実際に私はいい出会いがたくさんありましたし、そういった出会いが私をQAとして成長させてくれたのではないかと思います。
2年目3年目くらいは色々悩んだ時期もありましたが、ある程度実力にも自信がついてきて、第三者検証テスターのつらさはどうでも良くなったきたというのが正直なところです。
第三者検証テスターとして一生過ごすかはわからないですが、第三者検証テスターになれてよかったと私は思いました。
まず、受注側から発注側になることで、「第三者検証」という呼び方をしなくなりました。
また、自分が成長できないこと、現実をうまくできないことを「第三者検証である」ということを言い訳にしていたと感じました。
テストベンダーの良さは、人材への投資があることだと思います。
だから、自分が投資に値する人間であれば、とてもいい選択だと思います。
「いきなり事業会社に行きたい」は、素晴らしいですが、事業会社の多くはあなたを育てようなんて思っていませんよ。
私にはテストベンダーで働くモチベーションについて、いくつかアイデアがあります。
ただ、それについて聞きたい人は私を探して私に直接聞いてください。
A おめでとうございます 2013年の実質賃金を100としたら2025は90です
B 10年でそれくらいなら健全というか理想的な推移じゃないの、経済学的には。
Bさんの言っていることがよくわかりません。 経済学的には実質賃金を下げるのが健全で理想的なのですか? 経済学的に基づいて幅広い視点をください
ざっくり言うと、「経済学的に “実質賃金が下がるのが理想” なんて理論はない」です。
Bさんの発言は、多分かなり雑&一部だけ見た話で、「健全」「理想的」という言葉が強すぎます。
実質賃金:物価上昇を差し引いた、“給料でどれだけモノやサービスが買えるか” の力
という意味です。
単純に言えば、暮らしはそれだけ苦しくなっている、という方向の数字です。
これが「健全」「理想的」とは、普通のマクロ経済学では言いません。
ざっくりした前提:
とはいえ、一部の状況では、「実質賃金が下がること自体が必ずしも悪ではない」
という議論はあります。Bさんは、もしかするとこういう話をざっくりつまんで言っている可能性があります。
実質賃金が少し下がることを許容
経済学では、
「賃金が硬直的(下がらない)だと失業が増え、不況が長引く」という議論があります(ニューケインジアンとかの失業モデル)。
この観点だと
という言い方は一応できます。
多分Bさんはこういうイメージで「健全」と言ったのかもしれません。
ただしこれは
「下がることが理想」じゃなくて「下がらないともっとひどい事態になる時もある」
特にユーロ圏の南欧(ギリシャ・スペインなど)では、通貨切り下げができない代わりに
「内部切り下げ(インターナル・デバリュエーション)」=実質賃金を抑えることで競争力を取り戻す
これも、
それでも、失業率20〜25%みたいな超絶不況を抑えるために、
1年あたりざっくり 1% ぐらい購買力が削られているイメージ
モノの値段が上がるのに、給料がそれについていかない状態が続いている
普通に考えて
「実質賃金が増えない国」より
「実質賃金が増える国」の方が生活の満足度・将来不安の少なさは高くなりやすい
世界的には、多くの先進国で2010年代〜2020年代にかけて
実質賃金は 横ばい〜やや増加 が多い
日本は、実質賃金・労働生産性の伸びがかなり弱い国としてよく比較に出されます
なので、「10年で10%減」は、国際比較的にも「理想的」とは言いづらく、
まとめると:
なので、Bさんの発言は
「インフレや失業を考えると、実質賃金が必ず右肩上がりでなくてもいい」
という主張として受け取ると、ほぼ間違いと言っていいです。
✅ 経済学は「実質賃金を下げるのが理想」と言っているわけではない
✅ むしろ長期的には「生産性と実質賃金が一緒に伸びる」のが望ましい
少子化→労働力減→労働力維持のためには労働参加率(特に女性・高齢者)の引上げが不可欠。しかし女性の就労拡大は「仕事と子育ての両立」を前提とし、そのためには職場近接性(/通勤負担の軽減)や保育サービス、住まいの確保が重要。ところが都心(特に東京23区中心部)の住宅価格・地価は非常に高く、一般の子育て世帯が都心に住めない現実がある。結果として「都心で働く ⇄ 都心に住めない ⇄ 長距離通勤・子育て負担増 ⇄ 出生率低下」という負のループが生じ、政策的にトレードオフ(=トリレンマ)を生んでいる。以下、事実・統計と研究結果で裏付けます。
2024年の出生数は約 686,061人(68.86万)、合計特殊出生率(TFR)は 1.15 と過去最低を更新。自然増減は大幅なマイナス(多死少子)。
女性の就業者数・参加は増加傾向にある(近年の女性の15〜64歳就業率は70%台に上昇し、M字カーブは薄れている)。政府統計でも女性雇用者数は増加。労働参加率を上げることで労働供給の減少をある程度相殺できる。
保育所等の利用定員は約 3,030,000 人規模(定員充足率は約88%前後)。待機児童は年により減少傾向だが地域差は大きく、地域によっては依然として保育の受け皿不足が存在する。
中央・都心部(東京23区中心)の**分譲マンション平均価格は1億円台(例:2024年は約1.12億円)**と高水準で、一般的な子育て世帯が手軽に都心居住できる水準ではない。地価上昇も続いている。
職場と居住地の距離(通勤時間)は世帯の時間配分に影響を与え、長時間通勤は家事・育児時間を圧迫する。複数の研究で、職場近接やテレワークの導入が出産・就業継続に好影響を与える可能性が示唆されている。
日本は「少子化で労働力が減る → 労働化率を上げる必要がある → 労働化率向上は仕事と子育ての両立が前提 → その両立に都心居住(職場近接)や保育・柔軟な働き方が寄与する」が現実。だが都心の住宅コスト上昇が多くの若い世帯の都心居住を阻み、長時間通勤や育児負担を生み出しているため、ここに放置されたままでは「労働参加率を上げても出生率は回復しない」おそれがある――これがトリレンマの本質です。政策は(A)保育・働き方、(B)住宅政策、(C)雇用の地域分散を同時並行で扱う必要があります。
「18世紀に転生したんだが、高校数学で産業革命に参戦する」ってタイトルでこんな感じでラノベ書いて!
たのんだよ!
日本政府は2022年の安保関連文書で、「2027年度までに対GDP比2%程度」を目標としている。
最近では、このスケジュールを前倒しし、現在の予算から早期に2%達成を目指す方針も示されている。
G7各国の、2024年時点でのGDPに占める軍事費の割合は以下になる。
米国:3.4%
ドイツ:1.9%
英国:2.3%
フランス:2.1%
イタリア:1.6%
カナダ:1.3%
日本:1.4%
これを単純に平均すると、2%となる。
平均を取れば問題ないのか?
適切な軍事費を考えるには、周辺国どの関係性における脅威レベルや、国の財政上の余力、国民の価値観・政治判断などが影響する。
国民の価値観は揺れに揺れている最中なので、脅威レベルと財政余力を考える。
NATO加盟国で、前線とも言える国からは後方寄りのドイツは1.9%、フランスは2.1%。
休戦中とはいえ、敵国になり得る北朝鮮と隣り合わせの韓国は2.6%。
日本は、中国・北朝鮮という軍事力の高い近隣国を抱える一方で、日米同盟により単独の防衛責任を全て負っているわけではないという状況を考慮し、リスク的にはドイツやイギリスよりも高め、韓国ほどではないと考えられることが多いようだ。
そうすると、日本の適切な軍事費の割合は、1.9%〜2.3%程度と言えるかもしれない。
防衛費を2%にする場合、ざっくり3.3兆円を追加で捻出する必要がある。これを単純な増税のみで補うのは現実的ではなく、一般会計予算内でのトレードオフが一部は起こると思われる。
たとえば、半分は増税、半分は歳出削減で補うとした場合、増税は法人税やたばこ税など、取りやすいところから優先的に徴収されるだろう。
残りの歳出削減分は、社会保障や教育、公共事業など、複数分野を削る必要が出る。
内閣府の中長期試算では、社会保障の自然増(高齢化)、防衛費の増加、税収の伸びを考慮したうえで、歳出を削り、増税が必要となることが示唆されている。
そして「高齢化による自然増の範囲内に実質の伸びを抑える方針を維持」とされており、要は高齢化が進む分増えるはずの社会保障を増やさない=実質削る方針となっている。
それは一度には起こらず、世論形成を進めながらじわじわと進行するだろう。
いずれにせよ、我々の老後は厳しいものになるかもしれない。
「円安の何が悪いのかさっぱりわからない。」ほど知識がないなら、AIに聞くなり、新聞読むなり、経済の基本的な解説書を読むなりして。
でたらめな知識にもとづいてキレ散らかすくらいなら、黙ってたほうがいいだろうよ。
経済アナリストの視点から、ご提示いただいた文章の主な問題点を指摘します。
この文章は、経済現象の多面性を無視し、事実と異なる認識に基づき、特定の立場からのみ都合よく解釈している点で、客観的な分析とは到底言えません。
主な問題点は以下の通りです。
これが最も深刻な問題点です。現実には、円安によって多くの国民が苦しんでいます。
輸入インフレの直撃: 日本はエネルギー(原油、天然ガス)や食料品(小麦、飼料など)の多くを輸入に頼っています。円安はこれらの輸入価格を直接押し上げ、電気代、ガス代、ガソリン代、食料品価格の高騰につながっています。
実質賃金の低下: 円安による物価上昇(インフレ)に、名目賃金(給与の額面)の伸びが追いついていません。その結果、実質的に国民が使えるお金の価値は目減りしており(実質賃金の低下)、生活水準はむしろ圧迫されています。
中小企業の収益圧迫: 円安による原材料費や燃料費の高騰は、大企業(特に輸出企業)のように価格転嫁が容易でない中小企業の経営を直撃します。
「円安で苦しむ国民はいない」という認識は、こうした日常の経済実態を全く見ていないか、意図的に無視しています。
給料(賃金): 円安は輸出大企業の「名目上」の収益(円換算)を押し上げますが、それが国内の幅広い労働者の賃金上昇に直結するとは限りません。前述の通り、物価高のスピードに賃上げが追いつかなければ、国民は豊かになりません。**重要なのは「実質賃金」**であり、現在の円安局面ではマイナスが続いています。
株価: 円安が(輸出企業の業績期待などから)株価の押し上げ要因の一つになることはありますが、「上がり続ける」と断言するのは誤りです。株価は世界経済の動向、金融政策、地政学リスクなど、無数の要因で決まります。円安だけが要因ではありません。
3. 「マスコミも経済界も円安を問題視していない」という事実誤認
これは現状認識として完全に誤りです。
マスコミ: 連日、新聞やテレビニュースでは「悪い円安」という言葉を使い、物価高騰による家計への負担増、実質賃金の低下、日銀の政策の難しさなどを大きく報じています。
経済界: 輸出企業からは歓迎の声がある一方で、輸入に頼る企業や内需型の中小企業からは悲鳴が上がっています。経済同友会などの経営者団体トップからも、行き過ぎた円安が日本経済の体力を削ぐことへの懸念が繰り返し表明されています。
「問題視する論調はない」という主張は、現実の報道や経済界の議論と著しく乖離しています。
「恐怖の円高時代」と表現し、円高を絶対悪のように扱う一方、円安を無条件に礼賛するのは、経済分析として稚拙です。
円高のメリット: 輸入品(エネルギー、食料、ブランド品)が安くなり、国民の購買力は上がります。海外旅行や留学も安価になります。
円安のデメリット: 上記で詳述した通り、輸入物価の高騰と実質賃金の低下を招きます。
経済は常にトレードオフであり、為替水準によって恩恵を受ける人と不利益を被る人が必ず存在します。どちらか一方を「絶対悪」や「絶対善」と断じるのは、特定の(この場合は輸出大企業的な)視点に偏りすぎです。
「経済オンチのオールドサヨクだけ」といった表現は、客観的な経済分析ではなく、レッテル貼りと人格攻撃に過ぎません。
物価高に苦しんでいる一般消費者や中小企業経営者を「知識がないなら黙ってろ」と切り捨てる態度は、経済を語る以前の問題であり、建設的な議論を著しく妨げるものです。
給料が上がり、株が上がり続けるんだぞ。
デフレ時代にだけは絶対戻してはならないという高市の決意は頼もしい。
ひるがえって、円安で苦しむ国民などいない。だからマスコミも経済界も円安を問題視してる論調はない。
じゃあどうすれば物価高対策できるのか?というAさんへのコメントがいくつかあります
以下2点に回答してください
でもその理屈でいったら、自民党が下野して次の政権ができても、物価高は止められないんだから、瞬時で選挙に負けてまた政権交代になるだけちゃうん?
物価高と円安を止める手段はある。日銀の利上げ。が、ネット世論は不景気無限連呼、財政政策と消費減税の三橋脳。高市は安倍と同様、経済政策を理解できず運任せ。立憲も老害アホ揃い。LLMの方がマシ。安野に入れよう
いやその手段とやらを提示せいよ。ないなら仕方ないし。で、負けたらどうなるの?予算委員会見てる?ちょー平和だけど。何にも変わらんし構造的問題ならしゃーないでしょ。
了解。論点を2つに分けて、政策オプションの中身とトレードオフ(メリデメ)をはっきり示します。政治的評価や誰がやるかは脇に置き、経済政策としての実効性に絞って整理します。
何をする:政策金利の引き上げ、国債買入れ(保有)の縮小など。日米金利差が縮めば円高バイアスがかかり、輸入インフレが和らぎます。日銀や研究でも、為替は金融政策の影響を比較的受けやすいことが示されています。
メリット:需要を冷やしつつ期待インフレを抑制。為替の過度な円安圧力を緩めやすい。
デメリット:効果は長く不確実なタイムラグ(1~数年)を伴い、先に成長・雇用を冷やす可能性。景気過剰減速・債券市場の変動リスクも。
何をする:補助金・給付の縮小、恒久的な減税を避ける、歳出の重点化など。
デメリット:目先の家計負担はむしろ増える。成長を下押し。政治的実行可能性も課題。
何をする:LNG・再エネ・原発再稼働などエネルギーミックスの安定化、物流・規制改革、生産性投資の促進。
メリット:輸入コストショックに強い体質を作り、中期的にインフレ圧力を低減。
デメリット:短期効果は小さい。初期投資と制度変更に時間と政治コスト。
デメリット:トレンドの持続的転換は難しい(金利差が決定要因のため)。繰り返すと準備資産や当局の継続意思が問われる。
補足:日本では為替→物価の波及は平時は小さめでも、大きなショック時ははっきり効くという実証が蓄積(状態依存的に強まる)。ゆえに、金利差・為替に効く政策はやはり中核です。
何をする:所得やエネルギー支出比率で対象を絞った給付・減税。
メリット:最も効率的に家計を守れ、コア物価への波及が小さい(面でバラ撒くよりインフレ圧力を再燃させにくい)。IMFも繰り返し推奨。
デメリット:設計・申請の事務コスト、線引きの不公平感、捕捉漏れリスク。
何をする:上限・補助・賦課金調整など。ただし期限と出口を明確化。
メリット:ショック吸収の即効性。企業の急なコスト転嫁を抑える。
デメリット:財政コストが大。価格シグナルを歪め、省エネ・投資の誘因を損なう。設計によっては小売価格への転嫁率が不完全で、企業マージンの肥大化も。
何をする:食料等の税率引下げ(時限付き)。
メリット:表示価格を直撃するため体感改善が即時。一部の国では**かなりの転嫁(パススルー)**が確認。
デメリット:恒久化の誘惑が強く税制の効率性を損ねやすい。財源が必要。品目限定に伴う線引き論争。国や設計次第でパススルーが不十分な例もある。
何をする:児童手当・年金の調整、最低賃金引上げと中小支援のパッケージなど。
デメリット:コストプッシュの再燃や二次的波及(賃金‐物価の押し合い)に注意。財政負担。
デメリット:産業保護の観点とのトレードオフ。恒久化しにくい。
どの政権でも使える“基本ツール”は同じで、外的要因(米金利・原油・地政学)の影響も大きいのは事実。違いが出るのは「度合い・設計・出口」。たとえば①金融をどの速さで正常化するか、②給付を面ではなく点に絞るか、③補助は期限と縮小ルールを明確化するか、等で同じ財政コストでも効き方が変わる。
金融政策は長く・ばらつくラグが宿命。過度に急げば景気・雇用の下振れや債券市場の不安定化リスクもある。ゆえに金融・財政・供給を組み合わせ、短期の痛み止めと中期の体質改善を併走させるのが現実解です。
急変の平準化には効くが、水準の持続的転換は難しい――というのが国際的な経験則。持続的に効かせるには金利差(≒金融・成長見通し)が要。
中核は金融正常化+需要抑制的な財政運営+供給制約の緩和。為替トレンドに対しては金利差が決定的。介入は補助的。
悪影響(家計の痛み)を最小化したい:
ターゲット給付が最も効率的で、次に時限・出口を明確にしたエネルギー対策、限定的な税率措置。面での恒久財政はインフレ圧力や財政コストを膨らませがち。
この土台があれば、Aさんのスレでも「解決策が“無い”のではなく、痛みと時間のトレードオフが大きい。だからこそ設計の巧拙が重要」という冷静な議論に乗せられます。
ご提示いただいた内容は、経済成長やGDPの測定に関するいくつかのモデルや課題を簡潔に表現したものと理解できます。
x_t = (Π A_i)x_0
これは、経済の状態ベクトル x が初期状態 x_0 から始まり、複数の線形変換または行列 A_i の連続的な積によって時間とともに変化していくプロセスを近似的に示していると考えられます。
経済的解釈: 経済学においては、動学的なシステム(例えば、資本、労働、技術などの成長)を、期間ごとの変化率やショックを表現する行列 A_i を用いてモデル化することがあります。
この式は、連続的な経済ショックや政策介入の累積的な影響を示す形式として解釈できます。
r_1 > g > r_2
これは、経済全体の成長率 g と、異なる種類の資産(または異なるポートフォリオ)の収益率 r_1 および r_2 の関係を示しています。
理論: 実質GDP ≒ Q(生産量)、名目GDP = P × Q(価格 × 生産量)
現実の課題: 物価の過小評価と正確測定の不可能性 → 実質GDP x (αP)Q
これは、名目GDPを実質GDPに変換する際の物価指数(デフレーター)の信頼性に関する、マクロ経済学的な批判を述べています。
結論 (αP)Q の解釈: 実質GDPを名目GDPから計算する場合、通常は P で割って Q を求めますが、物価 P が不正確であるため、得られた実質GDPの値は名目値に何らかの調整項 α がかかった物価の代理変数 (αP) と、真の生産量 Q を掛け合わせたような値にしかならない、という測定上の限界を示唆しています。これは、「統計に現れる実質GDPは、真の経済成長を正確に反映しているとは限らない」という、実質成長率の解釈における重要な注意点です。
異常な低成長、というか人口増できなかった。
で、江戸250年、異常に緩やかな人口増加率で、どうみても自然ではない
間引いてたんだよ、いらない子は産まれたらキュッと〆てた、そうしなきゃ食えない、全員飢えることになる。
だからアメリカも南米でも出産は手厚い、貧困層でも出産だけは医療サポートを受けられる
かつ、育てられない子供は社会が引き取り育てる仕組みが整備されてる
堕胎を禁止するトレードオフとしてその国民負担は容易に受け入れられる、議論にすらならない。
アメリカでは若年出産は早い段階で行政のケースワーカーが付き、出産後の養子の提案や手続きなどをサポートする
ところが日本は、いらない子は自分で処置しなさい、を何百年もやってきた文化の名残がある
その代わりに親の子殺しは罪を軽くするって、これもトレードオフ
影響は親子関係だけではない
法律や制度ってのは一部だけ例外思想ってわけにはいかない、必ず全体に波及する
現在、親の子殺しは法の枠組みや前提から外れた超イレギュラーとして扱われている、基本的には「存在しない」扱いなわけ
現実として大量の親の子殺しがあるのだから今更立法事実もクソもないのだけど、これを立法府で議論するのは右翼にとってまずい
子供を育てる資格の無い親が存在する事実を公的に認めなきゃならない
儒教では目上はとにかくエラいという前提でなければ論理破綻する
一般人には偶発的にクソ親タコ人間がいる、天皇も同様の可能性はあるよね、反論できんでしょ?
突き詰めると天皇制なんてすぐに瓦解するわけ
経済学、特にミクロ経済学に対するご意見をありがとうございます。
ミクロ経済学は、意思決定の原理や最適化といった個々の目的が明確な主体(消費者や生産者)の行動を、意思決定理論やゲーム理論といったより一般性の高い理論的枠組みへと拡張・一般化できる強力な側面を持っています。
ミクロ経済学が唯一信用できると感じられる理由は、その分析が個人の合理的行動(合理的意思決定)という明確で検証可能な公理に基づいている点にあります。
これらの分析は、オペレーションズリサーチ (OR) や最適化問題として捉えることができ、目的関数(何を最大化・最小化するか)と制約条件(予算や技術)が明確に定義されます。
一方でマクロ経済学が抱える困難さについても、鋭く指摘されています。
マクロ経済学が扱う国民経済全体の利益(国家の利益)は、ミクロの効用や利潤ほど単一で明確な目的関数として定義することが非常に困難です。
国家の利益には、経済成長、失業率の低下、物価安定、所得分配の公平性など、複数の目標が関わり、しかもそれらはトレードオフの関係にあることが多いです。
どの目標を優先するか、またパイの分け方(所得分配)をどうするかは、規範的・政治的な判断を伴うため、ミクロのように単一の最適解を導出することが難しくなります。
このため、マクロ経済学の重要な研究分野は、ご指摘の通り以下の点に集中します。
要するに、ミクロ経済学が最適化の論理という数学的厳密性を武器にしているのに対し、マクロ経済学は集計と実証という統計的・実証的な検証に多くを依存せざるを得ない、という構造的な違いがあると言えます。
ミクロ経済学の知見をマクロに応用しようとする動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルなどの発展もありますが、集計の困難さや期待形成の不確実性が常につきまといます。
ミクロ経済学を唯一信用できるとされる根拠は、分析の基礎となる前提と目的が明確であるという、その科学的厳密性に起因している、と解釈できますね。
エンベディングテーブルのベクトル表現はその程度の揺れであれば吸収できるので問題ないでしょう.
まず, 多義性は英語にも多分に含まれていて, エンベディングテーブルのベクトル表現においてその2つ以上の語義を同時に保持することは可能です. それが全く対極的な意味を保有している場合は確かに特徴量がおかしな事になりますが, 言語学的にそのような語彙は極めて稀です. (そういった使いにくい語彙は自然に消滅します)
語順も, 結局は次文予測が成立すれば良いので, 選択肢がやや増える程度です. Perplexity-based ChunkingやRAGAS, Semantic Chunking, Meta-Chunkingなどを組み合わせていけば確率的な予測も収束しますので十分に対応可能です. これはアジア系の研究者を中心とした研究が示しています.
これを理由に日本語を捨てるのはあまりに勿体ないし, それこそ研究の腕の見せどころでしょう.
学習の難易度は英語と比較すれば上がりますが, 世界には多様な言語がありますし, 現に30Bクラス以上の現行モデルでは対応出来てますから.
ただ, 音声入力変換は難易度が高い, これはご指摘の通りです.
音素列を発音辞書にマッピングする際に高度な文脈的判断が必要になるのは日本語の「ネック」と言えますね. 計算量も倍増しますし.
ただし推測の手法自体はありますから, いかにここを高速化できるかがまさに課題ですね.
日本語のfuzzyな多義性にはコミュニケーションにおいて良い点と捉えることもできますので, トレードオフとして現実的な折り合いを見つけるのが良いと考えます. これはまさにプロダクト作りの肝となるかと存じます.
前にこれを書いた。
レンガみたいなグミ食べたい
早速2種類2本ずつ買ってみる。グレープ&マスカット、コーラ&ソーダの2種類。
6個のタフグミが一列に連なっている。
試しに1本かじってみる。
2種類の味が繋がっているのだけど、正直味は変わった気がしない。かき氷のシロップくらいの雰囲気だ。
そして、これを2つ繋げると・・・。
『高さ2×横2×奥行き3のタフグミレンガができあがる。』
私が求めていた高さ2×横3×奥行き4には少し足りないが、十分な大きさだ。
手製のタフグミレンガに食らいつく。
折りたたんだだけなので私の歯と引っ張り合うタフグミレンガは反作用で崩壊寸前だ。
齧りとったレンガに歯型がついている。
口で跳弾するタフグミたちを切りつけ飲み込む。
喉と銀歯のせめぎあいだ。
その後もレンガに食いついた。
朝からプロテインしか飲んでいなかったので、今の自分は腹にタフグミを詰められた狼だ。夜ご飯は少なめがいいかもしれない。顎がつかれた。
でも満足感いっぱい。久しぶりにいい買い物をした。
みなさんも試してみてほしい。喉に詰まらせないように気をつけて。
セックスはしたいけどさ
一発やったら興味を失う、というわけではないんだが
セフレが理想的なのかなぁ でも相手が特定を相手を見つけたり結婚したりすると寂しい感じになる
というかセックスもしばらくしてなかったせいで面倒くさいイメージになってしまったな
ご馳走にありつくためにそこまで頑張るか?
「女の子のケツを追いかけてるのが幸せ」ってのはこういうことか
子育てとかペットを飼うとかも「ちょっと我慢すれば面倒を引き受けなくて済む」のトレードオフで考えるとあんまりなぁ
相手に価値があると思えばこそ自分の存在意義を確かめることもできるのかもしれないが
長らく独身でいたせいか、そのへんを一人でもうまくこなせるように回してきてしまったんだよなぁ
恋愛も親子の愛も「なくても困らない方向で調整してきてしまった」
それはほぼ抱き枕なんだよな
※障害年金(生活保護費に実質吸収されてるが)で遊ぶ生活保護受給者・障害者、しかも若い女性を性的搾取する大人に嫌悪感を抱く人は見ないようにしてください。
障害年金の支給日だったので思い切って20年ぶりの風俗に行ってきた。
さて、こちらは政令指定都市ではあるが地方なので、春を売る価値も「いいの…?」ってぐらい安かった。
しかも売春女性は目移りするほど増えていてルックスもレベルが高いようで正直ビビった。マジか?と。
そしてこの傾向は都会でも地方でも同じようで、昔では考えられないほど風俗嬢のルックスもインフレしているらしいし、春を売ることに抵抗のない層が厚みを増しているようだ。 それにも関わらず、主要ターゲットであるオジサン達の貧困化により飽和状態(レベルを満たしているのに売りたくても売れない売春女性が多い)にあるというのが現状、とXで知識を得ていた。 この街では生中出しのセックスが60分で16000円程度から売られている。画像加工技術は昔ながらのフォトショにプラスしてAIも使っているので、ホームページ上にはあらゆるタイプの商品化された魅力的な女性が並んでいるのを確認出来る。加工技術の進化によりそれを信じることはより出来なくなっているかと思いきや、SNSでほぼ加工無しのルックスを確認出来る時代になっているのが現状のようだ。AV女優のルックスのインフレ、競争も明白に激化している。女性達による売春戦国時代は買う側の男たちにとって恵みと言えるだろうと思える。
これは…昔のように風俗がある程度の福祉として機能していたものではなく、「普通に」カジュアル化して春を気軽に売れる若い女性達の増加と言えるのか?いや、昔から援助交際というものはメジャーな響きがあったし、別に時代の遷移によって変わったものではないのかもしれないし…。でもパパ活なんてライトな売春オブラートワードも定着してきてるし…。
真実は分からないが俺の実感としては売春婦のルックスのインフレとカジュアル化がこの貧困斜陽国家によってもたらされつつあるのが実態では、という予想に至った。
さて、本日。私は挿入のない風俗を選択した。ソープではなくデリヘルである。挿入のある風俗には抵抗があったからだ。直接的過ぎて自分が怖かったし、それは金を使ったレイプであると考えたからかもしれない。口腔による春程度ならば、というのが今回私が性的搾取を行おうとする際に抱く罪悪感をすこし軽減する手段であったと思う。それでデリヘルを選択したわけだ。
地元でも一番高級なデリヘルを選択した。それでも75分で2万円である。高いように思えて、それでも生活保護の身で障害加算(障害年金で加算がつく)と収入認定(バイトしてる)があれば、節制すれば普通に毎月通える程度の金額であるなというのが実際のところである。他のことにも使いたいし貯金もしなくてはならないし、そもそも毎月風俗に行くような動機も性欲も無いから通うようなことはしないが。 そう、ひさびさに女体に触れたい、そして社会見学。それだけのことが今回の動機であった。加齢によって、射精はきっと出来ないであろうという予測もあり。
ホームページを見る。まずおっぱいだ。前の彼女もその前の彼女もまな板だった。巨乳をチョイスしたい。その中から、一番若い子を予約した。19歳だと書いてある。身長164㌢Gカップ。素晴らしいではないか。他にも乳のデカい、Jカップという子も居たが年齢が24歳と書いてあったので敬遠した。本当に24歳なら別段問題はない。むしろ良い。が、吉原年齢ということもある。実際には24歳と書いてあっても30代後半だったり、そういうことが起こり得る。せっかくなら若い肉体を触りたい。私が二十歳頃に恋人だった子のような、ハリのあるみずみずしい肉体を。
さて、その子を指名してウェブ予約して、ラブホテルにインして電話をかけて待つ。すぐ来てノック。ドアを開けると…。めちゃくちゃ可愛い若い女の子が微笑んでいた。洋服の上からも胸の膨らみが既に主張している。とりあえず招き入れ、お金を支払い、ドリンクを注文し暫し雑談。なんと…この前まで高校生だったというではないか。その時点で私の愚息はシナシナになってきた。逆じゃないか?ちょっと前までJKだったなんて、しかもめちゃくちゃ可愛くて、高身長で、乳もデカくて、くびれがあって、興奮するんじゃないか?と思われるかもしれない。しかしやはり若すぎるという罪悪感が私を“おとな”にさせ、相手を“こども”にさせた。ドリンクを飲みながら、学校のことや、出稼ぎできていることや、モテモテだった話などを聞いた。そりゃモテるだろう。話してる時間のほうが長かった。色々訊きたくて興味津々であった。
さて、じゃ、そろそろ、ということでお互い服を脱ぎ脱ぎ。抜群のスタイルであった。やや硬めのハリのある巨乳、見事なくびれ、大きなお尻。女性らしさを体現したラグジュアリーなボディである。こんな若くてめちゃカワでスタイル抜群な子が高校卒業してすぐ口淫業?すごいことだ…。眼福である。
とにかく、“おとな”として優しく接すること、あまり触らないことを心がけた。いちいち許可をとって、接吻をしたり、乳を揉ませてもらったりした。ゆったりとした時間、焦らずの時間が過ぎていった。
嬢としてはやはり仕事なので「抜き」をしなくてはならないという流れを作ろうとし、ベッドに私を寝かせ乳首を舐めてきた。私はほぼマグロとなり身を任せることにした。
やがて下の方へと向かい、睾丸、陰茎を舌でもて遊び、舌ピアスを上手に刺激に活用し私の愚息を怒張させていった。
が、私の愚息はやはりシナシナとなり…。“おとな”として“こども”にこんなことをされていても、罪の意識からか没頭など出来ず覚めていった。本格的な口淫に入っていく。刺激があるようなないような。これは彼女のテクニックの問題なのか私のメンタルの問題なのか。特に刺激を感じることなく、これは射精は不可能だな、と判断し、今度は反対に攻めさせてもらうことにした。
横になった彼女の肉体を眺める。やはり素晴らしい肉体をしている。胸の膨らみ、くびれから、そして本人は太ってしまったからと気にしていた適度な太もも。そのバランスの良さにしばし見惚れる。これは…別に性行為や口淫やらをせずとも、その美しさ、エロチシズムを写真に撮らせて貰えればそれが一番かのように思えた。が、攻めの番となるとやはりある程度のことはせねばなるまい。
しかし…。先述した心理によりその肉体を必死で貪るようなことは出来ず、私は彼女の乳首さえ吸わなかった。バランスのいい、ハリのあるGカップに備えられた、色素の薄い美しい乳輪に乳首。私は遠慮しっ放しであった。
軽く乳を揉みなどしつつ、すべすべの全身を愛撫しつつ、脚、内股へと徐々に愛撫を重ねていく。吐息が漏れる。だけど、訊いてみると、くすぐったい、というだけのようだ。そりゃそうか。だからといって本気で愛撫にとりかかるわけでもない。中途半端な愛撫を重ね、終わりにした。
枕元へ向かい、キスをした。応えてくれた。かつての恋人達のようにではない。そりゃお仕事だから濃厚なものではなくあくまでも業務的なキスではあったけれど。やはり、“おとな”だし“こども”だし何より“売り買い”だからそこには本気の気持ちはない。彼女は一生懸命口淫で尽くしてくれたと思うし、美しくみずみずしい裸体を見せてくれた。そして、将来の夢なども聞かせてくれた。それだけで私は充足したのである。射精に至らなくとも21000円の価値が彼女にはあった。
レポは以上になるが、本当に最近の風俗はレベルが高かった。驚くべきことだ。一番の驚きは彼女のような顔や身体や若さといったハイレベルな風俗嬢でも、1日に一人か二人しか客がつかないぐらいうちの店はレベルが高くて…ということであった。
なんとも言えない気持ちにさせられ、そして感謝の意を伝えながらチップを少しだけ渡して、一緒にホテルを出た。
やはり、売春婦のレベルのインフレと国の経済力の衰退はセットのようだ。
今の非モテ男性は多少の金さえ出せば、ハイレベルな女性を選び放題の時代となっている。最近、コスパとかタイパとかいう言葉を聞くようになった。交際経験のない若者が増えているとも。
それはおそらく多くの若い男性にとって、マッチングアプリの一般化による女性不信も関係しているだろう。一時期、弱者男性が「女体にありつけない」という嘆きを投稿したところ、「女性をモノ化するとはけしからん」と怒られていたが、女性がマチアプでハイレベルな男を無料かつ容易に漁れるこの現代社会の構図に鑑みるに、それは切実かつリアルな叫びであったのではないか?「ありつけない」というのは悲痛な声に相違ない。
普通の男と普通の女が普通に付き合うことが出来、「ありつけた」時代を生きられた我々の世代は幸福な世代であったのではないだろうか。今のマチアプ時代を強者男性側として生きられる自信は俺にもない。もう風俗へ行くしかないだろう。そしてそこにはハイクラスな女性が性を売り物にして待っている。
これからは金と体のトレードオフがより露骨に、顕著に加速していく社会に突入していくのではないか?つまり、性的格差社会のさらなる加速である。
そこでいかに生き抜くか。得られるか?失うか。無関心になるか。
あまりいい社会とはいえない気がするが、今日の経験は間違いなくその加速した社会からもたらされた愉悦(罪悪感を含んだが)といえよう。若者は大変であろうが、金を持っているオジに女性はなびくだろう。マチアプ&パパ活概念社会への突入を如実に感じた。
しかし振り返ると風俗・・・若い女の子を性的搾取したことに対する罪悪感が大きい。お金はなんとかなるけど、お金を失ったんじゃなく何か大切なものを失った気持ちのほうが今大きい。今、正直後悔の気持ちがある。
週末は生活保護ながら土日だけのバイトだが、今日買った子と同い年のバイトの真面目で気の利くJDとどんな顔して“おとなの顔”して働けばいいんだ?
隠さないと、無かったことにしないと大人としてバイトの子と真っ当に接することなど出来ない。それぐらい後ろ暗いことをしたよな。と思う。
“おとな”ではやれない。
職なしー金なし、と、職ありー金あり、といった、労苦と獲得した金による消費増とのトレードオフを踏まえて比較しないと意味がない。
こんなツイートを目にした。
https://x.com/yasufuminagawa/status/1981977854423540174
読んで、ああ、と思った。
私も同じことを感じていた。でもそれを言葉にできずにいた。
このツイートをきっかけに、自分が何に苦しんでいるのか、整理してみようと思う。
TRPGを遊ぶとき、周りの人たちはビジュアル情報をすごく重視している。少なくとも、私のいるコミュニティでは、そうだ。
立ち絵やイラストを用意する。「どんな表情をしてる?」「どんな服を着てる?」と視覚的な詳細を求める。KPが善意でコマ絵を用意してくれる。ビジュアルで彩られたセッションが、当たり前のように存在している。
「絵を描かなくてもいい」と明示的に言われることもある。しかし実際には、ほとんどの人が絵を用意してくる。用意してこなかった人は「立ち絵ないんですよ」と、謝るように断りを入れている。暗黙の規範として、ビジュアル情報を提供することがデフォルトになっている。
「立ち絵合わせしよう」と誘われ、断ったときには遠回しな不機嫌さ――パッシブ・アグレッション――に直面することもある。明確な攻撃ではないが、確実に心は削られる。
一方、私にとって、ビジュアル情報は「どうでもいい」わけではない。マップや配置図など、実用的なビジュアルは役に立つ。しかしキャラクターの立ち絵や表情、服装といった演出的なビジュアルは、文字だけで十分だ。認知特性として、文字の方が処理しやすい。結果として、想像の余地がある方が楽しめる。
周りの人たちは、ビジュアル情報に価値を置いている。この価値観のギャップが、根本にある。
孤独だ。周りの空気を気にせず遊べたらいいのに、気にしてしまう。
「気にしなければいい」「描きたくなければ描かなければいい」と言われても、それができない。気にしないでいたら、実際にパッシブ・アグレッションを受ける。傷つけられる。建前では「自由にしていい」と言われているのに、実態として自由を感じられない。
KPが善意でコマ絵を用意してくれることも、侵襲されているように感じる。自分のイメージしていたキャラクターが勝手に視覚化される。善意だから、断れない。
「どんな表情してる?」という自然な質問も、重荷だ。視覚情報を求められること自体が、プレッシャーになる。
「ビジュアル重視」という価値観が主流のコミュニティで、「文字だけで十分」という認知特性を持つ自分が、常に多数派に合わせることを求められ続けている。
外部からの要請や期待に応え続けている。「立ち絵を描く約束」があると描く。描きたいときもあるが、基本的には外部からの要請で動いている。
私は立ち絵が描ける。描けるからこそ、「描いてよ」という要請が来る。描けるから、描くのが楽しいと思われている。しかし、描けることと描きたいかは別だ。描けるからこそ、「描かない」選択がさらに説明しづらくなる。描けない人なら「描けないので」で終わる話が、描ける人だと「じゃあ描いてよ」「描けるのになんで描かないの?」という圧力になる。
自分のペースを決められない。TRPGだけではない。常に、叶えないと文句を言ってくる人がいる環境で、自分を調整し続けている。いつも我慢してしまう。
この苦しみが「コミュニティの問題」なのか「私の問題」なのか、境界線が分からなかった。
整理してみると、苦しみには二つの層があるように思う。
パッシブ・アグレッションは証明しづらい。だから「私の気にしすぎかも」と自分を疑ってしまう。それでも、実際にダメージを受けている。
ビジュアル情報がないと想像できない人にとっては、ビジュアルがないことが苦しみなのだと理解している。相手にとっては、ビジュアルがあることが楽しみでもある。それを理解しているから、「ビジュアルなしでもいい世界を」と主張することに、ためらいがある。相手の楽しみを奪うようで、罪悪感すら感じる。
だから、自分の願いを主張しづらい。誠実であろうとすればするほど、自分が傷つきやすくなる。
多様性を認めてほしい。
具体的には、安全に断れる環境と「ビジュアル重視」だけが正解ではない世界がほしい。
文字だけで楽しむ人も、ビジュアルで楽しむ人も、どちらも「普通」として認められる世界。本来は、これはトレードオフではないはずだ。ビジュアルを使いたい人は使えばいい。ビジュアルなしでいい人は使わなくてもいい。両立できるはずだ。
しかし実際には、「みんなで合わせる」という暗黙の前提があるため、両立できていない。誰かが立ち絵を用意しないと、全体の統一感が崩れるように感じられる。この「合わせなきゃいけない」という前提が、問題なのだと思う。
ビジュアル情報を提供しないことが「例外」ではなく、一つの選択肢として当たり前に存在する世界。
断ったときに、パッシブ・アグレッションを受けない世界。冷たくされたり、遠回しに批判されたりしない世界。
「どんな表情してる?」と聞かれたときに、「そこは想像に任せたい」と答えても、受け入れられる世界。
KPが善意でコマ絵を用意してくれることは理解している。しかし、断ったときの相手の反応や、普段からのビジュアル重視の姿勢を見ていると、本当の意味で「断ってもいい」とは思えない。断っても、それが尊重される世界がほしい。
「立ち絵ないんですよ」と謝らなくていい世界。自分のやり方で楽しむことが、言い訳や説明なしに、否定されない世界。
でも、これは願いだ。
今いるコミュニティが、本当にそうなるかは分からない。もしかしたら、私が去るか、自分が変わるか、どちらかを選ぶしかないのかもしれない。それは、私自身が決めることだ。
「ビジュアル重視」という流れが主流になっている今、ビジュアル重視でないTRPGの楽しみを、改めて考え直してもいいのではないだろうか。
視覚情報が少ないからこそ、想像の余地が広がる。「絶世の美人」が、人によって違う顔をする。各自が思い描くイメージの自由がある。
それは、TRPGが本来持っていた豊かさの一つではないだろうか。
ただし、それは簡単なことではない。
「ビジュアルで楽しむ」方法は、立ち絵、セッションの部屋素材、カットインなど、具体的なノウハウが共有され、洗練されてきた。一方で、「文字だけで楽しむ」方法は、まだ十分に言語化されていない。「想像を膨らませる」「余白を楽しむ」と言うのは簡単だが、それを実践する具体的な方法論は、手薄だ。
どちらが正しいわけでもない。どちらも、それぞれの楽しみ方だ。
これだけのために登録したから作法とか分かってないかも。見た人ごめんなさい。
都内の比較的安い賃貸に年始頃契約→5月に大手不動産会社がオーナーに→一ヶ月くらいで日本人じゃない奴が社長の、webページも無い何やってるかわからん会社がオーナーになった。管理会社も同じ国のやつが社長。
そもそも大家が変わったの知った時絶対詐欺だと思ったくらい怪しかった。
家にいきなりきて「前入居者名さんのおたくですか?大家が変わったので振り込み方法の変更について…」みたいに言い出したら、帰れって追い返すだろ。
ちゃんと「それ前の入居者ですね」って言ったし、名前聞かれてその場で答えるわけない。
前入居者の宛名になってる紙っぺらポストに入れて帰るし。契約当事者の名前が違ってて良いはず無いだろ。
ちゃんとしたの送ってこいって電話しても対応しない。挙句もう対応終わりましたとかほざきやがる。
何もしてないくせに。
12000円値上げってなめてんのか?人件費の高騰により〜とか書いてるけどお前オーナーになって一ヶ月だろ。買う前に事業計画立てとけよ。
Twitterで見たやつだー!!!って思ってすぐ拒否の手紙出したよ。内容証明の出し方覚えるなんて思わなかった。そんなのとは無縁の人生でいたかった。
そんで一ヶ月後には建物から大量のアスベストが出たってさ。絶対嘘じゃん。検査結果見たよ。
みなし含有ってようはちゃんと調べてないけど面倒だからありにしとくよってことでしょ。厚労省のマニュアル読んだよ。読ませるなそんなもの。
アスベストあると不安だから引っ越しの補助出しますって言って条件がお前らのところで探せって?適当な仕事してるの見てるよ。
それが嫌なら住みつづけてもいいけど、絶対に訴えるなって?トレードオフになってねぇだろその条件。検査結果見てから返事するって言ったのに、その前に期日決めてくるのは何?時間を与えないことで判断鈍らせる詐欺のテクニック?
むかつくのがギリ違法じゃないかも?のラインせめてくるところ。
あくまであなたの意思を尊重しますよ〜って言ってるけど大袈裟な嘘で脅してんだろ。偽計業務妨害になんないのか?生活って業務?じゃねーよな辛い。
ほんま腹立つ。
さっき管理会社調べたらクソ担当者本人が客装ってGoogle口コミしてた。それを通報するくらいしかできてない。
どうにかしてちゃんと罰を受けてほしいのに、もうそういう元気も無い。
差別は良く無いってずっと思って生きて来たけどもう無理だ。