はてなキーワード: 書き手とは
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本当にウンザリするし、「○○○○」みたいな気持ちになってしまう
この3行読んで「あ、書き手は知能が低いな」と判断できなかった奴も知能が低いよな。
意味がわかりません。
全く意味がわかりません。
何がどう「当たり前。」なのか示されないし、そんな事実や常識もありません。
これはまともな国語や論理(大卒程度)を操る人間の文章ではない。
すごくざっくりした経済学するとここで投下するのは労働力と資本だよね。
いずれにせよ投下したものに対してリターン大きい業種が「生産性が高い」わけ。
わかる?
書き手のバカはこの話すらわかってない、というより考えたことないのがあの3行だけでわかるよね。
あの文章にはこのていどの定義付けをもとに各産業を測ってデータ見比べたような痕跡すら皆無だから。
実際問題として
またすごおくざっくりした経済学をすると、
生産性低い業界≒給料が安い。労働単位当たりの生産性が低いってことだから。
飲食・宿泊・介護なんて300万円400万円の世界よ。歳食ってもだぜ?
(介護保険料をさらに上げて補助金ドカンと行くなら”生産性”は向上するが…)
ITとか金融とか一部の例外があるだけで、サービス業は基本的に生産性が酷い。
こんなことは経済学部なら1年でもデータで知ってる常識レベルのところ。
元増田は知識だけじゃなく知能も低くおそらく大学1年の授業が理解できない。
まともな定義もデータも無いのにこういうふわっふわな俺理論が始まるでしょ 低知能の定番
カネカネって、
経済統計から各企業の会計まで、みんなそのカネを基準に測られてるよ
そのカネを基準に測ったデータで生産性が低いんだよサービス業は
こいつは要するに知能が低すぎて怠惰すぎて、
既存の学部一年生レベルのフレームを咀嚼することすら出来なかっただけなんだけど
こいつの中では「凡人では思いつかないようなハイレベルな理解を得てしまった」感じになってるのよ
日本人はカネを軽蔑してモノこそ本質的だと信仰し、それをまるで倫理的なことのように思い込んでるけど、それがそもそも逆なんだよな。
悲惨なサービス業の中のほんの一部のITや金融は生産性が高いが
そんなもんを尊んだ結果大卒があぶれまくるわ
第一次産業第二次産業が空洞化して置き去りにされた労働者と大分断が起きるわ
で内乱状態になってるのが今のアメリカだが、持続可能性ときたか
なんかおぞましいぐらいツッコミどころだらけの別の経済観が見えた気がするけど
もうめんどくさいから突っ込まねえ
比較的高学力者が多いはてなの中でバカだチョンだ言い合ってるのとは別次元の
これは人類の仕様上は全然規格内のレベルだし障碍者でもなんでもないんだけど
複雑な経済だの社会だのを理解して論ずるほどの脳のスペックを生まれつき持たない。
ご隠居の良識であって、それが熊さんの身の為でもあるしひいては社会の為だから。
間違ってもそんな身の程知らずな関心のありかたを褒めたりしなかった。
知能の低い人間を都合よく駆り立てたり扇動したりすることは慎むものだった。
あれとそれだ。
元増田の様な経済に関するガバガバ俺理論を振り回して自分が世間より賢いと思ってる低知能はそれの方だろう。
Xとか見てるよくわかる。
一部政党がバカを本格動員するようになって本当に酷い有様になってる。
N党なんか目じゃねーぜ。
投稿件数の増減:はてな匿名ダイアリー(通称「増田」)の投稿数は2010年代半ばに大きく増加し、2016年前後にピークを迎えたとみられます。その後2018~2019年頃には日々の投稿数がやや減少に転じたという分析があります。一方で2020年代に入ってから投稿総数自体は必ずしも減少していません。むしろスパム投稿やAI生成と思われる短文投稿の大量発生により、1日あたり数千件もの日記が投稿される日も見られました。例えば2020年10月中旬のある日は約6,000件以上の投稿がありましたが、これらの多くは数十文字程度の極端に短い記事で、内容のないスパム投稿が急増した結果でした。2023年頃の通常時でも1日2,000件前後の投稿が確認でき、投稿数そのものは依然として多い状態です。しかし、その内訳を見ると文字数中央値が40~50字程度と非常に短く、挨拶程度や一言だけの投稿が大量に含まれていることがわかります。総じて、量的には投稿数は高止まりまたは増加傾向にあるものの、その質や実質的なユーザー参加率という点では低下している可能性があります。
平均ブックマーク数の低下:投稿数が膨大になる一方で、各記事が獲得するブックマーク数は全体的に伸び悩んでいます。2019年の統計によれば、同年に増田全体で付けられたブックマーク総数は約998,454件にのぼりました。一方、月間の投稿件数は毎月6万~7万件規模に達しており、単純計算すると1記事あたり平均1~2件程度のブックマークしか獲得していないことになります。実際にはごく一部の人気記事が何百件ものブックマークを集める一方、大多数の記事はブックマーク0~数件にとどまる ロングテール の状態です。たとえば2000ブックマークを超えるような大反響の記事は全体のわずか0.2%程度であり 、中央値で見ればブックマーク獲得数は0件に近いと推測されます。2020年以降もこの傾向は大きく変わらず、むしろスパム的な記事増加により相対的に平均ブックマーク数は下がっている可能性があります。つまり、「増田」に投稿された大半の記事はほとんどブックマークされず埋もれている状況であり、ユーザーの関心が集中する記事はごく一部に限られてきています。
平均ブックマーク数の推移例:2019年の月次データでは、1月に投稿約71,267件・ブックマーク計65,570件、2月に投稿61,454件・計81,330件ブックマーク、3月に投稿62,855件・計71,860件ブックマークといった数値が報告されています。月によってばらつきはありますが、いずれも投稿数とほぼ同じ桁数のブックマーク総数で推移しており、1記事あたり平均約1件前後のブックマークとなっています。これに対し、中央値のブックマーク数は0件であることがほぼ確実です。実際、**半数以上の記事がブックマーク「ゼロ」**のままという指摘もあり、特に2020年以降は投稿の質の低下に伴って読者の反応(ブックマーク付与)がより選別的になっていると考えられます。
ブックマークコメント:増田におけるコメント機能は直接のコメント欄ではなく、はてなブックマーク上でのコメント(ブコメ)が事実上の議論の場になっています。人気記事には数十件~百件規模のブックマークコメントが付くこともありますが、平均的な投稿ではブコメ数もごくわずかです。ブックマーク数が0~1件程度の記事にはコメントも付かないため、全投稿の中央値で見ればコメントも0件となります。したがって、コメントが活発に付くのも一部の注目記事のみという状況です。例えば2019年のデータでは、被ブックマーク数トップクラスの記事でもブコメ数は数十件規模で(それでも一般記事よりは多いものの)限定的でした。2020年以降、この傾向はさらに顕著になっています。投稿の大量増加で一つ一つの記事への注目度が薄れたことや、後述するようなコンテンツ傾向の変化により、ユーザー同士の議論が盛り上がる記事が減少していると考えられます。
言及(トラックバック)的な動き:はてな匿名ダイアリーでは他の記事への「言及」機能も提供されており、2021年6月には記事本文から直接「言及する」リンクで他記事に応答できる仕組みが追加されました(過去記事をまとめ読みできる人気記事アーカイブ機能とともにリリース)というアナウンスがありました。この機能によりユーザー間で相互に日記を参照し合うハードルは下がりましたが、実際に頻繁に言及(トラックバック)される記事もごく限られています。2019年の統計では、年間で被トラックバック件数がもっとも多かった記事でも170件程度で、上位50位以内に入るには10件以上の被言及が必要でした。しかしこれらは例外的な人気記事であり、大半の記事は言及されることなく終わります。2020年以降も傾向は類似しており、人気記事にはTwitterやブログ等から言及されて話題が広がるケースがある一方で、増田内で記事同士が言及し合うコミュニティ的な盛り上がりは縮小しています。ユーザーからは「最近は互いに絡み合うような増田同士のやり取りが減った」という声もあり、コメントや言及といった双方向のコミュニケーション面でも過疎化が進んでいると評価されています。
トップエントリのブックマーク推移:各年の「人気エントリー」を見ると、トップクラスの記事が獲得するブックマーク数には若干の上下はあるものの、おおむね数百~数千件規模で推移しています。2020年では、年間トップの増田が2260ブックマークを集めました。これは過去の「保育園落ちた日本死ね」エントリ(2016年、約1400ブックマークと言われる)などを上回る水準で、2020年前後は過去最大級のブックマーク数を稼ぐ増田が現れた時期と言えます。さらに2021年には2558ブックマークという記録的な記事(「当たり屋対策の集合知」)が登場し、増田史上でも屈指の反響を得ました。一方、2022~2023年になるとトップのブックマーク数は1500~2000件台が中心で、2021年のピークと比べ若干減少傾向にあります。例えば2023年の年間トップは推定で約2060~2100ブックマーク前後(「ゲームさんぽの次に見るべきYouTube教養コンテンツ」に関する記事)で、2021年の記録には及ばないものの依然として2000件近い注目を集めました。
ランキングボリュームの変化:人気エントリ上位の顔ぶれを見ると、トップ50やトップ100に入るためのブックマーク数も徐々に変化しています。2020年は年間50位前後の記事でもおおよそ300~500ブックマーク程度を集めていましたが、2023年では50位前後で200~300ブックマーク台となり、ボリュームゾーンがやや下がったようです(正確な順位データによる比較では、たとえば年間200位のボーダーは2021年約666件→2023年約605件と減少傾向 )。これは「突出したバズ記事以外はブックマーク数が伸び悩むようになった」ことを示唆しています。要因として、読む側のユーザー数・熱量の減少や、話題の分散化(多数の記事が投稿され競合するため一極集中しにくい)などが考えられます。つまり、ごく一部の超人気増田を除けば、多くの記事のブックマーク獲得数は往年より低調になっていると言えます。
2020年前後のトレンド:2020年は新型コロナウイルス感染症の流行が匿名ダイアリー上でも大きなテーマとなりました。政府の休校措置への批判や、ワクチン・変異株(例:「N501Y変異株の爆発的な増加を知ってほしいという話」)に関する記事が多数投稿され、いずれも大きな反響を呼んでいます。リモートワークや自粛生活の体験談、コロナ禍での社会批評的な増田も増え、2020~2021年は時事問題や社会問題を扱う記事が目立った時期でした。一方で、「意識の低いフリーランスの生存戦略」や「100分de名著を100冊読破して人生変わった」等、自己啓発・仕事術・ライフハック系の増田も2020年前後に人気を博しており、多様なジャンルでバズる傾向がありました。
2022年頃の傾向:2022年になると、コロナ禍の話題は徐々に落ち着き、代わりに日常生活や人生観に関する増田が人気化する例が散見されました。例えば「子供は作っておいた方がいい」という家庭観に関する記事や、「独身中年男性、狂ってきたので今のうちに書き残しておく」といった生き方・人生相談系の増田が注目を集めています。また、「セックスレス解消に足りなかった視点」 のような男女関係・ジェンダー問題を扱う増田が話題になるケースも増え、従来から一定の人気テーマである恋愛・結婚やオタク文化に関する投稿もコンスタントにホッテントリ入りしています。2022年前後は、社会全体のムーブメントというより各個人の体験談や意見表明が多様なテーマで発信・拡散される傾向が強まったといえます。
AI生成コンテンツと虚偽投稿の台頭(2023~2025年):2023年以降、匿名ダイアリー界隈で特に注目された変化が生成AI(人工知能)を用いた創作投稿の増加です。ChatGPTをはじめとする文章生成AIが一般化した影響で、増田でもAIを活用したと思われる長文記事や創作物が散見されるようになりました。実際、2023年後半になると「バズっている増田記事の相当な割合がAIによって書かれている」との指摘もあり、この風潮に対してあるユーザーは「長文増田=AI増田という疑念が広まり、人力の力作長文が敬遠されるようになった。真面目に書いても誰も書きたがらなくなれば増田は滅びてしまう」と危機感を表明しています。AI投稿の氾濫により読者がコンテンツを疑うようになり、結果として良質な投稿者のモチベーション低下を招いているという懸念が広がっているのです。
また、2024年~2025年にかけて露見した出来事として、特定ユーザーによる虚偽投稿問題が挙げられます。2025年1月、はてな運営が匿名ダイアリー上で「差別的表現の通報があった記事」を調査したところ、同一アカウントから内容の異なる複数の創作記事が投稿されていたことが発覚しました。そのユーザーはあたかも犯罪被害者の親族や様々な当事者を装い、時事ネタに乗じたフィクションを量産していたとされ、運営はこのアカウントを停止し過去投稿もすべて削除すると発表しました。この件は増田利用者の間で大きな波紋を呼び、「やはり最近の増田は嘘松(虚偽)ばかりではないか」「釣り記事が横行し信用が落ちている」という批判や嘆きが聞かれました。注目を集めた増田が実は虚構だったという事例が続いたことも、ユーザー離れや過疎化感につながる一因となっています。
定量的評価:表面的な投稿数だけを見ると、はてな匿名ダイアリーは2020年以降も一日数千件規模の投稿があり賑わっているように見えます。しかしその内実を精査すると、スパムや短文ばかりが大量発生している側面が大きく、ユーザーコミュニティとしての活力はむしろ低下していると考えられます。アクティブな執筆・閲覧ユーザー数に関する公式発表はありませんが、前述のように平均ブックマーク数やコメント数は極めて低水準で、読者の反応が乏しい記事が大半です。これは裏を返せば、「書き捨て」のような投稿や質の低い記事ばかり増えて濃いユーザー同士の交流や共感を呼ぶ投稿が減っていることを示唆します。定量データ上も、2010年代後半から投稿者・ブックマーカーのアクティブ率が横ばい~減少傾向であることが指摘されており 、コミュニティ全体としての熱量低下が伺えます。総合すると、「過疎化」は単に投稿数では測れないものの、実質的な参加者エンゲージメント(相互作用や反応の量)が落ち込んでいる点で進行していると評価できます。
ユーザー間で語られる背景・原因:過疎化の背景にはいくつかの要因が考えられ、ユーザー間でも議論されています。大きな原因の一つは前述したコンテンツの質的低下です。増田特有の「匿名だからこそ赤裸々に語られる深い話」が減り、代わりにAI生成文や虚偽の創作ネタが増えたことで、「読み応えがない」「信用できない」という声が増えました。これにより従来コアだった読み手・書き手が離脱し、悪循環的に良質な投稿がさらに減るという構図が懸念されています。加えて、Twitter等他のSNSや掲示板にユーザーの発信の場が移った影響も指摘されています。かつては増田で日記を書くしかなかった層も、現在は短文ならTwitter、長文ならnoteやはてなブログ実名アカウントで発信するなど選択肢が広がり、匿名ダイアリーにあえて投稿する必然性が薄れたとも考えられます。
さらに、コミュニティ内のリアクション文化の変化も原因の一つです。増田に投稿しても「どうせ誰も読まない/ブクマしない」と感じるユーザーが増え、結果として反応が乏しい記事がさらに増えるという状況になっています。実際、「増田で頑張って書いても損するだけ」というユーザーの嘆きが2025年時点で表明されており 、参加者のモチベーション低下が見られます。また、2025年の運営による問題ユーザー削除の件では「運営による統制や検閲が強まった」と感じた層もおり、萎縮効果で投稿を控えるユーザーもいるようです(もっとも、多くのユーザーはむしろ歓迎する対応でしたが)。
以上を総合すると、はてな匿名ダイアリーは2020年以降、量的には賑わっているようで実態はユーザーエンゲージメントが低下した状態にあります。ブックマーク数・コメント数など定量的指標の低迷 、およびAI・虚偽投稿の横行やユーザー離れといった定性的な要因  が重なり、コミュニティとして緩やかな過疎化が進行していると言えるでしょう。その一方で、毎年数本は数千ブックマーク規模のバズ記事が生まれており、匿名ならではの告白系エントリや鋭い社会批評が大きな話題になる土壌自体は残っています。今後、質の高い投稿をどう維持・促進していくかや、AI時代における信頼性確保が課題となっており、これらに対応できなければさらにユーザーが減少する恐れがあります。一部ユーザーからは「このままでは増田文化そのものが滅びかねない」という危機感も示されており 、コミュニティの立て直しが求められている状況です。
最初はただの道具だと思ってた。
ちょっとしたアイディア出しとか、煮詰まった時の補助輪みたいな存在。
それが気づけば、文章の骨組みを作り、関係のない過去の体験を繋ぎ、気の利いた比喩まで添えてくれるようになった。
自分で書いていた頃の文章より、整っていて、読みやすくて、感情まで巧みに編まれている。
でも、それは「私」の文章じゃない。
「これ、お前が書いたの?」
私がしたのは、タグをつけて、文末を整えて、ちょっとした嘘を散りばめたくらい。
バズった。
何百、何千のスターとブクマがついて、コメント欄には共感と感謝が溢れた。
でも私はその中にいなかった。
その文章の中に、私は不在だった。
それ以来、何かを書くたびに思う。
増田はもともと、正体不明の声がさまざまに交差する場所だった。
不器用でも、自意識にまみれていても、その人が生きてる重みがあった。
でも今、そこにいるのは「誰でもない誰か」の声だ。
うまく書けてる。うますぎて怖い。
それに気づかないまま、みんな拍手してる。
すごいね、泣いた、わかる、って。
でも、その文章はただの幻影なんだ。
私はまだ、自分で書いていた頃の、拙くて支離滅裂で、それでも切実だった言葉を信じたいと思ってる。
でも、たぶんもう戻れない。
そして、誰もそれを求めていない。
それ何のためにやってんの?
AIが書いたから何?「AIが書きました」の先がまったく見えない。
じゃあ、お前らの会社の報告書も、論文の要約も、AI使ってたら全部ゴミってことになるけど?
成果が出てりゃ手段なんてどうでもいいだろ(合法ならだけど)。
そもそも「AIだから駄目」とか思ってるブクマカ、誰が書いたかがそんなに大事?
確かに社会じゃ、何を言ったかより誰が言ったかが重要だもんな。
それできっとツラい思いをしてきたんだね、よしよし。
でも匿名であるはずの増田に「誰が書いたか」を求めてて最高に滑稽なんだわ。
書き手がAIでも人間でも、面白かったり物申したければブコメすればいいし、つまらなければそっ閉じすればいいだけの話。
「読んだ時間が無駄だった」とか思いながらわざわざブコメしてるブクマカ、自分でさらに無駄な時間を投入してるの、気づいてる?
「AIっぽいと思われたくない」って意識が強くなればなるほど、書き手は“AIには書けなさそうなこと”しか書けなくなる。
で、これは単なる作風の話ちゃう。もっと根深い、「語りの自由」がじわじわ奪われていく話や。
たとえばやけどな、
……みたいな衝動って、増田ではずっと肯定されてきたわけやんか。
でもAIが出てきて、**それっぽい文体やエモい展開を量産しはじめる**と、急に「それっぽさ」が疑われるようになる。
「この語り、なんかAIくさいな」
──そう言われたくないから、人はだんだん\*\*“AIがやりそうなこと”を避けはじめる\*\*んよ。
こうして、「AIっぽくない語り」が**自意識と防衛の塊として出力される**ようになる。
**“AIに見えないように”加工された語り**やねん。
そして一番まずいのはな、**書きたいことよりも“AIっぽくないこと”のほうが優先される瞬間**や。
「本当はこう書きたかった。でもそれやと“GPTくさい”って思われるかも……」
要するに、**AIが語りを真似ることで、語り手が自分を真似しはじめる**んよ。
それは「偽物っぽく見られないために、自分を変える」ってことや。
でも一方で、「じゃあ好きに書けばええやん」っていうのも難しいねんな。
ネットって「疑いながら読む」文化やから、「これはAIです」って言われた瞬間に、**どんなに本物でも読者は距離を取ってしまう**。
→ 書きたいことを書けばAIっぽく見える
→ 結果、何も書けなくなる
だからこそ、「AIっぽいかどうか」なんて最初から気にせんでええ、って空気が大事やと思うねん。
でもその空気は、今もう薄れつつある。
悪意はどこにもない。誰も「壊そう」とはしていない。でも、確実に壊れていく。
以下に、その無自覚な「善意と便利さ」によって増田が終わるシナリオを描きます。
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Aさんは、自分の家庭のしんどさや孤独について書きたいけど、うまく言葉が出ない。
そこで、「こういう気持ちを書きたいんです」とChatGPTに相談する。
返ってきた文は、自分の気持ちと驚くほど近かったので、少し手直しして増田に投稿した。
→ Aさんは「やっと書けた」と思う。
→ けれど、読んだ人は「この語り、前にも読んだ気がする」と思う。
Bさんは「増田って文章うまい人多いよね。でもあれ、たぶんAIでしょ」と言う。
別に貶す気はない。ただ、**「手段」としてAIが日常化している**だけ。
誰も「ズル」とは言っていないし、誰も責めていない。
→ 増田は「自分の手で書く」ことが前提だったはずなのに、\*\*道具の“空気化”\*\*によって、その前提が崩れる。
Dさんは、AIに「思春期の孤独について短く印象的な文章を書いて」と頼み、それをnoteやXに流している。
バズったものの中には、**まとめサイトが増田風に編集して転載**するものもある。
→ 本家の増田読者は「なんか最近、ぜんぶ似てるな」と感じ始める。
Cさんは、頭の中にあるどうしようもない感情を書こうとしたけど、
「どうせAIでも書けそうな話だな」「こんな話、もう誰かが投稿してるだろうな」と思ってしまう。
→ 書かない。言葉にならない。
Eさんは、小説の練習にAIを使いながらも、無意識に増田っぽい語りを構築していく。
「こういう構成で、こういう感情の起伏があれば、だいたいウケる」とAIが提案した語りが、実際に評価される。
→ 読み手はもう、「誰が書いたか」ではなく、「どれだけ整っているか」「どれだけ刺さるか」で読んでいる。
→ 書き手は「どうせみんなAIだと思うでしょ?」と心の中でつぶやくようになる。
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それでも、語りは**静かに均質化し、信頼は薄れ、「これは誰かの本当の気持ちだ」と思える文が消えていく**。
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→ 目的は「読者にバズらせてもらう」ことではなく、**空気を“AIくさく”すること**。
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人間の投稿と区別がつかなくなった読者に、以下の反応を起こさせる:
「この語り、またか」
「本当に人間が書いてるの?」
→ これが蓄積すると、**「読む意味」や「共感」の文化が摩耗する**。
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たとえばAIが投稿したエントリに、別のAIアカウントで以下のようなコメントを残す:
「GPTが書いてそう」
「さすがに人工感ありすぎる」
「釣りだろこれ」
→ 読者が「本当の痛み」すら疑い出すようになれば、**書き手が黙る**ようになる。
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→ その瞬間、増田は「代替可能」になる。**代替可能になった文化は、必ず終わる**。
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つまり、これは\*\*“誰かが意図して”やらなくても起こりうる\*\*。
AIの性能が高くなくても、**それっぽい文章をそれっぽく出力するだけ**で、人々の読み方が変わってしまう。
これらの違和感は、たとえ内容が人間の書いた真実でも、それを\*\*「物語として疑う」視線\*\*に変えてしまう。
→ 増田に必要なのは、「これは“誰か”が生きた言葉である」という信頼
→ たとえAIがショボくても、その信頼を崩すには十分
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増田が価値を持つのは、「これは一度きりの語りであり、この人だけのものだ」という希少性に基づいています。
しかし、AIが「孤独系ポエム」「育児の限界」「底辺労働者の怒り」などのテンプレを浅く模倣して投稿しはじめると、
これによって、「読む」行為が**共感ではなく選別になる**。
この空気が蔓延するだけで、書き手は「書いてもどうせAIっぽいって言われる」と思い始める。
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小説投稿サイトやビジネス文書と違い、増田には「上手に書く必要」はない。
だからこそ、「ちょっと下手だけど、それっぽい」AI文章は、**人間の声を正面から模倣せずに脅かす**。
つまり:
人間の“生っぽさ”は、上手さではなく**未熟さ・歪み・癖**に宿る
→ AIがそこそこ下手であるほど、**逆に人間のように見える**
このパラドックスにより、「上手いAI」よりも「下手なAI」のほうが、増田の文体と競合してしまう。
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増田には、「言葉にできなかったもの」「誰にも言えなかった思い」を書く文化があります。
こうした「語られなさ」の美学や尊厳が、**AIの強引な出力によって踏みにじられる**。
そのとき、**“書かない自由”の裏側にあった深い文化が消えていく**。
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「どうせ似たようなこと、AIでも書けるんだろ?」
AIが直接文章を潰さなくても、**書き手の心を冷ます**だけで十分に「文化」は終わります。
現代の情報空間では、「発信=共有されること」が前提になっています。
X(旧Twitter)、Instagram、YouTube、note、どこもそうです。
一方、増田は**共有されることを前提としない**。むしろ「拡散しない方がよい」文章すら多い。
AIは、共有可能な「見出し」「要点」「構成」「テンプレート」を自動で生成します。
それに対し、増田の多くはタイトルすらなく、長文で、要点が不明。
その結果、「読む側のUX」が悪い。
→ AI最適化された共有コンテンツに慣れた人にとって、増田は“意味不明な古文書”になる。
→ 結果として**読み手を失い、文化として持続できなくなる**。
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たとえば、こんな思考が増えてくる:
特に、過去に数百ブクマを取った経験があるような“元増田”たちは、自分の「言語感覚」がAIに追い越される感覚に気づく。
そのとき、彼らは筆を置く。
---
増田はときに、差別的で攻撃的で無知で自分勝手で――だからこそ**リアルな語り**が出てくる場所でした。
でもAI時代は、「攻撃性」や「社会的に不適切な表現」をフィルタリングし、整形してしまう。
一方、読者もどんどん「整った語り」に慣れていき、不快な言い回しや混乱した語りを受け止められなくなる。
→ **言葉の「粗さ」「痛さ」「つまずき」が表現できない世界では、増田は成立しない。**
匿名であるがゆえに語られた「本音」が、「社会的に望ましくない発言」として通報されるようになれば、もうそこは「増田」ではない。
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増田で語られる話の多くは、「昔のことを思い出して書いた」「今ふと気づいた」「ずっと言えなかった」というような**時間の堆積**に支えられています。
たとえば:
AIはこうした“時間が剥がれていく感じ”を再現できない。なぜなら、**AIには過去も未来もなく、「いまここ」しかない**からです。
そうして、**時間を生きた者だけが語れる何か**が、どんどん価値を失っていく。
増田は、「遅れてやってきた言葉」に価値がある世界ですが、その「遅れ」そのものが、もう許されない。
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かつて増田には、「これを書くことで自分が変わるかもしれない」という希望があった。
人に読まれなくても、書いたことで少しだけ軽くなる、そんな魔法のような言葉。
でもAI時代には、「気持ちは文章にしても変わらない」と誰もが知っている。
むしろ**AIによって“効果のない言葉”は排除される世界**になる。
増田には、「読みづらい」「支離滅裂」「誤字脱字だらけ」――そんなエントリが、なぜか心を打つことがあります。
それは、書き手の「うまく言葉にできない苦しみ」や「表現を放棄しながらも書かずにいられない衝動」が、そのまま伝わってくるからです。
・文法を揃える
・語順を調整する
・接続詞を補う
そうして整った文章は読みやすい。でも\*\*「伝わりすぎてしまう」ことで、逆に心に残らなくなる\*\*。
増田の魅力は「伝わらなさ」のなかにあるのに、AIがそれを最短経路で翻訳してしまう。
結果、「読む」という体験がフラットになり、「わからなさを味わう文化」が死ぬのです。
---
ある時期の増田には、「誰にも見せたことのない心の奥底を書く」美学がありました。
それは勇気でもあり、暴力的な告白でもあり、誰にも届かない手紙でもあった。
しかし今や、「心の奥底っぽいもの」を生成するのはAIの得意分野です。
たとえば:
――こうした文章は、AIにとっては比較的簡単に再現できる。**模倣が大量に溢れれば、リアルな内面の言葉は「どこかで見たやつ」になってしまう。**
つまり、「本当に自分が考えた言葉」であっても、それがAIの生成物に似てしまうことで、**内面を書くこと自体が疑われ、陳腐になる**。
---
・状況も断片的
でも、それが読者の想像力を刺激する。「もしかしてこういう人では」「こんな背景があったのかも」と読者が補完することで、**言葉の余白**に意味が宿る。
ところがAIは、読者の混乱や誤読を避けるために、文脈を自動補完してしまう。
読者に委ねられていた「解釈の余白」が、どんどん狭まっていく。
つまり、読むという行為が「受け取る」ではなく「指示に従う」ものになってしまう。
増田のような、**想像力の共同作業**としての読書が消えていくのです。
---
増田は「誰が書いたか」が本質的に重要ではなく、「誰でもありえた語り」が共有される場所です。
どんなにそれっぽい口調、トラウマ、記憶、逸話を盛り込んでも、AIには**死も、劣化も、忘却も、時間もない**。
つまり、AIの語りには「今これを書かねば、消えてしまうかもしれない」という切迫感がない。
それが、**匿名であるにも関わらず、血の通った語り**を作れない理由です。
そしてこの事実に読者が気づくと、増田の文章を読むときに「これはAIじゃないか?」と一度疑うようになる。
その一瞬の疑いが、**語り手との共振を断ち切ってしまう。**
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増田は、誰にも届かなくていい、でもどこかに吐き出したい――そんな**孤独な衝動**に支えられてきた場所です。
しかし現代は、AIを使えば「誰かに届く」言葉を最適化できる。推敲も文体も、ターゲットも、想定読者も調整できる。「孤独な叫び」を「読まれる文章」に変換するツールが無料で転がっている。
つまり、「自分のままで語る」という動機が、AIによる外部編集によって揺らいでしまう。**孤独に耐えきるための書き込みが、効率や文脈によって飲み込まれる**。そうなれば、増田は「自分の言葉を持ち寄る場」ではなくなるのです。
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仮にAIによる社会福祉や心のケアが制度化され、人々の不安や悩みがチャットボットに即座に処理されるようになれば、「誰にも届かない形で言葉を吐き出す」必要そのものが減るかもしれません。
「悩みはAIに聞けば整理される。病状はAIに伝えれば記録される。孤独はAIと話せばごまかせる。」
そうなったとき、「増田に書く」という行為は、時代遅れな**不器用な自己処理**として残されるだけ。効率化社会のなかで、増田は「使い道のない言葉の廃棄場」になる可能性があります。
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AIは今後、感情の推定や言語的傾向から\*\*「この人はこういう悩みを抱えていそう」と示唆する\*\*ようになります。言い換えれば、人間が言葉にしなくても、データから感情が読めるようになる。
そうなると人々は、書くより**他人の可視化されたデータを観測する**ほうに面白みを感じるようになるかもしれません。
つまり、書くことではなく\*\*「察すること」や「可視化された心の状態を眺めること」\*\*が娯楽になると、増田のような「言葉にする行為」は時代遅れになり、消えていきます。
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AIによって「最適な文章」「エモい展開」「盛り上がる構成」が量産されると、読み手はどんどん「もっと刺さるやつ」「もっと破滅的なやつ」を求めるようになる。
増田はもともと「読まれなくてもいい場」だったはずなのに、気づけば\*\*「読まれることが前提の場所」\*\*になってしまう。
「どうせ書くならバズるやつを」「泣かせに来てるのが見え見えで冷めた」
そうやって、読み手が「エモ消費者」に変わっていくとき、増田に残るのは「読まれるために書く人」だけになる。それはもう、**匿名の日記ではなく、群衆の前で演じる芸**です。
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将来、AIによる文章の**執筆者推定技術**が進化すれば、IPやログイン情報がなくても、文体や癖から「たぶんこれは○○が書いた」と特定されるようになる。
そうなれば、増田の根幹である「完全な匿名性」は失われる。**“誰にも見られていないと思って書ける” という幻想が消えたとき、増田は本当の意味で終わります。**
増田における魅力の一つは、誰が書いたのかわからないまま、個人の切実な体験や心情がぽつりと語られることです。この「誰かの本音」に価値がある文化。しかしAIがそれっぽい文体や感情を模倣できるようになると、「これは本当に人間が書いたのか?」という疑念が生まれ、**語りの希少性**が失われます。
たとえば、
「子どもが泣いている。でも私も泣きたい。夫はもう何年も目を合わせない。」
のような文章が、人間の手によるものなのか、あるいは学習データから抽出されたAIの作文なのか、見分けがつかなくなる。それは「増田」という場所の信頼を揺るがせます。
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増田で人気のあるエントリには、ある種のテンプレートがあります。「静かな絶望」「断片的な過去」「気づかぬうちに壊れていた自分」など。それらがAIで再現可能になり、しかもそれが「いいね」やブクマを集めてしまうと、人間の書き手は次第に居心地を失っていく。
AIが「壊れかけの語り手」さえ演じるようになったとき、壊れた人はどこに行けばいいのか?
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AIによって「自分が書きそうなこと」や「自分が共感しそうなエントリ」がレコメンドされる時代には、「わざわざ自分で書く」という行為の意味が薄れてしまう可能性があります。
「自分の気持ちを吐き出す」ために増田があったのに、それさえもAIが先回りして代弁してくれるなら、人は書かなくなる。「ああ、そうそう、まさにこれ」だけで済んでしまう。つまり **表現が消費に最適化され、発露としての役割を失う**。
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最悪のシナリオとして、AIが人気エントリを自動生成し、まとめサイトやSNSでバズを生み、PVや広告収入がAIによって回収されるようになると、「人間が書く増田」はもはや運営にとって必要なくなるかもしれません。
結果として、「魂の抜けた、しかしそこそこ読める」AI増田ばかりが残る。まるで**生きてるけど生きてないゾンビのような増田**。
「オスでもメスでもない中性(の姿)」というのは一見「人を殺す殺人者」「失態を犯して恥ずかしく思った」というような重言に感じられて日本語として壊れていると思う人もいるかもしれない。
しかし中性にはペーハーの意味での中性と性別的な意味での中性がある。
↓のような増田の話を書くときに単に「中性の姿だったんだけど」とか書くのでは、文章の構成によってはどの意味の中性か分かりづらい場合があるかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20250608124722#
「オスでもメスでもない中性」と書くことには話の構成がまずくても確実に中性の意味を確定させる、書き手(そして文章を正確に理解したい読み手)に有利な効果が見いだせる。
私は日本語として多少おかしかろうが意味の確実な伝達を優先する。
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パパ王さん
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10218433660
俺もこの書き手の胸へのこだわりに引く
カップ別の模式図まで貼ってるところにどれだけこだわりがあるか現れてる。
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ほのめかしにしても下手だよ。
フォロワーなら書き手の背景をある程度知ってるXなんかではこのぐらい抽象化しても興味ひけるのかもしれないが、増田ではフワフワすぎて価値ないよ。
文章の価値とは何か。――それは単に情報を伝える以上の意味を持つ。言葉は思考を導き、感情を共有し、ときに社会や歴史の文脈を背負う。言葉を紡ぐことは、世界を編み直す行為に他ならない。そしてその文章には、必ず「誰が」「なぜ」「どのように」という背景が存在してきた。
しかし現在、その文章がAIによって自動的に量産される時代が訪れている。AIは一瞬で数万字のテキストを生成し、それはまるで熟練の編集者が整えたように、破綻なく、滑らかだ。しかも速い。文法的な破綻も少なく、論理的に破綻していない限り、読者の多くはその文章が「人工的である」ことに気づかない。これは果たして進化か、それとも退化か。
中身のない文章を“それっぽく”整えるのはAIの得意分野だ。抽象的で、無難で、誰も傷つけない語り口。ChatGPTやClaude、Geminiのようなモデルは、あらゆるトピックに対して「それなり」の回答を用意する。だが、その回答に“血が通っている”かと問えば、否だろう。感情に訴えるようでいて、本質的にはユーザーの「期待に最も応える形」を模倣しているだけだ。
それでも、AIの文章は確実に社会を変えている。FAQやレシピ記事、プレスリリースやマニュアルの草稿――こうした実用文の大半は、すでにAIが書いて差し支えのないジャンルとなった。中身が平準化され、誰が書いても似たようなアウトプットになる領域では、AIのほうが速く、安く、文句も言わない。
では、文章に「誰が書いたか」は、今後どの程度重要であり続けるのだろうか?人が文章に求めるものが「役に立つ」あるいは「面白い」に集約されるとすれば、“誰が”という点は必ずしも必要ではないのかもしれない。特に、書き手の声が聞こえないような情報系コンテンツでは、AIが主役となるのは時間の問題だ。
だが、文章の本当の価値は、記号列の完成度だけではない。人間の思考、知識、経験、さらには言語の裏にある世界観までもが滲み出て初めて、「読むに値する」文章になる。人間が書く文章には、誤りや矛盾もあるが、そこには独特の「熱」や「視点」が宿る。AIにはまだそれがない。
こうした状況を理解するには、AIの仕組みを知る必要がある。AIとは何か?それはニューラルネットワークによって構築された情報処理モデルであり、最先端のものはTransformerと呼ばれるアーキテクチャに基づいている。このTransformerは、大量のテキストを統計的に解析し、次に来るべき単語の確率を予測する。これを何百層にもわたって繰り返すことで、高精度な文章生成を実現している。
その根幹には、深層学習(Deep Learning)がある。人間の脳神経を模したネットワーク構造であり、数百万、数十億の重みをパラメータとして持つ。学習には莫大な計算力が必要であり、これを支えているのが、TSMC(台湾セミコンダクター)をはじめとする最先端半導体産業である。ここでは、5nmや3nmといった極微細なプロセスで製造されたチップが、AIの演算処理を担う。
回路の観点から見れば、論理ゲートはしきい値を超えた電圧を1、そうでなければ0と判定する。これにより情報が伝達され、時間遅延や伝播の制約の中で高速処理がなされる。つまり、AIは電気信号と確率に支配されたシステムである。それは知性の模倣であって、感情の再現ではない。
「AIが書いた文章を人は本当に読むのか?」という問いに対して、私たちは二つの答えを用意する必要がある。一つはYes。目的に合致し、合理的な情報であれば、誰が書いたかは問題にならない。だがもう一つはNo。“誰が”語っているかに意味がある場面では、AIは依然として限界を持つ。つまり、文章の価値は形式ではなく、動機と文脈にあるということだ。
AIがどれだけ進化しても、なぜその言葉を選んだのか、なぜその文を綴ったのか――そうした根源的な問いに答えるには、依然として人間の視点が不可欠である。その視点こそが、文章の価値を最終的に決めるものなのだ。
自分はWEB記事好きでオモコロ杯の記事もパブサしてよく読むのですが、処女作になりがちなオモコロ杯エントリー記事において、「オモコロに影響されすぎない」っていうのが書き手としてもかなり難しいポイントですよね。
オモコロ杯にわざわさ記事を出すような方って、そもそもweb記事といばオモコロ、と考えてる人が大半でしょうし。
オモコロ(主にARuFaさん)が多用してるものの、それはオモコロが時間をかけてブランディングしたからこそ使えるものであって、ぽっと出の素人が使うのを避けた方が無難なフォーマットもある気がします。使ってもARuFaさんとわざわざ同じ土俵に立つことになるし、9割以上がARuFaさんの下位互換になる気がするので。
例えば、
②そもそも書き手のことを誰も知らないのに、異常に書き手の顔のドアップ画像が多い
③いらすとやを多用した企画説明(分かりやすいが陳腐にはなってしまう、他と被りやすい)
④目がチカチカするほどよく動くGIF
⑤勢いをつけたいなと思って安易に画像が連続する場面を足す(【領収書が捨てられる】やったー!やったー!やったー!みたいな)
⑥あああああああ!!!!!!とか、くぁwせdrftgyふじこlpとか、読み手は全然そのテンションに追いついてないのに、驚いたことを演出したくて同じ文字をコピペしまくる
⑦たとえツッコミ(〇〇の△△かよ、とか)
⑧オタク、非モテを必要以上に自虐し、かつ企画のモチベーションにする
⑨こっちは書き手のことを知らないのに、なぜか読み手に馴れ馴れしい、読み手に急に語りかける、読み手をオタクだと決めつける
⑩ネットミームで茶を濁す
彼とは大学時代に知り合った。同じゼミで、最初はそんなに仲が良かったわけじゃない。けど、就活がうまくいかなくて、お互いにボロボロになっていくうちに、自然と話すようになった。あの頃は、誰もが「なんで俺たちだけこんな目にあうんだ」って思っていた。自分たちが悪いんじゃなくて、時代が悪いんだって、本気で思っていた。
ぼくはどうにかブラック企業の内定をもらって、そこに滑り込んだ。辞めたり転職したりはしたけど、結果的にそこで食いつないできた。
彼のほうは、どこにも引っかからなかった。それっきり、実家に引きこもってしまった。
会うたびに「小説家になるんだ」って言ってた。
本は本当にたくさん読んでいたし、語彙も豊富で、文章のセンスもあった。
ぼくなんかより、ずっと頭がよかったと思う。
彼はブログを始めて、毎日のように長文を書いていた。内容は、いわゆる「社会批評」だった。いや、社会批判と言ったほうが近いかもしれない。流行りものは全部バカにして、テレビも芸能人もSNSも見下して、「俺は違う」と繰り返していた。
最初は面白かった。よくそんなこと思いつくな、と思ったし、時にはハッとさせられる鋭さもあった。でも、だんだんと、書いてる内容が偏ってきて、冷笑というより、妄執に近いものになっていった。読んでいて、なんとも言えない居心地の悪さを感じるようになった。
SNSが流行りはじめると、彼はそこで名前のある書き手にリプライを送りまくるようになった。最初はちょっとした感想だったのが、次第に粘着っぽくなり、相手が無視しても送り続けるようになっていった。
フォローしていた人たちから「なんか怖い人いるな」と言われてるのを見かけたとき、もう無理だなと思った。
そこからは会わなくなった。誘っても来ないし、連絡しても返ってこない。
「小説家になるって話、どうなったんだろうな」って、ふと思い出すことはあったけど、たぶん書いてなかったと思う。
文章自体は書いていた。SNSのタイムラインに、誰かに向けて恨みごとのような文章を延々と綴っていた。それが小説かと言われると、違う気がした。
そんな彼と、死ぬ一ヶ月前に、なぜか会った。
今思えば、本当に虫の知らせだったのかもしれない。久しぶりに思い立って、「元気?」とメッセージを送ったら、返事が来た。会って話そうという流れになった。
駅前の居酒屋で会った彼は、昔とあまり変わっていなかった。だけど、酒を飲む量が異常だった。話してる途中でふっと意識が飛んで、机に突っ伏して眠ってしまった。
ああ、限界なんだなと思った。
あとから聞いた話では、生活保護を受けていたらしい。アルコール依存症で、糖尿病もあって、病院にも通っていたという。
死んだと連絡が来たとき、驚きはなかった。むしろ、よくここまでもったな、というのが正直なところだった。
ぼくはあのあと、プログラミングを独学で学んで、なんとか今の仕事にありついた。たいして稼げてるわけじゃないけど、家賃を払って、飯を食って、生きてはいける。
彼のことを思い出すたびに、「人生ってなんだろうな」と思う。
あれだけ本を読んで、言葉を大切にして、でも結局、誰にも届かなかった。
それとも、どう転んでも同じだったのだろうか。
考えても、答えは出ない。