はてなキーワード: リプライとは
株価の縦(個別株の歴史)の分析のときに横(他の個別株の状況)のデータもほしい。
他の銘柄がこういう状況のときに本命銘柄がこうだったみたいな。これを間接的にできるのが日経平均との比較で、チャート見るだけのときでもしばしば行う。
静的解析だったら同じセクターの銘柄と比較したり、もっと細かく見れるんじゃないかな。今どき1市場のデータ量なんて問題にもならないからいける。
Twitterレスバクライアント。炎上したポストを指定。(証拠保全として、そこに来たリアクションであるリプライやRTのスクショを撮る)。ひとつひとつのリアクションをUI上で分離して並べる。そこにひとつひとつ返答を書いていく。RTでの会話も開いてスレッド式に見せる。
先に言っておくが自分は林鼓子さんのファンで、この文章に誹謗中傷の意図は一切無い。出演作や歌唱曲は8割方履修済であるし、イベントにも参加している。もし誹謗中傷に見えてしまったのならそれは自分の表現の仕方の問題であるので予め謝罪しておく。
そもそもALT及びALT芸ってなんぞや?という人のために説明。ここで言うALTとはXにおいて画像に追加テキストを付与する機能のことで、X曰く「目が不自由な利用者も含め、多くの利用者が画像を理解できるように説明(代替テキストとも呼ばれます)を追加できます。 簡潔にすることをおすすめしますが、画像の前後関係をよく理解できるように画像の内容を正確に説明してください。」とのこと。ちなみにこの文章は初めてALT機能を使用する際に必ず表示される。そしてALT芸とは主に声優やアイドルなどの間で蔓延る文化で、イベント終了後にアップする自撮りや共演者の画像にイベントの感想(その多くは140字を超える長文である)を綴ったALTを付与することが一例とされる。これはALTの本来想定されている用途とは異なったものである。
本題。今回の炎上の経緯は以下の通りである。彼女はイベント終了後、いつものように感想ALTを付与した画像をポストした。するとそのポストに「ALTは感想を載せる場所ではなく音声読み上げ機能を活用した画像説明を載せるアクセシビリティです」と指摘する引用が付いた。その引用を受けて林鼓子さんは「ALTも書いたらいけないのか。」とポスト。そのポストには彼女を擁護するファンのリプライが多く寄せられ、指摘をしたアカウントには誹謗中傷が飛び交う。その後林鼓子さんは「ALTも〜」のポストを削除し、謝罪や弁明をすることもなく普段通りのポストを再開した――。
まず前提として、ALTを本来の用途と異なった使い方をすることについては悪ではないと私は考えている。このような用途が蔓延っている現状はX側の機能の実装の仕方と周知の怠りの問題であり、その責任をユーザーに求めるのは酷であろう。ALTとは別に画像にコメントを追加する機能の実装や、ALTを付与した画像をポストする際に毎回確認画面が表示されるなどの対策を取れば現状は大きく変わると思われる。そのうえ、ALT芸を行っているのは林鼓子さんに限らずその他多くの者にも言えることなので、そのことで彼女だけが批判される筋合いはない(もっとも、例のアカウントは普段から他の声優のALT芸にも苦言を呈していたようだが)。
この件の問題は別にある。まず問題なのが、「ALTも書いたらいけないのか。」というポストだ。このポストからは感情が読み取れず、彼女がどのような想いで言ったのかは不明である。しかし、客観的に見た時にこれが"指摘をされて不貞腐れている"と捉えられてしまうことは避けられないだろう。しかもその指摘自体は言いがかりであったり誹謗中傷であったりするわけでもなく、淡々と事実を説明しているものであった(もう少し優しく言えというのも一理あるが)。最近の彼女は多忙などの要因でストレスが溜まっているように見えたとか、指摘の内容をただの言いがかりだと勘違いしたのかもとか、擁護することもできるがあのポストが悪手であったことは間違いない。あのポストは結果的に指摘したアカウントへの誹謗中傷を扇動することになっていた。もちろん誹謗中傷を投げかけるファンのほうが悪いのだが、影響力のある人間として言動に気をつけるべきだったと言わざるを得ない。
次に問題なのが、この件をポストの削除によって無かったことにし、無言を貫いていることだ。扇動によって誹謗中傷を受けている人がいるという事実、そして障害者といったナイーブな話題に関わる問題であることを無視して放置しているのはあまりにも不誠実ではないだろうか。ただ、このことは彼女の意思によるものなのかは不明だ。炎上が始まった時点で事務所やマネージャーに相談しているであろうことは容易に想像できるし、それらの人間の判断でこの選択を取っている可能性も高い。それに、炎上をした際は無言を貫くのも一つの手だというのは理解できる。今のインターネットでは一度炎上するとその後謝罪をしようが何を言おうが批判は寄せられ、むしろ更に燃え広がる場合もある。しかし、そのことを念頭に置いたうえで、今回の件は無視するべきではなかったと思う。もしこれが事務所の判断であるのならば、事務所には今一度考え直してほしい。
長々と書いてきたが、実のところ林鼓子さんの心配をしているとか、全肯定オタクの存在を憂いているとか、目が不自由な人への配慮の広がりを望んでいるとか、そういった感情は建前なような気がしている。自分がそこまで善良な人間ではないことは自分が一番知っている。恐らく「このままだと嫌いになってしまいそうだから謝罪か何かをしてとにかく俺を落ち着かせてくれ」という利己的な感情が心の底にあるのだ。そんなことを強制する権利は自分には無いと分かってはいるが、どうか祈ることだけでも許してほしい。
元々化け物になるなと薄々感じていたが、どうやら本当に化け物に片足を突っ込み始めたので誰かに聞いてほしい。
最近同人関係で出会ったとある人を見ているとめちゃくちゃ腹が立ってしまうことに気づいてしまった。別に界隈で仲がいいわけでもなくて、お互いの作品を見てるかな〜ぐらいの距離感。リプライもDMもしたことない。
でもそのとある人の鍵垢(エロ系を上げるために鍵垢を作る界隈)で自我がすごくて、自我垢と分けてほしいななんて思ってたけど、えっちな作品を見るためにはその人の自我まで見ないといけない。
その自我が「パートナーが〇〇で私が××した」とか「ジェラピケをパートナーとお揃いにした」とか「ワンピ買った。このワンピが似合う女になりたいので」みたいな感じで、見ていると妙に腹が立ってしまう。
自分の同人とか関係ない日常垢でワンピース買ったとか彼氏の話をされても腹が立たないのに、同人垢でフォローしているその人がそういう発言をするとめちゃくちゃに腹が立つ。腹が立って仕方がなくて、全く関係ないFF0のアカウントでずっと恨み辛みを吐いたりしてる。なんでこんなに腹が立つんだろう。腹が立つのに見に行ってしまうんだろう。インターネットお手軽自傷なのは分かってるんだけど本当にやめられない。見に行って、腹が立って、愚痴を鍵垢で誰にも見られないように吐いてを繰り返している。完全に化け物になっている。
両親の仲があまりよくないのを見て育ったので結婚願望はあまりないし孫は兄弟がすでに親に見せたので子供を作らなきゃみたいな気持ちもない。
でもその人が何かつぶやいていると本当に腹が立って仕方がない。
そのとある人は自分がデザイナーなことをちょいちょいツイートで匂わせるので色々掘った結果アクセサリーデザイナーをしていることがわかって見ているけど、なんかそこも腹が立つ。なんで腹が立つのかはわからない。
どうしてこんなに腹が立つのかわからない。仲のいいフォロワーがかれぴとジェラピケおそろっちしたンゴとか言ってても全然ええやんとしか思わないのに、会ったこともない、顔も見たことのない、知らない女が自我を出していると腹が立つ。
まだ毒マロは送ってないからセーフだと思うけど、いつか送りそうで怖い。自分がなんでこんなにその人を見てイライラするのかわからない。
誰か助けてほしい。見にいくのやめろって話なんだけど、作品は割と好きなので見るのをやめられない。
12/4
ごめんなさい追加してもいいですか?
色々掘ってついでにインスタアカウント(本垢?)まで見つけたので見てたけどパートナーの海外赴任についてきたのに偉そうに「この土地にも慣れてきた」とかつらつら書いてたり、読んだ本をいちいち上げたり、なんかごちゃごちゃした雑貨を雑にトレーに並べてバッグの中身紹介とかしてたり、アクセサリーデザイナーとやらなのでアクセサリーを見に行ってみたけどなーんかごちゃごちゃした色使いのおもちゃみたいな首輪を量産していて相容れねえ〜!wwwwwwwwwとなりました。雑貨類も作ったアクセサリーもガチャガチャ雑然としてるのが好きなタイプなんだな〜と思いました。なんかこう、インスタでエモい感じ(別にえもくはない)ポエムとなんかちょっと色味加工したぼんやりした写真上げるタイプの女。びっくりするほど私が好きじゃない女でした自己顕示欲が強すぎる!インスタに上げる写真わざわざ用意して撮って上げてなんかシコシココメント書いて……アホくさ!
びっくりするほど人間性合わない人種なんだと思います。私はインスタやらないしガチャガチャした色使いのアクセサリーよりシンプルなアクセサリーが好きだし、自分の力で自立して他人に影響されずに生きていきたい。読んだ本は自分で覚えていたらいいからこの本よかったよとは人に言うけど感想をわざわざ伝える趣味もない、読んだ感想はTwitterで一人壁打ち。いまちょっと転職中で自分に自信を持てない時期なので自己顕示欲強い女の私って幸せなのwという投稿に目がくらんでいただけです。私は私、あなたはあなた。あなた趣味悪いね!私好きじゃないわ!ガハハ!
自己顕示欲の強さにオエーペッペとなっていたんだなと気づきました。コメントくれた増田たち、本当にありがとう。正気に帰りました。もうツイートを見てもあー自己顕示欲抑えらんないねぇwwwうんうんパートナーにあいされてるわたしって言いたいよねぇwwwと生ぬるい目で見られそうです。他人の芝生は青く見えるよね。
12/5
家族にも話したら自己顕示欲キモいね、フォローやめなと諭されたのでフォロー外してきました。
なんでこんなに執着してたんでしょうね。怖いですね。最後に見かけたツイートで日本の食パンを手に入れた話しててこれにも「海外にいる私は柔らかい日本の食パンを簡単に食べることができないんですよ、みなさんと違ってw」というのが滲んでいてああ本当に自己顕示欲すげえなぁ、本当に嫌いだなぁ!と思いました。作ってるアクセサリーもキモいしツイートもキモい、本当になんでこんなに執着しちゃうんだろう。明日にはフォロー再開しそうで怖い。嫌いなものを見に行って嫌いと思って自分の心がちゃんと嫌いと思うのを確かめてるアレなのかな。
Xで流れてきた鬱やら境界性人格障害やら持ってる人の子供産んだらダメですか?ってポスト。
というのも、自分の母親がまさに境界性人格障害(BPD)持ちで、そのおかげでこっちは子供の頃からしなくていい苦労ばっかりさせられたから。
申し訳ないけど、精神疾患とくにパーソナリティ障害持ちは子供を産み健全な環境で育てることなんて無理だろうから産まないで欲しい。
境界性人格障害の人間は本当に健全なコミュニケーションを築くことができなくて、
他人を極度に理想化し、自分の支配下に置きたがり、相手が自分の理想と外れた行動をすると異常なまでにこき下ろす。
で、相手が離れていこうとすると暴力的になったり脅迫したり自殺未遂をして気を引こうとする。
子供は自分の身を引き裂いた分身で、否定や離れることは許されない。
ちょっとした言葉を拡大解釈→『私を否定した!』→『私のことがきらいなんだ!』→『産んでやったのに!!』
そんなお母さんヒス構文Lv.100状態は当たり前。ヒートアップすると刃物も出てくるので何度も警察沙汰になった。
いまでも思い出すのは小学生の頃、遠足の当日の朝になって母が酔っ払った状態で帰宅したときの思い出。
ど田舎で車通学必須だったし、遠足の準備もひとりじゃできない低学年だったんで「どうすればいいの?」と聞いたら、
なぜかヒステリー炸裂。からの刃傷沙汰。からの私が通報して警察のお世話に。遠足行きたかったな。
なんとか実家離れた(怪文書LINEや異常ストーカー行動やお金の工面など本当に大変だった)今でも、
母親と健全な関係を築けなかったことが大きなコンプレックスになっているし、私って生まれてきた意味あるのかなと感じている。
ほな展開してよみたい元増田は数分の一だから無視されてろってこと? 言いたいことが分からないしちゃんと対策があるなら直接いってやれよ
そもそも1ツイート目にurlのせたらシャドウバンになって俺TLにでてこないくらいにXの宣伝性能が悪化してる
なので俺はピッコマに移動した
朝比奈氏がXで「自分は選体に入っていない」申し込みもしていないボランティアと言ってる。
https://x.com/futaminoasahina/status/1860456909008228860
で「戦略考えたのは俺ですから」という発言と食い違っていると指摘されると
https://x.com/futaminoasahina/status/1860266213311705362
泉氏は「Xで朝比奈氏には選対に入ってもらったことはない」と明言
https://x.com/izumi_akashi/status/1860314457957892214
朝比奈氏「俺は候補にアドバイスしたりガードしてただけですよ」
https://x.com/futaminoasahina/status/1860200618583060514
朝比奈氏「誰の指示もなく候補の横についてアドバイスなどフォローしてました」
このタイトルでどの漫画家を思い浮かべるかは人それぞれと思いますが
私史上最低のラブコメ漫画家は「ぼくたちは勉強ができない」の筒井大志先生です。
筒井先生は今週のジャンプでシド・クラフトの最終推理という連載を開始しました。
相変わらず魅力的な絵で話も評判がよくきっと長期連載になるのでしょう。
ただ私にとっては今もぼくたちは勉強ができないの先生なのでこれを書きました。
これは個人的な恨みですがこの作者の漫画を読んだから抱く恨みです。
筒井先生はぼくたちは勉強ができないという漫画を描いていました。
週刊少年ジャンプで5人のヒロインのマルチエンドを実装したということで一時期話題になりましたのでご存知の方もいるかもしれません。
この評判は必ずしもいいものばかりではありませんでした。ですがそれは最低な理由ではありません。
ジャンプには星の数ほど打ち切られた作品がありますから話の面白さでいえばそれらより上でしょう。
筒井先生が最低なのはキャラクターをサプライズのための前座の道化扱いして、ファンを地獄に叩き落としたから。これに尽きます。
具体的にはサプライズを演出するためにそのキャラを掘り下げた長編話を書かなかったことと、作品の終わりかのように演出したうえでラストを次のヒロインへの踏み台にしたことを指します。
彼女は昔から主人公のことが好きな元気系の幼馴染系のキャラで、いわゆる負けヒロインと呼ばれるタイプのキャラでした。
ぼく勉には彼女を含めて5人のヒロインがいます。うるか以外のヒロインは過去のトラウマを主人公の力を借りて乗り越えるというそれぞれの掘り下げをした長編がありましたが、うるかにそれはありませんでした。
長編がないまま連載が続いていき、話は佳境を迎えて主人公視点の話が多くなり、主人公の掘り下げが進みました。それからラストに向けて色々あって主人公がうるかに告白しました。したがってここに至っても彼女の長編はありませんでした。
これ自体はこれで作品自体が終わるのであれば、今までと主人公とヒロインの立場が逆転するというある種王道な展開になりますので、そういった構造でしたらありかと思います。
https://i.imgur.com/j9weYzw.jpeg
https://i.imgur.com/i4udZqB.png
(集英社 週刊少年ジャンプ 2020年15号 ぼくたちは勉強ができない問150 作者:筒井大志 より)
上記はうるかルートとされている話の最終ページとその後のパラレルストーリーの告知です。
「君の笑顔のその先に――」とあるように、ここでは最終ページであるにも関わらず、うるかではなくうるか以外のヒロインの存在に焦点を当てています。(ぼく勉において花火はルート分岐の起点であるため)
うるかルートの終わりにあえて他のヒロインの存在に焦点を当てているわけですから、他のヒロインの前座扱いにするための演出という以外に解釈の余地はありません。
武元うるかというキャラクターの恋が実った瞬間、それを取り上げ台無しにする。
この瞬間の気持ちを例える言葉を私は持ちません。きっと私だけではないでしょう。
上記のような扱いによって私の好きなキャラクターは前座の道化扱いにされました。
このような扱いとなった理由は話の良し悪しではなく、作者の哲学の問題です。
話の良し悪し、すなわち実力不足は出来るか出来ないかの問題です。出来ないことは仕方がありません。
誰もが面白い話を作ろうと思って結果的につまらなくなってしまうだけですから、それを責めることはできません。
ですが扱いを変えるのはやるかやらないかの問題です。キャラクター間で扱いを変えるのは意図しなければそうなりません。ファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。それを意図してやったのです。
例えば作中のキャラクターの言動を以って作者の人格を否定するのは誤りです。それは作者の思想を反映したものとは限りません。
ですが作品内容以外でのキャラクターの扱いは作者本人の判断によるものです。それは作者が決断したものであり、筒井先生の哲学を反映したものです。
哲学の問題であるからこそそれが変わることはありません。作者にとって改善すべきものではないからです。
また同じことを繰り返し、また同じように一人のキャラが犠牲にされるでしょう。
もっとも、キャラクターに損をさせることやファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。それ自体がやりたいことではないのだろうと私は信じています。
単に筒井先生は多くの人を幸せにしようと思ってそうしているだけなのです。
想像力がなく無神経なのでその行為でそのキャラクターを好きな人間がどう思うかわかっていないというわけでもないでしょう。一般的な感覚がわからない人間は人気漫画を書けません。
自分の行動がどういう感情を与えるのか理解した上で、そのファンを切り捨ててでも自分の我を通しているのです。これが一番多くの読者を幸せにできると信じているのです。
武元うるかというキャラクターと、それによって踏みにじられるファンの気持ちを犠牲にして、より多くの読者を幸せにしているのです。
うるかが報われることで気落ちしたより多くの読者をサプライズの発表で盛り上げるために、あえてひた隠しにしていたのです。それでうるかが好きな読者が傷つくことも、どれほど深く傷つけるのかということも知りながら。
実際、筒井先生は連載終了後に送られた、お疲れ様のリプライに原則全て返信していました。「ぼく勉は物語ではなく設定集だ」という、筒井先生にリプライしたわけでもない一読者の批判的な呟きにもわざわざエゴサして「勉強になります!」と返していました。
しかしながらお疲れ様という言葉と合わせて武元うるかの扱いが悲しいという趣旨のことが含まれたいくつものリプライには一切反応を示しませんでした。切り捨てた後ですから丁寧に扱う必要はないと思っていることの証左でしょう。
現に筒井先生は批判的な感想を呟いたアカウントはミュートしています。
連載終了以前にうるかの扱いへ不満をこぼしていた方がいました。筒井先生にリプライしたわけではなく、単に呟いていただけです。
その方は連載が終わったときにはお疲れ様という趣旨のことだけを筒井先生にリプライしてましたが、それへの返信もいいねもありませんでした。不満を呟いていたときとはアイコンもIDも名前も変わっていましたから、ミュートしていなければ返信していたはずです。
筒井先生はご自身の取り組みについて色々な意見があるとおっしゃっていましたが、色々な意見があることは知っていても批判的な意見を見る気はないのでしょう。
こうした扱いに耐えかねて、実際にXでアカウントを消してしまった方も多くいました。
ぼく勉の感想を熱心に呟いていた方、うるかの可愛らしい絵を描いていた方、うるかへの大きな愛を語っていた方。色々な方がいましたが、筒井先生の行いによって嘆き悲しみ、アカウントを消してしまいました。
もちろんアカウントは消さずに悲しみと怒りを吐き出した方もいます。そしてこうした行動に移した方々よりも黙って傷ついた方々のほうがずっと多いのは言うまでもありません。
サプライズのために平気でファンを地獄に叩き落す。今まで支えてきたファンを平気で切り捨てる。
人の気持ちを大切に扱うべき恋愛漫画で人の気持ちを雑に扱う。それでいて描くべきことを描いたと胸を張る。
上記のとおり武元うるかという女の子は筒井先生によって犠牲にされました。
作者本人がヒロイン5人は平等だ。並列だと言っているにも関わらず、その扱いには露骨な格差があります。
ジャンプではセンターカラーのときに扉絵が書かれます。各ヒロイン単独の扉絵はうるか以外のヒロインは2回以上、少なくとも1回はありました。うるかは1回もありません。
単行本の表紙も同様です。次のURLを見るとわかりますが、うるかを除いた各ヒロイン単独の表紙は2回あります。うるかは1回もありません。(褐色の子が武元うるかです)
https://www.shueisha.co.jp/books/search/search.html?seriesid=37225
18巻以降はモチーフイラストと称して各ヒロインのモチーフとなったおとぎ話をアレンジした表紙にしています。素敵なイラストですね。
うるかの分は作者個人のXと作者個人のYouTubeチャンネルで公開されました。ジャンプでの連載が終了してから2ヶ月、パラレルが発表されてからは1年経ってからのことです。
ジャンプの本誌や増刊にはそのイラストどころかその情報すら載ったことはありません。ジャンプの公式Xでもぼく勉の公式XでもRPなどで宣伝されることはありませんでした。ぼく勉の単行本にすらその情報はありません。
このイラストを見ることができたのはあれほどの仕打ちを受けた後でも1年近く根気強くぼく勉の情報を追っていたファン、もしくは作者のXをフォローしていたファンに限られます。
言葉なく離れていった、おそらく一番見たいであろうファンに届くことはありません。
連載終了後にぼく勉を読み始めた読者にも当然届くことはありません。
後世に残るのは、好きになったキャラクターは一人だけ表紙が貰えなかったという事実だけです。
なおぼく勉の公式Xではうるか以外のキャラのYouTubeの動画やグッズの情報はRPで宣伝されていました。
うるかのそのイラストの後に描いた、ヒロインの一人の両親というサブキャラのイラストすらRPされていますが、うるかのイラストはされていませんでした。
あえてうるかだけやらないのはもう切り捨てているからファンは残ってないとわかっているからですね。エコロジー。一秒で出来るところまで公式が徹底するんだからこれはいっそ感心しました。
Youtubeチャンネルで作者のお絵かき動画がアップされた回数も、うるか以外のキャラは3回以上アップされていますがうるかはそれ未満です。扉絵がなかったり表紙がなかったりする分増やすこともなく、むしろ他のキャラより少ないのです。
他にもぼく勉アニメの版権絵を描いていた人が連載終了後にskebでぼく勉キャラの絵を描いていました。うるかを含めて何人かのキャラを描いていました。
筒井先生はうるかのイラストには反応しませんでした。他のほとんどのイラストにはRPをしたり引用RPをしてコメントを付けたりしているのに、うるかのイラストにはRPどころかいいねすらせずスルーしました。(他人のいいねが見えていた頃の話です)
もっと前にフィギュアが出たときも真冬のものはRPや画像をツイートしたのにうるかのフィギュアはRPもツイートもしませんでした。一貫してますね。
他にもぼく勉では各ヒロインそれぞれのルートのボイスドラマが作られて単行本の特典になっていましたが、これもやはりうるかのボイスドラマだけ作られませんでした。そしてうるかだけないことについて、筒井先生が気にされている様子も今に至るまでありません。
単行本の描き下ろしでも同じように格差があります。他のヒロインは単行本では最終話の後にその後の様子の描き下ろしがありますがうるかにはなく、代わりにパラレルルート開始の告知が掲載されました。うるかより後のルートの単行本が発売されてそれを知ることになったときは、まるで煽りのようにも感じられました。
筒井先生のこのような反応を受けて、私自身以前読み切りのときに感想を書きました。私以外にも替え歌を作った人もいましたし、別に感想を書いていた人もいました。これらは言い過ぎや被害妄想などと言われて一部から非難されました。
キャラに対する作者のこういった扱いの差を見たときに、嫌われているという感想を持つことは言いすぎでしょうか? 被害妄想でしょうか?
筒井先生の内心はいずれにせよ、言われて当然だろうと私は思います。人の内心はわからないから、その行動から推測するしかないのですから。
(これは筒井先生がうるかを嫌いなわけではないという意見を否定するものではありません。ただ作者の行動を見たときに、嫌いなんだなと思うことを否定することは困難でしょう。嫌いじゃないと思うにしろ嫌いだと思うにしろ、作者の内心はわからないという点で等価ですから)
なお筒井先生はどのキャラも大切だとおっしゃっていたという指摘がありそうですが、
最終話をサプライズのための犠牲にされたのはうるかだけです。単独の表紙がないのはうるかだけです。ボイスドラマがないのも単行本で最終話後の描き下ろしがないのもうるかだけです。
つまりサプライズの犠牲にしていいと思う程度に大切で、センターカラーも単行本の表紙も描かなくてもいいと思う程度に大切で、一人だけボイスドラマも描き下ろしもなくても何ら問題はないと思う程度に大切なのでしょう。
筒井先生は絵が上手です。可愛く魅力的なキャラばかりですから読んだ人であれば全員か、そうでなくとも一人は好きなキャラができるでしょう。
ですが熱中することはやめましょう。報われることはありません。
キャラを愛することはやめましょう。作者はキャラを愛しません。
あなたの好きになったキャラクターは作者の自己満足の犠牲になり、一人だけ冷遇されてしまうのです。
その深い怒りと悲しみは、あなたを酷く傷つけます。時間が経ってもふとしたときに思い出してはあなたを苛みます。決して癒えることはありません。
問いかけても帰ってくる答えはありません。作者は何も語りません。
筒井先生の新連載を読んで面白い漫画だな、可愛いキャラクターだなと思った方。
あなたの好きになったキャラクターがこのような扱いを受けるということを意識して読んでください。
たとえ同じ扱いでなくとも似たような扱いは必ず受けます。
前作で犠牲にされたキャラクターが好きだった、作者の元ファンの一人から。
どうか心のどこかに留め置いてください。
・うるかの人生の夢が叶った瞬間をサプライズの発表という形で台無しにする
・一人だけ長編を書かない
・一人だけボイスドラマを作らず、またそのことについて説明どころか申し訳無さそうな素振りもない
・他のヒロインは単行本で最終話後にその後の話が書き下ろされているがうるかにはなく、代わりにパラレルルートの告知が掲載されている
後はキャラ説明でのうるかの留学先の誤字(正しくはオーストラリアだがアメリカにしていた)やパラレルルートの解説(パラレルルートの連載中毎回ジャンプに載っていたコラム)でうるかの顔の上にタスク処理かのように「完了」と書いたこと(うるかの次のキャラの話が終わった後は「完了」ではなく、「Happy end」と書き直した)などありますが、筒井先生の裁量が大幅に及ぶ範囲内ならこのくらいでしょうか。
筒井先生の新連載も自分の好きなキャラクターがこういった扱いをされることに耐えられる人が読むことをおすすめします。
逆に次は誰が花火キャンセルされるのかという楽しみかたをするならいいかもしれないですね。
私はするつもりはありません。
https://i.imgur.com/gUMuX0i.png (替歌がバズったときのいいね欄)
そうそう、そんな感じで日本人には「PS5なんて大した事ない」ってナラティブに需要があるんだよね
遊びたいソフトがあって、自分の財布に見合ったハードを選ぶことに何ら恥じるところはないのに、自分の選択が間違ってなかったという承認に飢えてると、自分が選ばなかった方が劣っているというナラティブにすがってしまう
「みんな違ってみんないい」ができないんだろうね
俺もこないだ某SNSでPS5Proの画質向上の件をポストしたら「PS5Proで逆にフレームレートが低下するソフト一覧」とかいう真偽不明な情報をリプライしてくる奴が速攻で現れて、この問題の根は深いなと思ったよ
書き捨て
Xで同好の士と繋がっている昨今だが、そのうちの一人から何か作品を上げる度に「ありがとうございます!」っと言われるのにずっと違和感を覚え中
ありがとうはお礼だよな
君のために描いていないのになぜお礼を言われているんだ?
ありがとうございますありがとうございます!ウワ~嬉しい!ありがとうございます!
~終わり~
えぇ?となる俺おかしいんすかね
「いい!エロい!このコマいい!表情いい!楽しませてもらいましたわありがとうございます!」→平気
「ウヒョヒョ!ありがとうございます!」→えぇ…(引
ありがとう一本でこられるとお礼感が強すぎるんだ
言われるのがお礼だけって、君のためのものじゃないんだけど……
反応あるだけありがたいかどうかというとこの一言だけなら何も言われない方がまし
わざわざリプライするならもうちょっと書いてくれよってのは贅沢かな
わざわざ言うのもなとスルーしてる
世間様的にはどうなんだ