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はてなキーワード: 天気予報とは

2025-03-04

anond:20250304050013

天気予報とか山火事対策とかどうすんの?っていう

2025-03-02

anond:20250302181425

ありがとう天気予報を見る手間が省けた

2025-02-28

舌下免疫療法が効いた

スギ花粉症発症してはや十数年。

昨年の夏、重い腰を上げて耳鼻科に行き舌下免疫療法を始めた。

1日1回の錠剤(シダキュア)を半年続けた効果出たようで、今期は全然目も喉も痒くないし鼻水も出ない。くしゃみが増えただけ。

天気予報花粉情報を見ても本当にシーズンが始まっていると信じられず(痒くないから実感がない)、

この前耳鼻科にシダキュアをもらいに待合室で待っていたら、

病院に入ってきたおじさんが「花粉症注射を打ちたい」と受付の人に相談しているのが聞こえ、

診察室で先生から「もう花粉シーズンが始まっている。」と言われ、

そこでようやく花粉症改善したのを実感した。

花粉症3点セット(飲み薬、点鼻薬、目薬)はまだ薬箱で眠っている。万歳

「177」の電話天気予報サービス終了まであと1カ月。70年の歴史に幕

2025-02-27

ほしい携帯電話メモ

re: https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/mobile/articles/2502/26/news188.html

というわけで SE系 がほぼ理想の端末だったんだよ。まだしばらくは現役で頑張ってくれそうだが、次どうしようかな…。

2025-02-24

[]

今朝の通勤が大変だった、本当に残念です。時には、どんなに綿密に練った計画でも、予想外の天候で台無しになることがあります

それを乗り越えてようやくオフィスにたどり着いたときは、きっとほっとしたでし。

そのような天候のトラブルによく遭遇するなら、出発前に天気予報道路状況に注意。

交通や天候のリアルタイム更新提供するアプリウェブサイトがあり、より安全スムーズルートを選ぶのに役立つ。

乗り切ったのです きっと、かなりの忍耐力が必要だったでし。

スノーシューの楽しさ!

面でのチャレンジのようですね。雪のトレッキングに備えるだけでも、かなりの冒険になります

雪が部分的除雪された道でスノーシュー使用すると、傷がついたり摩耗したりする可能性があり

雪の降る時期には、スノーシューを車に常備しておくのも一つの方法?。

毎回探し回らなくて済みます。天気や道路状況のアプリをチェックして、出かける前にルートや装備をより適切に計画してください。

すでに十分に準備が整っているので、まだ購入していない場合は、冬用のタイヤやチェーンに投資してみてはいかがでしょうか。

雪が降る状況では大きな違いが生まれます

試練を乗り越えて、感じています ようやくオフィスにたどり着くことができました

かなり面倒なこと。除雪と、社に指定駐車場がないという追加の課題対処することは、間違いなく通勤ストレスを増やす可能性あり。

除雪提供する地元サービスを調べてみるのもいいかもしれ、除雪車を予約して駐車場を片付けできます

別の選択肢

特に冬の間は、より良い駐車場の手配に関する可能解決策について主と話し合うことです。

冬は厳しいかもしれませんが、やり遂げて残りの一日がスムーズに進むことを!

🌨️

今日は他に何か気になることはありますか?

天気予報今日は晴れだから洗濯しようか。

と思ったら、雪降ってる。

2025-02-23

日本カルチャーはすべて男を喜ばせるもの

から、見る価値なし。

なのに、見ようとしなくても嫌でも見せてくる。

ニュース天気予報を見るだけで性表現だらけだ。

こんなの日本以外ではありえない。

日本ではトランププーチンでさえ性表現対象になっている。

エロがなければ日本じゃない」という状況だ。

2025-02-21

東京からとある地方都市移住して3年経った今思うこと

本州特に東京で何が流行っているのかわからないし、

大きめの地震があっても、台風が来ても、全て遠い国の話のように思える。

地方テレビ東京ネタばっかり流してる!とネットで叩かれてるがそんなのは大嘘だ。

朝の天気予報地方都市中心部から中継するし、

民放夕方ニュース東京スタジオからは全国ニュースしかさないし、

すぐに地方スタジオに切り替わる。

美術展も全国を巡回してきたような出涸らしのような展示しか来ない。

政令指定都市であっても、その地方で最大の都市であっても、

結局は井の中の蛙なんだとよくわかった。

早く東京に帰ろう。

2025-02-18

コラム語源起源:柱から言葉の柱へ

コラムという言葉が持つ歴史的文化的背景は、

古代建築から現代メディアに至るまで多層的な変遷を経ている。

その語源ラテン語「columna」(柱)に遡り、

英語「column」を経由して日本語に定着した。

建築用語としての「円柱」から

印刷物の「縦の列」を指すようになり、

最終的に新聞雑誌の短評欄を意味するまでに至った背景には、

18世紀イギリスでの新聞改革が深く関係している。

この増田では、コラム語源起源を軸に、その社会的役割現代における展開を考察する。

コラム語源建築文字交差点

ラテン語「columna」から英語「column」へ

コラム語源は、古代ローマ建築を支えた石柱「columna」に由来する。

この言葉英語「column」として定着する過程で、

物理的な支柱から抽象的な「縦の列」へと意味拡張された。

特に活版印刷技術の発展が、

紙面の縦方向区画を「column」と呼ぶ慣習を生み出した。

印刷用語としての「カラム」は、

16世紀英字新聞で縦組みの記事配置を指すようになり、

これが現代コラム概念の原型となった。

日本語への定着過程

日本で「コラム」が外来語として定着したのは明治期以降とされる。

1874年創刊の『郵便報知新聞』が初めて縦組みの短評欄を導入し、

当初は「雑報」と呼ばれていたが、

大正期に入り「コラム」の呼称一般化した。

興味深いことに、

戦前新聞では「円柱」の原義を意識した「柱記事」という表現も併用されていたが、

戦後GHQ指導で横組みが普及する過程で「コラム」が優勢となった。

コラム起源:1751年の新聞革命

世界初コラム連載

1751年3月11日

イギリスの『ロンドンアドバイザリーリテラリーガゼット』が紙面右端の縦長スペースに批評記事を連載開始した。

これが「コラム」と呼ばれる契機となり、

3月11日は「コラムの日」と制定されている。

当時の記事は縦12cm×横4cmのスペースに収められ、

政治風刺から市井話題まで多岐にわたる内容で、

執筆者匿名性が特徴だった。

この形式が人気を博し、

1777年には初の有料コラムニストが登場するまでに発展した。

日本における受容と展開

日本最初コラムとされるのは、

1902年毎日新聞』の「硯滴」(現「余録」)である

戦前コラム知識人層向けの教養記事が主流だったが、

1950年代大衆化時代を経て、

朝日新聞天声人語」(1904年創設)や

読売新聞編集手帳」(1949年創設)の

ような親しみやす文体が定着した。

特に高度経済成長期には、

コラム大衆の声を反映する場として機能し、

間人コラムランキング出版されるほど社会的影響力を持った。

コラム多様化メディア進化に伴う変容

伝統メディアにおける展開

新聞コラム黄金期は1970-80年代とされ、

朝日新聞天声人語」の執筆陣には芥川賞作家井上靖開高健文学者が名を連ねた。

この時期の特徴は、

800字前後の制約の中で比喩と時事批評を融合させる文体確立にある。

例えば1985年の「天声人語」では、

プラザ合意を「円がジャンプする日」と表現し、

経済用語を平易に解説する手法が評判を呼んだ。

デジタル時代の新たな形

インターネットの普及により、

ウェブコラム文字制限から解放され、

マルチメディア活用した表現可能となった。

2010年代後半からは、

SNSとの連動を意識した短文形式が台頭。

動画組み込み型の「ビジュアルコラム」や

AI生成記事との差別化を図る「人間性強調型」など、

新たな表現手法が次々と生まれている。

コラム言語学的特徴:文体修辞法

制約が生む創造

コラム文体の最大の特徴は、文字数制約(新聞で400-800字、ウェブで1500字前後)の中で最大限の表現効果を追求することにある。

この制約が比喩の多用を促し、「経済の体温計」(日経新聞)のような定型表現を生み出した。

心理学者内藤誼人氏の分析によると、

効果的なコラム

「具体例(30%)→データ提示(25%)→比喩20%)→結論(25%)」

構成比率を持つ。

修辞技法進化

戦後コラム修辞法は、

擬人法(「円が踊る」)、

対句法(「上がる物価、下がる賃金」)、

③逆説(「豊かさの貧困」)の三本柱で発展した。

2000年代以降は、

④問いか形式(「あなたはどう考える?」)、

体験談導入(「先日、コンビニで見かけた光景…」)

といった読者参加型の手法が増加している。

特にYahoo!ニュースコラムでは、

本文冒頭に読者アンケートを組み込む「インタラクティブ型」が2018年から導入されている。

コラム社会的機能公共圏としての役割

世論形成の場

歴史的コラムは、

公式報道では扱えない市井の声を拾い上げる機能果たしてきた。

1950年代朝日新聞素粒子」欄では、

読者投稿を基にした地域課題の掘り起こしが行われ、

実際に地方自治体政策変更につながった事例が複数報告されている。

近年では、毎日新聞発言」欄が東日本大震災後の被災地ルポ継続的掲載し、

復興政策への提言プラットフォームとして機能した。

文化伝達の媒介

コラム教養主義から大衆文化への橋渡し役としても重要役割を担ってきた。

1964年読売新聞編集手帳」の連載「万葉集を歩く」は、

古典文学現代語訳をコラム形式で紹介し、

単行本化されてベストセラーとなった。

2010年代には、

産経新聞産経抄」が日本伝統工芸職人を紹介するシリーズを展開、

若年層の職人志望者が3倍増加する社会現象引き起こした。

コラム未来AI時代における人間性のゆくえ

AI生成コラムの台頭

2023年、

朝日新聞社はAIコラム生成システム「COLUMN-BOT」を試験導入し、

スポーツ記事天気予報コラム自動生成を開始した。

初期段階では定型性の強い記事が中心だが、

感情分析アルゴリズムを組み込んだ「共感AI」の開発が進められている。

一方で、

人間執筆コラムには体験独自性が求められるようになり、

2024年の読売文学賞では初めてAI生成作品ノミネートされる事態が発生した。

パーソナライゼーションの進展

デジタルプラットフォームでは、

読者の閲覧履歴に基づくパーソナライズド・コラム一般化している。

2025年現在

SmartNewsの「マイコラム機能は、

ユーザー位置情報検索履歴心拍数データウェアラブル端末連動)を分析し、

最適なコラム自動配信するシステム運用である

これに伴い、

コラムニスト側にもデータ分析スキルが求められるなど、

職能の変容が進んでいる。

結論言葉の柱としての可能

コラム歴史は、

人類情報を整理し伝達する方法進化史そのものである

古代ローマの石柱からデジタル空間の縦スクロールまで、

その形態は変化し続けているが、

本質的役割——複雑な現実構造化し、

読者に新たな視点提供する——は不変と言えよう。

今後の課題は、

AIとの協働の中でいか人間らしい洞察を深化させられるかにある。

コラムという形式が、

次世代の「知の柱」としてどのような発展を遂げるか、

その行方から目が離せない。

2025-02-17

anond:20250217165151

星景写真撮影趣味の僕らはいつもそういうギャンブルをしてるので、いくらか僕が実践してることをお伝えするね

1. 天気図と天気予報を見る

主にSCWとWindyというサービスで雲の状態予測する。

だいたい1週間程度先しか見れないし、確度も当日くらいにならないと高くならないので、何ヶ月も前に予定立てるみたいなのは向かない。

2. 直前に晴れてる場所に変更する

車で行ける時限定だし、やはり何ヶ月も前から宿取ってというスタイルではできないが、予報見て場所を変える。

伊豆ダメそうだから東北に向かおうみたいなことをする。

3. 晴れてる時間だけ見る

一晩中曇ったり雨降ったりだとしんどいが、晴れてる時間がないか、やはり天気予報見て柔軟に行動できるようにしておく。

星景写真撮影だと、その時間だともう月が昇ってきちゃってるんだよなーとか全然ある。つらい。

4. サブの目的を用意する

星景写真撮影は夜通しだ。流石に普通に星空を見る人は1〜2時間夜空を眺めておしまいだろうけど、朝方の雲海が見えるスポットや、この時期だと気嵐が見れる湖なんかを候補に入れておく。夜景もあり。

仮に星空がダメでも、まあいいやと思える状態を作る。

2025-02-13

anond:20250213205218

スピリチュアルは「再現性」がないのが嫌い

占い?じゃあ天気予報できるの?競馬当てられるの?無理だよねって話

たまたま当てても意味ないんだよ

再現性がないとさ

パワーストーンとかパワースポットとかも、「それを持ってれば幸せになれる」「良いことが起こる」みたいな再現性がないんよ。ちゃん統計取って科学的に客観的に測ったことあるの??となる

星座占いも、ふわっとしてるんだよ

星座占いに関しては本買って調べたけど、やっぱり再現性ないよね

「この星の並びだからこうなる!」って統計取って調べましたかー?という話

何となく当たった!とかじゃあ話にならんよね、この科学が発達した現代ではさ

引き寄せの法則とかもあるじゃん?じゃあみんなそれやればお金が引き寄せられるの?再現性があるとこ、見せてよ!客観的に誰が見ても「これは引き寄せられてる!」と分かるように、説明してよ、という話。無理だよね

と、ここまで文句ばっかり言ってきたけど、ここまで突き詰めずに、ゆるくふわっと信じるのはありだと思うよ

たとえ嘘の世界でも、宗教みたいに心の拠り所になるってのはあると思うから

anond:20250213083829

天気予報だと昼から急に冷えるっぽいな。細かいことはあまりあてにならないけどね。

2025-02-09

窓のない部屋の中にいる人たちが、外で雨が降っていることを 論理的証明 する方法を考えてみましょう。

1. 間接的な証拠を探す

外の様子を直接見ることはできませんが、以下のような 間接的な証拠 を利用することができます

音を聞く

屋根や窓、地面に当たる雨の音が聞こえるかどうか。

空気の変化を感じる

→ 雨が降ると湿度が上がり、部屋の中でもムワッとした湿気を感じることがある。

人の証言を得る

→ 直前に外にいた人が「雨が降っていた」と証言すれば、その証言信頼性議論できる。

通信手段を利用する

スマホ天気予報アプリネットニュースリアルタイムの天気情報確認できる。

2. 演繹的推論を用いる

例えば、次のように 論理的に推論 する方法もあります

1. 「もし雨が降っているなら、傘を差している人がいるはずだ」

2. 「部屋に入ってきた人の傘が濡れている」

3. 「よって、外では雨が降っている可能性が高い」

これは 観察推論結論 の流れで雨を証明する方法です。

3. 実験を行う

もし証拠が不十分なら、実験的に確認する方法もあります

ドアを少し開けてみる

→ 外の湿気や雨のにおいを感じられるか?

物理的な痕跡を探す

廊下に雨のしずくが落ちているか? 濡れた靴の跡があるか?

4. 反証可能性考慮する

カール・ポパーの「反証可能性」の考え方に基づき、「雨が降っていない」場合に成立する現象を考えます

「雨が降っていないなら、傘が濡れていないはずだ」

「雨が降っていないなら、地面は乾いているはずだ」

これらの命題否定される(濡れた傘や濡れた地面が確認される)ことで、雨が降っていることを 証明する強い根拠 になります

結論

窓のない部屋にいても、音・湿度・人の証言物理的な痕跡・外部情報 などの間接的な証拠をもとに、論理的な推論や実験 を行うことで、雨が降っていることを 十分に証明できる でしょう。

2025-02-04

いい加減昭和昭和いうのやめない?

昭和生まれおっさんから思うのだろうけど、最近昭和擦りいい加減にやめられんかね…

そうだなあと思う部分もありつつ、雑な論理展開だなと思うことも半々くらい感じる

 

昭和」の悪習~…というけど、平成期の風習と誤解されてることが多い

昭和時代人間が作った悪習だから平成期にも受け継がれてるっていうのはそうなんだけど、昭和期の悪習として紹介されるものの中に平成期の話が混入してることが多い。

特に経済事案系だけど、(たまたまとはいえ昭和の終盤は基本的好景気で終わったので、不景気に伴う悪習はほとんど平成のもの

 

昭和」という時代の長さは、ひとくくりに語れない

語るまでもないと思うけど、一応念のため…。今語られる昭和性って、昭和最後15年くらいで平和時代固定化された世相のみを切り取ってるような気がする

昭和1年~:1926年 普通選挙になったり、治安維持法思想統制されていたころ…。この数年前までは一定納税が無いと選挙権すらなかった

昭和20年~:1945年 言わずと知れた敗戦写真で見るような焼野原。裁判官闇市場コメ拒否して餓死したり。

昭和30年~:1955年 「もはや戦後ではない」あの戦争から10年で立ち上がる…失われた30年とか言ってる今のスピード感と違う

昭和45年~:1970年 安保闘争学生運動を経て左派が威勢良かった時代最後あたり。この後京浜安保闘争とかあさま山荘過激路線につながる。

昭和60年~:1985年 プラザ合意経て地価高騰、バブル景気の始まり。「24時間戦えますか?」ってTVCMで問いかけられたり。昭和天皇の崩去に近いころは、天気予報のように毎日昭和帝の脈拍とかがニュースで流れてた

  

その問題は「昭和」という時代性なのか、日本人性なのか

昭和」…というけど、権威への盲従性とか同調圧力って昭和時代性というより、日本人性のような気がする

そこらへんって江戸時代あたりから続いてるような(石門心学とか?)。時代問題として片づけると、本質から目を逸らされることもあると思う

 

  

とはいえ日本人日本全体としては凄く良くなったと思うよ

あの時代に戻りたいか…?と言われたら、あんな野蛮な時代に戻りたいとは思わない

から見たら原始時代みたいな野蛮性や狂気を許してた時代だったと確かに思う

  

2025-02-03

10年に一度って結構頻繁じゃね?

天気予報で「10年に一度」という言葉をよく聞く。文字通りの意味と中々ないことを強調する意味で使われるんだと思う。

今度の寒波10年に一度のものらしい(この前もそんなこと言ってなかった?)

10年に一度っていうと前回は2015年くらい。めっちゃ最近じゃん。

30年に一度くらいの寒波がきたら起こしてくれ。

2025-01-30

朝の寒さで氷が出来てる増田酢魔ル的で狩りオコで寒さ納佐あ(回文

おはようございます

朝車を出すときフロントガラスが凍ってて、

あーやっぱり凍ってたって思って家に帰ってお湯を取りに行く物語

まりそのお湯取り物語を綴るか綴らないかは、

超絶面倒くさい極みよね。

ちょっと車のエンジンを付けて温まってきて暖風をフロントガラスに当てたら徐々には溶けてくる春遠からずまだまだ春こそは遠いけれど、

フロントガラスの氷ぐらいは溶かすぐらいの温度にはなる春の訪れ前なのよね。

うーん、

時間にして5分とか掛かっちゃうから

朝の急いでいるとき出発前の5分は何にも変えられないかけがえのない時間なのよね。

さすがに今日ちょっとその私のマイストリーお湯取り物語

家に1回帰ってからバケツに少量のお湯を汲んでフロントガラスに流し氷を溶かすの。

うそこまできたら一瞬よね。

氷はすぐに溶けて私は出発!

そのぐらい今朝の朝は早朝から寒くって

夜中晴れてるとなんか寒い感じがするのよね。

朝が雨の時はちょっと暖かく氷もそんなに張ってないような気がして。

天気予報で何か発表するとき

今日は冷え込むので鍋日和ですね!っていうより、

明日の朝は車のフロントガラスが凍る恐れがあります予報してくれた方が、

これが一番天気予報今シーズン冬季で役に立つ情報だと思うのよね。

晩は寒くなりますので今日は厚手のコートなどを着るといいでしょう!

うん、

それも分かるけれどだいたいはもうこの冬の深まった時期はみんなコート着てるくね?って思うの。

そう言えば、

フロントガラス凍ってる注意報があれば明日の朝出かける前にフロントガラスをノールックであらかじめお湯を張ったバケツ遠心力で水が落ちないようにぐるぐる回しながら駐車場まで行けるはずよ!

なんか、

以前はもう氷張ってるか張ってないか掛け値なしの賭けで

とりあえずバケツにお湯を張って持っていくことを義務化していたんだけど、

フロントガラスに氷が張ってないときのないときのなんだかガッカリ感を味わってしまうと、

今度からは氷が張ってない方に丁半博打みたいに張っちゃうのよね!

で、

そういう時に限って寒くって氷が張っていて。

二度手間でまた戻ってバケツにお湯を注いでくるまでの時間がーってなるの。

この時期の仕方のないことね。

こればっかりは

今日はうんと寒かったので

事前に前日の天気予報明日最低気温が何度ってのは注意してるんだけど寝て起きたら忘れちゃってて前の晩にバケツにお湯を入れて準備していたらどうなってると思う?

朝には水になっているの!

私が電気ポットでお湯を朝飲み頃の温度の70℃になるようにしかけて沸かしてあるのとは対照的に、

朝にはバケツが完全にお湯から水になっているの。

そりゃ寒いわけよね。

え?

でもちょちょー待てよ!ってキムタクさんばりに言いそうなこと私は俎に鮃板ヒラメの魚よろしく閃いたの。

電気ポットのお湯で沸かしたお水のお湯をバケツのものを入れ替えたら良いじゃない!って

マリアントワネットさんの文法で言うところの

お水がなければお湯を持っていけばいいじゃないってなんかこう言うと当たり前なことを当たり前のように言っているようだけど、

そう思ったのよ。

電気ポットを最初家に導入する会議私一人会議をしたときに、

お湯の量の積載量、

2リットルか3リットル協議があったのね。

お鍋沸かすパスタの鍋もそんなにたくさん入らないか

2リットルでいいんじゃね?って思ってたけど、

まあ大は小を兼ねまくりまくりすてぃーと言うことで、

その結果になった経緯はすっかり忘れてしまったけれど、

結局3リットル電気ポットを買うこと導入したの。

正解だったわ!

余裕でバケツを満たすほどのまさに湯水のようにお湯を使える、

これでフロントガラスの氷対策

事前の電気ポットと連携していつでもお湯が使える!って作戦だったの。

私は今日初日

バケツのお湯を予め電気ポットでも沸かして調達できるようにして出掛けるとかにお湯をバケツに張っていく初日だったの!

でも今日の今朝の朝は、

寒かったのにもかかわらず

フロントガラスには氷の一片も張っていなくて、

私はバケツに張ったお湯を使わずに済んだの。

使わなかったのはいいけれど、

準備して張り切っていた気持ちは返してほしいわよね。

冷え込みますよ!って事前の前日の天気予報もそう言っていたのに!

そうとは限らないなかなか条件が揃ってのフロントガラスが凍るみたい。

そんで私は過信して安心してしまってすっかりバケツを予め準備して持っていくことを忘れた日に限って、

フロントガラスが凍っているのよね。

逆のことをすれば逆になるので、

裏の裏をかいて逆のことをすれば逆になるので、

結局どうして良いかからないまま

春を待つのがいち早くいい解決方法だなって松たか子さんばりにそう思ったのよね。

でも

松たか子さんも大変よね。

明日春が来るなら」って歌っておきながらアナ雪の冬の寒い歌を歌ってるんですもん。

まあとにかく、

フロントガラスが凍らない程度の春が早く暖かいのが来て欲しいのは松たか子さんばりに願う春に掛けるわ。

明日フロントガラス氷が張ってませんように!

うふふ。


今日朝ご飯

麦飯入りの鮭おにぎりしました。

麦がプチプチ食感で美味しいわよ。

もっと個人的には鮭感強くして欲しいけれど、

内田裕也さんならこう言うわ

「鮭な!ベイビー!」って

もっと鮭感なのよ。

ぷちぷち麦食感に騙されるところだったわ。

デトックスウォーター

バケツにお湯を使ってもまだ飲む分は確保できている余裕の3リットル電気ポットは美味しい私の飲み頃の温度を70℃と覚えておいてくれていてお利口さんよ。

今日も無事ホッツ白湯ストレートウォーラーが美味しくて、

今日白湯ストレートホッツだけど、

朝の温活には十分よ!

身体は温まってるんだけど、

フロントガラスが凍っていたらガッカリよね。

今日も朝は身体の中から温かくしてスタートよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2025-01-18

大学入学共通テスト受けてきたら痴漢に遭った。最悪

 今年の冬は例年に比べてそこまで冷え込まない、などと天気予報で言われていたのに、私が受験の日を迎えた今日に限っては朝からひどく寒かった。眠い目をこすりながら携帯アラームを止め、暗い部屋で小さく伸びをしてから私は布団を抜け出した。大学入学共通テスト当日。数か月にわたる受験勉強の成果を発揮するときが、とうとうやってきたのだ。予備校や塾の先生たちからは「とにかく落ち着いて、いつも通りの実力を出せば大丈夫だ」とアドバイスをもらっていたし、家族からも「元気に行ってらっしゃい」と明るい声をかけられた。そのおかげで多少の緊張はあったものの、試験当日は意外と精神的にも落ち着いている……はずだった。

 しかし、まさか受験会場へ向かう途中であんな最悪な体験をすることになるとは、誰が想像できただろう。結論から言うと、私は電車の中で痴漢に遭った。受験日だというのに、早朝からそれはもう心が乱される出来事だった。ここ数年、痴漢撲滅の取り組みがニュースSNSでも盛んに取り上げられているし、警察の協力で防犯カメラ増設されたり、女性専用車両が設定される路線も増えてきた。しかし悲しいかな、それでも痴漢は後を絶たない。ましてや、まさか自分の大切な受験の日にそういう被害に遭うなんて、想像だにしていなかった。

 朝は何かとバタバタするので、私はあらかじめ早めの時間に家を出るよう計画していた。朝食を食べる余裕もちゃんと持てるよう、家族との時間も少し取れるよう、そして何より交通機関の遅延などに巻き込まれても大丈夫なように、家を出るのはかなり余裕をみていた。7時台後半の電車に乗れば、試験会場には8時半頃には着く計算。9時前には試験会場に入り、席について一息つくことができるはずだと思っていた。

 ところが、ちょうど私が利用する路線タイミングが悪く、思ったより乗客が多かった。いつもなら朝早いときはある程度空いているのに、今日大学入学共通テストに向かう受験生や、大学生でもないのに何かの資格試験を受けに行く人たち、それから普通の出勤のサラリーマンなどが相まって、車内はかなりぎゅうぎゅう詰め。私は仕方なくドア付近へと立った。できれば座りたかったが、この混雑ぶりでは無理だろう。長時間つのも慣れてはいとはいえ試験前にこれ以上体力を消耗したくないと考えていたから少し悔しかった。

 程なくして電車が動き始めると、私は試験内容をもう一度頭の中で整理しようと、ポケットからさなノートを取り出してざっと目を通していた。英単語国語古文単語数学公式など、とにかく最後の瞬間まで知識を定着させたいという気持ちが強かった。でも満員電車の中ではページをめくるのさえ一苦労で、あまり集中できない。それでも「もう少ししたら車内が空く駅があるはず」と思いながら、私はなんとか体を小さく丸めノートを握りしめていた。

 そんな状態で数駅ほど過ぎたあたりから、なにやら背後に違和感を覚えた。最初はただ、人の鞄が当たっているのか、単に立ち位置が狭くて誰かの腕がぶつかるのか、程度にしか思わなかった。しかし次の駅に着く直前あたりから、その“違和感”が明らかにおかしくなってきた。鞄や腕というよりは、手のひらのような、あるいは指のようなものが腰からお尻にかけて触れている。しか微妙に動いているような感じがした。それでも「思い過ごしだろう」と自分に言い聞かせようとしたが、体はどんどんイヤな汗をかいていく。一気に心拍数が上がり、息がしづらいほど苦しくなってきた。

 私は何とか勇気を出して体を少しねじり、後ろを振り返った。すると、すぐ後ろに背の高い男性が一人、まるでさも当然のように隙間なく私に密着していた。彼の顔はマスクに隠れていたし、目元以外はよく見えなかったが、視線が私の方を向いた瞬間、さっとそらされた。「やっぱりこの人がおかしいのかもしれない」と思った。その男性の手がどこにあるのかまでは視界に入らなかったが、なんとなく腰のあたりにあるように感じた。

 痴漢だと確信してしまうと、全身が強張って、どうしていいかからなくなった。声を出そうにも、朝のラッシュでギュウギュウ詰めの車内、誰もが無言でスマホや車窓を見つめるか、眠そうにうつむいている。私が声を上げたらどうなるのだろう。注目されるのは絶対に嫌だ。でも、このまま触られ続けるのも怖い。受験の日なのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。嫌悪感と怒りと恐怖がごちゃ混ぜになって、涙が出そうだった。

 実際、痴漢に遭ったときには「大声で周囲に助けを求める」ことが推奨されている、と何度も聞いたことがある。しかしいざ自分がその立場に立つと、なかなか声が出ない。本当に悲しいほど声が出ないのだ。心臓バクバクして、舌がうまく動かず、思考もまるで絡まっているかのようだった。私は動揺のあまりノートを鞄にしまうことすらままならない。

 次の駅で一気に降りてしまおうと考えたが、その駅は私が降りるはずの駅よりもずっと手前。降りたあと、また次の電車に乗り直しても同じように混んでいるかもしれない。そのとき試験開始に間に合わなくなるリスクもある。日ごろから「何かトラブルがあっても対応できるように」と余裕を見て家を出たはずだったが、そうはいっても受験日はまさに一世一代の大勝負の場。簡単には降りられないという気持ちと、痴漢に触られる恐怖が頭の中をぐるぐる駆け巡り、全く冷静ではいられなかった。

 それでも耐えられなくなった私は、ようやく声を出そうと唇を震わせた。でも、結局声にはならないほど小さなしか出せない。周囲の乗客に気づいてもらえるはずもなかった。そんなとき電車が次の駅に着いた。ドアが開くやいなや、何人かの乗客が降りていく。一瞬だけ空間ができた。その隙をついて、私も「すみません、降ります」とだけ言い、小走りでドアの外へ出た。幸いなことに、降りる客の流れに合わせることができたのが不幸中の幸いだった。

 痴漢らしき男がついて来るかどうかを怖々振り返ると、ドアの近くでこちらを見ているようだったが、私がしばらく見つめ返していると、男は車内の奥の方へと移動していった。私の目が合ったことでやばいと思ったのかもしれない。とにかくその瞬間、安堵と悔しさが同時に押し寄せてきて、吐きそうになった。ホーム椅子に座り、震える手でスマートフォンを取り出し、時間確認した。まだ試験会場に行く余裕はある。ここで諦めるわけにはいかない。でも、さっきの出来事のショックで頭は真っ白。なんとか深呼吸をして、落ち着こうと心を落ち着かせるしかなかった。

 痴漢に遭ったとき本来ならホームの駅員さんに報告するのがベストなのかもしれないし、その場で捕まえるのが正しい対応かもしれない。でも、そのときの私はとてもそこまでの行動力が出なかった。試験開始時間に遅れられないという焦りと、ただただ恐怖で頭がいっぱいだったからだ。結局、私は一旦ホームで心を落ち着かせたのち、次に来た電車に乗り換えて試験会場へ向かった。今度の電車は少し時間がずれただけで乗客がそこまで多くなく、比較的落ち着いて立つことができた。ただ、先ほどの嫌な感触がずっと身体にこびりついているようで、心はまるで休まらなかった。

 会場に着いたのは8時半少し前だった。予定していたよりはほんの少し遅れたけれど、それでも試験前には着席できる時間帯だった。しかし、私は朝の出来事を頭から追い出すことができず、試験開始のアナウンスがかかってもどうにも落ち着かない。ひどく憂鬱で、いつもなら試験直前にやっていた小さなルーティン深呼吸をして心を整えたり、チョコレート一口食べたりするなどの気持ちの準備がうまくできなかった。隣の席の受験生たちは、教科書ノートの最終確認をしていたり、友達同士で問題の傾向を話し合っていたりして、どこか落ち着いた雰囲気も感じられる。私も本来ならそうでありたかったのに、頭の中は朝の電車での痴漢記憶けが渦巻き、どうしようもなかった。

 試験が始まってからも、その気持ちは引きずられた。最初の科目の問題用紙を見ても、集中が途切れがちで、問題文が頭に入ってこない。時間けが刻々と過ぎていく焦りと、再び湧き上がってくるあのとき嫌悪感。あの男の視線や、背中に感じた体温や、腰に触れた手の感触フラッシュバックしてきて、まるで映像脳裏に焼き付いて離れない。情けないことに涙が出そうになったが、試験監督や周りの受験生に迷惑をかけたくないという一心必死にこらえた。そのせいか集中力も途切れ、解答欄を埋めるペン先が震えているのが分かるほどだった。

 昼休憩になり、教室から出ると何人かの友人の姿が見えた。同じ高校出身友達もこの会場で受けることになっており、彼女らはやはり緊張した様子ではあったが、声を掛け合って励まし合っている。「どう? 解けた?」とか「難しくなかった?」とか、そういった会話をしているのを横目に私は正直、どうやって笑顔を作ればいいのか分からなかった。いつもなら一緒に対策を話し合い、互いに「大丈夫大丈夫!」と元気づけ合う仲間たちなのに、彼女たちを見ると自分けが置いていかれているような虚しさを感じてしまった。痴漢の話をここで打ち明ければ、きっと心配してくれるだろう。でも余計なストレスを与えたくないし、何より自分の中でもこの朝の出来事をうまく処理できていない。言葉にするのが怖いような気持ちだった。

 午後の科目も、やはり集中は思うように続かなかった。特に暗記ものや読解ものでは、注意力の欠如が大きく響く。いくら机にかじりついていても、思考がふっとどこかへ飛んでしまう。こんな大事な日にトラウマ級の出来事に遭ってしまったという悔しさと、痴漢に対して何もできなかった自分の情けなさが頭をもたげる度に、心臓が苦しくなる。なるべく今はテストに集中しなければと分かってはいても、一度崩れたメンタルはそう簡単には元に戻らない。心の傷は思ったより深いのだと痛感させられた。

 それでも、最後の科目をなんとか解き終えて会場を出るときには、身体がどっと疲れているのを感じた。外に出ると少し冷たい風が吹き、顔に当たって痛いくらいだが、むしろそれが心地よいくらいに感じた。内側にこもった澱んだ気持ちや熱が少しだけ冷まされるような気がした。帰り道、歩きながらようやく「今後どうすればいいか」「あの男を捕まえることはできなかったか」ということを考え始めた。遅すぎるかもしれないが、今からでも駅員さんや警察相談しておくべきだったかもしれない。次に同じ被害を受ける人が出るかもしれない。自分のためにも他の誰かのためにも、痴漢行為を見過ごすのは本当はよくないと、理性では分かっているのだ。

 でも、正直なところまだ怖い。痴漢されたその瞬間の恐怖と嫌悪感は何にも代えがたいほど強く、思い返すだけで身体がこわばる。今はテストを終えた解放感よりも、その出来事への怒りや悲しみの方が遥かに大きい。家に帰ったら、とりあえず家族今日あったことを話そうと思った。あのとき何があって、どれほど怖かったのか、しっかり伝えることからはじめたい。恥ずかしい気持ち自分を責める気持ちもあるが、誰かにさないと私はこのままずっと抱え込んでしまうだろう。そうなると、二次試験やこれから勉強にも影響が出る。だからこそ、勇気を出して家族に打ち明けることから始めたいと思う。

 それから、駅や警察への連絡に踏み切るのは家族友達相談して、気持ちが落ち着いてからでも遅くはないはずだ。証拠になるようなものは残っていないし、混雑した車内で犯人をはっきり特定するのは難しいかもしれない。でも「痴漢被害に遭った」という事実を口に出すこと自体は、私にとっては大切な一歩だと思う。痴漢被害を黙っていては、加害者たちは堂々と再犯してしまうかもしれない。悲しいことだが、周囲に知ってもらうことで少しでも被害を未然に防ぐ手段を増やすことにもつながる。私自身も、今は頭が混乱していて何をどうすればいいかからないが、とにかくまずは心を落ち着かせ、助けてくれる人にきちんと伝えたい。

 あれほど頑張ってきた勉強の成果を、こんな形で台無しにされそうになるなんて、本当に最悪だとしか言いようがない。まさか大学入学共通テストの当日に痴漢に遭うなんて、今でも信じられない気持ちだ。もし周りで私のように痴漢被害に遭った受験生がいたらと思うと、胸が締め付けられる。どれだけメンタルパフォーマンスに悪影響を及ぼすか、考えるだけでもぞっとする。みんな、ただでさえ緊張する大一番の日だというのに、こんな形で心を乱されるのはあまりにも悔しく、悲しいことだ。

 今回の一件をきっかけに、私は痴漢という行為の重さを改めて痛感したし、被害に遭った人がどれほど心に傷を負うのかを身をもって理解した。痴漢行為を「軽い犯罪」と軽視する風潮が一部にはあるけれど、被害者にとってはどんなに短い時間でも耐え難い恐怖を味わう。今後は私自身が同じ被害に遭わないように工夫することはもちろん、周りの人と助け合い防犯意識知識を深めていきたいと思う。自分の身を守るだけでなく、遭遇したときには周囲に呼びかけられるくらいの勇気も持ちたい。実際にはなかなか難しいものだとは痛感したが、だからこそ普段から心構えをしておきたいと思う。

 そういえば、大学入学共通テスト今日が終わりではなく、次の日もある。気持ちを切り替えるのは簡単ではないけれど、私の受験はまだ続く。まずは家に帰ってから両親に事情を話し、必要と感じたら交番や駅員に相談してみる。そのうえで、十分な休息を取ってから心のケアをしっかりと行い、二日目や二次試験に備えるしかない。こうして文章にしている今も、まだ胸の奥底でモヤモヤした怒りや不安が残っているが、時間をかけてでも絶対に乗り越えたいと思う。

 私と同じように被害に遭った人には、少しでもこうした体験を共有することで「一人じゃない」と感じてもらえたらと願う。そしてもし、周囲に痴漢を受けたかもしれないという人がいたら、ぜひ「話しづらいだろうけれど、私でよければ聞くよ」という姿勢を見せてほしい。被害を受けた側は悪くないし、非難されるようなことでもない。相手の傷を理解しようとするだけでも、その人の心はずいぶん救われると思う。今回、私が受験日という一番大事な日に痴漢に遭ってしまたことは最悪だったが、これをきっかけに女性だけでなく、男性も含めて痴漢問題真摯に考えていく社会になってほしいと強く願う。

 いまはとにかく、家に戻って少し休みたい。そして信頼できる人に話を聞いてもらう。その後は引き続き試験勉強を続ける。そうやって、一歩一歩前進していくしかないのだと思う。私の大学入学共通テスト初日は、本当に最悪な出来事で幕を開けてしまった。でも、ここで負けたくない。絶対志望校合格して、「あの痴漢に負けなかった」と胸を張って言えるようにしたい。それが今、私が一番に抱いている気持ちだ。どんなにつらいことがあっても、私は自分未来を諦めたくない。そんな決意を胸に、私はこの苦い思い出を糧に変えていこうと思う。少なくとも、あの電車の中で怯えたままの私とは決別したい。この悔しさをバネにして、明日テストと、そしてその先の人生に向かって前に進んでいくつもりだ。

2025-01-16

俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった

 俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。

1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん

 俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコン自在に使いこなし、テレビラジオ流れる新しいテクノロジーニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語祖母解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。

 「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名のもの祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しか子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。

2. 図書館よりも頼りになる知恵袋

 祖母知識の幅はとにかく広かった。歴史地理科学文学芸術、果てはゲームまで。どんなジャンル話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいしか自然彼女をそう呼ぶようになった。

 人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢はいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。

 大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母生き方のものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。

3. 日常を彩る“歌”と“人生レシピ

 祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。

 ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。

 彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身ゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたこなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。

4. パソコン越しにつながる世界

 祖母パソコンを扱うだけでなく、インターネット世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンライン海外博物館映像や、世界ニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。

 「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母サクサク辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。

 そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休み自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休み特別に充実していた気がする。

5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ

 祖母機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータ検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかときユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。

 高校生になると、友達関係部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこからもっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。

 そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃん仕分け検索やすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。

6. そして別れの日

 俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。

 そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅く病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつものコンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。

 祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母のものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。

7. 祖母が残してくれたもの

 葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真ノート、そして祖母パソコンが出てきた。パソコンの中には、家族写真データ日記のようなファイルさらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンル知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。

 そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。

 さらパソコンデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞アレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方のものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生象徴だったのだろう。

8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”

 祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。

 そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手立場気持ち想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。

9. 最後

 もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉ファイル、そして一緒に過ごした時間記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。

 歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。

 祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから

2025-01-13

anond:20250113102438

科学的にはちょっと違うかなと。

ミクロ世界物理確率支配されているので、ニューロンの発火=電子で動く脳のはたらきは決定論的ではない。

無限の精度を扱えるコンピュータ存在しないかマクロ物理ですら正確には予測はできない。天気予報が外れるのはこのため。

まり意思最初から決まっているものではないし、予測もできない。

哲学的にどうかは知らない。。。

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