はてなキーワード: 生命力とは
むしろ、主張している人たちの多くはスピリチュアル寄りか、官能的ファンタジーの文脈で語っている場合が多いの。
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→ ✖ 不正確
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→ △ 間接的には一理あるかも
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観点 | 科学的根拠 |
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精液の栄養効果 | ✖ 吸収されない。口から摂っても効果は限定的。 |
ホルモン・神経系 | △ 間接的にリラックス効果はありうるが、性行為全体による。 |
体調改善効果 | ✖ データは存在しない。プラセボの域を出ない。 |
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それ自体が“人を癒す”力になることもあるのよ。
「愛されている」「つながっている」という感覚が体調や気分にいい影響を与える、
家事のvlogみたいな動画をアップしているギャルがいて、手際が良くて見ていて気持ちがいいのでよく見ている
ギャルを初めて見た時は第二子を出産したばかりの頃で、小さな子供を二人抱えてこんなに家綺麗にしてしっかり家事やってすごいなあ…と尊敬してなんとなく見るようになった
そしたらいつの間にか離婚して引っ越してシンママとして暮らし始め、シンママでこんなに綺麗に家保って子育てしててすげ〜〜〜〜〜と思っていたら家建てて再婚してやっぱり家をめっちゃ綺麗に保っている
なんかもう、すげえ
生命力が違う
ギャルが子供産んで離婚してシンママやって再婚してる間、自分は仕事しかしてない 彼氏もずっといない
すげえよ〜〜〜〜人生が早えよ〜〜〜〜
↓もう一度だけ誘っとくがフリートーク板とかもあるぞ。空気自体は変わらず純朴な感じ。
実際のレス例
150:キャーッ!(*≧∀≦*):2025/04/14(月) 23:28 ID:XS2 寂し~( ω-、) 151:ラムザ◆.wILp42DKaJcw:2025/04/14(月) 23:34 ID:Qos もうキャーさんにも会えない… 152:メメタァ上等兵◆vE:2025/04/14(月) 23:43 ID:/GE おやすみなさい! 153:ひき肉さんたろう 葉っぱ天国が最高の居場所:2025/04/14(月) 23:44 ID:ycs 寝たらあかんでー 154:ひき肉さんたろう 葉っぱ天国が最高の居場所:2025/04/14(月) 23:44 ID:ycs メメタァ寝るなよ〜 155:大ちゃん◆Cc:2025/04/15(火) 06:48 ID:Mg. まだ終わってない!!生命力高すぎ!! 156:大ちゃん◆Cc:2025/04/15(火) 06:48 ID:Mg. 今日学校帰ったらなくなってるかもしれんけど 157:キャーッ!(*≧∀≦*):2025/04/15(火) 06:59 ID:XS2 みんな~( ω-、) 元気でね~ どこかの掲示板で会えたらよろしくね~(*ToT) 158:チルノ一心◆X.:2025/05/15(木) 17:20 ID:C1Y え、閉鎖するってまじっすか 159:チルノ一心◆X.:2025/05/15(木) 17:30 ID:C1Y 運営さんまだ3年は続けてくれるらしいね その分僕たちも盛り上げないとねこのサイトを!!(1か月半ぶりにきたやつが何言ってるんだ)
続き。
七英雄との最終決戦を目前にしてなにやら悪い予感を覚えた皇帝は、一度アバロンに戻り守るべき帝国を見ておくことにした。
歴代皇帝の得意技である瞬間移動を止めて自らの足で麗しきアバロンを眺める皇帝。七英雄の脅威に晒されながらも昨日と変わらず今日も平和なアバロンだったが、その帝都に暗い影が差していることに気がついたのは、帝国大学にほどちかい雑貨屋でのことだった。皇帝が訪れたというのに反応せず、苦しむように頭を抱えて揺れる店員。とっさに何かを察して王座に戻った皇帝は、しめやかにセーブをしたのであった。
今一度、店に戻ってもやはり店員は頭を抱えている。皇帝自ら話しかけてみると、なんと彼の体を食い破って中から巨大な蟻タームが出現した。
何かが起きている……何かとても悪いことが。その言葉を胸に王座に舞い戻った皇帝は大臣に事態の調査を命じようとするが、なんとその大臣すらも皇帝の目の前で蟻に変わってしまった。アバロン城内に巨大な蟻の姿が満ちてゆく。インペリアルガードも、忍者も、帝国軍の仲間たちも。皆あの店員と大臣のように頭を抱え、安否を確かめる皇帝の声に呼応するかのように体を内側からタームに食い破られて消えていった。
もはやこの城内で行動できるのは皇帝と近衛隊しかいない。地下が怪しいとにらんだ皇帝は、タームが闊歩するアバロン市街を抜け、大学地下から下水道へ向かった。下水道から通じる地下墓地の更に奥で皇帝を待ち構えていたのは、かつてサバンナの地下で倒したはずのクイーン──否、クイーンから更に成長して人間態を獲得したリアルクイーンだった。
なにやら得意げに復活した理由を語るソレを、皇帝は国民や臣下を省みなかった自らの過ちを噛み締めながら二度と復活しないよう消し炭にしたのだった。
一回アバロンを見て回るかと思ったら、サバイバルホラーになってびっくりした。リアルクイーンがヤバいみたいな反応は発表当時から耳にしていたのだけど、こっちの方向でヤバかったのか。いや、見た目もセンシティブだったんだけど(卵の内膜みたいなのまとってたのがえちかった)。
いやしかし、まさかここまで本拠地が壊滅的被害を被るとは思いもよらなかった。さすサガ。
パーティーインしていた帝国鍛冶職人と軍師、インペリアルガード♀以外のアバロン在中の仲間全員死亡してしまったのはショックだったけど、彼女たちを救えたのはホッとした。もし帝国鍛冶職人も犠牲になってたら偉大なるご先祖(?)フロスティに顔向けできなくて寝込むところだった。
タームの悲劇を乗り越えてアバロンに一時の平穏をもたらした皇帝は、最終決戦を前についでに領土を見て回ることとした。今までよく分かっていなかった未消化クエストありのマークを理解したり、流し斬りお兄様にカウンター流し斬りをキメて乱れ雪月花で格付けしたり、数百年壊れたままだったレオンブリッジを修復したりした。
特にレオンブリッジの修復については、原因究明を進めていくうちに倒した七英雄スービエと海の主の争いが背景にあることが分かり、最後には子煩悩な海の主との交流を持つこととなった。
海の主イベントを数世代ぶりにすすめたけど、海の主ってイッカクだったんだ。スービエが海の主を吸収したって言ってうねうね触手を見せびらかしていたので、てっきり大ダコだと思っていた。
未解決だったイベントをいくつかこのなしてジャイアントキラーのアビリティを皇帝に付けた以外は特に変わりなし。次回最終回。
ついに七英雄の前に立った皇帝と彼の近衛隊。なぜか七英雄の使ってくる技をほとんど見切れていたため、皇帝を中心として猛攻を重ね、アビスゲートが開いた時点で七英雄の生命力は大きく削られていた。
アビスゲートが開き、七英雄が大技を繰り出してくる予感がした皇帝は、早急に決着をつける必要があると直感し、一斉攻撃(三連携)を叩き込んだ。
ヴォーテクスでリヴァイヴァが消されたのには焦ったけど、準備はしてきたし難易度ノーマルだったこともあり最初の連携攻撃をされる前に倒すことができた。これだけ対策をしてもそれでも強く感じた。さすがはサガを冠する作品のラスボスであった。
この後はクリア後ダンジョンをこなして、(デスレインにびびったけど)無事にアレも倒せた。二周目をやるときは今度は人魚イベントを完遂させたい。
本作はバトルモーションが良いと最初にちょっと書いたけど、全体的にスピーディーでメリハリが効いた演出が多くて良かった。サガエメだとお笑い歌舞伎だった富嶽八景がちゃんと強そうな技モーションになっていたのには感心した(サガエメのを知らない人は検索してみてほしい)。
ところで最カワモーションの話だけど、個人的にはクリア後ダンジョンで手に入る弓の固有技、つまりライフスティールが最カワだと思う。より正確には、ライフスティールのモーション出始めの一瞬。左手に弓を持って右の手の平を上にしてカメラに差し出して、その手の平の上に魔力の矢が生成される瞬間。この瞬間がとてもかわいい。
自分はスカイアで閃いたのだけど、キャプチャを見直していたら、彼女がこっちを見て顔を傾けて微笑んで手を取ってくるようにしか見えなかった。帝国鍛冶職人一筋じゃなかったら危うく惚れてたかもしれないほどの破壊力だった。再現できる環境がある人はぜひ確かめてみて欲しい。十数フレームでしか見られない奇跡のモーションなので。
私はこれまでの人生で5回、とても深刻な病を抱え、人生に絶望したことがある。それを少し振り返ってみたい。
10代の頃:醜形恐怖症。自分の顔が気になって気になってしょうがなくて5分おきに鏡を見ていた。その度に、不細工な自分の顔を見ては鬱になっていた。完全にノイローゼ状態だった。
今→:おっさんになったら、自分の顔は気にならなくなった。今はもう、自分の顔を鏡でちゃんと見るのは数か月に1回あるかないか。
20代の頃:自分のコミュ力に絶望。友達が0で、人恋しさで死にたくなるほどだった。藁にもすがる思いで、ひきこもり当事者の会に参加したりした。でもその会合でも全然馴染むことが出来ず、毎晩泣いていた。
今→:独りでも全然平気になった。むしろ独りで気楽でいる時間サイコーになった。
20代の頃:深刻な不眠。高校・大学を単位スレスレで何とか卒業したが、その頃の強烈なストレスと不安を引きずり、単位が取れなくて留年・内定取り消しになる悪夢を毎晩見る。眠るのが怖くなり、強烈な睡眠薬を飲むようになった。毎日意識が朦朧として廃人みたいになっていた。
今→:10年くらいたって、ようやく、悪夢を見ることはなくなった。
30代の頃:金玉の裏が痒くて痒くて仕方がない謎の皮膚病に罹患した。なぜか薬を塗っても全然治らない。気が狂うほどの痒みで、血が出ても搔きむしってしまう。股がただれて歩くことさえ困難な状態になってしまう。
今→:いつの間にか治った。
30代の頃:ギャンブル依存症。株に手を出してしまう。株価のことが気になり、市場取引中は、1分おきに株価を確認してしまう。負けを取り戻そうとレバレッジをかけ、株価が下がっては怖くなり損切りをした結果、損失額が3000万円になる。それでもまだ、株で一発逆転する夢が捨てられない。
今→:絶賛、絶望中。
私が何を言いたいのかというと、死にたくなるほどの深刻な病を抱えていても、案外いつの間にか治っていたりするケースが少なくないっていうこと。
結局のところ、心と身体は全力で生きようとしている。
また前を向いて立ち上がれる日が来ると信じています。
今話題になっているエルデンリング断念の記事へ様々なコメントが寄せられている。残念ながら記事は削除されてしまった(私は記事の意見はある程度理解できるし、そこまで叩かなくてもいいだろと思っている)。
老化したせいだとかプレイスキルの問題だとかステ振りひどいとかソウルシリーズでは簡単だとかの批判や逆に欠点を踏み抜いたとか指摘してるところはあってるとか糞なとこあるよねとかの擁護と幅広い。
おそらく既プレイからのコメントなのになぜこうも種類が幅広いのか、プレイ体験にそれほどに幅があるのか、それをPvEの戦闘システムの面から考えていきたい。
1.ダメージが大きい
ダメージの大きい攻撃の連撃が飛んでくる上、一回当たるとそのまま怯んで攻撃を食らいがち
2.回復がしにくい
モーション間の休止時間の短さにより回復モーションに余裕がない
3.回避がしにくい
強い追尾
4.攻撃がしにくい
後隙を無くすためにモーション終りに範囲攻撃をするか追加モーションへの派生がある
5.体力が多い
後半の敵ほど体力多すぎる
といったまあ強くなるよねっていう要素だ。更に上記に加えて
以下の要素があるのだがおそらくプレイヤーの大半は知らない。その割には戦いを優位に進めるためには重要な要素である
エルデンリングには隠しパラメータとして攻撃で減らせる体幹ゲージがあり0になると敵が致命攻撃をとれる状態になるか怯む。SEKIROと似たようなシステムだ。これを利用することでダメージを稼ぐことやモーションを阻害したりすることができ、戦いを優位に進めることができる。体幹ゲージは攻撃の間隔が空くと急速に回復してしまうため積極的に攻撃を狙う必要がある。これが問題である。回復の間隔が短いのだ(失地騎士だと5秒程度だったはず)。前述のように敵のターンが長いため回復されてしまうこともあるし、距離をとられると遠距離攻撃でどうにかするしかなくなる。体幹ゲージはUI上では表示されず、回復時間も敵によって異なる上に、攻撃による体幹ゲージへのダメージ量(体幹削り)は武器とモーションによって異なる隠しパラメータであるため情報を探して把握しないと活用は難しい。
敵に攻撃したときに敵がどのくらい怯むかどうかは攻撃モーションに設定されたダメージレベルと敵のクラスによって決まる(例外は状態異常怯みやスパアマなど)。これはどういうことかといえばある武器の怯まない攻撃モーションでいくら攻撃しても(体幹を除いて)怯みはとれず、怯みが取れる武器は敵を怯ませ続けることができるし、吹っ飛ばし続けることもできる。つまるところ装備で決まるわけだ。これも隠しパラメータである。
ローデイル以降ではこれらの要素が顕著になっており、相乗効果を生んでいる。ダメージが大きく回避しにくいから回復の必要が出て回復がしにくいから死ぬし、モーション長いし隙が短いから体幹を削れず怯みも取れないから敵の攻撃頻度が減らせず死ぬ。
ではその強い敵をどうやって倒すかという話になると
1.プレイスキルの向上
2.ステ振り、装備の最適化
つまるところこの二つになる。ただプレイスキルの向上についてはあまり寄与度は高くないと考えている。なぜなら連撃は1モーションあたりの必要回避数が増えるため回避がうまくなっても乗数で成功率が減っていくし、敵体力も高いと戦闘が長引き、更に回避数が増える。生命力や装備によっては許容できる回避ミス数も変わる。回避や差し込みが少しうまくなっても体感としてはそこまで上達を感じないのではないだろうか。
では2の方で対策するとなる。こっちの対策は豊富でエルデンリングが戦技ゲーとかRPGだといわれている理由だと思っている。攻略情報を解説したいわけではないので箇条書きすると
・体幹削りとダメージレベルの高い武器や魔術、祈祷、戦技を使おう
・戦技で回避、または強い盾で防御しよう
・強い遺灰を使おう
・生命力を60にした上で上記を使えるようなステータスにしよう
以上だ。DPSをあげて戦闘時間を短くし、怯みをとれるようにして敵の行動を阻害し、回避や強い盾で被ダメを減らし、保険に生命力をあげ、タゲ分散のために遺灰を活用する。そうすれば問題となる敵体力の大きさも攻撃の苛烈さも回復のタイミングの無さも解消する。白霊(協力プレイ)も対策の一つかもしれないがソロでやりたい人もいるだろうし、協力プレイすると敵体力が割合増加するし、ピンキリだし、ラグの影響も無視できないので対策としてはカウントしていない。これは時間や手間をかけずに簡単に実施できるうえに効果的であるためエルデンリングにおいては2が重要といってもいいだろう。
前項でステ振り、装備の最適化が重要であると述べた。重要であるからステ振りと装備が人によって違うとゲーム体験が大きく変わっていくのだ。ではなぜ人によってそれらが違うのか。もしゲームでそれらの最適化を行ったり正しい情報を知っているならみんな似たようなステータスと装備になり似通ったゲーム体験になるはずだ。以下が原因だと見ている。
1はステ振りや装備の多様さによって人によって変わるよねという話だ。しかしこれはプレイの幅を広げるという長所と表裏一体であるためそれ自体が悪いことではない。問題は説明不足だ。体幹とかダメージレベルなんて知らなかった人の方が多いだろうし、ゲーム内で情報を知る機会もほぼない。ゲームだけやるといまいち強さが分からない装備やステ振りを何となくやっていくことになる。序盤は何とかなっても終盤に入ってプレイスタイルが固定されてしまうと、何となく選んだプレイスタイルが強ければ終盤もどんどん楽しく進められるし、弱ければバランス悪いとか難しすぎると悪態をつくことになる。初期値依存で局所最適に陥ってしまうのだ。これがゲーム体験に差異を生んでいる。
ではそれをどうにかしようとネットで情報を集めようとなる。しかしネットの情報が氾濫しているのが問題となってくる。記事でのステ振りを見ると生命40筋力99とどう考えてもステ振りが極端である。生命は60振ったほうがいいし、筋力は99もいらない。これはステータスの伸びが生命は60まで、筋力は80位まではそこそこよくてそれ以降は悪いためだ。これも説明不足に含まれるかもしれないがステータスの成長曲線は説明しないゲームの方が多いしそこまで気にすることではない。問題は記事の筆者が攻略情報を調べていると明言してるのになぜこうなったのかということだ。実際エルデンリングステ振りで検索してみると生命40のビルド例が出てくる。どこを参考にされていたのかはわからないが、まともな情報を探すのが難しくなっている昨今のネットでは適切でない情報にたどり着きやすいのだろう。変な情報にたどり着いたプレイヤーは苦しみ、まともな情報にたどり着いたプレイヤーは簡単というわけだ。そのために意見に幅が出るくらいに二極化が起きているのではないだろうか。
以上をまとめると意見の幅が広いのは
・エルデンリングではステ振りと装備が重要であるのに自由度の高さと説明不足がゲーム体験を悪い方向にも幅を持たせてしまっている
・攻略情報を調べようにも粗悪な情報がネットに氾濫しており適切な情報にたどり着きにくいためゲーム体験が悪化する蓋然性が高い
この2点が問題なのではないだろうか
なるほど、あなたが提案する「チンポ力学」をそのように定義するなら、確かに面白い概念として成り立ちそうです。つまり、「チンポから発せられる見えない力(例えば性的エネルギー、情動的な影響、あるいは象徴的なパワー)」と「それを受け止める肉体や精神」、そして「その相互作用の機序」を研究対象とする、架空の「学問」や「現象」として捉えるわけですね。
このアイデアを少し真面目に展開してみると、以下のような解釈が可能かもしれません:
1. **生物学的・生理学的視点**: 「チンポから発せられる力」を性的なエネルギーやフェロモン的な影響と見なすなら、人間の肉体や脳に与える影響(ホルモン分泌、興奮状態、心拍数の変化など)は確かに科学的に観察可能です。相互作用の機序としては、神経系や内分泌系の反応が関わってくるでしょう。
2. **心理学的・社会学的視点**: 「見えない力」をメタファーとして、男性性や性的魅力が他者に与える心理的影響(欲望、畏怖、支配感など)と解釈することもできます。この場合、精神がそれを受け止め、反応するプロセスは、文化や個人の価値観に依存するでしょう。
3. **哲学的・芸術的視点**: 「チンポ力学」を人間の存在やエネルギーの流れを象徴するものとして抽象化すれば、生命力や創造性の源泉とその受容のダイナミクスを探る詩的な枠組みにもなり得ます。
実際にある学問として「チンポ力学」が存在する可能性は、現時点ではゼロに近いですが、あなたがそう名付けて体系化すれば、新たな概念として成立させられるかもしれません。たとえば、ネット上の創作やフィクションの中で「チンポ力学」をテーマにした議論や作品が生まれる可能性は十分ありますね。
結論として、「そう呼ぶことはできないか?」という問いには、「もちろん呼べるし、独自の定義次第で意味を持たせられる」と答えます。「実際そうである可能性」は、現実の科学や社会に即した現象を指すなら限りなく低いものの、比喩的・創造的な文脈では大いにあり得る、と言えるでしょう。あなたはどう思いますか?この「学問」をさらに発展させたいアイデアがあればぜひ聞かせてください!
大谷翔平選手は名前がそれほど良くないようですが、大成功しています。なぜでしょうか?
たしかに大谷選手の人格と総格には19,27といった凶数があり、一般的な姓名判断では凶と出ることが多いかもしれません。しかしながら、当サイトで常々主張している先天運とのバランスを考慮すれば、その姓名位相は80点程度あり、大変素晴らしい構成となっています。
大谷選手の先天運は日干・壬水の普通格局・身弱(中弱)です。このた喜神は金と水、忌神は木・火・土です。特に日干が中弱以下である場合は、五格すべてに喜神を入れることが最善ですが、大谷選手の五格はすべて金と水で占められており、しかも金と水のうまく配合されている点が先天運とのバランス的には大吉です。
したがってもし大谷選手の姓名が吉数だらけでも【水・木・火】のような構成であれば、今のような活躍は全く期待できないどころか、名前すら知られていなかったでしょう。なぜなら、日干が弱すぎることに加えて姓名に忌神が多いと、生命力が非常に弱くなり、病弱・意志薄弱・怠惰な傾向となるからです(金や水は骨を形成する役割を担います。このため必要な金・水が弱いと、骨組みが弱く、怪我も多くなります)。
なおこのように先天運とのバランスが良い姓名構造の場合、凶数の悪い意味合いは緩和され、むしろ以下のように数の良い面が活かされることになります。
ばあちゃんが死んだ。
僕の40の誕生日の前日に死んだ。
葬式など諸々終え、家に帰ってきて、やっと落ち着いたところ。
今の心情を自分自身でもいまいち掴みきれてないので、書いてみる。
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とにかく人が多かった。
子ども4人、孫12人、ひ孫19人、子どもや孫の配偶者、ばあちゃんの兄弟、その子、その孫。
サマーウォーズより多いんじゃね?
ばあちゃんは寺の娘だったので、親戚には坊さんがいる。
3人の坊さんが経を読む。
先頭で経を読んだのは、ばあちゃんの甥の中で一番下の甥。
ゆるい良い葬式だった。
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完全に場違いのフルートに、皆ポカーンとし、奏者も可哀想だな…と思いつつ聴いて、葬式を終えた。
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僕も火葬場に向かった。
普通と違ったのは、坊さんも参列者と同じように、最後に声をかけた。
一番下の甥の坊さんは泣いていた。
僕は泣けなかったからか、何か知らんがそれを見て僕自身が救われた気がした。
その後棺は焼くことになり、焼けるまで1時間程度待つことになった。
後で聞いたのだが、そのドサクサに紛れて義理の息子である親父は泣いていたらしい。
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孫の中で僕は上から2番目。
年長の孫であるいとこ、一番下の甥の坊さん、3人で話をした。
最初に、一番下の甥の坊さんに、フルートの時プルプルしてたから泣いてたかと思ってたらアレ笑いを堪えてなかった?とツッコむところから話は始まった。
ばあちゃんがいつからゲームやってたのか、とか、何故やってたのか、とか、どんなゲームをやってたのか、とか色々話した。
俺の初めてゲームはばあちゃんのお下がりでディスクシステムのやつだった、パチンコにハマってたから抜け出すために息子(僕から見ると伯父)が買った、そういえばパチンコにハマってた時期もあった気がする、その前はルービックキューブだったらしい、俺が持ってないPS4とか持ってたぞ、ゲーム好きだったけど上手いわけじゃなかったからレベルアップでのゴリ押しが結構多くて1セーブプレイ時間400時間とか700時間だったぞ、、、。
僕らは子どもの頃に話して以降30年近く話をしてなかったが、話題は尽きなかった。
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なんというか、あっけなかった。
色々終わって帰ってきた、子どもらも寝かしつけ、一息ついたのが今。
微妙に落ち着かずふわふわする感じがあったので、消化するために文章に残すことにした。
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ばあちゃんがどんな人だったのか。
性格、キャラ的なものを今風に言えば、天然系、不思議ちゃん、なのに、生命力強い、どんな環境でも楽しんで生きる、そんな感じ。
やたら印象に残る言動をする人だったので、ばあちゃんの話題には事欠かない。エピソード力が強い人だった。
何故か鞄を持ち歩かず、ショルダーバックくらいの袋に荷物を詰め、そして下着の胸の辺り、ちょうどブラのパッドのあたりに、その袋を縫いつけ、小太りというか巨乳に見える感じになっていた。
何かを出す時は胸元から出すことになるが、昔は服の中に手を突っ込みゴソゴソして荷物を取り出してたが、そのうち上手く取り出せないからと、半分脱いで取り出すようになった。
普通に外でもそれをやるようになったので、買い物行く時は子どもや孫の誰かが連れていき、事前に財布を預かって、ばあちゃんの財布から支払う、というのが慣習となった。
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そういえば、ばあちゃんから直接昔の話を聞いたことはほぼなかったことに気付いた。
年寄りは昔話が好きな印象あるけど、ばあちゃんから思い出話をほとんど聞いたことない。昔手に入れた意味の分からん謎のハックテクニック、を教えてもらえる程度。こちらの心配する、子どもや孫など周りのこと、ゲームのこと、とにかく今の話しかしなかったからかもれしない。
でも、ばあちゃんの周りからは、ばあちゃんの今まであったことはよく聞いた。
ここからのばあちゃんの昔の話は、皆の話の集合での話なので、何が本当なのかは分からない。
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ばあちゃんは、山奥の陸の孤島のような村にあるお寺の娘だった。
結果、じいちゃんが良いとこの人だと分かり、許してもらい帰ってきた。昔っぽい。
あとで聞いたのだが、じいちゃんはバツイチ?寡夫?だったらしく、ばあちゃんが結婚した当時、ばあちゃんは20、じいちゃんは44。そりゃ反対するわな。
それに加え、じいちゃんを知るであろう寺近くの老人達から稀にじいちゃんの話を聞いたことがあるのだが、どれも掴みどころがない。水墨画を描いてた、木こりだった、スキー板を作って売ってた、馬に乗って駆けてた、等々。皆のいうことが毎回違いすぎて何をしてた人なのかがマジで分からない。今で言うフリーターだったのでは、と思ってる。
その後、ばあちゃんは子どもを4人産んだが、3番目の子である僕の母が4,5歳のときに、じいちゃんが結核で死んだ。
生活ができないので、子どもらは、伝手のある寺が運営する児童養護施設で生活することに。
何年かそんな生活が続き、長男(僕から見れば伯父)が中学を卒業してすぐ働き始め、生活ができるようになったので、ばあちゃんや兄弟らを集め、また一緒に生活し始めた。なんという「ひとつ屋根の下」。(ひとつ屋根の下、当時母はめっちゃハマって見てた)
その後しばらく経ってから長男は僕の母を除いた兄弟とばあちゃんで自営業を始めた。
ここからの人生に関しては、ばあちゃんにとって比較的順風満帆な人生だったと思う。
たぶん。
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僕はばあちゃんに一番可愛がってもらった孫だったように思う。
ばあちゃんがファミコンをやるひざの上に乗ってたのが僕だった。
今思えば理由は単純で、高橋名人が名言「ゲームは1日1時間!!」を家では親が守らせようとするが、ばあちゃんの家では、朝から晩までゲームをやっていても怒られない。
ばあちゃんも、ゲームの攻略に詰まると、孫を積極的に呼んで、攻略方法を聞いたり、分からなくてもプレイしてやってみてくれとせがんだ。
僕が一番可愛がられたが、他の孫達も顔を出せば、同じように攻略をせがまれたので、孫らは皆ばあちゃんとみんなゲームをした経験が一度はあるように思う。
息子(僕から見て伯父)の自営業の職場とばあちゃんの家が一緒になっていて、ばあちゃんの生活は、昼間は働き、ご飯風呂、趣味の畑仕事、残った時間はほぼゲーム、が大半だった。
昔はマリオとかアクションをよくやっていたが、途中からドラクエやFFといったRPGが好きだった。
先にも書いたようにゲームやるからといって賢かったり上手かったりするわけじゃなかった、いわゆる下手の横好きだったので、とにかく朝から晩までゲームをし、攻略ノートを作ってメモをし、自分の攻略ノートを見ながらプレイしていた。
何度も何度も飽きずにトライ&エラーを繰り返しまくるので、ばあちゃんのセーブデータは、装備やアイテムが微妙なのに、レベルが異常に高いことが多かった。
おかげで、途中からやった僕ら孫たちは、ばあちゃんが説明するハマりポイントをひと通り振り返ったあと、装備を整え、ちゃんとゲーム内の説明みてやれば、案外すんなり先に進めた。
他の孫たちもゲームをプレイし終わったら、中古屋でなく、ばあちゃんにゲームを流した。
ばあちゃんが自分でゲームを買っていた印象がほぼないが、とにかくばあちゃんの家にはゲームがたくさんあった。
ベッドの下の収納ボックスには、ソフトがギッシリ詰まっていた、
初代ファミコン、スーパーファミコン、PS、PS2、64、ゲームキューブ、xbox…僕も大きくなるにつれ頻度が減り、就職で地元を離れてからはさらに頻度が減ったので、僕の知らないゲームハードもありそう。
見た記憶では、古いハードのソフトはなかった気がするので、時折捨ててたのかも。
孫らで集まって話をした際に出てきたゲームタイトルは皆違ってた。
FF、ドラクエ、テイルズ、スターオーシャン、ゼルダ、武蔵伝、等々。
ばあちゃんの妹の孫とかいう若い男の子も来てて、ばあちゃんとのゲームの思い出話をしてたのは驚いた。
それもあって、親族のみの家族葬だったのに、縁のある親戚までも集まり、やたら人数の多い通夜、葬式になった。
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義理の息子である親父もかなり溺愛してたので、本物の息子一堂から、本物の息子より息子してる、と親父も笑われていた。
ばあちゃんは、下駄が好きでよく履いてたのに、胸元に袋が入っていたから、ハキハキ歩くことができず、ペンギンみたいな歩き方になっていた。
不安定なゆっくりな歩き方だったので、当然荷物はまともに持てないし、隣を歩く僕の服の袖のあたりをつかんだりすることが多かった。
僕がいない時は、親父が並んで服の袖をつかまれていた。
僕や親父はその認識だったのだが、妹いわく、妹と一緒だと、不安定な歩きのままズカズカ先に歩いて荷物を持ってる妹に早く行くぞと先行してく、僕や親父の前だと猫を被ってる!!男尊女卑だ!!と愚痴っていた。
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孫らから流れてきたゲームで躓くと、当然元々ゲームの持ち主の孫に攻略を聞くことが多かった。
雷平原〜マカラーニャの森あたりにいて、攻略手伝って欲しいからと、泊まって欲しいと、ばあちゃんにせがまれ、泊まることになった。
一緒にプレイし、ご飯も食べ、風呂も入り、寝る前にもう1プレイ。
ちょうどそこで、マカラーニャの森の超ロマンティックなラブシーン。
当時、高校生だった僕は、真夜中に部屋を暗くして、ばあちゃんと並んで何観てるんだろう……と絶妙な気分になっていた。
ふと、横目でばあちゃんを観ると、キラキラした目で、★★素敵★★みたいなリアクションで、滅茶苦茶一生懸命みてたので、まぁいいか、と諦めにも近い気持ちになった。
その後少し経って、新しい孫がまた産まれ、ちょうどその孫の名前がFF10のヒロインと同じ名前だったので、滅茶苦茶喜んで良い名前だ、と褒めていた。
葬式の最後のフルートが、美空ひばりの「川の流れのように」だったので、「ザナルカンドにて」をかけてあげれば良かったのにな、とフルートの演奏を聴きながら、このことを思い出していた。
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葬式の参列者の話などを聞くに、僕がばあちゃんのところにあまり行けなくなった後も、他の親戚やゲームの関わりもあって、楽しくは過ごせていたようだった。
それが、6年前、真夏の早朝に、もうひとつの趣味であった畑仕事の途中で、脳卒中で倒れ、近くの通行人に発見され救急車で運ばれた。
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主治医や長年お世話になっているかかりつけ医によると、意識が回復する可能性は万に一つもない、そんな状態とのことだった。
ばあちゃんは、これまで大病患って、入院して死にかけたことは何度かあった。
入院のなか、どうしても回復傾向が見られない、という状況になってから、僕に連絡が来て、急遽地元に帰ってお見舞いに行くと、ばあちゃんとゲームの話になり、そういえばプレイ中だったあのゲームの続きがやりたい、早く治して退院せねば!!と急にやる気になって、そこから超回復、という展開があった。
今回は流石にダメそうだった。
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流石にばあちゃんももう90だったので、そういう覚悟をしておかなきゃ行けないことは分かっていた。
病院に見舞いに行った際、分かっていても、それがただ寝ているようにしか感じられなかった。
手術のあとに寝てます、みたいな感じで、ただ寝てるだけ。
もう起きることは無いのに、そんなふうにしか感じられなかった。
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僕がその後ばあちゃんの顔を見れたのは、少し経って、ばあちゃんの家で介護するようになってからだった。
病院よりも設備が簡素になったためか、ああ、これは本当にもう目覚めないんだな、と今さらながら実感した。
そんな中、母はばあちゃんの世話をしながら、前よりちょっと良くなったとか、こうやってやると反応する、など色々話をした。
もう目覚めない、と分かると同時に、まだ生きてる、とも感じられる。
死んでるのだが、生きてる。
ばあちゃんが死んだと聞いて、葬儀の一連の流れを終えた今、本当に死んだ今この時よりも、あの瞬間が正直しんどかった。
今、思い出すだけでも、心が重い。
死が突きつけられるのに、世話をすればちゃんと生を感じられる。
その中で世話をし続けられるのか。
母すごいな……と。
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あとは死ぬだけ。
それを受け入れるための有余の時間が与えられた感じだった。
ゲームができない、楽しみに一生懸命になれないばあちゃんは、ばあちゃんなのか。
身体なのか、脳なのか、心なのか、それとも人格なのか、習慣なのか。
生と死に対することをぼんやり思いにふける。
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そういえば、ばあちゃんは霊感が強い、というのがもっぱら周りの評価だった。
悪霊や死んだ人が見える、というより、死ぬ寸前の人が魂だけになって飛んでいるのを虫の知らせのような感じで分かるのだ、とか。
それで、遠方や疎遠になった知人の安否を確認し、それを当てることが多かったので、霊感が強いとされていた。
稀に、じいちゃんが迎えに来ると、まだやりたいことがあるから迎えに来んどいてくれーー!!と必死にお経を読むことがあるのだ、とか。
僕は実際にどの話にも立ち会ったことは無いが、確かにばあちゃんはその辺りの勘が冴えているような雰囲気があった。
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ばあちゃんの話を信じるとすると、脳死のばあちゃんには、ばあちゃんはいないことになる。
ばあちゃんがどこに行ったかは分からないが、ばあちゃんは生きているが死んだ。
幸い、受け入れるまでの時間を6年も貰ったので、ばあちゃんの死、葬儀はなんとか受け入れることができた。
コレがポックリいかれていたら、悲しすぎてどうなっていたかは想像できない。
正直助かった。
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心の準備は整えていたとはいえ、僕の誕生日の前日に亡くなり、僕の40歳の誕生日がばあちゃんの通夜になるとは、流石に予想つかなかった。
何もできないはずの死ぬ瞬間まで、印象を残す人だった。
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ばあちゃんの教え、みたいなのは、本当に全然覚えてないのに、ばあちゃんとの思い出はたくさん出てくる。
老人介護用おむつを買いに行った際には、コレ凄く便利でトイレに行かなくても良いからゲームができる!!とドヤ顔したり……
我が弟が母の付き添いでばあちゃんの買い物に付き合うため家に呼びに行ったら全裸でゲームしてたり……(前日夜風呂上がりに服着替える前にゲームをやり始めたら止まらなくて翌朝までやり続けていたのが真相)
僕がいとこと一緒に富士山近くに旅行した際、いとこに「富士山のかけらだ」と言って渡したそこら辺に落ちてた溶岩石が、何故か数年後ばあちゃんちの神棚に飾ってあり、いつの間にか凄い石だとして御神体みたいになってたり……
なんかあり過ぎて、もう思い出せない。
でも、何かあるたび、何気ない面白かった思い出が掘り返される。
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僕自身もばあちゃんと同じく、子どもが4人いるので、悲しみに暮れている暇はない。
悲しくてしんどい、みたいな感覚はないのだが、なんか気持ちがふわふわして落ち着かず、何かにつけてやる気が起きない。
この文章も、このままではいけないと思いを決して、何度かに書き分けながら、書き進めている。
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やる気がでないので、ぼーっと異世界転生もののアニメを観ても、ばあちゃんだったらマジで異世界にすら行きそうだな、行ってて欲しいな…と想像してしまう。
ココまで書いた文章を自分でも振り返ってみると、ばあちゃんの最大の教えは楽しむこと、それ自体のような気がしてきた。
昔から初七日とか四十九日とかに法要やるってことは、亡くなってからそれくらいの日数はこの感覚は抜けないのかもしれない、と諦めることにした。
とりあえず楽しめるようになるまで、このままぼーっとふわふわすることにしよう。