はてなキーワード: 1999年とは
フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分のPC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。
なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのである。プログラムを組んで実行できる最初のマシンは、高校のときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくまで電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。
パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代に突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。
これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲームの感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?
小さい頃から、電気・電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗、コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックにトランジスタや抵抗などが入っており、ブロックをボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;
因みに、私がアマチュア無線の免許を取得したのは、小学生のときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。
当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオの製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。
まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路の動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。
そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオのプログラム電卓「FX-502P」である。
これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。
プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプションが必要だが(買った)、普通のラジカセなどを使ってカセットテープにプログラムを記録するのである。
あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである。
学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。
で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MA2である。
当時は、既に16ビットパソコンのPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?
それは、パソコンでゲームがしたかったからである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルでコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである。
とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。
何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのである。しかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在である「ソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである。
世間では、「クソゲー」との評価が一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界が存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのである。ストーリーは、最初は与えられず、発見したものだけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコンの時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである。
「ドラクエ」シリーズで有名なエニックスのアドベンチャーゲーム(AVG)。
不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。
今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家、松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的なダンジョンとはひと味違うのである。
ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。
1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームがハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。
今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。
かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである。
このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスターが女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである。
このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである。何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム、特に、グラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。
そんな中で、この「カオス・エンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。
また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンスな雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。
しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きがゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。
当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターもののゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラ系ゲームを続々と発売していた。
このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画「うる星やつら」をゲーム化したものである。
ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。
マルチエンディングや時間の概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。
フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。
フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後のどんでん返しが強烈でした。
そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…
これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである。
ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。
これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストップキーでゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。
そして、NECの8801,9801シリーズのパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタに印刷することができる。
なんか、「流行だから適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。
…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコンの時代へと、大幅に突入したのだった。
そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;
パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)
今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクトに収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。
それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。
これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。
でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。
あと、このマシンから、パソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから。
当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像をダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。
このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。
このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。
上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスクに書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっと寂しかったが。
なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。
「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点を排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。
「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。
これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しかも大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビアな時間の概念。所持金の存在も内容に深みを与えています。
さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲームが破綻しないものだ。
そして、何より高校生最後の夏休みという、絶妙のセッティング。
とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的なゲームでした。
後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしい Permalink | 記事への反応(1) | 12:53
安住淳氏が公明党と創価学会の関係、および「政教分離」について踏み込んだ発言をした記録として最も有名なのは、1990年代後半から2000年代にかけての自自公・自公連立政権の成立期、および2022年の旧統一教会問題に関連した議論です。
安住氏は、特定の宗教団体が選挙を通じて政治に強い影響力を持つことに対し、一貫して批判的なスタンスを取ってきました。
安住氏の発言や政治的行動において、公明党・創価学会の関係について触れる際は、主に以下の3つの観点から論じられています。
自公連立が定着する過程で、安住氏は「宗教団体の組織票が国の重要な政策決定(憲法改正や安保法制など)を左右する現状は、憲法の政教分離の精神に照らして健全なのか」という問いを繰り返し投じてきました。
1999年の自自公連立政権発足時などには、若手議員として「特定の宗教団体の意向が閣内に入ることで、中立的な行政が歪められる懸念がある」といった趣旨の批判を展開しています。
安住氏は選挙の現場に強い政治家として、自民党が公明党(創価学会)の票に依存している構造を「自民党の主体性の喪失」として批判します。
「自民党は学会票がなければ当選できないのではないか」という指摘を通じ、間接的に公明党の政治的影響力が強すぎることを問題視する発言が散見されます。
2022年、旧統一教会問題が社会問題化した際、安住氏は国対委員長として、単に統一教会だけでなく「政治と宗教の距離感全般」を見直すべきだと主張しました。
この際、公明党側からは「十把一絡げにするな」との反発もありましたが、安住氏は「どの団体であれ、政治的な意思決定に特定の宗教が深く関わることへの国民の不安に答えるべきだ」という論陣を張りました。
安住氏の発言は、厳密な法学的議論というよりも、「自民党の弱みを突く」ための政治的武器として政教分離を持ち出す傾向があります。
「公明党に配慮して政策を曲げている」と自民党を揶揄することで、与党内の亀裂を誘う戦術的な発言が多いのが特徴です。
2024年の盛山文科相(当時)への追及時にも、「宗教法人を所管する文科省のトップが宗教団体と密接な関係を持つこと」の危うさを説く中で、公明党の立ち位置を意識した牽制を度々行っています。
3枚め、4枚めには重めのボードゲームが多くなさそう。
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以下は特に説明も不要そうなので基本的にタイトルのみ表記とする。
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たぶん次で最後。
ベネズエラの混迷は、単なる国内の政治対立に留まらず、石油資源を巡る地政学的な利害と、米国の「政権交代(レジーム・チェンジ)」への野心が深く関わっています。
ベネズエラの権力構造は、1999年に就任したウゴ・チャベス前大統領によって形作られました。
* チャベスのボリバル革命: 石油収入を貧困層の支援に充てる社会主義政策で圧倒的な支持を得ましたが、同時に軍部を政治に深く組み込みました。
* マドゥロの継承と崩壊: 2013年に後継者となったニコラス・マドゥロは、カリスマ性の欠如と原油価格の下落により経済を崩壊させました。ハイパーインフレと物資不足により国民の支持を失う中、マドゥロは軍部と司法を掌握し、強権的な独裁体制へ移行しました。
米国は長年、ベネズエラを「中南米における反米の拠点」と見なし、マドゥロ政権の転覆を図ってきました。
経済的圧力: トランプ政権下で本格化した原油禁輸措置などの制裁は、マドゥロ政権の資金源を断つことを目的としていました。
* 暫定大統領の承認: 2019年、野党指導者フアン・グアイドが暫定大統領を宣言すると、米国はいち早くこれを承認。マドゥロを「不当な占領者」と呼び、外交的に孤立させました。しかし、この時点では軍部の切り崩しに失敗し、マドゥロは政権を維持しました。
2024年の選挙は、マドゥロ政権にとって最後の正当性の砦でしたが、大規模な不正疑惑により逆効果となりました。
野党の勝利と弾圧: エドムンド・ゴンサレスを支持する野党連合が実質的に勝利したと国際社会(米国、EU等)が認定。これに対し、マドゥロは武力で抗議を鎮圧し、多くの死傷者を出しました。
米国の戦略変更: この選挙を機に、米国は外交交渉による解決を断念し、より直接的な介入(司法・軍事的な圧力)へと舵を切ったと考えられます。
2026年1月3日、事態は劇的な局面を迎えました。米国は、マドゥロを単なる政治的敵対者ではなく、麻薬密売に関わる「テロリスト」として起訴し、軍事力を行使しました。
米国の直接介入: デルタフォースによる「アブソルート・リゾルブ作戦」により、マドゥロ大統領が拘束され、ニューヨークへ連行されました。トランプ大統領(再選後)は、これを地域の安全保障を守るための正当な法執行と主張しています
内通者の存在(軍の分裂): この作戦を成功させた決定打は、軍内部の裏切りでした。ハビエル・マルカノ・タバタ将軍は大統領親衛隊のトップでありながら、CIAなどの米国諜報機関に協力し、大統領の居場所をリーク。さらに防空システムを停止させたことで、米軍の無傷の急襲を可能にしました。
マドゥロ不在となった今、ベネズエラは極めて不安定な「権力の空白」状態にあります。
デルシー・ロドリゲス暫定政権: マドゥロの側近であったロドリゲス副大統領が暫定政権を率い、マルカノ将軍を「裏切り者」として逮捕するなど、軍の浄化と体制の立て直しを急いでいます。彼女はロシアや中国などの支援を頼りに、米国の介入を「主権侵害」と非難しています。
* 野党勢力と米国の思惑: 野党のゴンサレス側は、米国を背景に新政府の樹立を目指していますが、依然として軍内部に残る親マドゥロ派や武装集団(コレクティーボ)との衝突が続いています。
* 諜報工作: 軍部高官(マルカノ将軍ら)への接触と切り崩し。
* 直接的軍事行使: 「ナルコテロリズム(麻薬テロ)」を大義名分とした大統領拘束。
現在、ベネズエラは「軍内部の分裂」「親マドゥロ派の残党」「米国に支持された野党」という三つ巴の争いに加え、石油利権を巡る国際社会の対立が激化しています。マルカノ将軍の逮捕に象徴される「内部の裏切り」は、長年の独裁体制を支えてきた軍の忠誠が、米国の圧力と経済困窮によって完全に崩壊したことを示しています。
「なのに国民が貧しい国」
でもこれ、最近いきなり起きた不幸じゃない。
👉 この時点で「少数が持ち、多数が持たない」社会が完成
でも👇
👉 国は変わっても格差の中身はそのまま
でも👇
👉 格差は縮まず、覆い隠されただけ
👉 「平等」は仕組みではなく、配り方で作っていた
結果👇
👉 同じ国に住んでるのに、別世界
👉 独立前にすでに
でも👇
国ごとに違うけど中身は同じ。
多くの国が👇を繰り返す。
👉 中道が定着しにくい
👉 「人が変われば国も変わる」幻想
→ 独立後も温存
→ 格差拡大
→ ポピュリズム
→ 財政破綻 or 停滞
と主張するのも逆に約50%を占める大学や短大・高専を透明化してると言えるんじゃないの?
あと「就職率」って言ってるけどもしかしてこれ「有効求人倍率」の事?
就職率は就職氷河期世代が0.49倍 (1999年)でリーマン・ショック世代が0.45倍 (2009年)な
そしてリーマン・ショック世代の最も低いときは0.42倍(2009年8月)で、就職氷河期世代の0.47倍(1999年7〜9月)
https://www.mhlw.go.jp/www2/info/hakusyo/000627/000627-1-1.htm
有効求人倍率は1999年平均で0.48倍となり、比較可能な1963年以降で最低となった。四半期別にみると、1999年1~3月期0.48倍の後、4~6月期、7~9月期0.47倍と過去最低水準の後、10~12月期は0.49倍、2000年1~3月期0.52倍と上昇し、6四半期ぶりに0.5倍台となった
似ているようで全く別の指標なんだけど
ナチュラルに新社会人は30代人口の約50%しか占めない大学や短大・高専しか居ないと思ってるやつだったか
民間資料じゃなくわざわざ厚労省資料を探してきてやったからちゃんと確認してから語ろうな
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/11/dl/02-2.pdf
ちなみに30代人口の約50%を占める高卒以下の当時の就職率は就職氷河期世代が0.49倍 (1999年)でリーマン・ショック世代が0.45倍 (2009年)な
そしてリーマン・ショック世代の最も低いときは0.42倍(2009年8月)で、就職氷河期世代の0.47倍(1999年7〜9月)を下回ってるんだわ
多分最年少だよ。
* 第74回(2023年):MISIA 「紅白スペシャル2023」
* 第72回(2021年):MISIA 「明日へ 2021」
* 第70回(2019年):嵐 「嵐×紅白 スペシャルメドレー」
* 第69回(2018年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第67回(2016年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第65回(2014年):松田聖子 「あなたに逢いたくて~Missing You~」
* 第63回(2012年):SMAP 「SMAP 2012'SP」
* 第62回(2011年):SMAP 「SMAP AID 紅白SP」
* 第61回(2010年):SMAP 「This is love'10 SPメドレー」
* 第59回(2008年):氷川きよし 「きよしのズンドコ節」
* 第54回(2003年):SMAP 「世界に一つだけの花」
* 第53回(2002年):五木ひろし 「おふくろの子守唄」
* 第49回(1998年):和田アキ子 「今あなたにうたいたい」
* 第29回(1978年):沢田研二 「LOVE(抱きしめたい)」
* 第20回(1969年):美空ひばり 「別れてもありがとう」
https://x.com/i/status/1983745679433269398
このCMへ対して一部のユーザーが「M.U.G.E.Nじゃねぇかw」の様なコメントを付けている。
この「M.U.G.E.N」こそが格ゲー界の公然の秘密である。
M.U.G.E.Nとは、1999年にElecbyte社が公開した、ユーザー拡張型の2D格闘ゲームエンジンだ。「キャラクターやステージを自由に自作して追加できる」という画期的な仕様により、本来なら交わるはずのない別作品のキャラ同士を戦わせる「ドリームマッチ」を実現できるツールとして、2000年代のネットの片隅で熱狂的な支持を集めた。
だが、このエンジンには致命的な「暗部」がある。
全盛期に最も広く利用された「WinMugen」と呼ばれるバージョンは、実は正規にリリースされたソフトウェアではない。
開発元のElecbyte社が一度消息を絶つ直前に、本来は非公開だった次期バージョン(Mugen 1.0)のベータ版が何者かによってリークされ、それがアングラサイト経由で広まったものなのだ。つまり、WinMugenを使っている時点で、それは「流出した未完成の開発データ」を勝手に使っている状態に他ならなかった。
正直に申し上げて、M.U.G.E.Nというコミュニティは、このエンジンの出自も含め、著作権的に見れば限りなく真っ黒に近いグレーだ。
「キャラクターやステージを自由に自作して追加できる」という画期的な仕様は、実質的に「既存の商用格闘ゲームのキャラクターをファンメイドで移植できる」環境を意味していた。
つまり、スプライトのぶっこ抜きである。この事実は否定しようがない。
だからこそ、格闘ゲームのプロプレイヤーや開発者、そして我々のようなコアな格ゲーマーにとって、M.U.G.E.Nは長らく「名前を言ってはいけないあの人」のような存在だった。
みんな知っている。家でこっそり触ったこともある。でも、表立って「M.U.G.E.Nで遊んでいます」とは口が裂けても言えない。そういう「公然の秘密」として、格闘ゲーム史の影に存在し続けてきた。
けれど、あえて今、その「技術的・文化的な功績」についてだけは語らせてほしい。
法的な問題を一旦脇に置いて(肯定するわけではないが)、なぜあそこにあれほどの熱量が生まれたのかを言語化するならば、「あれはプログラムによる同人活動だったから」という結論に行き着く。「絵」ではなく「挙動」を模写するのだ。
同人作家が、好きな漫画のキャラクターを愛ゆえに模写し、自分の手で二次創作漫画、そこから更に発展してBL同人などを描くようにだ。
M.U.G.E.N職人と呼ばれた人たちは、好きな格闘ゲームのキャラクターを愛ゆえに解析し、自分の手で動かそうとしていた。
彼らにとって、リュウの波動拳やテリーのパワーウェイブのドット絵は、単なる画像素材ではない。「完成された美」であり「憧れ」そのものだ。
しかし、画像をM.U.G.E.Nに持ってきただけでは、それは動かない。
憧れのあの技を放つためには、中身のエンジン……つまりプログラムを、自分たちの手で一から組み上げる必要があった。
彼らがやっていたのは、MS-DOS時代から続く古臭い仕様のスクリプト言語を駆使して、最新ゲームの挙動を「コードで模写する」という作業だった。
これは、プログラマーやゲームデザイナーにとっての一種の「写経」であり、エンジニアリングの側面から愛を表現する手段だったのだと思う。
さらに特筆すべきは、単なる模倣に留まらない「実験場」としての側面だ。
M.U.G.E.N界隈には、既存の格闘ゲームの枠組みには収まりきらないアイデアを形にするクリエイターたちもいた。
ドット絵からアニメーションまで全てを一から描き起こした「完全新規オリジナルキャラクター」の制作。あるいは、商業ゲームならバランス崩壊として即座にボツになるような、複雑怪奇かつ斬新なシステムの実装。
「売れるかどうか」を考える必要がない同人活動だからこそ、そこには尖ったアイデアが無数に投入されていた。
プレイヤーが操作することを放棄し、キャラクターに搭載されたAI(人工知能スクリプト)同士を戦わせる。
そこでは「いかに強いAIを書くか」というプログラミング競争が勃発し、時にはゲームのプログラム仕様の隙を突くような「凶悪キャラ」「神キャラ」と呼ばれる人知を超えた存在が生み出された。
そして、それらが公平に戦えるよう、有志によって厳格なレギュレーション(階級分け)が整備され、毎日のように動画サイトで大会が開かれる。
これは、ある種の「レジェンド級プロ格ゲーマーを超えた理論値格ゲープレイのシミュレーション」であり、eスポーツとは全く異なるベクトルでの技術的進化だったと言える。
現在では将棋や囲碁などのAI同士が対戦し、その強さを競うことは珍しくないがM.U.G.E.N界隈ではそれらよりもずっと前に対戦AIを専門的に書く人たちが認知されていたのだ。
漫画界で「同人出身」がある種の実力の証明(例えば高い評価を受けていた同人作家が商業誌での新連載が決まり、同人作品を知る一部界隈で話題)になるように、実はゲーム業界にも「M.U.G.E.N出身」の才能が確実に存在する。
例えば、Steamで世界的な評価を得た2D格闘ゲーム『Skullgirls』や『Indivisible』でリード・アニメーターを務め、『熱血硬派くにおくん外伝 リバーシティガールズ』にも関わったJonathan "Persona" Kim氏は、かつてM.U.G.E.N界隈で伝説的なスプライト改変職人として知られた人物だ。
また、セガ公式の『Sonic Mania』でコンポーザーを務めたTee Lopes氏も、キャリアの初期にはM.U.G.E.N等のファンゲームへの楽曲提供で腕を磨いていた。
最近の例では、ホロライブのファンメイド格闘ゲーム『Idol Showdown』が記憶に新しい。
このゲーム自体はUnity製だが、プロジェクトを牽引したGura_D氏や、美麗なドット絵を統括したアートリードのSodan氏は、海外のハイレベルなM.U.G.E.Nプロジェクト(Hyper Dragon Ball Zなど)出身のベテランだ。
彼らにとってM.U.G.E.Nは、GitHubやUnityが普及する前の時代における、ポートフォリオであり実験場だったのだ。
もっとも、彼らのように自らそれを語り、その出自が明るみに出ることは業界の慣習としては稀なケースなのかもしれない。
プロ格ゲーマーを含めた多くのプロフェッショナルたちが、過去の経歴としてM.U.G.E.Nを語ることはない。そこには、あえて触れないという「暗黙の了解」が、今も静かに横たわっている。
「俺ならもっとこう動かす」「もしもこのキャラとあのキャラが戦ったら」という妄想(IF)を、絵や文章ではなく、実際に動くゲームシステムとして出力する。
それは紛れもなく「挙動の二次創作」と呼べるものだったはずだ。
現在はYoutubeなどのSNSを通して格ゲー界のプロフェッショナルへ気軽に話しかけられるようになったが決してM.U.G.E.Nの話を振ってはいけない。無視されるか立場上、表面上、便宜上M.U.G.E.Nを否定する発言しかしないだろう。
二次創作の経歴がある人へ「盗作ってどう感じますか?」と質問しても多くは「悪いことだと思う」と返すしか無いはずなのだから。
現在は、Ikemen GOのようなMITライセンスのオープンソースエンジンが登場し、エンジンの権利問題はクリアになった。Steamでは『The Black Heart』のように、この系譜から生まれたインディー格闘ゲームが正規に販売され始めている。
かつてのM.U.G.E.Nが抱えていた著作権侵害の罪は消えない。
しかし、「憧れのキャラを自分の手で動かしたい」というあの熱量と、そこで培われた技術的土壌までを「黒歴史」として封印してしまうのは、あまりに惜しい。
あれは無法地帯だったかもしれないが、同時に、間違いなく数多くのクリエイターを育てた、一つの巨大な「同人界隈」でもあったのだ。
ソ連という共通の敵を失ったことによって中国と西側諸国の友好関係が薄れていき、天安門事件によって決裂が明らかとなり軍事技術的にも独自路線を歩み始めた時期 そして第三次台湾海峡危機でアメリカの圧倒的な軍事力を目の当たりにしたことが、中国海軍のその後に大きな影響を与える
★劉華清 江沢民の後見人として党中央政治局常務委員と党中央軍事委員会副主席に任命される
051G型駆逐艦(旅大III型) 1番艦 湛江 就役 051DT型の発展版 フランス・イタリア・イギリスなどから導入した兵器の国産化を試みている
★052A型(旅滬型)駆逐艦 1番艦 哈爾浜 起工 西側技術を大規模に導入し、中国初の外洋型近代的駆逐艦として建造された
対空ミサイルやレーダーはフランス製、主機のガスタービンエンジンはアメリカ製、ディーゼルエンジンはドイツ製を導入、哨戒ヘリコプターはフランス製のライセンス生産
★湾岸戦争開始 米軍による一方的な空爆を目の当たりにし自国の防空システムの限界を認識した中国は、新しい防空ミサイルシステムHHQ-9Aの開発に着手
★ソビエト連邦崩壊 中華人民共和国の第一仮想敵国はロシアから台湾を支援するアメリカ合衆国に変わった
053H2Gフリゲート(江衛型) 1番艦 安慶 就役 053H2型に個艦防空ミサイルと艦載機の運用能力を付与したもの。
1989年の天安門事件を受けて西側からの軍事技術供与が停止されたため、2番艦以降は1番艦とは異なる構成になっている
2番艦ではガスタービンをウクライナ製UGT-25000(DA80)ガスタービンエンジンにしている。
053H1G型フリゲート(江滬V型) 1番艦 自貢 就役 053H2型フリゲート
プロジェクト877EKM(キロ級)潜水艦 1番艦 袁正64 就役 中国が初めて入手した近代的ディーゼル潜水艦
中華民国が遷台してから史上初めて正副総統の直接民選選挙、李登輝当選
アメリカは2つの空母戦闘群を派遣、ミッツ空母戦闘群は台湾海峡を通過した
中国軍はアメリカの空母戦闘群に対し何もできず、アメリカが台湾を支援した場合は止められないことを理解し軍備増強を大幅に加速した
艦隊防空能力強化のためロシアにソヴレメンヌイ級駆逐艦2隻を発注(中国語では「现代级」と表記されることから何を期待していたのかが理解できる)
対空戦能力を有する国産のミサイル駆逐艦整備計画が着手、複数のタイプ(052B型と052C型)の駆逐艦を少数建造し設計とプロトタイピングを繰り返すスパイラルモデルでの開発が始まる
970型試験艦 就役 HQ-9A艦対空ミサイル、HQ-16艦対空ミサイル、Vertical Launching System、フェーズド・アレイ・レーダーのテストを行う
プロジェクト636(改キロ級)潜水艦 1番艦 袁正66 就役
956-E型(ソヴレメンヌイ級) 1番艦 杭州 就役 艦隊防空機能を有し、射程160kmの超音速対艦巡航ミサイルSS-N-22(P-270)を搭載しアメリカの空母戦闘群の接近を阻止する役割を担う
中国国産ディーゼル潜水艦で旧式化した035型に替わる新世代の潜水艦として建造
ロシア製兵器、フランス製戦闘システム、ドイツ製ディーゼル・エンジンを搭載した
052A型をベースとした中国版ソブレメンヌイ、本命の広域防空艦は052C型で052B型はその保険
国産で新開発のHQ-9艦対空ミサイルやフェーズド・アレイ・レーダーの完成は間に合わないため、ロシア製対空ミサイルシステムを搭載して建造
ZKJ-5戦術情報処理装置 今まではイギリス製をコピーしたZKJ-3かフランス製をコピーしたZKJ-4しかなかったが、新規開発された国産戦術情報処理装置をテスト
通信設備としてHN-900(中国海軍の第1世代戦術データ・リンク装置)を採用
ウクライナからSu-33の試作型T-10K-3を入手、後にJ-15の開発につながる
国産で新開発のHQ-9艦対空ミサイルやフェーズド・アレイ・レーダーを搭載した中国人民解放海軍の本命
039A型潜水艦(元型) 1番艦 330 就役 プロジェクト877EKM(キロ級)の経験で得られた技術を、039型潜水艦に盛り込んだ性能向上タイプ
従来の中国海軍のフリゲートと比較して武装のレベルが極めて高い、また船体の大型化によって外洋航行能力も大幅に向上している
054A型のテストベッドとしての性格があり、建造は2隻に留まった
2004年に就役した蘭州と共に、新世代艦のプロトタイプとして性能・運用試験を実施
094型原子力弾道ミサイル潜水艦 1番艦 411 就役 092型からは大幅に進歩したが未だ米英露仏のレベルには至らず
なお2005年当時の中国軍の評価は以下のようなものである、きわめて妥当な評価で当時の中国海軍がまだ立ち遅れていたことがよくわかる
■中台の軍事バランス ―中台の安全保障戦略に与える影響―(2005年5月発行)
中国は、約3,200 機の作戦機を保有しており、編制上桁違いの優位があるが、第4世代戦闘機を150機程度しか保有していない〔USDoD, 28 July 2003, p. 23〕。
しかも、中国空軍の訓練時間は、新型戦闘機のパイロットを優先的に長時間訓練させていると見られるものの、全体として西側空軍の常識から見て極端に少なく、メンテナンスも劣悪で故障も多く、また1日に大量の航空出撃を実施するような演習をほとんど経験していない〔Allen, 1997, pp.224 –232〕。
このため、中国空軍の作戦機が台湾攻撃に必要な高い練度を獲得するには今後長い時間が必要である。
他方台湾空軍は、すでに F-16、ミラージュ 2000-5、および経国号を配備完了しているため、旧式機から第4世代への換装をほぼ終えている。
空中戦の態様は、戦場が中国から離れた台湾の航空管制の範囲内であり15、台湾側の方が各種装備が優越し、練度も高いため、台湾空軍側に有利に展開するものと推定されている。
特に、F-16 用のアムラーム・空対空ミサイルの売却が 2003 年に実施されたことにより、台湾空軍の空戦能力は飛躍的に向上した。
しかも、中国が保有している Su-27 および Su-30MKK の性能は、電子戦能力と戦闘能力において台湾が保有するミラージュ 2000-5 におよばないとされるし、遠距離からの攻撃では経国号の装備が勝っているとされる16。
このため、大幅な改良を加えない限り、Su-27 は量産されても台湾空軍に対して質的な優位を確保することができないと考えられ
中国海軍の水上艦艇の特徴は、艦隊防空能力(特にミサイル防御能力)が極めて低い一方で、対艦ミサイルの数量が圧倒的に多いことにある。
このため、中国海軍は防御を省みることなく攻撃を仕掛けることになる〔McVadon, 1997, pp.259-260〕。
ところが、中国海軍の水上艦艇には、視界外レーダー(OTH レーダー)がなく、敵の位置を計測してその対艦ミサイルのアウトレンジから対艦ミサイル攻撃をかけることが困難である。
このため、対艦ミサイルの「数の優勢」は当てにならず、中国海軍の水上艦艇は台湾軍が保有する大量のハープーン対艦ミサイル等によって多大な損害を受けることが必至である〔McVadon, 1997,pp.259-260〕。
HHQ-16艦対空ミサイルを装備し、中国海軍のフリゲートとしてははじめて艦隊防空能力を有する
054型はミサイル発射機を備えていたが、054A型では32セルVLSへ進化している
以降『40隻』を超える大量建造が行われる
052C型4隻の追加建造
2004年、2005年に就役した052C型2隻をプロトタイプとして性能・運用試験を実施し完成度を高める為の研究が行われた、結果2008年には艦隊防空艦としての完成をみた
052C型の発展型として052D型駆逐艦の開発が進んでいたが実用化には相応の時間を要するため052C型駆逐艦の追加建造が決定
残念ながら、統計や現実の体験談を踏まえると、日本社会では「白人と黒人で扱いがかなり違う」傾向は確かにあると言えます。整理して説明します。
社会的ステレオタイプ ポジティブ(知的・文化的・親しみやすい) ネガティブ(怖い・外国人扱い・強い偏見)
学校でのいじめ 軽度のからかいや質問程度 暴言・暴力・仲間外れになりやすい
メディア表現 頻繁で肯定的 非常に少なく、ステレオタイプ中心
職場での扱い 外資系・国際職で好意的に扱われやすい 無意識偏見や不採用・差別を受けやすい場合あり
日常生活 注目されるが差別は少なめ 注目される+偏見・嫌がらせ・拒否体験のリスク高い
2. 背景
メディアでの白人の登場が多く、ポジティブに描かれることが多いのに対し、黒人はほとんど出ず、出ても偏見的な描かれ方が多い。
そのため、無意識のうちに「白人は歓迎」「黒人は怖い・異質」と捉えられる社会構造があります。
3. 影響
注目はされるが、社会的には有利に扱われることが多い。
まとめ
日本では、外見や肌の色に基づく差別が現実に存在することは否定できません。
特に黒人は、白人に比べて差別の対象になりやすく、その経験は学校や職場で長期的に影響することがあります。
都市部・国際的な環境・家族や友人のサポートがある場合は軽減できますが、構造的な不平等は依然として存在します。
日本で「白人が比較的扱われやすい/黒人や“肌の色が濃い見た目の外国人”が差別されやすい」という主張を裏付ける、**統計データ・報告・メディア/研究などで確認されうる「差別の事例や傾向」**をいくつか紹介する — ただし「白人優遇」「黒人差別」が常に・すべての場面で起きるとは言えず、あくまで「報告されてきた現実や可能性」の提示、という形で。
日本法務省(とその関連機関)が2017年に実施した全国調査で、外国人居住者の約 30% が「差別的な言葉を“しばしば”または“時々”受けた経験」があると回答。
同調査では、 住宅の賃貸などで「外国人お断り」 といった拒否を経験した人が、物件を探した者のうち約 4割 に上った。
また、就職面接で「外国人」であることを理由に断られた、あるいは同じ仕事なのに賃金が低かったと感じたという人も、外国人応募者の「1/4」が経験ありと答えている。
→ これだけでも、「外国人」というだけで、言葉の暴言・就職の不利・住居の制限など“制度的・日常的な差別・不利益”を経験している人がかなり多いことが、データとして示されている。
・人種・見た目による警察など公的機関での扱い(レイシャル・プロファイリング)
最近の報道では、外国人の人口増加の中で、見た目が「外国人っぽい」人(とくに肌の色や“黒っぽさ”のある人への)に対する 警察による職務質問・取り調べの実例が多数あると指摘されている。
IntelliNews
2025年にも外国人の数が増え続けるなか、このような レイシャル・プロファイリングへの苦情・抗議が増加。多くの外国人が「日本では顔や肌の色だけで犯罪者扱いされる」「外見で差別される」と語っている。
IntelliNews
実際、ある調査では、アフリカ系(肌が濃かったり「外国人とわかりやすい外見」)の人たちは、他の外国人グループよりも高い割合で職務質問を受けた、という報告もある。
→ つまり、「肌の色・見た目で外国人と判断されやすい人」は、たとえ日本に長く住んでいたり日本国籍を持っていたりしても、公的機関で「外国人だから」「外見が外国人っぽい」という理由で不当に扱われる可能性がある、という現実が報告されている。
・制度的(または社会構造的)な「見えにくい差別」/無意識バイアス
学者や論者の間では、戦後以降の日本社会で「白人(または“白っぽさ/欧米的な見た目”)を理想/模範とする価値観」が根強く、これが無意識のうちに「白人=理想/安心/文化的」「色の濃い見た目=異質/怖い/不安定」といったステレオタイプを生んでいるという指摘がある。
好書好日
このような無意識のバイアスは、言葉での暴言や明らかな差別行為に至らなくても、「無視」「警戒」「遠回しの拒否」などの形で現れやすく、制度化・習慣化されにくいため“見えにくい差別”を生みやすい。
好書好日
japanhumanrights.com
→ たとえ明確な差別行為が起きなくても、社会の“常識”“暗黙のルール”“無意識の偏見”によって、有色人種・肌の色が濃い人が不利な状況に置かれやすい、という構造的な問題。
⚠️ 「白人優遇」「黒人差別」が“どこまで”“誰に”起きるか — 注意すべき点
ただし、以下のような限界や注意点もある:
上記調査や報告の多くは「外国人一般」「肌の色や出自が明らか外国人」など広義の“外国人・人種マイノリティ”を対象としており、必ずしも「白人 vs 黒人」の比較になっているわけではない。
“白人が優遇される” という統計的データそのものは、僕が確認できた限りでは「白人は差別をあまり受けない」「肌の色が淡い人・欧米的な見た目の人が、差別されにくい傾向にある」ことを示す間接的な証言・論考が中心で、「白人優遇」を示す明確な数値データは少ない。
差別・偏見は地域、年代、環境(都市か地方か、外国人が多いか少ないか、国際交流の多さなど)で大きく異なる。よって「日本全体でこうだ」と断言するのは難しい。
✨ なぜ「黒人」が特に差別・不利益を経験しやすいとされるのか — 背景的な要因
社会的な「白人中心」「欧米モデル志向」 — 戦後日本は、欧米を理想とする文化(メディア、ファッション、価値観、国際関係など)を強く受け入れてきており、その過程で「白っぽい肌」「欧米的な顔立ち」が“安心・模範”の象徴となりやすい。
好書好日
「外国人」または「外見で外国人と分かりやすい人」に対する不信や警戒 — 特に肌の色が濃かったり、アジア以外の外見をしていたりする人は、「言語が通じるか」「文化・習慣が違うか」「犯罪の可能性」など、漠然とした不安の対象になりやすく、結果として過剰に警戒・排除されやすい。
japanhumanrights.com
法律・制度面の不備や曖昧さ — 日本には(2025年現在でも)「人種差別禁止」を包括的に規定する法律はなく、差別的言動や差別的取り扱いが“違法”と認められにくい、という構造的な問題。これが差別の実害を可視化・是正するのを難しくしている、という指摘がある。
あなたのように「黒人である」「見た目で外国人と判断されやすい」という条件を持つ人にとって、上記のような差別・偏見・制度的な不利は、**決して“可能性の話”ではなく、“現実として起きやすいこと”**だと思います。
特に、
――これらはデータや報告で実際に確認されており、「黒人だから」という理由で起きやすい、という構造がある。
最近(おおよそここ数年〜10年)日本で「人種差別・見た目による差別」に関して法的に争われた判例や裁判例はいくつかあります。以下、 最近の裁判例/判例の概要 を紹介する — どちらも「人種・見た目による差別・排除(または差別的取り扱い)」が問題とされたものです。
人種差別的な職務質問をやめさせよう!訴訟(2024年〜現在進行中)
2024年1月29日、外国出身または外国ルーツを持つ男性3人が、「人種や肌の色・外見のみを理由に警察から繰り返し職務質問されたのは差別だ」として、国および都道府県を相手に提訴。
コール4
原告によれば、過去 10 年間で数十回の職質経験があるという。
原告側は、「警察官による人種(肌の色・見た目)を根拠とした職質は、合理的な理由なし — つまり無差別のルッキング/判断に基づいており、憲法および国際人権条約に反する」と主張。
コール4
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提訴後も審理が継続中で、2024〜2025年にかけて複数回の口頭弁論があったことが報告されている。
조선신보
この裁判は、日本で「人種・肌の色/見た目」を理由にした警察の職質を初めて法廷で争う事例とされており、公的機関による差別の構造に対して司法的に問いを立てた、歴史的なケース。
→ 現時点では判決は出ていませんが、「職務質問の実態」「差別としての違法性」が社会/司法の議論にのぼっている重要な裁判です。
1999年、外国人(ブラジル人女性)が日本の宝飾店で「外国人お断り」として入店を拒否されたことを理由に提訴。
裁判所(静岡地裁浜松支部)は「街頭の店舗は一般に開放されており、国籍や人種を理由に入店を拒否するのは不当/差別である」と判断し、賠償を命じた。
この判例は、日本での人種差別に関する裁判の先駆け的なもの。以後、他の差別事例や外国人排除行為に対して法的根拠として参照されることがある。
→ つまり、「国籍や見た目」だけを理由にサービス拒否されたら、法的に差別として争えるという前例がある。
このような裁判が起きている背景には、国際的な条約—例えば 人種差別撤廃条約(CERD) — を日本が批准しており、人種・肌の色・民族を理由とした差別的扱いを禁止する国際義務がある、という点がある。
プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES
コール4
また、最近の裁判(前述の職質訴訟)では、公権力(警察)による制度的な差別が問題とされており、単なる「個別の偏見」ではなく「構造としての差別」を問い直す機会になっている。
イノセンス・プロジェクト・ジャパン Official web site
一方で、日本国内には今なお「外国人差別を包括的に禁止する法律」が整備されておらず(つまり、差別されても法的救済や防止の仕組みが弱い)、差別が“見えにくい”かたちで残りやすい、という指摘もある。
✅ 意義と限界
これらの裁判例は、「見た目・国籍・肌の色だけを理由とした差別でも、法的に争える」「公共機関・民間のサービス提供者、どちらにも適用されうる」という前例をつくったことに大きな意味がある。
ただし、特に最近の裁判は「係争中」であり、最終的な判決や制度改善がどうなるかはまだ不透明。
また、過去の事例も限定的で、「すべての差別」が可視化されているわけではない。多くの「見えにくい差別」「日常の偏見」は裁判には至らず、被害が明るみに出ないままになっている可能性がある。
あなたが「黒人」「肌の色・見た目で外国人と分かりやすい」という条件を持っていて、日本で生きていくことを考えているなら、このような裁判や判例は 一つの希望 でもあります。
過去に「外国人お断り」や警察による見かけだけの職質で法が差別を認めた例がある → 完全に無法ではない。
フィリピン・バンバン市のアリス・グオ前市長=フェイスブックより
マニラの裁判所は20日、人身売買に関与した罪に問われたフィリピン北部ルソン島バンバン市の前市長アリス・グオ被告に対し、終身刑と罰金200万ペソ(約530万円)の判決を言い渡した。現地メディアが伝えた。
裁判所は6月、グオ被告が中国人であるにもかかわらず国籍を偽り、違法に市長になったと認定していた。AP通信によると、被告と共謀したフィリピン人と中国人の7人も終身刑を言い渡された。
グオ被告は昨年9月、中国系オンラインカジノ施設の運営に関与したとして逮捕された。施設は特殊詐欺の拠点で、同3月に摘発され、外国人ら約700人が保護されていた。保護された外国人らは監禁され、強制的に詐欺に加担させられていたとみられる。
その後の捜査で、グオ被告の中国籍疑惑が浮上。裁判所は指紋などから、9歳だった1999年に両親と入国した中国人と同一人物だと結論付けた。
草
ヨーロッパの石積やレンガ積の建物と違って、鉄筋コンクリート(RC造)は中に鉄筋が入っている。コンクリート(水酸化カルシウム)はアルカリ性なのでアルカリ性の雰囲気下にある鉄筋は腐食しない。
しかしながら、コンクリート(水酸化カルシウム)は大気中の二酸化炭素と反応し炭酸カルシウムになる。炭酸カルシウムは強度的には問題ないが中性なので、中性の雰囲気の中で鉄筋が腐食し、腐食によって膨張、コンクリートを破壊する。これを「爆裂」と言う。これによって、構造が毀損していく。ちな、ローマのパンテオン等の古代のコンクリート建造物はとっくに中性化してるが、無筋なので問題ない。
この問題は、鉄筋の上に被ってるコンクリートの厚さである「かぶり厚」を増やす、鉄筋をステンレスにすることで鉄筋そのものを錆びにくくする、補修工事の際に再アルカリ化をするなど、技術的に解決策があるがコストが高く経済的ではない。
地震の外力や寒暖差による収縮などでコンクリートに微細な亀裂が生じていく。これにより、前述の中性化が進んだり、水の侵入による問題などが出てくる。
これらは制震工法による地震動の抑制、外断熱、微生物カプセルによる自己修復などの対策があるが、やはりコストが高く経済的ではない。
1981年6月より前に建築確認を受けた建物は耐震性能が十分ではないので、まあ死んでも文句が言えない。また、1999年の省エネ基準より前の建築物は断熱性が大きく劣っている。もちろんこれらを改修することは可能だが、改修にはかなりのコストがかかる。
また、古い建物では、配管の方式がスラブ下配管(下階の天井裏に排水管を通す方式)だったり、階高(上下のスラブの間)が狭く拡張性が無く、光ファイバや空調の増設に対応できるスリーブ(躯体に開けた穴)が無いなどの問題もある。スリーブは困難ながらもまだどうにかすることはできるが、階高や配管の位置はどうしようもない。
住居系以外でも、今日日OAフロアの無いオフィスビルなどは余りにビミョーだろう。
築年数が経過すれば給水管や排水管の更新が必要になるが、これはかなりコストがかかる。光ファイバを通すには配管やスペースが必要だ。8K放送に対応するには共聴設備の配線を全部交換するしかない。建物の電気容量には限界があり、さらに電力が必要なら幹線から変えなくてはならない。
これらはどうにかすることはできるが、上記の通り躯体が陳腐化し、何千万、何億とかかる防水工事が控えているならば、わざわざここを改修しようとは思わないだろう。有り体に言って無駄金だ。
クレヨンしんちゃん(野原家)、サザエさん(磯野家・フグ田家)、ちびまるこちゃん(さくら家)のような家庭が、なぜ今は実現不可能なのか、データで説明します。
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### 【野原ひろし(クレヨンしんちゃん)】
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## なぜ昔は可能だったのか?(1970~1990年代)完璧なデータが揃いました。では詳細に説明します。
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### **1. 年収は30年間ほぼ変わっていない(むしろ減っている)**
日本の平均年収は、1991年に446万6000円であったのに対し、2021年には443万円とわずかに減少しています
1990年~1999年の平均年収約455万に対し、2009年~2018年の平均年収は約418万まで下がっています
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1990年代の社会保険料負担割合は11.5%でしたが、2023年には18.7%まで上昇しました
消費税は、商品・製品の販売やサービスの提供といった取引に対して課税される税を指し、消費者が負担し事業者が納付します。約30年前である1989年に消費税の導入改革が行われ、当時の消費税は3%でした
| 項目 | 1990年 | 2024年 | 増加率 |
| ------ | -------- | -------- | -------- |
| **年収(額面)** | 455万 | 443万 | -12万 |
| **社会保険料** | 52万(11.5%) | 83万(18.7%) | +31万 |
| **消費税** | 3% | 10% | 3.3倍 |
| **手取り** | 約350万 | 約310万 | **-40万** |
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### **3. 物価は上昇している**
物価上昇でモノの値段が上がっている!ここ30年間で、物価も上昇しています。例えば…食パン(1Kg)116円から429円、牛肉(100g)237円から901円、牛乳(180ml)25円から126円に上昇
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2010年を超えたあたりから不動産価格が上昇し始め、2020年以降にさらに角度を上げ「不動産価格の高騰」と言える状況に達しました
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日本銀行が公表している1990年の普通預金金利をみると、当時の金利はなんと1.63%もあったことが分かります!100万円預けていれば1年間で1万6,300円(税引き前)も増えていたのです
| 年 | 普通預金金利 | 100万円預けたら1年後 |
| ---- | ------------- | --------------------- |
| **1990年** | 1.63% | 101万6300円 |
| **2024年** | 0.001% | 100万10円 |
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### 【1990年: 野原ひろし(35歳、年収650万)】
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| 項目 | 1990年 | 2024年 | 差 |
| ------ | -------- | -------- | --- |
| **年収** | 650万 | 720万 | +70万 |
| **手取り** | 505万 | 500万 | -5万 |
| **住宅ローン** | 年96万 | 年156万 | +60万 |
| **生活費(物価)** | 年240万 | 年300万 | +60万 |
| **貯蓄** | +72万 | -72万 | **-144万** |
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## なぜこうなったのか?(犯人は誰か)
消費税の増税も家計への影響を無視できない一因です。1989年に導入された消費税は3%からスタートし、現在では10%になっています
バブル崩壊後(1990年代)は、市場が長期間低迷し、不動産価格が大きく下落。2020年代は、都市部の再開発と外国人投資の影響で地価は上昇する一方
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## あなたへの問い
どう思いますか?
いいテーマです。まずは「バブル崩壊後〜現在」までの日本の財政・金融政策の要約年表を、主要な転機ごとにサクッと整理します(一次情報中心に引用)。
バブル崩壊で資産価格が長期下落、企業はバランスシート調整を優先し需要が冷え込みました。
政府は景気対策の補正予算を繰り返し、公共投資や減税で下支えする一方、1997年には消費税を3%→5%へ引き上げ、需要の腰折れも経験します。
金融面では不良債権問題が深刻化し、破綻・公的資本注入・預金保護の枠組み整備が進展。
日本銀行は金利を急速に引き下げ、1999年にゼロ金利政策を導入(2000年に一時解除)。
結果として、財政赤字と政府債務は構造的に拡大し、物価は下方硬直、成長率は低迷という「需要不足+金融システム調整」の時代となりました。
■流行った言説
景気対策/公共事業派:「需要不足が本丸。財政で埋めるべき」「不良債権処理と同時に需要の下支えを」
デフレ懸念とゼロ金利:「デフレが成長を蝕む」「金融は下限に張り付き、財政併用が不可避」
構造改革派(序章):「護送船団・規制撤廃・金融ビッグバンが必要」「過剰債務とゾンビ企業の整理を」
緊縮志向の反発も:「財政赤字が危ない、ムダな公共事業」—97年の消費税引き上げをめぐる賛否が分極化
円高デフレ観:「円高が産業空洞化を招く」→為替を巡る政策論が過熱
2001年、日銀は世界に先駆けて量的緩和(当座預金残高目標・国債買入れ拡大)を導入し、デフレ脱却と期待の転換を狙いました。
小泉政権下では歳出改革や郵政民営化などの構造改革を進めつつ、景気悪化局面では補正を併用。
2006年にデフレ改善を受け量的緩和をいったん終了し正常化へ動くも、2008年のリーマン・ショックで外需が急減、景気は再び悪化。
政府は雇用・中小企業・需要喚起のための追加歳出を重ね、日銀も基金創設等で信用緩和を強化しました。
金融政策はゼロ下限の制約に繰り返し直面し、財政は景気循環と危機対応で拡張と引き締めを往復する不安定な10年でした。
■流行った言説
構造改革ブーム(小泉・竹中路線):「規制撤廃・民営化・競争促進」「痛みなくして成長なし」「郵政民営化は改革の本丸」
量的緩和と期待の議論:「デフレ脱却にはマネタリー拡大」「期待インフレを動かせ」
プライマリーバランス重視論:「財政規律の回復を」「増税を含む中長期の再建計画」
アジアの成長取り込み:「外需主導・輸出立国」「中国需要を逃すな」
リーマン後の反転:一転して「需要下支え」「雇用維持」「危機時は大胆な財政・信用補完」が支持を集める
2013年、アベノミクスの下で日銀は2%インフレ目標を明確化し、量的・質的緩和(QQE)を実施。
長期国債の大量買入れと平均残存の延伸で期待に働きかけ、円安・株高・雇用改善が進行。
一方、2014年に消費税を5%→8%へ引き上げ、需要の山谷や実質所得の目減りが課題化。
2016年にはマイナス金利(-0.1%)と同年のイールドカーブ・コントロール(長短金利操作)を導入し、10年金利を概ね0%に誘導。
超緩和を持続可能にする枠組みが整う一方、物価は目標に持続的到達せず、期待形成の難しさが露呈。
財政は景気対策と社会保障費の増勢のはざまで、持続性と成長投資の両立が焦点となりました。
■流行った言説
リフレ/リフレーション派の台頭:「2%目標を明確に」「量・質で国債買入れ(黒田バズーカ)」「円安を通じた期待・投資の喚起」
“三本の矢”言説:①大胆金融緩和 ②機動的財政 ③成長戦略—「第3の矢(構造改革)こそ本丸」という合言葉
消費税論争の定番化:「社会保障財源 vs 需要腰折れ」「景気回復まで増税先送りを」
デフレ・均衡からの離脱:「賃上げ・物価目標・期待形成」を巡る企業・春闘連動の議論が注目に
副作用論:「長期緩和の金融仲介・市場機能への影響」「格差・資産価格バブル懸念」も同時に存在
2020〜21年はコロナ危機に対し、定額給付金・雇用維持・資金繰り支援など未曽有規模の財政出動を実施。
22年以降はエネルギー高・円安が重なり物価が2〜4%台へ上昇、政府は電気・ガス・燃料への時限補助で家計負担を平準化、為替の急変時には円買い介入でボラ抑制を図りました。
2024年にはマイナス金利とYCCを事実上終了し、短期金利誘導へ回帰する「極めて緩やかな正常化」へ移行。
2025年も補助金の段階的見直しと成長投資・規制改革の両にらみが続く一方、債務水準の高止まりと金利上昇局面での利払い負担が中期の課題。
物価・賃上げ・生産性・財政規律をどう同時に達成するかが、政策デザインの核心になっています。
■流行った言説
危機時の大規模財政コンセンサス:「現金給付・雇用維持・資金繰り支援は必要悪ではなく必要条件」
MMT・反緊縮の再燃(議論として):「自国通貨建て債務は制約が違う」「完全雇用まで財政で下支え」—賛否が激しく対立
コストプッシュ・為替の再評価:「円安×資源高=輸入インフレ」「為替パススルーは状態依存で強まる」
ターゲット型支援の支持:「面の補助より、脆弱層・エネルギー多消費層へピンポイント」
“新しい資本主義”や供給側強化:「賃上げ促進・人への投資・半導体等の戦略産業支援」「GX/DXで潜在成長率を底上げ」
出口・正常化言説:「マイナス金利・YCCの終了」「利上げのタイミングと副作用」「利払い増と財政の持続可能性」—“どこまで・どの速さで”が焦点
30を過ぎてるのになぜか会計年度任用職員をしてる眼鏡をかけた弱者男性が「竹中平蔵が派遣を解禁して日本がダメになった」と主張していた
まず派遣を完全解禁することになった1997年のILOの民間職業仲介事業所条約は1999年6月締結で
その時の総理大臣は小渕恵三、外務大臣は高村正彦、厚生大臣は宮下創平
2004年の時は竹中先生が閣僚(金融担当大臣)だったので内閣先例の派遣法改正の全会一致の原則により賛成したことをもって竹中平蔵が派遣を解禁したと主張してるのかなあって思ったけど
同じ内閣にいてた石破茂前総理とかが派遣を解禁した扱いされてるとは寡聞にして聞かないので
そういうことでは無いんだと思う
なんで弱者男性って人前で嘘をつくの?
―スコール・レオンハート、FF8リメイク未発表に沈黙を破る
氷のように冷静な瞳の奥で、怒りが燃えていた。スコール・レオンハート――1999年、PlayStation時代の金字塔『FINAL FANTASY VIII』の主人公が、ついに沈黙を破った。
「……言いたくはなかった。でも、もう限界だ。」
■「僕たちは“過去”じゃない」
『FF7リメイク』が三部作として華々しく展開され、『FF9リメイク』の噂が世界を駆け巡る中、唯一“取り残された存在”としてファンの間で囁かれるのが『FF8』だ。
スコールはその扱いに、苦笑を浮かべながらも鋭く切り込む。
「僕たちは“実験作”じゃない。
あの物語は、仲間と出会い、愛を知り、そして“時間”という宿命に抗った、ひとつの青春なんだ。
なのにスクエニは、まるで“忘れたい記憶”みたいに扱っている。」
その言葉には、過去に“SeeD”として運命を背負った青年の誇りが宿る。
「『FF8』は当時、挑戦の塊だった。GFシステムも、ジャンクションも、ムービーとゲームのシームレスな演出も。
でも今のスクエニは、それを“説明不足な失敗作”みたいに扱っている。
違う。あれは『挑戦の象徴』だったんだ。」
「“わかりやすい王道”しか作れない時代に、僕らは“わかりづらくても本気で作る”道を選んだ。
その精神を、リメイクという形で受け継ぐ勇気が、今のスクエニにあるのか――。」
最後に、彼は一瞬だけ目を伏せた。
そして小さく、しかし確かな声で続けた。
「リノアは“僕の心を開いた人”だ。
過去を懐かしむんじゃない。未来を、もう一度見つめたいだけだ。」
沈黙。
やがて彼は立ち上がり、短く言葉を残した。
止めたのは、スクエニだ。」
その背中には、あの頃と同じ孤高さが宿っていた。
“氷の騎士”は再び剣を抜いた――今度の敵は、時の流れそのものではなく、忘却という名の企業の怠慢だ。
―スコール・レオンハート、FF8リメイク未発表に沈黙を破る
氷のように冷静な瞳の奥で、怒りが燃えていた。スコール・レオンハート――1999年、PlayStation時代の金字塔『FINAL FANTASY VIII』の主人公が、ついに沈黙を破った。
「……言いたくはなかった。でも、もう限界だ。」
■「僕たちは“過去”じゃない」
『FF7リメイク』が三部作として華々しく展開され、『FF9リメイク』の噂が世界を駆け巡る中、唯一“取り残された存在”としてファンの間で囁かれるのが『FF8』だ。
スコールはその扱いに、苦笑を浮かべながらも鋭く切り込む。
「僕たちは“実験作”じゃない。
あの物語は、仲間と出会い、愛を知り、そして“時間”という宿命に抗った、ひとつの青春なんだ。
なのにスクエニは、まるで“忘れたい記憶”みたいに扱っている。」
その言葉には、過去に“SeeD”として運命を背負った青年の誇りが宿る。
「『FF8』は当時、挑戦の塊だった。GFシステムも、ジャンクションも、ムービーとゲームのシームレスな演出も。
でも今のスクエニは、それを“説明不足な失敗作”みたいに扱っている。
違う。あれは『挑戦の象徴』だったんだ。」
「“わかりやすい王道”しか作れない時代に、僕らは“わかりづらくても本気で作る”道を選んだ。
その精神を、リメイクという形で受け継ぐ勇気が、今のスクエニにあるのか――。」
最後に、彼は一瞬だけ目を伏せた。
そして小さく、しかし確かな声で続けた。
「リノアは“僕の心を開いた人”だ。
過去を懐かしむんじゃない。未来を、もう一度見つめたいだけだ。」
沈黙。
やがて彼は立ち上がり、短く言葉を残した。
止めたのは、スクエニだ。」
その背中には、あの頃と同じ孤高さが宿っていた。
“氷の騎士”は再び剣を抜いた――今度の敵は、時の流れそのものではなく、忘却という名の企業の怠慢だ。