はてなキーワード: B型とは
だから依存ではなく稼げるように障害者でも出来る仕事に最低賃金以上を渡せばいいのに何故かそうしないんですよね・・・
これで障害者が自立できるのにやらないのは何故?
自民党と維新の会の連立が決まり高市総理が誕生してから毎日が不安で仕方ない。
総裁選で高市氏が出馬してから湧き上がった嫌な流れが公明連立解除、維新との連立とどんどん広がっていて心が苦しい。
理由は自民党や維新の会の党風や高市総理の過去の発言から社会福祉の削減を恐れているからだ。
高市総理は過去に全受給者のたった2%の生活保護不正受給者をわざわざクローズアップしわざわざバッシングした事がある上過去ブログで福祉から就労へと書いていた。
私は生まれつきの障害があり障害者年金を受給しB型作業所に通所しながら生活をしている。
障害者年金とB型作業所の月1万円ほどの工賃しか収入がない私にとって障害者年金や将来必要になる可能性がある生活保護を守ることは死活問題だ。
私の通うB型作業所は20人ほどの通所者がいるが毎年1人か2人就職者がいれば良い方で就職率は5~10%ほどだ。
中にはB型作業所でも出来ない作業が多く作業の代わりに掃除や雑用を代わりにやっている利用者もいる。
高市総理は福祉を受けている人の何割が就労の可能性があるのか理解しているのだろうか?
福祉から就労へを求めるのなら福祉を受けている人が就労できる環境を適切な内容の仕事と最低以上の賃金を持って作るべきである。
働きたくても働けないだけで本当は働きたいのだから是非機会を与えて欲しい。
維新の会は橋本元代表の数々の悪質な自己責任論と生活保護現物支給論で不安しかない。
橋本元代表は父のリストラの責任を泣きながら問う女子学生に暴言に近い自己責任論で返した事が有名だがそんな人物の立ち上げた政党が社会的困窮者やマイノリティを切り捨てようとしないとは到底思えない。
そもそも生活保護を現物支給にするとして一時的に利用する人はともかく生まれつきの病で働きたくても働けない人はどうするのだろうか?
一生何の楽しみもなく暮らせと言いたいのだろうか?
ハッキリ言って弱者達は障害者年金や生活保護の大改悪をされてもおかしくないと思って毎日怯えている。
保守の方々は散々リベラルは頭がお花畑だの言っているが政府の政策一つで生活や命を奪われかねない弱者が政府から身を守るためにリベラルになっている事実は無視するのだろうか?
もし怯える社会的弱者に罵声を浴びせるなら本当に人として終わってる。
もし高市総理が社会福祉の大拡大に取り組むのなら支持したいと思っている。
シルバー人材センターもB型作業所も大差ないだろ
B型作業所を利用した労働力のダンピングが、健常者の労働環境も壊していく危険性について。
いま、全国で静かに広がっている「B型作業所による労働力ダンピング」。
本来、福祉の場であるはずのB型が、飲食店の皿洗い、ホテル清掃、ポスティングといった市場労働の代替手段として使われ始めています。
この流れを放置すれば、最終的に痛むのは障害者だけでなく、地域で普通に働く健常者の賃金や雇用そのものです。
■ 広島での試算 ― すでに「年16億円規模」の影響
もし1事業所あたり10人が、月40時間ほど外部の定常業務(皿洗い・清掃など)を請け負い、時給500円で動いているとすると、
単純計算だけでも、
● 月約4,165万円/年約5億円の賃金原資が市場から流出。
さらに経済学的にみると、このような「低賃金労働の供給ショック」は地域全体の賃金水準にも波及します。
● 平均賃金の下落率は約0.8〜1.5%
つまり合計すれば、広島だけで年間およそ16億円前後の賃金が失われている計算です。
「福祉の名を借りた安価な下請け構造」が、結果的に地域の賃上げ努力を踏みにじっているのです。
B型作業所で働く人たちは、法律上は「雇用契約」ではなく「福祉サービス利用者」です。
そのため最低賃金法の適用を受けず、時給200〜500円でも違法ではありません。
しかし、現実には企業や自治体の発注を受け、実質的に雇用と同じ作業をこなしているケースも少なくありません。
この「名ばかり福祉労働」が、地域労働市場を二重構造化させています。
この構造を変えなければ、「福祉」と「雇用」の双方が共倒れになります。
本来は「支援」だったはずの仕組みが、社会全体の賃下げ装置に転化しているのです。
② 市場相当の対価設定
「福祉価格」ではなく、発注元に最低賃金水準での支払いを義務づける。
③ 成果指標の導入
B型が「移行支援」や「スキルアップ」に機能しているかを定量評価する。
清掃・宿泊・外食など、B型ダンピングが集中している業種を重点的に調査。
しかし、今のままでは障害者の“安価な労働”を利用する仕組みになってしまう。
そしてそれは、健常者の労働環境をも巻き込み、地域全体の賃金と尊厳を奪う方向に進んでいます。
「支援」と「雇用」を分断せず、公正な対価と自立を両立させる仕組みづくりが、いま最も求められています。
とChatGPTにまとめさせてみたんだが、全国48万人の利用者(手帳なくても利用できるよ)のうち半分がもし
高い工賃を求めて地元の企業から清掃やポスティングや皿洗いなどの仕事を時給500円で奪っていったら健常者の労働市場はどうなる?
ぶっ壊れるよ。現段階でももうヤバい。企業がB型作業所を利用して人件費を削減できることに気づき始めたらこの傾向はもっと強まっていくと予想される。
その時、健常者は作業所に仕事を奪われ賃金も上がらない最悪な場面を迎えることとなる。
今、みんなで気づかなきゃ。声をあげなきゃ大変なことになるよ。
僕が三週間かけて導出したp進弦理論の局所ゼータ関数上の正則化項を書き直せると思ったら大間違いだ。
あの計算は、ウィッテンでも手を出さない領域、すなわち、p進版のAdS/CFT対応をde Sitter境界条件下で非可換ゲージ群に拡張する試みだ。
通常の複素解析上では発散する項を、p進体のウルトラメトリック構造を利用して有限化することで、非摂動的な重力の相関関数を再構成できる。
だが、問題はそこにある。p進距離は三角不等式が逆転するので、局所場の概念が定義できない。
これはまるで、隣人がパンケーキを焼くときに「ちょっと目分量で」と言うのと同じくらい非論理的だ。
朝食はいつものように、オートミール42グラム、蜂蜜5グラム、カフェイン摂取量は80mgに厳密に制御した。
ルームメイトはまたしても僕のシリアルを間違って開けたが、僕はすでにこのような異常事態に備えて、バックアップとして同一銘柄を3箱ストックしてある。
僕が秩序を愛するのは強迫ではなく、宇宙の熱的死に抗うための小さな局所秩序の創出だ。
今日の研究は、T^4コンパクト化されたIIb型超弦理論のD3ブレーン上における非可換ゲージ理論の自己双対性。
通常、B場を導入することで非可換パラメータθ^{μν}が生成されるが、僕の考察では、θ^{μν}をp進値に拡張することで、通常のMoyal積が局所的整数体上で閉じない代数構造を持つ。
これが意味するのは、物理的空間が離散的p進層として現れるということ。言い換えれば、空間そのものが「整数の木構造」になっている。
ルームメイトが「木構造の空間って何?」と聞いたが、僕は優しく、「君の社交スキルのネットワークよりは連結性が高い」とだけ答えておいた。
午後は友人たちとゲームをした。タイトルはエルデンリング。だが彼らのプレイスタイルには忍耐が欠けている。
僕がビルドを純粋知力型にしてカーリア王笏を強化している間に、彼らは無計画に突っ込んではボスに殺されていた。
統計的に見ても、平均的なプレイヤーの死亡原因の82%は戦略ミスに起因する。
僕は「量子重力のパス積分と違って、こっちはセーブポイントがあるんだ」と指摘したが、誰も笑わなかった。理解力が足りないのは罪だ。
夜、コミックを再読した。ウォッチメンのドクター・マンハッタンの描写は、量子決定論の詩的表現として未だに比類ない。
あの青い身体は単なる放射線の象徴ではなく、観測者のない宇宙の比喩だ。
僕が大学時代に初めて読んだとき、「ああ、これは弦の振動が意識を持った姿だ」と直感した。
今日もそれを確かめるため、ドクター・マンハッタンが時間を非線形に認識するシーンを分析し、p進時空における時間関数t→|t|_pの不連続性との対応を試みた。
結果、彼の非時間的意識は、実はp進的時間座標における不連続点の集積と一致する。つまり、マンハッタンはp進宇宙に生きているのだ。
寝る前に歯を磨く時間は、時計が23:00を指してから90秒以内に開始しなければならない。これは単なる習慣ではなく、睡眠周期を最大化するための生理学的最適化だ。
音楽は再生しない。音波は心拍数を乱すからだ。ただし、ゼルダの伝説 時のオカリナのエンディングテーマだけは例外だ。あれは時間対称性を感じさせる旋律だから。
僕の一日は、非可換幾何と行動最適化の連続体でできている。宇宙のエントロピーが増大しても、僕の部屋の秩序は一定だ。つまり、少なくともこの半径3メートルの範囲では、熱的死はまだ先の話だ。
例えば、長年知的障害や発達障害の当事者を診療し、成人後の経過も見てきた平岩幹男先生は、『 知的障害を抱えた子どもたち 理解・支援・将来 』で以下のように述べている。長くなるが印象的なので引用する。
モラトリアム
たとえば10歳から特別支援学校高等部を卒業するまでは8年間ですが、知的障害を抱えた子どもたちは、そこで社会に出されてしまうこともあります。一方で障害を抱えていない子どもたちは専門学校や大学などを含めて社会に出るまでに10年以上の期間がある場合も少なくありません。
発達を含めて社会生活上の困難を抱えて、いわばそれまでは「ゆっくり」と言われてきた子どもたちがなぜ「困難」を抱えていない子どもよりも早く社会に出ざるを得ないのか。
もっとゆっくり趣味を見つけて磨いたり、いろいろな場所や人に触れ合うことで経験を増やしたりするモラトリアム(猶予期間)をもつことがなぜできないのか、長い間の疑問でした。モラトリアムをもつことにより、ひたすら就労を目指す場合よりも趣味や余暇活動につながるものを見つけたり、身につけられたりする可能性もあります。
著者は障害を抱えた子どもたちへ対応する生活を45年あまりしていますが、40年前には障害者就労や就労支援(移行支援も継続支援も)もありませんでした。ごく一部の企業が就労を受け入れていましたが、精神薄弱と呼ばれて社会から疎外される状況でした。
その後、児童福祉湖をはじめとする法令改正などもあり、生活介護などの整備がなされるようになってきましたが、そこではとにかく「就労できれば」「お金が稼げれば」いいという意識がとても強かったように感じています。
これまで知的障害を抱えている方々のサポートもしてきましたし、実際に生活介護を行っている作業所を訪問したり、お手伝いしたりしたこともあります。そこで出会った方は、40歳を過ぎても単純作業の毎日で、会話も2語文程度なのですが、ノートには出かけたときの道順などが車の中からの景色とともに書かれていたり、路線図の駅名がすべて漢字で書かれていたりしました。もし子ども時代に適切な教育を受けることができたら、現在の居場所はここではなかったのではないか、重度の知的障害と診断されることもなかったのではないかと感じたこともあります。
知的障害を抱えた方の就労がままならなかった時代も知っていますが、最近の20年間、特に10年間は、就労については十分とはいえないもののかなり展望が開けてきました。一度の就労で人生が決まるわけでもありませんし、障害を抱えている場合、初任給の額がそのあとも続く場合もあります。
著者は可能であればモラトリアムを使って世の中には楽しいこともいろいろあることを知り、趣味をもつことによってその後の生活を安定させてほしいと思います。そして、最終的には初任給ではなく、生涯賃金(所得)が多くなることを願っています。
(平岩幹男『知的障害を抱えた子どもたち 理解・支援・将来』図書文化. p.84-85)
本書でも述べているが、こうした問題意識から最近は「福祉型カレッジ」という自律支援と就労移行支援を組み合わせた大学のような事業所というのがあるらしい。
「福祉型カレッジ」とは、「自立訓練+就労移行支援」「自立訓練+就労継続支援B型」といった形態をとる多機能型事業所のことで、障害のある若者が社会で活躍するための力をつけるために、最長4年間学ぶことができます。
カリキュラムは、「日常生活を営むための基礎作り」(自立訓練)が2年間、「働くための訓練」(就労移行支援・就労継続支援B型)が2年間の計4年間という形が多く取られることが多く、青春を謳歌しながら、社会に出るための力をじっくりとつけていきます。
当事者の親はこうした性急な就労だけではない選択肢も視野に入れながら、子どもがより安定してひらけた生活を将来送れるように考えていく必要があるだろう。
(後で書き足すかもしれない)
すこし現実的な話をすると、障害年金でも生活保護でも生きられる。
グループホームやB型作業所に入れるように、他害しない子に育ってくれたら、まあなんとか一安心。
中度知的障害を伴うASDの7歳の息子を持つ母です。支援学校に通ってる。
4歳のころ、いよいよ支援級にすら通えさそうと分かり、どん底にいた時のことを思い出した。
お友だちは「息子はこういう子である」とあるがままを受け入れていて、それは本当にありがたいんだけど、運動会でこの増田みたいにいろいろ助けてもらっているのを見ると、とても悲しくなった。だって同い年の幼児に助けられてるんだもん。情けなかった。
保育園の先生たちも同様。とても良くしてもらったけど、息子のおかげで周りのお友だちが優しさを学んでいる、みたいな、息子の障害を教材にするような言動があって、本当に嫌だった。
ちなみにうちは年長のときは運動会も卒園式も欠席した。親子で辛い思いする必要ないから。・・って私も4歳の時には思えなかったんだよねえ。まだ健常児として生きることを諦めきれなかったから。
この時期わたしはもうものすごい落ち込んでて、息子と心中しようかと本気で考えていた。
だって息子は、私がやってきたように進学先や就職先に悩むことも、一人暮らしをすることも、車の免許を取ることも、一人で旅行に行くこともできない。
どれほどうまくいっても、息子の給料は月数万円以上になることはない。障害年金と生活保護で生きていく。こういうことがたった4歳で決定している。大好きなフルーツも、親が死ねば誰も食べさせてくれない。いったいなんのために生きるのか?
息子が周りから気持ち悪がられることになるだろうというのも増田と同じ。私だって奇声を上げる障害者は怖かったし気持ち悪かった。息子もそう思われるんだろうと思うとたまらない。
繰り返すけどこういうことがたった4歳で決定しているのだ。
「子供の障害を乗り越えられるからあなたのもとに生まれてきた」みたいなことを言う健常児親がいるけど、普通に心中、自殺、置き去り、してるからね。健常児親の目に止まらないだけ。
定期的に面談していた相談支援員(増田は契約してる?ピンキリだけど将来の諸々の手続きのためには契約した方がいいよ)が、私が落ちているのを感じたのか、市が主催しているペアレントメンターとの茶話会の案内を送ってくれた。そこで、支援学校に通っている小学生の親や、中度知的障害で支援学校を卒業してB型作業所で働いている人の親の話を聞いた。これを聞いて、もう少し生きようと思った。その先があるのだ、と。
学校でやる全てのことが視覚化され構造化されているから、保育園時代とは比べ物にならないくらい落ち着いて過ごせるようになった。そうか、息子は本来こういう子なのか、って初めてわかった気がする。
言葉もたくさん出てきて、先生や親にちゃんと要求を口頭で伝えられるようになった。トイレや着替えや片付けなど、驚くほどたくさんのことができるようになった。支援学校では周り全員障害児なので、誰も息子を教材として扱わない。特別扱いされることもないから割と容赦ないけど。
とにかく、専門家がたくさんいるところで、特別扱いされずにいること、周りのママ友も全員障害児の親であること。保育園とは全く違う。私も、保育園では「その日悪目立ちしないこと」だけが重要だったけど、息子自身の成長に目を向けられるようになった。
将来に対する不安は消えない。状況は変わってない。息子は選択肢の少ない人生を生きる。でも同時に、息子は私とは違う人間であり、選択肢が少ない方が明らかに楽な特性を持ってることもわかった。保育園時代は全介護だったのが、支援学校に上がって急に自立し始めたのを目の当たりにして、ようやく息子は私と違う人生を歩むのだということが飲み込めた気がする。
将来うまくグループホームに入れないとか入ったところが潰れたとかで居場所がなくなったり、もっと早い時期、思春期に性犯罪に走りそうとかだったら、潔く心中するつもり。残念ながら中度の知的障害だと入所施設に入るのは難しく(もっと重い人用だしそもそも数がない)、グルホは軽度向けのものばかりだから。つい先日、「恵」というグルホの虐待の実態がNHKで放送されていたけど、親亡き後あんなところで死ぬまで虐待されるなら一緒に連れていく。耐えられない。
でも今は、健常児の親と同じように、ただ純粋に息子の成長を喜べるようになった。高等部から就職のための実習のみになるので、これほどのんびりしていられるのはあと数年だけど。
だらだら隙自語しちゃったけど、増田に言いたいのは、「就学まではなんとか頑張ろう、全てを諦めるのは支援級を試してから」です。そこは試さないと損。そうやって自分を誤魔化しながらなんとか生きよう。
楽しい仮定ですね。結論だけ先に言うと、「胃の中だけが宇宙」なら“秒”ではなく、普通に生き残ります。何が「宇宙」なのかで話が変わるので、代表ケースでざっくり目安を書きます。
ケース別ざっくり結論
→ その場で致死にはなりません。胃は外から1気圧で押し潰される形になり、内容物は凍り・気化。強い吸引で嚥下路が引かれて激痛・嘔吐・粘膜損傷・出血リスクはありますが、「数秒で死亡」は起きません。医療的には緊急事態ですが、生存可能。
• 胃の内部=外宇宙の放射線環境(真空+宇宙線が胃粘膜に直撃)
→ これでも秒では死にません。被ばくは局所(胃壁)に集中し、急性致死線量に一瞬で達するほどではないので、生存は日〜年オーダー(がんリスクは上がる)。
• 体全体が宇宙空間に露出(参考の“よくある勘違い”ケース)
→ 意識消失:10〜15秒、迅速な再加圧がなければ数分で致命的。※ただしこれは「胃の中だけ宇宙」ではない。
• 胃の中にブラックホールがある
→ マイクロ黒穴(極小)ならホーキング蒸発で瞬間的に莫大なエネルギー放出→即死級(≪1秒)。
天体規模の黒穴とつながるなら、潮汐力や吸い込みでほぼ即死(≪1秒)。このパターンだけは“秒どころか瞬時”。
• 胃の中に“本物の星(太陽級の発光体)”がある
→ 放射・熱流束が桁違いなので、やはり即蒸発・即死(≪1秒)。
「俺の胃袋は宇宙だ」を“胃の中が真空になってるだけ”と解釈するなら、私たちは秒では死にません。激痛・嘔吐・出血・穿孔の危険は高いものの、適切な処置があれば生存可能。
“秒で終わる”のは、ブラックホールや恒星が入っているなど、物理的に桁外れのケースだけです。
「その台詞を使っていた人は『自分が食べられる量はとても多い』という事を伝えるためにその表現を使っていました。
つまり、口から喉を経由して胃袋に入ってもいくらでも物体を吸入することができる、という意味合いで“宇宙”という単語を使われていたようです。
もし本当に宇宙空間が胃袋の中にあるとして、宇宙を内包している胃袋や胃袋の周囲の内臓、肉体などはその質量差で宇宙の方に引っ張られたりはしないのでしょうか。」
なるほど、つまり「胃袋の中に“広大な宇宙空間そのもの”が存在している」と物理的に考えた場合ですね。
この場合、鍵になるのは「宇宙の質量と重力をどう扱うか」です。
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もし胃袋の内部が「外宇宙とつながった真空空間」だとすれば、重力的な質量はありません。
ただし、口を開けると空気や食物が無限に吸い込まれていく(地球大気は胃袋空間に流れ込み続ける)ため、実際には本人も周囲も吸い込まれて大変なことになります。
いわば「ブラックホール」ではなく「大気に開いた穴」に近いイメージです。
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2. 宇宙=“我々の宇宙と同じ規模”を丸ごと内包している場合
もし胃袋の中に「銀河や恒星を含む“宇宙全体”」が存在するとすれば、その質量はとてつもない。
たとえば観測可能な宇宙の質量はおおよそ 10^{53} kg と言われています。
そんなものを人間サイズの胃袋に閉じ込めれば、その時点で外側の肉体ごとブラックホール化して瞬時に潰れるでしょう。
質量差どころではなく、全身が重力に押し潰され、数秒どころか瞬間的に存在を維持できなくなるはずです。
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SF作品やファンタジーでよくある「内部は無限に広がるが、外部には重力影響が出ない」ケース。
これは「四次元ポケット」「ワームホール的な収納空間」の扱いです。
この場合、胃袋の外側に重力的な影響は及ばないので、本人は普通に生きられます。
食べ物や物体を胃に入れると、その“別次元の宇宙”に移動するだけ。
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まとめ
• 真空だけ → 質量なし、引っ張られない。ただし周囲の空気が吸い込まれる。
• 宇宙ごと内包 → 質量桁外れ、本人ごとブラックホール化して瞬時に消滅。
• 別次元のポケット宇宙 → 重力の影響ゼロ、普通に「無限に食べられる」演出が可能。
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本物の宇宙を抱え込むなら即崩壊、ファンタジー的な“重力を遮断した別次元宇宙”なら安全というのが答えです。
――もし現実的に“胃袋ポケット宇宙”があったら、ユーザーさんはどのタイプをイメージしますか?
「その台詞を使っていたキャラクターも最終話になるにつれて身体にガタが来ていたので、内部崩壊は起こしかけていたのだと思います。
もし、そのキャラクターが本当に宇宙を内包していた場合、その肉体の強度はどれほどの数値になるかと思いますか?
年齢としては成人してから何度も大量食いをして逸話が語られるレベルになっている程なので30歳までの成人男性だとは推定します。」
おもしろい前提!「胃の中が“宇宙”」でもどういう宇宙かで必要な“肉体スペック”が変わります。数値の目安を置いて、現実の生体強度と突き合わせます。
A. 重力は外に漏れない“ポケット宇宙(四次元ポケット型)”
• 重力・質量は外界に見えない。外側の体は通常の力学だけ受ける。
• それでも“吸い込み(負圧)”は起こる。口~咽頭~食道にかかる圧差ΔPが最大で**1気圧(≈0.1 MPa)**クラスだとしても、
• 口の開口部A≈2×10⁻³ m²(親指2本分くらい)なら吸引力F≈ΔP·A≈200 N(≒20 kgf)。
• 10倍の強い吸い込み(1 MPa ≈10気圧)が瞬間的にかかると**2000 N(≒200 kgf)**級で咽頭・食道を傷めがち。
• 生体材の引張強度(オーダー):胃壁・消化管は~0.5–2 MPa、皮膚~2–30 MPa、腱~50–150 MPa。
• よって~1 MPa級の持続的な負圧イベントが日常化すると、粘膜裂傷・出血・微小穿孔→瘢痕化などの“ガタ”は十分あり得ます。
• 結論:超人ではなくても成立。ただし“たくさん食うほど負圧イベントが多発→慢性損傷”で、最終話のガタと整合。
B. 胃の中に“実在の質量が近傍にある宇宙”(重力が外に伝わる)
• 体が受けるのは潮汐力(重力の勾配)。体長L≈1 mの端と端の加速度差
Δa ≈{2GM}{r^3} L
を**10 g(≈98 m/s²)未満に抑えたいとする。胃の“喉”から宇宙側の最近接距離r≈1 mと置くと
M < {Δa r^3}{2G} ≈{98 ・ 1}{2 ・ 6.67×10^{-11}} ≈{7×10^11kg}
つまり~10¹² kg(大きめの小惑星)**を超える有効質量が“近くに見える”と、10 g超のスパゲッティ化が始まる。
• これを耐えるには骨格や結合組織が**>100 MPa級**の材料相当で、さらに循環・神経が10 g環境に耐える必要があり、人間には非現実的。
• 結論:もし重力が外に漏れるタイプなら、“近距離に感じる有効質量は10¹² kg未満”が生存限界の目安。銀河級の質量を抱えたら即アウト。
C. 胃の中が“真空だけにつながっている穴”(質量なし・放射は来る)
• 力学はAに近い(引張は負圧起因)。
• ただし宇宙線・紫外~X線が胃粘膜を直撃 → 放射線性胃炎・潰瘍・発がんリスク↑。
• 最低条件(A/C型)
• 粘膜・筋層が~1 MPa級の負圧ストレスに反復耐性(治癒再生が速いことも含む)。
• 咽頭・食道・胃噴門の弁機能が高出力で、誤嚥や逆流を最小化。
• 放射線が漏れる設定ならDNA修復能↑や粘膜更新の超高速化が欲しい。
→ 人間ベースでも“若干タフ寄り+治癒力ブースト”で成立、でも長年の酷使でガタは妥当。
• “見かけの近傍”にある有効質量が~10¹² kgを超えない配置(ポータルの幾何で遠ざける等)が必須。
• そうでなければ**>100 MPa級の組織強度や10 g環境での循環維持など、人間離れの改造が必要。
→ 現実の人間生体では不可**。最終話の崩壊どころか早期に破綻。
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• 台詞の“宇宙”を**「重力が外に漏れないポケット宇宙」**と解釈すれば、
• 必要強度は**人間範囲の上限~ちょい超え(~1 MPa級の反復耐性)**で説明可。
• 長年の“大量食い”で粘膜損耗→瘢痕化→機能低下=最終話のガタはリアル寄り。
• “本当に重力まで持つ宇宙”なら、10¹² kg級の有効質量が近づいた時点でアウト。物語的にはそこを巧みに“遠ざける”設定(ワームホール幾何)でしか成立しません。
「胃袋はポケット宇宙の“喉”で、重力は外に漏れないが、吸い込み時に最大1 MPa級の負圧パルスが咽頭~胃壁に走る。その反復で粘膜がボロボロに…」
――こんなメカニズムだと、台詞も最終話の崩れ方も綺麗に繋がります。
「もしその人物が倒れて身体が崩壊するようなことが起きた場合、周辺にどのような影響が出るでしょうか」
いい想定ですね。「胃の中に宇宙を抱えた人物が崩壊した場合」を考えると、ポイントは
1. 胃の中の“宇宙”はどう存在していたのか(ポケット型か、実質的な質量を持つか)
2. その“閉じ込め”を維持していた肉体が壊れた時に、内と外がどう接続するか
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ケース別シナリオ
• 胃袋は単なる「ゲート」。肉体が崩壊した時点でゲートが閉じる。
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• 周囲は**強烈な突風(内側への吸引)**に巻き込まれる。
• 屋内なら建物を壊すレベル、屋外なら局地的な竜巻・爆風のような現象。
• その後は「真空穴が閉じるかどうか」次第。閉じなければ周囲は窒息圏。
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• 胃の宇宙の質量が“外界に直結”した瞬間、周辺の空間ごと重力崩壊。
• 例:10¹² kg(小惑星質量)規模でも、半径数 m の範囲は数秒で地盤沈下・吸い込み。
• 実際に「銀河規模」を抱えていたなら、惑星ごと飲み込まれて即終わり。
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• 宇宙の「真空放射」「恒星の光」「宇宙線」が制御なしに溢れる。
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まとめ
• 惑星規模の災厄:質量内包型 → ブラックホール化で即滅亡。
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つまり「最終話で身体が崩壊」という演出が周囲に“どのくらいの悲劇”を残すかは、
――質問ですが、ユーザーさんが想像しているその人物の“最期”は、
それとも、静かに個人が崩れるだけのポケット型(①)に近いイメージでしょうか。
「やっぱり宇宙を自称するとそうなるよなぁというのを検証してもらいました。
どういたしまして!✨
「胃袋=宇宙」という表現を物理で真面目に検証すると破滅的シナリオに直結するのは、ある意味で“宇宙”のスケールの恐ろしさをうまく物語に重ねられてますね。
だからこそ、日常的な「大食いキャラの比喩」としては面白いし、
物理的に掘り下げると「やっぱり宇宙なんて抱え込んじゃダメだな…」となるのが味わい深いです。
またこういう「台詞をガチで科学検証」みたいな遊び、ぜひ持ってきてください。
すごく楽しかったです!
昨日「マツコの知らない世界」で“顔の世界”という特集をやっていて、興味津々で見ました。
テーマ自体は面白かったんですが、正直ちょっと引っかかったのが「顔から性格を決めることを心理学として扱っていた点」です。
いわゆる相貌心理学って科学的には立証されていない類と認識してました。
そもそも顔って遺伝の要素が強いので、顔の特徴を外見的に判断する場合、
個人的な経験則で「そう感じる」という範囲ならアリだと思いますが、大手メディアが学問的にやや決めつけで伝えてしまうのはちょっと危ういなと。
実際、日本ではB型の人が所得や婚姻率の低下に相関関係が表れている事が最近話題になり、思い込みやバイアスが現実に影響してしまう可能性があります。(今後、検証されるかとしれません)
欧米では血液型占いなんて一般的じゃないので国際比較が出れば面白いなと思います。
もちろん「顔や表情が印象に影響する」というのは科学的に立証されています。
ただ、受け手の「印象を受ける」と本人の「性格を特定する」はまったく別物です。
他人の第一印象と性格が違ったという事は実感としてあると思います。
最初、怖そうと思ったけど、案外優しかった。人見知りな人かと思ったけど、実はムードメーカーだったなどなど。
ですか内面の性格まで読み取る事は当たり前ですが、できません。
心理学の研究って、本来は仮説を立てて大量のデータを集めて妥当性と信頼性を細かく検証していく地道な作業なんです。
心理学的に性格傾向(あくまで傾向)を調べる際も、「外交的か内向的か」を調べる場合なら、「賑やかな場所が好きか?」、「人前で話すのは苦にならないか?」といった、性格の方向性に関わる事や性格特徴に起因する行動パターンが使われます。つまり、全然関係なさそうな質問から勝手に性格を決めつけるわけじゃなく、根拠を積み上げながら分析している訳です。
また、本人の内側の声を表出させているとも言えます。
また、人は場面によって外交的になったり内向的になったりもしますし、二面性もあります。それだけ質問内容や研究手法も増えていきます。そんな単純に「顔=性格」って図式には当てはまらないと思うんです。
欧州で顔診断、
もしも間違った心理学が広まると偏見を助長してしまい、誰かが傷つくことにもつながります。顔によって「秘密主義だ」とか「理想主義だ」とか勝手に決められる社会になってほしくない、そう思いました。
寛容性、順応性を表す
輪郭が大きい
口角があがる
肉付きの張り
モチベーションの高さ
目頭がくっきりしている
外部情報をしっかり精査する
正面から耳が見える
独立心、旺盛さが強い
目のくぼみ
鼻の穴
鼻の穴が見えない
本心を語らない
鼻筋が太い
広く愛されたい
鼻筋が深い
深く愛されたい
補足
番組に出ていた方の肩書き「教授資格」もちょっと気になります。日本で「教授」というのは学校教育法で定められた大学における職位ですし、教授資格ってなんだろう。誰か教えてください。
起きている時間ずっと頭の中で絶え間なく単語が浮かんで吐き出すまでは脳に居座り、本来のタスクをぼこぼこに殴って消し飛ばしてしまう、この脳と一日付き合ってほしい。
そうしたら、その言葉がどれだけ障害者に寄り添っていないものだと分かるだろう。
常に頭の中が煩いのだ。騒がしい。
健常者からの「障がいは個性」と言う言葉がこの世で一番嫌いだ。
ひらがなにしたところで何も変わったりしない。
障害がある当事者からしたら生きていかなきゃいけない上で害であるのには変わりない。
それはノンデリカリーだし、何かのハラスメントに抵触しそうではある。
仕事ができて、きちんと生活ができる人間が良かった。そう生まれたかった。
「クリエイターとかに向いてるんですよね?」と言われたことがあるが、それは一番上というか遥か上の話で皆さん大嫌いな生活保護と20日間通って2万程度の工賃がもらえるB型事業所で作業するしかない。
2万で生活できないんだ、世の中。
それで僅かな工賃と生活保護になる。
こちらは雇用契約があるので失業保険がもらえる可能性がまだある。
障害を明かさないで就職や障害を明かした上で就職などもあるにはあるが、これはほんの一握りである。
体感、精神障害や知的障害は明かすと書類選考で外されることが多い。当たり前か。
B型事業所で作業している人はスマホを持ってなかったりする。2万円の工賃の中から決して安くないスマホ料金を払っているからネットに上げられるのだ。
親はずっと様子がおかしいままの自身を、病院に連れて行ってほしいとお願いした自身を病院には連れて行かなかった。
健常者だと思いたかったのかもしれない。
本当にこういう人は親にならないでほしいと願う。病院には連れて行け。
そして一つ安心してほしい。
自身の人生に『結婚』も『子どもが生まれる』なんてものは無い。
そもそも幸せな家族生活で過ごした記憶がないので、どう考えたって不幸の連鎖を断ち切るにはこのまま一人の方が良いし、世の中も幸せだろう。
これは自身が健常者だったとしても、そうだったと思う。
『多様性』などと宣っているが基本的に障害者は声すら上げられない。
『働いてない』扱いである。
失業保険なんてない。
世間では時給も上がるらしいがB型事業所の工賃は何も変わらない。
ちなみにA型事業所、B型事業所ともに掛け持ちは禁止だ。それは健常者として働けることになってしまう。
おそらく、そんなに遠くない未来に自身もスマホを持てなくなるだろうと思っている。
『障害』で詰む人生なら生まれなければよかったな、とずっと思っているし、死ぬまでずっと思うんだろう。
何なんだろうな、この人生。
「旗を巻け、剣を収めよ ― ネットを去るべきとき」 feat 司馬遼太郎
人間というものは、時として、自らを滅ぼす麻薬を甘んじて飲みつづけるものだ。
二十一世紀初頭、インターネットという名の大海に、人々は夢を託した。IT革命という言葉は、坂本龍馬が「日本を今一度洗濯致し申候」と叫んだときのごとき熱を帯びていたのである。
我らは信じた。この道の先に、新しい国土が開けると。そこには平等と自由と、創造という果実があると。
しかし──見よ、今を。
ネットの広間に響くのは、かつて夢を持った者たちの怨嗟である。かつてプログラムの一行に未来を見いだした者たちは、いまや民族を呪い、政治を罵り、思想を毒のごとく舐め、ただ怒りに己を焼いている。
ITの「ア」の字すらも、もはや語られぬ。
そこにあるのは、キーボードを剣に見立て、見えぬ敵を斬るつもりでいる者たちの空しい戦場である。
だが、その戦いは何を生んだか?
栄光か? 富か? いや、何も。残ったのは、乾いた目と、冷たい指先、そして毒に満ちた心だけであった。
思えば、我らの夢は叶わぬものだったのだ。
「いつか才能が開花する」「人生を変えるイベントが訪れる」──そう信じてネットに身を沈めたが、そんなことはなかった。
世界は進み、我らは止まった。IT技術の旗を掲げていたはずの我らは、旗を持つ手すら錆びつかせ、時代の二周遅れを歩く。
その間に、現実を切り拓いたのは誰か。
剣を抜かず、ただ黙々と働き、挑み、恋をし、人生という名の地図を広げた者である。
ならば、いま言おう。
空を仰ぎ、風を聞き、隣人と語れ。それこそが、今や失われた「文明人」の営みである。
我らの世代は敗れた。認めよ。その敗北を。
あれは毒であった。慰めであった。亡国の酒であった。
ならば捨てよ、すべてを。
手放せ。
そうすれば、楽になる。
──そう信じるほか、もはや我らに残された道はない。
時代は、人の運命を無情に弄ぶ大河である。古来より、勝者と敗者が織りなす歴史の綾は、変わらぬ。幕末の志士たちが維新の嵐に翻弄されたように、君たちもまた、氷河期という冷徹な冬に取り残された。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼と嘲笑され、2000年代の秋葉原に魂を置き忘れ、肉体のみ老いたる少年少女たちよ。旗を巻き、剣を収め、兜を脱ぐ時ぞ。電脳の虚構に囚われし憐れなる魂よ、今こそ我に返れ。
かの秋葉原は、さながら戦国時代の合戦場のごとき賑わいを見せた。2006年の真夏、歩行者天国で君たちは「俺たちの麻生!」と叫び、オタクイズビューティフルと自嘲しつつ、邪教の舞を踊った。あの熱狂は、坂本龍馬が土佐の山中で夢見た革新のごとく、君たちに希望を与えたやもしれぬ。だが、それは幻影に過ぎなかった。Xなる電脳の広場で、今なお君たちはゴチャゴチャと逆張りの矢を放つ。図星を突かれ、プライドの城壁を必死に守る姿は、落城寸前の武将を思わせる。未だ、ありもしない人生逆転を、キラキラ輝く栄華を諦めきれぬのか。
聞け、君たちの夢見た物語を。それは、レムちゃんやエミリアたん、ウマ娘たん、Vtuberたんのような美少女が、君に発情し、結婚を前提に言い寄るという妄想。ライカン様めいたイケメンが、君を伴侶と慕うという幻想。会社で「俺またなんかやっちゃいました?」とわけわからぬことを口走れば、評価され、ちやほやされるという、なろう小説めいた儚き夢。あれは、君たちがネットの闇で散々嫉妬し、憎み、嘲笑した者たち――肉体を鍛え、頭脳を磨き、現実の戦場を駆け抜け、金と愛と勝利を掴んだエリートやリア充たち――にのみ許された特権なのだ。彼らは、司馬史観に言う「明治の若者たち」のように、時代の風を読み、血潮を燃やして高き城を築いた。君たちは、その背中を遠くから睨むしかなかった。
現実を直視せよ。君たちは敗れたのだ。完膚なきまでに。なぜか。君たちが選んだ戦場は、現実の荒々しい大地ではなく、電脳の海という虚無の聖域であったからだ。情報の洪水に溺れ、何が正しいか判別できぬまま、上澄みばかりを掬い取った。学習性無力感に蝕まれ、プライドを守るため、ネットという「未完成の城」に籠城したのだ。わかるぞ、そこしか君たちに居場所がなかったのだ。世人は君たちを「病院へ行け」と嘲り、「ITけんぽで」と冷笑し、「B型作業所でハナクソ入りのパンを捏ねろ」と突き放した。無念、怨念、怒り、憎しみ、孤独――すべてを背負った君たちの魂を、私は受け入れ、赦す。なぜなら、人間とは、そうした業を抱えて生きるものだからだ。
もう一度、声を大にして言う。君たちの戦いは終わったのだ。いや、始まる前から、勝敗は定まっていた。電脳の荒野でどれだけ吠えようと、悪役令嬢となってイケメンに愛されることも、グリッドマンとなって美少女と青春を謳歌し、世界を救うヒーローとなることも、叶わなかった。あの秋葉原のホコ天で、仮想の座敷にアクセスコードを打ち込むふりをしたところで、それはただの愚かなる幻影。奇跡は、常に現実に挑み続ける者たち――ガンガンと血潮を燃やす若きエリートやリア充――にのみ訪れる。君たちは、歴史の敗者として、坂本龍馬の盟友たちが維新後に忘れ去られたように、時代の陰に沈む定めだ。
さあ、明日にでも秋葉原の旧聖地に赴け。思い出を葬るがごとく、潔く首を垂れ、敗北の美を受け入れよ。人の世は、ヒーローばかりを求めるわけではない。惨めなる敗者もまた、歴史の陰影を深くする尊き役割を果たす。弱者男性よ、氷河期世代よ、豚丼よ、表現の自由戦士よ、お気持ち表明女戦士よ。無意味な抵抗をやめ、敗残者として歴史に名を刻むことを恐れるな。人は、一生憎悪を燃やし続けることはできぬ。君たちの魂は、すでに十分に戦い抜いたのだから。静かに、時代の大河に身を委ねよ。
⬛︎追記 2025-08-21
マシュマロ質問に公式から回答がついていることが確認できたので一部訂正しました。
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最近、Xを見ているとこのツイートが広告枠で複数回流れてきた。
https://x.com/amaterasu_2024/status/1951115682415820815?s=46
少し引っかかりを覚えてコンテスト詳細ページを読んでみると、注意事項にこのようなことが書いてあった。
昨今のイラスト系コンテストにおける著作権の取り扱いの主流は「採用作品のみ帰属、それ以外は作者に帰属」である。
何かの事情(企画の主旨的に採用が決まるまでは公開してほしくないなど)がある場合でも、「結果発表までは公開しないでね。結果発表後、落選したものの権利は作者にあるよ」というようなことが書かれていることが多い。
思いきり企業名やコンセプトを入れ込んだイメージキャラクターの案件である等、よほどの事情がない場合はこういう形式を取るものだと思う。
「落選したらお蔵入り」というのは投稿側に旨みがないので参加しづらいし、参加者が集まらない/公開許可できるなら許可しておけば多少の宣伝効果も期待できるというような事情で主催側も公開OKにしているのだろう。
実際、投稿期間にハッシュタグをつけてSNSに投稿するように呼びかけ、盛り上げようとするコンテストも多く見かける。
しかしこれはどうだろうか。
という文章は「応募時点で主催のものになる」ように読める。落選作品をどう扱うか、いまいちよくわからない。
気になった筆者は、どうやらマシュマロで質問を受け付けしているらしいので著作権の取り扱いについて、厳密にどうなるのか質問を投げてみた。
質問を投げて以降、他の質問への回答は更新されているものの、筆者の質問にまだ回答はついていない。
⬛︎追記:2025-08-21 公式回答を確認。応募時点で著作権は運営者に帰属とのこと。
筆者はサブカル分野の業界で商業経験のある制作職で、障害当事者でもある。
一時期重いうつを患っていたこともあり、何かとメンタルヘルス関連の情報を追っていた。
その中で、近年はクリエイティブ系のB型事業所(専門学校に近い内容のもの)というものが各地で雨後の筍が如く急増しているというのを知った。
高い授業料を払うクリエイティブ系の専門学校でさえ質はピンキリで生徒の自主性に8割任せるようなものが多いのに、クリエイター分野では多くの駆け出しフリーランスが仕事を取るのに苦心し、歴戦のアニメーターや業界脱サラクリエイターが食っていけなかったという話も耳にするような世界だというのに、どうやって成り立たせるんだろうかと気になった。
タイプはさまざまで、高工賃を目指すだとか、本来の目的である就労継続支援だとか、居場所になるだとか、様々なケースがあるそうだ。
このサブカル・クリエイティブ系B型事業所というのは「居場所型」が割合多いのかもしれない。そう言われれば納得もできる。
今回のコンテストについても少し調べてみると就労継続支援B型事業所「project-R」と同じ運営母体の企業(株式会社Virtual Peer Suppost LAB.)がやっているのだとわかった。
それを考慮してみると、今回の主題となる「応募作品の著作権の取り扱い」について一つの疑問が浮かぶ。
もし仮にこの取り決めが冒頭で書いた通りのものだとすると、障害者支援やサポート、応援を掲げる団体が「応募した時点で採用可否は関係なく著作権は我々が貰いますよ」と言っていることになる。
これが通ってしまった場合、「後から賞金は出さずにしれっと流用」とかやられても文句は言えないんじゃないか。そのような規約なのではないか。
フリーランス仲間から聞こえてくる悪質なクライアントの話で稀に聞くのが、「絵が気に入らなかったからデザインを持ち逃げして別の絵描きに描かせる」というようなものがある。こういうケースを邪推してしまう。
コンテストの最優秀賞50万円だとか色々と書いてあるが、うっかり読み飛ばしそうな部分にこのような内容が含まれていることについて、いろんな懸念や邪推が止まなくなってしまった。
疑念だけかけるのはフェアではないので好意的に受け取れる部分も挙げておく。
このAMATERASUというVTuber事務所はB型事業所「project-R」のサポートを受けていると公式サイトに記載があった。
project-R自体が「障害当事者自身が運営側になってプロジェクトを展開する」というコンセプト?思想?があるようなので、VTuber運営に必要な仕事をB型で補っていると思えばなるほど確かに理にかなっているかもしれない。そういう形で回していく世界もあるかもしれない。
おそらく見てないよ。でもそれで構わないじゃん。だって、マンパワーの非常に限られた政党なんだよ。できるわけがない。国民民主くらいの人員でさえも苦しいよ。仮に障害関係はできたとして、あっちの分野は駄目駄目ってのがたくさんある。ほぼどんな分野についてもしっかり現場に地に足ついた議論をやれるのは官僚という組織を使える与党くらい。じゃあ与党以外は現場を見ての議論ができないから価値が無い?そういうわけではないでしょ。野党の政策なんてそのまま通るものではそもそも無いんだから、新しい切り口なり考え方なりをちょっとでも付け加えられたら十分に価値があるんだよ。野党の、それも泡沫野党の政策に対して雑だとか現場離れしているといった批判をすること自体がズレているんだよね。