はてなキーワード: 背伸びとは
円安になると日本の企業は「利益拡大!」って騒がれることが多いけど、それって一部の輸出企業の話。実際には、円安の影響で苦しんでいる企業のほうが多いんじゃないかと思う。
たとえば、エネルギーや食品業界は輸入依存度が高いから、円安になると仕入れコストが跳ね上がる。電力会社は燃料を輸入するし、外食産業は食材のほとんどを海外から買ってる。小麦とかコーヒー豆とか、どんどん値上がりしてるのに、簡単に価格転嫁できるわけでもない。ファミレスやコンビニも値上げしてるけど、限界があるよな。
IT企業もそうだよな。ドル円が110円なだけでどんだけコスト変わるんだろうって思わないのかな。なんで国が2年以上も異常な円安を放置していることに対して共同声明とか出して圧力かけないのか理解できねーわ。
不動産業界もやばい。建材や設備のほとんどが輸入だから、建設コストが上がってる。特に、オフィスやマンション開発してる大手不動産企業は影響をモロに受ける。円安のせいで建築コストが上がる→デベロッパーの利益圧縮→結局、消費者が高い価格を払うハメになる。不動産の高騰なんて誰も大して得してねーからな。
さらに、航空業界も燃料費の高騰で大打撃。ANAやJALなんて、円安が進むたびにコストが増えるから、チケット代に上乗せするしかない。サーチャージだけ分けてチケット安く見せるとか必死に工夫してるわ。
製造業でも、円安だからといって必ずしも恩恵を受けるわけではない。たとえば、部品を輸入して製造している企業は、原材料費が上がるため、円安のメリットを十分に活かせない場合がある。特に、中小企業は価格転嫁の余地が少なく、円安が続くと資金繰りが厳しくなる。倒産数めっちゃ多いからな。アレ円安のせいでけーだろ。
また、日本の消費者も円安の影響を受けている。輸入品が値上がりしまくっている。
海外のハイブランドのものは、数年前と比べてもうファオタが背伸びしても届かなくなってる明らかに高くなっている。
昔20万とかで買えた服が今じゃ50万の価格帯になってるんだよな。正気じゃねーわ。
そもそも、日本人ってそもそも海外旅行行かなくなってるから、円安のひどさにあんまり気付いてないんじゃないかと思う。昔は「1ドル100円」の感覚で海外で買い物できてたのに、今は円の価値がどんどん落ちて、現地で普通にメシ食うだけでも高すぎる。でも、そもそも海外に行く機会がないと、この感覚すら実感できないんだよな。旅行行かないから「まぁ関係ないか」って思ってるうちに、どんどん日本の購買力が下がってるの、マジで終わってる。
ベーグル8ドルとか、円が100円ならまだマシだけど160円ならもう耐えられねえよ。
日本企業の多くは、輸入依存度が高いのに、円安対策ができてない。結局、円安の恩恵を受けられるのはトヨタやソニーみたいな一部のグローバル企業だけで、多くの企業はむしろ苦しんでる。
しかも、円安が長引くと、給料もろくに上がらないのに物価だけどんどん上がる地獄が続く。海外ブランドは買えない、ガジェットは高い、食材は値上げ、飛行機代も爆上がり。それでも政府は「まだ様子見」とか言ってるのが本当に腹立つ。今の日本人、これが異常な状況だってことにすら気付いてないんじゃないか?
このままだと、円安が進むたびに「日本の労働者は安く買い叩かれる」「生活水準は下がる」「企業は疲弊する」の負のスパイラルが加速するだけだよな。ほんと、いい加減なんとかしてくれよ。声明出せよ。本当にこのままで良いと思ってんのか?
長男6歳、次男4歳で、二人とも知的障害を伴う自閉スペクトラム症と診断されている。
長男と次男で、知的障害の度合いも自閉スペクトラム症の度合いもだいぶ違います。
それに、自閉症スペクトラムも知的障害も、単純に重い軽いというものではありません。
ある分野では定型発達児よりも発達が進んでいたり、反対にある分野では遅れていたりする、「デコボコ」で、ケースバイケースです。
自閉症スペクトラムがなんなのかというよりも、定型発達とはなんなのかを考えさせられます。
2~3歳くらいの時の長男は、どんなに強く言っても、叩かれても、つねられても、引きませんでした。
カンカン照りでも、次男が頭から血を流していても、散歩をやめさせてくれませんでした。
ママにものすごい勢いで怒られ、叩かれ、強情な長男でさえ泣いて怯えますが、楽しいことを見つけると次の瞬間でもキャッキャするのです。
欲しくなってしまった玩具や食品の購入を拒否されても、絶対に引きません。
力づくで店から連れ出されても、どんなに強い言葉を浴びても、ほっぺや耳を引っ張られる痛みに涙しても、買って貰うまで耐えきり、買って貰えさえすればニコニコです。
長男に対して、妻は。話を聞かない、反省しない、と非常に不満を持ってます。
対照的に、次男は怒られてることは理解しても、なにに怒られてるのかわからない子です。
3歳の頃、お風呂上りにリビングでおしっこをジョボジョボしてしまって、怒られるとひどく泣きじゃくりましたが、としても、全く悪びれもせず次の日も同じ様にジョボジョボでした。
外出を拒否されたとき、欲しい玩具の購入を却下されたとき、次男は泣きじゃくります。
仕方ないから外出してあげようとしても、玩具を買ってあげても、拒否された、叱られたという事実が大きすぎて、回復しません。
次男は、上手くいかないとき、要求が通らないとき、身体的に不快な時、モノやヒトに当たります。
暑いとか喉がかわいたとか眠いとか、そういう理由で壁を殴ったり蹴ったりします。
妻に似てるような気がします。
妻はよく「私のほうが大変!」あるいは、「私はこういう気持ちにさせられた」という論陣を張ります。
そういうときに私が
「まずは問題を解決すること、次に効率性、問題を解決した後に公平性に着手すべきだよ」
「こういう気持ちにさせられたということは相手が悪いというロジックだと、それでは常に訴えた側が正しいことになってしまう。
お互いの譲れる部分譲れない部分を聞いて落としどころを見つけるべきでは?」
と諭すのですが、自分が大変な時に楽をしてる人をみるのが許せないとか、自分が不幸なときに幸せそうな人を憎んでしまうとか、そういう思考を捨てることができない人です。
なので、上手くいかないとき、気分を害されたとき、不機嫌になるし、それを表にだします。
次男の場合はまだ幼児、しかも知能の発達も遅れているので、暑いとか眠いとか、そういう身体的な不快を、モノやヒトにぶつけるのです。
少し、話が回り道しましたが、そんな時に長男が理不尽に殴られたり蹴られたりします。
しかし、驚くべきことに、長男は多少泣くことはあっても、基本的に反撃しないんです。
遊びを中断させられたとき、欲しい玩具を買って貰えないときはあんなに強情に粘るのに、理不尽に殴られたり蹴られたりしても、逃げるだけです。
ある日など、自分の顔に思いっきり踵を入れた暴れる弟に対して、弟の涙を拭きに近寄りさらに蹴られてました。
こう書くと、長男は仏、次男はどうしようもないヤバいやつかのようですが、次男のほうがはるかに御しやすいです。
質問に答える知能はなくとも、名前を呼ぶだけで反応してくれると助かります。
なにに怒られてるかわからなくても、あるいは大きな声に反応して行動を中断してくれるだけで、ずいぶん楽です。
最近、4歳にしてトイレができるようになり、オムツが外れました。
トイレで排泄するたびに褒め、パンツを履かせて褒めを繰り返したら、トイレを覚えました。
年上の子たちを真似て、リュックを背負ったり、靴を履いたり、知恵遅れなりに背伸びします。
長男は褒めても効きません。
長男のほうがいつも笑顔で、何かを達成するたびに喜びの叫びをあげ、飛び跳ね、あるいは「ドヤっ!」ってみせにきますが、興味がないことで褒められても、全く響かない。オムツを履かせないでいれば勝手にトイレで用を足すけれど、ガンとして布のパンツは拒否です。
みんながやってるから自分もしたい!、出来るようになりたい!という感情もほとんどない。
次男がお留守番で、長男と妻がこっそり出かけなくちゃいけないようなシーンで、長男と妻が帰宅すると、次男は怒り狂います。
「俺を置いてどこに行ったんだ!」
長男はヒトの気持ちがわからないのかと思ってましたが、最近、妻が怒ってるのを見て「angry」と言いながら、指で持ち上がった眉毛を作ります。
妻が怒ってることはわかってるのです。
さらに、「smile」といって、指で妻の口角をもちあげたりします。
妻が怒ってるのをわかってる。自分がなにをしてしまったのかもわかってる。なのに、「笑え」とやるわけです。
説明が遅れましたが、長男はまだ単語しか喋れません。時々、頑張って2語文が出る程度です。
そして、語彙の半分くらい英語です。
私も妻も日本生まれ日本在住で、日本語しか喋れないし周りに英語をしゃべる人もいませんが、なぜか英語です。
やはり言葉を覚えるには、
②他人の音声に注意を向ける
「ダメ」という単語は理解できない月齢でも、強く「ダメ」と言われたら、その熱量にけおされてやめるものです。
長男はその能力がないので、家族が喋ってる日本語より、YouTubeから流れる英語を覚えてるんです。
英語でなら100まで数えられるようで、足し算なんかも理解してるようです。
そういうゲームで遊んでるのをみてそう判断してるだけで、質問に答えたりドリルを解いたりはしてくれません。
ピクミンやマリオで、様々な謎解きをクリアできてるので、言語とか共感とか以外は同じ6歳児相当な気がします。
さてさて、長くなりましたが、自閉スペクトラム症の長男は、ある種、悟りに近いともいえるような気がします。
クリスマスなのに恋人が居ないという人は、誰かを好きだから一緒に居たいではなく、周りが楽しそうにしてるのに自分が楽しくないから、そのギャップに苦しんですわけです。
みな、いい大学に行きたいと願いますが、いい大学とはなにかというと、偏差値が高い、つまり人気の大学であると考えがちです。
結局、自分が行きたい大学ではなく、みんなが行きたい大学に自分も行きたいということです。
他人と比べて優越感に浸ったり、他人と比べて惨めになったり、嫉妬したりして、忙しく生きているわけです。
その根底には、他人が欲しがってるものは自分も欲しくなるという、感情の同化があるわけです。
相手が反省したかどうかも、相手がどれだけ精神的に落ち込んだかで判断しがちです。
自分が不幸な時に幸せそうにしている人々を憎く感じるのは、自分の不幸が共有されないことに対する抗議です。
もちろん、大人はそれを口に出したらしませんが、うちの次男のようにまだ幼いと、暑いとか眠いとか、そういう不快という感情さえ他人に共有させようとして、暴力をふるいます。
どう思われたいとか、どういう気持ちになって欲しいとか、勝ち負けがない(少ない)から、嫉妬したり、危害を加えてくる相手にやり返したりしない。
普通なら、やり返して、年上の腕力で屈服させないと気が済まないところ、弟の涙を拭きにいく。
長男の知的障害は、言語と社会性の遅れからそう診断されてるのですが、狂ってるのは長男ではなく、定型発達の我々のほうなんじゃないかと思います。
風が動いたわ。
なんにか経済界のことを凄い人がいいそうな市場のこをと現していそうだけど、
私の部屋のエアコンの暖気が上の方に溜まっているところを
サーキュレーターで風を回したら、
風が動いたの!
正確には
空気が動いたといったところかしら。
でそんなに寒くなかったんだけど、
今年の状況は昨年と打って変わって変わりまくりまくりすてぃーで
そうそれよPlayStation5でコンセントが全部埋まってしまったので、
かれこれその状況も経つこと半年以上。
その問題解決のソリューションを見付けたたった一つの冴えた方法が、
コンセントの口を1つ増やすってことのあの部品を買ってくるということ。
早速買ってきて、
いやその前にPlayStationをシャットダウンしなくちゃ。
以前模様替えしたときにパソコンのコンセントを抜き差しして移動して再びパソコンをウエイクアップ、
起動のロゴが出てきたので、
あれ?って思ってなんでスリープしていたのに起動しちゃうの?って思ったら、
って当たり前のことに当たり前のようにビックリしたの。
人は学ぶものなの。
一度過ちを犯した二度過ちを犯さないようにしなくてはと言うことを繰り返し学んだ私は、
あわててシャットダウンした次第なの。
これをサーキュレーターに使ってゲーム機にも使っても1つ口が余る、
ありあまるこの電力の力に夜も暖かく過ごせること間違いないわ!って
思ってサーキュレーターを稼働させたの!
だんだんと室内がエアコンの暖かい風の暖気で盛り上がってくると、
サーキュレーターがいい感じで
暖かい風を下に下ろしてくれるの。
床が寒くって寒くってってよく今まで今は2月といえ
今シーズンの冬を過ごせてきたわよね!って我ながら寒さに耐えてきて春が来たことを喜ぶ歌を歌う松たか子さんのようにもそう思うの。
設定温度も
風が回るのってこんなにも違うのね!って
コンセントの口を増やすことを念頭に置いた1年の刑は元旦に処す!って言うぐらいその時からやっておけば良かったことを
今になって後悔する前に実施して作戦成功になったことは喜ばしいことだわ。
でも本当はもうちょっとお部屋片付けて
本の中に埋もれてしまった石油ファンヒーターで火を噴かせたいのよね。
はぁ、
本にまみれて埋まってしまっていて
発掘するのが大変だわ。
これも長期的に掘り出して石油ファンヒーターを取り出す作戦も実施したい救出いざ!ってところだけど
その前に春が来てしまうわ。
春になって夏前の暖かくなってきた頃に来シーズンの使える石油ファンヒーターを本の中から掘り出してしまう長期計画を今こそ立てるべきじゃないとやんないのよね。
そしてまた冬が来るのよ。
次は石油ファンヒーターを使えるようにするわ。
来年の冬いや今年の冬か、
きっともっと暖かく過ごせるはずよ。
とりあえず
風が動いたわ。
うふふ。
納豆食べたい欲一瞬強まることがあるので
昨日の晩は買い物で納豆パック大の大粒カップを買ってきてリッチに納豆を味わいたいところよ。
納豆美味しいわよね。
好きだわ。
朝がもう寒くって寒くって朝に沸いている飲み頃の70℃のホッツ白湯ストレートウォーラーはダイレクトにカップに給湯すれば
直接飲めるホッツとして起きてすぐ3秒以内に準備が出来るから
ホッとするわ。
朝はじんわり起きて背伸びして温まるまで
そんな朝の温活かしら。
寒さいつまで続くのかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
とりあえずお疲れ。
疲れたよな。
笑顔でも泣き顔でも怒り顔でもどんな顔でも、最後の結果が出たときの親の顔が頭から離れないよな。
分かる。
恐らく君は志望度の低い私立か、もしくは公立に進学するのだろう。
どちらにしろ辛いよな。
なんのためにあんなに頑張ったのだろうって思うよな。
中学受験の罪深さって、積み上げたプリントの高さだけ、本来なら見なくていい先の景色を見せちゃうところなんだよな。
しかもその景色は受験の合否に関係なく、サピや早稲アカで課題を積み上げたという経験だけで強制視聴させられてしまう。
医者?弁護士?研究者?外資系金融?コンサル?財閥系企業の総合職?
芦田愛菜みたいなキラキラした目の偏差値70が語る理想は、ちょっとだけ成功した親を熱狂させ子供を必死に神輿に担ぐ。
とりあえずさ、今は何も考えられないかもしれない。
それでもいいよ。
自分の時間の流れをもとに戻すまで時間がかかると思うのだったら、好きなだけ好きなようにして過ごしな。
大丈夫。
君の「良い親」はそれくらいのスネはいくらでもかじらせてくれる。
そしてやっと今いる場所を冷静に見回せる心境になったら、自分にとって「気持ちいい事」はなにか真剣に考えてみな。
思春期に絶対に抑えておかないといけないのは、礼儀でも経験でも、もちろん勉強でもない。
自分のツボを抑えるということだ。
自分が何を気持ちいいと感じるか把握していることは、まともな大人になる必須条件だ。
自分の欲と向き合うことが出来る大人はどんな世界に行っても生きていける。
好きなことはあとでいくらでも見つかるが、仕事や人生は「気持ちいいこと」を優先して決めるんだ。
自分の気持ちいいことを把握していれば、仕事も仲間もすぐに見つかる。
その上で、もしどうしても受験に未練があるのなら必ず大学受験でリベンジしろ。
大学受験は何十歳になっても受けていいのだから合格するまで何度でも受験しなさい。
その時「気持ちいいこと」を見つけた君は、きっと本当に楽しい人生が送れているよ。
中学受験のプリントの分だけ背伸びした時に見えた偽物の理想的な景色ではない。
自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の手で掴んだ本当に理想の未来に行ける。
大丈夫、まだまだはじまったばかりだ。
常設化されるタイプのテーマイベントは、部分的に時限報酬あるとしても30日以上の時間が取られているから、その分コンテンツの所要時間も多くなるだろう
一週間サイズのイベントを基準にして1時間くらいと考えてもらって、他の大型・中型イベントにも当てはめてもらえば、だいたい期間あたりの時間拘束はそれくらいになると思う
危局みたいなピーキーな戦闘系エンドコンテンツは古参や課金者が腕を振るう場として用意されてるので、ハードルは高くなるがやらなくても問題ないもの。
それに以下で試算してるように、キャラ確保に徹するなら微課金でも9割がたキャラを取れる設計になっているから
https://anond.hatelabo.jp/20250107125522#
高強度のエンドコンテンツを目指す場合でも、強キャラ(虚狩り枠)を意図的に取り逃がしていない限りプンプンするようなことはないだろう。それにパイパー入りのS無凸編成でもかなりのスコアを出せる。
https://www.youtube.com/watch?v=S-N1yNyIoLc
なんにせよ危局は特にキャラ確保数が重要なエンドコンテンツなので、キャラ数や育成数を揃える段階にないプレイ歴の人であれば無理に背伸びする必要はない。
ホヨバに関しては全キャラ無凸無餅でも適した編成さえ組めればどんなエンドコンテンツも十分やれるようになっているから、コンテンツ制覇がゲームプレイの目標になっている人で課金額が限られている人は、特に無駄に凸などに浮気しないことを強く勧める。
年が明けた。もう30代半ば。婚活歴、長くなってきた。
「今年こそは」とか「今度こそ出会える」なんて、もう言いたくない。正直、言い飽きたし聞き飽きた。友達も家族も、言葉には出さないけど、心の中で「また?」って思ってるの、わかる。私だってそう思う。
でも、諦めたわけじゃない。むしろ、今年は違うんだって、自分で自分に言い聞かせてる。ただ、焦るのはやめる。今年は、「選ばれる」んじゃなくて、「選ぶ」年にする。
思えば、ずっと誰かに良く思われようとしてきた。プロフィール写真は奇跡の一枚を探して加工しまくり、趣味だって本当は興味ないけどウケが良さそうなものを並べた。会話だって、相手の好みに合わせて調子を合わせてた。でも、そんなことしても上手くいかないんだって、もう気付いた。
だから、今年はもっと自分を出す。好きなことを好きって言うし、苦手なことは苦手だと言う。背伸びしないで、そのままの自分でいい。そうじゃなきゃ、たとえ相手が見つかっても、続かないと思うから。
友達が去年結婚して、「結婚ってゴールじゃなくてスタートだよ」って言ってた。その言葉、最初は半分聞き流してたけど、今になって思う。自分を偽って結婚したら、スタートラインに立った時点で息切れしてるんじゃないかって。
だから、今年の抱負は「私を生きる」。自分を大事にする。誰かに合わせるんじゃなくて、私自身を選んでくれる人を探す。それが難しいこともわかってる。でも、今年はそれをちゃんとやりたい。
新年の空気は冷たくて、でもなんだか澄んでいる。未来に期待する自分がいることに気付く。きっと大丈夫。少なくとも、私はもう一歩踏み出してる。
私は第一子で、3つ下の妹がいる。
比較的裕福な家に生まれて恵まれた環境で育ったけれど、精神のバランスがうまく保てなくてどうにも生きにくい。
中学は不登校の時期があったし、せっかく入った難関高校も退学した。社会に出てからも長く続かず苦労した。
グレかけた時期もあったし、腕にはリストカットの跡が今も残っている。精神科に通い薬漬けだった時期もある。
手あたり次第男と身体を重ねたり、隠れてタバコを吸ってたり。タバコは、今もだけど。
アラサーになった今、ようやく精神も生活も安定してきて、過去に整理がついて納得感がある。
持って生まれた性質による不安定さもあるんだろうけど、「お姉ちゃん」という役割からくる影響も大きかったなーと今は思っている。
世の中の「お姉ちゃん」を持つご両親に、苦労した「お姉ちゃん」からお手紙を書いてみようと思った。
一番嫌いな言葉は「お姉ちゃんなんだから、~しなさい」 だ。たぶん9億回は言われている。
親も親で必死だったんだろうと今なら理解できる。子供ってだけで論理が通じなくて大変なのに、癇癪起こしてたらなおさら。
私も甘えたいのに、おもちゃで遊びたいのに、お菓子食べたいのに、先に生まれているという理由だけで我慢させられる。
好きで先に生まれたんじゃない!勝手に先に生んでおいて理不尽を強いるな!と子供ながらに思っていた。
そんな理不尽を強要してくる親は、私より妹の方が大事で好きなんだろうな~、とか。
実際聞いたこともある。ママは、私より妹ちゃんの方が好きなんでしょう?と。
母は「そんなことないよ。どちらも大事だよ。」と答えた。納得はしなかった。言動が一致してないから。
これ以降、言ってることとやっていることが一致しない人が大嫌いになった。
どこだったかはわからないが、役所のような何か手続きをするところに、母と妹と3人で行ったときのこと。
当時私は4歳とか5歳とか。妹は2歳くらいかなあ。
待ち時間が長くて飽きてしまった妹が、廊下を走って遊び始めた。母は手続き中で窓口にいる。
「お姉ちゃん」である私は母から妹の面倒を見るように言われていたので、遊ぶ妹を落ち着かせようと後を追いかけた。
うるさくすると迷惑がかかる、とわかっている私は足を止める。妹が逃げていく。部屋を出ていきそうだ。
こっちに連れてこないと、と追いかける。奇声をあげて逃げる。足がとまる。
そんな姿をみて、他の窓口対応中のおじさんがこちらを見て怒鳴った。
「君たち、いい加減にしないか!」
君「たち」? ああ、そうか。傍からみたら私たちが鬼ごっこしているように見えているのか。
私はあなたたちに妹が迷惑をかけていることがわかっているから止めようとしていただけだったんだけど。
そんなこと説明したとしてもうるさくしてた事実は変わらないよね。
妹を制御できなくて「ごめんなさい」。ばつが悪い顔をして謝った。
母もやってきた。一緒に謝った。その場では、やんちゃ姉妹というレッテルが貼られたことを理解した。
後から、母には遊んでいたわけではなく止めようとしていたことを説明した。
「でも、結果的に迷惑をかけてしまったから。止め方は考えないといけないね」
結局、妹を制御できない私がいけなかったみたい。
このやりとりは今でも夢に見るし、おじさんの顔も、おじさんのお客さんの老夫婦のこちらを睨む目もよーく覚えてる。
3年先に生まれただけでこちらも子供なのに、妹のために悪者にならないといけないんだと学んだ、強烈な記憶。
私は「子供」である前に「お姉ちゃん」なんだ、ということを理解した。
1人の人間としての私の気持ちを、母に否定されていること。もちろん、本人にそのつもりはないと思うのだけど。
こんな経験が日常的にあるので、本音を言わない子供になるのに時間はかからなかった。
お手伝いもするし、好き嫌いせず食べる。勉強はしっかりして成績をキープ。
習い事やお稽古もしっかりして、結果も残す。妹のお世話もする。
夜ベッドに入ったあと、よくわからない涙を流していた記憶がある。同じ部屋で寝ている妹を起こさないために、声を殺しながら。
本当はこうしたい。でも言っても実現しない。「お姉ちゃん」やめたい、でも両親は子供らしい私を求めていない。
我慢、我慢、我慢、妹が優先、妹は年下だから、まだx歳だから、親がたくさん時間を使ってあげないといけない時期。
わたしは「お姉ちゃん」で、大人だから、我慢できるよね?できる。本当に?できなくても、やるしかない。
幼少期にスポットを当てて書いてみた。
結局言いたいことを一言にまとめるなら、
子供時代に子供としてふるまえず、背伸びして我慢して過ごしていると、精神がねじれてしまう。
ねじれた精神は簡単なきっかけで崩壊する脆さを孕み、生きにくさを抱える大人になる。
あれ、二言になった。でも綺麗にまとめると、こう。
「お姉ちゃん」は大好きな両親に求められたら全力で「お姉ちゃん」をする。
でも中身は子供であることを忘れないでほしい。妹が寝たあと、「お姉ちゃん」の子供タイムを作ってあげてほしい。
目いっぱい甘えられる時間があるだけで、本音が言えるだけで、精神はねじれずに生きていけると思う。
ねじれまくった私が今どうやって生きているのかを、最後に書いてみようと思う。
実家から飛行機の距離に移住して「お姉ちゃん」として過ごす時間を強制的に減らした。
1人暮らしをのんびり謳歌中。この地にきてから精神も仕事も安定している。
精神的な脆さがコンプレックスなので、恋愛には積極的になれない。
いい関係の異性ができても、甘えられると姉アレルギーを発症して距離を置いてしまう。とはいえ、こちらから甘える方法もわからない。
ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」は家族旅行あるあるみたいな感じ。ちょっとした会話のささいなことで不機嫌になったり、いろいろと期待してしまったりする。そして、年を取ってから家族の思い出の場所を訪れたりすると、あのとき気づかなかったことがわかる。
基本的にヴァージニア・ウルフがすごい好きで、上みたいな家族の何気ない感情や小さな苛立ちがきれいに救い上げられていて、それらがシームレスに別の人の感情に繋がっていくのがカットの切り替わらない映画みたいでとにかくきれいで、「意識の流れ」とかそういう文学用語を抜きにして、ひたすら浸っていたい。大体、プルーストとかジョイスとかも同じ言葉でカテゴライズされるけれども、資質が全然違う。同じ理屈で「ダロウェイ夫人」も大好き。最高。神保町で買った「波」はちょっと難しかった。
ジーン・リース「サルガッソーの広い海」は「ジェイン・エア」の二次創作というか、正気を失ったモンスターとして出てくる、つまり人格を持って主人公と関わらない、ロチェスター夫人の背景の話(当時の精神病への偏見が見えるね)。ロチェスターってひどいやつだな、何でこんな奴がモテるんじゃいみたいな気持ちになる。
ところでこの作品の原典の「ジェイン・エア」って、叔母にいびられたり闇を抱えたイケメンが出てきたりと、なんとなく女子受けするフィクションというか、ある種の朝ドラのプロットや女子向けラノベに何となく似ている気がするのだが、それらをろくにきちんと見聞きしたわけじゃないのでエアプと偏見であるし、以前に別の作品をこういう女子受けという論点から語ったところ増田ではものすごく叩かれたので、うかつなことは言えない。ついでに叩かれたせいでその作品にまつわる十代の思い出まで汚してしまったような気がした。増田に常駐していると若干煽るような表現をしてしまうようになるので、いい加減に別のSNSへと移住する潮時かもしれない。
あとはそうだな、ロチェスターがイド、ジェイン・エアが自我、リヴァーズが超自我でラストにロチェスターがおとなしくなったイドなんじゃないかって、初めて読んだときに思ったのだが、これはフロイトの本を斜め読みした僕の偏った知識と解釈だと思う。独学って現在の潮流を知らないから偏るんだよ。
フランツ・カフカ「失踪者」をはじめ、彼の長編は大体未完成で、しかもとにかく主人公が訳も分からないままひどい目にあい続けるのだが、例えば女性と恋に落ちる場面があってもさらなる不幸への入り口に過ぎないのである。性欲を見せたら罰を受ける世界観だなって感じた。カフカは短編を読んで気に入ったら長編を読めばいいと思う。未完成だし。威圧的な父の陰/社会の不条理な規範から抜け出せない人におすすめ。いい作品、心を打つ芸術って苦しんだ人間から生まれる。その点共産圏ではすごいいい芸術が生まれているんだけれど、こういう背景を知っていると喜べない。
あとクリスタ・ヴォルフ「カッサンドラ」ね。古典のパロディは基本的に好き。知っていること前提でどうずらすかってのは、原作を知っている映画を観に行く楽しみに似ている。とはいえ、作品としてはそこまで面白いとは感じなかった。この小説は神殿で犯され、捕虜となって異国の地で殺される運命を知っているカッサンドラの視点で語られる、フェミニズム的再解釈で、ギリシア神話の通説とは異なり、ギリシア方のアキレウスの英雄性を否定し、彼を暴力的なけだものと終始さげすむ。一方、トロイア方のアスカニウスやアイネイアスが女性に理解を示す理想的コミュニティを築いているのが、なんというか、安直な善悪の対立みたいで面白くなかった(僕がトルストイをあまり高く評価しないのもそれが理由)。結局カッサンドラがどんな澄んだ心境に至っても、結局は異国で無残に殺される運命は覆らないしね。
ところで、フェミニズムについてはいろいろ話すと長くなるが、僕は女性への不当な扱いや尊厳を奪う暴力には激しい怒りを覚えるし、平等な教育や選挙権・被選挙権に感謝しているし、きちんと耳を傾けなきゃと思う一方で、フェミニストには一定数のとても失礼な人がいるのでどうしても印象が良くならない。リベラリズムを気に入っていてもリベラリストには疑いの目を向けているし、愛国心があっても愛国者を名乗る人は警戒してしまうのと理屈は同じだ(思想が好きで人間が嫌いってことか?)。
ただし、アンチ・フェミニストにも倍ぐらいヤバい人がおり、つまるところ自分の大嫌いな人や対立する価値観と向きあい続けて正気を保つのは難しいってことなのかもしれない。日常的に他人を見くだしたり嘲笑したりするのは、風刺は有効な文学上のレトリックであるとはいえ、その末路がどうなるかは目に見えている。なので、僕も嫌いな人たちの実例を挙げるのはやめにする。右にも左にもいっぱいいるけれどね。そうするとこのエントリの長さが倍になるし、本筋からも離れてしまう。
しかし、やっぱりジェンダーをめぐる歴史は面白いなとも思う。時折SF・ファンタジーで女性だけの政治的な力を持つ集団が出てくるんだけど(たとえば上橋菜穂子の守り人シリーズ「虚空の旅人」)、これは女人禁制のクラブを裏返しにしたものなのかなとか、イロクォイの社会がモデルなのかなとか考える。他にも、ミノア文明はチグリス・ユーフラテス起源の現代文明と違って、壁のない開放的で平和な「女性的」文明だったとか、面白い仮説があったりする(ただし戦国時代にだって城壁が無かった点には注意するべきだ)。否定されたものを含めて仮説を知るのは、先人が知恵を振り絞って、どう考えてきたかを一緒にたどれる思いがする。どのような誤りをしたかは、時代による制約と、文化による偏見を反映しており、それをどうやって乗り越えたか、筋道をたどるのは楽しいし、自分の考えの偏りにも気づく。
それに、右や左の極端な意見をいう人は、今の社会で辛い思いをしていたり、正しいとされている価値観から救われなかったりしたから暴走している面もあるので、彼ら・彼女らの不寛容を叩けば解決するもんでもない。
ミルチャ・エリアーデ「マイトレイ」は留学先の(それともホームステイ先だったっけ?)インドのお嬢さんに恋をする話なんだけれども、相手の文化を読み誤って結局結ばれずに終わる。「え、これはしていいのにこれはタブーなの? なんか地雷踏んじゃった!」「両親から仲を祝福されていると思ってたのに全然違うじゃん? どうなってんの?」みたいな。
それにしても、失恋して「何もかも破滅だ」って気分になって、遠くまで旅に出るってパターンは万国共通なのね。懐かしい。恋が実らなかった僕は大学の夏休み中何キロも不毛なほど東京都内を歩き回っていた。(ただし僕の場合つきあって振られたのではないので、「それは失恋とさえ言わない」と説教してきた同級生がいた。ひどい)。
アルべルト・モラヴィア「軽蔑」は前にも書いたけれど、妻の心離れを察した夫が、「どうすれば僕のことをまた愛してくれるの?」と情けないくらいに相手の顔色をうかがったり、腕力に頼ろうとしたり、嫌いな相手の前にみっともなく頭を下げたりと、一番やっちゃいけないことを繰り返して、とうとう上司に寝取られるお話。で、これは実際に妻と別れた夫が書いた小説なんだけれども、ラストで寝取った相手と妻がひどい結末を迎える。どんだけ妻を恨んでたんだよ。でも、こういう小説からしか得られない快楽というのは確かにある。僕も「愛してよ愛してよ」という飢えが丸見えだったと思うし、だからまったくモテなかった。チクショー。
ところで、(BSS「僕が先に好きだったのに」を含めた)寝取られについてだけれども、文学では読めるくせに寝取られ系のエロ本はまったく興奮しないし、嫌悪しか感じない。
文学を読んでいる時には、「どうせ自分は愛されないんだ、もうダメだ」という観念をもてあそんでも心はそこまで傷つかないというか、屈折した自己愛にじくじくと浸っていられるのだが、パンツを脱いでいるときに自分は男としてダメなんじゃないかって考えをいじくりまわすには僕は繊細過ぎたというか、裸になってそんなことを認めてしまっては、理想からかけ離れた自分に対する嫌悪と、現実社会の中で何とか自分が機能していくための自己愛の、微妙なバランスが崩れてしまう。知的な文学という鎧をしているときと、本能丸出しの全裸のときとでは、股間にパンチを受けたときのダメージが違うのだ(増田で本音を徒然書いて叩かれるとしんどいのもそれ)。
結局のところ、海外文学という幻想に逃げていて、同世代の人間が普通にセックスしていることが受け入れられなかったし、高校生がセックスしていると考えると嫉妬に狂いそうになっていた。倒れそうなほど空腹なのに目の前でご馳走を食べる人を、指をくわえてみているような痛みだった。十代の激しい性欲を受け止めてくれる誰かがいる空想は自分をさいなんだ。今にして思えば、セックスをしているからと言って、良好な関係であるとは言えないとわかる。なんであれだけ文学を読んできたのに、それがわからなかったんだろう? 手に入らなかったものがとても素晴らしいものに見えるからだろうか?
大学生の僕は文学サークルの後輩カップルが普通にセックスしていることを聞いても、上野動物園を一角獣がうろついていることを考えるほうがまだリアリティがあった。こういう人間が、幸せなカップルが出てくる真っ直ぐな十代向けのフィクションを読めると思うか?
三十代になってから、中高生の頃に現代文の先生が教材として使った石田衣良「4TEEN」やその続編で「6TEEN」を読んだのだが、主人公が美少女と知り合い、幸運なことに彼女が処女を卒業したがっていると聞いてそのままラブホに直行してベッドインし、童貞を卒業するシーンを見つけ、とにかく馬鹿馬鹿しい気持ちになり、なぜこんなものを読まなきゃならんのかと腹が立ってしょうがなかったのである。
ウワァァ━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━ン!! それ以外は男子の友情を描いた割といい作品だと思う。
こんなJ-POPの歌詞やポカリスエットのCMのような感傷マゾに浸っていた僕が(どれくらいの感傷マゾヒストだったかっていうと、カラオケではポルノグラフィティの失恋ソングばかり歌っていたし、深夜までネットをしてて、さすがに寝ようかという前に、EOEの「Komm, süsser Tod」、「雲のむこう、約束の場所」ED「きみのこえ」、坂本真綾「tune the rainbow」を聞いてすごく感傷的になって布団に入る習慣だった。新海アニメのなかでヒロインが名前を呼んでくれるシーンがあって、それで情緒をぐちゃぐちゃにされていたのである。絶対ラブプラスをやっちゃいけない人間だったと思う)、何でラノベを読まなかったのかというと、ライトノベルではどうせエロイベントがあっても本番はしないだろうと思い込んでいたからだ。そうやって背伸びをし続けた結果良くも悪くも今の自分がある。
とはいえ、今にして思えば、普通に現代の小説を読んでおけばよかった気がしないでもない。
続く。
スマホを買った。7万もする奴。普段は2~3万くらいの使ってたのに、高揚感に負けたのかいつもの3倍近くするのを買っちまった。安物に比べたらサクサクだし高いだけある。まあ出来ることは大して変わらないけど。
それはさて置き。問題は気兼ねなく使えなくなった。俺が今手にしているのは7万の機械なんだって凄い気にしてしまう。クソ高いiPhoneを使い倒してる人は世の中たくさん居るが彼らの立場になれない。飯食いながらとかうんこしながらとか出来ない。
ある程度の大人であれば7万はそう高いハードルではない。でも、そのハードルを目の前に慄いている俺がいる。みみっちい事を考えてしまう。これを書いてるPCは20万越えてるのに我ながらなんだその差は。
そもそもなんで安物を使ってたかってどうせ消耗品だし3万程度ならと切り替えられるラインがその辺だったから。多分その金額そのものより普段より高い物を使っている部分が引っかかってしまうのだと思う。
買った当初ならではの扱い方ってのもあるにはあるが、気にして満足に使えないならいっそのこと売っちまうか迷ってる。数千円くらいのマイナスで済むから俺はそういう人間なんだと割り切る勉強代として許せる。こんなつまらない感情を持ち続ける心の枷はさっさと取っ払った方が良いのかもしれない。
世帯年収800万、子無し(今後も予定無し)、現在の家賃が諸々含めて10万弱。
こんなに家賃払うくらいならマンション買ったほうがいいじゃんと思い、探し始めてはや数ヶ月。
中古ならそこまでせんやろ~~~なんて甘く考えていた。
ところが築30年超のマンションでも3,000万は余裕で超えてくる。
もちろん駅からめちゃくちゃ遠いところを選べば値段は下がるけど、
通勤の関係上、せめて自転車で駅にアクセス出来るところでないとまずい。
駐車場も最低一台分は必要。広さも今と同等…と考えるとほんとに選択肢がない。
これに駐車場代まで入れたら3.5万~4.5万円は毎月かかってくる。
今の家賃と同レベルのコストを毎月払う範囲でローンを組むと想定すると、
ローンに回せるのは月に5.5万円~6.5万円。
今後収入がぐっと伸びてくる気はしないし、生活コストは上がり続けている。
そのへん考えると余計に背伸びしたローンなんて組めない。
先が見えない業界で働き始めたのがそもそも間違いだったのだろうか。
学生時代の同級生なんかは何だかんだ安定した職についたり田舎で頑張ったりして、
家なりマンションなりを手に入れている。
雑に扱われ続けてきたから「雑に扱うな」と妻から泣かれる。どうやったら良いのか分からん。
出来たと思っていたけど、根っこがダメなんだから無理なんだよ。
「きちんとした人」と合うわけがないんだよ。思い上がるなと過去に戻って自分を殴ってやりたい。
似たもの同士で結婚するべき。自分の結論はこれな。そこで背伸びをしても不幸な人間を増やすだけ。
母は精神疾患持ちで水商売(定番だよね)/母子家庭(当然)/父は蒸発(いつか会いたいな)/母親が男と遊びに行く日は深夜まで一人で留守番(寂しかったな)/泣くまで毎日怒鳴られる(頭の中が真っ白になったっけ)/強制的にバリカンで丸刈り(小学校でバカにされていじめられたっけな)
子供の頃は辛かったな。辛かったよ。勉強だけが現実逃避だったよな。
東大へ行って就職偏差値が高い会社に入った自分を褒めていたし、そういう成功体験だけが自分を支えてくれた。
世間一般よりもだいぶ早く出世できた(誰も褒めてくれないし承認されたいから書く)。三十歳過ぎてすぐ課長と部長だったもんな。
ちゃんとした家に生まれて、大事に育てられた女性と結婚して出来た気になっていたよな。調子に乗ってバカですね。「俺の人生だ!」とか真剣に思っていたもんな。
境遇が似ていた同級生がそうだったように、高卒で自動車会社のライン工になって親がアル中とかの女性と結婚して支え合って生きればよかった。でもそんなに甘くないよね、きっと。
このドラマの感想って当時の端島のとかその一言一言に意味が!とか壮大な伏線が!とかなんか違和感がある。
バカが背伸びして小難しい話をしたがって滑ってるみたいな感じかな?
どれも具体性にかけるわり伏線伏線いっててで?何が伏線なの?ってつめるといやー映像美がー!当時の端島の生活がー!って言ってて伏線どこ行ったとつっこみたくなる。
ドラマ視聴してて当時の端島の生活とかどうでもいいしMIUやアンナチュラル作った人にはそっち路線での期待してんだよ。誰も壮大なラブストーリーとか期待してない。
壮大が聞いてあきれる。
恋愛ドラマは未ださんざん描かれてきて視聴者はあきあきしてるからわたしの宝物が視聴率を少しづつ伸ばしてきている。
もうこれ見てるの頭のわるいジジババばっかじゃない?
可愛い服を身に着けていいのはカーストトップオブトップの女子だけ、中途半端な女子は人様に迷惑をかけないように身分相応の地味な格好をしないといけない、ブスが色気づいた格好をするのはマナーとして絶対に許されない
これは私の思っていることに似ている。
違うのは女性は女子力相応の格好や立ち振る舞いをするべきということ。
つまり段階に応じて女性らしい格好や立ち振る舞いはしてもいいし、すこしは背伸びしてもいいと思ってる。
あと、年齢に応じた減算も考慮に入れる。マックス女子力を出せるのは20代までで30代以降は年代が上がるごとに -2 修正を受けると考えた方がいい。
女子力3の人間が女子力7の格好や立ち振る舞いをするのは分不相応で不快感を与えるが、女子力4くらいの背伸びならアリと思っている。5の背伸びだと許されない可能性も出てくる。
女性は今の自分がして許される限界を認識するべきと思ってるし、明らかに限界を逸脱している人には殺意を抱く。
ちょっと地味からお洒落程度の服はどの女性が着てもおかしくはないけれど、明らかにセクシーなのは自分に自信が持てるまで封印して部屋の中だけで着て楽しむべきものと思ってる。
時代遅れの女子要素(たとえば「いやーん」などの叫び声)は女子力が8あってもキツい(9か10でギリギリ)なので常にアップデートを心掛ける。
去年、港区の港南地区の築古のタワマンを買った。30代前半で独身だもんで、頭金出すのにほぼ全財産はたいて、これからほぼ死ぬまでローンだ。港南で古いタワマンなんて数えるほどしかないから、わかる人にはバレバレだろうけど。底辺サラリーマンが強引に背伸びした感じ。
普通なら「独身のうちから身の丈の合わないローン組むとか正気か」って話なんだよな。ただ、俺はそれで人生が救われているとしか思えないんだ。
2年前から会社との関係が最悪。ジョブ型雇用なのに、ある日突然「君の能力を活かせる場所があるから」とか意味不明な理由で、まったく関係ない部署に飛ばされた。教育?サポート?そんなもんあるわけない。1年半くらい必死にやってみたけど、当然ポンコツ扱い。自分でもわかるほどなんもわからない。とはいえ、頑張ってるのに「まだまだだね」とか言われ続けてさ。なんなんだよ。
深夜や土日といった空いた時間は酒飲みながら勉強してる。転職しなきゃって思うけど、今の状態で面接とか無理。というか履歴書の職務経歴欄になに書けばいいかもわからん。本職からすれば2年も何もしていない人でしかない。酔いながら「俺って何ができる人間なんだ?」とか考えてる。
プライベートもめちゃくちゃだ。会社のせいで忙しかったり精神状態が一定じゃないのもあるけどほかにもいろいろあって、人に会うのも嫌になって、誰とも連絡取らなくなった。結婚や子どもなんて夢の話のようにしか思えない。
はたからみたらまるっきり鬱でひどい精神状態に見える感じじゃないかなーと思う。
ただ、夜になってベランダから街見てると、なんか気持ち落ち着くんだよな。再開発で次々新しいビル建って、地価も上がってって。俺の人生は停滞してるけど、この街は確実に上がってく。俺の代わりに成長してくれてる気がする。
この街見てると、子育ての気持ちがちょっとわかる気がする。自分はしょぼくても、大事なものが育ってくの見守れるの、それだけで救われる。俺にはもはや子どもなんて望めないからこそ、余計に。
昨日も「あー死にてえな」とか思いながらベランダから街を眺めると、高輪ゲートウェイの駅ビルの明かりが見えた。来年の3月から開業するためのその明かりの瞬きを見ていると、すごく安心した。この街には、まだ見たことない景色がいっぱいできる。それぐらいは最後まで見届けたいなーと思えるんだよな。
人って誰かに認められなくても生きていける。でも、なんか信じるものないと無理。今の俺にはこのマンションと街しかない。はたから見ていると、街と自分の人格を同一している異常者だろうけど、このタワマンのローンは俺の命のローンでもあるんだ。