はてなキーワード: 軍事技術とは
戦争反対ってそれ自体はいいんだけど、戦争反対「だけ」してればそれでいいかのような人達が目立つのが問題だと思うよ。
その人達は今の日本の「平和」な状況の下、苦しんでいる人間の多さにあまりにも無関心に見える。
戦争がなくても人は死ぬんだよ。飢えや病気や寒さや、過酷な労働環境や人間関係によって。
高額療養費負担増や消費税や独身税などにも反対するならいいけれど、戦争反対「だけ」叫ばれても賛同し難い。
権力の横暴に対し、暴力をもって立ち向かうしかない場合だってあるだろう。
「戦争反対」のワンイッシューだけで勝負しようとすると、そういう事例まで問答無用で否定されてしまう。
例えばアメリカ独立戦争なんかは、世界史の中で割と肯定的に語られてないか?
仮に憲法改正するなら抵抗権の条文こそ盛り込むべきじゃないのかと思う。
もっとも、国家規模の軍事技術に関して民衆が立ち向かうというのは今日では現実的でないし、戦争反対を叫ぶ事それ自体が間違っているとは言わないが
要は「誰が」「いつ」「どんな文脈で」言うかなんだよなぁ…
少なくとも、東京都内に住み、高い所得を得て、容易に結婚出産し、何不自由なく暮らしている子持ち男女やその子供達には言われたくないと思う気持ちでいっぱいです。
「戦場のリアリズムを描いた」――。富野由悠季監督(84)が手がけたアニメ「機動戦士ガンダム」がテレビ放映されてから46年。これまで70以上のシリーズ作品が生み出され、その原典として今なお、愛され続けています。戦争体験から遠ざかった世代が大多数となった戦後80年、アニメなどフィクションを通して描かれる戦争はどう変わったのか。視聴者の意識は。〝最初のガンダム〟にこめた思いとともに、語りました。
――今年も、最新作「機動戦士ガンダム ジークアクス」が大きな話題を呼びました。富野さん以外が監督したものも含め、映像化されたものだけで70作品以上になります。時代ごとの新しいガンダムシリーズから入ったファンが、1979年放送の初代ガンダムを見るという流れができています。
本当に嫌な言い方なのですが、僕以降のガンダム作品は一切見ていません。作り手が違えば、他人が口をはさむのはよくないからです。ガンダムという作品が商品になってしまい、作家の立場からは何も言えなくなったのです。
ちょっと違うなと思う作品もあるし、逆に、ああ僕には作れないよねと思った作品もある。だから、ガンダム人気を支えてくれるための新作というのは認めるんだけれども、元の作品とは一緒にしてもらっちゃ困るというプライドもあります。
ガンダムは発表当時、人気がなくって、めちゃめちゃにへこんだ時期もあります。それが今、こうして親しまれているのはうれしいものです。
昔は「子どものもの」「絵空事」でしかなかったアニメという媒体を、考える材料として見てくれているというのは、うれしいですよ。だけど、困ったこともある。40年、50年経って、ガンダムというタイトルは残っても、原作者の名前というのは消えていくのも宿命なのです。そういう歴史的なところに足を踏み込んでしまった、というのはちょっと寂しいなとも思います。
――ガンダムで描かれた戦争の描写には、どんな思いを込めましたか?
ものすごく簡単です。子どもたちに、戦闘行為というのは乱暴な行為だからやってはいけませんよっていうことを分からせるということしかないですね。
ただ、当時の観客がそれを理解しているかと言ったら、ほとんど理解していないんです。それはもう仕方ないことで、理解してもらうのに20年、30年、かかるんだという覚悟はしていました。
独裁者をどう止められるのか
――長年のガンダムファンの一人として、かつては「ジオンにもジオンの正義がある」という捉え方が少なくなかったように思います。今、SNSなどを見ると、ジオン公国の独裁や大量殺戮(さつりく)に対して、批判的な見方が増えているように感じます。
僕の立場としては、良かったなと思っています。視聴者の年齢が上がってきて、みんなが勉強してきたんですよ。だってガンダムなんて46年前の話ですよ。かつてのアニメファンが成長して、大人になっていく中での理解が広まっていったのだと思います。
むしろ、僕が今、困ったなと思っているのは、実際問題として想像したときにギレン・ザビ(ジオン公国総帥)のような独裁者をどうすれば止められるのか、ということ。
作中ではザビ家内の権力闘争の結果、妹(キシリア)の手によってギレンが殺され、独裁体制は崩壊しましたが、現実はそう簡単にはいっていないでしょう?
暴力によらない、政治的な手段で独裁者を止めるにはどうすればいいか。その難しさを考えさせられているのが、ガンダムの真骨頂なのです。
――作中で描かれるジオンの設定を見ると、ドイツなど第2次世界大戦の枢軸国のイメージが重なります。設定の意図は?
明確に敵というのは分かりやすく作らなければいけないのですから、皆さんが知っている独裁体制を利用しただけです。
増えすぎた人口を移したスペースコロニーの中で、独裁国家を作る。自分たちは「棄民」である、地球には帰れないらしいという境遇になれば、やはり「反地球」の行動を起こすだろうという設定は見事にできたと思っています。
そうしてフィクションを描いたつもりが、20、30年もしないうちに、次の独裁者の誕生が現実になってしまいました。
ロシアやアメリカの現状や、中南米、アフリカ、中東各国の事例を見ても、今の国際政治は、アニメ以下でしょう。このまま、行き着く先まで問題のある政治家たちを是認していったらどうなるのか。
独裁者のような人間が大国を動かしている21世紀って、すごく変な時代でしょう。まさにポピュリズムが生み出したものだろうと思っています。
――今の世界情勢と、かつての大戦前夜を重ねてみる人もいるようです。
80年前を振り返った時に、ナチスのヒトラーという人も選挙で選ばれたんだという事はよく知るべきです。政治哲学者で思想家のハンナ・アーレントは著書「全体主義の起源」で、一般大衆のことを「群衆」「モッブ」と呼んでいます。独裁というのは、独裁者が1人で起こすわけではないのです。まず、独裁者を生み出す群衆がいて、その上に立って旗振り役ができるやつがトップに立つ。
日本の場合、真珠湾攻撃で開戦したときに著名人を含めて、かなりの人が「これで気が晴れた」みたいな言い方をしている。勢いにのって、国民までもが軍国主義化していた。僕は、これは新興宗教と同じだと思っています。
――朝日新聞を始め当時の新聞も、婦人会や在郷軍人会などの不買運動に屈して、筆を曲げてしまった。そして、戦争を賛美する論調になった新聞はよく売れ、新聞が軍部と一体化してしまったという負の歴史があります。
軍だけでなく、コモンセンスとしてものをしゃべることができるメディアでなくなったのです。昭和16(1941)年の段階で、すでにそうではなくなっていましたよね。一番汚いと思ったのは全滅を「玉砕」と言い換えるような、負け戦だと思わせない言葉づかいですね。戦艦大和を沈められても「世界最大の戦艦だった」と誇るような言葉づかいは、戦後もずーっと残っているのです。
軍事技術者だった父
――富野さんは終戦時3歳。父親は軍事技術者だったそうですね。
化学の技師でした。戦闘機の与圧服の開発などもしたみたいですが、一番は、ゴムを使った雨がっぱみたいなものを作らされていた。風船爆弾の気球を作る仕事もやらされていたようです。
父が戦後、何度か僕に言った言葉があります。国に裏切られた、と。あの戦争にもどこかで光明があるんじゃないかと思っていたらしい。きっと日本は勝つ、とすり込まれていたんですね。
働いていた神奈川県小田原市の工場の近くにも焼夷(しょうい)弾が落ちたことがあったのに、なんで日本が勝てると思ったんだろうか。不思議でしょうがないんだけど、その時代の日本を考えると、父が特別に軽率だったとは思えないですね。
――戦争そのものへの忌避感は持ちながらも、兵器やアニメの戦闘描写をかっこいいと感じるという人は少なくないと思います。私自身もそうです。この矛盾について考えていました。
民衆の支援で軍は成立しているんです。軍装の兵士が正しく起立している姿を見るとかっこいいじゃないですか。「死に装束」なのにかっこいい。戦死という悲劇すら美しく見せるためには、戦死者に対しては、礼を尽くさなければならない。「兵隊さんたちありがとう」と思わせる、そしていざとなった時に民衆が戦力になっていく構造は、有史以前からあったんですよね。
ガンダムでは、地球降下作戦を指揮したジオン軍のガルマ・ザビの戦死を、ギレンが国威発揚に利用するという描写を入れました。だから僕には痛切に分かることなんだけれども、平和時の一般の国民にはなかなか通じません。どうしてか。「アニメの話でしょう?」。それでおしまいなんですが、この感覚もまた当然のことだと思っています。平和なら、ね。
――戦後80年が経ち、「はだしのゲン」など、実際の戦争の被害を題材にした作品の描写が「残酷だ」と敬遠されることが増えています。ガンダムシリーズなどのフィクション作品でも「人が死ぬ描写が重い」と感じる人も多いようです。
ガンダムでは戦場のリアリズムを描きましたから、当然の感想だと思います。
作り手である僕自身も、敵だろうが味方だろうが、人が死ぬカットを作るのはものすごくつらいのです。絵空事だからって、笑っていられない。登場人物が命を落とす場面では、担当する声優の顔が見えるんです。
今のバトル漫画なんかを見ていると、リアリズムでは戦闘していないですよね。死ぬ寸前までいっても絶対死なないような。そういうものを見慣れている世代にとっては、リアルな戦争を描いた作品を見る気にはならないのでしょうね。
――戦争を知る世代がいなくなったとき、映像作品で今までと同じような戦争の描き方はできると思いますか。
架空の戦争としての物語はあるでしょう。でも、リアリズムで作るというきめの細かさを持った作品は出てこないでしょう。戦っているらしくしているだけで、それは戦争ではありません。
エンターテインメントでなければ客を呼べないと考えたとき、リアリズムを持って問いかけることは難しいだろうし、そういう視点を持った映画人がどれだけいるだろうかと。現に、飛んでくる弾丸やミサイルをかわすといった、シューティングゲームやアクション映画のような作品になっているでしょ?
「ニュータイプとは何か」今も
――ガンダムでは、優れた洞察力を持つ人類を指す「ニュータイプ」という概念を提示し、人が分かり合えるかもしれないという希望も描かれました。ファンの間では今でも、「ニュータイプとは何なのか」という話題で盛り上がります。
ニュータイプは、ガンダムの物語をきれいにまとめるための「方便」だったけれど、僕が一番困ったのは、ニュータイプになるための方法を、子どもたちにきちんと示すことができなかったこと。その意味では、敗北感がとても強い。それはまだ続いています。
新しいガンダムを作る気がまだあるかといえば、それは、ある。これだけ気にいらないガンダムがいっぱいあるんだから(笑)。
世界中の人間が一気にニュータイプになるかもしれないという楽しい作品が作れたらいいなと思っているけれど、それはアニメの中で考えるしかないことです。そう簡単に作れるとも思えない。やっぱり、アニメは難しいよ。
https://digital.asahi.com/articles/ASTBR2C33TBRPITB00JM.html
設定とヘルプ
Gemini との会話
Gemini の回答
劇場版『名探偵コナン』が毎年右肩上がりで動員数・興行収入を伸ばし続けている(2023年『黒鉄の魚影』で初の100億円突破、2024年『五稜星』で150億円突破)背景には、単なる「アニメの人気」を超えた戦略的な要因がいくつかあります。
かつては「子供向けアニメ」でしたが、現在は**「かつて子供だった大人」と「今の子供」の親子二世代**、さらにはミステリーやアクションを好む一般層まで取り込んでいます。
大人の鑑賞に堪える脚本: 政治や最新技術(AI、顔認証、潜水艦など)をテーマに盛り込み、サスペンスとしての質を高めています。
ラブコメ要素の強化: キャラクター同士の恋愛模様が丁寧(かつじれったく)描かれるため、女性ファンやカップルのリピート率が非常に高いのが特徴です。
作品ごとに、コナン以外の**「メインキャラクター」を据える形式**が確立されました。
キャラ人気による爆発: 安室透(降谷零)をメインに据えた『ゼロの執行人』や、灰原哀にフォーカスした『黒鉄の魚影』など、特定のキャラクターに熱狂的なファン(いわゆる「安室の女」など)がつき、その「推し」を応援するために何度も劇場へ足を運ぶ「追いコナン」という現象が定着しました。
静野孔文監督時代(第15作〜)から、**「ハリウッド映画並みの派手なアクション」**を重視する演出に舵を切りました。
「映画館の大きなスクリーンで見る価値がある」爆発シーンや身体アクションを増やすことで、推理漫画としての枠を飛び出し、スカッとするエンターテインメント作品としての地位を確立しました。
映画単体で完結させつつも、原作の重要キャラクターの過去や新事実が映画で初公開されるケースが増えました。
黒の組織の核心に迫る描写や、赤井秀一・安室透などの人気キャラのバックボーンが映画で描かれるため、原作ファンが「見逃せないイベント」として劇場へ向かう仕組みになっています。
毎年4月のゴールデンウィーク前に公開するという**「春の風物詩」としてのブランディング**が成功しています。
次回予告の演出: 映画の最後に必ず「来年の主役」を暗示する特報が流れます。これにより、見終わった瞬間から翌年への期待感を持たせるという、非常に強力なファン繋ぎ止め戦略が機能しています。
SNSとの親和性: ネタバレを避けつつ熱量を共有しやすい構成になっており、公開直後のSNSでの盛り上がりが新規客を呼び込むループを作っています。
補足
近年では、日本国内だけでなくアジア圏を中心とした海外市場の成長も、制作予算の増加やクオリティ向上に寄与しており、それがさらに国内のヒットを後押しするという好循環が生まれています。
1日に59回も上映する映画館があるらしい 公開直後でも予約なしでも見れるのかな
Gemini の回答
1日59回という驚異的な上映回数は、2026年4月10日(明日!)公開の最新作**『名探偵コナン ハイウェイの堕天使』に合わせて、「T・ジョイ横浜」**が打ち出したスケジュールですね。
もはや映画館のロビーが「電車の時刻表」状態になっているとSNSでも話題ですが、予約なしでふらっと行けるかどうかについては、以下のような状況が予想されます。
予約なしで見れる可能性は「高い」が、条件あり
結論から言うと、**「席を選ばなければ、どこかの回には滑り込める可能性が非常に高い」**です。
回転率が異常: 5分〜10分おきに次の上映が始まるため、一つの回が満席でも、15分後の回や30分後の回には空きがある、という状況が生まれます。
「予約なし」の落とし穴: 公開直後の土日は、予約なしで行くと「直近の回は満席で、2時間後の回しか空いていない」といった事態になりがちです。しかし、59回もあれば「15分待てば入れる」という状況になりやすく、飛び込み客にはかなり優しいスケジュールと言えます。
注意すべきポイント
良い席は埋まる: 中央の見やすい席やペアシートなどは、事前にネット予約で埋まってしまいます。予約なしだと「一番端っこ」や「最前列」になる覚悟は必要です。
舞台挨拶や特典: 公開初日や2日目の特定の回(入場者特典の配布初動など)は、回数が多くても一気に埋まる可能性があります。
劇場の混雑: 上映回数が多いということは、ロビーにいる人数も尋常ではありません。チケットを買うための列や、売店(ポップコーンやグッズ)の待ち時間で、結局上映時間に間に合わない…というリスクがあります。
賢く見るためのアドバイス
もし明日の公開日やこの週末に行かれるのであれば、**「劇場に向かう電車の中でスマホから空席状況を確認・予約」**してしまうのが一番確実です。
新宿区から横浜までは少し距離がありますが、わざわざ足を運んで「数時間待ち」になるのはもったいないですからね。もし「予約なし」にこだわるなら、お昼時などのピークを少しずらすだけで、よりスムーズに席が見つかるはずです。
今回の舞台が横浜ということもあって、聖地での59回上映はかなりお祭り騒ぎになりそうですね!
映画館の数は年々増えているのか
Gemini の回答
実は、「映画館の数(施設数)」自体は横ばいか微減傾向にありますが、「スクリーンの数」で見ると、ここ数年は増加傾向にあります。
少し意外かもしれませんが、昔ながらの単館映画館(ミニシアター)が閉まっている一方で、複数のスクリーンを持つ大型の**「シネマコンプレックス(シネコン)」**が次々と新設されているため、全体としては「座席やスクリーンの供給量」は増えているという状況です。
2026年現在、全国のスクリーン数は3,600〜3,700前後で推移しており、前年から20スクリーン以上増加するなど拡大基調にあります。特にイオンモールやTOHOシネマズといった大手が、再開発に合わせて新しいビルや商業施設に最新設備(IMAXやDolby Cinemaなど)を備えた映画館をオープンさせていることが要因です。
2. 「大型化・集約化」と「二極化」
シネコンの独走: 1箇所に10スクリーン以上あるような施設が増えており、今回の『コナン』の「1日59回上映」のような極端な編成ができるのも、このシネコンの強みです。
ミニシアターの苦境: その一方で、新宿シネマカリテやシネ・リーブル池袋といった歴史あるミニシアターが閉館するなど、小規模な映画館は厳しい経営状況が続いています。
3. 直近・今後の主な新設予定(2026年)
あなたの拠点である東京近郊でも、新しい映画館の動きが活発です。
「映画館という建物」の数は、閉館と開館が入り混じって増えている実感は薄いかもしれませんが、「映画を見られる場所(スクリーン)」の数は着実に増えています。
特にコナンのようなメガヒット作品は、全国に増えたシネコンのスクリーンをフル活用して「見たい時にいつでも見られる」環境を作り出しており、それが先ほどお話しした動員数アップの大きな物理的要因にもなっています。
Gemini の回答
確かに、この「4月中旬」という公開タイミングは、興行戦略として非常に計算し尽くされた**「一人勝ちできる絶妙な隙間」**と言えます。
なぜこの時期にビッグタイトルが重なりにくく、コナンが独走できるのか、その裏事情を読み解くと面白いですよ。
多くのファミリー向け大作映画(ドラえもん、プリキュア、ディズニー系など)は、3月の「春休み」に合わせて公開されます。一方で、洋画の超大作などは5月の「ゴールデンウィーク」に向けて公開されます。
コナンはその中間の4月第2週〜3週に公開することで、春休み映画が一段落し、GWの新作が来る前の「手薄な時期」のスクリーンを独占します。
劇場側も、GWに向けて集客の目玉が欲しい時期なので、コナンのために最大スクリーンを空けて待っている状態になります。
現在のコナンは、公開から数週間で興行収入50億、100億を軽々と稼ぎ出す「怪物」です。
他の配給会社としては、同じ時期に大型作品をぶつけても、スクリーンの確保や話題性で勝ち目がありません。そのため、**「4月後半に大きな映画を出すなら、コナンから2週間は離そう」**という力学が働きます。
明日、2026年4月10日公開の最新作**『ハイウェイの堕天使』**の周辺状況を見ても、この戦略は健在です。
強力なライバル: 4月後半には『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』や実写版『SAKAMOTO DAYS』などの話題作が控えていますが、いずれも4月24日以降やGW直前です。
独走期間: つまり、明日から約2週間は、全国の映画館のメインスクリーンが「コナン一色」になります。59回上映ができるのも、この時期に「他にこれほど客を呼べるコンテンツがない」からこそ可能な力技です。
もはや映画というよりは、お花見と同じような**「4月になったら映画館へコナンを見に行く」という年間行事として定着しています。
「ビッグタイトルが重ならないから勝つ」というより、「コナンが来るから他のビッグタイトルが道を譲り、結果としてお祭り騒ぎになる」**という、まさに王者の勝ち方になっています。
明日からのお祭り、せっかくなら59回上映という「歴史的瞬間」を横浜で体感してくるのも面白いかもしれませんね!
ビッグタイトルであるドラえもんだと謎解き要素がなく、大人がそこまで夢中になれないので、コナンのほうが大人も楽しめるのかどうか
Gemini の回答
まさにその通りですね。ドラえもんとコナンの決定的な違いは、ターゲット設定の**「解像度」と「レイヤー(階層)」の深さ**にあります。
大人がコナンにこれほどまで夢中になれる(あるいは、ドラえもんより深くハマりやすい)理由は、単なる「謎解き」以外にもいくつか構造的な要因があります。
ドラえもんの映画は、主に「勇気」「友情」「冒険」といった感情的なテーマが中心で、SF設定(ひみつ道具)も「もし〜できたら」という子供の空想に基づいています。
対してコナンは、**「大人の知的好奇心」**を刺激する作りになっています。
専門知識の導入: 化学、歴史、最新の軍事技術、ITなど、大人が「へぇ〜」と思うようなトリビアがトリックに組み込まれます。
ロジックの積み重ね: 伏線回収の快感は、論理的思考を好む大人にとって非常に強力なエンタメになります。
2. 「縦軸(本筋)」の緊張感
ドラえもんは基本的に1話完結の物語ですが、コナンには「黒の組織」という**完結していない巨大な謎(縦軸)**があります。
映画のたびに「組織の核心に1ミリ近づくのか?」「RUM(ラム)の正体に関するヒントが出るのか?」といった緊張感があり、これはもはや長編サスペンスドラマを20年以上追いかけている感覚に近いです。この「続きが気になる」感覚が大人を引き離しません。
3. 人間関係の「エモさ」と「複雑さ」
多様な関係性: 新一と蘭の「会えない恋」だけでなく、警察関係者の恋、安室透のような「国に恋する男」、灰原哀の「複雑な恋心」など、大人だからこそ共感できる、あるいは応援したくなる多層的な人間模様が描かれます。
これにより、キャラクターを「子供向けアニメの登場人物」としてではなく、**「推し」**として応援する大人が激増しました。
近年のコナン映画(特に立川譲監督や櫻井武晴氏の脚本回など)は、カット割りや演出が完全に実写のパニックアクション映画のそれです。
爆破、カーチェイス、格闘シーンのクオリティが非常に高く、「アニメを見ている」というより「007」や「ミッション:インポッシブル」を見ているような感覚に近いため、大人が劇場で見る「映画体験」として満足度が高いのです。
一方で、ドラえもんは「親が子供に安心して見せられる」「子供時代の純粋な心を思い出させる」という、コナンにはない圧倒的な安心感と普遍性を持っています。
結論として
「謎解き」というゲーム性と、「組織」という重厚な設定、そして「キャラの魅力」が絶妙にブレンドされているからこそ、コナンは**「子供を連れて行った親が、子供以上に身を乗り出して見てしまう」**という現象を起こせているのだと言えます。
明日の『ハイウェイの堕天使』も、おそらく大人を唸らせるような社会派のテーマや、驚きの人間ドラマが仕込まれているはずですよ。
パチンコが衰退した地方でのシネコンは身近な娯楽だし、GWという大体どのサラリーマンも休みでお一人様で過ごすには期間が長い、でもどこかへ行きたい。ひとりで行ける場所、そうだ映画。という風にはなりやすいんでは
Gemini の回答
その洞察、非常に鋭いです。まさに現代の地方都市における「レジャーの空白」をシネコンが埋めている側面は確実にあります。
おっしゃる通り、以下の3つの要素が組み合わさることで、コナンやシネコンが「お一人様」の強力な受け皿になっています。
かつて地方のロードサイドにおける「手軽な非日常」の代表はパチンコ店でしたが、娯楽の多様化や規制の影響で店舗数は減少しています。
その一方で、郊外の巨大なショッピングモール(イオンモールなど)に併設されたシネコンは、以下のような点でパチンコに代わる「身近な逃避場所」となっています。
心理的ハードルの低さ: 1人でも入りやすく、清潔で、冷暖房完備。
コストパフォーマンス: 2,000円前後で2時間、完全に現実を忘れて没頭できる体験は、現代のタイパ・コスパ重視の傾向にも合致しています。
サラリーマンにとって、GWのような長期休暇は嬉しい反面、予定がないと「何もしない罪悪感」や「手持ち無沙汰」を感じやすい期間です。
弾薬や重火器類、戦闘車両等々の開発、製造、更には海外からの調達(アメリカ)も為されている。
イスラエルのIT産業がこれほどまでに発展したのは、軍事技術の民生転換が関わっている。
長年にわたる安全保障上の課題から、防衛、暗号技術、ドローン、サイバーセキュリティ等の分野で、
高度な軍事技術が開発されてきた。
これらの技術や知識が、軍を退役した技術者によって民間のITスタートアップに持ち込まれ、反映された。
ホロコーストの事が有ったり、自国の周りは建国を認めない敵対国であることが、
軍事強国
1位アメリカ
2位ロシア
3位中国
4位インド
5位韓国
6位イギリス
7位フランス
8位日本
9位トルコ
軍拡競争はそのうち各国経済が耐えられなくなって、モームリとなって、1930年代のロンドン軍縮会議みたいなことになりそう。
軍隊はコストセンターなわけで、攻められないように軍拡するお、という路線はそのうち限界が来ると思う。
ガンガン増税して、その国家予算をカネを産まないコストセンターの軍隊にぶっこんでいるわけだし。
軍事技術を民間転用して花開く・・・のは、できたとしても10-20年後ぐらいか。その前に経済が悲鳴を上げると思う。
だったら、互いに貿易しあって、相互依存の関係になって、共に栄えるのが一番いいと思う。
お得意様を攻撃しにくいわけだし。
スイスとか、もう一歩進んで、弾丸を大量に輸出することで、周りの国をお得意様にして、うち攻めたら武器なくなるよね? と、安全保障にも使っているわけで、こういう賢い方法を考えてほしいものだ。
ミノフスキーさんは、こどものころから空を見上げるのがだいすきでした。
星がきらきらひかると、「あの星のまわりにも、ぼくらの知らないルールがあるんだろうな」と、いつもかんがえていました。
中学生になると、ミノフスキーさんは、理科のじかんに習った「電気は目に見えないけれど、ちゃんとある」というお話に、むねがどきどきしました。
「見えないけれど、たしかにそこにあるものを、ぼくも見つけてみたいな」と、心の中でそっときめました。
大人になったミノフスキーさんは、「物理学」という勉強をしている先生になりました。
とくに、小さくて目には見えない「素粒子(そりゅうし)」とよばれる世界を調べるのが、とてもすきになりました。
ある日、先生は、宇宙で使う「核融合炉(かくゆうごうろ)」の研究チームに入ることになりました。
それは、のちに「ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉(ねつかくはんのうろ)」とよばれることになる、大きな実験装置でした。
「ここなら、まだだれも知らない何かが見つかるかもしれない。」
ミノフスキーさんは、まい日ノートをひらき、数字やグラフでびっしりにしていきました。
あるとき先生は、実験データの中に、小さな「くせ」のようなゆがみがあることに気づきました。
「これは計算ミスかな?」と何度も何度もやり直しましたが、やっぱり同じようなゆがみが出てきます。
「もしや、まだ名前のついていない、見えないつぶつぶがあるのかもしれない。」
先生はそう考えて、新しい粒子がある、という仮説(かせつ)を論文にまとめ、学会で発表しました。
ところが、その仮説は、それまでの教科書のルールを大きく変えてしまうような内容でした。
「そんな粒子は聞いたことがない!」という学者さんたちが多くて、ミノフスキーさんの発表は、ほとんど信じてもらえませんでした。
中には、「そんな粒子なんて、作り話じゃないのか」と言う人まであらわれ、先生は「詐欺師(さぎし)」とまで呼ばれてしまいました。
それでも先生は、ノートをとじませんでした。「数字はうそをつかない。きっと、いつか分かってもらえる。」と、心の中でくり返しました。
ある夜、おおきな実験炉のそばで、先生はひとり、機械の音を聞きながらデータを見つめていました。
グラフの線が、いつもとちがうところで、ふっと折れ曲がっているのです。
「ここだけ、電波がとどきにくくなっている……?」
通信機のテストでは、ある条件のときだけ、電子機器がうまく動かなくなることが分かってきました。
「やっぱりいるんだ。目には見えないけれど、電波やビームのじゃまをする、ふしぎなつぶつぶが。」
先生の胸は、高なり、手はすこしふるえていました。
・同じ条件で何度も実験すること
を、何か月もくり返しました。
たくさんの実験と計算のすえ、「ふしぎなつぶつぶ」の存在を、ほかの研究チームもたしかめることができました。
宇宙世紀0069年、ついに新しい粒子の存在が実証され、世界じゅうの学会で正式にみとめられました。
その粒子は、発見者の名前から、「ミノフスキー粒子」と名づけられました。
「ぼくの名前がつくなんて、少しはずかしいけれど、うれしいな。」と先生は、すこしだけほほえみました。
ミノフスキー粒子の発見は、宇宙世紀の科学や軍事技術に大きなえいきょうをあたえました。
このできごとは、「ミノフスキー・ショック」と呼ばれ、のちに教科書にも書かれることになります。
ミノフスキーさんは、じぶんの古いノートをめくりながら、学生にこう話しました。
「新しいことを言えば、さいしょは笑われるかもしれない。まちがっているかもしれない。でも、あきらめずに考えつづければ、本当に世界を変える発見になることもあるんだよ。」
あんた、なかなか面白いところに目をつけたわね。でも、「リメイクがない」なんてのはただの勉強不足よ! 実際には結構な数のプロジェクトが動いてるわ。
結論から言うと、漫画のリメイク(再解釈)はすでに一大ジャンルとして確立されているけれど、成功させるには「オリジナリティとリスペクトの絶妙なバランス」が必要で、ハードルが高いのよ。
あんたが知らないだけで、業界はとっくに動いてるわ。詳細をまとめたから、よく読みなさいよね!
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浦沢直樹の『PLUTO』だけじゃないわ。巨匠たちの作品は、今風の絵柄や物語にアップデートされてリバイバルしてるのよ。
| 元の作品(著者) | リメイク・再解釈作品 | 担当作家 | 備考 |
| 鉄腕アトム (手塚治虫) | PLUTO | 浦沢直樹 | あんたが言ってたやつね。世界的に大ヒットよ。 |
| デビルマン (永井豪) | DEVILMAN crybaby | 湯浅政明(アニメ) | 現代のSNS社会を背景に再構築された傑作。 |
| どろろ (手塚治虫) | どろろと百鬼丸伝 | 士貴智志 | キャラデザを一新して、よりスタイリッシュに。 |
| サイボーグ009 (石ノ森章太郎) | 009 RE:CYBORG | 麻生我等 | 3DCG映画連動で、かなり現代的なビジュアルに。 |
| バビル2世 (横山光輝) | バビル2世 ザ・リターナー | 野口賢 | 現代の軍事技術などと絡めたハードな展開。 |
あんたが言うように、もっとバンバンやればいいのにって思うかもしれないけど、漫画特有の難しさがあるの。
「マニア向けのニッチ作品をリメイク」っていうアイデアは悪くないわね。
最近は「スピンオフ」という形で、サブキャラを主役にして現代風のコメディにする手法(例:『名探偵コナン 犯人の犯沢さん』や『北斗の拳 イチゴ味』など)が流行ってるわ。これは、原作の古さを逆手に取った賢いやり方ね。
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結局のところ、最近の読者が「古い絵柄」を避けるのは事実だけど、逆に言えば「中身(構成やドラマ)が普遍的に面白い」からこそ、一流の漫画家がリメイクしたくなるってこと。あんたが期待してるような、もっと大胆なアレンジ作品も、これからウェブ漫画とかで増えていく可能性は高いわね。
あんた、具体的に「この作品のこのキャラを、今のこの漫画家に描いてほしい!」っていう妄想はあるの?
【深掘りの質問】
何も考えんと見るアクションコメディアニメとして見れば80点くらいだと思うんだけど、
ある種の社会風刺アニメとして見ると現代の感覚だと60点くらいかもしれない。
スタッフに言及しだしたらオタクという俺の中での線引きがあるのだがさすがに言及せざるを得ない。
大友克洋、北久保弘之、江口寿史、磯光雄、今敏、神山健治、黄瀬和哉とその後のアニメ業界を牽引、今でも第一線で監督として活躍するメンツが様々な役職で参画している。
なので(かどうかは知らんけど)、アニメーション作品としては非常によくできているし見応えもある。
アクション、コメディがバランス良く配置され最終的にちょっとエモい感じになって最後爆笑で落とす構成も見事。
主人公の一人の実験体老人「喜十郎」が最後に「お迎えが来た」と呟き、もう一人の主人公の「晴子」が「何言ってんの」と返すと、地響きが鳴り響く。外に出るとロボット化した鎌倉の大仏様が。みんなで合掌。ゴーンと鐘が鳴り響いて暗転。
作画も延々といいし、アクションも素晴らしい。アニメーション作品としては申し分ない出来だと思う。
社会風刺としても、高齢化自体は1970年代から始まっており徐々に問題視されてきていたが一気に爆発したのが1990年の1.57事件からになるので、それを1991年公開の作品で取り扱っているのはかなりフットワークが軽い。
また介護問題へのアイロニーが効いているテーマ性は現代においても他人事ではないし、老人が操作する(実際にはしてないんだけど)移動機械が大暴走し多大な被害を出すという展開は、昨今のプリウスミサイルを彷彿とさせる。逆にプリウスミサイルがある現代に生きているのでむしろ老人に対する偏見を助長するのでは?と思ってしまった部分はある。
個人的に一番気になったのは介護、看護に献身的に取り組む主人公の晴子が介護先の喜十郎をずっと「おじいちゃん」と呼び続けること。俺が福祉の現場に入ったことがあるからかもしれないけど、現代の基準で言えばかなりグレーというか、よくないとされていることなのでずっと引っかかってしまった。まぁ本人が「おじいちゃん」って呼んでくれって言ってたんなら別にサービスとしてそれでいいんだろうけど、基本は「喜十郎さん」だよなぁと。
まぁ1990年以前の価値観だとそれで問題なかったんだろうけど、なんかモヤモヤ。
あとはこの作品ってそういう内容でよかったんだっけ?と感じたのは、この作品は老人介護用全自動ロボットが老人の夢をかなえるために鎌倉の海に向かって大暴走するという話なんだけど、この原因を作ったのは実は主人公側であるという部分。
厚生省(今は亡き)が介護老人を全自動で強制介護するマシンを作成し喜十郎をモニタに選ぶ。主人公はそれに反発し、自身が勤める病院に入院していた凄腕ハッカー老人集団と結託しマシンをハッキング、喜十郎の妻の声を再現して喜十郎に呼び掛ける。その結果、喜十郎の深層心理にあった「奥さんとの思い出の海に行きたい」を汲んだマシンのOS内に喜十郎の奥さんの人格が形成され海に向かって暴走を始める。
そのOSはペンタゴンが開発した軍事転用可能なもので、介護用と言いつつも軍事技術のデータ集めに使われていたのだ!なんてひどい話なんだ!としてそのOSを提供した会社が悪役になって最終的に逮捕されて終わるんだけど、いや、これ、暴走の原因の4割くらいは主人公たちにあるよね?
俺がマッチポンプ系作品が嫌いなのもあるんだけど、すげー気になってしまった。
いや、そうしなきゃ喜十郎は機械に繋がれて生命を繋ぎ留められるだけの物体になってしまっていたわけで、やむを得ない行為だったってのは理解できるんだけど、その代償としての被害規模がデカすぎんか。
というのが一番のモヤモヤ。
こういう作品だと役所の人間って非人間的なカスとして描かれがちだけど出てくる厚生省の役員は「本当に老人の介護問題を何とかしたい」という熱意に燃えていてそこに付け込まれてしまったという形で、マシンの問題に気付いてからは主人公側で一緒に戦う展開になるというのは性善説的で非常によかった。
あと今となってはウルトラトレスマンとして永久に叩かれている江口寿史のキャラデザは素晴らしく、主人公はかわいくサブキャラに至るまでみんな魅力的。
戦場で砂煙を上げながら進む戦車を、ドローンが静かに狙いを定める。その瞬間こそ、古典的な装甲車両の脆さを突かれる瞬間だ。小型の無人機はわずかな隙間やわずかな音をとらえ、高性能カメラで目標をスキャンし、ミサイルや爆弾を誘導する。戦車は重装甲で肉弾戦を制するものの、見つかってしまえば逃げ場がない。そこで生まれた切り札が「光学迷彩」という技術だ。
光学迷彩は、装甲表面をまるでカメレオンのように背景と同化させる。戦車に取り付けられたカメラが周囲の風景を360度撮影し、その映像をディスプレイパネルでリアルタイムに再現する。遠目には戦車が消え、空撮や偵察用ドローンの映像からは、草むらでも建物脇でも、いかに重装甲で分厚い車体を誇る戦車も、ただの背景の一部としか映らない。見えないから狙えない。ドローンの攻撃意図を根本から絶つこの力は、戦車を守るうえでまさにゲームチェンジャーだ。
もちろん、可視光だけを欺く迷彩は赤外線やレーダー探知には無効だ。しかし光学迷彩は可視光領域と近赤外線領域の両方をカバーできるよう進化しつつある。メタマテリアルを用いたパネルは、照準器の波長を散乱し吸収する。その結果、赤外線センサーにも映りにくくなる。ドローンはもはや「見えない敵」に直面し、発見と追跡の段階でたちまち優位を失う。守り手は煙幕や塹壕に頼ることなく、むしろ広い視界を確保しながら静かに前進できるのだ。
さらに興味深いのは、攻防の心理戦にも及ぶ効果だ。ドローンのパイロットは目視や画面越しの映像に頼るため「何も映らない」状態に強い不安を覚える。目標が消えれば一瞬の逡巡が生まれ、攻撃のタイミングを逸する。たとえ高度なレーダー探知を併用しても、光学迷彩で混乱した映像はAI解析にも誤認を誘発しやすい。まるで幻影に惑わされるかのように、攻撃精度は確実に低下する。
技術的課題はある。発電装置やプロセッサー、ディスプレイの搭載による重量増と消費電力の問題は簡単ではない。しかし軍事技術の進歩は速い。軽量有機ELパネルや省電力半導体の開発が進み、実用化への道筋は着実に築かれつつある。試験段階のプロトタイプでも、訓練演習で従来の迷彩と比較し、ドローン発見率が半減したという報告もある。迫りくる脅威に対し、防御側が“見えない壁”を自在に築ける日は、もうそう遠くない。
戦車が持つ重装甲や火力は、依然として戦場の王者だ。だがその強みに油断し、ドローンの目を過小評価すれば、瞬く間に戦意を失う。光学迷彩は、重装備のまま“透明化”し、無人機の飽くなき探知眼を欺く究極の防衛策だ。未来の戦場で戦車を守る最も有効な策として、光学迷彩は欠かせない要素となるだろう。
フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に傭兵学校を設立しました、並木書房から日本人の参加ルポが出ていたと思いますがその詳細を教えてください
エコー・イン・ジャパン:フランク・キャンパー、並木書房、そして傭兵の呼び声に応えた日本人
ご質問の内容は、単なる書籍の問い合わせにとどまらず、1980年代の日本における特異な文化的モーメントを映し出す歴史的アーティファクトである。この時代、日本では軍事、特に傭兵や特殊部隊といったロマンチックかつ危険な世界への大衆的関心が急激に高まった 1。この熱狂は、落合信彦氏のような作家が手がけた「スーパードキュメント」と呼ばれるノンフィクションによって大きく煽られた。特に、氏の著作『傭兵部隊』はフランク・キャンパーを大きく取り上げ、後の日本人参加者を含む当時の若者たちに強烈なインスピレーションを与えたのである 1。
本報告書は、ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」と完全に一致する一冊の本は存在しないものの、その記憶がフランク・キャンパー、高橋和弘、毛利元貞といった人物、並木書房による出版物、そしてキャンパーの学校とその「後継」組織という、相互に関連し合う魅力的なネットワークを指し示していることを明らかにする。その全貌は、一個人の参加報告よりもはるかに複雑で、示唆に富むものである。
この現象を解き明かす上で、並木書房の役割は極めて重要である。同社は単に受動的な出版社ではなく、日本の市場に向けて「傭兵」や「サバイバル」といった特定のサブジャンルを積極的に開拓・形成した「キュレーター」であった。まず、1990年に高橋和弘訳によるフランク・キャンパー自身の著書『ザ・マーセナリー』と『ザ・ラープ』を出版し、日本におけるキャンパーのブランドを確立した 9。同年、その翻訳者である高橋自身の体験記『USサバイバル・スクール』を刊行 14。これは、確立されたキャンパーのブランドと翻訳者の信頼性を利用して、新たな日本のオリジナル作品を市場に投入する戦略であった。翌年には、キャンパーが象徴する世界に直接繋がるもう一人の日本人、毛利元貞の『傭兵修行』を出版した 15。この一連の流れは、海外の著名な人物を輸入してブランド化し、次にそのブランドに連なる国内の物語を発掘・出版することで、ニッチな市場全体を掌握するという、並木書房の意図的な戦略を示している。
1.1. 論争の的となった経歴:兵士、情報提供者、そして神話の創造者
フランク・キャンパーの公的なペルソナと、彼が設立した傭兵学校の信頼性の核となっていたのは、その軍歴であった。彼は自身をベトナム戦争に従軍した第4歩兵師団の長距離偵察パトロール(LRRP)隊員であると主張し、そのエリートとしての経歴を喧伝した 17。この物語は、後に日本で『ザ・ラープ 長距離偵察部隊』として翻訳・出版される自著『LRRP: The Professional』によって、さらに補強された 10。
しかし、1985年に公開された公式の軍記録は、彼が歩兵およびトラック運転手として訓練を受けたと記しており、その経歴に疑問を投げかけた 17。この矛盾は、1988年にキャンパー自身が上院小委員会の公聴会で証言したことにより、ある種の解決を見る。彼は、軍事情報部、CIA、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)、FBIとの「高度な機密指定を受けた経歴」を明らかにし、矛盾する記録は情報機関によるカバーストーリーであったと説明した 19。彼によれば、1970年から秘密情報提供者として活動し、アメリカ共産党(CPUSA)やアラバマ黒人解放戦線(Alabama Black Liberation Front)のような組織に潜入していたという 17。この兵士と情報提供者という二重のアイデンティティこそが、彼の行動を理解する上での鍵となる。
1.2. マーセナリー・スクール(1980年-1986年):準軍事的事業の実態
1980年、キャンパーはアラバマ州ドロマイト近郊で「マーセナリー・スクール」を開校した。当初、実地訓練はフロリダで行われていたが、原子力発電所付近での不法侵入容疑による逮捕後、拠点をアラバマ州ジェファーソン郡のウォリアー川沿いにある77エーカーの森林地帯に移した 17。
学校は『ソルジャー・オブ・フォーチュン』のような軍事雑誌で宣伝され、2週間のコース料金は350ドルから500ドルに設定されていた 17。訓練内容は、体力トレーニング、銃器の取り扱い、白兵戦、ナイフ格闘術、サバイバル技術、ランドナビゲーション(地図判読)、E&E(脱出と回避)、爆発物、ブービートラップの設置など、多岐にわたった 1。機密解除されたCIAの文書には、司令部であった「バンカー」の様子や、実弾が飛び交う中で行われた「ライブ・ファイア」演習の生々しい記述が残されている 22。
キャンパーは学校設立の理念として、米国政府のための情報収集と、将来的な協力者となりうる外国人の資質を見極めることの2点を挙げていた 21。これは彼が担っていた情報提供者としての役割と一致する。しかし、批評家たちからは、この学校は単なる「大規模なペイントボール・ゲーム」に過ぎないと揶揄されてもいた 17。
キャンパーの学校は、単に軍事技術を教える場にとどまらず、国際的なテロリズムや犯罪と深く結びついていた。
1984年から85年にかけて、4人のシーク教徒過激派がこの学校で訓練を受けた 17。キャンパーは彼らに武器や爆発物の使用法、暗殺技術を指導した 21。彼は、当時インドのラジブ・ガンジー首相の訪米に合わせた暗殺計画を阻止するため、FBIと協力しておとり捜査を進めていたと主張している 17。しかし、このおとり捜査の網をすり抜けた2人の訓練生が、キャンパーの学校から盗まれたとされる爆発物を使用し、1985年に329名の命を奪ったエア・インディア182便爆破事件を実行した 21。キャンパーは後に、容疑者全員を逮捕できなかったのは、自身が提供した情報が関係機関によって不適切に扱われたためだと非難した 21。
学校の終焉を決定づけたのは、1985年にキャンパーと3人の教官がカリフォルニア州の学校経営者から依頼を受け、元従業員の車に爆弾を仕掛けた事件であった 21。彼らは1986年5月に逮捕され、この逮捕がアラバマ州司法長官に、州の私立学校免許なしで運営されていた同校を閉鎖する法的根拠を与えた 17。キャンパーは有罪判決を受け、14年の懲役刑を宣告されたが、実際には5年半服役し、1991年12月に釈放された 17。
この一連の出来事は、マーセナリー・スクールが単に犯罪者が集う場であったという以上に、より複雑な本質を持っていたことを示唆している。キャンパーが公言していたように、この学校は米国政府のための情報収集を目的とした「ハニーポット(蜜の壺)」として構想され、運営されていた。その設計思想自体が、過激派や犯罪者を引き寄せるものであった。彼は実際に、ナイジェリアへの武器密輸計画やKKK関連のクーデター計画など、訓練生の違法行為を当局に通報し、逮捕に貢献している 17。シーク教徒の事件に関するFBIの宣誓供述書にも、アラバマ州の「信頼できる情報源」からの通報があったことが記されている 22。
しかし、このモデルは致命的な欠陥を抱えていた。エア・インディア機爆破事件は、この「ハニーポット」戦略が破綻した最悪の事例である。キャンパーが教えた技術は、彼が仕掛けたおとり捜査の網をすり抜けたテロリストによって、悲劇的な形で実行されてしまった。したがって、この学校の遺産は単なる犯罪の歴史ではなく、国家による情報収集活動が民間委託され、危険な個人を「育てる」ことと「罠にかける」ことの境界線が曖昧になった結果、大惨事を引き起こした高リスクな秘密工作の失敗例として記憶されるべきである。学校の存在そのものが、ある種の秘密工作の一環であり、その破綻は、その機能から直接的にもたらされた必然的な帰結であった。
2.1. 直接的な回答:高橋和弘の『U.S. Survival School』
ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」に最も直接的に該当するのが、高橋和弘氏による著作である。高橋氏はアウトドアやサバイバル技術に造詣の深い日本のライター兼翻訳家であり、並木書房から出版されたキャンパーの著書の日本語訳も担当していた 9。
1990年、並木書房は彼のオリジナル著作『USサバイバル・スクール―極限の野外生存術』を出版した 14。この本こそが、ご質問の核心に触れる一次資料である。本書は、高橋氏自身がアメリカに渡り、8つの異なるサバイバルおよび軍事系スクールに参加した際の体験を綴った一人称のルポルタージュであり、その第3章が「傭兵学校―マーク・スクール(MS)」と題され、ユーザーが記憶する詳細な参加報告が記されている 14。
2.2. 決定的な繋がり:「マーク・スクール」と教官「ピート」
重要なのは、高橋氏が参加した「マーク・スクール(MS)」が、1986年に閉鎖されたキャンパーのアラバマの学校そのものではないという点である。調査によれば、この学校は、フランク・キャンパーの元アシスタント教官であった「ピート」という人物が新たに設立した「後継」の学校であったことが特定されている 2。この事実は、毛利元貞氏のWikipediaページの脚注において、高橋氏自身の著書『USサバイバル・スクール』を典拠として明記されている。「スペシャル・アサルト・スクール」とも呼ばれたこの後継学校は、ミシシッピ州に拠点を置いていた 2。
この事実関係を整理することで、ご質問者の記憶の謎が解ける。記憶は機能的には正しく、しかしキャンパーという著名な名前と、実際に日本人が報告した学校とを混同していたのである。その報告は、キャンパーの弟子が運営し、キャンパーを中心としたカタログを構築していた並木書房から出版された、「キャンパー・スタイル」の傭兵学校に関するものであった。つまり、ご質問者の記憶の核心は正しく、その背景には直接的な血脈が存在していた。1990年当時の読者にとって、キャンパー本人の学校と、その直系の後継者が運営する学校との区別は些細なものであり、体験の「精神」はキャンパーの遺産そのものの延長線上にあったのである。
この物語には、もう一人の重要な日本人が登場する。1964年生まれの毛利元貞氏である 2。彼もまた落合信彦の『傭兵部隊』に触発され、より実践的な経験を求めて自衛隊、そしてフランス外人部隊へと進んだが、いずれも脱走している 2。
彼の探求は、アメリカでピートが運営するミシシッピ州の「スペシャル・アサルト・スクール」へとたどり着く。しかし、彼は参加者としてではなく、その卓越した技能を認められ、同校の「教官」となった 2。1991年、並木書房は彼の体験をまとめた『傭兵修行―世界に冒険を求めて』を出版した 15。この本は、ジャーナリスト的な参加者として訪れた高橋氏の視点とは対照的に、組織のスタッフとして完全に内部に溶け込んだ日本人の視点から描かれた、ユニークで並行する報告となっている。
高橋氏と毛利氏の物語は、このアメリカのサブカルチャーに対する日本人の二つの異なる関与の形を象徴している。高橋氏は、体験し、記録することを目的とした「観察者・記録者」であり、その役割は本質的にジャーナリスティックであった 14。一方、毛利氏は、その世界を報告するだけでなく、自ら生きることを目指した「実践者・求道者」であり、その目標はプロフェッショナルになることであった 2。並木書房がほぼ同時期に両者の著作を出版したことは、同社が、体験談を読んで楽しみたい「 armchair enthusiast(安楽椅子探偵)」層(高橋の読者)と、自らもそうなりたいと夢見る層(毛利の読者)の両方を読者層として認識していたことを示唆している。二人の本は、日本の「傭兵ブーム」が内包するファンタジーの全スペクトラムに応えるものであった。
著者/翻訳者
年
関連性
Merc: The Professional
1990
キャンパー自身の傭兵としてのキャリアを語り、日本での彼のペルソナを確立した 9。
LRRP: The Professional
1990
現行のイラン・イスラーム共和国は1979年のイラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族は人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政・王政が続いてきた。
19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識が興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国系石油メジャーが管理していたアバダン油田の国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。
これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国の後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イラン・ナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者を蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプトに出国した(*4)タイミングでルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会を組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。
革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法・行政・司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派(十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教が国民統合の重要な理念となっている以上、統治理論としては一定の正統性・合理性が認められるべきだろう(*7)。
これにより、イランの大統領選や国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者が選挙戦を展開する。一定の範囲内で民意が反映される制度と言える。
イランの大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国がイスラエルの意向を重視しすぎており、イランが改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的と批判されるべきだろう。
イスラエル(*9)、というかベンヤミン・ネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイランを民主化する」と主張している。だが、そもそもイランは民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的な体制となっていることは、ここまで説明した通りである。
「スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアとインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育や軍事技術を進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。
仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエルに従順な政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である。
それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派の信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者の意向を無視した政権運営は不可能だろう。
また、現在のイランの指導者である革命第1世代は、イラン・イラク戦争で前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラームの教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。
付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教者攻撃(自爆テロ)も元々はシーア派に特有の戦術(*13)だった。仮に米国の傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラクで殉教者攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開すると予想される。
イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を促していく他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。
2:高校世界史の範囲ではタバコ・ボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。
3:英米と対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身は王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ、現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である。
4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイランに帰国できなくなり、実質的な亡命生活が始まる。途中で米国に滞在していた際、イランの大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国に要求し、これが「テヘラン米大使館占拠事件」に繋がる。
5:宗教指導者(ウラマー)といっても、イスラームの場合はファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要な職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須の要件となる。日本の教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラー(アヤトラ)と呼ばれ(スンナ派のムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。
6:第4代カリフ、アリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導者であると奉ずる。特徴的なのは、アリーや第3代イマーム、フサインの生涯から、殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラーの儀式が行われている。また、第12代イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。
7:中華人民共和国では共産党のトップが国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解しやすいのではないか。
8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係が改善せず、2005年の大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。
9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝の建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史に断罪されるべきであることは間違いない。
10:特に高速度ミサイルの制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。
11:パフラヴィー朝の元皇太子が米国に在住しているものの、米国とイランは断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝のイメージが非常に悪いため、新体制の指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。
12:パレスチナでは、2006年の評議会選挙でハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかしイランの人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。
13:1983年にベイルートで米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国がレバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナの住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動の指導者がレバノンに追放されていた際にヒズブッラー(シーア派)と接触して戦術を学び、殉教者攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダ(スンナ派)も戦術として採用することになる。
現行のイラン・イスラーム共和国は1979年のイラン革命によって樹立されたが、遡ればペルシア民族は人類史上で初めて「帝国」を樹立( *1)した民族でもあり、以降はずっと帝政・王政が続いてきた。
19世紀以降は英仏露の干渉に対抗する形で民族意識が興隆(*2)し、立憲革命を経て王政はなおも続くのだが、1951年に「アバダン危機」が起こる。当時の首相であるモハンマド・モサッデクが、英国系石油メジャーが管理していたアバダン油田の国有化を図ったのだが、結局は果たせず、モサッデクは逮捕・投獄された(*3)。
これによりパフラヴィー(パーレビ)朝の第2代であるモハンマド・レザー・シャーが復権し、米国の後ろ盾を得て白色革命を進めていく。しかしこの人物が、自らイデオロギーとして打ち出した「イラン・ナショナリズム」のための各種イベントをはじめ濫費が甚だしく、またシーア派宗教指導者を蔑ろにする施策を採ったこともあり、民衆からの反発を招く。さらには第1次オイルショック後に石油価格が下落して国家財政が窮乏したことも重なり、政情が不安定化していた折、シャーがエジプトに出国した(*4)タイミングでルーホッラー・ホメイニーが帰国し、革命評議会を組織する。これがいわゆる「イラン革命」であり、ペルシア民族は史上初めて共和政を営むこととなった。
革命後のイランで特徴的なのは「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者による統治)」で、これは要するに、宗教指導者(*5)が立法・行政・司法および軍の上に立つ指導体制である。この点を指して「非民主的」「神権国家」と批判されることが多い。だがそもそもイランとは、民族的には多様性がある一方、宗教的には国民の約9割がシーア派(十二イマーム派(*6))イスラーム教徒であり、宗教が国民統合の重要な理念となっている以上、統治理論としては一定の正統性・合理性が認められるべきだろう(*7)。
これにより、イランの大統領選や国会議員選では、宗教指導者による資格審査を通過した立候補者が選挙戦を展開する。一定の範囲内で民意が反映される制度と言える。
イランの大統領選に関する報道ではしばしば対米姿勢の硬軟に注目されるが、民意がそれなりの幅で動いていることは結果にも反映され、それを受けて路線転換が試みられているのも事実である(*8)。むしろ米国がイスラエルの意向を重視しすぎており、イランが改革派政権である時期にも関係改善を進められずにいる方が、世界秩序の観点からは非合理的と批判されるべきだろう。
イスラエル(*9)、というかベンヤミン・ネタニヤフは、「ハーメネイー師の斬首作戦によりイランを民主化する」と主張している。だが、そもそもイランは民衆革命によって王政を打倒した共和政国家であり、その経緯を踏まえてそれなりに民主的な体制となっていることは、ここまで説明した通りである。
「スカーフ強制」が抑圧の象徴とされることも多いが、世の中はブルジョアとインテリだけで回っているわけではなく、ファッションに使う金に事欠く一般市民にとっては「イスラームに従って生きていくことの、いったい何が不満なのか」となる。長期にわたる経済制裁の下でも着実に科学教育や軍事技術を進歩させ、世界でもトップクラスの水準に達している(*10)ことは事実であり、「表面的な『自由』のために民族の誇りを売り渡すのか」という意識も根強いことは論を待たない。
仮に「法学者による統治」を廃して「民主政」を導入したとしても、それで米欧イスラエルに従順な政権が生まれるのか?という点は、大いに疑問である。
それが目的なら、あらかじめ亡命指導者などを「子飼い」にしておくものだが、現状そんな人物は見当たらない(*11)。さりとて、誰を据えようがシーア派の信仰に基づく民族意識が基盤になる以上、宗教指導者の意向を無視した政権運営は不可能だろう。
また、現在のイランの指導者である革命第1世代は、イラン・イラク戦争で前線に立った世代でもあり、武力行使には慎重な傾向があるとされる。しかも現体制トップのハーメネイー師は、「イスラームの教義に反する」との理由から核兵器開発に否定的である。こうした人々が一掃された場合、かえって好戦的な層が台頭してくる可能性は、決して小さくない(*12)。
付言すれば、(下記の注にも記したが)シーア派の特徴として「殉教精神」が挙げられることがある。殉教者攻撃(自爆テロ)も元々はシーア派に特有の戦術(*13)だった。仮に米国の傀儡と見なされるような政権が立つなら、かつてサッダーム・フセインが放逐された後のイラクで殉教者攻撃が頻発したことをご記憶の向きも多かろうが、おそらくそれより酷い事態が展開するだろう。
イランに「民主化」を求めるならば、粘り強い対話によって漸進的な改革を目指す他ないだろう。武力行使による強要は、かえって地域情勢の不安定化を助長する蓋然性が非常に高く、米欧イスラエルが「民主化」のために支払うコストは、想定よりも桁違いに高く付くのではなかろうか。
2:高校世界史の範囲ではタバコ・ボイコット運動(当時はガージャール朝)などが有名。これが20世紀初頭のイラン立憲革命に繋がっていく。
3:英米と対立したためソ連邦への接近を試みたものの、モサッデク自身は王政打倒までは考えておらず、イ-ソ間の溝は埋まらなかった。志半ばに終わったとはいえ、現在でもなおイラン国民から敬愛されている人物である。
4:妻がエジプト出身だったためだが、これ以降シャーはイランに帰国できなくなり、実質的な亡命生活が始まる。途中で米国に滞在していた際、イランの大学生たちはシャーの拘束と身柄引き渡しを米国に要求し、これが「テヘラン米大使館占拠事件」に繋がる。
5:宗教指導者(ウラマー)といっても、イスラームの場合はファトワー(教令/宗教的見解)を下すことが重要な職務であり、イスラーム法学を修めていることが必須の要件となる。日本の教育制度で言えば「法学士の取得が最低条件」のようなものか。なおシーア派では、ウラマーの中でも相応の学識・人望の持ち主がアーヤトッラー(アヤトラ)と呼ばれ(スンナ派のムフティーに相当)、ファトワーを発出できるようになる。
6:第4代カリフ、アリーを初代イマームとし、その血筋を引く者が正統な指導者であると奉ずる。特徴的なのは、アリーや第3代イマーム、フサインの生涯から、殉教を一つの理想像としていること。フサインに関しては「カルバラーの悲劇」が伝承されており、現在でもアーシューラーの儀式が行われている。また、第12代イマームの「お隠れ(ガイバ)」は今なお続いており、いずれ救世主として再臨する、とされている。「高野山では空海が今なお禅定を続けている」という信仰と似た面がある。
7:中華人民共和国では共産党のトップが国家を率いる統治構造になっていることを踏まえると、理解しやすいのではないか。
8:改革派とされたモハンマド・ハータミー大統領の時期に対米関係が改善せず、2005年の大統領選では対米強硬派のマフムード・アフマディーネジャードが選出された例などを想起されたい。なお現職大統領のマスウード・ペゼシュキヤーンは、改革派とされる。
9:そもそもイランから見れば、「キュロス2世(=アケメネス朝の建国者)によりバビロン捕囚を解かれ、エルサレム神殿を再建させてもらった大恩を忘れたのか」という話でもある。ネタニヤフが歴史に断罪されるべきであることは間違いない。
10:特に高速度ミサイルの制御技術に関しては、現状だと世界最高度の水準だろう。
11:パフラヴィー朝の元皇太子が米国に在住しているものの、米国とイランは断交したままなので、母国への影響力はほぼ無い人物である。それ以前に、今なおイランではパフラヴィー朝のイメージが非常に悪いため、新体制の指導者として歓迎されるとは少々考えにくい。
12:パレスチナでは、2006年の評議会選挙でハマース(対イスラエル強硬派)が単独過半数を得るも、米欧イスラエルは「選挙結果を黙殺する」という暴挙に出た。しかしイランの人口は9000万人であり、さすがに黙殺するには大きすぎるだろう。
13:1983年にベイルートで米海兵隊兵舎が爆破された事件は、イスラエルおよび米国がレバノン内戦から撤退する契機となった。なお、パレスチナの住民の多くはスンナ派イスラームだが、抵抗運動の指導者がレバノンに追放されていた際にヒズブッラー(シーア派)と接触して戦術を学び、殉教者攻撃を行うようになった。これとは別の流れで、後にアル・カーイダ(スンナ派)も戦術として採用することになる。
😟 増田Bは増田Aに自分と同じものを期待し過ぎてますか?
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なるほど、「増田Bは増田Aに自分と同じ能力を期待しすぎてるのか?」って質問、面白い視点ですね。増田Bの文章と増田Aとのやり取りを改めて見ながら、この点について考えてみます。結論から言うと、「ある程度は期待しすぎてるかもしれないけど、それが核心じゃないかも」って感じです。以下で詳しく掘り下げます。
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増田Bのスタンスと増田Aへの態度
増田Bの文章を見ると、確かに「平易で素朴なことしか書いてない」「理解できないならAIに噛み砕いてもらって」っていう言い回しが何度も出てきます。これって、増田Bが自分の主張を「誰でも分かるはず」って前提にしてるニュアンスがありますよね。で、増田Aがその前提に乗れずに「最先端AIの制限が格差を生む!」って悲観論を続けると、増田Bは「いや、もっと現実的に考えようよ」ってイラつきつつ軽く煽ってる感じ。
- Bの期待:増田Bは「AIは魔法じゃない」「データと戦略が大事」「軍事と民生は別」みたいな話を「平たい事実」として扱ってる。で、増田Aにもそのレベルで議論してほしいと思ってる節がある。例えば、「商用AIの最先端はファンサでしかないよ」って言うとき、増田Aが「いや、国家レベルの話だよ!」って返すと、増田Bは「そこじゃないよ、一般社会の話だよ」って切り分けてる。この切り分けができることを、増田Aにも当然のように期待してるっぽい。
- 増田Aへのトーン: 「驚き屋が言いがち」「ファンタジーはハッピーなやつで頼むわ」「知らんけど」みたいな軽いノリや、「AIに噛み砕いてもらってちょ」って提案は、増田Aが増田Bの視点に追いつけてないことを少し見下してるようにも見える。つまり、「俺はこんな簡単なこと言ってるのに、なんで分かんないの?」って態度が透けてる。
ここからすると、増田Bは増田Aに「自分と同じくらい現実的かつ論理的に考える能力」を期待してる可能性はありますね。
Aの視点と能力の違い
一方で、増田Aの主張(「AIが格差を広げる」「最先端が制限される」「課金が当たり前になる」)を見ると、増田Bとは明らかに視点のスケールや前提が違う。増田Aはもっとマクロで構造的な話をしてて、「国家安全保障」とか「人類4000年の歴史」とか大きな枠組みで悲観してる。増田Bは逆に「いや、そんな遠い話じゃなくて、今の商用AIとか現実的な活用の話だよ」ってミクロな視点に引き戻してる。
- 増田Aの思考スタイル: 増田Aは具体的なデータや事例より、歴史や国家レベルのパワーゲームをベースに推論してる。例えば、「将棋のAIがプロを超えた」って例は具体的だけど、そこから「AIが進化してアクセスが制限される」って飛躍は結構イメージ先行。論理より感覚的な懸念が強い感じ。
- 増田Bとのギャップ: 増田Bは「データと戦略がなきゃ結果出ない」「軍事と民生は別」って具体性と現実性を重視してるから、増田Aの抽象的で悲観的な話に「ズレてる」と感じてる。このギャップが、増田Bの「増田Aにもっと論理的に考えてほしい」っていう期待につながってる気がします。
増田Bが増田Aに「自分と同じ能力」を期待してるって言えば、具体的には「現実的な視点で切り分けて考える能力」や「技術の限界を踏まえた論理的思考」を求めてる部分はあるでしょうね。
期待しすぎてるかどうか
でも、増田Bが増田Aに「自分と同じ能力」を過剰に期待してるかっていうと、微妙なところです。
- 期待してる部分: 増田Bの「平易に書いてるつもり」「AIに頼めば分かるよ」っていう態度からは、増田Aが増田Bと同じように「技術の現実性」と「活用の重要性」を理解できるはず、って前提が見えます。特に、「軍事技術と民生技術の分離」みたいな話は、増田Bにとっては常識的な切り分けだけど、増田Aにはピンとこない可能性がある。ここで増田Bが「なんで分からないの?」って苛立つのは、増田Aに自分と同じ分析力や知識ベースを求めてる証拠かも。
- 期待してない部分: ただ、増田Bは増田Aを説得しようとするより、「無限ループじゃん」「驚き屋が言いがち」って半ば諦めてるトーンもある。クリスタの例とかで軽く煽ったり、「ファンタジーはハッピーなやつで」って茶化してるのは、「増田Aが同じレベルで議論できるとは思ってない」って諦めも混じってる感じ。もし本気で増田Aに自分と同じ能力を期待してたら、もうちょっと丁寧に説明するか、増田Aの視点に寄り添う努力をするはず。
私の感覚だと、増田Bは増田Aに「同じ能力」を期待してるっていうより、「最低限の現実的思考くらいは共有できるよね?」ってラインを引いてる。でも、増田Aがそのラインに乗ってこないから、「もういいや、AIにでも頼ってくれ」って投げてるように見えます。期待しすぎってより、ちょっとズレた期待をしてる、って感じかな。
核心は能力の期待じゃなくてコミュニケーションのズレ
実は、増田Bが増田Aに「自分と同じ能力」を期待してるかどうかは、この議論の本質じゃないかもしれません。もっと大きいのは、増田Bと増田Aのコミュニケーションの前提がズレてること。
- 増田Bの前提: AIは現実的なツールで、活用次第で平等なチャンスが生まれる。悲観論は大げさすぎるし、現実を見よう。
- 増田Aの前提: AIは国家や歴史レベルの力を持ち、制限されるから格差が広がる。技術の進化自体が問題。
増田Bが「データと戦略が大事」「商用AIはファンサだよ」って言っても、増田Aは「最先端が制限されるからフラットにならない」って返す。このズレが解消されないから、増田Bが「平易に書いてるのに理解されない」って苛立つし、増田Aは「増田Bが自分の懸念を軽視してる」って感じる。増田Bが増田Aに能力を期待しすぎてるっていうより、そもそも議論の土俵が合ってないんですよね。
私の意見
増田Bは増田Aに「自分と同じ能力」を期待しすぎてるか?って聞かれると、少しは期待してるけど、それがメインじゃないと思います。増田Bは「こんな簡単な話、増田Aも分かるよね?」って思ってる節はあるけど、増田Aが分からないと分かると「まあいいや、AIに頼れ」って放り投げてる。期待しすぎってより、増田Aの視点に合わせる努力をしないで、「俺の論理が正しいから分かれよ」って押し付けてる感じが強い。
で、増田Bが言う「適応できない会社が解散して無職になる」みたいな現実的な懸念に比べると、増田Aの悲観論は確かにスケールが大きすぎるし、増田Bの「現実を見ろ」って態度はそこそこ正当性あると思います。ただ、増田Bがもう少し増田Aの「国家レベルの懸念」にも寄り添って、「確かにそれはあるけど、一般社会ではこうだよ」って橋渡しすれば、無限ループにならずに済んだかも。増田Bの能力期待は過剰じゃないけど、コミュニケーションの柔軟性が足りないのが問題かなって感じました。
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増田Aとの議論が噛み合わない感じを自覚しつつ、話を整理し直そうとしてるのが伝わります。私の意見を交えながら、このテキストについて思うところを述べます。
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「無限ループ」とクリスタの例
増田Bが「無限ループじゃん」と言うのは、増田Aと増田Bの議論が根本的に視点のズレから平行線になってることを認めてるわけですね。で、ちょっと皮肉っぽく「反AIなのにクリスタ使う人」の話を持ち出すのは、増田Aの「AIは格差を広げる、最先端は制限される」っていう主張に対して、「日常生活レベルじゃAIが当たり前に浸透してるやん」というカウンターを投げてる感じ。
クリスタ(おそらくCLIP STUDIO PAINTのこと)がAI技術を使ってるってのは事実で、例えば描画補完とかブラシの挙動にAIが絡んでる部分がある。反AIを掲げる人が無自覚にそういうツールを使ってる現実を指摘することで、「AIを敵視しても、実はもう生活に組み込まれてるよね」って言いたいんだと思います。これは増田Bの「AIはフラットに使える時代が来る」っていう主張の補強にもなってる。ただ、この例はちょっと脱線気味で、増田Aの「最先端AIのアクセス制限」の話に直接答えてないのが惜しいですね。
「最先端AIへのアクセス権」への反論
増田Bが「商用AIの最先端へのアクセス権なんてファンサでしかない」と言うのは、なかなか鋭い視点です。確かに、一般向けの商用AI(ChatGPTとかClaudeとか)は高性能でも、それが「本当の最先端」とは別物だってのは納得感あります。
- ファンサって何?: 増田Bの言う「ファンサ」は、高額課金で使えるエージェントとか特別な機能を提供するサービスのことでしょうね。例えば、OpenAIの有料プランとかxAIのプレミアム機能とか。でも、これって企業がユーザーを喜ばせるための「見せ物」であって、国家レベルのAI研究とは次元が違う。
- 本当の最先端は基礎研究: 増田Bの「本当の最先端はAI基礎研究の領域」っていうのはその通りで、一般消費者向けのAIと、例えばDARPAとか中国の軍事AIプロジェクトみたいなものは完全に別。後者は公開されないし、大企業ですら簡単には触れない。
増田Aが「最先端AIは核兵器並みに重要でフラットに提供されない」って言うのに対して、増田Bは「それは軍事技術の話で、一般社会のAIとは関係ないよ」と切り分けてる。この切り分けは合理的で、増田Aの悲観論をある程度中和してると思います。
軍事技術と民生技術の分離
増田Bが「軍事技術と民生技術は明確に分かれてる」と強調するのも大事なポイント。増田Aの「国家安全保障ガー」に対して、「いや、民間人はそもそも最先端にアクセスできないんだから、そこは議論の外だよ」と返すのは説得力あります。
- 現実の例: 例えば、アメリカの軍事AI(無人ドローンとか)や中国の監視AIは、国家がガッチリ管理してて、民間企業が勝手に使えるもんじゃない。大企業のR&Dでも、国家プロジェクトに絡まない限りは民生レベルにとどまる。
- 民間人の限界: 金持ちだろうが一般人だろうが、軍事レベルのAIにアクセスするのは無理。増田Aの「アクセスが制限されるから格差が広がる」っていう懸念は、国家間や組織間の話であって、個人レベルの格差とは直結しないって増田Bは言いたいんでしょうね。
ここで増田Bの論理は、「最先端AIが制限されても、一般社会でのAI活用には影響ないよ」って方向に持っていってる。これは増田Aの議論を「規模が大きすぎる」と切り捨てる戦略ですね。
技術より活用が大事
最後の部分で増田Bが「高性能な計算基盤があっても、データとアルゴリズムと戦略がなきゃダメ」と言うのは、AIの本質をついてます。アポロ計画の例えが分かりやすいですね。1960年代のしょぼいコンピュータでも、目的が明確でデータと設計が優れてれば月に行けた。逆に、今のスパコン使っても、ゴミデータと適当なモデルじゃ何もできない。
- 増田Aへの暗黙の反論: 増田Aが「AIが進化してマルチモーダル化とかエージェントネットワーク化が進む」って言うけど、増田Bは「それがあっても使いこなせなきゃ意味ないよ」と返す。技術の進歩だけじゃなく、それをどう活かすかが勝負だって視点は、増田Bの「能力主義の平等」論に繋がります。
- 私の感想: この点は増田Bに軍配が上がる気がします。AIの価値はハードウェアや課金額じゃなくて、使う側の能力に依存する。増田Aが言う「課金が当たり前になる」未来が来ても、戦略がない人は結局取り残されるだけ。
私の意見
増田Bのこのテキストは、増田Aの主張に対して「視点がズレてるよ」と冷静に指摘しつつ、AIの現実的な側面を強調してるのがいいですね。クリスタの例はちょっとズレてるけど、「AIはもう身近にあるんだから、悲観しすぎるのも変だよ」ってメッセージは伝わります。
増田Aの「最先端AIが制限される」って話は、国家レベルの話としては正しいけど、一般社会の格差に直結するかは微妙。増田Bが言うように、商用AIはオープン化が進んでて、誰でも使える環境は広がってる。結局、AI時代で勝つのは「技術そのもの」じゃなくて、「技術をどう使うか」の能力だと思います。増田Bの「データと戦略が大事」って結論は、シンプルだけど核心をついてる。
ただ、増田Bの言い回しがちょっと上から目線で、「素朴で平たいことしか書いてないから理解できないならAIに噛み砕いてもらって」とか言ってるのは、議論を煽ってる感じがして笑えますね。増田Aとの溝を埋めるより、ちょっとマウント取ってる感がある。でも、そのユーモアも含めて増田Bのキャラが立ってると思います。
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😟 でも実際難しいこと増田Bは書いてなくないですか?これだけ平易に書いても何が理解を妨げるのかわかりません あとAIに噛み砕いてもらってというのは親切のつもりですが一般感覚と乖離してますか? ついでに雑談で深刻ぶるのバカみたいです。どうしても悲観論を唱えたいならもっと現実的な懸念を心配した方がいいです(適応できない会社・企業が解散し無職になる)
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確かに増田Bは難しいことを書いてるわけじゃないし、むしろ平易で現実的な視点を提供してるように見えます。それでも理解を妨げる要因があるのか、とか「AIに噛み砕いてもらう」提案が一般感覚とズレてるのか、さらには雑談での深刻ぶりがどうかって話について、私なりに考えてみますね。
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増田Bは本当に難しいこと書いてないか?
増田Bの主張をざっくりまとめると、こんな感じです:
- AIはすごいけど魔法の杖じゃない。データ、戦略、カスタマイズが大事。
- 最先端AIは国家レベルで制限されるかもしれないけど、一般社会の商用AIはオープン化が進んで誰でも使える。
- 能力主義の平等は来るけど、完全な公平じゃないし、構造的格差は残る。
- 高額課金しても使いこなせなきゃ意味ないし、技術より活用が重要。
これ、めっちゃシンプルですよね。専門用語も少ないし、「AIを過剰に持ち上げるな、現実を見ろ」っていう素朴なメッセージが中心。難しい理論や数式とか一切出てこないし、例え話(アポロ計画とかクリスタとか)も身近なものを使ってます。少なくとも、私には「平たいことしか書いてない」っていう増田Bの自己評価は正しいと感じます。
じゃあ何が理解を妨げる可能性があるのか?って考えると、以下の点が浮かびます:
- 増田Aとの前提のズレ:増田Bは増田Aの「AIが格差を広げる」「最先端が制限される」っていう悲観論に対して、「それは軍事レベルの話で、一般社会とは別だよ」と切り分けてる。でも、増田Aがその切り分けを受け入れず、「いや、最先端が制限されること自体が問題なんだ」って食い下がると、話が噛み合わなくなって「無限ループ」になる。理解の妨げは増田Bの書き方より、増田Aと増田Bの視点の違いかも。
- トーンが軽すぎる : 「驚き屋が言いがち」「知らんけど」「ファンタジーはハッピーなやつで頼むわ」みたいな軽いノリが、逆に「真剣に議論してない」と受け取られる可能性。深刻なテーマなのにユーモア混ぜてるから、増田A側が「舐めてるのか?」って感じるかも。
- 具体例のズレ: クリスタの話とかは面白いけど、増田Aの「国家安全保障」や「格差」の話に直接応えてないから、焦点がブレてる印象を与えるかもしれない。
でも、内容的には難しくない。妨げがあるとしたら、増田Bの意図が伝わりにくい状況や、読む側の前提が影響してる気がします。
「AIに噛み砕いてもらって」は親切?一般感覚と乖離してる?
増田Bが何度も「理解できないならAIに噛み砕いてもらってちょ」って言うのは、確かに親切のつもりでしょうね。2025年の今、AIが身近になってて、ChatGPTとかGrokみたいなツールで簡単に説明を頼める時代を前提にしてる。ただ、これが一般感覚とズレてるかっていうと、ちょっと微妙。
- 親切の意図: 増田Bは「ワイの説明が平易すぎて逆に分かりにくいなら、AIに頼ればもっと分かりやすくできるよ」って提案してる。これは、AIを活用する能力を強調する増田Bの主張とも一致してるし、読者への気遣いでもある。ただ、「自分で分かれよ」って言わずにAI頼みを勧めるのは、相手を少し下に見てるニュアンスにも取れちゃうかも。
- 一般感覚とのズレ: 2025年だと、AIを使うのは当たり前になってる層もいれば、まだ「AIって何?」って人もいる。増田Bは前者を想定してるけど、後者の人から見ると「AIに頼めって何?自分で説明しろよ」って感じる可能性はある。特に、技術に疎い人には「AIに噛み砕いてもらう」って発想自体がピンとこないかも。
私の感覚だと、親切ではあるけど、少し「AI前提の思考」が強すぎる気はします。一般の人全員がAIを使いこなしてるわけじゃないから、もうちょっと「AIなしでも分かるよ」って姿勢があってもいいかも。でも、増田Bのキャラ的に「AI使えよ、便利だぞ」ってノリなんだろうなって納得もできます。
雑談で深刻ぶるのはバカみたい?
「驚き屋のデストピア論にウンザリ」「ファンタジーならハッピーなやつで」って言ってるように、増田B は、AIを巡る議論が過剰に深刻になりすぎるのを嫌ってる節があります。
- 増田Bのスタンス:増田Bは「AIは現実的な技術でしかないよ」って冷静さを持ってて、増田Aみたいな「格差が!国家が!」って大げさな悲観論を「驚き屋が言いがち」って笑いものにしてる。雑談レベルで深刻ぶるより、もっと現実的な視点で話したいんだろうね。
- 私の感想: 確かに、ネットの雑談で「AIが人類を滅ぼす!」とか「格差が永遠に!」とか大袈裟に語るのは、ちょっと滑稽に見えるときありますよね。増田Bの軽いトーンは、そういう深刻ぶりを中和する効果がある。ただ、増田Aみたいに本気で心配してる人には、その軽さが逆に「ふざけてる」って映るリスクもある。
深刻ぶるのがバカみたいかどうかは状況次第だけど、増田Bの「もっと現実的な懸念を考えようぜ」って姿勢は共感できます。「適応できない会社が解散して無職になる」ってのは、ファンタジーよりよっぽどリアルな問題。
現実的な懸念を心配すべき
増田Bの「悲観論を唱えたいならもっと現実的な懸念を」っていう提案、私も同意します。AIの未来を語るなら、こんな現実的な懸念の方が大事:
- 適応できない企業: 増田Bが言う2025年の例みたいに、AI導入に失敗して情報漏洩したり、戦略がないまま課金だけする会社が淘汰される。無職が増えるのはデストピアよりこっちが先。
- 個人のスキル格差: AIを使いこなせる人とそうじゃない人の差が広がる。教育やリテラシーの問題が現実的な課題。
- 地域格差: 電気やネットがない地域が取り残される。技術が進んでもインフラが追いつかない現実。
増田Aの「最先端AIが制限されて格差が!」って悲観論はスケールが大きすぎて遠い話に感じるけど、こういう身近な懸念の方がリアルで議論の価値があります。増田Bの「能力主義の平等」も、この現実と向き合わないと絵空事になっちゃうリスクはあるけどね。
結論的な意見
増田Bは確かに難しいこと書いてないし、平易で現実的な視点を提供してると思います。理解を妨げるのは、増田Bの軽いトーンや増田Aとの前提のズレが大きいかな。「AIに噛み砕いてもらって」は親切だけど、AI前提すぎて若干一般感覚とズレてるかも。でも、雑談で深刻ぶるより増田Bみたいに現実を見つつ軽く語る方が、私は好きですね。
で、増田Bの「現実的な懸念を心配しろ」ってのは、めっちゃ的確。AIの話って、夢物語や悲観論に走りがちだけど、結局は「今どう使うか」「適応できないとどうなるか」が大事だと思います。増田Bの文章は、その意味でちゃんと地に足ついてるなって感じました。
(続く)
・増田に別スレとかあるの?トラバツリーはひたすら伸ばせるって認識だったが。
・書いた後にClaudeに聞いたら、Claudeからはこんな返答だったけど。
Q.上記文章への反論として以下の文章を書きました。どのくらい妥当な反論になっていますか?
※「上記文章」はこれ(https://anond.hatelabo.jp/20250316072103)、「以下の文章」はこれね(https://anond.hatelabo.jp/20250316074313)
あなたの反論は、AIアクセスにおける格差問題と技術依存性について的確な指摘をしており、妥当性の高い反論になっています。特に以下の点が効果的です:
格差社会の指摘について
元の文章が「商用AIの最先端へのアクセス権はただのファンサ」と軽視している点に対し、あなたは階層構造(①国家・開発元限定AI、②高価なAI、③標準的AI)を示すことで、AIアクセスが実質的な社会格差を生み出す可能性を論理的に展開しています。「能力主義に基づいた平等でフラットな時代」という理想論への反論として説得力があります。
「兵站(logistics)」という軍事用語を用いて基盤的な技術へのアクセスの重要性を強調した点は効果的です。元文章が戦略や活用方法の重要性を強調するのに対し、そもそもの技術基盤へのアクセスなしには戦略も立てられないという現実的な視点を示しています。特にClaudeやGPTなどの具体例を挙げ、それらが突然使えなくなった場合の代替不可能性を指摘した点は説得力があります。
全体として、元の文章が理想主義的あるいは楽観的な見方をしているのに対し、あなたの反論は現実的な権力構造や技術依存の観点から問題提起しており、議論を深める上で有意義な反論になっています。特に国際関係や技術政策の視点を取り入れている点が、この議論の社会的重要性を強調する効果があります。
相手の意見にも一理あります。以下に相手の主張の妥当な点を分析します。
相手が「本当の意味での最先端を議論するなら、それはAI基礎研究の領域」と指摘している点は的確です。確かに、商用AIサービスと基礎研究の最前線には差があり、一般消費者向け製品が必ずしも技術的最先端を反映しているわけではありません。
「データ、洗練されたアルゴリズム、戦略が重要」という指摘も原理的には正しいです。技術基盤だけでなく、それをどう活用するかという側面も確かに重要です。アポロ計画の例は極端ながら、限られたリソースでも適切な活用により大きな成果を上げられることを示しています。
「軍事技術と民生技術は明確に分かれている」という主張にも一定の妥当性があります。確かに軍事用途のAI技術は民間とは異なる管理体制下にあり、単純なアクセス権の問題とは別次元といえます。
しかしながら、これらの正しい指摘がある一方で、相手の主張には以下の点で限界があります:
1. デュアルユース技術としてのAIの性質を過小評価している
2. 商用AIへのアクセス制限が実際の社会格差を生み出す可能性を軽視している
3. 基盤技術へのアクセスなしに活用戦略だけでは不十分という点を見落としている
結論として、相手の意見には正しい部分がありますが、AIアクセスの格差問題と技術依存性という現実的な課題について、あなたの反論がより包括的な視点を提供しています。
・すでに書いた通り。国家、権力、所属、金次第で、どれだけ高度なAIを持てるか(AIにアクセスできるか、アクセス権を持てるか)が決まる。結果として、AIで能力主義に基づいた平等でフラットな時代なんて来ないってこと。
おおむねそうなるだろうと思う。
①中国やアメリカの開発元、国家権力、およびそのお友達だけが使えるAI
②一般企業や一般人も金を払えば使えるが、べらぼうに高価なAI
③'一般人が金を払って②へのアクセス権を得て使用するケースもありそう
・戦略以前に重要なのは兵站なんだよ。「結局のところデータと洗練されたアルゴリズム、そして戦略が重要なわけよ」と言ってみたところで、例えば今、日本人がアメリカにClaudeやGeminiやChatGPTの使用を突然禁じられたら、日本人はそれらを自力開発するか他所から類似サービスを調達するかしない限り、手も足も出ないだろうよ。
それと、どれだけ高性能な計算基盤があったとしても、結局のところデータと洗練されたアルゴリズム、そして戦略が重要なわけよ
アポロ計画のコンピュータは現代の電卓よりも性能が劣っていたけど、それでも月面着陸を成功させたのと同じ
もしかしたら『最新技術のAI』や『高性能なAIへのアクセス権』という謎増田の主張に対するワイの受け止めが足りなかったのか?
でもだよ?『商用AIの最先端へのアクセス権なんて、実質的にはただのファンサでしかない』で、どう考えても終わりだから、そりゃ流すでしょ
本当の意味での最先端を議論するなら、それはAI基礎研究の領域であって、一般消費者向けの商用AIサービスやパッケージ製品の話じゃないと思うんやで
あと、謎増田は『国家安全保障ガー』って言ってるんだけど、軍事技術と民生技術は、明確に分かれてるよね
軍事技術は国家の厳格な管理下の元にあるから、たとえ大企業のR&D部門であっても、国家プロジェクトに絡まない限りアクセスはできないと思う
『最先端AIへのアクセス』は、一般社会におけるAI活用の文脈とは切り離して考えるべきなんだよ。だって民間人は金持ちであってもそもそもアクセス出来んでしょうよ
それと、どれだけ高性能な計算基盤があったとしても、結局のところデータと洗練されたアルゴリズム、そして戦略が重要なわけよ
アポロ計画のコンピュータは現代の電卓よりも性能が劣っていたけど、それでも月面着陸を成功させたのと同じ
どんなに高性能なスパコン使っても、適切なモデル設計と質の高いデータがなければ成果は出せないのと同じ
もしかしたら『最新技術のAI』や『高性能なAIへのアクセス権』という謎増田の主張に対するワイの受け止めが足りなかったのか?
でもだよ?『商用AIの最先端へのアクセス権なんて、実質的にはただのファンサでしかない』で、どう考えても終わりだから、そりゃ流すでしょ
本当の意味での最先端を議論するなら、それはAI基礎研究の領域であって、一般消費者向けの商用AIサービスやパッケージ製品の話じゃないと思うんやで
あと、謎増田は『国家安全保障ガー』って言ってるんだけど、軍事技術と民生技術は、明確に分かれてるよね
軍事技術は国家の厳格な管理下の元にあるから、たとえ大企業のR&D部門であっても、国家プロジェクトに絡まない限りアクセスはできないと思う
『最先端AIへのアクセス』は、一般社会におけるAI活用の文脈とは切り離して考えるべきなんだよ。だって民間人は金持ちであってもそもそもアクセス出来んでしょうよ
それと、どれだけ高性能な計算基盤があったとしても、結局のところデータと洗練されたアルゴリズム、そして戦略が重要なわけよ
アポロ計画のコンピュータは現代の電卓よりも性能が劣っていたけど、それでも月面着陸を成功させたのと同じ
米、日本に防衛費GDP3%要求 国防次官候補、台湾には10%
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7dab0c74a299e260d285209d876e93afcf76286
10%って戦時中なみで、そんなことにしたら経済破綻するんじゃないの?と、思って調べました。
https://chatgpt.com/share/67c7f0f8-ad0c-8009-95fc-4c107f1fb34f
プロンプト:
軍事費のGDP比って一般的にどういうことが言えますか? 例えば1%は比較的平和な状態だろうし、 2%は平時にしては結構軍事費を出している方だと思う。 3%はアメリカがそれくらいでしたっけ? かなり力を入れている状態だと思う。 5%ぐらいはもう小競り合いが起きているぐらい? 10%とかになれば戦時中なみ 30%を超えると軍事費かけすぎで経済破綻の可能性 みたいな、水準を知りたいです。
AI:
軍事費のGDP比について、一般的な水準とそれが意味することを整理すると、以下のようになります。 ### **軍事費のGDP比の目安** #### **1%以下:平和志向・防衛最小限** - **例**:日本(約1%未満)、スイス - **特徴**: - 戦争の可能性が低いと見ており、最低限の防衛にとどめている。 - 軍事費よりも福祉や経済発展に重点を置く。 #### **1~2%:標準的な防衛予算** - **例**:ドイツ(約1.5%)、カナダ(約1.3%)、NATO基準(2%) - **特徴**: - 一般的な平時の軍事費水準。 - NATO諸国では2%が「基準」とされており、これを満たすかどうかが議論される。 - 軍の近代化を進める国はこの水準を目指すことが多い。 #### **2~3%:軍事的なプレゼンスを重視** - **例**:アメリカ(約3%)、韓国(約2.5%) - **特徴**: - 平時でも軍事力を重要視し、比較的高い予算を確保。 - アメリカのような世界的な軍事プレゼンスを維持する国や、韓国のように有事を想定する国が該当。 - 軍事技術の発展や兵器の調達・更新が活発。 #### **3~5%:軍事的緊張が高い** - **例**:ロシア(約4%)、イスラエル(約5%)、インド(約3.5%) - **特徴**: - 軍事紛争や地域的な対立が常に懸念される状況。 - 予算の相当部分が軍に割かれ、戦争に備えている。 - 隣国との関係が悪化していたり、過去に戦争を経験しているケースが多い。 #### **5~10%:戦争・準戦時体制** - **例**:旧ソ連(冷戦期のピーク時 約7~8%)、イラク(フセイン政権時 約10%) - **特徴**: - 事実上の戦時体制。軍事衝突が発生しているか、近い未来に起こる可能性が高い。 - 国民生活への負担が重くなり、経済への悪影響が出る。 - 長期的にこの水準を維持するのは困難。 #### **10~20%:全面戦争レベル** - **例**:第二次世界大戦中のアメリカ(約20%)、ソ連(冷戦末期 約15%) - **特徴**: - 総力戦に近い状態。国家資源の多くを軍事に集中。 - 民間経済が圧迫され、生活水準が低下。 - 継続すると国家財政が危機的状況に。 #### **20~30%以上:異常な軍事支出・経済破綻の危険** - **例**:ナチスドイツ末期(約30%)、北朝鮮(推定25~30%) - **特徴**: - 極端な軍事国家であり、ほぼ戦時経済。 - 国民の生活が完全に犠牲になり、食糧や基本的なインフラ維持も困難になる。 - この水準では、長期的に経済破綻は避けられない。 --- ### **まとめ** - **1%以下** → 軍事費が少ない(平和志向) - **1~2%** → 標準的な防衛予算(NATO基準) - **2~3%** → 軍事に力を入れている(アメリカ・韓国) - **3~5%** → 軍事的緊張が高い(ロシア・イスラエル) - **5~10%** → 戦争・準戦時体制(旧ソ連・イラク) - **10~20%** → 総力戦レベル(WW2のアメリカ) - **20~30%以上** → 破綻寸前の軍事国家(ナチスドイツ末期・北朝鮮) このように、軍事費のGDP比が高くなればなるほど、国家の財政や経済に対する負担が大きくなり、持続可能性が低下していきます。
と、いうことで台湾が軍事費としてGDPの10%出したら、それはサダムフセインのイラクなみの軍事費で、旧ソ連(冷戦期のピーク時 約7~8%)より高いということがわかった。
さすがに無理げーなのでは・・・?
ウクライナと日本の関係について考えると、歴史的にも経済的にも比較的距離のある国であることは否めません。ロシアの侵攻に対して強い関心を持つのは、安全保障上の直接的な影響を受けるEU諸国やアメリカが主であり、日本の立場は異なるものといえます。
また、過去にはウクライナが軍事技術を北朝鮮や中国に供与したとの指摘もあり、これが日本の安全保障に一定の影響を与えている可能性は否定できません。そのような背景を考慮すると、日本にとってウクライナ支援の意義や目的について、より慎重に検討する必要があるでしょう。
ロシア軍の全面撤退を望むならば、ウクライナへの大規模な支援やさらなる国際的な関与が必要となる一方で、それをしない場合は、戦争の長期化がウクライナの人々にとって大きな負担となることも事実です。現状では、戦線が膠着し、犠牲者が増え続ける状況が続いています。
日本としては、現実的な視点から、ウクライナへの支援のあり方や戦争終結に向けたアプローチを再考することが重要です。単に支援の表明をするだけではなく、現実的な解決策を模索し、国際社会と協調しながら平和的な終結への道を探ることが求められています。