はてなキーワード: KKKとは
性犯罪のニュースやら見て女が男を警戒するのは白人が黒人をことさら危険視してKKKが台頭したのと同じなんだってよ。
https://note.com/beatangel/n/n6bd6bf4b8060
なんか似たような感触の文章読んだことあるなと思い出したのがこれだ。
https://anond.hatelabo.jp/20220510124233
青識がなりすまししたのは別の立場に立ってみる必要があるからなんだってよ。
こういうのにあんまり同じ土俵でがっぷり四つでここがおかしいのどうの言う気しないんだよな。
「自分の中で一本理路が繋がったからって、全体として明らかにバランスを欠いたこと言ってたら意味ないんだぜ」というツッコミが、自己客観視ができない/する気がない奴には通じないのである。
それは別に男女論厨や陰謀論者だけの悪徳ではない。馬鹿が必死になると呈する典型的症状である。
前に付き合ってた女がこれで本当に消耗させられた。最終的には「自分の言ってることは客観的には事実ではないかも知れないが、自分がそう思ったのは事実なのだから、それに寄り添わないのは自分に対する加害である」みたいなことを堂々と言い放ってたからな。
自分の中で自分に都合の良い結論ありきでそこにつながる理屈を考えて、細く曲がりくねった道がどうにか繋がったら証明完了!となってしまうアホにどう対処すれば良いのか。だいたい距離置くしか無いんだけどそういうアホが徒党を組む場合もあるのだ。
しかし、reiさんの論は我田引水が過ぎると思うのでそこには異を唱えたい
実際は地方出身の女子学生に対して月3万円の家賃支援。民間のマンション100室を借り上げ、3万円を控除する形で地方出身の女子学生に貸し出しである
女性が男性を怖がることだけが理由なら地方出身か否かは関係ないはずであるが地方出身と限定されているところに注目する必要がある
もちろん、慣れていない満員電車は男性も嫌だろうから男性にも適用すべきだという主張は当然
この点に関して、総長は地方出身の男性には、各県人会の学生寮あるからそこが不利な女性から始め、そして男性にも拡大していくと答えている
首都圏にある35の都道府県の県人寮52舎のうち24舎が男子専用の寮となっている。うち16舎は今後も受け入れ予定なし
| 兵庫 | 栃木 | 愛知 | 石川富山 | 岐阜 | 奈良 | 静岡 | |
| 男子 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
| 女子 | ✖ | ○ | ✖ | ✖ | ✖ | ✖ | ✖ |
この結果を見れば東大が女性の怖いだけを理由に女子への家賃補助を決めたということは出来ないだろう
個人的に女子枠には反対だが女子枠が女子学生は男子学生が多くて怖いだろうからというのは意味が分からない
女性専用のリフレッシュスペースはある、それも、女子トイレを通らないとたどり着けないという徹底ぶり
労働安全衛生法で定めらている休養室に関しては男性用、女性用とそれぞれある
東京科学大学の学生寮は男女共用が8つ、男子寮が4つ、女子寮が3つ
これに関しては、どの企業がやっているのか分からないので検証しようがない
女性活躍加速助成金のことを指しているのか明らかではないがこの助成金は
これも怖いで括られるともう怖いとはなんなのか分からない
例えば育児などに配慮した環境を作ることで継続年数が伸びた、女性の採用者が増えたなども対象なのだがこれも女性の怖いなのだろうか
女性は男性比べ力が弱いので力が弱い女性でも対応できるようにラインの機械化を勧めたらそれは女性の怖いに配慮したと判断されるのだろうか
reiさんは、以前よりチェリーピッキングを行ってきたが最近ではチェリーピッキングどころではなく、曲解や事実の捻じ曲げを行っているのではないかとさえもう
以降、KKKの話が続くが女性がKKKに正式に加入で出来たのは1950年以降であり加入できても指導的立場に就くことは出来なかった
もちろん、これは女性の影響力がなかったということを意味する訳ではないが彼女達は「影の操り手」にも繋がらない
最盛期のWKKKの会員数を50万としてい如何に女性がKKKにお熱だったかを語るが本家KKKの会員数は数百万に達している
「ウェディングドレスはイメージが大事で、AV女優なんか(ということだよね)に貸してイメージを棄損した(AV女優=穢れ)レンタル業者が迂闊よね」
そうだね、そういう考え方もあるかもね。
それを商売にプラスかマイナスか判断するのは当の業者であって、他人が口を出すことではない。以上。
あと借りた人を特定できる形で、明らかに職業差別的なニュアンスで言及してた発端のツイートは明らかにアウト。
あれと同じことを男性(その業者からドレス借りようとしてた女性のパートナー)が「彼女が借りようとしてたドレス、AV女優が着てた。最悪」なんて投稿してたら、大炎上して叩かれまくってたことでしょう。
今回は女性の投稿なので、「多数女性の気持ちに寄り添う」フェミニスト(ちんぽ騎士)達が必死こいて発端発言の擁護に努めてますが、同じことを男性が言ってたときに擁護できるか、想像してみましょう。
今回は性差別ではく職業差別の問題なので、「同性だから」という話ではない。(同職業だから、ならギリセーフ)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/ipusiro/n/nd5010a494825
の上位ブコメにある「娘や妻がAV女優になるといっても別に問題ないという人だけが石を投げなさい」なんて全く意味不明で、なんでこれがスター集めてるの?
「娘や妻がAV女優になっても差別されず堂々と生きていける世の中を目指そう」があるべき姿でしょ。
黒人差別主義者が「娘が黒人と結婚したいといっても別に問題ないという人だけが(KKKに)石を投げなさい」と言ってるのと同じ。
内心でこっそり「嫌だな」と思うのと、その思いをインターネットで世界に向けて発信したり、まして他人(業者)に差別行動(客の職業によって利用を断る)を要求するなんて、もう完全にアウトのアウト。
これ、「みんなもあの職業、嫌だよね?だから差別しても許されるんだよ」と差別を認めさせようとしてて、差別扇動の最低最悪ヘイトブコメ。
これが支持集めるはてブって凄すぎる。
サービスは一定のお客を弱らせるためにあるという、財閥由来の事業者の差別思考は、その存在が、許し難い
特に天皇に近い財閥は、男系だろうが女系だろうが天皇制利権を維持するため、商売差別の存在を好んでいる。何がナチスに学べだと?
おおかた綺麗なスーツを着た残虐嗜好の薬物中毒者らが、メディアで自由に大衆を操ってるのが嬉しいのだ。財閥の官僚は、ノーベル賞受賞者も現場の土方も金がかかる奴隷に過ぎないと思っており、メディア人形を上手に操れば安泰だと高を括っている。
8才の増田は官僚の子である母親の抹殺に失敗したが、支配者の差別や暴力を止めるという方向性は悪くなかったと思っている。7才で生命保険を掛けられ、生命保険協会の手の者からも、しつこく物理的・経済的・精神的攻撃を受けている。KKKの日本子ども版だ。
フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に傭兵学校を設立しました、並木書房から日本人の参加ルポが出ていたと思いますがその詳細を教えてください
エコー・イン・ジャパン:フランク・キャンパー、並木書房、そして傭兵の呼び声に応えた日本人
ご質問の内容は、単なる書籍の問い合わせにとどまらず、1980年代の日本における特異な文化的モーメントを映し出す歴史的アーティファクトである。この時代、日本では軍事、特に傭兵や特殊部隊といったロマンチックかつ危険な世界への大衆的関心が急激に高まった 1。この熱狂は、落合信彦氏のような作家が手がけた「スーパードキュメント」と呼ばれるノンフィクションによって大きく煽られた。特に、氏の著作『傭兵部隊』はフランク・キャンパーを大きく取り上げ、後の日本人参加者を含む当時の若者たちに強烈なインスピレーションを与えたのである 1。
本報告書は、ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」と完全に一致する一冊の本は存在しないものの、その記憶がフランク・キャンパー、高橋和弘、毛利元貞といった人物、並木書房による出版物、そしてキャンパーの学校とその「後継」組織という、相互に関連し合う魅力的なネットワークを指し示していることを明らかにする。その全貌は、一個人の参加報告よりもはるかに複雑で、示唆に富むものである。
この現象を解き明かす上で、並木書房の役割は極めて重要である。同社は単に受動的な出版社ではなく、日本の市場に向けて「傭兵」や「サバイバル」といった特定のサブジャンルを積極的に開拓・形成した「キュレーター」であった。まず、1990年に高橋和弘訳によるフランク・キャンパー自身の著書『ザ・マーセナリー』と『ザ・ラープ』を出版し、日本におけるキャンパーのブランドを確立した 9。同年、その翻訳者である高橋自身の体験記『USサバイバル・スクール』を刊行 14。これは、確立されたキャンパーのブランドと翻訳者の信頼性を利用して、新たな日本のオリジナル作品を市場に投入する戦略であった。翌年には、キャンパーが象徴する世界に直接繋がるもう一人の日本人、毛利元貞の『傭兵修行』を出版した 15。この一連の流れは、海外の著名な人物を輸入してブランド化し、次にそのブランドに連なる国内の物語を発掘・出版することで、ニッチな市場全体を掌握するという、並木書房の意図的な戦略を示している。
1.1. 論争の的となった経歴:兵士、情報提供者、そして神話の創造者
フランク・キャンパーの公的なペルソナと、彼が設立した傭兵学校の信頼性の核となっていたのは、その軍歴であった。彼は自身をベトナム戦争に従軍した第4歩兵師団の長距離偵察パトロール(LRRP)隊員であると主張し、そのエリートとしての経歴を喧伝した 17。この物語は、後に日本で『ザ・ラープ 長距離偵察部隊』として翻訳・出版される自著『LRRP: The Professional』によって、さらに補強された 10。
しかし、1985年に公開された公式の軍記録は、彼が歩兵およびトラック運転手として訓練を受けたと記しており、その経歴に疑問を投げかけた 17。この矛盾は、1988年にキャンパー自身が上院小委員会の公聴会で証言したことにより、ある種の解決を見る。彼は、軍事情報部、CIA、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)、FBIとの「高度な機密指定を受けた経歴」を明らかにし、矛盾する記録は情報機関によるカバーストーリーであったと説明した 19。彼によれば、1970年から秘密情報提供者として活動し、アメリカ共産党(CPUSA)やアラバマ黒人解放戦線(Alabama Black Liberation Front)のような組織に潜入していたという 17。この兵士と情報提供者という二重のアイデンティティこそが、彼の行動を理解する上での鍵となる。
1.2. マーセナリー・スクール(1980年-1986年):準軍事的事業の実態
1980年、キャンパーはアラバマ州ドロマイト近郊で「マーセナリー・スクール」を開校した。当初、実地訓練はフロリダで行われていたが、原子力発電所付近での不法侵入容疑による逮捕後、拠点をアラバマ州ジェファーソン郡のウォリアー川沿いにある77エーカーの森林地帯に移した 17。
学校は『ソルジャー・オブ・フォーチュン』のような軍事雑誌で宣伝され、2週間のコース料金は350ドルから500ドルに設定されていた 17。訓練内容は、体力トレーニング、銃器の取り扱い、白兵戦、ナイフ格闘術、サバイバル技術、ランドナビゲーション(地図判読)、E&E(脱出と回避)、爆発物、ブービートラップの設置など、多岐にわたった 1。機密解除されたCIAの文書には、司令部であった「バンカー」の様子や、実弾が飛び交う中で行われた「ライブ・ファイア」演習の生々しい記述が残されている 22。
キャンパーは学校設立の理念として、米国政府のための情報収集と、将来的な協力者となりうる外国人の資質を見極めることの2点を挙げていた 21。これは彼が担っていた情報提供者としての役割と一致する。しかし、批評家たちからは、この学校は単なる「大規模なペイントボール・ゲーム」に過ぎないと揶揄されてもいた 17。
キャンパーの学校は、単に軍事技術を教える場にとどまらず、国際的なテロリズムや犯罪と深く結びついていた。
1984年から85年にかけて、4人のシーク教徒過激派がこの学校で訓練を受けた 17。キャンパーは彼らに武器や爆発物の使用法、暗殺技術を指導した 21。彼は、当時インドのラジブ・ガンジー首相の訪米に合わせた暗殺計画を阻止するため、FBIと協力しておとり捜査を進めていたと主張している 17。しかし、このおとり捜査の網をすり抜けた2人の訓練生が、キャンパーの学校から盗まれたとされる爆発物を使用し、1985年に329名の命を奪ったエア・インディア182便爆破事件を実行した 21。キャンパーは後に、容疑者全員を逮捕できなかったのは、自身が提供した情報が関係機関によって不適切に扱われたためだと非難した 21。
学校の終焉を決定づけたのは、1985年にキャンパーと3人の教官がカリフォルニア州の学校経営者から依頼を受け、元従業員の車に爆弾を仕掛けた事件であった 21。彼らは1986年5月に逮捕され、この逮捕がアラバマ州司法長官に、州の私立学校免許なしで運営されていた同校を閉鎖する法的根拠を与えた 17。キャンパーは有罪判決を受け、14年の懲役刑を宣告されたが、実際には5年半服役し、1991年12月に釈放された 17。
この一連の出来事は、マーセナリー・スクールが単に犯罪者が集う場であったという以上に、より複雑な本質を持っていたことを示唆している。キャンパーが公言していたように、この学校は米国政府のための情報収集を目的とした「ハニーポット(蜜の壺)」として構想され、運営されていた。その設計思想自体が、過激派や犯罪者を引き寄せるものであった。彼は実際に、ナイジェリアへの武器密輸計画やKKK関連のクーデター計画など、訓練生の違法行為を当局に通報し、逮捕に貢献している 17。シーク教徒の事件に関するFBIの宣誓供述書にも、アラバマ州の「信頼できる情報源」からの通報があったことが記されている 22。
しかし、このモデルは致命的な欠陥を抱えていた。エア・インディア機爆破事件は、この「ハニーポット」戦略が破綻した最悪の事例である。キャンパーが教えた技術は、彼が仕掛けたおとり捜査の網をすり抜けたテロリストによって、悲劇的な形で実行されてしまった。したがって、この学校の遺産は単なる犯罪の歴史ではなく、国家による情報収集活動が民間委託され、危険な個人を「育てる」ことと「罠にかける」ことの境界線が曖昧になった結果、大惨事を引き起こした高リスクな秘密工作の失敗例として記憶されるべきである。学校の存在そのものが、ある種の秘密工作の一環であり、その破綻は、その機能から直接的にもたらされた必然的な帰結であった。
2.1. 直接的な回答:高橋和弘の『U.S. Survival School』
ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」に最も直接的に該当するのが、高橋和弘氏による著作である。高橋氏はアウトドアやサバイバル技術に造詣の深い日本のライター兼翻訳家であり、並木書房から出版されたキャンパーの著書の日本語訳も担当していた 9。
1990年、並木書房は彼のオリジナル著作『USサバイバル・スクール―極限の野外生存術』を出版した 14。この本こそが、ご質問の核心に触れる一次資料である。本書は、高橋氏自身がアメリカに渡り、8つの異なるサバイバルおよび軍事系スクールに参加した際の体験を綴った一人称のルポルタージュであり、その第3章が「傭兵学校―マーク・スクール(MS)」と題され、ユーザーが記憶する詳細な参加報告が記されている 14。
2.2. 決定的な繋がり:「マーク・スクール」と教官「ピート」
重要なのは、高橋氏が参加した「マーク・スクール(MS)」が、1986年に閉鎖されたキャンパーのアラバマの学校そのものではないという点である。調査によれば、この学校は、フランク・キャンパーの元アシスタント教官であった「ピート」という人物が新たに設立した「後継」の学校であったことが特定されている 2。この事実は、毛利元貞氏のWikipediaページの脚注において、高橋氏自身の著書『USサバイバル・スクール』を典拠として明記されている。「スペシャル・アサルト・スクール」とも呼ばれたこの後継学校は、ミシシッピ州に拠点を置いていた 2。
この事実関係を整理することで、ご質問者の記憶の謎が解ける。記憶は機能的には正しく、しかしキャンパーという著名な名前と、実際に日本人が報告した学校とを混同していたのである。その報告は、キャンパーの弟子が運営し、キャンパーを中心としたカタログを構築していた並木書房から出版された、「キャンパー・スタイル」の傭兵学校に関するものであった。つまり、ご質問者の記憶の核心は正しく、その背景には直接的な血脈が存在していた。1990年当時の読者にとって、キャンパー本人の学校と、その直系の後継者が運営する学校との区別は些細なものであり、体験の「精神」はキャンパーの遺産そのものの延長線上にあったのである。
この物語には、もう一人の重要な日本人が登場する。1964年生まれの毛利元貞氏である 2。彼もまた落合信彦の『傭兵部隊』に触発され、より実践的な経験を求めて自衛隊、そしてフランス外人部隊へと進んだが、いずれも脱走している 2。
彼の探求は、アメリカでピートが運営するミシシッピ州の「スペシャル・アサルト・スクール」へとたどり着く。しかし、彼は参加者としてではなく、その卓越した技能を認められ、同校の「教官」となった 2。1991年、並木書房は彼の体験をまとめた『傭兵修行―世界に冒険を求めて』を出版した 15。この本は、ジャーナリスト的な参加者として訪れた高橋氏の視点とは対照的に、組織のスタッフとして完全に内部に溶け込んだ日本人の視点から描かれた、ユニークで並行する報告となっている。
高橋氏と毛利氏の物語は、このアメリカのサブカルチャーに対する日本人の二つの異なる関与の形を象徴している。高橋氏は、体験し、記録することを目的とした「観察者・記録者」であり、その役割は本質的にジャーナリスティックであった 14。一方、毛利氏は、その世界を報告するだけでなく、自ら生きることを目指した「実践者・求道者」であり、その目標はプロフェッショナルになることであった 2。並木書房がほぼ同時期に両者の著作を出版したことは、同社が、体験談を読んで楽しみたい「 armchair enthusiast(安楽椅子探偵)」層(高橋の読者)と、自らもそうなりたいと夢見る層(毛利の読者)の両方を読者層として認識していたことを示唆している。二人の本は、日本の「傭兵ブーム」が内包するファンタジーの全スペクトラムに応えるものであった。
著者/翻訳者
年
関連性
Merc: The Professional
1990
キャンパー自身の傭兵としてのキャリアを語り、日本での彼のペルソナを確立した 9。
LRRP: The Professional
1990
「特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為である」←Wikipediaな。タトゥーのやつは明確に差別なの。肌の色で差別なんて古典的すぎだよ。おまえらKKKかよ。
俺はヘソの下にワンポイントのタトゥーがある。別に人を威嚇するつもりもなくて、純粋に好奇心。どのくらい痛いのか知りたかった。あと本当に親密になった人とだけ共有する秘密っていうのが面白いと思った。ちなみにサウナとか温泉もタオルでちんこ隠す風に隠して入ってる。親父と温泉行った時も気づかれなかった。
あと銭湯は基本タトゥーOK。公衆浴場法で刺青を入場禁止にはできないという閣議決定もあるからな。要するに政府も入れ墨があるからって風呂に入れないのは差別って認めてるの。まぁだからってサウナとかの私企業がそういう方針なのはそれでもいいし、声高に差別解消しようとも思ってなかった。そのうち外圧で解消されると思ってる。でもおまえらがあんまりにもバカなんで一言言いたくなった。
生まれつきじゃなくて自分で選択したんだから甘んじて受け入れろ? バカなの? やっぱり捕鯨なんかする国の人は野蛮なバカだから差別されて当然だな。
「特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為である」←Wikipediaな。タトゥーのやつは明確に差別なの。肌の色で差別なんて古典的すぎだよ。おまえらKKKかよ。
俺はヘソの下にワンポイントのタトゥーがある。別に人を威嚇するつもりもなくて、純粋に好奇心。どのくらい痛いのか知りたかった。あと本当に親密になった人とだけ共有する秘密っていうのが面白いと思った。ちなみにサウナとか温泉もタオルでちんこ隠す風に隠して入ってる。親父と温泉行った時も気づかれなかった。
あと銭湯は基本タトゥーOK。公衆浴場法で刺青を入場禁止にはできないという閣議決定もあるからな。要するに政府も入れ墨があるからって風呂に入れないのは差別って認めてるの。まぁだからってサウナとかの私企業がそういう方針なのはそれでもいいし、声高に差別解消しようとも思ってなかった。そのうち外圧で解消されると思ってる。でもおまえらがあんまりにもバカなんで一言言いたくなった。
生まれつきじゃなくて自分で選択したんだから甘んじて受け入れろ? バカなの? やっぱり捕鯨なんかする国の人は野蛮なバカだから差別されて当然だな。
「特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為である」←Wikipediaな。タトゥーのやつは明確に差別なの。肌の色で差別なんて古典的すぎだよ。おまえらKKKかよ。
俺はヘソの下にワンポイントのタトゥーがある。別に人を威嚇するつもりもなくて、純粋に好奇心。どのくらい痛いのか知りたかった。あと本当に親密になった人とだけ共有する秘密っていうのが面白いと思った。ちなみにサウナとか温泉もタオルでちんこ隠す風に隠して入ってる。親父と温泉行った時も気づかれなかった。
あと銭湯は基本タトゥーOK。公衆浴場法で刺青を入場禁止にはできないという閣議決定もあるからな。要するに政府も入れ墨があるからって風呂に入れないのは差別って認めてるの。まぁだからったサウナとかの私企業がそういう方針なのはそれでもいいし、声高に差別解消しようとも思ってなかった。そのうち外圧で解消されると思ってる。でもおまえらがあんまりにもバカなんで一言言いたくなった。
生まれつきじゃなくて自分で選択したんだから甘んじて受け入れろ? バカなの? やっぱり捕鯨なんかする国の人は野蛮なバカだから差別されて当然だな。
3年前にあすけんの女に食ってるもの伝えたら「毎日1000キロカロリー多く食ってますね。点数は10点です」と言われて「は?なんやコイツ?」と思ってたんだが、言われるままに食う量減らしても別に問題なかったからまあその通りだったっちゅーこっちゃな。
俺の中に漠然と「男は毎食ハンバーグ定食で丁度いいぐらいだし、運動してる人はそこからおやつにラーメン大盛り加えると丁度いい」みたいな感覚があって、それが「食いすぎ」を測る物差しになってた。
少なくとも学生時代はそれで問題なかったんだけど、30ぐらいからブクブク身体がデカくなっていって、健康診断でも呼びつけられるようになったんよね。
それで医者に「お前、食いすぎ。痩せろ」って言われてさ、じゃあフットサルやジム後のラーメンはプロテインバーにでもしとくかぐらいに考えてたの。
だってメシってはお腹を一杯にするためのものなんだって育て方されてたし、適切な摂取カロリーは俺の体が一番良く知ってるとオヤジや友人も言ってたから。
痩せやすい人、太りやすい人、ギャル曽根みたいな異次元の生き物、そういう個体差を考えたら自分の満腹中枢が一番信用できると。
俺は生物学とかよくしらんけど、生存競争的な奴の中で「中年以降の連中は生殖活動をするための身体から、産まれてきた子供を守るために肉盾になるための身体に変化した方が種として生き残りやすい」みたいなのがあったんだと思う。
遺伝子から「コイツもうジジイだから少ない食料でも生きていけるような身体にしようぜ。だってもう精子も腐ってるじゃん?新陳代謝下げてけ」と命じられるままに俺の体は食っても太らないスポーツ青年からデブの天才へと組み替えられていった。
それは俺だけの話じゃなくて、皆そうなんだよな。
体重あたりの基礎代謝係数みたいなのをググったら、成長期と中年で倍ぐらい違うんだわ。
子供が小さい体にバクバク詰め込んでどんどん筋肉つける横で、ジジイは筋肉作るのもサボってひたすら脂肪を溜め込んでいくように人類は最初から作られている。
それを科学はとっくに明らかにしてくれてたけど、俺は仕様通りにバグっていく自分の腹具合を信じ続けてみるみるうちに太鼓腹のデブオヤジだ。
1000キロカロリー減らすっていうのはハンバーグ定食1個分減らすってことだよ。
途方もなく聞こえる。
ご飯にして2合だ。
無理だろと思った。
でも調べていくと、なんか俺食いすぎてるなって漠然と分かってきた。
たとえば朝ご飯にしょっぱいパンと甘いパンを両方食ってたのを片方だけにするとか、半分は残しておいて明日食べるとか、そういうのを積み重ねていくと、確かに1000キロ減らせたんだよ。
なんでそんなに減らせたのかっていうと、最初からそんなに食う必要がなかったからとしか言えんね。
「大盛り無料なら大盛りにしないと損」
「特盛でも料金変わらないなら絶対特盛」
「箸を置くのは限界が来た時」
相撲部屋の台所にでも貼ってありそうなデブによるデブのためのデブの誓いを俺はずっと守っていた。
子供の頃に親から食いっぷりを褒められたときにでも産まれた「とにかく食わなければいけない」という謎の強迫観念、それに男社会の馬鹿な生き様を煽るスローガン、呪われていたと言ってもいい。
でも同時に「これだけしか食わなくてもいいんだ」という福音でもある。
「腹一杯まで食わなきゃいけない」っていう謎の焦りが俺の食生活にずっとつきまとっていた。
満腹になる前に食うことをやめたり、カロリーを気にして選択肢を変えたりするのは、ストレスで自分の体を破壊する自傷行為とさえ感じていた。
でも、逆だったんだわ。
俺は男社会で生きるうちにいつからか「腹いっぱい食うことは絶対に正しい」っていうハライッパイ教に入信させられていた。
俺の中にある無数のクソデブスローガンも、カルト教団ハライッパイ教によって刷り込まれたものだったんだろう。
俺は洗脳されていたんだよ。
でも、目の前に具体的な数字として「貴方の摂取カロリーはオーバーしてます。毎日1000キロオーバーしてます」と毎日見せられることで、正気に戻れた。
デブは食いすぎてるだけ、俺はこれをカルト教団デブハシネ教が唱える教義であり、奴らはKKKの如き凶暴さでデブを社会から排除したくてしょうがない異常者なんだと思っていた。
違うんだよ。
俺達デブが、狂っていただけなんだ。
世の中のデブが全員そうなのかは分からないけど、「食いすぎてるから少しは減らしたら?」と言われてキョトンとしたり怒り出すようなデブはさ、狂ってるんだよ。
俺は狂っていたんだ。
大抵のデブは、食いすぎてるだけだ。
食いすぎてるからデブなんだし、食いすぎるってのは別にそんなに幸せなことじゃなくて、ハライッパイにならなきゃ駄目だっていう強迫観念に突き動かされた不幸な生き方なんだ。
イカレた中年の満腹中枢を満たす目的で飯を食うなんてのは、スタミナを消化するために退屈しながらスマホゲームを遊ぶように無意味なんだ。
腹にスペースがあったら埋めなきゃいけないなんて考える必要はない。
必要なカロリーは科学的に把握していればいいことであって、ぶっ壊れた身体感覚なんぞを信じても地獄に落ちるだけだ。
デブという無限地獄、食えば食うほどに胃が膨らみ、消化機能を破壊しながら必死に満腹を求めていく自傷行為。
そんなのは辞めろ。
水を飲むんだよ。