はてなキーワード: 平行線とは
錯視図形は、私たちの目がとらえた情報が、脳で処理される過程で誤った解釈をされることで生じる「目の錯覚」です。私たちは普段、外界をそのまま見ているつもりでいますが、実際には脳が過去の経験や知識に基づいて情報を補完・推測しているため、そこにズレが生じることがあります。
### 錯視図形の種類
錯視図形には様々な種類がありますが、代表的なものをいくつかご紹介します。
私たちが錯視であることにすぐに気づかないのは、私たちの脳が外界の情報を効率的に処理するための「情報処理の近道」や「無意識の補完」を行っているためです。
1. **情報処理の省略と推測:** 私たちの脳は、常に膨大な視覚情報を取り込んでいます。その全てを詳細に分析していては時間がかかりすぎるため、脳は過去の経験や知識、文脈などに基づいて情報を推測し、不足している部分を補完しようとします。錯視は、この「推測」が現実とズレることで生じます。例えば、ポンゾ錯視では、遠近感の cues (手がかり) に基づいて、遠くにあるように見える線は実際には長いものだと脳が自動的に判断してしまうため、同じ長さの線でも異なって見えてしまうのです。
2. **恒常性(Constancy)の働き:** 私たちの脳には、物の大きさ、形、色などが、見る角度や照明条件が変わっても同じものであると認識しようとする「恒常性」という働きがあります。例えば、離れたところにある自動車も、近くにある自動車も、網膜に映る大きさは異なりますが、脳は同じ大きさの自動車であると認識します。錯視の中には、この恒常性の働きが、図形の文脈によって誤作動を起こすことで生じるものがあります。
3. **視覚の曖昧性の解消:** 私たちの目に映る網膜像は二次元の平面像ですが、脳はそこから三次元の空間を再構築しようとします。このとき、二次元像には複数の三次元解釈が可能である場合があります。脳は最もらしい解釈を選び出すため、例えば不可能図形のように、実際には存在しない形であっても、特定の視点からは立体的に見えてしまうことがあります。これは、脳が二次元の図形を三次元で「あり得る形」として解釈しようとするためです。
4. **脳の神経細胞の特性:** 運動錯視などは、脳の視覚野にある特定の神経細胞の活動パターンや、処理速度の違いによって生じることが示唆されています。例えば、「蛇の回転」のような錯視は、輝度(明るさ)のコントラストが異なる部分の脳内処理速度に差があるため、静止画にもかかわらず、その差が連続的な動きとして知覚されると考えられています。
このように、錯視は私たちの視覚システムが、複雑な外界を効率的かつ合理的に解釈しようとする過程で生じる、一種の「バグ」のようなものです。しかし、それは決して不完全なシステムを意味するのではなく、むしろ外界を迅速かつ適切に認識するための、脳の高度な情報処理能力の表れとも言えるでしょう。私たちは錯視を体験することで、いかに脳が世界を「解釈」しているかを知ることができます。
この「鏡の中のアクトレス事件」と呼ばれるドライブレコーダーの動画は、インターネット上で夫婦喧嘩の内容やその後の展開について多くの議論を呼んでいます。
車内で流れてきた中原めいこさんの楽曲「鏡の中のアクトレス」が、アニメ「きまぐれオレンジ☆ロード」の主題歌であるかどうかを巡って夫婦が口論となり、最終的に妻が感情的に叫び出す(通称「ギャオる」)という内容です。
発端: 車内で「鏡の中のアクトレス」が流れ始める。夫が「きまぐれオレンジロードの曲じゃん」と言うと、妻は「違う」と否定する。
妻は最初に「きまぐれオレンジロード 主題歌」で検索し、その後「鏡の中のアクトレス」で再検索したとみられる。
妻が「鏡の中のアクトレスであった」と検索結果を読み上げ始めるが、夫は何の主題歌なのかという核心部分を早く知りたい。
妻は検索結果の「作詞:中原めいこ、作曲:中原めいこ」「オープニング曲:鏡の中のアクトレス」といった情報を順に読み上げるが、夫は「何のアニメの?」という情報が出てこないことにいら立ちを募らせる。
夫の追及と妻の感情の爆発:
夫は「肝心なところを言わない」「お前なんか戦うやつとか言ってたじゃん(別の曲と勘違いしていたことを指摘)」などと妻を詰める。
妻は「なんでそんなひどい言い方するん」「私最初にさあ鏡の中のアクトレスきまぐれオレンジロードであったねって言うところから始まって…」と反論するが、夫は「きまぐれオレンジロードであったなんか一言も言ってない」とさらに否定する。
このすれ違いと夫の詰問口調に、妻は「もう私降ろして!もう帰る!もうやだ!なんでそういう言い方ばっかりする!?」と泣き叫び、感情的に爆発する。
娘の仲裁: 後部座席にいた娘が「いい加減にしてよ!そんなんどうでもいいよ!」と仲裁に入るが、夫婦の口論は続く。
夫の言葉遣い・態度: 高圧的、マウントを取りたがっている、妻の言い分を聞かない、ロジハラではないか、といった批判がある。
妻の言葉足らず・感情的な対応: 検索結果の伝え方が要領を得ない、勘違いを認めず誤魔化そうとしている、最終的にヒステリックになっている、といった指摘がある。
コミュニケーションの齟齬: 些細なことから大きな喧嘩に発展する夫婦間のコミュニケーションの問題として捉える意見もある。
どちらも悪い・どっちもどっち: 双方に問題があるという見方も多い。
この動画は、夫婦間のコミュニケーションの難しさや、感情的な対立がどのようにエスカレートしていくかを示す事例として、多くの人々の関心を集め、様々な考察や解説動画も作られています。
事実確認のすれ違い:
妻は「鏡の中のアクトレス」が「きまぐれオレンジロード」の主題歌であるという事実を検索で確認したものの、その核心情報を夫に明確に伝えられなかった。
夫は「何の主題歌なのか」という結論を早く知りたかったが、妻が周辺情報(作詞作曲など)から話し始めたため、いら立ちを募らせた。
過去の誤りの指摘:
夫は、妻が以前「戦うやつ(別の曲と混同)」と言っていたことを持ち出し、妻の誤りを執拗に指摘した。
高圧的なコミュニケーション:
夫の言葉遣いが詰問調・高圧的であり、妻を追い詰める形になった。
感情的な反応:
妻は夫の追及に対し、論理的な反論ではなく感情的に泣き叫ぶという反応をしてしまった。
「言った」「言わない」の不毛な水掛け論:
妻は「最初に(きまぐれオレンジロードで)合ってたと言った」と主張するが、夫は「一言も言ってない」と反論し、平行線となった。これは、事実(言った言葉)を記憶するタイプと、解釈(伝わったはず)を記憶するタイプの違いから生じやすい。
プライドの衝突:
双方が自分の正しさを主張し、間違いを認めたくないというプライドのぶつかり合いが見られる。
娘が仲裁に入ろうとするも、夫婦ともにヒートアップしており、聞き入れられなかった。
妻は「きまぐれオレンジロード 主題歌」と発言したが…
妻はスマホで「鏡の中のアクトレス」を検索し、その検索結果の中に「きまぐれオレンジロード 主題歌」と書かれていたため、それを声に出して読み上げています。
夫は「鏡の中のアクトレスが何のアニメの主題歌なのか」という結論を明確に口にしてほしかったが、妻は検索結果の単語や断片的な情報(作詞・作曲者名、オープニング曲名など)を順に読み上げていきました。
「合ってた」とは明言していない
動画音声のやり取りを見る限り、妻は「きまぐれオレンジロードで合ってた」「あなたが正しかった」といった結論的なフレーズをはっきり口にしていません。
妻は「言った」と主張している
その後の口論で妻は「最初にきまぐれオレンジロードで合ってたって言った」と主張していますが、夫は「一言も言ってない」と反論しています。
娘は「言った」と認識している
娘も「言った」と母親の側に立っていますが、実際の発言としては明言がなかったため、「解釈」の違いが生じています。
妻は「きまぐれオレンジロードで合ってた」などの結論的な言葉を直接は言っていません。
妻は検索結果の単語を読み上げており、それを「言った」と認識していますが、夫は「はっきり言っていない」と受け取っています。
このすれ違いは、「言葉として明言したか(事実)」と「伝わったはず(解釈)」の記憶・認識の違いから生じています。
したがって、「言った」「言わない」の水掛け論は、実際には“はっきりした結論の言葉は出ていない”が、妻や娘は「伝わったはず」「言ったつもり」と認識している、というのが動画からわかる事実です。
妻は「きまぐれオレンジロードで合ってた」と明言はしていませんが、検索結果の断片を読み上げ、「言ったつもり」「伝わったはず」と認識していました。
夫は「肝心なこと(何の主題歌か)をはっきり言っていない」と不満を持ち、繰り返し問い詰めました。
妻は自分の間違いをはっきり認めず、話をはぐらかすような態度を見せたとも受け取れます。
妻が「自分の間違いを認めず、うやむやにしようとした」「ごまかそうとした」という見方はネット上でも多く見られます。
ただし、妻は「最初に言った」と本気で思い込んでいる可能性もあり、意図的にごまかしたかどうかは断定できません。
妻の無意識な意図的な隠蔽や責任逃れがあった可能性も考えられますが、今回のケースは「言ったつもり」「伝わったはず」という認知のズレが大きいと考えられます。
夫が感情的・高圧的になったことが、喧嘩の直接的な引き金であるのは間違いありません。
しかし、そもそもの発端は「妻が間違いを認めず、はっきり伝えなかったこと」にある、とする意見が多いのも事実です。
一方で、「夫の言い方が悪い」「詰め寄りすぎた」「マウントを取りたかっただけ」という指摘も多く、どちらか一方だけに原因を求めるのは難しい、という声も目立ちます。
妻が「はっきり認めず、うやむやにした」ことが喧嘩の起因・原因の一つであることは否定できません。
ただし、意図的なごまかしであったかどうかの判断が難しく、女性特有の正当化認知によるすれ違いが大きな要因です。
夫の高圧的な態度も喧嘩を激化させた現象的な要因であり、「どちらか一方が全面的に悪い」とは言い切れません。
多くのネット上の意見も「どちらも悪い」「どっちもどっち」としており、夫婦双方のコミュニケーションの問題が複合的に絡み合ったケースといえます。
女性は結論だけでなく、そこに至る過程や気持ちを共有したい傾向があることを理解する。妻が情報を整理して話そうとしている可能性を考慮し、少し待つ余裕を持つ。
過去の間違いを蒸し返したり、一方的に問い詰めたりするのではなく、事実確認に留める。目的は「正しい情報を共有すること」であり、「相手を言い負かすこと」ではないと意識する。
妻が感情的になったとしても、まずはその気持ちに寄り添う姿勢を見せる。「なぜそんなに怒っているのか」「何がつらいのか」を理解しようと努めることが大切。
言葉の細部にとらわれすぎない:
「言った」「言わない」の論争は不毛。相手が伝えようとしている「意図」や「解釈」を汲み取る努力をする。もし言葉足らずでも、大筋で理解できれば良しとする柔軟性も必要。
運転中のイライラなどを、会話相手にぶつけないように自覚する。冷静さを保ち、穏やかな口調を心がける。
「ありがとう」「ごめん」を適切に使う:
検索してくれたことへの感謝や、強い言い方になったことへの謝罪など、関係を円滑にする言葉を意識的に使う。
男性は結論や目的を先に知りたい傾向があることを理解する。今回の場合、「検索したら『きまぐれオレンジロード』の主題歌だったよ」とまず結論を伝え、詳細はその後に補足する。
感情的にならず、事実を簡潔かつ正確に伝える努力をする。検索結果を伝える際は、相手が何を知りたいのか(この場合はアニメのタイトル)を意識する。
間違いは素直に認める:
もし最初に勘違いしていたのであれば、「ごめん、きまぐれオレンジロードで合ってたね」と非を認めることで、不要な対立を避けられる。
夫の言い方にカチンときても、すぐに感情で返さず、深呼吸するなどして落ち着くことを試みる。冷静に「そういう言い方は悲しい」と伝える方が効果的な場合もある。
具体的な言葉で伝える:
「察してほしい」ではなく、何をしてほしいのか、何が嫌なのかを具体的に言葉で伝える。
夫が運転中であるなど、相手の状況を理解し、情報を伝えるタイミングや方法を工夫する。
この事件は、男女間のコミュニケーションの難しさだけでなく、個人の性格やその時の状況も絡み合って発生したと言えます。お互いの思考やコミュニケーションスタイルの違いを理解し、尊重し合うことが、より良い関係を築く上で重要です。
夫婦別姓が話題になるたびに、どうも議論が平行線のまま進んでない感じがする。
たしかに今の制度で、結婚するときにどちらかの姓に統一しなきゃいけないのは不自然だし、特に名前を変えたくない人にはストレスでしかない。それはよく分かるし、変えるべきだとも思う。
でも、本当にそれだけでいいのかなとも思っている。
姓の問題って、単に手続きが面倒とかキャリアの連続性が断たれるとか、そういう実務的な問題だけじゃない。もっと根本的な話として、国が「家族のあり方」をひとつの型に閉じ込めようとしていることの象徴なんじゃないかと思う。
結婚制度の中で、あらかじめ夫婦は同じ姓であるべきってことになっていて、しかもほとんどのケースで妻が夫の姓に変える。法律上は平等に見えても、実際はほぼ一択みたいなもので、選べるようで選べないというのが実情。
だったら、姓の選択肢を増やすということだけじゃなく、そもそもその枠に頼らなくてもいい制度を整える方向のほうがいいんじゃないかと思っている。
具体的には、パートナーシップ制度みたいなものをもっと一般化して、同性でも異性でも、結婚という枠組みにとらわれずに、生活を共にする人との関係を公的に認めてもらえるような仕組みを作る。
実際、結婚を選ばない人も増えているし、事実婚やシングルの子育て、あるいは親しい友人と一緒に暮らしてる人たちもいる。そういう関係性がちゃんと尊重される仕組みのほうが、今の時代には合ってると思う。
別姓が選べるようになること自体は必要だと思うけど、それを唯一の解決策とするのはちょっと違うんじゃないかと感じている。
名前を変える変えない以前に、結婚をしないという生き方が制度の外に置かれていることのほうが問題は深い気がする。
姓の話だけで議論が終わってしまうと、逆にその結婚制度の枠内に縛られたままになるんじゃないかというモヤモヤがある。
もっと選択肢があってもいいし、結婚という形にこだわらない生き方がちゃんと社会に認められるようになるほうが、よっぽど建設的だと思う。
いい加減にしろ、男も女も。
男はこういうもの、女はこういうものって、いつまで紋切り型の議論してんだよ。
逆に、隣の部署の若手女子、エクセルでデータ分析させたら鬼のように論理的だぞ。
お前らの見てる世界、どんだけ狭いんだよ。
結局、みんな自分だけはまともで、あいつらがヤバいって思いたいだけだろ。
わかるよ、しんどいのは。
生きづらいのも。
単に弱者なだけじゃね?
いつまでも被害者面して誰かが助けてくれるはずって待ってるだけじゃ、何も変わらんぞ。
性別でレッテル貼りして、分かった気になってるから、いつまで経っても平行線なんだ。
いい加減、お互いを人間として見て、こいつ、何考えてんだろうなって想像力を働かせろ。
そうすりゃ、少しはマシな世の中になるんじゃねーの?
GW中に腐女子によるバカカプが話題となっていたため、ずっとどこかで叫ぼうと思いながら我慢していたことを、この場を借りて叫ぼうと思う。
漫画「メダリスト」が、「よだつか/つかよだ」というバカカプBLを推している腐女子によって荒らされている。
その影響が実害を伴いはじめたため、主にまだ「メダリスト」を読んでいない人に向けて、この素晴らしい作品が誤解されたくない一心で現状とそれに対する個人的な心情を書き綴らせていただく。
なお、これを書いているオタクは「おれは正当な読者 原作読んでねえだろってバカカプが嫌いだった」という態度でいるため、この時点で嫌な予感がした人はブラウザバックしていただきたい。
トピックは以下の通りだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250512013446
②「よだつか/つかよだ」はなぜバカカプなのか
(当エントリー)
https://anond.hatelabo.jp/20250512014700
どうしても字数制限内に抑えきれなかったため、複数エントリーに分けて投稿させてもらう。
本題は前トピックなので消化試合じみているのだが、ここからは既に腐女子によって変な先入観を植えつけられた人向けの話題だ。
カプの受動喫煙量が多くなりがちな現状において、「メダリスト」に対する誤解を解くには必要なので書かせていただく。
別ジャンルの腐女子でも、ムキムキで金髪の男と細身で黒髪の男のBLを日々どこかで見かけているのではないだろうか。それこそがメダリストを荒らしているバカカプである。
(純粋なFAをいいねしただけでもおすすめタブにこのバカカプBLを表示するXのポンコツっぷりも酷いが、これは次のトピックで語る。)
はじめに言っておきたいが、「どんなカプも幻覚なんだからバカカプとか無いでしょ」という言い訳は無意味だ。
そもそも「どんなカプも幻覚」というのは、幻覚だからこそ作品の解釈に持ち込んだりさも公式かのように振る舞ってはいけないと言う自戒のための言葉であり、バカカプの免罪符ではない。
まず最低限の情報を伝えると、この二人、現在53話まで連載されている中で直接会ったのは2話のみである。
(そして驚くべきことに二回会った中でもお互いの名前を呼ぶことすら一度もない。司の方は他の人間との会話や心の中で夜鷹純という名を出したことはあるが、夜鷹の方はマジで名前を出したことすら一度もない。)
一度目は、偶然いのり&司と夜鷹が出会った際に、光に勝ちたいと豪語するいのりを夜鷹が無慈悲に否定し、それに怒った司が宣戦布告した場面。
(ここでいのりを否定した夜鷹の言動は驚くほど的確に司の地雷を踏んでいる。)
そして二度目は、慎一郎が夜鷹との親友同士の夜のスケーティングに流れで司を招いたところ、以前の司の宣戦布告を真に受けていなかった夜鷹が司にアイスショーのキャストオーディションへ行くことを勧めてきたため、改めていのりのコーチとして宣戦布告した場面。
ちなみに、ここで司は憧れの選手だったはずの夜鷹に対し「めちゃくちゃ性格が悪いんじゃないか?」と心の中で言うほど好感度が下がっている。自身の新しい夢であるいのりに対し二度も否定をされているので当然の反応だが、夜鷹目線だと最強の自分が育てている最強の選手たる光が勝つ、だから君の教え子の夢は叶わないと言うのもまた当然なので、平行線である。
(普通にネタバレなのであまり言いたくないが)その後司が敗北すると夜鷹云々よりいのりを勝たせられなかった不甲斐なさが全面に出し、(かなり後に判明するが)夜鷹の方も「もう飽きた」と興味を無くしており、コーチ同士のライバル関係と言えるような状態はあっさりと消えている。
(コーチ同士でのこれを引っ張ったところで選手を通した代理戦争にしかなり得ず、やりすぎると選手軽視と捉えられかねない表現にもなりそうなので当然といえば当然かもしれない。)
対する弟子はと言うと、いのりは敗北から半年ぶりに光の顔を見ただけで尋常ではない悔しがり方をし、その顔を見た光はいのりの闘志が強く残っていることを喜びキラキラ笑顔が止まらない様子であった。
司と夜鷹の関係性については作中の事実を並べるとご覧の通りである。
司は蛇崩との方がよっぽど競い合ったり時に協力したり世話になったりと縁があるし、
夜鷹は慎一郎との無二の親友(公式で慎一郎の妻のエイヴァが嫉妬するほどの仲である)というのが強すぎる。
さらなるバカ要素を付け加えると、Xで大多数の腐女子が宣っているよだつかよだの根拠が全くの嘘まみれなのである。
不快なバカカプを漁るような自傷趣味は無いため事故的に遭遇したポストのみを根拠とさせていただく。
「夜鷹は司の才能を特別に認めている!脳を焼かれてる!これはキテる!」といったものが頻出したので、多分これが腐女子の中でメジャーな説なのだろう。
ちなみに夜鷹は司の才能を認めてなどおらず、そのことは作中で明言されている。
宣戦布告二回目が発生したscore22で、
慎一郎が司に対し「すごく才能のある方だ」と発言したのに対し、
明確に、「そうは言えない」「限られた時間の中で証明できなければないのと同じだ」と明確に否定している。
夜鷹は全日本選手権で見かけた記憶と目前でのジャンプ練習を経て、司の能力を理解したのか「君は自分に希少な能力があることを自覚している」と発言しているのだ。
(その後ご丁寧に「褒め言葉じゃない」と釘を刺しているが)
加えて、後のscore39で司が夜鷹のこの発言を反芻する際に、「希少な"才能"があること」と歪めてしまっているのだ。
こういう描写をされると、勘違いしてしまうのもしょうがないかもしれない。頻繁に原作を読み返す読者でなければ気づけなさそうではある。二次創作するのに読み返さないのか?という疑問は残るが。
(それにしても、光に「同じ種類」と分析された司が光同様「信頼できない語り手」属性を持っているのは面白い。司の場合過去の後悔から「才能」という言葉に囚われている節があるのが原因だろうが)
このように、なぜか夜鷹が司を認めている、なんなら入れ込んでいるという妄想に取り憑かれ拡散するオタクがあまりにも多い。
このバイアスの異常性がとてもよく現れているのが、下記リンクにある某掲示板の1スレだ。
(現在単行本未収録のscore51の内容に触れたスレのため、ネタバレを踏みたくない方はスルーしていただきたい。)
おそらく腐女子と思われるスレ主がバイアスまみれの意見を提示したため、当然のように確かな作中描写をもってして否定された一幕が伺える。
当時このスレを発見したときは、原作をまともに読んでいる人間の目にはちゃんとこれらは異常に映るんだなという安堵を得たため非常に印象に残っている。
(とはいえバカカプ腐女子の流入が発生したのは事実であり、以降はこの板もあまり覗かなくなってしまった。)
そして世に蔓延るは、オタクがよくやる悪い二次創作のオンパレードだ。
攻めの変態化、セコム化、受けの過剰age、加えてオメガバースとかいうオタクの性欲にまみれた、関係性捏造のための伝家の宝刀・・・
原作に根拠のないバカカプによくあるやつである。好きな作品でやられるとこうも嫌なものなのかと悲しく思った。
しかしここで、この怪文書を生み出すに至る最上級の怒りを抱かせた概念に遭遇する。
師弟if。夜鷹と司の。
絶句。なんだこれは。
まるで「どうすれば最大限メダリストという漫画を冒涜できるか」を三日三晩考えた末に出てくるような概念ではないか。
さすがに正気を疑う。この作品での師弟の繋がりとは運命であり特別であり、それぞれにとっての救いなのだ。
原作での師弟関係を否定するような二次創作が何を意味するか、原作を読んだ人、あるい拙文で伝えたかったことを読み取っていただけた方には理解してもらえるであろう。
懇切丁寧に、そして明確な信念を持って真摯に描かれたコーチと選手の物語が大きな魅力の一つとなっているこの漫画においては、これ以上の冒涜はない。
オタクは国語の成績がいいのだけが取り柄ではなかったのか?読解力と呼ぶのも憚られるほどの当然の作品解釈すらできないのか。それとも原作なんて妄想のエサでしかないという不誠実極まりない態度で二次創作をやっているのか。いずれにせよ最悪である。
※ここ以降は単行本未収録の話までしっかり触れるので、好奇心でここまで読んでくださった原作未読勢はいよいよ戻って原作を読んでほしい。※
※これだけは覚えて帰ってほしい。メダリストについて言及するアカウントを見つけても、それがプロフに「よだつか/つかよだ/🦅☀️/☀️🦅」などの文字列があった場合、そのツイート内容は真に受けないでほしい。メダリスト腐女子のはなしは信じるな。※
師弟ifが最悪の原作冒涜であるのに加えて、組み合わせも最悪である。
司と夜鷹のコーチとしての方向性は対比され描かれる、平行線の思想である。それぞれの名前に準えて表現するならまさに昼と夜。太陽が姿を現す限り夜は存在せず、夜の中に太陽が存在することもまたあり得ないのだ。
もろに最新score53の内容に触れてしまうが、司が目指すコーチとはかつての司少年が出会いたかったコーチだ。
それは、始めるのが遅いからと夢を否定せず、氷の上にしがみつく術を示してくれるコーチ。バカみたいに夢を目指す理由として、才能を保証してくれるコーチである。
これまでで書いた通り、夜鷹はかつての司少年と同じ境遇のいのりを、始めるのが遅かっただけの天才を前に直接夢を否定する言葉を放った。加えて、夜鷹の指導方法は温かな励ましなどは一切ない。明らかな出遅れの上クラブに入りもせず才能があるか教えてほしいなんて言う司少年が夜鷹と対峙したところでいのりと同じ目に遭うのは明白だ。
絶対にうまくいかない組み合わせにも程がある。嫌がらせか?原作そのものだけじゃなくキャラに対しても追い討ちで嫌がらせしたいのか?
司が師匠パターンのものもあるようだが、そうなるともうめちゃくちゃである。まず何を見てスケートを始めることになったんだ司は。
本当に、同じ漫画を読んだ人間の妄想とは思えない代物である。しかし悍ましいことに、このような原作冒涜が一定の人気を得て複数人の手によって生み出されているのが、メダリストに蔓延るよだつか/つかよだの腐女子という集団である。
夜鷹の口数が少ないのをいいことに感情を捏造し、ifやパロで関係性を捏造する。
作中での明確な発言すら捻じ曲げる。
もはやそこにあるのは捏造のみである。ifやパロにしても、大体流行るのは生存ifやら物騒な世界を舞台にした原作での学園パロで、そこにはキャラクターに幸せになってほしいという愛が少なからず存在しているものだが、よだつか/つかよだで蔓延っている師弟ifは原作愛など皆無の冒涜だ。
このカプがバカカプでないなら一体何だと言うのだろう。
議案第54号 の議事録では、明確な答弁は差し控えたい状況であるとのことで、
状況が明確に示されてはおらず、また配布資料等は確認できないため議事録から、状況を推察してみました。
占有権原という部分について、
法的な解釈が我々市と相違があるというところで平行線をたどっている・・・
・・・法的な解釈という部分に、最終的にはなっておりますので、言葉を濁すような答弁になって恐縮ですが、
我々も、そこが争点となった訴訟を控えておりますので、全てのところが申し上げにくいというところも含め御理解をいただきたい
・・・委員おっしゃるところも含めて、今、法的な解釈というところで相違があるというところで、現状では御理解をいただきたいと思います。
1 該当の議事録
https://www.city.bizen.okayama.jp/uploaded/attachment/26868.pdf
2 関係条例 (Reiki-Base) https://www.city.bizen.okayama.jp/soshiki/5/5995.html
備前市備前焼伝統産業会館設置条例 平成17年3月22日 条例第176条
別表(第13条、第15条関係)
室名
利用料金(月額)
備考
100,000円
1階 貸店舗1
50,000円
1階 貸店舗2
100,000円
同上
備前市備前焼伝統産業会館設置条例施行規則 平成17年3月22日 規則第132号
第22条
2 行政財産の使用許可の期間は、1年を超えることができない。
ただし、電柱又はガス管その他の埋設物を設置するため使用させるとき
3 推察される事案の概要
市所有の会館について,指定管理者を指定し管理運営をさせていた。
指定期間が満了した。
指定期間が満了したものの,一部テナントが占有を継続している。
4 推察される自治体側の主張
指定管理者は備前市備前焼伝統産業会館設置条例(第5条)に定める業務を行う。
会館は行政財産であり,1年を超えない範囲で使用許可を行う(備前市公有財産規則第22条2項)
使用許可の期間は満了したため,満了後テナントは会館を使用することはできない。
会館の所有権は,自治体にあり,所有権に基づき、会館の明渡しを求める。
原告は,〇年×月△日当時,会館を所有していた。
よって,原告は、被告に対し,所有権に基づき,会館の明渡しを求める。
5 推察されるテナント側の主張
(賃貸借)民601条
匿名制じゃないと10〜20往復くらいは続くけど、結局はたいてい人格攻撃か議論の焦点が噛み合わずに終わるな。
もし、そうならなかったとしても、最後はお互いの意見が平行線となるので、永遠に相手の意見を否定し続けることになる千日手となりお互い疲弊して終了。そうでない場合は、そういう考え方もありますね、と面白みもない終わり方。
勝ち負け明暗がはっきり分かれるのはなかなか見れない。
そもそも、まともな会話や議論は、双方の言語化能力と読解力や思考レベルや文化水準や背景知識量や相手へのリスペクトが同程度にないとまともに成立しないので、見ず知らずの相手とそれら全てが噛み合うようにマッチングする確率が極めて低く、意味のある会話が成立する可能性は最初から非常に望みが薄いと思う。
この問題、実際に京都の人に嫌味言われたり見下されたりした経験がある人とない人で一生平行線が続きそうだよな
自分は京都の隣接地域で生まれ育って、京都の親戚からも取引先からも面と向かってそういう見下しとか嫌味とかを何百回と浴びせられ続けてきたので、「みんなで寄ってたかって京都人をいじめてる」というよりは「いじめられた人らが反撃してる」という構図で見てしまうんだよな
京都を出て東京とかに行ってるような人はそもそもそういう京都人っぽさがほぼなかったりするけど、先祖代々京都ですみたいな人らはぶぶ漬けレベルのテンプレは普通に言ってくるので、そういう京都人の中でのギャップもあるから余計に京都に近くない人には分かりづらいよなぁ
愚痴です。
私、新日本プロレスがめちゃくちゃ好き。
お互いプロレスオタクだから趣味が合うと思いきや、どっちの団体が最高かって話になると、まぁ毎回バチバチにやり合う。
アントニオ猪木が「闘いのリアリズム」とか言い出して、異種格闘技戦やらUWFとの全面対抗戦、nWo JAPANの結成、橋本vs小川のガチすぎるセメントマッチとか、何かとプロレスの枠を飛び越えた事件を起こしてきたわけじゃん?
もう、歴史が違うのよ。
でも彼氏は「そんなのは邪道。全日本は王道を守り抜いたからこそ、純粋にプロレスの美しさを追求できた」って言い張る。
いやいや、確かに全日本の試合はクオリティ高いし、四天王プロレスとか小橋建太の試合とか、めちゃくちゃ熱いのは認めるよ?
でもさ、世間を巻き込むようなムーブメント作れた? って聞くと、「プロレスは本来、リングの上で勝負するもの。余計な演出なんていらない」って。
いや、それは違うだろと。プロレスって、試合内容だけじゃなくて、リングの外のドラマやストーリーも込みで楽しむもんじゃない?
新日本はその辺がめちゃくちゃ上手いし、だからこそ多くの人がハマったんだと思うんだけど。
「お前は新日本がエンタメとして面白いから好きなだけだろ? でも本当のプロレスの美しさは全日本にあるんだよ」って彼氏がドヤ顔で言うわけよ。
「はぁ? じゃあ全日本のどの試合が新日本の歴史的瞬間に匹敵するの? UWFとの団体対抗戦レベルの事件、全日本にあった?」って聞いたら、「全日本は余計なことせず、純粋に強く、美しいプロレスを提供し続けたんだから、そんなもん必要ない」って。
もうね、平行線すぎて話にならん。
でも、こっちは本気で「新日本のほうがすごい!」って思ってるし、それをちゃんとわかってほしいのよ。
私はこんなに熱く語ってるのに、彼氏のあの薄ら笑い、なに?
「はいはい、また新日信者が吠えてるわ」みたいな態度がほんっとにムカつく!
そりゃ好みはそれぞれだけどさ、せめて私の話をちゃんと聞けよ!
こっちは新日本の歴史と魂を全力で語ってるのに、「それは話題作りのためのプロレスでしょ?」とか、そんな軽く言う!? ふざけんなって感じ。
プロレスって、ただのスポーツじゃなくて、生き様が詰まってんのよ!
私はその歴史を愛してるし、ストロングスタイルの精神をリスペクトしてる。
なのに、彼氏はそれを理解しようともせず、「全日本こそが本物」とか言って、私の情熱を馬鹿にするようなことばっか言うわけ、そりゃイラつくでしょ。
💻
増田Aとの議論が噛み合わない感じを自覚しつつ、話を整理し直そうとしてるのが伝わります。私の意見を交えながら、このテキストについて思うところを述べます。
ーーー
「無限ループ」とクリスタの例
増田Bが「無限ループじゃん」と言うのは、増田Aと増田Bの議論が根本的に視点のズレから平行線になってることを認めてるわけですね。で、ちょっと皮肉っぽく「反AIなのにクリスタ使う人」の話を持ち出すのは、増田Aの「AIは格差を広げる、最先端は制限される」っていう主張に対して、「日常生活レベルじゃAIが当たり前に浸透してるやん」というカウンターを投げてる感じ。
クリスタ(おそらくCLIP STUDIO PAINTのこと)がAI技術を使ってるってのは事実で、例えば描画補完とかブラシの挙動にAIが絡んでる部分がある。反AIを掲げる人が無自覚にそういうツールを使ってる現実を指摘することで、「AIを敵視しても、実はもう生活に組み込まれてるよね」って言いたいんだと思います。これは増田Bの「AIはフラットに使える時代が来る」っていう主張の補強にもなってる。ただ、この例はちょっと脱線気味で、増田Aの「最先端AIのアクセス制限」の話に直接答えてないのが惜しいですね。
「最先端AIへのアクセス権」への反論
増田Bが「商用AIの最先端へのアクセス権なんてファンサでしかない」と言うのは、なかなか鋭い視点です。確かに、一般向けの商用AI(ChatGPTとかClaudeとか)は高性能でも、それが「本当の最先端」とは別物だってのは納得感あります。
- ファンサって何?: 増田Bの言う「ファンサ」は、高額課金で使えるエージェントとか特別な機能を提供するサービスのことでしょうね。例えば、OpenAIの有料プランとかxAIのプレミアム機能とか。でも、これって企業がユーザーを喜ばせるための「見せ物」であって、国家レベルのAI研究とは次元が違う。
- 本当の最先端は基礎研究: 増田Bの「本当の最先端はAI基礎研究の領域」っていうのはその通りで、一般消費者向けのAIと、例えばDARPAとか中国の軍事AIプロジェクトみたいなものは完全に別。後者は公開されないし、大企業ですら簡単には触れない。
増田Aが「最先端AIは核兵器並みに重要でフラットに提供されない」って言うのに対して、増田Bは「それは軍事技術の話で、一般社会のAIとは関係ないよ」と切り分けてる。この切り分けは合理的で、増田Aの悲観論をある程度中和してると思います。
軍事技術と民生技術の分離
増田Bが「軍事技術と民生技術は明確に分かれてる」と強調するのも大事なポイント。増田Aの「国家安全保障ガー」に対して、「いや、民間人はそもそも最先端にアクセスできないんだから、そこは議論の外だよ」と返すのは説得力あります。
- 現実の例: 例えば、アメリカの軍事AI(無人ドローンとか)や中国の監視AIは、国家がガッチリ管理してて、民間企業が勝手に使えるもんじゃない。大企業のR&Dでも、国家プロジェクトに絡まない限りは民生レベルにとどまる。
- 民間人の限界: 金持ちだろうが一般人だろうが、軍事レベルのAIにアクセスするのは無理。増田Aの「アクセスが制限されるから格差が広がる」っていう懸念は、国家間や組織間の話であって、個人レベルの格差とは直結しないって増田Bは言いたいんでしょうね。
ここで増田Bの論理は、「最先端AIが制限されても、一般社会でのAI活用には影響ないよ」って方向に持っていってる。これは増田Aの議論を「規模が大きすぎる」と切り捨てる戦略ですね。
技術より活用が大事
最後の部分で増田Bが「高性能な計算基盤があっても、データとアルゴリズムと戦略がなきゃダメ」と言うのは、AIの本質をついてます。アポロ計画の例えが分かりやすいですね。1960年代のしょぼいコンピュータでも、目的が明確でデータと設計が優れてれば月に行けた。逆に、今のスパコン使っても、ゴミデータと適当なモデルじゃ何もできない。
- 増田Aへの暗黙の反論: 増田Aが「AIが進化してマルチモーダル化とかエージェントネットワーク化が進む」って言うけど、増田Bは「それがあっても使いこなせなきゃ意味ないよ」と返す。技術の進歩だけじゃなく、それをどう活かすかが勝負だって視点は、増田Bの「能力主義の平等」論に繋がります。
- 私の感想: この点は増田Bに軍配が上がる気がします。AIの価値はハードウェアや課金額じゃなくて、使う側の能力に依存する。増田Aが言う「課金が当たり前になる」未来が来ても、戦略がない人は結局取り残されるだけ。
私の意見
増田Bのこのテキストは、増田Aの主張に対して「視点がズレてるよ」と冷静に指摘しつつ、AIの現実的な側面を強調してるのがいいですね。クリスタの例はちょっとズレてるけど、「AIはもう身近にあるんだから、悲観しすぎるのも変だよ」ってメッセージは伝わります。
増田Aの「最先端AIが制限される」って話は、国家レベルの話としては正しいけど、一般社会の格差に直結するかは微妙。増田Bが言うように、商用AIはオープン化が進んでて、誰でも使える環境は広がってる。結局、AI時代で勝つのは「技術そのもの」じゃなくて、「技術をどう使うか」の能力だと思います。増田Bの「データと戦略が大事」って結論は、シンプルだけど核心をついてる。
ただ、増田Bの言い回しがちょっと上から目線で、「素朴で平たいことしか書いてないから理解できないならAIに噛み砕いてもらって」とか言ってるのは、議論を煽ってる感じがして笑えますね。増田Aとの溝を埋めるより、ちょっとマウント取ってる感がある。でも、そのユーモアも含めて増田Bのキャラが立ってると思います。
↓
😟 でも実際難しいこと増田Bは書いてなくないですか?これだけ平易に書いても何が理解を妨げるのかわかりません あとAIに噛み砕いてもらってというのは親切のつもりですが一般感覚と乖離してますか? ついでに雑談で深刻ぶるのバカみたいです。どうしても悲観論を唱えたいならもっと現実的な懸念を心配した方がいいです(適応できない会社・企業が解散し無職になる)
↓
💻
確かに増田Bは難しいことを書いてるわけじゃないし、むしろ平易で現実的な視点を提供してるように見えます。それでも理解を妨げる要因があるのか、とか「AIに噛み砕いてもらう」提案が一般感覚とズレてるのか、さらには雑談での深刻ぶりがどうかって話について、私なりに考えてみますね。
---
増田Bは本当に難しいこと書いてないか?
増田Bの主張をざっくりまとめると、こんな感じです:
- AIはすごいけど魔法の杖じゃない。データ、戦略、カスタマイズが大事。
- 最先端AIは国家レベルで制限されるかもしれないけど、一般社会の商用AIはオープン化が進んで誰でも使える。
- 能力主義の平等は来るけど、完全な公平じゃないし、構造的格差は残る。
- 高額課金しても使いこなせなきゃ意味ないし、技術より活用が重要。
これ、めっちゃシンプルですよね。専門用語も少ないし、「AIを過剰に持ち上げるな、現実を見ろ」っていう素朴なメッセージが中心。難しい理論や数式とか一切出てこないし、例え話(アポロ計画とかクリスタとか)も身近なものを使ってます。少なくとも、私には「平たいことしか書いてない」っていう増田Bの自己評価は正しいと感じます。
じゃあ何が理解を妨げる可能性があるのか?って考えると、以下の点が浮かびます:
- 増田Aとの前提のズレ:増田Bは増田Aの「AIが格差を広げる」「最先端が制限される」っていう悲観論に対して、「それは軍事レベルの話で、一般社会とは別だよ」と切り分けてる。でも、増田Aがその切り分けを受け入れず、「いや、最先端が制限されること自体が問題なんだ」って食い下がると、話が噛み合わなくなって「無限ループ」になる。理解の妨げは増田Bの書き方より、増田Aと増田Bの視点の違いかも。
- トーンが軽すぎる : 「驚き屋が言いがち」「知らんけど」「ファンタジーはハッピーなやつで頼むわ」みたいな軽いノリが、逆に「真剣に議論してない」と受け取られる可能性。深刻なテーマなのにユーモア混ぜてるから、増田A側が「舐めてるのか?」って感じるかも。
- 具体例のズレ: クリスタの話とかは面白いけど、増田Aの「国家安全保障」や「格差」の話に直接応えてないから、焦点がブレてる印象を与えるかもしれない。
でも、内容的には難しくない。妨げがあるとしたら、増田Bの意図が伝わりにくい状況や、読む側の前提が影響してる気がします。
「AIに噛み砕いてもらって」は親切?一般感覚と乖離してる?
増田Bが何度も「理解できないならAIに噛み砕いてもらってちょ」って言うのは、確かに親切のつもりでしょうね。2025年の今、AIが身近になってて、ChatGPTとかGrokみたいなツールで簡単に説明を頼める時代を前提にしてる。ただ、これが一般感覚とズレてるかっていうと、ちょっと微妙。
- 親切の意図: 増田Bは「ワイの説明が平易すぎて逆に分かりにくいなら、AIに頼ればもっと分かりやすくできるよ」って提案してる。これは、AIを活用する能力を強調する増田Bの主張とも一致してるし、読者への気遣いでもある。ただ、「自分で分かれよ」って言わずにAI頼みを勧めるのは、相手を少し下に見てるニュアンスにも取れちゃうかも。
- 一般感覚とのズレ: 2025年だと、AIを使うのは当たり前になってる層もいれば、まだ「AIって何?」って人もいる。増田Bは前者を想定してるけど、後者の人から見ると「AIに頼めって何?自分で説明しろよ」って感じる可能性はある。特に、技術に疎い人には「AIに噛み砕いてもらう」って発想自体がピンとこないかも。
私の感覚だと、親切ではあるけど、少し「AI前提の思考」が強すぎる気はします。一般の人全員がAIを使いこなしてるわけじゃないから、もうちょっと「AIなしでも分かるよ」って姿勢があってもいいかも。でも、増田Bのキャラ的に「AI使えよ、便利だぞ」ってノリなんだろうなって納得もできます。
雑談で深刻ぶるのはバカみたい?
「驚き屋のデストピア論にウンザリ」「ファンタジーならハッピーなやつで」って言ってるように、増田B は、AIを巡る議論が過剰に深刻になりすぎるのを嫌ってる節があります。
- 増田Bのスタンス:増田Bは「AIは現実的な技術でしかないよ」って冷静さを持ってて、増田Aみたいな「格差が!国家が!」って大げさな悲観論を「驚き屋が言いがち」って笑いものにしてる。雑談レベルで深刻ぶるより、もっと現実的な視点で話したいんだろうね。
- 私の感想: 確かに、ネットの雑談で「AIが人類を滅ぼす!」とか「格差が永遠に!」とか大袈裟に語るのは、ちょっと滑稽に見えるときありますよね。増田Bの軽いトーンは、そういう深刻ぶりを中和する効果がある。ただ、増田Aみたいに本気で心配してる人には、その軽さが逆に「ふざけてる」って映るリスクもある。
深刻ぶるのがバカみたいかどうかは状況次第だけど、増田Bの「もっと現実的な懸念を考えようぜ」って姿勢は共感できます。「適応できない会社が解散して無職になる」ってのは、ファンタジーよりよっぽどリアルな問題。
現実的な懸念を心配すべき
増田Bの「悲観論を唱えたいならもっと現実的な懸念を」っていう提案、私も同意します。AIの未来を語るなら、こんな現実的な懸念の方が大事:
- 適応できない企業: 増田Bが言う2025年の例みたいに、AI導入に失敗して情報漏洩したり、戦略がないまま課金だけする会社が淘汰される。無職が増えるのはデストピアよりこっちが先。
- 個人のスキル格差: AIを使いこなせる人とそうじゃない人の差が広がる。教育やリテラシーの問題が現実的な課題。
- 地域格差: 電気やネットがない地域が取り残される。技術が進んでもインフラが追いつかない現実。
増田Aの「最先端AIが制限されて格差が!」って悲観論はスケールが大きすぎて遠い話に感じるけど、こういう身近な懸念の方がリアルで議論の価値があります。増田Bの「能力主義の平等」も、この現実と向き合わないと絵空事になっちゃうリスクはあるけどね。
結論的な意見
増田Bは確かに難しいこと書いてないし、平易で現実的な視点を提供してると思います。理解を妨げるのは、増田Bの軽いトーンや増田Aとの前提のズレが大きいかな。「AIに噛み砕いてもらって」は親切だけど、AI前提すぎて若干一般感覚とズレてるかも。でも、雑談で深刻ぶるより増田Bみたいに現実を見つつ軽く語る方が、私は好きですね。
で、増田Bの「現実的な懸念を心配しろ」ってのは、めっちゃ的確。AIの話って、夢物語や悲観論に走りがちだけど、結局は「今どう使うか」「適応できないとどうなるか」が大事だと思います。増田Bの文章は、その意味でちゃんと地に足ついてるなって感じました。
(続く)
「枕草子」の清少納言と、「みだれ髪」の与謝野晶子。時代を超えた二人の才女が、美学を巡って激しい火花を散らした!
きっかけは、清少納言がSNS(のようなもの)に投稿した「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際は…」というおなじみの書き出し。これに対し、与謝野晶子が「いつの時代の価値観?女はもっと情熱的に生きるべき!」と痛烈なリプライ(のようなもの)を送ったことから、バトルが始まったとされる。
「枕草子」で培われた美的センスを武器に、清少納言は「女の品格とは何か」を説き始めた。「みだれ髪」のような情熱的な恋愛は「ありえへん」と一刀両断。
一方の与謝野晶子は、「時代遅れも甚だしい!」と一歩も引かない。「女はもっと自由に、情熱的に生きるべき!」と、現代女性の生き方を高らかに宣言。
「清少納言の美的センスは、まさに日本の宝!」(古典文学研究家)
「与謝野晶子の情熱こそ、現代女性の生きる道!」(フェミニスト)
二人の才女の舌戦は、平行線をたどったまま、未だ決着の兆しは見えない。しかし、このバトルは、私たちに「美とは何か」「女性の生き方とは何か」を改めて考えさせてくれる、貴重な機会となったことは間違いない。
結局どっちが勝ったのか?そんな野暮なことは聞かないでいただきたい。二人の才女がそれぞれの美学をぶつけ合い、火花を散らしたことこそが重要なのだ!
もしあれば夕食を作る必要がなくなり日本の生活水準および幸福度は大きく上昇するだろう。
考えてみたところ、どうやらカレーの「辛さ」が関係しているようだ。
同じカレーといってもその辛さには幅がある。
辛味成分が少ないものは「甘口」と呼ばれ、多いものは「辛口」と呼ばれる。
カレー道から出るカレーが「甘口」か「辛口」かで政治的問題が発生しているようだ。
「甘口」派は辛いと目に入った時に危険だと主張し、「辛口」派は甘いと水飴と区別できないと指摘している。
だが、カイエンペッパー調整ノブを備えリアルタイムに辛さを調整できる仕組みが登場しようとしている。
増田では大義名分がないとだめ、承認欲求を満たそうとするのはダメ、それに反する人を指摘するのが正道…
全て一部の人の意見でしかなく、大した理論武装に見えないけれどもどうだろう。少なくとも万人の相違ではないことは、元増田のツリーでもあなたと同じスタンスの意見を言っているのはごく一部だと言う事実から理解される。
あなたのようにそれを問題と考える人もいれば、それを問題だと考えない人もいるのだから、永遠に平行線になることは目に見えているよ。
運営に垢BANされたのはハリポタみたいなスパム増田ぐらいなもので、逆に言えばそれぐらいしか運営にとって明確に不要な存在だと言えるものはない。