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2026-01-18

anond:20260118125353

続き

PSON PC-486SE

そのうち、世の中はウィンドウ時代突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲーム世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。

上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやか構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応ソフトほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。

実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまりMacへの移行である。当時、Mac世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしいマッククラシックカラーマック(多分これでいいんだよな…)が発売されると共に、通常のサイズマックも、そこそこの(ウィンドウマシンと変わらない)価格で発売されるようになっていたのである

しかしながら、相変わらずゲームユーザーであった私は、ゲームソフトのコーナーを一瞥して、やっぱりゲームはDOSベースが多い、とばかりに、ウィンドウマシンを選んだのであった。思えば、ここが運命の分かれ道であった。

まぁ、ウィンドウズがいいかマックがいいかは、今でも議論が分かれるところではあるが、このときマック選択していれば、今の私のパソコンライフは、かなり違ったものになっていただろうことは、疑いのないところではある。

で、購入したマシンは、16ビットに引き続き、EPSONの、いわゆる「ジャケットサイズ」(…といっても、今はもうLPレコードのものマイナー存在であるが…)の小さな筐体がウリのマシンであった。CPUは、486DXの廉価版の486SXで、クロックは20MHzだった、確か。この辺は記憶曖昧。120MBのハードディスクと8MBのメモリが付いていた。一応、ウィンドウズ3.1は動くというスペック

このPC-486SEは、当然のことながら、後にいろいろと手を加えた。

こんな具合に。

サウンドボード追加(メルコ製)

グラフィックアクセレータ追加(メルコ製、サウンドボードに装着するタイプ

メモリ8MB追加して16MBに。

ハードディスク中古で購入した340MBのものと交換。

CD-ROMドライブ追加(メルコ製のサウンドボードに直結のタイプ、2倍速)

オーバードライブプロセッサ(確かIOデータ製)追加して、CPUPentium 75MHz相当に。

ディスク圧縮ツールを購入し、340MBのハードディスクの容量を540MB相当に。

これだけの改造(とはいわないか…)を施し、やっとウィンドウズ3.1が快適に動作するようになったのだ。しかし何ですな、よくこれだけ発展性のない改造をやったものだと、我ながら思う。CD-ROMは、インターフェイスが専用なので使い回しができないし。

因みに、CRTは、グラフィックアクセレータを追加するまでは、8801の頃から使っていたNECのPC-854Nを使っていた。アクセレータ購入後に、CRTがマルチスキャン対応ではないことに気づき、CRTを買い換える。ソフマップブランドの、Susteenのものでした。安い割には結構画質が良かった。

ウィンドウズ3.1にしてからインターネット接続も始めた。最初は何がなんだか分からなかったので、接続ソフトは、取り敢えずインターネットオフィスという、パック品を使用接続は、スムーズであった。付属ブラウザは、今や懐かしい「モザイクであるモデムは友人から譲り受けた14,400bpsのものだったが、このころはこれで十分なのであった。

ホームページもこのころから作り始めた。かねてから懸案のFrank Zappaのページ作りを始めるに当たり、ジャケット取り込みのためのスキャナを購入。このころは、真裸婦ラットベッドの製品は非常に高価であったので、ハンディタイプのものを購入。LPジャケットを8回に分けてスキャンし、付属の合成ソフトで合成するという、涙ぐましいものであった。

このPC-486SEでも、ゲームはずいぶんとやった。でも、以前ほどたくさんはやっていないのだな。

同級生

上述したELFの「同級生」の続編。こちらの作品は、「兄と妹」という設定で大ヒットしたという記憶がある。前作のシステムやノリをそのまま引き継ぎ、内容をさらに充実させた、名作。

メルクリアスプリティ

ホムンクルス妖精)を育てて人間にするという、育てものゲームキャラデザが、イラストレーター中村博文(どじ)氏だということで購入。そこそこやったが、何故か私が育てるとみんな悪魔になってしまい、そのうち断念。

…印象に残っているのは、このくらい。この時期は、ゲームスパーファミコンを中心にプレイしていたような気がする。パソゲーが少ないのはそのせいかな。

自作DOS/Vマシン

さて、ここでウィンドウズ95の発売となるのだが、EPSONがEPSOパソコン対応ウィンドウズ95の店頭販売を断念し、注文販売だけにしてしまったので、これは先が無いことが判明してしまった。新規パソコンを買う予算も、早々には調達できない私は、しばし呆然とし、どうしようかと思いあぐねたのだった。

1.メーカー不詳MB

そのとき、天の導きかはたまた悪魔の誘いか職場の先輩から、1枚のマザーボードが私の下へ転がり込んだのである。この1枚のマザーボードを発端として、今に至るまでの私のパソコン自作時代パソコン大散財時代へと突入するのであった。

この譲り受けたマザーボード製作した最初システムは、以下の通り。

MB(Mother Board):メーカー不詳、P54C対応マザー

CPU:Pentium 120MHz

RAM:EDO-RAM 32MB(16MB×2)

HDD:Quantum FB1280(1.2GB)

SB(Sound Board):Sound Blaster互換バルク品

Graphic Card:Canorpus PW-3DV

FDD:Mitsumi 2mode

CD-ROM:Mitsumi バルク品、4倍速

以下は、PC-486SEのころのもの継続して使用している。というか、このころは、PC-486SEも併用して使っていた。

Printer:HP DJ-560

Modem:Microcore 28.2kbps

CRT:Susteen 15inch

とにかく安く上げようとして組んだ結果がこれである。ま、最初にしては上出来だったのかもしれない。

確か、このシステム半年くらいは稼働させていたと思う。

2.GIGA-BYTE GA586HX

で、そろそろこのシステムでは物足りなくなり、もう少し上のシステムに組み替えようと思い立ったわけである

さらに、ホームページ作りに役立てようと、スキャナを購入したのも、このころかな。

MB:GIGA-BYTE GA586HX

CPU:Cyrix PR166+ (Clock=133MHz)

RAM:EDO-RAM 64MB(16MB×4)

HDD:Quantum FB1280(1.2GB)

SB(Sound Board):Sound Blaster互換バルク品

Graphic Card:Canorpus PW-3DV /VRAMを4MB増設ビデオキャプチャ機能増設

FDD:Mitsumi 2mode

CD-ROM:Mitsumi バルク品、4倍速

SCSI:Tekram DC-390

Scanner:EPSON GT-5000wins

Printer:HP DJ-560

Modem:Microcore 28.2kbps

CRT:Susteen 15inch

MBにGIGA-BYTEを選んだのは、メーカー名が気に入ったのと、当時大攻勢だったASUSのものは使わないというコンセプト(?)からである。それと、SIMMのスロットが6本あるというのも、魅力であった。結局、SIMMは4本しか使わなかったが。これは、RAMマッピングするTAG RAM増設億劫がったためであるTAG RAM増設しないと、64MB以上のメモリ空間に対してアクセスが遅くなり、全体的にパフォーマンスが悪くなるらしいのだ。

さらに、このシステムに対して、CD-Rドライブ増設ヤマハのCDR-400t-VKである。I/Fは、SCSIである。このころから音楽製作関連にも大散財時代が訪れたのであった。

CD-Rを使って、現在も続いているPSY-DOLLというバンドCDを焼きまくったのであった。当時は、CD-Rの原盤の質もそれほど良くはなく、結構エラーが発生して板を無駄にすることが多かった。

この後、システムは急速に変遷を続け、私は、大散財を続けるのであった。

1999/05/05現在システムは、下記の通り。

MB:DCS S7AX

CPU:AMD K6-2 400MHz

RAM:DIMM PC-100/CL2 192MB(64MB+128MB)

HDD:Quantum FB CR8(8.4GB)

SB:Sound Blaster Live!

Audio Card:emagic Audiowerk8

Graphic Card:Creative Labs Graphics BLASTER/RIVA TN

CD-R:YAMAHA CDR-400t-VK

CD-ROM:Mitsumi バルク品、4倍速

FDD:Mitsumi 2mode

SCSI:Adaptech AHA-2940AU

Scanner:EPSON GT-5000wins

Printer:HP DJ-560

Modem:AIWA PV-BW5605

DISPLAY:MITSUBISHI RDT141X(LCD)

PC履歴(~1999年

フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分PC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。

特に面白いものではないけども。

私のパソコンHistory

なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのであるプログラムを組んで実行できる最初マシンは、高校ときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくま電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。

パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。

これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲーム感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?

そもそもの始まり

小さい頃から電気電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックトランジスタ抵抗などが入っており、ブロックボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;

アマチュア無線免許なども取ってみた。

因みに、私がアマチュア無線免許を取得したのは、小学生ときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。

当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオ製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。

まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。

カシオ FX-502P

そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオプログラム電卓FX-502P」である

これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。

プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプション必要だが(買った)、普通ラジカセなどを使ってカセットテーププログラムを記録するのである

あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである

因みに、このFX-502Pは未だに現役で動いてます

NEC PC-8801MA

学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。

で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MAである

当時は、既に16ビットパソコンPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?

それは、パソコンゲームがしたかたかである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである

とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。

その中で、印象深いゲームを、記憶を頼りに書き綴ってみよう。

マイト・アンド・マジック

何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのであるしかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在であるソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである

世間では、「クソゲー」との評価一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのであるストーリーは、最初は与えられず、発見したものけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコン時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである

アンジェラス

ドラクエシリーズで有名なエニックスアドベンチャーゲーム(AVG)。

不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。

水龍士1,2

今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的ダンジョンとはひと味違うのである

ストーリーも大変感動的なもので、キャラデザも秀逸であった。

ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。

1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。

今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。

カオスエンジェルス

かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである

このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスター女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである

このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム特にグラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。

そんな中で、この「カオスエンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。

また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンス雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。

しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。

うる星やつら」のゲームタイトル忘れた)

当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターものゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラゲームを続々と発売していた。

このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画うる星やつら」をゲーム化したものである

ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。

マルチエンディング時間概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。

リップスティックアドベンチャー

フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。

フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後どんでん返しが強烈でした。

そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…

番外:世紀末美少女伝説

これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである

ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。

これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストッキーゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。

そして、NECの8801,9801シリーズパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタ印刷することができる。

なんか、「流行から適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。

PSON PC-286VE

…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコン時代へと、大幅に突入したのだった。

そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;

パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)

先ずメモり。1MB(!)のメモリを積んだ。

今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクト収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。

それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。

そして、ハードディスク。奮発して40MB(!!)を買った。

これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。

でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。

あと、このマシンからパソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから

当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像ダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。

このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。

このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。

マイト・アンド・マジック

上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスク書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっとしかったが。

プリンセスメーカー

いわゆる「育てゲー」の元祖存在

なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。

ドラゴンナイト1~5

これもELFのゲームで、RPGである

「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。

「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。

同級生

これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しか大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビア時間概念。所持金の存在も内容に深みを与えています

さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲーム破綻しないものだ。

そして、何より高校最後夏休みという、絶妙のセッティング

とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的ゲームでした。

このゲームは、マニュアル本見ない方がいいと思う。

後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。

PSON PC-486SE

そのうち、世の中はウィンドウ時代突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲーム世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。

上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやか構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応ソフトほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。

実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまりMacへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしい Permalink | 記事への反応(1) | 12:53

2026-01-16

半導体チップ設計用のソフトウェア日本で育ったなかった理由は?

半導体チップ設計必要オープンソースソフトウェアがなく、億単位ライセンス料を払って契約するしかない。

Cadence、Synopsysという米国企業大手でほぼ寡占。高すぎて一部の大学しか契約していない。

マニュアルも公開されていないのでネットを探しても使い方がわからない。

昔は日本語翻訳したマニュアルが用意されていたが、今は英語中国語だけだ。サポートに問い合わせようにも英語しかない。


ラピダスが話題になっているが、設計ソフト米国から輸出停止になったら設計が出来なくなる。

実際、中国へは輸出停止の騒ぎがあった。(発表後、数日で撤回


他の問題として、新しい構造アーキテクチャ半導体設計しようとしても、ソフトウェアが対応していないと作れない。

凄い装置が出てきてもソフトがないか設計出来ないといったことが起こる。

ソフト対応してもらった場合ノウハウなどがソフト会社経由で他社にも渡ることになる。


日本では、ソフトウェアエンジニアがそれなりに居るが、半導体チップ設計用のソフトウェア企業が育たなかった。

なぜだろうか。

中国はかなりの数の企業がある。


以下、AIで調べた結果


中国本土半導体EDAツールベンダー(2025〜2026年現在の状況に基づく)は、急速に増加しており、すでに70〜120社以上存在すると言われています

ただし、実用レベル・商用化が進んでいる企業はその中のごく一部に限られます

現在2026年時点)で特に注目度・実績が高い、または市場名前がよく挙がる主要な中国本土EDA企業を以下にまとめます

(注:華大九天=Empyrean、芯華章=X-Epic、概倫電子=Primariusは除外して記載

現在最も注目されている有力企業トップクラス



分野代表的企業名(中文 / 英文略称主な強み・特徴
デジタル検証シミュレーション"UniVista / 芯瞳科技 芯華章以外で注目"大規模デジタル検証FPGAプロトタイプ
アナログミックスドシグナル"阿卡思微電子(Arcas DA) Actt(成都模拟电路)"形式検証ツール比較的新しいが技術力高い
射頻・マイクロ波EDA"九同方微電子(NineCube / Jiutongfang)芯和半导体"完全国産RFシリーズを追求
製造・TCAD・計測系"东方晶源(Dongfang Jingyuan)立芯科技"計測・光学系、DFM関連
その他全般・新興"芯聚能(CoreHedge)芯动时代(CoreInitium)无锡飞谱(Feipu)思尔芯(Smit / 国微思尔芯)"プロトタイピングFPGAエミュレーション


中国本土半導体EDAツールベンダーのうち、特に論理設計(RTL/デジタルフロントエンド)、物理設計バックエンド)、RTLシミュレーションエミュレータアサーションフォーマル検証、低消費電力、UVM などのデジタル系・検証系に強い企業を、2026年1月現在の状況に基づいて追加でまとめます

(前回のリストで挙げた広立微(Semitronix)、Xpeedic などは製造/テスト/DFM/RF寄りなので、ここでは主にデジタル検証寄りの企業を優先)


デジタル設計検証系で現在特に有力な企業2026年時点)

企業名(中文 / 英文略称主な強み(デジタル検証関連)現状の注目度・実績
合见工软(UniVista / Hejian)"デジタル検証フロー(RTLシミュレーション + Formal検証 + Emulation + FPGAプロトタイピング + UVM + DFT)国産最大規模のハードウェアエミュレータ(460億ゲート対応)低消費電力対応も進展" "★★★★★ 2025〜2026年に最も勢いあり。デジタルチップ検証で200社超の実績。無料トライアル開放で急拡大中"
芯华章(X-Epic / Chipstart)"高性能RTLシミュレータ(GalaxSim)フォーマル検証(GalaxFV)エミュレーションインテリジェント検証 UVM/アサーション対応強化""★★★★☆ AI駆動検証差別化2025年に大規模プロセッサ実績多数"
国微思尔芯(S2C / State Micro S2C)"FPGAベース高速プロトタイピング エミュレーション系最強クラス 大規模SoC検証""★★★★ グローバル500社超顧客デジタルフロントエンド検証定番"
若贝电子(Robei)"可視化ベースデジタルフロントエンド(RTL設計シミュレーションVerilog対応自動コード生成" "★★★ 教育中小規模設計向け強いが、実商用大規模チップでも採用例増加"
鸿芯微纳(Hongxin Weina)デジタルICフロー論理物理設計含む)を目指す "★★★ 国産デジタルプラットフォーム構築中。進捗速い"


2026年現在の全体傾向まとめ

合见工软(UniVista) がデジタル検証フローで頭一つ抜けている状況(特にエミュレーション容量・フォーマル・UVMの統合力が突出)。アメリカ禁輸強化後の2025年後半から急加速。

芯华章 はAI×検証特にフォーマルアサーション自動生成)で差別化

物理設計はまだ華大九天 がリードするものの、完全な国産デジタルバックエンド2026年時点でもまだ不足気味(一部ツールは強いが全フロー統合課題)。

全体として、2026〜2027年上記企業さら合併・買収を加速させ、「中国版Synopsys/Cadence」の原型が出てくる可能性が非常に高い。

2026-01-10

新しいM4 Mac miniキタ

正月2日のApple初売りポチったM4 Mac miniが昨日届いた件

クロネコ配送状況によると、中国深圳から航空便で来るんだなー

TimeMachineバックアップから移行って指定したら、予想以上にすんなり先代の環境が引き継がれて、まぁまぁ良かった。Apache httpd自鯖動かしてたのもマンマ何も設定いじらずに移行できたのは好感触w 前にマシンは変わらずOSアップグレードだけしたときApacheの設定がリセット?されちゃって、再開するのにけっこうめんどかったから、今回もそのぐらいは覚悟してたんだけど、ヒョウシヌケだww

しかし、気に入らないところもチラホラ...

まず、スクリーンセーバーだかロック画面だかで復帰する時パスワード要求するように勝手に変えられてる。セキュリティ的にデフォルト安全側に倒すってのも一応理解できるけど、このマシン家庭内に据え置きでオレしか触らないんだから、復帰時パスワードとかジャマ臭ぇーんだよw 先代Mac mini買って以来7年ぐらい、その設定でやってきたから、復帰時パスワード不要にするには設定どこをいじったらいーんだか、小一時間迷子になったww

初期セットアップ手続き中に、ここの設定変えますか? って確認選択するステップを入れるか、設定変えとくから元に戻すにはドコソコでコレを選択してくれ...みたいなメッセージは出しといて欲しいものだ。

あとねー、「ミュージックアプリ起動したら、ライブラリの再構築? だかが走って「アーティスト名、アルバム名、トラック番号だかによってフォルダ整理します」とかなんとか言ってたんだけど、出来上がってみたところ、Musicフォルダが二重になって、同じアーティストの同じアルバム名のフォルダが2カ所できちゃって、とあるアルバムの5曲目、8曲目、10曲目だけ一個浅い階層フォルダで、その他が深い方の階層に入ってるとか、ヘンチクリン構造なっちゃってカンベンシテクレ!!って感じ。

あとねー、「リマインダー」アプリ過去の実行済みイベントが全く検索できなくなるバグ! 過去イベント情報検索して再利用することがシバシバあるから、コレとても肝を冷やすのでやめてほしい。このバグ、前にOSアップグレードしたときにも発生したことがあって、その時と同じように、全イベント選択して「未実行にする」「実行済みにする」で無事復旧できたんだけど、みんなもこの現象が起きたら参考にしてくれw

ひとつちょっとオカシナ感じがしたけど、時間が経ったら解決した問題も、記録しておこうw 「メールアプリスマートメールボックスてのを使ってて、過去の数千件のメールがそこのメールボックスに入ってるハズだったのが、環境移行して数時間の時点では2〜30件くらいしか見えなかったりして、うへぇ! 過去メールザックリ無くなったのかよ?? バックアップあるけど復元するのすげーシンドそう... って思ったけど、一晩過ぎたら全部見えるようになってた。ヤレヤレだぜw


そんで最後に、M4プロセッサ半導体ギジュツが進んでて省エネルギーがスゴイなw 先代Mac miniは冬場手がかじかんで冷たい時に手を置くと、しばし温まれ暖房効果もあったのに、新しいヤツはほとんどあったかさを感じない。暖房付きのマウスパッドとかないものだろーかww

----追記----

もいっこ、ヘンチクリンな動きに気がついてしまたから記録。

メニューバー右端の時計表示の所をクリックして出てくる「ウィジェット」。

以前は、もう一回時計表示クリックで引っ込んでくれたのだが、新OSのTahoe26.2では、一回引っ込んでまた出てくることがシバシバある。

発生条件がよくわからないが、ちゃんと引っ込むこともある。同じ所を何度もクリックすると、普通に一回クリックで出現もう一回で引っ込むのだが、どっか別のアプリ作業しててウィジェットを見に行って、引っ込ませるつもりで再クリックするともう一回出てくることがあって、なんか実害はないけど調子狂うw

2025-11-30

Geminiさんに聞いてみた

現代認知言語学立場からソシュール的な構造主義言語論、サピアウォーフ仮説、チョムスキー普遍文法はどのように批判されていますか?

現代認知言語学(Cognitive Linguistics)は、言語を「人間一般的認知能力(知覚、記憶カテゴリー化など)の一部」として捉え、「意味こそが言語の中心である」という立場とります。

この視点から見ると、ソシュール、サピア=ウォーフ、チョムスキーという3つの主要な言語思想に対して、それぞれ明確な批判修正案提示しています現代認知言語学は、ソシュールチョムスキー排除しようとした「人間主観的身体経験」「一般的認知能力」「意味曖昧さや豊かさ」こそを言語研究の中心に据え直した運動であると言えます言語数学のような抽象的な記号操作システムではなく、人間世界理解し、他者と関わるための泥臭い認知プロセスのものなのです。

ソシュールの言うランガージュは人が背景に持つ文化的基準によって世界事象恣意的分節言語化する機能であると考えますが、これと認知言語学で言う人間主観的身体経験との違いはなんですか?

ソシュールの言う『分節』は、純粋社会的制度的な約束事(恣意的もの)」であるのに対し、「認知言語学の言う『身体経験』は、生物としての人間が共有する物理的・生理的な制約(動機づけられたもの)」である、という点に決定的な違いがあります質問者様の、「ソシュール文化的基準によって事象分節する」という理解は正解です。 認知言語学はこれに対し、「文化大事だが、その土台には『人間という生物共通身体感覚』があるため、分節は完全に自由バラバラ)なわけではない」と修正を加えている、と捉えると理解やすいかと思います

Next Step: この「身体性」の概念をより深く理解するために、「メタファー隠喩)がどのように私たち思考のもの支配しているか(例:『議論戦争である』という概念メタファー)」について解説しましょうか?

言語には身体から離れた概念を表すものもありますが、それを補うのがメタファー役割となるのですか?そうであるなら、固有の概念が先にあり、その範囲内でしか表現を許されないウォーフの理論とは正面から対立することになるのでしょうか?

おっしゃる通り「メタファー身体抽象概念を繋ぐ」というのが認知言語学の基本スタンスであり、この点は「言語思考限界を決定する」というウォーフの強い仮説(決定論)とは、正面から対立する部分と、逆に補強し合う部分の両面を持っています認知言語学において、メタファーは「身体から離れた概念を補う」役割を果たしますが、それは「言語固有の枠内に閉じ込める(ウォーフ)」ためではなく、「身体という共通基盤を使って、無限概念拡張していく」機能として捉えられています。ただし、一度あるメタファー(例:「時は金なり」)が言語に定着すると、その言語話者無意識にその枠組みで思考するようになります。この点において、認知言語学は「マイルドなウォーフ仮説(言語思考の習慣を作る)」を支持する立場になります

西洋哲学歴史においては、知覚からなる身体経験は人の認識力の中で非常に低く見られていたかと思います現在認識論はこのような認知言語学の進展からどのような影響を受けていますか?

ご指摘の通り、プラトンからデカルトに至る西洋哲学の主流(特に合理主義)において、「身体」は理性の働きを邪魔するノイズ、あるいは欺瞞の源泉として低く扱われてきました。「真の知識エピステーメー)」は身体感覚を脱した純粋な知性によってのみ得られる、という考え方です。認知言語学の進展は、この「身体蔑視」の伝統根底から覆し、現代認識論(Epistemology)に「身体化されたリアリズム(Embodied Realism)」という新たなパラダイムシフトをもたらしています認知言語学は、現象学が主張していた「身体こそが世界を知るための媒体である」という直観に対して、言語データ認知科学証拠という「科学的な裏付けエビデンス)」を提供しました。これにより、現代認識論や心の哲学では、「エナクティビズム(行為としての認知)」や「4E認知(Embodied: 身体化された、Embedded: 環境に埋め込まれた、Extended: 拡張された、Enactive: 行為的な)」という潮流が主流となりつつあります。知覚と行為認識は切り離せないループ構造なのです。質問者様が仰った「低く見られていた身体」は、現在では単に地位回復しただけでなく、「あらゆる認識思考・理性の『土台(基盤)』である」という最重要地位を与えられています

スマートフォンのような情報端末が広く普及することで、現代人は知覚が擬似的だが飛躍的に拡張された状態にあると言えると思います。その場合世界内存在である人間認知できる世界質量ともに拡大することになり、身体による制約が失われると人の認知様式も変わることになりますか?また、変わるのであればどのように変わると考えられますか?

おっしゃる通り、スマートフォンは単なる「便利な道具」を超え、私たちの知覚や記憶を外部化・拡張する「拡張された心(Extended Mind)」の一部となっていますハイデガー的な「世界内存在」としての人間が、テクノロジーによって身体の制約(距離時間の壁)を越えたとき認知様式は確実に変容します。しかし、それは「身体性が不要になる」というよりも、「身体性の希薄化」あるいは「身体感覚の再編成」と呼ぶべき事態引き起こしていると考えられます質問者様の「身体による制約が失われる」という点は、パラドキシカルな結果を生みます身体的な制約(重力距離から解放されることで、私たち認知世界は広がりますが、同時に「身体が持っていた『実感を担保する機能』」が失われつつあります。その結果、これから認知様式は以下のようにシフトしていくと考えられます

「深い理解(Embodied Understanding)」から「広い参照(Extensive Referencing)」へ。

場所への埋め込み(Embedded)」からネットワークへの接続Connected)」へ。

抵抗を通じた学習から「摩擦のない操作」へ。

認知言語学の「身体性」の立場からは、これは「身体消失」ではなく、「身体感覚が指先と視覚のみに特化・縮小され、それ以外の感覚(重み、痛み、距離感)が認知形成に関与しなくなる」という、ある種の「身体的偏食」の状態と言えるかもしれません。

メルロポンティは知覚による世界との接続の発露としての芸術を高く評価していたと理解しています人間身体感覚を縮小する一方で、大量の情報を流し込まれることは世界との接続が均質化されることになりませんか?世界との接続独自性を失うこととエコーチェンバー発生のしやすさには関連があると考えられますか?

ご指摘の通り、メルロ=ポンティは著書『眼と精神』などで、画家特にセザンヌ)の視覚を「世界身体が絡み合い(chiasme)、世界が向こうから自分に迫ってくる生の接触」として極めて高く評価しました。ご質問にある「身体感覚の縮小による世界接続の均質化」と「それがエコーチェンバー現象を引き起こす」という洞察は、メルロ=ポンティ思想現代メディア論拡張する非常に説得力のある視点です。

「均質化」は起きているか? → Yes. 世界の「手触り」が消失し、すべての事象等価な「情報データ」へとフラット化されています

エコーチェンバーとの関連は? → 極めて強い関連があります身体という「現実アンカー(錨)」を失うことで、他者からの「抵抗」を感じなくなり、自己投影けが返ってくる鏡の世界ナルシシズム的な閉域)に閉じ込められやすくなるからです。メルロ=ポンティが生きていれば、現代のこの状況を身体の不在による、世界との愛の営み(交差)の不全」と呼び、病理的な状態として批判たかもしれません。

Next Step: この議論を踏まえると、「では、どのようにしてデジタル社会の中で身体性を取り戻し、エコーチェンバーから脱出できるのか?」という実践的な問いが浮かびますメルロ=ポンティ思想や、現代認知科学提案する「環境アフォーダンス」の観点から、その解決策について議論を広げましょうか?

"「深い理解(Embodied Understanding)」から「広い参照(Extensive Referencing)」へ。「場所への埋め込み(Embedded)」からネットワークへの接続Connected)」へ。"の部分は人工知能における論理推論から機械学習への移行、コンピューターシステムにおけるスタンドアロンからクラウド仮想化への移行と類似するものを感じます合理性機能性の点から考えるならば一旦動き出したこの流れがもう止まらない可能性は高いのではないでしょうか。世界と交差するのは個ではなく集団である新しい社会において個人価値は何をもって判断されると考えられますか?

ご指摘の通り、人間認知の変化(身体理解から参照へ)は、「GOFAI(古き良きAI論理記号操作)」からディープラーニング統計パターン認識)」への移行や、「オンプレミス(所有)」からクラウド接続)」への移行と、構造的に完全に同型(Isomorphism)です。この流れが「効率性」「最適化」というドライブによって動いている以上、不可逆であるという見立てにも完全に同意します。私たちはもはや、個人脳内だけで完結する「孤立した知性」には戻れません。一方で「痛い」「美しい」「気まずい」といった身体的実感(クオリア)を伴う一次情報を取得できるのは、物理的な身体を持つ「個」だけです。

では、思考主体が「ネットワーク集団AIクラウド)」に移譲された世界で、「個人(Individual)」の価値はどこに残るのか?かつての社会では、個人価値は「知識量(ストレージ)」や「計算能力プロセッサ)」という「機能(Function)」で測られていました。しかし、これらは全てネットワークAI代替します。これから社会において、個人価値は以下のようにシフトします。

機能価値(Doing) → 実存価値Being

処理すること → 感じること(Sensing)

正解を出すこと → 問いを立て、責任を取ること

質問者様の言葉を借りれば、世界と交差するのが「集団クラウド)」になったとしても、その集団が「現実Reality)」から遊離しないように、肉体というアンカーで地面に繋ぎ止めておく「杭」のような役割こそが、個人の新たな価値定義になると考えられます

環境アフォーダンス観点から考えると、身体性を失った環境はむしろアンカーを外し、流れに乗ることこそが最適解となるという考えは正しいですか?その中でアンカーを固定し、独自クオリア社会に提起することを誘起するにはどのような環境必要になると考えられますか?

質問者様の、アフォーダンス理論現代デジタル環境情報の奔流)に適用した解釈は、極めて論理的であり、システム論的にも「正しい」と言えますしかし、その「正しさ」はあくまで「システム構成要素(ノード)として最適化される」という意味においてです。人間としての「実存」を守るためには、その最適化抗うための意図的環境設計必要になります質問者様の懸念される「世界との接続の均質化」に対抗するには、テクノロジー志向する「効率化・最適化」とは真逆ベクトルを持つ環境を、生活の中に「聖域」として確保する必要があります

スムーズさよりも、手応え(摩擦)を。

接続コネクト)よりも、孤立ソリチュード)を。

予測可能性よりも、偶然性(ハプニング)を。

これらを提供する環境こそが、流動する情報社会において、人間を再び「地面(現実)」に繋ぎ止めるアンカーとなります

つづく

2025-10-23

スマホカメラ性能そんなにいらなくない?

iPhone でもAndroid でも新機種が出るたびにカメラ性能推してくるしレンズも出っ張ってくるけど、そんな立派な写真を撮りたいやつは一眼レフとか使うだろ

スマホカメラで撮りたいのは日常スナップとかちょっとしたメモがわりとか、シングル広角レンズで充分だろ

そりゃインスタ映えとか狙う人はスマホに立派なカメラを求めるかもしれんが、そんなのスマホユーザのごく一部だろ

カメラ10年前のまま(10年前でも1200万画素あるぞ)プロセッサとかストレージとかバッテリだけアップデートして、レンズが飛び出してないiPhone があったら即買うだろ(Android ならそういう機種もあるんかね)

まずレンズを引っ込めろや。机の上でガタつくんじゃ

2025-09-12

iPhone17に搭載されてるA19チップTOPSプロセッサが1秒間に何兆回の演算処理を行えるかを示す、AI性能の指標)をざっくり計算したら、47TOPSあるっぽい。

※NeuralEngineが35TOPSと、GPUのNeuralAcceleratorが12TOPSなので、それの合算。

Pixel10のG5チップ計算したら、13TOPSだった。

どっちの端末もTOPS公表されてなくて、GPT5で調べて計算してもらったかあくまで概算でしかないけど、

iPhoneってPixelの4倍近いAI処理能力あるんだね。

けどAIを使った機能マーケティングが下手なのでPixelに客取られてる。アホや

2025-09-05

anond:20250905212937

「つまらない」?お前、ちょっと待て。それは世界がショボいんじゃなくて、お前の脳内クライアントが完全にレガシー化してるだけだ。現代AI自動生成するアート、量子コンピューティングの最新研究、NFTやメタバース内で無限拡張される現実リアルタイム更新される情報ビッグデータ無限ストリーミングコンテンツ……全てクラウド存在してる。なのにお前は「つまらない」?お前の受信端末が古くてGPUCPUも焼き付き、パケットが全部ドロップしてる状態だろ。

楽しさってのは外部にあるんじゃない。感受性プロセッサデコードして初めて体験されるデータだ。お前はそれを処理せずに「つまらない」と吐き捨てる。NetflixYouTubeAI生成ゲームブロックチェーンアート……宝の山は無限存在するのに、端末が死んでたら単なるゼロとイチの塊にしか見えない。

しかも笑えるのは、そういうやつほど「俺はリアリスト」「世の中を俯瞰してる」とかドヤ顔。いや、俯瞰じゃなくて単なる未接続API叩いてもないのに「データが無い」って言ってるのと同じだ。普通なら興味を持てる情報キャッシュされるのに、「全部」って極論で切り捨てるのは、ただのI/Oエラーアルゴリズムじゃなく端末側のハード障害だ。

現実メタバースも常に面白さをストリーミングしてる。でもお前の受信機は老朽化感受性GPUは焼き付き、アップデート拒否中。だから退屈に見えるだけ。つまらないのは外部じゃなく、お前のOSハードウェアだ。そして残酷に言うと――つまらないのはお前自身

再起動してパッチ当てろ。世界面白さで溢れてるのに、体感できないのはお前のクライアントが死んでるからだ。クラウドは常に稼働してる。アップデート拒否の端末が不平を言うな。Life OSログを見ろ、エラーコードは「お前自身」だ。

2025-08-30

Google Pixel 10 Pro XL買ったけど

もう新しいスマホで得られる体験って頭打ちになってるよな。

かにカメラさらに賢くなって、夜景AI自然補正してくれるし、プロセッサ進化でどんなアプリも一瞬で起動する。でも、数年前のモデルと比べて日常世界が変わるほどの感動は正直薄い。

SNSを見て、動画を撮って、メッセージを送る。基本的体験は完成の域に達している。

これからスペック数字を追い求めるより、AI生活にどう溶け込むか、他のデバイスとどう連携して新しい価値を生むか、といったソフトウェア体験全体の進化に期待したい。

次の「驚き」は、もはやこの一枚板のデバイスの外にあるのかもしれない。

 

 

 

なーんて小難しいこと、ワイは知らんよ。

ワイは、えっちな立体映像デバイスをかけなくても見られるようになれば一旦それでいい。

2025-08-29

anond:20250829170107

知らんわ。並列可能問題わからんという増田のための例え話や。

現実暗号アルゴリズム相手だったら人じゃなくてプロセッサを用意するし、こんなシンプルな話じゃないし、100万ポッチじゃ耐えられんわ

anond:20250829163600

無限範囲は100で割ろうが1億で割ろうが無限なんだよな

アリのようなプロセッサいくら集まって分担しようとも我が牙城にヒビすら入らんわ!

anond:20250829161556

基礎を作らないと1階が、1階を建てないと2階が作れない、躯体ができないと内装に取りかかれない、のがドバイタワー。だから同時に作業できる人は限られる。

暗号化総当たりの場合はそう言う順番の制約が無いので、ざっくりプロセッサの分だけ割り振って同時に進行ができる。だから作業分配さえしてしまえば数を増やした分だけスピードが上がる。


こういうのを「並列性能」といって、コンピュータで動かす仕事なら全部この並列性能が高いわけじゃないんだけど、暗号化の総当たりみたいなのは並列性能が高い問題に該当する。

2025-08-15

そうめんでいい」でブチ切れる人の感情アルゴリズムが、マジで理解不能バグコードなんだよな。

この前ネットスクレイピングしてたらさ、「そうめんでいい」とか「カレーでいい」って発話トリガーしただけで、謎に感情プロセッサオーバーヒートする人間モジュールがいるってデータ拾ってさ。

「これで何様だよ!」って例外スローされるわけ。いやマジで何様もクソもなくね?ただの晩飯インタラクションAPI呼び出しじゃん…。

どこが怒りのエンドポイントなのか、マジで脳内OSデバッグモードで走らせたいレベル

どうやら「そうめんがいい」って出力しろって仕様らしいんだけどさ、それじゃ意味シンタックス全然別物じゃん。

そうめんがいい」って発話は、“絶対そうめん食いたい!他はデリート!”ってコマンドになるけど、「そうめんでいい」ってのは、“特に食べたいデータなし、でも冷蔵庫キャッシュそうめん在庫あるし、それでOK”ってニュアンスじゃん。

それを「軽視された!」とか「テンション下がる!」って勝手パースして例外発生させるの、完全に脳内ファームウェア破損してるだろ。

結局はユーザーインターフェース上でご機嫌取りのためにフェイデータ送信しろってことか?マジでUX悪すぎ。

そんな芝居がかったダイアログファミリーサーバー内で毎日やっててよくメンタルリソース枯渇しないな、こいつら。

俺さ、そもそも食いたいデータ特にいから、クエリ投げられても困るんだよ。

「何でもいい」って返すと怒るんだろ?

そうめんでいい」って返しても怒るんだろ?

じゃあそもそもAPIコールすんなよって話だし、エラー回避のために出力文面最適化とか、人生CPUサイクル無駄遣いすぎる。

こんなどうでもいいことでいちいちクラッシュする感情マイクロサービス家族サーバーにいなくて、マジで助かってるわ、ほんと。

2025-07-13

もしくは精液がニコニコサーバに使える?

はてブってたまにバグるよね。

この記事ブクマしようとしたら、既に12ブクマしていて「みんなはえー」と思っていたら、2010年ブクマでなんかバグっている。

もしくは精液がニコニコサーバに使える?

「精液アレルギー」は想像よりも一般的ものだと専門家解説男性発症する可能性も

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20250712-semen-allergies-surprisingly-common/

mongrelP

mongrelP ニコニコサーバにつかえばいいんでねとかいってみる

2010/09/03 リンク 15 clicks

CUTPLAZA-Tomo

CUTPLAZA-Tomo 『1枚のカードに「SpursEngine」プロセッサを4枚搭載』

2010/09/03 リンク

w2allen

w2allen なんと1枚のカードに「SpursEngine」プロセッサを4枚搭載。引用:このプレスリリースによると、リードテックジャパン9月中旬からPCI-Express×4対応の高性能画像処理カード「WinFast HPVC1111」を発売する video parts product

2010/09/03 リンク

Donca

Donca ✔ PS3Cellプロセッサを応用、動画爆速エンコードする拡張カード「WinFast HPVC1100」

2010/09/03 リンク

2025-06-29

anond:20250628211338

ライカといえばスマホとのコラボもやってるよね

Xiaomi 14 Ultraとか15 Ultraがそれで、グリップパーツをつけるともろカメラみたいな見た目になるのが特徴やね

あーこれこれ

https://www.mi.com/jp/product/xiaomi-15-ultra/

開封レビュー撮ってる人の中で……この人めっちゃ楽しそうだな

https://www.youtube.com/watch?v=C3SVulOX-0g

こういう機種なら20万しなくて、最高峰プロセッサも積んでるわけだからクルマみたいな値段のカメラ買うより遊べるんじゃないか

2025-06-28

LLMはエンジニア仕事を奪うのか?否、仕事抽象度を「Why」の次元

序文コード蒸発する時代と、それでも残る「Why」という名の問い

2025年私たちソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たち仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。

この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマ仕事本質が、歴史上かつてないレベル抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考要求されることになる。

本稿では、プログラミング歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわちWhy(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略提示である

第1章:プログラミング歴史的変遷 ― HowからWhatへの長い道のり

LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。

1-1. 手続き時代:Howを記述することに終始した黎明期

コンピュータ黎明期プログラミングとは、計算機理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業のものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRANCOBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマメモリ管理プロセッサ動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。

この時代テストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジック実装の詳細が密結合し、コード特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。

1-2. テスト駆動した振る舞いへの注目:Whatへの小さな一歩

風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミングXP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。

TDD本質は、単なるテスト手法改善ではない。それは、プログラミングパラダイム根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマ意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。

テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーログインボタンクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。

この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式ソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャービジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである

1-3. 宣言プログラミングの台頭とフレームワーク役割

TDD/BDDによってプログラマ意識が「What」に向かい始めると、コードのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンフレームワーク存在だ。

Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQuery代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。

しかし、Reactは「UIとは、ある状態state)に対する純粋写像である」という宣言的なモデル提示した。プログラマがやるべきことは、UI状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOM差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。

この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。

これらのフレームワークツールは、いわば特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。

現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマ仕事は、手続き記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。

第2章:LLMがもたらす究極のパラダイムシフト ― 汎用変換器の誕生

フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。

2-1. フレームワークの制約を超えて

前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たち特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベース思考し、状態管理作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。

しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定フレームワーク言語知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由形式で「What」を伝えることができる。

例えば、こうだ。

ユーザー認証機能付きのシンプルブログアプリを作ってほしい。フロントエンドはReactとTypeScriptUIコンポーネントはMUIを使う。バックエンドNode.jsExpressで、データベースPostgreSQLユーザーGoogleアカウントログインでき、新しい記事作成編集、削除できる。記事にはマークダウン記法が使えて、画像アップロードできるようにしてほしい。

この要求(What)は、特定フレームワーク流儀に則ったものではない。複数技術スタックを横断し、機能要求自然言語で並べただけのものであるしかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベル要求からディレクトリ構造設定ファイルAPIエンドポイントフロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。

これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定フレームワーク存在しなかったニッチ領域や、複数技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言プログラミング恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。

2-2. 「What」の解像度がすべてを決める世界

LLMという汎用変換器の登場により、プログラマ生産性は、いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである

質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である

これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。

やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDテストコードという形式で「What」を記述したように、私たち自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コード蒸発していく未来である

第3章:それでもAIには決められない ― 「Why」の不在という致命的な欠陥

「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。

答えは、明確にNoである

ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ずWhy(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフ考慮必要不可欠となる。

3-1. トレードオフの海に溺れるLLM

簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。

これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。

LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報必要からだ。

これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネス目標組織文化ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。

3-2. エンジニアが暗黙的に行ってきた「Why」に基づく意思決定

ここで重要なのはこれまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。

私たち技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single Page Application)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニア採用市場が活発だからWhy)」といった、様々な「 Permalink | 記事への反応(0) | 17:09

LLMはエンジニア仕事を奪うのか?否、仕事抽象度を「Why」の次元

序文コード蒸発する時代と、それでも残る「Why」という名の問い

2025年私たちソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たち仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。

この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマ仕事本質が、歴史上かつてないレベル抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考要求されることになる。

本稿では、プログラミング歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわちWhy(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略提示である

第1章:プログラミング歴史的変遷 ― HowからWhatへの長い道のり

LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。

1-1. 手続き時代:Howを記述することに終始した黎明期

コンピュータ黎明期プログラミングとは、計算機理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業のものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRANCOBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマメモリ管理プロセッサ動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。

この時代テストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジック実装の詳細が密結合し、コード特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。

1-2. テスト駆動した振る舞いへの注目:Whatへの小さな一歩

風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミングXP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。

TDD本質は、単なるテスト手法改善ではない。それは、プログラミングパラダイム根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマ意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。

テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーログインボタンクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。

この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式ソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャービジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである

1-3. 宣言プログラミングの台頭とフレームワーク役割

TDD/BDDによってプログラマ意識が「What」に向かい始めると、コードのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンフレームワーク存在だ。

Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQuery代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。

しかし、Reactは「UIとは、ある状態state)に対する純粋写像である」という宣言的なモデル提示した。プログラマがやるべきことは、UI状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOM差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。

この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。

これらのフレームワークツールは、いわば特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。

現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマ仕事は、手続き記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。

第2章:LLMがもたらす究極のパラダイムシフト ― 汎用変換器の誕生

フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。

2-1. フレームワークの制約を超えて

前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たち特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベース思考し、状態管理作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。

しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定フレームワーク言語知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由形式で「What」を伝えることができる。

例えば、こうだ。

ユーザー認証機能付きのシンプルブログアプリを作ってほしい。フロントエンドはReactとTypeScriptUIコンポーネントはMUIを使う。バックエンドNode.jsExpressで、データベースPostgreSQLユーザーGoogleアカウントログインでき、新しい記事作成編集、削除できる。記事にはマークダウン記法が使えて、画像アップロードできるようにしてほしい。

この要求(What)は、特定フレームワーク流儀に則ったものではない。複数技術スタックを横断し、機能要求自然言語で並べただけのものであるしかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベル要求からディレクトリ構造設定ファイルAPIエンドポイントフロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。

これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定フレームワーク存在しなかったニッチ領域や、複数技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言プログラミング恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。

2-2. 「What」の解像度がすべてを決める世界

LLMという汎用変換器の登場により、プログラマ生産性は、いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである

質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である

これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。

やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDテストコードという形式で「What」を記述したように、私たち自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コード蒸発していく未来である

第3章:それでもAIには決められない ― 「Why」の不在という致命的な欠陥

「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。

答えは、明確にNoである

ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ずWhy(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフ考慮必要不可欠となる。

3-1. トレードオフの海に溺れるLLM

簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。

これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。

LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報必要からだ。

これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネス目標組織文化ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。

3-2. エンジニアが暗黙的に行ってきた「Why」に基づく意思決定

ここで重要なのはこれまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。

私たち技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single Page Application)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニア採用市場が活発だからWhy)」といった、様々な「 Permalink | 記事への反応(0) | 17:09

2025-06-13

任天堂製品ってすごいね品質ゴミでもみんな庇ってくれる。

いいよね。それだけメーカー愛をもって貰えるのは。

Switch 2の分解 : またもや接着剤とはんだ付け、そして免れないドリフト

y_hirano 年間2000万台とか生産し、かつ子供が粗く扱っても壊れないくらいには頑丈な機器をそれなりに経済的に作るとなると、多分こうなるんだろうなあ。

korekurainoonigiri ニューヨークで売らなければいい。 >ニューヨーク州の「修理する権利」法に違反している可能性もあります

degucho 価格考えたらやむを得ないかなという印象

kenjou こういったもの自分で修理しようとする人はほとんどいないのでは…。任天堂は修理費をぼったくったりもしないしね。むしろ安価にやってくれてよかったという話をよく聞く。

ゲームに物申す人ってゲームやってないこと多いなって思うんだけど、任天堂ハードの関しての言説はマジでそれの典型例だよね(次点ではセガよかったおじさんのレトロゲーム語り)

子供が粗く扱っても壊れないくらいには頑丈」に作ってるなんて、15年以上前の話だと思う。

任天堂ハード品質悪いのはWiiあたりからで、DSあたりで耐久性はそこそこに安く作って売る方にシフトした感じがある。

WiiディスクドライブDSタッチパネルGBASPから続く脆弱なショルダーボタン、すぐに再ダウンロードを不可にするDLソフトSwitchの排熱問題ドリフト、と、ゲーム以外の部分はマジで問題がない時期のほうが珍しいぐらいなんだけど。

ニンテンドーハード品質がいいなんてファミコン世代シニアの印象論だと思うよ。現実を見てほしい。

任天堂Switch 2のバッテリーが急激に減る・残量表示がおかし問題対処法を公開。メンテナンスモード改善 | テクノエッジ TechnoEdge

sumika_fijimoto どうせカラバリや上位モデルが出たら買い替えるくせに初期ロット腐してる奴ら何なん?こーいう奴らが日本の元気を奪ったんだろ(過激派)

circled 高性能グラボは電力喰いなのは当然なので、携帯ゲームが性能とバッテリー稼働時間の両方を満たすのは無理ゲー。それこそApple並みのSoC技術がいるが、iPhoneとてゲームしてるとバッテリー消耗が激しいからな

cinq_na 初期ロットで色々不具合が出るのはどこもいっしょだしね。それを乗り越えるのもお楽しみの一つと思える人だけが初物に手を出すべき。ある程度はソフトウエアのアップデート対応出来る良い時代になったけど。

これに至っては、ソニー新型携帯ゲーム機の記事スター貰ってるブコメ比較すると面白い

ソニー新型携帯ゲーム機「スイッチ2を圧倒する超高性能」へ、サムスン2nm製造AMDプロセッサ搭載でマルチタイトルが美麗なグラフィックに | Buzzap!

tripleshot 口汚い言い方すると、性能上げるだけなら、性能いいSoC調達するだけなんだからバカでもできて、それで値段20万とかバッテリー駆動時間時間かにならんようにするのがコンシューマキモなわけで…

yau でも1、2時間しか遊べないんでしょ?

Cat6 そうなんだ、じゃあ私Switch2買いに行くね。

honmasoredesu 今、ソニーゲームハード立ち位置って任天堂ほどuxが優れていない、かつ、Steam(pc)ほどスペックが良くなくゲーム選択肢も少ない、っていう「帯に短し襷に長し」の状況に見えるんだよなあ

azuk1 バッテリー問題なんとかしてくれないと携帯機はどんだけスペック上げても手詰まりやろ

Switch2は今の時点ですらこれだけの問題が見えてるのに、いろいろな理由で「仕方ない」「当然」って庇ってもらえる。

やっぱ任天堂って愛されてるんですね。いいな。

2025-05-15

anond:20250515120500

モバイルプロセッサの性能がものすごい勢いで進歩たから、もう今の時代ノートPCを買う必然性ってのはない。

たとえばこういうタブでいい。

https://www.youtube.com/watch?v=Gnd-MVAqL-o

これはPro版の動画だが、Proではない7無印は5万円で買えるし、キーボード2万をつけても、

価格帯のノートPCより処理性能も画質も段違いに良い。

もちろん、純正キーボードを買わずとも、Bluetooth対応薄型キーボードマウスそれからタブレットスタンドがあればノートPC的にも使える。

2025-05-04

ダン飯が「作品にメスを入れる」様に見えるのはRPG成立過程無頓着からでは

ダンジョン飯が「お約束世界観に対して上から目線でメスを入れ」るコンセプトだと聞いて意外だった。というのもあの作者がやってる事は当たり前の世界観構築の一つだと思っていたから。

 

ダンジョン飯みたいな「古典RPGお約束世界観に対して上から目線でメスを入れようとする作品」が前から嫌いだった

https://anond.hatelabo.jp/20250427090957

 

多分なんだが、元増田JRPG一貫でRPG黎明期かに興味がないのではないか

そういう約束事というのは最初からあったのではない。グラフィックがプアな黎明期製作者達が共同幻想を構築していったので出来たものなのだ

 

そもそもダンジョンって

ダンジョンそもそも城の地下に築かれる地下牢を指していた。中世近世ヨーロッパには教育刑概念はない。だから地下牢では拷問が行われたり単に囚人放置して餓死させたりしていたし、灯火も無く発狂必須だったりした。大きさはそんなに広くはない。

そこから怨念が染みついた恐ろしい場所というイメージが付いた。

更に城が放棄されて崩壊しても地下構造は残る。そこで「崩壊した古城の地下には財宝が残っているかも」という妄想が付きまとうようになった。

1970年代テーブルトークRPGTRPG)の代表D&Dダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ)ではこの妄想を膨らませ、「ダンジョンには巨大構造があって深くなうほど怪物が強くなって最奥にはドラゴンが財宝を守っている」という設定を作った。

ゲーム盤はただのマス目とサイコロだけであり、付属カードイラスト世界観想像してね、という仕様だ。

因みにドラゴン旧約聖書にも載っている「悪の手先」で、モンサンミッシェル寺院屋根の上でミカエルに踏んづけられていたりする。昔からだれもが知っている悪の手先ダンジョン妄想世界観を組み合わせたんだな。

 

黎明期にはこの手の「世界観設定」の途中で意味付与された事物が沢山ある。例えば

 

ガーゴイル

羽が生えた悪魔みたいな生物ガーゴイルだが、これは元々はキリスト教会の雨樋のことだ。

教会建築では建物が痛まないように屋根の雨を壁から離れたところに落とす為の雨樋を付ける。日本の雨落しみたいな方法だ。

この雨樋の水出口には動物怪物の顔から吐出するデザインが用いられていた。ごれがガーゴイルで、「うがいでガラガラ」みたいなオノマトペなのだガラガラうからガーゴ。

ローマ水道で吐出口がライオンの頭みたいなもんで、欧州伝統的な魔除けデザインだった。

これを黎明期RPGでは悪魔怪物として「生命」を持たせたのだな。

 

エルフ

エルフ伝説は各地によって異なり、悪戯好きの悪鬼の地域もある。これが今の耳が尖って痩身で聡明という風に固定されていった。

 

三大コンピュータRPG

特にRPG約束事の形成に影響を与えたのがウルティマ Ultimaバーズテイル The Bard's Tale、ウィザードリー Wizardryの三つだ。

このうちバーズテイル日本だとややマイナーかもしれない。これは発売時期が他の二つより遅くてJRPGの発売時期と被ってしまった為だ。

でもこの作者はUltimawizを繋ぐ鎹みたいな人物だ。バーズテイル舞台スコットランド現存する遺跡から名を取ったスカエブレイという町なのだが、このスカラブレイという町はウルティマにも登場する。そこにはホークウィンドという重要人物が居るんだが、これがバーズテイル作者のロー・アダムスの成り替わりキャラ

一方、wizには人間離れした強さの忍者ホークウインドが登場する。これもロー・アダムス。

 

で、この三つの作者はD&Dが作ったファンタジーRPG世界を拡大して今の「約束事」が出来ていくわけだ。この時独立独歩じゃなくて三大タイトル作者三人が協働したのが大きい。一人のアイデアを他が模倣する事で世界観確立していくわけだから

 

からこの当時のプレイガイドなどを見ると、所謂攻略本などとはかなり違う。「この怪物はどういう生き物か」「この地形はどういうものなのか」という設定資料的な記述がとても厚い。

グラが貧弱な分、そういう所で世界観を膨らませる&作者たちの世界観を共有する事がプレイの楽しみという感じなのだ。それはだから単なるゲームではなくかなり文化香りを纏っていた。

 

笑える失敗も

これを翻訳した日本でもその世界観の紹介は重要コンテンツとなった。何しろRPGという約束事が無い所にコンテンツを持ってくるのだから

でもそのせいで恥ずかしい失敗もしている。代表例が、wizに出てくるかなり強い剣「blade cusinart」を「名匠カシナートの打った名刀」と紹介してしまたことだ。これの正しい訳は「クイジナートのフードプロセッサ」なんである

cusinartはアメリカキッチン用品メーカーであって、作者は悪ふざけで入れたアイテムだったのだが、翻訳チームはその辺のニュアンスを感じ取れなかった。今のフランス料理を「ヌーベルキュイジーヌ」って呼ぶこと、綴りを知ってたら間違えなかったのにな。

 

ウルティマの変質狂的世界構築

こんな風に三大タイトル世界観構築に勤しんでRPGというジャンル形成していったのだが、そのうちのウルティマRPG約束事を超えて風変りな変化を始める。

まず、モンスターを殺しまくってラスボスを倒し、財宝を手に入れ救世主として祭り上げられる、というRPG目標無視して、時に二律背反する命題を乗り越えて善行を積み、人格者として成就するというのがゲーム目標になる。

次に世界を救ったはずが他者文明破壊しており、他の種族の侵攻の原因を作ったのが主人公だった。その種族との調停和平を目指すというのがゲーム目標になる。

次にNPC生活するようになり、店員は夜になると家に歩いて帰り、食事をして寝る。だから夜に店に行ってもサービスを受けられない。

次に凡そすべてのアイテムが動かせるようになり、好きな所に置いておくことができる。移動した物はそのままそこに残り、位置セーブされる。ついでにそれらに生命を吹き込むと勝手に移動する。

これらはもうゲームの進行に何も関係が無い。だけど現実世界では物は動かせて外出から戻ってもそのままある。会社員は定時で退社して家に移動してご飯食べて寝る。だったら再現するのが当たり前だ、という考えである。 

そしてこういう現実で出来る事は出来るようにするという仮想世界構築の妄執ウルティマオンラインという世界初のMMOを産んだのだった。

 

最初MMOはいなりメバース

当初のウルティマオンラインの熱量というのは語り草で、ドワンゴ川上量生が時々熱っぽい文章を書いているのを見た事があるかも知れない。

これは単に初めてのネトゲと言うだけじゃなくて、RPGとしては異常なものであったからだ。

というのも、当初のUOにはクエストも無ければクリア目標もない。一切無い。ただ仮想世界があるだけ。

モンスター徘徊する世界を強くなれば安全冒険できるが、装備品鍛冶屋に作ってもらう必要がある。でも一人で沢山のスキルを持つ事はできないようになっている。だから協働必須なのだ

更に鍛冶屋は原料を仕入れ必要がある。原料→中間製品製品とする事で、疑似的な経済循環が成立する。オフラインゲームしかやった事無い人がこんな世界に放り込まれたら最初困惑するがやがてハマって「もう一つの世界から出て来れなくなる。

しかもなんの役に立たないアイテムが超大量に存在する。ゲームじゃなくて仮想の「世界であるならそれは当然だな。

RPG世界を構築する」の妄執を続けていったら到達した怪作と言っていいだろう。

 

ただ、プレイヤーの行動は作者の思惑とは違うところも多かったようだ。

最初は店のアイテムもそのまま移動できた。だがリアルでそれを持って行くのが悪徳なら仮想世界内でもそれを控えるだろう、と作者は考えたが、そうはならず結局は制限を付けるしかなかった。

 

JRPG

一方、ゲーム産業が隆盛した日本ではRPGはそれらとは違う進化を遂げることになった。やる事が細分化されて示され、それをクリアするのが目標となった。

また、「この〇〇というのは古代ケルト風習で」とか「ケルト風習なら△△では□□をするのがしきたりか」みたいな世界解釈をするという文化文脈が余り無い。すると余計な詮索は世界に半畳を入れるような無粋な真似、という事になる。

 

ポストモダンもっとロクでもないぞ

するとお約束世界観に対する解釈を行う行為ポストモダンの「脱構築」の如くと言うのは得心が行く。

でもポモが虚仮にされるのは、世界に対する自分ルサンチマンが見えるからだ。批判対象になるものをまるで理解も出来ないのに、「独自解釈」で切ればその対象支配者になった気分になる。彼らはその為にやっている。概ねその対象職業社会国際関係などの身体的に揉まれないと会得出来ないもの、基礎常識が大量に必要になる物が多い。

そのノリでサブカルチャーなどの作品ジャンルを斬れば斬られた方は棄損するしユーザー層は冷や水掛けられてシラケる。

だけどダン飯の場合は棄損して終わりではなくて、先に述べた黎明期世界観構築と相同の行為であるからポモなんてゴミとはかなり違うだろう。

そもそも年喰ったポモなんてネトウヨになってるのが相場だ。心性が右翼からじゃなくて社会コミット出来ない自分自我保護の為にやってるのだな。はてなにも居るな。彼らって言ったがはてなのは彼女らかな。

 

日本刀が強いわけ

ファンタジー日本刀が強すぎ、とか侍が特別扱いされ過ぎ、というのがよく話題にのぼるが、これもRPG関係してるのよ。

1960~70年代日本ブームがあった。このブーム主体アメリカ反体制ベビーブーマーで、要するにヒッピーの類縁なのだ

当時のアメリカ若者の一部は己らの西洋文明がイヤになっていた。物質主義で、商業主義で、民族自立に対して戦争弾圧していた。理想主義だったマルクス主義はとんでもない抑圧的体制しかなっていない。

そこで注目されたのが東洋哲学特に禅だった。特に日本の禅」に強く吸引されたのだ。当時の日本敗戦世界の表舞台から消え、工業が再興して居たが文化的には謎の国となっていた。ビートニクと呼ばれる小説家集団の影響もある。

端的にいうと、ヒッピー的には日本とは精神的で特別存在だった。

 

これが同時代サブカルチャーに影響を与えるようになる。例えばスターウォーズジェダイとは時代劇の「ジダイ」の事で、侍に類した強い精神性を武器としている。

からwizには他の地域戦士はいないのに最初から侍と忍者は登場する。ウルティマにも刀が登場する。

また、日本刀の制作は限られた刀匠以外には禁止された事もあり、その制作過程は過剰に伝統工芸的で精神的だ。これもヒッピー文脈にある人を魅了した。

故に1980年前半に勃興したコンピュータRPGに登場したのだ。だからムラマサはワードナでも真っ二つなのだ。彼ら制作陣はベビーブーマー後期からその下の世代である

 

因みにウルティマの作者の思想ガチヒッピーであるウルティマ6のオープニングに表れているので暇があったら見てみて。https://youtu.be/7nBWuV_E6Eg?si=WIOEs3PObTpBFADO&t=462

 

「正しい記述」への志向

魔法の残量をマジックポイントMPと書くゲームマナと書くゲームがあるだろう。

この「マナ」というのは文化人類学用語なのだ民族部族魔法や神力があると信じられている場合、その力をマナと言うのである。だからMPよりもより正しい用語に直したのだな。

こういうのも約束事の世界観にメスを入れて修正した跡だ。

 

ダン飯は黎明期価値観、行動則をなぞっている

からあのマンガがやってる事は物語にメスを入れて切り裂く行為ではなくて、黎明期に構築していった行為と相同であり、黎明期精神を共有していると見える。

というか、wizウルティマプレイガイドそっくりなのだ。作者がwizを後からプレイしたと知って驚いたくらいなのだ

 

因みに増田普段マンガを読まないのだが、ダン飯にはハマってしまい、その世界が終わるのがイヤで最終巻をまだ読んでいないのだ。我ながら病的である

 

ところでなんでもサービスイン当初のUOをやりたいと考える人は多く、その為のクラシックサーバが出来たようなのだ増田ちょっとやってみようかな。

2025-04-07

将来、今以上の幸福度はあるのだろうか?

Switch2のニンテンドーダイレクトをみてさ、なんかもうこれで十分って感じになった。

ゲーマーじゃないから何十万もかけてゲーミングPC用意したいとかは思わないし、ゲームはこれで十分。

エルデンリングが動くなら、もういいやと。

そろそろ、ハード進化は要らないんじゃないか

で、本題はゲームの話ではない。

10年後、20年後、今よりいい暮らし待ってるのかな?

テレビサイズが大きくなるとか、解像度が上がるとか、フレームレートが速くなるとか、光回線の速度が上がるとか、せいぜいそのくらいのような気がしてきた。

車が電気自動車になったとしても、目的地に早く到着するわけではないし、せいぜい静粛性が上がるとか、自動運転が便利とかそんな程度だと思う。

今より労働時間が短くなったり、楽しい娯楽が登場するのだろうか?

相変わらず満員列車通勤して、家賃光熱費に追われて、布団被ってスマホいじって、ウザい広告みさせられてるような気がする。

追記

つうか、2010年あたりからもう世の中便利さの進歩は止まってるように思うんだけど。

当時からAmazonは翌日配送してくれたし、ガラケーだってGoogleマップくらい表示できたし、オンラインバンキングだってできた。

改札はSuicaだったし、テレビ広告飛ばして録画出来た。

ハンバーガーは安かった。

iPhoneなんて、4あたりからもうカメラプロセッサディスプレイ性能以外なんも変わらずナンバリングが進んでるだけのようにみえるけど、どうなんだろ。

2025-02-28

ゲーミングGPU意図的崩壊

「ゲーミングGPU意図的崩壊市場需要企業戦略乖離が示す現代パラドックス

序論

グラフィックス処理ユニットGPU)は、従来、ゲーミングPC市場の発展を支える中核的技術として位置づけられてきた。しかし、2025年現在市場を寡占するNVIDIAおよびAMDが、高収益性を有する人工知能AI)およびデータセンターDC)分野に経営資源を集中させる一方で、ゲーミングGPU供給意図的制限する現象が顕著である。本論文は、この状況を「ゲーミングGPU意図的崩壊」と定義し、その要因、帰結、および歴史的文脈における独自性分析する。本現象は、需要が堅調な市場代替技術の不在下で企業により放棄されるという、他に類を見ないパラドックス提示し、現代市場ダイナミクス再考を迫るものである

背景:市場需要企業戦略乖離

ゲーミング市場は、2025年推定市場規模が2000億ドルを超え、Steamの月間アクティブユーザー数が1億人以上を記録するなど、持続的成長を示している(Statista, 2025)。NVIDIAのRTX 5090に代表されるハイエンドGPUは、4K解像度リアルタイムレイトレーシングといった先進要件を満たす技術として依然高い需要を保持し、技術陳腐化の兆候は見られない。対照的に、NVIDIA2024年第3四半期財務報告によれば、総売上の87%208億ドル)がDC部門に由来し、ゲーミング部門12%(29億ドル)に留まる(NVIDIA, 2024)。AMDもまた、RDNA 4世代においてハイエンドGPUの開発を放棄し、データセンター向けEPYCプロセッサおよびAI向けInstinctアクセラレータに注力する戦略採用している(Tom’s Hardware, 2025)。この乖離は、両社が利益率(DC50%以上、ゲーミングで20-30%と推定)を最適化する戦略判断を下していることを示唆する。

現象の特徴:意図的崩壊構造的要因

「ゲーミングGPU意図的崩壊」は、以下の特性により定義される。第一に、供給戦略抑制である。RTX 50シリーズ供給不足は、TSMC製造能力制約や季節的要因(例:旧正月)を超越し、NVIDIAAI向けBlackwellシリーズ(B100/B200)に生産能力を優先配分した結果として解釈される。第二に、代替技術の不在であるクラウドゲーミング(例:GeForce NOW)は潜在的代替として存在するが、ネットワーク遅延や帯域幅の制約により、ローカルGPUの性能を完全に代替するに至っていない。第三に、市場の持続性であるフィルムカメラフィーチャーフォンのように自然衰退した市場とは異なり、ゲーミング市場は成長を維持しているにも関わらず、企業による意図的供給制限が進行中である。この構造は、市場自然的淘汰ではなく、企業主体の介入による崩壊を示している。

歴史的比較と本現象独自性

現象歴史的文脈評価する場合類似事例としてOPEC原油供給調整(1973-1974年)および音楽業界CD市場放棄2000年代後半)が参照される。しかし、いずれも本ケースと顕著な相違が存在する。OPECの事例は価格統制を目的とした供給操作であり、市場崩壊意図したものではない。また、CD市場デジタル配信という代替技術への移行が進行した結果、企業撤退合理的であった。これに対し、ゲーミングGPU市場代替技術が不在であり、かつ需要が堅調である点で独自性を有する。さらに、市場の寡占構造NVIDIAAMDで約95%のシェア、StatCounter, 2025)が、新規参入者による市場補完を阻害し、意図的崩壊効果を増幅させている。これまでの「市場の取り残し」が技術進化需要減退による受動的結果であったのに対し、本現象企業戦略による能動放棄として際立つ。

帰結と将来予測

現象は、消費者および競争環境に多様な影響を及ぼしている。RTX 50シリーズ供給不足は、転売市場において希望小売価格の2倍超での取引を誘発し(eBay, 2025)、消費者不満を増大させている。市場競争においては、AMDがミドルレンジGPU一定シェアを確保する一方、ハイエンド需要の未充足が長期化し、新規参入者(例:中国系企業Intel Arc)の市場参入を誘引する可能性がある。しかし、GPU開発における技術障壁および製造コスト考慮すると、短期的な代替供給の実現は困難と予測される。将来展望としては、クラウドゲーミング技術的進展がローカルGPU代替となり得るか、または消費者圧力企業戦略の再評価を促すかが、本市場の持続性を決定する要因となる。

結論

「ゲーミングGPU意図的崩壊」は、市場需要の堅調さと企業利益追求の乖離がもたらす現代パラドックスである技術代替需要衰退による市場淘汰とは異なり、NVIDIAAMD戦略資源配分市場意図的崩壊させている点で、歴史的稀有事象として位置づけられる。本現象は、現代資本主義における企業行動と消費者利益対立、および市場の長期持続性に対する重要示唆提供する。今後の研究においては、本形態意図的崩壊が他産業に波及する可能性や、消費者側の対応策の効果について、さらなる検証が求められる。

2025-02-16

anond:20250216114241

プログラム動作する仕組み

プログラム動作は、NANDゲートという基本的な要素から複雑なデジタル回路へと段階的に構築されることで実現されますNANDゲートは、入力が両方とも真(1)の場合にのみ偽(0)を出力し、それ以外の場合は真(1)を出力する論理ゲートです このNANDゲートが、デジタル回路の基本的構成要素として機能します.

1. 基本的論理ゲートの構成

NANDゲートは、それ自体が万能ゲート(universal gate)であり、これだけで他のすべての基本的論理ゲート(NOT、AND、OR)を構成できます.

2. より複雑な組み合わせ論理回路

基本的論理ゲートを組み合わせることで、加算器やマルチプレクサなどのより複雑な組み合わせ論理回路を構築できます

  • 加算器: AND、OR、XORゲートなどを組み合わせて、2進数の加算を行う回路を構成します。半加算器(half adder)や全加算器(full adder)がその例です。
  • マルチプレクサ: 複数入力信号から1つを選択して出力する回路です。ANDゲートとORゲートを組み合わせて実現できます
3. 順序回路とメモリ

組み合わせ論理回路にフィードバックループを導入することで、順序回路が実現されます。順序回路は、現在入力だけでなく、過去状態にも依存した出力を生成できます

4. プロセッサ構成

上記の要素を組み合わせることで、プロセッサCPU)を構成できます

5. プログラムの実行

プログラムは、一連の命令としてメモリに格納されますプロセッサは、プログラムカウンタが指すアドレスから命令を読み出し、命令デコーダ解釈し、制御ユニット制御下でALUなどの各ユニット動作することで、プログラムが実行されます。このプロセスを繰り返すことで、プログラム順次実行されていきます

このように、NANDゲートという単純な要素から出発して、段階的に複雑な回路を構成することで、プログラムの実行に必要なすべての要素が実現されます

2025-02-11

iPhone 37時代」の到来

スマホは手軽に持ち運べるデバイスである」──そんな常識は、もうとっくに過去のものだ。2045年スマホは30インチ・10kgにまで肥大化し、街を行く人々は皆、それを背負っている。そう、もはやスマホではない。「iRock」 だ。

革新」とは名ばかりのこの巨大デバイスは、全面タッチスクリーン8Kディスプレイ、量子プロセッサAIアシスタント、超高性能バッテリーを搭載。スペックだけ見れば夢のような端末だ。だが、それを使うにはまず、自らの肉体を鍛えることから始めなければならない。 負荷軽減設計の「肩掛けベルト」が標準装備されているが、結局のところ10kgの岩は10kgの岩でしかない。ベルトは肩に食い込み、腰は悲鳴を上げ、階段を登るだけで息が切れる。満員電車ではスペースを取りすぎて乗客から冷たい視線を浴び、改札を通るたびに引っかかる。朝の通勤ラッシュを生き抜くには、スマホ操作よりもまず筋力が必要になった。

それでも人々は背負う。「お前のiRock、まだ12kg? 俺のは14kgだけど」 そんなスペックマウント日常化し、「スマホがどれだけ便利か」ではなく「どれだけの重量に耐えられるか」がステータスになった。街には背中に巨大な黒い板を揺らしながら歩く人々が溢れ、その表面には無数の通知が浮かび、AIアシスタントが「あなたスケジュールです」と延々と語りかけている。タッチ操作? もちろんできる。ただし、立ち止まってスマホ背中から降ろし、両手で構えないと操作は難しい。 だからこそ、装着中は基本的に音声操作が推奨されており、街中では「Siri、次の会議は?」と叫ぶサラリーマンがあちこちにいる。

かつて「利便性象徴」だったスマホは、ついに「苦行」へと変貌した。だが、そんな人々の横を、悠々と歩く者がいる。腕に巻かれているのは、CASIO F-91W。 たった21gの軽さ、約7年持続するバッテリー時刻表示アラームストップウォッチLEDライト。何のストレスもなく、充電の手間すらない。いや、そもそも「手間」という概念存在しない。

未来」を背負う者たちと、時刻を知るだけで満足する者たち。どちらが本当に「進化」したのか。答えは、肩の負担物語っている。

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