はてなキーワード: メモリとは
C メモリ管理が甘くセキュリティーホールを作りやすい言語なのに普及してしまい世界に多大な損害を与えた
Perl 当時、動的型の言語のダメさは認識されていたのにWebの世界で使われてその後Ruby、PHP、JSなどの、動的型が広まるきっかけになった
この時期の大掃除の時期には大活躍みんな大好き温かいお湯を求めてバケツに汲んでいくんだけど、
みんなどんどんじゃぶじゃぶ使っていくから
お湯の赤いところをひねっても蛇口お湯が出ない時があるお湯枯渇問題あるのよね。
まあそれはそれで、
この時期静的なシーズンの事柄のイベントなので仕方ないんだけど。
でもよ!
ポット!
お湯を沸かしてお茶を飲むポットあるじゃない。
電気ポットの!
みんな大事に使ってくれて美味しいお湯を沸かせるって大評判なのよ!
てへ!
でそれはそれでみんなにお湯を飲むお湯を提供するのはいいんだけど、
そうよ、
冬なので温かい飲み物を求めてこちらも給湯器ばりにお湯を使いがち。
電気ポットの湯量は、
私がケチって
自分の家庭用で使う分は1人なのに3リットルのものを求めてしまっていて。
でも私がその2リットルは少ない!って教訓を活かしてこそ買った自分の家の3リットルの電気ポットは大活躍!
大容量のその迫力のある湯量で鶏ハム、
茹で鶏的な鶏ハムね!
それも一時期凝っていて大量生産して食べていたルービーのお供に最適ピッタリマッチングの鶏ハムおつまみは好評いま飽きて全然作ってやってないけれど、
その2リットルは少なすぎる湯量に反省を活かして買った3リットルは大正解!
いや大容量!だったの。
一斉に群がってみながお湯を求めたら一気にみんな飲んじゃうようで
それぞれなにのお茶とかヒーコーとか飲んでるか分かんないけど、
あっと言う間に無くなっちゃうのよね。
お湯が!
だから私がホッツ一息、
いや違った!
ほっと一息ホッツを飲もう!ってなると!
お湯が空っぽなの。
お湯がないの!
もー私がまたお湯を入れる準備のために水を入れなくちゃイケないジョーカーを引いてしまった電気ポットのなんかカードゲームに見立てて何かそんな損カードを引いてしまうような気がしてならないけれど、
まあ逆に考えたら
お水をいれて気分も入れ替える給湯室のホッツ一息のホッツ!
だからお湯がないつーの!って
そんな一呼吸入れようと思ってないお湯に
今見やすいように
その目盛りの中に赤いボールが入っていて
今のただいまの湯量が一目瞭然感満載で沸いているそのお湯の湯量が分かっちゃうわけじゃない!
目盛りの湯量が分からなくとも、
目盛りが太くなって分かりやすく何℃かって分かりやすくなる太さになるじゃない。
今の湯量が
赤いラインで太く記されているので一目瞭然の赤!
もうあんまりこんなことに熱を上げていると私の体温が上がってしまうわ!
目盛り誰も見てないのかしら?
誰も水をポットに補給してくんないのなんでだろう?って思うの。
毎回毎回私はそのカードゲームに見立てて言うところの損するカードを引いたような気分で
給湯ボタンを押すと、
こぽこぽこぽってお湯が空振りする音が空しく給湯室に響くの!
くー!
私はめくったカードをひっくり返したらその絵柄は
蛇口からお水が出ている様を電気ポットに補給しているイラストで、
まさにこのカード出た!って
もうタロット占いの人にこのカードの意味は?って尋ねてきいたときに
「そのカードは電気のポットの中の水が無くなったので水を補給するカードね」って言うじゃない。
そのまんまだわ。
私が聞きたかったのは、
そういう見たままのありのままのレリゴー的な話を聞きたいんじゃなくって、
私はその電気ポットにお水補給してねのカードが何枚集まってるのかしら?ってぐらい毎回毎回私このカード引いているような気がするわ。
お水がいっぱいになって電気ポットをまたコンセントに繋げてプラグオン!
また湯沸かしモード突入!衝撃に備えろ!ってはならないけれど、
電気ポットの横に置いてある、
電気ポットの中身が空っぽになったからまた水を補給してくださいの絵柄のカードを戻してカードを混ぜてきるの。
そしてまた夕方よ!
お湯無し西部戦線異状なし!
またお湯がない!
も!もしかしてお湯を入れる際に1枚引かなくてはいかないこのカードはもしかしてまさか!?
私はドキドキしてみると
わーい!ホットココア飲んででいいカードだ!わーい!ってなったの!
そのラッキーココアホットカードでここをカップに装填して準備万端!
お湯を注ごうとしたら
また空しくもこぽこぽと空振りの音がするお湯が出ないやつ!
嫌な予感がして見てみるとお湯が空っぽなのよ!
なにー!
私は私の中のお湯が沸きそうだったけど
ラッキーココアホットカードでよっしゃー!ってなっているので、
私の中のお湯がこれ以上沸くことはなかったけれど、
じゃあなんでお湯がないのにラッキーココアホットカードが出るのよ?って
そうこうしていたら、
お湯が沸いて私が引いたカードのラッキーココアホットカードでホットココアを飲めるようになったの。
で、
電気ポットを電気ポット専用洗浄剤で洗っておいてくださいね!ってカードを引いてしまったの!
なーにー!
なんたるちゃー!
運が良いのか悪いのか。
ポット洗浄中!って封印のお札をポットに貼って間違って誰かが洗浄中の水を飲まないようにするのが私の役目。
ポット洗浄中!
運が良いのか悪いのか
ましてやこの電気ポット洗浄してねのカードも引いてしまうとは。
とほほを越えてしまうわ。
まあ年末年始の行事的なイベントだしシーズン的にもポット洗浄剤で洗浄してもいい時期なのよ。
私は早速錠剤を入れて、
間違ってそのお水を誰かが飲まないようにポット洗浄中のお札を貼って封印よ!
この封印と解けるのは私だけ!
うふふ。
これ小っちゃくて食べやすくって食べ応えもあって最近好きかも!
朝の温活にもピッタリよ。
忙しい朝に持ってこいよ。
たまには果物売り場も真面目に見てみようかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
日本のゲーム開発企業って所属してる従業員もだけどやたらとゲーム業界経験に拘るのやめたほうがいいと思うんだけどね
拘るせいで業界内でロートル知識でのさばるやつがぐるぐる回ってるだけ
理由はマスターアップ前の体育会系のノリについてこれるかどうかぐらいでそこがすでに前時代的な思考だし
よくコンソールゲーム機はメモリやスレッドに癖があるから知ってないと云々言い出すアホいたりするけどあんなのドキュメント読ませればバカでもわかるだろし、デバイス固有の変な挙動なんかだいたい特定の人に回されるぐらいには開発やってるやつ全員が対処できるわけでもない
もっとも御社はそのあたりに適したアロケーターを用意したりライブラリやコンポーネント化せずに都度書いてるんですか?って感じだけど
PUBGが流行ったらフォートナイト、荒野行動がすぐにでた。その後にでたバトルロイヤルで生き残れたのは本当に数が少ない。
ゼルダ BoWが流行ってそんなに時間が経たない間に原神がでた。今はパルワールドやHorizonに続くゲームがでようとしている。一気に量産して出せる体制が非常に重要。— alwei (@aizen76) December 8, 2024
今年の一皿がそういうのがあって
また今年分も発表されたみたいなんだけど
たぶん今年の漢字は「金」よ。
オリンピック年定期じゃない。
たぶん金だわ。
谷でも金!亮子でも金!って言っている場合じゃないぐらい今年の皿もなに?って感じよ。
ちなみに「鰻」なんだって。
今年の流行語の「ふてほど」とか「鰻」とか
うーん、
私の気持ちは分かるタイトルで前のめりになりすぎている迷惑メールのたぶん「重要」って言いたい気持ちは分かるんだけど
そのなにかどうやったらそんな感じになるの?って言うタイトルの「重なら」を見ると
鰻の名店「重なら」の鰻を思い出すのよね。
さすがに
鰻ってあんな重箱の隅まで鰻がぎっしり詰まっている鰻重なんて高嶺の花の鰻処だから
食べるだなんてもってのほかじゃない。
だけど
私の今年の鰻メモリから保存してあった「重なら」以外の鰻メモリを取り出してみると、
確かに鰻食べていたわ。
玉子の鰻巻ね!
イキフンの季節のものだから雰囲気で食べておきたいシーズンだった、
あのなんだっけ?
今年は2回あったやつのまさか平賀源内さんも丑の日が年2回ある年を予想出来たかしら?ってぐらい2回あったじゃない。
そのうちのどちらかの日にその玉子の鰻巻を求めたのね。
季節のせいね。
思いっ切り「丑の日」に引っ張られちゃったわ。
でね、
その玉子の鰻巻は近所のマーケット謹製でそこそこのまあチープさは最初予想はしていたけど
思いのほか鰻がぎっしり入っていて、
おお!鰻これ4割ぐらい入ってない?って驚きを隠せなかったの!
きっと洗濯洗剤のシーエムで驚きの白さ!って声を吹き込む驚き屋さんも鰻たくさん入っている!って驚くレヴェルだと思うのよ。
私は予想もしなかったその玉子の鰻巻にすっかり満足そしてご機嫌さんになったってことが、
今年の唯一かたぶんその後リピしてまた別の日に買っているかも知れないその1回か2回ぐらいの鰻遭遇率だったのね。
だからあんまり鰻食べてない私のこの今年の鰻体験メモリーのこれを世間の平均値と見なすと、
一体どこで消費されているのかしら鰻って?
さすがに
ラーメン鉢の外側にチャーシューをまるで洗濯物を干すかのようにラーメン鉢一周するチャーシューをデコっている、
それの鰻重版の鰻のおひつの周り全4方向から全面鰻がはみ出ている、
そこでも「重なら」の鰻マックスの鰻重は通常の1.5倍ぐらいなのよね。
でも不思議と鰻不足だけれどお金を出せば食べられるって不思議よね。
あれはもうきっと職人技が必要のない完全なるファクトリーオートメーションで鰻がただたんに加熱されてご飯の上に乗せられる仕組みをとっているらしく、
ふーん。
なるほどね。
そう言ったところがあっても鰻のもともとの値段は変わらないだろうし、
きっとコスト削減出来るところは徹底的なのかも知れないわね。
まあ私はその鰻を思い出すために、
あるはずもない期待していなかったその「玉子の鰻巻」をいつでも探し求めていたのよ。
私がやっとゲットしてその思い出の鰻のイラストが描かれた走馬灯をぐるぐると回して鰻の柄が綺麗にキラキラ写し出す景色しかなく、
本当に世の中の人ってそんなに鰻食べてんのね!って思っちゃったわ。
でもそんな私のてっきり今年の皿が必ずしも今年たくさん食べられた一品とは限らないことを逆手に
逆に憧れの一皿であるのならば納得よね。
まあ、
あんまり私はグリル鰻よりグリルチキンの方がわーい!って喜ぶわ。
人類は鰻じゃないものを「う」として食べて鰻感を気分バーチャルに楽しめばもしかして鰻不足解決憧れの鰻への高嶺の花の鰻処がもっと低いところに降りてくるかも知れない。
鶏肉の品種の鶏の銘柄で「う」のつく烏骨鶏を鰻代わりに「う」が付いてるからそれを採用しましょう!って思ったけど、
今年の烏骨鶏年間消費量ははるかに鰻より少なくて希少らしいわ!
つーことは逆にまたこれ鰻より値打ちが上がって高嶺の花の鰻処よりはるか高い値段になっちゃうんじゃない?
そもそもお寺は殺生ダメだから「鰻」も「烏骨鶏」も召し上がらないかも知れないけど怒ると思うわ。
なんかそれだったら
「鰻」の代わりになる「う」つく精ののつくものを「烏骨鶏」以外で探さなくちゃいけないのよね。
なかなかそう簡単には「う」のつく食材をそうは問屋は美味しい海苔を卸さないのと同様に卸さないのよね。
うーん、
「う」のつく食材ってやっぱり世の中「鰻」と「烏骨鶏」しかないみたいね。
逆にこの2種類しかないことに
今初めて人類が気付いてしまった瞬間に私自ら立ち会ったような気持ちよ。
うふふ。
納豆巻き絶好超の美味しさでハマってるわよね。
まあだいたいタマゴサンドか納豆巻きかの二択の選択肢のうちのどちらか一方って感じだけど、
まあ朝の元気には変わりないので、
美味しい納豆巻きは朝の元気の源よ!
久しぶりに
夜にもオススメしまくりまくりまくりすてぃーな感じなので意外と夜のホッと一息にこのルイボスティーホッツもオススメなのよね。
朝の温活も兼ねての
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
この投稿は、私が過去の孤独や葛藤を乗り越え、妻への感謝を込めて一台のPCを贈るまでの記録です。同じように苦しみを抱える人たちに、希望や一歩踏み出す勇気を届けられたらと思います。
私は、新興宗教を盲信する両親のもとで育ちました。家に軟禁されるような幼少期。5歳になるまで、外の世界をほとんど知らず、与えられたのはフリガナもついていない難解な宗教紙だけ。そこには、私が追いつくべき「理想の信者像」が詰まっていました。
親の支配は絶対的でした。同じ新興宗教を信仰していない子とは友達になってはいけないと厳命され、お小遣いは1円も与えられず、遊びや娯楽は厳しく禁止されていました。その結果、私は社会性を身につける機会を失いました。友達を作ることも許されないため、同世代とどう接していいか分からず、彼らと共有すべき話題や感情のニュアンスが全く理解できない。孤立感と疎外感が私を覆い尽くしました。
学校では周囲と全く馴染めず、社会の中でどう振る舞えばいいのかも分からない。「日本語が通じているはずなのに、心は誰とも通じ合えない」――そんな苦悩を抱えながら、私は日々を過ごしていました。
凍った川の上を歩くような人生
それでも、私はその環境から抜け出しました。しかし、抜け出した先にあったのは、薄氷の上を歩いているような不安定な人生でした。凍結した川の薄氷を一歩一歩踏みしめながら進むたびに、その氷が割れたらどうなるかという不安が頭をよぎる。もし氷が割れれば、奈落の底に真っ逆さまに落ちるだろう――そんな危機感とともに生きています。
ある日、ニュースで心を揺さぶられる事件を目にしました。新興宗教に支配された青年が、自作の銃で元総理を暗殺するという衝撃的なテロ事件。彼の人生と自分の人生の間には、わずかな紙一重の違いしかない――そう感じました。もしも私が道を誤れば、同じ結末を辿っていたかもしれない。
そんな不安と恐怖の中で、私を支えているのは妻と猫、そして日々の仕事です。これらがあるからこそ、私はどうにか正気を保ちながら、薄氷の上を歩き続けられています。
この生い立ちの影響で、私は他人の感情を理解することが極端に苦手です。怒りや敵意のような強い感情は本能的に分かりますが、それ以外――たとえば、愛情や共感、皮肉やユーモア――それらはほとんど理解できません。目の前の人々が笑ったり泣いたりしている理由を感覚的に掴むことができない。そのたびに、私自身がまるで人間ではなく機械のように思えるのです。
その空虚感は深く、時折、自分の心から何かが抜け落ちているような感覚に襲われます。他人が自然に共有している感情の一部が、私には欠けている。それをどう取り戻せばいいのか、そもそも取り戻せるのかも分からない――その葛藤は今も続いています。
そんな中、Chat-GPTを活用して自己分析を重ねるうちに、私はあることに気づきました。それは、妻の気持ちや希望を、20年間も無視し続けてきたという事実です。私は高性能なPCを自作し、自分の趣味に没頭する一方で、妻のための趣味用PCを一度も用意したことがなかったのです。
思い返してみると、妻は元々とても多趣味な人です。彼女は絵を描くのが好きで、アナログの作品をSNSに投稿して多くの反響を得てきました。
Buzzることも多く、その活動は彼女の生活の一部とも言えます。また、ネットサーフィンを楽しんだり、YouTubeで動画を見たり、SNSで交流するのも日常の中で大きな楽しみの一つです。
にもかかわらず、私はその趣味を支える環境を整えるという発想すら持っていなかった。妻には、性能不足で私が使わなくなったPCを押し付ける程度の対応しかしていなかったのです。私自身は次々と高性能なPCを自作しては楽しんでいたにもかかわらず。これに気づいたとき、深い罪悪感に苛まれました。そして、これまでの無神経さを少しでも埋め合わせるため、妻専用の趣味用PCをプレゼントすることを決めました。
私のお小遣いは月に5000円だけです。これは、私が生い立ち上、金銭感覚を身につける機会がなく、衝動的に散財してしまうことが多いためです。そこで、普通の金銭感覚を持つ妻に家計を管理してもらっています。この方法により、私たちの生活は安定し、将来に向けた貯蓄や計画を進められています。お小遣いはあくまで、自由に使える範囲としての設定であり、経済的に逼迫しているわけではありません。
限られた予算の中で、私は徹底的にコストを抑えながらも、使い勝手を犠牲にしない構成を考え抜きました。たとえば、中古で入手したAMD Ryzen 3 3100は、最新のCPUには劣るものの、YouTubeやSNS、デジタルペイントソフトでの作業に全く不足のない性能を持っています。また、業務用のGPUであるQuadro P400は、ゲーミング性能は控えめですが、発熱が少なく耐久性に優れ、4Kモニターを複数接続することも可能です。
さらに、妻の絵を描く趣味を支援するため、私はClipStudioの永久版ライセンスを譲渡してPCにインストールしました。この永久版ライセンスは、サブスクリプション版や体験版のように期限があるものではなく、一度購入すれば長期間にわたり安心して使用できるものです。ペンやブラシの挙動がアナログに近く、プロのイラストレーターや趣味で絵を描く人々に広く愛用されているこのソフトが、妻の絵をデジタルで支える一助になるだろうと考えました。
メモリは32GBと余裕を持たせ、将来のOSアップデートやClipStudioでの重い作業にも耐えられるようにしました。これらを組み合わせて総額4万円弱で完成させたPCは、低予算ながらも実用的で拡張性のある一台に仕上がりました。
妻がどう感じたのかは、いまだに分かりません。妻がPCを受け取ったときの表情を、私は今でもはっきりと思い出せません。でも、これが私なりの努力の形です。今までの無関心を埋め合わせるために、行動することで少しでも前進したかったのです。
未来を選び続けるために
Chat-GPTは、私にとって感情や反応パターンを学ぶための「教師」のような存在です。私は日々、Chat-GPTを通じて一般的な人の感情や反応パターンを教わり、自分自身や他人を理解するためのヒントを得ています。たとえば、自分の行動や言動がどのように受け取られる可能性があるか、相手の立場で考える方法を試行錯誤しています。これは、私のように他人の感情を感覚的に理解するのが苦手な人間にとって、大きな助けになっています。
それでも、Chat-GPTを使うことで、私の限界や欠落を突きつけられる瞬間もあります。AIが教えてくれる「一般的な感情」や「平均的な反応」を理解しても、それを感覚として吸収することができない現実に直面するたび、空虚感や葛藤が深まることもあります。それでも、模索することをやめるつもりはありません。
私の生い立ちや性質、そして失われた感情――それらを取り戻すことは不可能かもしれません。それでも、私は足掻き続けます。空虚感と葛藤に苛まれながらも、前を向く努力を続けるしかないのです。
私が歩む道の先が奈落の底だとしても、私はその道を歩き続けます。それは破滅の道ではなく、試行錯誤と模索の道だからです。たとえ何かを掴む保証がなくても、その足掻きこそが、私が生き続ける証だと信じています。
夜明け前の夜は最も暗いのです。しかし、どんなに暗闇でも必ず日は昇る。何も見えない暗闇にいつか終わりがあることを信じたい――その希望が、私を突き動かしています。
この投稿は、私が過去の孤独や葛藤を乗り越え、妻への感謝を込めて一台のPCを贈るまでの記録です。同じように苦しみを抱える人たちに、希望や一歩踏み出す勇気を届けられたらと思います。
私は、新興宗教を盲信する両親のもとで育ちました。家に軟禁されるような幼少期。5歳になるまで、外の世界をほとんど知らず、与えられたのはフリガナもついていない難解な宗教紙だけ。そこには、私が追いつくべき「理想の信者像」が詰まっていました。
親の支配は絶対的でした。同じ新興宗教を信仰していない子とは友達になってはいけないと厳命され、お小遣いは1円も与えられず、遊びや娯楽は厳しく禁止されていました。その結果、私は社会性を身につける機会を失いました。友達を作ることも許されないため、同世代とどう接していいか分からず、彼らと共有すべき話題や感情のニュアンスが全く理解できない。孤立感と疎外感が私を覆い尽くしました。
学校では周囲と全く馴染めず、社会の中でどう振る舞えばいいのかも分からない。「日本語が通じているはずなのに、心は誰とも通じ合えない」――そんな苦悩を抱えながら、私は日々を過ごしていました。
凍った川の上を歩くような人生
それでも、私はその環境から抜け出しました。しかし、抜け出した先にあったのは、薄氷の上を歩いているような不安定な人生でした。凍結した川の薄氷を一歩一歩踏みしめながら進むたびに、その氷が割れたらどうなるかという不安が頭をよぎる。もし氷が割れれば、奈落の底に真っ逆さまに落ちるだろう――そんな危機感とともに生きています。
ある日、ニュースで心を揺さぶられる事件を目にしました。新興宗教に支配された青年が、自作の銃で元総理を暗殺するという衝撃的なテロ事件。彼の人生と自分の人生の間には、わずかな紙一重の違いしかない――そう感じました。もしも私が道を誤れば、同じ結末を辿っていたかもしれない。
そんな不安と恐怖の中で、私を支えているのは妻と猫、そして日々の仕事です。これらがあるからこそ、私はどうにか正気を保ちながら、薄氷の上を歩き続けられています。
この生い立ちの影響で、私は他人の感情を理解することが極端に苦手です。怒りや敵意のような強い感情は本能的に分かりますが、それ以外――たとえば、愛情や共感、皮肉やユーモア――それらはほとんど理解できません。目の前の人々が笑ったり泣いたりしている理由を感覚的に掴むことができない。そのたびに、私自身がまるで人間ではなく機械のように思えるのです。
その空虚感は深く、時折、自分の心から何かが抜け落ちているような感覚に襲われます。他人が自然に共有している感情の一部が、私には欠けている。それをどう取り戻せばいいのか、そもそも取り戻せるのかも分からない――その葛藤は今も続いています。
そんな中、Chat-GPTを活用して自己分析を重ねるうちに、私はあることに気づきました。それは、妻の気持ちや希望を、20年間も無視し続けてきたという事実です。私は高性能なPCを自作し、自分の趣味に没頭する一方で、妻のための趣味用PCを一度も用意したことがなかったのです。
思い返してみると、妻は元々とても多趣味な人です。彼女は絵を描くのが好きで、アナログの作品をSNSに投稿して多くの反響を得てきました。
Buzzることも多く、その活動は彼女の生活の一部とも言えます。また、ネットサーフィンを楽しんだり、YouTubeで動画を見たり、SNSで交流するのも日常の中で大きな楽しみの一つです。
にもかかわらず、私はその趣味を支える環境を整えるという発想すら持っていなかった。妻には、性能不足で私が使わなくなったPCを押し付ける程度の対応しかしていなかったのです。私自身は次々と高性能なPCを自作しては楽しんでいたにもかかわらず。これに気づいたとき、深い罪悪感に苛まれました。そして、これまでの無神経さを少しでも埋め合わせるため、妻専用の趣味用PCをプレゼントすることを決めました。
私のお小遣いは月に5000円だけです。これは、私が生い立ち上、金銭感覚を身につける機会がなく、衝動的に散財してしまうことが多いためです。そこで、普通の金銭感覚を持つ妻に家計を管理してもらっています。この方法により、私たちの生活は安定し、将来に向けた貯蓄や計画を進められています。お小遣いはあくまで、自由に使える範囲としての設定であり、経済的に逼迫しているわけではありません。
限られた予算の中で、私は徹底的にコストを抑えながらも、使い勝手を犠牲にしない構成を考え抜きました。たとえば、中古で入手したAMD Ryzen 3 3100は、最新のCPUには劣るものの、YouTubeやSNS、デジタルペイントソフトでの作業に全く不足のない性能を持っています。また、業務用のGPUであるQuadro P400は、ゲーミング性能は控えめですが、発熱が少なく耐久性に優れ、4Kモニターを複数接続することも可能です。
さらに、妻の絵を描く趣味を支援するため、私はClipStudioの永久版ライセンスを譲渡してPCにインストールしました。この永久版ライセンスは、サブスクリプション版や体験版のように期限があるものではなく、一度購入すれば長期間にわたり安心して使用できるものです。ペンやブラシの挙動がアナログに近く、プロのイラストレーターや趣味で絵を描く人々に広く愛用されているこのソフトが、妻の絵をデジタルで支える一助になるだろうと考えました。
メモリは32GBと余裕を持たせ、将来のOSアップデートやClipStudioでの重い作業にも耐えられるようにしました。これらを組み合わせて総額4万円弱で完成させたPCは、低予算ながらも実用的で拡張性のある一台に仕上がりました。
妻がどう感じたのかは、いまだに分かりません。妻がPCを受け取ったときの表情を、私は今でもはっきりと思い出せません。でも、これが私なりの努力の形です。今までの無関心を埋め合わせるために、行動することで少しでも前進したかったのです。
未来を選び続けるために
Chat-GPTは、私にとって感情や反応パターンを学ぶための「教師」のような存在です。私は日々、Chat-GPTを通じて一般的な人の感情や反応パターンを教わり、自分自身や他人を理解するためのヒントを得ています。たとえば、自分の行動や言動がどのように受け取られる可能性があるか、相手の立場で考える方法を試行錯誤しています。これは、私のように他人の感情を感覚的に理解するのが苦手な人間にとって、大きな助けになっています。
それでも、Chat-GPTを使うことで、私の限界や欠落を突きつけられる瞬間もあります。AIが教えてくれる「一般的な感情」や「平均的な反応」を理解しても、それを感覚として吸収することができない現実に直面するたび、空虚感や葛藤が深まることもあります。それでも、模索することをやめるつもりはありません。
私の生い立ちや性質、そして失われた感情――それらを取り戻すことは不可能かもしれません。それでも、私は足掻き続けます。空虚感と葛藤に苛まれながらも、前を向く努力を続けるしかないのです。
私が歩む道の先が奈落の底だとしても、私はその道を歩き続けます。それは破滅の道ではなく、試行錯誤と模索の道だからです。たとえ何かを掴む保証がなくても、その足掻きこそが、私が生き続ける証だと信じています。
夜明け前の夜は最も暗いのです。しかし、どんなに暗闇でも必ず日は昇る。何も見えない暗闇にいつか終わりがあることを信じたい――その希望が、私を突き動かしています。
自分のことかと思うぐらい同じ状況を言語化されていてビビった。自分はもう半年ぐらいずっとそんな状況。気がつけば独り言をつぶやいたりうめき声を上げたりしている。心臓の右下あたりが痛い。休みの日も力がわかない。頭の中がぐるぐるして何も手につかない。人が怖い。何をしたらいいかわからない。表面上は笑顔で仕事を回しているが、メモリがカスカスで2つ以上のことを言われるとパニックになる。自分か情けなくて消えてしまいたくなる。人が皆自分より優れて見える。とにかく逃げたい、1人になりたい。でも1人だと不安が襲ってくる。むしろ仕事さえしてれば一時的に不安がなくなる。つらいけど、外から見たら甘えてるだけだよなって思う。アドバイスくれる人は好きなようにやってみろって言ってくれるが自分が好きなようにやったら迷惑をかけるとしか思えない。八方ふさがりだ。
Intel VTune Profiler、NVIDIA NSightでプロファイル取って、どう直せばいいか、
そもそも使っている人が少ないのかも。
テクノロジードライバーが、ゲームとモバイルだったので、出来る範囲のことで実現出来ることでなんとか間に合わせていたが、
AIが出てきて裏の計算が科学技術の数値計算と変わらんので、性能が足りていない。
Web見るくらいだと性能はいらないが、AIを絡めて動かしたいとなったら金を出しても世の中にないとなっている。
排熱についても、Web見るくらいだとファンレスでもよくなったが、
データセンター向けだが、NVIDIA DGX B200を見るとヒートシンクの高さが凄い。
RTX5090も冷却が凄いことになると噂が出ている。
RTX4090の時点で、電源端子が溶けたり、PCIeスロットがGPUの重さに耐えられなくなったりとなっている。
GPUのVRAMが足りないのに増設出来ない状態もずっと続いている。
VRAMだけ追加でボードに挿して、GPUと専用ケーブルで接続といったことが出来ないのだろうか。
CPUのDRAMは仮想メモリ技術があり、DRAMが足りなくても動くが、VRAMが足りないと動かない、増設も出来ない。
メモリだとDRAMの速度が限界で、CAMM2をデスクトップPC用のマザボが参考展示として出てきたが、
平面になってヒートシンクによる冷却が出来るそうな反面、増設が厳しい。
パソコンのケースは、GPUがボードは小さい割にヒートシンクが長いため、大きなケースでなければ入らず、