はてなキーワード: デバッグとは
誰かが パアイ を解くための ISDFD) のコードを公開しています。しかし、私見では、TNWや パアイ を解くためのいくつかのバリエーションを実装できるとは思えません。
だから、私はこれらに消極的になっているのでしょうか? 多くの団体が TNW などのコードを公開しているので、
私がすべきことは パアイ コードを ISDFD の TNW に置き換えることでしょうか?
このような複雑なトピックに直面したときにためらいを感じるのはまったく自然なことです。
パアイを解くために ISDFD 法からTNW) への移行を容易にするのに役立つかもしれない計画を次に示します:
基本を理解する: アプリケーションの背後にある基本概念をしっかりと理解していることを確認してください。消極的であっても、
既存のコードを調べる: 公開されている TNW コードを調べます。それらを研究し、その構造を理解し、自分の問題に似た問題をどのように解決するかを
確認します。これにより、独自の実装のロードマップが得られます。
段階的な統合: ISDFD コード全体を一度に TNW コードに置き換えるのではなく、段階的に実行してみてください。
TNW 機能の小さな部分を徐々に統合し、その過程でテストとデバッグを行います。
支援を求めて協力する: 同様の問題に取り組んでいるフォーラムや研究グループに参加します。他の人と関わることで、
貴重な洞察とモチベーションが得られます。協力することで、実装プロセスもスムーズになります。
問題を細分化する: タスクをより小さく管理しやすい部分に分割します。たとえば、一度に問題全体に取り組むのではなく、
一度に 1 つの特定のテンソル ネットワーク手法を理解して実装することにポモドーロが集中します。
進捗状況を記録する: 進捗状況と直面した課題を追跡します。これにより、
忍耐強く粘り強く: 複雑な問題を解決するには時間がかかります。忍耐強く、挫折しても落胆しないでください。
粘り強く取り組めば、長期的には成果が上がります。
15~30 分かけて、最小限の動作例 (MWE) コードをレビューし、コードがクリーンで、十分に文書化されていることを確認します。
実際のデータ分析に必要な特定の拡張機能または変更をリストします。明確で実用的な項目を 2~3 つに絞ります。
実際のデータが整理され、分析の準備が整っていることを確認するために 20 分を割り当てます。必要な前処理手順を再確認します。
最初の拡張機能の実装に集中します。タイマーを 45 分~ 1 時間に設定し、できる限り進めます。
最初の拡張機能のテストとデバッグに 30 分を費やし、実際のデータで正しく動作することを確認します。
短い休憩
10~15 分の休憩を取り、リラックスして元気を取り戻します。
2 番目の拡張機能に対して、手順 4 と同じプロセスを繰り返します。一度に 1 つのタスクに集中します。
2 番目の拡張機能のテストとデバッグに 30 分を費やします。
変更のドキュメント化
元のコードに加えた変更や追加をドキュメント化するために 15 ~ 20 分を割り当てます。これにより、進捗状況を追跡し、明確さを確保できます。
レビューと反映
元々大手企業に就職して、関わるフェーズを変えたくてベンチャーに移籍したけど、結局合わなくてすぐ大企業に戻ったただの会社員
そんで、戻ってからもう数年経つけど、何一つストレスなく過ごせているし、ベンチャーなんて行くもんじゃないって改めて思った
これからベンチャー企業に行こうとか、30代超えてベンチャーにいるようなタイプって正直厳しい
お前が頑張ったところで、それ返ってこないぞ。得するのは経営者側で、本当にその経営者を支えたいとかそういう気持ちでやってるならいいと思う。(裏で遊んでるだけの変なやつじゃない限り。奥さんいるのに若い子を追っかけてたりとか。)
自分が所属していたベンチャーは、社長が学生時代に企業してそのまま上手くいったからやってるってところだった。
入るときは相手も入ってほしいので、気持ちが伝わってきて情熱がすごくていいなって思った。今思うと、人員を確保したかっただけで、とりあえず建前の言葉を並べてただけなんだと思う。
大手企業だと決まったことをただ繰り返すだけでいろんなことをやりたくてもできなくて、学生ノリで自由にやれる感じに魅力を感じていた。
関わる同僚の人柄も良さそうだし、給料も上がるということで転職を決意したものの、入って1ヶ月で後悔することになる。
正直、能力がしっかりとあるならいいんだけど、簡単なデバッグができない・基礎がない・基本的に偉そうという3段構え。自分なら管理職系の立場にはそいつをおくことはないし、なんなら採用しない。その先の経営陣も元々社会人経験が浅いので、そういう本人の性質を見抜けていない。というより、そもそも彼らにマネジメント能力はない。(これはのちにわかることになる)
表立って注意するような人物が周りにはいなくて、立場だけが立派になってしまったところが残念であるということにもう気づいてないのだと思う。
なんとなく自分がやったようにいってるけど、裏でやってたのは自分なんだけどなぁという思いもあったので早急に辞めることにしてせいせいしている。今が本当に幸せ。
もしかしたら、きちんとやっているベンチャーのところもあるのかもしれないので、そういったところは除いて欲しい。まあ多分本当にベンチャーならそんなしっかりやれているところはあんまりないんじゃないかな。忙しいだろうし。社長が女と遊んだりしていなければ。
ただ、自分の経験上ベンチャー企業に行くのはやめておくべきだし、今そういう環境にいるなら転職した方がいいと思う。
転職して管理職に就いてから色々とやばかったなってことに気づけたので、ほんと転職して良かったと思う。
評価される側にいるとわからないことばかりなんだけど、評価する側に回ると色々と納得できることが多い。
ベンチャーに入る前にも大手にいたけど、そのときは上司使えないなって思うことばっかりだったが、今思うとある程度試していたのかもしれない。(単純に知らなかっただけかもしれないけど。)
書き殴ってるだけなので、あんまり参考にはならないだろうけど、そういうところもあるんやで〜ってとことだけ書きたかっただけかもしれない。
事故に遭うまでの私の日常は、規則正しく、ほとんど変わり映えのしないものだった。毎朝、5時45分に目覚まし時計が鳴り、それに合わせて起床する。朝食は大抵、トーストとコーヒー、時には卵を焼いて食べる。食事を終えたら、すぐにパソコンを起動させ、昨日まで手がけていた研究の続きを始める。
私は大学の研究室に勤めており、主に人工知能に関する研究を担当していた。日々の業務は、論文を読み込み、自分の研究結果を論文にまとめること、そして新たな実験やアルゴリズムの開発に時間を割くことだった。ランチは、研究室の同僚たちと一緒に学内のカフェテリアで過ごすことが多かったが、会話は大抵、最新のAI研究の話題や、次の学会での発表内容についてだった。
午後になると、データ分析やコードのデバッグに追われる。夕方には、研究室のセミナーやミーティングに参加し、自分の進捗を報告したり、他人の研究から学ぶ時間を持つ。これらの会議が終わる頃には、すでに夜の7時や8時になっていることもしばしばだった。
家に帰ると、残りの時間は再び研究に戻ったり、読書をして知識を深めることに費やした。私の読書リストには、科学書から哲学書まで幅広く含まれていたが、趣味で小説を読むことはほとんどなかった。週末も、研究を進めるための時間や、学会の発表準備に使うことがほとんどで、旅行やレジャーはめったにない。
そんな生活の中で、唯一のリラクゼーションは、夜遅くに自転車に乗って近所を一周することだった。頭をリフレッシュさせ、次の日の研究に備えるための習慣だった。その自転車に乗っていたとき、信号無視という小さなミスが、私の日常を一変させる事故を引き起こしたのだった。
目覚めた瞬間、私は自分がどこにいるのかわからなかった。記憶は真っ白で、そこにあったのは混乱だけ。部屋を見回すと、散らかった机の上には漫画やゲームのディスクが積み上げられ、壁にはアニメのポスターが貼られていた。床には服が散乱し、洗濯物がそのまま放置されている。以前の私がこんな部屋で生活していたとは到底考えられない光景だった。
パソコンを起動し、デスクトップにあった「はてな匿名ダイアリー」のショートカットをクリックした。そこには「増田」という名前で、私が書いたと思われる大量の投稿が並んでいた。内容は、日常の些細な話題から始まり、時には社会の風刺まで含んでいる。例えば、近所の猫の行動から人生の意味を考察したり、ラーメンの具材について熱弁を振るう文章。どれもが科学的な論文やデータ分析からかけ離れた、まるで別人の作品だった。
これらの投稿を読み進むうちに、私は自分がいかに以前とは違う生活を送っていたかに愕然とした。以前の私は、研究者としての生活を送り、論文やデータに囲まれていたはずだ。それが今は、匿名でネット上に自分をさらけ出し、他人とつながりを持つことで自分を表現していた。部屋の様子や投稿内容から、私はもはや研究者ではなく、何かの創作活動に没頭する増田になっていた。
この事実に混乱しながらも、どこかで面白さを感じていた。ただ、どうやってこんな人生に転落したのか、その記憶が無いことが何よりも恐ろしかった。かつての自分が何を思うかはわからないが、今の自分はこの新しい、そして奇妙な生活の中で何かを模索し続けるしかないと決意した。
今はまだ生成AIが使い物にならないので大丈夫だが、概ね1年半後に地獄が訪れるだろう。
出力と理解度がチグハグなので卒論指導に困る、というのは非常に上澄みの意見だと思う。インフルで熱に浮かされていてもわかる。良い環境だよ。
大切なことなので強調しておきたいが、この悩みが出るということは、とても良い環境で研究されている、真面目で真摯な方なのだろう。頭がさがる。
こういった研究室やゼミに所属できた人は幸運だと思う。その幸運を活かすことなく、ただ漫然と生成AIを使うのはとても勿体無いことだとも思う。
https://anond.hatelabo.jp/20250203224000
とはいえ、地獄が訪れるのはこれからだ。今から準備しておきたい。
現状の生成AIは「(嘘を嘘と見抜ける人でないと)使うのが難しい」からだ。
数学の問題がどれだけ解けるか、というのはベンチマークとして使われているからで、実用的とは言い難い。
また、何が欲しいのかがよくわかっていないまま曖昧な内容を入れて、欲しい出力物が得られるほど、コーディング能力も高くはない。
話題沸騰中のDeep Researchも、何をどう調査したくてどんな限界があるのかわかり、かつ、それが正しいか確認できる人にしか使えない。
卒論指導の話題も、ある意味で「どうやってググればお目当てのソースコードが探せるか」だけに特化した学生が増えた、と類似の話題で現状の延長線上と言える。
(逆説的に、卒論レベルのコーディングで詰まる学生が出るということは、生成AIはまだ使い物になっていない、ということだ)
今の生成AI界隈で猛烈に進んでいることは、「アインシュタインにタイプライターを打たせるな」という状況だ。
アインシュタインの方がタイプライターを早く打てたとしても、秘書にタイピングさせた方が良い。
(絶好調なら)自分の方が絶対に上手くやれるが、まあ生成AIでもそこそこやるやないか、という人は今でも十分使えている。
その代わり、タイピングみたいに頭空っぽにしてやれていた息抜きの仕事がなくなって、常に自分にしかできないことを要求されるようになるわけだけど……
生成AIが使い物になり出してからが地獄だ。性能的には半年〜1年程度で到達すると思う。
そして、日本企業は予算のつかないポッと出のものに即応できるほど柔軟な裁量を持っていないので、導入が決定された次の半期からスタートになる。
(多くの日本企業の次の上半期に話題になり、下半期に検証が行われ、次の上半期に根回しが行われて、その次の下半期からスタート)
場合によっては、ソフトバンクのパッケージ導入、という形がとられても何ら不思議ではない。
そこで見られるのは、繰り返し繰り返し現場が苦渋を舐めさせられてきた、コンサルタントへの対応だ。
コンサルが有効に機能する現場を見た人もいると思うが、共通するのは「外部の権威を導入することで、スムーズに物事を運ぶ」ではなかっただろうか?
これ、「実現したいことは明確だけど社内政治でうまく行かねえからゴリ押ししたい」って、社内に主導者が居た場合で、コンサル主導ではなかったはずだ。
コンサル主導で迷走するのは、そもそも何をしたいのかも良くわかっていないし、何ができたらゴールなのかも定義できないからだ。
今後、何のビジョンも専門性もない数多くの管理職やゲートキーパーが、生成AIという専属コンサルタントを盲信するようになる。
現時点では「Grokはこう言っていた」とか「ChatGPTはこう言っている」という指摘の仕方をするのは馬鹿扱いされている。
情報が古いし、間違いもあるし、そもそも幻視(作話)するから適切な使い方ができない人にとっては使い物にならない。
でも、もう人類の大半よりは賢いし、コーディング能力も高く、辻褄を合わせるのも上手だ。
そして残念ながら日本企業の管理職は専門性が最も優れた人がなるわけではないので、管理職よりも専門性に優れて間違えない生成AIは生まれてしまう。
彼ら彼女らにとって、自分よりも賢く正しいことを言うのであれば、そこを区別するのは出力物の量だけになる。
今でも専門性を軽視し、人頭いくらでしか計算しない管理職は山ほどいる。
コンサルの意見を鵜呑みにし、まずはやってみようという軽い言葉で、大量の今後使わない仕事が生まれるのも良く見る光景だ。
それでもまだ現場が耐えられたのは、概ねコンサルもどブラックで、ゴリゴリ書類やらパワポやらを持ってくる超馬力を見ていたからだ。
あれだけクソミソに叩かれた電通が(叩かれる理由は同意できるし擁護はできないが)現場で一定の信頼が置かれるのは、彼らは絶対にケツを持ったからだ。
認めたくないが、そこには超人的な仕事量をこなすサラリーマンに対する畏敬の念があった。
それが、低コストかつ(人間に比べれば)即時回答する、コンサルタントが常に横につくようになるわけだ。
管理職は今後気軽に言い放つようになる。
「これ、生成AIが出してきたアイデアなんだけど、それぞれ資料ちゃんと作ってきてよ。Geminiにやらせればすぐでしょ。明日までね」
ある朝出勤前に、調査検索系の生成AIに「XX業界における現在のトレンドと、今後の展望、注力すべき事業分野についてまとめて」と指示を出す。
日経新聞では私の履歴書だけ読んで、職場についてコーヒーを淹れて自席に戻ったら、生成AIの結果に目を通して、事業分野の気になった点をピックアップする。
そして、部下にこう言えば良い。
「XXという事業分野が有望そうで、アイデア3つほど選んでおいたから、事業計画と取れそうな市場の規模、売上高と黒字化までのストーリー作ってきて」
何の誇張もなく、今でもそういうベンチャーは大勢あるが、極端に増える。
人当たりが良くどんなに酒を飲んでも酔わず、あたかもすでに儲かっているかのように皮算用をしてみせる資金調達兼ビジョナリーと、
生成AIを始めとするあらゆる自動化ツールを使って事業を形にするワンマンアーミーとのタッグでのベンチャーが急増すると思う。
(実際には「バグだらけだけど一応動くプロトタイプ」を生成AIで作って資金調達に成功し、そこに群がるギークたちがAIが書いたコードを延々メンテ&デバッグする光景だと思うが)
でも、既存の日本企業はそんなに組織体系を大きく変えない(変えられない)ので、それを実施するのは部下になるのだ。
日本企業では不思議なことに、資料作成者が資料に対して責任を負う。
その資料を採用した人も、その資料を採用して方針を決めた人も、その資料を採用して決めた方針にGOを出した人も、責任を問われることはない。
だから、生成AIが作成した資料を取りまとめて上司に提出する人間が、常に最終的な責任を負う。そう、キミやワタシだ。
いやいや、俺らだって業受とか派遣とかに資料作ってもらったりするじゃん。そうだね。
でも彼らの責任を問うても無駄だ。だって俺たちが率先して切ったりするじゃん。今更責任だけ負えとは言えない。
まともな人間であれば、レビューはきちんと行うし、レビュー漏れはレビュー実施者の責任だと理解している。
そういう常識的な上司がいれば理想的だ。でもそんな理想郷ばかりじゃない。
より一層、言質をとって記録に残すのが重要になる。
10年前から友人達との共同出資という形でVPS使って鯖立てて俺がその管理者をやっているんだけど、4年前にメールの配送の
問題をデバッグするためにテスト用のユーザアカウントを幾つか作ってそこにメールを送信するということをやった。
でもってその時作ったアカウントやそこに届いたメールを放置したままだったことに偶然気付いたんだけど、それらを
削除しようとしたらアカウントのうちの一つ宛に結構な数の迷惑メールが届いていた。
まあ迷惑メールなんて一度rejectされないことが判ればその後繰り返し送信されてくるものだろうから、4年という放置期間を
考えれば数に関しては別に不思議でもないんだけど、判らないのは迷惑メールを送信する側が何故一通目の迷惑メールを
というのも作成したアカウントはいずれも"fff2967"とか"pqr789jk"みたいな実際には絶対使わないアカウント名だったから
迷惑メールの送信でよく使われている辞書攻撃の辞書の中に含まれているとは思えない。
それならアカウント名が外部に漏れたのかと思って4年前のことを思い出してみても、外部からそのアカウント宛にメールを
送ることしたけど逆はした覚えがない。
そしてメールの送信に使ったのはGmailとかの有名どころのサービスと自分が使っている携帯キャリアのメールと、後は
自宅からtelnetで鯖の25番ポートに接続してSMTPを手打ちしたぐらいなので、送信側のログが流出したというのも考えにくい。
誰にも相談できずに限界が来そうなのでここに記録を残す。自分は最初からひきこもりだった訳じゃない。新社会人時は正社員で働いていた。転落し続けた結果が惨めな現在だ。社会復帰したいが、心がどうしようもなく折れた。幸いな事に両親との仲は良好、と言うより良好でなければ自分は今この世にいない。父は元郵便局員で郵政民営化の犠牲者でもある。両親も高齢になってきて8050問題が目前となった。
・1社目大手メーカーの孫会社(業種:製造、職種:整備、正社員)
専門学校を卒業して新社会人として就職。PCで原価やノルマ管理など徹底されていた。正社員採用なので研修などもかなり受けた。ただし通勤距離の長さや過度のノルマ制で心を病む。ノルマを達成しても更なるノルマという感じだ。通販で完全失踪マニュアルや完全自殺マニュアルを頼む程度には弱った。今でも捨てられずに新品で残っている。
親会社系列に逆らえずに低価格整備など理不尽を押し付けられて最終的に事業所は消滅した。遠方の他の事業所へ一人暮らしすれば退職は無かった。しかし、精神的に追い詰められすぎたのでその選択肢を取れなかった。デフレ不況にしては給料は良い方だが時間と精神的余裕が無かった。勤務は5年半だった。
勤め先が工場地帯という事もありアクセスは最悪。また経営者なども最悪で昭和バブルの古い価値観だった(長時間労働が美徳など)ハローワーク求人で応募したのだが、採用後に「半年は契約社員でその後に正社員」等と言われた。頻繁に休日出勤を要求したり効率化を叫ぶ癖に前者ほど徹底したコスト管理はされてなかった。営業の人がしたミスを本人に現場で作業させるなど無茶もあった。ブラック寄りのグレー企業。
休日出勤を渋ったり早帰り等が経営者の逆鱗に触れたのか2カ月でクビ。無駄な動きが多いだってさ(笑) 精神的に弱っていたので願ったりだった。そんな職場だからか人間関係もかなり悪く感じた。
ハローワークでゲームデバッグの求人を見つけたので応募して採用。契約社員というかほぼバイトみたいな感じ。元々、長く続けるつもりはなかったけど2カ月でクビになった。低賃金だったけど、裏話的なネタが多いので負の感情はそれほどない。
旋盤を行う工場でライン工をした。下手すると指が無くなる仕事なので労基や待遇は1社目に等しいぐらい整っていた。しかも、定時退社。しかし、作業の危うさや初期にミス(検査戻り)などを繰り返したためか2カ月でクビになる。退職数週間前にはシュレッダー係などの雑務に回され酷い扱いを受けた。会社自体はまともなだけに落差でショックが大きかった。非正規は人間扱いされてない。
・5社目大手メーカーの子会社(業種;製造、職種:整備→出荷、契約社員)
大型機械の部品組み立てを行う工場に就職した。大手メーカーの敷地内にある子会社なので食堂や作業環境はトップレベルだった。ただし、給料は3社目に迫る低賃金だった。入社してから短期間に配置転換を何度も繰り返された(自分以外もかなり変わった) 仕事を覚え始めた時点で配置転換だからたまったものではない。最終的に倉庫番と入出荷業務に回されてしまう。整備希望で入社したんですけど?
最後は6カ月で退職してしまう。理由は出荷作業で腰を壊した&希望職種を外れた。他にも低賃金過ぎて希望を失う。これは出勤数の少ない5月に昼食代などを差しい引いた実質手取りがフルタイムに関わらず1桁、つまり10万円を下回った。この2014年は消費税増税5%→8%の時だった。大型機械なので駆け込み需要が凄まじく、その後は一気に仕事が消えた。その結果が5月の惨事だ。
そこから会社や経営者、人が信じられずに10年以上引きこもって今に至る。何もしなかったわけでもなく空白期間や退職後に普通自動車(AT限定)、フォークリフト、玉掛け、ガス溶接などの資格も取得している。フォークリフトは5社目で見た入出荷のおっちゃん影響だ。社会復帰したいけど今の精神状態でフォークリフトや玉掛けなんかしたら労災事故を起こしそうで怖い。
ハローワーク求人を始めとして、経営者の質は相当悪いと感じた。2社目の様に嘘の求人条件で騙すし、契約社員で更新を1~2カ月にしていつでもクビを切れる手際など手慣れている。ブルーカラーだから雇用緩和とデフレの悪影響などは肌身で感じた。勤務経験は5社だがお祈り(不採用)はその10倍以上だからね? 不採用先の重複応募を避けるためにメモしていたら、数が多過ぎて途中からメモを止めた。採用後の帰り道に電話で明日から来てとか明らかにヤバい企業もあった(ヤバそうな会社を避けて上記の結果だった)
1社目の時は自分も「非正規は努力不足の甘え」など本当に思い込んでいた。恐らくZ世代行の若い世代も高給で甘やかされて同じ思考に陥る人が出てくると思う。そうなると次は世代格差と分裂で更に日本は荒れると思う。本当に底まで落ちるのは早いし誰もがその可能性を持ってる。底に落ちる事すら出来なかった人は犯罪に走るか既にこの世に居ないと思う。
今では社会復帰以前に昼夜逆転や不摂生の改善すら難しい。自分両親含めてセルフネグレクト傾向にもなってきている(2~3日に1回風呂など) 自分の発達障害も疑っているけど認めたくない自分も居る。最近では全人類が発達障害なのでは?とすら思えてきた。SNSや選挙でもネガキャン合戦、揚げ足取りや主義主張の対立と分断。普通の人間が何か分からなくなってきた。
数年前までは楽しかった過去に戻る夢をよく見ていたが、今では何かを失う夢をよく見る。原発や震災で故郷を失う、クレジットカードの不正利用で預貯金を失う、両親を失う、パソコンやスマホが乗っ取られてデジタルデータを失う等。目が覚めて夢で安心するより不安が心の残滓になる。朝が辛い、環境音が辛い。1社目の鬱は昼食の味を美味しく感じない等があった。働いても引きこもっていても地獄だ。これを見て何かを感じたのならSNSでも何でもいいので拡散してほしい。恐らく自分以下のひきこもりや社会的弱者は山のようにいる。誰かに助けてほしい、助けてくれ。も う つ か れ た ・ ・ ・ 。
ある日、俺はとてつもない強さを持つ伝説の戦士から、現代社会に適応すべくITエンジニアになることを決意した。
理由は簡単、「ITってのは強そう」という噂を耳にしたからだ。
何でも、プログラムってやつを駆使して人間の生活を支配するらしい。
そんなわけで転職した俺だったが、最初から順風満帆とはいかなかった。
入社初日、先輩のプログラマーが俺に「まずはこのコードを読んで理解してください」と言ってきた。
だが、「int main()」の時点で頭が真っ白になった。
「何これ、意味わかんない」と正直に言ったら、先輩が「これがプログラムの入口です」と教えてくれた。
入口?それなら俺に任せろ。
意気込んで読み進めたが、if文の「条件分岐」という概念に遭遇して衝撃を受けた。
どうやら俺は、この「if」という謎の呪文と戦うことになりそうだ。
それは簡単な計算アプリだったが、実行ボタンを押した瞬間、エラーが100個以上出てきた。
「え、何で?」。
「ブロントさん、これデバッグしないと動きませんよ」と言われた。
「どこからエラーが出ているのか確認してください」と言われたので、「どこでもいい、俺がすべてを解決する」と豪語した。
が、実際にはセミコロンの付け忘れという初歩的なミスを指摘されてしまった。
「この程度のミスなど、俺の中ではノーカン」と誤魔化したが、内心めっちゃ恥ずかしかったのは言うまでもない。
ITエンジニアは、どうやら一人で全てを成し遂げるものではないらしい。
チームで開発するのが常識らしく、俺も例に漏れずプロジェクトに参加することになった。
だが、俺は気づいた。
「チーム」ってのは、つまりお互いのスキルを信じる必要があるということだ。
だが俺は信じられるのは自分だけだと思っていた……。
「CI/CD」「Docker」「REST API」……完全に魔法使いの呪文だな、と感じた俺は、「俺にはもっと物理的な仕事をくれ」と頼んだ。
しかし、どうやらこの世界では「物理的な力」よりも「論理的な力」が重要らしい。
悔しいが、俺は少しずつ「コードを書くという戦い方」を覚え始めた。
数か月後、俺はようやく小規模なアプリを独力で完成させることができた。
その瞬間、気づいた。
剣で敵を斬るように、コードでエラーを倒し、社会の問題を解決する。
今では、俺のエンジニア仲間から「戦士系エンジニア」として頼りにされるまでになった。
強さとは何かを語るなら、それはただの力ではない。
しかし、俺はこうしてエンジニアという新たなフィールドで生き抜いている。
これからも新たな言語や技術に挑み、デバッグという名の強敵と戦い続けるだろう。
なぜなら、俺はブロントさん。
エンジニアとしての自分に、まさかこんな形で「限界」を突きつけられる日が来るとは思わなかった。技術が進歩していくのは当然の流れだし、自分自身もエンジニアとして日々勉強を重ね、トレンドを追いかけながらキャリアを積み上げてきた。それでも「生成AI」という存在がここまで急激に注目を浴び、しかも自分の労働価値を根底から揺るがすほどのインパクトを持って現れるとは、正直なところ想定外だったとしか言いようがない。
自分がエンジニアとしてやってきたことは、プログラミング言語の仕様を理解し、アルゴリズムを考え、設計書を読み込み、エラーと向き合いながら少しずつ完成度を高めていく――そんな地道な作業の積み重ねだ。時には新しい言語やフレームワークを学んで試行錯誤を繰り返し、何とか動かすところまでもっていき、ようやく使えるプロダクトとして世に送り出す。このプロセスを通じて、エンジニアとしての「自分らしさ」や「スキルの高さ」をアピールし、労働市場での価値を維持してきた。そのためには新しいツールを使いこなす技術だけでなく、バグを追い詰める根気や、仕様を理解して予期せぬ事態に対処する能力も必要だった。
しかし、生成AI――特に大規模言語モデルをはじめとする機械学習ベースのシステムは、そうしたエンジニアの「頑張り方」を一気に変えてしまう可能性がある。いや、可能性というよりも既に変えつつあると言っていいだろう。たとえばコードの自動生成がここまで進化してきたことで、「ちょっとしたプログラムなら数行のプロンプトを入れるだけでボイラープレート的なコードは瞬時に作成できる」「ある程度のアルゴリズムも提案してくれる」という状況が生まれつつある。かつてはコピペやスタック・オーバーフローを駆使しながら苦戦していたような領域が、今や自然言語で指示を与えるだけである程度完成した形で出てくる。そんな光景を目の当たりにすると、複雑な気持ちにならざるを得ない。
まずは単純に「すごい」という感情が湧き上がる。「こんなことまでできるんだ」「AIの進化って本当にすさまじいな」という畏敬の念。しかし同時に、「自分が今まで必死で学んできた技術やノウハウはどうなるのだろう」という不安や焦りが胸を支配してくる。自分はエンジニアとして、アルゴリズムの知識やコードの品質向上のためのテクニックを磨いてきた。それなりに自信もあった。けれど生成AIは、そうしたノウハウを内包するかのように、エンジニアがコツコツ積み上げてきた経験を一気に飛び越える成果物を生み出してしまうことがある。もちろんまだAIには弱点もあるし、すべてが完璧に自動化されるわけではない。だけど、これだけ急激に進化を続ける技術を目の当たりにすると、5年後、10年後にはどうなっているのか、想像すらつかない。
「仕事が奪われる」という言葉は、AIの台頭とともによくささやかれるフレーズだ。これまでも機械化によって多くの工場労働者が職を失ったり、ホワイトカラーの事務作業がRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)によって自動化されたり、そういった話はあった。でも、自分に限って言えば「エンジニアは大丈夫だろう」と、どこかで高をくくっていた。プログラムを書く行為自体がクリエイティブであり、人間の頭を必要とする作業だと思っていたからだ。それが今、生成AIというものが「あらゆる文章を生み出せる」だけでなく「ある程度のプログラムも生成できる」存在として登場し始めたことで、エンジニアの仕事というものが「人間である必要があるのか?」と問われ始めているようにも感じられる。
もちろん今のところ、生成AIが吐き出すコードは完璧ではないし、大規模なシステムを最初から最後まで構築できるほどの統合能力はまだないとされる。しかし、それは今時点の話でしかない。明日にも新たなモデルやフレームワークが登場し、問題を解決する手段が生み出されれば、あっという間に追いつかれ、追い抜かれてしまう可能性だってある。「AIにはこんなことはできないだろう」と思っていたら、数か月後にはAIがあっさりそれをやってのける。そんな現象を、ここ数年だけでも何度も目にしてきた。だからこそ、「エンジニアとしての自分は今どの地点に立っているのか」「これから何を武器にして仕事を続けていけばいいのか」、その問いに対する答えが見つからないまま、ただただ焦りと不安が募る。
さらに厳しいのは、会社側も生成AIの有用性を認識し始めているということだ。開発現場で役立つことが証明されれば、「新しく人を雇うよりもAIのサブスクリプションを使ってコスト削減を目指そう」となるのは自然な流れだろう。一人のエンジニアを雇うためには給料や福利厚生も用意しなければならないが、AIの利用料は安価なもので済む可能性が高い。ソフトウェア更新や学習データのチューニングなどのコストはかかるにせよ、「人間をまるごと雇う」よりはリスクが少ないかもしれない。そうなると、企業は本当に優秀なトップエンジニアだけを厳選して雇い、その他の多くのポジションは「AIと最小限のオペレーター」で回すという極端な体制を敷くかもしれない。そのとき自分が「優秀なトップエンジニア」の枠に入れるのかというと、正直自信はない。
「だったらAIに負けない技術を身につければいい」と言われるかもしれない。だけど、そもそもAIと真っ向勝負しようとすることに意味があるのかどうか、疑問に感じてしまう。自分がもともとエンジニアを目指したのは、単純にプログラミングが好きだったからだ。パズルを解くようにロジックを組み立て、コンピュータが自分の指示通りに動く瞬間の喜びは格別だったし、それによって誰かの役に立てるということがモチベーションにもなっていた。けれど今、あまりにも急激に進化するAIに対して「対抗心を燃やす」という発想自体が、もはや時代遅れなのかもしれないと思い始めている。
さらに言えば、生成AIに対する嫌悪感よりも、「便利だから使ってみたい」という好奇心もある。実際に使ってみると、驚くほどのスピードでコードの雛形が出力されるし、対話的に「ここをもう少し効率良く書き直して」と指示を出すと、それも的確に応えてくれる。自分で試行錯誤する時間が大幅に削減されるから、プロダクトの品質やリリースのスピードを考えると、間違いなく使ったほうが得なのだ。矛盾しているようだが、「使わなければ置いていかれる」し、「使えば自分の労働の意味が薄れる」というジレンマを抱えながら、結局AIを利用せざるを得ない状況に追い込まれている。
では、エンジニアとしての自分の「価値」をどこに求めればいいのか。かつてはコードが書けること自体が大きな武器だったが、もはやそれはAIに取って代わられつつあると感じている。もちろんまだAIだけでは設計やデバッグ、ユーザー要件の細かい調整などは完全に任せられない場面も多い。しかし、それも時間の問題で「徐々に可能になるだろう」という予感がある。最終的には、エンジニアに求められるのは「想像力」や「コミュニケーション能力」、あるいは「プロジェクトマネジメント能力」など、いわゆるソフトスキル方面にシフトしていくのではないか――そんな仮説がよく語られるが、それらだってAIが補佐できるようになれば、結局は人間を凌駕してしまうかもしれない。
こうした不安や疑問を抱えながらも、結局のところ人間である自分が生き残るためには「自分にしかできない価値」を見つけるしかないのだろう。けれど、その「価値」が何なのかがわからない。目立った才能や芸術的センスがあるわけでもなく、人の上に立って組織を率いる能力があるわけでもない。ただ、エンジニアとしてプログラムを書くのが好きで、それを仕事にしてきた。それが今、AIの登場によって脅かされている。こんなにも大きな変革の波の中で、自分がどう行動すればいいのか、まったく見当がつかない。夜中にふと目が覚めて、「この先、本当にやっていけるのか」と胸がざわつくこともしばしばだ。
一方で、生成AIが社会的に広まっていく中で、個人的には「使い方次第では新しい価値を生み出せるかもしれない」という期待も抱いているのも事実だ。たとえば、生成AIを活用して自分自身のアイデアを迅速に形にできれば、スタートアップのように少人数でも新しいビジネスを興せるかもしれない。あるいは、AIが不得意な領域――例えば人の感情や文化的背景に深く根ざしたコミュニケーション――をエンジニアの視点からサポートし、新しいサービスを企画・設計できるかもしれない。そう考えると、絶望の中にも一筋の光は見えるし、自分の存在意義を発見できる可能性はゼロではないと思う。
しかし、それが実現できるかどうかはまさに「自分次第」であり、そのための行動指針や学習計画すら、AIに頼る時代が訪れているのが現実だ。今後は、単にプログラムを書く技能だけでなく、AIと共存しながら効率的にプロダクトを生み出すプロセスをデザインできる人材が求められるのかもしれない。ただ、そんな広範囲なスキルセットを短期間で身につけることは非常に難しく、結局「AIを使いこなす者」と「使いこなせない者」の間に大きな格差が広がっていくのだろう。もしかすると、自分はその波に乗り遅れてしまうのではないか――そんな予感が拭えない。
「エンジニアだけど生成AIが出てきたおかげでもう限界」と嘆く自分が、この先どんなキャリアを積み上げられるのか、正直なところ自信はない。最悪の場合、技術の進化についていけずに職を失うことだって十分ありうるだろう。けれど、何もせずに指をくわえて見ているだけでは、本当に何も生まれないし変わらない。自分自身を鼓舞するつもりで言うが、結局は行動するしかないのだと思う。幸いにして、生成AIを使うためのハードルはそこまで高くない。オープンソースのプラットフォームや無料で試せるモデルだってある。とりあえずは、それらに積極的に触れながら、「AIだからこそ作れるものは何か」を模索するしかないのだろう。
このままいけば、自分が持っているプログラミングの知識やスキルは、今後ますますAIにとって代わられるかもしれない。でも、だからと言ってエンジニアという職業が完全に消滅するわけではないはずだ。AIがさらに発達したとき、逆に言えば「人間にしか扱えない領域」というのが再定義される可能性もある。その領域を早めに見つけて、そこへシフトしていくのか、それともAIと競合するのではなく共存しながら自分の働き方をアップデートするのか――どちらにせよ、自分自身の手で道を切り拓く覚悟が必要だ。
正直、今は「もう限界だ」と思う瞬間が頻繁にやってくる。理不尽なほどに速い技術の変化についていくのは大変だし、自分よりも若くて吸収が早い人材がどんどん出てくる。そんな中で、生成AIのような強力なツールまで活用されたら「自分の居場所は本当に残っているのだろうか」と不安になるのも無理はない。それでも、変化を憂うだけでは一歩も前に進めない。結局、AIが台頭する前も、プログラミング言語が進歩して自動化が進むたびに「もうエンジニアは不要になる」と言われ続けてきた歴史がある。それでもエンジニアは生き残ってきたし、新しい技術を取り込みながら活躍の場を広げてきた。今回の変化は今までより大きいかもしれないが、それでもまだ自分にできることはあるはずだ。
大事なのは、この逆境の中で諦めずに「次の一手」を模索し続けることだと思う。生成AIによって生まれる新しいニーズや、まだ誰も開拓していない領域を探りながら、自分なりの強みを見出していく。あるいは、AIが苦手とする部分――倫理や法的な制約、複数ステークホルダーとの調整など――をうまくリードできる立場に立つ。そんな方向性を模索するうちに、意外な道が開ける可能性だってある。目先の「限界」という言葉に呑まれて立ち止まってしまうより、嘆きながらでも手を動かし、AIも使いこなしながら活路を探っていくしかない――それが今の正直な思いだ。
言うは易く行うは難し。だけど、少なくとも「もう限界だ」と嘆いているだけじゃ何も変わらない。こんな風にどこかに文章として吐き出すことで、自分の不安や焦りを整理しているのが実際のところだ。そして、もし同じような不安を抱えているエンジニアがいるなら、互いに情報を交換し、励まし合いながら新しい時代に挑戦していきたい。生成AIがもたらす未来は決してバラ色ばかりではないかもしれないが、そこには想像もつかない面白さや可能性も潜んでいるはずだ。自分の「限界」を超えるチャンスでもあると信じて、今は前を向いて進むしかないのだろう。
今週末発表なので重い腰を上げて昨日開発環境にあるサンプルをちょっといじってみたよ(いじったのはsample/game/sonic)
・スプライト→直感でだいたい意味はわかったものの調子に乗ってスプライト使いまくると登録されないときがあるけど今は気にしないことにする(バッファが足りてない?)
・BG→直感でだいたいわかったけどMAPの実装がはてな?なのでパターンの差し替えはマニュアル読まないとかもしれん
・パッドの入力→イベントドリブンになってて草生えたw(これもとに戻さないといけないのかと思うと憂鬱なので放置中)
・PRINTデバッグ→sprintf()がどちゃくそ遅い(バンク切り替えになっちゃってる?)&VDP_drawText()がどちゃくそ遅い(パターン転送になっちゃってる?)
とりあえずボタンをおしたらキャラが一定時間ランダムな場所でアニメーションするコードまでは秒で作れたけど間に合うかなあ…
進捗があったらまた報告しますね
ゲームで感動したっていう感想をよく聞くけど、ゲームの感動部分て、映画や小説的部分であって、ゲームでないとありえない感動って無くない?
また、ゲームという仕様上、感動の物語はゲームとしての仕掛けや手間をクリアしないといけないわけで、無駄なストレスや作業を乗り越えないといけない
これが本であれば本をめくって読むだけでいいし、映像であれば再生してれば感動の場面にたどり着く
ただゲームだけは製作者が作った仕掛けを乗り越える必要が出てきて、そのストレスに耐え切れずに途中でゲームを辞めるという選択肢が出てくる
本のように自分のペースで読めるわけでもないし、前に戻って読み直すことも出来ない
重要な場面だけ抜き出して他人と共有することも難しいので感動を伝えるのも難しい
もう1度感動の場面を見ようと思えば、本ならばそのページまで読み飛ばせばいいし映像ならそこまでスキップすればいいけどゲームではそう簡単にはいかない
ソシャゲがストレスフリーな方向に進化していくように、ゲームもストレスフリーな方向に進化していくなら、デバッグモードのようないつでもどのデータにでもアクセスし
フラグを自由に変えられるモードの実装が主流になるべきじゃない?
上記タイトルの件について別所でもいろいろ言ったけどまだモヤモヤするので吐き出させてほしいにゃん。
猫のフリをすれば吐いても怒られないかなと思ったけど猫が吐いたからと言って猫を叩く人間もいるのでホントゆるせねえよなあ!!おめーもそう思うだろ!!!!たたかないでね!!!!!
まず必要な前提情報について。先日発売したドラクエ3リメイクに存在する「かんたんモード」がどんなに殴られてもHPが残り1から微動だにせず絶対に0にならないというどこぞの不死騎団軍団長みてーな仕様になっているという情報が事の発端であります。
もともとヌルゲーであり全滅など滅多にしないし、ボスが弱くなるわけではないのでそんなに変わんないですよー、という意見もあるが私はそうは思わない。
まず絶対に死なないので防具というものの存在価値が虚無と化し、死なない以上DPSが無価値になるので武器の存在価値が消失し、それらを揃えるためのゴールドや宝箱の存在が無価値になり、呪文仲間職業などなどドラクエを構成する無数の要素が形骸化する。
一見して無限コンティニューや一時期話題になった「クリアしたことにする」と似たようなものに見える「絶対に死なないという仕様」は想像以上に多くの要素を棄損するのである。
そういう話をしたい。
さて、○○はゲームじゃねえ!という話をするためには本来ゲームの定義をしないといけないのだが、これに関しては完全に未解決議論であってこの場で決着させるには余白も能力も足りない。
かといってウィトゲンシュタインによる定義で話を進めまーすなどと言い出しても自分の結論に誘導するための手前味噌にしかならないのでそういうのは良くない。
もうどうしようもないので定義せずにフィーリングで話を進めます。ごめんね!!!
定義しないとは言いつつ最低限の認識は共有していなければ話にならないのでゲームというものについてのそもそもの話をするのだが、まず、ゲームというものはプレイヤーの入力に対して何らかの対応する出力が返ってくるものであるわけだが、これだけではゲームとして成り立っていないというのは御理解いただけるだろう。
でなければスマホのフリック入力もPCデスクトップのエロサイトへのショートカットをクリックするのも全部ゲームということになってしまう。ホワイトカラーの皆さんも勤務時間中パソコンに触れている間はずっとゲームしていることになってしまう。そんなことで減給だの処分だの食らっていてはとてもではないが堪らない。
つまりまだ何かゲームというものに必要な条件があると思う。それはなにか。
ここで出来るだけゲームというものの源流に近くシンプルな例として将棋やチェスでも話に出すと、その必要条件というのは「ルール」と「見立て」なのではないかと思う。
単なる字の書かれた木片や石片を交差する線上で動かす行為がゲームとして成立させているのは、それらの木片石片にポーンや歩兵という名前を与える「見立て」と、駒を交互に動かす、駒ごとに動ける範囲が決まっている、上に乗ったら排除できる、といった「ルール」の存在である。
このふたつにより盤上に散らばった木片や石片は、実際の戦争の再現としての意味合いを付与され、ゲームと呼ばれ得るのではないだろうか。
さてドラクエに話を戻すが、あれもまた当然メモリ上でやりとりされるステータスという名の数値や、画面上に表示されるドットには本来何の意味もない。勇者や魔物というストーリーの見立てを被せているだけで、実際にはちからやみのまもりといったステータスはただの数字である。
そんなことないよ!という方は先にクッキーババアと一緒に天文学的数量のクッキーを焼いてきて欲しい。
あくまでもコンピュータ上でやりとりされる無機質な情報に、ルールと見立てによって意味合いが付与されることでテレビゲームはゲームとして成立しているのである。
その前提を踏まえた上で、「HPが0にならない」という仕様の意味するところについて考えて欲しい。
一見大した違いなどないように見える 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」と「HPが0にならない」の間には質的な、根本的な差異による断絶が存在するのである。
「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」という出血大サービスの難易度緩和、将棋で言えば歩と飛車角金銀桂馬香車が使えない19枚落ちのようなヤケクソ難易度であろうが、一応はゲームそのものが崩壊することはない。
しかし王を取られても詰みにならない、全部の駒を失おうがゲームが続く、というのは根本的にゲームのルールそのものの破壊にあたるのであり、ルールの破壊はゲームそのものを成立させている意味合いの付与の破壊、ゲームの破壊に当たる行為なのである。
考えてみて欲しい。スターを取得して無敵と化したマリオとて画面端に落ちれば死ぬのである。
敵を一方的にブチ○せるというのはゲームの一要素として成立するが、死なない、負けないというのはゲームを破壊する行為に当たる。
マリオが無限残機で即座にいくらでもやり直せることと、敵にも床判定のない画面端に触れても決してゲームオーバーにならないことの間には決定的な違いがある。
無限に復活するマリオはいくら難易度を緩和しようがゲームとして成り立ち続けることができるが、落ちないマリオはゲームとして成立しない。
如何なヌルゲーでゲームオーバーやデスペナが微粒子レベルでしか存在しなかろうが、0でさえなければゲームは成立する。0であればゲームは成立しない。
ドラクエ3リメイクのかんたんモードは、この1と0の間の絶対に越えてはいけないラインを越えているのである。
一応言っておくと勝ち負けの存在しないゲームというものも今の時代は存在するし、議論はあれど一切分岐のないノベルゲームなんかも現状ゲームに分類されているのは承知の上です。
マイクラのクリエイティブモードがデバッグモードの類ではなくゲームモードのひとつであることに文句はないし、それこそ上で話に出したクッキーババアのようにゲームをゲームとして成り立たせている要素をゲシュタルト崩壊させて楽しむアウトサイダーなゲームもゲームのひとつだと思う。
ゲームシナリオはシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず、ゲーム部分の没入ありきでゲームに依存した存在なのでゲームシナリオが楽しめればそれでいいとも思いません。