はてなキーワード: ビルドとは
スキルポイント制は他のシリーズでも言えるがあまり好ましくないと思っている(ただし今作のそれはシステムの形骸的な側面を克服しようとしていて一定成功しているがそれでも振り直しがストレス。正直無料でもうざい。何ならクリア後までは振り直せない前提でバランス調整してくれた方が良かった。振り直しがある事で他のゲームとは違うビルド構築の楽しさがあるのは認めるが、やや面倒が勝った)
シナリオとキャラクターはシリーズらしさと世間の需要を上手い事擦り合わせられていたと思う。
マップのベースがオンゲである10の流用なので無意味にだだっ広い。10よりは狭く移動速度が速いのでマシではある。(序盤の移動や探索を敢えて過酷にしてからの中盤以降徐々に緩和していく事で)
移動に意味を持たせなかったのは英断。ライトユーザー向けの調整が困難を極めるだろうので
(後にゼノブレイドがこのゲームの戦闘UIの完成形を見せてくれた)
道筋通りに動くライトプレイヤーと道筋通りに動かない古参プレイヤーの導線を交錯させるために後者が二度手間させられてやや割を食う形になっていたが、これはまあ仕方なし
クエストもまんま10のそれなのでおつかい感がすごい。先回りして何かを見つけていても大抵その時点では回収できずに二度手間食わされた。方針は理解するが先回りに対してもう少し恩恵が欲しかった。あまりに報われない
ゾーンシステムはれんけい技の枷として上手く機能していたと思うが自発的に狙っていくインセンティブは薄いように感じた
錬金はポケモンのダメージ感覚を試されているみたいでまあまあ面白かったが一度作ったグレードのアイテムはワンボタンで量産できるようにして欲しかった。
主人公が無個性過ぎてストーリーへの没入感に影響を及ぼすレベルだった。これはグラフィックが進化した事との兼ね合いも大きい。
正直貶したい気持ちはあんまりないが体験の定量化のために一部の利便性が犠牲になっている事は無視できなかった
同じマップとキャラとシステムとストーリーで30時間のゲームを3回遊ばせるデザインは唯一無二なんじゃないかと思う
ちいさなメダルなんかよりモンスター図鑑の穴埋めに報酬を用意して欲しかった
自由度はあるが楽しもうと思ったら結局全ての通路を行く羽目になるのが良くない。マップ探索がただ穴埋めさせられてるような気分になる
SDKとかGradleのバージョンの調整とかいろいろ試してたけど
flutter upgradeしたあとにプロジェクト作り直したら普通にビルド通った。
やっとスタートライン立てた
TL;DR : 自分にとってエヴァの呪縛は終わったようで終わってない。どちらかというと庵野の呪縛。それはそれとして久々に見たいアニメができたので、見る
幼少期はエレメントハンターと00の1期を見ていた(00はロックオンのハロが必死になってるシーンのせいでそのシーンしか覚えてない)。
小4にもなろうという頃にはインターネットに足を突っ込んで、TVは見なくなってしまった。
庵野に脳を焼かれたのはその頃だったと思う。アニメを見なくなったとはいえ、まだまだガキだった増田は金曜ロードショーは欠かさず見ていた。
Q. 当時の金ローといえば?
結局Qは2回見に行ったと思う(1回か2回かわからなくなるぐらいには衝撃だった)。
増田は運の悪いことにシンジと一つ違いだった。そして同じ部活の後輩(シンジと同い年)に同じく脳を焼かれた奴がいた。
そして運の悪いことに学校の帰り道も徒歩で30分ぐらい同じだった。
毎日毎日インターネットから拾ってきた考察を二人でこねくり回して(リナレイの話ばっかりしていた)
が、結局卒業して、高校に進んでからはあんまりエヴァの話はしなくなった。
しなくなっただけだったのかもしれない。
シン・ゴジラは見に行かなかった。ゴジラに興味が無かったから。
進学してしばらくたって、2021年に遂にシンエヴァが公開になった。
最初は「週末にでも(9年ぶりに)映画館に出向こうか」と思っていたが(その時点でアレだったかもしれないが)、いつの間にか飯を食った後親に直談判していて、
20時過ぎ(そもそもこんな時間に出かけるのが人生初)、映画館でチケットを握っている自分がいた。
(余談:これの前に映画を見に来たときはまだお姉さんが窓口でチケットを売っていたのもあって、大層恥ずかしい思いをした。詳しくは書かない)
エヴァの呪縛だと思った。5年も絶っていたエヴァは1度摂るだけでフラッシュバックした。
良い映画だった。増田がVoyagerが流れだしてからエヴァが終わってしまうことに泣いていた。(人生の9/20がエヴァに焼かれてきたのだ)。
良い終わり方だと思った。エヴァの呪縛からは解かれたと思っていた。
シン・ウルトラマンは見に行かなかった。ウルトラマンに興味が無かったから。
シン・仮面ライダーは見に行かなかった。初期仮面ライダーに興味が無かったから。
して、今である。
水星の魔女は興味がわかなかったし、見なかった。だが、GQuuuuuuXは庵野脚本と聞いて絶対に見たいと思った。
たぶん幼少期に00を見ていたり、大阪に行くたびに深夜枠のガンダムをホテルで見ていたりして、興味がないわけではなかったから。
今はMFゴースト(これは怖いもの見たさで視聴を決意したタイプ。けもフレ2もニコ生で毎週見ていた)を録り終わって解体した録画鯖を復活させている。
キャプチャカードを掘り出し、recfsusb2nをビルドしなおし、B-CASの端子に消しゴムを掛けた。
かといってアレをエヴァなんかに重ねてみているわけではない。エヴァと重ねて見てるやつは薄いやつだとさえ思っている。
でも見たいと思った。面白い話が見れるはずだと確信している自分がいる。
増田を麻薬のようにアニメに引きつけて、少しのトッピングだけでもフラッシュバックさせる。
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増田は
行き場のない思いを文にして
増田に投げることにした。
最近のゲーマーは「ゲームを遊ぶよりプレイ動画を見ている時間の方が長い」との調査報告。“ゲームを動画で楽しむ習慣”定着か
https://automaton-media.com/articles/newsjp/game-playing-watching-20241203-320326/
これは個人的にはよくわかる。「プレイ動画」と言うとやや異なるが。
自分がやっている原神/スタレ/ゼンゼロでは、キャラのスキル説明文を読むだけではどういう性能なのかがよく分からず、実際に触ってみてもなんとなくしか分からない。
どういう意図でどういう組み合わせで使われることを想定して作られたキャラなのかを把握するには、全キャラクターの仕様に精通した人が批評してくれないと深く理解するところまで行けない。
だから色々な人が解説動画をあげて、このキャラをどうビルドすべきか、どういう編成で光る可能性があるのか、立ち回りのコツや動作仕様のtips、さらには内部的な数値や計算式を考慮にいれるとこう差別化されているだとか、今後こういうキャラが来たら化ける、という未来予測に至るまで、考えるべきことが多岐にわたっている。
それが悪いとか不満という話ではなく、複雑に作り込まれているからこうなっていて奥深さの核でもあるということは実感しているのでいいのだが、それはそれとして。
キャラ取得を悩む人で慎重にスルーするか否かを判断したい人は、これらの情報に向き合うことになる。
月に数千円くらいまでの課金の人は全キャラ取得・育成は難しいはずなので、一般的プレイヤーのほとんどはこのような情報収集に割く時間が必要になるはずだ。
公式側でも非常に念入りな実戦紹介動画や推奨育成方針の提示はあるものの、「ぶっちゃけどうなの」に踏み込めるのはユーザーによる解説に分がある。
もちろん性能を気にせず好みだけで引くという考え方もあるが、好みで引いたキャラの性能を万全に発揮できるような手持ちがないとビミョーだ。
好みのキャラだけ引いたり凸したりしても、適した手持ちを揃えている場合と比べて活躍させるための費用対効果が悪すぎるので、ある程度戦略的に取得計画を練っていくのもゲームのうちだと思う。
それを運営側もよく分かっているので、次verや次々verに登場するキャラ情報をある程度早めに段階的に公開してくれる。
また、インフルエンサーはテストサーバーに招かれて、先行プレイによって検証行為をしやすいように環境を整えてくれているので、それなりの余裕をもって解説動画をつくれるようになったようだ。
こういった攻略系動画はもはやゲームと不可分のもので、コミュニティにしっかり組み込まれていると感じる。
また、シナリオも何度も見返したいくらい魅力あふれる作りになっているので、自分で1回プレイしたあとで、実況者がプレイしているものを何名分か見たくなる。
そうすると特に詳しい人によるコメントの助けで見落としがちなネタなどを拾い上げてくれていたりして、見るたびに気づきも得やすい。
もちろんそういった側面を抜きにしても、劇場でいうところの応援上映を見ているかのような楽しみ方もできる。
なので、自分でゲームを触っている時間よりも動画サイト上で過ごす時間の方が何かと長くなりがちなのだ。
これは決して、ゲームをやらずに動画で満足しているというわけではない。automatonのデータでも実プレイが7.4hに大して動画試聴が8.5hという割合だそうだ。
記事はどちらかというとF2Pの対戦FPSのような実況動画の花形、対戦ゲームのジャンルを想定しているようだが、RPG系でもその傾向は大いにあるだろう。
というか、ある程度の開発規模で定期的にアップデートの入るF2Pゲームすべてが、動画ネタが供給されるという面で動画寄りになる可能性がある。
ガンダム関連の新作・新企画が発表されるたびに、古参系のガンオタから「こんなのガンダムじゃない!」的な鳴き声が上がるのが恒例行事となっているが、増田の感覚では2000年以後の新作に「ガンダムではない」と感じたことは一度もない。
実際、TVシリーズ最新作である水星の魔女は、女性主人公、学園ものなど、新機軸を多数取り入れた野心的な内容ではあったが、それでも「ガンダムじゃない」とまでは言えなかった。最終的にはお約束の宇宙要塞なんかも出てきて、全体としてはふつうにガンダムの範囲内という印象だ。
79年の初代から既に45周年までにもなるガンダムシリーズ。その中では本編シリーズだけでも様々な挑戦がなされてきた。
デザイン面ではターンエー。
と、それぞれ「 アニメ ガンダムじゃない」の極北と言えるガンダムが既に存在しており、この壁を打ち破ることは容易ではないだろう。
過去シリーズの膨大な蓄積がある現在のこの状況から「ガンダム」の外側に出るにはどうしたらよいのか。過去のガンダムの共通点の否定(逆張り)、という観点から考えてみたい。
(この増田での「ガンダム」は、外伝・SD・ビルド系を含まない、アニメ作品本編を指すものとする)
これまでのガンダムは全て、宇宙移民が可能な技術レベルを前提とした世界を舞台にしている。スペースコロニーはガンダムの代名詞と言ってもいいだろう。
これを削除することはできるだろうか。恐らく可能だろう。
ニュータイプの設定(宇宙に出て進化した人類)など、宇宙はガンダムの重要な要素ではあるが、それ無しでは絶対に成立しないというほどでもない。宇宙時代以前の近未来を舞台にして(純地球産の)巨大ロボットが登場するアニメは、パトレイバーやフルメタルパニックなどの実例も複数ある。
これから宇宙抜きのガンダムが出てくる可能性は十分にあるだろう。そのぶん「ガンダムじゃない」度は比較的低いともいえるが。
ガンダムはロボットものアニメの一シリーズであり、多くの作品では主人公機(ガンダム)はモビルスーツと呼ばれる巨大人型兵器の一つという扱いになっている。
このアイデンティティと言っていい部分を変えるのは一見無理があるように思えるが、少し考えてみればそうでもないかもしれない。
もともとガンダムのモビルスーツは宇宙の戦士に着想を得たもので、パワードスーツタイプの兵器になっていたかもしれない、というのはオタクの間ではそれなりに知られた話だ。
(3ページ目)「着込むスーツ」から「18メートルのロボ」へ 企画初期から支えたアニメーターが語る「ガンダムのはじまり」 | 文春オンライン
ただ、当初は完全に人間が着込むやつで、身長も2メートルちょっとだった。あの頃のアニメのロボットは、身長も100メートルとかになっているのもいて、そんなものはレイアウトができない。民家を入れて描けなんて言われても小さすぎちゃう。
そんな中で、2メートルという案が出るんだけど、それもかなり極端だから、最終的には18メートルになった。あれは、5~6メートルに収まっていればもっとリアリティがあったのかもしれないよね。
また、コードギアスのコミカライズの一つでは、原作の巨大ロボット兵器に相当する存在として、等身大のパワードスーツが登場している。この二者は意外と簡単に変換可能なのかもしれない。
なんなら、「巨大」の部分は残して主人公がガンダムに変身する、という形にしてもいいだろう(ULTRAMANの逆バージョン?)
これまでの全てのガンダムは「戦争」を描いている(「スポーツマンシップにあふれた戦争」のGガンも含めて)。主人公が戦争に直接参加することはなくても、物語の背景には必ず戦争があった。
恐らくここを変更することが、ファンにとっては最も抵抗感を覚えるのではないだろうか。
ファーストガンダムが当時高い評価を受けた大きな理由の一つは、アニメで人間同士の戦争を描いたことだ。最近では、戦争自体は主題ではないという論調が主流になってきたものの、ファースト以降ガンダムからの脱却を常に模索してきた富野由悠季ですら、戦闘による人死にのない作品をガンダム以外でも作ることができていない。作り手・受け手双方にとって、戦争の呪縛はそれほどに強い。
その問いの答えが、そして答えが出る時が来るのかどうかが気になってしょうがない。
上で、これまでのガンダムでは「様々な挑戦がなされてきた」と書いた。それは紛れもない事実ではあるが、たとえば初代の仮面ライダーと平成・令和のライダーの別物感に比べれば、ガンダム45年の変化は全然ヌルいともいえる。
ガンダムには、ぶっ壊せるところがまだあるのだ。
作品の制作にかかわる人々には、心の底から「こんなのガンダムじゃない!」と言えるようなガンダムをこそ期待したい。無茶なお願いは承知の上で。
○ご飯
朝:トースト、ゆでたまご。昼:サラダ。夜:しめじ、人参、玉ねぎ、魚肉ソーセージのコンソメスープ。炒りたまご。納豆。冷奴。キュウリ。バナナ。ヨーグルト。間食:チョコ。お芋のタルト。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、なんかノリでイキってしまい来年分の余計な仕事を受けてしまった。
言ってから死ぬほど後悔してるけど、口に出してしまった自分が全部悪いのでやるしかない…… めんどいなあ。
シエテHL周回。
○ポケットモンスター銀(メスのみポケモン旅)
マツバを倒すところまで。
(と思ったけど、とくしゅの種族値40だから、とくしゅタイプの技は言うほどだな。物理だと、地震とシャドボぐらいだから、あんまりないかも)
これまでいろいろな開発環境を使ってきたけど、Android Studioは本当にダメだ。
別途Javaの環境も構築しなきゃいけないし、おまけにJavaのバージョンによってはAndroid Studioとの相性が悪くてエラーが出ることも多い。
最初から最低限必要なものは揃えてくれればいいのに、後からどんどん障害物が出てくるから本当にイライラする。
アプリをリリースするためには署名が必要なんだけど、これがまた本当に面倒。
Android Studioには「キーを生成する」機能があるけど、これが直感的じゃない。
手順を調べるのに何時間も費やしたことか。コマンドラインからキーを生成するのか、GUIでやるのか、どっちにしても「なぜこんなに複雑にするのか」と思う。誰が得するんだ、この面倒くささは。
が、これまた問題が出てくる。ビルド時にエラーが出ることが多い。
何が悪いのか全然分からないし、エラーメッセージもわけがわからない。
ググって出てくる情報も正解とは限らない。結局時間だけが無駄に過ぎていく。無限ループに入った気分。
こうやってひたすら環境構築と闘ってきたわけだが、実際にアプリ開発に入ると今度はAPIの変更やライブラリの依存関係でまた地獄が待っている。
新しいバージョンが出るたびに、対応しなきゃいけないことが山積みで、これをやっていると「何のためにこんな苦労をしているのか・・・」と思わずにはいられない。
結局Android Studioを使っていると常に試行錯誤の連続で、楽しいというよりはストレスがたまるだけ。
正直、他の言語やフレームワークに目を向けようかとも思ったこともある。
React NativeやFlutterなんかは環境構築がスムーズで、すぐに開発に入れる印象がある。
なのにAndroid Studioに戻ってくるのは、Androidの市場の広さが魅力的だからだろうか。
でも何度もこの環境で悩まされると、本当に心が折れそうになる。