はてなキーワード: 看護師とは
母親や叔母や従兄弟が看護師なんだが、母世代の頃から結婚せずに洋楽やインディーズのバンドやアーティストの追っかけ、ホスクラ通いはザラ
年収0〜300万程度の男性と結婚してる人もそれなりにいるよ。とにかく激務なのと性格キツくなるせいで癒やしてくれる存在を求めてるから優しくしてくれるなら年収とかどうでもよくなるよ。
ご指摘の通り仕事が忙しすぎて婚活後回しにした結果30代になって相手の年収は妥協するしかないねってパターンもあるよ。
医者と結婚するのはごく一部の可愛くて性格いい看護師だけだよ。医者はいくらでも選べるし仕事一緒にしてたら性格も分かっちゃうからね。それに気付かずいつか結婚できると信じてセフレになってしまって婚期を逃す看護師がまあまあいるよ。悲しい存在だよ。
アリシアクリニックが倒産したらしい。最近どんな状況なのか追ってはいなかったが、まあせやろなという感じである。
自分は数年前に某大手医療脱毛クリニックの経営元に勤めていた。
医療脱毛ってのは客が行く店舗があって、それの母体である医療法人ってのがあって、さらにその医療法人と手を組んで広告打ったりコンサルしたりしてる会社があるわけだ。
でもって客から一括なりローンなりで巻き上げた金がどこに行くかっていうとほぼほぼ広告費ね。あと人件費。先にこれらに金を使って、新店舗どんどん作って、客を集めて金を稼いでまた広告出して、の繰り返しの自転車操業。自分が勤めてたとこだけじゃなくアリシアや他のクリニックもそうだと思う。
破産が近づくと、店舗ではどうだか知らないが本社では何となく空気感が変わり始める。
まず人事異動がえげつない。上もコロコロ変わるし、一部署丸っと消滅したりする。そんなんだから業務フローの概念が破壊されて、日常の本当に些細な業務とかがかなり回りづらくなる。
経営方針も変わる。質を謳っていたのにバカみたいな低価格のプランを出し始めたり、まだパイが残ってそうなところ(男性とか高校生とか)向けプランに力を入れ始める。こうなったらもうどうしようもないです。ある日突然クリニックの担当医が消えて看護師も何も知らないまま出勤したら閉院になってたとか、ローン組んでるのは別の会社だからクリニックが潰れてもローンは払い続けてねとか。悲惨ですね。
じゃあどういうクリニックを選べばいいのか?簡潔にまとめるとこうだ。
①都度払いができる
②公式HPに「◯◯店オープン!のニュースが並びまくってない」
①は簡単、何かあった時のリスクヘッジ。できるところはかなり少ないし割高にもなるけど、数十万の虚無借金を抱えるよりはよほどマシだろう。
②は開店!閉店!を繰り返してるクリニックは確実に資金繰りがヤバいので。
③は、たとえば◯◯株式会社が医療法人▲▲と医療法人△△を抱えていて、それぞれ▲▲クリニックと△△クリニックをやっている、みたいな場合がある。片方の様子がおかしかったらもう片方も共倒れするのでやめた方がいい。
結局のところ誰が悪いのかといえば、一概にはいえないけど経営者だとか出資者だとかその辺である。店舗の看護師は悪くない。医療法人のトップも悪いが、美容系のクリニックをやる医師に倫理観なんぞ存在しないので責めたところでダメージゼロだと思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/758fd425d0fe921ec8e7f0ea7fe18c73d1f0853a
この記事を読んで思うことは起こるべくして起こったなということ。
毎年毎年9割越えの合格率で多数の看護師を生み出してはいるがそれ以上に退職がでている状況。
つい数年前まではどうぞ辞めたければ辞めていいよ。という感じだったのに今では辞めないで!!!と強く引き留めている。もうその引き留め方には強引なものもあり半ば脅しのようなものまである。
なぜこんな状況になってしまったのか?
まずはやはり診療報酬改定があるだろう。いくら診察しても無駄。儲かるのは個人病院だけ。だから賃上げなんて無理。まじで無理。
一般企業とちがい経営者は実質院長となる。院長は医師としても外来に入っていることもあり経営にさく時間なんて無に等しい。だから無用なコンサルなんか入れがち。無用なコンサルは人件費削減しか叫ばないので皺寄せがくるのはその下の人数の多い医療職ということになる。
世間の人々はコロナで頑張ってくれた医療者に感謝!といっていたが病院は本当に本当にありがとうコロナ!の祝杯だった。
本来つぶれていたはずの田舎の総合病院は大きく黒字となりうはうはだった。これは世間一般が想像する以上のインパクトだった。
本来の企業であれば内部留保に回したいところであったが医療業界は違った。
いりもしない医療機器を買いまくったり外観に投資したりと使いまくった。まぁここは後々くる返還要求などを恐れていたのかもしれないが。。。
コロナ禍もすぎてしまえば潰れるべき病院は潰れるしかなくなった。ここにきて初めてあぁ。もう潰れるかも。と自覚した経営者=院長は痛感した。
焦りに焦って無理やりにでも病床を埋めようとあの手この手で入院させようとするがそんなことは焼け石に水だ。そしたらどうするか?
1番多い看護師の人数を減らせばいいんじゃね?とにかく配置基準を下回らないギリギリの人数で回せばよくね?人減らせなかったら大赤字だからボーナス減らせば良くね?ってなる
そしたら何が起こる?
看護師は一生勉強する職業だがここには現場で教わることが大半を占めている。意外にも自分で本を買って勉強してます!って人は少数派であったりする。
今まで継承されていたことが大量離職によってぶつっとキレてしまった。これはコロナ禍以降顕著に現れた。
大量離職というのは毎年毎年起こってはいたがその比にならないくらいの離職がここ2〜3年で起こっている。
離職したら新しい人を入れたらいいと経営陣は思っていたがそれもうまく集まらない。とにかく人がこない。
総合病院で資金もそれなりあり病床ももっている病院は福利厚生を整えバケツに空いた穴の補修に資金を注ぎ込んだ。なんとか穴を突貫工事ではあるが塞げたが地方の病院はそれができず人材流出に歯止めがかからず病床の休床(ベッドの数を一時的に減らして入院させなくする)や病棟の閉鎖を迫られた。
赤字は埋まらず人も出ていき経験のない看護師しか残っておらず医療事故のリスクが格段に跳ね上がってきている。
ヤフーニュースの記事の病院がどんな状況かはわからない。しかし、全国の病院は上であげた問題を孕んでおり安全な医療から乖離してきているということを世間にはわかっていてほしい。
ボーナスが出ないという記事も最近目にしたし減額されているのはもうそこかしこで起こっている。賃上げムードなのに賃下げされるところもでてきていると聞く。
私はいち医療者として賞与が減るのは医療業界に限ったことではないししょうがないと思うし政府に赤字を補填してもらうべきとも思っていない。
2019年に厚生労働省が統合リストをお漏らしし病院は大反対したがもう早く統合していく他ないと思う。悪あがきして医療事故を起こす環境にし人の命を奪ってしまうより健全な病院運営のためはやく身を切る覚悟がいるのではないだろうか。
医者とは電話を通じて受診。細かいやりとりは看護師や薬剤師と。
高熱のときこそ医者に丁寧に診てもらいたいけど、コロナ以降診察が簡素になった。こちらは専門家でないから、医者に自分の症状を的確に電話で伝えるの難しい。体調不良時ならなおさら。医者と患者が対面だから話せることってあると思うけれど、発熱時は病院の中に入るなという決まりは今後も続いていくのかな。
例えば、自閉症のほかに重度の知的障害を伴う場合、強度行動障害があったりしたら、
施設には入れない、入れても不幸なことに繋がるかもしれないので、小さな頃から訓練するのが良識ある親なので
共感を持って、詳細に具体的に理解し、心を育てる
1.強度行動障害の理解
筆者は自閉症児の親であり小児科医でもある。息子の育児と教育は困難を極めたが、二次的、三次的な障害をできるだけつけないで育てることができた。自閉症児のパニック、問題行動、こだわり、コミュニケーション障害、学習の困難さなどは、認知機能の障害(悟りにくさ・理解しにくさ・判断力のなさ・要領の飲み込みの悪さ)による生半可な理解によって生じていると確信している。不適切なまちがった育児と教育の結果、諸問題は大人になるにつれて深刻化し、強度行動障害へと発展し、家庭生活や地域社会での生活を極めて困難にし、両親も本人も不幸になっていく予後。家族や支援者たちを悩ましている生活態度と問題行動には、強い欲求、拘束への抵抗、自由への要求、反抗、拒否、恐怖、混乱、怒り、失望、悔しさ、嫉妬、強い興味、愛されたい思い、望郷、プライド、淋しさなど、様々な感情・思い・心からの叫びが読み取れる。
2.トモニ療育センターの自閉症児の育児と教育、および強度行動障害への取り組み
適切な家庭療育が自閉症児を救う。母親が「知識ある愛をもって行き届いて」自閉症児を理解して適切に導いていく時、強度行動障害予備軍も好ましく育っている。
適切に向き合うためには、実態を把握のための個別セッション(検査と課題学習)は欠かせない。詳細な問診票によって過去と現在を知った上で、筆者自身が自閉症児を詳細に深く観察することからトモニの療育が始まる。トモニでは月3回の自閉症関係の勉強会と、ファクシミリやメールによる家庭生活記録やレポートから療育の状況を読みとり、問題行動やパニックなどにもきめ細かな指導をしている。個別課題学習を中心において、具体的に7つの項目に取り組んでいる。「失敗は成功の元」と励まし、指示に従ってやり遂げる力をつけ、self-esteem(自尊感情)を高め、幸せに生き抜く心を育てている。
具体的目標(できるだけの自立をめざして)
基礎学習と家庭科技術と職業技術の3種を同時進行で獲得させていく
コミュニケーション力をつける
読み書き計算の基礎学習と同時進行で家庭科技術(料理)を課題とし、同時に職業技術(ビーズ暖簾作り、ボールペンの組み立て、箱づくり、折り紙など)に取り組めば、幼児から青年まで長期にわたって一貫した指導が継続できる。
3.トモニの指導に沿った強度行動障害への対応事例
(1) 社会福祉法人みくに園での取り組み
家族や施設職員を対象に自閉症セミナーを毎月1回日曜日に定期的に1年間開催した。その後、毎月1回出かけ自閉症と行動障害を示す利用者ほぼ全員(26名)に個別セッション(テストと課題学習)を実施し、同時に参加者(支援員・看護師)に詳細に解説した。「本当はこんな人だったのか!」と感動的な理解の深まりがたびたびあり、利用者への見方が一変した。それまでの不適切な支援を反省した支援員の向き合い方には適切さが増した。一方で療育室を設け、定期的に療育専門のA支援員が課題学習やクロスステッチ刺繍やビーズ暖簾の大作に取り組んだ。言葉のない自閉症者の拠り所となり代弁者となって、self-esteemを高め、心の痛みを感じながら、対等に話し相手となり、孤独感を解消し、生活を満たしている。その中で、強度行動障害は短期日に見事に改善され、素直で純粋な活き活きとした幸せと信頼の表情を見せてくれ、愛しい存在となってきている。諦めていた家族もその変化を喜び、協力的になってきてはいるが、帰宅するたびに状態像は悪化している場合が多い。
4.まとめ
大人になっている自閉症や強度行動障害の人たちの行動改善は可能である。
そのためには施設職員全体のレベルアップ、すなわち、自閉症や問題行動への理解と信頼関係の深まりが必要である。支援員と利用者の間に信頼関係が育ち、人間らしい生活が少しずつできるようになってきても、施設職員の警戒心や恐怖心は消え去ってはいない。行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服薬させられ、その上に自分の意思で開けることのできない居室に隔離されている。行動障害が軽減されたとしても、皆無になったとは言えない。支援員不足によって、やむを得ず夜間には鍵を掛けられているが、果たして支援者を信頼することができるのだろうか。障害福祉施設での身体拘束状態は、夜間の支援員の増員によって、解決できる問題である。
支援員の質の向上の機会と待遇改善と支援員の増員を心から切望する。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/jiritsu-report-DB/db/20/134/report/report08.html
anond:20241208104126 anond:20241208170711 anond:20241208171227
まず店員っていうのか知らんけども、普通の薬局ね。ドラストじゃなくて薬局。
で、そのへんの人って男性でも女性でも、基本的にやさしい雰囲気じゃん。イメージもあんのかな。看護師然り、いろんな人がいるのは分かるんだけどさ。
こないだマジかぁって思うことがあって、30か40代の女性なんだけど、すげー雑でさ。
顔のつくり自体はフツーだしむしろ整ってるほうだと思うんだけど、ずっと怒ってるような表情でさ。口調もちょっと威圧的で。
こう、サバサバしてテキパキして仕事が出来る人なのかなーと思ったけど、そんなこともなく、レジ関連でバタバタしててさ。
んで、薬局の人って結構気を利かせてくれるじゃん。レジ袋にお薬手帳一緒にまとめてくれたりとか。そういうのが微塵もなくてさ。まあそういうのってサービスで、普通こんなもんよなとは思ったんだけど。
雑なんだよね。
最後に薬の入ったレジ袋渡してくれる時に、袋の持ち手をキュッとまとめてくれたり、それをこっちに向けてくれたり、しなくてさ。
いいんだよ、分かってんだ、そういうのはサービスだよ。
でもよ、サササーとやってハイ私の仕事終わりました、みたいな、タイムアタックでもしてんのかなとでも言いたいようなね。
せかせかせかせかしてんのね。
そんなに混んでるわけでもないし、まあそっちの事情は知らんけども。
オバサンってやだなーと思った。
ちなみにこれの男性バージョンがヒモと呼ばれてきたわけだけど(今なら専業主夫?)、半年もすれば態度デカくなってナメくさってくるのはみんな一緒なんだよ〜。私は看護師なんだけど、家事やらないモラハラのヒモというよくわからない彼氏や旦那がいる同僚が何人かいる。
人間の根っこにそういうシステムがあるんじゃないかな?多分ナメくさって自我やプライドを保ってるんだよね。
貧困女性は貧困じゃなくなったら(たとえ金の出どころが増田でも)もう困ってないから感謝もしない。心ではナメててもここで態度悪くしたら切られるなって判断できるような見通しがたつ人間はそもそも専業主婦なんてリスキーなことはしない。
相手の人権プライド(ナメた態度)認めない、生活費負担してるからと相手を対等に見ない、ただ可愛い服着てニコニコして仕事帰りの自分を待ってろは、相手が人間である限りあんまり現実的じゃないと思う。
専業主婦や専業主夫のみなさんだって人間なんだから、お金出すから家のことやってよと言うなら「自分が月10万で依頼してる仕事相手」と割り切って、労働環境に文句垂れたら改善するか説明して我慢させるか等の管理業務をやるしかないんじゃないかな。
好きで専業主婦になった人もいるけど旦那さんが尻に敷かれてるフリしてうまいこと主導権取ってて円満、のパターンばかり。次は相手のプライドを補完するという視点を持ってやってみたらどうだろう?
パートのおばちゃんが集まってる職場とか看護師さん、幼稚園の先生とか、女の人ばっかりの職場だったりママさんたちの集まりみたいなんは、多分同じような状況になってて実害が出てるような気がするんだけど、、
あなたがどの立場から投稿したのかわからないけども、野良の麻酔科医からしたら増田は麻酔科医、最低でも医師であるのはわかるよ
看護師含めコメディカルの書く文章ではないし、麻酔器のセットアップ時間を気にしたことがある人間は麻酔科医以外ほとんどいない。みんな朝早出してやってるし二件目以降は清掃、他のスタッフがボトルネックだからね
コメントで厳しい指摘のある通り、つがる病院の件は裁判を経た賠償ではなく、「産科医療保障制度原因分析委員会や県外の複数の産婦人科専門医の意見等を踏まえ」て病院が責任を認めて賠償金を支払ったものだった。
また、事態の詳細記事を寄せてくれた増田もいた。ありがたい限り。
以下の本文は自戒を込めて元記事のままにしておくので、該当部分は「コイツ日本語読めてねーわ」と思って読んでほしい。
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2024年11月だけで、産科をとりまく嬉しくないニュースが続いてしまった。
・双子の出産時に医療事故・第2子に重い脳性まひ 「つがる総合病院」が責任を認め患者と家族に損害賠償金約9100万円を支払いへ 青森県
https://reiwa-kawaraban.com/politics/20241116/
市中病院で、帝王切開という形で産科医療に関与する麻酔科医の目線から上記のニュースを考えてみる。
【前提】
まず話の根底として、妊娠から出産の過程で低確率ながら母子の死亡が起こりえる。
厚労省のデータ(https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001118039.pdf)によれば妊産婦の死亡事例は減少傾向にありつつも、令和3年で2.5/100000出産例とされる。(死亡の原因は様々だが、こちらのスライド(https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2021/12/20211208_2.pdf)によると、「産科危機的出血」「脳出血」「羊水塞栓」で半分近くを占める)
平成12年には6.3であったというから、およそ20年で半減してきている計算で、これは原因の究明や対応できる組織構築を行った医療従事者や、薬剤や機材の開発・流通を整備する関連企業の不断の努力の賜物に違いない。
日進月歩の医学的取り組みをしてなお死亡率をゼロにできないものが妊娠と出産である、という点がまず客観的な事実として存在する。
経腟分娩でなく帝王切開を選択する理由について信頼できる統計データがネット上には見つけられなかったが、職務で見てきた中では「双子」「胎盤の位置異常」「前回が帝王切開=今回の分娩がハイリスク」「合併症(妊娠高血圧など)予防のためやむをえず」といった背景が多い。
胎盤の位置異常や帝王切開歴などは妊婦検診の過程で分かることであり、予め調整して計画的に帝王切開をすることで上記の出血などによる死亡例を防ぐことができる。
予定帝王切開の日程を定めていたとしても、まったく予期せぬタイミング(予定の数週間前など)で破水したり陣痛が始まってしまうことは日常茶飯事であるし、経腟分娩で予定されていたお産が胎児の心拍低下などで緊急に帝王切開となる事態もよくある。帝王切開ではないが、経腟分娩を終えたものの出血が止まらないため緊急手術になる事例も時折ある。
短く纏めるなら「妊産婦死亡を防ぐには帝王切開がどうしても必要な場合があり、そしてそれは緊急に起こりえる」となる。
では、緊急帝王切開が決まったとして、手術はどのように進むのだろうか。
緊急という言葉から一分一秒を争う事態を想像するかもしれないが、実は事情に応じてどの程度待てるか段階分けされている。
施設によって呼び方や規定時間はある程度幅があるものの、こちらの資料(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsca/42/1/42_57/_pdf/-char/ja)に示されるものが一つの指標になるだろう。
同日中に娩出すれば問題ないものは大きなトラブルになることはまずなく(見たことがない)、1-2時間以内に子供を出したいとなると手術室は忙しくなってくる。
そして、我々麻酔科医にとって最も恐ろしいものが、超緊急帝王切開、いわゆるGradeAの宣言だ。
資料中にもあるように、GradeAでは可及的速やかに胎児を出す必要があり、以前所属していた施設では「宣言から30分以内」を目標としていた。この30分という数字をどう受け取るかは人によって様々であろうが、手術室の動きと所要時間から考えてみたい。
帝王切開を全身麻酔で行う場合、手術室看護師は必要な器械(メス、各種鉗子、血液吸引機などなど)を準備し、麻酔科は麻酔器のセットアップや薬剤・器具の準備を大急ぎで進めていく。
麻酔器のセットアップを全くゼロから行う場合は、機種にもよるが10分近く時間をとられる。どんなに短くても3-5分という印象だ。
また、使用する薬剤の種類は通常の全身麻酔とあまり変わらないものの、一部の薬剤は鍵付きの金庫で保管されているため、鍵の持ち主である看護師に持ってきてもらう必要があるのだが、看護師も器械の準備に全力を注いでいるのですぐにとはいかない。
全ての薬剤を準備するのに(鍵を無視しても)最速でも2-3分。人工呼吸のための気管挿管デバイスを準備するのにもう1-2分。麻酔器のセットアップと並行で行えるので単純に足し算ではないが、これに移動時間、各所へ電話連絡の時間、薬剤と道具をかき集める時間を加味すると、連絡を受けて10分後に独力で全ての準備を整えられるかは分の悪い勝負になりがちだ。
マンパワーがあれば多少改善するものの、夜間や休日であれば人員は最低限に留められているため、素早いヘルプも期待できない。
大抵の場合、産科医も連絡をしてきた時点で手術室へ患者と向かっているので、慌てて手術室へ飛び込んだら患者が先に入室していた、ということも珍しくない。
全ての道具の準備を整え、産科医は滅菌ガウンと手袋を装着し(これにも1-2分はかかる)、全身麻酔をかけると同時に執刀を初めて数分後に胎児を体外へ出す。
言葉だけ並べると案外間に合いそうに見えるが、必要な検査結果を最低限確認したり、患者を手術台へ移動したりと無数の手順が間に挟まることで時間はどんどん圧迫され、時間が経過するごとに胎児(と場合によっては母体)の生命は目の前で消えようとしていく。
今まさに苦しむ母体と、見えないところで死に向かっていく胎児を目の前にして、正確に、安全に、迅速に全ての手順を協同して進めていく緊張感が伝わるだろうか。
そして上記の描写は、近隣でも有数の規模の病院で、スタッフの経験値と各種対策が練り上げられた環境でのものである。比較的規模の小さい病院では経験値やマニュアルも整備されておらず、これより時間がかかってしまうだろうことは想像に難くない。
【記事の内容について】
こういった現状を踏まえた上で双子の判決についての記事を読むと>> 10分以内に新生児を取り上げる超緊急帝王切開の体制が取られておらず、重大な障がいに至ったなどとする判断を受けました <<とある。
当時のつがる総合病院の体制がどのようなもので、どこまで準備できた時点から計測された制限時間かは調べた範囲で詳細不明であったが、全くゼロから始めたとすればまず不可能な時間であるし、ある程度準備が出来た状態(麻酔器はセットアップされていたなど)からでも厳しいだろう。
実際に病院側の落ち度があった可能性も無論あるが、ベストを尽くしても達成しうるか分からない「10分以内」という数字をどこからか持ち出してきて賠償を命じられるというのは、あまりに理不尽に感じられる。
10分以内に取り上げられたら後遺症を防げたか、あるいは程度が軽く済んだ可能性はもちろんあるが、それが現実に達成不可能な数値目標だとしたら、処罰の理由として据えられてはたまったものではない。
この記事から読み取れる法律サイドのスタンスは、「もっと安全対策をとるべきであった」とできるだろう。それが現実的なものかはさておいて。
これは厚生労働省保険局での話し合いであり、その結論の着地点は広い範囲に影響することが予想される。
産科医療を保険適用にした場合の問題点はそれだけで独立した論点になってしまうため割愛するが、記事がフォーカスしている井上弁護士の発言は以下である。
>> バランスを見ますと産科は医療安全にかなり前のめっていすぎるというふうに私自身は判断しまして(中略)結果が異常である可能性があるということで水準を簡単に上げすぎるために、産科の世界のバランスが他の診療科に比べて崩れているのではないかと(中略)医療安全、悪く言えば原理主義的になりすぎないように、ということを是非ご注意いただく <<
この発言に対して亀井氏が即座に怒りを感じさせるコメントを出しているが、むべなるかなと言わざるをえない。
関係各所が不断の努力を続けていても妊産婦死亡はゼロではなく、突然で理不尽な不幸に見舞われたご家族の悲哀を想像するだに辛い気持ちになる。
にも関わらず、どれだけ真摯に取り組んでも、双子の事例にもあるように時として理不尽な法的判断を下されうるのが現状の産科医療の実態だ。
無論この井上弁護士の見解が法曹会の総意でないことは理解しているし、記事の執筆者がやはり弁護士で非難的な論調であることからも間違いない。
とはいえ一部の弁護士(そしてそれ以外の人々)に、「産科医療は医療安全コストをかけすぎではないか」という見解を持っている人が相応にいるだろうことが推測される。
双子の記事と厚労省の記事は、個別に見るとかたや「医療安全をより追及せよ」であり、かたや「医療安全にコストを割きすぎではないか」という真逆の要求をつきつけている。
どうしろというのだ、という困惑から一歩引いて、何故このように食い違う見解が同一の業界から出てしまうのかを考えてみると、「妊娠・出産に対するリスクの軽視または無理解」が両者の根底にあるのではないかと個人的に考える。(業界が同じなだけで個人の思想が違うだけだろうという結論は一旦置く)
「出産は安全に済むものだから」という補助線を引くと、「(安全に済むものだからその水準を当然満たすべく)医療安全をより追及せよ」「(安全に済むものだからそんなにコストをかけなくても良いはずで)医療安全にコストを割きすぎではないか」というように、一見相反する見解が綺麗にまとまる。
本記事の冒頭に掲げた前提の「日進月歩の医学的取り組みをしてなお死亡率をゼロにできないものが妊娠と出産である」という事実が、過小評価されているかよく理解されていないことに原因があるのではないか、と考える次第である。
これはある意味仕方のないことで、実際に超緊急帝王切開に直接関わる産科医・麻酔科医・看護師でもなければ医療職であってもそのリアリティにはピンとこないはずなので、一概に無理解を批判することはナンセンスだ。
数字として見るデータは客観的な事実として揺るがないとしても、起きてしまった不幸とそれを防ぐための緊張感は、両方を目の当たりにして初めてリアルな根拠としてデータを活かす。
改善策としては実際の現場を映像と音声で記録して周知と理解を促す手段も思いつくが、倫理的な問題とマンパワー的な問題が立ちはだかる。この点は医療サイドで働きかける余地があるだろう。
【今後の影響に対する推測】
産科医療における有名な出来事としては2006年の大野病院事件があり、そのあらましと影響についてはこれまで散々議論されているので割愛する。
最終的に産科医は無罪を勝ち取ったものの、福島県内における産科医療への影響として、事件の前後で産科医が減少したという分析がある。(https://keizemi-keio.info//wp-content/uploads/2017/01/bessyo_mitaron.pdf)
産婦人科医会の調査(https://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2023/02/48dc1841822ac2ca56d3d7ee4b107c28.pdf)では総数としての産科医は2006年から2022年にかけて19%増えているとあるが、厚労省のデータ(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/22/dl/R04_1gaikyo.pdf)から算出した同期間についての総医師数の伸び率が23%であることを合わせると、新たに産科医を志望する割合は減少していることが見て取れる。
産婦人科医会の資料中には産婦人科施設の推移も載っているが、婦人科病院が微増するものの一般病院と診療所が明らかに減っていることが分かる。
ハイリスクな妊娠と出産を高次機能病院で対応するために人員を集約することは理にかなっているものの、妊婦にとって移動はかなりの労力を伴うことから、集約によって移動距離が長くなることは身体的にも経済的にも負担が増す。
この推移に大野病院事件がどの程度影響したかは評価が難しいが、無関係でないことは明らかだ。
そういった過去の事例があった上に今回のような事例が積み重なると、施設の減少と人員の相対的な不足傾向が加速するリスクがある。
施設の減少は患者にとって負担であるし、人員の不足はスタッフの疲弊と患者のリスクを招く。
件のつがる総合病院で事態が起きたのは2017年ということだが、2024年現在も施設としては第二次救急医療機関の指定を受けており、日本産科婦人科学会専門医制度専攻医指導施設としての教育施設指定を受けている(https://www.tsgren.jp/tsugaru-general-hospital/hospital/situation.html)ことから、緊急帝王切開を含む産科医療を行っているものと推察される。
産科医療資源の集約を考えた際に集約される側ということになるが、その医療水準を支えるスタッフはHPによると産婦人科3名と麻酔科2名のみだ。
始めに述べた通り、帝王切開は通常の分娩でも突然発生しうるし、それは夜間も休日も関係が無い。
当番制でシフトを回すと考えても、麻酔科は2日に1回は夜間呼び出しに備える必要があるし、産婦人科も1人で手術はできないので同程度以上の体制をしいていると推測される。
この通りであれば当然スタッフは疲弊するし、疲れた状態での医療は危険を伴う(だからこそ働き方改革が叫ばれる)。そして、疲弊はさらなるスタッフの離脱と不足を招く。
事態が進んで最終的に誰が不利益を被るのかというと、分娩をしたい妊婦・胎児・家族に他ならない。
冒頭の記事にある判断と見解は、将来生まれてくる新生児の生命をリスクに晒すもので、人命と健康を至上とする立場からは許容できない。(そうでない立場の人からはそうでもない、という批判はありうる)
【まとめ】
本記事では2024年11月に公開された産科医療に関連する法的判断と見解について、産科医療に関与する麻酔科医の立場から考察した。
医療安全の推進と削減という矛盾するような見解が同一の業界から出てくることについて、「妊娠と出産が死亡リスクを伴う」という点の理解がされていないのではないかと仮定することで1つにまとめ、現状の問題の発生源を推察した。
GradeA帝王切開がいかに厳しい時間的制約のもとで行われるかや、妊婦と胎児に起きうる不幸について一概に法曹側の無理解を批判するものではないが、このような法的立場の判断と見解の影響が及びうる範囲を想定すると受け入れがたい。
現場をよく知る人々の意見が反映されることを祈りつつ、実際に1人の麻酔科医から見た現場がどういった物かを誰かに共有できればと思い本記事を作成した。
を少しする
イケメン(近所のおばちゃんたちにモテモテ)の俺の意見だが、参考になりそうなら取り入れてくれ
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お前と相手に共通の友達がいる~くらいのテンション感で話しかけろ
「今日はよろしくお願いします。最近どうですか~?」くらいのノリでいい
間違っても「あっ……マスダと申します……。あっ……あのさんって言うんですね……」みたいな距離感で話しかけるな
あれは罠だ。お前が友達と話す時にわざわざプロフカードを用意するか?その場のノリで無限に話せるだろ?
間違っても「職業は……あっ……看護師なんですね……。えっと……出身は……あっ……神奈川……はい……」みたいに一個ずつ読み上げるな
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3. 話を横に広げるな。縦に広げろ
プロフカードなんてものがあるからやってしまうんだが、話は縦に広げろ
「職業は……あっ……看護師なんですね……。看護師ってめちゃくちゃ激務なイメージなんですけどやっぱりそうなんですか?」みたいな感じで縦に掘り続けろ
そこから「あー職場で厳しい先輩って居ますよね!自分も高校時代にバイトしてた先輩がめちゃくちゃゴリラで~」みたいに自分の方の話を1回挟め
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4. 会話はターン制バトルだが男は喋るな黙っとけ
ず~っと話し続けるやつ。ここはお前のリサイタルじゃない。一つ話したら一つ相手の話を聞け。
理想は自分が話の取っ掛かりを作ったら後は一生女が話すサイクルだ。
女が話したそうなことを表情から察しろ。さきまわりして「え?それってどうなったん?」みたいに続きを促せ。気持ちよく話させろ。
話が面白いやつ=ギャグを言うやつじゃない。相槌が上手くてノリが良く気持ちよく私の会話をアシストしてくれる人だ。
特に3:3みたいな場で一生自分の話をしてる男は帰りにマンホールに落ちろ。誰もお前の話なんて興味ないんだよ。
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いつまでも仕事の話とか趣味の話をしてどうする。さっさと恋愛の話に行け。
「休日は買い物多いんですか~。じゃあデートでも買い物が多い?」みたいにさっとシフトさせろ。間違っても「え~っと……どれくらい恋人いないんですか……」みたいな空気が死んでる会話をするな
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お前が「●●さんの服装めっちゃ好きです!」って言われたら嬉しいだろ?でも別にそれを言われたからと言って好きと言われた事にはならないだろ?
「●●さんの話し方めっちゃ好き!よく言われるでしょ?」とか振って嫌な顔する人は居ない。特にこの「よく言われるでしょ」は「俺だけじゃなくてみんな思ってるでしょ」みたいな感じになるので好意がダイレクトすぎず使いやすいからおすすめ
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7. 女を上に見るな
童貞は女を神聖視してる傾向があるけど相手もただの人間だ。鼻くそほじっておならしながら生きてる。これを言うとなぜか逆に女にマウントを取ろうと上から目線になるやつがいるがそうじゃない。
ただの友達だけど、めっちゃ好きなタイプの声をしている人~くらいの扱いをしろ。突っ込むところは突っ込め
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別に芸人みたいに大げさにしろとは言わないが「休日忙しくて~」とか言ってたら「休日も忙しいんですね~うわ~大変だ」みたいな感じで相手の発言+ちょっと自分の感想を付け足せ。
それで相手が「そうなんですよこの前も~」みたいに繋がってきたら良い傾向だし、話す様子がなかったらそこで別の話題に映らずに「え~じゃあ買い物行ったりできなくないですか?毎回コンビニ?笑」とか投げてやると「いやいや~」みたいな話になって、そこから「自炊とかするタイプなんだ。え、じゃあ彼氏居た時は毎日お弁当作ってあげてた感じ?めっちゃいいお嫁さんになるじゃん!」とか適当に決めつけて恋バナにつなげちゃえば良い「え?なんでわかったんですか?」になれば「だってめっちゃ一途そうだもん」につながるし「いやいや、お弁当は無理ですw」とか帰ってきたら「え~~でも絶対料理上手いでしょ?」みたいに繋げられる
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口が臭い、服がしわしわ、フケがついてる、歯になにか挟まってる
こういう男が体感2割はいる。もっと気合を入れろ。人と合う前にはガムを噛んでブレスケアをしろ。ものを食ったら手を洗うとか言って毎回トイレに行ってイーってしろ
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10. 「もしよかったら...」を使うな
予防線を貼るな。自信満々に誘え。
「楽しかったんでLine教えて下さい!」と言え。おどおどするな。それで断られても別に「じゃあ次の機会があったら交換まで行けるように頑張ります!」って笑って言え
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11. その日に誘え
気になった女が居たらさっさとその日に誘え
●●さんの事、めっちゃ気になっちゃって!この後ちょっと話したいです!!!一杯だけお願いします!!
って言って断るようなら脈がないってはっきりするし、脈があるなら乗ってくる
ダラダラLineするより圧倒的に楽。もし脈があるならその場はダメでも「今日はちょっと帰らないと行けないんですが別の日なら……」みたいに言ってくるからその場で「じゃあ水曜日の夕方どうですか!」とスケジュールを決めてしまえ。Lineはグダるから基本しないくらいがいい
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他にも色々あるけどとりあえず書いてみた
逆に女目線のこういう内容読んでみたい
社会人になったばかりの頃に受けた会社の健康診断で、人生で初めて採血されたときに気分が悪くなって横になったことがある。
私はもうすぐ30歳で、採血も少なくとも年1回は受けている。いわゆる迷走神経反射が起きたのはそれきりということを伝えても難しい顔。
看護師さんも出てきて、そういう人への危険性だとか、安全第一だとかを懇切丁寧に、そしてはっきりと伝えられた。
去り際、採血に慣れてから来てくださいね〜、と言われたけど、来年から比較的治安の悪い地域へ駐在するのでそれも無理だと思う。
こんな年齢だけど、まともな交際経験もなく、見た目も悪く、富裕層レベルの経済力があるわけでもない。
個々人に特別愛されることもなければ、知能や腕力が優れているわけでもない。
オタクと呼ばれるほど何かに没頭していたり知識があるわけでもない。
ただ、かろうじて心身は健康なので、物理的、生理学的な利用価値や存在価値はある。
…と思い込んでいたのだけれど、それすらなかったらしい。
中身の(見た目もだけど)伴わない人間がエゴと助平心を丸出しにして善人のふりをするとロクなことがない。
良いことをして気持ちよくなりたいという心を、神か仏は見透かしていたのかもしれない。反省する。
こんな人間だから児童福祉関係や博物館なんかへの寄附はしていたつもりだけど、それすら必要な金額から考えると微々たるもの。
正直言ってしまえば無くてもいい。自己満足で本当に誰かのためになっているのか分かったもんじゃない。
献血も同じ。
大した事ない凡人未満のブサイクがニヤニヤしながら血を出そうとした姿は本当に滑稽だったに違いない。
自分でも、「あぁ、今自分は"良いことを"しているんだ」と思いながら問診を受けているさまは、今更だけど、とても気味が悪いと思う。
社会人になったばかりの頃に受けた会社の健康診断で、人生で初めて採血されたときに気分が悪くなって横になったことがある。
私はもうすぐ30歳で、採血も少なくとも年1回は受けている。いわゆる迷走神経反射が起きたのはそれきりということを伝えても難しい顔。
看護師さんも出てきて、そういう人への危険性だとか、安全第一だとかを懇切丁寧に、そしてはっきりと伝えられた。
去り際、採血に慣れてから来てくださいね〜、と言われたけど、来年から比較的治安の悪い地域へ駐在するのでそれも無理だと思う。
こんな年齢だけど、まともな交際経験もなく、見た目も悪く、富裕層レベルの経済力があるわけでもない。
個々人に特別愛されることもなければ、知能や腕力が優れているわけでもない。
オタクと呼ばれるほど何かに没頭していたり知識があるわけでもない。
ただ、かろうじて心身は健康なので、物理的、生理学的な利用価値や存在価値はある。
…と思い込んでいたのだけれど、それすらなかったらしい。
中身の(見た目もだけど)伴わない人間がエゴと助平心を丸出しにして善人のふりをするとロクなことがない。
良いことをして気持ちよくなりたいという心を、神か仏は見透かしていたのかもしれない。反省する。
こんな人間だから児童福祉関係や博物館なんかへの寄附はしていたつもりだけど、それすら必要な金額から考えると微々たるもの。
正直言ってしまえば無くてもいい。自己満足で本当に誰かのためになっているのか分かったもんじゃない。
献血も同じ。
大した事ない凡人未満のブサイクがニヤニヤしながら血を出そうとした姿は本当に滑稽だったに違いない。
自分でも、「あぁ、今自分は"良いことを"しているんだ」と思いながら問診を受けているさまは、今更だけど、とても気味が悪いと思う。
炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。
*
(前編)
私は小中高と地方の公立を出て、浪人して都内の医学部を卒業している。
「東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータが話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。
まず医学部では「親が医者」なのは当たり前で、教授や講師と話す時も、世間話は最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。
ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化まである。「マグル」は家系に医者がいない学生が、自虐的に苦笑いしながら使う単語だ。
しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。
出身高校もほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。
蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったか、SAPIXや鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。
私のように地方公立校から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。
*
大学生はお金がかかる。私も美容や服飾、外食や旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死に時間をお金に変えた。
学費や家賃、生活費などは親持ちだったが、その他は自分のバイト代で賄うように言われていた。
けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ「禁止」される方が普通だ。特に、家庭教師はOKでも、高卒やフリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。
そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達の給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。
この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。
こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。
限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。
当然、金額を理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。
*
ここまでの話だけ聞くと、「地方出身の庶民が階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。
実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間のほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである。普通に暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。
尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日が面白かった。
地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。
生まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺に位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。
要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである。
*
(中編)
私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内の大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。
先祖代々続く大病院の家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親は医者ではないので「半純血」だ。
金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味で生活に困ったことはないと思う。
「全身脱毛の費用を自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費も家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。
そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。
よって親の学歴も自分が大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。
*
わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事の練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノやヴァイオリン、新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。
しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。
校内のヒエラルキーのトップにいたのは、我が家のクローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力や窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカと卑猥な言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味も理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。
一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。
外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい、面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。
生まれてからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。
ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。
何か作業をする時、見るからに効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやすく説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。
*
何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。
クラスでナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノやポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンやバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。
その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。
「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう」
たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言が拡散された。
子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。
自分の性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。
たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています!可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか。
別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。
*
万事がそういった雰囲気だった。
あまり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校のテストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。
何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。
お金や学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。
そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。
そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗で差別的な感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。
よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。
やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。
体力面の自信のなさから、ほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。
*
(後編)
立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員の民度も低かった。
病院があるのは中途半端な田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルとゴシップしかない。
都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。
数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝、他人の悪口や噂話、そして「女性職員の容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。
百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。
「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情をストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。
彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。
*
立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的に地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。
気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭に涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。
救急車がタダだから、生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシーや無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。
特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババア・ジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。
*
バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。
一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。
特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。
これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみません、ちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばないからだ。
根本的な問題は、学歴や収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。
病院の同僚医師たちも、私立医学部を卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりのカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。
地方にいた頃の私のように——。
*
医者や政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民の感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。
実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。
それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。
同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか、公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。
公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別や偏見、選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。
免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層の人間の存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか。
だからこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供は絶対に私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。
「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生ものの財産だ。
社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間。差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。
もしかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。
もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。
入院を勧めてるブコメあるけど、妻さんがしたくないと言ってるならしない選択をしても良いと思う。
入院って点滴されるだけで、あとは放置。看護師さんがなんかしてくれる訳じゃないよ。
点滴で悪阻が楽になる訳でもない。死なないようにはしてくれる。
私は個室だったのもあって、ずっと独りだった。
夫が面会に来るまで誰とも接触なし。面会も21時で終わり。夜は独り。
何考えると思う?
なんで他の人はこんなつわり重くないのに、私だけこんな風になるのか。
仕事もろくに引継ぎもできずに休職してしまった、お客さんに、皆んなに迷惑かけた。
妊娠しただけなのに、なんで、なんで、なんで、ってこれがずっと続く。地獄だよ。
食事は出してもらっても食べれない、食事の臭いで吐くのでなしになった。
そしたら運んでくる必要がなくなったので、看護師さんも部屋に来る事がなくなった。
点滴って1週間に1回、刺す場所を変えないといけないらしくて、その針を差し直す時に看護師さんが1番長くいてくれるって感じ。
腕もガリガリ骨と皮だけなのにどこに刺すんだって感じ。痛い。もう針刺したくないって泣いた。
私はテレビもケータイ(当時ガラケー)の画面を見るのもダメだった。画面を見てると吐いた。
最終的には耐えられなくて何も症状変わらないのに無理やり退院した。
夜は夫がいたし、日中は猫がいたし、独りじゃなかった。それが必要だった。
あくまでも私の例です。
こういう時は思いのままに書いた方がいいかなと思うので、起承転結とかそういう下手なことは考えないで思うがままに書きなぐってみる。
41歳男。
高卒。
免許なし。
ちなみに好きな人はいるが、諸所の事情から、彼女と結婚出来る可能性は極めて低い。
これを読む人たちは、みな俺を見て「世の中にはこんな底辺がいるのだ」と見下してくれるとありがたい。
デスクワークにこだわりすぎた。肉体労働くらいのある種雑な仕事が自分にはとても合っていたとこの年齢で気づくことが出来た。
公務員試験に落ちて20歳そこそこで社会に出てから、40歳の今の今まで、ひたすらコールセンター界隈を渡り歩いてきた。特に強い動機があってコールセンターで働いていたわけでは無い。
今でも覚えているが、アルバイト雑誌を「せいのっ!」で開いたらコールセンターの求人が飛び込んできたからだ。理由はそれだけだった。そこから長い長いコールセンターでのキャリアがスタートした。
当時(今もだが)コールセンターは時給も良かった。私が就くことが出来た様々な非正規求人の中でも、最も時給がおそらくは高かったのだろうと思う。
30代に入ってから宅配会社の集配センターで働くことになる。当初は副業程度に考えていたのだが、どうやら自分にはこの仕事、もとい体を動かす仕事が合っているらしいぞという話し。
まだ20代前半の若造だった自分は、コールセンターでほかの主婦達と一緒に働くことを「社会人になった」と勘違いして、真面目に働いていたっけな。
業務終了後に上司についていって、クライアント(この場合のクライアントとは、コールセンターの業務の委託元を指す)が自社社員のために開いている飲み会に参加して、必死になって顔を覚えてもらったりとかもやっていた(今考えたら、お前はバカか以外に言葉が思いつかないが)
ただ「肉体労働=底辺奴隷労働」という図式が頭の中にあったため、体を動かす仕事はやめようという思いがあったことは覚えている。
ガラス張りのキラキラしたオフィスでバリバリ働きたいなと、なんとなくだが思ってはいた。というより肉体労働は絶対やらないぞと思っていたな。この頃は。
20代の頃。覚えているだけでもいくつかのやばい兆候はあったように思う(もちろん、その反面良い部分もあったのだとは思うが)
・研修の内容が覚えられずに研修担当のおばさんからいつも怒鳴られる。
・教えてもらったことが電話対応時にすべて頭から飛んで真っ白になる。
・職場から個人情報を持ち出して、大きな問題になる(その後部署異動)
・仕事が終わらず毎日3時間残業 → 残業をすればするほどお金が増えると思っていたが、当時の時給は1000円。 ブラックと言えばそれまでだが、仕事を切り上げる能力が無かったんだろうなとも思っている。
などなど。
ちなみに忘れもしない、コールセンターという仕事についた初日の初日。
あまりにも出来なさ過ぎたらしく、業務終了後SV(責任者)に呼ばれて「キミはこの仕事に向いていないので、辞めた方が良い」と直接言われたくらいである。
※ちなみに、どのような理由で向いていないと言われたか、今となっては覚えていない。覚えてはいないが、客に「あなたの話し方は、丁寧だが回りくどすぎる」と言われたことは覚えている。
様々な理由でストレスが溜まり、手取り15万円も無いのに毎月のように風俗に通っていた。
当時はなぜ風俗に通うのか自分でも言語化が出来なかったが、今ならはっきりとわかる。あれはただのストレス解消行為だった。
20代と対して変わらなかったと思う。
毎日仕事に行ってはストレスを貯めて、自宅に帰ってずっとウジウジする毎日。なんかよくわからんが同僚はどんどん上へ上がって行くが自分には声がかからない(今なら理由がわかるが)
そのくせ、真面目に転職もせず出勤はして働いていた。会社からするとマジで都合のいいカモだったと思う。
・上司が自分のことを見てくれないという理由で、業務中に口喧嘩になった。メンヘラかよ。
・電話口でむかつく顧客と喧嘩(をしたことは恐らく10回じゃくだらない)。要するに日々のイライラを日常的に顧客にぶつけていた。 それが理由で、職場のひとつはクビになっている。
・転職先では仕事がハマり、トレーナーという新人研修を担当する業務を任されるまでにはなったが、その部署が解散。異動先では「俺は正しい。お前らは間違っている!」と正論を振りかざす新人マンになってしまい、総スカンを喰らい退職。
・次の職場では、後輩をきつめに指導したところそれが理由で人間関係トラブルへ発展し、上司は後輩の肩を持つ形でクビ。
途中、5年間勤務をしてトレーナーにまでなった職場だけは、いい感じで仕事が出来ていた気がする。
こう考えると人間関係もそうだが、それと同様に「業務をちゃんとこなせるかどうか」が、居心地の良さを決める重要なファクターであることは間違いないのだろう。
オフィスで働いていた時、常に他人の目は気になり続けていたし、コールセンターということで声を出す仕事ではあるけれど、自分が喋る声が他人に聞こえるのもものすごく嫌だった(他人の目線が気になる症候群に感覚としては近い)し、理不尽なことで客に謝らされるのもとても苦痛だった。
コールセンターで働いていた時は常に自分に自信が無かったと思う。自宅に帰ってからも常に職場のことで頭がいっぱいな日々が続いていた。
33歳の頃より、ダブルワークで某大手宅配会社の集配センターで怒号にまみれながら荷物を扱う仕事を始めた。
宅配業界大手と言えば、業界のシェア的にあそこかあそこしかないのだが、そのどちらかと思ってもらえれば良い。
高速で動くベルトコンベアの上を荷物が(それも次から次から荷物が来るので、ギチギチに詰まった状態で)通り過ぎる中、自分の担当の荷物が来たら担当のローラーに引き込む仕事。
ベルコンを目で追うという作業は慣れるまで苦労したが、体を動かすこと自体はそういえば最初から苦は無かったように思う。
むしろ楽しくて、言われたこと以外のこともどんどん自分から積極的にやっていった。
ただ、この仕事は借金を返すために始めたということと、「肉体労働=底辺=本業にしてはいけない」という思い込みから、あくまで副業としての扱いにとどめ、なんとかしてデスクワーク、ホワイトカラーの仕事で転職、給与を上げようと頑張っていた。
ちなみにこの時、自分の頭の中で何となく描いていた脱出ルートは「コールセンターの仕事で業務知識であるパソコンの専門知識に詳しくなる→その知識を活かしてエンジニア業界に転職」である。
実際そうやってコールセンターから抜け出しているやつは一定数いたよ。でも自分の場合は気がついたらもう39だったし、最近は新しい職場でも年下の上司に偉そうにされるのが嫌だったな。
また、年齢を重ねるたび、職場を変えるたびにオフィス内での人間関係のトラブルが多くなりがちになっていくことに気づいていった。
前述の「総スカン」や「指摘した結果人間関係のトラブル・・・」がそれにあたる。
人間関係のトラブルには続きがあって、まともに対処してくれなかった上司に八つ当たりまがいのことを行ったりもするようになった。
逆に集配センターの仕事は楽しくて楽しくて仕方がない。世間的にはブラックと言われ、10人が来れば9人はもう来ない(仕事が辛すぎて)と言われる仕事なのだが、それでも自分は残りの1人に間違いなく入っている感覚がある、というくらいに肌に合っている楽しい。
しかも体も動かせる、筋肉もつく。仕事がある程度出来るから必要とされる。
ブルーカラー=底辺なんて思い込みなんてもっと早く捨てておくべきだったなぁと今となっては思う。
なんだかんだで集配センターの仕事はもう4~5年目になる(途中やっていなかった時期があるため8年では無い)。ただ少しブランクがあっても身体は覚えているので、途中3年のブランクがあった時もすぐ復帰出来た。身体は面白いもんだ。
ただ、集配センターはベテランの猛者ばかりで10年戦士もわんさかいる。俺なんかはまだペーペーだ。これからもっと技術を上げて倉庫の仕事をもっと覚えていきたい。
そしてひいては物流、陸運に詳しくなっていきたい。
全てに当てはまらないことは承知をしているが、自分が携わっている仕事の場合は以下である。
・細かい作業を要求されない(今までの仕事は、入力した文字が1文字違うだけで減点対象だった)
・ミスをいちいち指摘されない(荷物という対象がそもそも大きいものだからな。ちなみに自分がデスクワーク時代、1日平気で5~6回は目立つミスをしていた。それも毎日。診断は受けていないがADHDの要素は持っていると思う)
・雑談が大事である。ドライバーや倉庫作業員同士のくだらない雑談が多い(これはコミュニケーションを取るために必要。今までの職場、とくに前職は雑談は不要と考える職場だった。本当に肌に合わなかった)
・技術が積み重なっていく(この視点にもっと早く気づいておくべきだった) → つまり、職場が変わっても自分のスキルは生きる。
→この年齢だが、今はフォークリフトの免許や重機の免許取得を考えている。
・気を使わなくてよい。いわゆる社内政治的なことをしなくてよい(特に今の職場は元ヤンや気性の荒い人が多い。自分にはこういう職場の方があっている)
・前述したとおり、エッセンシャルワークであるが、極めて参入障壁の高い仕事でもある。
他の人がそう簡単に出来る仕事ではない。 その仕事を底辺とみること自体がもったいない。
普通に働けば月30くらいは稼ぐことが可能なので、収入は特に困らない。
・仕事を他人に説明することが出来る(コールセンターは業務内容を外に漏らすなと言われることが普通。なので知人に「なんの仕事をしているか 」と聞かれても「○○系のコールセンター」としか答えることが出来ず、詳細を話すことが出来ないのが辛かった。今では一発で説明出来る)
・以前と違いストレスが全くなく、明日のことも考えなくて良いので、今では図書館で新書を読んだり勉強をしている。
この投稿がいろんな人に見てもらえたようでうれしいです。コメントでもいろんな人に褒めてもらえて本当に嬉しい。これからも体に気を付けて頑張っていきたい。
コメントで「書くのが上手いって」言ってくれた人がいたが、とっても嬉しい。
なお創作では無いよ。固有名詞こそ避けてはいるが、間違いなく嘘偽りのない自分の人生です。
他にも社内でストーカーちっくな恋愛をして上司から注意をされるってこともあったな。その人がいる職場に転職をしたかったのだけど(恋愛目的ではなく、単純に年収を上げるため)また揉め事になりそうだったのでその職場への転職は避けた。
いくつか補足します。
借金をした理由はもちろん風俗もある。ほかパチンコパチスロ化粧品。
ところで、自分はなぜ肉体労働(というか集配センターの仕事)が肌に合っていることに気付いたかを説明する必要があると思う。
まず前職を人間関係のトラブルによりクビになったことを、集配センターの現場責任者(数年来の付き合い)に冗談めかして話してみたところ「増田は頭を使うタイプじゃないだろ」と一蹴されてしまった。「むしろ体を使った仕事をしている時の方が、イキイキしている」とまで言われてしまった。
同じ話を、小学生時代からの同級生に話したところ、やはり同じような話をされる。
極めつけは、ネット上の友達に「そうは言っても肉体労働は底辺職のイメージが強い」と相談したところ「デスクワークで生活することは、あくまでひとつの道の歩み方に過ぎず、肉体労働ルートで生活している人なんてゴマンといるぞ」と言われた。
自分の肉体労働に対する思い込み、呪いのようなものをきれいさっぱり取り除いてくれた。
ドライバーだって看護師だってみな体を使う。とび職がいなければビルは建たない。