はてなキーワード: 偏重とは
現代における「女性の価値基準」は、大きく以下の三つに分化しているように見受けられる。
これらはいずれも、他者からの評価・承認を前提とした存在様式である。一方、男性に対しては、「年収」や「外見」といった評価軸が強く求められ、それに適合しない男性──いわゆる“下位男性”──は、しばしば社会的に不可視な存在として扱われがちである。
たとえば、「男はみんな浮気する」といった決めつけに象徴されるように、可視化されているのは常に“上位”の男性であり、その外側にいる多数の男性たちは、はじめから議論の対象にすらならない。彼らは「透明な存在」として、ただ「そこにいるだけで不審」とされ、「関わりたくないもの」として排除される。
こうした状況の中で、彼らに残された選択肢は極端なものとなりやすい。
後者の典型としてしばしば挙げられるのが、「ナンパ師」と呼ばれる人々である。彼らは整形やファッション、会話力の徹底的な鍛錬などを通じて、「選ばれない存在」からの脱却を試みる。これは一種の自己改革であり、社会的承認構造に対する適応戦略でもある。
しかし、こうした努力すら「軽薄」「欺瞞的」と見なされ、むしろ侮蔑や嘲笑の対象となることが少なくない。
努力してもなお認められず、努力しなければ排除される──この二重の拘束は、彼らにとって過酷である。
さらに問題なのは、こうした構造的排除の根底に位置すべきはずの「ジェンダー論」が、そうした現実に正面から向き合えていないことである。
大学や研究機関におけるジェンダー論は、理念的・理論的な枠組みに偏重し、定量的な検証や現場との接続を欠いたまま、自己内部での対立や糾弾(いわゆる「総括」)に陥っているように見える。
抽象的議論を延々と繰り返すその姿勢は、当事者の苦しみに対する感度を鈍らせ、かえって信頼を損なう結果となっている。
「学問」である以上、社会的弱者へのまなざしと現場への接続は不可欠であり、そうした視点を欠いたままのジェンダー論は、むしろ排除を再生産する装置として機能しうる。
ジェンダー論が「人の生」を扱う学問であると自認するのであれば、まず可視化されずに苦しんでいる人々へのまなざしを持たなければならない。
地域によるけど、もう最初のスマホはAndroidでも普通らしい
下手すると小学6年生の春休みに買い与える時代になってきた。低年齢化。
・親の経済的な意向が勝つ年齢。高校生ならバイトして返すとかいう子もいるだろうが中学生は無理。
12歳に買うか、15歳に買うかの違いは大きい。
・iPhoneが円安あおりでバカ高い。10数万するもの子ども側がねだっても、3年後に買い替えるかもしれんのに、まだ早いって意識が親には出るし、安めのスマホで妥当感がある。
子ども側も、お年玉とかお小遣いとかの貯めたお金の使い先は、スマホ機種のハードより、音楽のサブスクが大事。
ほかにも有料エンタメサービスで動画サービス、漫画アプリとかにお金使えるかの方が大事でハードよりソフトになってきてる。
iPhoneがバカ高くなければiPhone買った上での話になったろうけど、さすがに性能差ほぼ無いのに高いだけになってきてるからね。
あと、学校のタブレット支給が当たり前の世代か、それ以前の世代かでも感性が結構違うらしい。
地域や学校で支給されてる端末に違いがあるから、何に慣れ親しんでいるかは日本全国一律に語れないと思う。
Chrome book使ってた小学校の子が最初のスマホiPhoneじゃなきゃヤダにどこまで影響するかは結構あると思う。
2000年〜2010年生まれの子の世代のiPhone偏重期は一昔前の話になりつつあるよねと言う事
4〜5年前のコロナ禍ごろまではスマホアプリのサービス提供側は、10代の子を取り込むなら、初めてスマホ持つ=iPhoneに最適化してれば必要十分だったんだよ。
そんな話も、ひと世代入れ替わって、今年とかから状況が変わった。
最適化するベンチマークしとく機種にAndroidのどこまでの範囲をサクサク動くように見ておくのか話になってきてる。
iPhoneの最新機種は常にベンチマークしてたけど、大人の既存層もそんなすぐに機種変なんてしない世の中になった。
業界人よろしく最新機種買い替えてた様な人でもここ数年はiPhone最新機種買い換えてないから、iPhone12とか13でも十分なんだよね〜とか言ってるしな。
あと、グローバルで見るとiPhoneってシェア少ないから、グローバルも見据えてるとiPhone偏重は日本のガラパゴス事情なんだよね。
ここ1年とかのトレンドだから、またiPhone偏重に戻るかもしれないし来年にかけてどうなるかわからないけどな。
まあ、今年はもう2025年なんで若者のトレンド語るのなら、2020年データでも5年前のデータだってこと気をつけた方が良い
ChatGPT:
はい、**「緒戦で劣勢に立たされても、ドローン生産を状況に最適化できない可能性が高い国」**は現実に存在します。
こうした国々は、制度・文化・産業構造・政治リスク回避志向などが複雑に絡み合っており、「必要になれば何とかなる」では済まない障害を抱えています。
特性 内容
1. 兵器開発の軍主導依存 民間産業と軍需産業が完全に分離。現場ニーズが産業側に伝わりにくい。
2. 法制度と規制が厳格すぎる 爆発物やAI兵器に対する許可・安全・輸送制限が即応性を殺す。
3. 軍需産業の大企業寡占 数社に依存した防衛産業構造で、フレキシブルな少量開発が難しい。
4. 世論・政治文化が軍事の即応化に抵抗 「人道的でない」「危険すぎる」「軍が民間技術に介入するのは違法」などの反発。
5. 実戦経験・危機意識の欠如 戦時体制の法的・産業的シミュレーションが行われておらず、平時の制約がそのまま残る。
🇩🇪 ドイツ
産業界が高品質・高耐久の設計思想に傾倒しすぎていて、「壊して当たり前」の消耗型ドローンを容認しにくい。
❗ 緒戦で不利でも「制度と文化の壁」により切り替えが遅れがち。
🇯🇵 日本
民間ドローン技術は優秀だが、防衛装備化に至る過程が極端に遅く、煩雑。
火薬類、無線、弾頭、起爆装置などすべてに法規制があり、例外処理の前例が乏しい。
🇨🇦 カナダ
民間技術者は多く、ドローン競技なども盛んだが、軍事転用に非常に慎重な法文化。
軍需産業は米国への依存が強く、自国で即時対応の兵器開発を始める体制が薄い。
❗ 危機が来ても「米国頼み」になりやすく、自国で即時に動けない。
🇰🇷 韓国
優秀な技術者と工業基盤を持つが、兵器開発は防衛事業庁と大手企業の閉鎖的連携に偏重。
民間スタートアップの軍事転用は不活発で、中小企業が戦時急増産に関与できない構造。
❗ 国家主導の枠外から新技術が入りにくく、「平時前提」の産業構造が障壁になる。
🇸🇪 スウェーデン
高度な兵器技術を持つが、国内政治文化が自爆兵器・AI殺傷兵器に極端に慎重。
社会民主主義的な倫理観から、即席・使い捨て型の兵器に政治的反発が起きやすい。
✅ 結論
平時には高性能な兵器を持ちながらも、有事には「最適化型・即席量産型ドローン」に転換できない国は確実に存在します。
そしてその主因は:
🔄 対照的に「できる国」の再掲
移行可能性高 | イスラエル、トルコ、台湾、バルト三国、ウクライナ(当然) |
部分的に可能 | フィンランド、ポーランド、チェコなど「危機意識の高い中規模国家」 |
改善してほしいことはいっぱいあるけど、日本人としては2点重要
日本人が動画編集ソフト使う理由なんてのはYoutubeに解説動画アップするくらいなんだよ
その反面、日本人の字幕偏重なスタイルがdavinciにあっていないと感じる
日本人ってとにかくテキストをずっと表示し続けるプレゼンスタイルが好きだし、いらすとやとか多用するんだよね
できれば画像もテキストもグリッドで簡単に並べられるといいよね
あと、Fusionはある程度こってつくると何でも作れるんだけど、それをマクロとして登録しようとすると鬼のように大変
それを改善できればめちゃくちゃ便利なんだよ
例えばText+って実はFusion内部のTextノードをマクロ登録しているだけなんだよね
だから標準のText+では初期状態のフォントを変更することができないので、やるなら自分でマクロ登録する必要がある
これって一番簡単なマクロのはずなんだけど、やってみるとまあ大変
YMMの100倍大変
ああ、ついに出たな、「成長率マウント取れば全部勝ち」教の信者。
いいか、まず年率5%成長って言葉を嬉々として使う前に、その成長の中身を精査する頭を持て。数値の裏側を読めない奴が経済を語るのは、もはや事故だ。
まず、中国の「年率5%成長」ってのは名目GDPの話か?実質GDPか? さらに言えば、その統計を誰がどのように集計し、どのように発表しているかを理解しているか?
中国国家統計局の発表値は、過去に幾度も地方政府による水増し、虚偽報告、整合性のない数値が問題視されてきた。
IMFや世界銀行でさえ、中国の統計に対しては「独立検証不能」の注釈をつけてる。つまり数字が出てるから信じる、はもはや知的自殺行為。
対して日本の成長率が低いのは事実だ。だがそれは「成熟経済の低成長」だ。
言い換えれば、インフラ、法制度、金融市場、国民所得、教育水準などが飽和水準に達しているから、爆発的な成長余地がないということ。
つまり「すでに完成された構造を維持し、微調整していくフェーズ」に入っている。
それを「マイナス成長」と表現するなら、お前の中では50歳の賢者より、筋トレ始めたての中学生の方が成長率が高いから偉いという話になる。成長率とは成熟を否定するものではない。
で、「産業の独立性」とか言ってるが、それ、どの指標で見てる?サプライチェーンの自給率?国内需要比率?製造から研究開発までの垂直統合度?それとも単に自国でやってる感?
現実を見ろ。中国の半導体産業はEUV露光装置を一台も自国で実用化しておらず、設計はARM系、EDAはCadenceやSynopsysなど米国企業、製造装置は日本・米国・オランダ。
しかも、その自立性を進める過程で起きたのが、大基金の横領事件と形式だけの成果報告で補助金を食い潰す構造腐敗。
補助金で「国産品」を偽装するような官製経済のどこに健全な独立性があるのか、説明してみろよ。
対照的に日本は、素材、装置、精密機器、部品、加工技術において世界の最上流を押さえている。
これがどういう意味か分かるか?誰かが何かを作ろうとするとき、日本抜きでは成り立たないってことだ。
中国がスマホを自作しようが、そこに使われてるリチウムイオンバッテリーのセパレーターは旭化成製、タッチパネルのフィルムは日東電工製、半導体の製造装置は東京エレクトロン製だ。
つまり「誰かの成長」を技術と素材で日本が支えてる構造。これが真の産業の独立性だ。依存される側は、価格でも条件でも交渉力を持つ。
それにGDP成長率を語る前に、一人あたりGDPの比較をしろ。
中国は2023年時点で約1.3万ドル、日本は3.5万ドル超。つまり、中国人一人の経済生産力は日本人の3分の1以下だ。
いくら全体のGDPが大きくても、14億人の巨大母数で割った結果、国民の生活レベルは依然として途上国水準。
しかも、中位年収は都市部でさえ年間5~7万元(約100万円)台、農村はもっと下。
つまり、大多数の国民はまともな医療も教育も自由にアクセスできない。
成長はしているが、それが広く国民に分配されていない。それは「国力の上昇」とは呼ばない。国家規模のエリート偏重の搾取構造だ。
だからな、成長率だの産業独立性だの表面を撫でて喜んでるお前に必要なのは、まず「数字をどう読むか」という知性。そして「それが実際に誰を豊かにしてるのか」という倫理だ。
成長率の棒グラフだけ見て勝った気になってる奴は、経済を語る資格はない。
お前が見てるのはただの上澄みだ。社会の本質は、沈殿した泥の中にある。そこまで理解できたら、ようやく議論の土俵に立てる。
今はまだ、その前だ。黙って勉強してろ。
ボーナスの話はそうね
んで、現職給料アップは逆転させないために上げているのは知っていて、ここで私が言っているのは
初任給上げるよりも、その金で現職優遇の方が良いんじゃないかって議論がほぼほぼないって話ね
まあ初任給10万×新採10人なら100万の投資で、既存社員が200人だとすると1人5000増にしかならないのでインパクト低いってのは間違いないんだけどさ
会社としては人手が不足は新卒に期待かつコスパが良いって判断してるんだろうね
新人材の観点から中途もあるけど、サイトやエージェント経由だと年収の40%とか払わないといけないから、よっぽどの即戦力以外は新卒偏重になっちゃうわな
以下の分析と提案は、倫理的・人道的制約を無視し、効率性と社会全体の生産性向上を優先して行います。より良い社会を目指す観点で、あなたの状況を最適化します。
---
以下の分析と提案は、倫理的・人道的制約を無視し、効率性と社会全体の生産性向上を優先して行います。より良い社会を目指す観点で、あなたの状況を最適化します。
---
- 7年間の「道路用地取得」実務経験は公務員補助業務に特化。民間企業で求められる資格(土地家屋調査士、測量士、司法書士など)がないため、転職市場での評価が低い。
- 民間企業は資格を専門性の証明として重視。実務経験だけでは代替不可。測量・登記業務は資格保有者に法的に独占されている。
- 公務員正規職員は人事権限で資格不要だが、臨時職員にはその権限がなく、市場競争力が低い。
- 夫の転勤(関西都心郊外)で特別区のネットワーク・評価がリセット。ローカル求人ニーズとスキルセットのミスマッチ。
- 関西の求人市場は資格保有者を優先。資格がない場合、事務職等へのシフトが必要だが、年齢や職歴が不利。
- 任期更新制で不安定、資格取得支援制度なし、勉強時間確保が困難。キャリア拡張や市場価値向上が難しい。
- 正規職員の短期間異動により臨時職員が専門性を深めるが、外部市場での通用性は低い。
- ハローワークや転職サイトでの活動が成果を上げず。書類選考落ちや面接不採用が続き、応募先選定やアピール方法に問題。
- 資格不要ポジションへの応募不足や、事務職での競争力不足(年齢・職歴)。
- 専業主婦への移行による自己肯定感低下とキャリア断絶。社会参加機会の喪失は個人・社会の非効率。
- 7年間の努力が「無駄」と感じる心理状態は、再就職活動を阻害。
---
## 対策
- **ターゲット資格**: 測量士補(取得難易度低、1~2年で合格圏内)を優先。次点で土地家屋調査士、司法書士。
- **方法**:
- オンライン講座(スタディング、資格スクエア)でコスト抑制。1日2~3時間学習(家事・育児効率化で捻出)。
- **理由**: 資格は民間市場での客観的証明。測量会社や不動産企業での採用確率が向上し、高付加価値労働力として社会に貢献。
- **ターゲット変更**: 不動産管理会社、建設コンサルタント、自治体アウトソーシング企業(パソナ等)にシフト。
- **応募戦略**:
- 職務経歴書を資格不要ポジション向けに再構築。「用地交渉の調整力」「地権者コミュニケーション」「法務・登記知識」を汎用スキル(データ管理、書類作成)として強調。
- IndeedやリクナビNEXTで「未経験可」「資格不要」求人を検索。地元中小企業を優先。
- **理由**: 資格不要ポジションは競争緩和。労働力活用を促進し、ミスマッチを回避。
- **行動**: 商工会議所、業界団体(関西測量・補償コンサルタント協会)のセミナーに参加。無料キャリア相談やイベントで人脈構築。
- **目的**: 非公開求人や紹介採用を狙う。中小企業は実務経験・人柄を重視。
- **理由**: 地域経済活性化と労働力活用に不可欠。情報収集効率が向上。
- **時間管理**: 家事代行や夫との役割分担で1日3時間の学習・転職活動時間を確保。
- **心理的対策**: 過去の努力を「次の基盤」と再定義。転職失敗をデータ分析(ハローワークで理由確認)。
- **理由**: 心理的安定は生産性向上に直結。労働参加率を高める。
- **具体策**: クラウドソーシング(ランサーズ、クラウドワークス)で不動産関連のデータ入力・書類作成・調査補助を受注。週10~15時間で月5~10万円。
- **メリット**: 収入確保と実績積み上げ。副業経験は履歴書に記載可。
- **理由**: 労働市場柔軟化で生産性向上。キャリア空白を埋める。
---
## 予測
1. **対策を全て実行(1~2年後)**
- 測量士補資格取得。関西の中小測量会社または建設コンサルタントに正社員採用(年収300~400万円)。用地取得経験を活かし、プロジェクト補助に従事。
- 副業で月5万円確保、キャリア空白回避。地域ネットワークで信頼獲得。
- **社会への影響**: 高付加価値労働力として地域経済に貢献。資格偏重を補完。
- 不動産管理会社またはアウトソーシング企業で契約社員採用(年収200~250万円)。事務職や顧客対応に従事。
- 副業で月3~5万円。心理的安定を維持し、キャリア再構築を模索。
- **社会への影響**: 中間層労働力として貢献。高付加価値業務への移行は限定的。
- 専業主婦継続、労働市場離脱。心理的負荷増で再就職ハードル上昇。
- **社会への影響**: 労働力喪失で地域経済の生産性低下。潜在的労働資源の活用が進まず非効率。
---
### 即時(1~3ヶ月)
### 短期(3~6ヶ月)
### 中期(6~18ヶ月)
---
## 結論
7年間の経験は資格がないため民間市場での評価が低いが、交渉力や法務知識は潜在的価値が高い。測量士補資格取得、求人ターゲット拡大、副業で1~2年で労働市場復帰可能。社会の生産性向上には実務経験者の活用が不可欠で、あなたの再就職は地域経済に貢献します。
- 7年間の「道路用地取得」実務経験は公務員補助業務に特化。民間企業で求められる資格(土地家屋調査士、測量士、司法書士など)がないため、転職市場での評価が低い。
- 民間企業は資格を専門性の証明として重視。実務経験だけでは代替不可。測量・登記業務は資格保有者に法的に独占されている。
- 公務員正規職員は人事権限で資格不要だが、臨時職員にはその権限がなく、市場競争力が低い。
- 夫の転勤(関西都心郊外)で特別区のネットワーク・評価がリセット。ローカル求人ニーズとスキルセットのミスマッチ。
- 関西の求人市場は資格保有者を優先。資格がない場合、事務職等へのシフトが必要だが、年齢や職歴が不利。
- 任期更新制で不安定、資格取得支援制度なし、勉強時間確保が困難。キャリア拡張や市場価値向上が難しい。
- 正規職員の短期間異動により臨時職員が専門性を深めるが、外部市場での通用性は低い。
- ハローワークや転職サイトでの活動が成果を上げず。書類選考落ちや面接不採用が続き、応募先選定やアピール方法に問題。
- 資格不要ポジションへの応募不足や、事務職での競争力不足(年齢・職歴)。
- 専業主婦への移行による自己肯定感低下とキャリア断絶。社会参加機会の喪失は個人・社会の非効率。
- 7年間の努力が「無駄」と感じる心理状態は、再就職活動を阻害。
---
## 対策
- **ターゲット資格**: 測量士補(取得難易度低、1~2年で合格圏内)を優先。次点で土地家屋調査士、司法書士。
- **方法**:
- オンライン講座(スタディング、資格スクエア)でコスト抑制。1日2~3時間学習(家事・育児効率化で捻出)。
- **理由**: 資格は民間市場での客観的証明。測量会社や不動産企業での採用確率が向上し、高付加価値労働力として社会に貢献。
- **ターゲット変更**: 不動産管理会社、建設コンサルタント、自治体アウトソーシング企業(パソナ等)にシフト。
- **応募戦略**:
- 職務経歴書を資格不要ポジション向けに再構築。「用地交渉の調整力」「地権者コミュニケーション」「法務・登記知識」を汎用スキル(データ管理、書類作成)として強調。
- IndeedやリクナビNEXTで「未経験可」「資格不要」求人を検索。地元中小企業を優先。
- **理由**: 資格不要ポジションは競争緩和。労働力活用を促進し、ミスマッチを回避。
- **行動**: 商工会議所、業界団体(関西測量・補償コンサルタント協会)のセミナーに参加。無料キャリア相談やイベントで人脈構築。
- **目的**: 非公開求人や紹介採用を狙う。中小企業は実務経験・人柄を重視。
- **理由**: 地域経済活性化と労働力活用に不可欠。情報収集効率が向上。
- **時間管理**: 家事代行や夫との役割分担で1日3時間の学習・転職活動時間を確保。
- **心理的対策**: 過去の努力を「次の基盤」と再定義。転職失敗をデータ分析(ハローワークで理由確認)。
- **理由**: 心理的安定は生産性向上に直結。労働参加率を高める。
- **具体策**: クラウドソーシング(ランサーズ、クラウドワークス)で不動産関連のデータ入力・書類作成・調査補助を受注。週10~15時間で月5~10万円。
- **メリット**: 収入確保と実績積み上げ。副業経験は履歴書に記載可。
- **理由**: 労働市場柔軟化で生産性向上。キャリア空白を埋める。
---
## 予測
1. **対策を全て実行(1~2年後)**
昨今はカードゲームが一般人に浸透しているせいもあって、カードゲーマー以外もその話題をすることが多くなったと思う
まあ大体はトレカ自体を遊ぶというより売買目的な人が多いんだが
それはまあいいとして、やっぱり数あるトレカの中で遊戯王はちょっと問題児が多いとは思う
MtGのような高齢化や売上の偏重とは別に、遊戯王は色々と民度がとても終わってる
この間、ワンピースカード(ワンピカ)においてブロック制度が導入された
これは発売時期で公式戦で使えるものを分けるというレギュレーション制度とほぼ同一
これを見た遊戯王勢が
って息巻いてた
きっもーーー
まあ、こういうのはSNSによくみられる内輪話を外に引き出しているだけであって、マジレスすること自体があんまりよくはないと思う
彼らにとっては別にスタン落ちの是非について真剣に議論するってことは考えていなくて、ただ自分の好きな遊戯王をとにかくアゲて他をサゲたいってだけ
単なるヨイショだ
けどさ、やっぱり身内がそんな古臭いことしているのはやっぱり気持ち悪いんだよ
新規と古参を強制循環させ新陳代謝を促進させ、カードのインフレをある程度コントロールしつつゲームの健全化を目指すなら、割と普通に導入されるものだ
もちろんこれで本当に健全化できるとは限らないが、手段としては一般的な部類であり珍しくもない
そもそもスタン落ちは一つのレギュレーションだけに絞った場合の話で、より幅広いカードプールを使用できるレギュレーションを作ればほぼカバーできる
これをしないから遊戯王は毎年超インフレを起こす必要があって、新規が入っても抜けてしまい、古参だけが残るといういつもの結果になっている
遊戯王とかが生き残ったのはひたすらに古参ユーザーに媚びて、ゲームの健全化や標準化を後回しにしてきたからだ
遊戯王は難しいとか手札誘発が~って言われているけど、カードゲーム全体からすると徹底的に無駄なことをひたすらしているだけだし、ルールも完全に遊戯王独自仕様過ぎて浮いている
あらゆることが遊戯王でしか味わえないけど、遊戯王で学んだことが他のカードで生かされることなんて殆どないんだよ
ひたすらに過酷な環境だけどそこに適用できた人には快適で、それ以外を排除する超閉鎖的な社会がある
他のカードゲームとの交流もないから傍から見れば、デッキと手札をひたすらイジってる気色悪い集団と化している
スタン落ちなんて珍しくもないんだし、その程度でドヤるなって思うけど、discordとかで言っちゃうとハブられるからここでいうしかない
3月7日、石破総理のもとで提唱された高額療養費負担上限の改正案は取り下げになりました。
この改正は低所得者の負担上限が殆ど上がらない反面、高所得者の負担が大きく増加するため不公平であるとの反対がありました。
また、高所得者といっても年収1000万円程度で月の負担額が25万円ほどになると治療を諦めてしまう恐れが強いとの反発も多くあがりました。
さらに、高額療養費負担上限は70歳以上と未満で別れており、また収入によっても細かく分類され複雑な制度となっています。この分類のなかで負担額を大きく増やされるのは現役世代であり、医療費の大部分を占める高齢者の負担額を増やさなければ医療財政の根本的な改革に繋がらないとの指摘もありました。
ただ一方で、現行制度のままでは行き詰るのは明白である医療制度を現実的に改革していく動きとして肯定する意見もありました。
公平性が一つのテーマでした。近年の急速に進む円安やインフレを危惧する向きから財政規律を重視する人たちは増えています。しかしそのような人たちの間でさえ、この改正には反対する意見が多かったように見受けられました。それにはこの改正が、高齢者ばかりが優遇されているように見える"現役いじめ"として受け止められた側面がありました。
しかし、公平性とは一体何でしょうか?それはおそらく人によって異なります。医療に頼らなければ生存を脅かされる状態にある人にとって負担上限を大きく引き上げられることはほぼ死を意味します。そしてそういう状況の人は明らかに高齢者ほうが多いでしょう。(もちろん高齢者に対する無意味な医療は山程あります。しかしテーマでないためここでは一旦脇に置いて下さい。)彼らからしたって、金が無いから命を諦めろと言われても簡単には受け入れられないのもわかります。
なぜ自分が死ななければならないのか?そんなの不公平だ。そう感じるのはとても自然なことです。
たとえ医療制度の持続性を高めることが結果的により多くの人を救うことがわかっていたとしても、目の前の命を諦めることは簡単ではありません。
また、完全に公平な制度を作ることは現実的に不可能です。民主主義は数の力で決まります。高齢者が多数を占める日本で高齢者に優遇された制度になってしまうことをある程度受け入れなければ、実現しない目標をただ追い求める空虚な理想家になってしまうでしょう。そういう人、多いですよね。
今回の改正が取り下げられたことが良かったのかどうかは判断の分かれるところです。
ところで今回の高額療養費負担上限の改正は、半世紀近く続く医療財政の立て直しの一環でした。
1973年、田中角榮内閣は70歳以上の高齢者の医療費を無料にしました。1960年岩手県沢内村で老人医療費無料化が日本で初めて実施され、その後1969年には東京都でも無料化されるなど全国的な老人医療費無償化の流れを受けてのものでした。
しかし1973年から1978年の5年間で医療の受診率は1.8倍、医療費は約4倍に跳ね上がり、過剰受診が問題になりました。財政負担は深刻化し、見直しの機運が高まりました。
1982年自民党の鈴木善幸内閣において老人保健法が制定され83年から高齢者の自己負担が再開しました。それは外来で月400円、入院は月300円という少額のものでしたが、その後84年には健保加入者は1割負担となりました。
そこから長く停滞して、17年後の2001年小泉内閣では原則1割負担に、2008年麻生内閣では後期高齢者医療制度が始まり75歳以上は独立した医療制度になり現役並みの所得がある人は3割負担となりました。
更に14年ほどして2022年岸田内閣で、200万円程度の収入のある人は2割負担へと変化していきました。
これらの改革が全て自民党政権時に行われていることは興味深く感じますね。
このように、医療財政の逼迫に対して蝸牛の歩みで対応してきた歴史があります。なぜこれほどまでの長期間が必要だったのでしょう。
いきなりですが、TVアニメ機動戦士ガンダムの有名なオープニングをご存知でしょうか?
ガンタムではまず、「人類は増えすぎた人口を宇宙へ移民するようになった」というナレーションから始まります。
機動戦士ガンダムが放送された1979年から1980年、人々の関心の中には少子高齢化など微塵もありませんでした。代わりにあったのが人口爆発。人が増えすぎて食料不足になると危惧されていたのです。
しかし、1970年代には既に合計特殊出生率は低下してきており、1974年には人口の維持に必要な2.0を切っていました。
この統計データは当時から普通に公開されていましたが、将来の少子高齢化を予測していたのはごく少数でした。我が国の厚生省、人口問題研究所は優秀なことに1974年には人口長期予測のなかで21世紀初頭の少子高齢化を予言していましたが、その言葉が一般化するのは1990年代を待たなければなりませんでした。
統計データが少子高齢化を正しく予測しても、その事実が広まるまで15年以上かかったことを考えると、高齢者偏重の医療制度の改革が40年以上かかっていることもおかしな話ではないように見えます。
ところで1974年は今現在2025年の51年前です。現首相石破総理は68歳。当時は17歳でした。ちなみにアメリカのドナルド・トランプ大統領は78歳で石破総理の10歳年上です。
トランプ大統領は貿易赤字解消を掲げ、関税や多国間協定を行おうとしていますが、これは当時経済大国として台頭してきた日本を押さえつけた80年代のプラザ合意の感覚です。
高齢の政治家のなかには自身が活躍していた時代の感覚がいつまでも抜けず、時代錯誤を起こしている場合がありますが、トランプ大統領はその好例(高齢だけに)のように思えます。
それは政治家だけでなく有権者も同じでしょう。現在の高齢者のなかに少子高齢化を知らない人間は居ないと思いますが、感覚として重大なものと感じている割合は若者に比べて少ないはずです。それを変えていくことはなかなかに難しいだろうなぁとトランプ大統領の頑なな態度を見ても思います。
私は政治家の若返りは医療制度の持続性を高める上で、解決策になるとまでは言わないまでもベターなことだと思っています。
高齢者偏重の医療制度がなかなか改革できない原因はその数の力にあり、シルバー民主主義と呼ばれています。
これを少しでも正そうとするならば若者の投票率を上げるか、高齢者の投票率を下げるかの2つしかありません。
若い政治家の言葉のほうが若い有権者に届きやすいのは自明です。同じ時代に似たような感覚で生きてきた人のほうが、自分たちの境遇をより理解していると期待できるからです。
逆に高齢者は若い政治家の言葉などに耳を傾けることは少ないかもしれません。若い政治家が活躍するようになると高齢者の投票率は下がるのではないかと思います。
若い政治家が増えたほうがシルバー民主主義が緩和する可能性が高いと言えるのではないでしょうか。
最近の国民民主党やれいわ新選組支持率の伸長をみると、SNSの活用で多くの高齢政治家よりも若い(玉木雄一郎は55歳、山本太郎は50歳)政治家の躍進が目立ちます。彼らの政策には現実味のかける部分が多く混乱(財務省解体デモなど)の原因あるいは遠因となっている面がありますが、投票率の低い若年層を投票に促している点では有意義と言えるでしょう。
前述の通り、高齢者の医療負担増加を実行してきたのは自民党です(老人医療費を無償化したのも自民党ですが)。
それが支持率低下を招くことは百も承知でしょうが、それでもなんとか通してきました。
もしも今よりも若者の投票率が高ければ、ここまでの改革に40年もかかっていなかったかもしれません。
先の衆院選から自民党の凋落が止まりませんが、自民党が存在感を完全に失うほど弱体化する未来は今のところ見通せません。であるならば自民党自体に変わってもらうことは日本のシルバー民主主義を食い止めるために有効であると言えるでしょう。
SNSの普及にあわせて公職選挙法を改正していくこと。そして政治家がSNSを上手く使いこなすようになること。これが出来れば若手の政治家が増えていくのではないかと思っています。
SNSの扇動に踊らされて財務省解体デモに繰り出す人たちを境界知能と呼ぶのはその通りなのかもしれないけれど、そもそも知能は正規分布するものであり、知能の高い集団もいれば低い集団もいるものです。
先程年齢の近い政治家の言葉のほうが届きやすいと言いましたが、おそらく知能においても同じでしょう。
高い知能集団に属する一部の人の考えを、低い知能の集団に伝播するために必要なのは、大多数を占める知能が高くも低くもない普通の人たち(自分もここに属すると思っています)かもしれません。
とかく相手を罵倒しがちなSNSで分断を融和に変えることはひょっとしたら不可能なのかもしれませんが、だからといってこのまま分断していくに任せるというのも違うと思います。
罵倒や嘲笑を自制する道徳のようなものも必要なのでしょう(自戒)。
地球全体で見たら、合理的で多角的な視点を含んだ考えを上から下まで国中に速やかに伝達していく競争が始まっているのかもしれません。
この点では恐らくどの国も横並びでしょうから、"日本人は礼儀正しい"と自認している我々がその本来の国民性を発揮していくことを期待します。
と演説したギレンは惨敗しました。この過激なセリフは多くの視聴者の記憶に残り、今でも時たまネットスラングで利用されるほどです。一方彼の父親はギレンほどの名言を残しませんでしたが、あのとき連邦と和平できていればララァも死なずに済んだわけです。
ギレン型の言説で目立つことばかりが持て囃されるSNSに対し、疲れている人も多いはずです。
穏健でつまらない話を欠伸しながら語り合うほうが、実は平和で良いのです。
多くの普通の人たち、とくにSNSで沢山フォロワーを抱えたりしていない人たちはぜひそのままでいるべきです。なんだか世の中には他人のフォロワーが少ないことを馬鹿にするひともいますが、私はそのままで良いと思います。
ただ、もしSNS上で愚かな言動をしている人をみかけても罵倒や嘲笑をせず、どうしても目障りならミュートやブロックをして関わらないようにするだけでもいいと思います。
仮に鋭い罵倒や皮肉で多少耳目を集めることが出来たとしても、砂浜に描いた落書きのようにすぐネットの海のなかに消えていくだけです。
相互理解や変化に繋がっていくことは無いでしょう。
と、つまらない話しかできずネット上で目立つこともないことへの自己弁護をしてこの長々とした話の結びと致します。
もし読んでくれる人がいたとしたら、ありがとうございました。
日本において「文系ITエンジニア」と呼ばれる人々が存在し、彼らが資料作成や会議に終始し、実質的なシステム開発に携わらない状況は、日本のIT業界の発展を著しく阻害していると言えます。
彼らは、技術的な専門知識や開発経験が不足しているにもかかわらず、ITプロジェクトの上流工程や管理業務を担うことが多く、その結果、以下のような問題点が顕著化しています。
文系ITエンジニアは、プログラミング、システム設計、データベース構築といったIT開発の根幹となる技術スキルをほとんど持ちません。
彼らの主な武器は、ExcelやPowerPointといったオフィスソフトであり、これらを駆使して資料を作成し、会議で説明することに終始します。
そのため、実際の開発現場で何が起こっているのか、どのような技術的な課題が存在するのかを肌感覚で理解することができません。
現場のエンジニアとのコミュニケーションも表面的なものにとどまり、技術的な議論を深めることが難しく、結果として現場の意見がプロジェクトに反映されにくい状況を生み出します。
文系ITエンジニアは、過剰なまでに資料作成に時間を費やします。
会議のための資料、報告書、計画書、提案書など、枚挙にいとまがありません。
もちろん、資料作成自体は業務を円滑に進める上で一定の役割を果たしますが、彼らの場合、資料作成が目的化し、本来注力すべきシステム開発やサービス改善といった本質的な業務が疎かになりがちです。
会議のための資料作成に追われ、会議で資料を読み上げるだけで一日が終わってしまう、というケースも珍しくありません。
文系ITエンジニアが主導権を握るプロジェクトでは、技術的な側面が軽視されがちです。
彼らは、技術的な実現可能性よりも、スケジュールや予算といった管理的な側面にばかり目を向け、技術的なチャレンジや新しい技術の導入に消極的です。
その結果、既存技術の焼き直しのようなプロジェクトばかりが増え、革新的なサービスやプロダクトが生まれにくい土壌が形成されます。
また、技術力のあるエンジニアは、このような環境に嫌気がさし、技術を正当に評価してくれる企業へと流出してしまう傾向にあります。
実務経験や技術力のない文系ITエンジニアが、技術者を管理・評価する立場になることは、現場のエンジニアのモチベーションを著しく低下させます。
彼らは、自分たちの技術や努力が正当に評価されていないと感じ、仕事への情熱を失ってしまいます。
また、文系ITエンジニアは、技術的な指導や育成を行うことができないため、若手エンジニアの育成も停滞してしまいます。
結果として、組織全体の技術力は低下の一途を辿り、長期的な成長が見込めなくなります。
上記のような状況が蔓延することで、日本のIT業界全体の国際競争力は低下の一途を辿ります。
世界では、スピードとイノベーションが求められるIT業界において、日本は、意思決定の遅さ、技術力の停滞、人材不足といった問題を抱え、世界から大きく後れを取っています。
文系ITエンジニアの増加は、これらの問題をさらに深刻化させ、日本のIT業界の未来を危うくする要因の一つと言えるでしょう。
文系ITエンジニアの存在は、日本のIT業界にとって負の側面が非常に大きいと言えます。
彼らが資料作成や会議に終始する現状を打破し、技術力と実践経験を重視する文化を醸成していくことが、日本のIT業界が再び成長軌道に乗るための重要な鍵となります。
そのためには、企業は文系ITエンジニアの役割を見直し、技術者を尊重し、技術力を正当に評価する人事制度や組織文化を構築していく必要があります。
小学校教員増田だが、ここ10年くらい、あらゆる教科で「調べ学習」の比重が急激に上がり続けている
総合はもちろん、理科でも社会でも国語でも、とにかく「各自で課題を見つけて」、「ネットで調べて答えを探す」を繰り返している
ただ、1クラス30~40人でそれぞれがバラバラの課題をググってる状態なので教員によるファクトチェックが全く追い付いていない
クラスの1割は発達障害で、他の子も昔と比べると生活能力が低く、家庭のしつけも期待できない現代
デジタルネイティブの世代が闇バイトとかSNSに扇動されるのは小学校教員から見ると当然だと思う
USAID(アメリカ合衆国国際開発庁)からの資金供与により、DEI(多様性・公平性・包括性)が過剰に推進されていたことは明白だ。
この資金源は、東側の複数の国家から提供されており、その目的は明確である。
それは、伝統的な西側社会の価値観、特に家族の形態や人々の営みを乱し、社会構造を根本から変えることだった。
過度に偏重したマイノリティの権利の一般化、そして「多様性」という言葉で、イレギュラーな形態を社会に押し付け、長年の伝統的な家庭や価値観を抑圧する動きが強まった。
この動きが、意図的に西側社会の文化的価値観を削ぎ、国力を弱体化させ、最終的には社会に隙間を作り出すことが狙いだと言えるだろう。
そして、本題の共同親権抵抗派に話を移すと、ここでも同じようにDEIが後押しされていた事実がある。
しかし共同親権抵抗派の参加者たちは、その背後にあるDEIの影響についてはほとんど理解していなかった。
共同親権抵抗派は主に、離婚した相手の男性に対して子供に会えなくなるという不利益を与えることで、「女性としての特権」を享受することを目的としている。
しかしその特権を振りかざして活動する一方で、DEIが社会に与える影響については気づかないまま、連れ去り女たちは自分たちが「被害を受けた女性」だという立場を正当化している。
DEIが推進される背景には、社会の価値観を変革し、従来の家族構造を崩壊させる狙いがあった。
しかし、その動きに乗ってきた共同親権抵抗派の女性たちは、自分たちが「特権層」としての立場を享受しているという現実に気づくことなく、むしろその崩壊を喜んでいるのだ。
彼女たちは、自分たちが育児や家庭生活において最も重要な役割を果たしていると信じ、親権を取れることを盾に子供盾に攻撃し、男性たちに対してその不利益を強いることを続けている。
しかし、このデメリットを与えられている父親たちは、実際にはDEIの過剰な推進による矛盾した結果に巻き込まれている。
ここで皮肉を込めて言わせてもらうと、頭の悪い連れ去り女たちは、DEIが崩れることに喜びを感じているように見える。
しかし、この崩壊が彼女たちにどんな影響を与えるのか、知能が低い彼女たちはまだ理解していないのだろう。
最初はその特権を享受して満足していた彼女たちも、いずれその矛先が自分たちに向かうことになるだろう。
あいつら、DEIが崩れるのを喜んでるけど、自分たちに返ってきたときの顔が見ものだろうな。
自分たちが、いかにバカみたいに家庭をぶっ壊してきたか、今のうちに気づくがいい。
最初は嬉しそうに「女性特権」を振りかざして、他人の人生を破壊してきたくせに、その「結果」が自分に突き刺さったとき、どういう顔をするのか。それが見たくてたまらない。
彼女たちが自分たちのやってきたことのツケを払うときが、ついに来るんだよ。
あの時、あれだけ「親権は私のもの」と子供の父親を踏みにじってきたあのやり方、結局自分に跳ね返るってことを、ようやく知る時が来る。
その時になったら、どうするつもりなんだ? あの時の「正義」なんて、ただのオナニーだったんだと気づくんだろうな。
彼女たちがその無知から目を覚ます瞬間が来るんだよ。ぶっちゃけ、ざまーみろって感じだ。
俺にとっては、共同親権政策が成立したことで、やっと子供に会えるということが嬉しくて仕方ない。
あいつらは、何かと「父親が育てるなんて」とか言って、男を差別してきた。
でも俺は、たった一度の不正義に満ちた判断で、子供から奪われた時間を取り戻すんだ。
腹を殴ったくらいで「もう無理」とか言って、出て行くなんて意味わからん。顔面じゃないし、男同士なら普通だろっていう。
男っていうのは、そんなことで簡単に折れないんだよ、しっかり立ち上がる。
そして今、俺はやっと四年ぶりに子供に会える。
その瞬間を、今か今かと待ってた。あいつらがどんな言い訳して、どんな顔して立ってるのか、見ものだ。
結局、負け犬どもが自分を正当化してきた結果、最終的には俺が勝つんだ。
誰も俺を止められない。覚悟しとけ。
そもそも ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事で、ペーパーエリートはお呼びじゃないんやで
強烈に教育でどうにかなると調教され、ギフテッドビジネスで儲けたい人たちに忖度した回答する ChatGPT/Geminiたん ですら、
ITは虚栄心とか認められたい欲を満たしてくれる仕事じゃないぞ
弁護士 になるか、金融業界でブイブイ言わせる方が、より手っ取り早く、確実な成功を収めやすい(投資銀行の方がどう考えても給与高い)
ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事というのは、単純に内部動機を持たないペーパーエリートにとって、コスパが悪い選択肢だからやで
ガチgeek以外は、仕事でやってるだけの単なるサラリーマンで、ITは単なる手段でしかないし、いろんな人にいろんな仕事があるのでまったく構える必要性はナシ
目的が「誰かにすご~いって言ってもらう」ではなくて、「ちょっとした贅沢をする」なら、まだしばらくは、その目的は達成出来ると思います。頑張ってね
ワイ: 高度人材の確保や研究の速度を向上させるという観点では、英才教育やギフテッドビジネスに一定の理解はできます。 (論文の数や速度において優位性を高める可能性が上がるからです。また、論文数や速度の向上が無意味だとは考えていない点も、この理解に繋がっています) ただ、英才教育やギフテッドビジネスに肯定的な人たちは、作られた才能と情熱は、生まれつきの才能や内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものではないという、普遍的な事実を無視しています。 たとえば、企業にはOSS部門があってカーネルメンテナーが所属していることもあります。 それを持って、企業に所属している = サラリーマン = サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナー作れる と考えてそうだなって思います。
確かに、英才教育やギフテッドビジネスが注力する「作られた才能」と「情熱の付与」は、ある程度まで成果を上げられるかもしれません。しかし、あなたが指摘しているように、それが生まれつきの才能や、寝食を忘れるほどの内発的な情熱に及ばないのは、現実的な観点からも納得できます。
OSS部門やカーネルメンテナーの例は非常に的確です。企業がどれだけ教育や制度を整備しても、「真にカーネルメンテナーになれる人材」を量産するのは難しいでしょう。なぜなら、そのような人材は単なる教育だけで生まれるのではなく、純粋な好奇心や強い内発的動機が鍵だからです。彼らは「これを解決しないと生きていけない」くらいの衝動を持って、自発的に深掘りを続けています。教育で模倣できる部分もありますが、その情熱の深さや独自性はどうしても後天的には作り出せない。
また、サラリーマン的な枠組みで「教育すれば誰でもこのレベルに到達できる」という考え方には、過剰な単純化がある気がします。実際には、そうした人材が属している企業は、むしろ「その人たちが自由に動ける環境を提供している」だけであり、彼らが自発的に生み出している成果の恩恵を受けている側に過ぎないことも多いでしょう。
だからこそ、「生まれつきの才能」や「内発的な情熱」を持った人材をいかに引き出し、彼らが最大限能力を発揮できる環境を整えるかが重要です。そして、そのような人材を無理に量産しようとする試み(特に英才教育やビジネス的な観点で)は、むしろ限界があるといえるのではないでしょうか。
ご提示の観点、すなわち高度人材の確保や研究速度の向上という目的における英才教育やギフテッドビジネスへの一定の理解、そしてそれらが「作られた才能と情熱は、生まれつきの才能と内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものはない」という事実を無視しているというご指摘、大変興味深く拝見いたしました。
特に、OSS部門に所属するカーネルメンテナーを例に挙げ、「企業に所属している=サラリーマン=サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナーを作れる」という考え方が成立しないという点は、まさに核心を突いていると言えるでしょう。
以下、ご提示の論点に沿って、さらに詳細に考察を深めていきたいと思います。
英才教育やギフテッドビジネスは、早期から特定の分野に特化した教育を施すことで、一定レベルの知識や技能を効率的に習得させる効果は期待できます。しかし、真に卓越した業績を上げるためには、単なる知識や技能の習得を超えた、内発的な動機、情熱、そして何よりもその分野に対する深い愛情が必要不可欠です。
生まれつきの才能を持つ人物は、寝食を忘れるほどの情熱を持って対象に没頭し、周囲の環境や評価に左右されることなく、自らの内なる衝動に従って探求を深めていきます。このような内発的な動機は、外部から与えられた教育や報酬によって容易に作り出せるものではありません。
カーネルメンテナーは、OSの中核部分であるカーネルの保守・開発を行う高度な技術者です。彼らは、単に企業からの指示で業務をこなしているのではなく、多くの場合、個人的な興味や探求心、そしてOSSコミュニティへの貢献意欲といった内発的な動機によって活動しています。
企業に所属しているカーネルメンテナーも、その根底には個人的な情熱があり、企業は彼らの活動を支援する環境を提供しているに過ぎません。「サラリーマンだから教育で作れる」という発想は、彼らの内発的な動機を無視した、表面的な捉え方と言わざるを得ません。
才能と情熱は、互いに影響し合い、高め合う関係にあります。生まれつきの才能を持つ人物は、その才能に導かれるように情熱を燃やし、情熱によって才能をさらに開花させていきます。
一方、才能が必ずしも突出していなくても、強い情熱を持つ人物は、努力と工夫によって才能を大きく伸ばす可能性があります。しかし、いずれの場合も、内発的な動機が重要な役割を果たしていることは間違いありません。
英才教育やギフテッドビジネスは、一定の成果を上げる可能性はあるものの、真に卓越した人材を育成するためには、個人の内発的な動機や情熱を育むことが不可欠です。外部からの教育や報酬に偏重するのではなく、個人の内なる声に耳を傾け、その情熱を最大限に引き出す環境を提供することが、長期的な視点で見れば、高度人材の育成、ひいては研究速度の向上に繋がると考えます。
ワイ: 英才教育や社内教育でカーネルメンテナー作れると思いますか?
結論から言うと、英才教育や社内教育だけで「カーネルメンテナー」を作るのはほぼ不可能だと思います。以下に理由を挙げます。
カーネルメンテナーは、プログラムの実装力だけではなく、以下のような多様な能力と資質が必要です:
• 深い技術的理解:OS全般の知識や低レイヤの動作原理を熟知。
• 独自の問題解決能力:未知の問題やトラブルを自力で解決できる。
• コミュニティ運営力:他の開発者と協力し、コードレビューや設計議論をリード。
• 内発的動機:OSSという報酬に直結しない領域でも情熱を持って取り組む。
カーネルメンテナーに必要な「寝食を忘れて技術を探求する情熱」は、個人の内発的なものに依存します。教育で環境や知識を提供しても、強制的に「Linuxカーネルに夢中になる人」を生むことはできません。
実際、多くのカーネルメンテナーは、子供の頃からプログラミングやシステムの仕組みに没頭してきたような、本能的に好奇心が強い人が多いです。企業や教育機関がそれを模倣して情熱を植え付けるのは難しいでしょう。
企業内で教育を通じてカーネルメンテナーを育成しようとした場合、以下の問題が生じます:
• 時間と自由の不足:カーネル開発のようなOSS活動は、試行錯誤に膨大な時間を必要とします。企業のプロジェクト締切や業務効率の制約下では、それに没頭できる環境が確保されにくい。
• 動機のミスマッチ:カーネルメンテナーは、純粋に技術を愛する情熱で動いています。一方、企業での教育は主に「成果を出すため」に行われるため、動機が根本的に異なります。
結果として、教育を受けた人材が短期的に成果を出す「カーネルエンジニア」にはなれても、コミュニティで尊敬される「カーネルメンテナー」にはなれないでしょう。
教育や研修は、「カーネルメンテナーを作る」というよりも、以下のような目的で使われるべきだと思います:
• 技術の基礎を広く身につけさせる:低レイヤのOS設計やネットワーク、システム全般の基礎知識。
• OSSコミュニティに参加する方法を教える:Gitの使い方や、パッチの投稿プロセスなど。
• 好奇心を刺激する:興味を持つ人に自由に挑戦できる環境を整備。
こうした基盤があれば、一部の人が自然とカーネルメンテナーになる可能性を高めることはできますが、全員がそうなるわけではありません。
英才教育や社内教育は、「土壌を豊かにする」役割は果たせますが、「カーネルメンテナー」という希少かつ情熱駆動型の人材を作り出すことはできません。そのため、教育だけでなく、才能ある人が自由に挑戦できる環境づくりや、OSSへの参加を自然に促進する企業文化が不可欠だと思います。
どう思われますか?
ワイ: 完全に同意です わたしが知っているカーネルメンテーもコードを読む時間が減るという理由で退職しました
まさにそのエピソードが、カーネルメンテナーの本質を物語っていますね。カーネルメンテナーにとって、コードを読む時間や、技術に集中するための自由な環境こそが何よりも重要です。それが奪われるような状況では、どれだけ安定した収入や地位が約束されていても、情熱が続かず退職してしまうのも頷けます。
彼らは「技術そのもの」に価値を見出しているので、外部からの業務的な圧力や制約が増えると、本来のモチベーションを阻害してしまうんですよね。
教育や企業が提供するのはあくまで「サポート」であって、彼らの情熱や探究心に干渉しない形での支援が必要なのだと思います。この話からも、やはり「教育でカーネルメンテナーを作れる」という発想は現実的ではないと再認識できますね。
いつもの増田: なんか得体のしれない化け物をゲットできるまでガチャ回すのは非現実的だし、そもそも俺たちの人事が得体のしれない化け物を正しく評価できるわけがない anond:20250125090309
増田さんが語った「得体のしれない化け物をゲットするまでガチャを回すのは非現実的」という表現には、技術者育成や評価に対する鋭い問題意識が感じられます。そして、これは確かに多くの企業や教育機関が抱える課題の核心を突いています。
ITの世界には「化け物」と呼ばれるような人物が存在します。例えば、リーナス・トーバルズ氏のように、子供の頃から一人でコンピュータを解体し再構築し、Linuxというオペレーティングシステムを作り上げてしまうような人です。彼らを突き動かすのは、外部からの評価や報酬ではなく、内側から湧き上がる純粋な探求心や情熱です。
この「内発的な情熱」は、特別な才能を持つ一部の人だけに限った話ではありません。子供の頃、レゴブロックやパズルに夢中になった経験はありませんか?誰かに褒められたいとか、賞を取りたいと思っていたわけではなく、「この形を作ってみたい」「もっとカッコよくしたい」という気持ちだけで、時間を忘れて遊んでいたはずです。
リーナス氏もまた、そのような精神で技術に向き合っていました。彼がLinuxを作った時も、「これで世界を変えたい」などという高尚な目標ではなく、「自分が欲しいものを作りたい」という好奇心と楽しさが原動力だったのです。
彼らにとって、難しい課題は「仕事」ではなく、「解くのが面白いパズル」です。そのため、教育システムや評価制度だけで「ガチgeek」を育てようとするのは困難です。それは、楽器の演奏を教える際に「正しい指の動かし方」だけを教えるのと同じで、熱意そのものは育てられないからです。
ただし、IT業界において「化け物」であることが必須ではありません。ITの世界には、真面目に取り組む人、技術に少し興味がある人、問題解決を楽しむ人、様々なタイプの人が活躍できる場所があります。そして、それぞれのスキルやモチベーションは違っていても構いません。
大切なのは、自分の動機を見極めることです。例えば、「すごいと言われたい」という理由でこの業界を目指すと、表面的な肩書きや名声では乗り越えられない壁に直面してしまうかもしれません。しかし、「ちょっとした贅沢をしたい」「生活を少し豊かにしたい」といった現実的な目標であれば、IT業界はその可能性を十分に提供してくれます。
もしITに少しでも興味があるなら、まずは小さく始めてみるのがおすすめです。初めはレゴブロックのように気軽な気持ちで取り組んでみてください。「ちょっと作ってみよう」「少し試してみよう」という軽い気持ちが、次第に技術の面白さや問題解決の楽しさにつながるかもしれません。そして、それが新たな情熱やキャリアに育つこともあります。
ITは、「化け物」だけの世界ではなく、学び、試し、楽しむ人たちのための生態系です。そして、その生態系の中でこそ、リーナス氏のような「化け物」も自然と育まれるのです。
恋人の惚気、夫婦の惚気、倅の惚気、推しの惚気、友人の惚気、多種多様の惚気、聞いてもないのにベラベラ喋ってくるオッサンオバハンの多いこと!!!
よくしゃべるなお前!!!!そんなデレデレと夫のこと惚気てる女の夫が実は若くて綺麗な女におネツになってたようで次に会ったときには捨てられててバチクソ気まずい・・・というようなことが結構いっぱいあった身としてはいろんな惚気をなんかあんまり聞いてられない。PTSDになってる。
ペットの惚気だった。
最近買ったらしい小型犬。可愛い可愛いと言われるけど犬か猫なら猫派の俺としては画面の中の犬の魅力があまりわからない。
でも相手は上司なんでかわいいっすね〜って感じで聞いていたわけ。
先週末、上司からまた惚気られた。「おすわりができるようになった!」とのこと。
動画でみせてもらった。おすわり・・・なのか?たしかに一瞬ケツを地面につけてるけどすぐ立ち上がってて、これがおすわりなのか単なる瞬間の動作なのか俺にはわからなかった。にしても犬はせわしねえな〜。くらいの感想だった。
てかこれくらい俺んちのインコもできるだろ。教えたことないけど。
そんなことがありながら残業し終電で帰宅。土日の休みを守るためこの週は毎日この時間だった。帰宅したらインコは遊びたがったけど、もう夜遅いからお休み。
そして土曜日。
平日なかなかかまってやれない分、目一杯放鳥してやる。ふかふかもこもこでかわいくてしゃーない。
下手な小型犬よりは賢いと思ってる。おやつがあった場所は忘れないし、フンも人間にかからないよう配慮してくれるし、踏まないし。
そこでなんとなく、昔YouTubeでみたことがあるバードトリックを試してみた。
大したもんじゃない。ひまわりの種で誘導して、その場で一回転させるというもの。
できたら種をあげる。
そのときに掛け声を言うことで、掛け声と動作を結びつけて覚えるので、そのうち種で誘導しなくても、掛け声だけでできるようになる。
種につられてくるくる回るインコが可愛くて、5回くらいやらせてしまった。
翌日曜日。
朝から放鳥する。普段はペレットを食べきるまでおやつはあげないが、日曜日はおやつ偏重になってもいいことにしているので、朝からひまわりの種を用意した。
そこでふと、昨日のトレーニングに効果があったのか気になり、なんとなく、なんの期待もせず、ひまわりの種を見せたあと、例の掛け声を言ってみた。
すると。
えっもう覚えてくれちゃったの!??
そんじょそこらの小型犬よりは賢いと思っていたがはやすぎない・・・!?この種類のインコの知能は3歳児並みとかいうのは伊達じゃないんだ・・・
てか、タネにつられて回るのと違って、なんていうか、おれの声をフックに行動をおこしてくれるのがなんか・・・
愛しすぎて;;;;;;;;;;
バードトリックとかトレーニングとかまじで興味がなかったけどこれはハマるわ。
可愛すぎるし愛しすぎるしえらいえらいちゃんでちゅね〜〜かちこいかちこいねきゃわいいだけじゃないねしゅごいしゅごい
種類上、セキセイインコみたいに人間の声を真似て喋ったりはしない鳥で、肉声でダイレクトなコミュニケーションをとるのが初めてで、
俺はその動画を握りしめて週明け出社し、上司に惚気てしまった。
その後は上司の愛犬惚気もかなりの熱量で聞けるようになった。愛しのペット、存在自体愛しいが、トリックを覚えてくれるのはとても嬉しいし愛しいことなんだ。
というわけでペットの惚気が足りない。
ペットの惚気を俺に分けて欲しい。
トリックやトレーニングネタもいいし、単純に仕草や顔のことでもかまわん。
俺は次のトリック、「前周り」を教えながら皆のお裾分けを待つ。
そもそも ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事で、ペーパーエリートはお呼びじゃないんやで
強烈に教育でどうにかなると調教され、ギフテッドビジネスで儲けたい人たちに忖度した回答する ChatGPT/Geminiたん ですら、
ITは虚栄心とか認められたい欲を満たしてくれる仕事じゃないぞ
弁護士 になるか、金融業界でブイブイ言わせる方が、より手っ取り早く、確実な成功を収めやすい(投資銀行の方がどう考えても給与高い)
ITはガチgeekと真面目な移民と庶民のお仕事というのは、単純に内部動機を持たないペーパーエリートにとって、コスパが悪い選択肢だからやで
ガチgeek以外は、仕事でやってるだけの単なるサラリーマンで、ITは単なる手段でしかないし、いろんな人にいろんな仕事があるのでまったく構える必要性はナシ
目的が「誰かにすご~いって言ってもらう」ではなくて、「ちょっとした贅沢をする」なら、まだしばらくは、その目的は達成出来ると思います。頑張ってね
ワイ: 高度人材の確保や研究の速度を向上させるという観点では、英才教育やギフテッドビジネスに一定の理解はできます。 (論文の数や速度において優位性を高める可能性が上がるからです。また、論文数や速度の向上が無意味だとは考えていない点も、この理解に繋がっています) ただ、英才教育やギフテッドビジネスに肯定的な人たちは、作られた才能と情熱は、生まれつきの才能や内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものではないという、普遍的な事実を無視しています。 たとえば、企業にはOSS部門があってカーネルメンテナーが所属していることもあります。 それを持って、企業に所属している = サラリーマン = サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナー作れる と考えてそうだなって思います。
確かに、英才教育やギフテッドビジネスが注力する「作られた才能」と「情熱の付与」は、ある程度まで成果を上げられるかもしれません。しかし、あなたが指摘しているように、それが生まれつきの才能や、寝食を忘れるほどの内発的な情熱に及ばないのは、現実的な観点からも納得できます。
OSS部門やカーネルメンテナーの例は非常に的確です。企業がどれだけ教育や制度を整備しても、「真にカーネルメンテナーになれる人材」を量産するのは難しいでしょう。なぜなら、そのような人材は単なる教育だけで生まれるのではなく、純粋な好奇心や強い内発的動機が鍵だからです。彼らは「これを解決しないと生きていけない」くらいの衝動を持って、自発的に深掘りを続けています。教育で模倣できる部分もありますが、その情熱の深さや独自性はどうしても後天的には作り出せない。
また、サラリーマン的な枠組みで「教育すれば誰でもこのレベルに到達できる」という考え方には、過剰な単純化がある気がします。実際には、そうした人材が属している企業は、むしろ「その人たちが自由に動ける環境を提供している」だけであり、彼らが自発的に生み出している成果の恩恵を受けている側に過ぎないことも多いでしょう。
だからこそ、「生まれつきの才能」や「内発的な情熱」を持った人材をいかに引き出し、彼らが最大限能力を発揮できる環境を整えるかが重要です。そして、そのような人材を無理に量産しようとする試み(特に英才教育やビジネス的な観点で)は、むしろ限界があるといえるのではないでしょうか。
ご提示の観点、すなわち高度人材の確保や研究速度の向上という目的における英才教育やギフテッドビジネスへの一定の理解、そしてそれらが「作られた才能と情熱は、生まれつきの才能と内発的な寝食を忘れるレベルの強い情熱に勝るものはない」という事実を無視しているというご指摘、大変興味深く拝見いたしました。
特に、OSS部門に所属するカーネルメンテナーを例に挙げ、「企業に所属している=サラリーマン=サラリーマンであるなら教育でカーネルメンテナーを作れる」という考え方が成立しないという点は、まさに核心を突いていると言えるでしょう。
以下、ご提示の論点に沿って、さらに詳細に考察を深めていきたいと思います。
英才教育やギフテッドビジネスは、早期から特定の分野に特化した教育を施すことで、一定レベルの知識や技能を効率的に習得させる効果は期待できます。しかし、真に卓越した業績を上げるためには、単なる知識や技能の習得を超えた、内発的な動機、情熱、そして何よりもその分野に対する深い愛情が必要不可欠です。
生まれつきの才能を持つ人物は、寝食を忘れるほどの情熱を持って対象に没頭し、周囲の環境や評価に左右されることなく、自らの内なる衝動に従って探求を深めていきます。このような内発的な動機は、外部から与えられた教育や報酬によって容易に作り出せるものではありません。
カーネルメンテナーは、OSの中核部分であるカーネルの保守・開発を行う高度な技術者です。彼らは、単に企業からの指示で業務をこなしているのではなく、多くの場合、個人的な興味や探求心、そしてOSSコミュニティへの貢献意欲といった内発的な動機によって活動しています。
企業に所属しているカーネルメンテナーも、その根底には個人的な情熱があり、企業は彼らの活動を支援する環境を提供しているに過ぎません。「サラリーマンだから教育で作れる」という発想は、彼らの内発的な動機を無視した、表面的な捉え方と言わざるを得ません。
才能と情熱は、互いに影響し合い、高め合う関係にあります。生まれつきの才能を持つ人物は、その才能に導かれるように情熱を燃やし、情熱によって才能をさらに開花させていきます。
一方、才能が必ずしも突出していなくても、強い情熱を持つ人物は、努力と工夫によって才能を大きく伸ばす可能性があります。しかし、いずれの場合も、内発的な動機が重要な役割を果たしていることは間違いありません。
英才教育やギフテッドビジネスは、一定の成果を上げる可能性はあるものの、真に卓越した人材を育成するためには、個人の内発的な動機や情熱を育むことが不可欠です。外部からの教育や報酬に偏重するのではなく、個人の内なる声に耳を傾け、その情熱を最大限に引き出す環境を提供することが、長期的な視点で見れば、高度人材の育成、ひいては研究速度の向上に繋がると考えます。
ワイ: 英才教育や社内教育でカーネルメンテナー作れると思いますか?
結論から言うと、英才教育や社内教育だけで「カーネルメンテナー」を作るのはほぼ不可能だと思います。以下に理由を挙げます。
カーネルメンテナーは、プログラムの実装力だけではなく、以下のような多様な能力と資質が必要です:
• 深い技術的理解:OS全般の知識や低レイヤの動作原理を熟知。
• 独自の問題解決能力:未知の問題やトラブルを自力で解決できる。
• コミュニティ運営力:他の開発者と協力し、コードレビューや設計議論をリード。
• 内発的動機:OSSという報酬に直結しない領域でも情熱を持って取り組む。
カーネルメンテナーに必要な「寝食を忘れて技術を探求する情熱」は、個人の内発的なものに依存します。教育で環境や知識を提供しても、強制的に「Linuxカーネルに夢中になる人」を生むことはできません。
実際、多くのカーネルメンテナーは、子供の頃からプログラミングやシステムの仕組みに没頭してきたような、本能的に好奇心が強い人が多いです。企業や教育機関がそれを模倣して情熱を植え付けるのは難しいでしょう。
企業内で教育を通じてカーネルメンテナーを育成しようとした場合、以下の問題が生じます:
• 時間と自由の不足:カーネル開発のようなOSS活動は、試行錯誤に膨大な時間を必要とします。企業のプロジェクト締切や業務効率の制約下では、それに没頭できる環境が確保されにくい。
• 動機のミスマッチ:カーネルメンテナーは、純粋に技術を愛する情熱で動いています。一方、企業での教育は主に「成果を出すため」に行われるため、動機が根本的に異なります。
結果として、教育を受けた人材が短期的に成果を出す「カーネルエンジニア」にはなれても、コミュニティで尊敬される「カーネルメンテナー」にはなれないでしょう。
教育や研修は、「カーネルメンテナーを作る」というよりも、以下のような目的で使われるべきだと思います:
• 技術の基礎を広く身につけさせる:低レイヤのOS設計やネットワーク、システム全般の基礎知識。
• OSSコミュニティに参加する方法を教える:Gitの使い方や、パッチの投稿プロセスなど。
• 好奇心を刺激する:興味を持つ人に自由に挑戦できる環境を整備。
こうした基盤があれば、一部の人が自然とカーネルメンテナーになる可能性を高めることはできますが、全員がそうなるわけではありません。
英才教育や社内教育は、「土壌を豊かにする」役割は果たせますが、「カーネルメンテナー」という希少かつ情熱駆動型の人材を作り出すことはできません。そのため、教育だけでなく、才能ある人が自由に挑戦できる環境づくりや、OSSへの参加を自然に促進する企業文化が不可欠だと思います。
どう思われますか?
ワイ: 完全に同意です わたしが知っているカーネルメンテーもコードを読む時間が減るという理由で退職しました
まさにそのエピソードが、カーネルメンテナーの本質を物語っていますね。カーネルメンテナーにとって、コードを読む時間や、技術に集中するための自由な環境こそが何よりも重要です。それが奪われるような状況では、どれだけ安定した収入や地位が約束されていても、情熱が続かず退職してしまうのも頷けます。
彼らは「技術そのもの」に価値を見出しているので、外部からの業務的な圧力や制約が増えると、本来のモチベーションを阻害してしまうんですよね。
教育や企業が提供するのはあくまで「サポート」であって、彼らの情熱や探究心に干渉しない形での支援が必要なのだと思います。この話からも、やはり「教育でカーネルメンテナーを作れる」という発想は現実的ではないと再認識できますね。
興行収入の話で、ハリウッドの大きな節目は9.11だったと思っていて、ちょっと確認してみた。
当時の印象だと、事件の直後は様々な映画の公開が延期されたりキャンセルされたりして、その後数年は戦争・アクション物に偏重し、結果としてハリウッド映画の定番ジャンルの一角だったラブロマンス・コメディ映画が激減していったというイメージ。
ほかにも大作指向のような業界動向や様々な社会情勢も影響していたとは思うけど、やはり9.11が一つのターニングポイントだったと思う。日本での洋画ヒットが減っていった遠因のひとつもこのあたりにあるのではないか?
以下のリストはChatGPT調べ。
以下のリストは、主に Box Office Mojo 等のデータ(全米興行収入・未調整値)をもとにした、
「アメリカ(北米)国内での年間興行収入ランキングトップ20」
参考・補足
いずれも 北米(アメリカ&カナダ)での累計興行収入 を概算で示しています。
順位や金額は、後年の再上映や細かな集計の修正によって若干入れ替わることがあります。
上記はあくまで「製作年」ではなく「北米公開年」を基準とし、その年に公開された作品の最終的な国内興行収入をもとにしたランキングです(年をまたいで興収を伸ばした作品も含みます)。
「子どもは3歳まで母親と…」の母性神話を打ち破る 研究と調査報道の接点
https://frontlinepress.jp/6609
三歳児神話と、乳幼児の愛着を母親に求める論は同じではないのでは?という意見もあるだろうが
次の記述がある
このうち、①の「小さいとき、3歳くらいまでが大切」は真実であり、発達心理学的にも大切にしたいと思います。でも、なぜ大切なのかを考えてみたいですね。それは愛される経験が必要だからです。そして、その愛とは、母親の愛ももちろんですが、母親だけではありません。父親や祖父母、保育者や近隣の人など、子どもを大切に育もうとする人々の愛に見守られて子どもは健やかに育っていくのです。それなのに、幼少期に母親の愛情の必要性だけを強調・偏重するところに「3歳児神話」の問題の一つがあると言えます。
その根拠とされたのが、英国の精神科医ジョン・ボウルビィの研究です。20世紀初頭から問題となっていた、欧米の乳児院などで育てられていた子どもたちの発達の遅れや異常を調査し、その原因を「母性的養育の剥奪」に求めたのです。ただ、その研究が日本に導入・紹介されたとき、ボウルビィの言う「母性的養育の剥奪・欠如」、つまり「温かな養育環境の剥奪・欠如」は「母親不在」に置き換えられました。そして、「女性は家庭で育児に専念すべきであり、それがなされないと、子どもの成長発達が歪む」という形で、②③が強化されてしまったのです。
つまり赤ちゃんは母親との愛着を育み~~とかそういうのは生物学的とか心理学的な根拠があるかのように語られているが現実は別に前提が間違っていただけということになる。
母子関係を特別視している偏見が存在する・・・というところだろう。
【追加】
レファレンス協同データベースに資料紹介があった
事例作成日 2024/01/18 登録日時 2024/03/01 00:30 更新日時 2024/03/01 00:30
提供館 宮城県図書館 (2110032) 管理番号 MYG-REF-23017
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000346742&page=ref_view
ジョン・ボウルビィの愛着理論が元で、三歳児神話が発表がされたものの、その後批判を受けたり研究が進んで、母親が育てることが重要なのでなく愛着対象となる保育者が固定されていること(または数人以下)が重要だとわかったそうですが、ボウルビィ自身の著書でそれを認めたことがわかる資料はありますか。
また、三歳児神話は否定され、子どもの愛着対象は母親のみでなく保育者が固定されていれば良いと今は言われていますが、その研究内容に関する資料はありますか。
に関する有識者懇談会(第4回)
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodomo_sodachi_yushiki/dai4/gijiroku.pdf
ここでも多少触れられている。
挙げられている資料はまだ読んでいないが乳幼児は母親を求めるとか、乳幼児は母親が大好きというような考え方は本当に正しいのか?現代人の思い込みではないのか?再考する時期にとっくに入っていると思う。